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メガロポリス未来警察戦機◆特攻装警グラウザー [GROUZER The Future Android Police SAGA]  作者: 美風慶伍
第2章サイドB『魔窟の洋上楼閣都市』第2部『洋上スラム編』
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サイドB第1話『魔窟の洋上楼閣都市』Part6『ママ』

第2章サイドB第1話『魔窟の洋上楼閣都市』

その6『ママ』


スタートです。

本作品『特攻装警グラウザー』の著作権は美風慶伍にあります。著作者本人以外による転載の全てを禁じます

這部作品“特攻装警グラウザー”的版權在『美風慶伍』。我們禁止除作者本人之外的所有重印

The copyright of this work "Tokkou Soukei Growser" is in Misaze Keigo. We prohibit all reprints other than the author himself / herself

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 無戸籍の違法外国人の孤児、スラングでハイヘイズと呼ばれている。

 本来は中国での一人っ子政策で認められていない二人目以降の無戸籍児の事をさして言った黒排子と言う言葉が語源なのだが、この洋上スラムの街では広く無戸籍の外国人孤児を指して言う言葉として定着していたのだ。

 その多くは路上で餓死したり犯罪の被害者となったり、地下犯罪組織の〝商品〟として狩られて売買されるような悲惨な道を歩むことが多いのだが、中には安住の地をかろうじて見つけて同じ境遇の者たちで肩を寄せ合いながら懸命に生きているケースもある。

 中央防波堤街区無番地エリア、通称『東京アバディーン』と呼ばれる洋上スラムの街の南東の端、小規模な倉庫街の片隅の廃棄されたビルに住み着いているハイヘイズの子どもたちの集団があった。東京アバディーンにて生活をするものたちは彼らのことなど気にもとめては居なかったが、彼らが生活を営んでいる以上、彼らから接触を受ける者も出てくる。衣食住を求めて現れる彼らに救いの手を差し伸べる者は少なくない。簡単な労働を与えたり、不要となった衣類や生活必需品を恵んだりと言った形でハイヘイズの子どもたちを助ける者は後を絶たなかった。中華系、南米系、アフリカ系、手を差し伸べる人々は数多く居た。だが、それでもハイヘイズには混血児が多いためそれぞれの人種ソサエティの中で引き取って育てることは皆無なのが残酷ではある。

 

 あの豪奢華麗な高層ビルであるゴールデンセントラル200を頂点とするなら、ハイヘイズの子どもたちが寝起きする辺りは最下層に近い。一番の最下層は陸上にすら住む場所を得られず沈没寸前のジャンク船で寝起きするスラム民なのだが、最下層の悲惨な暮らしに埋没しなかったのはひとえに生きる気力に満ちた子どもたち自身の〝心の強さ〟に他ならなかった。彼らはその強さを武器にしてたくましく生き延びていたのである。

 

 ラフマニやオジーと言った年長の男の子たちは契約を結んでいる仕事先のところに行って夕方遅くまで働いている。港湾の荷降ろし・荷揚げなどの力仕事が多いが、時には東京アバディーンの外へと出て短期の工場勤務などをする事もある。本人たちは自分から見つけてきたと言っているが、その実、裏でシェン・レイが手を回している事はローラだけが知っている秘密である。

 そして男たちが出かけたあとは、2人いる年長の女の子たちと協力して小さな子どもたちの子守と世話をする事になる。下は1歳から上は9歳まで。都合12歳を超えると世話をする側になるのがここのハイヘイズの子どもたちのルールだ。

 だが、年長者が二人ほど恋人と連れ立って日本を離れて出ていってしまったため、残された15と14の少女たちが、たった二人で元気過ぎる子どもたちの面倒を見なければならなくなっていた。

 そんな事情がある中で、大人びた風貌のローラが現れたのだ。途方にくれていた二人にとって、子どもたちの面倒を見て手助けしてくれるなら人種とか前歴とかは瑣末な問題だった。一も二もなくローラを受け入れてくれたのだ。それ以来、ローラは彼女たちとともに子供らの子守役として頼りにされることとなったのである。

