第12話 『群像 -地上で抗う者たち-』
1000mビルの地上側。
そこでは自体解決に向けて藻掻く人々の姿が……
第1章第12話『群像-地上で抗う者たち-』
公開です。
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ディアリオたちが1000mビルの回廊で起死回生の突破口を探して迷走している頃――
有明1000mビルの最下層第1ブロック――
そこでは外部からの救出手段を求めて、幾百もの多様な人間が全力を尽くしていた。
■警備本部にて / 近衛仁一の場合■
現在の有明1000mビルは全くの停止状態にあった。本来の未来都市としての機能性はすべて喪失している。
その第1ブロックの片隅、有明の1000mビル分署の中に警備本部が設けられている。
そこでは今回の国際未来世界構想サミットの警備の総責任を担う人物が事態の収拾に奔走している。警視庁警備1課課長の近衛仁一警視正である。
近衛は警察の制服の上着を脱ぎ捨てワイシャツ姿になっていた。行き交う情報を受け取りながら、適時、現場に向けて激を飛ばす。彼が部下たちに対して指揮を取っている会議室では、これまでのハイテク体勢から一変して旧時代のローテク体勢へと一気に変化していた。ビル内の全ての情報システムがダウンし、迂闊にデジタル回線に接続すれば再ハッキングされる可能性も示唆されている状況では20年一昔前の人海戦術の状況に全てを頼る以外に無かった。
会議室内の壁と言う壁には、A0規格大の巨大な白紙の紙が何枚も張り付けられており、紙の上には、この巨大ビルの内部構造が模式化されて描かれている。その紙面上には、地下ブロックから第4ブロックまで、そして、ビル外との連絡状況、それらが全て克明に描かれていた。今もまた、一人の機動隊員が飛び込んでくる。
「報告!」
そう叫んで部屋の中ほどまで進みでる。部屋の中では常時10名程度の警官が在籍していて事務的作業に従事している。次々に持ち込まれる情報を手元のレポート用紙の上に書き起こして行く。そして、それらのレポートをA0の紙の上に次々に転記して行くのだ。
紙面上に記載されて送られてくる情報の山を、近衛は順次処理して行く。レポートにも記載されているが、確かに第4ブロックとの断絶は重大であり、それにともない各国のVIPの安否は極めて重要な問題である。だが、それ以外にも処理しなければならない問題はあとを断たない。
今も、その部屋に新たな機動隊員が飛び込んできた。
「近衛警備本部長!」
「なんだ」
その声に、近衛はそれまで読んでいた書類から目を離す。
「マスコミからの再度の取材許可要請です!」
「これまでと同じだ、断れ」
近衛はいとも簡単に拒絶する。
「国賓やVIPの安否が不明だ。不用意な情報を洩らせば国際問題になる。引き続き報道協定による報道自粛を要請しろ。安否が確認でき次第許可すると伝えろ!」
「はっ!」
一声を張り上げて、その機動隊員は身を反転させ駆け出して行く。近衛は手元の書類の見聞を進める。書類を見ながらも、壁の巨大な紙に情報を書き込んでいる機動隊員に声をかける。
「再確認だ、これまでに連絡が無い第3ブロックの特に情報の入ってこないエリアはどこだ!」
「西部方面第4区画、中央方面全域、及び、外周ビル最上部附近です!」
「第3ブロックの最上部との連絡状況はどうなってる!」
「臨時通信回線の敷設が終わっておりません。また、斥候に向かった隊員からも連絡無しです」
「よし、引き続き連絡を待て。10分して連絡の無い場合、最寄りのエリアから事実調査に向かわせろ」
「はっ」
近衛の命を受け部屋の対岸にある一角へと向かう。そこには旧時代的な音声のみの通信端末が置かれている。大柄なアンプと回線切り換え機、そして、スタンド式のマイク。当座の臨時の通信設備だ。そこには、通信設備の設置に専念している機動隊員と臨時の通信技術者が居る。彼らのところにさっきの機動隊員が駆け寄り話し掛けると、すぐに近衛に返答を返した。
「近衛警備本部長!」
「何だ」
「第2ブロック内、臨時通信回線敷設、及び、機動隊員現場配置、どちらも完了しました」
「よしっ」
近衛は大きく頷く。そして、立ち上がり歩き出しながら告げる。
「さっそく、事態収拾のための作業を開始する。お前たちは引続き、情報収集と分析にあたれ」
「はっ」
その場の機動隊員たちは人づてに持ち込まれる情報の束を効率良く処理して行った。その中で特に特徴のある情報は手元のノート型コンピューターのデータベースへと打ち込んで行く。打ち込まれた情報が手短に整理され、定期的に印刷物に変えられて打ち出されて行く。そして、それらの印刷物の束は、近衛の元へと送られる。最終的な判断を近衛に委ねているためである。
近衛は、新たに設置された通信端末装置のところへと歩み寄って行く。口元が堅く結ばれ言葉を必要最小限にとどめていた。部下から渡された資料に視線を走らせながらも、意識はすでに別なところへと飛んでいる。
意図的に意識を眼前の通信端末装置に戻すと通信端末の一点を凝視したままマイクスタンドを手元に引き寄せた。そして、マイクのメインスイッチを入れ通信端末のチャンネル切り換えを一斉放送へとセットする。その押しボタン式スイッチを操作しながら、彼は旧式であるが故の利点の様なものを感じている。
――こう言ったものの方が、私には合っている――
古臭い機械を目の前にして、近衛は己の時代の移り変わりの様なものを実感する。そして古臭い人間だからこそ、現在起きている事態に対応する力がある事を気づかずには居られなかった。そんな思いをいだきながら第2ブロックの全箇所へ向けてメッセージを発した。
「有明1000mビル第2ブロック内の全警備関係者に次ぐ。こちらはサミット警備本部、第一責任者・近衛 迅一警備本部長だ。これより、今後の復旧作業に関する連絡事項を通達する。まず現在、第2ブロック内全域の要所要所に、臨時の有線通信回線を敷設しこれを完了した。今後主要な連絡手段は、この有線通信回線を用いる事とし、ブロック内各所の通信装置の設置箇所を拠点として今後の復旧活動等にあたってほしい。
