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メガロポリス未来警察戦機◆特攻装警グラウザー [GROUZER The Future Android Police SAGA]  作者: 美風慶伍
第2章サイドB『魔窟の洋上楼閣都市』第2部『洋上スラム編』
90/147

サイドB第1話『魔窟の洋上楼閣都市』Part10『セイギノミカタ』

大変おまたせしました!

グラウザーシリーズ、いよいよ再開です!


第二章サイドB第一話Part10


スタートです! 

本作品『特攻装警グラウザー』の著作権は美風慶伍にあります。著作者本人以外による転載の全てを禁じます

這部作品“特攻装警グラウザー”的版權在『美風慶伍』。我們禁止除作者本人之外的所有重印

The copyright of this work "Tokkou Soukei Growser" is in Misaze Keigo. We prohibit all reprints other than the author himself / herself

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 再び、例え話をしよう――

 

 世界大戦のとある国、とある人種は国家の平穏を脅かす存在として捕らえられ集められ断絶される運命にあった。そして、欧州のそこかしこで命をつなぐため、死から逃れるために死に物狂いの抵抗が続けられていた。


 ある者は、大陸を横断して旅をして遥か彼方へと逃れようとした、

 ある者は、せめて子供だけでも救おうとかすかな望みを抱いていた。

 ある者は、ドブネズミしか暮らさないような汚濁にまみれた地下下水道の中に潜んでいた

 ある者は、運命を諦めとある事業主のところで働いていた。

 

 運命の歯車は回り続ける。貪欲に犠牲者を血祭りにあげながら、運命は流転してゆく。

 数え切れぬ犠牲者が世界に溢れ、誰もが絶望を抱いていた。


――もう絶対に助からない――


 誰もが救いの手を差し伸べることすら諦めていた。手助けをすれば巻き添えを食うのが明らかだからだ。見て見ぬふりをした。あるいは降り注ぐ戦火の中で自分が生きることで精一杯だった。

 世界の多くの人々が為す術なく運命の前にうつむくしかなかったのだ。

 

 だがそれでも、世界には、こう叫ぶ者たちが居た。

 

――諦めるな――


 絶望してはいけない。諦めてはいけないと、叫ぶ者たちが居た。


 あらゆる艱難辛苦を乗り越え、

 あらゆる距離を踏破し、

 あらゆる傷害をことごとく排除して、

 全身全霊、すべての力を振り絞って、

 救いの手を差し伸べる者が世界には確かに存在したのである。

 

 ある者は、母国政府からの命令を無視し、反逆罪で処罰される危険を犯しながらも、亡命に必要な入国ビザを発給し続けた。

 ある者は、子どもたちを荷物の中に隠し、軍閥の目を掻い潜りながら、時には苛烈な拷問を受けながら決死の救出行を続けていた。

 ある者は、軍警察の監視を掻い潜り、銃殺される危険を犯しながら、汚物の中で怯え耐える人々に命をつなぐ食料を届け続けた。

 ある者は、全財産を使い果たしながらも、虐殺される運命にあった者たちを自らが営む軍需工場の工員として採用することで、死の運命から守り続けていた。

 

 後の世の人々は彼らを指してこう呼ぶ事となる。

 

――正義の味方――


 世界はまだ絶望しては居なかったのだ。

 

 

 @     @     @

 

 

 ベルトコーネの顔面を猛烈な衝撃が襲った。

  

 後方から回り込むような動きで急速に接近すると、ベルトコーネの右側で体を捻るように反転させると、大きく力を貯めていた右足を振り抜き、その足をベルトコーネの顔面へと炸裂させたのだ。しかもそれは単なる蹴りではない。

 

 それは断罪のハンマーである。

 悪しきを断つ断罪の刃である。

 

 その回し蹴りの衝撃はベルトコーネの頭部全体を壮絶なまでに激しく貫いていた。

 視界が飛び、一瞬何もかもが見えなくなる。

 聴覚が吹っ飛ぶ。一切の音が遮断される。

 平衡感覚は正しさを失い、上下左右がどこなのか、判断することすらできなくなる。

 頭脳は正常な判断力を低下させる。脳内のリレーションが瞬間作動不良を起こし、膨大なエラーを瞬時にして吐き出した。

 その攻撃の衝撃は頭部にダメージを与えたのみならず、ベルトコーネの身体を後方へと弾き飛ばす力をもたらした。蹴り飛ばされた頭部に引きずられるように、ベルトコーネのその全身は後方へと大きき吹き飛ばされた。

 数十mを飛び、さらに二十mほどを横転する。アスファルトの上で、ローラたちの方とは逆方向に横臥させられる。すべての行動が困難となる状況で僅かに回復したベルトコーネの聴覚に聞こえてくる言葉があった。

 

『彼女は貴様の仲間じゃないぞ! 彼女はテロリストじゃない!! 寒さに震えてぬくもりを求める子どもたちを温め癒やして、全身全霊を尽くして助けようとする『母親』だぞ!! 貴様の血に汚れた拳で軽々しく触れていい存在じゃない!!!』


 それは若々しい声だった。未来があった、力があった、何よりも温もりに満ちた怒りがあった。そうだ、この声は聞いたことがある。

 

『立て! 貴様のその腐りきった有害無益な拳を、僕が叩き潰す!!! 貴様だけは絶対に赦さん!!!』


 そうだ、これはアイツの声だ。

 

 有明のあの場所――

 我らが主の終焉の地、仲間たちが打ち倒され二人だけとなった場所。

 あの場所で俺に戦い挑み、一矢報いるどころか、あらゆる攻撃を掻い潜り、すべての行動が不能になる程のダメージをもたらしたアイツ――

 

 日本警察が生み出したアンドロイド警官、

 その名は【特攻装警】

 その7号機にして6体目、そうだ奴の名は――

 やつの名だけは忘れることができない。

 当たり前だ。やつこそが我らが主人を打ち倒したのだから。

 

 

 @     @     @

 

 

 ベルトコーネの視界は作動エラーを起こしていた。だがそれが右側だけ回復する。聴覚も右耳のみ復帰した。動体制御のバランスコントロールシークエンスは今なおエラーを生じているが立ち上がることは可能だ。

 両腕をついて身体を起こす。そして速やかに上体を引き起こして、ふらつきながらも立ち上がる。その視界に片隅にて、ローラをかばうようにして現れたのは日本人の青年の風貌を持つアンドロイドだ。

 ベルトコーネは彼の名を呼んだ。苛立ちを隠さずに睨みつけながら叫んだ。

 

「貴様、グラウザー!?」


 だが、それに対して紳士的に振る舞うグラウザーではない。


「気安く名前を呼ぶな。テロリスト崩れの戦闘狂!」


 右腕を横にかざしてローラをその影へと庇う。その背中で彼女を守りつつもグラウザーの敵意と攻撃心は無慈悲な暴走をするベルトコーネへと真っ向から向いていた。グラウザーの怒りの叫びはなおも続いていた。それはグラウザーが初めて表す〝激怒〟の意思表示である。

 

「愚かしいヤツだとは思っていたが、まさかここまで愚劣なヤツだったとはな。無力な子供を血祭りにあげてご満足か!! お前のかつての主人が唱えていた理想とはこの程度の物だったのか! 答えろ! ベルトコーネ!」


 それは清廉な怒りである。自分自身のエゴイズムから沸き起こったものではなく、他者への純粋で純朴な善意があるからこその、他人を守りたいという〝正義〟から沸き起こる怒りである。

 だがベルトコーネは答えない。彼自身も別種の怒りを抱いて真っ向から睨みつけるのみだ。

 

