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第9話 『約束』

朝刑事のもとを離れてしまった彼は、どこへとたどりついたのでしょうか?

そこでは、ひとつの出逢いが彼を待っていました。


第1章 第9話 『約束』


本作品『特攻装警グラウザー』の著作権は美風慶伍にあります。著作者本人以外による転載の全てを禁じます

這部作品“特攻装警グラウザー”的版權在『美風慶伍』。我們禁止除作者本人之外的所有重印

The copyright of this work "Tokkou Soukei Growser" is in Misaze Keigo. We prohibit all reprints other than the author himself / herself

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 龍は天空を目指す。一心に己れの目指す天の一点を志す。

 この若者にその様な思いがあるかどうかは定かではない。


 その若者の名は〝グラウザー〟

 特攻装警の第7号機だ。


 その彼が歩んでいる場所は、龍の胎内の様に螺旋形状を描き大きく曲がりくねっている。第3ブロックと第4ブロックを隔てる地盤を貫いている螺旋モノレール軌道。だがそれは爆発物で破壊されていて使用は不可能だ。それはゴンドラエレベーターも同様である。ただし1ヵ所を除いて可能性は残されていた。

 それは全くの偶然だったがグラウザーが乗り込んでいた螺旋モノレールの軌道のルートは、完全に押しつぶされては居ない。不完全ながら通路の構造は残されており、非常灯のクリーム色の光を頼りに進むことができていた。

 モノレール軌道の上の中央には蛍光性の塗料で描かれたセンターラインが浮かび上がる。そのセンターラインと非常灯の灯りを手がかりにグラウザーは確実に歩みを進める。


 モノレール通路の空間は無人だ。そこにはグラウザーが話す相手は誰もいない。だが彼の表情はどこか楽しそうであり、物怖じしているようには見えなかった。自分の取っている行動の全てが面白くてしょうがない。目の前に現れる事物の全てが不思議でたまらない。今も彼にしてみれば、突然停止したモノレールはどうして停止したのか不思議でたまらないのだ。また、彼の目の前に延びるモノレール軌道はどこへと繋がっているのか知りたくてしかたがない。

 今彼は、自分が何かをしなければならないと根拠なき使命感にかられていた。そして、湧き上がり続ける疑問に突き動かされるがままになっていた。誰もが記憶の彼方の幼い頃に類似の経験があるだろう。目的も理由も無くとも、気分の高揚そのままに始めた小さな冒険が。グラウザーのその行動はまさにそれだ。


 今の彼は、無邪気な少年そのままだった――

 


 @     @     @



 それから、十数分ほど歩いただろうか。それまで単調だった風景にある変化が現れる。彼の前にモノレールの車体が見える。

 モノレールは軌道のトンネルを塞いでいた。彼の前方の空間は完全に遮断されている。

 周囲は完全なトンネル状の閉じられた空間である。モノレールの軌道の片側には、メンテナンス用の通路もある。だが、その先をそこから覗いても何も見えない。見えるのは崩れ落ちて閉じた暗闇だけだ。


「どうしよう」


 グラウザーは方々を見回す。そこでグラウザーは思い出す。グラウザーは自分が先程の車両から出てきた時の場所を思い出す。彼はモノレールの車体を調べると非常口を開ける赤いレバーが収納された蓋を見つけた。


「あった!」


 そう呟き、グラウザーはレバーを覆っている透明プラスティックのカバーを叩き壊しレバーを操作する。間を置かず圧縮空気の軽い動作音がして非常口の扉が開いた。


「失礼します」


 グラウザーは車内に侵入しながら告げたが、そのあいさつに反応を示す者は居ない。なぜ、無反応なのか? グラウザーはその理由を、その場の状況から本能で感じ取った。視線を走らせ周囲の状況をつぶさに観察すれば、視界に入ってきたのはモノレールの座席の蔭にうずくまる多数の負傷者である。

 皆、背広やスーツなどで正装している。その服装はグラウザーにあるインスピレーションを与えた。


「これって、朝さんが言っていたサミットの人たち?」


 グラウザーは彼らの元へと駆け寄った。負傷者の一人を見つけ、その者に近付くとその負傷者の状態を手早く観察する。彼が調べたその結果ではみな気を失っている。いずれも何の反応も無く横たわっている。

 

「救助だ――」


 眼前の光景が彼の脳裏にひらめきをもたらしたのか、漏れてきたつぶやきは、無邪気な迷子のそれではない。明らかに警察と言う組織に立つものが出せる言葉だった。

  

