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幕間 ――出立―― 『交わされる言葉として』

一つの物語が終わり

そしてまた新たな物語が始まる。


幕間 ――出立―― 『交わされる言葉として』


スタートです。

■横浜駅東口近傍、港湾地区、及び、横浜港洋上


 横浜駅東口近傍――

 そこは古くからの港街であり、発展と改変を繰り返す未来都市でもある。

 その変貌のプロセスは目まぐるしく一年と経たずに街の様相が変化していく。

 そして、多くの人々が訪れ、また、何処かへと旅立っていく場所である

 

 それ故だろうか、

 横浜に住む者たちは、人柄として、新参者に優しく、また旅立つものにも寛容であった。

 

「横浜はよそ者に優しい――」


 そう映画やドラマで語られることもある。

 港町として成立する以前は、日本の中心地である江戸/東京の入り口として、旅立ちの街として多くの人々の出会いと別れを見守り続けてきた街である。

 その様な街に訪れ、そして、また旅立とうとしているものが居る。

 

 時に時刻は午後3時を過ぎている。太陽は傾き、もうじき夕暮れ時が始まるだろう。

 

 男の名は伍 志承(ウー シーチェン)

 女の名はウノ、

 伍は濃紺のマオカラーシャツを着こなし、ウノは純白のロングスカートドレスを身にまとい、その肩にはハーフマントをかけていた。

 そして二人は、赤レンガ倉庫と大さん橋客船ターミナルに挟まれた〝象の鼻〟と呼ばれる古くからの港湾地区に足を踏み入れていた。黒髪の伍に対して、ウノは見事なブロンドヘアだ。それが肩まで広がっており、その上にマリアベールのような真っ白なヘッドドレスを被っている。

 伍はウノを導きながら、象の鼻の波止場の一角に係留された大型クルーザーへと乗り込んでいく。

 当然、彼女を丁寧にエスコートをする。はしけから船に渡る際に、ウノに対して右手を差し出し彼女を誘導する。ウノもまたそれをなんの抵抗もなく受け入れいていた。

 余分な言葉は交わされない。ただ視線で互いを認めあい、ウノは伍のする事についていくのみである。そしてそれこそが、ウノが伍に対して払うことのできる最大限の敬意なのである。

 

 船は高級クルーザーとしてはスタンダードサイズ。デッキは2層で1層目がキャビンになっており、2層目が屋根付きのブリッジとなっている。この種の船としては開放されたデッキが少なめだが、おそらくは伍の好み故なのだろう。娯楽性よりもプライバシーを守る事を重視しているのがよくわかった。

 そして、広めのキャビンの中へと入れば、そこは完全な洋上プライベート空間である。

 制限された船内空間を巧みに利用したキャビン内には最大で12名までが座ることのできるラウンジソファがアーチを描いて並んでいる。そしてそこに先に乗船して居たのは二人の少女と二名の男女であった。伍がウノを伴いキャビンに乗り込めば、キャビン内では二人の女性が彼らを迎えていた。

 

「あ、来た!」


 軽やかに転がるような声で迎えたのは、肩出しのピンク色のワンピースのスカートドレスを身にまとたピンク色の髪のトリーだ。

  

伍 大人(ウー ターレン)、お待ちしておりました」


 トリーの隣でともにラウンジでの準備を進めていたのは伍の女性秘書である江 夢(ジャン ムォン)だ。パンツルックの女性向けスーツ姿でトリーとともにグラスを準備している。軽い酒宴をもうけるようだ。

 

「ご苦労」


 伍の落ち着いた声が響く。

 

「準備整っております」


 江も微笑みながら答えていた、

 

「トリーもご苦労だったね」


 伍が問いかければ、トリーははにかみながら答えた。

 

「いえ、みんなで一緒にグラスを傾けるのは好きなんです。お酒は私が選びました」


 笑顔で答えるトリーの言葉に耳を傾けていた伍だったが、トリーが用意していた酒のボトルを見てふとある事に気づいた。

 

「白ワイン? いや、シェリー酒か」

「はい、私のふるさとだとFino(フィーノ)って言うんです」


 伍の言葉に答えるトリーだが、その答えの中身に伍はある事に気づいた。

 

「トリー、君はスペインの出身か?」


 そう問われば屈託なくトリーは答えた。


「はい、これでもアンダルシアです。でも家族みんなで大道芸をやってスペイン中あちこち回ってたんですけど」


 そうトリーが答えれば、伍の背後からウノが言葉を続けていた。

 

「〝わたしたち〟はそれぞれに養い親が異なるんです。彼女はスペインの大道芸一座の一家に育てられました」

「ほう、では君も人前で演技を?」


 そう問われればトリーは昔のことを思い出しながらこう答えていた。


「はい、ジャグリング、テーブルマジック、アクロバット、ダンス――、一通りのことはできますよ。なにしろmadre(母さん)が厳しい人で『働かざるもの食うべからず』が口癖でしたから」


 そう答えながらもトリーは手を止めることはなかった。

 グラスを並べ、食器を配置し、簡単なパーティーの準備をてばやくすすめていく。あっけらかんとして明るく軽妙なトークが特徴的だったトリーの意外な一面である。その手際に感心しつつ傍らのウノにも問いかける。


