サイドB第1話『魔窟の洋上楼閣都市』Part2 『船上の会話』
東京湾の洋上の最悪の街へと乗り込もうとするアトラスたちの影がありました。
第2章サイドB第1話 Part.2 スタートです。
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グラウザーたちを載せたトラックが首都高湾岸線から降りて少し走った時だ。グラウザーとセンチュリーの体内回線に入感があった。プロトコルに含まれた識別IDをすぐにチェックすれば、それがディアリオからのものであるとすぐに解った。
〔こちら情報機動隊ディアリオ、聞こえますか?〕
そして、すぐに信号を受信すると二人の脳裏にディアリオからの冷静な声が伝わってくる。その声を朝とも共有しようとグラウザーはとっさに特攻装警専用の電子警察手帳を取り出すと、それを受話器代わりにして朝に手渡した。
〔こちら、センチュリー、どうした? ディアリオ?〕
予定にない通信問い合わせに不安を感じながらもセンチュリーは応答する。レスポンスはすぐにも返ってきた。
〔今夜、センチュリー兄さんたちが向かう旧中央防波堤エリアに、アトラス兄さんたちも向かっていることがわかりました。それと、現在の東京アバディーンの状況について知らせておこうと思いまして〕
〔兄貴が? パートナーの荒真田さんもか?〕
〔はい、それに加えて私服捜査仕様のエリオットの姿もあります〕
〔エリオットも? 例の合同捜査の一環か?〕
〔はい、3人でベルトコーネの消息を調査するために潜入するようです。私も遠隔サポートを依頼されています。ですので兄さんたちにも連絡をしておいたほうがいいと思いまして〕
〔それは助かる。もし街なかでいきなり鉢合わせてお互いの正体が露見したりするとまずぃからな。あっちも俺たちがいることは把握しているんだろ?〕
〔無論です。私から連絡しておきました。特に必要が無い限り、顔を合わせても知らないふりをするそうですのでそちらも他人として振る舞ってくれと言っていました〕
警察という組織が複数大勢で、しかも大規模に同時進行で動いている以上、捜査現場となる市街地内で異なる捜査班がすれ違うということは決して珍しく無い。だが、慣れ合った行動を取ることは事情によっては命取りとなる事がある。ましてや東京アバディーンのように剣呑な場所であるならなおさらである。
〔わかった。その辺はこっちにいるグラウザーや朝刑事にも徹底しておく。兄貴達にはくれぐれも気をつけてくれと言ってくれ〕
〔わかりました。お伝えします――、それと現在、私の方で掴んでいる東京アバディーンについての情報ですが〕
〔頼む――〕
ディアリオの問いにセンチュリーはシンプルに答えつつ、グラウザーと朝にも視線で合図を送る。ディアリオとの会話を同時に聞いており、センチュリーの意図を理解してふたりとも頷いていた。
〔ディンキーの所有していたマリオネットの生き残りであるローラとベルトコーネ、このうち、まずローラは東京アバディーンの中に潜んでいることがほぼ確実なのは兄さんたちも知っていると思います。ですがアバディーン市街地内において、ローラ自身がどの様な状態にあるかは未だ判明していません〕
何しろアバディーンの街中で起きている事実を把握することは並大抵ではない。外国人の不法滞在の犯罪者ならとりあえず東京アバディーンに潜り込むことができれば半分は逮捕から逃れられた様な物なのだ。ましてや潜伏者が一体誰に保護されているか、どこに潜んでいるかなど、東京アバディーンの外で推測することは不可能に近いのだ。
〔当然だ、それをつかむために俺たちはこれから潜入するんだからな〕
〔その通りです、ですが、これは情報機動隊と公安での把握情報ですが、ローラを保護している可能性が高い人物が一人、推測されています〕
〔なに?〕
〔これはあくまでも部外秘のデータなのでここだけにしておいてください〕
