サイドAプロローグ『マイ・オールド・フレンズ』
新たなる物語は――
『表』と『裏』
――の二つの物語が進みます。
まずは表の物語から語ることとしよう・・・
特攻装警を生み出した第2科警研
その指導者の一人である呉川
彼が再開する人とは?
第2章サイドA・プロローグ
スタートです。
本作品『特攻装警グラウザー』の著作権は美風慶伍にあります。著作者本人以外による転載の全てを禁じます
這部作品“特攻装警グラウザー”的版權在『美風慶伍』。我們禁止除作者本人之外的所有重印
The copyright of this work "Tokkou Soukei Growser" is in Misaze Keigo. We prohibit all reprints other than the author himself / herself
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特攻装警の拠点、第2科警研があるのは府中市の外れである。
おりからの都心構造や交通事情の激変から、横浜・埼玉・八王子・府中などの周辺の都市群が大都市化してから久しい時間が流れていた。
だが、ここ奥多摩の地だけはその時流からは大きくとり残されており、往時のありのままを留めている。多くが自然のまま人間の手の介入は少ない。東京最後の自然の地を荒らすことを多くの人々はこれをよしとしなかったのである。
それがゆえに、道路も施設も建造物も20世紀の頃からはさほど増加しなかった。
森林の奥地に隠されたこの警察庁付属の施設をのぞいて――
そこには表札も施設名もなにも表示されない。
単調な道を数キロ、延々と走ったその奥にそれはある。
周囲の森林に紛れるように、灰色のパネルコンクリートの建物はそびえていた。
その建物、一見すればただの倉庫にしか見えない。だが、それは警察庁の管轄下にある公共施設である。
時は1月末、温暖化が進んだとはいえ、冬はまだ降雪もめずらしくなく、風は斬りつけるように寒かった。
建物の中は半地下式の実験ドックだ。低い外見からは想像できないほど広く高い内部空間を確保している。その実験ドッグを囲うように強化ガラス製の窓ガラスで区切られた観測室がある。
観測室の中に第2科警研の大久保たちの姿がある。大久保の部下だけでなく同じ第2科警研の呉川などの姿も見える。そして、その彼らが見守る実験ドックの中には一人の人物が居る。
彼は常人ならざる風体をしていた。全身が重厚な装甲体でおおわれている。複雑でメカニカルな陰影を宿したそれは明らかに戦闘用に供されるものである。
その彼に向けてマイク付きのヘッドセットを付けた大久保が告げる。
「次! 両脚部レッグパイラー」
ドック内の彼はその指示にうなづく。装甲体の踵から鋭い『杭』が飛び出て彼の体を地面へと固定する。ただし片側だけ――
「起動失敗、右足だけです。左足は制御信号が伝達できていません」
大久保の傍らにいる研究員がそれをデータ端末に記録していく。
「装備装置の制御デバイス回路の制御情報が正しく動いてないな。ノイマン系プロセッサーのプログラムにはバグは無いんだがなぁ――」
大久保は苦しげにつぶやく。傍らの研究員が具申する。
「やはり、メイン中枢とのリレーショナリーロジックでしょうか?」
「かもな、非ノイマン系のニューロ制御ユニットだな」
「メイン頭脳の人格との連携不良ですねー。どうしてもそこでつまづきますね」
「そうだな。装甲体と本体の連携不良の症状の原因はどうしてもそこしか考えられんからな。とりあえず次のチェックシークエンスに移ろう」
と、次の指示を出す。
「次、右前碗部マイクロアンカー」
その声にも実験ドックの彼は答えようとする。
彼が右腕を、遠くにあるターゲットに向けて持ち上げるとその手首にワイヤーアンカーの射出口が見える。だがどんなに沈黙の時間がながれてもそれが反応を見せる雰囲気はない。
「これも起動失敗ですね」
研究員が記録しようとすると別の研究員が声をはさむ。
「いいえ、ワイヤーの制御デバイス回路は起動しています。今度はアンカーを射手する電磁カタパルト装置の起動不良です」
「またか」
大久保は苦々しくも困り果てたふうにつぶやいた。
「やっぱりオプショナルのアーマーギアの制御情報がほとんど正常に作動していないんだな。アイツ自身がどんなに意識してもそれがアーマー側に伝達できない。今度こそあいつの戦闘プログラムが動いてくれたと思ったんだが」
研究員たちも疲労のこもった声で弱音を吐く。
「9度目のトライでやっと正常起動したと思ったんですけどね、まいりました」
「アーマーギアの装着も手動装着ばかりで、けっきょく自動装着させられなかったしなぁ」
そこに呉川が背後から声をかけた。
「やはり、心理的な理由じゃないのかなぁ」
大久保は背後の老技術者をふりかえり答える。
「呉川さんもそうお思いですか?」
呉川は軽くうなづく。
「武装の制御に必要な戦闘プログラムを、ただ見かけ上、強制的に動かしても無理だと言う事なんだろうな。あいつが本気にならなければ――」
呉川の見立てに、大久保はふたたびため息を吐く、そして、眼下のディスプレイ群の中の一つに語りかける。