 二人が対峙する中、グラウザーに庇われる形となったローラは驚き、そして戸惑っていた。突如として現れた救いの手、ベルトコーネを一撃で吹き飛ばす程の戦闘能力。それを目の当たりにして驚き恐れぬはずがなかった。

 グラウザーに声もかけられず戸惑うばかりのローラであったが、その彼女に声をかけてきたのはグラウザーからである。

 

「何をしているんだ!」

「えっ?」


 グラウザーからの叱るような問いかけにローラが戸惑いとの声を漏らしたとき、落ち着いた優しい声でグラウザーはローラを諭した。

 

「僕は警察だ。君たちを助けに来た。ここは僕が〝戦う〟」


 そして振り向いた横顔には、怒りの中に力強い優しさが垣間見えていた。戦いの矢面に立ち敵意と暴力と悪意に真っ向から立ち向かいながらも、護るべき存在へは掛け値なしの優しさを彼は持ち合わせていた。そしてグラウザーはローラにこう力強く告げたのだ。

 

「君は戻って子どもたちを護るんだ。さぁ、早く!!」

 

 その言葉にローラは気づいた。

 判断を誤ってはならない。役目を忘れてはならない。戻るべき場所は今なお確かにあるのだ。

 そして、ローラは自らの胸を右手で強く押さえると、安堵と喜びと、そして自分が新たに犯そうとしていた過ちに気づいて不安におののいていた。涙を流し、その体を震えさせながらローラはグラウザーの言葉に答えたのだ。

 

「はい――」


 声を震わせながら頷き身を翻す。そして、グラウザーの背中にローラは声をかける。

 

「ありがとうございます」


 その言葉にグラウザーは、静かに微笑みながら頷いていた。

 安堵とともに涙が溢れてくる。一度は選んだ自爆という破滅の選択。だが、それは最悪の状況下で失敗に終わった。これで誰もが助からないと一度は覚悟を決めたのだが、それは失敗ではなかった。むしろそれは不幸中の幸いだったのだ。


「ラフマニ!」


 ラフマニの元へと駆け寄るローラ。ラフマニは今なお急性拒絶反応発作で身の自由が不完全な状況にある。それでも立ち上がれるくらいには回復しつつある。ふらつきながらも何とか体を起こして両足で立とうとしている所だった。

 ようやく二本の足で立ったかと思ったがやはりふらついて倒れそうになる。それに駆け寄り受け止めたのがローラである。

 

「大丈夫!?」

「あ? あぁ――、なんとかな」


 ローラによりかかりながらもラフマニは何とか立っていた。そして、無事生還してきたローラをその両腕で抱きしめていく。抱きしめる力は何よりも強かった。

 

「痛い、痛いよ。ラフマニ」

「痛いくらいがなんだ!」


 怒るような口調。なじるような言葉。だが、その言葉の意味をローラはすぐに知ることになる。

 

「勝手な真似しやがって! お前が居なくなったらガキどもはどうするんだよ!?」


 ラフマニからの叱責の言葉。それを耳にしてローラはハッとした表情となった。


「お前が犠牲になってあいつらが生き残れても、お前が居なくなったって現実に打ちひしがれながら生きなきゃならねーんだぞ! お前が消えればあいつらが笑わなくなるって事くらい分かんねーのかよ! 二度もあいつらから〝母親〟奪う気か!」


 ラフマニから叩きつけられたその言葉に、ローラは己の愚かしさを思い知らされた。そして消え入るような声でこう詫びたのだ。

 

「――ごめん」


 ラフマニの肩に顔を埋めて涙声で詫びていた。


「あやまるんなら俺じゃなくあいつらに謝れ! 何があっても生き残ってあいつらと一緒に居てやってくれよ!」

「うん――」


 ローラの謝る声を聞くと同時に、ラフマニは安堵の表情を浮かべながらも膝を折るようにして崩れ落ちていく。

 

「くそっ……、力が入らねぇえ」

「大丈夫?! しっかりして!」


 思ったよりも症状が重いのかラフマニの容態は決して思わしくなかった。そんなラフマニを両手で抱き起こすと、肩を貸すようなスタイルで彼を支えてベルトコーネの方から離れていく。

 

「すまねぇ、身体が――どうにもならねぇんだ」

「拒絶反応でしょ?」

「あぁ、無理すると発作みたいに起こるんだ。今まででも一番ひでぇ。くそっ! 俺もお前のこと言えた義理じゃねえな」


 ラフマニは苦笑いしながら自嘲する。だが、ローラが彼を労るように言う。


「そんな事無いよ」


 ローラはラフマニに微笑みかけた。

 

「ラフマニが戦ってくれたから〝間に合った〟んだよ」


 そして背後を振り返りつつこう告げたのだ。

 

「あの人が間に合ったんだよ」


 そう語る言葉に導かれてラフマニも背後に視線を向ける。そこにはベルトコーネと真っ向から向かい合うグラウザーの姿があった。この地に、救いの手を差し伸べるために駆けつけてくれたのだ。

 

「誰だかわかんねぇけど――」


 グラウザーのその背中がラフマニの目には何よりも眩しく頼もしかった。

 

「あとはまかせたぜ」


 その言葉が戦いの矢面に立つグラウザーの耳に聞こえたかは定かではない。とりあえず今は、あのハイヘイズの子どもたちのところへと二人で支え合いながら戻っていったのである。

 

 

 @     @     @

 

 

 二人は相容れない存在である。

 決して並び立つことのない相反し合う存在である。

 

――かたや、日本警察が誇るアンドロイド警官の最新鋭機。

 日本警察が持てるだけのテクノロジーを注ぎ込んで作り上げた正義の守り手

 

――かたや、世界中が忌み嫌い忌避する最悪のテロリズムアンドロイド。

 一人の老テロリストが恩讐と怨念だけを支えに、人間社会に報いるために作り上げた破壊の化身

 

 二人は互いに、視線を――、そして攻撃の意思を――

 それぞれに真っ向からぶつけ合い互いの存在を否定し合う。

 それは誰も曲げることのできない、運命の帰結である。 

 

 グラウザーから食らった攻撃のダメージから少しずつ回復しつつあるベルトコーネであったが、その彼の前には両の足でしっかりと立つグラウザーの姿があった。両の拳をしっかりと握りしめ、一歩一歩歩みを進めてきている。

 グラウザーの両腕にしなやかに力がこもっている。いつでも抜き身の刀のように敵を斬り伏せられるようにしてあるのだろう。その両の拳の握り方にも変化が見られる。

 

「貴様――」


 ベルトコーネはグラウザーに向けてつぶやいた。

 

「それなりに戦い方を身に着けたらしいな。トレーニングでも受けたか?」


 ベルトコーネからの問いかけにグラウザーは訝しげに問い返す。

 

「なぜ、そうだと分かるんだ?」


 グラウザーは左半身前にして左腕の拳を眼前に構えた。右の拳は腰だめに構えてある。それは引き絞られた撃鉄のごときである。それを目の当たりにしつつベルトコーネも構えを取りながら拳打を放つ予備動作を始めていた。そして、ベルトコーネはグラウザーをしっかりと見据えつつ彼からの問いかけに答えた。

 

「拳がしっかりと固められている。たとえアンドロイドと言えど指をしっかりと握り込まねば、自らの打撃力で手指を破壊してしまうものだ」


 拳を固め終えたベルトコーネは両腕を緩やかに構えると無為の構えでグラウザーへとステップを踏む。そして、右足を踏み出しながら低く押し殺した声でグラウザーに問いかけた。


