サイドB第1話『魔窟の洋上楼閣都市』Part7『――罪――』
ローラを待つ運命とは?
第2章サイドB第1話 Part7『――罪――』
始まります。
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ある男の話をしよう。
東京湾の洋上に浮かぶ異国人たちが寄せ集まる無法の街。東京アバディーン――
そこに住む貧しい人たちの中で神のように崇められる人物が居た。人種はアジア系と言う以外は詳らかではない。本名も不明であり呼び名として『神電』と言う名が流布しており、中国語読みは『シェン・レイ』、日本語読みは『ジンライ』とされている。
所在は明らかではなく一処に定住していない。日本国内に定住しているとも、世界中を飛び回っているとも言われているが、連絡を取ることはネット上にメッセージを流すことくらいしか出来ない。
しかしだ。
ネットのEメールだろうがSNSのつぶやきだろうが、真に必要なメッセージを彼に向けて流したならば、彼から必ずコンタクトが行われる。なぜなら彼は――
【闇社会最強の電脳の支配者】
――であるからだ。ネットやデジタルメディアをあくまでも〝道具〟として行使し、あらゆる情報を掌握する男。彼を敵に回すことは最悪の状況を自ら招き入れることでもある。
『神の雷だけは怒らせるな』
それが闇社会での共通した認識だった。全身を覆う特殊なウェアラブル・コンピュータで身を包み、いかなるネットの防御網おも突破する神がかりな電脳犯罪者。常に特殊ゴーグルを装着しており素顔すら垣間見ることは出来ないが、いかなるときも弱者のために行動する彼を人々はこう呼んだ。
――神の雷――
すなわち、東京湾中央防波堤街区無番地エリア『東京アバディーン』においては彼の影響力は絶大であり、スラムにおいて閉塞した日々を送る者にはまさに守護神に相応しい存在だったのである。
@ @ @
何処ともしれない場所、誰にも把握されない場所。
そこは高層ビルの屋上でもあり、何気ない町並みの路地裏かもしれない、
廃工場の片隅でもあり、極秘潜入した施設の地下空間でもある。
成層圏を飛ぶ航空機のファーストクラスシートであったり、
日本へと密入国するための貨物船の中という事もある。
一つのところに定住していない彼であるがネット空間を神がかり的に自在に掌握できるが故に、いついかなるときも目的とする場所のあらゆる情報を差配する事が可能であった。
その日も彼はネット越しにその街の様子を眺めていた。街の名は『東京アバディーン』、彼が心を砕いているハイヘイズの子どもたちが寝起きする街である。それと同時に彼とは決して相容れない不倶戴天の敵どもが巣食う土地でもある。彼にとって決して目を離すことの出来ない街であるのだ。
ネット越しに街頭監視カメラや公共や法人名義の遠隔ドローンを乗っ取って、その映像を手に入れる。そして、目的となる人物たちの様子を可能な限り垣間見ていた。覗き見趣味みたいで印象は悪いが、都内の平和な住宅地ではなく、犯罪や人死と背中合わせのスラム街区に住む者たちを守るためには致し方のない行為である。
それに彼にとっては懸案となる不安ごとがここのところあまりにも多すぎるのだ。
「まったく――、騒動の種をサンタクロースに頼んだ覚えはないんだが」
サンタをダシに愚痴るが時節はもう2月末、クリスマスはとうの昔に終わっている。その日、彼は青海の街から東京アバディーンに住む仲間たちを見守っていた。青海の中ほどに建つ〝テレコムセンタービル〟その屋上の片隅に腰掛けていた。
明らかな不法侵入だがそのことを気にするような彼ではない。彼の前に全てのプライバシーは在り得ず、全ての極秘事項は筒抜けなのだ。いかなる場所も己の庭であるかのごとく彼は自由闊達に歩き回る。
シェン・レイは身体に装着している装備から自らの身体の周囲に三次元立体映像を投影する事ができる。その機能を駆使して空間に3次元映像でディスプレイ画像やキーボードデバイスを構成して操作するのが彼のオフィシャルなスタイルだ。
自らの周囲に10個ほどのディスプレイパネルを投影すると、それを用いて複数の状況を同時に確認していく。映し出す映像は全て東京アバディーンの町並みに暮らす様々な人々の安否に関するものだ。常に装着している電子ゴーグルにて網膜投影することもできるが、複数の画像を同時に数多く把握する場合は解像度などの問題から空間3次元投影したほうがより大量により精密に映し出せる事からこの手法を用いることが多かった。
こういう状況で街の様子を眺める時、映し出すのは彼に縁のある者の姿が多い。
中華系住民街の街の様子や、かつて対立抗争の起きたアラブ系の住人の多いエリア、
普段から行きつけにしている飲み屋の女将である楊夫人、
表向きは占い師だが非合法の闇医者をしている李さん、
岸壁エリア付近のジャンク船に住み着く洋上貧民の姿、
果てはメインストリートを行き交う人々など、色々と眺めて街全体の情勢を把握する。そしてさらに、そのメインストリートの向こう側となる東京アバディーン北部エリアにも監視の目を向ける。
本来なら、北部側はあの七審のメンバーたち――特に白鳳グループとサイレントデルタによって掌握されているはずのエリアだ。だが、メインストリートから足を踏み入れて、ある程度の範囲なら短時間の侵入をする事は可能である。だが、その深部において何が行われているかは、さすがのシェン・レイと言えど知ることは困難であり危険を伴う。今はまずメインストリートを行き交う人々に目を光らせた。
「街の連中はいつも通り、メインストリートは――、見慣れない連中がいるな。中華系? にしては一人、髪や肌の色や骨格とかが噛み合わないな。サイボーグか?」
アンドロイドやサイボーグは常識的な民族的特性からかけ離れたアンバランスな風貌をとることがある。基本骨格や顔の作りがアジア系なのに白人並みに白い肌だったり青い目だったりと言った事も可能だ。シェン・レイのように常日頃から数千から数万の人間のデータを眺めている身としては平均的な人間の特性からかけ離れたイレギュラーな存在は、たとえどんなに些細な兆候でもインスピレーションを感じる時がある。そのひらめきを見過ごすほど彼は甘くはなかった。
「この〝3人〟なにかやらかすな。〝印し〟をつけておくか」
そうつぶやき空間上に新たに3次元映像のヴァーチャルコンソールを展開する。そして。ツールプログラムを起動する。
【 人物識別トレーサープログラム起動 】
【 Signature〔形状特徴〕モード 】
【 特徴識別対象3体 】
【 1:対象A〔日本人/中華系〕 】
【 2:対象B〔日本人/中華系〕 】
【 3:対象C〔日本人/中華系近似〕 】
【 トレース対象エリア:東京アバディーン内 】
【>識別対象トレーススタート 】
【対象エリア内、街頭カメラ監視カメラ~ 】
【 ~監視ドローン、全ユニットリンクスタート】
その対象となる3人の外見的特徴をデータ化し抽出し、そして東京アバディーン全域の映像データでオートトレースする。3人ともバイカー崩れの不良のようであるが人種的には日本人のそれに近い。3人の動きはシェン・レイが起動したプログラムにより自動追跡され、逐次、彼の元へとその情報が集められることとなる。
「他には――」
そしてさらにモニタリング画像を次々に切り替えて視線を走らせれば、岸壁付近のジャンク船スラムのエリアに不審な影がおぼろげに浮かんでいるのを見逃さなかった。それと同時に予め走らせておいたプログラムが警報を発する。
【 岸壁停泊船舶監視プログラム 】
【 監視映像異常感知 】
【 >3次元立体映像迷彩使用形跡あり 】
【 使用ポイント X:*** Y:*** 】
「こいつは――?」
発せられたアラートに従い、ピックアップ映像にフィルターを掛けていく。すると瞬く間にデジタルじかけのまやかしに隠された実態の一部が浮かび上がってきた。
【 CG立体映像迷彩解除ソフトウェア起動 】
【 迷彩形式:US-NAVYALFA012 】