「教授はどう思われます?」
テレビ会議仕様のそのディスプレイの中には英国アカデミーのあのガドニック教授の姿が見える。ディスプレイの片隅には――【from England】――の表示がある。アクセス先は英国のケンブリッジ、ガドニック教授の個人研究施設からである。
「やさしすぎたんだな彼は」
白衣姿の教授は苦笑いで大久保に答えた。
「戦闘プログラムが独立して存在する他の者たちと異なり、彼は戦闘プログラムを闘争本能の一種として、我々生身の人間と同じように理性や感情で押さえ込むことで制御している。しかし、必要以上に戦う意志を――、闘争本能を押さえこむメカニズムが、彼の心の中に定着しているとしたら? あるいはそれ以前に刑事としての戦いと、アンドロイドとしての固有の機械戦闘の違いとが根本から理解できていないとしたら?」
「やはり教授もそうおもわれますか?」
大久保の深刻な問いにガドニックはうなづく。
「その心の問題を解決しないかぎり彼は戦う事はできないかもしれないな」
観測室に沈黙がおとずれた。
「保留しよう、この問題は」
観測室の窓から実験ドック上の人影を見つめながら呉川が言う。
「どちらにしろ、今回の目的は彼のアーマーギアの模擬機能テストだ。その事はいずれ改めてじっくり解決しよう」
「そうですね」
大久保はうなづく。無駄なこだわりは残していなかった。
「よし、次に行く。今度は戦闘プログラムを使用せずに、制御デバイスをマニュアルコントロールする。アーマーギアのメカニズムが正常動作する事が確認目的になる。」
「装着者の意識への影響レベルは?」
「あくまでも装着者は姿勢維持に専念、われわれはこちら側からアーマーギアのみを操作する」
「了解!」
「操作対象・第9武装『ライトニング・リフレクション』、各自、制御準備にはいれ」
研究員たちが一斉にうなづく中を、大久保はヘッドセットのマイクに叫ぶ。
「なお武装のトリガーは本来なら、装着者の意志でのみコントロール可能だが、今回はここの大型プロセッサーのアシストで模擬トリガー信号をかける事にする。それでは第9武装の模擬動作テストをもって最終テストとする。フォーム・スタンバイ!」
その言葉に呼応して実験ドックの彼が両手を前方へと突き出す。それがその武装を使用する態勢らしい。
「準備よし」
研究員の声に大久保が叫んだ。
「よし! オールシステムスタンバイ! オペレーションタイムチャート・カウントスタート!」
観測室内のオペレート端末の全てがディスプレイの片隅に千分の一秒単位の時間経過を刻み始める。その時間経過に基づくプロセスチャートの手順通りに研究員たちは作業を開始した。
「内部エネルギーシステム・シンクロタイミングチャート正常進行」
「高スピンエネルギードライバー、アイドリングモードからドライブモードへと移行」
「ショルダーリアクターセルパネル展開! 対消滅マイクロジェネレータ作動開始!」
「ショックウェーブリザーブチャンバー正常作動、加圧値上昇中!」
そこまできて、大久保は身を乗り出すと、目前のディスプレイ端末に手をのばす。
「よし、出力エネルギー値を5%に設定、そののちトリガーをカウント開始」
「了解、10秒前、8、7、6――」
そのカウントが0に達したとき、大久保はメインコンソールのリターンキーを引き金代わりに叩く。その時、彼らの視界には銀色の閃光がターゲットに向けて直線を描いた。
長い沈黙と共に重い空気がおとずれる。
「テストターゲットの破壊確認、アーマーギア内の各作動箇所に異常箇所、危険箇所、いずれも認められません」
その答えが観測室に安堵をもたらした。静かなため息が全ての人々の口から漏れた。そのため息を労うように呉川が告げる。
「とりあえず。最後のテストだけは成功だな。大久保」
「はい」
だが、呉川に返される大久保の声は元気が無い。その訳を通信ディスプレイの向こうのガドニックが教えた。
「しかしこれではっきりしたな。アーマーの不調が装備そのものにあるのではなく、彼の側にある事が。有明で目覚ましい成長を遂げた彼だが、第2の成長停滞と言うべき状況だろう」
「はい、僕もそう思います。これを乗り越えるには有明での一件で判明した通り、シュミレーション的な仮想体験よりも、よりリアルな実体験が有効だと言うのは分かっているのですが――」
「戦闘の実体験か――、それはそれで難しい物が有るな」
「はい――」
大久保は今日の実験で感じた迷いと不安を振り切るように顔を振り、ヘッドセットのマイクに告げる。
「よし、これで終了だ! メットを取っていいぞ!」」
アーマーギアのメットをぎこちなく外す。そこからのぞいたのは、親しげなほほ笑みが浮かぶいつものあの顔だった。呉川が大久保にヘッドセットを求めて、そのマイクに向けて告げる。
「ご苦労だったな! グラウザー!!!」
実験ドックの中からグラウザーが笑顔で手を振っている。そして、その体に装着した2次装甲体のであるアーマーギアのセットを、手動で取り外していくのが見える。
その光景を大久保たちは眺めていた。そして、ディスプレイの中のガドニックに向けて呉川が告げた。
