サイドB第1話『魔窟の洋上楼閣都市』Part8『母親』
ローラの戦いの日々がもたらした物は?
第2章サイドB第1話Part8『母親』
スタートです。
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噂とは時として風よりも光よりも早い。
ハイヘイズの孤児たちの家を何者かが襲っている――
その噂は瞬く間に広まった。
それはブラジル系の住民が住む場所で――
「おい! ヤバイぞ! 〝ローラの家〟が襲われている!」
それは東南アジア系の住民の住む場所で――
「子供が一人殺られた! 〝ローラ〟が一人で戦ってる!」
それはアラブ系の住民の住む場所で――
「ベルトコーネとかいうテロリストだ!」
「昔の仲間を連れ戻すために、子どもたちを殺そうとしている!」
「絶対許すな! 腕のたつヤツ集めろ!」
それはロシア系の住民の住む場所で――
「誰が殺られた?」
「カチュアとか言うロシア系だ。まだローラが保護してる!」
「ママノーラにも知らせろ!」
それは黒人系の多い場所で――
「頭砕かれて死にかけてるってよ」
「モグリでもなんでもいい! 医者連れて来い!」
それは瞬く間に東京アバディーンの街を駆け巡った。無論、中華系の住民の多い街でもだ。
「大変だ!」
切迫する事態を伝えるために大声をあげて走り回る者がいる。それは人混みを掻き分けてある場所へと向かう。楊夫人の天満菜館である。時間が日が沈んで夜も暮れ始めた時間のためか、天満菜館には夕食と酒を求めて数多くの人々が集まっていた。若者から老人まで顔ぶれは多彩である。
「大変だ! 皆聞いてくれ!」
歳の頃30代半ばの中年男性だ。日焼けした顔を汗でびっしょりと濡らして駆け込んできた。彼の声に店内に居た者たちが一斉に視線を向けた。
「子どもたちの家が襲われてる! ローラが一人で戦ってる!」
店の中が一斉にざわつき始める。そして、男の声に店内で客に給仕をしていた楊夫人が駆け寄ってきた。歳の頃40過ぎの細身の中年女性だ。長い髪を後ろ髪にまとめてフリル付きの長エプロンを着けている。長いまつげが印象に残る女性だ。楊夫人は突然の凶報にもうろたえずに努めて冷静に話を聞き始めた。
「それで怪我人は? 誰か死んだりしてないだろうね?!」
「いや――、それがカチュアが襲ってきたやつに思い切り殴られたらしい」
「なんだって?!」
「カチュアが死んだかどうかはまだ解らない。でもローラがカチュアを護りながら襲ってきたやつと戦ってる! 急いでカチュアを受け取って治療してやらないとほんとに死んじまうよ!」
二人の会話を耳にしてそれまで店の中にいた数人が立ち上がった。やたらとガタイがよく明らかに警護役や用心棒めいた荒事に慣れているような風体の男たちであった。
「俺が行こう。子どもたちのところへ案内してくれ」
「俺も行く。何があるか判らん。数は多い方がいい」
「それじゃ俺が道案内する。ついてきてくれ」
彼らがそんな会話を交わしていると、頭につば無しの中華風の帽子をかぶった白髪長髪の老人が立ち上がった。年の割に足腰のしっかりした人物だった。
「それなら、儂の病院に連れてきなさい。万が一のことが有った時はシェンさんとそう言う約束になってるんだ」
李大夫――、台湾人の多い中華系の街の占い師で非合法のモグリの医者をしている人物である。
「分かった。必ず連れてくる」
「頼むぞ、儂は今から病院を開けて待っているからな。気をつけてな」
「はい、わかりました。それじゃ行くぞ、道案内頼む!」
「分かった、裏から回って子どもたちに近い方から行こう!」
若い男たちは李とそんなやり取りを交わしながら、急いでローラたちのところへと向かう。そして、李もまた自分の隠し病院へと戻っていく。すると、楊夫人が李に声をかけた。
「李大夫、私たちに何かできることは?」
「そうだな――皆はシェンさんを急いで呼んでくれ。あの人を確実に呼ぶなら少しでも声とメッセージは多い方がいい。それとできれば誰か手伝ってほしいんだが」
「わかったよ。あたしも行くよ」
「頼む。先に行ってるからあとから来てくれ」
李もまた天満菜館から出ていく。そして、残された人々も動き出す。
楊夫人はエプロンを脱ぐと歩き出しながら店員たちに声をかけた。
「あたしは李さんの病院を手伝いに行ってくる。みんなは店番頼むよ」
店員が頷く中、店内にいた客のうちネットに強そうな若者がスマホやネット端末を開いていた。
「みんな! 沢山メッセージ送って! シェンさんが気がつくように!」
そして、店の付近に居合わせた年嵩の女性たちが口々に噂をしあいながらも楊夫人の後を追いはじめた。今、街全体がハイヘイズの子どもたちを救おうと一斉に動き始めていた。これもまたローラがあのクリスマスの夜から孤独な戦いを続けてきた結果であった。
人々の小さな善意は一つに集まろうとしていたのである。
@ @ @
そしてその凶報はあの人物のところへも寄せられていた。
