6:深夜11時半頃:横浜湾岸エリア、南本牧埠頭
そこは横浜の市街地の南方にあたるエリアだ。
――南本牧埠頭コンテナヤード――
有名な大黒ふ頭パーキングエリアから南方に6キロほど離れた洋上を埋め立てて造られた先進型のコンテナヤード施設群である。そして今、その中に4つあるコンテナヤード区画の中の1つ【MC-3】にてトラブルは起きていた。
致命的な窮地を招きながら――
今、1人の〝男〟が危機的状況に陥っていたのである。
@ @ @
「やべぇ――」
そうつぶやきながらセンチュリーは荒い息を吐いている。呼吸を整えている暇はない。全機能、全感覚をフルに駆使して、状況を挽回する手段を見つけ出すしか無い。
専用バイクを走らせて、放置車両を利用してフェンスを飛び越え、コンテナヤードの敷地内を要救助者の元へと向かおうとした矢先だった。予想外の場所からの痛烈な第一撃をその頭部をかすめるように食らったのだ。あとはバランスを崩し、バイクを横転させアスファルトの上を無様に転げ回った。その後に舗装された路面の上で仰向けになった時、敵からの第二撃をまともに食らわなかったのは〝運〟〝気合〟〝精神的勢い〟〝執念〟、そして、警察としての〝プライド〟――
弾けるように体を起こし、咄嗟に積み上げられた大型コンテナの影へと飛び込む。不意を撃ってきた攻撃者の姿を物陰から伺い見ようとする。
「くそっ、勘に頼りすぎたか! 兄貴やディアリオだったらセンサーで探知しながら入ってくるだろうが――、オレそういうの苦手なんだよなぁ」
ボヤくようにセンチュリーがつぶやく。センチュリーは動態制御や身体能力を重視しており、センサー能力やデータベースに基づく状況分析には一歩遅れた面がある。育成環境の経緯もあり身体的なアクション動作に頼りがちである。
そもそも、彼はアンドロイドとしての基本的範疇を大きく逸脱していた。
内骨格仕様のボディに、有機物消化と燃焼システム、それにともなう酸素呼吸の機能まで有していた。呼吸をし、食物を喰い、それを消化し、活動する力に変える――、常識的に見てもそんな事ができるアンドロイドなどそうそうにあるものではない。
それが故にセンチュリーは『アンドロイドらしからぬアンドロイド』と言う評判を受けていた。それがありがたいのか恥なのかは本人にはわからないのだが――
センチュリーは状況を立て直すため、自らの周囲の状況をあらためて観察した。
不気味なまでに明るく光を放つ満月の下。港湾地区のコンテナヤードの一角に彼は居る。周囲に外洋船コンテナが都会のビルのようにうず高く積まれていて、その積み上げられたコンテナの群れの谷間に、繁華街の目抜き通りのように伸びる広い通路がある。その通路のまっただ中、コンテナヤードを照らすように巨大な照明塔が立ちはだかっている。
鋭角的なフルフェイスヘルメットを被ったようなシルエットのセンチュリーは、そのゴーグル越しに照明塔の頂上を見上げていた。そこには、まばゆい月光に照らし出されて、ひとつのシルエットが浮かび上がる。
大柄なフード付きジャケットを被り、右腕を狙いすましたように攻撃対象へと突きつけている。その右手の開いた手のひらの根本、そこは赤白く燐光の様にかすかに光り輝いていた。
【 制圧対象攻撃内容分析 】
【 受傷状態より判断 】
【 受傷深度:低レベル 】
【 受傷形態:表面層焼損 】
【 スポット攻撃による線状破壊痕 】
体内のデータベースシステムの自動分析から得られた情報から、センチュリーは推察した。
「粒子ビーム? いや、レーザーか!」
センチュリーは自らの戦闘経験から、敵が放った攻撃手段の正体をとっさに読み取っていた。
「粒子ビームは充電時間が長い代わりに照射時間が短くエネルギー量が大きい。逆にレーザー光は充電時間はそれほど長くないが照射時間を長くして攻撃威力を高めるからな――、やっぱレーザーかよ」
敵についての視覚的情報と合わせて判断するなら、敵は右腕に高出力のレーザー兵器を仕込んだ、遠距離攻撃タイプの違法サイボーグの可能性が高いだろう。
