第19話『来訪者』
特攻装警たちを送り出した近衛――
彼のもとに以外な人物が現れます。
特攻装警グラウザー 第1章第19話、開始です。
【改定、エピソードを追加しました】
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「では、ご武運をお祈りします」
その外務省の一団は近衛に対して深々と礼をしてその場を去っていった。それに対して近衛は――
「ご協力、ありがとうございます」
――と警察式の敬礼で見送った。
外務省の面々が姿を消した後、入れ替わりに姿を現したのは鏡石である。警備本部のあるビルの片隅に置かれた簡素な応接対応ルーム。外務省職員を見送り終え、応接ルームから姿を現した近衛に声をかける。
「近衛課長」
狭い廊下の中、近衛は振り向くと鏡石に答え返した。
「鏡石。状況はどうだ?」
「順調です。情報機動隊の隊員の全てと連絡が取れ、第3ブロックまでの状況はまとまりつつあります」
「それで?」
「サミット参加の全来賓のうち、半数以上が第3ブロックまでで安否が確認できました。残る37人は残念ながら第4ブロック階層に閉じ込められているようです。それと国別では英国のみが全員が第4ブロックにて消息をたっています」
「そうか、やはりディアリオからの報告に頼らざるをえない様だな」
「えぇ。ですが彼らなら必ず成果を上げてくれるはずです」
〝彼ら〟――特攻装警の事を示しているのは明らかだった。
「そうだな。あいつらなら必ず事態を打開してくれるはずだ」
鏡石の言葉に近衛も頷き返す。すると鏡石は話題を変えて語りかけてくる。
「それはそうと、先ほどの外務省の方々は? なにか嫌味でも?」
鏡石も、事態の進捗と海外からの来賓の安否情報の遅れを外務省が叱責しに来たのだと思っていたらしい。だが、それに対する近衛の言葉は意外であった。
「いや、逆に激励されたよ」
「え?」
近衛の言葉は鏡石の予想を超えるものだった。それだけに誇らしげな近衛に驚きの声を出さずにはいられなかった。
「外国政府からの問い合わせへの対応や、海外メディアとの折衝は全てこちらで行うから、警察の方々は事態打開に専念してくださいと言ってくれてね。今後のことも全面協力してくれるそうだ」
近衛はそう語りながら、外務省職員が立ち去っていった方向に視線を走らせる。
「今回の事件では間違いなく外国からの来賓にも被害が出る。場合によっては国際問題に発展するだろう。だが、そう言った部分も外務省側で対応してくれると明言してくれた。懸案事項が1つ軽くなったよ」
そう語る近衛の表情は間違いなく安堵を漂わせていた。こう言った特殊な身分の人物たちが絡む事件では、警察だけでは対処しきれないケースが往々にして出てくる。ましてや、一切の情報が絶たれた状況で言葉も通じない海外メディアからの口撃にさらされても、近衛の立場ではできることが限られている。それをその筋のプロたちが協力してくれるというのだから、これほどありがたい事は無かった。
「そうだったんですか」
「どうやら、外務省でも今回の事件が発生した初期段階から独自に情報収集を行なっていたらしい。その際に、この有明1000mビルが外部との通信手段をビルの基幹インフラに完全に頼った構造となっているため、敵テロリストにビルを完全制圧された場合、情報収集が極めて困難になるとの判断で、すべての対処を行っていたらしい。
私の所に顔を出してきたのも海外の治安当局や政府諸機関へのいいわけの口実をつくるためなんだ」
「あぁ、なるほど。実際に現場に足を運んで確認した。事件現場の対応チームにも圧力をかけた。やる事はやっている――、と言うわけですね?」
「まぁ、そういうことだ。その代わりだが、警備本部で得られた情報を外務省とも共有することとなった、一部の機密情報を除いて一般情報については出来る限り流してやってくれ」
「はい。わかりました」
鏡石が近衛に頷き返した――その時だった。
1人の機動隊員が駆けて来る。そして、近衛の近くで敬礼しつつ声をかける。
「警備本部長、面会希望の方がいらっしゃってます」
「なに?」
「特攻装警のセンチュリーとの面会を希望されます」
機動隊員はそう告げながら面会希望者から渡された一枚の名刺を差し出してくる。
〔 ブルームトレーディングコーポ 〕
〔 総務部長 〕
〔 氷室 淳美 〕