ゴールデンセントラル200の円卓の間から降りていくエレベーターの中だ。その中に居るのはゼラムブリトヤの首魁であるママノーラ、そして、その彼女の側近を務めるウラジスノフである。彼のジャケットの内ポケットに入れていたスマートフォンがマナーモードで振動していた。ウラジスノフはそれを取り出すと答えた。
「俺だ。どうした?」
沈着冷静な声で答えれば電話の向こうで切迫した事態が伝えられている。
「よし、そのまま待て」
そして、スマートフォンの受話をオフにすると傍らのママノーラへと問いかける。ママノーラは細葉巻を燻らせていたがちょうど口元から離した時だ。
「ママノーラ」
「なんだい?」
「ハイヘイズの孤児たちの家が襲われています」
その言葉にそれまで気だるげにしていたママノーラの表情が一変した。言葉は発しなかったが鋭い視線で詳細な説明を求めていた。
「襲撃者は例のベルトコーネです。〝例の噂話〟に食いついたのかアンドロイドのローラを連れ戻そうとしています」
「それで? 被害者は?」
「重傷者が一名。カチュアと言うロシア系です。頭部を殴打されたそうです」
ロシア系――その言葉が出た時にママノーラの表情に怒りと憎悪が浮かんだ。
「死んじゃいないだろうね?」
「それは未確認です。今、ローラが抱きかかえてかばっているそうです」
「そうかい――」
そう一言つぶやくとママノーラは思案する。そして、手にしていた細葉巻を落とすと踏み潰しながら告げる。
「ヴォロージャ。あんたの秘蔵っ子を連れて行ってきな」
「да」
命令の内容はシンプルだったがその意図はベルトコーネへの制裁以外には在り得なかった。そして保留にしておいた先程の相手に語りかける。
「ママノーラから襲撃命令だ。20名ほど俺について来い。2分以内に集合しろ」
ウラジスノフはそこまで語ってスマホを切る。その傍らではママノーラは自らもスマートフォンを取り出すと何処かへかけた。コールの音がわずかに鳴って相手はすぐに出る。
〔あたしだよ〕
〔おう、どうした?〕
声の主はあの〝モンスター〟だ。
〔さっそく、あの暴力バカのアンドロイドが出てきたよ。今、ハイヘイズのガキどもの所を襲ってる〕
〔あぁ、俺の方でも把握してる〕
〔今からあたしの手駒をやつの所にぶつける。〝向こう側〟から〝こちら側〟にうまく誘導するからあとは頼むよ〕
〔あぁ、まかせろ。思い知らせてやる〕
〔ネジ一本残すんじゃないよ〕
〔分かってるって。ガキに手を出すようなクズ、この世に活かしちゃおかねぇ〕
〔頼んだよ。よりにもよってアイツ、ロシア人の子供を手に掛けやがった。ホントだったらあたしらが最後までやりたいところなんだが――〕
〔そういきり立つなって。俺の〝腕前〟しってるだろ?〕
〔知ってるからこそ電話したんだよ! 仕損じたらただじゃおかないよ!〕
〔それこそ俺に任せておきな! うまいウォッカでも用意して待ってろ〕
激高するママノーラにモンスターの自信有り気な声が返ってくる。そして、通話はブツリと切れた。ママノーラがハンドバッグにスマートフォンを仕舞うのと同時にエレベーターは地下階の専用駐車場へと到達する。そして、エレベーターのドアが左右に開いた時、その外にはすでにコサックジャケット姿の男たちが10名づつ左右に列に別れて待機していた。
エレベーターのドアが開くと同時に、彼らはジャケットの内ポケットからなにやら工具箱のような金属製のつや消しの黒い細長い箱を取り出した。長さは30センチも無く極めてスリムだ。そしてエレベーターからウラジスノフが先んじてエレベーターから降りるとその視線を受けると同時に、彼らは手早く〝黒い工具箱〟をフォールディングナイフを開くように展開する。わずか一秒足らずでその工具箱はサブマシンガンへと変化する。
――〔PP-90〕――
1990年台にロシアで生み出され、要人警護の特殊任務で使うことを想定し携帯性を重視した特殊サブマシンガンである。折りたたんだ時の長さは27センチ足らずでとても銃器には見えないが、素早く展開可能であり携帯性と制圧力を両立させた優れた秘匿銃器である。
そして、全員がPP-90を構える頃にはママノーラがエレベーターの中から現れていた。
全員がママノーラの方を注視し、彼らに対してウラジスノフが低くよく通る声で告げる。
「全員、弾種は対アンドロイド戦闘用の9ミリ電磁放電セラミック弾を用いる。攻撃対象はマリオネット・ベルトコーネ。やつを〝向こう側〟の一般市民から引き離し〝こちら側〟に誘導する。多少手荒なことをしても構わん。今こそ、やつにロシアの同胞の血を幾多も流させた罪を償わせる」
ウラジスノフのその言葉に男たちの戦意が高まっていくのが、無言の空気の中でも痛いほどに伝わってきていた。ロシア軍はこれまでもベルトコーネの暴走により何度も苦汁をなめさせられている。たとえ軍籍から離れた非合法戦闘員であってもヤツに一泡吹かせたいと願っているロシア人は決して少なくない。
