第11話 『護衛任務』
逃げる者、襲う者、護る者、探す者
高層のビルの回廊で人々の行動が交錯する
第1章第11話 『護衛任務』 公開です。
【本日、2話一挙公開!】
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地上から約250m。有明1000mビルの第4ブロックの最上階層には、ビルの内周を一周する展望回廊がある。
そこからは、世界に冠たる巨大都市東京の姿が一望できる。
6角形状の回廊には、唯一の人影がある。すでに人の無い閑散としたその回廊において対峙する二つの影であった。
彼らは互いを見つめあっている。一方は怒りに満ちた攻撃の目で。もう一方は獲物を追う猛禽鳥の持つ狩人の目である。二人の間には、50mほどの距離とその間で床に倒れて苦悶する女の姿がある。
倒れているその女には片腕が無い。右肩の先から電磁火花を散らし床に倒れ伏している。しかし、彼女はその身を転がす様に動かしてその場から離れようとしていた。
その女にほど近い側に、大きい体躯の女が立っている。漆黒の男装衣装に身を包みプラチナブロンドの短髪にロシア系にも似た容貌を有した女がいる。ジュリアである。
その目はまさしく猛禽のそれであり、明らかに人のそれではない。その彼女の周囲には多数の死骸が散逸している。人ならざる者の力によってその死骸は無残にも砕け散っていた。さらにその周囲には濃朱の色の血瘢が飛散している。
そこかしこに惨劇の証拠が刻み込まれていが、その惨劇は終幕を迎えてはいない。
そう――
むしろ、これからが本番なのだ。
ジュリアは緩慢に歩みを進める。止まる気配は無い。
その女の対極には、一人の男性型のアンドロイドが立ちはだかっている。フルメタルのボディに特殊樹脂性のハーフスリーブのジャケットをはおった警察アンドロイド。特攻装警第4号機・ディアリオである。
その手には357口径オートマチック銃が握られ鈍い光を放っている。クーナン357マグナム オートマチック――、リボルバー用のマグナム弾を用いるコルトガバメントベースのカスタム銃だ。マニアックな選択だがディアリオは気に入っていた。
残る反対の手には、全長1mに及ぼうかと思われるような特殊電磁警棒が握られていた。遠距離と近距離を想定した武装選択である。それらを手にしたまま、ディアリオは相手を凝視している。冷静さの中に怒りを垣間見せていた。そして、ディアリオが引き金を引いたとき、相対するジュリアは雷迅の様にその身を弾き出した。
先に動き出したのはジュリアであった。
それを真っ向から受け止めるのはディアリオである。敵と高速で間合いを取りながら威嚇攻撃の弾丸を打ち放つ。357口径の弾丸は射速と貫通力に重点を置いた高速徹甲弾だ。
一発目――、頭部をかすめてかわされる。
二発目――、わずかに体をサイドスウェーさせて見切られる。
三発目は、狙いをつけることすらできない有様であった。
ディアリオが、敵の尋常ではない反応速度に自らの電脳能力で反射速度を底上げして追いすがるが、それを上回る事実があった。
「くっ! 読まれている!」
ディアリオの攻撃パターンのその先をことごとく読まれているのだ。
それにジュリアの動きには〝限界〟が全く感じられない。幾重にも弾丸を放ったが、眼前のジュリアは一切当たらない。完全に敵の身体能力の方が上であるのだ。それは格闘の素人が武術の達者に挑む様に似ている。
ディアリオは己の機能の向き不向きを、痛感せずには居られない。
「完全白兵特化型か!」
対するディアリオは電脳機能特化型である。絶望的なその事実を目の当たりにしてなお、ディアリオはまだ余裕をは失っていない。
その展望回廊の空間の中で、ディアリオは自らも動き出した。固定砲台のように攻めるのを止めたのだ。走り出しつつ、敵の動きを牽制しながら近接接触を図る。互いに次の出方を読み合いながらも勝負は一瞬にして決しようとしていた。
間合いを図るのをやめディアリオは一気に接近を図った。急角度で走行の軌道を変え接触しようとした時だ。
周囲一体に重く激しい激突音が静寂の闇の中に鳴り響いた。
電磁警棒を順手から逆手へと上下を逆に握りなおす。そして、全身を一気にきりもみさせ全身を回転を与える。逆手に握られた電磁警棒はディアリオの腕力と回転力を加算させてジュリアの首筋を背後から襲う。ディアリオは自らの持つ高速演算能力により、敵の身体動作を先読みして敵の急所を一撃できるアクションを導き出して攻撃を図ったのだ。
その成功を半ば確信していたのだが――
「なに?!」
驚愕したのはディアリオである。ジュリアはこれを難無く回避する。
彼女の身に染み付いている戦闘経験はどれほどの奥行きを持っているのだろうか?
ジュリアは上体を床面に叩きつける勢いで強く下げて、両手をフロアへと突く。そして、全体の勢いを殺さず上下をそのまま反転させて下半身を持ち上げる。突然の逆立ち姿勢にディアリオの電磁警棒はあっさりと宙を切る。
同時にジュリアの攻撃がディアリオを襲う。
開脚しての廻し蹴りだ。まるでどこかの格闘ビデオゲームであるかのようにだ。
吹っ飛ばされたディアリオは5mほど弾かれて床に這いつくばった。声もなく横たわり、その手に握っていたはずの電磁警棒も遥か彼方に転がっていく。
かたや勝者たるジュリアは黒いタイツに包まれていた脚を閉じると、つま先を揃えてバレーダンサーよろしく優美にその上体を起こす。そして敗者たるディアリオを一蔑して明朗かつシンプルに告げた。
「弱い」
ジュリアはそれっきりディアリオを見なかった。見限ったのだ。そしてすぐさま、ジュリアの目は次の目標へと向かう。
「ま、まさか――」
次なる標的とはすなわち、片腕をもがれたフィールである。
そのころフィールは正気を取り戻していた。片腕をもがれたショックで意識が飛び、一時的に恐慌状態に陥っていたのが収ったのだ。彼女は失った片腕を探しており、その肩口からは電磁火花がしきりに飛び散っていた。フィールは気付いていた。現在の自分の状態では何の対策を建てる手立てもない事を。そして、このままでは自分自身があぶない事も――
フィールは現状からの退避を急いだ。この事実を他の者に知らせる必要がある。咄嗟の判断で自らの片腕を見捨てると、この場から駆け出そうとする。だがジュリアには駆け出したフィールの姿がしっかりと見えている。
その視線に気づいて振り向けば、ジュリアとフィール、その互いの視線は真っ向から向かい合っていた。
ジュリアの視界の死角でフィールの後頭部の外殻シェルが静かに開いた。そこから一振りのファインセラミック製のスローイングナイフが現れる。それは逃避から反撃へとフィールの意思が反転した事の現れに他ならなかった。
ジュリアは無言のまま、フィールに迫った。
フィールが腰を屈めれば。ジュリアは無表情のままフィールを見降ろしている。その時のジュリアの視界でフィールが力強く微笑んでいた。ジュリアはフィールのその笑みを解しかねている。
その時、ナイフはフィールの背後を滑り降りていく。そして残る左手を僅かに背後に廻しナイフを受け取る。降りてきたナイフは三振り、片手の中に収めるにはちょうどよい数である。
フィールの左手が振り回される鞭の様に下手投げに動いた。ナイフは不意打ちにジュリアの顔面を襲い、そのナイフを追うようにフィールも動く。フィールは屈めていた両脚に満身の力を込め飛び上がる。再び、フィールの後頭部が開き新たなナイフが降りてくる。