「しかし、教授。あなたがたには本当にお詫びしなければならない」
「何のことだね?」
唐突な言葉にガドニックが訝しげに答える。
「例の逃亡マリオネットのことです」
呉川が深刻に答えればガドニックは平静な表情のままであっさりと答えた。
「あぁ、ベルトコーネの逃亡のことかね。気にすることではないよ」
そう答えるガドニックの顔は努めて穏やかだった。そこには意図的に明るく振る舞う素振りはなかった。
「そもそもだ。首謀者たるディンキーはもう居ない。逃亡に成功したとはいえ彼自身が英国人への憎悪を持っていたとは考えにくい。彼にかぎらず、マリオネットたちはディンキーに忠誠を誓っていただけであり、その忠誠の対象が居ない今、彼らが英国人や白人たちにテロ行為を働く理由がない。第一、今現在に至るまで彼が日本国外に出て行ったとする証拠は何一つ出ていないのだろう?」
「それはたしかにそうですが――」
「ならば、気に病むことではない。君たちを含めて日本の警察諸君はベストを尽くしてくれた。それから先は世界中の関係諸機関で対処すべきことだ。むしろ我々が心配しているのは“彼”の事だ」
ガドニックの言葉に大久保が告げる。
「グラウザーですね?」
「そうだ。ベルトコーネはグラウザーに敗北している。彼ほどに戦闘にプライドを持つ存在ならば我々よりもグラウザー君に執着を持ったとしても不思議ではない。そのためにも何としてもこの2次装甲体の完成を急がねばならん。私はそう思うのだ」
ガドニックの言葉は至極正論だった。呉川たちの無用な謝罪と心配をやんわりと拒否しつつ、今、優先すべきことを改めて提示してきた。その言葉に大久保は答えた。
「それではあらためて、戦闘訓練のプランを練り直そうと思います。教授もご協力ありがとうございました」
大久保が礼を告げれば、ガドニックも画面越しに頷き返した。
こうして、グラウザーの戦闘装備のテストは不調のままに終わったのである。
@ @ @
彼らが帰りじたくを終え帰途についたのはすでに日が暮れた5時ごろの事である。
2台のワゴン車に分乗して、大久保らは一路第2科警研へと帰投する。
だが、一本の樹上から、彼らの様子を見下ろす1つの視線があった。
森林地帯の細い道を走り抜ける彼らを、デジタルカメラの超望遠型レンズが見下ろしていた。
「あの子、やっぱり警察が絡んでいたのね」
一人の青年女性がつぶやく。
「このあいだの有明ビルの取材で見かけてから何か変だと思ってたんだけど、ここを張ってて正解だったわね」
賭けが当たって、彼女の声も弾みがちだ。
「これで裏が取れたわ。警視庁の謎のセクション『第2科警研』の一端」
無音動作のオート連写モードに一眼レフデジタルカメラを設定したまま、彼女はリモコンシャッターを押し続ける。遠慮の無い無断撮影が薄暗い樹上で行なわれていた。そして、ワゴン車が走り去ったそのあとで彼女――“面崎 椰子香”――は樹上から降りてくる。
使いざらしのジーンズルックに彼女は潜入撮影の器材を満載していた。そしてカメラからメモリーカードを取出しつつ言う。
「これで第2科警研の情報も、いつでもウリに出せるわ」
面崎は歩き始めた。ここから離れたところの薮に愛車のバイクが止めてある。
彼女はさらに『ネタ』の商品価値を深めるべく行動を開始した。
@ @ @
それから2時間がたった。
午後7時をすっかり回り、周囲は夜の帳のなかにすっかり入りこんでいる。
やっと帰還できた大久保たちを待っていたのは意外にも布平班の金沢だった。大久保は彼女に問うた。
「あれ? ゆきちゃん、なぜ一人でここに?」
レクリエーションルームで一人、彼女は丸テーブルの上に様々な画材を広げていた。
その中には特攻装警のフィールをモデルとしたファッションイラストも数点ある。
彼女は大久保らに気付かれて照れ臭そうにそれらをかたずけている。
「あ、今、実働試験中のフィールの姉妹機の関連資料です。外見デザインの調整と、業務用のコスチュームも仕上げに入ったんで」
「そうか、ゆきちゃんの担当はそっち方面だったな」
「はい」
ゆきは呉川の声にコクンとうなづいた。照れ臭さのなかに喜びが交じっている。
「それ、F班の仕事?」
「それもありますけど自分の本来のお仕事のもあります。フィールが成功してから、アンドロイド関連で協力依頼が増えてるもので」
ゆきはF班所属だが嘱託職員扱いになっている。彼女本来の仕事である生活環境工学や服飾文化研究家としての活動も平行して行っているためだ。彼女が本来所属していた大学を休職して第2科警研に参加しているのだが第2科警研以外の仕事も依頼されることもある。特にアンドロイド関連の外見デザインやコスチュームについてのアドバイス依頼が急激に増えていた。いずれもフィールの成功によるものだった。
「そうか、大変だな」
「いえ、好きな仕事だからそうでもないです。あ、わたしもそろそろ帰ります」
そう言いつつも、金沢はあらかた片付け終えていた。いつもながら作業の手際が一番早いのが彼女の取り柄の一つだった。立ち上がろうとする彼女に大久保が声をかける。
「ねぇ、よかったらみんなと一緒に飲みに行かない?」
「あ、ひょっとしてグラウザーのテストの打ち上げですか?」