そして、エレベーターの扉が閉まるのと同時にママノーラは告げた。
「さぁ、お行き!」
ママノーラの野太い声が響けば、男たちが一斉に返答する。それは完璧なまでの統率である。
「да!!」
気合一閃、ウラジスノフを先頭に男たちは走り出す。向かう先はベルトコーネのもとだ。
彼らこそはウラジスノフが統率するゼラムブリトヤ上級工作員メンバー――
|Тихий человек《チーヒィチラヴィエーク》
――〝静かなる男〟である。
駐車場には黒塗りのベンツが待機している。初老の運転手と若い護衛の二名がママノーラを迎えていた。護衛がドアを開ければ、ママノーラは後部席へと乗り込んでいく。そしてベンツは走り出す。向かう先は定かではない。
@ @ @
ローラは見つめていた。その胸に抱いたカチュアを。先程まで羽織っていたショールで全身を包むように保護すると、その頭を揺らさぬように左手でしっかりと抱きかかえていた。そして、右手を光らせながら眼前の〝敵〟を睨みつけている。
それは悪意ではない。
それは快楽ではない。
それは復讐ではない。
それは純然たる怒りである。義憤である。そして、決意である。
――子どもたちを守り抜く――
たとえ鬼と呼ばれようが、悪魔とそしられようが、今ここで眼前の拳魔に立ち向かえるのはローラしか居ないのだ。いかなる手段を用いてでもベルトコーネを排除する覚悟だ。
ゆっくりと立ち上がりベルトコーネに対してスタンスを取る。そして、攻撃の機会を狙って右の指先に力を貯めていく。そのローラにベルトコーネは語りかけた。
「俺に敵うと思うのか?」
それはローラの力を軽視した言葉ではない。
「今なら許そう。そして俺について来い」
ローラに対して立ちはだかり見下ろす視線でベルトコーネは問いかけていた。だが、そこには慈悲の心は一切感じられなかった。ただ服従の可否を問いただしてきているだけである。
ローラは静かにそして慎重に歩みを進めている。ベルトコーネと子どもたちとの間に立ち、自らが〝盾〟となるためである。そして、身を挺してハイヘイズの子らを守る覚悟なのだ。
どんなに威圧されても。どんなに絶対的優位を突きつけられても、ローラはそれに従う意志は微塵もなかった。毅然としてベルトコーネを睨み返すと、淡々とした口調で返答する。
「ついていけば何があるの?」
「なに?」
ローラの言葉にベルトコーネが問い返す。ローラはさらに告げた。
「貴方についていくことで〝ここ〟に何が残るの?」
〝ここ〟――ローラはたしかにそう言った。それがハイヘイズの子らが暮らすこの廃ビルを意図しているのは明らかだ。その言葉には強い義憤と敵意があった。ローラはベルトコーネの返答を待たずに吐き捨てるように告げた。
「助ける気なんか無いくせに!」
ローラはベルトコーネの真意をすでに見抜いていた。
「舐めないで――、伊達に貴方とあの老人の後ろを今までずっとついていたワケじゃないの」
感情を乱すこと無く理路整然と告げる。ベルトコーネは今まで見たこともないローラの態度と言葉を目の当たりにして不気味に沈黙するだけだ。
「私が人間社会に未練を残さず、貴方とあの老人の思想に服従するようにこの場所を消し去ろうとするくせに! この子たちの命を刈り取るくせに! この子たちの価値と意味も知らないくせに! 命の重さも悲しみの重さも知らないくせに! 貴方についていっても私の望みは何も叶わない! あの老人の思想の中にこの子たちの幸せは存在しない! あの老人の思想の後ろには死体しか残らない! そんなこともわからないのでしょう?! 戦うことしか知らない貴方は!!」
まるで鉄面皮の戦闘人形のように表情一つ変えることの無かったベルトコーネだったが、今、かつての仲間であったローラの告げる猛火のような言葉を目の当たりにして表情に片隅に変化が見え始めていた。表情がかすかに引きつっている。ローラはそれ気づきながらもなおも叫び続けた。
「わたしはねベルトコーネ。もう昔の私じゃないの。消しさることのできる命を指折り数えていた私じゃない。刈り取った命の数に一喜一憂していた私じゃない! 失われた命への嘆きの声を理解できなかった無知蒙昧な私じゃない! いい? ベルトコーネ――、人間は確かに醜いわ。愚かよ。自分勝手よ。耳をふさぎ、目を閉じて、口をつぐんで、似たような者同士で集まろうとする愚かな動物よ――」
「当然だ。それこそが人間だ。そしてその人間の中でももっとも――」
「でもね! ベルトコーネ!!」
ローラの叫びが闇夜にこだまする。そして、人間の愚かしさを語る言葉にしたり顔で問いかけようとしていたベルトコーネの戯言を裂帛の叫びで断ち切り遮った。驚きの表情を浮かべたベルトコーネにローラはなおも叫んだのだ。