フィールが次のナイフを確保する一方で、ジュリアは咄嗟に後方にその身を反らす。
ディアリオの攻撃をかわしたあの時と正反対の動作である。ジュリアの身体が大きくのけ反る。ナイフは何なく宙を切る。
飛んだフィールが空中で次弾のナイフを受け取ろうとしたその時だ。のけぞったジュリアはそのまま大きく身体を海老反りに丸め両手をフロアに突く。ジュリアの右のつま先が跳ね上がる。
空気を切る軽い擦過音が鳴り、黒いヒールの切っ先が弾き出された。その先には空中に留まっているフィールが居る。
ジュリアの特異な動作を理解できぬまま、フィールはその左手に次なるナイフを握ろうとする。だが、一手順早かったのは老獪なるジュリアである。
ジュリアの足先は頑強なフレイルである。鉛の詰った鞭である。ジュリアの右の足のつま先は鋭利な凶器となってフィールの下腹部に襲いかかった。その衝撃がフィールの体内を貫いて誤動作を引き起こしフィールの動きを一瞬停止させたのだ。そしてさらに、ジュリアの足先は止まること無くフィールを襲った。
ジュリアは両足を開脚させT字のシルエットを描くと、床に突いたままの両腕に力を込めて自らの身体に回転力を与えた。そして、その体躯をさらに旋回させ勢いを増す。その両足先は凶悪なウィップとなり、そのつま先の射程距離にフィールの頭部を確実に捕らえていたのだ。
一時的にしろ一切の回避行動を封じられたのは致命的である。人型アーキテクチャにとって最大の急所たる首とその喉元を無防備に晒したフィールは、ジュリアにとって格好の処刑の対象と化していた。
振りぬかれる左足のつま先を、フィールの喉元めがけて打ち込んでいく。その足先は威力と速度を増し、無慈悲に凶悪なまでにフィールのそのしなやかな首筋を襲う。打撃は一回ではない。旋回する両足のつま先はフィールの頸部や頭部を数度に渡り撃ちぬくのだ。
今、まさにフィールのあまりにも軽い身体は木端の様に虚空を飛んだ。長い放物線を描いてフロアの上を転げまわり、糸の切れた球体人形のように力なく横たわったのである。
ジュリアは両脚を降ろすと、その漆黒の体躯を音もなく起き上がらせる。まるで一匹の黒豹が身を起こすかのように――
ジュリアは何もなかったかのようにそれまでの数刻の間の惨劇が嘘であるかのように、速やかに立ち上がる。そのシルエットはステージを歩くファッションモデルの様に優雅である。
今、彼女の眼下には肉体の要所を砕かれて横たわる一体のアンドロイドが居る。フィールはもはや行動不能である。指一本動かせぬ状態のまま必死に周囲の状況を把握しようとしている。視線の先にジュリアのつま先が見える。その視線をつま先から先を見上げるように動かせば、そこにジュリアの恐るべき姿がはっきりと見えていた。
「ヨコハマでは世話になった」
ジュリアがフィールを見つめていた。冷酷で感情の見えぬ瞳の中に微かな怒りの色が垣間見えていた。それは明確な敵意だ。フィールもその敵意がもはや避けられぬ物であると悟らざるを得なかった。
その怒りに彼女はどう答えるだろうか?
侮蔑とともに無視するのなら、むしろその方が良かっただろう。
だが、ジュリアはそうはしなかった。なぜなら――
ジュリアはテロリストであるからだ。
ジュリアは右手一つでフィールの肩を掴むと高く持ち上げる。ジュリアの視線が僅かに横に流れた。その先にはビルの巨大ガラス壁面がある。ジュリアは視線をフィールの方へと戻す。
そのジュリアの酷薄な視線と、苦痛と恐怖に怯えたフィールの視線が向かい合った。
そのフィールの姿を認めたままジュリアは告げた。
「失せろ」
ジュリアの呟きとともに、彼女の右半身が大きくうねった。
フィールの身体は弓なりの投げ釣り竿の様に反りかえり宙を舞う。そしてその先は有明1000mビルの強化ガラス壁面である。十数mの距離を飛びフィールの身体がガラスの表面に強打される。
その衝撃で壁面の強化ガラスが割れ、幾千数多のガラス破片が有明の空中に四散する。ガラス壁面には巨大な穴が空き、そこからフィールの身体は宙を泳いでいた。
「フィール!!」
ディアリオの声が展望回廊に響き渡る。理性的なディアリオに似つかわしくない感情剥き出しの叫びだ。しかしその声はジュリアをも引き寄せてしまっていた。ジュリアの顔がディアリオの方を向く。ジュリアがまた再び、ゆっくりと歩みを進めてきた。鈍く響くヒールの音は、万物を死に招く死出の鐘の音である。
その足音を響かせながらジュリアはディアリオに迫りつつ告げる。
「ヨコハマでは貴様にも世話になった」
彼女の敵意はディアリオに対しても発露している。
「あの時の借りを返してもらうぞ」
それが彼女の有する意志である。テロリストである以上、その歩む足先の先に障害となる異物があるのなら、それを排除するのはごく自然な行動原理だ。今、ディアリオが置かれた状況は最悪である。なによりディアリオ自身とジュリアの双方の機能性から判断するなら相性は最悪。肉弾白兵格闘タイプの彼女と、電脳機能特化のディアリオでは、どう見てもディアリオが圧倒的に不利である。
だが、ディアリオはその死出の鐘の音の様な足音を数えながらも諦めてはいなかった。
「私を消すだと?」
「そうだ」
「誰の意志だ?」
ディアリオはその胸の奥から沸き起こる恐怖と危機感に抗いながら、あえて挑発的にジュリアに問うた。その挑発の裏にある意図を察してか否かジュリアは眉1つ動かさずにこう答えたのだ。
「我らが主の意志だ」
ディアリオの視線は必死に周囲を駆け回る。
一つ―― 二つ―― その間にもジュリアの足音は近付いてくる。
ディアリオの視線が天井から床面へと下った時、その目が何かを捕らえた。
〔防火用非常隔壁・作動レバー〕
そして――それの入った赤い枠の透明ボックスである。
ディアリオの脳裏がデータを探る。無数の情報と事実のネットワークが連鎖的に作動し、ディアリオに知己と行動を与える。
ディアリオは機知を得た。今、彼とジュリアの間の位置の天井に防火隔壁が存在している。それを目にした時、彼の行動は決まった。
ディアリオには常に変わらぬ思いがある。それは自分自身が〝情報を得るために生まれた存在である〟と言う思いだ。今この危機的状況にあっても、その思いは一ミリたりとも揺らいでは居なかった。
「そいつの名は?」
ディアリオはクーナン357オートマチックの空弾倉を弾き出し、新たな弾倉を押し込む。銃を構え、敢えてジュリアを攻撃するかのような仕草を見せた。
だが、しかし。その行動が意図するものをジュリアは捉えきれていなかった。拳銃のマグナム弾に怯んで警戒するような彼女ではない。またいつもの様に弾き飛ばせばいい、そう彼女はふんでいた。
「死出の手向けに教えてやる。我らが主、ディンキー・アンカーソンだ」
その名を聞いてディアリオが満足すると思ったのだろうか。あるいは、ディアリオが恐れるとでも思ったのだろうか。いずれにせよ、そう告げるジュリアに、ディアリオはある感情を読み取る。
それは――
慢心である。
「ありがとう、礼を言う」
ディアリオはそうい言い放ち、ディアリオは隔壁の作動レバーが収った壁面ボックスを狙いトリガーを3回引いた。
「それを聞けば十分だ」
豪音が3つ連続する。壁面ボックスの蓋が吹き飛び、その中のレバーが現れた。次弾が壁面に跳弾しレバーを外側に叩く。レバーが起き上がる。次々弾が跳弾でレバーをさらに叩く。
