第21話『天空のコロッセオⅡ ー風、疾るー』
ついに戦線へと復帰を果たしたフィール
そして、彼女は再び武器を取り戦いへと赴きます
人間を守るために。
第1章第21話 始まります。
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濃い電磁火花が大気中にわずかのプラズマを滲ませる。
フィールはその後頭部の2対の翼を輝かせ、垂直な軌道を舞い上がる。
彼女が対峙している1000mビルの壁面は垂直ではない。かすかに傾斜しており高見に上がるほどビルの直径が小さくなって行く。そんなビルの壁を見つめながらフィールは大空を目指す。
いま、彼女にはビルの壁面がタイル状のパズルゲームの様に思えていた。複雑に入り組みあい、決して容易には解き得ない何回極まるパズル――、その回答の糸口を探すのは、まさに彼女たちの役目であるのだ。
フィールは飛ぶ。有明の空を。そして、流れさる視界の中に、ふと、巨大な入口が見えてくる。
1000mビルの第4ブロックの外周ビルの最上階から第5ブロックにかけての間には、ブロック内の空間の空調用のための空間があった。ついいましがた撃ち落とされたヘリへの攻撃はそこから行われていたのだ。
フィールは第4ブロックへの侵入口をそこに定める。
視界の中、あるいは視界の外、内部からまたあのエネルギー光球による攻撃が来るのを警戒しながら、フィールは第4ブロック内へと侵入を試みる。そして、外周ビルの最上階へと着地して周囲へと警戒を張り巡らせる。
すぐ側には敵影は無かった。そっと足音を潜ませながら足を進めれば、フィールはそこに想像以上の光景を目の当たりにする。
円環状の外周ビルに囲まれた巨大な内部空間、まさにローマのコロッセウムの如き情景――
第4ブロックのその内部、そこに繰り広げられていたのは――
「ひどい――」
――まさに地獄絵図そのもの。
あるいは、死屍累々と言えばいいのだろうか? 護衛対象であるVIP来賓を護るためとはいえ、その任務のために生命をかけるのは警察であり、武器所持を許された武装警官部隊の隊員たちである。戦闘任務に赴けば、その生命はかならずしも担保されるものではない。怪我当然ながら、殉職は決して珍しくないのだ。だがだだ、だからと言ってその生命が軽視されていいものではなかった。
それはマリーのものか、アンジェのものか、ローラのものか、
数多くの盤古隊員たちが倒れ伏している。生死確認は外周ビル屋上のフィールの地点からでは容易ではない。だが、生命の途絶を伝えるデッド・シグナルは感知しうる範囲の中では、そう多くはなかった。
「まだ間に合う!」
フィールは自分の復活が間に合ったことに気付いた。
そうだ。今はまだ、この状況に打ちひしがれるのには早すぎる。今成すのはこの惨状を止めることなのだ。
今、彼女の眼下には人の息吹きの途絶えた第4ブロックのメインホールが見える。その視界いっぱいに、緑化公園の様な樹木が居並んでいる。しかし、そこには人影はない。暄騒も無い。なにより人間が生きている気配が無い。
いくつかの煙が立ち上っていた。きな臭い硝煙と火薬の匂いも感じる。微かだが、何かが大きく動く衝撃が伝わってくる。
彼女の視線はその〝理由〟を求めて広いこのビルの空間の中を走っていた。
この先に、自分が向かうであろう戦いの場所があるのだ。
その時、甲高い破裂音がフィールの耳に届く。
彼女の目の中に飛び込んできたのは、何よりもまばゆい閃光であった。
「何かいる!」
フィールはその閃光の映像を記憶メモリーから抜き出し、それを体内のサブプロセッサーのネットワーク情報解析でフィルタリングする。その閃光の正体と原因について調べれば、爆薬の閃光とも、プラズマ放電の閃光とも違っていた。ただ確実に判ったのは、とてつもなく発光量が大きい事と、恐ろしく光の密度が濃いと言う事だった。
「遠赤外線どころか近赤外線も出てない。熱効率が恐ろしく高い――」
今までの戦闘経験の中で、この様な光を放つ爆発物や光学兵器は目の当たりにしたことはない。ただ、彼女の脳裏にはそれを追うべきだと直感が囁いていた。
「よしっ」
フィールは小さくつぶやくと、その光へと駆け出して行った。
一方――
フィールが第4ブロックへと舞い降りたの同じ頃――
ローラは立ち止まっていた。彼女の四方から濃い紫色の泡が押し包む。視界の全てはそれらに遮られ何もとらえる事はできない。それでもローラは、その冷たいまなざしを曇らせる事はなかった。
彼女は自らが進みたいと思う目標に向け冷徹な視線を向け続けている。
かたや相対する武装警官部隊は、ローラからの敵意あふれる視線の存在を認識しつつも、次なる行動に向けて意識を払っていた。
「状況終了」
隊員の1人が宣言する。皆がそれを了承する。そこには少なからず願わくばそうあってくれと言う思いが混じっていたとしても不思議ではない。
