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第二章プレストーリー『滅びの島のロンサム・プリンセス』

お久しぶりーーー!!!!!!!!!!!!!



帰ってきました!

いよいよ第二章再開です!

今回よりまた新たなキャラが出てきます!

あの曲者キャラのクラウンも再登場です!


まずは、プレストーリーからです!


本作品『特攻装警グラウザー』の著作権は美風慶伍にあります。著作者本人以外による転載の全てを禁じます

這部作品“特攻装警グラウザー”的版權在『美風慶伍』。我們禁止除作者本人之外的所有重印

The copyright of this work "Tokkou Soukei Growser" is in Misaze Keigo. We prohibit all reprints other than the author himself / herself

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 人の行う企みが、全てにおいて成功するわけではない。

 稀代の巨大経済計画である東京アトランティスプロジェクト。それは多くにおいて成功を収めつつあったが、すべてが成功していたわけではなかった。ある一点において、後世にわたり悪しき足跡を残す事となる。

 その地の名は『東京アバディーン』

 世の人々に『ならず者の楽園』と呼び称される事となる外国人不法居留地である。


 東京アトランティスプロジェクトの前哨戦として日本の警視庁はある作戦を行った。

 新宿や新大久保と言った外国人が多く住むエリアに対して徹底的なローラー作戦を行ったのである。犯罪組織の構成員のあぶり出し、ビザを持たない不法滞在者の摘発、無戸籍で生まれた私生児の保護――、あらゆる犯罪行為や違法行為を徹底的に浄化するために、時には非人道とも言える取り締まりを行った。

 それは一定の成果を収めたが、ある弊害を生み出したのだ。

 不法居住外国人の移動である。

 

 それまで不法外国人が住んでいなかったエリアへと次々に移動していく。

 そして、それを警察が捜査する。


 イタチごっこの末に日本に住んではならないはずの彼らがたどり着いた場所。

 それが東京アバディーンである。


 かつてそこは中央防波堤と呼ばれるエリアだった。

 100万人都市東京から排出される膨大なゴミを集積し処理するための〝夢の島〟だったのだ。

 それが集積場として限界を迎えつつあった時に、オリンピックが開催され、その競技エリアとして開放された。

 人類のスポーツの祭典は大成功を収め、その勢いは東京アトランティスプロジェクトへと発展的に継承されることとなった――、はずであった。

 だが、そこに例のローラー浄化作戦が行われた。

 不法滞在外国人の一部が、オリンピック以後の中央防波堤エリアへと流れ込み始めた。

 

 そこにさらに発生したのが、中央防波堤エリアの土地の不明瞭な転売であった。そこは東京都の管理で生み出された人工の土地であり、当初はオリンピック以後は自然公園として開発される予定であった。だが、自然公園の規模は縮小され、一部が商業エリアとなることが急遽決まった。

 日本国内外の様々な開発業者や不動産業者が入り乱れ、土地の奪い合いが行われた挙句、ステルスヤクザのフロント企業や、多国籍企業に偽装した外国籍マフィアなどがその地に深く根を下ろす結果となった。あとはなし崩しである。


 その地は、有明お台場と江東区の若狭、そして、大田区大井の城南島の3方向から海上橋によってアクセスが可能となっている。だが、現在ではその3つの道を通ることは命の危険があるとさえ言われている。東京再開発において東京アトランティスプロジェクトのシンボルとなるはずだった夢の人工島は、いまではもはや無国籍な不法エリアへと変貌しつつあった。

 東京23区から見渡せる側には自然公園が帯状に築かれ島の内部を隠すシェードの役割を果たしている。その向こう側では外国語が入り乱れ、派手なネオンで飾られ、島の周囲には所有者不明の高級クルーザーと、粗末なジャンク船が浮かぶ結果となった。自然公園はホームレスや不法滞在者が居着く事になり憩いの場としては機能していない。

 今ではその島へと渡る者は不法滞在外国人か犯罪者のいずれかであるとまで言われている。

 かつては大田区と江東区とで領土争いの対象となったが、治安の悪化に伴い暫定的に警視庁の第1方面管区にて管理することが決まる。そして、現在では東京23区の何処にも属さない番外の特別監視対象エリアとされている。


 そこは日本警視庁と日本政府の、外国人対策の失敗の墓標として長く君臨することとなるのだ。

 もはやそこを中央防波堤と呼ぶ者は誰も居ない。

 その島の名は『東京アバディーン』

 後の世まで悪名を轟かせる事となるならず者の楽園である。



 @     @     @



「メリー・クリスマス!!」


 夕暮れ時の街を行き交う人々に声をかけているのはサンタクロースだ。

 赤い衣装を身にまとい白い付け髭をつけた宣伝用のサンタクロース、手にはチラシの束を握っていてチラシとともにお試し品の電子マネーカードを行き交う人々に渡している。

 

「メリー・クリスマス!」


 ここは有明臨海副都心の青海の地。お台場と呼ばれる商業エリアだ。20世紀の末に大規模開発が一度は頓挫したが、その後、奇跡的に開発が進められ、今では東京の湾岸エリアを代表する大規模なエンターテイメントエリアとなっていた。

 時は2039年の12月24日、温暖化の進んだ今日では珍しいが、その日はホワイトクリスマス。ぼたん雪が路面を薄っすらと白く化粧している。青海のお台場の街。テレビ局のビルや大規模なショッピングモールや多種多様な娯楽施設が立ち並ぶ中、街路樹で飾られた遊歩道が長く伸びている。

 その路上で宣伝のチラシと試供品の電子マネーカードを配っているのは、最近になり運行を開始した無人化タクシーサービス会社の宣伝だった。タクシーサービス会社の職員がサンタクロースに扮して宣伝行為に必死だった。既存の有人タクシーとの競り合いになり熾烈な競争下に置かれているからだ。街のそこかしこに即席のサンタクロースが立っている。それは12月24日と言う日を考えるなら、あまりに印象的な宣伝活動と言えた。

 

 その青海の街の路上を一人の人影が歩いている。大人の男性用のコートを肩にかけ頭をすっぽりとフードで覆っている。背丈は150も有れば良いほうで明らかに子供にしか見えない程度だ。コートには雪がまとわりついていてそのシルエットを真っ白にしている。見ているだけでも薄ら寒さを感じるが、その人影はうつむいたままであり、降りかかる雪を払うような仕草は全く見られなかった。

 見本市展示場であるビッグサイトのある有明から夢の大橋をわたって青海へと足を踏み入れる。そのまま人通りの多い遊歩道を、センタープロムナードからウエストプロムナードのある方へと、うつむいたまま歩いていた。誰もが浮かれ気分のクリスマスの極彩色の街の中を、誰とも語り合わず、誰とも手を握らずに、ただ一人だけでとぼとぼと歩いている。

 その足取りには希望は見られない。明日があるようにも見えない。

 ただ、行く宛もなくただ漠然と歩いているに過ぎない。

 ヴィーナスフォートやダイバーシティと言った華やかな商業施設ビルに挟まれたその遊歩道には、エキジビジョンで造られた高さ8mほどのクリスマスツリーが飾られている。気がつけばその人影はイルミネーションで光り輝くクリスマスツリーの真下へとたどり着いていた。

 コートのフードを目深にかぶっていたその人影は、視線を足元から頭上へと移す。そして、その視線の先には純白に光り輝く一つの星がある。ツリーのいただきを飾るトップスターだ。

 人影がトップスターを見つめていると、頭にかぶっていたフードが徐々に滑り落ちる。そして、フードがずり落ちた時、その中から現れたのは一人の少女だった。

 黒髪のショートボブ。色白で緑の瞳。日本人ではなかった。強いて言うならアイルランド系に近い風貌をしていた。少女はツリーを見上げながらポツリと呟いた。

 

「ベツレヘムの星――」


 それは、キリスト生誕の時に聖人が生まれたことを東方の賢者へと知らせた星の名だ。少女はさらにクリスマスツリーに飾られた物を視線で追い始める。

 

「クーゲル」


 少女がまず捉えたのは赤い玉だった。エデンの園の知恵の実であるりんごを意味するものだ。

 

「喜びの鐘」


 次に見つけたのは金色の鐘だ。救世主生誕を祝福するために天上界が鳴らしたものだ。

 

「羊飼いの杖」


 赤白のキャンディーで出来た杖、地上界の迷える羊である人間たちを導くための杖を象徴している。

 

「夜を照らす光」


 ツリーを飾り立てる様々な色の電球の事で、天上界から地上を救うために使わされた救世主を指す。

 

「赦免の茨の冠」


 柊の枝葉で作られた葉飾り。キリストがゴルゴダの丘の上で被せられた茨の冠を表すものだ。それは神が与えた罰を象徴し、人間が持って生まれた原罪からの赦しを意味していた。

 

「永遠の絆」


 赤い布のリボン、お互いが永遠の愛情をもって互いを結び合う絆を意味している。

 

 その一つ一つを眺めるたびに、少女の瞳に涙が溢れてくる。


「ツリーの飾りの意味、教えてくれたのはあのジジイだったっけ」


 汚れたコートの袖で少女は涙を拭う。


「去年はウクライナだったっけ。クリスマスを祝ったの」 


 去年はまだ皆がそろっていた。ジュリア、アンジェ、マリー、ガルディノ、コナン、ベルトコーネ――、そして、ディンキー。一人一人の顔が走馬灯のように通りすぎる。

 

「みんな……」


 彼女の主の名はディンキーと言う。稀代のテロリストにして凄腕のアンドロイドエンジニアだった男だ。雪降る街角でツリーを見上げていると、その脳裏に仲間たちとの記憶が蘇ってきてしまう。


「だいたい変なんだよ。テロリストのくせしてクリスマスだなんて――」

 

 彼女の顔に苦笑いが浮かぶ。口を開けば、英国人への恨み言ばかりなのに、仲間たちの前では敵意の片鱗すら見せない。ディンキーにとって配下のアンドロイド、すなわちマリオネットは部下であり執行者であり、仲間であり、そして、大切な家族であった。

 少女があふれる涙を拭おうとすると、その手にひとひらの雪が舞い降りてくる。そしてその粒のような雪は少女の体温で儚く消えてしまう。

 

 消えた――、白い形は溶け去って一滴の水滴となる。そしてそれは元へは戻らない。

 

「そうだ」


 両掌を並べて器を作る。そして、その器で雪を集めようとする。

 

「そうだよね」


 だが、雪は残らない。少女の体温でそれは片端から溶け去ってしまった。過去は元へは戻らない。

 

「もう居ないんだよね」


 考えないようにしていた。思い出さないようにしていた。だが、どんなに押しとどめても、記憶は何かをきっかけにして必ず蘇る。その記憶は少女にある事実を突きつけた。

 

「あたし、やっぱり――」


 少女は悟った。己が一人であるということを。

 少女の両の頬を涙があふれた。それはもう止めようがなかった。祝福の夜を楽しむ人々が行き交う中、少女はただ一人で泣き崩れた。少女は気づいてしまった。彼女の手を握る者は居ない。彼女と語り合うの者も居ない。仲間として立場を共有し、誇り高く理念を共有することもない。たとえ誰からも理解されなくとも彼らは少女にとって仲間でありかけがえのない家族だった。

 少女は気づいてしまった。そう――、自分はたった一人残された“残党”なのだと。

 

 両膝を地面について座り込む。そして、両手で顔を覆う。こらえようとしても涙と嗚咽は止まることはない。受け入れがたい現実が彼女の心を押しつぶしていた。そして、もう1つの現実、誰も彼女を助けてはくれないのだ。

 

 行き交う人々は泣き崩れるその異国の少女を一瞥するが、誰も足を止めることはなかった。

 多忙だから。目的地があるから。約束があるから。同行している人がいるから。愛を語らう相手がすでに居るから。異国人だから。薄汚れたなりをしているから――

 理由はいろいろとあるだろう。だが、この12月末の湾岸の街を行き交う人々は誰もが冷淡だった。

 

 不意に雪が止む。しかし、空は厚い雲で覆われていて星ひとつ見えない。だが、風が吹きすさんでいないだけ、まだ寒さをこらえることは出来る。だがそのためにはどこかで夜露をしのがねばならない。何処にゆけばいい? どうすればいい? もはや少女は立ち上がる気力すら無くしつつあった。

 なぜなら――

 彼女の心を支える仲間たちはもう居ないのだから。

 

 だが、雪はやんだわけではなかった。少女はふと顔をあげる。そしてそこに彼女に降りかかる雪がやんだ理由を知る事となった。

 

「どうした?」


 それは少年の声だ。

 

「何泣いてるんだ?」


 一人の異国人の少年が、コート代わりの布を片手で広げて少女を降りしきる雪から守っていた。

 色黒いアラブ系の風貌が彼には入り混じっている。少なくとも二国以上の人種の血が交じり合っているのは間違いない。少年はなおも語りかけてくる。

 

「ここ、日本の警察がよく巡回してるんだ。ここに居るとあぶないぜ」

「え?」

「ほら、立って! 俺、温まれる所知ってるから一緒に来いよ!」


 戸惑う少女からの返事も待たずに、少年は少女の右手を握ると強引に引っ張った。

 

「きゃ!」


 少女と大差ない小柄ななりであるのに、少年は見かけによらず腕力があった。少女を簡単に引き起こすとその手をなおも引いてくる。

 

「お前も行く場所ないんだろ?」


 少女はどう答えるべきか迷ったが、少年の問いかけに小さく頷いていた。

 

「なら来いよ。〝向こう側〟に」


 向こう側――、少年が指し示す先にはかつて『中央防波堤』と呼ばれたエリアがある。今は『ならず者の楽園』と呼ばれる治安悪化地域だ。


「向こう側って?」


 少女が戸惑って問い返せば少年は笑いながら彼女の手を引いて歩き出した。

 

「細かい話はあとだ! っとやべぇ! ポリスだ!」


 警らの巡回の警察官が二人一組で遠くから歩いてくるのが見える。まだ二人の存在には気づいていないが時間の問題だった。

 

「行くぜ! 掴まってイミグレに渡されたら逃げらんねぇからな」

「うん」


 少女は涙をそでで拭うと少年とともに走り始めた。何処へ行くのかは分からないがこのまま泣き崩れているよりはマシだった。走りながら少年が問いかけてくる。

 

「俺、ラフマニ。お前は?」

「ローラ」

「んじゃ、ローラ。このまま埠頭の向こうへと走ってくからついてこいよ!」

「うん!」


 不思議だった。あの事件以来、誰に声をかけられても不快でしか無かったのだが、この異国人の少年の声はローラの心に素直に入ってくる。かつての仲間以外でこんなことは生まれて初めてだった。

 二人で手を握り合ったまま遊歩道を駆け抜ける。その途中で、宣伝チラシと電子マネーを配っている宣伝サンタの姿が見えた。通りすがりにラフマニの右手が素早く動いた。

 

「いただき!」


 サンタが小脇に抱えていたチラシと電子マネーの束をまとめて引っこ抜いた。一枚の電子マネーカードは数百円と少額だが、まとめてとなればそれなりの金額になるだろう。

 宣伝サンタが驚き怒鳴りながら追いかけてくる。だが、ラフマニは笑いながら言い放った。

 

「ボーっとして立ってんのが悪いんだよ!」


 そして、そのまま立体交差の陸橋へと差し掛かる。眼下には青海の街を北西から南東へと貫く6車線路が見えていた。

 

「飛ぶぞ!」


 陸橋の欄干に手をかけるとそこから飛び降りる。当然、手を握られたままのローラも一緒に引きずり落とされることとなった。

 

「きゃっ!!」


 驚き青ざめるローラだが、ラフマニは狼狽えなかった。冷静に落ち着いて着地すると両手を広げてローラの体をしっかりと受け止める。

 