〔〝そっち〟だけで抑えておきたい特殊情報ってわけか――、公安らしい立ち回りだな〕
センチュリーはため息をつきながらディアリオを皮肉る。刑事警察と公安警察とで情報共有に壁がある事は、戦中・戦前の特高警察の頃からの連綿と続く悪癖であった。だが、その公安側の把握情報が開示・共有されるだけでも劇的な改善であった。
〔すいません――、情報機動隊の更に上からの指示で一般マスコミには一切流せない情報なんです。いたずらに存在が露見すれば社会不安に繋がる――そういうレベルの情報なんです。本来は一切開示はしないのですが、昨今の〝ガサク〟の絡みで公安部と刑事部と連携が強く下達されています。情報取り扱いには慎重を喫してください〕
〔わかってるよ。でも今はどんな情報でもありがたい。頼む教えてくれ〕
同じ特攻装警と言えどディアリオは実質的には公安側の存在である。それが普段から刑事部側の特攻装警と行動を共にしていると言うこと自体が、そもそも異例中の異例であるのだ。センチュリーも、公安警察対刑事警察の対立の事で目くじらを立てる事は、ディアリオを困らせるだけだと言う事を百も承知だ。ディアリオは気分を害することなく淡々と冷静に言葉を続けた。
〔それで、ローラを保護している可能性がある人物ですが、この東京アバディーンを拠点として世界規模の情報犯罪を引き起こしている特S級の危険人物で、本名は不詳、年齢も不明、中国国籍の可能性があるが確証は得られていません。そして、通称名を『神電』と名乗っています〕
神電、日本語読みなら〝シンデン〟中国語読みなら〝シェン・レイ〟となる。
〔シンデン?〕
〔日本人に対してはそう名乗っているそうです。ですが特に親しい間柄だと中国語読みでシェン・レイと呼ばせているそうです。固有スキルは電脳技術――私と同じ対ネットワークシステムに特化した技術の持ち主です。それ故、対機械戦闘に恐ろしく強いと言われています。市販のロボットやアンドロイドなら簡単にセキュリティを壊されてしまう。我々特攻装警も絶対に安全だとは保証できない――それほどの人物です。鏡石隊長や大戸島課長からの意見ですが、もし彼と鉢合わせになったとしても直接戦闘は避けて、まず逃げることを最優先してください〕
逃げる――その言葉に一抹の不快感がよぎるが、それに執着していられる様な土地でないことは十分にわかっていることだった。
〔そんなに危険なのか?〕
〔はい。我々特攻装警の頭脳はマインドOSを搭載した金属製高分子頭脳ですので容易にはハッキングされません。ですが、メイン頭脳以外の体内システムをハッキングされる可能性があります。十分な対抗策が確立されるまでは我々情報機動隊でも接近を避けているほどなんです〕
ディアリオを含む情報機動隊は、情報犯罪対策では日本国内最強である。その彼らが恐れている程なのだ。どれほどの物か分かろうというものだ。
〔分かった――十分注意する〕
特攻装警とて安全ではない――、その事実を突きつけられてセンチュリーもグラウザーも、内心穏やかでは居られない。3人とも張り詰めた表情を浮かべて視線を交わし合っていた。
〔それと、東京アバディーン地区でクラウンと思しきシルエットが出現したとの未確定情報も寄せられています。クラウンが出現する可能性も否定できません。くれぐれも深追いはしないでください〕
〔わかってる。俺とてこのイカれた街で好きに動けるとは思っちゃいない。それに今日は生身の朝刑事や経験の浅いグラウザーも連れている。ヤバイと思ったらすぐに撤退するさ〕
〔それが懸命です。グラウザー、聞こえていますか?〕
情報という力を掌握する者としてディアリオは兄たるセンチュリーに重ねていい含めていた。そして、弟であるグラウザーにも声をかけた。
〔はい〕
〔この街はあなたが今までに足を踏み入れたいかなる場所とも違います。日本の中にあって日本ではない。言葉もルールも人間も、全くの別世界だと言っていい。絶対に独断行動はせずセンチュリー兄さんに従ってください。いいですね?〕