レバーは完全に起き上がり隔壁は甲高い機械音とともに天井から跳ね降りてきた。そして、この隔壁はシャッターではない。普段は天井に収っていて、重力によって自力で下がってくる逆跳ね扉式のパネル隔壁である。隔壁は扉のちょうつがいに内蔵された油圧の自動ブレーキの力でゆっくりと降り始める。
ディアリオは狙いをさらに変えた。再び弾丸が2発放たれ、弾丸は隔壁の油圧ブレーキの収った支点を砕いた。油圧ブレーキ内の圧力は一気に低下し、扉は勢いよく落下するだろう。
ジュリアがディアリオの意図に気付いた時は、すでに手遅れだった。
駆け出すジュリアをその向こうへと隔てたまま隔壁は轟音を上げて閉じたのだ。そして、周囲にに鳴り響く残響を耳にしたままディアリオは素速く起き上がる。そして、隔壁の隅にある壁完全閉鎖用のかん抜きをかけるのだ。
簡単な仕組みの扉の鍵だが。一度降りれば向こう側からは二度と開かない。その事を知らぬジュリアが隔壁を幾度も殴打していた。オーケストラのバスドラムかティンパニーの様な音がその空間に鳴り渡る。ディアリオはその扉を凝視していた。それしか今の彼にはする事が無かった。そして、隔壁が敵の腕力を凌駕していることを祈るのみだ。
やがて、殴打する音は止まり、残響が暫時残っていたがそれも徐々に無くなって行く。そして、訪れたのは静寂である。
ディアリオの身体から一気に力が抜け出す。ディアリオは喉の奥から安堵の吐息を漏らした。いや、安堵だけではない。すぐさまグッと奥歯を噛みしめると、右拳を握りしめて振り上げ、そのままプラスティック張りの床を一撃、強く殴打した。
今、ディアリオの脳裏にはビル外へと放り出されるフィールの姿が強く焼きついていた。それを阻止できなかった自分自身に対して悔恨と苛立ちが抑えきれない。もっとも、安堵と苛立ちと言う背反する感情にただとらわれていたわけではなかった。
ディアリオは敵ジュリアから得られた人物名を脳裏に反芻する。
『ディンキー・アンカーソン』
今回の事件の首謀者の名をディアリオは掴んだ。この事実を何としても地上の警備本部と鏡石隊長のもとへと伝えなければならない。それがディアリオが新たに得た行動目的だった。
周囲を見回せば、すでに英国のアカデミーの人たちの姿はそこにはなかった。
黙してディアリオは歩きだす。英国のアカデミーのVIPたちが逃げたであろう方角を目指して。ディンキーの思想信条から考えて、彼のターゲットが英国アカデミーのメンバーなのは間違いなかった。
ならば、彼らを守りきり、そして地上の人々にディンキーの存在を伝える。それがディアリオが唯一、敵に対して一矢報いれる手段だった。今のディアリオに出来うる事は、少なくともそれしかないのだから。
@ @ @
ディアリオたちと同じ様に、第4ブロックの外周部の壁面ビルからブロック内のフロアの様子を望む人影がある。10階程度の高さから、その人影は視線を降ろす。その視線の先には一瞬にして乱戦の舞台と化したコンベンションホールが一瞥できた。
人影は、遮光機土偶の様なルックスのプロテクターに身を包んでいる。武装警官部隊盤古の第1小隊の隊長にして東京大隊の大隊長・妻木哲郎である。妻木の背後に一人の部下が居る。その盤古の部隊員は眼前の妻木に問い掛ける。
「大隊長、早急に本隊に帰還される方が上策かと思われますが?」
妻木の視線は第4ブロック内を走り回っている。妻木は答えない。返答の言葉が無いと言う事は、その事が妻木が思案中である事を示している。部隊員はそれ以上は追求しなかった。
第4ブロックの6角形のフロアスペース内の3つの隅から黒い噴煙が上がっている。すでに一般人の人影はなく、彼らと同様に白磁のプロテクターで身を包んだ盤古たちが疾駆している。だが、ただ一つ妻木たちと異なるとすれば、周辺を走り回っているのは、妻木たちと同じ軽武装ではない、全身がプロテクターで包まれた標準武装タイプである。
十秒ほど沈黙していただろうか? 妻木は他の小隊長にむけて無線通話を試みていた。彼ら装備するヘルメットには特殊な仕掛けがしてある。脳内神経の電位分布を読み取り、思考内容を指令文面にデジタル暗号変換して無線送信する事が出来るのだ。
【 盤古重武装タイプの起動を要請。 】
【 重武装タイプの収容地点に最も近い所定の 】
【 要員、及び、代替要員は速やかに集合―― 】
そして、思考波通信を終えると、妻木は振り返り部下に向かって告げる。
「現場はこのまま、他の小隊長に委任する。我々は重武装タイプ要員として、別任務に移る」
部隊員が敬礼をする。指示の受諾のサインである。
「行くぞ」
妻木と部隊員は足早に整然と走り出すと、その先の小型の階段から外壁部のフロアを降り下っていった。ビル構造になっている外壁内の最下層部分は倉庫状の物流スペースとなっている。妻木他一名の二人はその物流スペースの倉庫エリアへと向かう。走る事数分、彼らが所定の場所に付いた時には他の盤古隊員たちもすでに到着していた。
全員すでにヘルメットを外していた。妻木たちも彼らに倣い同じくヘルメットを外す。ヘルメットとボディ部は信号ケーブルで繋がれている。彼らはそれを先に外しメットを取るのだ。素顔をさらした妻木の顔を見たのか、隊員たちの方から声がかけられる。
「妻木隊長ぉーっ」
すでに待機していた盤古隊員の中の一人が立ち上がって声をあげ妻木を迎える。妻木は彼らの顔ぶれに目くばせするとその状況に呆れながらも彼らに答えた。
「なんだ? お前ら全員第1小隊なのか? 他の小隊の者は居ないのか?」
「はいっ! 他の小隊の重武装タイプ要員から代替交代の要請が出されまして」
今の妻木の視界の中には、なじみの顔の盤古隊員しか居ない。
「代替交代か、他の小隊はそんなに状況が悪いのか?」
「いいえ、負傷などによる交代は1名だけです」
「なら、なぜだ?」
妻木はいぶかった。眉を釣り上げ苦い面持ちになる。それをして、隊員たちは妻木の心理を和らげるようと笑いながら答えた。
「さぁ?? でも俺たち盤古って」
「ケッコー、縄張り意識強いですからネェ」
「ていよくおんだされたんじゃナイすか?」
「そいでもって、よその小隊の隊員を預っているのはメンドーと」
隊員の中から、それぞれに声が上がる。みなジョーク半分に笑い飛ばしている。
「わかった、わかった!」
そうも言いながらも妻木も彼らと同じく苦笑いである。唯一の女性隊員が告げる。
「それよりも隊長、急ぎましょう」
妻木はその言葉にうなづく。そして、一度大きく息を吸い調子を整える。他の小隊の人間を預る事を考えれば、気心のしれた同じ小隊の人間の方が神経を使わないで済む。彼としても、他の小隊長の気持ちがよく分かる。その砕けた雰囲気からも感じ取れるのは、警察の治安集団と言うよりは戦場で苦楽を共にした陸軍の小部隊と言った趣に近い。
「全員待機しているな?」
「はっ!」
統一された凛とした声が鳴り響き空気の色が変った。
「これより、武装を重武装タイプへ換装する。現在、他の小隊がこの第4ブロック内の事態の収集と不穏分子の掃討に当たっているが、不穏分子の実体が把握できないため状況的には非常に不安定だと推測する。また、情報によると、英国のアカデミーほか僅かな人間が安全な場所に避難していないとの報告がある。そこでだ――」
妻木は一言区切ると隊員たちを一瞥する。