「ウノ、君は?」

「私ですか? 私はギリシャです。1000年以上続く女子修道院に預けられていました」

「修道院?」

「はい」


 そしてウノは過去を懐かしむように語り始めた。

 

「巨大な岩山の上、清貧の暮らしの中で神への帰依の暮らしをしていました。今でもあの頃のことは思い出します。短い間でしたが身に余るほどの愛情を修道女の皆様方に与えていただきました。ダウもそうです。彼女は英国のとある老貴族の夫婦のところで育ちました。お父上は軍人経験のある方で大変厳しかったそうです」


 そう言われればダウは男の子のような硬い語り口が特徴だった。礼儀正しく、思い切りがよく、常に冷静に思索を巡らせる。伍の盟友である猛 光志(モー ガンジ)が自分の部下にほしいとまでこぼした程の行動力と洞察力と才覚の持ち主である。

 すると、ちょうどクルーザーのキャビンのドアが開く。ダウを先にエスコートして、その後に猛が続いていた。キャビンの中の会話を察していたのだろう。ダウも過去を思い起こして語り始めた。

 

「僕の父上はたしかに厳しくて厳格でした。でも、それ以上に沢山の物を与えてもらった。誇り、責任、叡智、礼儀、エスプリ、プライド――そして確かな愛情。たった3年間だったけど、もし叶うのならあのまま一緒に暮らせていたらと思います」


 ダウの口から漏れたのは離れてしまった養父母への思慕の思いだった。その言葉に伍がある疑問を問う。それは少しばかり酷な問いかけだったかもしれない。

 

「では、なぜ旅立ったのだね?」


 それは当然といえば当然の詰問である。

 

「思慕があり、ともに暮らして恩を返す方法もあったはずだ。だが君は、いや君たちは世界へと、そして戦いの中へと歩みだすこ覚悟を決めた。それはなぜだね?」


 鋭く重い言葉がダウはもとより、ウノにも、トリーにも突き刺さってくる。彼女たちが旅立つ理由、それはそれ相応に必然的なものがあったはずだ。答えをじっと待てば口を開いたのはダウであった。

 

「今でも養父母への感謝の念は尽きません。でも、だからこそです。僕たちの生みの親である〝あの人〟が成そうとしてなせなかった事。そしてそれを成すことに意味があります」


 クルーザーのキャビンの中にダウの言葉が響く。

 

「この世界に仕掛けられた巨大な悪意を阻止する、そのためにも僕たちは生みの親の〝あの人〟の思いを受け継ぐと決めたんです。そしてそうする事で来るべき未来を守れるのであれば、それが養父母への恩返しになると信じています」


 ダウは語り切る。そして、ウノもトリーもはっきりと頷いて同意していた。

 彼女たちが背負った巨大な運命――、それに立ち向かう事で開ける未来がある。そしてそれこそが――

 

「なるほど、分かった」


――彼女たち〝プロセス〟が、世界の闇へと足を踏み入れる理由の一つであるのだ。


 そして今、伍も覚悟を決めたことがあった。

 

「ならば、私はこれからも君たちを支援し続けよう。君たちの悲願である〝あの事〟が成就するように」


 伍がウノたちを席へと促す。

 

「座りたまえ、宴をはじめよう」


 シェリー酒のボトルの一つを開けながら伍はこう告げたのである。

 

「君たちの旅立ちに、そして君たちの武運長久に」


 栓を開けられたボトルからシェリー酒がグラスに注がれる。それが6つ――、伍が先に取り、その次に猛と江が続く。さらにウノとダウ、最後にトリーがグラスを手にした、

 

「大願成就の後に君たちの故郷への帰還が叶うことを願う」


 伍がグラスを掲げ、5人がそれに習う。そして、伍が皆へと告げた。

 

干杯(ガンベイ)


 それは乾杯の合図、中華文化圏では乾杯とはともに酒盃を飲み干すことだと言う。

 ウノたちも、伍のもとに身を寄せてから、多くのことを学んだ。礼儀を通すためにもウノたちもグラスを飲み干す。

 そして、簡素ではあるが船上の宴が開かれた。

 それはこれから難事へと立ち向かうべく旅立とうとするウノたちへの、伍からのせめてもの手向けだったのである。

 


■城南島海浜公園


 東京品川区から南東、羽田空港のちょうど北側に位置する当たりに、海へと突き出した三角形の土地型のエリアで城南島と呼ばれる地域がある。工場や倉庫が立ち並び、そこから海へと望む一体に自然公園が設けられているのである。

 休日ならば家族連れや、スポーツを志向する人々の姿が見えるだろう。だがその日は休日ではない。余暇を楽しむ人の影はまだ少なかった。

 

 そして、城南島の西の端の海浜公園へとたどり着くバイクの一団があった。

 いずれもアメリカンスタイルでありアップライトハンドルが特徴的であった。乗っている者たちはいずれもがレザー系のバイカーファッションに身を包んでいる。年の頃は下は20歳程度から、上は40まで、人数は十二人ほど。男性比率が多かったが、女性の姿も二人ほど見える。いずれもグラマラスであり胸ぐりの広いTシャツやビスチェで己が女性であることをしっかりとアピールしていた。