〔そう言うことだ、グラウザー。アバディーン内部に入ったら、俺達は不良グループを装うことになる。兄貴分が俺で、朝とお前がその子分という形になる。その場その場に応じたアドリブも重要になるから十分に頭を効かせろ! お前がそこまで出来るかどうかが潜入捜査を成功させる鍵になる。いいな?〕
グラウザーは二人の兄に突きつけられた現実の厳しさに迷いそうになる。だが、これを乗り越えねば『次』へと進むことができないのだ。グラウザーが抱え込みそうになった不安をしっかりと受け止めたのは、他でもないグラウザーのパートナーである朝である。
朝はそっとグラウザーの肩を叩くと笑いかけながら励ました。
「気負うなグラウザー! いつもと同じだ、俺が先導する。お前はそれをついてくればいい。今はまだお前は俺から学ぶ時期なんだ」
それはグラウザーが朝と一緒に行動するようになってから、何度も聞かされたことのある言葉だった。そしてその言葉が間違っていたことは今までただの一度もなかったのだ。心のなかでひとしきり納得するとグラウザーは朝や二人の兄たちに対してこう告げたのである。
「分かっています。僕はまだ〝ルーキー〟ですから」
それは卑下ではない。冷静に己の立場と能力の限界を理解しているからこそ口にできる言葉であった。目標地点が近づいている。旧中央防波堤エリアへと繋がる海底トンネルへと入ると否が応でも緊張が高まってくる。戦場へと向かう3人へとディアリオはエールを送った。
〔それでは皆さん、ご武運をお祈りしております〕
その言葉を残してディアリオがフェードアウトしていく。荷台の幌の隙間から外を伺えば、トンネルを出れば突入ポイントはすぐだ。最後の意思確認として互いに視線を合わせて頷き合った。
そこは迷宮である。魔窟である。何が出てくるか分からない謎の楼閣でもある。
トラックが信号で一瞬停止をする。それが飛び降りるチャンスである。
グラウザーたちは闇の街へと飛び込んでいったのである。
@ @ @
初春のまだ寒い夕暮れ時の中を一台の覆面パトカーが疾駆する。警視庁本庁庁舎をあとにして一路向かうのは旧水上警察署庁舎。現在は東京湾岸警察署水上分署庁舎だ。
車は首都高1号羽田線を南下し芝浦ランプから降りる。そして、五色橋を渡り、次の交差点を左に折れればその先にあるのが品川埠頭である。東京湾を代表する出入国の管理拠点である東京入国管理局があり、物流拠点の一つとして周囲には名だたる運送企業や海運業者の会社や営業拠点が軒を並べていた。
その品川埠頭の北の端、対岸に東京ベイブリッジの螺旋ループを眼前に望む場所にあるのが、旧東京水上警察署庁舎で、現在は東京湾岸警察署の水上部隊の分署とされているところである。
覆面パトカーに乗車しているのはアトラス以下荒真田警部補と特攻装警5号のエリオットだ。橋を渡った覆面パトカーは巨大なごみ焼却工場の建物を回りこむと、その先にある東京湾岸警察署水上分署へと辿り着いた。今夜の潜入任務に着くためである。
周囲の目を避けるように静かに分署の敷地内へと入る。すると事前連絡が伝わっており、そこには2名ほどの制服警官がアトラスたちを待っていた。二人は覆面パトカーから降りてくるアトラスたちに敬礼で挨拶をする。
「ご苦労さまです」
二人はこの分署の捜査員である。水上分署は東京湾の運河や河川をメインとした領域と港湾部の接岸エリアでの犯罪取り締まりを主任務としている。警察としての取り締まりを行う捜査員の他に、保有する船舶を操作する海技員が居る。彼らは水上から治安の守り手としての役割を担っているのだ。
アトラスは車から降りると制服警官の元へと歩み寄る。そして、敬礼で返礼しながら問いかけた。
「特攻装警アトラスです。今夜の任務へのご協力感謝いたします。早速ですが――」
「ご依頼の〝海上の足〟ですがすでにご準備出来ております」