「よっと!」

「ちょっといきなり何すんのよ!」

「わりぃ。俺、いつもこうやって追っ手振り切るからさ」


 高さは5~6mはあるだろうか? その高さから飛んでもラフマニがダメージを負ったように見えなかった。ローラは思わずラフマニの脚に視線を向けてしまう。

 

「あなた、まさか――?」


 ローラの問いかけに答えるラフマニの顔は自慢げだった。

 

「すげぇだろ? 本気出せば20mくらいは飛び降りれるぜ?」


 ラフマニはローラを下ろしながらそう誇らしげに語った。マントの下のラフマニはジーンズに厚手の革ジャケットと言う出で立ちで脚には年季の入った革ブーツが履かれている。そして、革ブーツの足音を鳴らしながら青梅埠頭を倉庫街の方へと軽くステップを踏む。

 

「それよりパトカー来る前にバックレるぞ。お前、足速いか?」


 横目で見つめてくるラフマニの視線を見つめ返しながらローラははっきりと頷き返した。

 

「走るのは得意」


 本当なら自分の能力を見せてしまうと正体がバレる恐れがある。だが、今だけは――この眼前の少年ラフマニならば、自分の能力の一端を垣間見せてもいい――とローラは思うのだ。

 

「よし、それじゃ一気に行くぜ」

「うん」

 

 ラフマニの言葉にローラは頷いた。次の瞬間、ラフマニが全力で一気に加速する。その走りは明らかにサイボーグ技術に裏打ちされたものであった。

 なぜ? どうして? 疑問がいくらでも湧いてくるが、今はそれよりもラフマニから離れない事の方が何よりも重要だった。もとより走ることは得意だった。速度の領域ではマリオネットの中では誰にも負けたことは無い。だが今は、ただ昔のことよりも目の前の現実のことだけがローラの心を捉えている。

 軽くステップを踏み、走りだす。

 引き絞られた矢が放たれるように彼女は駆け出すとラフマニの後を追った。

 二人の進む先――、青海埠頭の倉庫街のその向こう――海底道路を越えたその先に一つの街があった。二人の姿はその街へと消えていったのである。

 

 

 @     @     @

 

 

 中央防波堤内エリア――

 かつては東京都から排出される廃棄物を処理するためだけに存在したエリアだった。

 しかし、所定の埋め立てが完了したのちに自然公園が整備され、市街地として開発と発展が図られた。幾多もの理想と願望と欲望が交錯した後に、今では不法滞在在留者の集積地帯と化していた。

 そこに渡るルートは3つ。橋1つに地下トンネル2つだ。いずもが良識ある一般人の渡河を拒んでいた。 

 その島に付けられた名は『東京アバディーン』

 

 巨大経済開発計画『東京アトランティスプロジェクト』により生み出された繁栄の影である。

 今、その地に渡ろうとする2つの影があった。

 ラフマニとローラである。


 青海の倉庫街を抜けると小さな海底トンネルへと繋がる。片側一車線の舗装路――、かつてはここを様々な貨物車両が雑多な廃棄物を積載して通行していた。しかし、自動車専用のその道路を今は人間が徒歩で歩く事があった。

 ラフマニが先を行き、ローラがその後を追う。その二人の走りは速く、乗用車並の速度で1キロ足らずのトンネルを一気に駆け抜けていく。歩道のない車道だけの道路を走り抜ければ、そこはたとえどんなお尋ね者でも『決まり』さえ守れば、居場所を確保することができると言われている。

 ローラは今まさに東京アバディーンの入り口に立っていたのである。

 

 北西と南東とに分かれた人工島の上、二人が佇んでいたのは水路に挟まれた北西のエリアだった。

 北西は自然公園が大半を締めていて、残りは廃棄物の処理施設やリサイクル工場が集積されている。さらにはコンテナヤードや倉庫設備が存在するのだが、この時代では地下潜伏したステルスヤクザや外国人マフィアが巧妙に絡んでいることもあり、それらを所有しているのが誰であるのか、背後にどんな組織関係が絡んでいるかなどは確認することすら容易ではなかった。

 

 ローラが立っていたのは海底トンネルを出てすぐの場所であり、彼女の左側には様々な廃棄物処理施設群が、右手には廃棄物を洋上から受け入れるためのコンテナヤードや貨物施設が並んでいる。かつては東京税関のコンテナターミナルもあったが、今では治安悪化にともなって無人化可能な施設だけを残して別の地に移転してしまっている。

 ローラは周囲を見回しながらつぶやく。  


「ここ――どこ?」


 彼女の問いかけにラフマニは自分のコートに纏わりついた雪を払いながら答える。

 

「東京アバディーン、ならず者の楽園さ。聞いたことあるだろ?」


 だが、ラフマニの言葉にローラは顔を左右に振った。


「知らない。あたし日本に来たの最近だし」

「最近? 密入国?」

「うん」

「何しに? 出稼ぎ? 盗み?」


 ラフマニは右手をローラに差し出しながらあっさりと問いかけてきた。相手が犯罪がらみの存在であることは端から承知のうえであるかのようだ。ローラは迷った、どう答えるべきかを。ただ、偽りを口にしても何の利点もないことも分かっている。いずれバレるからだ。ローラは目線を伏せつつ言いにくそうにつぶやいた。

 

「殺し」


 事実である。それもこの世に生まれた理由ははじめからそのためなのだ。ローラはラフマニに答えながらも己の生まれの邪悪さに罪悪感と嫌悪感を感じずにはいられなかった。その思いはラフマニの手を握り返すか否かを迷う仕草となって現れていた。だが、ラフマニの手は迷わなかった。

 

「へぇ、殺しってテロ? わざわざ海を超えてくるなんてすげえな」


 その声はローラに賞賛と関心の視線を向けながら力強くローラの手を握りかえしていた。島を2つに分ける水路に架かる橋を渡りながら、驚いた表情のローラになおも問いかけてくる。

 

「仲間はどうした? はぐれた?」


 そこに敵意も嫌悪もなかった。ただ、ローラの素性について、同じ空気を吸うかのように何の疑問も抵抗もなく、ただただ当たり前に受け入れているのだ。まるで自分自身もそうであるかのように。

 子供が同じ遊びの趣味を持つ子を他に見つけたかのように、好奇心に目を輝かせながらなおもローラに問いかけてくる。ローラは答えに窮した。すべてを打ち明けていいのか、不安であると同時に、敵意を向けられる可能性への恐怖を覚えずにはいられなかった。

 ラフマニと会い、遠ざかったはずの孤独感と喪失感が再び沸き起こってくる。

 

「それは――居たけど――」


 地面に視線を落とした目元にうっすらと涙のしずくが滲んできてしまう。僅かばかりの沈黙の後にラフマニは残る左手でローラの目元を拭ってやる。その後に彼の口から語られたのは謝罪の言葉だった。

 

「ごめん、やなこと思い出させたみたいだな」


 ラフマニはローラに詫びながら水路の向こう側へと歩き出す。


「でも、悪気があったんじゃないんだ。ゴメンな」

「ううん。気にしないで、もう過ぎた事だから。時間を昔に巻き戻せないし」


 過去は帰らない。それは絶対普遍の現実だ。受け入れがたいが、生きていくには受け入れるしか無い現実だった。ローラがそう答えた時、二人はちょうど橋の真ん中まで歩いてきていた。ローラがラフマニに問いかけた。


「ねぇ、この島のこともっと教えて」

 

 ラフマニはローラの言葉にふと立ち止まる。そして周囲を見渡し、もと来た方向を指差した。


「ここは2つに分かれてるんだ――、俺達がさっき来た北西の方が『穢れの杜』とか『ダストフォレスト』とか呼ばれてる場所で、工場とか倉庫とかわけわかんない建物が並んでて、浮浪者やホームレスとかがねぐらにしてるエリア。昔はハイテクのリサイクル施設とか廃棄物処理のプラントとかあったらしいけど、今は名前だけで中でなにやってんのかさっぱりだ。まぁ、まともな神経のヤツは夜は絶対近づかない場所さ」

 

 そして、向きを変えるとこれから歩いて行く方を指差した。

 

「それからあっちが『絶望の町』とか『デッドエンドタウン』とか『屍街』言われてる場所。盗みやバラシはしょっちゅうだし、気をつけないと身ぐるみ剥がされるなんてよくある。まともな神経の日本人なら絶対に近づかない街だよ」


 水路の向こう側は商業街区を基本とした繁華街だ。高層ビルを基本として多数の雑居ビルが並び、使用目的を偽装した不法滞在用の隠しマンションすらある。怪しげな商業行為と風俗施設が並び、雑居ビルの中の店子は一体何の目的で入居しているのか皆目検討がつかない様な連中がひしめいている。

 大抵が日本語の看板表記と一緒に中国語やハングル、キリル文字にアラビア語と言った外国の文字が併記されている。それらのビルを煌々と照らす毒々しいネオンサインが、その街の異様をあらためて浮かび上がらせているのだ。

 ローラはラフマニに指し示された方に見えた町並みに少なからず恐れを抱いた。

 

「あそこに行くの?」

「あぁ、俺もあそこで寝起きしてるんだ。捨てられた雑居ビルに勝手に潜りこんでるだけなんだけどな」


 ラフマニが屈託なく笑っている。だが、ローラの不安は消えることはなかった。

 

「大丈夫なの?」

「大丈夫って、なにが?」

「その――」


 ローラは言いにくそうに言葉を詰まらせた。彼女自身、何故こんなに不安と恐怖を感じるのかその理由を自分自身でもわかりかねている。おそらくそれは情報としてだけ知識の片隅にあったものが、今、自分の置かれた状況から自分の身に起こりうる危険として実感できるがためだ。 

 その身を震わせているローラを眺めつつも、ラフマニは彼女の不安の理由すらも簡単に見抜いていた。

 

「なんだ、襲われるの怖いのか?」


 襲われる――、レイプのような性的被害が脳裏をよぎっていたことをローラはあらためて自覚した。かつての姉たちと比べて子供のように貧弱な体だったがそう言う暴力的な行為への不安を感じずにはいられなかった。無言で頷き返すローラにラフマニは告げた。

  

「まぁ、こう言う場所だと珍しく無いからな。腕っ節があっても不意を突かれて物陰に引きずり込まれてなんてのもよくある話だし」


 ラフマニはローラの手を引きながら再び橋を渡りだした。そして、歩きながら語り続ける。

 

「この島には何人かの実力者が居るんだ。人種、職業、経歴、出身――、それぞれに特徴があって、仲間になるのに向き不向きがある。自分に見合った連中と知り合いになって庇護下に入らないとこの島でやっていけない」


 実力者――、いかなる場所でも支配関係の力学は存在している。争わずに行きていける場所など、この地上には何処にも存在しないのだ。

 

「判る。どこに行ってもその土地土地で睨みを効かせられるヤツが必ず居るから」


 ローラの脳裏にディンキーと共に流れ歩いた時の記憶が蘇っていた。今まではどこに行っても主人たるディンキーの庇護下と仲間の存在とに守られていた。それが故にこれまで、よそ者であるがための苦労はさほど味わったことはない。だが、今は違う。

 

「でも、そう言うのって一度関わり持つと面倒なんだよね」

「あ、判る?」

「うん。信用してもらえまで手間食うし、このなりだから仲間というより、慰みものにしようとする奴ばかりだし」

「権力者ってそんなもんさ。何処に行ったって弱い奴は食い物にされる。親が居なかったり、仲間とはぐれたりしたらなおさらさ。俺も昔はそうだった」

 

 そう語るラフマニの顔を窺い見れば、昔を思い出したかのように物憂げだった。ラフマニの過去――それがどんなものなのか興味が無いわけではないが今はそれを問う時ではない。ラフマニも深く触れられたくないのか話題を変えるかのように言葉の先を急いだ。

 

「でも、そうじゃない方法もある。俺達みたいに非力なガキどもを無償で守ってくれる。そう言うヤツがこの街には居るんだ」


 にわかには信じられない。そんな酔狂な奴がこの街にいるとは到底思えなかった。

 

「それって―― 日本の警察?」

「まさか! 俺みたいな無戸籍の浮浪児あがりが警察の厄介になんてなれるかよ。見つかり次第、とっつかまってイミグレーションに丸投げされるがオチさ」


 警察のような公的な存在で無いというのなら一体誰だというのだろう? 払拭しきれない疑問を耳にしながらもただ戸惑うばかりだった。


「えっ? でも――それじゃどんな人なの?」


 戸惑いつつ問いかければ、ラフマニはその表情に憧憬のようなものをにじませながら告げる。


「この街の守護神みたいな人。俺達みたいな法の網目からこぼれ落ちた様な奴でも必ずすくい上げてくれる。俺達みたいな親無しの浮浪児にとっちゃヒーローみたいな人さ!」

「ヒーロー……」


 誇らしげに自慢気にその人物のことを語るラフマニの姿にローラは戸惑いと期待との入り混じったような感覚を覚えた。


「まぁ、会えば解るって。でもなぁ――」


 ラフマニは街の中へと歩き出しながら頭を掻く。そして、ボヤくようにつぶやいたのだ。


「――兄貴、いっつもどこに居るのかわかんねーんだよなぁ」


 ラフマニにしっかりと手を握られながらローラはその後をついて行く。そして、二人の姿は極彩色のネオンで彩られた退廃の街へと飲み込まれていく。その二人の姿を見守る視線は一つや二つではなかったのである。



 @     @      @



「まいりましたねぇ…… 姫君はどこにむかわれたのか。せめて足がかりだけでも見つかればいいのですが」


 そこは東京アバディーンの中でも最も高いところに位置していた。ダストフォレストの中に廃棄物処理施設の一つに廃棄煙突がある。近隣の市街区に影響を及ぼさないように、汚染物の除去フィルターを幾重にも重ねた上で、それは数十mほどの高さから無色透明の排煙を昼夜にわたり吐いていた。


 そして――誰も気づかないが、その煙突の頭頂部に一人の影が立っている。

 それはピエロともいう、ジェスターともいう、アルルカンと呼ばれることもある。

 赤い衣、黄色いブーツ、紫の手袋に、金色の角付き帽子、角の数は2つで角の先には柔らかい房状の球体がついていた。襟元には派手なオレンジ色のリボン――、派手な笑い顔の仮面をつけた道化者。彼は自らの名をクラウンと名乗っていた。

 左手を腰に当て、右手を目元でかざして身を乗り出す。その視線の先に誰かを探しているかのようだ。

 

「まったく。ディンキー老のお身内でなければ打ち捨ててしまうところです」


 ぶつくさと愚痴をこぼすかの様な言い方に少しばかりのいらだちが感じられる。

 

「こんなところでウロウロしている場合ではないというのに」


 そう愚痴ると右手も腰にあてて大きくため息をついた。


「流石に、この街に入られては早々簡単には見つけることは困難かもしれませんねぇ。何しろ、ここには〝アイツ〟がいますから」


 アイツと呼び捨てると右の人差し指をこめかみに当てて思案げな顔をする。彼なりに頭の痛い案件のようだ。そして右手をこめかみから離すと視線をこの東京アバディーンの街全体へ投げかけて感慨深げに独り言を始める。

 

「いえ、あの娘がこの街に流れ着いたのはもはや運命といえるかもしれませんねぇ。運命の掃き溜め、欲望の集積場、絶望の廃棄物処理場――、この滅びの島は日本であって日本でない。ここは世界のどこでもない場所。ディンキー老亡き今、あの娘は最後の運命の糸からも見放されたのかもしれません。あるいはもはや――」


 彼の名はクラウンと言う。

 あの有明のビルの中でディアリオを手玉に取った人物だ。その彼すらもこの街の中では悲観的な言葉を吐かざるを得なかった。これからどうするか――、思案をしているその時である。

 

「クラウンたま」

 

 そのクラウンの足元から声がする。声のする方に視線を向ければペタペタと足音を鳴らしてユーモラスなシルエットのお化けガエルが煙突を登ってきている。体の大きさは1mちょっとくらいでそれほど大きくはない。緑の体によく目立つ2つのまん丸目玉。まるっきりのゆるキャラの様である。