彼らのフォーメーションは、目標であるローラを中心に円陣を組み、そこから1名が後方に離れて状況を総括して把握するというものだった。そして後方に離れた一人がその身を隠してトラップ類の操作を担っている。彼の指示で放たれた泡状の強固なトラップがローラを完全に包み込みその内部の動きを押し留めている。トラップが完全に作動しているのを目視とセンサー情報から確認すると彼はハンドサインを送る。
全盤古にシグナルが伝わる。そのシグナルに呼応し盤古たちの銃が構えられる。
アメリカで開発された機関銃・M240E6.LMG――その銃口がローラを包囲していた。
一斉に引き金が引かれ、無数の弾幕が空を飛ぶ。その弾丸が特殊フォーム製の泡を貫き内部を破壊せしめる。カウント出来ぬほどの無数の衝撃が炸裂し、特殊装備により捕らえられたターゲットに無慈悲な制裁を与えるのだ。
「攻撃止め!」
十数秒ほど射撃は続けられたが、攻撃中止の指示が出されると一斉に弾丸は途絶えた。
だが、その次の瞬間に起こった情景もまた偶然ではない。
粘着性が高く即時硬化している泡が溶けはじめていた。それと同時に撃ち放ったはずの弾丸が、泡の内部で跳弾し外部へと反れていく。そして、その泡の隙間から洩れてきたのは何もよりも眩しく強烈な『光』であった。
その光景に驚きを感じると、すぐに危機感を感じずには居られなかった。
再び引き金が引かれ、突如発生した発光体へと攻撃が加えられる。その弾幕の濃さは第1射を遥かに超える。だがそれでも、その光は何も攻撃を受けても変化はない。あまりに硬い光である。
わずかに沸き起こった希望と安堵は、焦りと不安へと変わる。かすかに絶望がその影をかいまみせ、もう盤古たちには撃ち続ける以外には無い。
そして、悪意と敵意は開放される。
瞬間、光が収束して、その光の中から現れたのは身構えるローラだ。
その姿勢を低く抑えながらも、彼女の膝は決して地に突いていない。炯々と冷たく輝く視線は周囲状況を冷静に把握し、次の行動の決定付ける。今、反撃を決意したのだ。
光はローラの手の平の中で何よりも小さく、突き固められるかの様に縮まっていく。
その光を抱きながらローラは垂直に跳ね跳ぶ。
漆黒の残像引き伸ばされて残像と化した。
それが見えた者は数えるほどで、たとえそれが見えたとしても理解できないだろう。
ローラが、光を抱え込んだその両手を微かに開く。そして、曇り空から太陽の光がこぼれ落ちる様に、その指の隙間から無数の光の筋が広がり出る。
誰も、それが何を意味するのか理解できていない。
盤古たちの指が引き金から放せなくなっている中で、ローラの手の光は真っ白に輝く矢のように解き放たれ、そしてそれは破壊と殺戮をもたらす輝く槍となる。
その光は、高密度であり「光圧」と言う圧力を持つ光の噴流である。
光の密度を限界まで高密度にさせる。すると、それは宇宙航行ロケットの推進機関に使えるほどの強力な推進源となる。いわゆる光子ロケットの原理だ。ローラが用いたのはその超小型版。ただ、用いるのは深宇宙探索の人類の希望ではなく、目的なく形骸化した悪意の発露だ。
光でできた槍が降りそそぐ。驚愕と絶望を伴いながら。
そしてローラはふたたび降り立った。光の槍に造られた数多の屍と行動不能者たち群れの中へ。生き残った盤古隊員がローラをじっと見つめていた。果敢にも彼らにはまだ戦う意思が確かに残っている。それは諦めると言う事を知らず、そして、戦うための強固な理性を失わない強者たちである。
だがローラは彼らに冷え切った微笑みを返した。
「へぇ、まだやる」
ローラのまわりには諦めを受け入れぬ銃口が幾つか残っている。そこから感じる敵意はローラにしてみればちょうど心地好い刺激のようなものだ。濃黒のタイトスーツ越しに見せる小柄な肢体には躍動する事を極めた強靱な人工筋肉がある。人工筋肉は弛緩する事なく力をためている。そして微笑みを消すと、ローラは再び本能のままに肉食獣へと己を帰した。
貪欲に、そして狡猾に、その全身が獲物と定めた者たちへと躍動するのだ。
盤古たちは軽合金で組み上げられた小銃を手にローラを狙う。
彼らのM240E6.LMGはとてつもなく軽く造られていた。それでも、サブマシンガンなどの軽さには及ぶほどもないが、彼らには片手で取り扱うには必要十分だった。
ある者は腰回りの装備品ケースから小型の電子制御爆薬を取り出す。
ある者はローラの動きを抑えて捉えるために自律飛行するワイヤーリールを用意していた。
盤古たちは固定された布陣を解除し、各々の感じるままに走り始める。
「なに? まだやるの?」
そう言いつつ、上目づかいに周囲を見回し、軽くステップを踏む。同時にローラは己の体内のシステムダイアログをチェックする。
【 オプティカルプレッシャーエフェクター 】
【 有効光子圧力・残存係数 20% 】
ローラは笑みを消し舌打ちする。
ローラは体内に残る「光」のほとんどを、先ほどの一撃で必要以上に消費しすぎていた。
いつもこうだ。マリーやアンジェと違い、どうしてあたしの能力は長時間持たないのだろう?