「助けなきゃ」


 深い思案はしなかった。考えるよりも早く自らの臭覚センサーに感じたものにグラウザーは危険を感じたのだ。

 グラウザーは車両を前方へと駆けていく。その視界の中に飛び込んだのは災害と呼ぶにふさわしい光景だった。濃厚に黒く染まった煙が、燃え盛る炎から立ち上る。気流が車両の先頭からグラウザーの居る方へとなびいてくる。


「火災だ」


 グラウザーは言うが早いか駆け出す。駆けながらも周囲に目を配りある物を探す。車両の外のビルの壁、その床に近い方に小さなガラスケースがある。


――非常用消化装置作動レバー――


 透明プラスティックのカバーに覆われたイエローの警戒色のレバーを見つけると、グラウザーはそのカバーを叩き壊してレバーを握り締めた。しかしそれは容易には動いてはくれない。

 

「熱っ!」


 火災の熱がそこまで届いていた。熱に耐えながらレバーを満身の力で引き続ける。だが周囲の壁の中の鋼材が飛び出してレバーを挟んでいる。

 

「これが邪魔しているのか」

 

 グラウザーはそれに気付いた時に周囲を反射的に見回す。車両が潰れている。潰しているのはこのビルの構造材。爆破されたかの様に吹き飛んだ周囲がこのモノレールの車両を押し潰している。どう考えても腕力でこのレバーは動かせないだろう。

 

「でも――」


 やるしかなかった。今、応援を求めている余裕は無い。

 

「僕がやるしか無い」


 グラウザーは再びレバーに手を伸ばした。炎で加熱されたレバーに手を触れれば右の手のひらの人造皮膚が焦げるような臭がする。グラウザーはアンドロイドだから痛みは破損箇所の警告程度の意味しか無い。だが、イメージとしての苦痛はその脳裏で感じている。

 

「ぐうっ!」


 歯をくいしばり全ての力を振り絞る。呼吸を遮る黒煙と炎の熱に抗いながらレバーとそれを阻害する異物との戦いを続けた。そして、グラウザーとレバーとの格闘が数分ほど続いた時、先に根を上げたのは異物の方である。


 レバーが少しづつその位置を変えている。グラウザーの右腕が発する力が、変形していた構造材もろとも動かしはじめたのだ。金属と金属とが擦れ合う不快な音を立ててそれは確かに動いている。レバーが動けば、そのレバーの本来の機能が働くはずだ。

 グラウザーがレバーを限界まで引き切ればモノレール通路の周囲に数機設けられていた消化装置が作動を始める。機械式の消化装置が圧搾空気で動き出し、あらゆるタイプの火災に反応する万能型の消化液を噴霧ノズルで撒き散らした。


 閉鎖された空間で広がっていた火災の被害だったが、元々の火の手はそれほど大きくは無かったようで消火装置が動き出せば速やかに消火をされる。数分もせぬ内に火災はおさまり、その車両の中にひとまずの静けさが訪れた。グラウザーはふたたび、視線を走らせる、その視線の向かうところ全てに累々と倒れている人間たちが居る。

 火は消えたが、まだ煙は残って視界を邪魔している。そんな中でグラウザーは眼前で倒れている人々を車両の外へと運び出し始めた。


 一度に2人を抱えると非常扉から彼らを運び出し安全なモノレール軌道上へと連れ出す。

 周囲を見回し手頃な退避場所を探す。すると十メートルほど走ったその先に、モノレール軌道の脇に重厚な鉄製扉が見えてきた。その扉の表にはこう記されている。


――第3ブロック、管理センターフロア――


 かつてディアリオたちが居たあのフロアだ。

 グラウザーはその扉に手をかけ押し開く。扉は意外なまでにすんなりと開く。扉の中の空間は少し広めのホールである。おそらくは、物資搬入用か非常用のモノレールターミナルスペースなのだろう。怪我人を休ませるには十分である。

 グラウザーは目についた全ての怪我人や乗客をモノレールの車内から運び出し、ターミナルスペースへと移動させる。運びだした人数は十数名程度で症状は様々だった。

 

「救助の次は――」


 一つの手順の終了を確認すると、グラウザーの脳裏に自動的にデータが展開される。

 

【 緊急救命作業手順マニュアル       】

【 状況:構内火災、煙害          】

【 必要対応内容:一酸化炭素中毒の恐れあり 】

【        熱傷重症者を確認     】


 グラウザーは自ら来ていたジャケットの上着を脱ぐと、その裏側にある幾つかのポケットを開いた。

 その中には応急用の簡便な救急ツールが備っている。その中から電子マニュアルの記述に従い、必要な道具を準備していく。


「朝さんと、課長にも教わっていたけど――」

 