大久保は金沢の問いにうなずきで答える。
「来るかい?」
「はい~!」
金沢はバッグを抱えてうれしそうに立ち上がる。決して酒に強くはないが、人の輪の中に入るのは彼女は何よりも好きだった。そんな時、彼らに声がかけられる。
「班長! 後片付け終わりました!!」
大久保は、わかったと声を返すと、金沢を一行の中に加え一路第2科警研を後にする。
その第2科警研からそれほど離れてはいない場所、駅で2つほど移動した場所にそれなりの規模の繁華街がある。
第2科警研のある府中は周囲を様々な種の企業施設に埋めつくされた新産業エリアだ。
21世紀になり中央リニアが開通して以来、新たなる都市スポットとして横浜や池袋などに比肩する程の大情報都市へと変貌しつつあった。それゆえに、近在の色々な企業の技術者・エンジニアたちがその界隈に定番コースで流れてくる。
その店「こずえ」も、そんな種の店の一つで、とりわけアンドロイド・ロボット関連の技術者には名の通った店である。
大久保たちはのれんをくぐり店に入る。意外と広い店内にはカウンターや和風のテーブル席のほか、畳み敷きの和室もある。その和室の一角には第2科警研の幹部技術者である市野の姿もあった。
彼は部下の技術者を一人連れて先回り待っていた。
だが、ほとんど酒に手を付けずにシラフで待っていたのは彼なりの礼儀らしい。
市野が手を振って大久保たちを歓迎する。そして、一行は座敷へと集まって行く。
それから座にグラスが一通りまわった頃だ。
「失礼、ひょっとして呉川か?」
彼らの座敷を覗きながら声を掛けてくる人影がある。一同、何が起こったのかはすぐには理解できないでいる。だが、一人呉川だけはその声の主に記憶の一致があった。
「菱畑?」
呉川の発する声に人影は大きくうなづいた。
「おまえ、なんでここに?!」
「何ででもいいだろ! それより何年ぶりだよ!?」
「8年……いや12年ぶりか? それより以前に会ったのはどこでだったかな!?」
「俺が愛知の方に転勤になるときだろ? それより呉川――」
「なんだ?」
「老けたなぁ!」
[お前もだろう?!」
「お互い様だよ!」
その二人のやりとりを第2科警研の連中は呆然としてみていた。彼らをかやの外にして唐突に始まった再開劇にはみな立ち入ることはできなくなっていた。
呉川もその事をすぐに察して背後をふりかえる。
「紹介するよ、俺の高校時代からの友達の菱畑だ」
遅ればせながら、と菱畑は断りつつも自己紹介をする。そして呉川が言葉を足した。
「申し訳ないが少し席を外させてくれないか?」
「はい、どうぞごゆっくり」
大久保が呉川の本意を察して答えを返した。それに感謝するように手を振って呉川はその場を後にする。
そこそこに広い店内の中、窓際のテーブル席に4人の男たちが座っている。
彼らは菱畑の姿が戻ってくると、呉川の姿を見てこう声を掛けてくる。
「主任、その方は?」
「紹介するよ、俺の古い親友の呉川だ。たまたまこの店の奥で飲んでたんだ」
今度は菱畑が呉川の事を紹介する番だった。菱畑の紹介に彼の部下が頭をさげる。
そして呉川が用意された丸椅子に座ると、菱畑は彼にたずねた。
「そうだ、おまえ何をしているんだ?」
「あ? 俺か?」
そこまで尋ねられて呉川は言葉を詰まらせる。ほんの少し逡巡してトーンを押さえてみなに答える。
「ん~、役所がらみでアンドロイドの研究をやらせてもらってるよ。ま、事実上の宮仕えってところだ。今日きてたのは俺の部下たちだ」
「そうか」
菱旗は呉川の微妙な言い回しを問いただすこと無く受け流す。そして、菱畑は一息おいて逆に呉川に向けて言葉を発した。
「そうだ呉川、紹介するよ。俺がいま指揮をとってるリニアモーター列車の開発チームの幹部メンバーだ、皆十数年来の付き合いだ」
菱畑の声に導かれて、様々な顔が呉川に向けて礼をする。若い顔もあれば菱畑や呉川とさほど離れていない顔もある。ただ、その人数の少なさが、逆に彼らの結びつきの強さを醸し出していた。
呉川はさらにたずねる。
「リニアモーター? JRのマグレブか?」
「いや、違う」
「違う? じゃあ、HSSTか?」
そこで菱畑はいたずらげな笑みを浮かべる。
「な、呉川、関東サテライトリニアって知ってるか?」
「馬鹿にするなよ、それくらい知ってるさ。横浜・八王子・埼玉・千葉など、関東の大規模都市を巨大な環状線でネットする高速列車網だろ? 有明1000mビルとならんで騒ぎの的になってる。知らないほうが変だ」
「うれしいなそこまで言ってくれると……実はな、俺がいまやっているのは、そこの開発研究の総指揮なんだよ」
「ほうそうか――え、なに?」
めずらしくも、呉川はその口を半開きにしていた。彼らしくもない驚きの表情だ。
そのショックを押さえ込んで呉川は彼らに問う。
「サテライトリニアって、あのあれを? お前が? おいっ……数百億規模の巨大開発だろ? その指揮をお前がやっているのか?」
「正確には列車に関する技術開発がメインだがな。鉄道小僧のコケの一念さ」
そこで、呉川は黙って右手を差しだした。菱畑もその手の意味をすぐに悟り、同じく右手をだし返した。二人は何も言わず手を強く握り合う。やがて、感極まった呉川の口から言葉が漏れた。