「こちらへどうぞ」
敷地内の駐車場をあとにして案内された場所は捜査挺が並ぶ接岸設備だ。20隻以上の船舶が並ぶその一番端に古ぼけた旧式なタグボートが備えられている。船内で二人の男性がすでに出発準備を終えているところである。その船に乗船している船員は服装こそ一般市民を装っているが実際には異なる。
「当分署の海技員資格を有した警官2名に操船させます。それと捜査員が2名乗船しております。いずれも偽装船のベテラン乗組員です」
「ご苦労です。ご協力感謝いたします」
それは偽装船舶である。一般の港湾水上労働者になりすますために用意されている物だ。東京湾の旧中央防波堤内にある〝あの場所〟ができてからと言うもの水上での犯罪が多発するようになった。密輸や薬物や不法拳銃の密売はもとより、人身売買のための引き渡しも水上で行われることが多い。だが、捜査用の警察船艇を当たり前に運用していたのでは、あまりにあからさまで警戒されてしまう。そのため、人目を忍ぶ形で航行できる偽装船舶が必要となったのである。
礼を述べるアトラスに警官たちは再び敬礼で答えた。
「ご武運を祈念しております」
警官たちは知っているのだ。現在の中央防波堤付近がいかに危険な水域であるかを。だが、誰かがやらねばならない。あのエリアの内部に足を踏み入れて内部情報を手に入れるのは絶対に必要なことなのだ。
「どうぞこちらへ」
警官の一人が案内する。乗り込む偽造船舶は、普段は大型船舶の補助をするタグボートを装いゆっくりと航行している。無論、外部から見ただけでは偽装船だとはわからない。
桟橋を歩き船へと入る。甲板から船内へと入ればそこが単なるタグボートではない事がようやく分かる。一般のタグボートにはない警察用途の無線設備や犯人制圧用との放水銃設備、あるいは非常戦闘用の銃器類を収納するための鍵付きコンテナなどが備えられているからだ。
2段構造の艦橋は上が操舵室で、下が船員居住区を兼ねた作戦室になっている。その船長がその作戦室の主であり、原則として乗船する警察官が船長である。その作戦室から初老の男性が現れる。この水上警察署のベテランといった風格である。船員用の一般作業着を身につけた彼はアトラスたちの姿を確認するなり右手を掲げて敬礼をした。それを受けてアトラスたちも敬礼で返す。その服装こそ一般船員にやつしているがその身のこなしと視線はまさに警察官の物である。彼は力強い声でアトラスたちを出迎えた。
「ようこそ、特殊監視船『港栄』へ。船長の水神ともうします。皆さんを目的地までご案内いたしします」
「よろしくお願いいたいます。陸上からは今回の目的地に接近するのはかえって難しいので水上安全課のみなさんのご協力が不可欠になります」
「えぇ、十分に承知しております。あの〝水上の楼閣〟がそびえてからと言うもの、東京湾のあの周辺はまるで外国の様になってしまいました。我が水上安全課や水上保安庁でも、解決が困難な事案が頻発しております。特攻装警の皆さんのご活躍には私共も大きな期待を寄せております。そのためには私共にできることであればどんなことでも申し付けください」
船長である水神はアトラスたちに大きな期待を寄せている旨の言葉を告げた。急速に変化し続ける治安維持の状況はここでも多大な影響を及ぼしているのだ。
「ご期待に添えるように尽力いたします」
「ありがとうございます。それでは早速出発いたしますので、到着まで作戦室にて待機してください。上陸地点はこちらで確保いたします」
「よろしくお願いいたします」
「それでは」
その言葉を残して、水神は甲板へと出向いていった。耳を澄ませば乗員たちへの指示が飛んでいる。そして、目的地に到着するまで彼らの技量にすべてを任せることになるのだ。
作戦室を兼ねた船員居住区の一部。すべての席を使えば15人位は入れるだろう。その居住区の片隅にアトラスたちは腰を落ち着けた。その後、数分ほどして船のエンジンがスロットルを開いた。そして、水面を蹴立てて船は一路、東京アバディーンへと向けて舵を切るのだ。