「待ち伏せの狙撃要員って事か!!」
失態だった。救いを求める犠牲者の映像をネット越しに見せつけられ、瞬間的に頭に血がのぼり後先を全く考えなかった。
「その結果がこれか!」
眼前には路上で横転した愛車のバイクの無残な姿がある。頑丈に作られているから致命的な破損は考えにくいが、彼自身のプライドを傷つけるには必要十分だ。
「くそっ、兄貴になんて言われるか――」
センチュリーは強く自嘲気味に言葉をこぼした。だが、そんな悪態すらも邪魔に思えるほどに時間的猶予は残されてない。
センチュリーのその脳裏を激しくリフレインするのは、あの残酷なまでの処刑シーン。ネット越しの監視カメラ映像から見せつけられた任務失敗者の粛清現場だ。その処刑の場を総括する主犯者は、この港湾コンテナヤードのその先で今も凶行を重ねているはずなのだ。
なにより――
「ちっ、なんだって――」
――ふいに浮かぶのは今朝、渋谷のファーストフードにて会話を交わした〝倫子〟の事だった。恩義ある先輩が失踪した。その事に心を痛める少女。そしてセンチュリーには、その先輩がどこに行ってしまったのかおおよその想像はついている。
「まぁ、アイツらしか考えられねえんだよな」
視線の先には違法サイボーグ、やつが属するのは、東京の夜にて猛威を振るう〝武装暴走族〟なのだ。
今、センチュリーの中で、武装暴走族と言うキーワードで複数の物事が一つにリンクした事で、怒りと義憤が胸の奥底から沸き起こるのだ。
「こんなところで!」
膝を付いている余裕も暇もない。待っている人が居るのだから。ならば一気に突き抜けるだけだ。
センチュリーは己の両腰に下げた2丁の大口径オートマチックを確かめた。右腰に下げているのはLARグリズリーマークⅢ、左腰に下げているのはコルトデルタエリート。
44マグナムと10ミリオートを両手で構えて攻撃体勢をとる。そして、この物陰から飛び出すタイミングを図り始めた。
思えば。照明塔の頂きに佇むアイツの射撃には連射性がなかった。一発撃ち放った後には若干の充電時間が必要なのは間違いない。時間にして十秒ほどのタイムラグで、その十秒の隙が、唯一の突破口となるのは明白だ。
ならば、こちらから挑発して攻撃を誘発し、その十秒のタイムラグの間に、敵が陣取る照明塔の間近に肉薄し2丁のオートマチック銃の弾丸を至近距離から浴びせかけるしか攻略の手段は無い。
「やるしかねぇ!」
深呼吸して意識を集中させる。
アンドロイドながらセンチュリーには呼吸機能がある。有機物を取り込み内燃させて動力を取り出す機能があるためだ。さらには人間と同じように、呼吸のリズムを整える事でよりコンセントレーションを整えることができるのだ。
深呼吸を二~三回繰り返すと、敵の気配に意識を集中させる。そして、コンテナの物陰からその身を飛び出させる。
そして、敵の攻撃を警戒すれば、照明塔の頂きのアイツから赤白色の光の噴流が解き放たれていた。
「来た!」
それは予想された攻撃だった。
絶妙なステップで身体を押しとどめると咄嗟に後方へと飛び退く。センチュリーの鼻先をレーザー光がかすめると、焼けるような伏流熱がセンチュリーの顔を焦がそうとする。だが、命中は避けられた。これで生まれたあの10秒の猶予を活かすべくセンチュリーは両足に全て力を注ぎこむと敵との距離を一気に詰めて駆け抜けていく。そして、手にする2丁のオートマチック拳銃の射程距離へと肉薄しようとする。
見上げれば突き出された敵の右腕は、次弾を発射しようと次なる赤白の光を灯しはじめようとしていた。あれが輝きを増すまでの間にこちらの射程距離に入れば勝機はあるのだ。
――イケる!――
そう確信をもったその時だ。
敵の左手が動いた。それまで右腕を支えるように右の肘を掴んでいた左手だったが、突如、眼下へと突き出された。狙い澄ます先にはセンチュリーが居る。そしてその左の手のひらは右手と同じように赤白色の燐光が輝いている。