 

「おや、来たのですか。イプシロン。どの面下げて私の所に来れるのか」

「あやや、クラウンたま。激おこ?」

「当たり前です、姫君のお相手すらもできないでどうします! まったく余計な手間をかけさせて! ほんとにもう!」

 

 クラウンはデフォルメ口調でイプシロンを叱責した。自らの主人に怒られて、イプシロンもしょんぼりである。

 

「ごめんちゃい」

「謝って済む問題ではありません!」

「しょぼーん」


 まるっきりのコミックのようなやり取りだが一通り怒りつけたおかげで多少は溜飲が下がったのだろう。クラウンの口調が穏やかになる。

 

「しかし、仕方ない面もあります」

「え? どゆこと?」

「あの姫君は不完全とはいえディンキー老のマリオネットとしては究極のスペックを持つモデルです。本当に真の力に目覚めれば我々とて太刀打ち出来るかわかりません。それでなくともあの子の〝力〟は非常に厄介です」

「あのピカピカ?」

「えぇ。光圧制御システム。光量子理論により光を超高圧の粒子として制御し『光の奔流』をつくり上げる。本来は光子ロケットの原理に用いられるものですが、使い方を変えればアレほど理想的な破壊兵器はありません。原子力のような放射線問題もないし、プラズマのように電磁気で防御されることもない。それに加え不完全とはいえ、世界各地の戦場を転戦した経験は伊達ではない。自らが生み出す光を自在に操って最新鋭の近代戦車を真っ二つにする事も簡単にやってのける。あの娘のお守役のお前が無事だったのはせめてもの幸いです。ま、脱走はあるていど想定していましたからまだなんとかなります。今回の事は大目に見ましょう」

「ありがとです」

「いえいえどういたしまして」


 クラウンが許してくれたことをイプシロンが感謝すれば、クラウンも大げさに頭を下げて返礼していた。


「そだ! クラウンたま。ゼータとイオタが来たお」

「おや、彼らもこの国に来ましたか」

「あい。今度のこと話したらもう〝あの街〟で姫さまのこと探してる」

「それはそれは。私達二人だけでは少々骨です。あの子たちなら人探しにはうってつけでしょう」


 クラウンがそう告げた時だ。

 

〔クラウン様――!!〕


 クラウンとイプシロンの耳に可愛らしい女の子の声がする。甘く鼻に抜けるような舌足らずな口調であった。

 

〔おや、噂をすれば。イオタではありませんか〕

〔やほー! おひさし! えっとねぇ例の女の子見つけたよ! 今、ゼータが捕捉して追いかけてる! 何なら捕まえちゃおっか?〕

〔まぁ、待ちなさい。手を出してはいけません〕

〔えぇ? なんでぇ?!〕

〔その子は非常に厄介です。本気で暴れられたらただではすみません。マスコミに知られて警察に動かれても面倒です。うまく説得して話を丸く収めなければなりません〕

〔ふーん、そうなんだ〕

〔そういう事です。お前の現在座標を頼りにそちらに向かいます。くれぐれも無茶をしてはなりませんよ〕

〔はーいっ! それじゃまたね!〕


 まるっきり子供を相手にするようなやり取りを終えるとクラウンはイプシロンに語りかける。

 

「聞きましたね? イプシロン」

「あい! イオタが見つけた!」

「そう言う事です。今から私達も追いますよ」

「あい!」


 クラウンが掻き消えるように姿を消すとそれを追ってイプシロンも姿を消す。それはまるで立体映像が消えたかのように、あとには何の痕跡も残さなかったのである。



 @     @     @

 

 

 そこはデッドエンドタウンの目抜き通りだった。

 ダストフォレストから水路にかかる橋を渡ると片側2車線の大通りに出る。そこから右に向かえば海底トンネルを渡り大田区の城南島へとつながっている。左に向かえば東京ゲートブリッジへとつながり、そこから江東区の若狭へと抜けることが出来る。とりあえず、この片側2車線の大通りだけは通過するだけならなんとか無事に通り抜けることが出来る。だが、不用意に停車して周囲を歩きまわることだけは避けたほうが無難という場所であった。

 

 その道路とダストフォレスト側からかかる橋を渡った所に大きな交差点がある。その交差点の向こう側が東京アバディーンの真の入り口であり、さしずめかつての新宿歌舞伎町の入り口看板の様な場所だといえるだろう。そこから南側に広がる市街地こそが、東京都と日本政府が管理を諦めつつある無法地帯。東京都中央防波堤無番区と呼ばれる場所である。

 

 若狭から城南島へと抜ける4車線路のサイドには比較的安全な一般向けのビジネスビルや物流倉庫が並んでいる。そのビジネスビルが日本の一般市民からの視線を遮るシェードの役割を果たしている。

 

 ダストフォレストから橋を渡りきったローラとラフマニだったが、交差点を一気に渡るとデッドエンドタウンのメインストリートへと入っていく。そして、そこから街路はゆるやかに西の方へとカーブしている。そのメインストリートがデッドエンドタウンを区分けする基準となっている。

 ラフマニがローラを手招きする。

 

「こっちだ」

「うん」


 足早に逃げこむようにデッドエンドタウンへと入っていく。街区の入口近くには防弾チョッキで武装した警ら警官と巡回の盤古隊員が目線を光らせている。彼らの存在を察知して、ラフマニは自分のまとったマントのフードをかぶり、ローラにもコートのフードをかぶらせた。

 

「止まるな。一気に駆け抜けろ」


 警察に声をかけられぬようにあえて赤信号を車の流れを縫うようにして強引に道を渡る。何人かがラフマニたちに視線を向けたが、そのままデッドエンドタウンの中へと入り込んでしまえばそう簡単には追ってこれない。この街では警察すらも相応の戦闘力を持っていなければ身の安全を図れないのだ。

 

「追ってこないね」

「たりまえだ。ここじゃ日本のポリスをよく思っている奴なんか居ないからな。闇討ちされるのがオチさ」

「そうなんだ」

「でも、日本人でないなら、とりあえずは大丈夫。特に何かしらの顔役の庇護にあるならな」

「ふーん。でも、これからどうするの?」

「俺らみたいなガキどものたまり場に行く。そこでアニキのことを聞いてみるよ」

「たまり場って――」


 ローラは周囲の様子を警戒しつつ足取りを緩め、ラフマニに問いかける。表の4車線道路とは異なり、デッドエンドタウンのメインストリートはどこか薄汚れていて、陰気な感じがする。歩道を歩くが目付きの悪い異国人が多種多様にたむろしている。

 壁際によりかかり周囲に視線を走らせているのはスキンヘッドの中華系でフード付きジャケットの下からは神経質に新参者を値踏みするような視線が向けられている。別な中国人が通りかかり際にスキンヘッドの男にわざとぶつかるようにするが、その時二人の間では小分けのパケットに入れられた内容不明のドラッグが渡されているのをローラは気配で読み取っていた。

 

「あまりジロジロ見るな。射たれるぞ」


 ラフマニが低い声で忠告する。

 

「粗悪な密造銃が横行してる。暴発することもある。余計な刺激はするなよ」


 ラフマニの忠告にローラは黙って頷く。並んで足早に歩く2人を、ほとんど半裸に近い売春婦がニヤニヤと笑いながら見つめている。フィリピンと黒人のハーフで髪は黒だが粗末なヘアカラーで無理矢理に金髪にしている。タイトなミニドレスのチープさが彼女の悲惨さを余計に醸し出している。その首には銀色に光る細いチョーカーが巻かれている。まるでそこからスッパリと取り外せるかのように鋭利なシルエットのチョーカーだった。

 若いとはいえ男女二人で歩いているのが気に障ったのだろう。ローラが通りすぎる際にハーフの売春婦がローラにつばを吐きかけた。

 

「!――」


 あまりの不快さに視線を向ければハーフの女はにやりと侮辱の笑みを浮かべて吐き捨てた。

 

「色気づいてんじゃないよ」


 思わず苛立ちを叩きつけたくなるがラフマニはそれを制するようにローラの手を強引に引っ張ってそこから走りだす。

 

「そいつと何回ヤッたんだ? 言ってみろよ」


 あえて挑発するように罵声を浴びせてくるが、それを徹底して無視するラフマニの態度は変わらなかった。

 

「逃げんのかエロガキ!」

  

 それに習うようにローラも足早に走りだした。道がカーブを描いていて2~300mも走れば女の姿は見えなくなる。

 

「なんなのあれ? ストリートガール?」


 ローラが苛つきながらラフマニに質問するが、それに応えるラフマニには何の感慨もなかった。

 

「違うよ。だだの売春婦じゃない」


 歩みを遅くしつつラフマニはローラに視線を向けてきた。

 

「チェインドって言うサイボーグ奴隷だよ」

「奴隷?」

「あぁ」


 ラフマニは周囲を警戒しながら、目的の場所を探していた。メインストリートから入り込む裏路地へと続く道を探している。そのラフマニの語る言葉に驚かざるを得なかった。

 

「首に銀色のチョーカーが巻かれてたろ?」

「うん」

「あれ、処刑用の装置さ。スイッチひとつで始末できる。体内の各部に行動を制限するための特殊なデバイスが埋め込まれていて自由を奪われるんだ。何処に居るかすぐわかるし逃亡も抵抗もできない。所有者に抵抗すれば死ぬより辛い苦痛を与えられる。身も心もボロボロになるまで酷使されて最後はダストフォレストで処分される。脳改造もされてるから自殺も出来ないって話だ。目に見えない鎖で繋がれているって意味でチェインドって言うんだ。首に何かしらチョーカーの様な物が巻かれていのが見分けるポイントさ」


 こう言う退廃的な街だ。裏の商売の風俗女性くらいは居るだろう。だが、それ以上に悲惨な事実を突きつけられてローラは思わず絶句する。

 

「プライバシーも身の自由もない。疲れ果てても休むことすら許されない。だから彼女たちは普通に恋愛している若い女性にスゴい敵意を持つんだ。殺そうと襲ってくることも珍しく無い。ただ、それすらも所有者にモニターされてるらしいから、本当に殺人を犯したらその場で処分される。自爆機能が施されていて爆殺されるタイプを前にみたことがある。とにかく関わって良いことはなにもない。絶対近づくなよ」

「うん」


 同意してローラは頷いた。その間にもラフマニは目的の場所へと歩いていた。

 

「それでどっちに行くの?」

「こっちだ」


 ローラの問いにラフマニは道路の右手を指差した。

 

「外海に近い方に行く。物流倉庫付きの雑居ビルだったんだが、オーナーが自殺してから管理する奴がいなくなって仲間内で勝手に住み着いてんだ。簡単なセキュリティーもあるから夜も安心だ」


 ラフマニが指差す方に2車線道路の脇道がある。そこからさらに南東方向へと向かえば、簡易的な接岸設備のある小規模な貨物岸壁へとつながっている。

 そしてさらにその先には開発計画がストップして、放棄されたままになった荒涼たる未開発地域が広がっている。

 ローラは不意に周囲を見回した。メインストリートを境にデッドエンドタウンの北側エリアと南側エリアとではあまりに街の様相が異なっている。北側エリアは切り立つような高層ビルが並んでおり派手なライトアップと装飾が裕福さと趣味の悪さを醸し出している。

 反対に南側エリアはどこかくすんでいると同時に、猥雑で剣呑な空気が絶え間なく漂ってきている。南側エリアの道端にはさっきのチェインドの女性のように女としての肉体を強調した商売女性がそこかしこにうろるいている。首に銀のチョーカーこそ巻かれていないものの、彼女たちのすぐそばにはボディーガード兼監視役の男たちが剣呑な目つきで控えている。そして、南側エリアの街路の奥にはネオンサインや荒れた雑居ビルがひしめいている。そこが反社会的な連中たちが根城にしているエリアだということはすぐに解った。

 ローラが周りを気にしているのが分かったのか、ラフマニは彼女の手をしっかりと握りながら先を急いだ。

 

「一つ聞いていい?」

「なんだ?」

「なぜ、道の北側と南側ではこんなに違うの?」

「言ったろ? 有力者が複数居るって」


 ラフマニはまずは左手の高層ビルのエリアを眺めた。

 

「こっちのやたらと高いビルの中に居るのは基本的に中華系の華僑や黒社会系の連中さ。昔、日本の警察に追われて移動してきたのさ。あとは日本のヤクザマフィア、正体を隠して普通のビジネスマンを装ってるけど近づくだけでも危険な連中ばかりさ。有力者となる中心のヤツラは無数の取り巻きに囲まれて絶対に表に出てこないんだ。ある意味、この街を危険な場所にしている張本人みたいなヤツラさ」


 次に反対側に視線を向ける。雑多で猥雑な雑居ビルがひしめくエリアだ。

 

「それでこっちはいろんな外国人マフィアが勢力争いをしている場所だ。アジア系、アフリカ系、南米系、ロシア系、アラブ系――、こんな小さい場所で毎日のように命のやり取りをしてるんだ。負けたヤツラは配下に組み込まれて酷使されるか消されるかだ。力のあるやつが肥え太り、無いやつは死んでいく。人種や経歴が物を言うから、同胞と呼べる連中に会えるなら、居場所を見つけられるかもな。でも――」


 だが、そこまで話してラフマニの顔は悲しみとも苛立ちともとれない複雑な表情を浮かべている。

 

「俺達はどっちにも入っていけない。いつ食い物にされて消されてもおかしくない。この街では最下層に居るしか無いんだ。俺みたいな〝ハイヘイズ〟はな」


 ハイヘイズ――耳慣れない言葉だ。しかしそれがラフマニの身の上を縛る言葉だということはすぐに解った。だが、それを根掘り葉掘り聞き出してもいいのだろうか? ローラは戸惑っていた。だいたい自分自身が本当の素性を一切明かしていないというのに――。

 でも、ローラは衝動を抑えられなかった。

 あの時、自分を降りしきる雪から守ってくれた彼――

 手を握って自分を招いてくれた彼――

 ローラは気づいてはいなかったが、いつしかラフマニとの距離をもっと近づけたいと心のなかで願うようになっていたのだ。

 ローラは気づいてはいなかった。自分がテロアンドロイドとしての凍りついた感性から徐々に解き放たれようとしていることに。警戒心もプライドも薄れ、誰かに縋りたい気持ちを抑えられなくなっている。その事への自覚はない。自覚がないからこそ、抑えの効かない願望は、ラフマニに自らの素直な気持ちを問いかけさせるのだ。

 

「ハイヘイズってなに?」


 ローラがぼそりとつぶやいた言葉にラフマニは視線を向けてきた。彼としては不用意に漏らした言葉なのだろう。気まずそうに沈黙するがそのままはぐらかすような事はしない。彼もまた、この街には不似合いなくらいに素直で誠実な少年であった。

 

「昔のことを思い出すからあんまり話したくないんだけど――、まぁ、わかりやすく言えば違法外国人の遺棄された『戸籍』の無い子供のことさ。保護してくれる親がはじめから居ないか、見捨てられたか、大抵はろくな生まれ方はしてないんだ。世の中から消えても誰も困らない。困らないからこそ、たちの悪い連中には餌食にするにはちょうどいいんだ。組織の最下層に組み込まれたり、とっ捕まって加工されたり改造されたりして商品にされちまったり、病気になっても助けてくれるヤツラは誰も居ないから野垂れ死ぬこともある。それでも――、それでもさ――」


 ラフマニの脚が不意に止まる。そして、天を仰いで頭上の満月に視線を向ける。

 

「この世に生まれたからには生きていたいんだよ」


 雪は止んでいたが夜も遅くなり気温はさらに冷えようとしている。自らの生い立ちを明かすたびに、ラフマニの喉から漏れる吐息は真っ白なシルエットで天に向けて漂っていた。

 

「だれもはじめから死にたいと思って生まれてくるはずないだろ?」


 歩みを止めたラフマニは視線をおとすとローラの顔を見つめてくる。そして、憂いを帯びた声で問いかけてくるのだ。

 

「ローラ、お前はどうだ?」


 それはローラにとって生まれて初めて問われる言葉だった。考えもしなかった、そんな事を思案する必要があったことはただの一度もなかった。ただ、創造主であるディンキーの意思のままに動いていればよかったのだ。なぜなら彼女はまさに『マリオネット』なのだから。

 だが、ローラは朧気ながら自らについて気づき始めていた。創造主ディンキーがすでにこの世に居ないからこそ、自らを縛る見えない糸が失われたということに。糸の切れたマリオネットは自らのアイデンティティに揺れていたのだ。

 

「私は――その――」

 

 生きるか死ぬか、何のためにこの世に生まれてきたのか――、植え付けられたプログラムでは得られない自分自身でしか生み出せない正解のない答えのようなものだ。

 何故、生きる?