その名刺を手にとり、そこに書かれた名前とその所属組織の名を目にした時、近衛の表情が一変した。沈黙したまま何も語らなくなる。背中越しにもその剣呑な気配が伝わってくる。
「あの――、近衛さん?」
恐る恐るに近衛に声をかける鏡石だったが、振り返った近衛から帰ってきた声は〝冷酷〟そのものである。これまで何度も近衛とやり取りしてきた鏡石だったが、今まで一度も聞いたことのないドスの効いた冷たく重い口調だった。
「ここから離れろ。絶対に近づくな」
戸惑い沈黙している鏡石に、近衛は振り返り怒号を発する。
「何をしている! 急げ!」
その言葉に弾かれるように鏡石は駆け足で立ち去っていく。その姿を確認すると同時に傍らの機動隊員にも指示を出す。
「お前もこのまま現場に戻れ、絶対にこの面会希望者に会うな」
その言葉を耳にし機動隊員は軽く敬礼すると無言で立ち去る。
そして、近衛は先程の機動隊員が現れた方へと視線を向ければ、その面会希望者2名は何の許可もなく警備本部のある建物の中へと入ってくる。
二人とも仕立てのいい高級ビジネススーツに身を包んでいる。1人は目元にサングラスを掛けた痩身の男で髪はポマードで隙無く固めてある。もう一人は髪を短く刈り上げたガタイのいい筋肉質の日焼けした男。どこをどう見ても真っ当なビジネスマンには見えなかった。
その二人のうち、痩身の男が声をかけてくる。
「警視庁警備部の近衛警視――で、らっしゃいますね?」
近衛は全身に張り巡らせた緊張を解くことなく、冷静な口調で答え返す。
「いかにも。私が近衛だが」
近衛の答えを耳にして、オールバックの髪の痩身の男はサングラスを外しながら、
「これは失礼。手前ども、小さな貿易会社を営んでおります氷室と申します。許可無く入ってきたことは、ひらにご容赦を」
「できれば許可が出るまで待っていただきたいものですな」
「申し訳ない。時間があまり無いもので」
そう答える氷室の目を近衛は伺ったが、その真意は表情からは見えては来なかった。
「それでご用件は? センチュリーとの面会希望とのことだが、彼なら今任務中ですが」
「えぇ、存じております。危険な現場に空高く飛んでいかれたのでしょう? なに要件をお伝えするだけです」
氷室が発したその言葉に近衛は戦慄を覚えた。報道管制と現場封鎖が行われているにもかかわらず、この男はどこまで知っているのだろう?
「立ち話と言うわけにも行きません。こちらでお話を伺います」
近衛は、その2人を応接ルームに招き入れる。入室の際の立ち振舞をみても一切の隙がない。近衛は一切の警戒を緩めること無く二人の後を追って応接ルームへと入っていった。
@ @ @
質素な応接セットのソファーで、近衛と氷室は向かい合わせに座る。氷室に付き従っている男は少し離れて壁際に立っている。剣呑で張り詰めた空気の中、先に会話を切り出したのは氷室だった。
「単刀直入に申しましょう。私が来たのは今、このビルで起きている事件に関する重要情報をご提供するためです」
「それはどのような?」
近衛は言葉も口調も表情も、最新の注意を払いつつ尋ね返した。
氷室は静かに微笑みを浮かべていたが、目元だけは鋭い眼力を伴いながら、近衛の挙動をじっと捉えていた。近衛の問いかけに氷室はただ簡素に、そして、明確にこう告げた。
「マリオネット・ディンキーはすでに死亡しています」
にわかには信じがたい。氷室が発した言葉が何を意味するのか、理解してその胸中に収めるには、少しばかり時間がかかった。近衛の沈黙に対して氷室は冷静なまま、さらに言葉を発する。
「今から約3年ほど前にディンキーは死亡しており、今、マリオネット・ディンキーの活動とされているのは全て、ディンキーの配下であるアンドロイドたちが独自に行なっているものです」
驚きを顔に出さないように己を制しつつ、近衛は細心の注意を払いながら言葉を選ぶ。相対する氷室も表情を変えること無く淡々としていた。
「その根拠は?」
「私共、海外での活動が多いのですが、海外では日本よりテロや凶悪犯罪に遭遇する可能性が高いので、情報収集には細心の注意を払っています。その中で人種差別的なテロの代表的な存在としてディンキー・アンカーソンの存在は際立っております」
「確かに」
海外の活動――それが真っ当なビジネスによるものだとは到底思えない。だが、それだけに収集される情報の質は表社会に流布するものとは比較にならないほど確信に近い物のはずだ。