「我々は現在より、これらの事態に対応するため、重武装タイプに乗り換え、未収容人物の保護と不穏分子の掃討に参加する。まず現時点で未収容の英国のVIPの保護を行ない、それが完了次第不穏分子の方へと廻る。何か質問はあるか?」
「途中、不穏分子とおぼしき者に遭遇した際には?」
「無論、速やかにそちらの方を優先し戦闘に突入する。その他には?」
返事は無い。
「よし。それでは、A/B/Cの各班毎に別れて3方向に展開する。A班は私、B班は清片、C班は井頭、各自指揮を取れ。それでは行動開始!」
「了解!!」
妻木の掛け声に、一斉につま先を揃え直立で敬礼をする。隊員たちは走り出す。
妻木も走り出した。彼の向かう方に重武装タイプの強化外骨格プロテクターがある。
重武装タイプは、その背部のハッチを開け彼らを待つ。
彼らは、武装警官部隊盤古・東京方面部隊第1小隊……別名「妻木隊」
武装警官部隊盤古・東京方面部隊きっての精鋭集団――対機械白兵戦闘のエキスパート集団。
特攻装警登場以前は、対ロボット、対アンドロイド戦闘の精鋭としてその名を轟かせていた者たちである。
@ @ @
そこは環状のラビリンスである。幾十層にも重なりあい、多次元な空間がうみだされる。そこに彼らは居る。一人のミノタウロスに追われ、必死の逃走を続けていた。英国VIPの面々は1000mビルを最上階の展望フロアから、その下の方へと逃れて行った。エレベーターなどの施設は一切使えない。彼らは大階段を下層へすすむ。
英国VIPを警護・引率しているのは2人の日本人SPである。彼らは、ジュリア急襲の時の生き残りである。その脳裏には、同僚たちが短時間の内に何の抵抗も出来ずに惨殺されたときのヴィジョンが鮮明に刻印されている。その刻印は彼らの心理に壮烈なる恐怖心を捏造する。
蒼白となった顔は気力の減退を、震える両手は平常心の欠如を、それぞれ明示していた。なおもSPたちは階下へと向かう。状況分析のためか、しばし無言で周囲に神経を配っていたカレルが、痺れを切らして声を発した。
「時に尋ねるが」
「何でしょうか?」
先頭のSPが振り向く。
「君らは何か明確な行動指針があって下層階へと進んでいるのだろうね?」
カレルの問いに警官はわずかに短時間思案する。
「はい、先程のアンドロイドから退避するのが最優先かと思われまして」
SPはカレルを見つめていた。それして、カレルは当惑したように眉間に皺を寄せて、言い放つ。
「それだけかね?」
「は?」
意外そうに問い返したカレルにSPは思わずその言葉を言い放ってしまった。彼らとて人間である。立場をよそにして、取り乱す事も有るだろう。
「たったそれだけかね、と聞いたんだ」
「……」
「どうしたね? カレル」
カレルのすぐ後を歩いていたウォルターが問いかける。だがカレルは答えない。だがSPもまた何も答えなかった。あるいは、答えようが無かったのだろう。
「襲撃者の危険度が常軌を逸しているので状況判断が難しいことは分かる。だが、経験不足だな」
厳格に告げるカレルの言葉に相手は何も答える言葉を持たない。カレルは相手の返答を待たずして意を決する。そして、周囲に告げた。
「こんな状態では、この場の意志決定を君たちに任せる訳にはいかんな。君は後方に下がっていたまえ、わたしがこの場の指揮を取る」
「しかし、あなたは民間人で――」
「僭越だが、わたしは軍隊経験者でね特殊部隊に在籍していた事もある。少なくともこの様な事態における予備知識に関しては、きみたちよりはるかにプロだ」
カレルはSPを睨み付ける。それはもはや学者のそれでは無い。
SPはカレルの姿の向こうに職業軍人のような洗練された険しさを垣間見ていた。
「わかりました、指示に従います」
カレルの強い語気を帯びた言葉と貫禄に、SPは気圧されて後方に下がり現場の指揮をカレルに明け渡した。そして、カレルは振り返り皆に問う。
「みんなもそれでかまわんね?」
「意義なし」と、ホプキンス
「わたしもだ」と、タイム
それ以外のメンバーからは特に声は上がらなかった。だが、その表情が明らかになんらかの不快感を感じているであろうことは読み取れる。それをして、カレルは告げる。
「よし、方向を変えるぞ。先程の爆発音などの周囲の状況から言って、最下層には別の個体のアンドロイドが控えている可能性がある。小規模の戦闘が行なわれているかもしれない。手近な中層フロアに退避して先程出会った武装警官とのコンタクトを計ろう。彼らならこの様な事態に対するプランを有しているはずだ」
カレルは冷静に淡々と告げる。その表情は相変わらず撫然とした仏長面だったが、そこに明確なリーダーシップが加わる。
「君、ここが現在、どの位置にあるのか把握しているかね?」
カレルは念を押す様に最後方の警官に問う。警官は自信無さげに答える。
「外周ビルの北方向ではないかと」
カレルはもともと細い目をさらに細めて、彼をにらみ付けた。そして冷たく言い放つ。
「第4ブロック階層、外周ビル、北北東方向第6メンテナンス階段、19階フロアだ」
それっきり、カレルはそのSPたちには話しかけはしなかった。ただ、神経を尖らせ、周囲の状況を観察することに全神経を注いでいる。他の英国のアカデミーの面々は、そんなカレルの行動を好意的に見ていた。頑迷で気難しかったが危機的状況のときの判断に間違いが在ったことはこれまで一度も無かったのだ。
彼らは階段を離れ18階フロアへと降り立つと、そこを東方面へと進み始めた。なにか行動のアテがあるらしい。
彼らの行動は同行するSPたちをアテにはしていない。なぜなら――
「このSPたちは頼りにならない」
――そう認識していたからだ。この時点において経験の深いベテランSPは、ジュリアによって倒されていた。経験浅いSPしか生き残っていなかったのは不幸としか言いようがなかった。
@ @ @
重武装のプロテクターに動力が灯る。直動モーターが軽い擦過音のノイズを立てる。
妻木たちはその行動を開始した。部隊は3方向に展開する。B班は最下層を巡回し、のちに上方向に上がって行くルートを、C班はエレベーターシャフトの空間を用いて一気に最上界へと向かいそこから下りてくるルートをそれぞれ取った。そして、妻木本人が率いるA班は、彼らとは別にVIPたちの行動を推測して追跡するルートを取った。
外周ビル内のメイン通路の一角で妻木は立ち止まり、あらためて情報収集を行なう。
今、ビル館内の情報通信網は彼らの手の届く範囲内においては、全く意味をなしていない。すべての情報システムが死んでいるのだ。それでも英国のアカデミーを始めとするVIPたちの足跡を追うとするならば、彼ら自身が持つ装備の情報収集能力に頼らざるをえない。
妻木たちはまず、現時点で自分たちが持つ情報を整理してみた。そこから、VIPたちの行動が推測できるかもしれないからだ。
「事件が起こったのは、サミット開催の直前、ならば通常の判断基準から行けば、すぐにサミット会場へと向かえる様な体制と状況を取るはず――」
妻木はその判断をもとに、引き連れた3人の部下とディスカッションする。それほど遠くへは離れてない。すぐに会場へと直行できるようにしていたはず、故に高速エレベーターや動く歩道などの移動装置のそばに居る可能性がある。
現在の彼らにはビル内の第4ブロックにおいて特に関わり合いを持つ様な場所は存在しない。また、当時は正午に近く昼食を取っていた可能性がある。それならば、どの様な場所に彼らは向かったのだろうか?