消耗が早く、長時間戦闘に不利。他のマリオネットたちと異なり、自分が小柄に作られているのも影響しているらしい。
「あのクソジジィ」
生みの親であるディンキーに悪態をつくのはしょっちゅうだった。えこひいきだの手抜きだの、罵倒することもあった。だが、あの老人はローラがどんなに反抗的な態度をとっても優しく見守ることをやめなかった。
好きではなかったが、嫌いでもない。その包容力には感謝すらしていた。
でも、あの老人はもうローラに対して微笑まない。そう――
3年前のあの日、心のなかで別れを告げたあの日を最後にして。
ローラは攻撃手段を変更する。
女性形マリオネット、シスター4の中で最速の動体能力を駆使して近接戦闘へと切り替える。戦闘と破壊への衝動を最大の武器にして、居並ぶ盤古隊員の群の中をローラは駆け抜ける。
三人の盤古隊員が、ワイヤーリールの先端と小型爆薬をジョイントする。震管の起動センサーはプログラマブルなVTタイプ。誘導電波で物体を感知し起動するものだ。彼らは爆薬のセンサーに起動データを入力する。爆破条件は高速移動物の接近だ。指定された条件の目標に近接したならすぐに爆破するように設定する。
一方で幾つかの盤古隊員が、すでに倒れた隊員から銃を奪い両腕で構えている。
引き金が絞られ無数の弾丸がまき散らされる。それはローラの行動を先読みしながら執拗に継続される。
ローラは路面を舐めるように走りながら、それを回避しようとこころみた。だが、以前の一斉総射よりも避けにくくなっている。複数の弾幕が巧妙にからみあい回避するための隙を見つけにくくしていた。
言い換えれば、追い詰められた盤古の決死の精神状態がローラにとっては不利な状況を作り上げていた。違法ロボット、武装アンドロイドが氾濫するこの世界で、武装警官という職業に課せられた負担は並大抵の物ではない。盤古隊員たちは己を戦闘マシーンの如くに追い込むことで、そのギリギリの任務の日々をくぐり抜けている。そう、彼らもまたプロフェッショナルなのだ。
対するローラの方は焦りを覚えていた。手抜きでも、手抜かりではない。ただ、己れの攻撃技術の荒さに腹がたつ。一撃で全てを仕留めようとしたのはいいが、攻撃精度の粗さが相手を討ちもらした事は確かだ。
これがアンジェやマリーなら一撃で仕留めるだろうか? そんな疑問がローラの脳裏をよぎった。
悔しいとローラは素直に思う。
その思いが煮えくり返るような怒りと敵意を彼女の心に起こした。ローラはいつもなら素の自分のままに動物的なハイテンションを保つ事ができる。だが、今の彼女のハイテンションは多分に感情的なものだ。エネルギーの暴走度合いがまるで違う。
理性が去り、冷静が消え、興奮が彼女を支配する。その足で路面を乱打し、空腹の虎ように冷酷なハンティングを開始した。
爆薬を背負ったワイヤーリールが電磁効果で飛ぶ。爆薬の起爆センサー回路とワイヤーリールの駆動回路は直結され、リールはローラをオートトレースする。
ローラのテンションがさらに上がった。その動きが、見る者の動体視力の限界に触れ、残像すらも残さない。
複数のワイヤーリールがカーブを描き、それが螺旋となってローラの周囲を包む。
ローラが頭上に逃げ道を求めて飛ぶ素振りを見せた。それを待つかの様に機銃掃射が襲う。
だが、ローラのそれはフェイントだった。手の平の内に残る最後の「20%の光」を頭上の方向に向けて撃ち放ち、己れの動きにブレーキをかける。
反動で彼女は路面に這いつくばり、その視線が地面すれすれの世界を捉えていた。
さらにそれは巧妙なフェイントとなり、ローラを包囲していた者たちの視線をあらぬ方へと逸らさせる事に成功したのだ。
それは0コンマ00秒のオーダーの世界だ。今や、ローラの視線を遮るものは無い。
そう――〝敵を狩り放題〟だ。
狂気した笑いがローラに浮かぶ。彼女はその時すでに、人に近い存在である事をやめていた。
ローラは地面を蹴れば、その動きを察知してワイヤーリール付きの爆薬がローラの背後で起爆する。だがその爆破衝撃よりも、彼女の動きはさらに速い。
花壇のコンクリートブロックの影、樹木の影、縁石の影、ロードブロックの影、電動コミューターカーの影、そのあらゆる所に盤古たちの姿が見える。その中の一つに彼女の意識の照準はロックされる。ローラはその意識の中でこの集団のリーダーと推測した人物だ。
――どんな毒蛇も頭を潰せば死ぬ――
その言葉のままに戦闘意欲を走らせる。そして、その意識がたどり着いたのは、トラップ操作のために最後尾にいたあの隊員だった。中央のコンベンションホールへと向かう道のその奥に彼がいる。
ローラは居並ぶ盤古たちの中を走り抜けて跳躍し、そのターゲットへと飛びかかる。
攻撃対象となった彼は死の直感にその脳裏を支配されていた。
密林から飛び出した空腹の猛虎の様に地面を蹴るローラ
その両手が得物を求めて突き出された――
「もらった!」
だがローラは新たな異変が訪れたことを音と視覚からの情報で本能的で察知した、
飛行軌道は3条、青白いロケットモーターの噴炎をなびかせながら、それは飛来する。
1つ目はローラの鼻先をかすめ、彼女の足を止めさせる。
2つ目はローラの右肩に突き刺さり、ダメージを与える。
3つ目はローラの足元に突き刺さり――しかるのちに炸裂した。
飛来した物体の名は「ダイヤモンド・ブレード」と言う。
ローラの背後に飛来する何者かが居る。
その者の気配を確認する間もなく、ローラの右手を掴んで逆手に捻り上げようとする者が居る。
しかも、ローラとほぼ同じ速度の領域でだ。
そのローラの背後に飛来した者の裂帛の気合がこだまする。
「日本警察です! 停まりなさい!」