【 フィルター解除プロセススタート 】
【 シグネチャ特性抽出⇒ 】
【 RGB判別⇒明暗深度⇒光度位相⇒ 】
【 原型画像合成シュミレート⇒〔完成〕 】
得られた画像は荒く一部が欠損していたが、それでも元となる存在について識別するには十分なものだ。そして最終的に得られた画像を目にしてシェン・レイはつぶやいた。
「これはアメリカ海軍海兵隊が使ってる極秘上陸作戦用のステルスゴムボート! なんでこんなものが?! まさかCIAでも動いて――いやまてよ?」
得られた動画映像をさらに追えば、そこから3つのシルエットが動いているのが解った。その3つのシルエットにも光学的な防護システムが展開されていたため正確な実画像は得られていなかったが、その体格の一端は十分に見ることが出来ていた。
「これは――?!」
それは生身の人間に対してだったら通用した目くらましかもしれない。並の電脳犯罪者ならごまかしきれただろう。だが、この時ばかりは相手が悪すぎた。
「コイツはアンドロイド――、メカニカル形式のものを立体映像迷彩で人間に偽装する形式か。上陸場所は南部エリアの東南東の辺り――」
シェン・レイはさらなる手を打つ。
【 高レベルAI搭載ステルスドローン起動 】
【 行動プログラミング・イニシャライズ 】
【 トレース対象シグネチャデータ>登録 】
【 追跡開始座標>登録 】
【 対波形消滅タイプデジタルサイレンサー 】
【 >作動開始 】
【 立体映像隠体システム >作動開始 】
【 不可視レーザーフローターシステム 】
【 >始動 】
【 ドローン0024 ⇒ 行動開始 】
自らの知能で判断し行動する小型ステルスドローンを始動させる。そして町並みの片隅に隠匿してあったそれを作動させる。それは速やかに敵に悟られることなく対象者の後を追うはずである。
敵は自らを立体映像迷彩を駆使して二重に偽装を果たしてこの街に潜り込もうとしている。ならばこちらも欺瞞と技術を持ってしてさらなる偽装で敵の行動を把握するだけだ。こういう状況の場合、より巧妙に自分の状態を隠しきり、よりえげつなく、より徹底的に相手の情報を掴み取ったほうが勝ちなのだ。
だが、その優位性を味わうこと無く、さらなる警告情報がシェン・レイに持たらされてくる。空間に設定してあるモニター映像の仮想ディスプレイ。その一つが赤く染まった光を灯すと、刺激的かつ攻撃的な警報音をシェン・レイの耳にもたらすのだ。
【 ――――緊急アラート―― 】
【 ――最優先追跡対象確認―――― 】
その音と光を目の当たりにしてシェン・レイが驚いたようにモニターへと視線を向ける。そしてそのモニターに映し出されたメッセージを目の当たりにして戦慄を覚えずには居られなかった。
【 追跡/監視対象者名『ベルトコーネ』 】
【 《 識別適合率95%・本人と断定 》 】
そのプログラムが識別を完了した人物は、この東京アバディーンと言う無法の街において、もっとも招かれざる存在であった。何をもたらすか判らないまさに爆弾と形容できる危険度である事はシェン・レイも十分承知である。思わず中国語で悪態をつく。
「操! コイツまで来たのか!」
その大柄な体躯と骨太な骨格は、どんなにコートやマントで隠しても隠しきれる物ではなく、なにより醸しだされる凶暴さと剣呑さはモニター映像越しだとしても痛いほどに伝わってくる。なによりマント代わりにその身に纏ったボロ布の裾から見え隠れする手足には彼を拘束するはずのベルトが見え隠れしている。
「現在地は?!」
街頭映像から当該エリアを推測する。
「中央防波堤内域、北東エリア〝ダスト・フォレスト〟か――、東岸の産廃荷揚げの護岸エリアからゴミに紛れて入ってきたな?」
ベルトコーネの動きを映像からトレースし、その目的地を予想する。その足取りは青海からの海底トンネルの出口付近へと向かっており、やがて東京アバディーンの本域へと向かってくるだろうとは容易に想像がついた。その巨大な体躯をマント代わりの布でくるんで身を隠しながらも視線は着実に東京アバディーンの街へと向いているのだ。
「ヤツめ。何が目的だ?! 単なる潜伏先を探しているとは思えん」
単に身を隠すだけなら何もわざわざと目立つ東京アバディーンへと足を踏み入れる必要は無いはずだ。だが、あえて正体が露見してでもこちら側に来る理由があるのだろうか? そこまで思考が到達するよりも前にシェン・レイの脳裏にひらめくものがある。多大な不安と危機感を伴ったその言葉にシェンは発する。
「ヤツめ、まさかローラを探しているのか?!」
在りえないことではない。いや、今までにも考えられたことだ。だがそれだけは回避するようにとローラの素性については東京アバディーンの外にはもれないように最新の注意を払っていたはずだった。だが、どんなにネット上の情報に網をかけたとしても人間同士の口コミだけは封じきれるものではない。そしてシェンは己を責めた。
「甘かった――、ヤツ単独の情報収集力を軽んじてたか」
内心冷や汗をかきつつ、さらに市街地画像を検索する。そして、今守らねばならない対象者の姿を探し求める。
「ローラは――」
【 追跡対象名:ローラ 】
【 現在地:ハイヘイズ宿舎家屋 】
「他の連中は――」
【 追跡対象名:ハイヘイズ保護幼児 】
【 現在地:ハイヘイズ家屋宿舎にて就寝 】
【 追跡対象名:ハイヘイズ年長者 】
【 現在地:ハイヘイズ家屋宿舎 】
「全員、あの〝家〟に居るか――」
シェン・レイは一言つぶやくとほんの僅かな時間思案する。そして意を決してメッセージを送ることとする。送信する先はローラである。
【 対アンドロイド体内回線用 】
【 メッセージ送受信プログラム 】
【 送信対象個体名:ローラ 】
【 メッセージ送受信プロセッサー固有ID 】
【 《※※※※000049285※※※※》 】
【 】
【送信者:神電 】
【主文: 】
【今夜は誰も外へ出すな 】
何が起こるか想像もつかない。最悪、死人が出る可能性すらある。だた今起こっている状況を事細かに伝えたとしてもかえって混乱を与えるかもしれない。なにより――
「今頃は赤ん坊たちが寝始めた頃だ。騒ぎは起こしたくない」
ならば取りうる手段は一つだけだ。
「間に合ってくれ――」
そうつぶやきつつメッセージの送信コマンドを打つ。
【メッセージ送信完了 】
【メッセージ受信信号確認 】
メッセージを送り終えシェン・レイは立ち上がった。そして。数歩下がって勢いをつけるとそのまま夕暮れの東京湾の空へと飛び込んでいく。
【行動拡張プログラム:自動実行 】
【大気中帯電効果浮上システム作動 】
【1:帯電大気効果ナノマシン散布開始 】
【2:常温超電導効果素子作動開始 】
【3:マイスナーエフェクトフィールド発生 】
【4:反重力効果発生開始 】
【 】
【《Quantum Levitation≫ 】
【 ―――― START ―――― 】
周囲の大気フィールドに帯電効果を発生させるナノマシンを全身に纏ったボディスーツ状のウェアラブル・コンピュータシステムで連続生成し、羽のように広げたコート風マントの内面から連続散布して浮上用の帯電効果フィールドを生成する。
そして、ウェアラブルコンピュータボディスーツの各部に備えた常温超電導効果素子の力で、マイスナー効果による浮上フィールドを発生させ、これにより飛行滑空能力を得るのがクォンタム・レビテーションシステムである。
シェン・レイは自らが生み出した電子のフィールドをまるで波乗りするかのように乗りこなし、闇夜の空を音もなく滑空していく。そして、自らの身体を3次元立体映像迷彩で包み込むと、完璧な精度で周囲の光景に溶け込んで見えなくなっていく。
一路向かうのは東京アバディーン南西エリア、ローラやハイヘイズの子供らが暮らすエリアである。事態は一刻を争う。シェン・レイは自らが急いで駆けつけることで、あえて詳細な情報を伝えずに済ませる方法を選んだのだ。
「やっとここまで積み上げたって言うのに、また幸せへの道程を突き崩そうって言うのか!」
