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第18話『天空の支配者 ーケルトの残照ー』

ビルの中を迷宮を彷徨うがごとく歩き続けるグラウザー

さまよい歩いた末に彼が出会った人物とは?


第1章第18話、スタートです。

本作品『特攻装警グラウザー』の著作権は美風慶伍にあります。著作者本人以外による転載の全てを禁じます

這部作品“特攻装警グラウザー”的版權在『美風慶伍』。我們禁止除作者本人之外的所有重印

The copyright of this work "Tokkou Soukei Growser" is in Misaze Keigo. We prohibit all reprints other than the author himself / herself

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

§─────────────────§

そこは「歓喜の野」

そこは「常若の国」

誰も見ることかなわぬ地で

全ての者を待っている。

ただ一つ、哀しむべきことは、

ある一人の哀しき王の

ひずんだ善意と悪意の楔で

封じられていると言う事だ。

そして、

それとは違う悪意と偽善の衣を

身にまとう為政者たちも、

永遠にそこへはたどり着けない。

ただ一つ喜ぶべきことがある。

たった一人の無垢な道化者だけは、

その土地にかけられた楔と封印を

すり抜けられるのである。

やがてその道化者は、

善意と悪意の境にある哀しき王の

ひと時のほほえみを感じ取る

そして哀しき王は聞く。

封印が解ける音を。


(ガリア地方古代遺跡の壁面にて発見、

読み人知らず)

§─────────────────§



 かつて、ケルティック・アイランド〔ケルト〕と呼ばれる地に住まう民族がいた。

 だが彼らはその住むべき土地はおろか民族としての全てを失う運命にあった。

 やがて、彼らは追われた。

 ローマとカソリックとヴァイキングたちと……そして、イングランドに。

 前124年のアントルモン陥落に始まりガリア、アングルシー、ブリタニア、

 そして1282年、最後のウェイルズ王、スラウェリンⅡ世が没する。

 これをもってして彼らの王国はこの地上から姿を消したのである。

 だが、彼らはそれでも自らの国を取り戻そうとする。

 ウェイルズの武将オワイン=グリンドゥールの蜂起、

 ボニー・プリンス・チャーリーの反乱、

 そして、イースター蜂起、

 たとえ幾度敗北を繰り返したとしても、彼らは果てる事なく立ち上がる。

 傷つく事は、ためらう事の理由にはなりはしない。

 ただ、その誇りだけが彼らを動かす源だったのだから。

 しかしながら、彼らが再起を喫して争いをこころみるにはいささか不利な面があった。

 彼らは美しく、そして悲しいほどに純粋だった。そして、絶望的なまでに堅くなだったのである。

 しかしさりとて、その事を理由として、彼らを嘲笑う事も罵る事も誰も出来はしない。

 彼らはまさに欧州民族の礎である事には違いない。

 そう、彼らこそが、夢とロマンを携え伝説に生きた民なのである。

 

 ~    ~    ~

 

 今、一人の老紳士が降りてくる。

 極めて緩やかでとても長い道のりの螺旋階段を降りてくる。

 彼は車椅子の上に乗っていた。鈍い銀色のスチール製の趣に欠けるようなものではなく、恐らくはマホガニーかチーク、それらを静かな光を放つ青銅製のフレームで繋ぎ止めて造り上げた温もりに溢れた優しいものだ。