 城南島海浜公園はL字型のレイアウトをしている。折れ曲がった当たりが突端となって東の海へ突き出している、そこを中心として広がる2翼の南側エリア。そこに駐車場入り口があった。バイクの集団が路上に横付けする。そして、12台のバイクの中程の2台には一見して毛色の違う二人が同乗していた。

 一台はタンデムで二人が乗っており後部席に16歳ほどのルックスの黒髪の少女がいる。もう一台はサイドカー付きでサイドシートに銀髪にカチューシャをつけた15歳ほどの少女が乗っていた。

 黒髪の少女はミドルの黒髪をヘアワックスでオールバックになでつけている。レイバンのサングラスをつけ腰から下はレザーパンツ、足元は男性物のバイカーブーツで編み上げに革ベルトがついていた。上半身には濃い灰色で迷彩柄のモッズコートを羽織り、その下には艶光りする黒いレザー地の三角ビキニで胸を隠していた。若い割には体のラインはよく育っていて、自分が女性であることをアピールする事に抵抗がないのがよくわかった。そしてモッズコートの長い裾に隠すように、両腰に二振りのナイフが下げられていた。それもまた彼女の個性の一つであった。

 黒髪のオールバックヘアの少女はバイクのリヤシートから軽々と降りる。普段からバイクに親しんでいるらしくその所作にたどたどしさはない。

 

「ありがとよ、ここまで送ってくれて。いいリヤシートだったぜ」


 少女はバイクのハンドルを握っていた若者に礼を言う。レザージャケット姿で頭にバンダナを巻いている。アメリカンスタイルのバイカーとしては標準的なスタイルだ。少女の言葉にはにかみながら若者は答えた。

 

「そう言ってくれると悪い気はしねえな。何しろ本場のアメリカンバイクに乗って育ったんだろ?」

「あぁ、オヤジのバイクのリヤシートが定席だったからな」

「どっちが良かった? なんて聞くのは野暮か――」


 そう控えめに問えば少女は答える。

 

「オヤジは俺が乗るとアクセル遠慮するからな。荒っぽいアクセルワークのほうが好きなんだ俺」


 それは世辞だったとしても、若者のバイクのほうが上だったという事を意味していた。そして若者は言う。

 

「だったら、また乗りに来いよ。横須賀のねぐらで待ってるからよ」


 少女の言葉にまんざらでもない口調で若者は告げる。その言葉に少女は答えた。


「あぁ」


 少女がそう言えば、若者が拳を握ったままの右腕を差し出す。それに自らの右腕の手首を打ち付けるように差し出した。

 その仕草に続くように、他のバイカーたちが集まり次々に右手を差し出せば、別れの挨拶のように少女は次々に右手を差し出して打ち付けていった――

 そして、先程の若者が言う。

 

「じゃあな、ペンプ」

「あぁ――」


 サングラスを少し上げ気味にして素顔を見せながら彼女は答えた。そして冷やかし気味にこう告げた。

 

「次に会えたら、なんなら、一回くらいならヤッてもいいんだぜ?」

「馬鹿! がきと寝れるか!」


 互いに悪態をつきながらからかい合う。それもまた気心がしれていた証拠だった。

 

 その賑わいをよそにしてサイドカーから降りてきたのは全く毛色の異なる少女だった。

 銀色のショートのボブヘアに青色のチェック柄のカチューシャがよく映えている。その目元には卵型のレンズのメガネが収まっている。服装は英国の寄宿学校を思い起こさせるようなスカート姿であり、タータンチェックのスカートに脚には濃い茶色のストッキング。足元は学生向けのトラディショナルシューズ。白いブラウスに濃紺のチョッキと赤いリボンタイを身につけ、上半身には襟付きのアカデミックコートを羽織っていた。

 体型は少しばかり小柄であり、サイドカーのシートにすっぽりと収まってしまい、外に出るのに苦労している。それを隣で苦笑していたのは肥満体の白人系の男でバンダナで頭部全体を包んでいる。バイクから降りて回り込むと、サイドカーのシートの少女に手を差し出した。

 

「大丈夫か?」


 流暢な日本語で語れば、銀髪の少女は笑いながら答える。

 

「はい、ありがとうございます」


 右手を差し出すと白人の彼に手を引かれてシートから脱出して降りていく。そしてシート脇に立てかけておいた2つの荷物を取りだす。一つは1.2m程の大型の杖、もう一つはA4サイズはあろうかという厚手の辞書のような書物だ。

 

「よいしょ」


 それを重そうに持ち上げるが抱える手付きは手慣れたものだった。

 

「ずいぶんな大荷物だな。いつも持ち歩いてるのか?」


 白人の男が問えば、少女は静かに微笑みつつ答えた。

 

「はい、父が作ってくれた物なので手放せません」


 少女がそう言えば白人の男が言う。

 