シェン・レイは焦っていた。不審な人物たちの影、最大級の災厄の襲来、そして、再び不穏さを増していく東京アバディーンの闇の街――、それらの脅威から子供らをなんとしても守らねばならない。ローラが来てくれたことで、やっと子どもたちが笑って暮らせる環境が生み出せると安堵していた矢先だったのだ。
だが運命は這い上がろうとする者たちを石持て追い払おうとする時がある。これでもか、これでもかと悪意の石の飛礫を投げつけてくるのだ。
シェン・レイはその姿を夜空に消し去りながら叫ぶように吐き捨てた。
「だから嫌いなんだ! 神ってやつは!」
事態は一刻を争っていたのである。
@ @ @
焦りを覚えると、人は適切な思考を維持できなくなる。不安を拭い去りたいために、自分が望みたい行動とは異なる選択をとりがちである。ローラはシェン・レイからもたらされたメッセージから強い不安を感じ取っていた。
それは危機感である。それも平穏な日常生活の中には無い、ささくれだった剣呑な命の危険すら感じられるほどの痛みを伴う危機感だった。こんな事はこの東京アバディーンの片隅で子供らと暮らしてからは感じたことすら無かった。あるとすればそれは過去のテロリズム・アンドロイドとしての戦いと争いの日々の中で感じる〝奪うか奪われるか〟の弱肉強食の世界の中にのみ感じていたのあの感覚だった。
「ラフマニ――、お願い無事で居て!」
2月末の頃としてはまだ肌寒い夜の海――、夕凪のときが終わり刺すような冷たい夜風が通り過ぎていく。ローラはその肩にショールを羽織りながら東京アバディーンの薄ら汚れた町並みの中を駆けていく。
東京アバディーンのメインストリート――その南側に扇状に位置するのが比較的低産な階級の不法滞在者が多く住むエリアだ。まるで見えない力で壁で仕切ったかのように人種やソサエティ毎に別れているのが特徴でそれ故に派手な抗争にはなりにくいが、異人種が隣接している辺りは小競り合いが起きやすい。
メインストリートに面した辺りは繁華街であり一般向けの店舗や飲食店が軒を並べ、その脇路地から一歩入ればまるで迷路のように建物が入り組んだ独特の様相を呈している。新宿歌舞伎町などでよく見られる、ペンシルビルと呼ばれる細い雑居ビルが並ぶその光景は退廃と欲望と悲劇と悪意が絡み合った現代のラビリンスである。
緩やかにカーブしているメインストリート――その入り口周辺に陣取るのが黒人系の人種だった。アメリカやヨーロッパを出身とする勢力と、アフリカなどの発展途上国出身とでまず二分されている特徴がある。比較的に日本人社会に溶け込んでいる者が多く、東京アバディーンの入口近くという事もあり不良系の日本人青年たちが粋がって足を踏み入れていることもある。
それに隣接するのがブラジルなどの南米系の住人たちだ。その隣にメキシコやプエルトリコ辺りの中米系の人種が集まっており、陽気で人懐っこそうな人柄の裏でMS13の様な剣呑な暴力ゲリラともつながりのある奴らが見え隠れしている。東京アバディーンに足を踏みれた一般人を襲って傷つけるのはまずこのエリアの連中であることが多かった。
その隣に来るのがロシア系とスラブ系の連中だった。斜めに傾げた四角形の様な敷地の東京アバディーンの南端の尖った辺りを牛耳っている。湾岸に面したエリアが多く物資を集積できる比較的大きな建物が多いことも在りロシアンマフィアの息の掛かった密売ブローカーが闇で横流しされた銃器や武器類を取り扱っていることもあると言われる。そしてさらにその隣に来るのがトルコ系や中東系のムスリム人種で、シーア派とスンニー派の違いこそあるものの、比較的穏健に交流を保ちつつ毎日メッカに向かって祈りを捧げている。
その隣に東南アジア系が控え、更にその隣に住んでいる中華系とムスリム系人種とが小競り合いを起こすことを防ぐクッションの役割を果たしてくれている。
東京アバディーンの中でも最大勢力である中華系の人々が住むエリアは、東京アバディーンのメインストリートの南側エリア――弓状外部街区と呼ばれる地域の一番奥に近いところである。
基本的に住民の居る市街区はそこで終りとなるが、そこからさらに南側へと足を踏みれていけば小規模な倉庫街へと変貌していく。その倉庫街の東の端近くにあるのがラフマニたちハイヘイズの子らが住む廃ビルであり、その位置関係からしても、いかにハイヘイズの子らが排斥されているかが分かろうというものである。
余談だが、そこからさらに南東へと広がるのが開発中止となった未開発エリアであり、建設途中の建物や不法投棄された産廃物が並んでいるエリアである。汚染物質も確認されていると言われ社会問題化と化している。
メインストリートへと向かい中華系のエリアへと進む。中華系のエリアは、大陸系、台湾系、香港系、華僑系とに分かれており、更にその出身地別によってより細かに別れていると言われる。ローラが向かったのは、非大陸系でも主に台湾系や香港系が多いエリアだ。
中華系というと、つい皆同じだと考えがちだが、大陸中国と欧米社会の中の華僑とでは別民族と言って良いほどに文化や思考に違いがある。さらに国家と民族の成り立ちにより、台湾系が別派閥と成っており、これに加えて大陸中国出身と、独特の文化背景を持つ香港系がそれぞれに幅を利かせている。そして、それらに加えて、横浜中華街や新宿歌舞伎町などに根を張る在日華僑勢力の存在もある。東京アバディーンにおける中華系勢力は一見、一つにまとまっているようにみえるが、内情としては更に複雑に絡み合っているというのが実情である。
そんな街なみの中、ローラは通い慣れた脇路地の一つへと足を踏み入れていく。そこは台湾系の人々が多く暮らすエリアであり、隣接する香港系エリアの人々ともローラは面識があった。見慣れた人々に声をかけられ挨拶を返しながらローラは必死に目的の場所へと向かう。向かうのは普段からハイヘイズの子供らにも好意的に接してくれている人物で、通り名を楊夫人と言う。
間口3間半ほどの中華料理の飲食店を営んでおり、普段から店は界隈の大人たちでにぎわっている。無論、交わされている言葉は交わされる言葉は中国語の中でも英語や日本語の影響が取り入れられていると言われる台湾語が多く、これに中国語の公用語とされる北京語が入り混じる形となっている。
ローラは、はやる気持ちを抑えながら楊夫人の店『天満菜館』に向かう。脇路地を入って最初の十字路の角を右に折れる。そしてそこから200mほど進んで左に折れた裏路地の先が楊夫人の店だ。ローラが最初の路地を右手に折れた――その時だった。
「えっ?」
思わず声を出しそうになるのをこらえて足を止める。そして、十字路の角を通り過ぎ物陰に身を隠す。そっと顔を覗かせて様子をうかがえば、その脇路地の雑踏の中に佇む人々の中に特徴的な姿の三人を見かけたのだ。
「あのバイカー風の連中――変装しているけど三人のうち二人は見かけたことがある」
一人はブラウン色の髪をしており頭部以外の部分の素肌は露出していない。衣装こそ異なるが、かつての仲間だったコナンと殺りあったアンドロイドポリスに似ている。もう一人は直接会ったことはないが、あのベルトコーネと戦ったあの男に似ている。ローラは、クラウンの所に身を寄せていた時に見せられたかつての仲間の戦いの有様の光景からそれを思い出していた。
「残る一人は知らないけど――アンドロイドポリスの仲間かしら?」
物陰から見守れば、物売りの屋台や店が並ぶその通りの中で、安い衣料品を並べて売っている店の女将と一人が話し込んでいる。会話は流暢な台湾語でありそこだけ見れば若い台湾人に見えないことも無い。ローラは彼らの会話に聞き耳を立てた。
「はやく、その姪御さんが見つかると良いねぇ」
「はい、ありがとうございます」
「気落ちするんじゃないよ。ここいらは物騒な街だけどさ、それとなく子供たちの面倒を見てる奴は結構いるんだ。案外、なんとかなってるもんさ。諦めなければきっと見つかるよ」
「はい」
