第15話 『電脳室の攻防』
アトラスとセンチュリーが臨んだ決死行、
そしてその先に出会うものとは?
第1章第15話 開始です。
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ウェーナーがスリックタイヤを鳴らしながら空中大地の上を疾走する。アクセルは限界までに開かれワイヤーケーブルを通じてスロットルを全開にする。
シリンダー内に吸い込まれた空気と水素ガスとニトロガス、そして幾つかの助爆成分は混ざり合いながらピストンで圧縮される。圧縮された混合ガスは、電磁火花で炸烈しエンジンを駆動させる力の源となる。230㎞毎時の速力で。
その幅30mのエンゼルリングの上をウェーナーが疾走している時だった。
「あれは?」
ハンドルを握り締め前方を見つめていたセンチュリーがつぶやく。その声に促されてアトラスが視線を動かせば、その視線の先には〝あいつ〟の姿が見えていた。
「ベルトコーネ!」
アトラスは思わず、そいつの名前を叫んだ。
第四ブロックの外周ビルの屋上と第五ブロックの空中大地との境目に10mほどの換気用空間がある。その第四ブロックの外周ビルのトップ。仁王立ちになり立ちはだかる男の姿がある。
黒いレザーのバイカーズジャケットの上下に見を包んだ白人男性。全身の至る所に鎖と革ベルトを巻きつけたベルトコーネである。
「兄貴!? 何者だ?」
「ベルトコーネ、南本牧で俺がやりあった相手だ!」
「兄貴の腕を砕いたヤツか!」
兄であるアトラスの言葉にセンチュリーも戦慄せざるを得ない。アトラスの片腕を砕いたあの男だ。それがあそこに立っている。それが何を意味しているのか分からぬセンチュリーではない。思わずハンドルを握る手に力がこもった。
「このまま行くぜ!」
「分かった――」
センチュリーの決断をアトラスは否定しない。この状況を突破できなければ事件解決はさらに遠のく。躊躇うこと無くアクセルを全開にしたままセンチュリーはバイクを直進させる。そして、エンゼルリングの台地の上から空へと飛び出した。
@ @ @
一方、地上からは、センチュリーたちが見舞われている危機は朧気ながら伝わってきていた。
「どうした何があった?」
センチュリーたちの行動の成り行きを見守っていた近衛は上層階監視を行っている機動隊員に無線機越しに問いかけた。
「妨害です! 第4ブロック階層の外周ビル最上階に人影が見えます! 柱状の建築用鋼材の様なものを手にしています! 今、特攻装警に向けて投げました!」
その報告に近衛の胸中を焦燥感が襲う。妨害はあり得ることだ。だが、タイミングとしては最悪以外の何物でもない。それにも増して腹立たしいのは――
「くそっ! こちらからでは支援できない!」
敵もそれを十分に解っての行動なのだろう。それでも何もしない訳にはいかなかった。
「監視を怠るな! すべての情報は警備本部と情報機動隊に流せ! 落下物に注意しろ! マスコミを含む民間人を絶対に近づけるな!」
近衛は休むこと無く檄を飛ばした。そして、頭上を仰ぎアトラスたちの安否を思わずにはいられなかった――
@ @ @
センチュリーの駆るウェーナーが空中へ躍り出る。それと同時にアトラスはセンチュリーの肩越しに構えた10番口径の特装ショットガンを撃ち放った。狙う先にはベルトコーネが居る。彼もまた、アトラスたちに向けて一撃を放つのだ。
「来るぞ!」
太さ30センチは有ろうかと言う鉄骨を右手で軽々と持ち上げると、それを投げ槍競技の槍のように投げ放つのだ。
アトラスがショットガンで狙ったのはベルトコーネが右腕を振りかぶり、今まさに投射するその瞬間であった。10番口径の銃身から放たれた粘着榴弾タイプのスラッグ弾丸は有効射程ギリギリながら正確にベルトコーネに向けて直進していた。
ベルトコーネはその弾丸が己の顔面に向けて飛んで来るであろうとは、すぐに気付いたらしい。
本能的に弾丸を避けようと身を捩ったが為に、鋼材を投げ放つ動作に僅かに狂いが生じていた。そして、その鋼材はほんの僅かにアトラスたちの10センチほど上へと投げ放たれていたのだ。
一方、センチュリーたちはそれを避けきる為――ギリギリの判断を下す。
「すまねえ兄貴!」
そう叫ぶとセンチュリーはショットガンを握るアトラスの右腕を咄嗟に己の右手で掴む。そして、そのまま野球のオーバースローのモーションのままに兄であるアトラスの身体を投げ放とうとする。
「何をする?!」
センチュリーはバイクのコントロールはすでに諦めていた。今は敵の妨害をかいくぐり、何としてもビルの外壁へと到達せねばならない。自らの兄の身体を投げる動作でアトラスを鋼材の飛翔軌道から離しつつ、投げる動作の反作用で自らもその場所から離れようとしていた。
兄を確実にビルへ到達する軌道へ送り込むと、自分もバイクを放棄し足でそれを蹴り飛ばす。
「センチュリー!」
センチュリーは自分自身よりもアトラスがビルへ到達する軌道を獲得する事を何よりも優先させていた。アトラスはその事を悟るとセンチュリーの動作に抵抗すること無く、1000mビル外壁への放物線軌道を受け入れた。
視界の片隅にベルトコーネを視認すれば、ヤツがそれ以上の妨害を仕掛けてこない事に取りあえずは安堵する。かたや振り向けば、右手で親指を立てて破顔して笑う弟の姿があった。
「そうか、アイツには簡易飛行機能が!」
アトラスはセンチュリーが自分よりもアトラスのことを何故優先させたのか理解した。センチュリーにはウィンダイバーと呼ばれる簡易飛行機能が備わっている。それをフル稼働させれば多少は下の位置になるだろうがビル到達は不可能ではない。しかし、アトラスにはそのような機能はなく重量もアトラスのほうが重いことからビル到達が困難になるのは明らかだった。
「先に行くぞ!」
そう叫べばバイクを蹴り飛ばして反動でビルへと向かうセンチュリーの姿があった。
もう大丈夫だ。そう判断して、アトラスは空中を突進する。そして、体操選手の様にその身を回転させると、頭を進行方向へと向け、その手に握っていたショットガン『アースハーケン』を構えてトリガーを引く。
一発目を放ったのちに再度トリガーを引く。
2つの弾丸が、1000mビルのガラス壁面を打ち砕く。
爆発力を有したスラッグシェルは、目標物に命中した際に強くひしゃげて張り付き、しかる後に爆発する。戦車の粘着榴弾に近いそれは、有明1000mビルのガラス壁面に大穴を開けるのに必要十分な威力を有している。アトラスがその弾丸を2度射ったのは確実を喫しての事だ。
ガラス壁面に大穴を開け、アトラスはビル内へと転がり込む。ビル内の空間に砕け散った超硬質のプラスティックガラスが飛散し虹色の雨を振らせた。
アトラスが転がり込んだその先は、フィールの惨劇があったあの最上階フロアからはかなり下で第4ブロックの最下層にほど近い。
アトラスは巨大なガラス壁面をぶちやぶり内部ビルのフロアを横転する。横転したのちに、そこから更に室内のプラスティック製のフェンスを突き破り、ホールの吹き抜けへと再びダイブする。
アトラスは再び落ちる。
自由落下のその末に彼がその動きを止めたのは、大きな吹き抜けの底の緑化帯の上であった。ビル内に設けられた小型の植物プラントの一つである。彼の周囲には原色の花々が、本来の季節を無視してあでやかな色を振りまいている。