復旧作業にあたっては、まず人命救助を最優先とする。なおその際の救助作業に伴う小規模な建造物の破壊は各人の判断において良識をもってあたること。また、不審人物/不審物の発見の際には警備本部への連絡を怠るな。今後も状況に変化が起こり次第、放送を行なう。以上だ」
近衛はそこでマイクスイッチを切る。そして、チャンネルをそのままに機械を受信状態にする。
「この他に、状況の変化はないか?」
一人が挙手する。
「たった今連絡がありましたが、物資搬入用の大型リフトが一機だけ一時的に使用可能になったそうです」
近衛は頷く。
「解った、すぐに他の部署にも連絡してくれ」
隊員は簡単に返事を返し、通信機のコンソールの方へと向かう
「他には?」
「近衛警備本部長、これを」
一人が進み出てレポートの束を近衛に渡し、それを確認する近衛に対して告げる。
「先程、事件発生の前に、明らかに関係者以外と思われる人物が、第2ブロックから第3ブロックの方へと登って行ったそうです」
「服装等は解るか?」
「そちらのレポートに」
「わかった」
近衛はその機動隊員を下がらせると、レポートの内容をチェックし始める。レザージャケットにレザーパンツ、そして、ジャケットの背に記された「G-project」なる英文があった事などが近衛の目に止まる。
「G-project? まてよ――」
そこのところだけ、妙に鮮明に近衛の脳裏に浮び上がる。
「おい君」
近衛は、手近なところでレポートを整理していた機動隊員に声をかけた。
「はっ」
「第2科警研の新谷所長と、朝とか言う新米はどこに行った?」
「はっ、先ほど警備本部から出て行きました。その後の動向は存じません」
近衛は脱いでいた制服の上着を見につけ手元のレポートを手に取ると、部屋の出口へと向かった。
「2人を探してくる。すぐに戻るが、みんなは作業を続行してくれ」
「はっ」
部屋の方々から返事が返ってきた。近衛はその返事を背に部屋から出る。
「警備本部長」
「何だ?」
「不躾な質問ですが、あの朝と言う刑事ですが、どうなさるのですか?」
一人の機動隊員が近衛に問いかけてくる。思わず口にした言葉なのだろう。その目には明らかに苛立ちが滲んでいる。近衛は顔を意識的に引き締めた。そして、その声を低くして答えを返す。
「任務外の質問だ。口を慎め」
「失礼いたしました!」
その隊員は敬礼をして謝罪の声を返す。それを確認して近衛は頷く。近衛は部屋を出る。そして、少し見回し他の部下の姿がない事を確認する。レポートの束を丸めて握るとそれで自分の肩を叩き始める。やがて近衛は大きくため息を吐いた。
「ふん」
低く呟くと、首を左右に振る。近衛の首の骨が鈍い音を立てた。その音と首の骨の感触に微かな心地好さを感じながらも近衛は頬をゆるめ一人呟く。
「どうする――か――」
軽く笑いが洩れた。近衛は分署の中を歩いて行く。そして、時折通り過ぎる分署の人間や機動隊員に尋ねながら朝たち2人を探しに向かった。
■第1ブロック・エントランスにて / 朝研一の場合■
有明1000mビル内の分署のビルは1000mビルの敷地の中の南側にある。分署の前には舗装道路がある。1000mビル周辺の施設や建物とアクセスするための裏口とも言うべき道路だ。
2車線道路は薄暗く、晩秋の日差しが辛うじて明るさと呼べるものをそこに提供している。その晩秋の間接光の中、静けさの支配する歩道に人影が佇んでいる。その人影はと言えば、十歩ほど歩いたと思えば、反転して来た方へと戻って行く。そんなこんなで、同じ方向を行ったり来たりを繰り返している。
その影はしばらくして立ち止まった。そして、思い切り右足を持ち上げると、力の限り地面を踏みつける。握りしめた拳を開き頭を抱えると闇雲に掻きむしった。
「あんのやろぉぉぉぉぉっ!」
朝 研一は苛立っている。この上ないくらい苛立っている。それは居なくなってしまったグラウザーに対してでもあったが、それ以上に自分自身に対して苛立っていた。些細と言えば些細である。だが本人にしてみればとても重みのある問題と言える。
その問題解決のためにも、彼はなんらかの行動を起こしたかった。実際、こうやって意味の無い思索に耽けるのは彼の本来の姿では無かった。ただ、行動を起こすためには、あまりにも当てが無さすぎるのだ。途方にくれたその末に、それまでなんとか充満していた気合いのエネルギーが、音も無く抜けて行くのを感じずにはいられない。
「ここに居て待ってろ、って言ったじゃねぇかよぉ。はぁ――」
それが最後の怒鳴り声だった。それも尻窄みに消えて行く。朝は、その声と同じ様に力なくへたり込んで行く。ビルの壁に寄りかかり頭上を仰ぐ。その上には1000mビルの第1ブロック部の天井がある。朝はその天井へと視線を走らせた。視線が色々な物を見つけて行く。
「なんだ。まだほとんど電気が通ってないんだ」
頭上には灯りがなかった。全ては漆黒の中で、間接的な自然光だけがビルの中の唯一の灯りであった。
「あれ? このビル。止まってるのか?」
朝はふと気付いた。あるいはすでに感付いていたのだが、自分のその目であらためて確認したのかもしれない。そのまま思案を巡らす。
「あれ? じゃグラウザーのやつどこへ行ったんだ?」
その事に気付いた時、朝は深い思索に入ってしまった。そして、そのまま様々な可能性を考えて、この後取るべき行動について考えている。
「そう言やあ……あいつ」
朝はふと、つい先程までの事を思い出す。この有明の地へグラウザーを連れてくるまでの事を……
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その時、朝はグラウザーを連れ、覆面パトカーを一路有明方面へと走らせていた。首都高の湾岸線を走らずに、一度、都心の首都高へと入り首都高9号線を経由して迂回する。その車の中でグラウザーは朝にしきりに話し掛けてきた。