 

 神電シェン・レイとラフマニに招かれ、この洋上スラムの一角に腰を下ろしてから早くも2ヶ月以上が経っている。クリスマスの夜に唐突に安住の地を得てラフマニとシェン・レイから託された子どもたちの相手をする事となった。成り行き、運命、導き、宿命――、いろいろな言葉が使えるがローラにとって充実した日々の始まりであった。

 初めは慣れないことも多かった。ローラ自身がアンドロイドであり〝食〟と言う行為を必要としなかった事からくる齟齬も在った。ローラは何も食べなくてもなんとかなる。ローラにとって食事とは人間を装うための偽装行為に過ぎない。それゆえに子どもたちの空腹を見過ごしてしまったこともある。

 ローラがアンドロイドである事を知っているのはシェン・レイとラフマニだけである。皆にはラフマニはローラの事を高レベルなサイボーグであると説明していて、それ故に普通の人間とは生活が異なるのだと皆に納得してもらっている状態である。

 とは言え――、女の子たちの中で一番に年長であり頼りがいのある人柄と風貌をしていたのは間違いなくローラであった。背格好と面立ちもあってか、小さい乳飲み子や幼児たちがローラに母親のイメージを投影しだしたとしても不思議ではなかった。

 それ以来、小さな子供らも、いつもなら寂しさからグズる事の多い子であってもローラに抱かれると不思議とおとなしくなる。ただ生き残ることに必死で笑うことすら忘れかけていたのに、子供らの顔に笑顔が絶えることがなくなる。まるで失われた最後のピースがハマるように、ハイヘイズの子らが暮らす廃ビルは、一つの『家』としてぬくもりを放ち始めたのだ。そして、3歳になる一人の女の子の言葉がこの家の中でのローラの立ち位置を決めることとなった。その女の子が昼食後の昼寝のとき、添い寝していたローラにむけて思わずつぶやいたのだ。

 

「ママ」


 ハイヘイズの孤児たちの中では珍しいロシア系の純血の女の子でなにかと手のかからないおとなしい子だった。名前はカチュア――、そのカチュアが、自分を寝かしつけようとしていたローラの顔を見て嬉しそうに声にする。その言葉にローラは戸惑いを隠せない。

 

「え?」

「ローラはママ」

「えっと――」


 戸惑うローラにカチュアはなおも告げる。ローラにはその子がなぜそんな事を言うのか理解できなかった。〝ママ〟――すなわち母親、お母さん。その言葉が孤児たちが寄せ合いながら暮らす子の家の中でどれだけ価値を持つかローラ自身も分からないわけではない。この子たちが心から微笑むために必要な存在。その尊称がアンドロイドである自分に向けられているのだ。だが、それは事実に反している。


 喉元まで――『違うよ』――と言いそうになる。だがこの子らと暮らす中でこの小さな子どもたちが失ったものがどれだけ大きいのか、子供らが涙ながらに訴える寂しさを目のあたりにするたびに言い知れない様な気持ち襲われる。失う――と言う事がどれだけ不幸なのか、思い知らされた事は一度や二度ではなかった。

 それだけに、そのカチュアと言う女の子が発した〝ママ〟と言う言葉がどれだけの重さと価値を持っているかを感じずには居られなかった。それにこの子の心を傷つけずに間違いを正すことなど、ローラの決して深くない経験ではどだい無理な話である。


 ローラは〝ママ〟と言う呼び名を否定することはどうしてもできなかった。

  

「えっ? ママ?」


 昼寝をしていた他の子も目を覚ます。2歳位の黒人系の混血の子がむっくりと体を起こした。そして雑魚寝の床の上をローラの方へと這い寄ってくるとローラの顔をじぃっと見つめている。つぶらな蒼い瞳で見つめたままローラに問うてきた。

 