「学者さんなんだってな」

「はい、スイスで世捨て人みたいな暮らししてます。1人で置いてくるのはちょっと心配だったんですが」

「まさかゴミの山で暮らしてたんじゃないだろな?」

「はい、お恥ずかしながら。それを片付けるのは私の仕事だったので。多分、元の暮らしに戻ってるんじゃないかと」


 少女の語るエピソードに男も笑い声を上げる。だが少しだけ冷静になって問いかけた。

 

「でも、それを置いてきちまったんだろ?」

「はい」


 少女は否定せずに答えると白人の男に問い返した。

 

「私、悪い子でしょうか?」


 その言葉には少女が自らの決断と行為に後ろめたさを持っていることを現していた。だがそれは彼女の生真面目さを表すものだった。白人の男は言う。

 

「そうだな」


 その答えに少しだけ困ったふうの顔を少女は浮かべる。だが男は続けた。

 

「だけど、子供はいつか親元から旅立つもんさ。俺もさんざん悪さして迷惑かけながら、オヤジとおふくろのところを出てきちまった。いまじゃ何やってるのかも分からねぇ」

「でも――」


 今度は少女が告げた。

 

「いつかは帰るのでしょう? 大切な帰る場所ですから」


 帰る場所――少女はその言葉で呼ばれる場所の価値を知っていた。

 

「あぁ、今年こそはクリスマスまでに帰るって手紙を書いたよ。返事が来ねえから許してくれるかどうかはわかんねぇがな」

「大丈夫ですよ。手紙が届いたってことは、ちゃんと受け入れてくれてるって事ですから」


 その言葉には少女自身がいつかは故郷に帰ることを胸に秘めていることの現れでもあった。

 

「そうだな――、ペデラもいつか帰れるといいな」

「はい、必ず帰れると信じてますから」


 そして、白人の男はペデラの背中をそっと叩いて告げる。

 

「行こうか、あんたの仲間が待ってる」

「はい」


 ペデラはおとなしい少女だった。そしてとても真面目な少女である。



 @     @     @

 

 

 ペンプとペデラが集い、互いの進むべき場所を確認する。そして、二人は振り返ると彼女たちを送ってきてくれた人々へと向き直る。

 

「みんな――」


 黒髪のペンプが声を掛ける。

 

「すっかり世話になっちまったな」


 銀髪のペデラも告げる。。

 

「本当にありがとうございました」


 だがそれを苦にするような連中ではない。

 バイクの列の先頭を走っていた大柄な年の頃30代中程の男が答えた。

 

「礼を言われるほどじゃないさ、世話になったのはオレたちの方だ」

「あぁ、お前たちが手を貸してくれたから仲間や家族が助かった――、サイボーグじゃない生身の俺らじゃ、武装暴走族の連中から身内を取り返すのは不可能に近いからな」


 そう礼を述べられたがペンプはこともなげに言った。

 

「なーに、荒ら事と揉め事には慣れてるからな。オヤジの仕事が仕事だし、向こうじゃマフィアと競り合うなんてのもしょっちゅうだったんだ」


 その答えに興味ありげにペンプを乗せた男が問う。

 

「お前の親父さんって何ヤッてたんだ?」


 その問いにペンプはにやりとわらってこう告げたのだ。

 

「モーターマフィア。背中にドクロと天使の羽を背負ったやつのな」


 流石の答えに驚く彼らだったが、笑い飛ばしたのは先頭のリーダー格の男である。

 

「なるほど、道理で跳ねっ返りのじゃじゃ馬なわけだぜ」


 信じているのか、真に受けておらず冷やかしているのか、わからない返しだったが、それでもしみったれた別れになるよりはましだった。誰かが笑う、また別な誰かが笑う、そして、ペンプも、ペデラも、笑って別れを告げた。

 二人を残して、その一団は走り去ったのである。

 

 

 @     @     @

 

 

「行っちゃったね」


 そうポツリと告げたのはペデラだ。

 

「あぁ」


 あっさり答えるのはペンプ。

 

「いい人たちに出会えたね」

「まぁ、腕っぷしはちょっと頼りなかったがな」

「えーそう?」


 不思議がってペデラが問えば、ペンプは昔を懐かしむように答える。

 

「でも、仲間思いのいいやつらだった。いなかのオヤジたちの事を思い出す」

「カルフォルニアだっけ?」

「あぁ」


 先程の跳ねっ返りの不良娘な弾け方とは違って、しんみりと過去を思い出すように伏し目がちにペンプは相槌を打つ。その表情を慰めるようにペデラは言う。


「行ってみたいな」

「来いよ、おれたちの〝役目〟が終わったらな」

「うん、その時はペンプもあたしのところに来なよ」

「スイスにか?」

「うん」


 ペデラが笑顔で答える。ペンプも穏やかに笑いながらこう答えた。

 

「そうだな、そのときは皆で行こうぜ」

「うんっ!」


 そして二人は歩き出す。運命の場所へ、戦いの場所へ――

 過酷な動乱が待つ約束の地へ――

 

 

■首都高高速湾岸線



 逗子から横浜横須賀道路へ、金沢シーサイドラインに沿うように首都高湾岸線へと、その車は流れていた。

 アメリカの名オフロード車ハマー、そのH2と呼ばれるモデルである。

 すでに絶版となってから長いのだが、愛好者は今なおレストアとカスタムを重ねながら愛用している。それゆえにその車のオーナーの拘りとアーティストな気性がそこはかとなく感じられる。