ローラの右手を逆手にひねりあげつつ、残る片手でローラの首筋を抑えこむと地面に叩きつけようとする。それをローラは強引に身体を錐揉みさせると右手の肘が外れるのもの厭わずに、拘束から強引に逃れてみせた。
そして、攻撃を阻止されたそのままに地面を転げて距離を取りつつ速やかに立ち上がる。その立ち上がったローラの眼前に立ちふさがったのは――
「速やかに戦闘を放棄し投降しなさい! もう退路はありません!」
――儀礼用の警察の正装を脱ぎ捨て、ハイテク仕掛けの戦装束に着替えたフィールである。
ローラはその姿を一瞥すると憎々しげに吐き捨てた。
「邪魔だ!」
そして、フィールに外された右肘を強引にねじり込んだのだ。
@ @ @
盤古たちは撤退した。これ以上の消耗を防ぐための戦略的撤退だった。
「俺たちの装備ではかなわない」
「俺たち盤古ではこいつらを阻止できない」
それが、撤退の一番の理由だった。だが、それももっともな話だった。
武装テロや、違法改造ロボット、あるいは通常の基準のアンドロイドが相手だったら。それなりの対処もできたろう。だが、超一流のアンドロイドテロリストであるディンキー・アンカーソンの配下のマリオネットの戦闘性能はどれをとっても完全に規格外のシロモノであった。生身の人間では、太刀打ちできない速さだった。
テロなどの集団犯罪や、銃器・兵器に物を言わせた犯罪だったら対処のしようもある。
だが、それもその速度を捕らえられればの話だ。だが、それは生身の人間では到底ムリな話だ。
だからこそ、盤古隊員たちは決意した。守りに徹して、VIPたちを守り抜くと。
そして、そう決意した時に本事件における最大の朗報がもたらされた。
「特攻装警が来たぞ!」
生身の人間では捕らえられぬ相手、人間を大きく超える攻撃力、その事を考えるなら、マリオネットに対抗しうるのは特攻装警以外にはあり得ない。
おりしも、盤古の生存者たちに報告が続々と届いていた。
ディアリオが活動中、
アトラスの姿とその戦闘を目撃、
センチュリーがビル内侵入に成功、そして、フィール飛来。
屈辱ではない。むしろ、盤古の中に安堵と新たなる戦意が生まれようとしていた。
自分たちは最前を尽くした、心からそう思う。
残る任務は、これ以上の死傷者を生まない事だ。
「あとはたのむ!」
満身創痍の盤古たちは、みな一様に同じくしてそう思っていた。
攻め落とす事だけが戦いではない。警察という組織に身を置く者なら誰もが抱く認識だ。
しかし、その撤退はローラにしてみれば不愉快きわまりなかった。
煙幕がたかれ、電磁波ジャマーが起動する。それはローラの視聴覚を容赦なく阻害した。
その煙幕の中には、微量な酸も混じっている。濃厚なワックス成分もある。
ローラは、自分の肌が傷む事に不快を感じる。ベトつく感触も嫌いだった。
それ以上彼らを、追う気にはなれなかった。
それになにより、この眼前の見慣れぬアンドロイドがそうさせてはくれないだろう。
飛行機能を有し、奇妙なカスタムナイフを使う女性形のアンドロイド。その額に輝くのは日本の桜を模した五角形の星型のエンブレム。日本警察を象徴するエンブレムである〝桜の代紋〟である。
釈然とせずに、眉間にしわを寄せてローラはフィールを見つめる。
後悔よりも、焦燥よりも、なによりも悔恨の思いが彼女の全てに染み渡る。
ふと、大きな黒アゲハがローラの目の前で通り過ぎた。ビル内の心地好さに季節を忘れた蝶だった。
ローラは、その黒アゲハを指で弾き落とした。蝶は彼女の足下で無残に潰れていた。
その時、ローラの背後から新たな声がする。
「ぶざまね、ずいぶん荒れてるじゃないの」
若い女性の声、その声をローラはよく知っている。
「アンジェ――」
ローラは振り向かずに答える。だが、その顔に不満げな表情がありありと浮かんでいた。
「苦戦しているようね、らしくないわよ。ローラ」
「そんな事ない」
ローラが柄にもなく小声で言葉を洩らす。アンジェに向けた声にはいつもの狂暴さは無い。そこにあるのは力による優劣だけだ。アンジェもまた、苛立つローラをやぶ睨みに見つめている。三白眼に、そして、下目づかいに、ローラを見下ろす視線には乾燥した微笑みが混じっている。
「手をかしてあげるわ」
ローラは答えない。ローラが見つめる視線の先に立つのは当然フィールである。
アンジェはその光景に息を吐いた。乾いた冷たい切り放す様なため息を。
「言うことを聞きなさい」
髪を掻き上げながらアンジェはさらに告げる。有無を言わせぬ威圧だった。
「解った」
あきらめ、と言うより腹を括ったのだろう。横目で睨むようにローラはアンジェを見つめている。その瞳には屈折したイジケの感情は浮かんでいない。怒りをコントロールした冷静さの中に、ストレートに次の行動を求めている。そんなローラにアンジェは告げる。
「行くわよ」
一瞬、小さな風が吹き抜け、路上にコンクリートの塊が落ちては、鈍い音を響かせた。
「最後の警告です」
フィールは動じていなかった。新たな敵の出現にも、ひたすら冷静だった。
「止まりなさい!」
かつてジュリアに気後れし敗れ去ったのは、戦闘に対する準備が不十分だったためだ。護衛対象の英国アカデミーの面々が居たことも影響していた。
だが今は違う。フィールの全てが、対アンドロイド戦闘に特化していた。
そして、フィールは、特攻装警の中では高速戦闘では最速なのだ。
アンジェとローラはその声のする方に視線を向ける。
生い茂る樹木がざわめき、盤古たちの撒いた白煙が風に流れ晴れていく。
二人は、声の正体を掴みかねていた。そして視線を向けてその意図を探ろうとする。
「そこにいる2名! 氏名と所属、及び身分を速やかに明らかにしなさい! 明らかにできない場合、不法侵入とみなし処罰します!」