若い男は屈託なく落ち着いた様子で女将と言葉をかわしていた。会話の内容からして人探しをしているようである。その嫌味のない笑顔に女将もなにか惹かれるものがあるのだろう。おせっかいと解っていてもついつい世話を焼いてしまうらしい。若者が話を終えて離れようとすると女将は手をたたきながら思い出したように話はじめた。
「あぁそうだ! 手がかりになるかもしれないからさ、あそこ行ってごらんよ、あそこ!」
「あそこ?」
「あぁ、ここいらで身寄りのない子が集まって暮らしてる家があるんだ。人通りが少ないから、ちょっと危ない場所だけどあんたらなら腕っ節がたちそうだからなんとかなるだろ」
女将の言葉に若者は真剣味を増した表情で一歩身を乗り出す。それは本気で肉親の身を案じる者の姿であり事情を知らなければ誰もが騙されるだろう。その女将も人を疑うということが普段から無いのだろう。無邪気な世話焼きおばさんの様相でさらに話し始めた。
「そこの表通りを道なりに行き当たりまで行きな。そうすると右手に倉庫街へ通じる広い道路があるからそこを歩いていきな。雑居ビルと倉庫が一緒になった建物があるんだ。ちょっと脇道に入った辺りだけど元々が人っ気の少ない場所だからすぐに分かるよ。そこに身寄りのない子がたちが集まって一緒に暮らしてるんだ。もしかすっと何か手がかりが見つかるかもしれないよ」
「子どもたちだけでですか?」
若者は流石に驚いている。だが成人にならない子供やティーンエイジャーが親もなく暮らしているのはこの街では決して珍しくない。
「昔はそうだったんだけどね、今は若い子が一人親代わりになって一緒に暮らしてるって話だね」
「その親代わりの人の名前は?」
「そうだね、たしか――〝ローラ〟とか言ったかねぇ」
「じゃあ、その人にも聞いてみることにします」
「そうだね、そうした方がいいよ」
「はい」
「姪御さん、見つかるように祈ってるよ」
「本当にありがとうございます」
若者は丁寧に頭を下げて礼をするとその場から離れていく。若者の連れの二人も女将に礼をしている。三人は足早にその場から立ち去っていった。その三人の姿を、ローラは十字路の片隅で物陰に隠れてやり過ごす。そして、気づかれぬように十字路から離れて衣料品店の女将のところへと駆け寄るのだ。
「黄おばさん!」
慌てて駆け寄ってくるローラの姿を見て女将は驚いたように答え返してきた。
「おや、誰かと思えば! ローラ、あんたの事、今話してたんだよ」
片手を振って陽気に答え返してくる黄女将だったが、深刻そうなローラの表情にようやく気付いたらしい。
「ちょいと。何かあったのかい?」
「おばさん、今の人と何を話してたの?」
ローラは黄の言葉をさえぎり詰め寄る。その気迫と真剣さに世間話を挟む余地は一切ない。店の前で始まった騒動に店の周りの人々も視線を向けつつあった。戸惑いつつ黄女将はかいつまんで話し始めた。
「何って――、さっきの兄さん、何でも日本に出稼ぎに来ていたお姉さんが連れの娘と一緒に行方知れずになったんだってさ。それで自分も日本に来て探してたんだけど、なかなか見つからなくってせめて姪の女の子だけでも見つけたいって言うんだよそれで――」
黄女将の語る言葉を聴きつつローラは右手で顔を覆いながら左右に振る。そして、困惑を隠さずにローラは苦しげに告げる。
「おばさんそれ違うよ!」
「えっ?」
戸惑いと驚きが辺りに広がる。ローラは事実を告げるべきかどうか迷ったが、隠しだてても事態が好転するとは到底思えなかった。多少大事になるが意を決して事実を告げる覚悟を決めた。右手をおろして女将の顔を真剣に見つめながら自分の知る真実を告げる。
「あれ、日本の警察だよ! 前に見たことあるのよ!」
「え? で、でも――きれいな台湾華語使ってたし――」
「あれ、アンドロイドだよ! 知らない言葉でもデータさえあればすぐに使えるようになるんだよ。発音なんかもすぐに身につける。人間なんか簡単に騙せちゃうんだよ。まさかあんなのが、この街のこんなところまで入ってくるなんて――」
ローラは、そこまで語って右手を額に当てて頭を振った。よりによってラフマニたちの事を一番知られたくない人種に知られたことになるのだ。だが、頭を抱えるローラ以上に黄女将は呆然としていた。普段なら絶対に打ち明けない仲間内の情報を軽々しく部外者――しかもこの国の警察の者に明かしてしまったことになるのだ。表社会と闇社会の間で隠れるようにして暮らしている彼らにとって身内や同族の秘密を守ることは絶対に守らねばならない仁義だ。黄はそれを破ってしまったことになるのだ。
「そんな――あたし――」
顔面蒼白で立ちすくむ女将に、店の奥から現れた白髪頭の初老の男性が強い口調で問い詰め始めた。
「お前、またやらかしたのか! この王八蛋!」
台湾系のイントネーションは大陸系の中国語よりイントネーションが柔らかいと言われる。だが、それでも男性の発する言葉は刺々しく怒りに満ちていた。
「だいたいお前はいつもいつも口が軽すぎるんだ! 初めて会ったばかりのやつに何でもぺらぺらと喋りすぎだ! 奥に引っ込んでろ! しばらく表に出るな!」
ローラに指摘された事実が相当にショックだったのだろう。蒼白な顔を隠さぬまま号泣しながら店の奥へと引っ込んでしまう。その光景に心を痛めながらもローラは店主の男性に詫びの言葉をかけた。
「すいません。もっと早く気付いていれば――」
だが男性はローラの告げる詫びの言葉を柔らかく否定しながらこう答えてきたのだ。
「いいやアンタのせいじゃない。うちのやつが馬鹿なんだ。こう言う街に住んでいるからには自分の身は自分で守らにゃならん。それがアイツには未だに解ってないんだ。それよりさっきの連中、アンタのねぐらに行くかもしれん。ここは早く帰ったほうがいい」
男性は自分の妻は激しく罵ったにも関わらず、ローラのことはことのほか気遣うように優しく諭してきたのだ。その言葉を素直に受け入れるとローラは一礼しながら答えかえしたのだ。
「はい、そういたします」
「気をつけるんだよ。何かあったら街の連中に知らせなさい。さて――店を閉めて街の顔役の所にも行かんとな。どう詫びればいいのか――」
男性は気遣いの言葉を投げかけつつ、これから先のことを思案していた。隣近所はもとより、この界隈でも噂の対象となってしまうだろう。村八分にされないようになんとか納得してもらわねばならない。腕を組んで思案げな顔のまま店の奥へと消えていくのだ。
その男性の背中を見送りつつも当初の目的のところへと向かおうとする。そして歩き出したその時だ。
「ラフマニ?」
通りの脇路地からひょっこりと顔を出したのは、ラフマニ本人である。手元には小さな酒のボトルがあり、楊夫人からの物であろう菓子でも入っていそうな小ぶりな紙包が握られていた。だが彼の無事に安堵するよりも先にラフマニへと叱責の言葉がつい口をついて出てしまう。
「ラフマニ! なにやってるのよ!」
不意な強い口調の問いかけに戸惑うのは当の本人である。叱責の声の主に気付いて驚き戸惑うしかない。
「え? ローラ?!」
何が起きているのかラフマニが理解するよりも先にローラは駆け寄りその手をにぎる。そして走り出そうとしながら事実を告げる。
「シェン・レイから連絡があったの。今夜は誰も外に出すなって。だから皆そろっているか探したらラフマニだけが出かけたって言うじゃない! だからいそいで連れ戻しに来たのよ!」
ローラの言葉を耳にして、さすがのラフマニも真剣にならざるを得なかった。すぐに落ち着きを取り戻すとローラを追うように走り出す。
「俺の他は?」
「みんな揃ってる。留守はオジーが見てくれてる。それより急いで。日本のアンドロイドポリスが探りに来てるの! 場合によっては子どもたちと一緒に何処かに隠れないと!」
「全力で走るぞ。裏道と建物の屋上を使ってまっすぐ突っ切る」