転がり落ちたアトラスは極彩色の自然の絨毯の上で仰向けになり、やっと止まった。丈の高い草花の群の中で、アトラスは仰向けに大の字になる。彼の視界からは、はるかに高い吹き抜け天井の天辺が見える。視界の周囲は濃いグリーンで、南方植物の肉厚な鋭い緑木の葉が多量に茂っている。
アトラスはその緑色の原色の世界の中に居る。右手を額に当てると、じっとその目を閉じた。アトラスは意識を集中させ落ち着きを取り戻そうとしている。そして、そのまま十秒ほど横になってゆっくりとその身を起こす。アトラスが周囲に目線を配れば、そこはとてつもなく広いコミュニケーションルームエリアであった。
アトラスは周囲を見回した。敵影を警戒して身構えながら視線を走らせる。同時に、センチュリーの姿も探したが、当然その周囲にセンチュリーの姿は当然なかった。
立ち上がり次の行動の手がかりを探す。センチュリーのその後が気にかかったが、別段、不安に思う程ではない。むしろ、常日頃から自分と一緒に修羅場をくぐり抜けてきた弟である。これくらいの困難は日常茶飯事。無事乗り越えているはずだ。
そのまま顔を降り上げれば目の前には、このフロアのマップが壁に張り付けられていた。
そこは3つのフロアをぶち抜いた吹き抜けホールであり、そこから周囲の会議室や小コンベンションホール、あるいは諸々のコミニュケーション施設へと移動できる場所である。
周辺には4機のスパイラルエスカレーターがある。無論、今は全て停止して動かないであろう。
今、アトラスの耳には、機械が動作する時に鳴らす甲高いあの音すらもどこからも届かない。
アトラスはゆっくりと、視線を動かし続ける。人の気配はない。
ゆっくりと、そして、全身をまんべんなく動かしてみる。異常は無い。あれだけの危険行為を行ないながらも、アトラスの身体には何の異変も見られなかった。アトラスはじっと自分の身体を見つめた。
「当然だ、あの人の造ってくれた身体だからな」
アトラスはそっと呟く。右手に手にしていたアースハーケンを腰裏のホルスターに収めると、植物プラントの多量の植物を掻き分けながらフロアへと出る。アトラスは周囲を見回しながらつぶやいた。
「さて」
どうしたものか? と、アトラスは思う。彼に与えられた目的と任務は鏡石からの預り物をディアリオに届ける事だ。だが、それ以外には、このビル内で起きている事件について正確な情報を得て、なんとかして地上の近衛さんたちに伝えなければならない。
アトラスは考える、まず犯人かあるいは首謀者、そして、それらに加担する共犯者や配下の不法アンドロイドを見つけ出す必要がある。アトラスは自分の取るべき行動を速やかに決定した。とりあえずは、連絡を取りうるべき警察関係者を探す。
必要な情報を得ればその次の行動が決定できるはずだ。
アトラスは歩き始める。そこは、外周ビルの2階、そこからも外周ビルの至る所へと移動する事ができる。
「上へ向かうか」
そう考えたアトラスに確たる確証が有る訳ではなかった。ただ、理由は一つ。
――とりあえず高いところから状況を見下ろそう。
そんな漠然とした判断があるだけだ。
アトラスは吹き抜けホールのスパイラルエスカレーターの一つを駆け上がる。そして、3階フロアへ向かい、そこからさらに階上へと向かう階段を探す。階段は程なく見つかり、更に4フロアほど登った時だ。
上から足音が響いてきた。足音は早い。軽快に階段を降りてくる。
アトラスの利き手が無意識にジャケット内のAE50デザートイーグルを掴んだ。アトラスは階段の形状を利用してその姿を手すりの影に隠す。
足音が次第に大きくなり、相手はアトラスが隠れた階段のスロープへ足を踏み入れる。アトラスはその両手でデザートイーグルを強固にホールドし、人差し指がトリガーにかけた。
(今だ――)
アトラスはその身を踊り出し、降りてきたその人物に銃口を向けた。
相手も素速い反応で拳銃の銃口を向けてくる。アトラスには、その拳銃の形状に見覚えがある。アトラスからは逆光になるが、その人物が誰であるかはすぐに分かった。アトラスが銃を納めるまでもなく、先に相手の方から銃を引っこめた。語りかけてきたのも相手からである。
「アトラス兄さん?!」
アトラスには聞き覚えのある声だ。
「ディアリオか」
「はいっ!」
ディアリオが足早に階段を駆け降りる。そして、アトラスの所にその姿を現した。
アトラスはディアリオに手招きすると階段を降りてい。そして、手近なエントラスのあるフロアへと移動した。それについてきたディアリオはアトラスへと語りかける。
「兄さん、どうやってここまで?」
ディアリオの問いにアトラスは、ふと振り向き、
「飛んだんだよ」
と、それだけ簡単に言った。ディアリオが小首をかしげる。
「飛んだ?」
ディアリオの確認の問いにアトラスは頷いた。
「ビルの構造物を利用してセンチュリーのバイクで駆け上がってきたんだ。少しばかり無理をしたが、なんとかここまで辿りつけた」
アトラスの言葉に驚きつつもディアリオは元気づけられる思いだった。 そして、アトラスの言葉に出てきたもう一人の兄の事を聞かずには居られなかった。
「それで――センチュリー兄さんは?」
「ちょっとしたハプニングがあってな。俺とは別行動になった」
「別行動?」
「ビルに到達するのに、敵の妨害で分断されたんだ。アイツの事だ。まぁ、死にゃあしない」
事も無げにあっさりと言い放つアトラスの言葉にディアリオも苦笑いせずにはいられない。
堅実で慎重派のアトラスに対して、行動的で野性的な直感に優れたのがセンチュリーだ。
引き起こすトラブルは多いが、同時に不測の事態への対応力は頭抜けて優れている。殺しても死なない、とはセンチュリーと現場で同衾した警察職員がよく話していた。そう言う兄だ、最悪の事態にはならないだろう。
「そうですね。センチュリー兄さんならすぐに追いついてくるでしょう」
ディアリオの言葉に、アトラスは顔を振り上げ頷き返す。そして、彼に問いただした。
「さっそくだが、お前に聞きたい事がある」
「なんなりと」
ディアリオは頷く。
「さっきだがな。フィールがこのビルから落ちてきた。それも、まともではない姿でな。聞かせてくれ。あれは一体何だ? それに、ここでは一体何が起こっているんだ? いずれにしろ、下の方ではこの第4ブロック内の情報がまったく手に入らない。先程も応援部隊がヘリごと消された。正直な話、俺たち以外には対策を講じようが無い」
アトラスの口からもたらされた情報にディアリオはショックを隠せない。笑みを消すと、すぐそばの白い漆喰コンクリート壁の所に移動しそこに向く。ディアリオはジャケットから小型の浮遊デバイスを取り出すと説明用のCG映像を映しだす。
「これを見て下さい」
ディアリオはアトラスにある映像を見せた。
「これは?」
「これは、私とフィールが対峙したテロアンドロイドです」
そこには先程ディアリオが対戦したジュリアが写っている。SPが撲殺された辺りは写っていないが、その後の、SPが倒され終わった辺りから写っていた。ディアリオは映像を写し続ける。アトラスがそれを見続けている中、ディアリオは言葉を続けた。