 大切な人からの指導と、警察用途のアンドロイドとして自らの中に予め備えられていた物とを駆使して、今、やらねばならないことをグラウザーは自ら導き出していた。

 

「まずはトリアージだっけ」


 トリアージ――、救急現場での救急必要度の順位付けだ。その視線を走らせ視覚で得られる情報を元に高速で状況を分類していく。

 

【 要度A:呼吸低下3名、人工呼吸優先   】

【 要度B:頭部外傷5名          】

【 要度C:他、軽度熱傷          】


「まずはAの人たちからだ」


 グラウザーの脳裏に不意に〝不安”が湧いてくる。指導してくれる人が居るわけではない。失敗すれば大切なモノが失われる。それは自らの行動を自らの判断で行うときには必ずついて回る物だが、それを〝責任”と言うものだとは彼はまだ気付いては居なかった。

 

 でもやるしかないのだ。

 意を決して踏み出せば、涙路署に配属されてからレクチャーされた事を呼び起こしながら、体内の電子マニュアルを参考に救急の医療処置の方法を探し出していった。

 襟元を弛めニールセン方式で人工呼吸を行なう。短時間の内に、的確かつ正確に要度Aの3人を介抱する。酸素吸入器の必要があったが、そこはグラウザーは自分自身の機能を駆使することで切り抜けた。

 

【 グラウザー、呼吸系統応用機能作動    】

【 酸素交換フィルター、酸素発生モード   】


 自らの体内で酸素を生成、人工呼吸の際に純酸素を一気に吹き込み短時間で一酸化炭素中毒の悪化を回避する。一名、心停止仕掛けたがそこは心臓マッサージで切り抜けた。

 その次は頭部外傷の5名だ。

 自らの視覚で傷の状態と深さを判断し止血を行っていく。肋骨を骨折するものが1名いたが、余分な着衣を利用して身体を固定した。

 残る熱傷だが、幸いにして重症者は居なかった。皆、軽症であり、吸い込んだ有毒ガスもわずかである。ほとんどが簡便な処置ですんだ。


「大丈夫ですか?」


 グラウザーは一人一人にそう声をかけて回った。

 声をかけてから負傷者が目を開けるまでは、グラウザーもさすがに不安を隠せない。わずかにくもる眉の下で、純粋な瞳が負傷者を見つめている。やがて負傷者が気を取り戻し目を開くと、その視界の中に見慣れぬ若者を見る。

 眼前のグラウザーにある者は驚き、ある者は安堵する。中には、彼に助けられた事に感極まって泣き出して抱きつく者も居た。グラウザーが各々に声をかけて歩けば、症状が悪化するような事は今のところ確認できない。

 

「なんとか大丈夫だな」


 だが最後の一人、一つの小さな声にグラウザーは本能的に引かれた。


「お父さん――」


 確かにグラウザーの耳にはそう聞こえたのだ。力の無い声の響に不安の色を感じ取る。声のする方に足早に歩きだせば、その視界の中には小さなシルエットを見つけた。


 通常の光ではその者の姿は判然としないだろう。だが、グラウザーの目は機械の目、普通の生身の人間を越えた人工の目である。その目に写る映像の周波数を変え、赤外線の暗視映像をだぶらせる。そして、暗闇の中に佇む声の主を彼は探し出した。


「お父さん、お父さん、どこ?」


 小さいそのシルエットは、自分の父親を探して歩き出していた。グラウザーはそこに駆け寄る。そして、少年に己れの呟きを語りかける。


「お父さん?」


 グラウザーの心の中に沸いた疑問からその言葉は思わず出てしまった。グラウザーはその首をかしげると、その少年の顔を見つめた。

 暗がりの中にも微かな灯りはある。少年からもグラウザーの姿は見えるらしい。あいも疑問いっぱいの表情で少年を見つめるグラウザーに、その少年は微かな呟きで返事を返す。


「うん」


 少年はそれっきり答えない。グラウザーからの返事をじっと待っているのだ。だが、グラウザーの疑問に満ちた表情はやむ気配が無かった。グラウザーはその少年に問うた。己れの中の素朴な疑問を。