センチュリーは自分が敵の策にまんまと引っかかったことを悟る。敵の攻撃手段は右腕だけでは無かったのだ。判断ミスを後悔する暇もなく、敵の左腕が赤白色の熱レーザーを解き放つ。そして、それは一気に駆け抜けようとするセンチュリーの頭部を的確に捉えていた。センチュリーは判断に窮した。とどまり回避するか、一気に駆け抜けるか、一瞬の逡巡の後に駆け抜けることを選択する。だが、その一か八かの賭けが過ちであったことを思い知ることとなる。
敵が放った左のレーザーはセンチュリーの頭部への命中すら避け得たものの、それはセンチュリーの右膝を的確に捕らえて撃ちぬいていた。
センチュリーの体内の破損箇所を知覚するための痛覚システムが激痛を感知すると、焼けるような感覚がセンチュリーの右膝を襲った。次の瞬間、右脚から崩れ落ちるとセンチュリーは路面上を転げるようにのたうち回った。
かかる緊急事態にセンチュリーの体内の全システムがフル稼働を始める。
【 体内制御システム、敵攻撃による破損感知 】
【 >破損箇所診断 】
【 ≫右膝部、レーザー光貫通 】
【 ≫右膝関節部、一部焼損 】
【 ≫運動神経系統一部断裂 】
【 ≫人工筋肉靭帯部損傷率10% 】
【 ≫関節部潤滑液体漏出 】
【 緊急システム起動 】
【 組織破損部緊急閉鎖、痛覚システム遮断 】
【 右脚部神経系統、バックアップ系統作動 】
【 >機能回復率92% 】
【 [――任務行動続行可能――] 】
痛みを訴える暇もない。とっさに身体を跳ね起こし右膝を突きながら頭上を見上げた。
そこには敵の影。立ちはだかる照明塔の頂に立ちはだかる敵の影。
センチュリーの握る2丁の拳銃の射程には捉えきれていなかった。
「くっそぉおおっ!」
苛立ち、悪態をつきつつも、このまま膝を地面に突いているわけには行かなかった。
敵影の右腕が更なる輝きを増している。
「殺られるもんかよ!」
センチュリーのその叫びには、まだ彼が絶望していないことを示している。そのためには再び立ち上がらなければならない。
センチュリーはアンドロイドである。自我を持ち、不完全ながらも人間に比肩する〝心理〟を発露させることができる。
自由自我意思を持たないロボットではない。組み込まれた命令に従うだけのロボットではない。
『人に似た容姿を持ち、ある一定以上の〝自由自我〟を持つ人工的な存在』
すなわちアンドロイドなのだ。
そして、センチュリーは己に許された自由自我の中で決意する。
「次こそ決めてやる!」
それは覚悟だ。絶望の拒絶である。そして己自身の〝心〟に対する勇気の鼓舞である。
それこそがセンチュリーがロボットではない証だったのである。
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X6:世界情報ライブラリールーム〔天空のラウンジ〕
それからしばらくの間、バー・アルファベットでは団欒と歓談が続いていた。話の中心はベルに集まっていた。
ミルドレッドがベルに問う。
「――それじゃ、学校のシステムを?」
「はい」
「なんでそんなことを?」
「それは――、あまりにも学校の采配が一方的だったので許せなくて」
「そのお友達の退学処分のこと?」
「はい、妊娠したのはカラオケで睡眠薬を飲まされて無理やりに乱暴されたことが原因なんです。ですが生徒指導の先生が〝ついて行ったのが悪い〟と言って友人の言い分を全く聞いてくれなくて――」
その言葉にアーサーが尋ねる。
「失礼、そのご友人だが普段は?」
「真面目とは言い難いですが、成績が悪いわけじゃないし、週末にちょっと大きい街に出かけるのは、今時の子ならよくあることです。それに、その生徒指導の先生が特別に気に入ってる子が別にいるのですが、大学の推薦枠をめぐって争っているという噂があったんです」
その言葉に頷きながらダンテが言った。
「なるほど、自分のお気に入りをねじ込むために、ライバルの身に降りかかった不幸を逆に利用してライバル排除の口実にしたというわけか。ベル、君は事実を突き止め不正を暴こうとしたというわけだね?」