 何故、動く?

 何故、逃げる?

 何故、感じる?

 命じる人は?

 所有する人は?

 果たすべき使命は?

 背負うべき役割は?

 お前は誰? 私は誰? 私は何? 私は何処へ向かう?

 私は――、私は――、私は――

 思考のループが堂々巡りを産み始めていた。テロリストの宿命と役割から解き放たれたというその事実――、それはローラをローラ自身として成立させていた全ての理が為す術無く壊れ去ったということでもあるのだ。

 私は何者なのだろう? ローラはその言葉にたどり着いてしまったのだ。

 

「う――、うぅ――」


 涙が溢れてくる。止めどなく、ただ流れてくる。

 

「おい? おい、ローラ?」


 ラフマニが問いかけるもローラの涙は止まらない。自らが『からっぽ』だと言う現実に気づいてしまったのだから。両手で顔を覆うも、それでもなお涙はあふれた。

 

「ごめ――、ごめん――」


 ラフマニはそれでもローラを守ろうとしていた。戸惑いつつ言葉を探しながら、自らの羽織ったマント代わりの布を広げて、その下にローラを招き入れる。そして、彼女の肩をしっかりと抱いてやる。

 

「泣きたいだけ泣けよ」


 その言葉にすがりつくように、ローラはラフマニに抱きつきすがりついていた。ラフマニはそれを拒まなかった。

 

「この街に、この島に、流れ着いてくる奴に幸せな奴なんて居ないんだ。気が済むまで泣いていいよ」


 ラフマニはローラを抱き寄せた。雪が降り止んだ星空の下、互いの体温を交換するように隙間なく抱き合っていた。そしてラフマニはローラに対して抱いた思いを告げる。

 

「俺が守ってやるからさ」

「うん――」


 2人は抱き合ったままメインストリートから離れていく。人気の少ない倉庫街の様なエリアへと脚を向ける。そこは東京アバディーンの外れのエリア、この島のどこにも己の居場所を見つけられなかった者が流れ着く場所だった。

 ここは東京アバディーン――

 社会の流れから切り離され、力関係だけがモノを言う場所。

 そこは『ならず者の楽園』と呼ばれる街である。

 

 

 @     @     @

 

 

 6羽の羽根つき妖精が、そのデッドエンドタウンの空を飛んでいた。極彩色の光を放ちながらその街の様々な場所を飛んでいる。そして、その妖精たちを使役しているのは三つ揃えのスーツ姿にステッキにシルクハットと言う出で立ちをした猫耳の少女だ。真っ白い素肌にプラチナブロンドが輝いている。そして、それはひときわ高いとある雑居ビルの頂きに佇んでいた。


「うっわぁ~~ 熱いんだぁ」


 とあるビルの頂き、屋上の端に腰掛けて猫耳少女は眼下を見下ろしている。そこにはラフマニとローラの姿がある。

 

「あ、これってリア充ってやつ? なにさ! 人間じゃないくせにぃ! ぷんすか!」

 

 猫耳少女は手足をパタパタさせてご立腹である。ラフマニたちを不満気に眺めていたのだが、異変が起きたことに気づいた。


「あれれ? なにあれ? 怪我して真っ赤っ赤、――っと、どう見てもフツーじゃないよねぇ」


 口元に指をあてて思案しているが回線を通じてクラウンに呼びかけた。


〔クラウン様――、おーい!〕


 少し待てば返事はすぐに帰ってくる。


〔なんです? イオタ?〕


 イオタという名の猫耳少女は耳をピクピク動かしながら答え返す。


〔んっとね、例のお姫様のところに怪我人だよー、随分殴られたらしくて血だらけー〕

〔それはいけませんね――〕


 無線音声が途切れるが、その続きはイオタの背後からすぐに聞こえた。


「なにかトラブルのようですねぇ」

「うわ! びっくりした!」

「驚くことはないでしょ。赤の他人じゃないんだし」


 どこから現れたのか、クラウンはイオタの背後に立っていた。その隣には化けガエルのイプシロンも一緒だ。


「あやや、怪我してる。誰かに襲われてる。もしかしてあの男の子のトモダチ?」

「トモダチと言うより仲間でしょうねぇ。たしか、似たような境遇の子の浮浪児たちが集まって暮らしているはずです。ここはそう言う街ですから。」

「じゃぁじゃぁ、他の子供たちも危ないかもぉ」

「でしょうねぇ。襲われたのがあの子だけとは思えませんし」


 クラウンの言葉にイオタは振り向きながら問いかけた。


「どうする? クラウン様ぁ?」

「そうですねぇ。ゼータを向かわせましょう」


 クラウンは回線越しにゼータに呼びかけた。


〔聞こえていますね? ゼータ、あの少年たちのアジトを探しなさい。もし襲撃されていたら先回り攻撃しても構いません。われわれもすぐに向かいます〕


 ゼータは基本的にしゃべらない。無線回線の向こうからは返事は帰ってこなかったが、指示を的確に理解しているはずだ。デッドエンドタウンの空を極彩色の光が軌跡を描きながら街の深部へと舞い降りていく。

 

「では参りましょう」


 クラウンがビルの頂きから飛び降りるとすぐにその姿は虚空へと消える。そして、イプシロンとイオタも後に続く。彼らの姿は闇夜へとかき消えていく。まるで実体がないかのように――

 

 

 一方――


 メインストリートから離れ東京アバディーンの南東の外れのエリア、そこはメインストリート周辺の賑わいから完全に切り離され、最も人気のないエリアである。

 本来はビジネス街区の物流地域として開発されるはずだったのだが、ご存知の事情により全てはご破算となり、今では半ばスラムと化した倉庫街や空き地が並んでいるような状況だった。更にそこから先には海に沿った端のエリアには簡易な岸壁が備えられた小さな貨物港となっており、更にそこから先には未開発地域となった開発計画中止エリアが広がっている。もはや、そこを本来の目的で使うものは存在しない。

 ラフマニとその仲間たちが雑居している雑居ビル併設の空き倉庫は、海に望む旧貨物港区画の中にある。そのラフマニたちハイヘイズのたちのアジトから逃げてきたのだろうラフマニと同年代くらいのアフリカ系の風貌の少年が、貨物岸壁から続く裏路地の道をふらつくように歩いている。

 額から血を出し、右腕にはナイフ傷がある。その彼の姿をローラと歩いていたラフマニはすぐに気づいた。

 

「わりぃ」


 一言断ってローラから離れる。

  

「オジー! どうした!」


 そして、叫びながら仲間の元へと一気に駆けつける。ラフマニの姿を目の当たりにして少し安堵したのかオジーと呼ばれたアフリカ系の少年はよろけるように地面に膝をついた。

 

「ラフマニ――」

「どうした! 何があった!」

「やられた――、ハイセイウーの連中だ。最近ここいらに入ってきた台湾幇くずれだよ」

「アイツら! 俺達のねぐらを狙ってたやつらか!」

 

 オジーはラフマニの問いに額から血を滴らせながら何度も頷いた。

 ラフマニが怒りの表情を隠さない。ただならぬ雰囲気にローラはラフマニに問いかける。

 

「どうしたの?」


 ラフマニは言葉を選びながら答える。

 

「ねぐらのビルが襲われた。最近この街に入ってきた見慣れない連中だよ。時々外からやってきて自分たちのナワバリを作ろうと手荒なことをするクズが居るんだよ。くそっ! ここいらの地元の連中とは話し合いがやっとついて安心して暮らせると思ったのに!」


 ローラが傷だらけのオジーのもとに駆け寄る。そして、身につけていた男物のコートのポケットからくしゃくしゃのティッシュを取り出すと彼の額の出血を止めようとしている。オジーはローラに感謝の言葉を告げながら、先を急ぐ様にさらに語った。


「急いでくれ、サイボーグ崩れは居ないがナイフや凶器で武装している。それに女や幼い子を連れて行こうとしている」

「〝商品〟にする気か!」


 商品――、その言葉にローラは先程のチェインドの女性の事を脳裏に浮かべた。不安と嫌悪と怒りが心の中に湧いてくる。ラフマニはオジーにさらに問いかけた。


「オジー! アニキには連絡は!?」


 オジーは顔を左右に振る。

 

「メールは打ったけど返事がない」

「またか! まさか日本に居ないんじゃないだろうな。オジー、お前はここに居ろ! ローラはオジーの事を頼む!」


 ラフマニは言うが早いか瞬く間に駈け出した。そして窮地に立たされた仲間たちのところへ向かおうとする。だが、オジーはラフマニとローラに告げる。

 

「俺は大丈夫だ。ちょっと額を割っただけだ。それよりガキたちを助けてやってくれ! ちくしょう! クリスマスの夜だってのに!」


 そうだ。今日は聖夜、この日だけはどんなに悲惨な境遇のものでも、一夜の安らぎを甘受してもいいはずなのだ。だが、現実はあまりにも残酷だった。

 

「ラフマニ! あたしも行く!」


 オジーを道端に座らせながらローラはラフマニに向けて叫んだ。そして、オジーに目配せしながら両足に力を込めて一気に走りだす。それまでローラはディンキーの意思のままに殺戮と破壊のためにしか、その力を使ったことはなかった。だが、この瞬間、生まれて初めて誰かを守り救うために使おうとしていた。

 ラフマニはローラの過去についての言葉を思い出していた。瞬間、複雑な思いが頭をよぎるが、今だけは手段を選んでいる余裕は無いのだ。手招きしながらラフマニは再び走りだした。

 

「来い!!」


 ラフマニのその言葉を耳にしてローラも彼とともに走りだした。向かうは海沿いの貨物岸壁、そしてその傍らに立つ倉庫ビルだ。2つのシルエットが夜の闇の中で走りだそうとしていた。

 

 

 @     @     @

 

 

 それは4階建ての雑居ビルと、それとほぼ同じ高さの3階層の倉庫ビルが並んだ建物だ。そのビルの中で子どもたちの悲鳴が聞こえてくる。死んだ者こそ居ないが、多くが酷い刃物傷を負っている。若い男たちは不要な存在だと言わんばかりに、情け容赦無い暴力を受け立ち上がることすらできなくなっている。それに加えて女の子は幼い子から妙齢のティーンエイジャーまで手や首筋を掴まれて物陰やビルの外へと連れだされようとしていた。

 下賤な暴力主義のクズたちが、力無い女性たちを目の前にした時、行うことは一つしか無い。

 

「いやぁっ!!」


 年の頃、9才くらいだろうか、ベトナム系の風貌の女の子が押し倒されようとしている。

 別の場所では14才くらいの北欧系ハーフのアルビノの少女が首筋を掴まれて無理矢理に引きずられていた。

 幼いのであれば男の子にも容赦はなかった。まるで野山のウサギでも狩るかのように手首を掴んで拘束して抵抗の意思をはぎ取るべく拳の制裁を振るおうとしている。

 十数人程度の中華系の男たちがビルを取り囲み、続々とビルの中へと足を踏み入れていく。目的は無論、略奪と暴力である。

 そこはもはや地獄絵図。一方的な惨劇の場でしか無い。

  

 そのビルの周囲を6羽の羽根妖精が、光を抑えながら飛び交っている。クラウンが指示を伝えていたゼータである。彼らは視覚情報と音声情報、そして、様々な物理的な情報をキャッチすると速やかにクラウンへと伝達する。

 

 隣接する倉庫ビルの屋上。クラウンたち3人が佇んでいる。それまでピエロ風の笑顔が浮かんでいたクラウンだったが、今や彼の仮面はどす黒い怒りの表情に歪んでいる。

 

「酷い」


 イオタが嫌悪感を隠さずに吐き捨てる。その隣で化けガエルのイプシロンがクラウンを見つめている。クラウンは今まさに怒りの極みに達しようとしていたのだ。

 

「クラウンたま、どします?」

「愚問ですよ。イプシロン」


 その言葉にイオタも視線を向ける。

 

「イプシロン、イオタ、あなた達はビルの中へとお行きなさい。そして子どもたちを救うのです。無粋な輩の方はひとり残らず始末なさい。一人たりとも逃してはなりません。いいですね」

「わかりました」

「あい! クラウンたま」


 答えるが早いか即座に二人は飛び出していく。イプシロンは化けガエルらしく跳躍してビルの窓から飛び込んでゆき、イオタは屋上伝いにビルの屋上へとたどり着くと、正攻法で屋上ドアを開けて中へと入っていく。

 そして、あとに残されたクラウンはその右手を何もない虚空の中で一旋させる。いつ取り出したのかその手には2mほどの長さの柄のようなものが握られている。その柄の先にはシックルと呼ばれる大鎌が刃峰を広げている。それは月光の下で不気味なまでに光り輝いていた。

 

「さて、私はビルの周りを掃除するとしましょうか」


 そして、ビルの屋上から飛び降りるとそのまま地上へと静々と舞い降りて行く。

 ビルの入口の玄関ドアの辺りには数人の台湾幇の構成員の若者がたむろしている。手にはナイフや棍棒といった得物を持っている。拳銃は使用を控えているのか使っている気配はない。クラウンは彼らに向けて足音もさせずに歩み寄っていく。

 ただ、台湾幇の連中にその気配は着実に伝わっていた。ただならぬ気配を察して男たちが振り向く。その視線を受けてクラウンは滔々と語り始める。

 

「ごきげんよう。台湾黒幇の若手の皆さん。日本でのナワバリ拡大でも命じられましたか?」


 雪で白化粧したアスファルトの上を道化師の姿をした存在が歩み寄ってくる。その手に握られている巨大な刃物を目にして、それが敵であることを襲撃者たちは即座に警戒する。

 

「是誰?!」


 一人が中国語で大声で叫ぶ。それと同時に彼らの敵意が一斉にクラウンに対して集中する。俄然、彼らの視線はクラウンが手にしていた死神の鎌――シックルに集中する。その非常識なまでの存在感を放つ凶器に、ただならぬ警戒心を抱いたとしても不思議ではなかった。

 

「請殺!」

「沈下在海!」

 

 月下の雪化粧の路上で、剣呑な空気の男たちは威嚇を込めて叫びながら、その懐から黒光りする鉄塊を取り出す。かつての中華人民軍でも使った黒星拳銃だ。抜き放つと同時に9ミリトカレフ弾を乱射する。フルメタルジャケットの鉛弾を前にしてクラウンは怒りに猛り狂った赤黒いマスクのまま佇んでいる。

 

「下賤の輩は所詮下賤ですか」


 その言葉を無視するように台湾幇の若者たちは黒星拳銃の引き金を引き続けた。ほぼ全弾がクラウンに命中していたのは普段からの鍛錬の賜物だろう。だが――

 

「下賤の輩は頭のなかも糞が詰まっているらしい」


――地獄から響くような低い声でクラウンは告げた。その言葉と同時にその場にある怪異が起こったのだ。


「――Mur de controle inertiel――」


 クラウンが流麗な仏語でそう唱えた時、台湾幇の男たちが放った弾丸は全弾が空中にて力を失い静止してしまう。そして、一斉に地球の引力に引かれて地面に落ちてしまうのだ。

 