「ねぇ……」

「なあに?」

「ローラはママなの?」

「ママ?」

「うん、みんなのママ」


 すっかり目を覚ました子も、寝ぼけ眼の子も、まだ半分眠りの中の子も、〝ママ〟と言う魔法の言葉を耳にしていくつもの視線をローラに向けていた。不安げにすがりつくように。この子達にとって、どんな玩具よりも、どんなお菓子よりも、幸せに近いとても大切な魔法の言葉。サンタクロースにどんなにお願いしても届けられることのない贈り物。それが――〝ママ〟――

 途方に暮れて世話役の二人の年長の女の子に視線を向ければ、彼女たちから向けられる視線も、乳飲み子たちと同じであった。彼女たちもすがりつく存在を求めているのだ。

 

 それまでローラは疑問を持っていた。シェン・レイがなぜ自分をこの〝家〟で暮らすように求めたのか。その理由に腑に落ちない物があったのだ。ただ単に物理的に護るのならば誰にでもできるだろう。シェン・レイ自身が金を出して用心棒を雇うか、地元の有力者と話をつけて護衛役をつければいいだけの話だ。やり方は色々あるが物理的に『守る』と言うだけならローラでなくても良いのだ。それにシェン・レイほどの電脳スキルをもつ人物なら、ローラの足跡をこの滅びの島にたどり着く以前から知っていたに違いないのだ。あのディンキーによって生み出されたテロアンドロイドである自分――、それを拒まずにこの家へとたどり着かせたその真意。


 ずっと脳裏の片隅で引っかかっていたそれを氷解させたのは、子供から投げかけられた一つの疑問である。横たえていた体を起こせばカチュアはローラの膝の上に上体を乗せると上目遣いに見上げてくる。そして、泣き出しそうな寂しさをこらえながら必死の問いかけを投げかけてくるのだ。

 

「違うの?」


 それはこの子一人の問いかけでは無かった。この家に暮らす乳飲み子たちすべての疑問である。つなわち――『この人はだれなのだろう?』

 その事実に気づいた時、ローラの脳裏に引っかかっていたものが、堰を切ったように氷解する。そして同時に沸き起こってきたものは、己が引き起こした過去の記憶であった。

 

――泣いている。子供が泣いている――

――さまよっている。守ってくれるはずの母親をさがしてさまよっている――

――怒りの声が聞こえる。親子の絆を断ち切り、永遠に続く孤独をもたらしたことを――

――誰だ? この不幸をもたらしたのは誰だ?――

――アイツだ。歪んだ敵意を撒き散らし、一つの民族を追い回す狂気の存在――

――そして、その老人によって生み出された禍々しき人形たち――


 ローラは思い出していた。ディンキー老に導かれて世界中をさまよっていた日々のことを。そしてテロ活動と言う形で、飽きることなく世界中で小さな幸せの絆を断ち切り続けてきた過去を思い出していた。それはもはや償いきれぬ罪業である。

 

「そうか――だからあの人は私を――」


 それは〝罰〟である。罪に対する罰である。自らが奪ったものを弁済すると言う罰である。

 ローラは、シェン・レイが彼女に何を求めてこの家に導いたのかをようやく気付いていた。『失う』と言う事の大きさを、あのクリスマスの夜に海辺の町のクリスマスツリーの下で気付いたからこそ、自分が何を償わねばならないのか思い知らされるのだ。

 

――受け入れよう。この〝罪〟を――


 ローラの頬を伝ったのは一筋の涙である。それは本来なら眼球カメラを洗浄するための人工涙液でしかない。それが一抹の感情のもとに流れたことは一度もない。だがその時流れた涙は明らかにローラの心の中に沸き起こった感情からもたらされたものであった。

 

――これは嘆き。罪に対する贖罪の嘆き――


 ローラの頬をつたった涙にそっと手を伸ばしてきたのはローラの膝の上に抱きついていたカチュアだ。

 

「ママ? 泣いてるの?」


 その小さな右手をのばしてローラの頬の涙を拭おうとしていた。そんな優しいカチュアをローラは抱き起こす。ローラに最初に『ママ』と問いかけてきたあの男の子も抱き起こすと二人一遍に抱きしめる。

 

