エピローグ『第2科警研にて』
長い戦いが終わり、物語はひとまず安楽の時を向かえます
そして、事件に関わった者たちが互いを労うためにある場所に集まります。
エピローグ『第2科警研にて』
スタートです。
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有明1000mビルの事件から一週間が過ぎていた。
カレンダーの日付は11月8日を指していた。
その日は晴れやかに澄み渡っていた。
東京は府中から南西へと向かった地にあるのが多摩川沿いの中河原である。特攻装警たちを生み出した第2科学警察研究所――通称、第2科警研はその地に存在していた。
その日、一台のリムジンバスが東京都内から中央高速を経て中河原へと向かっていた。中央高速を国立府中ICで降りると府中市内を走り、多摩川の辺りの中河原へと向かう。そして、文部科学省の責任で設立されたとある学術研究施設へとたどり着く。
中河原シヴィライゼーションイクイップメント
特定の学術組織の為に設立されたものではなく、その時々の情勢に応じて広範囲に学術研究活動を行う組織のために適時運用される事を目的とした雑居形式の研究施設建築物である。
それまで様々な組織や団体がそこを利用していたが、現在では三分の二近くをとある組織が専有していた。
その組織の名は――
第2科学警察研究所
日本警察へのアンドロイドの導入を目的として設立された、日本国内でもトップクラスのアンドロイド開発研究組織である。
その日、そこへと向かうリムジンバスの中には、あの日、有明1000mビルで特攻装警たちによって救助された英国王立科学アカデミーの円卓の会のメンバーの顔があった。そこには円卓の会のリーダーであるウォルターを始めとする8名がそこに乗車していた。
その座席の片隅には右手をサポーターで吊るしているマーク・カレルの姿があった。未だ全ての傷は癒えてはいなかったが、それでも病院の外へと外出するくらいには回復している。彼はそれまでにないくらいに晴れやかな表情でバスの窓から見える景色に視線を走らせている。
通路を挟んだ反対側に座っていたメイヤーが問いかける。
「随分とスッキリしたじゃないか」
その問いかけににこやかに微笑みながらカレルが問い返す。
「それはどの意味でだ?」
「すべての意味でだ。憑き物が落ちたってやつだな」
憑き物――その例えを耳にしてカレルは思わず苦笑した。
「あぁ、あのビルのあの場所で洗いざらい捨ててきたからな」
「思い残すことは?」
「そうだな、もう何もないと言えば嘘になる。過去のケリはついたが、これからの世界がどうなっていくのか見てみたくなった。まだ死ぬわけにはいかない」
「欲張りだな」
「悪いか?」
「いや、悪くない。人間それぐらいがちょうどいい」
そう語りかけるメイヤーはカレルの様子に安堵していた。メイヤーは知っていた。この男が復讐だけを糧として今日まで生きていたということを。ディンキーと言う男にもたらされた英国人への苦難をその身に一身に背負ってしまったような男だが、その復讐が果たされたことで抜け殻となってしまないかと気がかりだった。だがそれも杞憂の様だ。
メイヤーは不意に頭の片隅に湧いた話題を口にする。
「アジアで信奉されてる宗教で仏教って知っているか?」
「仏教? ブッディズムか? あぁ、聞いたことがある。カソリックもプロテスタントもムスリムも、宗教と言うのはおしなべて紛争の種となることが多いが、仏教だけはそう言う血なまぐさい話は近世においてはあまり聞いたことがない。それがどうかしたか?」
「実はな、その仏教での概念の1つに〝悟り〟と言う物がある。迷いや苦しみや雑念や欲望、そう言った心を惑わし人生を狂わせるものを心のなかから消し去り、迷いのない平穏に満ちた境地に至ることを目指す物だ」
「なんだか、宗教というより哲学に近いな」
「そうとも言えるな。しかしこの悟りに至るという物がそうとうに難しいらしい。仏教の僧侶が一生涯をかけて悟りを目指して修行したなんて話はいくらでもある」
カレルはじっと沈黙しながらメイヤーの言葉に耳を傾けている。
「だが、こう言う生き方もある。己の身の内に湧いてくるものは堪えようがない。反対に、己の身に降り掛かってくるものは避けようがない。ならば幸運も不幸も善も悪もあらゆる物を抵抗すること無く受け入れあるがままに生きる――、あえて悟ろうとせずにそう言う生き方を目指したブッディストもかつていたと聞く」
そう告げる言葉はカレルの心に染み入っている。そして、メイヤーは核心となる言葉をかれるに告げる。
「カレル、君はまだ悟り切るには早過ぎる。世俗のよどみの中で藻掻いているのも悪くない」
その言葉にカレルははっきりと頷いていた。
「無論だ。〝生きる〟と言う欲望を捨てるつもりはないからな」
そこには明るく晴れやかながらも、強い視線をたたえたいつものカレルの姿があった。メイヤーはカレルに問うた。
「それで、これからは何をする?」
「軍用アンドロイドの調査研究を続ける。今回の件でわかったが、地下社会に相当な数の戦闘アンドロイドが流出している。ディンキーのマリオネットのような存在が増えることはあっても自然に減ることはない。それと軍事技術の流出がこれほどまでに深刻化しているのも見過ごせ無い。一般社会の守り手は〝彼ら〟のような存在に任せるとして、私は私にしかできない戦いを続けるよ」
それも1つの悟りだった。妻と子の仇を撃つために生きてきた復讐の生涯だったが、そのために続けてきた苦闘を手放すこと無く、これからの未来と世界の安寧のために続けるつもりなのだ。
メイヤーはこの男が好きだった。頑迷で気難しくはあったが一つの信念にむけてまっすぐに進む姿をいつも頼もしく思っていた。
「カレル、及ばずながらワタシも協力しよう。最近の地下社会勢力やゲリラ組織や軍事バランスなどが急激に変化しつつあるとは感じていたんだ。データ集めと理屈をこね回すことしか出来んが、それでもなにかの役に立つだろう」
2人は互いのことを認めながら頷きあう。それは科学者にしか出来ない戦いへの決意でもあった。
不意にリムジンバスが速度を落とす。そして、目的の施設へと到着する。
「着いたようだな」
バスは中河原の施設の正門ゲートをくぐると施設の正面入口へと横付けする。そして、静かに停車させると円卓の会の面々の案内をかってでていた者が声を上げる。
「皆様、到着いたしました」
引率のSPの婦人警官が明朗な声でバスが到着したのを受けて立ち上がり誘導を始めた。皆が三々五々に立ち上がろうとする中、カレルはまだ右脚が完治していないためか立ち上がるのに苦心している。そのカレルに柔和な声で語りかけてくるのはエリザベスだ。
「大丈夫?」
そっと右手を差し出すとカレルが立ち上がるのを補助してくれている。
「すまんね」
カレルはエリオットの手を借りて立ち上がると松葉杖を使いながら歩いて行く。
その背中を眺めながらエリザベスはメイヤーに言葉を漏らした。
「変わったわね。あんなに穏やかな顔をするなんて」
「いいや、変わっていないよ」
「え?」
「彼は昔から物静かで気持ちのまっすぐな男だった。それがあの不幸な出来事で立ち止まってしまっただけだ。本来の彼に戻ったんだ」
「そう――」
メイヤーの言葉にエリザベスは頷きながら彼らの後を追いかけていった。
リムジンバスをガドニックを先頭に一人一人降りてくる。そして、降りた先には第2科警研の所長である新谷と、技術主幹である呉川が待機していた。ダークグレーの背広姿の新谷と、ノーネクタイに白衣という姿で新谷より頭一つ分は大きい呉川が、正面玄関の自動ドアの前に並んで立っており、その二人の視線はリムジンバスから降りてくる来賓たちの姿を捕らえている。
女性SPに誘導され、先頭を切って降りてきたのはガドニック教授だ。彼だけは特攻装警の開発に協力している関係上、すでに何度もこの場所へと足を運んでいる。バスから降りると共に一言つぶやく。
「ここはいつも変わらないな」
そして、勝手見知った旧知の人物たちへと歩み寄る。
「お久しぶりです。新谷所長。ミスター呉川もお元気そうでなによりです」
ガドニックが右手を差し出せば新谷も右手を差し出して答える。呉川もそれを追うように右手を差し出し握手を交わす。
「いやぁ、ガドニック教授! こちらこそ。ご無事でよかった! 一時はどうなることかと思いました!」