「大望成就だな! おめでとう」
「ありがとう、呉川」
脇から菱畑の部下がビールビンを差しだしてきた。
「呉川さんもどうぞ。今日はその研究完成の打ち上げなんです」
呉川の前には座の者が気を利かせて用意したグラスがあった。彼はそれを遠慮無く手にとり乾杯にあずかる事にする。
「それじゃ、みなの夢の実現と、お前との再開を祝って」
そしていくつかのグラスが鳴る。
呉川と菱畑……再会した親友同士の最高の一時の始まりである。
話と話に花が咲く。記憶の空白を埋めていくかの様に互い互いの個人的事情を少しづつ開かしあっいく。そして、その過程の中で、忘却の彼方に消えた思いがけぬエピソードが蘇ってきたりする。
だが、親友同士の再開劇にはそれすらも暖かく感じられる。
「それにしても驚いたよ、医者になったはずのお前がアンドロイドの研究に鞍替えしてたなんてなぁ」
「いろいろと複雑な事情があってな。医者よりもこっちの方がかえって弱い者を助けられるんだ。それに医療用の技術としてフィードバックできるものが大きいんだ」
「そうか」
「でも結構、楽しいぞ。意外な収穫もあったりするしな」
「収穫?」
「おぉ、そうだ。俺の部下も紹介するよ」
呉川は店の奥の大久保たちに声をかける。その声に導かれたのは大久保のほか、市野や金沢ゆきなどの面々で、グラウザーも混じっていた。
菱畑たちの座っていたテーブルに他のテーブルがつなげられた。そこに大久保らは並んで座する。グラウザーは呉川の隣に静かに黙って座っていた。そして、居並ぶ面々どうしで各々自己紹介がなされていく。
素材開発の市野、サイバネティックス学の大久保、そう大まかに専門分野だけを語ることにより、その素性の中の第2科警研にからむ部分は巧妙にオブラートされていた。ことに市野も大久保も、エンジニアとしての名前はそれなりに知れ渡っていたし、市野は昔の大学教授の肩書きが彼の知名度や理解の度合いを深めていた。そして、グラウザーについては第2科警研で働いているメンバーとだけ簡単に話した。
当然、金沢についても説明がなされた。その彼女とアンドロイド開発とのつながりには菱畑たちも意表を突かれたようだ。
そもそも彼女はファッション関連の活動をする傍ら人体工学や生活環境工学の研究をしてきた人物である。アンドロイドと言う世界の技術概念からは門外漢だが、その彼女の技量は間違いなく特攻装警たちの対人コミニュケーションスキルを向上させることに一躍買っている。
第2科警研で、アンドロイドたちのファッションコーディネートやコスチュームデザインなどがメインだが、顔面での表情機能やより自然な仕草や身のこなしなどについて、この娘の存在は第2科警研の中では意外なまでの力を発揮していた。
そして、その事をスムースに説明してくれたのは大久保であった。
「――アンドロイドを人間社会に浸透させて行くためには、より人間的なコミニュケーション能力の獲得が必須です。俺達みたいな技術屋では頭の回り切らない、外見デザインやボディーランゲージ、あるいはファッションセンスとか――彼女はそう言う人間らしい技術でアンドロイドをより人間らしくしてくれるひと……そんなふうに思いますよ」
「え――、それほどでもないですよぉ」
そんな大久保の丁寧な紹介に、金沢はいつもながらのとぼけ口調で照れていた。そして、当然の流れとして菱畑らの紹介へとつづく。呉川の口から、菱畑らがリニアモーターのHSST開発に関わっている事が出た時、ゆきの口からボケが出た。
「あの、リニアモーターって」
「ん? なんだね?」
「磁石で浮いて走る電車の事ですよねぇ?」
大久保と市野が苦笑いしつつ言う。
「いや、たしかに間違ってはいないが」
「でも、そら簡単すぎやで、ゆきちゃん」
「え~~、そうなんですかぁ?」
地で素直なボケが彼女のかわいいところだ。だが彼女のズレた疑問に答えてくれのは、本家の専門家である菱畑だった。
「リニアモーターってのはね、つまりはこう言うことなんだ」
菱畑はテーブル上の箸たてから割り箸をひとふり取り出す。そして、それを割り一本を短くすると、長い方の上に短い方を重ねてテーブルの上に置いた。
「この下に置いたほうがレールで、上の短いほうが列車だ」
金沢はうなづく。
「ここで回るタイプの普通のモーターを思い出してほしい。知っているね?」
「はい、磁石の中で中でコイルが回ってるあれですね。昔、学校でやったのを覚えてます」
「うん、その中のコイルを広げたしたのがこの列車、そのモーターの周りにあった磁石が長く真っすぐに引き伸ばされたのがレールの方さ」
「真っ直ぐにするって言うと……平たくするんですか?」
菱畑が金沢の感の良さに満足げにうなづく。
「そう、中のコイルはN極S極が自動的に切り替わる。そして周りの磁石をひっぱったり、弾いたりして動いている。リニアモーターはそれを回すんじゃなくて、直線に動かして、そのまま列車の動きに使おうとしたものなんだ」
「なるほど。分かります」
菱畑の丁寧な説明に、金沢は心底感心している。
「そして、それをさらに磁石の吸い付く力や弾きあう力でレールから列車を浮かせたのが、実際のリニアモーター列車だ」
「ん……」