ベルはその時のことを思い出しながら悔しさをかみしめつつ頷いていた。
「でも、暴いた事実はもみ消されて私が不正アクセスしたという事実だけが吊るし上げられて終わりました。他の生徒側からも処分が厳しすぎるって強い反発があったので強制退学ではなく自主退学扱いになりましたが」
「ふーん……」
ペロがため息をつく。
「何ともやりきれない終わりだねえ」
「はい、ですが向こうが権力を持っている以上私にはどうにも出来ませんでした」
ベルのそこまで話した時だった。
「失礼――」
そう告げながらダンテが立ち上がる。
「用事を思い出した」
そう言葉を残しながらペロとベルに意味ありげな視線を投げかけたのだ。
「えっ?」
ベルは驚きの声を漏らしたがダンテは悠然と去っていった。
その姿にアーサーが言う。
「始まったね。彼、こういう話は見過ごせないから」
「そうね。自由を尊ぶ彼にとって権力の横車はいちばん大嫌いだから」
アーサーとミルドレッドの会話にベルが戸惑っていると、ペロもまた立ち上がりながらベルに持ちかけてきたのだ。
「ベルちゃん。ちょっと一緒においで」
「えっ? あっはい!」
ベルは慌てて立ち上がる。その背中にミルドレッドとアーサーが声をかけた。
「またね、ベル」
「また会おう」
その言葉にベルは振り向いて会釈で返しながら――
「はい、今日はありがとうございました」
――と、丁寧に言葉を返したのだ。
ペロがベルに告げる。
「じゃあ行くよ」
「はい」
白うさぎに招かれるアリスのようにベルはペロの後をついて行った。その背中を見送りながらミルドレッドが言う。
「いい子ね、理不尽を前にしても行動せずにはいられない」
「そうだな」
アーサーが言う。
「だがまだまだ世の中の事を知らなさすぎる」
「でもそれは、私たちが教えてあげればいいわ。次世代を育てるためにね」
「ああ、もちろんだ」
そして、その言葉を残しながら二人もまた何処かへと去っていった。ネット世界の外側、彼ら本来の現実の生活へと帰還して行ったのである。
@ @ @
ベル=成宮倫子は特別限定フロア・コキュートスのメインエントラスフロアの真ん中へと立っていた。彼を招いた猫貴族・ペロにここに立っているようにと言われたためである。そのペロは傍らでなにやらゴソゴソやっている。
「あれ? どこにやったかな?」
ポケットやら背広の内側やら、あちこち探ってる。ベルは思わず問うた。
「あの、何してるんですか?」
「いや、その――〝鍵〟」
「え?」
そう教えられて思わずつぶやく。するとペロの来ている背広の襟元の後ろ側、そこに隠されている小さな鍵が覗いていた。
「あ、もしかしてこれ?」
その鍵を手に取るとペロの前に差し出す。銅褐色に焼けた重厚そうな鍵である。無論、それはイメージであり物理的な鍵ではない。しかし――
「あぁ! そうそうこれこれ」
鍵が見つかって嬉しそうにしている。そんなペロにベルは思わず突っ込んだ。
「もしかして昔のアニメ映画のマネですか? 〝襟の後ろよ〟ってやつ」
その問いにペロは思わず頭を掻いていた。
「いやぁ、面目無い。でもこれでアソコに行ける。さ、僕の尻尾に掴まって」
「尻尾?」
ペロは三毛猫だが、中途半端な長さの尻尾がお尻から覗いている。それを恐る恐る掴む。
「こうですか?」
「OK! じゃあ行くよ!」
ペロはそう告げると〝鍵〟を頭上へとかざした。そしてそのまま鍵を開けるようにひねる仕草をする。すると音声メッセージが聞こえてきたのだ。
〔――管理者権限特別承認、世界情報ライブラリールーム【天空のラウンジ】へアクセスします――〕
天空のラウンジ――、その音声は確かにそう告げた。
「え? なんで?」
それはX-CHANNELの中でも最高位の特別ルーム。一般会員は絶対に入れない。そう――
「ペロさん? あなたまさか?」
――このX-CHANNELのオーナークラスでしかありえない。
「大丈夫! 行けば分かるよ」
ペロがにこやかにそう告げる。そして二人のシルエットはまばゆい光の奔流に包まれる。然る後に二人の姿はそこから消えたのである。