「いえ、幸運だったのと、この国の警察の方々が優秀だったお陰です。それに特攻装警のみんなには大変にお世話になりました」
「今日はごゆっくりなさっていってください。あいつらも皆様がお見えになられるのを待っていましたから」
「えぇ、楽しみにしていますよ」
新谷は持ち前の明るさを振りまきながら挨拶を交わす。そして、他のアカデミーメンバーとも挨拶を交わしていく。その傍らで呉川はガドニックに歩み寄り声をかける。
「やっと、安心して暮らせますね」
その言葉がディンキーの事を指し示しているのは明らかだった。
「えぇ、皆さんのおかげですよ」
心からの感謝の言葉をガドニックは呉川に返した。だが呉川は告げる。
「いいえ、その言葉はアイツらに言ってやってください。最前線で戦ったのは私達技術屋じゃあない。ねぎらいの言葉はアイツらにこそふさわしい」
そう語りながら振り向いた先にはガラス越しにフィールとグラウザーの姿が見えている。グラウザーはいつものバイカージャケット姿で、フィールは薄クリーム色のロングスカートにゆったりとした仕立てのブラウスとでまるでティーンエイジの少女の様な装いをしている。
ガドニックがその方向へと視線を向けた時、グラウザーたちと視線が合う。その瞬間、ガラス製の自動ドアを開いてガドニックの元へと2人がかけてきた。
「教授!」
「ガドニック教授」
グラウザーが少年のように弾む声で、フィールは落ち着いた年長の少女の声で、ガドニックに声をかけてくる。
「行ってやってください」
言葉をかわしてガドニックがグラウザーたちの方へと歩み出せば、グラウザーたちも彼を心から待ちわびていたようであった。
「二人とも元気だったか?」
ガドニックが問えばグラウザーが声を弾ませて答える。
「はい!」
答えはシンプルだったがそれだけでグラウザーが今、どれほどやる気と生きがいに満ちているかはっきりと伝わってくる。そしてそれはグラウザーが着実な成長を遂げていることの証しの一つでもあった。
その隣では両指を組んでガドニックを静かに見つめているフィールが居る。よく見ればフィールは頭部にはいつものヘルメットスタイルのシェルがない。耳の辺りまでのミディアム丈でブラウン色の髪の毛を綺麗に左右分けで後ろへと流している。肩から下のプラスティックボディさえ気にしなければまるっきりの美少女である。
「ずいぶん、見違えたな。まるでどこかのハイスクールガールじゃないか?」
「やだもう、からかわないでください!」
フィールは顔を赤らめつつ教授に言い返す。
「いつもの通りでいいって言ったのに、しのぶさんたちがどうしてもって」
「あぁ、ミス布平か。彼女たちらしいな」
「ほんと、いつも言い出すととまらなくって。それで頭のメットシェルをフレームごと外して、このヘアスタイルの物に取り替えてくれたんです」
「なるほど、フィールのオフ仕様と言うわけか。しかしとても似合ってるじゃないか」
「そうですか? ありがとうございます。いつも仕事用の服しか着てないからこう言うの慣れてなくって。あ、それより立ち話も失礼ですからみなさまと一緒に中へどうぞ」
そう語るフィールの仕草はとても自然で一人の少女として違和感は全く感じられなかった。これもまたアンドロイドの開発研究が到達した成果の一つでもあった。
「フィール!」
不意にそう声をかけてきたのはエリザベスだ。その隣には松葉杖を頼りに歩いているカレルが居る。エリザベスは歩くのに手間取るカレルをそっと補助している。
「エリザベスさん、カレルさん」
「元気そうね」
「はい! みなさんもご無事で何よりで」
そしてその傍らからカレルが声をかける。
「君を見てるいると、ディンキー・アンカーソンが執着していたものがいかに過ちであったかがよく分かる」
「カレルさん」
「君には大変に世話になったな」
「いえ、私は――」
フィールは一呼吸置くとカレルに歩み寄りながら答える。
「私自身の存在理由を果たしているだけです」
微笑みつつもいつもの任務時の時と変わらぬ強い視線をたたえている。カレルは満足そうに頷きながら問いかけた。
「君ならそう言うと思ったよ。世界が君のような存在で満ちていたら戦争も起きずに済むのだろうが――。いや、これはここでは話すべきではないか」
カレルは嘆いてみせたがすぐに言葉を変えた。
「すまんな。君がなぜ気になって仕方ないのか病院のベッドの上で何度も自問自答していた」
カレルからもたらされた言葉に驚きつつフィールはその言葉の先をじっと待った。そして、カレルはフィールの顔をじっと見つめるとその口から意外な言葉を漏らす。
「君は死んだ私の娘に似ているんだ」
それは驚き以外の何物でもなかった。フィールが思わず声を上げエリザベスも傍らで言葉を失っていた。
「えっ?!」
驚くフィールを前にしてカレルは懐から小さなフタ付きの懐中時計を取り出す。そしてボタンを押してフタを開けると内側に忍ばせてあった色あせた1枚の写真を明かしてみせた。左右にボリュームのあるショートカットとよく目立つ力強い瞳が印象的な少女が写っている。
「ヴィヴィアンと言ってね、今生きていれば16になったはずだ」
その写真の少女が今も健在であるならば、背格好はたしかにフィールと同じくらいだったろう。フィールがいつもの頭部のシェルを外して髪の毛を生やしていることで、確かに似ていると思わせる何かがあった。フィールはエリザベスに視線を送ると片手を差し出す。
「カレルさん、私がご案内しますね」
エリザベスもフィールの意図を察してカレルの隣をフィールへと譲った。
「すまんね」
カレルの言葉にうなづきながらフィールはカレルの左肘をそっと支えるとエスコートしていく。
皆が微笑ましげに二人の姿を見つめている。そして、グラウザーが皆に声をかけた。
「さ、参りましょう」
止まっていた空気が動き出した。第2科警研の扉が開かれ人々はその中へと足を踏み入れたのである。
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それは誰が言い出したかは覚えていない。ただ、明朗に誰からとも無く提案された事だ。
「特攻装警たちの生まれた場所を見学してみないか?」
それは感謝の意を表したいがための提案であった。それと同時に、一人の科学者として特攻装警と言う存在についてその裏側も可能なかぎり見てみたいと言う知識欲も関係していた。無論、日本警察としても断る道理は無かった。ちょうど、カレルが回復して一時外出が可能になったのを期に第2科警研へと訪問する事となったのである。
その日、普段から特攻装警たちの身柄を預かる上司たちも、第2科警研の新谷所長の声掛けでガドニックらアカデミーメンバーに挨拶をしてはどうか? と言う事になったのだ。
かくして有明の事件に関わった人々が第2科警研に集まることとなったのだ。
@ @ @
「こちらです――」
皆を案内して施設の中へと招いていくのはグラウザーだ。
そこは学術研究施設である。だが、グラウザーはもとより特攻装警の彼らにすれば産屋であり、学び舎であり、日々を暮らすための住まいでもある。それはちょうど、来客に自分の家の中を案内しようとする子供のようにも見える。どこか誇らしげで、どこか楽しげである。以前ならそのまま子供そのままの言動を振りまいたことだろう。
だが、現在のグラウザーが以前とはある点で明確に変わっていた。
ガドニックがグラウザーに問いかける。
「警視庁の方たちもお見えなのかね?」
グラウザーは少しばかり視線を合わせて頷き返すと、再び案内を続けながらガドニックへと返答する。
「はい。皆さん、すでにお待ちです。アカデミーの皆様とお会いできるのを楽しみにしてらっしゃいます」
「では全員揃っているのだね」
「警視庁からの方と、第2科警研の方はおそろいです。ですがセンチュリー兄さんともうお一方だけ遅れていますが、もうじき来るはずです」
「もう一人?」
本来、今日、ここに集まるのは特攻装警の身柄を預かる警視庁本庁の人間と、第2科警研で特攻装警の開発とメンテナンスに関わっている技術者たちだったはずだ。それ以外に来る人間が居るとはガドニックたちも予想外だった。
「本当はお招きする予定ではなかったのですが、センチュリー兄さんがどうしても教授たち皆さんにご紹介したいって言うんです。どういう方かは僕から説明するより実際にお会いした方が早いかと」
「センチュリーの紹介か」