ふとそこで金沢は気付くものがあったらしい。菱畑に訊ね返す。
「吸い付けるのと弾きあげる、どうして“2つ”あるんですか?」
「ん? ん~それはだね」
だが、菱畑は言いにくそうにする。それを察して呉川が語りだす。
「日本のリニアモーター鉄道には大別して2つあるんだよ。JRが造っていたマグレブって言うと、菱畑たちの会社が造っていたHSSTとがね」
「HSSTとマグレブ」
「弾き上げるのはマグレブ、吸い付けるのがHSST、わかるね?」
「はい」
金沢がとりあえず納得の声をあげる。その脇の菱畑らの部下の表情には、自分たちの手懸けているものの名前が出たことにかすかなうれしさが表れていた。
「各々に一長一短がありどちらが優秀とは言えないと思う。だが、安全で性能がいいのはHSSTの方だと儂は思うね」
「え――、どうしてですか?」
「マグレブは構造が複雑でね、列車じゃなくて、レールの磁石の方を操作して列車を走らせてる。それに、材料が恐ろしく高くて建設費が馬鹿にならない。既存の新幹線の数倍以上と言われているんだ。
それにマグレブは反発させるから磁力線が外に漏れるという致命的な問題がある。ペースメーカーなどの医療用の機器を使っている人などからすれば、本当に死活問題になってしまう。公には、それらの問題はクリアされたと言われているが、一部のマスコミからは疑問の声が出ている」
「へー」
「それにマグレブは最高速度性能が高いが、その分、低速が苦手でね、どうしても長距離間での使用に限定されてしまうんだ」
呉川の説明に金沢は頷いている。呉川は言葉を続けた。
「反対にHSSTは――菱畑、これはお前が話した方が早かないか?」
「そうだな」
菱畑は落ち着いて息をつく。
「マグレブは超伝導と言ってね特殊な冷却コイルを使っている。これに用いる液体ヘリウムなどの冷却剤が非常に高い。それを取り扱うための関連設備も必要になる。マグレブは全体がこう言った高級品の固まりだといっていい。とてもではないがここまでいくと、おいそれとそう簡単には路線は造れない。しかし、わたしたちのHSSTは基本的に特殊な技術は何一つ使っていないんだ。磁石からレールから車体にいたるまで全てね」
特殊な技術をおごることよりも、身近な知恵を菱畑らが駆使しているいる事をゆきは理解した。
「そして、もともとHSSTは街の中での地域交通の鉄道を造るために考えていたんだ。静かで…早くて……そして、簡単に安く丈夫に造れる。それが一番の目的だった。わたしたちはそれを追求するために研究を続けてきたんだ」
いつしか、金沢はグラスを手に身を乗り出し気味に聞き入っていた。周囲も呉川と菱畑のリニアモーター鉄道講座を、酒のさかな代わりにして盃の数を増やしていく。
「実を言うとね」
そして菱畑は機会を待っていたかのようにうれしそうに切り出した。
「わたしたちのHSSTはね、今度、関東サテライトリニアラインとして大きく完成することになったんだよ。それも世界最高速の超々特急としてね」
「世界最高速……ですか?!」
「すごーい」
大久保とゆきが簡単の声をもらす。世界最高という言葉に聞き入る物があったらしい。だが、市野がそれに口を挟む。
「ちょっとまってや。HSSTって速度面でマグレブには追いつかんのとちゃうん?」
「たしかにそうです。今まではね。ですが現在わたしたちが走らせようとしていたのは、HSSTの高速改良型である『HSSTⅡ』なんです」
「HSSTⅡ?」
菱畑がうなずき、周囲の部下の一人が気をつかって、手元の資料をテーブルの上に差し出した。
「車体自体を空力学を応用して揚力発生させて浮上力を強化するとともに、素材の改良などで磁石性能を強化、これまでの技術的課題のブレイクスルーに成功したんです。その結果、現在では理論上は最高速で600キロは行けます!」
「600かいな? 随分と大きく出はりましたな!」
「すごーい!」
テーブルの上の資料にはブルーメタリックに輝く未来的なフォルムの列車の写真があった。その車体にはHSSTⅡと誇らしげに印してある。それは決して虚構ではない。
「マグレブが苦手とする低速域ではHSSTがもともと有利だ。それにプラスして超高速域でも性能を発揮できれば都市内交通から、長距離間交通まで幅広く展開可能だ。これがうまく行けば日本の鉄道――いや、世界の鉄道はリニアへとモーダルシフトを起こす」
「へー、そこまでいけたらほとんど航空機とためをはれまんなぁ。よくそこまでできたもんや」
「じゃ、次のライバルはJRじゃなくて親会社の航空会社か? 菱畑」
「く、呉川! それはちょっと」
菱畑は狼狽えた。さすがにそれは洒落になってないコメントだ。
「でも、そこで満足せず速度1000キロの世界にも行ってもらいたいものだな」
「1000キロ、マッハですか?」
「そこまで行けますかね? 主任」
呉川の突然の提案に、菱畑の部下が疑問の声をあげた。それが引き金になって菱畑とその部下たちは議論を始めた。
「常識的には無理だが――」
「そこまでの速度だと空気抵抗が問題になりますね」
「低圧チューブ列車にすれば――」
「いやいや、航空機技術を転用して――」
「本体の空力と遮音壁技術を組み合わせて――」