「弱いからこそ人間は助け合うのよ! 少ない力しか持たないから! 弱くて怖がりだから! 人間は怯えながら生きている! そして、その自分の中の怯えをしっかりと理解している人間も居る! このままじゃいけない! 見捨てちゃいけない! 拒んじゃいけない! 耳をふさいじゃいけない! 目を閉じちゃいけない! たとえ時間はかかっても少しづつ少しづつ互いに手を取り合おうとする! そして少ない力を持ち寄って、身近なところから、すぐ隣の人から、救いの手を差し伸べようとするの! それが人間よ! わたしはその人間の価値と素晴らしさに気づいたの! だからここに居るのよ!」
それは言葉による攻撃だった。相手の持たない価値観を整然と突きつけることで相手の思想と理論を根底から否定する。それは辛酸を嘗めながら、命を削るようにして、この最果ての場所で子どもたちと暮らしてきた彼女だからこそ吐き出せる言葉であった。
「こんなカチュアみたいな小さな命でも! 言葉も話せないのような赤ん坊でも! たった一瞬の視線だけで! たった一言の感謝の言葉だけで私は本当に心から救われた! 生きてよかった、この世界に存在してよかったと思わせてくれる! 数え切れない命を奪い、その怨嗟の声で潰れそうになっている私に、この世界に存在していいと赦しの声をこの子たちは与えてくれるのよ! その声に私は報いなきゃいけない! 答えなきゃいけないの! そんな事もわからない、理解しようともしない貴方のような〝無駄〟な存在に! 私は服従するわけにはいかない! 答えなさい! ベルトコーネ! あなたはこの子たちを! この世界をどうするつもり!? あの老人の亡霊にしがみつくのではなくあなたの言葉で答えなさい!! ベルトコーネ! さぁ!!!」
それは嘆きの声ではない。それはその背中に守るべき命を持つ者が突きつけられる言葉の槍であった。目には見えない言葉の槍が今、ベルトコーネの喉元に突きつけられていた。そしてベルトコーネは蒼白の表情で気付いていた。眼前のアンドロイドが、もはやかつての仲間ではないことに。そして鉄のような強靭な心に生まれたほころびが彼の口から漏れてきたのである。
「――貴様だれだ?」
だが、その言葉にローラは答えない。ベルトコーネはなおも問いただす。
「お前は何者だ!?」
それは混乱であった。拒絶であった。自らに服従すると思っていたはずの〝妹〟が、理路整然と鋼のような強い意志でベルトコーネと言う存在を拒んだのだ。
「お前はいったいなにものだ?」
それはベルトコーネにとって生まれて初めての喪失体験だったのだろう。かつてのディンキー老の存在の元、鉄の結束を誇り、常にともに居ることが当たり前と思っていた。だが、二人だけの残党となり離れて逃げ延び、異なる道を歩んだことで二人は異なる存在となっていた。その事をベルトコーネは受け入れることに混乱をきたしていたのである。
今、ベルトコーネは攻撃の意思を失いつつあった。そしてローラはそんなベルトコーネに永遠の別離を突きつけるべく大きな声で告げた。それはローラが自分自らに対して与えた存在証明だったのである。
「私はローラ――、壊れかけの場末のアンドロイド――そして――」
ローラは言葉を詰まらせる。涙が溢れてくる。そして、こみ上げてくる思いをこらえながら、背後を振り返り、むけられてくる沢山の小さな視線を受けながら、声を震わせ答えたのだ。
「――この子たちの〝母親〟よ!」
その言葉は闇夜の街角に響き渡る。廃ビルの前で佇むジーナやオジーたちに、そして廃ビルの中で恐怖に震えている子どもたちの耳にしっかりと届いていた。
かたや、その言葉を耳にしてベルトコーネはようやく気付いた。眼前に立つ女性型アンドロイドがかつての仲間のローラとは全く別物であることに。
顔立ちは同じである。髪型も同じである。背丈も同じ。手足と身体の細さも同じである。
だが――
視線が違う、言葉が違う、表情が違う、気配が違う、意思が違う、思いが違う――、
今漸くにして眼前に立つ彼女が自分の思い描いていたかつての仲間とはかけ離れ、完全に袂を分かっていることに漸く気付いたのだ。今ここにしてベルトコーネは漸く気付いていた。ローラがあの黒装束を身に付けていないことに。
そして今、最後の宣告の言葉がローラから告げられたのだ。
「でもね、ベルトコーネ――、貴方は私のその大切な〝子供〟を攻撃した。拳を向けた! 打ち据えた! 血を流させた! 命を刈り取った! 恐怖させた! たとえ天命が許しても、私は貴方を永遠に許さない! 万死を持って償わせる!!! 今こそ思い知れ!!!」
そしてローラはその身を翻す。
右手の人差指中指薬指の三指の先に込められた、猛り狂う光の奔流を一斉に解き放った。そして、斜め下から上方へと逆袈裟懸けに、光の刃で切りつけたのである。
――ズビィィィィィッツ!!!――
それは薄暗い闇夜の中で鮮烈な輝きを放っていた。ベルトコーネの頑強なボディの表面でその三条の光の刃は火花を散らす。そして、斬りつけた瞬間、ベルトコーネにそれまでにない苦悶の表情を浮かび上がらせたのである。
「ぐぅっ――」