二人はその声に弾かれる様に全身を向ける。
振り注ぐ光が、白銀のシルエットで眩しいほどに乱反射している。
「誰?」
ローラはその姿をじっと睨み付けた。そして低い声でアンジェは問いかける。
だが、彼女の声を無視して、相手はさらに詰問しながら歩いてくる。
「質問しているのは私です」
それはフィールだった。2次武装のアーマーを身にまとった姿は見事な戦姿だ。
両腕をごく自然にさげ、その足は両脚が縦に重なるように右を前に出していた。
メットのゴーグルの下に端正な瞳がある。それは目の前の違法侵入者たちを警戒していた。
だが、アンジェとローラも同じだった。その仕草やボディランゲージに、好意や親愛のスタイルは微塵も存在しない。
ローラは上目づかいに、そして横目づかいにフィールを睨み付ける。
「あれね? ジュリアに叩き落とされたお人形さんて」
アンジェが薄笑いしながら答える。
「そうでしょうね。いまさらのこのこ現れるなんていかにも間抜けっぽいし」
自然な姿勢を装いながらもその全身に力が込められている。
アンジェは凍結するような冷酷さを漂わせて立ち尽くし――
ローラは真紅に溶解する獰猛さをその身から溢れさせている。
言葉は消滅した。
それ以上はもう何も無かった。あるのは敵意と言う2文字だけだ。
しばらく続く沈黙の後、先に口を開いたのはローラだった。
「また、落とされたいの?」
凍てついた表情の決して浮かばぬ笑みの向こうに、戦う事だけを渇望する戦闘中毒者の姿がある。
そして、アンジェが追う。
「遠慮しなくても、いくらでも落としてあげるわよ」
彼女の唇が笑っている。侮蔑の笑みだ。
「そう、二度と立ち上がれないようにね」
しずかな声とともにアンジェの髪が踊る。それはゴルゴンかメデューサの類の様に波打ち、ゆっくりと彼女の足下に伸び広がる。そして、銀色のさざ波を緑の地面の上に広げた。
その髪の踊るところに植えられていたのは、リスたちのよろこぶ様なクヌギやカシの林だった。深い陰影と、ねじくれた幹を有したその木々は、戦いの淵にある女性たちに人知れぬバトルフィールドを与えている。
その木々の中で、フィールはその視線を決して外さなかった。
ゴーグル越しにアンジェたちを見つめるフィールのその目には、人々の好意を集められる愛らしさはすでにない。
「お断りします」
フィールは集中する意識の中で、強固な言葉を発する。
「あなた方に投降の意思なしと判断します」
フィールの右手がそっと腰の後ろに回る。頭部メットの後ろが微かに動き、そこから何かが滑り降りてくる。器用にそれを指の隙間で受け取ると、その指の隙間にまばゆいクリスタルシルバーに輝くハイテク仕掛けのカスタムナイフが一振り握られていた。
「日本警察の責任において、あなた達を破壊します!!」
その声にアンジェとローラが笑みを消す。二人から答えが無いのが答えだ。意識せずとも二人の体が殺意を吹き出している。
そして次の瞬間二人は、狂声をあげ殺意のままに走り出す。
「やれるもんなら、やってみろ! デク人形!」
アンジェが端麗な顔を歪ませて叫ぶ。その叫びと同時にその長く長く広がった銀髪は、醜くうねるメデューサの様に周りの木々を巻き込みながら一斉にフィール目掛けて多方向から襲いかかってくる。
同じくローラは、アンジェの銀髪がうねるその影にその姿を潜めながら、フィールに襲いかかるその時を狙いすましている。
かたやフィールは周囲の状況を察知すると、この2人を相手にしての近接戦闘が不利であることを悟る。
アンジェの銀髪を見れば、その髪の先端が薄明るく放電しているのが見える。己の視界に電界効果フィルターを重ねれば、その銀髪が高圧のマイクロ波を帯びているのがよく解った。
この状態には見覚えがある。かつて逃走を阻止しきれず、自分の装備をことごとく破られたあの時のことだ。高圧マイクロ波を自在に操る敵に翻弄された時のことを、フィールは記憶の中から呼び起こしていた。
「あなたね? 南本牧でトレーラーの中に隠れていたのは?!」
フィールがそう告げればアンジェは優越感を滲ませながら吐き捨てる。
「だったらどうだと言うんだい? あんたのその細っそいワイヤーはあたしには効かないよ? それにそんなナイフなんかがあたしに効くと思う? 諦めるなら今のうちだよ?」
フィールは思い出していた。眼前の敵アンジェと自分とでは武装の相性が著しく悪い事を。
攻撃範囲、機能性、優位性、どれをとってもアンジェの方がことごとく有利だ。それに、敵を無効化する決定的な手段がない。
内心焦りを感じながら速やかに高速移動で後方へと退き、ブースターナイフでの攻撃のタイミングを推し量る。
近づけばあの銀髪で物理攻撃を加えられるだろう。中距離レンジでは敵の2人のコンビネーションで近接戦闘に引きずり込まれる。遠距離ではマイクロ波による攻撃が待っている。万事休すとは行かないが、堂々巡りの思考にフィールははまりつつあった。
どうすればいい? どう切り返せばいい? そう思案を巡らせていた時だった。
フィールの視界の中を1つのメッセージ文面が再生されて何かを伝えてくる。
【 メッセージ再生 】
【 第2科警研・布平からフィールへ 】
【 装備改良について伝達 】
【 】
【 ①単分子ワイヤー・タランチュラ改良 】
【 構成分子をカーボンフラーレンの他に 】
【 耐熱チタンとレアメタルを添加 】
【 これにより耐熱性を強化 】
【 】
【 ②改良型ダイヤモンドブレード 】
【 炸薬内蔵型追加 】
【 一部のダイヤモンドブレードの先端部に 】
【 極めて微量の金属水素を内蔵 】
【 高性能の電子励起爆薬であるため 】
【 使用時には慎重を喫すること 】