「誰かに教わったか――〝戦い方〟を」


 力強く大地を踏みしめながらベルトコーネの巨体が前進する。それをグラウザーは真っ向から受け止めながら轟くような声で強く叫んだのだ。

 

「答える義理は無いっ!!」


 グラウザーもまた右足を踏み出しステップを踏んでいた。間髪置かずに左足も踏み出し、グラウザーの体をベルトコーネ目がけて前進させていく。そして、二人の戦いの端緒は壮烈な打撃戦で幕を開けたのである。

 

 グラウザーが右足を踏み出しつつ右拳を正拳に撃ち放つ。しかしそれは牽制であり、打撃を狙ったものではない。ベルトコーネが体軸を右にスウェーさせるのを予測しつつ間髪置かずに左の蹴りを下から上へとベルトコーネの頭部を狙って打ち込む。

 対するベルトコーネが右腕を跳ね上げ右肘でグラウザーの蹴りを弾き飛ばす、同時に右腕の動きとともに左半身を後方に引くと、静かな動作で左足の膝とつま先をグラウザーの胴体へ目がけて打ち込む。それをグラウザーがとっさに右膝を上げ右肘を下へと打ち込んでガードする。グラウザーがベルトコーネの蹴りを防御した瞬間、重く轟くような轟音が鳴り響く。単なる蹴りの衝撃にとどまらない重く多大な質量を纏った〝重爆〟と呼ぶにふさわしい破壊兵器の打撃兵器とでも呼ぶにふさわしい攻撃であった。

 

「ぐうぅっ!?」


 防御した瞬間、グラウザーの喉から声が漏れる。予想外の威力、想定外の浸透力、完璧に防御したはずだがベルトコーネのその蹴りはグラウザーの膝と肘を掻い潜り彼の腹部へと到達する。防御姿勢により守られていたとは言えすべての威力を殺すことはできなかった。そのダメージはグラウザーの腹部へと浸透してその全身を後方へと弾き飛ばすのだ。

 

――ドォオオン!――


 まさに大砲の弾丸でも打ち込まれたような怪音が鳴り響き吹き飛ばされたグラウザーは20mほどの距離を吹き飛んでいった。横転して転げ回らなかったのはグラウザー自身の持つ優れたバランス能力と動体制御能力がゆえである。しかしグラウザーは驚きと焦りを表さずにはいられなかった。

 

「馬鹿な?! 有明の時より威力が上がっている!?」


 ぐっと奥歯を噛みしめる。そこにはグラウザー自身が想定していたよりも敵の戦力が遥かに向上している事実があった。だが認める訳にはいかない。認めてしまったらここを守り切ることができなくなる。その焦りをベルトコーネも読み取っていたのだろう。

 

「どうした? 計算が合わなかったか?」

「あぁ、どうやらそうらしい」

「無論だ。有明のときにはお前と対峙するよりも以前に、お前の兄たちに散々やられていたからな。今回も色々とやられたが、それでもお前らの兄たちには遥かに及ばなかった。お前らの兄貴達は流石だったよ。特にあのアトラスというやつには今でも賞賛を禁じえない」


 そしてベルトコーネは両の拳をしっかりと握りしめた。4本の指で自分自身の掌を握り込むようにしっかりと拳を強く固める。それを親指で押さえ込み拳が緩む余地を無くしていく。その動作が完璧にこなされたとき、その両手は物をつかむ道具ではなく、残忍な破壊兵器へと化するのである。その握り込んだ両拳を眼前に構えるとベルトコーネは右足を前にしてスタンスをとる。同時にグラウザー目がけて挑発の言葉を解き放った。


「だが、お前はどうだ。グラウザー、あれからどれだけ成長した? 俺を――」


 そしてゆっくりとベルトコーネの右のつま先が浮かぶ。その顔には怒りと闘志と飽くなき破壊と戦闘を渇望する狂える男の禍々しい視線が存在していた。それをグラウザー目がけて叩きつけながら右足を強く踏みしめた。

 

「俺を失望させるなぁぁああああっ!!」


 怒号が響き渡りベルトコーネの右足が踏みしめられる。前傾姿勢となったベルトコーネがその体を弾丸のごとく解き放つ。瞬く間に二人の間の距離は縮められたのである。

 

「くっ!!」


 左半身を前にしてグラウザーが構える。そして襲い来るベルトコーネとの距離を測る。焦りと恐れと不安がよぎるが、それに埋没するグラウザーではない。今、ここが最後の一線でありこれを越えられれば、本当にあとが無いのだ。

 

「まだだ――」


 グラウザーは小さく誰にも聞こえぬ声で唱えた。

 

「まだ待つんだ」


 グラウザーの戦意は消えてはいなかった。

 

「待て――」


 そればかりか有明の時にはなかった知慧すら身に着けていた。迫りくるベルトコーネとの距離を正確に推し測る。

 

【 距離計測、攻撃対象との物理的距離    】

【 ―不可視レーザー超音波併用計測―    】

【                     】

【 距離:5m               】


「まだだ――」


【 距離:4m               】


「まだ!』


【 距離:3m               】


「来い――」


【 距離:2m               】


 そして時は来た。

 

「!!!」


 迫りくるベルトコーネめがけて後方へと引いていた右足の回し蹴りを解き放つ。それは渾身の一撃である。ベルトコーネを両断する勢いで解き放った最高の攻撃である。だが――


「――――」


 無言のままベルトコーネはその蹴りを躱した。絶妙な体捌きと常識離れした挙動ですんでのところでグラウザーの蹴りから逃れたのだ。その差、わずかに数ミリ。恐るべき戦闘精度である。だが、それすらもグラウザーには想定内である。

 

「まだだ!」


 右足が空を切る動作のまま身体を回転させるとすかさず左足で飛び上がり、右足で着地する。そして左足を前蹴りの動作で回転動作無しにベルトコーネの胴体へと壮烈な勢いで打ち込んだのだ。

 回転から直線へ、急激な変化を狙っての攻撃だった。ベルトコーネも敵の予想外の動きに一瞬判断が遅れた。体裁きでスウェイして躱すこともできない。間違いなく頭部へと当たる――、そう思われた瞬間。思わぬ行動をしたのは対するベルトコーネも同じである。


――ガッ!――


 ベルトコーネの顔面へとグラウザーの蹴りは確実にヒットする。蹴りの衝撃がベルトコーネの頭部を貫くのは確実だった。だがベルトコーネは一切の回避動作を行わなかった。まるで招い入れるチャンスを待ってたかのごとくベルトコーネは不敵な笑みを浮かべる。そこには一切のダメージの痕跡は存在していなかった。


「無駄だ」


 あっけにとられるグラウザーを尻目にベルトコーネの両手が動く。グラウザーの蹴りを素早く掴むと敵の動きを封じてしまう。


「グラウザー、お前があの有明のときから成長したように、俺も敵の攻撃に対して対策を講じる。同じ轍を踏まぬように自己改善・自己成長するようにわが主人が俺を造り上げたのだ」


 何とか逃れようとグラウザーはもがいたが、流石にそれを簡単に許すベルトコーネではない。確実にグラウザーの足を握りしめ離そうとはしなかった。驚きと焦りを露わにするグラウザーにベルトコーネはなおも告げる。

 

「お前は蹴り技主体に戦闘を組み立てている。恐るべき動体速度と運動性能がそれに加わることでこの俺に匹敵する破壊力を発揮することが可能だ。だが――」


 ベルトコーネの腕が動く。右手でグラウザーの左足を引くとそのまま振り上げる。成人男性よりも重量のあるはずのグラウザーの身体は安々と持ち上げられてしまう。

 