たとえ特攻装警アトラスの剛拳だろうが、大型コンテナの落下だろうが、ガトリング砲の赤熱する弾雨だろうが、一撃のもとに弾き返してきた馬鹿げたまでの強靭さを誇っていたベルトコーネである。だが、それは意外にも、同じ理のもとに生み出されたかつての同型機の手によって手傷を負わされることとなった。純粋な清純たる高密度の光の奔流によってである。世界中のいかなる現用兵器ですらも受け付けなかったにもかかわらずだ。
「はぁあぁあああああっ!!!!!」
東京湾の夜空に轟くようなローラの叫びがこだまする。
右手を握りしめ人差し指を突き出してベルトコーネの方へと向ける。そして、その指先から発したのは銀色に光り輝く〝光の弾丸〟であった。それをサブマシンガンの猛射のように、斬りつけられて隙を見せたベルトコーネへと次々に叩きつけられていく。
それまでいかなる攻撃を持ってしても引き下がることのなかったベルトコーネ、そしてそれは今、ローラのその必死の攻撃によって初めて後退し始めたのである。
「ぐっ――、むぅぅううう!」
ベルトコーネは両腕を眼前でクロスさせて構えるとローラからの光弾の猛射からその身を守ろうとする。だが、物理的な金属塊の弾丸ではない清純にして清廉な光子の塊であるその光の弾丸はベルトコーネの強靭な肉体の防御力を突破して徐々に徐々にとその内部へと浸透していた。それは世界中のいかなる軍隊ですらも成し得なかった行為であり、ベルトコーネには産まれて初めて味わう防ぎようのない攻撃であった。
そしてそれは『なんとしても我が子を守る』と言う純粋な思いが成立せしめる奇跡でもある。世界中を恐怖に陥れていた鋼の悪魔は、今、一人のか細い〝母親〟の御手により排除されようとしていたのである。
この事実を前にしてもローラは冷静だった。高揚し浮足立つことは無かった。鉄の意志でベルトコーネと向き合い、そしてこれまでの日々で培ってきた〝全ての知性〟〝全ての力〟を駆使しして眼前の敵に立ち向かっていた。ローラはその脳裏で冷徹な戦術を組み立てていたのだ。
光子の弾丸をベルトコーネの頭部へと集中させる。そして、敵の防御が頭部へと集まったその隙を狙って胴体を攻撃する。そのためにローラは人差し指から光子の弾丸を放ちつつも、その掌の中に大きな力を込めつつあった。そして次なる攻撃を解き放ったのだ。
人差し指をもどし拳を握りしめると一瞬力を蓄積する。そして掌を緩めて五指を開くと掌をベルトコーネの胴体の方へと向けたのだ。
「イヤァッ!!」
気合一閃、ローラの掌から瞬時にして直径1mにはなろうかと言う巨大な光子塊を解き放ち、ベルトコーネへと発射したのである。
それは単なる光ではない。濃密にして強力な破壊の力だ。一切の熱を伴わず、数十トンのインパクトを持ち、目標物に接触時に全質量を開放させ、攻撃対象を吹き飛ばす大技である。そしてそれは今のローラが全精力をもってして繰り出すことのできる唯一の大技でもあるのだ。
「お願い、もうこれで倒れて――」
ローラは自覚していた。己の限界を。
「もうこれでおしまいにして」
ローラは焦っていた。力のリミットを。
「もうここから消え失せて!」
そしてローラは渾身の願いを込めて叫んだのである。
「もうこの子たちに近寄らないで!! 悪魔!!!」
限界が訪れて力のリミットが来た時、子どもたちを守るための手段はローラには残されていないのだ。
今、ローラは、髪振り乱し必死の形相で敵であるベルトコーネへと立ち向かっている。
その胸に血まみれの我が子を抱いて、その背中に数多の子どもたちの視線を受けながら毅然として立ちはだかっていた。その様を見ていたのは、あのハイヘイズの廃ビルに住む全ての子供達であった。
窓がそっと開けられて小さな視線が覗いている。
ビルの壁の隙間からも覗いている子も居る。
耳をふさぎうずくまり恐怖に震えている子もいる、
そして、ローラママの名を呟きながら玄関ドアをそっと開けて外を覗いている子もいた。
玄関ドアを開けて外をそっと覗いていたのはエリカ、スラブ系とブラジル系のハーフの女の子でかつて爆弾テロで右足を吹き飛ばされ義足を付けたファントムペインに苦しむあの子である。
右足を引きずりながらローラママの姿を求めてドアを開けると、外の様子をそっと垣間見る。その小さな2つの視線は今まさに巨大な襲撃者へと攻撃を加えるローラの姿を目の当たりにしていたのだ。
「ママ……」
いつでも優しかったローラママ。
昼も夜も、いつでも笑ってくれるローラママ。
寒さに震えていれば抱きしめて温めてくれる。
お腹が空いたら必ず何かを食べさせてくれる。
服を汚したらきれいにしてくれる。
他の子と喧嘩をしたら仲直りさせてくれる。
世の中の事を教えてくれてやって良いこと悪いことを聞かせてくれる。
風邪を引いて熱を出したら看病してくれる。
そして、無くなってしまった足が痛くて寝れない夜はずっとそばにいて慰めてくれる。
その優しいローラママが戦っている。見たこともない表情で、聞いたこともない言葉を叫びながら、不思議な力を使って戦っている。
その光景にエリカが抱いたのは決して好意だけではなかった。