「お父さん、って……何?」


 グラウザーの疑問はひたすらピュアである。混じり物無しの100%な疑問だ。そもそも今のグラウザーには〝肉親〟と言う概念がまだ理解出来ていない。社会的な人間同士の関係性をようやく理解し始めたばかりなのだ。毎日、所轄の職場で目の当たりにする上司・部下の上下関係や、先輩後輩や同僚と言った概念はなんとか頭に入っていたが、生みの親と言う現実はアンドロイドの身の上故にか、飲み込みきれないのだ。

 だが、グラウザーが少年に対して告げた言葉は普通の人間の基準では完全に的外れだ。そしてそれはその少年からしてもありえない問いかけでありショッキングなものだ。

 少年は目の前に現れた分けのわからない相手に、その胸の思いをストレートに叩きつける。泣き腫らした顔で、思い切り息を吸うと、半ばやけとも取れる勢いでグラウザーに向けて叫んだ。


「お父さんって………お父さんは、お父さんじゃないか!」


 当然だ。恐怖と不安が占める気持ちの中で、あまりにも支離滅裂なその質問は、その恐怖と不安の一部を小さな苛立ちに変えるには必要十分である。


「え? ええと――」


 グラウザーの心の内に巨大な疑問を抱えた。理解と経験が不足しているグラウザーでは少年の吐き出した言葉を処理するのは困難だろう。次の対応にも戸惑うほどだ。

 だが少年は、眼前の相手の奇妙な反応についに我慢し切れなくなった。大きな不安と小さな苛立ちが、少年をターミナルルームの入口の鉄扉の方へと走らせた。


「あ! 君!」


 グラウザーの本能が少年を追わせた。理解は出来ないが判断は出来る。少年を助けなければいけないのだと〝感じる”のだ。 

 グラウザーは後を追いその少年の肩口に手を伸ばす。だが少年はグラウザーの手が自分の肩に触れるのに気付いた。嫌なものを振り切るように、少年は思い切り肩を振り回す。言葉ではなくその行動が少年のグラウザーに対する咄嗟の気持ちを現している。このまま無理に近寄っても無駄だろう。


 走る速さをわずかに上げて、グラウザーは両の手をその少年の脇の下へと伸ばす。タイミング良く少年の身体を捕らえると、思い切り頭上へと掲げ上げた。


「わっ」


 少年は思わず驚きの声を上げる。突然、自分の身体が宙に持上がれば、誰だっておどろくだろう。グラウザーはそのままその少年を自分の肩車すると、そして両腕でその少年の身体をしっかりと押さえる。少年が自分の身体にのったのを見計らってグラウザーは、声をかける。


「いっしょにさがそう」


 その素直な言葉に少年はグラウザーに対する気持ちをすぐに変えた。


「ホント!?」


 甲高くも力強い質問に、グラウザーはにんまりと笑って頷いた。


「やくそくだよ!」

「わかった、やくそく!」


 少年が何かを思いたったかの様に自分の小指をグラウザーへと差し出す。グラウザーもその小指に習い指し出した手を自分の小指に替えて少年に答える。少年がようやく笑みを浮かべながらグラウザーの小指に自分の小指をからめている。それが何を意味するのか知らないグラウザーだが、それでも少年と交わした会話の内容を思い出し、その小指の意味を直感的に悟った。


「やくそくっ!」

「うん!」


 少年が小指を振り回す。それに合わせてグラウザーの小指を振り回す。少年が意識せずともごく自然微笑んだ。そして、その少年の笑い声がグラウザーの心の底からナチュラルな笑いを引き出す。

 言葉無く疲れ果てて横になっている者たちが居並ぶ中をグラウザーは歩き、その中に居るかもしれない少年の父親を見つけようとする。視線をゆっくりと振りながら歩いて行けば、彼のその肩の上で少年が父親を探して助け出された人間たちを熱心に見つめている。父親を探す事に夢中で、なんの返事も返さなくなった少年にグラウザーは話し掛ける。