「はい」
「それはそれで楽しみだな。今までにない意外な出会いになりそうな気がするよ」
「僕もそう思います」
グラウザーは振り向きながら笑って頷いていた。必要以上にはしゃぐでもなく、ふざけるでもなく、ごく自然に穏やかにガドニックとの言葉の切り返しをこなしているのだ。ガドニックはそのグラウザーの立ち振る舞いに感じ入るものがあった。そしてグラウザーに抱いた感想を、すぐ側を歩いている呉川へと問いかける。
「ミスター呉川」
その言葉に呉川が振り向く。
「変わりましたな。彼は」
「やはり、教授もそうお思いですか?」
「えぇ。一皮むけたようです。今までの停滞が一気に流れ去ったかのようだ」
「ワシも同感です。歴代の特攻装警たちの中でも、あれだけ手こずったのがウソのようです」
呉川は今までの苦労を思いながらも感慨深げに語る。その呉川に、ガドニックもまたしみじみと噛みしめるような口調で語った。
「臨界点を超えたのですよ」
「臨界点?」
「えぇ、アンドロイドの頭脳と云うのは育成成長の過程で、その頭脳に蓄積した知識と体験が相互に結びつきを強めながら新たな意味を再獲得していく。それにより停滞と成長を繰り返しながら彼らは前へ前へと進み続けます。
多くは成長の速度は一定で堅実なものだが、その中には長い停滞の後に、ある一点を境にして、より激しく爆発的な成長をする者も居る。それもまるで別人に見えるかのようにです。ワタシはこれを『自我確立の臨界点』と呼んでいます」
「なるほど、確かにグラウザーのケースはまさにそのケースですな」
「えぇ、一度、臨界点を超えれば後は目覚ましい速度でさらなる成長を遂げていくことになる。彼は――グラウザーはこれからもさらなる飛躍を続けていくでしょう」
呉川はガドニックの言葉に頷き返した。
「そう言って頂けると心強いですな。なにしろ彼らにとり教授は親も同然の方です」
「いや、それは違う」
ガドニックは呉川の言葉を否定した。
「彼らにとって、この第2科警研の方々こそ家族であり親でもある。ワタシはちょっとしたお手伝いをしているに過ぎませんよ」
「なるほど、そう言う見方もありますな」
呉川はガドニックの言葉に肯定も否定もしなかった。ただ、そう言ってもらえるだけでも満足だ。
そして、二人のやりとりはそこで一旦終わりとなった。いよいよ目的の場所へと到達したためだ。
そこは第2科警研の施設の中の会議室を兼ねたレセプションホールである。
7階建ての建物の3階にそれはあり、第2科警研が使用しているエリアのほぼ中央に位置している。畳数で言えば30畳ほどになるだろうか、いつもなら環状に机が並べられて会議が行われるか、大学の講義室のようなレイアウトで学術的なセミナーや発表会が行われている部屋であった。そこに立食パーティーのスタイルで多数の丸テーブルが持ち込まていた。その丸テーブルを囲むようにして人々が集い、語らい合っている。
その彼らの前にガドニックたち英国アカデミーのメンバーが姿を現したのだ。
「英国科学アカデミーの皆さんがご到着されました!」
グラウザーが来賓の到着を告げれば、皆の視線が一つに集まってくる。
かくして宴が始まった。
そして、それは長い戦いを経た者たちへの感謝と労いの始まりであった。
@ @ @
先んじて立ち上がり英国科学アカデミーの面々の前に姿を表したのは警備1課課長の近衛であった。
いつもの略式の機動隊服とは異なり警察の礼服姿をしている。背広でも良さそうなものだが手抜きめいたことが出来ないのは近衛の性格の特徴だった。
数歩進み出ると、入室して立ち止まったガドニック教授たちの前に進み出る。
「お待ちしておりました」
敬礼しつつ声をかければ、近衛に返礼するために進み出てきたのは円卓の会の代表を務めるウォルターだった。ウォルターは近衛の姿と立ち振る舞いを見るにつけて、その人物が警察の人物であることをすぐに理解する。そして、あの有明事件にて陣頭指揮をとっていた人物がこの人物であることを思い出していた。
「いえ、それは私達が言わねばならない言葉ですよ」
そう答え返すとウォルターは右手を差し出す。
「英国科学アカデミー使節団代表のウォルターです」
「日本警察警視庁、警備1課課長の近衛です」
近衛もまた、ウォルターの右手に自分の右手で答えて固く握手を交わした。そこにウォルターが左手を重ねて更に強く握手をする。
「有明のテロ事件では事件解決のためにご尽力いただき、心より感謝いたします。これで――」
ウォルターは深く息を吸い込むと感慨深く感情を込めて感謝の念を口にする。
「我々、英国人は安心して暮らすことができます」
それは偽らざる心からの本音だった。メンバーの中で一番若いトムが感慨深げに語る。
「ぼくたち英国人はディンキーがテロ活動を初めて以来、海外渡航すら命がけでした。僕も友人が何人か被害にあっていますが、アンドロイドテロの悪夢から開放されることを願わなかった事は一日たりとも無かった。それがついに訪れたんです」
トムに続いて声を発したのはアルフレッドだ。
「私からも謝意を表したい。あの巨大な災厄と化していた既代の犯罪者を止めていただけたことは、どれだけ感謝の言葉を並べても足りないくらいです」
さらに続いてホプキンスが告げる。
「あのディンキー・アンカーソンには世界中の軍隊や警察が全力を上げて対抗していたが、誰も阻止できなかった。今やディンキーの事例を手本として、世界中でアンドロイドやサイボーグによるテロリズムが広がりを見せつつある。だが、それを明確に阻止できたことはとてつもなく大きな功績です」
アカデミーの皆が頷いている。そして、それを追うようにメイヤーが口を開いた。
「しかしながら、今回の事件では日本警察の方々にもかなりの殉職者が出たと聞きます。警察としての任務のためとはいえあまりにも大きい犠牲を産んでしまった」
だが、メイヤーの言葉を近衛が遮るように告げる。
「いいえ、それは皆様がお気を病むことではありません」
近衛は周囲を見回し、刑事1課の大石や、少年犯罪課の小野川、さらには鏡石や、涙路署の今井などと視線をかわしてうなづきあうと明朗に、そして力強く告げる。
「警察という職務に就くものとして、時として犠牲は不可避なものです。それは警察としてのエンブレムを身につけた時に、とうの昔に覚悟を決めて誰もがこの世界に身を置いている。それよりも、平穏な日々がおとずれ犯罪被害に涙を流していた人々が少しでも笑顔になれるのであれば、それだけで十分です」
職務に全力で立ち向かい、見返りも賞賛も求めない。それが近衛たちが体現する警察としてのあり方だった。だが、それでも感謝と哀悼の念は消えないだろう。エリザベスが言葉を続けた。
「それでも私達英国人は、この国の人々への感謝を忘れることは無いでしょう。本当にありがとうございました」
そして、誰ともなくアカデミーの面々は進み出ると、この場に居合わせていた警察職員の彼らと交互に握手をかわしていく。その後ろから杖をついてカレルが進み出てくる。カレルは感慨深げにもう一つの感謝の言葉を口にする。
「それともう一つ、感謝の言葉を送りたい人々が居る」
その時、彼らの視線は、この第2科警研の技術者たちの方へと向いていた。
「今回の事件を解決へと導いてくれた、素晴らしきアンドロイド警官『特攻装警』を生み出した、この世界最高のアンドロイド研究機関に心から謝意を表したい」
カレルは、このレセプションホールに居合わせた第2科警研の職員たちに視線を投げかけながら、心から感慨深げにこう告げるのだ。
「本当にありがとう」
一瞬、心地良い沈黙がその場を駆け抜ける。誰も何も言葉を発しなかったが、言葉にしなくとも良いのだと誰もが納得していたのである。
その場に並んだ人の輪、その後ろから姿を表したのは今回の事件解決に尽力した6体のヒーローたち。その内、センチュリーを除く5人がこの場に居合わせていた。フルメタルのボディを持つアトラスが照れくさそうに口を開く。
「礼を言われるにはいささかミスが多くて、むしろ詫びを入れたいところなんだが――」
アトラスは特攻装警の兄弟たちを率いるようにして、英国アカデミーの面々の前に進み出ると、カレルに向かい合い、その強い力をたたえた視線を向けて言葉を返す。
「今は、あなた方の言葉を、有りがたくお受けさせていただきましょう」
そして、ガドニックたちを見回しながらアトラスは改めて告げるのだった。