 その老紳士は完全にその車椅子にその身を預け切っている。僅かばかりのまどろみに誘われているその彼の名は「ディンキー=アンカーソン」と言う。

 ディンキーの目は深い碧色で、その髪は輝きを微かに残したシルバーブロンドだ。

 その頭の頂きには、濃紺の羅紗布製の小さな帽子がのっている。

 時折その帽子が揺れる。本当に眠ってしまったり、半分目を覚ましかけたりする。どうやら車椅子の軽快な振動に心地好さを覚えてしまったらしい。

 ディンキーの背後では、1人の女性がその車椅子をそっと支えている。

 彼女の名はメリッサ、漆黒のメイドドレスに身を固めた献身の淑女――


 螺旋階段はドーム状空間のその外周をゆっくりと降りる様に進んで行く。そして、彼らの進むその先のドームは当たり一面を緑色の植物で色濃く覆われていた。

 植えられているのは大きな丸い葉の広葉樹、四季色とりどりの花々たち、ドーム内の各々の箇所に応じて四季や原産地毎に異なる植物が植えられている。

 そこに季節は無い。いや、四季のすべてが皆揃っていると言ってもいいだろう。それは、そこに訪れるものに正確な季節感と言うものを失わせてしまう。

 今まさに、ディンキーとメリッサは少し赤見の混じった紅葉の葉のアーチの下をくぐりぬけていた。その足下の片隅には、春咲きのダンデライオンが己れの咲かんとする場所を確保してその存在を主張している。

 彼らの視界の先には、丈の低い針葉樹……アカシアの木が小さな群を為している。

 そこは異世界、まったくのワンダーランド、現世に現出した小さな楽園である。


「マスター」


 メリッサの囁きにディンキーがその目を覚ます。視界の中にはそのアカシアが捉らえられている。それを見てディンキーは微笑んだ。


「おぉ」


 ディンキーはぽつりと告げる。

 

「ずいぶんお気持よく、お休みになられてましたね」


 メリッサはそう話しかけながら車椅子の歩みを遅くする。周囲を見渡しやすくなったディンキーは、その視線を空へと彷徨わせた。何かを探しているのだ。

 甲高い鳴き声が響いた。小さな動物が放つ甲高くも弱さの混じった鳴き声だ。やがて、その鳴き声の主が、彼らの視界の中に現れる。

 灰色と茶の混じった小さな渡り鳥……今はすでに滅びたはずのリョコウバトだ。

 まさか、どこか人知れぬ土地に生き残っていたのだろうか?

 今、二人の頭上を茶色く染め上げるそれは1羽や2羽ではない。ましてや、見間違いでも無い。大きな群となり空を乱舞しているのだ。もっとも自然の営みから比較すれば小さな物だろう。だが、それでもこのドームと言う建築物の中にあっては、それなりに大きな群である。群をなすだけの数が絶滅を逃れる可能性は少なく、あきらかに新たに蘇った種族らしい。


 ディンキーたち二人がさらにその先を進めば、彼らの前を一つの獣の影が横切った。

 背丈はそれほど高くないが、その身のこなしと歩の速さは驚くほどだ。それは軽やかに歩み出ると、微かに脇を向き、ディンキーたちのその姿を伺い見る。

 その視線には、微かな警戒と親和の意思が含まれている。だが決してその首は下げない。それは守るべき群を持つ指導者の姿だ。

 その指導者の名は「北極狼」。アラスカとシベリアの人外の大自然の中にのみしか住まう事の出来ないはずの極冠の帝王である。彼らは、同抱を守ろうとするならば全身全霊をかける。そして、むやみやたらに牙を向く様な愚かな真似は絶対しない。絶滅寸前の種である彼ら――北極狼の片足には腕輪に似た識別タグが付いていた。


 ディンキーが彼の事をじっと見つめた。そして、そっとその右手を差し伸べる。警戒していた北極狼だったが、ややおいて、しずしずと歩み寄ってくる。やがて彼は、差し出されたディンキーの手の元で、彼だけの王に謁見するかの様に小さくうな垂れる。


「元気か?」


 ディンキーがそっとつぶやく。老王が長年の家臣にねぎらいの言葉をかけるかの様だ。北極狼は不意にその首を上げ、宙を貫くように空を見上げると突然甲高く遠吠えをする。王を讃え高らかに鳴り響くホルンの様に。

 その遠吠えに弾かれたのか、彼らの頭上で五色に輝くシルエットが羽ばたいた。極楽鳥、あるいはフェニックスと呼ばれた事もあるだろう、幻想と伝説の中にしか在らぬはずの幻の鳥だ。

 そして、遠吠えがさらに別の影を呼ぶ。彼が歩んできた道の後ろの方から小さな影が幾つか現れる。まだ生まれていくらも経ってはいない狼の子供たち。そして、その母親である。いまディンキーの前にいる彼はその群の父親であった。