「この時、英国の科学アカデミーの一行をフィールは護衛しています。また、私もある理由から彼らに同行していました」
「ある理由とは?」
「アカデミーの方々から、ビル内施設の見学を申し込まれまして、一緒に行動していたんです。そして、彼らがこの上の最上階展望フロアで休憩していた時に」
「襲撃を受けたんだな?」
ディアリオは頷いた。アトラスは更に問う。
「敵は?」
「かなり強力なカスタムアンドロイドです。無論、一般的なアンドロイドの性能基準や保安規格には一切準拠していないイリーガルモデルです。恐らくディンキー・アンカーソンの配下の者で間違いありません。私も、南本牧での一件で遭遇しています」
ディアリオは映像を止める。
「一体だけか?」
「私が直接遭遇したのはこの一体だけです。全てで何体なのかは全く把握できていません。ですが、複数で行動しているのは確実でしょう。ビル構内で戦闘活動も発生しています」
ディアリオがもたらす事実をじっと聞いていたが、アトラスとしては地上に居た時に想像したのと、ほぼそのままの結果だった。
「やはりディンキーか――、俺も突入時に出くわした。南本牧でやりあったベルトコーネとか言うやつだ」
「兄さんの右腕を砕いた奴でしたね」
「あぁ、巨大な鋼材をいきなり投げてきた。馬鹿げたタフネスぶりは相変わらずだよ。それと、お前の所の鏡石さんから預り物だ」
アトラスはフライングジャケットの内ポケットから一つの超小型メモリを取り出す。そして、それをディアリオに渡した。
「これを? 隊長が?」
アトラスはうなずく。そして、それを渡した段階でアトラスは歩き出した。その足を停止しているスパイラルエスカレーターに運ぶと、階下へと降り出した。
「兄さん、どこへ?」
ディアリオの問いにアトラスは告げる。
「表に出る。自分の目で情報を集めるしかなさそうだからな」
「大丈夫ですか? 敵は、敵は一筋縄では行きませんよ」
弟が語る言葉には不安と怖れが垣間見えている。慎重を期する性格のディアリオらしい反応だ。だがアトラスはディアリオのその言葉に足を止め振り返る。
「なぁ、ディアリオ。俺達は何の為に存在する?」
「え?」
「俺はこう思ってる。『人が人の手では成しえない事をする為に、その為に助けを求めて俺たちを生み出した』」
「………」
「だから、人がその手を汚せない仕事でも、俺はこの手を汚す用意がいつでもある。人が命を張れない仕事でも、俺はこの命を張る事ができる。だからな――」
アトラスは弟を見つめ大きく息を吸う。
「俺たちに『できない』などと言う言葉は無いんだよ」
ディアリオは黙したままだ。黙したままアトラスの背をじっと見つめている。
「ディアリオ、自分にこそ出来得る事を最高にやってみろ。そうすれば一筋縄でいかない相手などどこにもいなくなる」
それは、アトラスだからこそ言える言葉だった。最初期に造られた特攻装警であり頑丈さこそ未だにトップクラスだ。だが、アトラスは特殊機能の面では目立った物は何も持っていない。旧式のポンコツと言う侮蔑を否定しきれないのは事実だ。
だがアトラスはそれを経験の積み重ねと学習と修練とで己を鍛えあげることで乗り越えてきたのだ。その兄が語る言葉には何よりも深い説得力が備わっていた。
「わかりました」
アトラスの言葉の意を胸に納めて、ディアリオは明快に答えた。
「兄さんも気をつけて――」
アトラスはディアリオの言葉に頷きながらその場を後にする。
かたやディアリオは、アトラスから渡されたあの超小型メモリを取り出して脇腹にあるメモリ用スロットへと送り込む。そこには鏡石からの指示と情報が記されてあった。その指示と情報をもとにディアリオは行動を開始する。そして、それがディアリオの『出来る事』である。
それは、発想の逆転だった。ディアリオは今着たルートを今度は逆に進む。
「盲点だった、こんなルートがあったなんて!」
全てのシステムが停止した薄暗闇の世界の中で、ディアリオはそのビルの大階段を駆け登っていた。
駆け登りながらも、彼は鏡石隊長から渡された磁気ディスクをその体内で読み出し解析する。
「確か、このビルの第5ブロックは、現在建築中。そして建築中のエリアは、そのビルに敷設される情報通信ネットワーク網がまだ稼働してない。そのため建築業者が外部や内部での連絡を取るための専用の通信回線が必ず確保される! 考えてみれば建築中のブロックは電源すらも満足に得られないはず」
ディアリオは階段のステップを数段飛ばしに駆け上がる。
「ならば! そこに敷設され使用される回線は独自の電源装置を持っていてもいいはずだ! そうすれば、私が向かうべきところはあそこしかない!」
ディアリオはビルの中の階段を駆け上がり、最上階展望フロア内を探索し始めた。
展望フロアに付くと、ディアリオは周囲を最大限に警戒した。先程のあのジュリアがいつ姿を現すかもしれないためだ。
「私がいた第3ブロックの管理センターには、建築中の第5ブロックへと出入りするルートの情報は存在しなかったが――」
データをその体内で検索し第4ブロック最上階のフロアマップデータを引き出す。そしてそれを元にして最上階の展望回廊を進んだ。そして、ビルを四半周ほど走っただろうか? 周囲の展望回廊壁を探れば一つの簡単な隠し扉に行き当たる。
白磁のプラスティック風の壁面パネルの中に隠された一つの扉。一見ただの壁にしか見えないが、特殊なセキュリティコードを操作すれば開けられる仕組みだ。再度、鏡石からのメモリーの情報をチェックして建築業者向けの極秘コードのドア開閉プロトコルが記録されていた。
短距離無線で隠しドアの内蔵セキュリティシステムにアクセスし、規定のIDコードと暗証パスワードを送る。セキュリティプログラムにログインすると、隠し扉の開閉コマンドを発信する。すると、隠し扉は音もなく数センチほど押し出されしかるのちにスライド可能となる。ディアリオはそれを手で押し開いた。
その奥にはさして大きく広くはないものの、未だ未完成の第5ブロックエリアへと繋がるメンテナンス通路があった。メンテナンス通路を進むその途中に第4ブロックの管理センターへと向かって枝別れするアクセス路が有ったはずだ。
ディアリオは再び超小型メモリーの情報を検索し、再度ビルの3次元構造マップを調べた。メンテナンス通路は最上階の展望フロア内に環状に1つと、そこから内側に放射線状に上へと昇る階段が数基ある。ディアリオはマップにて自分の現在位置を照らし合せると最寄りの階段を探す。その階段はすぐに見つかる。
「これか」
通路の脇の壁に指示パネルが取り付けてある。そして、指示パネルから延びる一本の矢印が階段の上方を指していた。
『第4ブロック、管理センター』
ディアリオは、その階段へ潜り込んだ。
階段は思いの他狭い。ちょうど人間一人の肩幅にわずかに水増しした程度の余裕しかない。寸法の面から言えばディアリオにはかなりぎりぎりに近い。階段自体も非常に急である。本来がこの通路自体が第5ブロックが完成するまでの暫定的な設備でしかないためだ。第5ブロックが完成すれば、英国アカデミーを招いた第3ブロックの管理センターの様にゴンドラエレベーターから直接乗り入れが可能となるのだ。
ディアリオが階段を昇り切ると、他のフロアと同じ様な薄暗い場所へとたどり着いた。床はダークブルーのマットレス、側壁はグレーのプラスティックリノリューム、天井は面発光のアイボリーの蛍光パネル。実利主義の簡単な構造の通路だ。