「泣いてないよ」


 涙は止まらない。だが悲しくはなかった。自然と微笑みが溢れてくる。

 

――これは覚悟。己の罪を償い終えるまでこの子達の手を離さないという覚悟――


 ローラの浮かべた笑みに男の子が再び問うてきた。

 

「ママ?」

 

 不安げな――、ローラの真意を心から求める切実な瞳がローラの顔を覗き込んでいた。その瞳はローラにとって償いきれない巨大な罪を映し出す鏡であった。この大きな罪に報いて償う術は一つしか無いのだ。

 

「うん。そうだよ」


 ローラは抱きしめる。子どもたちを。

 

「みんなのママだよ」

「ローラママ?」

「うん」


 それは〝誓い〟

 罪を償うために全身全霊を尽くすという誓いだ。飢える乳飲み子に乳をやることも出来ない作り物の体だが、その小さな手を握って守ってやることはできるはずだ。そのためにはたとえ朽ち果てて海の底へと落とされたとしても、最後の一瞬までこの子達のために戦うと誓おう。

 

――私はこの子達の〝母親〟になる――


 寝ていた子どもたちが次々に起き上がってくる。そして、ローラの周りに集まると面々の笑顔で次々に問いかけてくる。

 

「ママ?」

「うんそうだよ」

「もう、どこにも行かない?」

「行かないよ。ずっと一緒だよ」

「抱っこしてくれる?」

「うん!」

 

 最初の二人から手を離すと抱っこを求めてきた子を抱いてやる。すると他の子もその後を追うように温もりを求めてくる。

 

「僕も――」

「あたしも!」


 癒やしてくれる人に飢えているがゆえに子どもたちの求めは必死であり懸命だった。この大勢の子どもたちを前にして生身の体なら根負けしてしまう事もあるだろう。だがアンドロイドであるローラなら疲れ果てること無く、力尽きるまでいつまでも子どもたちを癒やすことができるはずだ。

 

「こらこら、順番ね。どこにも行かないからみんななかよくね」

「は~い」


――不思議だ。〝殺す〟ことしか知らなかったはずなのに、なぜこれほどまでに人間が、子どもたちが〝愛おしい〟のだろう?――


 ローラはまだ、自分が宿すことのできた〝母性〟と言うものの正体を知る由も無かった。

 

 ともあれ――、それは遅れてもたらされたクリスマスプレンゼントだった。ハイヘイズの幸薄き子どもたちに天の配剤がもたらした祝福である。

 それからと言うもの、世話係として子どもたちを育てていた二人の年長の少女たちもローラを慕うようになっていた。ローラを年上として大人として扱い、ローラに付き従うようになっていた。彼女たちも自らを守ってくれる存在を求めていた。終わることのない子守と子育てに疲れ果てていた心の縁となり癒やしてくれたのがローラの存在であったのだ。

 そして、その〝家〟では皆がローラを『ローラママ』と呼ぶこととなる。自分を慕って懐いて微笑みかけてくる幼子たちを抱きながらローラは思う。

 

「アンドロイドの私が〝ママ〟と呼ばれるなんて」


 戸惑いと驚きは尽きることはない。だが戸惑う暇もないくらいに子どもたちはローラを慕いその癒やしを求めてくるのだ。乳飲み子や幼子たちを抱き上げ話しかけ微笑みかける。はじめは見よう見まねだった。世界中を歩いて来たこれまでの記憶の中で見かけた人間たちの姿の記憶――、それらを拙い教科書代わりにして必死の母親役をこなそうとする。うまく行かぬことも多く子どもたちの困惑の顔を見るたびにローラはため息混じりにつぶやいてしまう。


「本当に自分でいいの?」


 だがそれに、助言を与えたのはシェン・レイだった。ローラが子どもたちを慈しむ姿にシェン・レイは語りかける。

 