船は進む。夕暮れの薄暗い海へと。そして夜の帳の中で魔窟と化したあの街へと漕ぎだしたのである。
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単調なエンジン音が響く船内、その船員居住区の中でアトラスたちは今日の任務の行動についての打ち合わせを始めた。先に口を開いたのは荒真田である。
「さて、お送りいただいてる間に少し話しとこうぜ。今回の任務についての話はできるだけ俺達だけの間でおさえときたいからな」
「たしかに――」
荒真田の言葉にアトラスが頷く。
「本庁で公安の連中に聞かれるのもあまりうれしい状況じゃないからな」
「だろう? いくら大事の前に小異に目をつぶったとは言っても、相手はあの公安だ。目指す物があまりに違いすぎる」
それは今回のベルトコーネ追跡における公安部との共同作戦に対しての強烈な不満の表れであった。荒真田の指摘にアトラスは言葉を続けた。
「奴らのことだ。ベルトコーネを抑えてガサク対策が目鼻がつけば、また奴ら特有の裏の組織の論理が頭をもたげてくるはずだ。そうなれば、俺たち刑事警察と、奴ら公安警察。どっちが『おいしい部分』を握るかで競り合いになる」
「そう言うこった。俺から言わせりゃ公安なんか〝詐欺師の集まり〟みてぇなもんだ。そもそもが法律を端っから無視したようなことを戦前からずっとやってるんだからな。外側の見栄えがヤクザに見えてたってそれなりにルールに則って行動してる俺たち『暴対』のほうがまだマトモだ」
「同感だ。俺の弟であるディアリオの行動を見てると、公安内でどう言う教育をされてるか大体想像がつく」
「『目的のためには手段は選ぶな。結果として辻褄が合っていればいい』みたいなところか?」
「そうだな。去年の秋口の南本牧埠頭で引き起こした大型トレーラーのハッキングの一件なんか典型的な公安のやり口だからな」
「やっかいなこった――」
荒真田はため息吐きながら、アトラスとエリオットに視線を投げかける。
「お前たちも面倒なところに兄弟を捕られたよな」
その言葉に、アトラスはソファに体を預けながら天井を仰いだ。
「否定はせんよ。いずれもっと困ったことになるのは間違いないしな」
公安に身を置くディアリオ。それがどの様な運命をたどるのかアトラスが抱いている不安と疑念は決して晴れることはないだろう。それまで席に腰を下ろしてじっと耳を傾けていたエリオットだったが、その時、初めて口を開いた。兄であるアトラスと荒真田の方へと視線を向け、とある疑問を投げかけた。
「一つ、お聞きしてよろしいですか?」
エリオットの声にアトラスたちは振り向いた。
「なんだ?」
「先程からおっしゃっている『刑事警察』と『公安警察』その違いとは何なのですか?」
それはシンプルで当たり前な問いかけだった。それは日本の警察特有の〝壁〟であり、日本の警察を2つに隔てる物である。警察の内部に居る者なら常に意識せずには居られないはずである。だが、その問いかけをしたのがエリオットであると言う事実にアトラスはため息を吐かずには居られなかった。
「そうか――エリオットは警備部だったな」
「はい」
「なら、刑事と公安――この2つの違いについて意識することはなかなか無いかもしれんな」
「どう云うことですか?」
アトラスがしみじみと呟けばエリオットは更に問いかけの言葉を吐いた。二人のやり取りの隣で見ていた荒真田がエリオットに教え諭した。
「エリオット、いいか? よく聞け」
荒真田は静かに、そして力強く見つめるようにエリオットに告げた。
「犯罪捜査の現場に出れば、刑事と公安と言う2つの存在について嫌でも意識させられることになる。俺達の〝仕事〟に付いて来るならこの2つの違いは重要になる。必ず頭に叩き込んでおけ」