僅かな沈黙を置いて妻木が答えを出す。
「彼らは昼食を取りに向かったか、休憩を取るためにレストスペースを探しに向かった可能性がある。この第4ブロックはビジネス街区画を兼ねているためその様な用途に合致する施設はそれほど多くない。その中で、彼らが向かう可能性が最も大きいとすれば――」
今、彼らの目の前には、ビル内の概略図を示した地図パネルが壁面に飾られている。
妻木はそのパネルの上を指し示し、指を滑らせる。
【最上階展望フロア】
妻木は振り返った。
「残りのVIPは間違い無くここにいたはずだ。このフロアから彼らの足跡を追う」
妻木はA班の面々を引き連れると最寄りのブロック内エレベータの扉をこじ開ける。彼らは重装備プロテクターのつま先から何かを飛び出させる。コンクリートはもとより、ハイスチールにすら食い込める打ち込み式の高周波破砕ナイフだ。
妻木たちはエレベーターシャフト内を跳躍し始めた。そして、シャフト内の途中につま先の高周波破砕ナイフで飛びついては、再びさらに上へと跳躍を繰り返す。妻木たちは一路、最上階へとひたはしる――
@ @ @
同じ頃、ジュリアから辛くも逃れたディアリオは一足先に逃走した英国のアカデミーの後を追っていた。そして最寄りの大階段へと向かった。
ディアリオは、英国のアカデミーの人々の足跡を光学スペクトルアナライザで読み取ると、それをもとに追跡を始めた。足跡の残存は大階段を階下へと向かっていた。ディアリオの足音がプラスティックの床に鳴り響く。大階段のステップを確かな足取りで下りて行く。
彼がたどるのは階段のステップの上に残された英国のアカデミーの人たちの足跡だ。それを忠実に辿り最上階の24階下から18階へディアリオは降り立った。
「このフロアだな」
ステップ上の足跡は階段を離れ右折していた。その先へと進んでいる。
青みのかかったグレーに染められたフロアがそこにはある。周囲は雑居のビジネス区画である。
展望フロアの24階とは打って変わり、通路の両側は大小様々なビジネスオフィスが並んでいる。通路の壁の一部は、ガラス張りであり、そこからはオフィスの中がよく見える。そして、オフィスの大部分は空室であった。
「サミットによる特別休暇か」
ディアリオが一人呟く。そして、その手に握ったクーナンをいつでも抜けるように腰溜めに構えている。
「もっとも、普段ならこんなにガラ開きな訳でもないだろうな」
視線を効率的に通路の端々へと送る。その死角の影にいつ先程の様なテロアンドロイドが潜んでいるとも限らない。事実、ディアリオ自身には敵の実数や詳細な情報は何も入っていないのだ。
通路の先を200m程進んだだろうか? そこで一つ目のエレベーター区画に出た。そこには3機のブロック内エレベーターがあった。エレベーターの動作表示のインジケーターは消えている。ディアリオはそのエレベーターの扉にも神経を配る。エレベーターがシャフト内で動作するような音は一切聞こえてこない。聞こえるのは、無音状態の中に生まれる耳鳴りの様な微かな金属音である。
「何も無いな」
ディアリオは先を急ぐ。そして、脚を踏みだそうとしたその時だった。
金属板を強打した時に生まれる間延びした低音が、エレベーターの扉から聞こえてくる。
2、3度繰り返しエレベーターの扉が打たれると扉が僅かに開く。扉の向こうに何かがいる。扉が強引に抉じ開けられる中、ディアリオは反射的にその扉に向け銃を構えた。ディアリオは言葉を発しぬまま、扉を凝視する。そして、扉の向こうの「何か」に全神経を尖らせた。
扉が5秒ほど、無理に抉じ開けられてゆっくりとその隙間を大きくさせて行くが、ある一定の大きさに開くとそこからは急に軽く開いた。開くと同時に扉の根元で電磁火花の散る音がする。扉をひらくモーターのショート音である。
ディアリオの人差し指にかかる力が強くなる。
「なに?」
だが、ディアリオの思考は一瞬停止した。扉の向こうから現れた人物に、意外と言う感情を持たずにはいられない。
「きみたちは――、盤古か?」
扉の向こうでは、一人の盤古隊員が銃を構えていた。その片脚を右手の方の壁面に固定し、もう一人の盤古隊員が別な壁を足掛かりに、反対の脚を支えている。残る二人は、エレベーターの扉を抉じ開ける役目である。銃を構えていた盤古隊員が相手の正体をすぐに理解して銃を降ろす。彼は軽く飛ぶと、エレベーターから降りてきた。
残る3人も順次降りてくる。その手には重武装タイプ専用のカスタム銃が携えられている。一人がエレベーターシャフトから降りるあいだ、残る者たちは自分たちの銃で周囲を警戒する事を忘れていない。4人全員が降りると、最初に降りた盤古隊員が言葉を発した。
「特攻装警だな?」
ディアリオは銃を下げながら頷く。
「自分は、武装警官部隊盤古東京方面大隊第1小隊隊長・妻木だ。現在、サミット関連の未収容VIPを捜索している。もし、貴殿に行動上の余裕があるのならば、協力を要請したい」
「こちら警視庁情報機動隊所属、特攻装警第4号機ディアリオです。現在、サミットに参加予定の英国王立科学アカデミーのメンバーを追跡中です。皆さんの要請を受諾します」
ディアリオは銃を懐に納め直立で相手を直視しながら答える。ディアリオが答え終わると妻木はヘルメットのフェイスをオープンさせる。小さいモーター音が重武装のプロテクターの頭部を開いて行く。そして、そのメットの下からは覗いた妻木の顔にディアリオが声を描けた。
「妻木隊長でしたか」
「ひさしぶりだね、ディアリオ」
2人は互いに知った仲である。特殊な犯罪の最前線に身を置くものとして、互いに協力しあうことがしばしばある。妻木が引き連れている部下たちもディアリオの存在に少なからず安堵したようだ。
「お久しぶりです、それと、先日のヨコハマの一件では盤古の皆さんには大変お世話になりました」
「あぁ、横浜大隊の件だね。礼を言われる程ではないさ。それに我々からも情報機動隊や君には度々助力を頂いているからね。それより本題だが――」
「英国の科学アカデミーの方々ですね?」
うなづく妻木にディアリオは答える。
「最上階の展望フロアで敵テロリストアンドロイドと接触、交戦となりました。警護官の誘導で英国アカデミーのメンバーは全員退避、敵テロアンドロイドを私と特攻装警フィールとで撃退を試みましたが失敗、私は敗走、フィールは破壊され安否は未確認です」
ディアリオが語るフィール破壊の言葉に妻木たちの表情に一様に緊張が走った。
「それで襲撃者の身元は?」
「ディンキー・アンカーソン――、マリオネット・ディンキーと呼ばれる国際テロリストです。実際の襲撃を実行しているのはディンキー配下でマリオネットと呼ばれるアンドロイドと思われます」
「前回の南本牧の一件で日本上陸を果たしたヤツだな。それで、その襲撃者は現在どこに?」
「最上階フロアで振りきりましたが、その後の行動は不明です。まだ英国アカデミーメンバーの殺害を諦めていないはずです」
「ならば、そいつより先に英国アカデミーの身柄を確保せねばならないな」
「えぇ、生存しているSPが護衛しているはずですが、なにしろ敵が敵です。生身の人間の犯罪者とはわけが違う。一刻を争います」
「そうだな、急いで追跡を再開しよう。それと、地上サイドとは連絡はできるかね?」
ディアリオから得られた情報を適切に判断していく。それと同時に妻木たちが一番欲している情報はまさにそれだった。この孤立した第4ブロックと地上サイドとでなんとしても連絡を確保しなければならないのだ。だがディアリオは顔を軽く左右に振った。