@ @ @
「さ、もう目を開けていいよ」
「ん――」
ペロに告げられてベルは静かに目を開ける。そしてそこで目の当たりにした光景に思わず感嘆の声を上げたのだ。
「うわぁ!」
感動に等しい声があがる。
それもそのはず。ベルの足元にはなにもない。宇宙空間に自らの身体が浮かび、周囲を無数の星空で包まれている。
そして足元はるかに青く光り輝く地球がある。それはまさに天空から見下された神の視座である。
あらためて周りを見回せば猫紳士のペロが空中に浮いている。ペロは静かに語り始めた。
「ようこそ、僕の特別な場所へ」
その言葉が意味することは一つだ。
「ま、まさか――ペロさん、あなたって?」
「まぁね、法的代表ではなく最終的な実権を握っている――と言うところかな。そうさ、このX-CHANNELは僕が運営しているんだ。ダミーの存在を何段階も挟んでるから正体を知られる事はまずないけどね」
それは意外すぎる事実だ。だが、それでも疑問はある。
「なぜ? X-CHANNELを?」
その問いに悪びれもせずペロは答える。
「そりゃあ〝情報〟を集めるためさ。下手に探しに行くより〝情報が勝手に集まる場所〟を作って待っていたほうが効率がいいからね。だから――」
ペロは星空を歩きながらベルのところへと歩み寄る。
「――君みたいな未来の可能性を秘めた人にも会えるんだよ」
「可能性――」
つぶやき返すベルにペロは頷く。
「いいかい? ベル。世の中には2つの人間がいる」
ペロはベルに両手を差し出す。まずは左手を掲げる。
「1つは、眼の前で起きる事や、自らの身に降りかかる理不尽に対して、何の疑念も持たずに流されるだけの存在――」
そして残る右手を掲げる。
「もう一つが、いかなる困難も、いかなる理不尽も見過ごさず、立ち止まること無く進み続け〝可能性〟を切り開く存在――」
ペロは左手を降ろしながら言う。
「僕はただ無意志に漫然と流されるだけの人間には興味はない。わざわざ手を差し伸べる必要も感じないし、差し伸べても無駄に終わるばかりだからね。だが――」
ペロはさらに右手をベルの方へと差し出しながら告げた。
「〝立ち止まらない〟人間は違う。時には迷い、時には間違い、傷づき、後悔することもあるだろう。だけどそう言う人たちこそが困難を乗り越えられる。そして――」
ペロの語る言葉に、ベルは思わず無意識のうちに呟いた。
「〝可能性〟を切り開く」
その言葉に、ペロは驚きつつも満面の笑みを浮かべ、そして両手でポテポテと拍手したのだ。
「正解! さすがベル――そう言う事さ。僕は〝可能性〟を秘めた人たちが大好きなんだ。君もそう、そして――」
ペロがそうつぶやくと同時に周囲の空間に5つの人物映像が浮かび上がる。
「――彼らもそうだ」
ペロが呼び出した映像に写っていた者――それはアトラスを始めとする『特攻装警』たちである。
「兄貴――」
ベルが声を漏らせばペロは語り続けた。
「彼らは人間じゃない。人間と似ているが人間そのものじゃない。人間ならざる存在に〝社会の守り手〟を任せるなんて正気の沙汰じゃないと誰もが思っていた。だからこそ最初の特攻装警であるアトラスの時は強い反対意見が浴びせられた」
「はい、知っています。センチュリーの兄貴も相当苦労させられたって言ってました」
「だろう? でも今はどうだい?」
「今は――心無い声を浴びせる人は未だに居るけど、それでも兄貴たち特攻装警を信じる人々はどんどん増えてます」
「そうだ。誰もが恐れる異形の〝バケモノ〟だったのが、今や誰もが注目する堂々たる〝正義の味方〟だ。そしてこれからも彼らは立ち止まること無く挑み続けるだろう。これからもさらなる可能性を信じて。そして――」
ペロは右手を空中で翻す。すると新たに〝6人目〟が姿を表した。
「――彼が6人目の可能性だ」
「グラウザー――って言ってましたね。兄貴の新しい〝弟〟」
「あぁ、彼もまた〝可能性〟だ。人間とアンドロイドの垣根を取り払うであろうね――。そしてベル、君もそうさ」