「ねぇ?」

「なぁに?」


 ふと、グラウザーの方に視線を向けると、また、あたりの人たちへと視線を戻す。


「君のそのお父さんて、どんな人かな?」

「うーん」


 少年は少し考えた風になる。相応しい言葉が見つからないのか口をつぐんだままだ。


「それが解らないと、探せないよ」


 少し困ったような口振りに急かされて、少年はとりあえず見つけた言葉をグラウザーに返した。


「おっきい人!」

「おっきいひと?」


 少年は満足げに頷く。かたやグラウザーは少年の少しピントのずれた返事に眉間に皺を寄せ当惑していている。しかしそれを言葉に表さずに少年との会話を続けることにした。


「うん、お父さん背がとても高いんだ」

「へぇ」

「お父さん、野球が巧くてさ、よくキャッチボールするんだ」

「キャッチボール?」

「うん、でもボクはあまりうまくないんだ」

「そうか、うまくないんだ。なんでだろうね?」

「わかんない。毎日練習はしてるんだけど」

「ふうん。でも、お父さんが教えてくれるんでしょ?」


 やさしくも柔和で澄んだ視線が少年を仰ぎ見ている。その視線に少年は答える。


「うん」

「だったら、きっと君もうまくなるよ」

「ほんと?」

「うん、ほんとだよ」


 グラウザーの言葉は、不思議とその少年の心の中に染み入る様に入り込んで行く。先程まで、くしゃくしゃに泣いていた時の面影は、今のその少年には何も残っていない。グラウザーのその明るさが少年の心を輝かせていると言ったら言い過ぎだろうか。


「お兄ちゃん、野球する?」

「野球ってなに?」


 グラウザーの返事に少年は素直に驚く。


「お兄ちゃん、野球やった事ないの?」


 少年は、少し言葉を止めて考えたふうになる。


「よーし じゃ、こんどぼくとやろうよ!」

「キミと?」

「うん! ぼく教えてあげる!」


 少年なりの精一杯の好意がおくられる。


「ホント! でも大丈夫かな」

「大丈夫だよ、お兄ちゃんにもできるよ!」

「わかった、きっとやろう!」

「やくそくだよ!」

「うん、やくそく!」


 グラウザーが答えれば少年の方から手を差し出してくる。そして指きりをし、2人は笑い合った。

 そんな中で、2人はターミナルルームを練り歩く。

 だが、喜べるような出来事は残念ながら見つからなかった。

 一人一人を確認しながら進む2人だったが、ついにラストの一人になった。


「この人?」


 グラウザーの尋ねに、少年は弱々しく首を振る。よく見れば、少年の顔はまた再び泣き顔に戻りつつある。その泣き顔は、さすがにグラウザーの心に小さな傷みをもよおした。泣かせたくないと、グラウザーが思ったとしても不思議ではない。少年を泣かさないようにと彼なりに思案する。


「ねぇ、キミ」

「なに? お兄ちゃん」


 返事にさすがに元気は無い。


「キミのお父さん、ここに居ないのかもしれない」


 グラウザーは何かに気付いた。気付いたからこそ、低く冷静な声で告げたのだ。

 だが皮肉にも、グラウザーの告げた言葉が、少年の胸に一抹の不安を呼び起こした。


「どこにいるの?」


 少年のその問いにグラウザーは少し沈黙する。沈黙ののちに、少年を自分の肩から降ろすと近くの壁ぎわに彼を連れていく。そして、グラウザーは答える。


「今、さがしてくるよ。キミはここで待って――」


 グラウザーの告げる言葉をさえぎり少年は叫ぶ。


「いやだ!」


 少年の目がグラウザーを射抜いていた。真摯でひたむきな瞳がグラウザーに語りかけてくる。その瞳はグラウザーに、彼はなまじの言葉では納得しないだろうと、感じさせる。グラウザーは少年の両肩を掴むと、力を込めた声で語りかける。


「だめだよ、ここで待つんだ」


 グラウザーのその頭脳で想定される状況を速やかにシュミレーションしていた。そして、想起される嫌な予感からも、その少年をいっしょに連れて行く訳には行かないと判断していた。とても危険な状態が起きているように感じられてならないのだ。

 先ほどの火災は食い止めたが、それ以外の災害が起きている可能性は十分にある。有毒ガス、二次爆発、漏電、落下――考えれば数え切れないほどだ。それを思えばこの少年には、なんとしてもここで待っていてもらわねばならない。

 そんなグラウザーの思いとは別に、少年にも切なる必死の思いはある。そんな思いが、グラウザーの言葉を受け入れなくさせている。


「お兄ちゃん、お父さんをいっしょに探してくれるって言ったじゃないか! 約束したじゃないか」


 涙目で叫ぶ少年、その姿が少年の必死の叫びとともにグラウザーの視界に飛び込んでくる。グラウザーは言葉を無くす。

 思案にくれてるグラウザーだが、ふと、その手に何かの感触を覚えた。濡れている、数敵の涙がグラウザーの手を濡らしている。真剣になってグラウザーは思案した。何よりも、その少年の思いが今のグラウザーの心の中を占めている。