「申し訳ありません。私の体内回線でも第4ブロック外部とは交信が遮断されています。このビルの電磁波障害防止のための特殊構造が原因だと思われます」
「そうか、君でも流石に無理か」
「このビルの無線通信回線の外部回線は、このビルの通信システムを中継することで成り立っていますし、肝心の通常ネット回線はすべて敵に掌握されています。おそらくディンキーの配下の者の仕業でしょう」
「君の力でもネット回線の奪回はむりなのかね?」
「できればそうしたいのですが、このビルの最寄りのビルシステムの制御センターにたどり着かないと無理ですね」
「第3ブロックと第4ブロックの間の大規模地盤の中だったな」
「はい、ですがそこに移動するための手段が――」
「分かった。説明ご苦労」
そこまで会話して選択できる手段が大きく限られていることにあらためて気付かされた。まさに万事休すである。思案顔の妻木にディアリオは声をかけた。
「ですが希望はなくなっては居ません」
ディアリオの言葉に妻木は顔を上げる。
「地上サイドには近衛警備課長や、我が情報機動隊の鏡石隊長を始めとする精鋭部隊が居ます。地上サイドからも何らかの救援手段を試みているはずです。それに――」
ディアリオは言葉を続ける。ディアリオの言葉に妻木の表情に安堵の色が挿す。
「私の兄のアトラスや弟のエリオットが待機しています。我々は孤立無援ではありません」
妻木はディアリオの言葉をうなづきながら聞いていた。ディアリオが語る言葉が半ば虚勢を孕んだものであることは薄々気付いている。だが虚勢であってもディアリオが注げる事実は何より心強い。
「ならば我々は我々のできる事を成そう」
妻木の言葉に隊員が頷きディアリオも頷き返した。まだ終わりではない。
「それでは一刻も早く英国アカデミーメンバーを保護しよう。追跡する手段はないか?」
「それでしたら、彼らの足跡は、私の持つ光学センサーで追跡可能です。現に、このフロアまで追跡してきましたので」
「分かった。ならば追跡は任せよう」
「了解です。ちなみにそちらの状況はどの様に?」
「現在、我々は隊を3班に分けて行動中だ。現在までに、未収容のVIPが保護されたと言う情報は一切入っていない」
ディアリオも頷いて答える。
「先程、最上階において、テロアンドロイドの襲撃を受けたばかりですので最上階にそのまま残存しているとは考えられません」
「確かに」
「では追跡を再開しよう。先導を頼む」
妻木はディアリオにそう依頼しながら背後の部下に左手で合図を送った。
「了解です」
そうシンプルに答えると、ディアリオは再び追跡を再開した。
今、妻木がディアリオと遭遇できたことは何より幸運だった。テロアンドロイドの存在を知ることが出来たのも大きかった。なにより、ビルの全管理システムがダウンしている現状では不確かな推測だけに頼るのは危険すぎる。
かたやディアリオの方にも、彼らと行動を共にする事には大きなメリットがある。ディアリオにはあのジュリアに抗するだけの戦闘力は不足している。しかし今は妻木たちの戦闘力の助力を得つつ追跡に専念できるのだ。ならば一刻も早く目的を達成しなければならない。
ディアリオを先頭に彼らは、回廊の先へと向かった。
@ @ @
妻木たちとディアリオとが出くわした地点から少し歩いた場所。オフィス区画のまっただ中ににレストルームのエリアがあった。ちょうどカフェテラスタイプの部屋で、大小様々な丸テーブルが並んでいる。ドアはなく、ついたて型の仕切り板が通路とレストルームとを隔てている。レストルームの周辺には人造の観葉植物が並んでいる。
レストルームの片隅には、観葉植物に囲まれるように英国VIPの面々が座り込んでいた。レストルーム備え付けのパイプ椅子を引き出してその上に突っ伏しっている。
「おい、トム」
「なんでしょうか?」
完全なサンタクロース体形のウォルターが疲れ果てた顔で隣の人物に声を掛ける。そこにはトム・リーが居る。彼もまた疲れ果てている。
「生きてるか?」
「とりあえずは」
トムは苦笑いで答える。トムはパイプ椅子に寝そべっていたが、身を起こすと場を取りしきっている人物に声を掛ける。
「ところで、カレルさん」
「ん?」
立っていたカレルは振り向く。神経質そうに目を細めて思案していたらしく表情が非常にけわしい。
「これからどうするんですか?」
「どうもせんよ。このまま救助を待つ」
カレルの言葉に警護のSPの一人が、驚いて飛び起きる。
「ミスターカレル、その様な判断には同意しかねます!」
「なぜだね?」
カレルは鋭く切れ長な目で淡々と問う。カレルの向こう側には先程のSPが立っていた。
「この様な場所に留まっていたのでは追い付かれる可能性が――」
「それは無い。心配無用だ」
SPの言葉をカレルは遮断した。そのカレルに場の中から声を掛けたのは、英国王立アカデミーの使節団の中で最長老のメイヤーである。
「カレル。彼のためにも詳しく説明してくれんかね」
カレルは頷く。
「なに、簡単な理由だよ」
カレルは対岸のSPを見つめながら告げる。
「こう言う場合、追い付かれる事を考慮するか、隠れてやり過ごす事を考慮するかによって、取るべき行動は変ってくる」
カレルは歩き出す。
「我々を追う人物がどう言う種の者なのかをまず考えよう。先程のホプキンス氏は犯人をアンドロイドだと判断した」
ホプキンスもうなずく。
「通常の人間なら、我々の脚力でも逃げきる事は可能だろう。だが、アンドロイドである先程の犯人の戦闘能力から考えるなら、我々の様な生身の人間の脚力では逃げきれないと考えるべきだ。それにだ――」
皆がカレルを凝視する。カレルは警官の方へと歩み寄る。
「これ以上、逃走を続けていても、先に我々が疲弊するだろう。対して、相手は屈強な戦闘アンドロイドだ。脚力や持久力は我々とは比較にもならない。ならばだどこかに退避していてやり過ごすか、見つからぬようにカモフラージュするのがベストと言うものだ」
カレルに詰め寄ったSPは言葉を発しない。カレルは彼の前に立ちその目を直視する。カレルは直立不動、瞬きも少なく相手を凝視するその姿はもはや一般の学者の姿ではない。
「それにだ、先程のビル内施設の爆破や、この大規模な停電などの事実を考えれば、先程のアンドロイド以外にも犯罪者が潜んでいると考えるべきだ。その様な時に、危険を犯してまで本隊に帰還するのは自殺行為以外の何物でもない」
SPが息を飲み込むと再び問いを発した。
「それではどのようにすれば?」
カレルは静かに微笑みながら言葉を続ける。
「別に、何もする必要はないのだよ」
「??」
「みなも見ていると思うが、先程のアンドロイドは完全なリアルヒューマノイドタイプで、生身の人間に似せる事を最大の特徴としている。故にだ。必然としてああ言うアンドロイドは視覚系のセンサーが弱くならざるをえない。人間に似せて作ったアンドロイドの場合、人間と同じ様に目の中の瞳孔の部分でしか映像を捕らえる事が出来ないからだ」
SPはうなづく。カレルは言葉を続ける。
「しかし、アンドロイドに通常の映像以外の視覚系のセンサー……つまりX線感知やサーモグラフ、あるいは光学スペクトルなどのセンサーからくる映像情報をも見れるようにするためには、必然的に人間と同じだけの『目』のスペースの中にこれだけのセンサーメカニズムを組み込まなければならなくなる。一般に、センサーを強化したアンドロイドは〝目〟以外の部分に追加センサーを設けているか、瞳のない大型の〝目〟を有している」