「流石に難易度が高すぎるなぁ。1000キロはどうかなぁ」
議論の中で菱畑が苦笑しつつ否定してしまう。だが、呉川はハッパをかけるように告げた。
「何言ってる、やってみろよ菱畑!」
「呉川?」
「HSSTをここまでの存在にしたお前だ。それに例え不可能であったとしても出来ると信じきるのが技術屋の鉄則だろう?」
「出来ると信じきる――か――」
親友である呉川の言葉を菱畑はかみしめていた。そして、その言葉にうなづきながら答える。
「そうだな。それを忘れていてはエンジニアは成り立たん。これは今後の宿題にしてくれ」
「宿題か、おまえ昔から宿題をよく忘れてたろ?」
場から笑い声が大きく沸き起こる。それが長い雑談へと移行するのには然したる時間はかからなかった。それからのち彼らが座を解いたのは2時間あとのことである。
座が散ったあと、呉川と菱畑の二人は、呉川のプライベートの車の中にいた。
しこたま酔いの入った頭で菱畑はそれが無人ドライブである事に気付く。
「あれ? 呉川、お前運転は?」
[MBって言う工業用のマインドOSが載ってる。勝手に動いてくれるよ」
「そうか」
車は一路、帰路についていた。菱畑は多摩市に呉川は品川に、それぞれ住居を構えている。車は多摩市へと向かっている。二人だけのその車上で、呉川はおもむろに切り出した。
「菱畑、何かあったのか?」
「何のことだ?」
菱畑はいい淀む。だが、呉川にはその言葉の裏が見えていた。
「心配事と隠し事のある時、お前は目がかならず泳ぐ。それにJRのマグレブとHSSTの違いの事について言いにくそうにしてたろ? あんなのそんなに困るような質問じゃ無いはずだ。お前……相変わらずウソがへただな」
呉川は笑って親友を説きふせる。その笑い声に菱畑も苦笑いする。
「呉川、お前にはやっぱりかなわんなぁ」
「民間のHSSTとJRのマグレブ、お前はたしか、昔のHSSTが日本航空の下にあった頃から関わってたよな」
「あぁ」
「それからお前は、HSSTがJRのマグレブの影になって注目されなくなっても力を注ぎ続けた。今、おまえのHSSTはやっと日の目を見る事になった。長かったよな」
「HSSTは俺の生涯をかけた夢だからな」
「夢か」
しんみりと呉川はつぶやく。自分自身もアンドロイドに夢をかけた人生を生きただけにその言葉に重く響くものがある。
「なぁ菱畑」
「ん?」
「正直、JRのマグレブが憎くないか?」
「そりゃ、何も感じないと言えばウソになる。途中、HSSTは日本航空が難色を示すようになって、第3セクターで運営していかなきゃならなくなった。ましてや、あっちにはJRと政府組織が後にある。そんな馬鹿でかい相手と競わにゃならんなんて恨んだよ神も仏も何もかも」
オートドライブで走る車の中、後部座席にもたれかかって菱畑はうめいた。
「菱畑、おれで良かったら力になるぞ」
「お前が?」
「天下のJRご自慢のマグレブに喧嘩を売ろうって言うんだ。助っ人は多いほうがいいぞ」
「喧嘩ねぇ。ほんとにその通りだな」
自嘲気味に、ほんの少しやけになって菱畑はつぶやく。
それから少し長めの沈黙が続いた。車が府中市から出ようとしたその時だ。
「ここだけの話だが。友康、お前だからはなそう」
「うむ」
「もともと、JRマグレブの目玉であった中央リニアはひどく不安定な計画でね。JR自身も既存の新幹線による従来どおりの中央新幹線を代替案として密かに用意するほどだった。それに中央リニアは政府与党の鉄道系の族議員が資金援助を渋り続けたことでマグレブの存在は宙に浮くことになる。それに業を煮やしてJRが全額自費で建設を強行したのは有名な話だ。それ以来、JRは地元経済団体や議員連中からの陳情を無視し続けて淡々とリニアを真っ直ぐに引いている。その辺の事情は色々な軋轢を残してしまっているんだ」
「そういや、名古屋から先を奈良経由にするか京都経由にするかで最後まで揉めまくってたな」
「あぁ――、だが、我がHSSTはもともと私鉄路線や市街地路線での営業を目的としていただけに将来の見通しは非常に明るかった。そしてゴタゴタにまみれたマグレブと発展するHSSTとの間で新規計画の熾烈な取り合い合戦が始まった」
「泥沼だな」
「まったくそのとおりだ。特にマグレブを利権化できなかった鉄道族議員と官僚たちの嫌がらせは凄まじかった。ところが、そんな矢先に現れたのが関東ミレニアムプロジェクトの中の関東サテライトリニア計画だ。当然、マグレブとHSSTとで取り合いになった。あれは酷かったよ」
「だが、勝ったんだろ?」
「あぁ、そして、そのきっかけとなったのが、人工頭脳の権威である英国のガドニック教授と彼の私設研究機関である『エヴァーグリーン』との提携なんだ」
呉川は菱畑の口からガドニック教授の名が出たことに内心密かに驚いていた。だがそれを顔に出さずに頷いてだけ見せた。
「彼には私も本当に世話になった。そして、エヴァーグリーンの協力を得ておれ達はHSSTにMBを積む事に成功した。つまりはHSSTⅡは世界発のアンドロイド特急になったんだ」
MBとは正式にはマニファクチュア・ブレインと言い工業用の人工頭脳の事である。
「ひょっとして、それがHSST勝利の理由か?」