「朝さん」
「ん?」
「今日はどこまで行くんですか?」
「さっきも言ったろ? 有明のサミット会場だよ」
「サミット……サミットに出るんですか?」
「馬鹿、違うよ!」
「え? ちがうんですか?」
朝は、毎度毎度の漫才のような会話に思わず気分が萎えていた。
「なぁ、グラウザー」
「はい」
「お前って、ほんと、なんにも常識知らんのな」
「そうですか?」
「気が付いてないならいいけどさ別に。それよりな」
朝は腹をくくった。こうなったら、聞かれた事に逐一答えて行くしかない。
「今日の任務で向かうのは有明の1000mビルだよ。そこで、お前も知ってる第2科警研の新谷さんが待ってるから、合流して他の特攻装警たちの勤務状況を見学するんだ」
「見学ですか?」
「あぁ、あっちには特攻装警のアトラスにフィールそしてディアリオなんかが来てるってよ」
「へぇ……みなさんたち、何をしてるんです?」
「さぁ? 俺も詳しい事は知らない」
「ふーん」
「ただ、くれぐれも勝手な行動はとるなよ。俺やお前自身だけでなく、お前の兄さんたちにも迷惑がかかるからな」
「はい」
グラウザーの返事はやけに素直だった。朝もその返事をすんなり聞き入れる。思えば、やけにあっさりしすぎていたように朝は思う。
「ねぇ、朝さん」
「ん?」
「今、向かってる1000mビルって、どんな物なんですか?」
「そうだな。これみろよ」
朝は手元のパンフレットを取り出す。1000mビルの第1期工事分の共用開始を知らせる一般向けのものだ。そこに1000mビルの外見が大写しで乗っている。
「これが、今向かっている1000mビルだよ、どうだ大きいだろ?」
「わぁっ」
グラウザーの目が好奇心に輝いている。子供が遊園地にでも連れて行かれる様な、そんな期待に満ちた目だ。その目の事を朝は思い出した。考えるならば、その時のグラウザーの頭の中は、そのビルに対する興味だけで、それ以外の言い付けや約束がトコロテン式に抜け落ちた様な感じがある。
「1000mって言ってるけど、そこに書いてある通りまだ建築途中でね、実際には280mしかないんだよ。でも、建築物全体の規模としては日本一クラスらしいぜ」
「日本一?」
「あぁ」
「登ってみたいな」
「だめだぞ、それより先にやる事が有るだろ?」
「はい」
グラウザーの声が急にしおらしくなる。気になって、朝はグラウザーの方を伺う。見れば前方の方に見えてきた1000mビルをグラウザーは好奇心いっぱいに身を乗り出し、いかにも面白そうに見つめている。
朝はその姿に何も言わなかった。返事がやけに素直だったのでそれを信じたのだ。だが、それでも朝はこう思わずにはいられなかった。
「こいつ、本当に大丈夫かな?」
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「やっぱり、あの時、念入りに忠告するべきだったな」
朝はがっくりと首をうな垂れつぶやく。そして、再び空を仰ぐと、あらぬ方向を向いて放心する。それでも眉を水平に結んだその顔は何かをその脳裏で考え込んでいた。
「どうしたね? ずいぶん真剣に考えているようだね」
「あっ、新谷所長」
新谷は、警察の分署の建物の中からその手に2本の缶コーヒーを手に駆け寄ってきた。朝は立ち上がると差し出されたコーヒーを手に取り礼を言う。
「いただきます」
新谷は、缶の蓋を開ける朝に問いかける。
「それで、今井課長にはなんと言われたね?」
核心を突く言葉だった。困惑を交えた笑みを浮かべつつ朝は自虐的に言い放つ。
「がっつり言われました。『なにやってるの?!』って――、あの人、怒鳴ったり長説教はしないんですけど、その分、一言一言が重いんで結構怖いんですよね」
「だろうな。今井君とはグラウザーを預けて以来、度々話しているが、とても頭の回る方だからね、相手にとって必要な言葉をピンポイントで言ってくるからね」
「でも、その分、オレたちにしてみれば問題解決に集中できるから動きやすいんです。怒鳴ってプレッシャーを与えられてもストレスが増えるだけですから」
「まぁ、彼女ならそう言う事は了解済みだろうね」
そう語る朝に新谷はさらに言葉を続ける。
「しかし、災難だったね」
「グラウザーの事でしょうか?」
新谷は頷く。彼に先程までの苛立ちは残って無かった。
「もちろんだ。だがしかし、今回の様な事を招いた責任の一端は私にもある」
「そんな事はありません」
朝は笑みの無い引き締まった目で新谷に答える。
「私の監督不行き届きです」
「あまり、自分自身を必要以上に責めてはいかんよ」
「――」
「起こってしまった事に対しては悔やむよりも、自分が出来る事を探す事……そうは思わんかね?」
新谷は朝の隣に腰を降ろす。新谷のその言葉に朝は無言で首を縦に振る。
「私も、まさかグラウザーがここまで幼児性が強かったとは見抜けなかったよ。もう少し社会的な規律が解っていると思ったんだが、その点においては、明らかに私の判断ミスだ。もっと、基礎学習を終えてから表に出すべきだったのかもな」
「でも、新谷さん」
「ん?」
「それが新谷さんのところだけでは手に負えなかったからこそ、俺たちのところにグラウザーを預けたんじゃないんですか?」
「おっと、そうだったな」
新谷は苦笑いする。
「それはさておき」
新谷のその言葉に不意に朝は新谷の方を見る。
「これからどうするかね?」
「そうですね」
朝は安堵の表情を浮かべ頷く。一つの決意を胸に秘めて新谷に告げる。
「グラウザーを探しに行きます」
「グラウザーをかね?」
「はい」
「当てはあるのかね?」
「あります」
朝は頬を緩ませ笑って答える。
「上の方へと登って行った可能性があるんです。あいつ、登ってみたいなんてこぼしてましたから」