ラフマニはローラの言葉をすべて受け入れて、すぐに冷静な判断を下す。それをローラは無言で頷きながらラフマニの足取りを即座に追う。そして、楊夫人からもらったはずの小さな酒便を足元に置くと、子供らへの土産の菓子だけを手にして足早に走り出した。ここはラフマニにとって住み慣れた街である。どこをどう抜ければ早いかは熟知している。それに同行するのがローラだ。多少の無茶をしても問題無い。
「行くぞ!」
「うん!」
ラフマニが先となりその後をローラが続く。メインストリートに出ることなく裏路地とビルの屋上経由しようとビルの屋上へと登っていく。そして、屋根伝いに走り始めたのだ。
その二人の姿を遠巻きにして眺めている影がある。やたらと大柄で巨大な体躯、そして凶器と形容しても差し支えのない〝拳〟を持っている。マント代わりのボロ布を纏って素顔を隠していたが、頭上を通り過ぎていった影に何かを気付いて、足早にそれを追い始めたのだ。
今宵、東京アバディーンの街を剣呑な気配が覆い尽くそうとしている。今はまだその全容をローラたちは知る由もない。
@ @ @
その日、カチュアはなんとなく眠れずにいた。
本来は寝付きの良い子だった。ローラママに添い寝してもらい一言二言話しかけてもらえばすぐに寝息を立てて寝入ってしまう――、そんな手間の掛からない良い子であった。だが、その日は中々寝付けなかった。眠ったと思ってもすぐに目をさましてしまう。こんな事はカチュアには初めてだった。
カチュアは勘のいい子供であった。ローラママと一緒にいるために、何をすればいいか、どうすればローラママに喜んでもらえるか、子供とは思えない聡明さで読み取っていくような子だった。
その日も目が冴えているからと言って、ぐずったり、無理に話しかけて困らせたりとか、するような悪い子ではなかった。そう、カチュアはいわゆる〝良い子〟だったのだ。
ある意味、カチュアはローラに一番懐いている子供だった。
朝起きてから夜寝るまで、常に一緒に居ることを望んでいる子だった。
おはよう、
いただきます、
ありがとう、
いってらっしゃい、
おかえりなさい、
ごちそうさま、
おやすみなさい。
朝起きてから夜眠りにつくまで、そのあらゆる状況でいつでもローラと一緒に居たのがカチュアであった。ローラが無理に連れ歩いているわけではない、カチュアが無理に追っかけてくるわけでもない。
聡明であるから、良い子だから、カチュアは手間の掛からない問題の少ない良い子で有るからこそ、無意識のうちにローラがカチュアと一緒の時間を過ごしたとしても、周囲の誰もが、他の子供すらも疑問に思わなかったのだ。
そう、カチュアはローラを困らせた事は殆どなかった。むしろ、過酷な母親業の傍らで、ローラが母親であることを常に肯定する事のできる一番の存在であったと言っていい。昼も夜も無く続く戦いのような毎日の中で、常にそばにいて微笑みかけてくれる。無償の信頼を寄せてくれる。そして無垢な感謝を投げかけてくれる――それがローラにとってのカチュアだった。
カチュアはしばしば、ローラにこんな言葉を投げかけた。
「ママ、ありがとう」
ありがとう――その一言が無垢な笑顔と一緒にもたらされることで、ローラの中の数多く存在する迷いや苦しみを癒やしてくれる。そしてそのありがとうという言葉には、ローラが皆の〝ママ〟で居てくれる事への無上の感謝が込められていることを感じずにはいられないのだ。
差し出される小さな手の温もりを感じた時、ローラは常にこう思う。
――私は、母親で居て良いのだ――
償いきれぬ巨大な十字架を背負っている存在であるからこそ、ほんの僅か立ち止まっただけで、ローラはその胸中に不安と罪悪感を抱かずにはいられない。だが、カチュアがもたらす温もりと真摯な視線が、その不安と罪悪感に拘泥する事を良しとはしない。
カチュアのその小さな温かさが不安を追い払ってくれる。
カチュアのその真摯な視線が母親としての使命を思い出させてくれる。
いまやローラにとってカチュアという子供は〝免罪符〟のような存在であったのだ。そして、ローラもカチュアも、そして周囲の者すらも、二人が結び始めた〝母子の絆〟と言うものの深さと強さをまだ誰も気付いては居なかったのだ。
カチュアはその日も浅い眠りから目を醒ましてしまった。もともと勘の良い感覚の鋭い子供だったから、その日の〝周囲の空気〟のようなものを読んでしまったのかもしれない。なんとなく不安を感じずにはいられない空気――、そんな気配の中でカチュアは目をさましてしまったのだ。
「ママ――」
ぽそりと小さくつぶやく。でも、周りには年長の者は誰も居なかった。小さな子らが雑魚寝する寝床は2階に作られている。いつでも快適に寝れるように、ローラたちがこまめに手入れをしている寝具が並んでいる部屋である。その片隅でカチュアは目をさましてしまった。
その日はもうこれで目を覚ましてしまったのは3度目だ。もう一回寝ようとするがどうにも寝れない。だからつい不安になり、寂しくなってしまう。
「ママァ――」
すがるような声が上がる。そして、どうにもならない不安がこみ上げてしまう。だからカチュアは立ち上がると部屋の外へと歩いていった。向かうのは1階の皆が集まるリビング代わりの集会場である。ペタペタと足音を鳴らして階段を降りていく。そして、そっと集会場を覗き込む。そこにはオジーや年長の二人の女の子を始めとする年嵩の子たちがカーペットの上でくつろいでいるところだった。
その中の一人――年長の女の子の一人、パキスタン系の血を引く少女のジーナがカチュアの視線に気づいた。
「あら、カチュア?」
立ち上がり部屋の入口へと向かうと、しゃがんでカチュアの目線に降りて話しかける。
「どうしたの?」
同じ目線に降りて話しかける――当たり前と言ってしまえば当たり前だが、これもローラママが現れるまで誰も気づかなかった配慮の一つだ。上から目線で感情的に叱りつける――、子供が怯えて言うことを聞かなくなるまずい状況の一つだ。それを対等な目線に降りて問いかけ、子供たちからの言葉を促す。そのシンプルな配慮により、小さな子達とのコミニュケーションが円滑に進む。
ローラママが母親として振る舞うことで、年長の少女たちの母親スキルも自然に磨かれていく。それまでは寝かしつける事すら苦労していたのが、立ち振舞や言葉の一つ一つですらも、子どもたちが信頼を寄せるようになっていた。このジーナという少女も同じであり、今や肌の色の近いアラブ系やアフリカ系の幼子たちはジーナの受け持ちと言えるほどだ。
そのジーナの視線にカチュアは寂しげにボソリと呟いた。
「ローラママは?」
その言葉にジーナはちょっと困ったふうにはにかむとカチュアの手を握って答える。
「ママは今、お使いに行っているの。すぐに帰ってくるからね」
「お使い?」
「えぇ、そうよ」
「ふーん」
ジーナの言葉に頷くと少し思案したふうに沈黙し再び言葉を発した。
「じゃぁ、玄関で待ってていい?」
カチュアのその言葉にジーナはオジーに視線を送ると同意と判断を求めた。外に出さなければ玄関で待つくらいなら良いだろう。オジーは頷き返す。
「良いけど、外に出たら駄目だからね」
「うん解った」
「じゃ、お姉ちゃんも一緒にいくから。ね?」
「うん」
カチュアは駄々をこねたりぐずったりすることの少ない子供だった。それだけに不安や不満があっても胸の奥に溜め込みやすい。ジーナも最近はそれぞれの子供達の傾向や違いを肌で理解できるようになっていた。素直に言うことを聞く子であるからこそ、溜め込みやすい不安を和らげられるように一歩踏み込んだ気遣いをしてやる必要があった。そうする事で無意識の不安を和らげストレスを減らすことができる。そう言う心のケアをする事も、母親的立場の者の重要な役割であるとジーナたちが気付いたのはここ最近のことである。
ジーナの言葉にカチュアは頷きながら小さな右手を差し出してきた。それを握り返してジーナはカチュアを連れて〝家〟の玄関へと向かったのである。
「ママ、すぐ帰ってくる?」
「えぇ。すぐよ」
そんな何気ないやり取りをしながら、ビルの玄関のスロープ階段に二人で腰掛ける。そしてジーナはカチュアを膝の上に載せて早春のまだ肌寒い空の下でローラの帰りを待つこととしたのである。