 黒塗りのメタルパネルバンボディ、時代に合わせて動力をガソリンエンジンからガスタービン+ハイブリッドのレンジエクステンダーEV仕様に改造しているが、内装はゆったりとした作りの5人乗りであった。その中には4人の人物――

 フロント左の運転席には中背の若い背広姿の男性、その隣には白髪でニットベストの初老の男性――さらに後部席には二人の少女の姿があった。


 一人は深紅の軍装風スカートドレスをまとった赤い髪のショートヘアの少女。髪の左の分け目のあたりにコサージュのようなヘッドドレスをつけている。足には白いタイツをはきふくらはぎまでのショートブーツ。両手には弓矢を引くための補助なのだろう赤黒い革のような素材の小手をつけていた。その双眸は鋭く力強さがあり持ち前の意志の強さが現れている。

 その右隣、初老の男性の真後ろの席。

 もう一人は淡いエメラルドのような鮮やかな黄緑色のロングヘアをたなびかせている。髪には白いフリルのついた大柄なカチューシャスタイルのヘッドドレス。上半身は真珠のような薄く淡い緑色の光沢のあるアメリカンアームホールスタイルのトップスを身にまとい、腰から下は薄くシースルー気味のレース地でできたティアードスカートを重ねている。足は素足で白いパンプスをあしらっている。そしてその体を非常にサイズの大きい純白のショールで包んで、その色白な両肩をわずかに露出させていた。

 鋭い目つきで意志の強そうな赤い髪の少女とは反対に、ややタレ目がちの穏やかでのんきそうな丸い瞳が印象的であった。

 そのエメラルドの髪の少女が前側の席の男性に声をかける。


「本当によろしいのですか?」


 気遣うような言い回しのその言葉に、初老の男性は事も無げに言う。


「何、気にすることはない。これでもあらごとには慣れてるからね」


 冷静に堂々と傍らについている者の心の中から、不安や疑念を自然に拭いとっていく。そんな風のどっしりとした言い回しが印象的だった。


「君たちが向かおうとしているエリアの入り口まで送ろう。そのこともあってこの車を選んだのだからね」


 男性は振り向かずにシートの子に問いかけてくる。その声の主に対してエメラルドの髪の少女は感謝の言葉を口にする。


「何から何まで、すっかりお世話になってしまいました」

「いやいや」


 少女の言葉に初老の男性はやんわりと否定の言葉を発した。


「それもまた私の道楽だよ。それに十分すぎるほど〝報酬〟と呼べるものはもらったからね」


 笑い声を交えながら初老の男性は語る。その言葉にエメラルド色の髪の少女は屈託なく答える。

 

「あぁ、裸婦画のモデルの件ですね?」

「すまんね、わたしの道楽に若い女性をつき合わせてしまって。君たちを初めて見かけた時にあまりの美しさに衝動をこらえきれなかった。君たちを絵にしてみたいとね」 

 

 男性はシートに体を委ねたままその時のことを思い起こしていた。男性はさらに少女たちに問いかける。


「時に、グウィント君、君は素肌を晒すことには抵抗がないんだね」


 エメラルド色の髪の少女の名はグウィントと言う。男性の語る言葉に寄るならば、自らの身体を晒すことに迷いも気負いもないらしい。グウィントはクスクスと笑い声を上げながら返答する。

 

「はい、別に困るような事だとは思っておりません。なにしろ――」


 グウィントは視線を窓の外へと一瞬逸らす。何かを思い起こすかのように。

 

「幼い頃から父のモデルをしてましたので」

「父上の?」

「はい」


 グウィントは穏やかに相槌を打つ。そして、己の出自を淡々と語り始めた。

 

「私を養ってくださった父と母は欧州のとある元貴族の家系の方なんです。資産家で広大な敷地をいまなお持ってらっしゃって、私を人目につかぬように大切に育ててくださいました」

「人目につかぬように?」

「はい」


 グウィントは明快に答えると、その理由を告げる。

 

「私たちは生身の人間と異なり、3年間で大人と同等の体格となります。その急成長ぶりが外部にもれないようにと、配慮してくださったのです。父母も他の家族も私を大切にしてくださいました、音楽や芸術を愛してらっしゃる素敵な方々でした。その中で美術画を大切にしてらしたのが養父でして、特に人物画や裸婦画を嗜好しておられました。もちろんご自身でも描かれておいででしたし――」

「なるほど、それでお父上の絵のモデルに?」

「はい――父は私の容姿をとても褒めてくださいましたが、それ以上に急速に成長する私の姿を『永遠にとどめておきたい』としばしばこぼしておられました。それで父に求められるとモデルになるのが習慣になってしまって――」


 楽しげに語るグウィントだったが、話の終わりの頃には苦笑ぎみに語っていた。

 