「怖い――」
ポツリとエリカが言葉を漏らす。戦闘という行為がもたらす結果は、決して勝利のカタルシスだけでは無いのだ。
エリカはドアを閉めて目を背けようとした。そこにあの優しかったローラママは居ないのだと諦めようとしていた。だが、そんなローラの手を背後からそっと掴んでドアをふたたび開けさせようとする者がいた。
「目を背けちゃだめよ」
エリカはその声に背後を振り返った。そこにいたのは北欧系と黒人系のハーフでアルビノの因子を持つ白い素肌のアンジェリカである。アルビノの純白の容姿を嫌った父親に見放されて捨てられた経緯を持つ子だ。年の頃は14でジーナより年下である。アルビノの因子のせいで紫外線に弱くめったに外には出てこない。身体も弱いため無理が効かない。それでもジーナと手分けをして必死の思いで子どもたちの世話を続けてきた。ジーナ同様、ローラママの存在に心から感謝をしていた一人である。
「なんで?」
エリカが疑問の声を上げる。エリカは怯えながら告げる。
「あんなママ怖いよ。見たくない」
抗議してくるエリカをアンジェリカはそっと背中から抱きしめた。そして、エリカの右手を握ってやりながら、再びドアを開けると外の光景へと視線を向けさせる。
「うん分かるよ。でもね――」
アンジェリカはローラの姿を指差しながらそっと語りかけた。
「あれも〝おかあさん〟なんだよ」
「おかあさん?」
「えぇ。そうよ」
アンジェリカは軽く息を吸い込むと感情を込めながら語り始めた。
「おかあさんって言うのね、大切なこどもを守るためなら戦おうとするの。決して諦めず、自分が死ぬことも恐れずにどんな強い相手にも立ち向かおうとするの。自分のお腹が空いていても子供に食べさせてくれる。寒さに震えていても子供が寒かったら自分の毛布を被せてくれる。いつでも自分の子供の事を一番に思ってくれて、こどものためならなんだってやろうとするの」
「それがおかあさん?」
エリカの疑問の声にアンジェリカははっきりと頷いていた。
エリカは母の顔を知らない。エリカが物心が付く前にエリカの右足を奪った爆発物により致命傷を負わされて死んでしまっている。そんなエリカは母と言うものを理想と願望でしか知らないのだ。 アンジェリカはエリカに畳み掛けるようにつげる。
「ローラママはね。私達のために戦ってくれてるの。自分が死ぬかもしれないのに、勝てないかもしれないのに、それでも戦ってくれているの。自分の背中の後ろにいる私達を守るために――、ときには恐ろしいくらいに強く怒って――、叫んで、立ち向かって、命をかけて、例え自分が命を落としても、死ぬ程の思いをしても――、自分の子供達が無事に生きているなら喜んでくれるの。笑ってくれるの。それがおかあさんって言うものなの」
アンジェリカは涙声で語っていた。その脳裏には今は亡き実母の姿が思い出されていた。
北欧系で闇風俗に身をやつしていた女性だ。それが黒人系の男に気に入られて一緒に暮らしていた。だがその男は、生まれてきた子供がアルビノだったために不吉だとしてあっさりと捨てようとした冷酷で身勝手な人物だった。
1歳にもならないアンジェリカは路上に放置されたが、その後を追って母はすぐに助けに来てくれた。そして父親であるはずの男に追い回されながらも路上生活を続けてアンジェリカを守り育ててきた。だが、最後は追っ手に捕まりアンジェリカもろとも殺されそうになる。その最後のギリギリの状況で父親の黒人男性と刺し違えて自らも返り討ちにあいながらも、アンジェリカを守りきったのだ。飢えにより死のふちにひんしていたがアンジェリカの母は最後まで毅然として我が子を守り通したのだ。
今、アンジェリカには、敵に立ち向かい立ちはだかるローラの姿が、今は亡き実母の姿に重なって見えていたのだ。
「だからね――怖がっちゃだめ。目を背けちゃだめ。ローラおかあさんの姿をしっかりと見なきゃいけないの。私達のために戦ってくれているローラママのためにも!」
アンジェリカの言葉を耳にしながら、エリカははっきりと頷いていた。そして、いつしか恐怖心は去り、戦う姿を見せるローラに対して言葉をかけ始めたのだ。
左手に抱いているのは、同じ屋根の下で暮らしているカチュアだ。エリカよりも3つ年下で、頭が良くて素直で面倒見が良くて、自分が歳上なのにいつでも優しくしてくれた。自分の右足が痛くて辛くて泣いている時は、ローラママの真似をして励ましてくれていた。
そんなカチュアが怪我をしている。血を流している。そして、それを抱いて守っているのはローラママだ。カチュアを助けようとしながら、カチュアを傷つけたあの恐ろしい大男と闘っている。
あれは何のためだろう? あれは何のためにしているのだろう?
見たこともない恐ろしい顔をして言えるのはなぜ?
聞いたこともない言葉で叫んでいるのはなぜ?
見たこともない不思議な力を使っているのはなぜ?
いつも着ているあの白いドレスを真っ赤に染めてまでもカチュアを抱いているのはなぜ?