「君は〝新しい自分自身〟を手に入れたんだ。今はその思いを疑うこと無く、ひたすら一心に、新しい君を必要としているこの子達に与えることだけを考えなさい」


 ローラはシェン・レイの言葉から『無心』と言う価値を知った。そして、覚悟を決めたローラの中には迷いや戸惑いはさざなみが引いたように消え失せていた。

 心が変われば容姿も変わる。ディンキーの元にいた頃の黒装束は捨て去った。そして毎日のように持ち込まれる不要な古着の中から一着のクリーム色の木綿のロングのワンピースドレスを見つけ出した。そしてそれとともにエプロンを身に着け、肩にロングショールを羽織ると、ハイヘイズの乳飲み子たちを護る『ローラママ』として暮らし始めたのだ。

 

 子どもたちを養い率いるラフマニはパパである。そして、子どもたちを護り慈しみ育てるローラはママである。こうしてあの廃ビルは一つの『家』として形を成していったのである。



 @     @     @



 その日も朝早くにラフマニたちを見送った。子供らが目を覚ましきる前に家として使っている廃ビルの中の大まかな掃除をする。掃除が終わると次は朝食の支度だ。

 決して経済的に豊かとはいえない生活だが、ローラが現れて『ママ』としての役割を担うようになってから周囲の外国人街に住む好意的な人々からの施しものを受けとる割合が増えたように思う。明確な〝保護者〟が居るようになったことで周囲の人々が関わりやすくなったのだとローラは思っている。

 そして彼らから売り物の残りや貰い物を譲り受けて、熱を加えて調理するなど一手間を加えて子どもたちに分け与えている。料理の技術など持っては居なかったが必要にかられて自らのネット能力などを駆使して必死の思いで身につけていった。

 子供らの相手の仕方も手探りだ。人を殺すことしか知らなかったが故に、子供らを前にして彼らの〝豊かな感情〟や〝純粋な好奇心〟とどう向き合えば良いのか戸惑い、時には苛立つこともある。でもそんな時に手本として思い出すのは、皮肉にもかつてのテロ行為の日々の中で目の当たりにした数多くの被害者たちの有様だった。痛みと苦痛を訴える子供らをなだめ癒やし、希望をもたせようと必死になる姿は、見過ごしたはずでもローラの脳裏の片隅に色濃く残像を残している。時には自分が瀕死であるのにもかかわらず、子を思い希望を与え、時には『嘘』をついてまで愛する我が子に救いを与えようとする姿は忘れようとしても忘れることが出来ないでいる。

 子を守る母親は強い。その強さに子供は守られているのだと言う事実を、ローラは何度も噛み締めていた。ディンキーの元にいた頃は不可解な愚かな行為と冷笑を持って見過ごしていたが、今の自分ならあの時の親たちが残した行為の意味が痛いほどにわかるのだ。


 ある子供はネグレクトで餓死寸前にまで追い込まれた末に路上に遺棄されていた。ひどい扱いを受けていたはずなのに、やはり心の片隅では〝実の母親〟の姿を追い求めている。


「ママ――」


 昼寝の午睡の中で思い出したように泣き出す小さな子を、根気よく何度も声をかけながらなだめすかしていく。

 

「ダイジョブだよ。ここに居るよ」


 抱き起こして何度もささやきかけるが、その子の瞳には拭いきれない不信と不安が浮かんでいるのが分かる。それを目のあたりにするたびに自分が〝偽物〟である事を突きつけられたような気がして身を切られるような苦痛を感じずにはいられない。だがそれでもローラは微笑みかけた。昔見かけたあの母親が絶命する間際まで我が子に語りかけたように。

 

「どこにも行かない?」

「行かないよ。ずっと一緒居るからね」

「うん、解った」


 何度も何度も語りかけて納得させ再び眠りにつかせる。毎日のように繰り返されるローラの誰も知らない苦闘の一つだ。


 またとある子は目の前で母親を路上強盗で殺され、絶命するさまを目の当たりにしている。そのため『失う』『姿が見えなくなる』という事に過剰に反応することがある。唐突に泣き出しパニックを起こして他のものには手がつけられなくなる。そんな時にその子を落ち着かせられるのはローラしか居ない。

 