「そうか……でも、どうやって上に行くね? 今、このビルはほぼ全面的に停止している。エレベーターも、モノレール軌道も、電源が落ちてしまっていて行来できんぞ?」
「えぇ、それは分かっています。ですから、歩いて行こうと思います」
「歩いて? このビルをかね?」
「はい」
朝ははっきり言い切った。明朗に、快活に、力強く。
その姿を見て新谷は思う。
(なるほど、だからグラウザーの教育係に――)
新谷は念を押すため尋ねる。
「でも、具体的にはどうするかね?」
「それなんですが、機動隊の方たちは階段で上の方と連絡をとってたそうですよね? それと同じで上の方に行ってみます」
「階段を登る? 歩いてかね?」
「はい」
あっさりと答える朝に、新谷は感心するしかなかった。
「止めはしないが、それならば近衛君の許可が居るんじゃないのかね?」
「そうですね」
新たな行動目的を見つけ、朝は元気を取り戻した。その発想と考えに多少の無理と荒さがあったが、新谷は敢えてその点を突こうとはしない。できるなら新谷もグラウザー探しに同行したかった。本音から言えば新谷もこの場でじっとしているのはいやなのである。だがそれも階段と言うキーワードが出た時点で考え込んでしまう。
「階段以外の方法が出るまで待ちたいが……」
新谷はそう思いつつも敢えて口にはしなかった。口にすれば、せっかく気分的に立ち直った朝の精神的な出鼻を挫いてしまう事となる。どうしたものかな、と新谷は考えながらも朝に告げる。
「朝くん、近衛君に掛け合うのなら、わたしも尽き合うがどうだろう」
「助かります。ぜひお願いします」
その時、分署の建物の中から一人の人影が現れた。その男は近衛であった。
「おっ、近衛君! いま、そちらに行こうと思ったんだ」
近衛はニコリともせずに、2人のところへと歩いてくる。彼はその手にレポートの束を握っていた。グラウザーに関する先程のレポートだ。朝の顔を近衛が見つめている。その目が、いつに無くキツい物に朝には感じられる。
だが朝は、息を飲み込み心の中の小さな恐怖をも飲み込むと、数歩進み出た。そして近衛の目を注視しながら覚悟を決めて問い掛ける。
「警備本部長殿、具申したい事が有ります」
自分の目の前に進み出て相対している若い刑事を、近衛はただじっと見つめている。
「なんだ?」
「グラウザーの捜索に向かいたいと思います。つきましてはこのビルの上層へと向かう許可を頂きたいのです。よろしいでしょうか」
近衛は意識的に目の前の新米刑事を睨み返している。無言で自分を睨んでいる近衛に対して、朝は恐怖を感じていない訳ではなかった。だが、その事は問題ではない。朝はただ、行動を起こしたい一心であるのだ。そして、近衛の口元が緩んだ。
近衛はその手にしていたレポートを差し出す。朝はそれを受け取りながら言う。
「これは?」
「北部シャフトの物資搬入用リフトが一時的に使用可能になった。そこを使え。人間用ではなくあくまでも物資運搬用だから使用には最新の注意をはらいたまえ」
朝は頭を下げ最大限の礼節を尽くす。
「ご配慮、ありがとうございます」
「それと、第2ブロックから第3ブロックへと不審人物が上がっていったのが目撃されているそうだ。その人物に関するデータもそのレポートに載っている。上層階では何が起きるか判らん。くれぐれも注意したまえ」
「はい!」
近衛はその言葉を耳にしてその場から離れるように歩き出す。そしてもう一度立ち止まり振り返ると新谷へ声をかける。
「新谷所長、あとはよろしく頼みます」
新谷も近衛の言葉に大きく頷いた。近衛はふたたび分署の建物内へと戻って行く。
「それでは、行ってまいります!」
そして、その背に朝の声を聞いた。近衛にしてみれば、何かをしようと躍起になる若者の姿ほど、心地好いものは無い。
■1000mビル周辺 / 情報機動隊隊長・鏡石怜奈の場合■
分署の一階の廊下の並びに、トイレに付属した化粧室があった。その化粧室の洗面台の一つの水道の蛇口が開きっぱなしになっている。
流れ出た水は洗面所の器を叩き一つの音を奏で出す。その音が洗面所をカモフラージュしている。そのカモフラージュの中に居るのは一人の女性、鏡石だ。
鏡石は洗面台の排水レバーを押し、溜めた水を流し出す。そして、手元のハンカチーフで顔を拭き、洗面台の脇に置いていたいつもの丸眼鏡をその手にとる。
「負けてらんないわ!」
その言葉と同時に彼女は眼鏡を付ける。その笑みを心の中にしまい込み、その顔を引き締めた。一人の女性から、一人の警察の人間へと、自分を切り換えた瞬間であった。
それっきり鏡石は口をつぐむ。そして、洗面台の上に置いてあった荷物を手にする。
彼女は洗面所を後にした。表では、彼女の部下である情報機動隊の隊員が彼女の指示を待っているだろう。歩き出した彼女のローヒールの甲高い音がビル内に鳴り響いた。
鏡石はビルの屋外を足早に闊歩する。1000mビルのふもと、その周囲を走り回って附近で行動を持て余していた情報機動隊の隊員を呼びよせる。その時、鏡石のもとに集った隊員は全てで3人あまり。
「これだけ?」
鏡石が問う。
「他は、ビル内に残留しております」
「そう――」
軽くため息をついて顔を振り上げる。
「しかたないわね、この人員で当面は動きましょう」
隊員は頷く。
「それで、今後の対処についてですけど」
鏡石は手にした携帯ターミナルを開き、それを素速く操作してデータを表示させる。そのデータはこの1000mビルの詳細な構造図だ。鏡石はそれを隊員に見せながら話す。
「まず、第1に何とかして内部に取り残された他の隊員たちやディアリオと連絡を取ります。現状ではビル内の全ての情報回線は停止しているから、内部とは連絡が取れない。けど、それでも何かしらの手段があるはずよ。みんなで手分けして、その連絡手段を見つけ出して。それから、第2に、停止しているビルの管理システムや情報回線の復活です。これ無くして事態の収拾はありえません。ちなみに各自現在までに入手した新たな情報などが有ったら申告して」