「それ故、数年前から世界中でディンキー・アンカーソンの動向は追求されていましたが、3年ほど前からある点において行動パターンが変化していることに気づきました」
ある点――、その言葉を耳にした時、近衛の脳裏にひらめくものがあった。近衛は氷室の目をじっとっ見つめると静かに告げる。
「国境の越境手段ですな?」
口調は穏やかだったが視線は鋭かった。近衛のその言葉に氷室は相好を崩して不気味なくらいに愉悦の顔を浮かべる。そして、歓喜の滲んだ声でこう答えた。
「さすがは〝狼〟」
狼――その言葉が近衛の中の疑念を確信へと変える。
「相当にキレる頭をお持ちですな」
氷室の言葉に近衛はあえて表情を変えずに静かに切り返した。
「いえ、〝カミソリ〟ほどには切れないなまくらですよ」
カミソリ――、近衛のその切り返しに氷室はさも楽しそうに笑みを浮かべていた。それは狩人が得物を見つけた時の歓喜にも似ていた。氷室はそこで笑みを消すと冷静な面持ちで静かに言葉を続ける。
「3年前のある時点を境に、偽装パスポートや身分詐称などの手法で活動していたのが、海外コンテナ船や貨物列車への潜入などに切り替わっています。変わったところでは石油タンカーを使ったケースもある。それがどういう事かお分かりでしょう?」
近衛は頷いて答える。
「人として旅客として移動していたのが、あくまでも〝荷物〟としての移動だけになったと言うわけですな?」
「その通り。アンドロイドであれば飲まず食わずで居てもなんの掻痒もないでしょうからな」
「ご明察ですな」
それは濃密な情報だった。単なる民間貿易会社がどうこうできるものではない。自らの素性を明かしているようなものだ。だが、そうだったとしても今の近衛には明らかに有益な情報である。
「重要情報の提供、ありがとうございます」
「いえ、礼の言葉をいただくまでもありません。ただ、センチュリーさんに借りを返しに伺っただけです」
「借り?」
「えぇ、借りです」
そう言葉を漏らしつつ氷室はうなづく。
「あの方は私共にこうおっしゃいました――
『アンタたちのメンツを取り返してみせる』
――とね。いやいや、仮にも警察の末席におられる方が漏らす言葉ではありませんよ」
「アイツがそう言ったのですか」
「えぇ」
氷室は満足気に笑みを浮かべながら言葉を続ける。
「それに、私の所においでになられるまでに、色々とスジを通しながらツテを辿ってらしたようで――、アンドロイドながら仁義の通し方をなかなか弁えていらっしゃる。あの方が人間なら、私の部下に欲しいくらいだ」
腐っても鯛と言う言葉がある。ヤクザがどんなに犯罪組織化したとしても、根っこは仁義とメンツが支配する独自のドグマがまかり通る異社会だ。そこに強引に力任せに交渉を挑んだとしても情報1つ手に入らないだろう。
センチュリーもアトラス同様、警察として十分すぎるほどの経験を積んでいることをあらためて感じずにはいられなかった。近衛は冗談交じりに氷室に言う。
「それはご勘弁願いたい。我々の秘蔵っ子なので」
「わかってますよ。仮にも狼と呼ばれた男の愛弟子だ。簡単に籠絡できるとは思っておりません」
氷室は両手の指を組みながら近衛をじっと見つめてくる。カミソリと揶揄された男には似つかわしくない人懐っこい笑みが浮かぶ。
「警察がアンドロイドで警官を造る――、そう聞いた時は正直いってどんな税金の無駄遣いに終わるのか内心鼻で笑っていたものです。
それが、あの〝片目のアトラス〟が姿を現した時、我々は警察の本気を思い知り戦慄しました。そして――
〝ハイウェイの狩人・センチュリー〟
〝電脳の番人・ディアリオ〟
〝鋼鉄の処刑人・エリオット〝
彼らの存在を前にシノギを諦めた連中も1人や2人ではない。そして、彼らの開発の影には――近衛警視、あなたの存在が常にあった」
氷室が語ったのは闇社会での特攻装警たちに付けられた二つ名だ。それを敢えて口にしたのは、彼なりの特攻装警たちへの賛辞と取れないこともない。近衛は謙遜し、控えめな口調で言葉を漏らす。
「買いかぶり過ぎです。私は一介の中間管理職です。ただ、現場を知るものとして、彼らを導くことはできる。ただ、それに専念しているだけです」
近衛の言葉に氷室は目を細めた。そして、近衛に対して明朗な言葉でつげるのだ。
「いえいえ、それが出来る人間こそが、いかなる組織でも恐ろしいのですよ。われわれとしてはね。