「大丈夫だよ。ほーら、ちゃんと居るでしょ? どこにも行かないよ?」

「ほんと?」

「うん、本当」

「約束だよ」


 抱き寄せ、ささやきかけ何度も言い聞かせる。その子が不安を手放すまでの数時間、片時も離れずに抱き続ける。他の子の面倒も見ながらの子守は想像以上に重労働だが、ローラには苦痛を感じる暇すら無いのだ。


 またとある子は、右足が義足でありファントムペイン=幻影痛にしばしば悩まされることがある。なんの前触れもなく痛みを訴えてのたうち回り、その姿は凄惨を極める。だが、それすらもローラは真っ向から向き合う。暴れるその子に静かに微笑みかけ、力強く抱きしめながら無いはずの右足を夜を徹して撫でさすって、現実には存在しない傷口が癒えるようにと看護を繰り返すのだ。

 

「痛い……痛いよ、ママァ――」

 

 幻影痛は治療の手段が無い。失われた部位に対応する脳の部分の情報の混乱が原因と言われているが、傷口の患部そのものが実在しないために鎮痛剤すら効果がない。そんな見えない傷と向き合う方法を教えてくれたのは、またしてもローラの過去のテロの記憶だった。とある戦場の難民村。難民を装い潜伏する中で、戦火と地雷により体を失った人々を救おうと献身的に介護をする人々の姿を思い出しながらローラは何度も何度も話しかけるのだ。


「大丈夫だよ。もう傷はないからね」

「でも、痛いよ……」

「うん、痛いよね。でも、ママが治してあげるからね。だからもうちょっと頑張ろうね」

「うん――」


 昼も夜も必ずと言っていいほど何かが起きた。それを一睡もせずに向き合い続ける。その献身的な姿に、子供らはあらためてローラの背中に〝母性〟を垣間見るのだ。わずか二ヶ月の間に、ローラの〝ママ〟としての母親スキルは否が応でも磨かれていく。そして、その献身は噂となって人々の間で語られることとなる。

 

「ハイヘイズの子供らのところに、子どもたちの面倒を見ている女性が居る」

「昼も夜もなく、身を粉にして子どもたちの世話を続けている」


 ハイヘイズの家に母親が現れた――その風聞は子どもたちにさらなる救いの手をもたらしてくれるだろう。だがローラは今はまだ知ることもなかった。

 

 昼間が終わりを告げ小さい子らに夕食を与える時間となる。食べさせ終えると子供を寝かしつける準備を始める。環境的に頻繁に入浴させるのは厳しいが、それでも工夫に工夫を重ねてシャワー程度なら使えるようにもなったため一人につき週に一回くらいのペースで体を洗ってやっている。そして、日が沈むのとほぼ同時に幼子たちを寝かしつけてローラのその日の仕事は一段落することとなる。ハイヘイズの子らの面倒を見ることに終わりは無いが、一息つくくらいの余裕は与えれてもいいはずだ。

 今、ローラは充実していた。苦労は多いが、自らが為す行為により誰かが笑顔になるのだ。かつて殺戮の日々では絶対に有り得ない事であった。そして、そうやってもたらされた笑顔がローラを支える新たな力となるのだ。そしてそれが『幸せ』と呼ばれる物であると言うことにローラはまだ気付いてはいなかった。

 

 壁に掲げた古びた壁時計を見れば時間は夕方6時の頃を回っている。年長者の少女たちに断って子供らのところから離れていく。向かうのは住処としている廃ビルの入り口である。

 

「そろそろね」


 その日もローラが、廃ビルの入り口でラフマニの帰りを待っている。道の向こうにラフマニの姿を見つけたときは心の底からあふれるような笑みが湧いてくる。


「おかえり!」


 喜び勇んでラフマニをねぎらえば、ラフマニはローラに駆け寄ると抱きしめ返すのだ。

 

「ただいま」


 まるで新婚の夫婦のようなやり取りを、当事者も周囲の者も特別不似合いだとは微塵も思っていない。今日も苦労と苦難に満ち溢れた日々が終わろうとしている。

 