ディアリオはゆっくりと周囲を見回す。管理センターのあるフロアは、各ブロックを隔てるための分厚い人工地盤の中に作られている。そのため自然光はゼロである。外部電源がまったく停止している現在、管理センターのフロアには光とよべるものは皆無であった。ただ、停電などの非常時に作動するバッテリー式の非常灯がわずかにそのフロアの空間の足下を照しているのみである。
ディアリオは自分のその目の受光周波数をチューニングし暗視モードに切り換える。色は乏しくなるが、これで映像を確保する事が出来る。
そして、そのフロアは他の管理センターフロアとまったく同じ作りをしていた。
中央の管理情報システムルームを中心に、そこから放射状/同心円状に通路が構成されている。
「ここも、他の管理センターと同じはず」
ディアリオは、先程自分が作業をしていた第3ブロックの管理センターのフロアマップを頭脳内のイメージに写し出す。そして、自分のそれまでの行動から逆算して、自分の現在位置を導き出した。
「これか」
ディアリオは一つのポイントを目指した。カーブする同心円方向の横通路から縦通路へと出れば通路は一直線となる。ディアリオの視線を向けた方向、その先には第4ブロックをつかさどる管理システムルームがある。ディアリオはそこへめがけて走りながら左右に視線を走らせた。
「ほとんどが機械室や未使用区画、細工をしたり姿を隠したりするには持ってこいだな」
そうつぶやく間に彼は目的の場所へと辿りついた。
「第4ブロック中央管理システムルーム。ここだ、ここから外部と連絡が付けられるはず」
ディアリオは強固に閉ざされた扉に手をかける。扉は厚く重い総金属製のスライド式自動扉で動力源の遮断された現在、簡単にはには開かないはずだ。だが、自動扉の中央部の引き手に手をかけ力を込めたその時、目の前で引き起こされた出来事にディアリオは驚きの声を発した。
「なに?」
扉の方が自ら動いた。エアタンクのバルブから空気の抜ける音がし、その音が継続するのにならって、その扉は自動的に開いたのだ。
「ドアが生きているだと?」
その事実は、この先に熟慮しなければならない事実が有る事を暗に語っている。だが、躊躇する訳には行かない。決断は一瞬である。ディアリオは懐の拳銃をあらかじめ握りながら、一歩、二歩、とゆっくり慎重にその脚をエリア内に踏み入れた。
システムルームの中でディアリオの感覚はその気配にある種の不気味さを感じとっていた。かたや彼の背後では扉は再びエアシリンジの作動音をさせて閉じて行く。ディアリオは振り向かずにその先へと向かう。
暗闇に沈む室内の中を視線を走らせれば、大型のワークステーションを中心に大小幾つもディスプレイの群れが並んでいる。それらは全て休むことなく超高速のネットワークで連動しており、それらすべての機器のパイロットランプが明滅をしていた。
「ここのシステムはまだ未稼働のはず」
コンピューターシステムが環状に並び17インチ大の液晶ディスプレイが一つのサークルを構成する中、そこへとディアリオが脚を踏み入れて行く。
警戒心を最大にして周囲に視線を走らせると、さらに先へと歩みを進める。そしてコンピューターの群れの中央へと位置したその時である。
今、この時のため用意された〝儀式〟が今まさに開始されたのである。
けたたましい電子発信音が鳴り響く。彼が中央に位置するコンピューターたちが何の前触れも無く起動を開始する。それ以後数秒おきに、ディアリオの周囲を時計周りに7つの映像が照し出される。
ディアリオが警戒しながら周囲を見回せば、液晶ディスプレイに様々な映像が次々に映し出された。
例えばそれは美食に耽ける肥満の上流階級、そして、骨と皮だけに痩せ衰えた難民の子供たち――
「なんだ?」
場違いと言えば場違い。意味が有るようで、何の必然性も感じられないその画像が垂れ流されている。
次に現れたのは、かつての歴代の独裁者たち。一個人の欲望とコンプレックスが巻き起こした虐殺の歴史。
3つ目は、日本の受験チルドレン。己れの意思の無いままに、機械的な表情で街を流されて行く。
4つ目は、かつての20世紀の南アフリカ共和国のアパルトヘイトの資料映像
5つ目は、中世カトリックの女性の園「修道院の夜」
6つ目は、ギリシャ神話中最悪の女神「ヘラ」
そして最後の7つ目は、『地球とそれに重ね合わされた全ての人類』
一見、何の関連も無いように思えて、繋げれば一つのメッセージとなりそうでもある。
だが、ディアリオには最後の一つの画像だけが最後のパズルピースとしては今ひとつ噛み合わなかった。困惑にとらわれていると物陰から声がする。それは少年の様な若さを感じさせる声である。
「お気に召したかい?」
液晶ディスプレイの光だけが浮かび上がる漆黒の空間の中、ディアリオの対面の方向のその奥から彼は現れた。
「何かの寓意のつもりですか?」
ディアリオは警戒し、右手にクーナンマグナムを握りつつその男と向かい合う。
「ちょっとしたお遊びさ。君を迎えるためのね。特攻装警第4号機・ディアリオ」
その声の主は白人系のティーンエイジャーの様な風体をしていた。ひざ下ほどの短ズボン。Tシャツにゆったりとした半そでジャケット。頭にはニットの帽子をかぶっている。目元には卵のような楕円レンズのメガネを掛けている。背丈も小さく、どこと無く幼さを感じさせる。
「ご存知なのですね私の名前を。どこかでお会いしましたか?」
ディアリオはその男から視線を外さずに向かい合っている。男は静かに微笑むとこう答えた。
「ヨコハマのハイウェイでは世話になったね。さすがに市街地一区画を丸ごと停電させるとは予想しなかったけどね。君ぶっ飛び過ぎだよ! ほんとに警察? アハハハ!」
「やはり――」
ディアリオは彼に対して銃口を向けた。
「あのときのトレーラーを操作していたのは貴方ですか」
ディアリオに問われても微笑むばかりで何も答えない。苛立ちを感じつつもそれを顔に表さずにさらに問いただす。
「名前は?」
その問いに男はシンプルに答える。
「ガルディノ」
「ディンキー・アンカーソンの配下ですか?」
「答える義務は無いな」
ガルディノ――、そう名乗った彼はディアリオから銃口を向けられつつも一向に意に介していない。ディアリオは猛る気持ちを抑えつつ質問を続けた。
「一つ聞きたい事があります」
「なんだい?」
「この画像の群れについてですが一枚目から順番に――飽食、強欲、怠惰、傲慢、色情、嫉妬、をそれぞれに表していますね?」
ガルディノはなおも微笑んだまま答えない。ディアリオは言葉を続ける。
「しかし、7枚目が憤怒だとして画像とは噛み合わないのでは?」
その言葉を耳にしてガルディノの顔から笑みが消えた。
「そうか、君にはそう写るのか」
「無論です」
ガルディノは両腕を組むと冷たい視線でディアリオを見つめたままほんの僅かに沈黙した。そして、静かに溜息をつくとこう言い放つ。
「君とは価値観を共有できると思ったんだけどね」
ガルディノの言葉に沈黙したのはディアリオだった。