さて、長居してしまいました。そろそろ失礼致します」
軽く会釈して立ち上がる氷室に、近衛も頭を下げて礼をする。
「ご協力感謝いたします」
慣れ合うつもりはないが礼儀は失したくなかった。応接ルームのドアを氷室の同行者が開け、そこから氷室が出ようとする。すると氷室は、ふと立ち止まった。
「そうそう、肝心なことを忘れておりました」
氷室が振り返る。近衛はその時の氷室の視線を剣呑な光が垣間見えたのを見逃さなかった。
「センチュリーさんにお伝え下さい。これで〝貸し借り〟は無しだと」
氷室という名が示す通り、冷たく凍った陰惨な視線だった。これがこの男の本性なのだ。
近衛は答えなかった。ただ沈黙でもって受け止める。
「それでは失礼――」
氷室は近衛の反応を待たずに、応接ルームから出て行った。壁越しに、革靴の踵がたてる足音が響いている。その足音が遠くへと遠ざかるのを確かめながら近衛は応接ルームのドアを開れば、氷室の姿はもうどこにもなかった。
「やっと行ったか」
剣呑過ぎる時間がやっと過ぎていった。時間にしてほんの3~4分程度だが、1時間にも2時間にも感じられる。両肩から力が抜けると、その全身にどっと疲れが襲う。思わず傍らの壁に右手をついてよりかかりそうになる。
「センチュリーめ、とんでもないヤツを引きずり出しおって」
そして、右手で拳を作るとその壁を思い切り叩いた。藪をつついて蛇を出す。センチュリーにこの言葉を300回くらいは教えてやりたいくらいだ。そんな苛立ちを近衛は腹の底へと押し込めて、意識のスイッチを意図的に切り替えようと頭を振る。そんな近衛の背中にかけられた声があった。
「あの――、近衛さん?」
振り向けばそこには恐る恐る様子をうかがうように廊下の物陰から顔を出している鏡石が居る。そういえば鏡石には成り行きとはいえ、キツい対応をしてしまっていた。流石に近衛もバツが悪い。
だが、鏡石は近衛が普段の理知的でどっしりとした指揮官の彼へと戻っていることを確信したのか、その事を気にもせずに足早に近衛の元へとかけてくる。
「あの、先ほどの方はもう帰られたのですか?」
「あぁ、センチュリーあてに情報提供をしにきただけだったようだ」
「そうですか――それで、ひとつお聞きしたいことがあるんですがよろしいですか?」
鏡石は控えめな口調で近衛に問いかけてくる。何を問われるのかわからないが拒む理由がない。近衛は質問を受けることにした。
「なんだね?」
「はい――」
近衛の言葉に鏡石は一呼吸置く。
「あの、〝狼〟ってどう言う意味ですか?」
鏡石は首をすくめながら上目遣いに近衛に問いかけてくる。近衛もまた、彼女の言葉に驚きを隠せない。
「聞いていたのか?」
「はい、悪いとは思いましたが、この部屋、安普請なのか隣室に声が漏れてくるんです。隣の部屋でこっそり。その――、情報収集の誘惑に勝てなくて」
そこまで言って鏡石は思わず頭を下げていた。こうなると近衛も怒る気も失せてしまう。右の拳で彼女の頭を軽く小突く。
「悪い癖だぞ――」
「申し訳ありません」
あまり人に話していい事ではなかったが、鏡石なら口も硬い。昔話をしてもいいだろうと近衛は思う。鏡石に内緒の話だと念を押したうえでこう告げる。
「昔、そう言うアダ名を付けられたんだ」
顔を上げた鏡石に近衛は話を続けた。
「警らから始まって機動隊~機動捜査隊~捜査一課と渡り歩いてな、組織犯罪対策の四課に暴対として引っ張りこまれた。そして四課にいた時に、東京都内のマフィア化ヤクザの追跡掃討作戦で大暴れしてな、警視庁にスゴいヤツが居るってんで、いつの間にか狼の近衛って呼ばれるようになった。闇夜に潜む狼のように、いつの間にか背後に忍び寄って食らいつかれる――ってね。あの頃は背広姿で歌舞伎町を歩いていると、よく本職ヤクザに間違われたよ」
「ほんとですか? まるで映画みたいですね」
「仕方ないんだ。暴対でヤクザや外国人マフィアの相手をしていると、そう言う連中に舐められないように、それなりに威厳と迫力を身につけないとやっていけないんだ。相手に飲まれたら足をすくわれるどころかヘタすると命を落としかねないからな」
頭を掻きながらそう語る近衛の口調には、警察が立ち向かっているもう一つの戦場の様子が垣間見えていた。鏡石は自分の主戦場である情報犯罪畑とは異なる別世界の剣呑さに思わず息を呑まずにはいられなかった。