「えっ?」
突然の問いかけにベルは驚いてみせる。
「私が?」
「YES!」
ペロはベルへと歩み寄り、その右手を握り手を引いていく。
「君は、理不尽や困難に対して立ち止まらない。真実をつかもうとし、突き落とされても必ず這い上がる。それは〝可能性〟を諦めない者たちだけが取りうる行動。腐らず、塞がらず、閉じこもらず、たとえ落ち込んでもまた立ち上がる。君、大学を目指すんだろ? 〝大研〟を受験して」
「えっ? なんで知ってるんですか?」
思わぬ問いかけにベルは慌ててみせる。
「やだなー、忘れてるの? 『高卒認定試験について語ろう』ってルームに一時期通ってるじゃない。ほら」
ペロがX-CHANNELのシステムサイドの存在だと言うのは本当らしい。ベルのコレまでの行動ログの中から、高卒認定試験にまつわる会議室や掲示板へのアクセスを抜き出してみせたのだ。驚き戸惑うベルにペロは告げた。
「ゴメンね。根掘り葉掘り調べるつもりは無いんだけどさ」
大丈夫だ。ベルもペロが悪気がないのはわかってる。その表情に不快さは見えなかった。
「君は可能性を秘めている。困難に対して自ら立ち向かう強い意志もある。だからこそ、君に知っておいて欲しいんだ」
「――何をですか?」
「この国を襲うであろう〝敵〟についてさ」
ペロがその言葉を口にした時、足元の地球に様々な存在が浮かび上がる。
それらについてペロは語り始めた。
「今、世界は混乱を極めつつある。欧州世界と中東世界の対立から過激な勢力が力を伸ばし、発展途上国から端を発した犯罪勢力や闇組織は今や世界中にネットワークを張り巡らせつつある。さらにそこに軍事技術の地下流出やハイテクの非合法な氾濫が起きて世界情勢の悪化に拍車をかけている。だがそれでも――この国はまだ安全だった。周囲を海に囲まれた天然の要害の国だからね。でも――」
そして〝それ〟は間違いなく〝日本〟に向けて集まりつつあった。
「その安全神話も崩壊しつつある。世界中から多彩な勢力が侵入しつつあるのさ」
まずは『中国』――
「日本進出を果たした『白鳳グループ』と言う多国籍企業があるんだが、彼らの実態は様々な中華系闇社会の複合体だと言われている。今、着々と日本拠点を構築中さ」
次が『極東ロシア』
「ロシアにはロシアン・マフィアがいる。ウラジオストクから進出してきたのが軍人崩れが多いので有名な『ゼムリ・ブラトヤ』だ」
次いで『中南米』
「中南米の麻薬地帯からは違法サイボーグで構成された『ファミリア・デラ・サングレ』戦闘力の高い危険な存在だ」
さらに『アメリカ』
「北米からは『ブラック・ブラッド』、その名の通り黒人で構成されている。麻薬密売を得意とし、やはり違法サイボーグで締められている。同族意識が強くチームワークは群を抜く」
また日本国内からも沸き起こる新勢力もある。
「ステルスヤクザの緋色会やサイボーグカルトの武装暴走族は当然として、メンバー全員が遠隔操作のアバターボディで構成されたサイバーマフィアなんてのも現れつつある。これからどんな連中がでるのか検討もつかないと言っていい」
それらの組織にまつわる映像が、二人の足元の地球の上で蠢いている。さすがのベルもその光景に総毛立つ思いだ。
「こんなに?」
蒼白な表情で漏らせば、ペロが諭すように答え返す。
「これらはあくまでも日本に上陸を狙っている連中に過ぎない。それ以外の海外勢力を加えたらとてもじゃないが、ここには表示しきれないよ。だが――、それ以上に要注意な存在が2つある――」
そしてペロはベルに言い含めるように語りかけた。
「いいかい? ここから先はみだりに口外してはいけないよ」
それは言外に〝本当に聴く覚悟があるのか?〟と、問いただしているようにも思えた。拒否してもペロは責めないだろう。だが、あの最下層フロアのラウンジには二度と招かれない――そんな気もするのだ。ベルは意を決して同意した。
「解りました。お願いします」
シンプルな言葉にベルの覚悟が現れている。ペロはそれを受け入れる。