「さ、はやく中に入ろう。みんな待ってるよ」

「あぁ」


 ラフマニとローラは連れ立って廃ビルの中へと姿を消していった。

 平凡だが、平凡であるからこその幸せである。ローラは今、心の底から満たされていたのである。

 

 

 @     @     @

 

 

 そしてその日、ラフマニたちが返ってきた頃にシェン・レイからの連絡が入っていた。

 どこで突き止めたのかローラの持つ体内のネットワーク通信デバイスの固有アドレスを知ると、ラフマニたちに伝えられないデータや緊急性の高い情報をローラに直接伝えてくることがある。

 ラフマニたちには一般的なEメールにてメッセージをやり取りしているため、ローラにメッセージが来るときは本当に危機が迫っているか、子どもたちには内緒のうちに何か大切なことを依頼したいためのメッセージであることが多い。

 それは信頼されていることの証拠であるのだが、ラフマニたちに話せない秘密を持つこととなるので少々ありがた迷惑な面もある。


「まぁ……、あたしになら打ち明けられるからなんだろうけど」


 こっそりとため息を吐きながら、広間で座になって食事をしているラフマニたちからそっと離れる。そして、物陰で声を潜めながら体内の通信回線へと意識をつなぐ。しかるのちにシェン・レイから送られてきたメッセージを再生して読み取る。ローラは送られてきたメッセージに戸惑いを抱くこととなる。

 

「どういうこと?」


 思わず小声でつぶやいてしまう。シェン・レイから送られてきたメッセージにはこう記されていた。

 

【今夜は誰も外へ出すな】


 シンプルなメッセージだがそこに込められた意味の重さに、ローラは緊張を覚えずには居られなかった。そして、それを自らの胸中に封じると何食わぬ顔でラフマニたちのところへと戻っていく。

 

「どうした?」


 オジーからの問いかけにローラは顔を左右に振った。

 

「ううん。なんでもないよ」


 そうつぶやいた時にあたりを見回せば、一人の人物の姿が見えないことに気づく。

 

「あれ? ラフマニは?」

「あぁ、今しがた出かけたぜ。飲み屋の楊夫人のところに酒をもらいに行くって」

「えっ?」


 楊夫人――、何かとハイヘイズの子供らのことを気にかけて助けてくれる大人の一人だ。東京アバディーンメインストリートの南東側、中華系の人種の集まるエリアの片隅にて小さな飲食店を開いている。ラフマニは未成年だが街の大人たちとの付き合いから酒を嗜むため、楊夫人のところに貰いに行くことがある。それほど遠い距離ではないが、シェン・レイからの急な知らせに不安を抱かずには居られなかった。

 ローラは肩にショールを羽織りながらそっとその場から離れていく。そして、あとをついてきたオジーに気づくとそっと話しかけた。

 

「連れ戻してくる」


 必要な言葉はソレで十分だ。この東京アバディーンの街なら危険と異変には事欠かないのだ。オジーはローラに頷き返しながら答えた。

 

「解った。こっちの留守は任せてくれ」

「うん、お願い」

「ラフマニの事、頼んだぜ」


 長い付き合いなのだろう。オジーがラフマニの身を案ずる言葉は、短いながらも力がこもっていた。ローラはその言葉を受け止めるとはっきりと頷き返したのだ。

 住処としている廃ビルから外に出れば、まだ3月初頭の東京湾を吹き抜ける風は冷たい。雲のない夜空の下、宝石を散りばめたような星空が広がりつつあった。

 ローラは胸騒ぎを感じていた。それは久しぶりに感じる感触であり〝ローラママ〟を名乗る前のマリオネット時代に頻繁に感じていた『危機感』と言うものに似ていた。


「お願い、無事で居て」


 最悪の事態が頭をよぎる。だが、今は愛する人の無事を願うことしかローラにはできなかったのである。


次回、第2章サイドB第1話『魔窟の洋上楼閣都市』その7『――罪――』


挿絵(By みてみん)



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