「願わくば、この安息が少しでも長く続くことを心から願ってやみません」
アトラスの言葉にうなづきながらカレルは自らの使っている杖を傍らのエリザベスに預けた。そして、完治していない身体を数歩進ませると、彼に残された左手を差し出したのだ。それを受けるのはアトラスの総金属製のゴツい手だった。ふたりの固い握手がかわされる。
一つの長い戦いを終えた男と、
これからも続く長い戦いに身を投じる男の、
お互いを称える握手だった。
そして2人が手を離すと、誰が切りだすともなく尽きること無い歓談が始まったのである。
@ @ @
まず手始めにガドニックが足を向けたのは、第2科警研主任研究員の大久保のところだった。
大久保はグラウザーの開発責任者である。当然、ガドニックが切り出す話題はグラウザーに関することである。
「大久保君」
「教授!」
「久し振りだね。グラウザーの開発と教育は順調に進んでいるかね?」
大久保はガドニックにそう問いかけられて、すこしばかり困ったふうに答え返していた。
「いえ、予想以上に手こずっていまして」
「彼の成長のことだね」
「はい。当初の成長スケジュールプランがことごとく崩れてしまってあらゆる所に迷惑をかけてしまいました」
「それは気負い過ぎだよ。今回の事件で、結果的にであるが警察組織を構成するメンバーとして、必要十分な域まで到達したと見ていいだろう」
「はい、そう言って頂けると私としてもホッとします。ただ、偶発的にそうなったのが残念です」
「いや、偶発的ではないよ君」
「え?」
大久保はガドニックの諭すような口調に驚きつつも聞き入っていた。
「そもそも、特攻装警の頭脳であるマインドOSとクレア頭脳は、その成長には各々の頭脳個体によってばらつきがある。一定のペースで成長するものも有れば、階段状に停滞と成長を繰り返す物もある。あるいは長い停滞を経て強い学習体験をきっかけとして爆発的な成長をする物もある。
アンドロイドの頭脳を扱う者として、それらの各個体別の成長の違いをあらゆる面から把握するのも重要な役割だ。それは今回のグラウザーの件でいい勉強になったはずだ」
大久保にとってガドニックは人工頭脳学の師とも言える存在であった。全てにおいてかなわないと感じさせる、卓越した何かを感じずには居られなかった。
「確かに、教授の仰るとおりです」
「今回の件を詳しく調べることで、今後、どのように警察用アンドロイドを教育すればいいか、有益なノウハウが得られるはずだ。君も、次のステップへと進むのだろう?」
「もちろんです。いずれは特攻装警も個体数を増やしていく計画です。そのためにも効率的な育成プランを確立させたいと思っています」
「期待しているよ。君なら出来るはずだ」
ガドニックは大久保をそう賞賛しつつ、彼の肩を叩いてエールを送っていた。
それは特攻装警を通じて生まれた師弟関係の絆でもあったのである。
@ @ @
ホプキンスが歩み寄ったのは布平のところだった。簡単な挨拶もそこそこにホプキンスの口から問われたのはフィールのスペックとその構造についてだ。
「あらためてよろしくお願いします。フィールの開発責任者の布平です」
「ホプキンスです。よろしく」
挨拶と共に握手をするのもそこそこにホプキンスの質問が始まる。ロボット関連の技術工学はホプキンスの独壇場だ。もろ得意分野の話になるがその疑問の対象はフィールの存在に集中する。
「それにしても、どう計算しても疑問が残るのだが、フィールの乾燥重量に対して、主動力の総出力やあの戦闘行動での耐荷重限界が咬み合わないのだ。成人女性とほぼ同等と聞くが、あのスリムなボディでどんなマジックを使ったのかね?」
「つまり、フィールの重さではあれだけの耐久性や耐衝撃力を維持できないと?」
「そうだ。あの事件以来ずっと考えていたのだがすっかりお手上げだ。リアルヒューマノイドの研究はワタシも長年行っているが重量と性能バランスの問題は完全なトレードオフだからな」
「高性能・高機能にすると重くなる。軽くすれば必要なメカニズムが入りきらない。アンドロイドの設計上のパラドクスですよね」
「そうだ。世界中のアンドロイドエンジニアがその問題で頭を抱えている。大抵は重量面で妥協して強度と運動性を優先するのが世界のスタンダードだ。だが、それがブレイクスルーできると言うなら、ぜひ聞かせていただきたい」
「それでしたら――、カスミ! ちょっと」
布平の声で一ノ原が呼ばれる。一ノ原は一ノ原で互条たちと談笑していたが布平たちのところへと足早にかけてくる。
「うちのスタッフの一ノ原です。フィールの基本構造設計を担当してます」
「よろしゅう」
一ノ原はトレードマークのトンボ眼鏡越しに挨拶をする。そして手にしていた大型の液晶タブレットを取り出し、ホプキンスへと資料データを見せながら解説を始めた。
「――なんと、こんな方法が?!」
「はい、思い切って内部骨格を全部取っ払ったんですわ。基本構造を金属製のカゴみたいに考えてそこに柔軟性と衝撃吸収性のあるエンジニアリングプラスチックで補強と肉付けをしたんです。内部メカも完全には固定せず緩く結合することで全身での高い衝撃吸収を成功させとります」
「つまり、メインフレームが無いと?」
「はい」
驚くホプキンスに一ノ原は事もなさ気にあっさり答えた。
「どのみち人間に近くするんやったらある程度の柔らかさは必要ですし、内部骨格があると内部メカニズムを収めるのが難しゅうなりますさかい。ま、頑丈さはありまへんけどその分は速度性と柔軟性でカバーちゅうことで」
関西弁のイントネーションの英語で語る一ノ原の解説にホプキンスは驚くばかりだ。
「驚いたな。あれだけの激しいバトルをこなしていながら、主要骨格が無いとは――」
あまりに想像を超えた斜め上の技術概念にホプキンスも絶句するばかりだ。
「まぁ、強いて言えばカゴ状のフレーム部分が骨格になるんですわ。ある程度の強度を担保している部分と、柔軟性に特化している部分、それが適材適所で組み合わされとるんですわ。もちろん、脊髄の一部や頚椎には内部フレームがあります。頭部も頭蓋骨くらいは残ってます」
「そのアイディアを君がかね?」
「はい、自信作ですわ」
にこやかにあっけらかんと答える一ノ原にホプキンスはすっかり感心していた。それを補足するように布平が言う。
「まぁ、みんなを納得させるのに手こずったけどね。あんまり斬新だったもんで」
「なに言うてんの? 一番反対してはったのあんたやん!」
一ノ原がツッコミを入れれば布平は苦笑する。ホプキンスは彼女たちの会話の軽妙さに関心するばかりであった。
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その近くではエリザベスと金沢が談笑していた。そのさいに金沢の経歴に話が及ぶに至ってエリザベスは驚きの声を上げる。
「え? 本来はファッション関連?」
「はい、服飾文化の研究と一緒に生活環境の人体工学もやってたんです。ファッション業界や建築ゼネコンからもお誘いがあったんですけど、うちの班長にひっぱられてココに連れてこられて」
「アンドロイドやロボット関連は全くの未経験?」
「はい!」
エリザベスにしてみれば疑問が湧くばかりだ。
「でもなぜ?」
「不気味の谷ってご存じですか?」
「えぇ、うちのホプキンスから聞いたことがあるわ。アンドロイドを人間に、よりリアルに近づけていくと途中から不気味さが増してしまう、より人間らしいアンドロイドを作る上での障害になるって」
「実は、フィールを作る上で、対人的なコミニュケーション能力を高めるために、よりナチュラルな人間らしさをあたられるかどうか――がうちの班長のテーマなんです。しかし、アンドロイドを作っている内側の人間だけでは客観的な視点が得られない。ならば逆にアンドロイドの専門外で人間の外見や美観的な見地から意見を言える人間が必要だ、って事で」
「へぇ――」
「だから私は技術的な理論よりも、外見や身のこなしの仕草をいかに人としてナチュラルに見えるかどうかと言うことをキーにして、参考意見や技術評価をする事にしているんです。欲を言うとまだ満足してないんですけどね」
「えっ? あれで?」
「はい」
エリザベスは驚きながらも、思わずフィールの姿を目線で追っていた。今井課長と談笑しているがその横顔はどう見ても生身の人間そのままにしか見えなかった。