@ @ @
時と運命の歯車は止まることは決して無い。それは人知を超えた力で数多の人々を突き動かし、ときには残酷な結末へと叩き込む事がある。
今宵も招かれざる者が一人、ハイヘイズの子らの住む廃ビルへと歩みを進めようとしていた。
東京アバディーンの土地には、北東部の港湾地区から産業廃棄物のゴミに紛れて上陸していた。その後、ダスト・フォレストの茂みの中に潜伏して時を待った。ここからさらに別な場所へと逃亡するか、あるいは何処かの組織に潜り込むか、いろいろな方法が考えられる。だがその判断材料となる〝噂〟が、このダスト・フォレストにまで流れてきていた。曰く――
――ローラと言う少女が孤児たちの母親役をやっている――
――ローラはサイボーグだ。生身ではない――
――どうもその子は人に言えない過去を持っているらしい――
噂は断片的で不正確でもあったが、それらをつなぎ合わせれば噂の俎上に乗っている人物が彼の知るローラであると断定して間違いはないと思われた。
「あいつ、こんな所に来ていたのか――」
生き残っていたのが自分だけだと思っただけに、ローラが存命であった事は素直に喜ばしかった。
「ならば迎えに行こう」
そう思案し〝彼〟は行動を開始した。
彼の名はベルトコーネ、マリオネット・ディンキーと呼ばれたテロリストが所有した最強の格闘アンドロイドだ。そして、ローラの兄弟機の一人でもある。彼は生粋のテロリズム・アンドロイドだった。人間の意志を汲み取ることなど金輪際ありえない。ただ創造主の意思に従い、破壊と殺戮を続けるのみである。
「二人であのお方の意思を引き継がねば」
それは彼だけが持つ暗い認識であった。そこに人間的な温かい情愛に基づく判断は一切存在しない。そして、ベルトコーネは暗くつぶやくのだ。
「主の意思を妨げるものは子供であろうと――」
この男に〝迷う〟と言う事は決して無かったのである。
分厚いボロ布を纏いホームレスの物乞いに身をやつす。そして、少しづつ着実に、ローラの元へと歩みを進めていく。彼自ら手がかりを得るために他人に問いかけるようなことはしない。なぜなら鋭敏な視聴覚が人間の範疇を大きく超えて様々な情報を彼にもたらすからだ。
周囲の雑踏の中の数多の会話の中から必要な情報を聞き分けていく。抜き出した言葉は――
ローラ、ハイヘイズ、孤児、母親、廃ビル
――などと言った言葉だ。雑踏の中の会話から得られた情報をつなぎ合わせると、ローラはこの島の外れの廃ビルで、混血の孤児たちの母親代わりとなりともに暮らしているらしかった。さらなる情報を得るべく視線をくまなく走らせる。すると見つけ出したのはかつての黒装束を脱ぎ捨て木綿の簡素なワンピースへと衣装を着替えて小さな子供らと穏やかに過ごすローラの姿だった。
まともな感性を持つ者なら微笑ましいと感じて、そっと見守ることを選ぶはずだ。だが、この男は違った。彼がその光景に抱いた感情は怒りであった。創造主が我らに下された使命を忘れたのか? ローラの行動はこの男には〝裏切り〟にしか映らなかったのだ。
「人間どもに迎合しおって」
一旦、東京アバディーンの雑踏から離れるとダスト・フォレストへと戻って時が来るのを待つことにした。思案に思案を重ねてある結論へと辿りつく。
「連れて行こう。我らの創造主の意思を引き継ぐことこそ、我らの存在意義だ」
彼はアンドロイドだ。生粋のテロアンドロイドだ。戦い、破壊し、殺戮する以外の価値を何一つ知らないのだ。そしてかつての仲間のローラがテロリズム・アンドロイドとしての生き方を放棄することなど到底理解する事はできなかったのだ。
彼は歩き始める。ローラの元へと――、そしてまた運命の歯車が軋みながら回り始めたのである。
@ @ @
運命が疾走る。
歯車が回り続ける。
きしんだ歯車は決してその歩みを緩めること無く、悲鳴のようなノイズを立てながら回り続けていた。その歯車が回っているのはハイヘイズの子供らが肩を寄せあって暮らすあの廃ビルの前の通りである。そこに最初に姿を表したのはラフマニを連れたローラである。
人影の途絶えたひび割れたアスファルトの夜道へと薄汚れた倉庫の屋根から飛び降りてきた。そして、息せき切って愛する子どもたちの待つ〝家〟へと急いで戻ろうとする。
ローラの先を駆けていたラフマニが告げる。
「無事だ! 何も起きていねぇ」
彼らの家である〝廃ビル〟は何の異変もなく窓からは灯りが漏れている。仲間たちが安心してくつろいでいる様子が伝わってくる。
「良かった――」
ローラも思わず安堵の吐息を漏らす。シェン・レイからのメッセージから始まった一連の不安。それは杞憂だったのだと思いたかった。ローラとラフマニ、家へと駆け戻りながらお互いの顔を見つめて頷きあう。
「お、入り口でジーナとカチュア待ってるぜ?」
「えー? なんだカチュア起きちゃったんだ」
「しょうがないさ。アイツ、お前に一番懐いてるからな」
「えぇ、そうね」
ローラはラフマニの言葉を肯定した。苦笑して頷いてみせる。
「小さい子って時々驚くほど勘が鋭いんだよね。ごまかしが効かなくてどうして良いかわからない時があるのよ」
「あぁ、あるある。でもどうしてもゴネるときって絶対何かそいつなりの理由があるから、それをすくい取ってやらないといけねえんだよ。ごまかして逃げて見落としたままでいると傷つけたままになっちまう」
「それだけは避けてあげないとね」
「あぁ――」
そう言葉をかわしながらラフマニが片手を振った。それにカチュアも気付いたのだろう。手を振り返してくる。カチュアはお気に入りのクリーム色のパジャマを着ている。ローラママと同じ色だと喜んで見つけたものだ。その上にジーナが着せたのだろう大人用のショールがかけられている。そのショールを纏ったままマントのようにたなびかせながらカチュアは玄関から出てきてしまった。嬉しさを抑えきれなかったのだろうローラたちの所へと足早に歩き出そうとしていた。
「あっ!」
ラフマニが思わず声を上げ、ローラもカチュアを窘めた。
「だめよ! 表に出てきたら、風邪引くわよ!」
カチュアの小さな体を案じる言葉が口を突いて出てくる。たまらずローラもカチュアの元へと駆け寄ろうとする。ローラの口からカチュアの身を案じる言葉が出てきたことで、それを聞いたカチュアははやる気持ちを抑えきれなくなり、サンダル履きのまま元気よく走り出す。夜風にあたってこんなことをすれば明日の朝は絶対に鼻風邪をひくに決まっている。楊夫人の近くで漢方医の闇医者をしている李大夫の所に行かないといけないだろう。一人が風邪をひけばリレーゲームで次々に風邪をひく。一通り順番が終わるまでは気が抜けない日々になる。先のことを考えると手間がかかりそうで少々気が重い。
「もう――、嬉しくなると言うことを聞かないんだから」
苦笑しつつため息を吐くとカチュアを受け入れるべくローラは片膝をついて目線をおろした。ローラの視界の中、かけてくるカチュアの姿が見えていた。それはローラがこの最果ての街で見つけたささやかな幸せである。
しかし――、運命の歯車は多くの人々を巻き込みながら無音のまま粛々と回り続ける。そして、今この瞬間、ローラたちが佇む場所で動き続ける歯車の名を人々はこう呼ぶ――
そう――『悲劇』――と。
その裏通りは小規模な倉庫街だ。東京アバディーンの敷地で行われる商業活動を支える裏の物流の場として時間をかけて整備された経緯がある。だが、街の様相が様相だけにビジネスの軌道にうまく載せられた建物ばかりだとは言えず、幾つかの倉庫は買い取り手も見つからずに放棄されており、朽ち果てたり、不法に住み着かれたり、非合法な闇工場として機能しているケースもある。そのまま土地の外れまで行けば小さな港湾岸壁となるために夜間の暗がりに紛れて密輸物資の荷揚げが行われている事もあった。
ラフマニたちが暮らす廃ビルはそうした物流管理業者によるもので、子供らが住み着いても無理に追い出そうとせず黙認してくれている。子供らが住み着き、夜遅くまで灯火がついていることで周囲の建物での犯罪が急減している。そのため所有者としてはむしろ助かっているはずなのである。