 その瞬間、グラウザーの脳裏の中、判断は決まった。


「名前は?」


 そっとグラウザーは尋ねる。


「ひろきだよ」

「ひろき。いっしょにきてもいいけどそのかわり約束して欲しい」

「そのかわり?」


 グラウザーが少年をじっと見つめていた。


「泣いちゃだめだ」

「――うん」


 少年はそっと頷く。グラウザーの言葉を胸の中に納める。そして、自分の手で浮かべた涙をぬぐう。


「じゃ、お父さんを、助けに行こう」


 グラウザーの言葉に少年は頷いた。グラウザーはそっとその手を差し出し、2人はしっかりと握り合う。そして、少年はグラウザーに手を引かれながら、その先へと進んだ。

  

 グラウザーは脱いだジャケットを着こむと、再びその少年・ひろきを肩車してその場から移動する。ターミナルルームから出て、モノレールの軌道上へと向かう。ターミナルルームを閉ざしていた分厚いスライド式鉄扉をくぐるとそこにモノレールの軌道がある。

 グラウザーが扉をくぐり身を乗り出した時、ひろきは眼下に広がる光景に恐れをなした。


「わっ」


 ひろきの眼下に幅/深さともに1mほどの側溝がある。モノレールの軌道の左右の所々に備るメンテナンス通路や非常用の退避エリアだ。通常ならばターミナルルームとモノレールの車両との間に橋の様なものが渡されるのだろうが、渡されるべきその橋は、今は側溝のその下の方に収納されている。

 グラウザーの方からはその折り畳みの橋には、あきらかに手が届かない。


「お、お兄ちゃん」


 ひろきが慌てて呟いたその言葉をまったく意に介さずにグラウザーは数歩後ずさった。ひろきは思わずその目をつむる。その一方で、数歩のステップを軽くならしてグラウザーは飛んだ。微かに笑みをグラウザーは浮かべている。右足が目標となる場所を目指している。目標は1m程の幅しかないモノレール軌道である。

 グラウザーの足が、そのモノレール軌道を捉らえた。しっかりと彼の両の足がモノレール軌道の上にたどり着きその足場を固めた。

 グラウザーがひろきの様子を伺えばひろきは完全に表情を凍りつかせていた。


「大丈夫?」


 もう一度グラウザーは尋ねる。グラウザーにしてみれば、ひろきがなぜ震えているのか理解しえない部分もあった。両眉をいっぱいにしかめてひろきが答える。


「ふんっ」


 ひろきは少し露骨にグラウザーにすねて見せた。そんなひろきをグラウザーは思わず笑った。

 そのまま、2人はモノレールの軌道上を歩いた。それほど長い距離ではないが、モノレールの車両が見つかるまで、かなりの距離があるように2人には感じられる。特に、ひろきにはその静かな空間が何よりも恐ろしく思えてくる。


 だが、ひろきはじっと待った。今はグラウザーの事を信頼して事の成り行きをまかせている。ひろきはグラウザーの次の行動をただじっと待っているのだ。

 長い沈黙の後に、やがてモノレールの車両が見えてくる。その車両の前面には、先程、グラウザーが開けた扉がある。その扉の中に広がる暗闇が自分たちを待っているようにひろきには感じられる。

 モノレールの軌道があるそのトンネル内は、災害時の非常灯がわずかな灯りを提供している。だが、モノレールの車両内はほとんど何も見えない。


 その時、グラウザーがひろきを肩から降ろした。ふと、後ろを振り向き、少年をモノレールの軌道レールの上に降ろして立たせる。グラウザーは何も答えない。ひろきをそのままにすると、モノレールの車内の中に潜り込んで行く。


「ねぇ、お兄ちゃん」


 心細さが増す中を、ひろきはグラウザーの背に問いかけた。だが、グラウザーは答えない。ひろきが後を追いすがるが、グラウザーのその顔を見れば、笑みの混じらない極めて真面目な顔である。ひろきは理解する。今はグラウザーも大変なのだと。だから待った。彼の方から話し掛けてくれるのを。

 そして、2人は先へと進み、2両編成の車両の中をその最前方向けて歩いて行く。


 煙が止んでいた。さっきたくさんの人を助けた時は鎮火が済んでいなかったために、車両の中の全ての様子が見えていた訳ではない。無理に車両の中の全てを探るよりも、目の前の負傷者たちを助ける方が先ではないかと、ただ単純に考えたのだ。