恐れが消える、疑問が消える。そして、エリカの心の中に最後の残ったものは――
「がんばれ」
小さな声が漏れる。
「ママ、がんばれ」
声は少しづつ大きくなる。
「ママ、がんばって!」
声は叫びになる。そして、エリカの声が悲劇に包まれた倉庫街のストリートに響いたのだ。
「ローラママ! 負けないで!」
小さな叫びは残響を残して倉庫街の夜空に響いた。そして、まるでその声に吹き飛ばされるかのように、ローラの発した光子塊によってベルトコーネは吹き飛ばされたのである。
ベルトコーネの巨体が放物線を描いて吹き飛んでいく。そして、路面の上で激しく横転し転げ回った。ベルトコーネの全身から白煙が上がっている。それは明らかに致命的なダメージを負った証であった。
ローラは眼前の敵の行く末を確かめつつ、背後からかけられた声を耳にして静かに振り向いていた。そして彼女が目にしたのは決してエリカの姿だけではなかったのである。
「ママ!」
声がする。
「ローラママ!」
たくさんの声がする。
「がんばれ!!」
甲高いよく通る声が無数に響き渡っていた。
「負けるな!」
子どもたちの姿が見える。あの廃ビルの屋根の下で、あの聖夜の日からともに暮らしてきた子どもたちの姿があった。恐れず、怖がらず、その顔を、姿を覗かせて、思い思いの言葉で叫んでいた。
「ママ! がんばれ!」
それは好意である。思慕の念である。
あのクリスマスの夜にやってきた不思議な人。戸惑い何度もつまづきながらも、自分たちに向き合ってくれた人。底なしの思いで、あらん限りの力を注いでくれる人。親との絆を無くした不運な子どもたちの前に現れて『ママ』の名を名乗った人。『母親』になってくれた人。『おかあさん』の意味を教えてくれた人。
子どもたちは恐れていなかった、人ならざる力で戦う姿を見せたローラを拒絶せず、子どもたちはすべてを受け入れ、そして、お互いを求め、お互いを認める力は〝絆〟となる。
「あなたたち――?」
ローラは背後からかけられた声に、背後から向けられた視線に、少し驚き、そして心から大きな感謝を抱かずには居られなかった。涙があふれる。心の底から涙があふれてくる。汲めども尽きぬのは歓びの涙。ローラは今、子どもたちとの間に結ばれた強固な絆の糸の存在を自覚せずには居られなかった。この絆の糸を断ち切らせてはならなかった。失ってはいけなかった。
そのためには何をなせばいいのだろう? 何をしなければいけないのだろう?
「勝たなきゃ――」
ポツリと言葉を漏らしながら唇を噛みしめる。そしてハイヘイズの子供らに向けて大きく力強く頷き返す。
その頷きの仕草は何者よりも強いメッセージを携えて子どもたちへと伝わっていた。
それは確信である。決意である。契約である。
かならずこの狂える鋼の拳魔に打ち勝ち、子どもたちを、その子供らとともに暮らすこの場所を守るという何者よりも強い決意であった。その決意を秘めてローラが頷いて見せれば、子どもたちは安堵の表情で沈黙し始める。そして、ローラは愛する子どもたちに向けて大きく告げたのだ。
「みんな隠れていなさい! 危ないから出てきては駄目よ!! さぁ早く!!」
その言葉は強い力を孕んで子どもたちへと伝わっていた。叱るような口調の中に込められた、子を思う母の思いは、たしかに子どもたちの耳と胸に伝わっていたのだ。母たるローラのからの言葉に頷くとハイヘイズの子らは廃ビルの中へと戻っていく。
その子供らを守るようにして廃ビルの中へと、ジーナとアンジェリカが戻ろうとする。その二人にもローラはメッセージを送った。
「あなたたち――」
ジーナとアンジェリカが振り向く。ローラは間を置かずに二人に告げる。
「子どもたちをお願いね」
ローラの告げる言葉に二人ははっきりと頷き返していた。ローラが子供らから離れて戦わねばならない今、その子供らを一つにまとめて守るのはジーナたち二人の役目であるのだ。
そしてジーナが大きな声でローラに告げた。
「御武運をお祈りします!」
その言葉を残して彼らは安全な場所へと身を隠していく。あとに残されたのはローラとオジー、そしてラフマニである。
ラフマニはベルトコーネが吹き飛ばされた隙をついてローラの下へと駆け寄ってきていた。ローラのすぐそばに立ち声をかけてくる。
「すまねぇ。遅れた」
「ラフマニ?」
ラフマニは告げるのと同時に、ローラの胸に抱かれていたカチュアの身体に手を触れる。
「ラフマニ、カチュアが――」
「ああわかってる。ちょっと待ってろ」
不安を隠さずに蒼白の表情で話すローラを窘めながら、ラフマニはカチュアの右手の手首を探すと脈をとるように指を触れる。その仕草の意味をローラはすぐに理解する。
「どう?」
「少し弱いけど――まだ心臓は動いてるみたいだ。まだ、死んじゃいねぇ」
「ほんとう?!」
「あぁ、安心しろ。まだ神様も見捨てちゃ居ないみたいだ」
「良かった――」
思わぬ吉報にローラから涙とともに安堵の声が漏れた。だがラフマニから返ってきた言葉には安心感は無かった。
「安心するのはまだ早え。頭を強く打たれてるだろ? 前に兄貴から聞いたんだが、こういう時はやたらと動かしちゃだめなんだ。頭の中身がどうなってるかわからねぇ。迂闊に動かして状態を悪くすることもあるんだ」