 リーダーであり父親ある彼はディンキーのその顔に意味ありげに視線をおくり、不意にその先をゆっくりとかけだした。


 メリッサは、己が主人の求めを理解して車椅子をゆっくりと進ませる。見れば彼らの周囲を、7色の光を放つ妖精とおぼしきシルエットが、5体ほど追いかけている。始めは、先の狼の家族を守護し見守るかの様にその周囲を舞っていた。

 それは幻覚などではなく、れっきとした現実の映像だ。2対の薄い羽根を持つ小女、古典的な妖精のイメージそのままに彼女らは空を舞う。今また、別な妖精たちの一団が空を舞いディンキーたちの元へと現れた。彼女たちの足下には幾匹もの小さな小動物の影が在る。そしてその向こうにも、妖精たちの一団が――

 どうやら妖精たちは、各々の動物の群を守護するように存在しているらしい。


 さらに二人は進み、やがて周囲の樹木が開けてくる。当たり一面に咲いているのは、ローレル――月桂樹の木だ。それらが低い木株となって周囲をおおい、そこをある種の中庭の様に仕立て上げている。

 辺りには、丈の低い1年草が小さな淡い花を咲かせている。だが、車椅子の車輪は決してその草花たちを押し潰さない。メリッサはその外観に合わぬ力強さで微かに車椅子を持ち上げ、木製の渡り廊下の上へとそっと置いた。

 細い木の板を貼り合わせて作られた渡り廊下は、車椅子が進むたびに軋んだ音をたてた。

 その音がふと途絶える。花畑の中ほどで車椅子を止める。訪れたのは沈黙。そして、安堵と期待の表情だ。

 一方でディンキーたちの気配は、小さな来訪者の訪れを促した。

 月桂樹の木の枝から、草花の葉の下から、アカシアの木陰から小さな愛くるしい目線が現れる。そこには今ではすっかり希少なヤマネも居る。目撃譚すら皆無に等しいニホンカワウソもそこに小さく様子をうかがっていた。

 ディンキーは、皆の視線を受け止めつつもその先へと進んだ。ふと、背後を振り向けば少しづつディンキーの周囲には、動物たちの影が輪を成して群れていた。

 そこには怯えも服従も無い。あるのはただ、限りなく純粋な好意と興味だけだ。メリッサは、ゆっくりとその車椅子の歩みを静める。渡り廊下の途絶えた草むらの中にその居場所を求める。

 そこは楽園であった。その場所はディンキーにはなによりも居心地が良かった。



 @     @     @



 かつて、ドルイド僧なる人々がいた。キリスト教とはまったく異なる自然宗教のもとで、学問と神秘の全てをその手にしていたと言う。だが、ヨーロッパに存在した伝承と神秘の全てを、キリスト教とその布教活動は何もかも飲み込んでしまった。そのため彼らの姿は歴史から永遠に失われ、彼らが存在したという事実も断片的にしか知る事はできない。しかし彼らが、人と自然の関わりを一手にしていたと言う事は確かである。



 @     @     @



 周りの動物たちがディンキーのもとへと歩み寄り、ディンキーの挙動に視線と関心をむける。

 急ぎ駆けつけて、鳴いてディンキーに問いかける者――

 先回りディンキーの前へと正面から現れて己の姿を誇示する者――

 あるいは遠巻きにして、しきりに鳴き声や身の動きでディンキーに気づいてもらおうとしている者もいた。

 彼のもとへ数多の小さな命たちがひと目会おうと群集まるその姿は、自然の中に立つドルイド僧の姿そのものだ。

 ディンキーが右手を差し出す。その掌の中には砕いた果実がある。それを目当てによじ登ってきたのは一匹のリスである。

 リスはディンキーを全く恐れていなかった。むしろ安心しきっていて、ディンキーの掌に一切の恐れを抱かずに安住の場所と決めているようでもある。そのリスの後を追うように数羽の小鳥が舞い降りてくる。そして、その掌の上で餌をついばむのだ。

 