 だが、今なら見える。今なら、グラウザーの視界をさえぎるものは何もない。

 グラウザーは見た、モノレールの車両の最も奥を。そして、そこに見えたもの、

 潰れた車両と、その間に挟まれた何かだ。


「お兄……」


 かすかにひろきは問う。目の前に広がる光景に、ひろきは言葉をどうしても続ける事が出来ない。

 冷静な表情のグラウザーが、その眉間に一本の皺を寄せる。眉の両側が釣り上がり、その驚愕の表情が今が非常に危険な状態である事をとっさに理解させる。


「お父……」


 言葉を詰らせるひろきを降ろしそこへ差し置くとグラウザーは駆け出した。満身の力を込めて、彼は駆ける。スチールと合成樹脂の床が音を響かせた。


「お父さん!」


 ひろきは叫んだ。叫ばずにはいられなかった。そののちにひろきを虚脱が襲った。あまりの事態に冷静な判断ができなくなる。ひろきは泣き出したかった、涙腺がゆるみかけていたのも事実だ。だが、それを敢えて堪える。ひろきの視界には自分の父を救おうとするグラウザーの姿がある。その姿に先程の約束を思い出す。約束したのだ。ひろきは泣くわけにはいかなかった。


 その間にも、グラウザーは車両の潰れたその箇所へ飛びついた。なんらかの衝撃で、ビルの構造材が吹き飛び、それがモノレールの車両を押し潰したのだということまでは、グラウザーもすぐに理解した。


 理解の次は決断である。構造材はどれくらいの物で重量はどれほどなのだろうか? そして、もち上げる事は? あらゆる状況と情報を類推してグラウザーは決断した。


 潰れた屋根の一部に取りつくと満身の力を込めて、それをもち上げ始めた。


――上がるの?――


 ひろきはグラウザーの姿を見て、そう思わずには居られない。さすがにグラウザーのその姿にえも言われぬ違和感を感じるのが解る。だが同時に、そのグラウザーが必死である事も解る。今はただ、じっと成り行きを見守る以外に無い。

 

「ぐっ! ぐうううう!」


 やがて、少しずつゆっくり、屋根がわずかに持上がって行く。だが、今のグラウザーは中腰の体勢である。このまま持ち上げようとするには難しい。

 グラウザーはそっとその屋根を離す。幸い、離しても屋根は落ちてこない。


 その男はグラウザーの方に頭を向けうつ伏せに倒れている。グラウザーはその男……ひろきの父の両腕を脇の下で掴むと静かに引いた。だが、ひろきの父は出てこない。

 足が引っ掛かっている、


 ひろきの父を助け出すには、さらに車両の屋根を持ち上げる以外に無い。

 中腰で持ち上げた時に、人一人が潜り込めるだけのスペースがなんとか確保できている。今なら潜り込める。グラウザーはそこに潜り込んだ。仰向けの姿勢でモノレール車両の屋根を満身の力を込めて持ち上げる。さすがにひろきもその姿に驚きを感じずには居られない。

 人間業ではない。

 ただその違和感を恐怖として感じなかったのは、目の前で繰り広げられる救助活動の必要性を何よりも理解しているからだ。

 金属が軋む不快な音を立ててモノレールの屋根はゆっくりと持上がって行く。

 持ち上がり、人一人を助けるのに必要十分なスペースがそこに出来上がった。


「ひろき!!」


 ひろきがその声に驚く。


「引っ張れ!」


 グラウザーの言葉にひろきは目の前の父の手を握りしめ、ありったけの力で己の父を引きずり出そうとする。だが、少年一人の力ではさすがに成人男性の身体を引っ張るのには多少の無理が伴う。ひろきは握りしめたその手を蒼白にしながらも、父親の荷重に耐えている。ひろきは自覚していた。今、傷ついた父を助けられるのは自分だけなのだと。

 ひろきは足を滑らせながらも、なんとか父親を潰れた車両の下から引っ張り出す。全身が現れるまでそれほどの時間はかからなかった。

 ひろきの父が助け出されるのを見て、グラウザーもそこから脱出する。なんとか這い出るとすぐにその身を起こし、ひろきとその父親の元へと駆け寄った。ひろきは尋常ではない父親の様子を言葉も無く見守っている。ためらいがちに父の事を呼んでみる。