「だが、警備部に移ってからは、狼の名を知るものも少なくなった。その名を口にする者は、もう二度と現れないだろうと思っていたんだが――、とんでもない所から現れてきおった」
近衛は一度は遠ざかったはずの危険な世界の足音が再び近づいてきたような気がしてため息をつかずには居られなかった。
「それが先ほどの方ですか?」
「そうだ。氷室と名乗っていたが、偽名――と言うより戸籍を購入したのだろう。本当の名前は〝明石〟と言ったはずだ。〝カミソリ明石〟と言ってな、関西あがりの頭脳派ヤクザ――、人を陥れるのが好きで、カミソリで喉笛を切るように敵の命を喜々として奪う。嫌われるよりも恐れられるタイプだ。奴に顔を覚えられて良いことは何一つ無い。私も何度かハメられかけた事がある」
戸籍を買う――、犯罪社会では実際によくある話だ。身寄りのないホームレスなどを探して、それなりの金額で戸籍一通りを買い取って、別人に法的に成りきってしまう行為だ。そればかりか、非合法な犯罪社会に身をおく者たちの危険性を近衛の言葉の端々に感じずには居られなかった。
鏡石は近衛の話を聞いていて合点がいった。だからこそ近衛はあの時、恐ろしいまでに怒鳴ったのだ。
「ヤツはたしか、緋色会の筆頭若頭の天龍から4分6分の盃を貰った一番舎弟のはずだ。緋色会がステルスヤクザ化する際に、フロント企業を牛耳るために別人となったのだろう。まったく、とんでもないのが出てきた」
溜息をつく近衛に鏡石は頷かざるをえない。情報犯罪は専門だが、闇社会や暴力団といった反社会勢力との接触は鏡石にはまだまだ苦手な分野だ、
「そうですね、あまり接触したくないですよね」
「そういうことだから、ネットでも情報収集は控えるんだぞ。検索の痕跡を掴まれて、何をされるかわからんからな」
図星だった。今回の事件のカタが付いたら調べようとしていたのを釘を差された。その時の鏡石の表情を近衛もしっかり見ていたのだろう。
「私もできるなら二度と接触したくない相手なんだ。いいか? 絶対に調査するなよ? 闇夜で拉致られてバラされるからな! くそっ! センチュリーの馬鹿め、無謀にも程がある!」
近衛が珍しく悪態をついていた。それだけに近衛からはその危険人物の剣呑さがはっきりと伝わってくる。同時に、あとでセンチュリーは間違いなく近衛からこってりと絞られるだろうと鏡石は感じていた。しかし、近衛に聞きたいことはそれだけではなかった。
「それで――その情報ってどんなですか?」
近衛は鏡石の声に振り向く。そして、今、優先すべき問題の方へと立ち直る。
「ディンキー・アンカーソンの生死情報だ」
「生死情報?」
「そうだ。今から3年前に死亡しているそうだ」
「え?」
鏡石は、近衛が何を言っているのかわからなかった。ディンキー・アンカーソンは活動している。だからこそ、今回このビルでこのような大事件が起きているのだ。
「で、でも、上で暴れていますよね?」
「あぁ、暴れているとも。ディンキーが残したマリオネットたちがな」
鏡石はそこまで聞いて伝えられている情報の意味を初めて理解した。そして、端的に回答となる言葉を探して口にする。
「つまり、あれは――、ディンキー・アンカーソンの〝残党〟?」
鏡石のその答えに近衛は頷く。
「たとえ、彼らの中にディンキー・アンカーソンの姿があったとしても、おそらくそれは偽物にすぎん」
「近衛課長、今の情報、なんとしても上の方に伝えなければなりませんね」
「無論だ。敵の動揺を誘い、勢いを挫くためにもな」
「失礼します!」
近衛のその言葉を耳にすると同時に、鏡石は再び情報管理センターへと駆け出していく。鏡石のような若い警察職員も、近衛にとっては導く対象であった。
そして、鏡石が立ち去ったあとで近衛の耳に聞こえる音がある。それは高速ヘリが飛翔していくローター音だ。
「行ったか――」
エリオットも今、第4ブロック階層へと突入しようとしている。これで近衛の側で取れる手段はやり尽くしたと行っていい。
神仏に祈るのは主義ではない。現実だけが近衛の信ずるものだ。
だが、今回だけは、正義を司る神に祈りを捧げたいと思う。
「いや、まだやれることはある」
自分の手の届かない第4ブロック階層の事は彼らに任せよう。だが、第3ブロックから下への対応は、まだまだやる事が山積していた。
「本部長殿! エリオット、上空にて突入準備完了です!」
「今行く!」
近衛を呼ぶ声がする。彼は対策本部へと足早に戻っていった。