「できるなら全身フルにリアルヒューマノイド化したいと思ってるんです。現状では着衣の下になる部分はかなり妥協しているんで」
金沢もエリザベスが見つめる先にフィールが居ることにすぐに気づいた。
「それじゃ、今日のあの子のコーデもあなたが決めたの?」
「はい。あの子が普段しない服装をさせて見ようって。あの子、いつも仕事用のスーツ姿とかが多いから恥ずかしがってたんですけど」
「なかなか似合ってるわよ。あのコーデだととても婦人警官には見えないわよね」
「あ、やっぱりそう思います?」
「えぇ。あたしね、実はあの子がSPに来た時、なんか制服を持て余してるティーンエイジの女の子にしか見えなくって。笑いそうだったのよ」
「えー、そうですかぁ?」
金沢の本来の学問が生活環境工学というエリザベスの守備範囲に近かったこともあって2人の会話は絶妙に噛み合っていた。二人の会話はまだ続いていた。
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もう1つ熱い議論が交わされていたのはトム・リーと、市野の班の技術者で山野辺と言う若者だった。山野辺が持参した液晶タブレットに映るディアリオの資料画像を眺めながらトムは驚きの声を上げている。
「サブ頭脳が5つ? どうやって入れたんですか?!」
「各パーツや各部メカニズムユニットのダウンサイジングです。そして内部スペースに収まる形状を何度もコンピュータ上でシュミレーションして最適解を求めました。性能を落とさずにダウンサイジングするのは、今後の事を考えるとどうしても必要だったので」
「それって頭脳部分だけでなく動力部分やフレーム関係もってことですよね?」
「えぇ、ディアリオはネットワークアクセス能力を重視している事もあって、追加装備に関わる内部メカニズムが多いんです。それにただ収めるのではなく、排熱処理もこなし、装置同士の電磁波障害の干渉を防がなければならない。それに、より柔軟に体を動かすことが出来なければ実用になりません。制約条件がやたら多いのに要求性能が高いんでえらい苦労しました」
山野辺はそう苦笑しつつも明るく言い飛ばす。
「あんまりめんどくさいんで開発中はみんなディアリオのことを〝パズル〟って呼んでたんですよ」
「パズル?」
「えぇ、少しでも解き方を間違うと〝余り〟が出て入りきらないんで」
山野辺の答えにトムは思わず笑い出す。メンタル的に波長が合うのか2人のやり取りは盛り上がるばかりだ。
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部屋の片隅ではウォルターと市野が紅茶を手にしてのんびりムードで語り合っている。
お互い旧知の仲であるかのようでざっくばらんな語り口は、ウォルターの鷹揚な人柄もあってかその2人だけ独特の雰囲気を漂わせていた。
「そういや、ウォルターはん。こっちにはいつまで居はりますん?」
「そうだな。来月後半からまたロンドンでエネルギー工学の欧州学会が始まる。その準備もあるからなるべく早めに帰らないと。まぁ今月半ばまでは日本に居たいのだが、本国の大学がなんと言うか」
「ウォルターはんの講義を待ってる学生さんたちもぎょうさんおられるんでっしゃろうから、そうサボるわけにもいきませんでしょうしな」
「その通りです」
「ま、しゃあないがな」
そう告げて市野は軽く笑い声を上げる。
「それに悪い虫も退治されたによって、これでまた昔みたいに気軽にお互いに行き来出来るようになりまっしゃろ」
「えぇ、これで一区切りつくと思いたい。ちなみにミスター市野」
「あ?」
「大学での研究活動には復帰なさらないんですか?」
「あ? あぁ! 本業の方でっか」
市野はもともとは関西の理工系の大学で教授職をしていた経歴がある。その頃から市野は学会関係者から『素材の神様』のアダ名を付けられるほど新素材研究では有名だった。エネルギー工学が主となるウォルターとは守備範囲が近かったこともあり、欧州学会で知り合って以来の知り合いでもある。市野は丸眼鏡越しにいつもの穏やかな笑みを絶やさぬままに明るく言い放つ。
「大学の方は休業中やけど、ここに居ると大学では分からん事も勉強できますさかい研究に遅れが出るとは思うとりまへん。大学もココでの活動を大学からの出向として認めてくれてますによって、いつでも戻ってきてかまへん言うてくれてますわ。それに――」
市野は人々と語らい合うグラウザーやフィールたちをさしながら言葉を続ける。
「アイツらが一人前になるまでここから離れるわけにはいきまへんわ」
市野が大学の教授職から離れてまでこの東京の地に拘る理由。それを改めて示されてウォルターは納得するしか無い。
「なるほど。それはもっともだな」
今なら市野の決心の理由がウォルターにはよく分かるのだ。
@ @ @
一方でガドニックが語らっていたのは近衛や捜査課の大石、グラウザーの監督役の今井課長、そして朝刑事とグラウザーであった。6人は立ち話で輪になりながら言葉を交わしていた。
「そう言えば――」
近衛が朝に問いかけていた。
「よくグラウザーが最後の戦闘を物にしたな」
隣で大石が言葉を続ける。
「あぁ、それは俺もたしかに疑問だった。あれだけ研修期間が長引いて、初歩的な事さえこなせなかったのが、どうしてこの戦いで突然一人前になったのか――。報告調書を何度読んでも疑問が深まるばかりだ」
2人の疑問に対して今井が言葉を続ける。
「それについては、彼が事件中に見聞きした視聴覚データの履歴を確認してみたのですが、確かに幾つか心理的に強い影響を与えるような事があったみたいですね。例えば――自分が勝手に独断行動をした事への〝罪悪感〟への気づき、偶然ながら事件被害にあった一般市民への救助活動。そして、やはり今回の事件首謀者であるディンキーとの対話。彼にとっては強い刺激になるような事例が立て続けに起こったことで、急速な成長が促されたみたいです」
近衛がそれに喩え話を挟んだ。
「新人の機動隊員を、現場任務に叩き込んで、現場の空気を自ら体得させる様なものか」
さらに大石が続けた。
「あぁ、そう言う表現だと判らないでもない。机上の空論を座学で詰め込むより、捜査現場で先輩に怒鳴られながらも自分の体で分からせた方が早いこともある」
「確かにそう言う表現で近いかもしれませんわね。朝くん、その辺どうなの?」
朝刑事は上司からの突然のフリに慌てながらも、本庁の課長クラス2人を前にしていることもあり、緊張しつつも努めて冷静に言葉を切り出していた。
「それについてですが、自分はグラウザーとはぐれる失態を犯しているのであまり偉そうなことはいえませんが――」
朝は隣に立っているグラウザーを横目で眺めつつ言葉を続ける。
「やはり事件の現場で〝自分が置かれている立場〟と言うのをコイツなりに体得したみたいなんです。俺から離れた直後は単に好奇心の向くままに行動するだけだったのが、目の前のけが人を助けたり、第4ブロックで戦っている先輩の特攻装警や武装警官部隊の惨状を目の当たりにしたり、色々な事例を目の当たりにしたことで、自分が何者でどう言う立場に置かれていて、そして、何をすべきなのか――この事件を通じて理解することが出来た。
何よりも、『自分が戦わねばガドニック氏を助けることが出来ない』と言う〝使命感〟みたいな物を、コイツなりに理解し体得し得た事が何より大きいのではないかと思います」
朝は事件当時のことを思い出し噛み締めながら言葉を紡いでいた。そして、隣のグラウザーを横目で眺めつつ問いかけた。
「その辺、どうなんだ? グラウザー」
グラウザーは朝からの問いかけに戸惑う素振りは全く無かった。冷静に当時の事を思い出しつつ。訥々と語り始めた。
「そうですね。うまく説明出来ないのだけど――
ただ僕は――、あのビルの中を歩き回っていて自分がいかに軽率なことをしていたのか、いかに身勝手な行動をとっていたのか、ある瞬間、とても強く感じたんです。そう、あれはディアリお兄さんの館内放送を聞いた時です。ガルディノとか言う個体と戦った時に流れたやつです。
自分にはやるべきことがあるんじゃないか。僕でなければ守れないものがあるんじゃないか? なのに僕は今何をしてるんだ? って――。そう考えた時に教授が敵に拉致されたと、そう教えられた事を思い出して何としても助けなきゃ。そう思ったんです。それに何より心に残ったのは朝さんの言葉でした」