 そこには人々が恐れ忌み嫌うテロリストの首魁のシルエットはどこにもない。このあらゆる時代から隔絶された特異な楽園空間にて安寧そのものを享受する老境の人物が居るだけである。

 ディンキーの掌の中の餌は瞬く間に動物たちによって食いつくされた。それでもなお、さらなる食物を求める彼らに、ディンキーは困惑しつつも優しく語りかける。

 

「もう終わりだ。さぁ、お行き」


 その言葉を介したのか、リスも小鳥も、静かにディンキーの下から立ち去っていく。場所を移動しようとメリッサに求めたが、車いすは進まない。視線を下ろせば2匹のキタキツネが車椅子の足下で、丸まって軽い寝息をたてている。

 車椅子を動かして先に進みたいディンキーではあるが、それをあきらめた。彼らの至福の時間を邪魔するのは不粋である。

 ディンキーは動物たちを愛でて優しい視線をうかべる。唐突にメリッサの声で幸福な時間から引き離されるまでは――


「マスター」


 それは冷静で抑揚のない言葉だったが、ディンキーはその言葉の意味を瞬時に理解する。

 ディンキーにもわかる。何者かがこのドームへと近付いている。

 ディンキーの顔から笑みが消えた。そして、その者の詳細をメリッサにそっと問うた。

 

「何者だ?」

「詳細はわかりませんが、若い男で、サミット招待者にも日本警察にも該当しません」

「なんだと?」

 

 ありえない答だった。ディンキーには解しかねる不思議な答えである。この1000mビルの第4ブロックの閉鎖された状況はディンキーの意思で作られた。そして、それが成功している事も解している。ディンキーの中で疑問は消えずに残る。

 突然それまで、ディンキーの車椅子の足下に丸まっていた一匹のキタキツネがその顔を大きくもたげた。そして、その視界の中に何かを見つけ警戒して走り去っていく。


 ディンキーたちが来たのとはまったくの正反対、月桂樹の中庭のもう一方の入り口にその視線の目標があった。


 若者だ。若い人間の風貌の男性だ。

 北極狼が強く台地を掴んで走り出す。リズムよく足音を慣らし、その若者めがけ向かっている。警戒もある。だが、それよりも、大きな興味で彼は動かされていた。

 一方の若者は、しきりに周囲を見回し見るもの全てに驚きの仕草を示している。

 若者の手が傍らの月桂樹の枝に延びる。そして、多量に茂る緑色の葉に興味を示す。

 彼は見た事が無いのだろう。月桂樹もアカシアも、目にする植物はおおよそ全て。


 彼の名は「グラウザー」 

 この世に生まれ落ちたばかりの純粋なる者。


 キタキツネと北極狼は彼のもとへと駆けつける。警戒の素振りもなくグラウザーの目の前でキタキツネはそっと腰を降ろした。そして、グラウザーの顔を見つめ、その好意のほどを示し明かす。

 グラウザーはキタキツネにそっと手を差し伸べるとその顎をなでさする。キタキツネもまたグラウザーのその手にその身を擦りつける。グラウザーは両手を差し伸べて彼を抱こうとする。普通なら抵抗するはずが、キタキツネはそのまま素直にグラウザーの胸の中へとおさまっていった。


 かたや、北極狼はしっかりと4本の足で地面を踏みしめると、その強い視線でグラウザーを見つめてくる。その視線を受けグラウザーは優しく微笑みかえした。キタキツネを左手で抱えると、右手をそっと狼の口元へと伸ばす。狼はそれを見つめ親愛の情のかわりに軽くひと舐めする。そして、グラウザーになにかを語りかける様に一声吠えた。まるでついてこい、と言いたげに。グラウザーもまた狼に誘われるままにその後を追う。二人の足取りはディンキーの方へと向かっていた。


 メリッサは唐突な来訪者を訝しげに見つめていた。表情には笑みを浮かべたままだったが、内心の警戒は解かれることは無かった。ただし、彼女の主であるディンキーは、少年とも青年とも区別のつかない目の前の一風変わった雰囲気の彼にただならぬ興味を覚えていた。ディンキーにとって目の前の彼は、明らかに未知の不審人物のはずだ。だが、敵意も邪気も、あるいはまとわりつく様な黒い感情もグラウザーからは何も感じられなかった。