「その素早さを押えてしまえば終わりだ!!」


 持ち上げたグラウザーの身体をまるで濡れたタオルでも振り回すかのように旋回させると、満身の力を込めてアスファルトへと叩きつける。地面へと激突する瞬間、両腕で頭部をカバーするがそれでもダメージは防ぎきれなかった。

 

「ぐぅっ!」


 凄まじい衝撃に意識が飛びそうになる。グラウザーの非金属高分子製人工頭脳〝クレア頭脳〟は高い耐衝撃性を有する。たとえ50口径弾の直撃を食らっても何の異常も見られないはずだ。だが、そのクレア頭脳内を飛び交う信号が一瞬エラーを吐き出す。

 

【 中枢部・クレア頭脳基幹動作システム   】

【 人格制御プログラム《マインドOS》   】

【 ――動作ログ――            】

【 高衝撃感知、動作保証限界抵触      】

【 信号エラー発生〔1回〕         】

【 同、信号補正可能>補正終了       】


 グラウザーに与えられた世界最高峰の人工頭脳はこの程度では止まったりはしない。だがその人工頭脳が物理的衝撃だけでエラーを吐き出すと言う事自体が異常なのだ。

 

「なんて馬鹿力――!」

 

 グラウザーは衝撃に耐えながら吐き捨てるが、それでもベルトコーネの攻撃は止まない。再び引きずり振り回すとオーガの振るう棍棒の如くにグラウザーを振り回し何度も叩きつけ続けた。

 

「ぐっ!」


 為す術がなかった。加えられる攻撃そのままに耐えるより術がない。敵が容易に開放するはずがない。この機会に徹底的にダメージを与えに来るだろう。

 

「ガァァァアアアッ!!」


 獣のような雄叫びが轟く。テロリズムアンドロイドとしての獣性を開放させてあらん限りの力でベルトコーネはグラウザーを振り回し叩きつけ続けた。銃火に頼らないもっともシンプルでもっとも効率的な破壊方法だ。何度も、何度も、その破壊衝動は繰り返される。その打撃の連続は確実にグラウザーの身体にダメージを与えていたのだ。

 

【   体内機能モニタリングシステム    】

【    <<<緊急アラート>>>     】

【―中枢系メイン頭脳システム・機能障害発生―】


 特攻装警のアンドロイドとしての身体の動作状況を総括制御するモニタリングシステムが緊急アラートを発している。


【1:クレア頭脳・頭脳内データリレーション 】

【     信号フィードバックエラー連続発生】

【2:中枢系生命維持基幹系統        】

【           重要信号伝達断絶発生】

【3:人工脊椎システム及びメイン中枢接続部 】

【   リレーショナルシグナル途絶     】

【      同バックアップ系統緊急作動開始】

【4:身体姿勢制御マイクロレーザージャイロ 】

【 統括コントロールネットワーク連携障害発生】

【     同自動キャリブレーション連続実行】

【                     】

【全ハードウェア物理障害発生確認      】

【発生状況確認継続             】


 頭部と胴体へと連続打撃を加えられていることで、もっとも重要な中枢系統の異常が連続発生しつつあった。それでも何とか致命的な障害が発生する寸前で自動修復や自動補正が行われているのが救いだった。

 指一本動かせないような状況には至っていない。今ならまだ逃げ出すことは不可能ではない。

 状況を冷静に判断すれば左脇の下にハリーから貰ったコンシールメントホルスターがまだ下げてある。幸いにしてグラウザーの愛銃のSTI2011パーフェクト10はそこにしっかりと収まったままだ。衝撃で外れたり落ちたりはしておらず脱出するにはこれに頼るしか無かった。

 頭部を両手でガードしつつ状況を判断すれば一度地面に叩きつけられてから5秒から7秒の間がある。その数秒の間に両手のガードを解き銃を抜いてベルトコーネを撃つしか無い。無論狙いを定める余裕もない。まるっきりの一発勝負だ。だが脱出にはこれしかないだろう。

 衝撃をこらえタイミングを計る。そして、地面へと叩きつけられた瞬間、右腕を素早く動す。ホルスターから抜き放った瞬間に自らの足元の方へと狙いを定めながら引き金を引く、初発がベルトコーネの顔面をかすめ、それがベルトコーネに隙を生ませる。そのほんの2秒ほど間にもう2発を放てば、その弾丸はベルトコーネの頭部へと見事に命中していた。幸いにして内部メカがむき出しの側へとヒットし、ベルトコーネの顔面で電磁火花が迸った。それはベルトコーネに重大なダメージが加えられたことの証でもある。

 

「ガアアッ!!」

 

 ベルトコーネの右手が緩む。破壊された顔面へと自らの両手を当てる。そのチャンスを逃さずにグラウザーは残る弾丸をさらに敵めがけて叩き込んだ。頭部、頸部、胸部、下腹部――考えうる箇所目がけて弾丸を注ぎ込んでいく。そして、引き金を引き続けながらグラウザーは立ち上がり体制を立て直しベルトコーネから距離を取った。

 

――カシィッ!――


 すべての弾丸がうち放たれ、撃鉄が空打ちされる。間を置かずに弾倉を取り出すと予備の弾倉へと入れ直す。そしてグラウザーはセンチュリー同様に〝有機物消化機能〟を持つアンドロイドとして必要な〝呼吸〟を続けた。荒く吐かれる呼吸の音が微かに聞こえてくる。

 

【   体内機能モニタリングシステム    】

【 ――ステータス・インフォメーション―― 】

【                     】

【 クレア頭脳:物理損傷率1.4%     】

【     ⇒ 自己回復実行中、全回復可能 】

【 中枢系生命維持基幹系統:        】

【     重要信号断絶未回復、残り2箇所 】

【     ⇒ 回復処理完了まで27秒   】

【 人工脊椎システム及びメイン中枢接続部  】

【           機能回復率:96% 】

【     ⇒ 残4%、自動回復困難    】

【     ⇒ 身体制御継続可能      】

【 身体姿勢制御マイクロレーザージャイロ  】

【     ⇒ 自動キャリブレーション成功 】

【                     】

【 総合判断 ⇒ 『戦闘行動継続可能』   】


 グラウザーの視界の中でインフォメーションが通り過ぎる。 

 そして両足でしっかりと立ちつつ右手でパーフェクト10で狙いを定める。その銃口の先にはベルトコーネが居る。10ミリ弾丸はかなりのダメージをベルトコーネに与えはしたが、それでもそれは気休め程度でしか無い。すぐに回復してふたたび立ち上がるだろう。

 息も荒くグラウザーは呼吸を整える。そして、次の一手をどうするかを思案する。僅かな沈黙の後にグラウザーはベルトコーネに対してある疑問を感じつつあった。

 

――なぜだ? 僕の蹴りを正面からノーダメージで受けれるのに、なぜ弾丸ごときに耐えられない?――

――なぜだ? 拳による打撃でこれまであれだけの破壊力を示せたのに、僕を振り回し叩きつけるときにはこの程度のダメージなんだ?――

――なぜだ? 有明の〝あの時〟は僕の蹴りはベルトコーネに確実にダメージを与えていた。致命的な一撃となっていた。そんなに簡単に構造レベルまで自己改良できるものなのか?――


 幾つもの疑問がグラウザーの脳裏に湧いてくる。しかし、グラウザーは現場での疑問は事件解決のチャンスである事をこれまでの経験から学習していた。

 疑問はチャンスだ。そこにベルトコーネ攻略の鍵があるように思うのだ。

 