そのハイヘイズの子らの住む廃ビル倉庫の周囲もまた小規模な倉庫や物資の集積ヤードとなっている。大小様々な建物が並び、建物と建物の間には街灯一つ無い細い脇路地が広がっている。
今、ローラが走ってくるカチュアを受け止めようとしているその通りにも一つの脇路地が口を開けている。裏通りと脇路地がT字路を形作っているその場所で、ローラはカチュアを抱きしめようとしている。
そのローラとカチュアの間の距離が20m程ととなった時だ。その脇路地の奥の暗闇の中から一つの影が恐るべき闇を引き連れて姿を表したのである。
それは大きなボロ布だった。薄汚れていて異臭すら漂っている。そのボロ布をマントのように身にまとい頭からつま先から全身を覆い隠している。その姿はひと目見て、より貧しい洋上ジャンク船のスラム民のような気配を漂わせていた。
この街ではそんな風体の貧しい者たちなど決して珍しくは無い。むしろ溢れかえっているといっていいだろう。常日頃からそんな人々を見慣れていた事もあり、近づかぬようにやり過ごせばいいだけの話だ。
今もまたフラフラと何処かへとねぐらを代えて何処かへと行ってしまう――はずであった。
だがそのボロ布を纏った男は歩き去ろうとせずに、ローラとカチュアの間に割り入るように歩みを止める。そして無言のままで立ちはだかろうとしている。
男のそんな行動を疑問に思いつつ、ローラは立ち上がり抗議の声をなげかけた。
「あの――邪魔です」
はじめは小さく穏やかに問うていた。だが男からの反応はない。
「すいません、退いていただけませんか?」
次いで、言葉は丁寧だが話し方のニュアンスの中に強い抗議の意思が込められていた。
それでもボロ布の男は動こうとせず、むしろローラの方に背中を向けて立ちはだかろうとしている。流石にローラも優しい受け答えをする事はこれ以上は無理だ。敵意を隠すこと無く怒りをぶつけた。
「どう言うつもりですか?!」
今、ローラの背後にラフマニが立ち、ローラの前方にボロ布の男が背中を向けて立っている。そして、そのボロ布男の前にはローラとの間を遮られて困惑しているカチュアが居る。そして廃ビルの入口近くではジーナとオジーが事の成り行きを不安げに眺めている。
運命の歯車が一瞬止まり、静寂があたりを包んでいる。夜の海を航行する船舶が汽笛を鳴らした時、ボロ布の男はフードと脱ぐこと無く野太く低い声で、こう告げたのだ。
「どう言うつもり――だと?」
それは一切の温もりも優しさも存在しない冷たく押しつぶすような威圧感を伴った声であった。
ローラは知っていた。その声の主を。そしてローラしか知らなかった。その声の主の危険性を。
――なぜ、こいつがここに居るの?――
ローラの胸の中を驚きと恐怖が襲う。血の気が引き正常な思考力を失いそうになる。そして男の名を口にすることは、自らの運命の破滅を受け入れてしまいかねない。そんな胸中にすらさせられるのだ。
「え?」
ローラの体内の人工心臓が限界まで拍動している。呼吸は荒く酸素収支バランスが崩れかねないほどだ。ようやくに吐き出したローラの声に、男は背中越しに冷たく答える。
「ずいぶんと惰弱になったものだな。ローラ」
男はローラの名を知っていた。その事実とその巨躯のシルエットからは男の名を導き出すことができる。その名を呼んではならない。だが呼ばねばならないことも分かっていた。
静寂に包まれていたはずの運命の歯車は再び回りだす。――悲劇――へと突き進むかのように。
ローラは覚悟を決めて男の名を呼んだ。
「ベルトコーネ?」
ローラに名を呼ばれてベルトコーネはゆっくりと振り返った。フード代わりにまとっていたボロ布が着崩れて地面に落ちていく。その中から現れたのはバイカー風のレザージャケットの上下に身を包んだ白人系の風貌の巨躯の男だ。顔に、拳に、歴戦の傷跡が残されている。そして、かつての名残なのか衣装の各所に備わっていた拘束用のベルトは、幾つか根本からちぎれて失われている。
その両の拳は固く握られており、それが友好を示すものでないことは十分解ろうと言うものだ。
その拳は悪夢の象徴だ。破滅と悲劇を具現化する手段でもある。そしてなによりも、ローラは知っていた。その拳がどれほどまでに恐ろしいかを。
――逃げないと――
頭では分かっている。
――皆に伝えないと――
急がねばならない。猶予もない。
――お願い、みんな気付いて。コイツを刺激しないように急いで逃げて――
些細な一言が悪夢をもたらすのは確実だ。ローラはその事を嫌というほどに知っている。
なぜなら――
ラフマニの視線を感じる。恐れと危機感を抱いているのが分かる。
オジーがビルの玄関から出て歩きだそうとしている。カチュアを連れ戻すためだ。
ジーナはビルの中へと戻っている。他の子供らを誘導して身を隠させるために。
カチュアはまだ、この男の向こうで佇んでいるだろう。
伝えたい。ただ一言「逃げて」と――
だがベルトコーネが重く響くような声で、破滅の運命を告げる。
「迎えに来た。一緒に来るんだ」
かつて彼女自身も、この男と同じ【テロリズム・アンドロイド】だった。彼女の過去そのものがその魔手を現したのだ。
ベルトコーネが振り向きつつ頭上から見下ろしている。ローラの返答を待っている。回答如何によっては最悪の状況へと突き進んでしまうだろう。
――拒否は出来ない。拒否すればこの男は必ず怒り狂う!――
ローラは思考を巡らせる。そしていかなる手段が取りうるのかを思案を重ね続けている。
――でも、この男に付いていくことなど在りえない。子どもたちと別れることなど出来ない!――
どちらに転んでも。どう考えても、このベルトコーネと言う男を前にしては誰も傷つかずに穏やかに事を収める事など出来はしない。かと言って、こうして沈黙を続けていても、この男が強硬手段を取るだろうとは明らかだった。
迷っていた。決断が下せない。カチュアを、そして子どもたちを守るのが最優先であることは分かっているがその手段がどうしても見つからなかった。その迷いはさらなる悲劇を招き入れることなるのだ。
その時、カチュアの耳にはある言葉が聞こえていた。
――一緒に来るんだ――
それはまだ年端もいかぬ3つになったばかりの子供の感性で受け止めるには、あまりに強すぎる言葉だった。そしてそれがもたらした物は、小さな心の溢れるほとばしりだった。
カチュアは子供だ。幼子だ。その小さな心でこの世界のすべてを受け入れ理解することなど、到底できるものではない。心の中に湧いてた疑問すらも抵抗無く素直に口にしてしまう。カチュアは眼前の巨体の男――ベルトコーネへと強い口調で問いかけたのだ。
「おじちゃん」
足元から聞こえる小さな声にベルトコーネは視線を向けた。
「ローラママ、連れて行っちゃうの?」
カチュアの問いかけにベルトコーネは答えない。カチュアはさらに問いかけの言葉を発する。
「連れてっちゃやだ」
涙混じりの声。その声に込められた切実な願いを重さをローラは痛いほどに分かっていた。だからこそ彼女は名乗ったのだ――〝ローラママ〟――の名を。
だが、その涙声の意味を、この稀代のテロリストの後継者には、理解することなど到底できるものでは無い。遮る敵は薙ぎ払う。狙い定めた敵は必ずや打ち倒す。立ちはだかる全てを破壊し、なぎ倒すことで今日まで存在してきたのだ。ならば今、ベルトコーネが取りうる手段は一つだけである。
「これが、お前がこの土地から離れることの出来ない理由か」
ローラには解っていた。それが彼女の立場を理解したがゆえの言葉では無いということを。
――お願い。やめて――
ローラは心のなかで叫んでいた。彼女が恐怖と混乱を乗り越え動き出すよりも前に、冷徹な鉄の意志を持ってしてベルトコーネが酷薄に告げたのだ。
「ならば――お前がこの地に縛り付けられている〝理由〟を摘み取るまでだ」
それは処刑宣告だ。テロリストによる断罪の宣言である。