隊員が銘銘に返答しながら鏡石の指示を受け入れる。早くも隊員は、己の携帯ターミナルを動かした。そしてその中の一人が第2ブロックとの間に開かれた臨時の有線通信回線の事を告げる。
鏡石はそれを聞き、その隊員に答えた。
「ではその回線について、情報システムとの通信にも使用可能か、敷設した警備本部の人たちにあらためて問い合せて」
隊員は返事を返して指示を受け入れる。
「みんなもこの人数では大変だろうけど、この状況を解決に導けるのは、私たちなんだと自覚と自信をもって事にあたって。わたしも及ばずながら全力をつくすわ」
「了解」
隊員たちの答えに安堵してか鏡石も表情を弛めて頷いた。そして、その顔から笑いを消すと、いつもの凛々しくも理知的な顔で大声で告げる。
「情報機動隊、これより臨時の特別任務に付く。セットアップ!」
「はっ!」
はっきりとした返答が返ってくる。そして鏡石の指示のもと、情報機動隊の面々は一斉に動き出した。
@ @ @
――そして、鏡石も情報収拾のためにビルの周囲を見てまわる。
その手には相変わらず携帯ターミナルが納められている。彼女の手の上で、携帯ターミナルは1000mビルの情報を表示している。構造から内部の設備/システムの作動情報あるいは内部の使用状況に至るまで。
「あれ? これって」
彼女はふと頭上を仰いだ。そこには、天空を斜に一気に突き上がる4本の支柱があった。
「あ、デルタシャフト」
『デルタシャフト』……特殊炭素繊維系複合素材製の巨大な柱である。
「そっか、これがあったんだ…何かに使えるわね」
彼女は、己が歩いた箇所の調査結果をそのターミナル上に一つ一つ記して行く。
全てのエレベーター、全てのモノレール、全てのメンテナンス階段――
その他、ビル内のあらゆる設備/システム――
「主な動力装置はまったく停止、第1ブロックだけがビルの外から臨時の電力を引いてるけど、それも一部の施設だけ。それに、上へのアクセスはさっき動き出した貨物搬入用の大型リフトしか使えないし……」
携帯ターミナルのマップデータに記された情報を見つめ、彼女は考える。
「それも、第2ブロックまでなのよね」
鏡石は、人差し指を唇に当て眉をハの字に曲げている。呼吸の音だけが、静かに彼女の平静さを表わしている。彼女は歩き続ける。ビルの周囲を散策し、上の方と連絡を取るための対策手段をなんとか見つけようとした。
「データ不足ねぇ」
鏡石は簡単にそう言い切り、スーツのポケットから小型の携帯通信機を取り出した。第1ブロックからならば、ビルの周囲のごくわずかなエリアと通信する事ができる。鏡石は通信機のスイッチを入れる。そして、チャンネルをセットすると情報機動隊の隊員へと話し掛ける。
「こちら情報HQ、情報各員へ注ぐ、現在の調査状況に関し応答願う」
切替式の音声のみの通信機……手軽なコンピューター端末に慣れ親しんだ鏡石には少し煩わしい。情報HQ/情報各員とは情報機動隊が警察無線で用いる暗号で、HQとはHeadQuarterの略で隊長である鏡石のことを指す。やがて情報機動隊の各隊員から返答がなされた。先程は3人だったのが、自力で地上と連絡手段を確保したのか6人に増えていた。さらに、調査が進んだのかかなり有効な情報がそろったらしい。鏡石はそれを聞きわずかに思案し、次の指示を出す。
「それでは第1ブロックの施設統合管理センターに集まって、改めて、行動プランを練り直します」
鏡石は通信を切る。
「この分だと、第2ブロックや第3ブロックはいずれ回復するから大丈夫として」
そして、再びビルの上方を仰ぎ一人呟く。
「やっぱり、残るは第4ブロックねぇ」
第4ブロックは、遥かに高いビルの上空の彼方にかすんでいる。見上げれば、すぐに首筋が痛むような急角度だ。その現実に、鏡石は頭から血が引くような感じを覚えた。
■1000mビルへと向かう途上にて / 特攻装警第3号機センチュリーの場合■
冷えついた11月の日光の下、センチュリーはV6水素ドライブエンジンの咆哮音を響かせて首都高湾岸線を羽田から大井埠頭を経て有明へと向かっていた。そして、東京港トンネルを経て臨海副都心へとたどり着いたとき、その視界の向こうに見えた有明1000mビルの光景にセンチュリーは愕然とせざるを得なかった。
1000mビルの上層階から噴煙が上がっている。人間の耳には聞こえがたいが、センチュリーの鋭敏な聴覚には、あそこで散発的な戦闘が行われているのも聞こえている。
首都高速の湾岸線を臨海副都心ランプで降りると、大規模なショッピングモールを横目にひた走る。
そして、センチュリーはバイクを1000mビルの周囲の路上へと乗り入れた。
エンジンのスロットルを戻しゆっくりとオートバイを停める。そして、そのまま周囲の様子を伺う。
「おいおい、なんだよありゃぁ?!」
見上げるセンチュリーの視線の先では白煙をあげている1000mビルの外観があった。
「ちくしょうっ! 連中、やりゃあがったな!」
それは誰の目にも明らかな異変だった。ビルの周囲にマスコミや野次馬が群がる中、機動隊員や応援出動した警邏警官たちが、立ち入り禁止のバリケードを張り巡らせている。首都高湾岸線も1000mビル周囲では完全に通行禁止となっていた。
一般道は完全に渋滞になっていてそのままではビルまでたどり着けない。パトランプとサイレンを作動させると大声を張り上げる。
「特攻装警だ! 道を開けろ!」
センチュリーの声と特徴的なパトランプの光と音に並んだ車の列が左右に割れる。そして、バイクのアクセルを開き1000mビルの事件現場へと直行する。
その前方に、センチュリーの姿に気づいた機動隊員たちが足早に駆けつけてくるのがわかる。センチュリーは彼らに向けて声をかけた。
■1000mビル地下駐車場にて / 特攻装警第5号機エリオットの場合■