「え? 俺の?」
「はい」
朝はグラウザーに指摘されても驚くだけだった。グラウザーが何を言っているのか皆目検討がつかない。
「俺、なにか言ったっけ?」
まるで心当たりのなさそうな朝にグラウザーは笑いながらこう答えた。
「言いましたよ。朝さん。『お前馬鹿か? お前は何だ、何者だ。言ってみろ』――って」
明るく笑いながら告げるグラウザーを、朝は相変わらず驚きつつ眺めている。
「こうも言ってました。『お前は〝警察〟だ!』って、あの時のやりとりは今でも鮮明に覚えてます。僕は何者なのか、何をするために生み出されたのか、その答えがとてもクリアに自分の認識の中に入ってきた。だから僕はあの時、ディンキーやベルトコーネに対してこう答えられたんです。『僕は、日本警察、特攻装警第7号機、グラウザーだ』って」
「あ――」
朝もグラウザーの言葉に納得がいったらしい。
「そういやそう言う事も言ったっけな」
苦笑する朝に今井が少し困り顔で問いかける。
「やだ、朝くん忘れてたの?」
「いえ、忘れてたわけではないんですが。あの時のグラウザーが、敵のボスを前にしてあまりにヤル気が空回りしてたんでもどかしくて、コイツにもう一度、自分が何者なのか判らせないといけないと思ったんです。それに殉職した親父のことがコイツと重なっちまって、腹の中にずっと溜まってものをどうしても言わないと気がすまなくて」
朝は気恥ずかしそうにしつつも当時のことを思い出していた。その朝のつぶやきにガドニックが問いかければ、それに続けて答えたのは大石だった。
「彼のお父上が殉職?」
「あぁ、そう言えばそうだったな。私の所属する捜査1課に居た優秀な刑事でした。朝史彦――捜査1課の敏腕刑事、偶然遭遇した拳銃乱射事件に居合わせて、不幸にして一般市民をかばって殉職したんです。私の先輩刑事でした」
「なるほど――、それで君は亡き父上君の遺志を継いだと言うわけかね?」
ガドニックの問いかけに朝は顔を左右に振った。
「いいえ、そんな大それたつもりじゃありませんよ。ただ、いつも自分の仕事にプライドをもって刑事をやっていた親父が誇らしくて、そうなりたいと思っていました。まだまだ足元にも及ばないけど、いつか親父を超えてみせる。そう思って刑事を目指してきたんです」
控えめに語りつつどこか誇らしげな朝に、近衛が噛みしめるように語る。
「今井くんが彼をグラウザーと組ませた理由が何となく分かった気がする」
「えぇ、彼ならグラウザーの心理的な手本になると思いまして」
今井の語る言葉に皆が頷いていたが、ガドニックだけが今井に問いかけていた。
「心理的に――か。それで技量的にはどうなのかね?」
「それは――」
今井もそこは問われたく無かったのか、苦笑いしながら冗談めかして答えるのだ。
「もうちょっと改善が必要なところですね。ね、朝くん?」
「え? ちょっと課長それは――」
今井の言葉に、近衛や大石やガドニックたちが笑い声をあげていた。朝だけが一人、バツが悪そうに苦笑いするのだった。
@ @ @
「そろそろ来てもいい頃だがな?」
呉川はレセプションホールに集まった人々と声を交わしながらも、ある者の姿をそわそわしつつ探し求めていた。まだこの会場に姿を現していない者が居るためだ。呉川は近くに立っていたフィールに声をかけた。
「フィール、アイツはまだ来ないかね?」
フィールもまた、呉川の声に振り向きつつ未だ到着せぬ残る一人の事を思い出していた。
「センチュリー兄さんですか? 今、呼び出しましょうか?」
「頼む。こう言う大切な席だというのに何をやってるのかアイツ」
「ちょっと待ってください――」
そして、フィールが兄と通信を行おうとレセプションホールからそっとでていこうとしたその時だった。
「フィール!」
ホールへとつながる通路の向こうから声がする。声の主は遅刻してきた張本人だった。
「セン兄ぃ!」
「すまねぇ! 遅くなっちまった!」
「何やってるのよ、もう始まってるわよ?」
そこにはセンチュリーだけでなくその背後に背の高い白髪の袴姿の和服の老人がついてきている。フィールはその人物の顔に見覚えがあった。
「大田原さん!」
「すまんな、ワシの乗っていた飛行機が遅れてしまってな」
その人物はセンチュリーの格闘技の師である大田原だ。明るく語る大田原をフィールは咎めること無く笑いながら手招きする。
「先生、皆さんお待ちです。こちらへ」
フィールとセンチュリーに促されながら、大田原はレセプションホールへと急ぐ。そしてホールへと入れば入口近くで待っていたのは呉川である。
「やっと来たか! クニ!」
「そう言うな。これでも急いだんだ!」
「万年遅刻魔のくせに!」
「やかましい! それを言うならこのあいだの飲み代払え! 学生の頃から借金魔のくせに!」
「言ってろ! お互い様だ!」
お互いに悪態をつきながら2人はお互いを伴いながら、ホールの盛り上がりの中へと入っていく。
その二人の背中を眺めながらセンチュリーが言う。
「親父と師匠、相変わらず仲いいよな」
「中学の頃からの友人なんでしょ? 羨ましいわよね」
「あぁ、俺達では得られない間柄だからな」
それは人間の情というものに、敏感な感性を持っているセンチュリーだからこそ感じる羨望であった。どう望んでも長い人生経験を得られないアンドロイドであるからこそ、旧友という長い付き合いの存在に憧憬の様なものを感じるのだ。
そのセンチュリーも大田原の後を追ってホールに入れば、そこでは呉川の紹介で大田原が英国アカデミーの彼らと挨拶を交わしているところであった。
大田原と呉川を囲んでいたのはガドニックを始めとしてホプキンスやタイム、それにカレルといった面々だった。そこにアトラスやエリオットの姿もある。そこに遅れてセンチュリーが駆けつけたところだ。
その時、大田原はガドニックと向い合っていたところだった。
「お名前はかねてより聞き及んでおりました。こいつらの頭脳を作り上げた方だと」
「えぇ、本来は人工頭脳の開発研究が本分でして。彼らとの関り合いは私としても得るものが大きい。これからもご協力させて戴くつもりです」
「身体と言うのは優れた頭脳と心があってこそ、初めて成立するものです。ガドニック教授の様な素晴らしい方々のお力添えをいただけるのであれば我々も心強い」
大田原がそう告げれば、ホプキンスも声をかける。その次にはカレルが控えている。
「私どもも微力ながら協力させていただきたい。どんなことが出来るかは未知数だが、国を超えて協力関係を結べるのならより大きな成果が生み出せるはずだ」
「それはワタシも同意見だ。今回の特攻装警の成果は欧米でも広く伝わるでしょう。そうなれば我が英国でも特攻装警の様な機械化警察のプランが出てくる事も十分ありえる。一方で我々欧州では日本以上にテロ案件の被害が多発している。それらの情報を提供することで両国の治安回復の一助になるでしょう」
そこに歩み寄ったのは警備部の近衛だった。
「それはワタシからも協力させていただきたい。たとえ非公式な個人間のやり取りであったとしても、情報と技術の共有は不測不及の事態に備えるためにも、警察当局としては喉から手が出るほど欲しているはずです。率先してテロ案件や機械化犯罪への対処法を広げていく必要もある。いずれスコットランドヤードにも連携のための話し合いを提案しようと思います」
近衛の言葉にうなづきながらカレルが言う。
「それであれば、私のコネクションからスコットランドヤードに影響力を持つ人物を紹介させていただこう。それと英国の軍部のテロ対策セクションも紹介できるでしょう。こう言うことは少しでも早いほうがいい」
「よろしくお願いいたします」
近衛がそう答えれば、誰ともなく皆が頷き合っている。おそらくはこの日を始まりとして日英の叡智の協力関係が広がっていくのは間違いなかった。そして、会話の流れが変わった所でタイムが大田原に問いかけていた。
「しかし、アンドロイドの開発目標に格闘技を設定するとは思い切ったことを考えましたね。欧米ではスポーツをさせて性能の発達を促すという事はよく行われているが、流石に格闘技まで行わせるのはなかなか手がつけられていないのが現状だ。ミスター大田原、ミスター呉川、どうしてそのようなことをはじめられたのです?」
「あぁ、それですか」
大田原は一呼吸置くとアトラスとセンチュリーを手招きした。