「今の地球を見てごらん。紛争と闘争が絶えている地域はどこにもない。ネットワークに意識を飛ばしてみても、平和で幸せな事実より、いかに人間たちが互いに対立しているかを示す情報しか出てこない。そこからかいま見えるのは互いが互いを〝怒っている〟と言う現実だ」
黙したままガルディノの言葉を聞いていたディアリオだったが静かに口を開いた。
「浅い考えですね。怒りや衝突に身を委ねている人間だけとはかぎりません」
「例えば?」
「平和を願う人間は絶えることがありません。対立だらけの世界の中でも混乱を収束させ、安寧のために自らを犠牲にしてでも立ち向かう人々はたくさん居ます」
「偽善だ」
「えぇ、偽善です。ですが破壊と恩讐に身を委ねるよりは遥かに良い」
「でもその偽善は、本当に人の心の善意から生まれたと思っているのかい?」
「えぇ。無論です」
ディアリオは言い切った。だが、それをガルディノは鼻で笑い飛ばした。
「滑稽だね――、あまねく全ての人間たちを見ていてなぜそんな言葉が出せるのか笑えてくるよ。例えばだ――」
ガルディノは腕を組んだまま右手の人差し指を立てた。
「地球のオゾン層を破壊するからフロンガスを廃止しよう回収しようと人々は呼びかけて無害な新しいフロンガスに変えさせる事に成功させた。確かに性能の悪い古い物を駆逐して環境保護のお題目を守ることにはある程度成功したかも知れない。しかし、知っているかい?」
ガルディノは組んだ腕を解いて、ディアリオを見つめたまま静かに歩き出した。
「フロンガスを廃止させることに積極的だったのはアメリカだったんだが、当時、世界のフロンガス生産は日本がほとんどのシェアを占めていた。だが、フロンガス全廃をきっかけに、アメリカの企業がフロンガス生産の分野に進出してきた。アメリカがフロンガス廃止に力を入れたのは国際競争を自国に利益を誘導するための経済戦略だったってオチだよ」
ガルディのが歩いた先には一つの小型のスマートパッドが置いてあった。それを片手で器用に操作し始めた。
「マグロの動物保護活動にしてもそう! クジラの保護がある程度完成したことで動物保護団体は活動目的を失ってしまった。しかし、組織を存続させるためには活動し続けなければならない! だから今度は保護対象をクジラからマグロにシフトした。マグロが保護できたら、次はエビだって言われてる。エビの次はイワシかな? 組織というものを運営するのにはコストがかかる。そして、そのコストを維持するためには利益を生まねばならない。動物保護活動だって一皮むけば、所詮はビジネスさ!!」
ガルディノが語る事実と対応するように、ディスプレイには動物保護の裏側を示し出したような現実の光景が次々に映し出されていた。それらを背後にしてガルディノは更に告げた。
「欧米が生み出した自由主義社会なんて、所詮は利益第一の経済社会だ。そこには競争と嫉妬と利益と、互いを追い落とそうとする敵意と怒りがあるだけだ。この世界に本当の平和なんて無いんだ」
一気に語り切ったガルディノの言葉を、じっと聞いていたディアリオだったが返す刀で問い返した。
「だから、地球イコール〝憤怒〟と言う訳ですか?」
「そうだ。今の地球世界には〝怒り〟しか存在しない」
「歪んでいますね。私には理解できない論理だ」
「そうか」
ガルディノは両手を顔の前辺りまで上げて顔を左右に振る。
「やれやれ、君とは価値観を共有できると心から思っていたんだが――とんだ見込み違いだったみたいだね」
その言葉にディアリオはクーナンの銃口をあらためてガルディノに向け強い視線を叩きつける。
「私は警察――、あなたは犯罪者――、共有できる価値観などありません。これ以上の議論は無意味です。すみやかに投降しなさい」
だがガルディノはディアリオのその警告を一考だにしなかった。自らの背後にさりげなく両手を回すと、そこから二振りの得物を取り出してくる。
〝カタール〟――インド地方で用いられていた近接格闘スタイルの刀剣で、両刃のブレードが前腕の延長となるように片腕に一振り固定装着される特殊な形式の武器だ。
「交渉決裂と言うわけだね。いいだろう、それが君の意思なのなら」
ガルディノは微笑みつつも冷ややかな視線でディアリオを見つめた。
「でも、それでももう一度だけ言うよ。ディアリオ、君と僕とは似た者同士だ。一つの組織の中でトップクラスの対ネットワーク能力を有している。君があのヨコハマのハイウェイで僕たちの闘争阻止と言う目的の為に、あれだけの事を仕掛けてきた事に僕は感動すら覚えたんだ。目的の為に手段を選ばないえげつなさ。あれは僕にとって称賛に値する。君の力を僕は高く評価しているんだ」
「それはどうも」
ガルディノの言葉に謝意を表しつつもありがたみはゼロだった。だが、ガルディノのその執拗さに奇妙な違和感を感じていた。
「いいかい? 僕たちはそれぞれの組織の中でトップクラスのネットワーク能力を身に着けている。そして、その能力は有効に使いこなされているとはいえない。しかし、この地球のネットワーク世界を僕たちは自由自在に操る事ができる。その気になれば核戦争の引き金すらも、いつでも引くことすらできるんだ。どのみち人間たちは勝手に滅びるよ。その前に僕たちの能力でこの世界を掌握しようじゃないか!」
そう言うことか。ディアリオはガルディノの持つ真意の一端を垣間見てため息をつかざるを得なかった。あぁ、そうだこの男は――
「技術に溺れて、自らの持つ技術こそが己のアイデンティティであると錯誤する。ネットワーク犯罪者によくある悪い兆候です。ネットワーク世界における自らのスキルを、現実社会での自分の崇高さと履き違えてしまう。しかし、所詮ネットワーク世界は〝道具〟にすぎない。学校の教室の〝黒板〟となんらかわりません。それが理解できないようなあなたとは手を携えることは不可能」
ディアリオは言い切った、ガルディノからの誘惑を完全に拒絶して。
「それに私は〝警察〟です」
「そうだ、君は警察だ。だが警察の単なる〝備品〟にすぎない! 君をその道具と言う立場から開放してやろうと言うんだ。悪く無いと思うけどねぇ?」
ディアリオは右腰のやや後ろの辺りから棒状の物を取り出した。伸縮式の警棒――金属製の大型の電磁警棒だ。
「断る。それに私は――」
ディアリオはそれを左手に持ち、一振りして遠心力で伸張させる。電磁警棒が引き伸ばされた瞬間、電磁火花が撒き散らされた。
「――自らが警察の道具であることに〝誇り〟を持っている!」
ガルディノの顔に怒りが浮かび始めていた。こんなに、こんなにも強く仲間に迎えようと誠意を持って招いているのに、彼の眼前のアンドロイドはそれをこんなにも強い意志で拒んでいる。そんなガルディのにディアリオはなおも続けた。
「私は日本の治安を守るために法を守るために生み出された存在。意思と心を有した機械であって、その事だけに生きなければならない者。けれども見方を変えるならば、私はそうある事を望まれ、求められてこの世に生を受けたのです。己れが生まれ落ちたその場所に準じて素直に生きるのならば、それにまさる幸せはありません」
ガルディノはさも残念そうに頭を振った。ため息を付き、ディアリオとの決別を惜しんでいるようだった。
「君なら、さぞ素敵な同胞になれると思ったんだけど見込み違いか――」
両腕を振り回してカタールのブレードで空を切る。そして、軽くステップを踏むその姿は、明らかに戦闘態勢の準備に入っていた。彼のディアリオを見つめる視線は怒りを通り越し、鋭いまでの冷静さで研ぎ澄まされていた。