「なるほどそれでか、私の絵のモデルになってもらう時にあまりに見事なぬぎっぷりだったので、内心驚いて居たのだよ」

「いいえ、少しだけ慣れていただけです」

「いやいや、私にもお父上の気持ちが少しでも分かるような気がするよ。瑞々しく神々しい、神話のミューズを描いているようだった。アフロディーテかイシスか――そんな思いだったよ」

「そんな。褒め過ぎです」

「謙遜することはないさ。それと御姉妹君の方は、さしずめミネルヴァかダイアナと言ったところかな」


 恐縮するようにそう答えるグウィントだったが、褒めそやされてまんざらでもない様子だった。だがその傍らで二人の会話を耳にしつつも、顔を赤らめながらそっぽ向いてしまう者がいた。赤い髪のスカートドレスの少女だ。


「あらどうしたの、タン」


 タンと呼ばれた少女に対して、その隣で足を揃えて座っているグウィントは半ばからかうように声をかけた。無論それは悪意からではない、グウィントはそもそも他人に敵意や悪意を持つような人柄ではないのだ。自分自身に素直であり自由闊達で、ほんの少しだけあけすけなだけである。

 とはいえ傍らのタンにとってその言葉少しばかりシャクだった。タンが恥ずかしがっている理由をグウィントも初めからわかっているはずなのだから。


「ははは、どうしたね? 思い出しているのかね?」


 赤い髪の少女、タンは男性の声に頷きつつも、そっぽを向いたままであった。そんなタンの様子に、グウィントもにこやかに笑いながら告げた。


「あら? 恥ずかしがるようなことではありませんわ?」


 何の疑念も持たずグウィントが答えれば、顔を赤らめたままのタンは困り果てたように言葉を漏らす。


「わたしには十分恥ずかしい事です」


 少しおこり気味にタンが口にする。でもそれに声をかけるのは初老の男性である。

 

「確かに――君がモデルになると承諾した時の迷い方から察するに、かなりの強い恥ずかしさを感じているだろうとは思っていた。なにしろアトリエに現れてモデルになる準備を終えるのにあまりに長かったからね」

「ふふ、朝10時にアトリエに向かってから絵を描き始めたのが午後の4時でしたものね」

「す、すみません――その、ご迷惑をおかけしたみたいで」

「そんな事はない、むしろ初々しさがあって微笑ましかったよ。これも一つの体験だよ。そもそもだ――」


 タンの反応を面白がるかのようにその声は明るい。


「昨今、なんの抵抗もなく素肌を晒すような女性が多い中で、体を晒して体の隅々、指先に至るまで朱に染まるほどに赤くなる女性が居るとは思いもよらなかったよ」


 男性の言葉にグウィントはタンに視線を送りつつ問いかけた。


「えぇ、私も彼女に裸婦画のモデルになってもらって、まさかあそこまでとは思いませんでした。ね?」


 裸婦画のモデル、つまり一糸まとわぬ姿になったらしい。その時のことを掘り返されてタンはとうとう両手で自らの顔を覆ってしまった。

 

「お願い、勘弁してよ!」


 思い出すだけでも相当に恥ずかしかったのだろう。首筋まで赤く染まっているのがよくわかった。

 

「ふふ、大丈夫よ。タンちゃんもすごい綺麗だったし、オーナーさんも外には出さないって約束してくれたし」

「あぁ、約束しよう。あくまでも私の個人的なコレクションとしてだれにも見せんよ」

「それなら良いでしょ? ね?」


 グウィントになだめられてタンは小さく頷く。そして初老の男性はある事を尋ねた。

 

「しかし、なぜそんなに恥ずかしいのかね? 今どきの若い女性は水着ですら抵抗なく素肌を晒す。正直言って〝古風〟と言えるね君は」


 タンは顔から両手を外しつつ問い返した。

 

「古風――ですか?」

「あぁ、かつてはこの日本にも君のような身持ちのかたい、堅実な考えと振る舞いの女性が多く居たものだ。むしろそう有ることが美徳とされていた時代があるんだよ。―男女七歳にして席を同じゅうせず―、私の祖母の世代などは特にそうだった。正直、懐かしいと思ったよ」

「懐かしいですか?」

「あぁ」


 男性は感慨深げに言葉を漏らす。それは幼い頃の憧憬を思い出しているかのようであった。その姿にタンも視線をおくりながら、自らの出自の一端を明かしたのだ。

 

「おそらく父の影響だと思います」

「お父上の?」

「はい」


 タンは落ち着いた口調で答えた。

 

「養父はドイツの退役軍属だったんです。最前線は退いて悠々自適の恩給ぐらしと言う身分でしたが、老いを感じさせない強さを持った人でした。当然、非常に厳格で、身支度や礼儀作法にうるさくて人前で着替えることすら許さないほどだったんです」


 養父の事を口にするタンの表情はどこか嬉しげである。その面持ちに男性は問うた。

 

「なるほど――それでかね」

「はい。それに母は父に相応しい人で、敬虔なクリスチャンで礼節と分別を重んじる人でしたから、私が素肌を晒してモデルになったと知ったら卒倒してしまうと思います。だから父と母の事を思うとどうしても踏ん切りがつかなくて」

「それは――」

 

 初めて語られるタンの過去、それを耳にして男性はすまなそうにつげた。

 