――構造――

――衝撃――


 その2つのキーワードがグラウザーの脳裏をよぎった時、その頭脳に与えられたのは天啓である。グラウザーの脳裏を稲妻のような光が通り過ぎた。そして、ベルトコーネとのこれまでの戦いでの記憶がそれと重なった時に〝答え〟は得られたのである。

 

「そうか! そういう事か!」


 グラウザーの叫びをベルトコーネが怪訝そうな顔で見ている。そんな敵へとグラウザーはなおも告げた。

 

「わかったぞ。お前の戦闘能力の正体が!」

「なに?」


 ベルトコーネが疑問の声で返すがそこにはまだ動揺は感じられない。しかしその疑問に突き返された言葉には強い自信と誇りが満ちていた。グラウザーは力強く叫ぶ。

 

「答える義理はない!」


 そしてそれと同時にグラウザーは通信を飛ばす。

 

〔ディアリオ兄さん!〕


 問いかける相手は兄の一人であるディアリオだ。

 

〔どうしました? グラウザー?〕


 通信妨害やハッキングの多いこの街で、即座に返事が帰ってきたのは僥倖だった。安堵しつつディアリオに告げる。

 

〔大至急、第2科警研へと通信接続願います!〕

〔ハッキング対策の中継ですね? 了解。直ちにつなぎます!〕


 ディアリオが返答と同時に自らの体内システムを使ってグラウザーと第2科警研を中継接続する。グラウザーはすかさずネット越しに呼びかけた。

 

【 緊急通信呼び出し            】

【 呼び出し先:開発G班研究ルーム     】


 大久保はグラウザーが重要任務で行動中の時は、可能な限り第2科警研で待機してくれている。今も居るはずなのだが――

 

――頼む! 出てくれ!――


――数秒のタイムラグが、何時間にも感じられる。今、グラウザーは大久保の力を必要としていたのだ。それがなければ今度こそ万事休すだ。だが――


〔こちらG班大久保! どうした! グラウザー!〕


 返答があった。グラウザーの胸中を安堵がよぎる。

 

〔大久保さん! お願いがあります!〕

〔なんだ?! 遠隔サポートならいつでも可能だ。何が必要か言ってみろ〕


 生みの親たる大久保にグラウザーは告げる。それは乾坤一擲の賭けである。

 

〔僕の2次武装装甲システムの遠隔装着を願います!〕

〔2次武装? 遠隔装着だと?!〕


 グラウザーから告げられた言葉に大久保は絶句した。即時返答出来ぬ事が、それがどれだけ困難なことなのかを明確にしていた。先の極秘施設でのテストでも自動装着はできなかったのだ。機能面でも今だ完全動作には至っていないのだ。あまりに危険すぎる賭けである。

 だが、グラウザーは迷っていなかった。なぜなら――

 

〔ベルトコーネを倒すにはもうこれしかないんです!〕

〔失敗したら完全に対策は絶たれるぞ! いいんだな?〕

〔解っています! でもやるしか無いんです!〕


 〝ベルトコーネ〟――その存在が大久保の方にも伝わっている。それがいかに危険な事態の真っ直中にあるかを如実に示している。その危険度を大久保も察していた。

 

〔分かった! 2分耐えろ! 遠隔操作システムを立ち上げる!〕

〔了解!〕


 一か八かの賭けである。不確定的な要素のあるチャレンジは警察としての任務においては許される物ではない。だが、今はまさにこれしかないのだ。

 焦りがグラウザーの心理を襲う中、眼前の敵は不完全な復活を果たして攻撃のための拳を固めつつあった。残された時間は少ない、だがやるしか無いのだ。

 

 

 @     @     @

 

 

 ローラは見つめていた。

 ベルトコーネと戦う〝彼〟の姿を。

 絶体絶命の窮地に突如として現れベルトコーネを吹き飛ばし、そして、ベルトコーネと〝戦う〟と告げた人。

 

 ローラは神など信じない。

 否、アンドロイドであるが故に、テロリズムアンドロイドとして生を受けたが故に、神と言うものが理解できない。

 これまで手に掛けてきた人々が神に祈るさまをなんど見てきただろう。そしてその姿をどれ程に愚かしいとあざ笑っただろう。どんなに祈っても助けに来るはずがない。なぜなら神は地上には存在しないのだから。過去のローラならそう笑い飛ばしたはずだ。犠牲者がどんなに祈ったとしても、テロリズムから救ってくれた神など存在しないのだ。

 だが、今なら分かる。かつてのあの犠牲者たちが最後まで神に祈っていた時の気持ちを。それを思うと罪悪感で胸が締め付けられそうになる。そしてローラはココロの中でつぶやいていた。

 

――ごめんなさい――


 今、この夜に自分が味わった苦痛と無力感は己の罪に対して課せられた罰である。そして、最悪の状況に陥りながらも救いの手が差し伸べられたことの幸運を噛み締めずにはいられなかった。これが神に感謝するという気持ちなのだろうと。そしてローラは、自分たちをベルトコーネと言う恐怖から救ってくれた彼の姿にある言葉を見出していた。

 

 すなわち――〝正義の味方〟――である。

 それはおとぎ話ではない。これは現実なのだ。


 ローラはそんなグラウザーの戦いを横目に見ながらラフマニを連れて戦いの場から離れつつあった。肩を貸して支え合うラフマニにローラは問いかける。


「大丈夫?」


 だがラフマニは答えない。ぐっと唇を噛みしめうつむいたままだ。足取りもおぼつかずこのままでは歩行すら困難である。症状は悪化の一途を辿っていた。ローラは周囲を見回し道端へと運ぶ。そして少し開けた場所を見つけるとラフマニを引きずるように連れて行く。

 

「ラフマニ!?」


 地面へと横たえてあらためてラフマニの様子を見るが、視線も不確かであり呼吸も荒く顔色も蒼白である。医学的知識のあるものが見るならショック症状寸前なのは明らかだ。だがそのような知識、ローラにあろうはずがない。不安にかられながらもただひたすら眺めるしか無い。その手を必死握りしめて祈るだけで精一杯だった。

 

「どうしたら――どうしたらいいの?」


 戸惑い嘆きつつも時は一刻一刻と過ぎていく。そして今まさに救いの手が現れなければ万事休すになってしまうのだ。ローラは思わずある者の名を口にした。

 

「シェンレイ」


 それは普段から子どもたちとローラのことを守ってくれるはずの人の名前だった。正義の味方と呼び称されてもおかしくない筈の人だった。だが、彼は何故にか現れない。

 

「どうして? なぜ来てくれないの?」


 疑問を口にしてこの場にいない者をなじるが最早それすらも無駄な行為である。絶望がローラの心の中に広がっていく。遠くではベルトコーネと戦う〝彼〟の姿が見えているが、打撃戦の末に片足が捕らえれているのが見える。

 

「あっ!」


 ローラが思わず叫ぶ。だが今の彼女ではもうどうしようもない。振り回され地面へと叩きつけられている。無残な姿に思わず目を背けたくなる。そしてこうしている間にもラフマニの生命の危機は悪化の一途を辿っている。現実から目を背けても命が助かるわけではないのだ。

 

「ラフマニ?! ねぇ、大丈夫? ねぇ! 返事して!」


 絶望は恐怖へと変わる。破滅的な最後の予感がローラの総身を苛んでいく。そしてその恐怖の感覚は強い痛みへと代わりローラに新たな苦しみを与えようとするのだ。

 救いを求める気力さえ無くなりそうな現実がそこには在った。


――だが、神は彼女を見放したわけでは無かった。救いの糸はまだ絶たれていなかったのである。開けた空き地の向こう側、別な廃ビルの二階の裏口のドアが開き、錆びた非常階段から飛び降りてくる者達がいる。その数3名。