そして、アトラスは荒真田の言葉が終わると同時に確信となる答えをエリオットへと告げた。
「そもそも――〝刑事警察〟と〝公安警察〟では『守ろうとする対象』が根本から異なるんだよ」
「守ろうとする対象?」
「あぁ」
訝しげに問いかけてくるエリオットにアトラスは頷き返した。
「俺たち刑事警察は、本来、刑法に乗っ取り、違法行為を働く犯罪者から『一般市民の安全な生活』を守るために存在している。これは日本だけでなく市民警察と言う枠組みに居る者なら絶対に守るべき鉄則だ。特攻装警で言うなら、暴対の俺、少年犯罪対策のセンチュリー、捜査部のフィール、そして、所轄になるがグラウザーもこの枠の中に入ることになる。当然ながら捜査する対象はあくまでも刑法を破り違法犯罪行為を犯した〝個人〟の犯罪者であり、あるいはその個人犯罪者が集まって存在している〝犯罪組織〟を刑事訴訟法にもとづいて拘束し、処罰することが最終目的となる。これが『刑事警察』と言うものだ」
アトラスは指折り数えながら自分を含めて4人をカウントする。そして、カウント一旦リセットすると更に言葉を続ける。その時、アトラスが再び指を立てたのは1本だけであった。
「それに対して公安警察は、市民と言う存在に象徴される一般社会よりも『国家という枠組み』その物を守るために存在しているんだ。特攻装警で言うなら、まさに情報機動隊のディアリオがこちらの側に入ることになる。国家と言う枠組みは〝国体〟と言う言葉に言い換えることができる。つまり日本国と言う巨大な存在をそのシステムを含めて護りこれを維持する事が最終目的となる。その最終目的を果たすためであれば〝一個人〟と言う物は彼らにとっては比較的どうでもいいと言う事となる。刑事訴訟法から逸脱したり、違法行為を働いたとしても、公安にとっての最終目的である『国体の持護』と言う成果が導き出せるのであれば途中の過程はどうでもいいんだよ」
アトラスの説明をエリオットは咀嚼しようとする。
「つまり、〝個人〟か? 〝全体〟か? と言うことですか?」
エリオットのその回答を採点したのは荒真田だった。
「まぁ、実際にはもっと細かな部署によって微妙な違いがあるんだが、ほぼ正解と言っちまっていいだろうな。まず――、ひとりひとりの犯罪者を単位として違法行為を働いたやつをとっ捕まえて検察に渡して裁判にかけさせるのが俺たち刑事警察だ。だからやり方はあくまでも刑事訴訟法はもとより、あらゆる法律を守って行動することが求められる」
自らが属する組織の事について荒真田は淡々と答える。だが、口調を変えるように低い声でじっとエリオットを見つめながら荒真田は更に答えを続けた。
「だが、公安は違う。国という枠組みを犯すテロリストや様々な思想犯、あるいは自由民主主義に反対する全体主義者――、そう言う〝国家から見た危険分子〟を常日頃から監視の目を光らせておき、少しでも危険だと判断すればすぐに身柄を拘束して〝国家に対する危険性〟を適時排除していく。やり口は荒っぽく、かつ時には狡猾であり、場合によっちゃぁ犠牲者が出るような行為も平気で行う。監視捜査対象となる組織や団体について内部情報を得るために特別利害関係となる『スパイ』を仕立てる事だってやってのけるんだ」
「スパイ? 警察がですか?!」
「あぁ、そのとおりだ――」
疑問の声を発したエリオットに、アトラスは頷いた。
「昔はそういうのを『エス』とか『桜』とか言って頻繁に行われていたんだ。なんの罪もない一般市民を言葉巧みに仲間として取り込み飼いならし、全幅の信頼が築かれた段階で、捜査員は自分が公安警察である事を突きつけて、公安に協力する以外に道はない事を覚悟させる。そして、スパイ役が疲弊しきって使い物にならなくなるまで酷使する。これによって自ら命を断った公安のスパイ役は決して少なくはないんだ。ただ、その全体像が公正に明かされたことは今までただの一度も無いがな」