そして、彼の口から告げられたのは、ディアリオの警察としての自負に相対するかのような、ガルディノ自身のアイデンティティの言葉だった。
「僕らは『ケルトの民』――、我らが主人と共にこの世界のあまねく全てに尽きぬ怒りを抱き崇高なる戦いを挑み続ける者なり」
ガルディノがその口上を述べたその瞬間、並んだ液晶ディスプレイだけでなく、そのシステムルームの中の全ての器材が光を放つ。光の奔流と電磁シグナルの乱舞の中、システムルームの全てのディスプレイが作動する。あらゆる所に光が満ち始める。全てのコンピュータがシンクロしある一つの統一されたメッセージを奏で始める。
スピーカーからの音楽――
ディスプレイからの映像――
プリンターからの印字物――
それらからは、滝のように一つの意志が溢れて流れている。
ディアリオは自らの周囲に突然のように起こったそれらの現象を、疑念と敵意の目で見つめる。
全てのプリンターからはある統一された絵柄だけが延々と射ち出される。
幾何学模様と幻想的なフラクタルライクなパターンとが織りなす欧風のタペストリーの微細な図柄。
そして、ディスプレイにはある一文が流れている――
「わたしは主とともに最上界にいた
大天使ルシファーが地獄のそこに落ちて行くのを見た
天空の星の名前は、北から南まで全てわたしの知るところ
銀河にのぼり、造物主の隣にすわったこともある
カナンの地に行って、アブロサムが殺されるのも見た
精霊を遠くヨルダンの西、ヘブロンの谷まで連れて行ったのもわたし」
そして、流れてくる音楽は、ディアリオの知識の中にはまったくないもの。
旋律も小節もなく人がその感性と思いだけを頼りに肉声で紡ぎ出す自然音楽。
言わばそれは、源初の魂の歌。
「全ては我らがケルトの王、ディンキー・アンカーソン様のために!」
ガルディノは声高らかに甲高く叫んだ。己れの周囲に展開される古代のヴィジュアルに自ら淘酔しながらも、その視線は異様な光を放ちディアリオを見つめている。その手に握りしめた巨大なカタールは、TVディスプレイの暗闇の中に浮かぶ光を受けて、幻想的な極彩色のカラーリングを醸し出している。
ディアリオはそんな彼に問うた。
「ケルトだと?」
「そうさ。ぼくらはいにしえの民であるケルトの思想のもとに生み出された。我らが主たるディンキー様がIRAのテロリストたちと袂を分かったのも、思想の崇高さゆえの事だ。その思想に賛同できないのなら――」
ガルディノの言葉に、カタールのブレードのエッジが生命を持っているかの様に輝き踊る。
「――君も滅びるがいい!」
一方でディアリオはガルディノとの間合いを取る。無言でガルディノを見つめたままその手のマグナムを彼に突きつけている。
(決して有利とは言い難い)
ディアリオは心の中に不安の色を浮かべ考えていた。なぜなら拳銃は有る程度の間合いを確保してこそ意味がある。接近しすぎれば簡単に見切られる。ディアリオが数歩後退すれば、ガルディノはそれを計るかの様に前進する。2人の戦闘はすでに始まっていた。
それぞれにとって最も有利な間合いを獲得した者だけが、戦いの局面を有利に展開する事が出来る。だが、ディアリオには、それ以外にも大きな不安が有った。
(カタールの戦闘パターンは、わたしのデータには存在しない!)
目前にそびえるのは現代戦にはまず登場しない骨董品と言い切ってもいいものだ。実戦で出くわしたことはおろか、対処のための戦闘事例のデータすらないだろう。データ不足はディアリオの心理に一抹の不安とかすかな恐怖を与えていた。
(だが、やるしかない!)
ディアリオは心の中でタイミングをおし計った。彼は解っている。一度、攻撃の手を打ち出せば、それ以降はやむ事の無い連続攻撃の応酬となるであろう事を。
(恐らくは剣撃中心の戦闘パターン、ならば、間合いを制して一撃で行くしかない!)
ディアリオはゆっくりと左手の中の大型電磁警棒を腰裏の方へと構えをとる。
対するガルディノは微動だにしていない。最初に取った構えをそのままにして、ディアリオの挙動をじっと見つめている。
スピーカーからの音楽が唐突に途絶える、奇しくも2人の静止に連動するように。だがその沈黙を破り先に動き出したのはディアリオである。
「一気に仕留める!」
ディアリオは両脚のスタンスを狭く取っていた。その右足を軽く持ち上げ上体を傾斜しつつ残る左足に力をこめる。次の瞬間、身体が前に弾けた。ディアリオは左腰の電磁警棒を逆手に抜きながら地を這う様にその身を屈める。同時に敵めがけてその身体を飛び込ませた。
対してガルディノは自分の体勢を自発的に崩した。崩しながらも器用に体移動する。
ディアリオはこれに敢えて乗った。ガルディノの振り上げるカタールに、ディアリオの電磁警棒が激しく打ち合う。
ディアリオはその接触で倒れかけた己れの身体を咄嗟の右足の移動でホールドする。右足を最大限に己れの身体に引き寄せて思い切りに床に突く。ディアリオは大開脚で屈んだ。
2人の武器が撃ち付け合わされ甲高い音がその部屋の空間内に残響を残した。
ディアリオはその間に、自由になっている右腕を腰の前で構える。その手には一つのオートマチックマグナムが握られている。
「ちっ!」
ガルディノが咄嗟にその身を引き離す。撃ち付けたカタールを降り抜くと、その力で反動を得て後方にステップする。その彼の前には、ディアリオの銃の銃口が光っている。
357のマグナム弾は、豪音と共に空を切りガルディノの頬をかすめて、視界の外へと消えて行く。
弾丸を避けるべく引いたその身を、ガルディノは右回転させた。
切りもみをして攻めに転じ、全力で身体ごとにカタールを突き出した。
ディアリオが一瞬早く後方に引く。カタールのブレードがディアリオの顔をかすめて行く。
ガルディノがステップを踏み重心を前に移動させ、カタールをそのまま右方向に振り抜けば、そのブレードのエッジの先には、ディアリオが握る銃が捉らえられていた。とっさにディアリオが眼前に構えた拳銃の鈍いシルバーのボディーに、カタールの鋭利なエッジが切りつけられる。
打ち付けあう金属が放つ火花越しに互いを睨み付ければ、相手が予想以上の戦闘技量の持ち主であることを感じずには居られなかった。
「面白い動きをする」
ガルディノがカタールを握る左の腕をかすかに揺り動かして言う。
カタールがディアリオのクーナンオートマチックに食い込んでいる。ディアリオは右手の銃でガルディノのカタールを制したまま後方へと倒れ込んだ。
後方に倒れ込んだディアリオはすぐに両脚を引き込み蹴り上げる。その刹那、甲高い破裂音が鳴る。金属が引き裂ける時の音だ。
ディアリオが蹴り上げた両足はガルディノの左腕を強打しカタールをも突き上げた。
「くっ」
ディアリオは、壊れたクーナンオートマチックを打ち捨て両脚を屈めてしゃがみ込む。そして、両腕を床に突くとディアリオは両足を蹴り上げ身体を弾き出した。
ガルディノはディアリオの蹴りに動じること無く蹴り上げられた自分のカタールをディアリオの身体に向けて振り下ろす。
「これで終わりだっ!」