修復作業の時にフィールの記憶領域の片隅に記録しておいたのだろう。
それは布平たちからのフィールへのささやかなプレゼントであった。フィールは以前の南本牧での苦戦を、布平たちにそれとなく話していたことがあったが、戦闘で苦戦した原因を布平たちは分析して、フィールの戦闘装備の改良を密かに済ませていたのだ。
――覚えていてくれたんだ!――
特に熱に弱いタランチュラの弱点が克服できるのであれば、戦闘での応用は大きく広がることになる。アンジェとローラに対する戦闘の方針は自ずと決まった。
「ありがとうございます」
フィールは実感していた。どこにいても自分は1人ではないということを。
ならば――
【 単分子ワイヤー高速生成システム 】
【 タランチュラ起動 】
――その思いに答えるのが今の自分に出来ることだ。
「どうした! 逃げまわることしか出来ないのかい!」
アンジェが叫び声を上げながら、その銀髪を何十倍にも広げつつ近接しつつある。それはもはや人の姿をしていない。銀色の大蛇の群れがからみ合いながら前進する様はもはや異様であった。
「大人しく待っていな! いまその手足を引きちぎってやるからさぁ!」
それは歓喜の声だった。
破壊と殺戮を撒き散らすテロリストの配下として生きることを運命づけられ、破壊するたびに、殺戮するたびに、創造主に評価され、それを己のアイデンティティとして受け入れねば生きてこれなかった、哀れな血まみれのマリオネット。
その悲惨さを自覚すること無く、破壊と殺戮への歓喜にすがるかのようなその姿はもはや滑稽でしか無い。
フィールは思う。殺戮行為を目の前にしていて表情と心を凍らせ無表情を装っているローラというアンドロイドの方がまだ救いがある。
「あぁ、この子たちもやっぱりそうなのね――」
いままでどれだけの違法ロボット、犯罪アンドロイドに向かい合っただろう。
ロボットもアンドロイドも、己自身ではその生き方を選ぶことは出来ない。どんなに高度な頭脳を持っていても、創造主が決めた生き方を受け入れる以外に生きるすべはない。だから、多くの犯罪アンドロイドは犯罪行為を行うことに歓喜する。あるいは感情を凍らせて無表情となる。
フィールは知っていた。
アンジェも、ローラも、そうなることでしか己の自我を維持できなかったのだと。
なぜなら、創造主に逆らうことは、被創造物にとって最大のタブーなのだから。
「もう、終わりにしましょう」
そうつぶやくと、フィールは両手のタランチュラをフル稼働させる。そして、全身のMHD推進装置と電磁バーニヤを全開すると地上での最大速度での超高速移動を発動させた。
【 速度レンジ・マキシマム 】
【 体内負荷 限界値の95%まで 】
【 非飛行高速移動モード 】
【 ―――超高速機動――発動――― 】
最大瞬間速度、マッハ0.92
ソニックブームを起こすギリギリのレベルでの超高速移動
アンジェとローラの視界の中で、一瞬、歪んだ残像を残したと思うと、フィールは耳障りな超音波ノイズを撒き散らしながら、大量の単分子ワイヤーを放射していく。
そして、タランチュラの名が示す通り、犯罪者と言う得物を捕らえるための極めて高度な蜘蛛の巣を瞬く間に組み上げていく。
フィールに対して、大きく油断していたアンジェには、それから逃れるチャンスははじめから存在していなかった。
驚く間もなく、アンジェの頭部から広がっていた銀髪の群れは、フィールが放つ銀色に光る糸により瞬時に絡め取られ締めあげられていく。当然、アンジェは自分の電磁波能力を駆使することで容易に脱出可能だとたかを括っていた。
「こんな糸など――」
簡単に切れる――はずだった。
「なにっ?」
切れない。マイクロ波切断が通じない。加熱による破壊もできない。ただの炭素製の糸なのに、なぜ? 焦りと驚きを隠せないアンジェに、フィールは速度を落として姿を現すとこう告げる。
「よくお聞きなさい――」
わずか5秒足らずの間にアンジェの全ての髪とその体躯の拘束を完了する。そして、さらなる攻撃を加える。限界マックスレベルでの超加速のためフィールのボディの全身から熱気があがっていて、陽炎をまとっている。
【 単分子ワイヤー通電スタート 】
【 高圧三相マイクロ波放射 】
ワイヤーに高圧マイクロ波が流される。これにより単分子ワイヤーはさらなる切断力を発揮する。
「――技術と言うのはね、常に改良されるのよ!」
フィールのその叫びとともにアンジェの銀髪は無残なまでに切り刻まれる。そして、その本体にも高圧マイクロ波は流され、一瞬のけぞったかと思うと、そのままアンジェの身体は地面に崩れ落ちた。
「まずは一体」
アンジェを始末したフィールは、そうつぶやきつつ視線をローラへと向ける。使用済みのワイヤーを指の付け根から切り離すとローラに向けて数歩歩き出す。かたやローラは、その視線を受けて不意に怯えと恐怖をその体から発露し始めた。
「次はあなた。大人しく投降するなら破壊はしません」
鋭く、なによりも強い視線で、フィールはローラを見据えた。
こんな事は初めてだった。怖い、怖い、怖い――、ローラは、フィールの視線から恐怖と言う感覚を感じている。
生まれて初めて感じる恐怖という感覚。絶望的なまでに『敵わない』と言う感覚。
それを彼女は理解できずにパニックを起こしかけていた。
ローラは必死に探していた。今、この場で取りうる手段を。
逃げようか? 否、それだけは選べない。
ならば近接して格闘戦では? 否、あのワイヤーに捉えられるだろう。
それでは得意の超高速戦闘は? 否、この眼前のアンドロイドの瞬間高速性能はローラのそれと比肩するものだ。速度で凌駕できなければ、超高速戦闘には意味が無い。
それでは何がある? どうすればいい?