 幾羽もの小鳥たちが、歓喜と歓迎の唄を唄いながらグラウザーの周囲を乱舞している。あるいは、この庭園の中の動物たちも彼に対し、警戒や敵意をもっている者がいない。その動物たちの情動にメリッサは警戒を超える驚きを抱かずにはいられなかった。


「面白い子ね」


 風が揺らぎ、心地好い風が吹いている。

 周囲の草花の群にさざ波が吹き、それが今、3人のもとを駆け抜けて行く。

 グラウザーは、抱いていたキタキツネをそっと地面に降ろし数歩前に進み出る。


「あの――」


 少し戸惑い、それでいて穏やかな語り口。優しい眼差しのままグラウザーはディンキーたちに問いかけてきた。


「ここは、どこなのでしょう?」


 グラウザーの言葉を選ばぬ素朴で物言いが、ディンキーには嬉しかった。

 思わず心のそこから微笑みが込み上げてくる。ディンキーは訊ねた。

 

「どこへ向かうのかね?」

「もっと、高いところへ行きたいんです」


 グラウザーの物言いは、作意的に造られたものではない。本心から素直に解き放った言葉だ。それでいて放つ言葉の意味はどことなくミステリアスである。ディンキーはそんな彼に興味を覚え、さらに問うた。


「もっと高いところだと? それは無理だよ?」


 グラウザーは、すこし小首を傾げる。


「どうして?」

「ここから先へは、行けない。ここでおしまいだ」


 その答えに、グラウザーの両の眉が下がり彼の顔に微かな暗さがさした。つまらなそうな、それでいて哀しそうな、幼い子供が期待していた遊びや褒美を裏切られた時のあの表情だ。そんなグラウザーに、ディンキーはさらに訊ねる。


「なぜ、高いところへ行きたいのかね?」

「それは――」


 ディンキーの言葉に、グラウザーはそこまで深く考えた事が無かった事に気付いた。それでも自分の胸の中にあるはずの動機を探しては、それを言葉に紡ぎ上げる。


「何かいいものが見つかるかもしれないから」


 白い歯がそっと覗いてグラウザーは無邪気に答える。だがディンキーは聞かされた答えにおもわず苦笑してしまった。

 素晴らしいものでも、面白いものでもない、いいもの――

 ディンキーは優しく微笑むと、努めて穏やかな口振りで答える。


「そうか、そうか! いいものか。しかしな、それは高いところでなくてもみつかるぞ、きっとな」


 小首を傾げ、グラウザーは疑問に思う


「ホントに?」

「うそではない。〝いいもの〟はどこにでもある」


 皺の刻まれた歳老いた顔の中で、碧い目が意味ありげにグラウザーを見つめていた。その視線がグラウザーに冷静さと決断する力を与えてくれる。


「うん、わかっよた」

「さあ引き返しなさい。引く事もまた、道の続きだ」


 そして、グラウザーが来た方向へと指を指す。その方向になら出口があるのだ。

 グラウザーはそれに気づき大きく頷く。そして身を翻し右手を大きく振る。


「おじいちゃん、ありがとう――」


 それは意図的に作られた上辺だけの感謝ではない。心の底から湧き上がってくる素直な気持ちの発露だ。グラウザーの視界の中には、それに答えてそっと手を振ってくれるディンキーがいる。

 動物たちが別れを惜しんでいる。唐突に現れた来訪者には、以外なまでの好意がよせられていた。数匹の動物たちがグラウザーの後を追う。その中には、グラウザーの胸に抱かれたあのキタキツネもいた。

 グラウザーは振り返りながらも次に進む道を目指し進む。そして、彼の姿が、月桂樹の茂みの中へ消えるまで、さほどの時間はかからなかった。


 ディンキーはグラウザーの姿が消えるのを見届けている。その背後ではメリッサがグラウザーの姿を凝視していた。その視線には強い力が込められている。それは明らかに不審と警戒の意思の表われである。不意に、ディンキーが呟いた。