@ @ @
有明から走り去る一台の高級外車がある。スウェーデン製のボルボ、頑丈さなら世界中のどの国も引けを取らないと言われる車である。
黒一色に塗られたその車の後部座席に悠然として腰を落ち着けているのはカミソリと呼ばれた男・氷室である。
氷室は懐からオールドウェーブな液晶型のスマートフォンを取り出すと手元で操作してある人物を呼び出した。
【 発信先:天龍 陽二郎 】
わずかな時間をおいて通話先の向こうから声が返ってくる。
〔俺だ〕
「氷室です」
通話の相手はもちろん兄貴分の天龍だ。その口調には久しぶりに接触する宿敵への憧憬がにじみ出ていた。
〔どうだった首尾は〕
「はい、メッセージは順調に伝わったようです」
〔そうか。それでやっこさんの様子はどうだった?〕
「〝狼〟ですね?」
〔あぁ〕
「相変わらずです。温厚な中間管理のふりをしてどうしてなかなか、未だに〝牙〟を磨いていますよ」
〔ほう〕
「そればかりか、牙の継承者と言えるような精鋭を着実に育てつつあります」
〔アレか? 特攻装警〕
「はい。揃えも揃えたり5人」
〔そうか、最近、〝女〟が増えたんだな〕
「はい――ただその5人目の妹分は例のマリオネットの1人にやられたようです。第2科警研とかに救援を求めていました」
〔なんだいきなり負けたのか〕
「えぇ、ですが女性型です。設計アーキテクチャが戦闘向きではなかった可能性があります。その辺りは調査を続行します。それよりもっと気になる情報が――」
氷室のその言い回しに近衛の口調が変わる。
〔手短に話せ〕
「はい、6体目がロールアウト予定です。機体コードはG、現在最終試験段階として現場研修を重ねているようです」
〔本当か?〕
「はい、1000mビル内で6体目が行方不明となって大騒ぎになってます。タイプは所轄での運用を想定した一般捜査用、これは推測ですが、1号から6号までのノウハウを集積した統合型ではないかと」
〔そうか――〕
少しの沈黙を置いて天龍は告げた。
〔――でかした。よくそれだけのネタを仕入れられたな〕
「はい、許可を得る前に面会を強行しましたので。1分ほど余裕が得られました、それに私、目と耳は良いので」
〔あぁ、敵を陥れるネタを掴む力はお前が最強だからな。何しろお前は〝カミソリ〟だからな〕
「恐れ入ります」
氷室の才能を天龍は素直に評価していた。知力も磨き上げれば立派な武器だということを彼の兄貴分である天龍は知っているのだ。そんな兄貴分からの評価を氷室は素直に喜んでいた。
〔それじゃ、夕方までに銀座に来い。お前の所の中島も一緒に連れて行く〕
「はい。お伺いします。オフィスに戻り片付け次第向かいます。それより大丈夫でしたか? 中島は?」
そう問えば電話の向こうで苦笑する声が聞こえる。
〔堀坂のジジィに会う時に相当緊張したらしい。ジジィの屋敷を出た途端、気を失いそうになって倒れたよ。今、俺の車の中で横になっている〕
「お手を煩わせます」
〔構わん。あの凶気の鬼の様なジィさんを前にして失神しなかっただけでも大したものだ。お前の教育の賜物だな。大事にしてやれ〕
「恐縮です」
〔中島の姉ちゃんに褒美だ、お前の秘蔵っ子のピアニストを連れてこい〕
「かしこまりました、コクラは今夜は予定が空いているのでスグにでも準備させます」
〔あぁ、それでいい。それじゃ、待っているぞ〕
天龍はそれだけ告げて一方的に電話を切った。そして氷室も満足げに通話を終えると運転手を務める笹井へと告げる。
「オフィスへいったん戻れ。仕事をまとめて兄貴と合流する」
「銀座ですね?」
「あぁ、いつもの店だ。それとコクラにも連絡を取れ。現地集合だ」
「かしこまりました」
野太い声で受け答えすると笹井はそれっきり沈黙を守った。そして氷室はこう漏らしたのだ。
「さて、これからどうするのか――おとなしく黙っていますか? 〝狼〟? ククク、どんな牙を向いてくるか楽しみだ」
@ @ @
そして有明のビルを遠くから眺める視線が2つ――
有明ビルから1キロほど離れた洋上空域である。それ以上は警察から接近禁止命令が出ている。近づけるギリギリであった。
乗っているのは伍の腹心の部下の猛 光志、そして純白のヘッドドレスが眩しいウノと、男装の麗少女のダウである。
彼らが搭乗しているのはかつてはベルヒューズと呼ばれた球体形状が特徴的なヘリ機体でMDヘリコプター社製のMD600Nである。小型のシルエットながら通常のヘリには付きものの尾部ローターが無くエアジェットで姿勢制御をする機体であった。