必死に判断を繰り返せば、ローラにとってもう一つの特殊機能である“光による攻撃”は、そのエネルギーの蓄積度を70%までに回復している事に気付いた。
殺ろう。相打ちとなってでもコイツを破壊する。
彼女には逃げるという価値観はない。ただただ、破壊と殺戮しか無いのだ。
だが、そのローラの脳裏に誰かが囁きかけてくる。
――逃げなさい――
短くシンプルなメッセージ、そのメッセージの主はフィールに打倒されたはずのアンジェだった。
アンジェは立ち上がった。短く乱暴に切断された髪の毛を不完全ながら再生しつつ、マイクロ波で焼かれた身体を起こして立ち上がろうとしていた。そして、フィールの背後からゆっくりと近づきつつ、その視線はローラへと向けられていた。
優しい視線だった。いつもの戦闘行動中の威圧的で高圧的な立ち振舞の中の視線とは違う。
その視線がローラに告げている。戦ってはいけないと。
アンジェは不完全ながら再生したその銀髪を再び広げると周囲の木々をなぎはらいはじめる。彼女の銀の髪は幾重にも分れる剃刀となり、なぎ払った木々をさらなる破片へと変える。
その木端が燃え上がった。粉塵爆発をするかのように、強力な衝撃波を伴いながら、それは周囲の木々へと大きく燃え広がる。
フィールは気付いていた。その火炎の中に立ちすくむアンジェを。
今はアンジェの方を完全に停止させねばならない。火炎に通常視力を奪われたが、フィールは迷う事なく視覚を熱光学サーモグラフィーに切り替える。
「マイクロ波点火だ――」
機能停止寸前のアンジェが最後に見せた技だった。その火炎の高温の中に、微妙に温度が低いところがある。そこにアンジェが居る。
彼女のその決死の行動が仲間の逃亡を促すためであることはフィールにもわかりきっていた。同時に、仲間が逃げおおせられたとしてもアンジェ自身は助からないことも明らかだった。
そこまで仲間を思う心性があるのなら、なぜテロリズムなどに手を染めるのだろう。
焼け焦げながらもローラを逃がそうとするアンジェの姿は矛盾に満ちていた。
だが、それと同時に人間もアンドロイドも、犯罪者というのは往々にして、同じ価値観を持つ仲間同士では信頼と慈愛に満ちた行動をすることがある。すなわち〝同胞〟であるからだ。
瞬時に広がりゆく火炎フィールドを目の当たりにしてフィールは彼女を破壊する決心をした。
両脚を縦に開き、手にした2枚の放電フィンを眼前で交差させ構える。それは迷いを捨てた裁断者の目だ。
彼女の後頭部では、飛行用の2対のマグネウィングが最大限に開いて作動する。それは周囲に電磁場の力場を造りながら微かな燐光でフィールを包みこむ。まるで女神が真円のオーラを背負うかの様に――
次いで、彼女の全身のエアジェットグリッドが、そのジェット気流で彼女の体を冷却しながら、その場へと固定する。
両手に握りしめたマグネウィングから蓄えた電磁波を己れの体内へと引き入れ、動力ユニットから2対の飛行用マグネウィングへ、そして、肩とふくらはぎの電磁バーニヤへと送り出す。
やがてフィールのその全身は帯電する。その背後の電磁波の燐光はさらなる輝きを増し、強い力を溢れさせている。
【 システムコンフィグレーションチェック 】
【 ――オールグリーン―― 】
フィールは己れの体のコンディションを確かめると、体内のトリガーを起動させる。
その背後に、強力な電磁波干渉フィールドが生まれた。
その両手のマグネウィングは、残るエネルギーで微細に振動を始める。万物を切断せしめる高周波振動である。
「これより被疑者を緊急避難により破壊します」
全身がしなり、交差された両腕がボウガンの様に弾き出る。
放たれたマグネウィングが虚空を飛び、フィールの背後の干渉力場フィールドがそれに絶大な力を与えた。
弾け飛んだ。
弾けたのはアンジェだった。
火炎の中、最後の力を発露させて自らが盾となったアンジェ。だが、それももはや潰える。
強烈な破裂音が響き、アンジェの身体は塵とかえる。
マグネウィングが通り過ぎたその後には巨大な穴が残った。
その全身と2対の放電フィンで電磁波の干渉力場フィールドを作りあげ、帯電するマグネウィングをそれぞれの斥力作用で打ち出す。高周波振動するマグネウィングは対象物に食い込んで多量のマイクロ波を放射し、強力な電磁波破砕を引き起こす。それは、フィールが有した攻撃能力の中で対機械戦闘で最強の破壊力を有している。
その攻撃手段の正式呼称を『シン・サルヴェイション』と呼ぶ。
「対象破壊完了、機能停止確認」
アンジェと呼ばれた機体の破壊を確認すると、その周囲に視線を巡らせる。
残る一体――、ローラと呼ばれた機体はどうなっただろう?