「実はこっちのアトラスの場合、着任先がヤクザマフィアなどを直接相手にすることの多い危険度の高いセクションでしてね。銃器類の使用だけでなく、近接戦闘も行わなければならない。そのため、アトラスは着任先の警察職員の方の協力を得て独自に格闘スキルを身につけていました。ですがコイツは見ての通り外骨格式であり、頑丈で耐久性があるが柔軟性と運動性においてどうしても不利なケースが出てくる。そのためこのアトラスは何度も現場にて苦汁をなめている。それを血の滲むようなフィードバックトレーニングで克服した過去がある」
大田原の言葉にアトラスははっきりと頷いていた。そしてその頷きに疑問を抱いたホプキンスは思わず問いかけていた。
「フィードバックとは――何回程度かね?」
だが、その問いに、アトラスは事も無げに言い放つ。
「先日の対ベルトコーネ戦を例にすれば――1万6千回はこなしたかと」
あまりに非常識な数字が出たことでホプキンスもタイムもあっけにとられて言葉を失っていた。そのリアクションに応えるようにアトラスの言葉が続く。
「無論、電脳空間内での仮想シュミレーションを含めてですが、私はあらゆる可能性を実行完了してから実戦に望んでいます。あらゆる面で格闘戦闘に向いていない私ではそう言う手法しか取れないのです」
それはアトラスにとって己のシステム面での劣勢を吐露する言葉だったが、それはそれでアトラスの任務に対する執念のようなものを印象づけるには十分だった。それほどの闘志と正義感があればこそ、あの地獄のような戦いの場で戦闘の矢面に立てたのだと周囲が理解するのはすぐである。
「このアトラスの苦労を目の当たりにして、私と呉川はアトラスの次となる特攻装警の開発を行うにあたって、特攻装警の任務において必要な白兵戦闘能力としての格闘技をこなせるアンドロイド機体とする事を目標としました。その結果、得られた答えが、このセンチュリーの様な内骨格式であり、優れた動体反射神経を持つ高度な中枢神経系を備えたアンドロイドと言う物だったんです」
大田原が語り終えると、その脇から呉川が口を開いていた。
「それ以上に俺達のように日本の技術屋と言うのはみんなへそ曲がりだから、他とは同じ事をやっても満足できない生き物でしてね。各種スポーツをアンドロイドに行わせるのが世界で流行っていると分かれば、それ以上に難易度の高いことをさせたくなる。それならスポーツ以上に難易度の高い中国や日本の格闘技技術をマスターさせる事を思いつく。それならいっその事、開発メンバーに格闘技の達人を入れてしまったらどうだろう? と言うことを考えたんですよ」
呉川の言葉に大田原は頭を掻きながら言葉を続ける。
「そこで私に白羽の矢が立ちましてね。この呉川が『整形外科医師免許を持ち、人体工学を学んでて、古今東西の格闘技について長年研究しているヤツが居る』って言って、この建物に私を強引に連れて来たんです。一度関わったら途中で投げ出すのも癪だし、ならば、徹底的にこだわってやろうと思い至って今にいたっている次第でして」
2人の語る言葉に聞き入りつつも、タイムは思わず口を開いていた。
「人体工学? 格闘技のトレーナーかプロの方ではないのですか?」
その問いに大田原は明るく笑い飛ばしながらこう答えた。
「これは失礼。これでも人体工学と人体生理学で大学で教鞭を採っています。教授職をしながら洋の古今東西の格闘技について研究をしております。そう言う風に見えないと言われるのはいつもの事です」
「師匠、そりゃ普段からどこへでもそんな格好で出歩いてるんだからしょうがないでしょうよ」
大田原の言葉にセンチュリーは茶化しつつ明るく笑い飛ばした。それを耳にして大田原がセンチュリーを横目で鋭く睨んでいた。それに気づかぬセンチュリーに大田原は凄みを利かせた声で言い放った。
「センチュリー」
「はい?」
「あとで、道場に来いよ」
それがどう言う意味をはらんでいるのか分からぬセンチュリーではなかった。顔が凍りつき一瞬にして黙りこむ。そのやり取りを眺めていたガドニックが笑いながら告げた。
「センチュリー〝虎の尾〟を踏んだな」
その隣でカレルも微笑みながら言う。
「彼ほどの戦士でも、師と云うのは逆らい難いものらしいな」
その場に静かな笑いがこだましている。
こうして、組織と国の垣根を超えた宴はつづいたのである。
@ @ @
楽しい時間は過ぎ去る。そして、いつか終わりが来る。
レセプションホールだけでなく第2科警研の様々な場所で見学を兼ねて対談がなおも行われ続けられたのだが、それでも時計が3時に差し掛かる頃には宴は終わりの時を向かえていた。
カレルの補助をしていたエリザベスが、アカデミー使節団のリーダーであるウォルターに告げる。
「そろそろ、カレルを病院に帰さないと」
「そうだな。これ以上は身体に差し障る」
そして、ガドニックを始めとして他のアカデミーメンバーに退散の時が来たことを伝える。
「わかった。私も頃合いだと思ってたんだ」
頷き返すガドニックは新谷たちにもその旨を伝えた。
「名残惜しいがまたここに来ることを信じて退散するとしよう」
「はい、いつでもお待ちしております。皆さんも道中お気をつけて」
そして、帰路への準備が始まり、そこかしこでいつかまた再開する時を約束する声が交わされていた。
アカデミーの面々がSPの警護を受けながらリムジンバスへと向かえば、第2科警研の入り口にてアカデミーの彼らを見送るのは誰であろう特攻装警の6人である。
「帰路の道中、お気をつけて」
とアトラスが告げれば、
「貴君にも武運がある事を祈っているよ」
とホプキンスがエールを贈る。
「師匠にしごかれ過ぎないようにな」
とタイムが冷やかせば、
「大丈夫っすよ、慣れてますから」
とセンチュリーが茶化し返した。
「今度、ネットでもお会いしたいですね」
とトムが求めれば、
「はい、いつでもお受けいたします」
とディアリオがそれに応じていた。
「しかし、本物の武士道を見た思いだ」
とウォルターが感想を漏らし、
「同感だ、頼もしい」
とメイヤーが頷き賞賛すれば、
「恐縮です」
とエリオットが敬礼で答えていた。
「戦いは続くだろうが君たちなら勝てる」
とカレルが確信をもって告げれば
「ありがとうございます」
とフィールが嬉しげに答える。
「それでも無理はしないでね」
とエリザベスが気遣い、
「はい」
とフィールは静かにうなづていた。
「また会おう」
とガドニックが握手を求めて、
「はい!」
とグラウザーがそれに力強く答えていた。
そして、リムジンバスの扉は閉じられ、彼らはこの中河原の地から去っていったのである。
遠ざかるバスを見送りながら呉川がつぶやく。
「行っちまったな」
その感慨深げな言葉はその場に居合わせた誰もが同じ思いを抱いていた。
また明日からこれまでどおりの多忙な日々が始まるだろう。いや、今、この瞬間からも明日の普段の任務に向けての準備は始まっていた。
宴の余韻を断ち切るように、皆、三々五々に持ち場へともどろうとしている。
その時、近衛がアトラスへと問いかける。
「しかし、お前のところからは誰も来なかったな」
アトラスにも身柄引き受けの責任者と指導監督役は存在している。だが、彼らだけがこのイベントに顔を出さなかったのだ。
「一応声はかけたのですが、俺達みたいなのが行くと怖がるから――と遠慮されてしまいまして」
「あぁ、そう言うことか」
近衛もかつては暴対へと居た事があるだけに、その動機を分からぬことも無かった。
「ガラの悪さと目付きが鋭いのは職務上やむを得ない。暴対に居る者の一種の職業病みたいなものだからな」
それは犯罪の最前線で闘う警察職員にとっては避けて通れぬ宿命のようなものでもあった。
そう、感慨深げに近衛とアトラスが頷こうとしていた――、その時である。
「何だと!!?」
彼らの背後で、覆面車両に乗ろうとしていた大石が大声で叫んでいた。
皆の視線が集まる。ただならぬ気配を感じて、近衛はもとより、本庁の者も、涙路署の2人も、特攻装警たちも直ちに集まっていた。その中で大石は手にしていたスマートフォンに返答する。
「分かった、私も本庁にすぐ戻る。捜査1課は機捜と協力してただちに情報収集を開始しろ! 捜査部の他の部署にも協力要請だ。他部署との情報共有を怠るな! それと報道管制を敷いてマスコミへのリークを何としても阻止しろ!」
「どうした。大石」
近衛が落ち着いた声で問いかければ、緊張を隠さぬまま大石からの声が帰ってくる。