「だれだろうね? あの者は」

「わかりません。ただ不審者としてカテゴライズするにはあまりにも純粋です。まるで生まれたばかりの子供のようです」

「子供か――」


 ディンキーはなるほどと言った風に、意味ありげにうなずく。


「少なくとも心と精神に異常をきたした痴れ者では無いでしょう。ただ――」


 メリッサは思案と洞察を繰り返した末の言葉を主人たるディンキーに対して告げる。

 

「――無意識にこの場に迷い込んだのだとすれば、生身の人間だとは考えにくいです」


 それはシンパシーだ。ディンキー・アンカーソンと言う怪人物の従者たる者だけが感じうる悲しき共感力だ。メリッサのその答えが、沈黙と静寂を生む。そして、その静寂だけが奇跡的な楽園の中を庭園を支配する。柔らかい風が二人のもとを通り過ぎた。


「マスター」


 メリッサは再び、ディンキーに問いかけた。新たなる来訪者の存在に気付いたがゆえに。

 

「階下から、かねてからの来賓客が到着したようです」


 メリッサのその言葉を耳にした瞬間、ディンキーの顔から微笑みが消えた。そして、ディンキーはそれまでとは異なる新たな喜びの表情を浮かべる。

 それは幸福と平穏につながる喜びではない。狂気と悪意に連結されたエゴイズムの喜びである。

 狂喜――、そう呼ばれるドス黒い感情のエネルギーが見えない波紋を生む。


 その波紋に動物たちはその庭園の支配者の異変に気づく。好意と信頼にひたっていた彼らのそれは恐怖と警戒へと変わる。


 リスが悲鳴を上げながら逃げ去っていく。他の動物達も一斉に駆け出しその場から離れていく。あとに残るのはディンキーとメリッサ――その二人だけだ。ディンキーは重く低い声で告げる。


「主賓が到着したか」

「はい、ディンキー様」

「行こう、我々も座に戻るぞ」

「はい」


 メリッサからもたらされる情報にディンキーはなおも愉悦の表情を浮かべる。

 一方でメリッサは己の主人を見守りながら、肉眼では見えない別な世界の映像を見ていた。情報通信網の向こうの監視カメラの映像である。


 今のメリッサに見えるもの、薄い暗闇のハイテクの迷宮をさまよい歩く英国紳士――チャールズ・ガドニックだ。ディンキーが望んでやまなかった最高の来賓だ。

 ディンキーの求めにメリッサは頷くと車椅子を反転させ二人がもと来た道を戻り始める。


 動物たちが物影から二人を見る視線にはもう微塵の好意も残っていない。警戒と敵意だけが動物たちを支配している。まるで、世紀末を支配する魔界王を見つめる様に。

 その奇跡の楽園の中に一迅の風がふたたび大きく吹いた。辺りに奇妙にうねったさざ波がおどる。

 車椅子の車輪が歪んだ音を立て、ドーム内の楽園から立ち去って行った。



 @     @     @

 

 

 グラウザーはふと背後を振り返る。

 月桂樹とアカシアと、あるいはおおよそ見た事もない様々な樹木の中を進み、彼はその出口を探し当てた。

 スチール製の重い扉をグラウザーはくぐりぬけ、そこに記された記述を見る。


〔第5ブロック階層研究施設群最上階層    〕

〔            人工環境実験フロア〕

〔                     〕

〔    ≪建築中・立入禁止区画≫     〕

〔                     〕

〔遺伝子合成生物育成実験施設群       〕

〔     完全隔離環境シェルタードームA棟〕

〔メカトロニクス擬似生物による       〕

〔     施設設備最終実験模擬起動テスト中〕


 それが何を意味するのか現在のグラウザーには理解できていない。

 

 グラウザーの目の前にはメンテナンス用の細い階段がある。今まで昇ってきたモノレールの通路とはまったく雰囲気が違い、その事に少し戸惑いもあった。それでも彼は前へ進み、階下へと降りて行く。なぜなら、それが先程の〝おじいさん〟から教えてもらった『答え』につながると思ったからである。