「そうだ。だが、もう一つある。引抜きによるマグレブ側の技術の吸収さ。これがきっかけで劇的な改良が可能となりHSSTⅡが有利になったんだ」
「マグレブの技術――超電導技術か、HSSTは常伝導だったな」
「常伝導は磁力性能に限界がある。技術的ブレイクスルーにはどうしても必要だった。今にして思えば引き抜きだけはやめておけばよかった」
「なんとも言えんな。技術競争では引っこ抜きは別に珍しくない。特許権さえなんとかなれば、なんでもありなのがこの世界だ。そんなの当然だろう?」
「あぁ、分かってる。だがしかし、それが仇になった。最近になり頻繁にHSSTサイドに対する嫌がらせ行為が起こるんだ。物理的な妨害に、職員へのイタズラ、毎日のように何かある。訴えたいが誰がやっているかの証拠も出てこないから手のうちようがない」
「犯人たちはそれを分かってやってるんだろうな」
「あぁ――、俺の部下たちもかなり憔悴している。辞めたがっているやつも居るくらいだ」
呉川は菱畑の顔を伺った。その疲れきった表情に、深刻さが伺える。
「こんどの開通式で、何か大事が起きなければいいのだが」
呉川は沈黙していた。そして、親友の語った言葉に静かに耳を傾けていた。やがて彼は、今度は自分の方から話し始めた。
「そういや、このあいだ、有明の1000mビルで起きたビル爆破事件……覚えてるか?」
「たしか国際サミットの会場で起きたんだったな。それがどうかしたのか?」
「その時テレビ中継か何かでアンドロイドの姿を見てないか?」
「ああ見た、はじめてだよ。特攻装警って言うんだってな。日本の警察もとうとうここまで来たのかと驚いたよ。でも、それがどうかしたのか?」
呉川の唐突な質問に菱畑は戸惑いながら答え返した。そんな彼に呉川は真剣な顔で答えた。
「俺は今、あれを造ってる」
「なっ……!?」
多くの言葉は帰ってはこなかった。ただ、驚愕の度合いだけが言葉の短さにこもっている。
「俺が今居るのはただのアンドロイド開発施設じゃない。警察庁の管轄下にある第2科学警察研究所――第2科警研ってところでな、そこでアンドロイド警官の開発研究をしているんだ」
「お前が? 警察に?!」
「警察そのものじゃないさ。やっているのはアンドロイド研究と言う点では、ごく普通のエンジニアさ。だが、造っているのはアンドロイドテロやロボットテロ、あるいは機械化犯罪など、ここ最近頻発している大型凶悪犯罪に対抗しうる戦闘能力を持ったアンドロイドだ。言わば、この国の守りとなるべき者たちを、おれは造っているんだ。そしてな、その内の一人を先程連れていたんだが、お前気付いたか?」
呉川が横目で見つめてくる。だが菱畑は、親友の打ち上げ話を信じられないでいた。
「ア、アンドロイド? 一体どこに居たって言うんだ?!」
「俺の隣」
「隣って――まさか、あの静かにしていた幼顔の若者か?」
呉川は菱畑に対してうなづいた。それに返せる言葉を菱畑は持っていなかった。
「菱畑、おれも今、夢に近付いているんだ。昔、医者に絶望しても見続けた夢にな。あいつはその夢そのものなんだよ」
「そうか」
感慨ぶかげに菱畑は言う。菱畑は親友が医者を辞めた訳を詳しくは知らなかったが、それが彼の夢を揺るがせていていただろう事は容易に理解できた。呉川は菱畑に口調を変えていくぶん素に戻って言った。
「菱畑、今度正式に俺の所に話を持って来い。あいつらに警護させられるようかけあってみるよ」
「でっ、できるのかそんな事が?」
「悪い答えだけは絶対にださんよ」
「すまん」
それは消え入る様な声である。
「それに、お前には卒業式の呑み代、借りたままだったしな」
呉川は明るく笑いながら答えた。そこには親友が心の中に抱えた苦痛を和らげたいがための労りもあった。だが、それは藪蛇だった。
「そうだっけ?」
当然、呉川の顔に刻まれた表情は、少しばかりの驚きと思い切りの後悔である。そして、今度は呉川がぼやく番だった。
「お前忘れてたのか?」
「あぁ、綺麗サッパリ。考えてみりゃ、お前には色々と貸したままだったよな。そうだ、全部思い出したよ。なんで今まで忘れてたかな?」
「忘れてくれないか?」
「それこそ却下だな」
互いの言葉に笑い声が思わず洩れる。そして、その話題が二人の記憶から昔話を連鎖的にひっぱり出してくる。話に花が咲いて行き、話題は興奮を帯びてくる。その興奮が呉川の安全弁をブチ切ってしまった。呉川は菱畑に告げる。
「こうなったら進路変更だ! 鴻二、府中に戻るぞ!」
「え? もう10時だよ!」
「まだ10時!」
「なーんか、高校の頃にもどったみたいだな」
「その言葉が出てきたって事は覚悟は決まったって事だな」
「えっ!? そうまでは言ってな――」
論争する二人に、車のメイン頭脳が放つナチュラルな電子音声で告げた。
《進路変更了解しました。最寄りの府中市街地に向かいます。具体的な目的地を指定してください》
「飲み屋だ。二人で静かに飲める店を探せ!」
《オーダー、了解しました。直ちに向かいます》
それは、呉川には絶好のチャンス、菱畑には悪魔の宣告に聞こえたに違いない。
二人を載せた車は、夜の街へと消えていったのである。

