4人乗りのその機内にはパイロット1名とコパイロットに猛がその後部席にウノとダウが居る。その後部席の二人に猛は念を押すように二人に問いかける。
「本当にこの距離からで良いのか? 1キロ以上は有るぞ?」
その言葉には確実な任務遂行を望む思いとダウの力の限界をいまいち信じきれていない心性が現れていた。だがそんな不安は彼女たちには無意味だった。悠然とウノが答える。
「はい、このまま進路を維持してください。ダウの席の有る方を1000mビルの方へ向けることを維持してください」
そしてダウもまた告げる。
「僕は見ることと識ることに関しては誰にも負けない。1キロ位の距離なら造作も無いよ。機体が安定次第〝解析〟を開始する」
ダウは男子のような語り口が特徴的であった。一切の迷いを含まない言葉にさすがの猛もそれ以上の異論は挟めなかった。
「分かった。君を信じよう」
そしてパイロットに告げる。
「このまま高度と進路を維持しろ。報道管制空域ギリギリにまで寄せろ」
「了解」
そして機体の進路は安定し、ダウは機体の側面ドアを開けながらその視線を有明の地へと向けたのである。
「〝解析するダウ〟の名において命ずる。はるか彼方の地の巨塔、その秘された有り様を我の前に示せ!」
それはマジックスペルである。そしてコマンドである。それを唱えることで彼女たちは自らの力を開放するのだ。
そして時間にして17秒ほど経ったときだ。
「――解析完了。すべて見とおせた。流石に単純遠視だけじゃなくて遮蔽物内の動向確認も合わせてだからかなりキツかったけどね」
自信有りげに微笑むとダウはコパイロットシートの猛に向けてこう告げたのだ。
「伍さんの関連企業はどのブロックですか?」
「第3ブロック階層だ」
「それなら大丈夫です。テロ騒ぎのメインはあくまでも第4ブロック階層でした。ただ上下の移動手段がうまく機能していないので、多くの人が閉じ込められています。ビルシステムの完全回復がなされるまでは何らかの支援が必要でしょう」
「そうか、それなら伍大人も安心するだろう。配下の者たちが傷つくのをあの方は何より悲しまれるからな」
伍大人――中華圏における成人男性に対する尊称である。
「だがそうなると第4ブロック階層だな。内部はどうなっている?」
実働部隊を仕切る立場として猛がそう尋ねたのは当然のことであった。だがそれを問われてダウの表情は硬かった。
「正直、見て気持ちのいいものではないですね」
「どう言う事?」
傍らのウノが憂いた表情で問う。それに対して怒りを滲ませてダウは言う。
「殺戮の地獄絵図――、全てが殺されているわけではないが、生身の人間が手を出せる場所じゃない。おそらく相当な死傷者が日本警察に出るでしょう。それほどの戦闘力です、襲撃者たちは。来賓が犠牲になっていないのがせめてもの救いだ」
「なんと――」
猛が言葉を失い絶句する。だがそれでも次の指示を絶やさないのは責任ある者の勤めである。
「必要な情報が得られたら空域から脱出しよう。日本警察に悟られると厄介だ」
「はい、お願いします」
ウノは蒼白な表情のダウを気遣いつつも猛に答えた。
「大丈夫? ダウ?」
その優しい言葉にダウも笑みを浮かべる。
「あぁ心配ない。ちょっとショッキングだっただけだ。それに――」
ダウは窓の外のはるか彼方の有明のビルを見つめながら告げる。
「――あそこには頼もしい戦士たちが集っている。何も案ずることはないよ」
彼女が有明の白亜の塔に見たのは惨劇と絶望である。そしてパンドラの箱のように確かな希望も見ていたのである。
そしてその一機の小型ヘリは横浜方面へと飛び去ったのである。
@ @ @
そして同時刻、東京アバディーンのロシア系住民区域の真っ只中、10階建ての堅牢なビルがある。その最上階がロシアンマフィア/ゼムリ・ブラトヤの首魁――ママノーラのオフィスである。毛皮のコートを脱ぎサックドレス姿で革張りソファーに腰掛けて細葉巻を燻らせている。けだるげにしていたがその静寂を破ったのは彼の従者の1人のウラジミールである。
オフィスの扉がノックされる。
「入りな」
ドアが開けられウラジミールが口上を述べた。
「失礼します。ママノーラ、ラフマニから報せが来ました」
その言葉を告げるとラフマニからの手紙を差し出す。それを受け取りながらママノーラは言う。