「悪いことをしたな。すまんね、わがままを言ってしまって」

「いえ、お気になさらないでください」

 

 詫びる男性の声にタンは穏やかに受け流した。

 

「恥ずかしかったのは事実ですけど、実は私もグウィントの自由奔放なところに憧れがあったんです。自由に自分をさらけだせたら――と」


 その言葉にグウィントも驚きを隠せない。

 

「あら? そうだったの?」

「うん、迷いもてらいもなく風のようにそつなくこなせる君のことを心の何処かで羨ましく思ってたからね。私は人からあまりに固すぎるって言われるんだ。だから本当は――、ありのままの自分を描いてもらえて嬉しかったんです」

「そうか、そう言ってもらえると――」


 初老の男性が笑う。その笑顔の一端がルームミラー越しに垣間見えている。

 

「描いた私としても嬉しい、君たちの歩みのその一歩に記憶を留めることができたのであれば」


 そして男性は尋ねる。

 

「それに君たちはこれから〝戦い〟の場へと赴くのだろう?」


 そう問えば、タンが答える。

 

「はい、この世界の行く末のために」


 さらにグウィントが続く。

 

「そして、果たすべき〝約束〟のために」


 そしてその言葉を受けて男性はこう応えたのだ。

 

「ならば、これは一つの運命だったのだな。君たちを迎え入れて世話をすることができたのは」


 男性は振り返ると、柔和で穏やかな視線をたたえて二人を見つめていた。

 

「私への連絡方法は覚えているね?」

「はい」

「教えていただいた事はすべて」

「それならよろしい。これも縁だ〝戦い〟が終わったらまた私のところへと来なさい。力になろう」


 その初老の男性は言った。〝力になろう〟と――

 そして、タンとグウィントはこう応えたのだ。

 

「ご厚情痛み入ります」

「ありがとうございます、〝神崎〟様」


 二人が答えればその初老の男性は満足げにうなずき返したのだ。

 そしてハマーは走り続ける。一路、東京のとある場所へと目指して――

 


■東京湾洋上



 そこは頭上の太陽が傾き始めた東京湾の片隅だった。

 東京都のエリアの一角に、東京湾中央防波堤外域とよばれるエリアがある。そしてそこからさらに海ほたる寄りの洋上――

 陸地から少し離れた海域に浮かんでいる一隻の小舟があった。

 埋立工事などに用いられる土砂運搬船の小型の物を改造した洋上バラックである。

 

 波間に漂うようにそれはただ静かにしていた。息を潜めてだれにも気付かれないようにと気配を消そうとしている。そして、そのバラック船のそばを行くのは海上保安庁所属の巡視船である。

 

「よーし、チビども。もう少しだからな」


 そう力強くやや男っぽい声を発するのは、黒い素肌の持ち主で黒髪の散切り頭の少女だった。

 船内には数人の子どもたちが息を潜めてじっとしている。そして年老いたもう一人の女性がその子どもたちを必死になだめていた。だがそんな彼らを余裕の態度で見持っていたのが、件の黒い肌の黒髪の少女である。

 脚は編み上げのブーツで腰から下はオリーブ色のニッカボッカ。上半身はネイビーカラーの長袖シャツの上に迷彩柄の半袖丈のジャケットを羽織っていた。その腰にはポケット付きのベルトとガンベルトが巻かれ銃やナイフも備えられている。それは〝傭兵〟と呼ぶに差し支えないような物々しさを感じるような出で立ちである。

 そして、海保の巡視船が通り過ぎていくと、船の外から声がしてきた。

 

「行ったよ。もう大丈夫~」


 いささか力の抜けそうな柔和な声が響いてくる。まるで水中でイルカが鳴いているかのような抑揚があった。

 黒い肌の彼女が外に出て顔を出す。

 

「おぅ! ご苦労さん! デュウ」

「へいきだよ、コレくらい」


 デュウと名を呼ばれた少女は船外で甲板の端に腰掛けていた。

 髪はウェービーなアクアブルーのロングヘアで背中の中ほどにまで伸びている。その髪の左の端に羽つきの小さなヘアアクセがついていた。上半身は純白の袖なしのトップスに、腰から下には紺色のティアードの巻きスカート、足元には濃紺と水色と金色のストライプのミドルブーツを履いていた。さらには襟元から両肩を覆うようなハイロングのマフラーを肩の周囲に巻いており、それが風にたなびくように両肩から左右後方へと流れていた。 


「だろうな。海の上で蜃気楼を操るなんてデュウの十八番(おはこ)だからな」

「ふふ、ありがとう。ダエア」


 黒い肌の黒髪の少女の名はダエア、彼女と行動をともにするアクアブルーの髪の少女の名はデュウと言う。

 よく見れば洋上バラックの周囲には濃い霧のような陰りが立ち込めていた。それが光を散乱・屈折させて居るのだろう。

 

「じゃあ解除していい?」

「あぁ、もう良いだろう」

「オッケー」


 弾むような声で語りながらデュウは右手を掲げてそれを周囲に向けて一振りする。するとバラック船を覆い隠すように張り巡らされていた奇妙な霧煙はまたたく間に霧散して行ったのである。それを視認して、ダエアは船内の親子たちにこう告げたのである。