「そんな――」
「それより急いで医者に見せねえと――、いやそれより応急処置しねえと」
ラフマニはローラへと両手を差し出していた。ローラはその仕草の意味を察すると、自分の左手だけで抱えていたカチュアを、ラフマニの両腕にそっと静かにその小さな体を預けていく。
「兄貴に連絡は打ってある。こう言う時はすぐに来てくれるはずだ。それまで俺達がカチュアを預かる」
「お願い、必ず助けてあげて」
「あぁ、もちろんだ」
すると二人にオジーが声をかけてくる。
「ローラ! ラフマニ!」
「オジー?」
「取りあえず適当にかき集めてきた」
彼の手には包帯を始めとして、タオルやバスタオル、救急用のサージカルテープなどが底の浅いダンボールの箱に詰められて持参されていた。
「何が必要なのかよくわかんねぇから本当に適当だ」
「それでもいい。なにより急いで頭の出血止めねえと。とりあえずタオルで頭を包もう。オジー、手伝ってくれ」
「わかった。静かに向こうに運ぼう」
そんな会話をしながら二人は傷ついたカチュアをそっと静かに運び始めた。彼らの足にも及ばない小さな体の幼女が鋼の拳で殴打されたのだ。それがどんな結末をもたらすかは容易に想像できていた。そんなカチュアを助けようと懸命になる二人にローラが告げる。
「カチュアはお願いね」
「あぁ、まかせろ」
ローラのその言葉にはある種の辛さが滲んでいた。この危険な状況下に在りながらも、まだ襲撃者たるベルトコーネは完全に沈黙したとの確証はない。再び奴が立ち上がった時、立ち向かえるのは現状ではローラただ一人しか居ない。その悲壮な現実を受け入れながらローラはラフマニに告げる。
「ここは引き受けたわ」
その言葉を耳にしてラフマニは忸怩たる思いを抱かずには居られなかった。ラフマニは男である。そして、このハイヘイズの子らが暮らす家のリーダーである。家長である。その彼が自ら戦いの矢面に立てない。女性であるローラにすべてを委ねるしか無い。己の力の無さに対して屈辱を感じながらもそれを胸の奥に押し込みながらラフマニは答えていた。
「あぁ、まかせろ」
ラフマニが頷き、ローラもそれに頷き返した。
そして、ちょうどその時、事態は新たな段階へと動き始めていた。
「あっ!」
オジーの声が漏れる。
「アイツ、まだ動けるのかよ!」
ラフマニが焦りの声をだす。ローラは彼らに対して告げた。
「急いでここから離れて。ここは私が食い止めるわ」
「わかった。怪我すんなよ」
それはラフマニがローラに対して残せる精一杯の気遣いだった。その言葉に秘められた優しさを受け止めながら、ローラは二人とカチュアを見送った。そして、ローラは再び立ち上がった異形の主に対して視線を向けると一瞬、自分の胸元を強く握りしめる。
「これが最後になるかもしれない」
誰にも聞かれないようにして静かに呟く。
「アイツは誰にも倒せない」
ローラは知っていた。ベルトコーネの非常識なまでの強さを。災厄と呼ばれるにふさわしいその恐ろしさを。かつては仲間として世界中をともに飛び回っていたのだ。どれだけの攻撃を持ってしても容易には止まらない厄介さは骨身にしみて知っているのだ。
「それでも――」
ローラは静かに歩き始める。その左手にはもうカチュアは抱かれていない。フリーになった両手に残されているのは、愛する仲間と子どもたちを守るための最後の力であった。
「やるしかない」
そして、ローラは自らの体内に意識を向ける。彼女に与えられた唯一の特別な力である『光』の残りを確かめていく。
【 オプティカルプレッシャーエフェクター 】
【 有効光子圧力・残存係数 15% 】
それは決して満足の行くものではない。それに加えて気がかりなこともあった。
【 エラーメッセージ> 】
【 有効光子圧力・回復効率低下中 】
【 システムリカバリーシークエンス 】
【 自動ベリファイ実行中、同エラー発生 】
〝光〟が回復しない。子どもたちを守り戦うために必要なレベルにまで戻ってくれない。今までの無理がたたっているのは明らかだ。昼夜を問わず命を削るようにして子どもたちを守ろうとしてきた事への皮肉過ぎる代償だった。
ローラはそれらの不利過ぎる現状を誰にも明かさず飲み込みながら、悲壮なまでに自らの全てを挺してベルトコーネに立ちはだかるつもりであった。
今、彼女の視界の中、あの悪魔が全身から白煙を立ち上らせながらゆっくりと起き上がってくる。そしてその表情には明確な敵意と怒りが浮かんでいるのが解った。敵わないかもしれない、打ち倒されるかもしれない。だがそれでも――
【 最重要プログラム封印解除 】
【 ――光子器官・暴走制御シークエンス―― 】
【 】
【 光量子質量変換ロジックスタンバイ 】
【 モード種別《自爆モード》 】
【 トリガースタンバイ《スタート》 】
己のすべてを懸けてでもローラは戦う覚悟だった。
彼女の名はローラ。己の過去を悔い改め、見捨てられ打ち捨てられた子どもたちのために己の全てをかけて守ろうとする者。そして――
「大丈夫――〝ママ〟が必ず守るからね」
――子どもたちの母親である。

