「そう言うのって、サングラスかけてたり、目の辺りがゴーグルみたいになってるよね」
脇からリーが口を挟む。カレルはリーに頷きながらも話を続ける。
「しかしだ、リアルヒューマノイドタイプのアンドロイドはそう言う手段を取る事が出来ない。故に、リアルタイプヒューマノイドは『目』が余り優れていないケースが殆んどだ。そして、目が人間とさほど変わらないとなればカムフラージュは簡単になる。視覚系に優れたアンドロイドなら我々の足跡からサーモグラフで残熱を感知したり、靴底からこすれて剥がれた残存物をスペクトル光分析で見つけたりできる。だが、彼らリアルヒューマノイドはそうは行かない。仮に感知できたとしても、その性能から言ってこの場の状況から我々の足跡を見つける事は難しいはずだ」
カレルが一息つく。
「現在の状況の場合、我々の存在の証拠となるのは大別して2つある。1つは足跡に残る残熱、もう1つは足跡の底からフロアに写る残存物のスペクトル光だ。その点を考えると、我々が退避するのはここしかないと言う事となるのだよ」
2人のSPのうち、後方で様子を伺っている方は、理解できないと言う顔をしている。だが、カレルに詰め寄った方は、少なくともカレルのテロアンドロイドに対する実戦的な判断に感心と好意を抱いたようだ。彼のカレルに対する顔は、先程の懐疑的な物から感心の様なものへと変ってきているのがよく見える。
そして、カレルのレクチャーを拝聴していて何かに気付いたのか周囲を見回しながら告げた、
「そうか、ここなら足あとがたくさん残っているか――」
ここはオープンに開放されたレストルームだ。万全とは行かないが、足あとや痕跡を紛れさせるのにはもってこいの場所だ。
カレルは黙して頷いた。2人のSPの内、後ろに下がっていた1人は、そのカレルの様子を伺いながら彼の前に座っているガドニックに声をかける。
ガドニックの方はと言えば、彼も若干の疲労を感じたのかうたた寝をしながら一連の出来事を傍観視している。ガドニックは声をかけられて生返事で彼に答える。
「ガドニック教授」
「ん……ん?…」
「つかぬ事をお聞きしますが」
「なんだね?」
「あのカレル氏は一体どの様な方面の学者なのでしょう?」
「あ? あぁ、マークか……そうだな………」
ガドニックは悪戯っぽく笑みを浮かべる。
「少なくとも私達の様な普通のタイプの学者でない事だけは確かだな」
ガドニックはそれっきり答えない。そして、ガドニックに質問した彼は返ってきた答えに解せないでカレルを疑いの目で見つめる。やがて、獲物として狙われる小動物がなりを潜める様に、速やかにその場は静まり返って行く。ただ、神経を尖らせるカレルだけが、その視線を活発に活動させている。
2人のSPはと言えば、カレルにならい警戒に当たる者と、カレルを疑いの目で見つめる者とに別れたのが、特徴的と言えるだろう。
@ @ @
ディアリオの追跡は順調だった。他の足跡に紛れていたとはいえ、ディアリオのセンサー性能の高さと、情報分析能力の優秀さが極めて発見困難な痕跡の検出を可能にしていた。
先ほどディアリオと妻木たちが遭遇した場所から数百メートルほど歩いた場所、そこにアカデミーのメンバーたちの潜伏していた場所が発見された。
ディアリオたちが歩く先に人の気配がする。それも複数。万一のことに配慮してハンドシグナルと視線で合図を送る。そして、足音を潜めながら近づけば、ソファーで疲労を回復させようとしている英国アカデミーの面々の姿を確認したのだ。
一方で、ディアリオと妻木たちの姿に真っ先に反応した者が居た。
2人のSPの内の1人で、先程カレルに詰め寄っていた方のSPだ。彼はカレルにならい、周囲の警戒に当たっていた。その彼の視界に見慣れた姿が見えてきたのだ。彼は立ち上がりカレルに一言断りを入れ、足音を潜めながら駆け出した。
「ディアリオさん!」
「ここに居たのか、無事でよかった。皆さんは?」
SPは右手で周囲のレストルームを指し示しながらディアリオに答える。
「こちらで休まれておいでです」
「そうか、ご苦労様」
ディアリオはそのSPを伴いながらレストルームの中へと入って行く。SPはレストルームの入口に残り、周囲の警戒にあたる。また、盤古の面々はディアリオと共にレストルームの中へと入って行く。
「みなさん!」
レストルームに入ってくるディアリオの姿を、英国のアカデミーの面々は安堵に満ちた顔で迎え入れた。真っ先に立ち上がり声を発したのはウォルターである。
「おぉ、君は!」
「ディアリオです。皆様方の保護のために参りました」
「おぉ、そうか。いや、助かるよ。いやいや何とも心もとなくてねぇ」
ホッとしたのはウォルターだけではない。彼の穏やかな心理状態にディアリオも自分の心理状態も良いものへと変って行くのをしっかりと感じていた。
「他の方々も何も異常はございませんか?!」
妻木もプロテクターのメットを開けながら尋ねていた。彼の問いに場のみんなが各々に頷くなり言葉を発するして肯定的な答えを返す。
「良くここがわかったね」
冷静な低い声で問うたのはカレルである。その視線はディアリオへ向けて送られている。その視線にディアリオは答えた。
「痕跡が消えかかっていたので分析に苦労しましたが、足跡と靴底からの残存物のスペクトル分析で辿りつけました。それより適切な避難誘導をして頂きありがとうございます」
カレルの視線はディアリオの外見に向いていた。先ほど自分の語った解説をもとにするならば、ディアリオの外見は理屈に合わないことになる。頭部のみであるが、そのリアルでより人間的な外見は、彼ら英国アカデミーをエスコートしていたフィールに比肩するものだ。その人間と変わらぬ瞳を有したディアリオにカレルは思わず尋ねずにはいられなかった。
「スペクトル分析かね?」
「はい、私は情報分析とネットワーク操作に特化しています。視聴覚をフルに駆使して工学分析や音響解析、電磁波分析などにも対応可能です」
ディアリオの言葉を耳にして、ロボティックス工学を主分野にしているホプキンスも知的好奇心が押さえられなかった。
「その小さな視覚センサーでかね?」
ホプキンスは小さいと評した。ディアリオは聡明に彼の言葉の意味をすぐに察する。
「私たち特攻装警に搭載されている各種センサーはその工作精度では世界トップのレベルだと聞いています。犯罪抑止の力になるなら技術的努力は惜しまない――そう言う技術者によって私達は生み出されましたから」
ディアリオの言葉にカレルもホプキンスも黙して感嘆の表情を崩さなかった。そこに語りかけたのはがドニックである。
「日本の警察にはね、第2科学警察研究所と言って日本の刑事警察へのアンドロイドの導入を目的とした極めて高度な研究機関がある。彼ら特攻装警は、その研究機関において、現時点で日本が持てる科学技術の最先端を結集させて作られたものだ。
現時点でナンバー1からナンバー6まで存在し、私達をエスコートしていたフィールがナンバー6、彼がナンバー4だ。
フィールは一般捜査活動と対人ネゴシエーションを目的とした機体で、彼、ディアリオはネットワーク犯罪対策と現場鑑識能力の追求が目的なんだ」
「なるほど、我々の追跡など簡単なわけだな」
「あぁ、そういうことだ」