近衛は警備本部を離れ、地下の駐車場エリアに居た。サミットが開始される前、最終ミーティングを行なった場所だ。エレベーターが動いていないため、近衛は第1ブロックから、地下ブロックへと降りるための長いスロープを下って行く。そのスロープの要所要所に、人間が登り降りするための大きな螺旋階段がある。
近衛はそこを下る。そして、任意のフロアナンバーのところで階段から離れると、そのフロアへ通づる鋼鉄製の仕切り扉を押し開く。
その先は一面闇の暗黒の世界。まだ、電力供給が再開されないためになんの灯りも存在しないのだ。
所々、離れたポイントに非常灯がクリーム色の光りを提供しているが、それは暗所での歩行を保証するもので普段の行動が約束される訳ではなかった。今の近衛の視界には、エリオットの姿は無かった。近衛は少し思案して大声で叫ぶ。
「エリオーーット!」
声だけが空しい残響を残す。
「どこだったかな?」
近衛は周囲を見回した。だが、その視界の中にエリオットの姿はない。胸のポケットから、地下ブロックのフロアのペーパーマップを取り出す。そして、手元のペンライトでマップを照す。
「ここが、Lの№………」
現在の番地と、エリオットが居たはずの番地を照らし合せる。まだまだ場所は先である。
「ふむ――」
近衛はペンライトの灯りだけを頼りに進む。エリオットを見つけるまでそれほどの時間はかからないだろう。歩く事4分、ほどなくして、二つの強力な光が見えてくる。
「エリオット!」
近衛は足早にその光の源を見つける。そこにあったのは一台の大型オフローダー、名称を「アバローナ」と言う。
アバローナの主であるエリオットは、シートを後ろに倒して寝そべっている。何かを考えているように手を組んでいたが、上司である近衛の声を聞きつけてその身を起こした。
「課長」
「エリオット、車を出せ」
「はっ」
近衛の指示に従い、エリオットはシートを起こしハンドルを握る。そして、ナビシートに近衛が座るのを待ってアバローナを走らせた。エリオットには、この車をどこに向かわせるのか、すでに理解できていた。
「課長」
「なんだ?」
「このビルの異常は何なのですか? 停電にしてはずいぶんと長すぎますが?」
「それについて今から説明する」
そして、近衛はこれまでに1000mビルに起こった事実を近衛自身が知りうる範囲内で伝えた。エリオットはそれを聞きながら車を走らせている。
「このビルの特性からお前に無線で連絡を入れる事ができなくてな、それに現在は事態の収拾するのが優先だったから、そのための警備本部内の作業に手間取ってしまった。遅れてすまん」
「そうですか、では、その第4ブロックに他の特攻装警も?」
「うむ、現在、フィールとディアリオが閉じ込められている事が確認されている。それとな」
「はい」
エリオットは言葉を区切った近衛の方を向きいぶかしげに表情を伺う。
「おまえの弟が、来ているそうだ」
「弟?」
近衛は頷く。一方のエリオットは、近衛の言葉の意味を理解できずに軽い混乱をきたしていた。明らかに驚きを覚えており、口をわずかに半開きにしている。だが、その言葉が何を意味するのか気付くまでに然したる時間はかからない。
地下ブロックを走り終えたアバローナは、長いスロープを登り始める。
「お前の次の次、特攻装警の第7号機が、この会場に非公式に来ているんだそうだ」
「そうですか、では、さっそく逢えるのですね?」
「いや逢えない」
不思議に思い言葉を返さないエリオットに近衛は言葉を続ける。だが、さすがにバツが悪そうに言葉を詰らせた。
「途中で失踪したそうだ」
「えっ?!」
「なんでも、引率した者がトイレに行っている間に姿を消したそうだ。まったくどう言う事なのか。警察の常識からすれば考えられん話だ」
「失踪、ですか?」
近衛は頷く。
「なぁ、エリオット」
「なんでしょう?」
「特攻装警であるお前から考えて、本当に失踪などと言う事が有り得るのだろうかな?」
「そうですね――」
エリオットは思案している。少し長い沈黙の後、彼は答える。
「決して、有りえない事では無いと思います」
近衛はエリオットの方を振り向き、エリオットの顔を興味深げにじっと見つめた。
「我々、特攻装警はアンドロイドです。ですが、必要十分な学習や教育が終わらない間は、いかに高機能で優秀なアンドロイドと言えど、その辺の子供と能力的にはほとんど変わりありません。実際、実家の第2科警研所内で過去に見ているのですが、基礎学習が終わっていない頃のフィールなど、明らかに子供同然でした」
「そうか、だがなエリオット、普通は基礎学習なぞ必要な任務に就く以前に完了しているのが普通ではないのか?」
エリオットはあいづちを打ちながら頷く。たしかに、近衛の言葉はもっともだ。
「そう考えると今度の私の弟は、まだ学習が不完全と言う事になるでしょうか?」
エリオットの言葉に近衛は考える。わずかな時間その目を閉じると再び開いてエリオットに告げた。
「そうかもしれんな。聞けば、まだ正式な配備着任に入る前だと言うんだ。それを連れ回していて、この失態だ。今度の新しい特攻装警には何かある。そう私は考えている」
ちょうど、アバローナがスロープを登り切った。地上の薄明るい光が視界に入った。
「その、私の弟となる特攻装警ですが」
「ん?」
「名前はなんと?」
「グラウザーだそうだ」
「グラウザーですか」
近衛は頷いた。そして、眉間に太いしわを刻んでうめくように呟いた。
「この失踪が、事態をこじれさせなければいいのだがな」
エリオットはアバローナを走らせる。そして、そのまま1000mビルの外へと向かった。
■1000mビル正面ゲート付近にて / 特攻装警第1号機アトラスの場合■
1000mビルの正面ゲート前の表広場ではアトラスが、そのままビルの警戒に従事していた。
その肩に11番ゲージの大型ショットガンを背負い、その身に、フライングジャケットを着込み、ビルの正面入口の最も目立つ場所にアトラスは立っていた。