振り向けば、そこには仲間に逃走を促されつつも、逃げずに立ちすくむローラの姿があった。
泣いていた。ローラはその顔に怒りを現しつつも涙を流し、じっとフィールを睨みつけている。
咄嗟に両手にダイヤモンドブレードを一本づつ手にすると臨戦態勢にもどる。だが、ローラはフィールから距離を取ろうと後ずさりながらこう叫んだのだ。
「殺してやる」
強く睨んだ視線の中に、なによりも深い〝恨み〟の心情が表れている。そして、ローラはフィールに向けて再び叫んだ。
「いつかアンタを粉々にしてやる! 覚えていろ!!」
その叫びを残響として残しながら、ローラは両手を前方へとつき出す。そして、その両手の中に隠し持っていたあの〝光の塊〟の最後の欠片を全開放する。
その光がローラとフィールの周囲の光景を瞬時にホワイトアウトさせ、フィールの視界を瞬間的にうばさいったのだ。
「しまった!」
焦りを感じたがもう遅い。再びまぶたを開いて周囲を見回したが、すでにローラの姿はそこには残って居なかった。簡素にしてシンプルな技だが目くらましとしてはこれ以上のものはなかった。
「とりあえず、舞い戻って大暴れするようなことはないだろうし、コレでいいとするか」
重かった。
フィールは全身が鉛の様に重かった。多量の力を浪費したためだ。しかも、逃走者の存在を許してしまっている。
フィールは少しうつむき加減に軽いため息をつく。
だが彼女の周囲を心地好い風が吹き抜けている。その風にその身を少しあずけてみる。
何もかもが洗い流されるような微かな安堵感が全身に染みわたってくる。
そして、その耳に残ったローラの言葉を反芻していた。
それは警察組織に身を置く者の宿命である。法を守り、刑罰を執行することで、犯罪者からの反感と恨みを買う。それはどうしても逃れ得ない宿命であり業であった。しかし、その宿命の先にこそ、平穏な社会とその未来があるのだと、かつて警察の恩師から聞かされた言葉をフィールは思い起こしていた。
――警察は恨まれ疎んじられて一人前だ――
昔はその言葉の意味がわからなかったが、最近になりようやくわかったような気がする。そしてこうも思うのだ。
「あの子の言葉を無碍にしてはいけない」
その顔を振り仰いで逃走したその先を慮りながらこう続けた。
「あの子を救ってあげなくちゃ」
たとえ犯罪者でも救われるチャンスはあっていいのだから。
「さて――」
小さくつぶやきフィールは再び歩き出した。フィールは戦いを終えるといつも、苦しい黒い塊の様なものを胸の中に感じていた。
だが、今は違う。
自分の胸の中から、それらをもって行ってくれた一迅の風にフィールは心から感謝する。
そして、マグネウィングを見つけ、それを己れの身につけ直す。
しばらくして、その「耳」にたくさんの足音が聞こえてきた。見れば、盤古の隊員たちが死傷者や生存者の回収/保護を始めていた。やがてその中から、フィールにふたりの標準武装の盤古が歩み寄ってくる。
彼らは、フィールの前で敬礼をする。
そしてその中の一人が、片手でそのヘルメットを取る。その中から覗いた顔は、大きな疲労の中に確かな喜びを覗かせていた。
「武装警官部隊『盤古』東京大隊小隊長、猿形であります」
そこには、角ばった顔の若い中年男性がいた。安堵の笑みを浮かべながらも、その瞳は戦士のままである。フィールもまた敬礼で彼に答えた。
「特攻装警第6号機、フィールです」
彼、猿形は軽くうなづき、敬礼を解いて言葉を続ける。
「伝達します。現在、妻木大隊長ひきいる第1小隊が今なお英国の来賓の方々を護衛しつつ交戦中です。あなたにはそちらへの応援を要請お願いいたします」
「了解です。ただちに向います」
フィールもまた頷き彼の申し出を聞き入れる。すこし、堅苦しさをといて砕けて話し掛けてみる。
「それより、あなたがたは?」
その言葉には、盤古の彼らを気遣うニュアンスが多分に混じっていた。猿形もそれを敏感に感じていた。
「ご心配には及びません。失われた人命もあるのは事実ですが、それもまた我々の天命と知るところです。それよりも、こちらに残された来賓の警護と救出は我々にお任せ下さい。それでは!」
猿形はヒールを打ち付け甲高く敬礼をする。彼らに成し得なかった事を成した英雄に向けての敬礼である。
そして、それを追う様にフィールに向けて他の盤古たちが各々に敬礼をしていた。
儀礼ではなく、本心からの感謝だった。そして、ひとつの戦いを終えた事への最大級のねぎらいだった。
フィールは彼らのそれに深い心の響きを感じ取る。そして彼女もまた敬礼で返礼をした。
猿形はうなづいてその身を翻し元隊へと復帰する。
見上げれば、かつて自分が落とされた外周ビルがある。
「行こう」
明瞭な声でフィールは言った。
そして、フィールは翼を広げると、妻木たちと英国VIPの元へと向って舞い上がった。
次回、第1章第22話『天空のコロッセオⅢ ー名も無き正義ー』
4月8日夜9時半、公開です。