「什麼事情發生?」

「我不明白!」


 何が起きたのか、どんな状況なのか、理解できている者は居なかった。ただ、呆然とするだけだ。だがその間にもクラウンは次の行動をはじめていた。 


「無駄ですよ」


 足早に走り出しながら、クラウンは月の光を浴びて光り輝く大鎌を振り回す。

 

「あなた達は私に勝てない」


 そして、男たちの群れの中に飛び込みまずは3人ほどをまとめて上下に両断する。男たちの体に大鎌の刃が食い込んだ瞬間、ガラス細工のように男たちの肉体が硬化したかと思うと、砕かれたガラスのように一気に崩壊したのだ。

 破片は微細な欠片になるまで亀裂を生じて粉砕される。吹き抜けた風がその残渣を一気に吹き飛ばした。

 

「死神!」

「收割者!」


 流血はおろか、そこには遺体すら残らない。存在自体を瞬く間に無に帰する所業に、男たちは瞬時に恐怖に囚われて恐慌をきたした。悲鳴を上げ逃げ惑う。それまでの自分たちが起こしていた悪事すら忘れて無様に逃走を図る。だが、それを許す様な甘さはクラウンには無かった。

 

「逃しません」


 左手を広げ地面へと触れるとクラウンは再び仏語で唱えた。

 

「――Effet de la gravite terrestre――」


 瞬間、大地が僅かに震えたかと思うと逃走を図った3人の男たちの様子に異変が生じていた。

 両足に満身の力を込めて踏ん張っている。何か目に見えない重荷でも背負わされているかのようだ。あるいは自分自身の重さに必死にこらえているように見える。立ち上がるのが精一杯の彼らに逃げる余裕などあるはずがない。

 

「いかがです? 大地の生み出す偉大なる力は? あなた達は立つ事すらできない」

 

 クラウンは悠々と歩み寄ると、一人、また一人と、大鎌を振るってまたもガラス細工のように男たちの体を粉微塵に粉砕した。その時、最後に残されていたのは、男たちの中で最も年長の人物だ。

 クラウンは彼に立ちはだかると手にした大鎌の刃先を突きつけながら告げる。


「この白き聖夜を血と欲望で穢した罪は何よりも重い」

 

 恐怖にその表情を歪ませる男をクラウンは悠然と見下ろしていた。中国語でなにやら喚いているが、それに耳を貸す様なクラウンではなかった。一切を無視しつつ大鎌を振り上げる。そして、裁きの言葉を吐き捨てながら大鎌を一旋させた。

 

「愚物め、その罪、死を持て償え」


 大鎌の鋭利な刃がその男の頭部を首から切り落とした。瞬間、鮮血が吹き上がるが、それもすぐに全身ごと瞬間硬化する。そして、脆いガラス細工のようにひび割れ砕け散ったのである。

 一仕事終えるとクラウンは周囲を確かめる。すでに辺りに台湾幇くずれの男たちの姿はなく、残るはこのビルの中だけであった。

 今、イオタとイプシロンの手で襲撃者への死の制裁が行われていた。クラウンは2人からの報告をただ静かに待つのみである。

 

 

 ビル内部へと入っていったのは9人。その9人を狩る為に最上階からはイオタが、途中階の窓から入りこんだのはあの化けガエルのイプシロンだ。

 入りこんだのは倉庫部の2階フロア。打ち捨てられた小型コンテナが並ぶ中、3人の少女が台湾幇の5人ほどの男たちに襲われていた。

 

「死心!」

「乖乖請打開脚!」

「隨著藥物在性工作」

「只有未使用的最早上市品」


 照明の壊れた廃倉庫のフロアで中国ヤクザのクズたちが幼い少女たちを襲おうと欲望をむき出しにしていた。全員で抑えこみ押し倒し、平手打ちや鉄拳制裁で反抗心を奪うと、喜々として欲望を叩きつけようとしている。その有り様をイプシロンはまさに闇夜の中で目の当たりにしていたのだ。

 化けガエルがその目を不気味に光らせながらヒタヒタと歩いて行く。そして、眼前の男たちに問いただし始めた。


「お前たち、クリスマスの夜だと言うのに幼気な子どもたちに何をしている?」


 闇夜の薄明かり中でイプシロンの丸みを帯びたボディは不気味な輝きを放っている。彼がそこにいるだけで男たちも異変を感じていた。なおも化けガエルがコンクリートフロアの上を足びれをピタピタと動かしながら近づいてくるのだ。

 

「もう一度聞く。お前たち、なにしてた?」


 台湾幇のヤクザくずれが少女たちを襲う手を止める。突如現れたただならぬ存在に警戒心と敵意をむき出しにする。

 

「開槍!」


 着衣の懐から黒星拳銃を取り出す。そして、少女たちから離れながら弾丸をイプシロン目掛けて乱射した。話し合いも何もない、ただ欲望と敵意のままに暴力を振るうのみだ。手負いの人喰いトラですらもっと理性的な行動をとるだろう。だが――

 

「決まった」


――弾丸は一切無意味だ。丸みを帯びたイプシロンのボディは鉛球を一切受け付けずに傷一つ付けずに弾いてしまう。それはまるでゴムマリにBB弾でも撃ち込んだかの様だ。それは男たちには何かの冗談の様に見えただろう。だがその弾丸がイプシロンの断罪を決定させる。


「お前らわるもの。オレ決めた。今決めた」


 ケタケタと笑いながら語るイプシロンは笑い声を停止させ、よく響く機械的な音声で男たちに告げる。

 

「死ね」


 そう宣告したと同時に、イプシロンの大きな口から飛び出したのは鮮血のように赤く光る“舌”である。長く伸びるカエルの舌。それは触手の様に素早く動き出すと、一瞬にして5人の男たちの胸を貫いてしまう。

 そして、イプシロンはその舌で軽々と男たちの体を持ち上げ子どもたちから引き離す。心の臓を貫通されて即死する者、まだ僅かながら意識があり何かを口にしている者、色々と居るがいずれもが、もはや助かる見込みは無い。

 

「請……請原諒」


 言葉のニュアンスから許しを請うていることは判る。だが世の中はそれほど甘くない。

 

「お前、子どもたち助けたか?」


 イプシロンの眼は男たちを見ていた。青白い冷たい光を放ちながら、問い詰めるように睨みつけている。

 

「命乞いする子どもたちを許して見逃してやったか? なにせずにここから立ち去ろうとしたか? 分別をわきまえて恵まれていな子供らを救おうとしたか? それができていないならお前らを許す理由がない!」


 そう冷酷に告げると、大きく開いた口の奥から炎を吹き上げる。それは骨も残さずに瞬く間に男たちの体を消去してしまう。不思議にも、その炎は悪しき男たちだけを焼き払い、それ以外には何も傷つけてない。

 イプシロンは自らの舌をしまい込むと傷つけられた少女たちにやさしい口調で告げるのだ。

 

「オレ、子供にやさしい。お前らは傷つけない。でも、お前らは傷ついているからオレ助ける」


 イプシロンは子どもたちに近づくと、その大きな口を再び開いた。そして、その喉の奥から緑色に光り輝く不思議な煙の様なものを子どもたちに噴きかけたのだ。

 

「この緑の煙、お前らの体を治す。全部すっかり治す。そして――」


 緑色の煙を噴霧し終えると。別のフロアへ向かうべく元来た方へと帰って行く。

 

「――お前たち。今日のことすっかり忘れてる。何もかもおぼえてない」


 そして、少女たちは魔法にでもかかったかのように意識を失い眠りに着いたのである。



 あとに残るは4人。突然に連絡が途絶えた外の男たちの様子を探るために、2人が下のフロアへと降りていく。だが、そこに仲間は誰も居なかった。

 

「為何誰都不在?!」


 不思議に思い周囲を見回すが、当然のごとく誰も居ない。

 

「請回答!」


 叫びがこだまするがそれに答える者は皆無だ。


「無駄ですよ」


 コツコツとヒールの音を鳴らしながらクラウンが姿を現した。その手にはあの大鎌が握られていた。

 

「他の者たちはすべてこの私のシックルの露と消えてしまいました。今では骨すら残っていませんよ」


 道化師が死神の大鎌を手にしながらたたずんでいる。その異様な光景にあらゆる言葉を失ったまま二人は呆然と立ち尽くすしかなかった。そして、二人の背後から新たに姿を現したのはビル内に残っていた二人である。仲間が遅れて現れたことで少なからず安堵しただろう。振り向いて仲間の顔を窺うが現れた二人の顔は無表情であり能面のようである。

 そして、無表情の2人は仲間の姿を見つけるのと同時に手にしていた拳銃の引き金を引いた。そこには感情は一切ない。ただ、ロボットのように機械的に反応しているだけである。

 仲間からの予期せぬ攻撃に2人は崩れ落ちる。頭部と心臓、共に急所を一撃で抜かれて即死である。

 

「はーい♪ ごくろうさまぁ♪」


 甘ったるく鼻に抜ける舌足らずな声が響く。猫耳少女のイオタだ。悠々とゆとりのある足取りでビルの中から姿を現す。そして、ステッキを無表情な2人に突きつけながら告げる。

 

「もう死んでもいいよ! あとはアンタたち用無しだからぁ」


 2人の頭をステッキで叩く。すると糸の切れた操り人形のようにいきなり地面へと崩れ落ちた。その様子を見てクラウンはイオタに尋ねた。

 

「イオタ、終わりましたか?」

「うん、全部しゅーりょー。中に残っているのは子どもたちだけ。全部無事だよ。でもちょーーーっと怪我してたから医療用のマイクロマシンで怪我は治しておいた」

「記憶は?」

「消したよ。今日のこと覚えておいていい事なんにも無いし。ただ、記憶の空白部は人格を不安定にするでしょ? だから眠っていたことにして『楽しい夢の記憶』を強制上書きしておいたよ♪」

「そうですか。上出来です。それでこいつらは?」


 クラウンが指し示したのは無表情のまま誘導されて同胞を撃ちぬいた2人だ。

 

「あ、見つけてすぐに高圧電磁パルスで脳味噌焼いちゃった。あとは残った神経に直接プログラムしたの」

「ほう、それはそれは」

「あとは〝残り物〟をイプシロンに始末してもらえばオッケーだね。それで、あの化けガエルは?」


 イオタが4つの遺体をステッキでつつきながら言う。その問いにクラウンは答える。

 

「居ますよ。あなたの後ろに」

「え?」


 慌てて振り向けば、すでにそこにはイプシロンのゆるキャラのようなユーモラスなシルエットが鎮座ましてひかえていた。肉薄するかのようにイオタの背後にピタリとついてきたのか、完全に不意を突かれた形となる。唐突に視界に飛び込んできたのその姿にイオタは思わず悲鳴をあげた。

 

「きゃっ!?」


 イオタは飛び上がりクラウンの肩にしがみつく。

 

「何やってんのよ! このバカぁ!」


 よほど驚いたのかイオタは涙目だった。

 

「あれれ、なんで怒るの?」

「うっさい! さっさとお掃除しちゃいなさいよ! もう!」

「わかった。ちょっとまて」


 イオタの求めにイプシロンはその場の路上に残された4つの遺体へと近づく。そして、先ほど5人まとめて始末した時のように瞬間的に猛火を吐いて骨も残さずに全てを灰塵に変えてしまう。これでもう子供たちを脅かす者は誰も残っていないはずだ。

   

「はい、上出来ですよイプシロン。イオタもご苦労です。これで無作法な侵略者は消え去りました。残ったのは――」

「お姫様のお迎えだね」


 イオタの言葉にクラウンが頷く。そして、大鎌を一旋させて虚空の中へと消し去ってしまう。クラウンは足音もなく数歩進み出ると、今から現れるであろうあの2人の姿をじっと視線で追い求めていた。クラウンは2人の配下に告げる。


「イプシロン、イオタ、ご苦労さまでした。あなたたちはここは一旦下がりなさい」

「え?」

「どして? クラウンたま?」


 主人たるクラウンの言葉を受けてイオタたちは不思議そうにつぶやく。

 

「姫君の説得は私だけで行います。数で囲んで押し包んでも彼女は反発しかしないでしょう」


 その可能性は十分にあった。もし、クラウンたちに保護されることに不満がないのなら、そもそも逃亡と言う事自体引き起こさないだろう。

 

「それに、今の段階ではまだあなた達の姿を衆目には晒したくありません。何事も段取りというものがあります」


 そして、二人の配下に目配せしながらクラウンは命じる。

 

「さ、お行きなさい」


 二人とってクラウンの言葉は絶対である。世界法則である。遺伝子である。

 

「かしこまりました。クラウンたま」

「じゃ、先に帰ってるね♪ じゃねー」


 イオタがそのステッキを振り回して円形のフィールドを作ると、イオタとイプシロンの2人はそのフィールドをくぐり抜ける。まるでCG仕掛けのイリュージョンのように二人の姿は虚空へと消え去った。

 

「さて――」


 クラウンはいずれ姿を現すであろう、あの二人を待つことにした。その身をひるがえし舞い上がる。そして、ビルのいただきにて二人の姿を待ったのである。

 


 @     @     @



 街路灯も少ない暗い舗装路を2人は一心に駆け出していた。仲間の事を案じ、その無事を願っている。両足に秘された力を開放してラフマニは一気に駆け抜ける。それを追いすがるようにローラが後を追っていた。


「こっちだ!」


 ラフマニが叫ぶ。最初の十字路を右に、次の十字路を左に曲がれば雑多な古い倉庫が並んでいるエリアになる。そしてその途中に目的となる場所はあった。

 

「あそこだ!」


 焦りを必死に抑えながらラフマニは駆け抜ける。その先にあるのは仲間たちと寝起きしている大切なアジトだ。誰も助けてくれない。誰も認めてくれない。そんな境遇の者たちが集まり、肩を寄せあい必死になって生きて行くための場所であった。

 本来の所有者が放棄して打ち捨てられたビルであったが、もはやそこしか行く場所が無い彼らにとってはそこを失うことは死を告げられるのと同じ意味を持っていた。

 だからこそだ。たとえ相手が誰であろうと。どんなに恐ろしい武器を備えた襲撃者であろうと、逃げ出すわけには行かない。それが現実に襲撃され、怪我人も出ているとなれば、たとえ返り討ちにあったとしても戦いに身を投じずには居られないのだ。

 

「みんな――!」


 目的の建物が視界に入ってくる。だが、そこに見えた光景にラフマニの中の不安は最大級にふくらんだのである。

 

「お前ら! 返事しろ!」


 倉庫ビルの正面入口前、そこからラフマニは大声を張り上げる。玄関前の周囲には誰もおらず、血痕一つ、硝煙一つしていない。襲撃者の影はもとより、襲われた子どもたちの姿もない。そこには動いている人の気配が全くしてこないのだ。

 

「――なんだぁ?」


 驚きと不審を声にするラフマニに追いついたローラが声をかける。

 

「ラフマニ!」


 だが、声をかけてもラフマニは返事をしない。

 

「ねぇ、どうしたの?」

「ん? あ、あぁ。いや――声が聴こえないんだ。誰もいないし、気配も感じない」

「そんな、まさか――」


 二人の脳裏に不安がよぎる。最悪の想像さえ頭をかすめる。絶望に押しつぶされそうになりながらもラフマニは己の心がへし折れないように、ありったけの気力を込めた。そして、ビルの中の惨状をその目で確かめるべく脚を踏み出そうとする。その時だった。

 

「え?」

「どうした?」


 ラフマニの背後でローラがつぶやく。振り向いて言葉の真意を問えばローラの視線は空を仰いでいた。

 