微動だにせず、ただ立ち続ける。新たな指示が入るまでサミットの開催中はそれがアトラスの任務なのだ。とは言え、少し状況が変わってきたのも事実である。
サミットを取材すべく集まっていたマスコミたちも、事件が発生し報道管制が敷かれてからは、わずかな留守番役を残しているだけでまったく別な場所で、報道が解禁になるのを待っている。それに、このビル自体が事件現場となってしまった現在、現場関係や警備担当者や警察の応援部隊を除いて立入禁止状態にあった。それ故に今はビルの周囲には人影もほとんど間ばらである。
当然、それまでアトラスの周囲に並んでいた機動隊員の人数もめっきり減っていた。すでにサミットの警備としての体勢はほとんど崩れていたのである。だが任務は任務、新たな指示が下るまではそれまでの指示に従うのが筋である。
「アトラス班長」
アトラスの背後から2人の機動隊員が近寄り、小声で語りかける。
「警備本部長殿がお呼びです。それとビル正面の警備を解除して、この班の人員を一度警備本部前に集合させるようにとの事です」
機動隊員の持ってきた近衛のメッセージを聞いて、アトラスはやや時間を置いて――
「解った、本部長は?」
「警備本部にてお待ちです」
「よし、さがれ」
「はっ」
アトラスにその機動隊員たちは敬礼をして去る。アトラスはVIP出迎え警備班の班員たちに向けて叫ぶ。
「警備本部からの指示を伝える! 現在の警備体勢を解除し警備本部前に集合! その後の行動については、警備本部からの指示を待て。以上だ!」
アトラスの声に呼応して敬礼をし、一糸乱れずに機動隊員たちは本部に向かう。その彼らを見送りアトラスも歩き出す。1000mビルの外部を離れビルの第1ブロック内へと入る。そして1000mビルの正面ゲートから伸びる舗装路へ向かった。
ふと立ち止まり物憂げに空を仰ぐ。そこには栄光の舞台から混沌のるつぼへと姿を変えてしまった巨大なビルがある。
「フィール――、ディアリオ――」
アトラスは静かに呟いた。
「何とかできないのか」
アトラスは強く己れの拳を握った。微かに拳自体が軋む音が聞える。当面は、警備本部長である近衛の指示を待つ以外に無い。そのためにも先を急ぐ。と、その時だ。
「アトラスさん」
アトラスは声のする方を向く。さん付けで呼ぶのは、アトラスの受け持ちの班以外の機動隊員である。
「なんだ?」
「センチュリーさんがいらっしゃいました」
「センチュリーが?」
「はい、こちらにおいでです」
そう言いかけ、彼らが背後の人物を引き出そうとした時に、その人物は自分から前に進み出てきた。そして、その姿を見てアトラスは驚きの混じった声を発した。
「センチュリー!」
「兄貴!」
「やっと来たか」
「待たせてすまねぇ! それより――」
センチュリーはそう言いつつ頭上を仰いだ。
「――この騒ぎは?」
センチュリーの言葉にアトラスも頭上を仰ぎながら返答する。
「爆破事件だ。1000mビルの最上階層ブロックを孤立させるように破壊活動が行われた。同時にビルの全ての設備、すべての情報システムがダウンした。極めて巧妙なハッキングによる物らしい」
爆破、ハッキング――、それがこのサミット会場で行われている。
センチュリーの脳裏の中ですべての情報の糸が1つにつながった。
「やっぱり、あいつらか!」
怒り混じりに語気も荒く言い放つセンチュリーにアトラスは続けた。
「犯行声明も無く、上層階とは完全に遮断されているため情報不足で確定はできない。だが私自身としてはディンキー・アンカーソンで間違いないと思う」
アトラスの言葉にセンチュリーは右足を持ち上げると苛立ちを叩きつけるように地面を強く踏みしめた。
「くそっ! 完全に出し抜かれた!」
「あぁ、まったくだ。約一ヶ月の準備期間をかけてサミット会場周辺を警備し続けてきたのに」
「建築作業をサミット終了まで遅らせてまで警備してきたんだぜ? すべてパーだ!」
苛立ちと憤りが噴きだすままにセンチュリーは自らの頭を右手でかきむしる。そんな彼をたしなめるようにアトラスが言う。
「やむを得ん、それだけ敵の行動と策略が我々の予想を上回っていただけの話だ。今はこの事態を収拾することが何よりも最優先だ」
「分かってる。それより近衛さんはどこにいるんだ? 話したいことがあるんだ」
「それなら、私と一緒に来い。近衛課長に会いに行くところだ」
アトラスはセンチュリーにそう告げると警備本部に向かう。センチュリーも相槌を打つのもそこそこにアトラスを追うように走りだす。そして、警備本部がある分署の前に辿り着けば近衛とエリオットが先回りアトラスたちを待っていた。その時近衛は、アトラスの隣にセンチュリーの姿を見た。
「ん?」
微妙な表情を浮かべる近衛にエリオットが訊ねる。
「課長?」
近衛は答えない。ただじっとアトラスたちが来るのを待っている。一方で、アトラスたちも近衛の姿を確認していた。近衛が自分たちを待っている事に気付くと走り出して先を急いだ。
「近衛課長、アトラス他1名、ただ今参りました」
近衛はアトラスを見つめ頷く。その一方で、すっと視線をセンチュリーの方に向ける。その視線に答えるようにつま先を揃えてセンチュリーは敬礼した。
「特攻装警センチュリー、ただ今到着いたしました。これよりサミット会場警備に合流いたします」
「やっと来たか。待っていたぞ」
その言葉から近衛がセンチュリーの存在価値を高く評価しているのがよく分かる。
「遅れて申し訳ございません」
「気にするな、だが遅れた分の収穫はあったのだろう?」
「はい」
センチュリーは明瞭に力強く答える。
問題行動が多く直情的で思慮が浅いところがあるセンチュリーだったが、その行動力と直感の鋭さは特攻装警の中では随一だった。所属している部署は異なるが、近衛はセンチュリーのそんな面を密かに買っていた。近衛はアトラスやエリオットにも目配せしつつセンチュリーに命じる。
「話せ」