「ベルトコーネが脱走した」
それはその場の全員を戦慄させるのに十分すぎるほどの衝撃である。一瞬、皆が二の句を失うほどのショックに見まわれながらも最初に言葉を発したのはグラウザーのパートナーである朝刑事である。
「何処で?!」
大石は眼前の所轄の巡査部長の若者からの問いかけに率直に答え返した。
「東京拘置所の犯罪アンドロイド収容施設から警視庁科捜研へと移送しようとしたその途上で突如暴れだしたそうだ。職員が3名殺害された」
さらなる驚きの声をあげたのはセンチュリーである。
「そんな馬鹿な!? あの時、完全停止するまでアイツがやり合ったんだぜ?!」
センチュリーが指差す先には驚愕の表情を浮かべるグラウザーの姿があった。ディアリオがセンチュリーの言葉を補強していた。
「はい、それは私も現地で確認しています」
それを追うように市野が告げた。
「たしか、東京拘置所にはわてらの作った核磁気スペクトル分析装置が置いてあるはずやで。あれならどこまで内部機能が破壊されてるか、どこまで機能が生きとるか、詳細に調べられるはずやがな」
市野の意見に大石が告げる。
「東京拘置所では、収容後のベルトコーネの内部システムが完全機能停止していると、様々な装置を用いて判断していた。そして完全機能停止して48時間以上経過したので、再生は不可能と判断して科捜研で分解調査しようと運びだしたのだそうだ」
大石のその言葉に声をかけたのは、グラウザーの生みの親である大久保だった。
「偽装沈黙か!」
「それっていったい?」
朝が問えば大久保は更に答える。
「犯罪アンドロイドに仕掛けられる騙し機能の一つで、完全機能停止していると誤認させる事で拘束施設からの運び出されるチャンスを生み出そうとする物です。実は内部機能の一部は動いていて、周囲の環境をきっちりモニターしている。そして脱走のチャンスとなる外部状況を掴むと、全機能を再起動させるんです。くそっ! 最後の最後でディンキーの奴にしてやられた!」
大久保は苦虫を潰したように歯ぎしりしながら傍らの壁面を拳で叩いていた。そんな大久保につづいて布平が告げた。
「偽装沈黙なんて古典的手法だけど、こっちの検査システムの裏の裏をまんまとかかれたわね。しかし、それだと現状の犯罪アンドロイドの検査システムを改善しないとダメね」
布平の冷静な言葉を皆が耳にしている中で、誰もが即座に次の一手を求めて行動を開始していた。もはや一瞬足りとも無駄には出来ない。
第2科警研の面々はすでに持ち場の部署へと戻りつつあった。いかなる事態が起ころうともすぐに対処できるようにするためだ。
そして、スマートフォンを取り出して自らの管理する捜査課へと電話で指示を出しているのはグラウザーの上司である今井だった。
「いい!? 急いで緊急配備! 全ての捜査員と警ら車両を管内に向かわせて! どんな兆候も逃さないように!」
電話に向けて大声を出しながら視線で朝刑事とグラウザーに行動を促していた。向かう先は乗ってきた覆面パトカーの方である。
一方でセンチュリーも行動をはじめていた。彼には彼なりの流儀というものがある。あの事件で専用のバイクは失ったが、それでも代わりのバイクでいつでも動けるように手は打ってあった。
「師匠、すんませんけど、俺、ここから予備のバイクで行きます!」
「分かった。気をつけろよ」
「小野川さん! 俺、東京拘置所に向かいます! そう遠くへは逃げていないはずです!」
「頼むぞ。私も本庁に戻って対応を検討する、武装暴走族にも関連する動きが出ないか調べさせる!」
「お願いします!!」
そう告げるが早いかセンチュリーは車両置場へと直行する。そして、正規の高速白バイ車両へとまたがったセンチュリーが走り去ったのはそれから1分後である。
「エリオット!」
「はっ!」
「おまえは東京ヘリポートへと直行して空中投下に備えろ!」
「了解、アバローナでヘリポートへ向かいます」
「大石! 小野川! 俺達も戻るぞ! アトラス! お前も私と一緒に本庁に戻って所属部署に合流しろ」
「了解」
近衛の言葉に大石も小野川も頷くと覆面車両へと乗り込んでいく。ハンドルを握るのはアトラスだ。アトラスは暴対だがヤクザ組織やそれに類する犯罪組織がベルトコーネと接触を試みる可能性もある。
「俺です、アトラスです。これから本庁にもどります。はい、すぐに緋色会関連をマークします」
アトラスが緊急連絡で暴対に連絡すれば向こう側でも対応策が始まっていた。そのアトラスに大石が尋ねた。
「アトラス、お前のところも動くか?」
「はい、例の密入国補助案件のからみで緋色会に動きがあったそうです。ベルトコーネと接触する可能性もある。密出国を補助するとは考えにくいがアカデミーの人々を追って海外出国されたら事です。徹底的にマークします」
「頼むぞ。SPにも警戒レベルを上げるように通達した。無事に帰国してもらわんとな」
一方、近衛に命じられたエリオットは専用車両のアバローナへと乗り込むと、待機施設の1つである東京ヘリポートへと直行していた。そして、大石は乗り込みぎわにフィールへと指示を出している。
「フィール! お前はここから飛行装備で現場へ向かえ! 上空から追跡だ!」
フィールもまた、もうすでに少女の表情ではなかった。冷静で行動力ある普段の彼女へと戻っていた。
「わかりました、直ちに現場に向かいます! しのぶさん! わたしの『着替え』をお願いします!」
「来なさい! すでに準備ずみよ」
そして布平はフィールを伴いながら、自らの研究作業ルームへと向かっていた。布平班の他の面々はすでにフィールの装備換装の準備を開始していたのである。
「ディアリオ! 私達も動くわよ! 全情報各員にも都内全域に散って情報収集させて」
「了解!」
鏡石とディアリオのペアは、ディアリオの車両であるラプターに乗り込むと、瞬く間に走り去って行く。そして、同じくしてグラウザーもまた朝刑事や今井課長とともに一台の覆面パトカーへと乗り込んで行く。ハンドルを握るのは朝刑事、その隣にグラウザーが座り後部席が今井である。3人が1つの車両に乗り込むと、朝が今井に尋ねる。
「課長、俺達は?」
「署に戻るわ、本庁の協力要請があるはずだから待機、必ず二人ペアで行動しなさい!」
「了解、行くぞグラウザー!」
「はい!」
グラウザーは一週間前の、あの激しい戦いの時の光景をその脳裏に思い浮かべていた。あれで正しかったのか、それともまだ手ぬるかったのか、あるいは全て破壊しつくしてしまった方が良かったのか、迷いの種はいくらでも沸き起こる。だが、パートナーである朝刑事の強い問いかけがあらゆる迷いを一瞬にして追い払う。
「グラウザー」
「はい」
「いいか、あの時の戦いで自分がミスしたなんて思うな。事件なんて予測不能のことはいつでも起こりうる! 全てのことを予測するなんて不可能だ。その都度、一つ一つを潰していけばいいんだ」
朝のその言葉で、グラウザーが迷いを追い払い、再び職務への強い気持ちを取り戻したことは、後部席の今井からもはっきりと解った。今井はこの2人を組ませたことが正しかったことを、今あらためて強く確信していた。
「行くぞ!」
「はい!」
そして、その覆面パトカーは署のある方面へと走り去っていく。
事件はまだ始まったばかりである。
さて!!
長い間執筆してまいりました特攻装警グラウザー第0章『ナイトバトル』第1章『ルーキー』
これにて完結です!!!!!!!!!!
長かったーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!
かつて最初に同人誌として作成したものをそのままアップした時からはや数年、
何度も改訂を重ねて、今回の作品発表となりました。
途中、何度も断念しようとしましたが、様々な方からの励ましと感想に力をいただき、ここまで頑張って来ました。
SFアクションものは相変わらずウケが悪いですが、そんなことにもめげず、これからも執筆を続けてまいります。
これからもよろしくお願いいたします!
そして!!!!!!!
8月から始まる新シリーズ第2章のタイトルを発表します!!
第2章『エクスプレス』
次回ストーリーは超高速列車パニックです!!!
そして、アトランティスプロジェクトの首都圏世界の概要が明かされます!!
それでは! 次回発表までお待ち下さい!!
でわ!!!!

