「おい! 大丈夫か!」


 姿を表したのは黒人である。東京アバディーンのメインストリート入口近くに縄張りを持つ黒人グループの手のものである。クラブ系のファッションに身を包んだその姿はどことなくストリートギャングを彷彿とさせるが、それとは裏腹に彼らが発する言葉は優しさに満ちていた。

 

「待ってろ! 今行く!」


 3人の黒人たちの中には肩から大きめのカバンを下げているものも居る。少し歳を重ねた初老の男性だった。アゴ周りに蓄えた白髪交じりの髭が印象的だった。彼が先頭になりローラのところへと駆けつけてくる。

 

「何があった?」


 そうローラに問いかけつつ地面に横たわったままのラフマニへと視線を向ける。ローラは即座に現状について説明を始めた。

 

「彼が――彼が拒絶反応の急性発作を起こしたんです! 無理な戦闘でサイボーグ体が拒絶反応を引き起こしてしまって――」


 ローラのその説明を聞きつつ初老の黒人男性は胸ポケットから小型のペンライトを取り出す、そして目に光を当てつつ首筋で脈を測る。その彼の視線と仕草で同行していた若い黒人男性が速やかに作業を始める。襟元を緩め鎖骨のあたりの素肌を露出させる。

 

「ドクター、準備いいぜ」

「よし、手足をしっかり抑えてくれ。射った直後の薬効の副作用で少々暴れるからな」

「わかった――、おい!」


 若い黒人男性はドクターと呼ばれた彼からの指示を受けて、同行していた残り一人にも声をかけた。指示通りにラフマニの手足を押さえるためにだ。ローラは彼が始めた作業に対して思わず疑問の問いかけをせずには居られなかった。

 

「あの――彼になにを?」


 不安げに問いかけるローラに老ドクターは柔らかい口調ながら冷静な表情のまま告げた。


「注射だよ、注射。おれはこれでも元は米軍の軍医でね。事情があってトンズラこいてここまで流れてきたんだ。古巣じゃ軍用のサイボーグ化兵士のメンテナンスケアを専門にしてたんだが、戦場じゃコイツみたいに無理のし過ぎで拒絶反応発作を起こすやつはいくらでも居た。そんな時にコイツをぶち込むんだ」


 ドクターが取り出したのは銃のような形状の電動式の動力注射器である。専用の形状の瓶型アンプルを銃身の真下に弾倉のように取り付けスイッチを入れてポンプを作動させれば準備は完了する。そして注射を打ち込む場所として鎖骨付近を探り始めた。


「軍人ってのは怪我や病気で手足を無くすのは決して珍しくない。昔はそのまま傷痍軍人として除隊となって雀の涙の恩給生活を受けるんだが、今じゃ医療用義肢の発達で義手義足をつけて戦場復帰するやつが増えたんだ。だが、戦場じゃ適切な治療が受けられるとは限らない。過酷な環境に放り込まれて肉体に負担が掛かりまくる。そうすると移植された義手義足や人工臓器に身体が急性拒絶反応を起こす。放っておけば必ず死ぬ。鉛玉を食らうよりも確実に棺桶行きだ。初期の頃は治療が追いつかなくてかなりの兵士が拒絶反応でやられたよ」


 老ドクターは鎖骨の下にある太い静脈を探っているようだった。鎖骨下には全身のリンパ管が集約される大静脈がある。そこへと薬剤を打ち込むのだ。触診でどうやら鎖骨下静脈を探り当てたようではっきりと頷いていた。

 

「そこで拒絶反応の元になる免疫反応を制御する薬が急遽開発された。薬効重視で副作用は度外視。ひどい頭痛にやられるし、あとから全身の筋肉に痛みが走る。胃腸が消化不良を起こして下痢にもなるから一週間はトイレと往復するはめになる。あんまりヒドイんで現場の兵士からは『下痢薬』ってあだ名が付けられたんだ。俺は現場の兵士からは下痢の先生って呼ばれてたよ」


 静かな語り口の中に悲壮で決して楽ではない現実を笑い飛ばそうとする減らず口が垣間見えている。過酷な世界に身を置く軍人ならではの言い回しでワイズダックと呼ばれるものだ。己の過去を笑い飛ばす事でこの場の重い空気を吹き飛ばそうとしているのだ。老ドクターがローラに微笑みかけながら冗談交じりに告げた。

 

「そういう訳だ。当分の間はアンタの彼氏はトイレに篭りきりになるから。覚悟してくれよ」


 そのあまりに軽い言い方にローラも思わず笑いそうになる。そんなローラの姿を確かめながら、老ドクターは告げる。 


「よし、鍼を打つ場所は決まった。おい! 坊主!」


 ドクターが大声で怒鳴りつければうっすらと目が開く。視線は定まらないがまだ正気はなくしていなかった。それを確かめながらドクターはラフマニの口に折りたたんだタオルを咥えさせる。その様子にただ見守るだけだったローラもラフマニの頭の方へと回り込むと彼の頭部に両手を添えていく。


「ラフマニ、もうちょっとだからね」


 ローラのその言葉を耳にしてラフマニは頷いていた。準備は終わった。あとは銃型注射器の先端を注射箇所へと宛てがい打ち込むだけである。

 

「今から薬をぶち込む! 内臓がひっくり返りそうになるが踏ん張れ! 男なら彼女にいいところ見せてみろ! キン○マ付いてんだろ?!」


 ドクターの大声にラフマニははっきりと頷いていた。そしてラフマニの視線は傍らにて彼のことを案じているローラにも向けられたのだ。

 

「よーし、いい顔だ。行くぞ!」


 掛け声とともに補助の二人がラフマニの体を押さえ込む。そして、カウントが始まった。

 

「3! 2! 1!」


――プシッ!!――


 ラフマニの体内へと注射針が打ち込まれ、電動ポンプが働き薬液を送り出すシリンダーが作動する。そして、速やかに薬液が体内へと送り込まれていく。軍用と言い切るだけあって一般の医療用とは異なり本来の用途に特化した荒々しさが在った。そしてアンプル瓶の薬剤が全量投入されたのを確認するとドクターは注射針をラフマニから引き抜いた。

 薬効は即座に現れる。同時に副作用も速やかにラフマニの身体を襲ったのである。


「そら来やがった! 押さえろ!!」


 ドクターが叫ぶのとほぼ同時にラフマニはその体を激しく暴れさせ捩り始めた。それは抗拒絶反応薬が中枢系にも強く作用するが故の反応であった。薬効が安定するまでの間の数分間は中枢神経の興奮そのままに激しく身体を硬直させて跳ねるように身体を激しく動かしていく。薬剤の副作用が中枢神経系に強く働くが故の副作用。こればかりは急性反応が落ち着くのを待つしか無い。大の大人が3人がかりで押さえ込んでいく。

 その光景にローラは、戦場と言う場所で世界中で今なお行われている残酷な現実の一端を垣間見たような気がした。ローラの背後遠くではベルトコーネとグラウザーが戦っている音が聞こえている。その光景を見る余裕はないが、向こう側の戦いが今なお止んでいないことは明らかだった。

 そしてローラもラフマニの身体を守るべく手を出した。ラフマニの頭部を両手で掴むと上半身で抱きしめるように抑え始める。

 

「ラフマニ、頑張って!」


 ローラはラフマニにそっと声を掛けた。これもまた戦いである。ローラはラフマニが勝つと信じていたのである。

 

 