「はい――、今回の日本国内での活動に際してディンキー・アンカーソンは、はなっから日本国内の組織の協力を当てにしてはいません。むしろ、別な犯罪組織が日本上陸を果たそうとする動きに便乗していたんです」
「別組織だと!?」
センチュリーの口から漏れた予想外の言葉に、近衛以下皆が驚愕せざるを得なかった。
「それで、組織の詳細はつかめたのか?」
「いえ、まだ取っ掛かりだけです。既存のあらゆる組織と一切の交流を持たない独立系の組織のようです。ですが、組織名称だけは判明しています」
「その組織の名は?」
近衛がセンチュリーに問う。一呼吸置いてセンチュリーは答えた。
「ガサク――、アラビア語で〝黄昏〟を意味するそうです」
アラビア語――、それがその組織の成り立ちの何たるかを感じさせるには十分な要素だ。
「イスラム系極右か!」
「いえ、イスラムだけでは無いようです。アフリカ、中南米――非欧米の反白人社会の全域で名前が見え隠れしているそうです。今回掴めたのはそこまでです」
近衛に答えるセンチュリーの言葉に、アトラスが続ける。
「反白人社会と言うことは、イスラム系の範疇にとどまらず、アフリカ系、南米系、アジア系――、南半球社会のあらゆるエリアの反社会勢力とつながりを持っている可能性があるな」
アトラスの言葉に近衛が言葉を重ねる。
「イスラム系とアフリカ系の反社会勢力の連携は20世紀末から懸念されていたことだが、不安が現実になったと言うことか」
近衛の重い口調に同意するようにエリオットがうなずく。
「それも最悪の形で具現化しそうですね」
エリオットの言葉に皆が同意している。エリオットには古い記憶の中に、忘れたくとも忘れられない出来事が想起されていた。そして、アトラスがある推測を言葉にする。
「いずれにせよ――、ディンキーは日本の緋色会をはなっから無視しても行動できる理由があるというわけか」
「兄貴、これは俺の推測なんだが、ディンキーの目的は英国人、そして英国人が活動の場としている欧州社会だ。ガサクの目的が白人社会への攻撃と排斥だとすれば両者の利害は見事に一致する。そこにディンキーの持つ卓越したアンドロイド技術を提供することを条件に、ディンキーの行動のバックアップをガサクが全面バックアップしているとすれば?」
「既存の組織だけに目が向いていた我々を出し抜くことなど容易ということか」
「おそらくな」
センチュリーのもたらした情報に近衛の表情が深刻なものになっている。
「我々は、根本的な見落としをしていたのかもしれん。いや――、それ以上に緋色会を窓口として日本上陸をはたす、と言う情報自体が、ディンキーが仕掛けた壮大なブラフだった可能性がある。屈辱的だが我々はディンキーにまんまとハメられたわけだ」
エリオットは近衛の言葉にさらに続けた。
「課長――、もしかすると、あの南本牧の場にはディンキー・アンカーソン自身は居なかったもしれません。ディンキーの配下のマリオネットだけが姿を表し暴れている。フィールたちが追った逃走トレーラーもはじめから陽動で、途中で放棄するつもりだったのでしょう。我々はディンキーがマリオネットたちとは別行動を取る可能性を見過ごしてしまった」
「その可能性は高いな。ディンキーは老人だからな。マリオネットどもと常に一緒にいるはずと、我々は思い込んでしまった」
エリオットの推測を近衛は肯定した。その他の者も否定する者は居なかった。
近衛は皆に視線を送りつつ告げる。
「ならば一刻も早くサミット参加者の救助活動を優先させねばならん。ディンキーの背後にイスラム系組織が隠れているとなれば、英国以外のVIPも攻撃対象になる可能性は十分にある」
近衛の言葉に特攻装警たちが頷いている。そして今度は、近衛が情報をもたらす番だった。
「話は変わるが、第4ブロックに突入してもらう事になった」
「いよいよですか?」
訊ねるアトラスに近衛は頷く。
「本庁から高速ヘリによる突入部隊が編成されて送られてくる事になった。神奈川と千葉の盤古からの応援による特別編成部隊だ。お前たちには突入部隊の第2陣に同行してもらう事になる。この後、ビルの外の広場で待機してもらう。詳しい手はずは突入部隊が到着してからだ。アトラス、センチュリー、エリオット――、そう言う事だ。大変な事になるが覚悟してくれ」
「了解!」
近衛の言葉に特攻装警の3人は敬礼しつつ返答する。
「しかし、センチュリー――」
近衛は半ば感心するような言葉をかける。
「よくこんな情報が手に入ったな?」
近衛の言葉にセンチュリーは頷きながら答える。
「緋色会に関係の有りそうな末端組織の構成員から、少しづつコンタクトを取りました。最終的には、実際に南本牧の上陸作戦を担当していた一次傘下団体の幹部にコンタクトする事ができました。今回の情報はそこからのものです」
そう語るセンチュリーにアトラスが声をかける。
「向こうさん、よく話を聞いてくれたな?」
アトラスも普段の業務上の経験から、緋色会の閉鎖性は痛いほど良くわかっている。センチュリーの行動がどれだけ困難な物なのか用意に判断がつくのだ。
「あぁ、かなり手こずったよ。小競り合いにもなったしな。でも、向こうさんのメンツを回復すると言う一点で話を絞って交渉してたら、何人か話を聞いてくれる幹部連中に逢えるようになった」
「メンツ――か」
アトラスはそうしみじみ呟いた。時代がいつになっても闇社会の連中が重んじるのはソレだ。センチュリーなら、敵のメンツを潰さずにうまく話を作れるだろう。しかし近衛は、センチュリーに言い含めるように告げる。
「だが、深入りはするなよ。変に縁を持つと厄介だからな」
「えぇ、わかってます」
センチュリーもそれは当然承知している。頷くセンチュリーを見つめながら近衛は歩きだした。
「行こうか」
4人はアバローナに乗り込んだ。そして、出撃の地へ向かうのだった。
次回、第1章第13話『フィール 最悪の帰還』

