 @     @     @


 

 同じ頃、それよりも遥か下の空中では、生死の境の一瞬が展開されていた。

 センチュリーはデルタシャフトから空中へのダイブの過程で、おおよそ望んだものとはまったく異なる飛行軌道を飛んでいた。彼の視界の中では、愛車がバランスを崩し、大地に激突する事を約束されているのが見えていた。


 彼にはわかる。遥か眼下の地上では、彼の事を見て驚き、あるいは悲嘆にくれている者が大勢いるだろうと言う事を。だが、今の彼はその事を気に病まない。反対側を見れば己の兄――アトラスが着実にビルに近づきガラス壁面に近づいているのが見える。兄と視線がかち合ったその時、センチュリーはサムズアップで笑ってみせた。


 人生とはあがく事。そう誰かが言っていたのを思い出す。


――やってみるか――


 そうセンチュリーは呟きその思考回路を回転させた。

 ふと、昔見せられた事のあるコミックのワンシーンが思い出される。

 あの時の主人公は、高層ビルからほおり出された時に、44マグナムを抜いた。

 自分にはそんな粋な事はできない。最も無難な選択をするしか無い。

 

【体外気流制御システム『ウィンダイバー』起動】

【最大制御にて滑空モード開始        】


 体内のシステムを制御すると、自らの体表の各部で電磁波を放ち始める。そして、MHDエアロダイン技術により、一迅の風が起きようとしていた。それは簡易的な浮上力を生み出すとともに、彼の身体を1000mビルの方へと向かわせていた。

 今、センチュリーの体が軌道を変え、1000mビルのガラス壁面に迫る。

 次いで、センチュリーは腰の裏から大型のコンバットナイフを左手で引き出す。いざと言う時のために装備している戦闘工作用のナイフだが、彼もまさかこの様な局面で使うとは思いもよらなかった。

 センチュリーは狙いを定めた。突き立てるのは1000mビルの構造材にもなっている複合材料のガラス素材だ。構造上の要所に命中させねば刺さりもしないだろう。

 そんな事を考えながらセンチュリーがナイフを突き立てたのは、壁面に走る僅かな継ぎ目の上だ。


「ここだ!」


 右腕に全力を込めて振り下ろす。そして、その数秒後、猛烈な反動と引き換えに確実な手ごたえが伝わってくる。流れ去っていた周囲の風景が静止し、センチュリーは確実に自らの落下を食い止めた事を悟った。


「やってみるもんだな、おい」


 柄にも無く引きつった笑みが浮かぶ。だが、それも一瞬だ。センチュリーは己れの左手を壁へとあてがう。そして、全身の力の全てをその左手に集めて行く。左手の前腕部が電磁ノイズのうなり音を立てている。

 センチュリーは己の体内の装備を使用するため音声コマンドを発した。


「イプシロン・ロッド」


 同心円の衝撃波が、人が一人通過するには手頃な穴を壁に開ける。少なくとも運命の糸はまだ絶望的な結末へとは繋がれていない。ナイフから手を離し巧みにビルの中へと潜り込む。明かりは少なく、ビルの外からの自然光しかない。