ガドニックの語る事実に、カレルが感心しつつ納得する。
2人以外のアカデミーメンバー面々も同様に得心した様子だった。
しかし、そこにエリザベスが不意に湧いた疑問を口にする。
「ねぇ、フィールさんはどうしたんです?」
それは最もな質問だった。返答に窮する質問だったが、ほんの僅かな逡巡の後、場の空気を澱ませないためにもディアリオは事実を告げることにした。
「フィールは撃破されました」
場の空気が変わる。緊張が一瞬にしてその場に広がる。しかしディアリオは言葉を続ける。
「襲撃者を排除するため交戦となりましたが、敵の戦闘力が上回っていたため撃退するに至らず、皆様の避難のチャンスを確保する事を優先しました。その際、フィールは致命傷を負い機能停止に陥りました。彼女は職務を全うしました」
破壊されたのみならずビル外に廃棄されたことはディアリオは伏せた。皆がディアリオの言葉に耳を傾ける中、カレルがディアリオとフィールをねぎらうように語りかける。
「一般捜査活動メインの彼女ではあのテロアンドロイドとの交戦は負担だったろう。それでも彼女は我々のために全力を尽くしたんだ。彼女は立派だよ。彼女のためにも我々もなんとしても生き残らねばならない」
カレルの言葉を耳にしてエリザベスが頷く。
「えぇ、そうね」
その言葉がきっかけとなり、皆、立ち上がって次の行動を取り始める。アカデミーメンバーの皆がカレルの言葉を待つ中、カレルはディアリオと妻木に視線を送りつつ、妻木に語りかけた。
「それで、これからどう行動する?」
妻木はメットをかぶり直していたが、他の盤古隊員に指示を出しつつ、カレルの言葉に答えていく。
「少なくとも1階フロアに降りるのは危険です。この外周ビルの数カ所にビル火災時に使用される避難シェルターがあります。そこへ移動して皆様の安全を確保します。さらに私の部隊の別行動班とも連携して襲撃者の動向を把握します。先導は私が行いますので、皆様は指示に従ってください。それと生存している警護官2名は私の指揮下に服すること」
妻木は冷静に理路整然と行動プランを解説した。そして、生存していた2名のSPにも指示を出す。妻木のその言葉に異論を唱える者は居なかった。
「ではよろしく頼みます」
カレルの言葉に妻木は頷く。その妻木にディアリオも声をかけた。
「私は外部との連絡手段を確保してみます。絶対に何らかの方法があるはずです」
「分かった。収穫があったらこちらにも連絡してくれ」
「了解です。それでは妻木隊長。皆様方の事はお願い致します」
妻木ははっきりと頷いた。そして、短めに――
「出発」
――とだけ答えたのだ。
ディアリオは妻木たちがアカデミーメンバーを守りつつ立ち去るのを見送ると、その場から姿を消した。
彼は一路、階下へと向かう。ビル内システムの管理センターに何らかの手段が残されているかもしれないからだ。ビルの構造体が破壊されたとはいえ、管理センターにたどり着く手段が何かしら残されている可能性が無い訳でもない。
「本当の勝負はこれからだ」
その時、ディアリオの目に「決意」と言う名の光が宿り始めていた。
@ @ @
今、グラウザーはまさにモグラそのものであった。
ひろきにサヨナラを言った後、グラウザーは彼の父親を助けだした所に着いていた。
グラウザーは押し潰されたモノレール車両の中をくぐる。
長い暗闇と異様な圧迫感の中、グラウザーは先へと進む。
その穴の先に微かに見える薄明るい光がグラウザーの興味の全てである。
「あの光はなんだろう?」
グラウザーはひたすら光をめざす。
その暗闇との長い格闘の末にグラウザーはモノレール車輌を抜け出た。
漆黒の闇の中から、光の場所へと脱出する。
その目に振り注いでくる光に、グラウザーはほんの僅かに苦痛を覚える。そして、全身を使って精一杯の背伸びをする。
グラウザーは、背伸びを終えて身体の力を抜いた時に、気分が楽になりどこかへ広がるのを感じていた。何か楽しい事が起きそうな、理由の無い興奮を覚え、すぐそばの高見を目指す。
今グラウザーが出てきた場所の背後にモノレール車輌の切れ端がある。グラウザーはそこを登り静かに立ち上がった。跡切れた軌道の先に突き出たモノレール車輌に立てば、その視界の中に新たな映像が飛び込んでくる。その周囲には何も無く、あるのは爆破によって崩壊した外周ビルの巨大構造材の残骸だけで、それは折り重なるように崩れている。
その崩れた構造材の大きな隙間からは、第4ブロックの様子が伺い見る事が出来た。ちょうど、箱庭を下から覗きこむ様な不思議な光景である。グラウザーがそこから見たのは、ビルの広場で動き回る白い鎧で、そして、それがグラウザーに新たな好奇心を引き起こした。
「ん?」
グラウザーは見た事も無いその白い鎧を、さらに詳しく見てみたいと思った。そのためにはここから別な所へと移りたいとも思った。
ふと見下ろせば、決して飛び降りれない高さでは無い。だが、飛び降りた後に進む場所を探しても、周囲は崩れた鋼材に阻まれてどこにも行けない。
すぐにあきらめ上を仰げば、モノレールのレールが途中で跡切れてぶら下がっている。モノレールの軌道もふさがっておらず、軌道を辿れば先へと進む事も出来る。グラウザーはそこから行く事に決めた。
そのモノレールの跡切れた部分は十mほどはあるだろう。グラウザーはその先の一点をじっとみつめている。
「よいっ……」
グラウザーは両脚を屈めていく。そして、貯めた力をバネの様に弾き出す。
「しょっ」
グラウザーはその声を発すると、序走なしでいとも簡単に飛び上がった。頭上のレール軌道へと飛びうつるその姿は嘘の様であり、大昔のSFX映画のワンシーンを思い出させる。
たどり着いたグラウザーは一人満足そうに笑うと、ふたたび歩き始める。
今、彼の心には「白い鎧」と言う一つの興味の対象があった。どこに行けば逢えるだろう? グラウザーはそんな風にも考える。そして、興味と好奇心と言うエネルギーを掴んで軽快に歩き始める。
そう今の彼の示す行動の動機に加わった物――、それは、白い鎧への好奇心である。その頃、ディアリオが去ったのちのレストルームでは、これからの行動について妻木たち盤古が思案していた。その妻木のもとへ鋭い電子音が鳴り響く。
電子音は彼らが装着しているメットの内部から聞こえてくる。
「何事だね?」
カレルが問う。
「お待ちを」
妻木は思考波操作でメット内の通信回線を起動させる。
「妻木だ」
「報告! 不審人物と接触!」
「詳細を話せ」
「人間と思わしき者と接触するも、不穏な行動をとるため引続き警戒中! 攻撃の可否の判断を斯う!」
「襲撃犯の一味か?」
「確定できません。敵対的行動は今のところ見られません」
妻木はわずかに思案する。
「攻撃は今しばらく待て。但し、危害がおよぶ様であるならば攻撃を許可する」
「了解!」
それっきり通信は切れた。妻木にカレルが問うた。
「何だね? 何と君の部下は接触したのかね?」
「わかりません。判断材料が不足しています」
妻木の言葉にカレルは思案すると声を潜めて語りかけた。
「もしかして――」
その言葉は穏やかだったが、確かな力強さがある。
「襲撃者の名前は〝マリオネット・ディンキー〟ではないかね?」
カレルの言葉に妻木は周囲に悟られぬように無言でうなづく。
瞬間的に険しくなるカレルの表情に、妻木も事態の深刻さをあらためて実感せざるを得なかった。
次回、第1章第12話 『群像 -地上で抗う者達-』