 @     @     @

 

 

 一方でオジーは危険から子どもたちを遠ざけるべく奮闘していた。

 

「ガキたち逃がすぞ。予備のアジトに移動させる。10歳以上の子供らに命じて小さいのを誘導するんだ。俺はカチュアの容態を確認する

「わかった。すぐに始めます」


 アンジェリカに命じ、比較的年齢の高い子供ら使って幼い子らを引率する。アンジェリカも事態の深刻さを理解していてすぐに行動を開始した。時刻は夜であり就寝前と言う事もあってグズりがちな子供らを励ましときには叱咤し、迫り来る危険から少しでも遠ざかるべく誘導しようとする。

 同時に瀕死のカチュアを守るジーナの方へにも向かう。カチュアをどうすべきか? 判断が付かない状況にあったのも事実であった。迂闊に動かせない。否、応急処置がこれで適切なのか判断もつかない。だが致命傷は間違いなく負っている。これ以上の放置はできなかった。遠くではローラとラフマニが戦っていたがそれも失敗に終わった。ローラも万策が尽きた。まさに最悪の状況下で逃げることしかできない。

 神様なんて信じないが、この時ばかりは恨み言の一つも出そうになった。

 だが、自分自身に誓ってそれだけはできなかった。いつもラフマニやローラたちの奮闘を目の当たりにしている。特にローラの昼夜を問わぬ献身を目の当たりにして自分がいかに、考えが浅かったか思い知らされることは度々だった。

 ローラとラフマニが子供らを守ろうと決死の覚悟で身を挺している以上、次に身を挺してこの集団を率いるのは自分なのだ。たとえどんなに技量が拙くとも親友であるラフマニの背中に迫るくらいはできるはずだ。

 そう覚悟を決めたその時だった。

 

「なんだ? アイツ?」


 ベルトコーネの狂拳がローラへと振るわれようとしていたその時、ベルトコーネの背後から駆けつけた1人の若者が華麗な回し蹴りをヒットさせていた。一瞬にしてベルトコーネを打ち倒すとローラをかばい自らが矢面に立とうとしていた。

 それが何者なのか、オジーにはわかろうはずがない。生身の人間ではないことは確かだ。だが、それが救いとなりローラはラフマニの元へと駆けつけていた。進退窮まる状況はなんとか脱したのである。安堵の情がオジーの胸中に訪れていた。あとは子どもたちを安全な場へ避難させてカチュアを救うのみである。

 アルビノのアンジェリカが子どもたちを誘導している。その場から少しでも離れて安全な場所へと向かうためだ。災害や犯罪被害の際に万が一にそなえて、普段暮らしている建物とは別に夜露を凌ぐ場所は確保してある。そこへ子供らを移すのだ。

 かたやジーナは、その両腕で傷ついたカチュアを抱いているため思うように動くことができないでいる。オジーはローラたちの方にも注意をはらいながらジーナの方へと歩み寄る。

 

「ジーナ、カチュアの様子は?」


 不安げに問いかければジーナもまた途方のくれた表情で顔を左右に振った。容態が芳しくないのだ。なんとしても応急処置を施して適切な治療を受けさせねばならないのだが、彼らにはその知識はない。ましてや応急処置の医療具すら無い。本来ならそれを可能にする人物が居るのだが――

 オジーは苦虫を潰した顔で思わず呟いてしまう。

 

「シェンの兄貴なにやってるんだよ!」


 そのつぶやきにジーナもアンジェリカも否定も抗議もしない。心のなかでは同じ思いなのだ。いつもなら何かトラブルがあれば呼ばずにも必ず姿を現してくれていた。あのクリスマスの夜の時も多少遅くはなったがこれほどまでに遅れたりはしなかった。

 だが今夜は違う。これほどまでに事態が深刻なのに危険な状態に陥っているのに、メッセージ一つ届かない。そしてその事実は3人にある予感を感じさせた。子どもたちの手を引いて他の場所へと避難しようとしていたアンジェリカがつぶやく。

 

「もしかして、シェンさんになにかあったんじゃない?」


 その一言を耳にして3人とも蒼白になる思いがした。

 ここは東京アバディーン、何がおきてもおかしくない最悪の街である。不慮の事態はいくらでも考えうるのだ。だがオジーは自らの中に湧いた不安を否定する。仮にもこの場を引率する立場にある者としてうろたえるような姿は見せるわけにはいかないのだ。オジーはあえてアンジェリカを叱責した。

 

「滅多なこと言うんじゃねえ。ガキたちに聞かれる」


 声を潜めつつ明確に告げる。その言葉にアンジェリカは「ごめん」と一言答えた。

 

「とりあえず避難先に逃げていてくれ。事態が解決したら向かう。俺はジーナとカチュアを医者に運ぶ。このまま待っている訳にはいかないからな」

「うんわかった。気をつけてね。ジーナも」

「うん」


 ローラが来る以前からともに苦楽をともにしてきたジーナとアンジェリカにとって、お互いは姉妹のようなものである。たとえどんなに過酷な現実が在ったとしても互いに支え合いながら生きていくしか無いことを2人は知っていた。

 

 そして、アンジェリカを見送りジーナと二人でカチュアを運ぼうとしたその時である。脇路地の物陰から現れた二人の姿があった。バイカー風の東洋人、日本人に見えなくもない。一見するとバイカー崩れのストリートギャングの様にも見える。スカジャンと革製のブルゾンを着込んでいる。思わず警戒しそうになるが二人のうちのスカジャンを着た一人が声をかけてきた。

 

「おい! 大丈夫か!」


 声をかけたのは朝だ。ついでセンチュリーも声を発する。

 

「助けに来た。頭部をやられたけが人が居るって聞いた」


 二人の口調はやさぐれてそうな風体とは裏腹に落ち着いていて威厳をはらんでいた。そしてセンチュリーはブルゾンの内ポケットから特攻装警専用のブルーメタリックの電子式の警察手帳を取り出した。

 

「日本警察だ。救助しに来た」


〝警察〟その言葉が出たことでオジーたちの顔が引きつり蒼白になるのが分かる。だがセンチュリーは二人を安堵させるかのようにこう告げた。


「安心しろ。ここいらのハイヘイズの事はすでに聞いてる。入国管理局にチクるような真似はしねえ」


 口元を緩めて笑みを浮かべる。そして相好を崩して笑うといつものセンチュリーらしく減らず口を叩き始める。


「それにあいつら頭固くて有名でよ、あいつらに知らせると何でもかんでも連れてこうとするから俺嫌いなんだよ。それにお前らの事情はよく分かってる。ここ以外に行き場が無いってこともな。悪いようにはしねえ。約束するよ」


 センチュリーの言葉を補足するように朝が言う。


「彼は青少年犯罪課所属です。若い人の事情には通じてますから安心してください」


 簡単に心を開けるわけではないが、多少なりとも警戒を解くことはできそうだった。ラフマニとオジーは視線を交わしながら頷きあう。その彼らに朝が更に訊ねる。

 

「それでけが人は?」

「この子です」


 オジーが不安を露わにした口調で告げた。ローラに命じられたとおりに極力動かさぬようにしているため朝たちに見せようと無理に歩いて近づくことは特別しなかった。その代わりに状況を語り始める。


「頭を強く殴られました。首も痛めてます。折れてる可能性があるって仲間が言ってました」


 その説明を聞きながら朝が進み出る。そしてカチュアの容態を確かめながらセンチュリーへと告げる。

 