「いい返事だ。今、世界中にて飛び交っている謎のキーワードがある。それが〝黄昏〟と言う言葉だ」
「黄昏?」
「あぁ――、だが、それが何を意味するのか? どんな存在なのか明確につかめる情報は皆無と言っていい。僕も最優先で調べている状態なんだ」
「そんなに危険な存在なんですか?」
「おそらくね」
いつもは陽気におどけるペロだったが、今だけは神妙な面持ちだった。
「実態不明だけど、実に世界の隅々でキーワードとして浮かび上がるんだ。まるで潜伏期の病原体ウイルスのようにね――」
その表現はベルに恐怖を呼び起こすには十分であった。だがペロの話は終わりではなかった。
「そしてもう一つ――」
ペロが指先を振るうと空間上に新たな映像が浮かび上がった。CGによるシュミレーション画像として、それは奇異な物だった。
「なんですか? このピエロ?」
それはピエロとも言う、ジェスターともいう、アルルカンと呼ばれることもある。赤い衣、黄色いブーツ、紫の手袋に、金色の角付き帽子、角の数は2つで角の先には柔らかい房状の球体がついていた。襟元には派手なオレンジ色のリボン――、派手な笑い顔の仮面をつけた道化者であった。
だがペロは顔を左右に振った。
「ただのピエロじゃない。完全に正体不明の怪人物だ。通り名を〝クラウン〟と言う。神出鬼没で大胆不敵、それでいて実態は絶対に掴ませずあらゆる事において動機は不明。それでいてド派手にぶちかますためなら何でもやるんだよ。それこそ窃盗から大量殺戮にいたるまで――、世界中の治安組織が〝史上最悪の天性の愉快犯〟とまで呼んでいるんだ」
正体不明の怪人物――、まるで三流の安物小説の様な表現だが、そう言う表現が通じるような得体のしれなさがそこにはあった。ペロはベルに言い聞かせるように告げた。
「君はおそらくこれから社会の様々な場所へ足を踏み入れるだろう。でもね? 今、話して聞かせた連中には絶対に関わらない方が身のためだ。無茶は絶対にしてはいけないからね。たとえ、君の大切な先輩の消息がかかっていたとしてもだ――、君はまだ〝可能性〟を育てる段階なのだから」
「はい――」
それは警告だった。悔しさがあるが、今はそれを受け入れるしか無かった。ペロはベルに暴走せず自重するようにと諭すためにここへと招いたのだ。それはある種の厳しさであり優しさでもあった。
だがペロは言う。
「とは言え、突き放すのはあまりに可愛そうだからね。僕のところでも調べてみようと思う。君の例の件についてね」
「えっ? あ、ありがとうございます」
「でも、世の中がこんな状態だからあまり過度な期待はしないでおくれよ?」
ペロがそう言うのはもっともだと思う。それほどまでに世の中が混沌としているのだ。
「分かってます。特攻装警なんて存在が求められる時代ですから」
「ごめんね」
そうなのだ、この様な時代だからこそ、特攻装警のようなアンドロイド警察官などと言うものが求められ、そして認められるのである。
「でも、私の力の及ぶ範囲でも、少しづつ調べてみようと思います。それこそ、諦めずに可能性を信じて」
その言葉にペロは頷いた。
「うん、マイペースでね。それでいいと思うよ」
そんなときだ二人の足元の地球の上で、とある小さな光点が動いていた。それを見つけてベルが言った。
「あれ? なんだろ? これ」
「ん?」
ベルが指し示す先には白い光を強く放つ光点がある。ふらふらと世界中を漂うように動いている。ペロはそれを視認しながら〝詳細情報〟を呼び出した。そこに断片的に映されていたのは3人の異国の少女たちだ。
「自動収集された情報だな――、でも不明データが多いな、プロセス? 何だ?」
「どうしました?」
「いや、自動集積された情報の中に見慣れないデータが――っと、あ? 消えた?」
光点は不意に消える。それが意味するところをペロは説明した。
「不確定情報だったからデータベースから自動消去されたな」
「なんでしょうね」
「さぁ――でも、これも調べてみるか」
「はぁ――」
ベルは、ペロの思案顔を眺めるしかできなかったのである。