「なにしろ、奴らの目的はあくまでの〝国家〟であり〝政府〟なんだからな。〝個人〟がどうなろうと奴らにはどうでもいい事なのさ」
アトラスと荒真田が突きつけた現実――、その重さと困難さを理解したのかエリオットの表情は硬かった。
「それではまるで――全く異なる別な組織ではないですか?」
「そのとおり、まるっきり異なる組織だ。実際、戦前は公安警察は別な名前で呼ばれていて、組織自体も建物も別だったんだ」
エリオットの疑問に荒真田が答える。
「戦前は公安ではなく『特別高等警察』――通称『特高』と呼ばれていた。戦前日本は民主主義ではなく全体主義だったから一般警察よりも特高の方が権限が遥かに強かった。国家を脅かすと判断した者や団体を情け容赦なく連行しては強引な捜査で吊るしあげていった。戦時中は拷問も行われたと言う。それが戦後日本の流れの中で糾弾され解体され、そして、一般警察の中に飲み込まれることとなる。だが、戦後の冷戦対立の中で起きた赤狩りや、学生過激派によるテロ活動、その他、先鋭化した一部の労働運動家などを対象として、刑事警察では対応しきれないケースが増え続けることとなった。そして、一旦は姿を消したはずの〝彼ら〟は公安と名を変えて、再び姿を表すこととなる。それが時代に応じて変節しながら現在まで脈々と受け継がれていると言われているんだ。そう言う連中と肩を並べて捜査活動をする――それがどれだけ大変で困難なことなのか? 分かるよな? エリオット」
それは日本警察の裏の顔であった。そして、目を背けてはならない現実でもある。思わず息を飲むエリオットにアトラスは更に告げるのだ。
「だが、そこで微妙な立場となるのが、お前の所属する『警備部』だ。なぜだか分かるか?」
兄たるアトラスの指摘を耳にして、エリオットは思索を巡らせる。そして、導き出した答えを口にする。
「それはつまり――〝市民生活を脅かすモノ〟も、〝国家の枠組みを脅かすモノ〟も、我々警備部は状況に応じてどちらも対処しなければなりません。捜査活動ではなく『武力制圧』や『武装警備』や『治安維持活動』――その行動のためには刑事警察とも公安警察とも、そのどちらとも連携する可能性があります。どちらが正しく、どちらが間違っているのか? それを私の所属する警備部は、適時、適正に、そして速やかに判断しなければなりません。その判断を誤れば、さらなる問題を引き起こしかねません。だからこそ兄さんは、私をそのどちらにもカウントしなかったのでしょう?」
「そのとおりだエリオット。それこそが今回、近衛さんがお前を我々のところへと預けてきた理由なんだ。分かるな?」
それはエリオットにとり〝師〟とも言える人物から与えられた課題であった。そしてそれはエリオットに、ただ指示を受けるのを待つのではなく、自ら考え自らの意志で行動する存在へとステップアップする事が求められているのだと思い知らされる出来事でもあった。エリオットは得心がいった顔で頷きながら答える。
「うちの近衛課長はかつて兄さんたちと同じ暴対に所属していたと聞きました。にいさんたちが私に突きつけた問題についても課長自身なんども考えあぐねたと思います。そして、それがわかっているからこそ、近衛課長は自分自ら何度も現場へと足を運ぶのでしょう。私もそう言う存在でありたい。いや、そういう存在でなければならない。それが――」
エリオットはアトラスと荒真田の顔を交互に眺めながら力強く告げる。
「今回の私に課された任務なのだと思います」
その言葉を述べるとき、エリオットの目には力強い光が宿っていた。それはいつもの戦闘任務の中で現場へと空中投下され強行襲撃する際に、全てにおいて覚悟を決めた時に浮かべる眼である。
エリオットの言葉にアトラスも荒真田を満足気に頷いていた。そして、アトラスは告げる。
「それじゃ、公安についての講義はこれくらいにして、今夜の現場状況について最後の確認をしよう――」
偽装船の船内で彼らの話し合いはなおも続いたのである。