 足場を求めて立ち上がれば、そこはメンテナンス用の細い通路だった。


「さーて、どうすっかな。アトラス兄きとは完璧にはぐれちまったしな」


 キャットウォークの様な張り出し通路は、このまま別な箇所に移動するには不都合だ。

 また、眼下にあるのはこのビルの巨大な吹き抜け空間で、ここから下フロアに降りたとしても、どこへとつながっているかはまったく見当が付かない。

 ふと見れば、20mばかりの空間を置いた向こうに、このビルのモノレールの軌道があった。それは緩やかなカーブを描いて上階層へと向っている。

 とりあえずこれを辿ってみよう。センチュリーはそう決める。そして、彼は己れの新たな道を目指し足下を隔てる暗闇を飛んだ。



 @     @     @



 地上から歓声が上がった。

 地上の機動隊員たちがセンチュリーとアトラスの咄嗟の行動の全てをその目に焼きつけている。

 その中には、情報機動隊隊長の鏡石や、警備本部長の近衛の姿もある。

 鏡石は、声もなく顔をほころばせている。彼女のその顔にはもう自己責任に潰されそうな悲壮感は残っていなかった。鏡石は、傍らの情報機動隊員に語りかける。


「さぁ、中央統合管理センターへ行くわよ。これからあとはディアリオからの連絡待ちよ」

「はい」


 その場の数人の隊員たちがうなずく。鏡石は、その内の半数にまだビル内に残留している他の隊員との連絡確保を命ずる。近衛も鏡石を見送りつつ、じっと空を見つめた。


「あとは任せたぞ」


 近衛が、遥か上空のセンチュリーたちに向けて小さく呟く。そして、特攻装警と言う存在を見守り、擁護し続けてきたことへの手応えと確信が沸き起こってくるのを感じていた。現場に限りなく近い職場にいる管理職として、有望な才能がしかるべき場所で生かされる事ほど嬉しい事はない。近衛は老婆心ながらにいつもそう思う。

 かたわらで機動隊員が彼に声をかける。


「警備主任、外務省の方がお見えになられております」

「先刻、電話をかけてきた報道折衝の連中か?」

「はい」

「わかった。警備本部で待たせておいてくれ。それよりエリオットの突入の準備はどうなっている?」

「すでに完了しています。いつでも可能です」

「ご苦労、15分後に突入開始とする。我々警備部も動くぞ」

「はっ!」


 近衛からの指示を受けて機動隊員は敬礼で返して走りだした。

 一方で近衛の眉間には、苦しげな縦じわがくっきりと刻まれている。来賓たちの身の安全は、今さら言われなくとも十分理解している。しかし、現場の現状を見ていない人間から見れば、ただひたすら不十分でしかないのだろう。

 近衛には、外務省から来た人間が一体何を言いに来たのか、始めからお見通しだ。


「デスクワークしかできん頭でっかちどもが」


 近衛は柄にもなくため息をつく。そして大きく顔を振り、頭にまとわりつく邪念を追い払う。

 歩き出し近衛は周囲を見渡すとエリオットが待機している方へと向かう。


「エリオット!」


 そして見えてきたシルエットに声をかければ、そこにはすでに突入ミッションの準備を終えた、重武装状態のエリオットの姿があった。それは南本牧の再現である。

 

【スモークディスチャージャー        】

【指向性放電ユニット            】

【10ミリ口径マイクロガトリングハンドカノン】

【射出式捕縛用ネット            】

【脚底部高速移動ダッシュローラー      】

【                 ……etc.】

 

 エリオット本来の基本装備に加えて強行突入と対機械戦闘を想定した武装選択をしている。それに加えていくつかの追加装備も用意してあった。近衛の声に振り向いたエリオットの表情を覗えば、すでに作戦行動に向けて対戦闘目的のメンタルコントロールが行われている最中である。

 

「今から15分後に突入ミッション開始だ。ヘリに乗りビルから一旦離れた後に上空1000mまで上昇、ビル上空で降下を開始し、第4ブロック階層と第5ブロック階層の間にある換気用の隙間空間より強行突入する。その頃にはすでにアトラスやセンチュリーたちが露払いを済ませているはずだ」


 近衛の力強くも理知的な言葉にエリオットははっきりと頷く。


「はい」


 そして近衛は、我が息子のように手塩にかけて育成した眼前の鋼鉄の部下に気合を入れるように大声で告げた。

 

「思い切り暴れてこい!」


 エリオットは踵を揃えると敬礼をする。近衛はエリオットにとり、上司であり、身柄引き受けの責任者である。そして――

 

「はっ!!」


 ――エリオットにとって近衛はまさに〝父〟である。


「特攻装警第5号機エリオット、出場します!」


 その言葉を残してエリオットはヘリに向けて駆けていった。

 近衛はその姿を見送ると警備本部へと戻っていく。

 そして、近衛は、はるか上空で戦っている特攻装警たちに心のなかでエールを送っていた。


次回、

第19話『来訪者』


3月18日夜9時半公開です。


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