「センチュリーさん。応急処置しましょう。頚椎骨折の可能性があります。ここから移送できるように全身を固定する簡易担架を作る必要があります」

「サイズは?」

「この子の全身を覆えるくらいで」


 3歳児のカチュアの身長は1m足らずだ。それを頭から足まで確実にホールドできる状況を作らねばならない。センチュリーは朝の言葉を耳にして周囲を眺める。すると傍らには路上放置された1台の1BOXの貨物車が止まっている。センチュリーはその1BOX車に歩み寄ると側面ドアに狙いを定めた。 


「朝、クッションも居るだろ?」

「はい、頭部と頸部は特に念入りにホールドしないと」

「オーケー」


 ドアのガラスを素早く拳で叩き割ると中からドアを開いていく。警報音が鳴る室内を眺めると一言つぶやく。

 

「コイツを使おう。ヘッドレストにシートベルトとかを組み合わせれば手頃なのが作れるだろ」


 センチュリーが見つけたのは助手席のシートだ。その背もたれ部分を使うつもりなのだ。自らの腰の裏側から愛用の特殊ナイフを取り出す。そしてナイフの背峰の鋸歯をつかって蝶番部分を手早く切断する。ついでシートベルトを引き出すとそれを切り取って行く。

 

「お願いします。俺は要救助者を確かめます」


 簡易担架の準備をセンチュリーに任せつつ朝はカチュアの容態を確かめ始めた。内ポケットからペンライトを取り出しジーナが抱えているカチュアを細かくチェックする。だがカチュアの容態をつぶさに確かめれば確かめるほど、状況の深刻さがはっきりと解ってくる。

 その朝の表情が気になったのだろう。ジーナが朝に尋ねた。

 

「あの――、この子の容態は」

「そうだな――」

 

 まぶたを開いて瞳に光を当てる。そしてペンライトを消しながら告げた。

 

「まだ死んじゃいない。昏睡も浅い。出血もそうひどくなさそうだ」


 その言葉が伝わったときジーナとオジーがホッとした表情を浮かべた。

 

「その場の緊急処置が良かったんだ。止血もしっかり出来てるし無理に動かしてないから患部がズレている様子もない」

「よかった」


 ジーナが思わずつぶやく。だが朝はあえてそれをたしなめた。

 

「楽観はまだできない。頭部外傷と頚椎損傷が併発しているからいつショック症状が起きるかわからない。急いで医療設備のあるところに運ばないと。このさいモグリでも何でもいい。どこか良い所はないか?」

「多分――」


 朝の問いにオジーが答える。

 

「一番近い中華の街に行けばあると思います。俺たちあの辺の人達には良くしてもらってるんで」

「よし、そこへ行こう。この子の固定処置が終わったらすぐにだ」

「はい。俺も手伝います」


 彼らがそんなやり取りをしていれば、傍らではセンチュリーが作業を終えたところだった。助手席シートの背もたれを外し、後部席のシートからもクッション材のスポンジを取り出していく。それに加えてシートベルトも長めに数本切り出した。準備は完了だ。

 

「センチュリーさん。それをこっちに持ってきてください。この子の真下に置いてください」


 指示された通りに作ったばかりの簡易担架を設置する。固定用のシートベルトを広げ、その上にシートの背もたれを横たえる。首のヘッドレストの辺りには首の形状に合うようにシートのクッションスポンジを加工して置いてあった。

 

「よし、全員で全身をホールドして静かに下ろそう。絶対に首を動かすな。わずかでも動いたらアウトだからな」


 その言葉にジーナもオジーも頷いていた。それに朝とセンチュリーを加えて4人での作業だ。ジーナと向かい合わせにオジーが手を出して支え、足元をセンチュリーが、頭部を朝がホールドする。そして4人でカチュアを囲むと、掛け声の合図とともにそのままそっと下ろして。

 

「行くぞ。ゆっくりとだ。そうだそうそう――、この速度でゆっくりと――」


 それは息するのもはばかられるような緊張感の中で行われていた。ゆっくりゆっくり、全身が均等に同時にシートへと横たえられねばならないのだ。そして3分ほどかけて簡易担架にほぼ寝かせ終えると足元の方から順番に手を離して行く。


「よしいいぞ。体の上に毛布か何かかけてくれないか?」


 朝がカチュアの頭を抑えたままで問えば、ジーナは自分の肩にかけていたショールを脱いでそれをカチュアに掛けていく。その後に切り出したベルトを使って足元から固定していく。そして最後にシートのクッションスポンジを駆使して頸部と頭部を両側からもホールドしてそれをベルトで固定すれば完了である。出来上がりを確かめながら朝が言う。


「よしこれでいい」

「何とか形がついたな」

「えぇ、あとはこれを運ぶ手数がほしいところです」

「この人数では無理か?」

「人数がなるべく多いほうが運ぶ時に振動を減らせるんです。それに一人一人の負担が減るから楽ですし」


 朝とセンチュリーがそんな会話をしているとオジーが問いかけてくる。

 

「あの――ありがとうございます」

 

 その声に二人が振り向けばオジーは更に尋ねてきた。


「お詳しいんですね」


 オジーがカチュアの救急処置について言っているのはあきらかだった。


「警察になる時にみっちり仕込まれたんだ。それに死んだ親父が応急処置がもっと早ければ助かったって言われててね、自分でもその事をずっと意識しているからこの手の事の勉強は欠かさなかったんだ」


 それは朝なりに自らの過去に学んだ結果であった。そしてオジーは朝が肉親の死という過去を乗り越えて今日に至っていることを知った。その姿にオジーは口をついて出た言葉があった。

 

「俺も〝学ぶ〟事ができますか?」


 学ぶ――それは今の境遇から抜け出し家族である仲間たちを幸せにするために欲している行動だった。それは朝にとって、ハイヘイズと言う境遇の子どもたちについて、この街にきてからその実態を理解したからこそ、オジーの言葉に感じ入るものがあるのだ。朝は明確にオジーに告げる。

 

「できるさ。ヤケにならずに前向きに生きることを忘れなければな」

「はい――」


 朝の言葉に頷くオジーの顔には深い自信に繋がる安堵感が現れている。

 そして、時、同じくして朝とセンチュリーが現れた方からまた新たに人影が数人近づいてくるのが見えた。それを目にしてジーナは言った。

 

「あ! 中華街の人よ」

「どうやらそうらしいな」

「ちょうどいい、彼らの手を借りよう。中華街の中の医療施設についても聞ける」


 そう確認しあい、オジーが彼らに向けて手を振った。オジーたちの存在に気づいて中華街から来た彼らは足早に駆け出し始めたのだ。

 


 @     @     @

 

 

 そして、オジーやローラや、さらにはグラウザーたちに至るまで、監視の目を光らせている者たちが多数存在して居た。物陰に潜み、高所に居場所を見つけ、気配を消して潜伏している。その彼らを統率する立場の男がいる。初老の痩せ型のシルエットのロシア人だ。

 彼は状況を見下ろせる場所として近くの倉庫ビルの3階に潜んでいた。声を殺して周囲の状況に自らの気配を隠していた。

 

Майор(マイオール)


 耳につけられたイヤホン越しに呼びかけてくる声がある。そのイヤホンから掛けられた声は、その初老のロシア人に向けた尊称である。


〔Подготовка завершена〕

〔да.Как это белый ожидание〕


 周囲の様々な場所に潜伏しながら、彼らはチャンスが到来するのをじっと待っていたのである。彼らはまだ動かない。ただじっとその時を待って待機するだけである。彼らが狙うのはまさに〝ベルトコーネ〟だけなのだから。


次回、第2章サイドB第1話Part11

『――変身――』


挿絵(By みてみん)


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