 

「ほら、もう大丈夫だぜ」

「ほ、本当ですか?」


 ダエアの言葉に顔を出してきたのは白髪が髪のいたるところに浮かんだ初老の女性だった。あまりいい暮らしはしていないのだろう。その容貌には苦しい生活の実態がありありと浮かんでいる。そんな彼女を労るようにダエアは語る。


「あぁ、ポリスの船はやり過ごした。船のエンジンも直しておいたからもう航行できるだろう」

「ありがとうございます。助かりました」

「旦那さん、当分帰ってこないんだっけ?」

「はい、まとまった金の入る仕事ができたと言って、西の方へと行きました。1ヶ月は帰れないと――」


 女性の語る言葉にダエアは内心では嫌な予感を感じていた。そんな甘い話をばらまいて、ついてきた〝カモ〟をタコ部屋労働や臓器移植の苗床として拉致って犠牲にする――、そんな残酷な裏ビジネスをしている連中のことを聞かされたことがあるのだ。その旦那とやらが帰ってくるかは五分五分、むしろ帰ってこれない確率のほうが明らかに高いだろう。

 ダエアは、夫の言葉を信じて必死に帰りを待つ奥さんに現実を語りそうになるがそれだけはぐっとこらえた。表情を変えずに冷静なままで次の行動を彼女たちに促すのだ。

 

「そうか、速く帰ってくるといいな」

「はい、この子らも父親の帰りを待っています。それまではなんとかやりくりして過ごそうと思います。それでは沿岸へと向かいましょうお約束通り、お二人をあの街へとお連れいたしますので」

「あぁ、頼むぜ。おれは船首の方で周りを見張ってる。奥さんは操船頼むぜ」

「はい、かしこまりました」


 この船はそう大きくない、船尾にエンジンと操舵席がある。逆に船首の方は作りはいたってシンプルだ。舳先にはロープも救助用具も無い。簡単な手すり代わりの柵が申し訳程度にあるだけだ。甲板の板もところどころ傷んでいて割れかけている。船体本体は安全策の一環としてエンジニアプラチックによる船体が用いられているためなんとか耐久できているが、それもいつまで持つのか不安を感じてしまう。

 それを振り切るように、船の舳先へと向かう。そして、その傍らからデュウがついてきたのだ。船の前側にはダエアとデュウしか居ない事になる。誰にも気兼ねせず会話ができるだろう。

 

「ダエア」


 ダエアの名をデュウが呼ぶ。

 

「どうしたの?」


 ダエアが何かを感じたことを察したのだろう。そっと問いかける。ダエアはデュウの顔をそっと眺めつつ語り始めた。

 

「俺の勘だが、おそらくあの親子の父親は生きちゃいない。仮に生きていても五体満足ってわけにゃいかないな」

「それって――」

「あぁ、とっくに金に変えられてるだろう。やり方は色々ある。臓器牧場の苗床、薬物実験の非合法サンプル、違法性サイボーグの改造素体、〝人の体に捨てるとこなし〟――そう言った馬鹿が居たが。それが世の中の現実だ。そして犠牲は世の中の下の方から常に始まる。今の世の中、そんなのばっかりだ。クソっ」


 荒い言葉を吐くダエアに同意するようにデュウも語る

 

「うん、そんな予感はしてた。物語だったら、約束は守られて無事に家族は再生される。でも――」

「これは物語じゃない。〝世の中〟って言う現実」

「現実って時々すごい残酷だからね。華やかで理想的な未来だけがあるわけじゃないわ。表通りがものすごいきれいでも、路地裏一つを曲がれば、ゴミの山のように薄汚れている。そんなの世界中のどこにでも見かけるわ」

「でも、たとえそうだったとしても、それは諦める理由にはならないさ」


 そしてダエアの視線は眼前に見えてきたものへと注がれていた。

 

「俺たちはあそこへと行かねばならない」

「うん」

「なぜならあそこには――」


 二人の視界に見えてきたもの――それは一つの街であった。そして、それは島であり、スラムであり、東京という都市の場末の地であった。退廃の象徴、悪夢の顕現、欲望の蜃気楼、希望の潰える場所――


 その名は『東京アバディーン』


 それが彼女たちが目指している場所であった。そこに彼女たちが求めるものがあるのだから。

 デュウがつぶやく。

 

「私達の生みの親たるお父様が、私たち同様に生み出してくれたはずの存在」

「あぁ、俺達はそれを取り戻さねばならない」


 彼女たちには求めるものがある。取り戻さねばならないソレを――

 そして、それを追い求めた末にたどりついたのがこの街だったのだ。

 東京アバディーン――、本来の名を『中央防波堤外域埋立番外地』

 大東京の全域から排出される廃棄物を埋め立てて作り上げられた土地である。

 人はその地をこう呼ぶ。

 

――ならず者の楽園――


 二人を乗せたバラック船はふらふらと漂うように儚げに進んでいく。

 東京アバディーンの地を目指して。

 物語はすでに始まっていた。


次回


滅びの島のロンサムプリンセス


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