「そのまま待ちな」
「да」
そして手慣れた手付きでマニキュアの塗られた爪で封をあけ、中の手紙を取り出した。
「ん?」
その手紙を見てママノーラの表情は硬いものになる。
「有明? 何があったってんだい?」
そして手紙の文面をつぶさに長めながらある思いにたどり着いていた。
「そうかい、そう言うことか」
そう一人勝手に呟きながらウラジミールに告げる。
「ネットの報道チャンネルを点けな」
「да」
テーブルの片隅のリモコンを手に取りそれを操作する。すると大規模ネットチューブの報道チャンネル。それの1つが映し出された。
「どうぞ、ママノーラ」
「あぁ、ご苦労」
――そう答えつつもママノーラの視線はモニターの中のニュースを凝視していた。流されていたのは――
【 有明付近にて大規模停電発生。有明1000 】
【 mビルも停電により多数に人々が内部に閉じ 】
【 込められている、これに対して――
事実とは異なるニュース。報道管制と警察圧力による偽情報である。
「なるほどこれはデカいネタだね。うっかり見落とすところだった」
そう告げつつもママノーラはニヤリと笑っている。うって変わって強い口調でママノーラはある人物を呼び出した。
「ヴォロージャ、おいで!」
その呼び声と共に隣室から側近のウラジスノフが姿を現した。無言のままでママノーラを見つめている。
「有明で〝人形ども〟が動いている。派手に暴れて警察の方にもかなりの損害を出しているようだ。だが――」
そう告げながらママノーラはヴォロージャに手紙を投げて渡す。
「勝つにしろ負けるにしろ、あのバカでかいビルからディンキー側の誰かが逃げ出してくるだろう。ビル周辺に網を張って、その脱出の際の様子を抑えな。他の連中よりも早く〝ガラ〟を抑えられたほうがチェスを優位に進められる。わかったかい?」
「да」
「よし、お行き」
ママノーラのその指示を耳にしてウラジスノフはドアを閉める。そして次の瞬間、すでに足早に歩きだしていた。10秒もしない内に数人の部下を率いて出かけるはずである。そしてアジトから出ていくウラジスノフたちの気配を感じながらママノーラはこうつぶやいたのである。
「ふふ、案外、いい買い物だったね。ラフマニの小僧だけじゃなくて神の雷本人からも情報が飛んでくるなんてねぇ」
そして部屋に待機していた若い側近にこう命じるのだ。
「ブランデーのいいとこ持って来といで。一杯やるよ」
「да」
ママノーラの求めに応じてウラジミールはブランデーのボトルとグラスを用意しはじめる。何時になく上機嫌なママノーラであた。
@ @ @
そして今、有明1000mビルの第4階層の中の回廊の1つ。人の気配一つしない無人の空間である。
だがその中に佇む影が1つ。
それを人はピエロともいう、ジェスターともいう、アルルカンと呼ばれることもある。赤い衣、黄色いブーツ、紫の手袋に、金色の角付き帽子、角の数は2つで角の先には柔らかい房状の球体がついていた。襟元には派手なオレンジ色のリボン――、派手な笑い顔の仮面をつけた道化者。人は彼をこう呼ぶ、
――クラウンと――
「さてさて――、げに恐ろしきは人の欲望。文明を発達させる火種ともなれば、世界を焼き尽くす業火ともなりうる。今宵の宴の終幕に〝舞台〟にが誰が立っているのでしょーーか!? キャハハハハハ!」
そしてクラウンは右手で指折り数えながら唱える。
「日本警察?」
指を1つ、
「英国のCamelotの者たち?」
さらに1つ、
「愚かなるマリオネット?」
そしてもう一つ、
「かの勇猛なるアンドロイドの戦士たち?」
そして最後の小指を広げて言う。
「あるいはまだ未知なる誰か?」
そして右手をひらひらとさせながら、楽しげに声を発していた。
「これはこれは、素晴らしいゲーム! しかも完全部外秘なのでギャラリーは私だけ! キャハハハハハ! なんと贅沢! 何という刺激!」
そしてクラウンはその耳に、第4ブロック階層に鳴り響く銃声と爆音を耳にしながらこう言葉を漏らすのだ。
「せいぜい楽しませていただきますよ。我らの姫君をお迎えするそれまでの間はね。フフフフ――」
――コツ、コツ、コツ――
無人の空間にそう足音を響かせながらクラウンは何処かへと歩き去るのであった。
次回、第1章第20話『天空のコロッセオⅠ -火炎魔女と鉄巨人-』

