ベルトコーネの右腕が振り上げられ、一歩進み出ながらその右腕は、眼前の小さな体めがけて振り下ろされる。ベルトコーネのその殺戮の拳はカチュアのその小さな頭を確実に仕留めて打ち据えたのだ。
一緒に寝かせてあげるはずだったクリーム色のパジャマ。それが鮮血を浴びて紅く染まっている。
わずか90センチにも満たない小さな体だった。それが無残な放物線を描いて宙を舞っていたのだ。小さな命はまるでパンでも千切りとるように刈り取られたのだ。
何が起きたのか即座に理解できた者は居なかった。
ラフマニはローラとベルトコーネのやり取りに手を出すことも出来ずに、ただ威圧されて見守ることしかできなかった。オジーはカチュアを救い出そうと決死の思いで近づいていたが、今一歩のところで間に合わなかった。ましてやジーナのような年長の少女たちは廃ビルの中の子どもたちに静かにするように言い聞かせるだけで精一杯である。
それは長い長い時間だった。数秒が、一時間にも二時間にも感じられるほどであった。
ローラはその心のなかで神へと問いかけていた。それは抗議だった。怒りだった。そして、何よりも深い嘆きだったのである。
――神様。私は罪を犯してきました――
――無知でした。何も知らないがゆえに自分が成していることの罪の重さを理解することもありませんでした――
――傲慢でした。命を刈り取るという事の罪深さを理解すること無く、一つ一つの命が失われていく様に狂喜し歓喜し、そしてそれを認められるたびに満足していたのです――
――愚かでした。私と私のかつての仲間が犯した殺戮の結果として、世界中に嘆きの声が満ちたとしても、それを理解して後悔できるだけの心も知恵も持っていませんでした――
――神様、私は罪深い女です。いえ、人ですらありません――
――子を成すことも、乳で赤ん坊の飢えを満たしてあげることすら出来ませんでした――
――こんな私でも、自分自身を捨て去って、ただひたすら無心になって、寒さと寂しさに震える子どもたちを守ってあげることくらいはできるはず。そう信じてきました――
――でもソレすらも間違いだったのですか? 私は罪を償うことも許されないのですか?――
――でも神様――
――それでも、全ての〝罪〟への責めと咎は、全て私が背負うべき物です――
――地獄の業火に焼かれようが、天使の断罪の剣で切り刻まれようが、それは全て私が背負うべきものなのです――
――神様、カチュアに罪はありません――
――たとえあったとしても、それは私に背負わせてください――
――神様、それでもこの子が傷つく事があるとするならば、私の【罪】はそれほどに重いものなのでしょうか?――
――神様、どうかお願いです――
――私の目が見えなくなっても構いません。あの子の目を開かせてください――
――私の声が届かなくなっても構いません。あの子に喜びの歌を歌わせてあげてください――
――私は歩けなくなっても構いません。あの子を希望の持てる明日へと歩ませてください――
――私の胸の鼓動が止まっても構いません。あの子の命の火を絶やさないでください――
――神様、どうかお願いです――
――あの子をこの世界から奪わないでください。この世界から消え去るべきはこの罪深い私なのですから――
それは投げ捨てられたテディベアのように2mほどの距離を飛んで、あっけなくアスファルトの上に横たわった。ぐったりとして指一本、動くことは無かった。その目が開かれる事は決して無かった。
――死――
その事実をローラはようやくに理解する。そして、胸の奥から張り裂けるような声で叫んだのだ。
「カチュアーーーーーーッ!!!」
天へも届くような声で叫びながらローラはカチュアの元へと駆け寄った。そして、身につけたワンピースドレスが血に染まることも厭わずに肩に羽織っていたショールで包みながら、カチュアのその小さな身体を抱き起こしたのだ。
「お願い、死なないで! お願い! 目を開いて! お願い! カチュア! カチュア!!」
現実は無残だった。ローラの問いかけにカチュアの瞼は開かなかった。両手で抱きしめるがその手足に力はなく糸の切れた人形のように横たわるだけである。
いつしか、ローラのその目には溢れんばかりの涙が流れていた。嘆きの涙、後悔の涙、苦痛の涙、しかし、どんなに涙を流したとしてもカチュアの身体に命の力が満ちることは無かったのだ。
ローラは息を吸った。胸の中の呼吸器官へと許容量限界まで、夜空の冷たい空気を吸い込んでいく。そして、その総身で受け止めた嘆きと苦しみをすべて吐き出すかのように天に向けて叫んだのだ。
「うわぁああああああああああああああっっ!!!!」
それは雄叫びのようであり、嘆きの声でもあった。取り返しのつかない現実が今まさにこの場で起きてしまったのだ。
「ぐうぅっ――、うっ――――、あっ、あっ、あーーーーー、あ、あ、あ……」
今一度、息を吸い込みカチュアの身体を抱きしめながら顔を埋めるように抱き寄せて嗚咽の声を響かせるのだ。膝を折り、しゃがみ込み、しゃくりあげながらカチュアを抱きしめ続けた。
「ごめん、ごめんなさい――、あたしがここに来なければ――、あなた達のママになんかならなければ――こんなことには――」
嘆いても、嘆いても、後悔をどんなに重ねても、時間が過去へと戻ることは在りえない。贖罪の日々を送ると覚悟を決めたローラを気遣い癒やしてくれた、心優しいカチュアの目が開くことはないのだ。
その絶望の底へと叩き落されているローラの下へと近づいてきたのはベルトコーネだった。足音を鳴らしながらローラに背後から近づいてくる。そして、その背中を責め立てるように強く言い放つ。
「これで解ったはずだ。俺と行動をともにし我らが創造主の遺志を引き継ぐのだ。それすれらも拒むというのなら――」
そこまでベルトコーネが声を発したときだ。
まばゆい光がほとばしる。ローラの指先から、細く絞られ断罪の矢の如くと化した光が解き放たれる。それは、ベルトコーネの頬をかすめると深い傷となって痕を残していた。それは、ローラのもう一つの決意を象徴する光である。
ローラは、左手でカチュアを抱きしめながら、顔を振り上げベルトコーネを睨みつけていた。それは怒りである。義憤である。そして命を守ると覚悟を決めたものだけが表すことのできる『深い母性』があるからこそ宿すことのできる『純粋な清廉な怒り』であるのだ。
彼女の名は『光撃のローラ』
光を武器とし、光を操る者。
「許さない――」
そして、静かに立ち上がると正面からかつての仲間を睨み据えていた。
「あなたも、あの老人も、絶対に許さない」
それは決別の怒りである。母を名乗る資格のある者だけが抱くことのできる切なる怒りの叫びであった。
「たとえ、天も地もあなたの事を認めても、わたしはあなたを絶対に認めない! この世から消し去ってやる! あの子達が、寒さから守ってくれる親すら居なかったあの子達が笑って暮らしていけるためなら! 刺し違えてでもあなたを打ち壊す!」
涙はすでに止まっていた。しかし、ローラの頬を涙が流れたあとがくっきりと残っていた。ローラは涙を拭わずに、恐れること無く、怯むこと無く、眼前の暴力の権化へと毅然と向かい合ったのだ。
母を名乗ったものとして、何よりも強い毅然とした視線で立ち向かおうとしている、かつての仲間を前にして、ベルトコーネは静かな怒りを抱いていた。
「俺や我らが創造主の遺志と袂を分かつと言うのか」
その言葉を突きつけてもローラの決意は一ミリたりとも揺らぐことは無かった。
ローラは答えない。ただ敵となったベルトコーネと向かい合い、その体に宿した力を解き放つだけだ。
「いいだろう。ならばこの俺も全力を持って叩き伏せるのみだ。我らの理想から離れたことを後悔するが良い」
後悔? そんなものはありえなかった。
――今はただ、残された子たちを守るだけ。そして、刺し違えてでもコイツを打ち倒す――
そこに立ち上がったのはテロアンドロイドではない。己の境遇を嘆き悲しむだけの少女でもない。
いまこそローラは全身全霊をかけて〝母親〟となったのである。

