「あれ見て、誰か居る」

「なに?」


 ローラに促されるようにラフマニは頭上を仰いだ。するとそこに見た物に彼は言葉を失った。

 

 そこに居たのは道化師である。

 ピエロと呼ぶ。ジェスターとも呼ぶ。アルルカンとも呼ぶ。時代とともにそのあり方は移り変わっていったが一つだけ変わらないものがある。愚か者を装いおどけてみせることで、人の心を和ませる為に有るということである。

 それはビルの頂きに佇んでいたが、空中に身を躍らせると舞い落ちる花びらのように静かに舞い降りてくる。音もなく、ゆらぎもなく。ただ無音でそれは地上へと降り立った。

 赤い衣、黄色いブーツ、紫の手袋に、金色の角付き帽子、角の数は2つで角の先には柔らかい房状の球体がついていた。襟元には派手なオレンジ色のリボン――、派手な笑い顔の仮面をつけた道化者。その彼の名は――


「クラウン!」


 ローラが驚きつつ声を上げる。そして退路を探して後ずさった。

 

「はい、覚えておいででしたか。我が名を」

「忘れるわけないじゃない。一応、命の恩人だし」

「それはそれはけっこうなことで。では私がここに参上いたしました理由もお分かりでしょう?」

「分かるわ――、あまり嬉しくないけど」

「嬉しくなくとも――」


 クラウンは後ずさるローラに迫ろうと進み出る。

 

「――私はあなたを保護する義務があります」

「なぜ?!」

「それが〝あの方〟からの〝依頼〟だからです」

「依頼?」

「えぇ、あなたのよく知るあのお方から生前に懇願されていたことです。『自らに万一のことがあった時はローラを委ねる』と――」

 

 そう語るクラウンの言葉は澱み無かった。確信と自信をもって明確に語られる。そこに疑念や疑いを挟む余地は一切なかった。

 

「そう言う事です。私の所に居るのなら飢えも寒さも何の不足も無いはずです。一切の苦痛から開放され安寧の中で暮らすことが出来るのです。さ、私と一緒に参りましょう。姫君――」


 確かにクラウンの所に居れば何の危険もないだろう。寒さに震えることもなく、飢えやエネルギーの枯渇に怯えることも無い。話し相手の成り手もあるだろう。少なくとも苦痛にまみれた最悪の事態からは逃れられるはずだ。だがローラはそれを受け入れる気持ちにはどうしてもなれなかった。

 迷いがローラの胸中を締め付ける。迷いだけでない。それは不意にラフマニへの罪悪感として形を成す。自分にはそれなりに恵まれた帰る場所が有るのでは? と――

 

「わた、わたし――」


 胸が苦しくなるほどに様々な思いと不安とが交錯している。自分自身ではどう結論を出していいのか判らない。今は亡き主人の遺志。それを蔑ろにする事をローラの価値観の根底にあるものが拒否していた。

 あの方〝ディンキー・アンカーソン〟の命なら従わなければならない。だが、クラウンのもとに居続けることを自分の中の何かが強硬に拒否しているのだ。


「行かなきゃ――、でも、やっぱり――、あたしは――」


 命令にただ盲目的に従うのであれば行かねばならないだろう。だが、何かがそれを拒否しているしかし、ローラにはそれが何であるのかと言う事は皆目検討がつかなくなっていたのである。ローラは未だ、マリオネットとしての感性と自我から逃れられずに居る事を彼女自身自覚できていなかったのだ。

 

「姫君、結論が下せないなら、私が答えを出して――」


 クラウンが語りながらローラに肉薄しようとする。だが、その二人の間に割って入ってくる者が居る。

 

「ちょっと待てよ」


 ラフマニである。


「誰だよ。てめぇ」

 

 彼は自らの背後にローラを隠すとクラウンを真っ向から睨みつけた。


「何勝手に仕切ってるんだよ。アンタ」


 それが虚勢と言うものであることは誰の眼に見ても明らかだ。だが、その虚勢こそがラフマニたちがこの土地で生きていくために最も大切なモノだったのである。

 

「ローラは俺の仲間になるんだよ」


 ラフマニは引かなかった。己の胸の奥から湧いてくる不安と恐怖とを必死に飲み込みながら、不気味なまでの威圧感を放つ眼前の敵に立ちはだかったのだ。

 

「ラフマニ……」


 ラフマニの背中に守られながらローラが彼の名を呼べば、ラフマニは振り向かずに前を向いたままである。俄然、ローラの視線はラフマニの背中へと向かう。

 大きかった。強かった。ローラの認識の中に、不意に〝頼もしい〟と言う言葉が沸き起こる。

 今までにも誰かに守ってもらったことは何度か有る。だが、それは作戦行動の中で物理的防御として必要だったからそうしただけだった。ベルトコーネ、ジュリア、アンジェ、物理的に敵の攻撃を遮ってくれる者の影にかくれる。そう言った行為は今までにも何度かあった。

 だが、今は違う。

 ラフマニがクラウンに敵わないことくらい日の目を見るより明らかだ。本当ならここから彼の手を引いて一目散に逃走するのが最善の手のはずだ。だが、ローラはうっすらと感じていた。そんな事を望んでもラフマニは聞き入れないであろうということを。

 その違い。それが何であるか、ローラは分かっては居ない。理解できていない。だが、ローラにはそれが好ましく、そして、嬉しくもあった。そして、何よりも――

 

「ラフマニ! やめて! あたしなら構わないから!」

「ローラ?」


 ローラから悲鳴のような声が上がる。鳴き声混じりにローラは叫んだ。

 

「だめだよ、この人には勝てないよ。本気で怒らせたら死んじゃうよ!」


 ラフマニを死なせたくなかった。無謀な戦いを挑ませて、彼を失いたくなかった。彼を守れるのなら自分が犠牲になるくらい構わなかった。


「あたしなら――あたしなら大丈夫――あたしが――」


 ローラは知っていた。眼前のこの異形の道化師の実力を。彼が本当の力を行使したら。たとえローラの力をもってしても太刀打ち出来ないということを。自分だけが知っているその事実。それが故にローラは悟っていた。己が犠牲になるしか、この局面を回避できる手段がないということを。

 ローラがラフマニを追い越し、クラウンの下へと向かおうとする。

 

「ありがとう。短い時間だったけど嬉しかった」


 うつむきながらローラが感謝の言葉を口にする。その声はどことなく震えているのはラフマニを思い、恐怖に震えているがためだ。そのローラの行為をクラウンは満足気に何度もうなづきながら手を差し伸べる。

 

「姫、正しい判断です」


 そして、クラウンがローラの手を握ろうとする。その時だった。

 

「駄目だ」


 力強い言葉が響く。

 

「お前は渡さねぇ」


 ラフマニがローラの肩をしっかりと掴むと、彼女を再び自らの背中へと隠す。

 

「何の真似です? 少年」


 そう問いただすクラウンの声はどことなく怒りに満ちていた。

 

「ダメ! ダメよ!」


 ローラの中を焦りが襲う。それだけはさせてはならない。クラウンを怒らせることだけは。だが――

 

「うるせぇ!」


――ローラの言葉と、クラウンの言葉、その両方をラフマニはきっぱりと拒否する。


「勝手なこと行ってんじゃんねえよ。ローラは嫌がってんじゃねぇかよ」


 ラフマニが告げる。ローラを背後に守りつつ、自らの右手で、ローラの右手をしっかりと握る。そして、クラウンの眼を真っ向から睨みながらラフマニはなおも叫んだ。

 

「どんなに食い物があったって、どんなに楽な暮らしだって。檻の中に閉じ込められるのとおんなじ暮らしだったら何の意味もねぇだろ! 朝から番まで監視の目を光らせられたら、だれだって息苦しくなるに決まってるだろ! いいか覚えとけ――」


 ラフマニは思い切り息を吸うと、全身の力を込めてクラウンに叩きつける。

 

「人間はなぁ、自由じゃなきゃ死んじまうんだよ!」


 その叫びが周囲にこだまする。

 クラウンは答えない。沈黙を守ったままだ。ローラもあっけにとられていた。ラフマニの言葉がローラの不安と混乱に満ちた心を晴れやかに明確にしていく。

 

「自由――」

「あぁ、そうだ。自由だ。どんなに寒くたって、腹が減ってたって、仲間たちとすき喋って、やりたいことをやって、行きたい所に行って、笑って、怒って、泣いて――それでやっと人間なんだろ! 首に見えない鎖つけられて、それで息してても生きてることになるかよ! だからなぁ――」


 そしてラフマニは振り返ると、ローラの眼を見つめながら答える。

 

「お前が今までどこで何をしてきたかなんてことはもう聞かねねぇ。でもな、自分が犠牲になればいいなんて考えるな! 一度仲間にするって決めたんだ。お前は俺の仲間だ、仲間は絶対渡さねぇ!」


 ラフマニの意思は硬い。説得も振り切ることも無理だろう。ローラの中に諦めが沸き起こる。ただ、命の危険だけは避けたかった。もし、クラウンが本気を出したなら、自らが彼をかばうしか無い。たとえ正体が露見したとしてもだ。

 それに対して、クラウンは2人を見下ろしたまま沈黙していた。ただ、思案して、ラフマニの視線と向き合っている。怒るのか、笑うのか、それとも殺意をむき出しにして、強引にローラを奪おうとするのか――

 ほんの僅かの沈黙だったが、それは何十秒にも何十分にも感じられる、長い、長い沈黙である。

 そして、クラウンが言葉を紡ぎだす。

 

「少年よ」


 それは優しい語り口だった。

 

「名前を教えなさい」

 

 ラフマニは臆すること無く、虚勢で声を荒げる事無く、落ち着いた口調で自らを名乗る。

 

「ラフマニ。ここいらのハイヘイズの頭だ」


 それまで怒りの表情を微かににじませていたクラウンだったが、その顔色が晴れていく。そして、いつもの道化者の笑みへと回帰していく。

 

「ハイヘイズ――無戸籍の私生孤児、だれも守ることのない棄てられた子たちですね。このビルに居た子たち全てがハイヘイズですか」


 クラウンの問いにラフマニは頷く。


「皆行き場がねぇ。だったら年上のやつが面倒見るしか無いだろう」

「それで、あなたが面倒を見てるわけですか。あの幼子たちを」

「あぁ、けっして楽じゃねぇがなんとか飢えずにはいさせてやれてるよ」

「なるほど。どおりでやけに子どもたちが多かったわけですね」


 ラフマニと語り終えてクラウンは再び沈黙した。そして、何かを決めると、ラフマニにこう告げたのだ。

 

「わかりました。姫君をあなたに預けましょう。今ここで強引に連れ去っても後味が悪い。それになにより、ローラ姫に嫌われてしまいますからねぇ」


 クラウンは冗談交じりに話すと、カラカラと笑い声を上げる。そのクラウンの言葉にラフマニもローラも安堵していた。

 

「本当だな?」

「えぇ、嘘は言いません。私は――下賤な輩とは違いますので」

「解った」

「いい返事です。ただし――」


 ラフマニの言葉にクラウンも満足気に頷き返す。だが、彼の言葉はそこで終わらない。

 

「一つだけ条件があります」

「条件?」

「姫が涙を流し、あなたのところに留まった事を後悔するようなことが有ればそのときは――」


 クラウンがラフマニを強く見つめる。その視線に込められたメッセージをラフマニは理解する。

 

「約束する。後悔させねぇ」

「ほほほ、良い返事ですねぇ。流石に子どもとはいえ、こんな場所でリーダーをしているだけはある。それでこそ大切な姫をあずける甲斐があるというモノです」


 クラウンの言葉に耳を傾けていたラフマニだったが、そこでどうしても問いたいことがあった。


「それにより、アイツらはどこ行ったんだ?」

「あぁ、それならご心配なく。皆さん、無事です。ただちょっと怖い思いをしたようですので、手当をして少々眠っていただいております。だれも欠けてはいませんよ」


 クラウンの言葉を丸々信じるわけには行かなかったが、最悪の事態が告げられるよりはマシだった。だがクラウンはさらに言葉を吐いた。

 

「それと、ここを襲っていた者たちはすべて私が始末しました。遺体を残しておいても面倒でしょうからそれも掃除済みです。同じ連中が二度と来ることはないでしょう」


 始末――、その言葉がもたらすニュアンスに一抹の恐ろしさが漂う。ただ、この滅びの島――東京アバディーンでは人死になど決して珍しいことではない。ましてや街の深部では当たり前に起こることだ。

 これまでは命じられるままに当たり前に人の命を奪ってきた。それこそ野の雑草を毟り取る様に。だが、今の自分ではそのような真似はできない。命じられていないからではない。それがなにか言葉には形容できないのだが、ラフマニに会い、語り合ったこのほんの僅かな間で、自分の中の何かが明らかに変わりつつある。否、ディンキーと言う亡霊から解き放たれたことで、少しづつ彼女を構成する全てが変容しつつ有る。

 ローラは思う。強く思う。こんな思いは初めてだが、やはり思う。


 ――人の〝死〟が恐ろしい、そして、気持ち悪い――


 ローラは自分の胸を両手で押さえた。沸き起こってくるのは不安――、そして過去に自分が成した行為の記憶のフラッシュバック。

 斬った、撃ちぬいた、潰した、焼いた、締めた、千切った――、

 そして、そして、そして――

 聞こえる。断末魔の声が、叫びが、苦しみが、怒りが、恨みが、嘆きが――、

 そして、そして、そして、そして――

 己が敵に対して吐き続けた呪いの言葉、おのれを縛る呪縛の言葉。

 

 ――死ね――


 その言葉の意味を、ローラは今こそ理解した。

 

「うっ――!」


 嘆くよりも、泣くよりも、今はただ、悲鳴を上げるしか無い。

 

「うわぁぁぁぁああっ!!」


 崩れ落ちるように地面に膝をつき両手で頭を抱えこむ。そして、地面に伏せると自らを取り囲む全ての現実から目を背けるように地面へと這いつくばる。

 

「いやぁあああっ!!」


 悲鳴をあげ恐慌をきたしてしまったローラ、その姿をクラウンは困惑しつつ見つめる。だが、語りだした言葉はどこか覚悟していたかのようにも聞こえる。

 

「やはり、こうなりましたか……」

 

 大きくため息をつくクラウンにラフマニが問いただす。

 

「どう言う意味だよ?」

「どうもこうもこれが現実ですよ」


 クラウンは両手を広げて上に向けると肩をすくめる様な仕草をする。

 

「これが予想されたからわたしは彼女をどこにも出したくなかったんです」

「出したくなかった――って? 表に出したからこうなるのかよ?」

「そうです」

 

 ラフマニはクラウンに尋ねながら怯えのまっただ中にあるローラを抱きおこす。すると抱きおこされたローラはすぐにラフマニに抱きついてくる。それは明らかに好意からではない、怯えと恐れから逃れたいがための救いを求めるが故だ。それをラフマニは拒めなかった。今、彼女を受け止められるのはラフマニにしかいないのだ。


 かたやクラウンは、ラフマニの問いを肯定した。だが、それ以上の事は何も語ろうとしない。ラフマニの近くへと歩み寄ると、片膝をついて目線をおろして2人を見守るだけだ。


「なにがあったんだ? コイツ、何を背負ってるんだよ? 昔、殺しをしてたって言ってたけど、それ関係あんのか? なぁ、教えてくれ!」


 ラフマニは必死に叫んだ。だが、クラウンは顔を左右に振るばかりだ。

 

「それはお教えできません――」

「え?」

「彼女には秘密があります。誰にも決して明かせぬ秘密です。そして、彼女自身も知らない過去もあります。今、彼女を苦しめているのはそれらの過去と秘密なのです。それを明かせば彼女はもとより、彼女の回りにいる人々も巻き添えとなり悲惨な出来事が起こるでしょう。大変不親切な説明になりますが、今はそうとしかお伝えすることが出来ないのですよ。少年――」