速さはわずかにカタールの方が速い。だが、攻撃のリーチはディアリオの蹴りの方が有利であり、しかも切りつけるにはディアリオの体勢が急角度すぎた。下方向からの奇襲してくる敵に対して切りつけたのだが、カタールはディアリオのボディをかすって、彼のハーフジャケットだけを斬り裂く。
その間にディアリオは両腕で身体を支えて逆立ちの体勢をコントロールしつつ、己れの両の踵をガルディノの背中へと叩き付ける。おおよそ、ディアリオには似つかわしくないアクロバティックな攻撃態勢だ。
「ぐっ!」
ディアリオの蹴りにガルディノの身体は強化プラスティック製の床に叩きつけられる。だが、攻撃の手を緩めずに身体を素速く引き起こして両足で立つと、左手の電磁警棒を右手で順手に持ち替えた。
「これで終わりですっ!」
低く飛込みながらディアリオが叫ぶ。
両脚から肩までの全ての身体のバネを利かせながら、ディアリオはその身体を大きくひねった。そして、右腕を左肩の方へと最大限に引き絞るとガルディノめがけフルパワーのスイングを仕掛ける。
ガルディノは咄嗟にカタールを構えた。だが、間に合わないと思うや否や、その身体を僅かに後方へと走らせた。
電磁警棒はガルディノの喉もとを襲った。電磁警棒の電磁ショックがガルディノに一瞬の電撃の苦痛を味合せる。ガルディノの顔が歪んだ。しかしダメージはほんの僅かである。
ガルディノは、ディアリオの電磁警棒に弾かれよろめく様に後ろへと引き下がった。
一瞬の苦痛を感じるガルディノであったが、電磁ショックを受けた首筋をさすりながらもそれを奇妙な心地好さとして目を細めた。下目づかいにディアリオを伺い見て彼は告げる。
「あぶなかった。面白いよ、それでこそ、わざわざこのフロアに降りてきた甲斐が有ったと言うもんさ」
「降りてきた?」
ガルディノは両手のカタールを前方へと持ち上げていた。そして、二振りのカタールの刀身を軽く打ちつけ合った。
「おっと――、ボクとした事が。余計な事を言ってしまったね」
カタールは自らかすかな金属音を放ち2つのカタールのブレードは涼しい音を立てて倍の長さに伸びていく。
「忘れていいよ。なに、もう遊びの時間は終りさ」
彼の手に持つカタールはその有効範囲を倍にする。それが真の形状だった。
「だって君はここで死ぬのだからね!」
ディアリオは眼前の武器の変化にその目を大きく見開かずには居られなかった。
「なに?」
ガルディノはその身体を数歩、前に進ませ、そして、その身体を大きくかがめた。そして、今度は上目使いにディアリオを見る。
「大丈夫だよ、すぐに済むから! 今までわざわざ付き合っていたのは、君の手の内を知るためだよ!」
そこに低重心の戦闘スタイルのガルディノがいる。余分な防御をする気のないガルディノの姿にディアリオは警戒心が湧くのを押さえられない。
「糞っ!」
ガルディノの前で2つのカタールが交差した。擦り合さるカタールの刃が白銀の火花を散らす時、ガルディノのその顔から挑発としての笑みが消え失せ、内面の怒りと敵意があらわとなって叫び声を上げた。
「これで全ては終わる。同胞となろうとしない君を今ここで処分する!!!」
ガルディノが弾き飛んだ。彼のその両の脚が目まぐるしく回転し突進力を与える。
轟く寄声とともに苛烈な勢いで2つのカタールは乱突される。奇手奇策で足下からガルディノを攻めようとも、ガルディノの低重心スタイルではそれもままならない。足下を狙えばそれこそ思う壷だ。
(ならば!)
ディアリオは覚悟した。その手の電磁警棒をフェンシングの様に右手で持ち前へと突き出す。そして、その身体を横に向けると、そのステップを踏んで攻めへと転じる。ディアリオの右から襲ってきたカタールを電磁警棒を下から振り上げ弾き返す。
「はあぁっ!」
次が右手のカタールの下からの突き上げ、ディアリオはこれを電磁警棒を振り下ろし横殴りに叩き落とそうとする。
「おおおおおっ!」
続いて、再び左手のカタールが下からの軌道で突き上げられた。ディアリオはこれを、己れの身体を右によろけるようにスウェーさせて見切る。その時に、開いたガルディノの脇ばらに突き込むように警棒を打ち込む。
ディアリオは考えたのだ。敵から見えている自分の面積を減らせるならば、なんとか、敵の攻撃をかわせるかもしれないと。
(いける!)
その読みは確信へと変わる。そして、その確信をバネにしてさらに敵の懐へと踏み込んだ。今、ディアリオは圧倒的な有利を感じている。こいつの手の内がこの程度だと言うのなら決して負ける予感はしない。
「今度こそおわりだ!」
不意にディアリオの声が洩れた時、気味悪い笑みとともにガルディノが、左右のカタールでの攻撃のリズムを崩し始めた。突然に別人へと変わったかの様に、左右からのテンポの良い刀さばきからリズムの揃わない不気味でランダムな攻撃へと変化して行く。まるでメトロノームのように規則正しい攻撃に鳴らされていたものが、急にリズムを狂わされたのだ。受けて立つディアリオがその変化したリズムに適応できずに、ガルディノの攻撃をかわせずにいた。
右手のカタールからの素速い攻撃ののちに、左のカタールが繰り出される。間を置かずに右のカタールが再び襲う。一瞬のフェイントの後に再度、左のカタールがディアリオの脇腹に食らい付いた。
「もらった!」
カタールが突き刺さる。金属と金属が擦れ合うこもった音がする。同時に聞こえるのは微かに火花が散る音だ。
「くっ」
ディアリオが小さく苦悶する。
「僅かに外れたかっ!」
ガルディノのカタールはディアリオの脇腹ではなく、右の二の腕を突き刺している。ガルディノが間髪を置かずにカタールをひねる。
刺さった刃がディアリオの腕の機能を僅かに麻痺させた。たまらず電磁警棒を取りこぼし有利に運んでいた攻撃を封じられ、ディアリオはその場から逃れるようにとっさに引き下がる。
戦いはまだ決しては居ない。だが、この右腕ではこのまま戦闘を継続するのは難しいだろう。体内の制御プログラムを作動させ、バックアップ機能による右腕機能の回復を試みた。
【体内機能モニタリングシステムよりアラート 】
【 右腕上腕部破損】
【運動機能神経系A系統破断、予備B系統へ切替】
【電動性人工筋肉破損軽微、出力低下率1.2%】
【外皮損傷部、簡易補修機能作動開始 】
【 溶着ゲル浸潤、簡易補修完了】
ディアリオの体内の修復システムが瞬時に動作し、必要な機能を担保する。
まだまだ戦えることを確認するとディアリオは体勢を立てなおそうとした。
だが、ガルディノは攻撃の手を緩めなかった。今度は、彼の攻撃を邪魔する物は無くディアリオだけを狙って強気に攻め入る事ができる。今度のガルディノの攻撃にはすきは一分たりとも無かった。もはや、対峙しあって攻防を行なうわけには行かない。ついにディアリオは右の方へと走り出した。それは確かな逃げである。
「どうしたっ! 得物を逸して怖気付いたか!」
ディアリオは答えない。彼のその顔は押しだまって必死にガルディノの攻めから逃げ続けた。
考えている。ディアリオは確かに、何かを考えている。
側転し転がりながらも、ときに飛び上がり、前に後ろに、右に左に、巧みにフェイントをかけながらカタールから逃れる。そして、ふと、しゃがみ込んだ時、眼前に突き出された2つのカタールから逃れるため、ディアリオは大きく腰をかがめた。