 驚き戸惑うような表情のラフマニ。そして、怯えと恐れと体の中から湧いてくる嫌悪に翻弄されているローラ。その2人を見つめながらクラウンは立ち上がった。そして右手を再び差し出した。

 

「さ、今ならまだ間に合います。彼女をこちらに返してください」


 その言葉に威圧は無かった。ただ事実を伝え、ローラと共に暮らすことがいかに困難であるかを説得しているだけだ。ラフマニは思案する。そして、ローラの顔を覗き込むようにして語りかける。

 

「ローラ。聞いてくれ」


 優しい語り口、無理矢理に意思を伝えるような強引さはない。静かに訥々と打ち明けるように囁きかける。

 

「俺、出稼ぎで中近東あたりから出てきた不法外国人の息子でさ、親父の顔は一度もみたことねえんだ。母親は日本人なんだけど俺を適当に産み捨てるとこの街の入口に捨ててった。親切なブラジル系のストリートガールが拾ってくれて俺を育ててくれたんだけど、おれが10の時に風邪をこじらせて呆気無くイッちまった。それからは生きていくために考えられる悪いことはなんでもやった。正直言うと俺も人を二人殺している。一度目は理由なく殴られて殺されそうになった時、二度目はどうしても金が欲しくて強盗した時だ。どっちもこの街の中のことだから警察とかにはバレてねぇが、未だに夢を見る。そして後悔している」


 そこまでラフマニが語った時、ローラの怯えと震えが少しづつ治まってきていた。そして黙したままラフマニの言葉に耳を傾けていた。

 

「一度自分の手を犯罪で汚すと決して消えない。たとえ手は血で汚れてなくとも、心のなかにはあの時のドス汚れた自分が居て、今の自分をいつまでも追いかけてくるんだ。おそらくいつか、俺はあの時の報いを受けるだろう。捕まるかもしれねぇ、殺されるかもしれねぇ。どっちにしろひどい目には合うだろうさ。でもな、たとえそうだったとしても俺は逃げない。詫びるつもりもない。その時はその時だ。あの時はあの時だ。あの時の俺はその時点では自分で出せる精一杯の答えを出して、それであの程度だったんだ。それなら――〝今〟を――、そして〝明日〟を――、満足なものに出来るように俺は出来る限りの力を絞り出して生きてやる。満足できたことなんて一度もないさ。でも、そうなるようになんでも必死に死に物狂いでやれば、少しづつでも笑って暮らせるようになる。だからな――」


 ラフマニはローラを強く抱きしめた。両肩から背中へと手を伸ばして抱え込み、そして、精一杯の力でローラのその小さな体を抱きしめたのだ。

 

「明けない夜はねぇ。お前も諦めんな。毎日少しづつでも、笑って生きれるように積み重ねればいいんだ。今は泣きたいだけないていい。いくらでも付き合うからよ」


 ローラはラフマニの言葉に頷いていた。そして、己の気持ちを素直に言葉に乗せてラフマニに送る。それはクラウンでも予想だにしなかった言葉であった。

 

「あたしにも出来る?」

「できるさ」

「作り物のからだのあたしでも?」


 決して明かせぬ自分自身の素性の一旦。その言葉はそれを明らかに語っていた。ラフマニはその言葉を耳にしても決して問いただしはしなかった。

 

「大丈夫に決まってるだろう? 神様は不公平だけど、諦めなければ這い上がるチャンスは誰にだってくれるんだ。俺はそうだったからこそ今こうして生きていられるんだ。ローラ、もう一度聞くぜ――」


 ラフマニはローラの体を少しだけ離すと、ローラの顔をしっかりと覗き込みながら語りかけた。

 

「俺と一緒に来いよ」


 何も出来ないかもしれない。苦労と困難だけが続くかもしれない。だがそれでもローラはラフマニとともに居る事を選んだのだ。


「うん」


 ローラはラフマニの唇に自分の唇を重ねた。そして少しだけくちづけをすると、再び彼の肩へとしっかりと抱きついてゆく。そんなローラをしっかりと受け止めながらラフマニはクラウンに詫びるように答えた。

 

「わりぃ、こう云うわけだ」


 ラフマニの出した答えにクラウンは少しばかり溜息をつく。

 

「しかたありませんねぇ。あなたにすべてを委ねるとしましょう。それに今宵は聖夜、愛しあう者たちを引き離すのには相応しくありません。むしろ、祝福すべきでしょう。それになにより――」


 そして、クラウンの視線はこの場の様子を見つめていたもう一つの存在へと向けられる。

 

「そちらのお方もおられることですし」


 そこに佇んでいた者。全身を覆う黒いコートにプラチナブロンドのオールバックヘア、目元を180度覆う大型の電子ゴーグル。

 そして、コートの合わせ目から垣間見える両手にはグローブがハメられている。メタリックでメカニカルな意匠のそれは、明らかにコンピュータネットワークへのディープなアクセスや特殊な電子機能を有していると思われるものだった。

 そのオールサイバーなコスチュームの男はブーツの足音を鳴らしながら歩いてくる。そして。クラウンを見つめながら語りかけてきた。

 

「知り合いのねぐらが襲われていると聞いたんで慌てて駆けつければ、意外なヤツが居たな。なぁ? 『死を支配する道化師――クラウン』」

「ホッホッホッ! そう言うあなたこそ――、このみなしご達の後見人とやらがまさかあなただったとは思いもよりませんでしたよ。闇社会最強の電脳の支配者『シェン・レイ』」


 二人はラフマニとローラを間に挟んで対峙していた。そこに融和さはない。底知れぬ実力を有した者同士が、互いの出方を推し量っている一触即発の剣呑さが有るだけだった。敵ではないのかもしれないが、少なくとも味方でも同胞でも無かった。

 

「あなたが絡んでいるのであれば事情は別です。ローラ姫は回収しなければ」

「そんなことできると思っているのか? こいつらに手を出すなら俺も全力で行くぞ?」

「全面戦争と言うわけですか?」

「お前さんが望むならな」

「私に勝てますか? あなたは物理的な攻撃手段が乏しい」

「思い上がりだな。俺のネット能力を甘くみるなよ?」

「忌々しい――、あなたを敵に回せば私も無傷では済まない。だが、私が全力を出せばこんなスラムなど一夜にして灰塵と化してみせます。そうなればあなたもただではすまない」

「本気で言っているのか?」

「さぁどうでしょう?」

 

 笑み一つ浮かべぬ男と、どれが本当の顔なのかわからぬ道化師、

 二人は向かい合いながらお互いを牽制しあっていた。そして、答えの出ない言い争いを経た後に二人が出した答えは明確だった。

 

「クラウン、協定を結ぼう」

「ほう? どのような?」

「情報共有だ。こいつらに関してのな」

「いいでしょう。どのように情報共有するかはあなたにお任せいたしましょう。それがなされている限りは私は手出しをしないこととします」

「懸命だな」

「不本意ですがね」


 本当に高い実力を持つ者が対立するときは、全力でぶつかり合うことはよほどの局面だけである。容易には互いに手出しをする事ができない。お互いに相応のダメージを覚悟しなければならないからだ。それにクラウンにはもう一つの事情があった。

 

「それに、私も少々忙しくなるので。早いうちに手を打たねばならない相手が居ます」

「――誰のことだ?」

「ご存知のくせに」

「教えてくれないのか? 道化師」

「道化師に知恵を求めるものではありませんよ。神の雷」


 そして、シェン・レイは素早く右手を動かした、宙に浮くようにCGホログラムによるディスプレイ画像が浮かび上がる。そして、とある集団の画像を数枚写しだした。

 

「こいつらのことだな?」


 そこに浮かび上がっていたのは日本警察が誇る最強のアンドロイド警官集団だ。

 

「おやおや、もう分かってしまいましたか」

「闇社会を席巻している連中だ。知らないヤツのほうがどうかしてる」

「えぇ、その通りです。彼らこそ犯罪社会のパラダイムを根底から覆してしまいかねない今世紀最大のジョーカーです」

「特攻装警」

「その名、忘れようとしても忘れられません」


 クラウンのその言葉は彼が一度特攻装警に有っていることを暗に匂わせていた。

 

「殺り合ったのか?」

「いえ、少し挨拶程度です」

 

 クラウンは簡素にしか答えなかった。意地悪をしたのではない。それ以上は答えられないのだ。なぜなら――

 

「そうか。足止めして悪かったな。クラウン」

「いえいえ、どういたしまして」

「それと一応礼を言おう。子どもたちが助かった」

「あなたに礼を言われると具合が悪い。私は子供の笑顔が大好きでしてね。それを曇らせる輩が許せないだけです。シェン・レイ――あなたも同じでしょう?」


 そう問いかけるクラウンの言葉にシェン・レイはただ静かに微笑むだけである。

 ステップを踏んで歩き始めるクラウンはラフマニに視線を向ける。

 

「さて、それではくれぐれもローラ姫の事を頼みましたよ。ラフマニ少年」


 そして、彼らに背中を向けると、飛び上がりつつ体を一回転させる。

 

「願わくば世界のすべての子どもたちが笑顔で満たされんことを――」


 旋風が舞った。雪を巻き上げながら大空へと舞い上がっていく。その旋風にいざなわれるようにクラウンはその姿を消したのである。


「相変わらず、とらえどころのない奴だ――」


 立ち去るクラウンにシェン・レイはつぶやく。

 かたやラフマニはクラウンの姿を呆然と見つめていた。ローラはただ不安を堪えるようにラフマニに抱きついているだけだ。その二人に歩み寄ってくるのがシェン・レイである。

 

「久しぶりだな。ラフマニ」

「兄貴!?」


 シェン・レイの素顔は大型の電子ゴーグルに隠されて容易には判別できない。だが、その口元から彼が微笑んでいることだけは解った。ラフマニの前に立つと再び話し始めた。

 

「オジーからメールは受け取っていた。横浜の方に居たんで時間がかかってしまってね」

「遅ぇよ! あのピエロみたいなのが居なかったらどうなってたか!」

「すまん。以後気をつける」

「頼むぜ、最近、闇街の勢力図がまた変わり始まったみたいでさ、この辺りにも見かけない奴が出てくるようになったんだ。今日みたいなことがまた起きるかもしれねぇ」

「どうもそうらしいな。勢力争いで大陸あたりから次世代の連中が出向いてきている」


 シェン・レイがその両手のグローブで仮想のキーボードと空中に映しだされた電子表示を操作して、ここ最近の闇社会の様相を表示させて確認している。そこに数人の顔写真が浮かび上がっていた。


「よし。一度、彼らに影響力の有る実力者クラスとも話し合いしておこう。面倒は出来る限り排除しておいたほうがいい」

「頼むぜ」

「あぁ」


 そんなやり取りをしていたが、シェン・レイはラフマニたちの側でしゃがみ込むと、ローラの目線に降りてきて彼女に問いかけてきた。

 

「ローラ、――と言ったね?」


 低くてそれでいてよく通る声、耳にしていて心地よい穏やかさがある。それでいて人を惹きつける不思議な力があった。ローラも思わずシェン・レイの言葉に振り向かざるをえない。

 

「あ、はい」

「ようこそ。ならず者の楽園へ」


 そのあまりに自虐的な言い方にローラは笑いそうになる。彼女が笑みを浮かべたことでシェン・レイも微笑み返す。そして、彼女に告げた。


「君を歓迎しよう」


 そしてシェン・レイは右手を差し出した。ローラは一瞬、迷いにかられた。彼の前では何もかもが見透かされてしまうように感じたからだ。だが、それと同時にラフマニの前ではシェン・レイの事を拒否するのは何よりも失礼だと感じていた。今はただ流されるように、この地に身を委ねるしか無いのだ。

 

「ありがとうございます」


 ローラはラフマニから身を離すと、自らも右手を差し出しシェン・レイと握手を交わす。

 

「シェン・レイと言う。よろしく。ラフマニたちの面倒を見ている」

「えぇ、彼から聞きました。頼りになる『兄貴』が居るって」


 ローラの語る言葉にシェン・レイは思わずラフマニの顔を見返した。

 

「おい。ラフマニ」


 ラフマニもシェン・レイに問われて慌てて振り向く。

 

「彼女に何を言ったんだ?」

「え? なにも変なことは言ってないぜ?」

「ならいいが、あまり飛躍した事を言われてもこまるんだがな」

「だから言ってねーって!」


 シェン・レイの詰問にラフマニも懸命の弁明をしている。その姿を苦笑しつつシェン・レイは聞き入れる。

 

「わかった。わかった。そう怒るな。それよりオジーを迎えに行ってやってくれ」

「オジーを?」

「あぁ、李先生のところで治療してもらってる。酷い怪我ではなかったからそろそろ終わっているはずだ。そのあと楊夫人のところにまわれ。そこで落ち合おう」

「楊夫人――って、あの酒屋やってるおばさんだろ? なにかあるのか?」


 シェン・レイが問えばラフマニは本当にわからないようだ。苦笑しつつさらに問いかける。


「ラフマニ、今日は何の日だ?」

「今日は――って、あ!」


 そこまで聞かれて漸く思い出したらしい。

 

「思い出したか。他の子供らも連れて行く。今夜くらい、いい思い出を残してやろう」

「あぁ、そうだな」


 今夜は聖夜、だれもが神の恵みの恩恵に預かってもいいはずなのだ。ラフマニはそれがシェン・レイはもとより中国人街の善意ある人々の行為だということを十分に理解していた。施しではない、心から純粋な好意だ。

 

「わかった。オジーと一緒にすぐ行くよ。ローラは?」

「彼女には私の方を手伝ってもらう。私一人では子供たちを連れて行くのは骨だからな」

「それもそうか」


 シェン・レイの説明に納得すると、ラフマニはローラに告げた。

 

「それじゃ後で落ち合おうぜ」

「うん、分かった」

「じゃな」


 そう告げつつラフマニはローラに歩み寄る。そして、その頬にくちづけすると仲間が治療を受けている店を目指して走り去っていく。その姿をシェン・レイと共に眺めていたがラフマニの姿はすぐに見えなくなる。

 あとに残されたのはローラとシェン・レイである。この状況下ではローラも緊張を隠せない。シェン・レイの方を向くと努めて冷静を装いながら彼に問うた。

 

「あの、シェン・レイさん」

 

 ローラの問いにシェン・レイは視線を向けてくる。

 

「私に聞きたいことがあるのでは?」

「やはり、分かっていたか」

「はい」

「それならば話は早いな」


 シェン・レイはローラに全身で向き合うと見下ろすように問いかけてきた。

 

「君はディンキー老師のところに居たアンドロイドだね? ディンキー老配下の一人に君と同じ名前と姿形の者が居た。以前にシンガポールのとあるテロ事件にて見かけたことがあるんだ」


 やはりそうだった。この眼前の電脳のエキスパートはローラの素性も正体も全てを見抜いている。もう逃れることは出来なかった。

 

「仰るとおりです。ディンキー・アンカーソン様配下のアンドロイド――マリオネットのローラです」

「『光撃のローラ』――光を操り素早さと速度においてはトップクラスである事は把握している。君がテロアンドロイドである事もね」


 テロアンドロイド――、そう告げられたことが改めてローラの胸を強く締め付けていた。


「あの――」

「なんだね?」

  

 ローラはうつむいてその目に涙を浮かべながら答えた。

 

「私の存在と過去が皆に迷惑をかけるのなら、今すぐにでも立ち去ります。今ならラフマニに会わずにすみます。それにあたしが――」


 そこまで言おうとした時だ。シェン・レイはローラの口に右手をあてて彼女の言葉を遮った。彼は明らかにローラの意思を制止しようとしている。

 

「そう言う自棄な考えは棄てたまえ。君を拒むのなら、この島に入ってくる段階で足止めしている」


 そう告げてローラの口元から手を離す。そしてさらに言葉を続けた。

  

「ラフマニが君を見つけてこの街に連れてくる時から、君の事は把握していた。これでも私はネットを通じてあらゆる情報を掌握している。ラフマニをはじめとするここの子どもたちのことも24時間把握しているんだ。もっとも彼らには内緒だがな」

「それじゃ横浜から遅れてきたというのは」

「嘘だ」

「え? なぜそんなことを?」

「私は一つの場所に留まることは出来ない。あのクラウンのように闇社会で様々な事に手を出している。それが故に敵も多く、一箇所にとどまれば必ず巻き添えを生む。それを避けるためには場所を特定されないように細心の注意を常にはらっているんだ。彼らには私に関するデータはほとんど与えていない。与えればそれを宛てにする輩が必ず現れるからな。あの子どもたちの身を案ずればこそだ」

「敵に居場所を悟られないためですか?」

「そう言う事だ」

「なら、なぜ? アタシが居ればいずれラフマニたちを巻き添えにしてしまう。私にはそれだけの過去があります! 居ない方がいいに決まっているのに!」


 ローラは必死だった。自分がここにいることの是非。それは彼女がこの先も避けては通れない事実だ。そして、この不安があるうちは安心してラフマニにすべてを委ねるわけには行かないのだ。


「それは――」


 だが、そんなローラの不安も受け止めるかのようにシェン・レイは優しく教え諭す。


「君にラフマニたちを守ってもらおうと思っているんだ」

「え?」

「君にはそれだけのことができる。それだけの力を君は持っている。私の目と手が届かない時に、その力を役立てて欲しいんだ」

「そんな?! 私はテロリストで、殺戮者で、その――私は――」


 ローラは言葉を詰まらせた。そして、絞りだすように思いを吐き出す。

 

「殺人兵器なのに!」


 それは事実だ。どんなに否定してもローラのこれからについてまわる事実なのだ。だがシェン・レイの思いは揺るがない。真っ向から優しい言葉でローラの負のアイデンティティを否定するのだ。

 

「ローラ、いいかよく聞きなさい」


 シェン・レイがしゃがみ込む。そして、ローラの両手を握りながら彼は語りかけた。

 

「一振りのナイフがあったとして、それを悪意を持って振り回せば誰かが傷つく。だが、善意ある人の手に委ねられて善意を持って使われるのならば、料理に使われ飢えを満たすこともできる。医師の手に委ねられれば怪我や病を治す術となるだろう。私は、道具や力そのものに悪意が有るとは思わない」


 それはローラにとって生まれて初めて体験する価値観だった。それまでマリオネット・ディンキーの持つ歪んだ悪意と恩讐によってしか世界を知らなかったが故に、自分が誰かを守れる事、誰かを癒やすことができると言う事――、そう言う事は思いもよらなかったのだ。


「君の過去は変えられない。だが、未来なら! 君の未来はいくらでも変えられる。それをここから初めてみるんだ。いいかね? これはチャンスだ。君が生まれ変わるためのね」

「生まれ――変わる――?」


 驚きを呟けば、シェン・レイは微笑みながら頷いていた。

 

「君がテロリストであると言うことはもはや過去のものだと知りなさい。そして、その力を何も持たずに生きざるを得ない小さな彼らのために使ってくれないか? 君はそうすることで、君が背負った過去から開放されるはずなんだ」


 過去からの開放――、それもまたローラにとって想像だに出来なかった事である。

 だが、今それを拒絶できるほど、ローラは強くなかった。今はもう自分を守ってくれたあのラフマニのもとから離れることなど出来ないのだ。彼女自身はその心境に気づいては居なかったが、もはやそれはローラの心に根を下ろしつつあったのだ。

 

「はい、わかりました」


 ローラはシェン・レイの手を握り返した。そして、力強くこう答えたのだ。

 

「私の力を皆に委ねようと思います」


 その言葉にシェン・レイは満足気に頷いている。そののちに漏らした言葉は感謝の念である。

 

「謝謝」


 しっかりと握手を交わしふたたび立ち上がる。そして、シェン・レイはローラにこう告げる。

 

「それじゃ、子供たちを起こすのをてつだってくれ。クラウンの配下たちに眠らされたらしいからな」

「はい!」


 シェン・レイがビルの中へと入っていく。ローラはしっかりとした足取りでその背中を見つめるように歩き出したのである。



 @     @     @



 そこは青海のお台場と呼ばれるエリアだった。

 数台のパトカーが集まっている。そして、サンタ風のコスチュームをした宣伝担当が警察の事情聴取を受けている。このエリアなら最寄の警察は東京湾岸警察署で第1方面の所属だ。グラウザーを擁する涙路署とは同じ指示系統である。

 本来ならこのエリアの事件は東京湾岸警察署が担当となる。だが、今回は湾岸署だけでなく、港区の涙路署の覆面パトカーも事件現場に姿を現していた。

 覆面パトカーから降りてきたのは二人の刑事――いや、刑事が一人に、特攻装警が一体だ。涙路署捜査課所属・朝研一巡査部長と、特攻装警第7号機のグラウザーである。


「ご苦労様です」


 周囲警戒をしていた警ら警官が敬礼して二人を迎える。そして、もう一人、二人を迎える人物がいる。東京湾岸警察署の捜査課刑事、皆川春木巡査部長だ。


「涙路署の朝です。こっちは特攻装警7号グラウザー」


 朝が敬礼し、グラウザーもそれに習う。そして、皆川は感謝の念を述べた。


「ご協力感謝いたします。本来でしたら軽窃盗扱いで簡単に済ませるのですが」

「えぇ、詳細は聞き及んでいます。それで、被害者の方は」

「あちらに――、今、ご案内します」


 朝に問われて皆川は二人を別場所へと連れて行く。引ったくりが行われた事件現場の橋の上で、そこにあの宣伝サンタが佇んでいた。


「こちらが被害にあわれた宣伝業者の方です」


 それは例の無人タクシーの宣伝をしていた人物であった。あの後、警察へと通報したのだが、現場捜査と目撃者への事情聴取からただの引ったくり案件でないことが分かってきた。

 それはある人物の存在だった。目撃証言や街頭防犯カメラの映像などから浮かび上がってきた事実によるもののためであった。その人物が誰なのか特定する必要が出たため、上級部署との連携を行うために本庁と涙路署に協力要請がなされたのだ。

 派遣されたのは朝とグラウザーだった。例の有明の事件で朝自身も例の有明1000mビルの中で活躍したことも影響していた。そして、事件の顛末も――

 朝が進み出て宣伝サンタの人物に自らの警察手帳を縦開きにして提示する。

 

「第一方面広域管轄署捜査課の朝と言います。お忙しいところ。ご協力いただき感謝いたします」


 その言葉を告げると手帳をしまいながら早速本題へと入っていく。

 

「事件の経緯については湾岸警察署の方からお聞きしています。今回のひったくり事件の際に犯人が橋の欄干から飛び降りたというのはほんとうですか?」


 朝が問えば宣伝サンタははっきりと頷いた。そして、自ら歩き出すとひったくり犯が飛び降りたという場所へと案内する。

 

「はい、間違いありません。すれ違いざまに試供品用の電子マネーカードの束をひったくると――」


 彼が案内したのは例の橋の欄干だった。そこから眼下の地上までは軽く5mくらいの落差がある。

 

「――ここから飛び降りたんです」


 そして、さらに南南東の方角を指差す。

 

「そして、そのままあちらの方角へとものすごい勢いで走り去って行きました。おそらく二人とも最近よくある違法サイボーグじゃないかと」

「あちらの方角ですか――」

「はい」


 宣伝サンタが指差した方角には、かつて中央防波堤と呼ばれたエリアが有った。今はそこは中央防波堤無番区――またの名を東京アバディーンと人々が呼んでいる場所であった。

 

 朝と皆川が被害者に質問をしている傍らで、グラウザーはその持てるセンサーをフルに使いこなして現場状況を把握していく。そして、容疑者の行動をシュミレーションしつつ、それが実行可能な犯人の実体像を再現していく。


「朝さん!」

「どうしたグラウザー」

「犯人の想定シミュレーションが終わりました」


 グラウザーは朝に告げながら歩み寄ってくる。


「それでシミュレーション結果はどうだ?」

「はい、欄干からの高さは約5.5m程度、生身でも飛び降りれないことはありませんが、着地後に何もなかったように走り去るのは想定負傷状態から考えても不可能です。しかも、同行していた女性を着地と同時に受けとめている事から、相当な耐衝撃性を備えていることが考えられます。やはり最低でも部分サイボーグである事は間違いないと思います。それから、犯人と同行者の再現画像も出来ました」

「よし。それじゃ被害者の方にも見てもらう。こっちに来い」

「わかりました」


 グラウザーは朝の指示に従いながら手際よく行動していく。あの有明の事件以後、事件現場での対応能力は日増しに磨かれており、今では一人前の刑事として何の遜色もないくらいに成長していた。

 グラウザーは小脇に抱えていた警察用の耐衝撃型の小型タブレット端末を操作して、それまでに得られた資料から幾つかの人物画像を表示させる。朝はグラウザーが表示させたものを確認するとそれを事件被害者へと提示しながら質問を続けた。

 

「お尋ねしますが、ひったくり犯には同行者が居たそうですね」

「はい、二人で手をつなぎながら走り去って行きました。橋の欄干からはひったくり犯が先に飛び降り、女性は強引に手を引かれて引きずり落とされたようにも見えました」

「では、ひったくり自体にはその同行者の女性は関与していないのですね?」

「はい」

「では、もう1つ――」

 

 朝はそこで被害者に、タブレット端末に用意したいくつかの画像を提示した。映し出されたのは人物画像で、横や斜めといった複数方向からの撮影画像をもとに撮影対象の人物の精密な3次元画像をつくり上げる。再現したのはひったくり犯本人と、犯人に同行していた女性である。

 

「そのひったくり犯と同行者はこれで間違いありませんか?」


 タブレット端末に表示されたシミュレーション再生映像――、一人はフードを被ったアラブ系の風貌のハーフ、そして、同行者がアイルランド系と思われる容姿を持った黒髪の少女。いずれも日本人では無かった。それを見せられた被害者だったが彼の反応は明確だった。

 

「はい! そうです! まちがいありません!」


 興奮気味に叫びながらアラブ風の少年の顔を指差す。日本人でないということ、走り去っていった方角――、それらを加味すると、このひったくり事件が解決が非常に困難な案件になるであろうとは容易に想像できる。

 その事を考えると朝にも皆川にも眉間にシワが寄らざるを得ない。朝は本音を抑えながら、もう一つの画像を表示させる。

 

「グラウザー、あの記録画像を出してくれ」

「わかりました」


 朝に命じられてグラウザーは日本警察の専用データベースへとアクセスする。そして、とある記録映像を検索して表示させる。

 

【日本警察、大規模データベースシステム   】

【検索対象、特攻装警視聴覚アップロード映像 】

【検索日:2029,11,3        】

【検索対象特攻装警:第6号機フィール    】


 必要情報を与えて検索を開始すれば、必要となる画像はすぐに見つかった。それをタブレット端末の方へと転送させる。

 

「もう1つ、ご覧頂きたい物があります」


 タブレットに表示されたもの。それは、あの有明1000mビルの第4ブロック階層にてフィールが戦いを挑んだあのマリオネットたちの映像だった。その中でも女性形の4体、そして、その最後の生き残りである個体の撮影映像が映しだされているのだ。

 それを改めて提示しつつ、被害者に確認を求める。

 

「この人物画像と、今回のひったくり犯の同行者、これをご覧になられてどう思いますか?」


 街頭防犯カメラなどから得られた情報から作られたシミュレーション映像と、あの日、有明にて繰り広げられた死闘の際の記録映像――それらを並べて比較するが、その一致度は極めて高かった。

 

「非常によく似ています。背格好や体格もよく似ています。間違いありません」

「そうですか。ありがとうございました。ご協力感謝いたします」


 朝は被害者に軽く会釈をして質問を終えた。そして、グラウザーもまた朝に倣って会釈をする。

 必要な確認作業を終えてその場から離れるが、現場刑事の皆川を交えてあらためて話し合いを始めた。先に口を開いたのは皆川である。

 

「それで、確認結果は?」


 それに答えたのは朝だ。ややため息混じりに不愉快そうにしている。

 

「クロです。想定していた対象者に間違いありませんよ」

「あの有明事件での逃走者ですか?」

「えぇ、逃走に成功した2体の内の一人、小柄な女性形の方です。個体名ローラ、唯一全くの無傷で逃走しています。海外逃亡も東京都心からの逃走もせずに、あれから二ヶ月あまり逃走を続けていたみたいですね」

「それが今回の事件で姿を表したと?」

「どうもそのようですね。しかし意図的に事件現場に居たのではなく、どうも偶発的に巻き込まれたと考えた方が妥当なようですね」

「なるほど――、被疑者にとっては想定外だったと」

「そう言う事です」


 朝の推測を聞かされて、皆川は納得している。そして、朝は南南東の方角に視線を向ける。

 

「しかし、ここからが厄介ですよ。ひったくりの被疑者はどうも生身の犯罪者ではなさそうなんです。異国人でサイボーグの疑いあり、さらには旧中央防波堤埋立地の方へと逃走――と言うことになれば単なる通りすがりの不良青少年の乱暴事件とはわけが違う。あのふざけたスラム街で寝起きをしている不法滞在外国人だと考えるべきです。しかも、サイボーグ化しているとなれば追跡も補足も困難を極めます」

「やはり、あの〝島〟へと逃走したと?」

「それで間違いないでしょう。むしろ〝向こう側〟の住人だと考えるべきだ。まぁ、八割以上、迷宮化は避けられないでしょうね」

「そうですか――」


 朝の説明に皆川も頭を掻いて溜息をつかざるをえない。厄介なのに絡まった――と思わずには居られなかった。


「今回の捜査データは整理した上で警察用データベースへと保管しておきます。そちらを参照なさってください」

「かしこまりました。ご協力感謝いたします」

「それではこれにて――」

 

 必要な説明を終えて挨拶の後に朝とグラウザーはその場を離れた。そして、あらためて例の橋の欄干へと向かい佇むと朝はグラウザーへと尋ねた。

 

「お前はどう思う?」


 そのシンプルな問いにグラウザーは答えた。

 

「僕もディンキー配下のあの〝ローラ〟で間違いないと思います」

「やはりそうか。それがあの〝向こう側〟へと渡ったことになる」

「はい。あのならず者の楽園に身を隠した可能性が考えられます」

「そうか――」


 自らの意志なのか、同行したひったくり犯に招かれたのか、それを判断するのは情報不足だ。ただ、それを安易に調査する訳にはいかない。

 そこは東京中央防波堤無番区――警察ですら容易には手を出せない最悪の場所であるのだ。

 朝は思案していた。そして、苦慮していた。

 

「年末だってぇのに、めんどくさいのに絡まっちまったぜ」

「そうですね」


 グラウザーも困惑していた。あの場所の面倒さは警察の正規要員として活動するようになってから、何度も味わっている。日本でありながら、日本でない場所。それは日本全体の治安を悪化させる元凶としてマスコミからも度々糾弾されている場所なのだ。

 

「とりあえずは資料集めからだ。そして、なんとしてもあのローラの足跡をつかまないとな」

「はい」

「それじゃ署に一旦戻るぞ」

「了解です」


 朝がそう告げればグラウザーも頷いて朝の後を追う。これから涙路署に帰って得られたデータの分析と報告調書作成が待っていた。おそらく今夜は徹夜になるだろう。

 

「行くぞ」

「はい」


 二人は連れ立って覆面パトカーを停めた場所へと戻っていく。

 事件はまだ終わっては居ないのだ。 


第二章は

サイドAとサイドBのダブルストーリー制です

次回はサイドA・プロローグ『マイ・オールド・フレンズ』となります!


(当初予告とサイドAとサイドBが逆になりました)


挿絵(By みてみん)


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