だが、そこでバランスが崩れた。ディアリオは尻を突き、その彼の頭上を2つのカタールが通り過ぎて行く。ディアリオの背後には、彼ら2人の周囲にそびえる液晶ディスプレイ群がある。
その内の一つにカタールは突き刺さった。高圧の光を撒き散らしながら猛烈な放電火花が飛び散り、地上で破裂させられた打ち上げ花火の様な光が沸き起こる。
「くそっ!」
それらは、2人から一瞬だけ視界を奪い去る。ガルディノの攻撃が一瞬だけ停止する。その隙にディアリオはその状況から脱出、横に転げて距離をとると素早く立ち上がった。
ディアリオは左手をジャケットの内側に差し入れ、そこで小型のグリップを掴んだ。ディアリオの目がその彼のゴーグルの下で静かに微かな輝きを放つ。それと同時に、彼は己れの左手に握られていたものをナイフを持つように握り直す。グリップと言うよりは日本刀の柄に近い。だが、それはガルディノの目には入らない。ディアリオの変化に気づいていないかのように。
「決心がつきました」
ディアリオが呟き、彼の握り締めるグリップが微かに青白い光を帯びた。グリップから何かが伸びる。青白い光が冷たくも鋭い風を巻き起こしながら、静かに、そして速やかに伸びて行く。
「何だと?」
ガルディノがつぶやく。その相手の挙動を見すえつつもディアリオは手にした〝刀〟を両手で握り正眼に構える。それは刀だ。日本刀の形状と機能を有したディアリオ専用アイテムだ。
【 エアジェットソード・ムラサメ 】
【 >起動 】
超高圧エアジェット噴流により超高圧帯電ループワイヤーを刀剣状に形成、日本刀の機能を発揮させるものだ。ディアリオはそれを両手で握りしめると、日本の剣術のように両足を前後に開いてスタンスを取ると、素早く震脚を踏む。そして、ガルディノの腹部めがけて突きを見舞った。
「おおおっ!」
重いブレードのカタールを握りしめたままガルディノは後ろに弾け飛ぶ。
ディアリオはガルディノを逃さない。そのまま一気に駆け込んでゆく。
同時に、壁にもたれる様に立ち上がったガルディノもディアリオめがけて駆け出した。
「警察の犬ごときにィィィィッ!」
2人はそれぞれの直線上を疾走し、ある一点で交わり合う。交わり合ったその時に、それぞれの得物でただ一度だけ切りつけた。
ガルディノの右手のカタールが床に軽い音を鳴り響かせ落ちて行く。
その右手が切られ、音も無く一つの線を境にずれて行く。
「なっ?」
ガルディノはそれが信じられない出来事の様に感じる。ただ冷静に左手のカタールで攻撃を続行し、その身を翻しディアリオへと向き直る。わずかにガルディノの方の反応が速く今ならディアリオの背を取る事が出来た。ガルディノの履いたブーツのかかとが甲高い音をたてる。そして、ディアリオを背後から捉らえては再び切りかかる。その時だ――
ガルディノの挙動を察知したのか、不意にディアリオが腰だめに大きく屈み込んだ。
手にしていたムラサメは、右の腰の辺りに納められている。思い切り低く、そして、その身をバネと化したかの様に全身でエネルギーを蓄積する。
もとからムラサメには重量らしいものは何も無い、その刀身は極めて軽量で強靭な電動性ループワイヤーだ。根元のグリップから流れ出る収束エアジェットとパルス駆動の超高圧干渉マイクロ波が、ループワイヤーを一本の刀身の姿を与えていた。ガルディノが大きく飛び込んでくる中で、ディアリオが捩られたバネを解き放つようにムラサメを抜き放つ。
それは日本剣術の型の一つ――『浪返し』である。
ディアリオは、左の脚を軸としてその身を回転させ、ガルディノの居る方へと大きく踏み出す。
対して、ガルディノが左のカタールを突き出してくる。全身を矢の様に投げ出すと、カタールの切っ先でディアリオを襲った。その軌道は上方からの突き降ろし。対するディアリオはムラサメをその懐から斬り上げる。
2人の剣の軌道は音らしい音もせぬままに、あっけなく勝敗を決した。
切り抜いたその後に、ディアリオは僅かにその脚をよろめかせた。見れば、その脇腹に鋭い傷を負っている。ガルディノの左のカタールがディアリオの身体をかすめたのだ。
「これが君の隠し技か」
ディアリオは黙したまま語らない。そして、そのままゆっくりと歩き出した。一方で、ガルディノは着地して立ち上がるとそのまま佇んでいる。その彼にディアリオの声がかけられる。
「投降する必要はありません。そのまま機能停止なさい」
その言葉に、ガルディノが口元に歪んだ笑みを浮かべる。
「クク――、これで勝ったと思っているのかい?」
笑い声を残しガルディノは崩れ落ちる。その大きくエグれた胴体はムラサメの与えた激しい切り口である。
ディアリオは、彼の言葉が単なる負け惜しみだと感じていた。その目から光を失い沈黙したガルディノを無視して本来の任務を続行するべくシステムルーム内の機材を確認し始める。だが、そこに聞こえてきたのは死したはずのガルディノの声である。
『ここは君にあげるよ』
声はシステムルームの館内放送のスピーカーから聞こえていた。ディアリオは声のするスピーカーとガルディノの遺骸を交互にながめながら戸惑いを隠せない。
『このビルの基本制御機構は未だに僕らの制御下にある。この部屋の通信システムなど君に奪われたからと言ってどうという事はない。ただ――』
ガルディノの声が一瞬止む。ディアリオは言い表せない一抹の不安を背筋に感じる。
と、同時にガルディノの声はシステムルーム内のPCのあらゆるスピーカーから聞こえてくる。
『――君の身体を入手できなかったのは残念だけどね』
そして、響き渡るのは甲高い哄笑だった。
『僕は僕で、あらたな任務に移るとしよう。そして、君たちを絶望に叩き落とした後にあらためて君を手に入れてみせるよ。ではごきげんよう』
そこでガルディノの声は途切れた。あとは何もなかったかのようにシステムルームは沈黙するのみである。ディアリオは視線を落とすと動かなくなったガルディノの遺骸をじっと見つめていた。そして、とある予感に行き着くのだ。
「これは、ヤツのスレーブユニットなのか?」
マスタースレーブ方式、普段行動する肉体は遠隔操作されるだけの外部端末であり、その意識本体はネット経由で遠隔された場所に存在する。遠隔操作されるボディをスレーブユニットと呼び、その制御中枢はマスターユニットと呼ぶ。つまりは、ヤツの本体は別にあり、この小柄な少年風のスレーブユニットを遠隔操作していたのだ。そして、ディアリオは新たな疑念に行き着いた。
「つまりは私の機体を新たなスレーブユニットにしようとしていたのか?」
おそらくはこれまでも、あの男はまるで衣類を着替えるように、スレーブユニットとなる機体を探して乗り換えを繰り返していたのだ。彼がディアリオに放った『同胞になれ』と言う言葉は、彼のためにその機体を明け渡せと言う意味なのだろう。その――無責任で横暴で身勝手極まりない発想にディアリオは怒りを抱かずにはいられなかった。
「所詮はテロリストか」
ディアリオはそう吐き捨てると、ガルディノの残骸をそのままして歩き出した。
ディアリオはその部屋の中のコンピューターの端末に一つに向かう。鏡石から知らされている建築業者用の通信回線を起動させるために。
そしてディアリオは、とりたてて取り乱す事もなくもとの任務へと復帰した。
次回、第1章第16話『ケルト王の目覚め』