「お父さん」


 返事も無く、反応も無い。明らかなのは意識を無くしていると言う事だ。

 グラウザーは間を置かずに救命作業へ取り掛かる。誰の目に見ても、一刻をあらそうであろう事は明らかだ。


【 緊急救命作業手順マニュアル       】

【 重体事故対応シークエンス作動      】


 グラウザーの目と手がひろきの父の全身を探る。同時に得られた外傷情報や症状情報をもとに、必要な治療手順を導き出した。

 意識の有無、呼吸の有無、心音の有無、瞳孔の反応、出血の具合……、それらを手早く、そして確実にグラウザーは必要な情報を絞り込んで行く。

 グラウザーはジャケットの中から再び救急用の医療ツールを取り出す。そして、それらのツールの中から今この場で必要な物を探し出す。

 取り出したのは止血用の結搾ロープ、それを必要な長さに切り揃えるとひろきの父のその両脚にそのロープを結びつける。結ぶ場所は両足の大腿部で、出血箇所である両方の膝から下の出血を止めるためだ。

 次いで、呼吸と心臓の膊動を取り戻す必要がある。再び、データベースを検索、人工呼吸と心臓マッサージの項目を見る。グラウザーはひろきの父をあお向けにして着衣の衿を大きく開く。

 幸いにして肋骨の骨折はない。頭をのけぞらせ気道を確保し、次いで、マウストゥマウスを試みる。2度、息を吹込み、心臓マッサージとして胸の中央を10回連続で強く押す。

 グラウザーはこれを何度も繰り返した。症状の詳細はともかく、息と鼓動を取り戻さねば彼の命は無い。


 方やひろきは、グラウザーが必死に救命作業を続ける姿を目の当たりにしていた。その光景に、このまま漫然とただ待っているのではなく、自分も行動しなければならないような思いを抱きつつあった。そしてそれは極々自然な動機による行動だった。ひろきはグラウザーに伝える。


「お兄ちゃん、ボク――」


 その言葉にふとグラウザーが視線を向ける。表情を抑えメッセージに聞き入る。


「誰かを呼んでくるよ!」


 グラウザーは一連の救急作業の中で、顔をひろきの方に向け微かに確実に頷く。

 ひろきもまた頷き返すとその身を翻して走り出す。

 車両の中を駆け抜け、目の前に延びるモノレール軌道レール上を駆け抜ける。

 先程のターミナルルームの前は通り過ぎた。さすがに救助されたばかりの人間を連れ出すわけいかない。

 そのまま走りぬけば人工地盤内のトンネルを走り抜け、その先に一つの灯りを見つけた。

 徐々に眩しさが強くなって行く。非常灯の明るさだけだったのが、間接的な自然光も入るようになったためだ。その眩しさに、ひろきはその歩みを弛めずには居られない。

 右手を眼前にかざし、降りそそぐ光りをさえぎろうとする。

 ふと、突然に視界が開けた。第3ブロックにたどり着いたのだ。だが、その光景をみてひろきは肝を冷やす。


「うわっ――」


 軌道レール以外の床がほとんど無かった。レールの両サイドにメンテナンス用のスロープ通路があるが、それもモノレールのタイヤが走行する大きな溝を飛び越えた先にある。

 無我夢中でひろきは第3ブロックの空間へ飛び込んだ。そして、モノレールの軌道レール上を走る。その心には恐怖よりも勝る勇気が焼きついている。


「お兄ちゃんもがんばってるんだ、ボクだって」


 そんな思いがひろきを突き動かしている。

 ひろきの目の前に、他のモノレールの車両がある。車両の前面の非常扉は開け放たれている。ひろきはためらわずにそこに飛び込む。飛び込んだその中で、ひろきは開口一発叫んだ。


「だれか助けて!」


 突然に姿を現した少年の叫びが静けさの中にあったモノレールの車内にこだまする。その叫びが、そこに居た大人たちの行動を促す。幾人かの男たちが立ち上がりひろきの元へと駆けつける。

 その彼らにひろきは告げた。

 上での事故の様子――、被害者の有り様、そして助けが必要だということ。

 それを耳にして黙っていられる者は居なかった。一人がひろきを抱え上げた。背の大きな黒人系の男性だ。モノレールの車輌の中には様々な人種の者たちが居た。彼らは一斉に動き出す。そしてひろきを連れて、一路、事故現場へと向かった。



 @     @     @


 

 グラウザーはひろきの父への救急処置を続けていた。

 人工呼吸と心臓マッサージを繰り返す中、回復を確実なものにするために、データバンクの情報に従いカンフル等の薬液の注射を行なう。救急ツールの中から取り出したのは、動力式の自動注射装置だ。カートリッジ式の薬液を簡易な操作で安全に注射できるしかけだ。ひろきの父の着衣の胸元を大きく開く。そして、肋骨の隙間めがけ、その注射器をあてがいレバーを引く。かすかに作動音がしてカンフル剤はひろきの父の体内に流れ込む。


 さすがにグラウザーもその注射に関しては半分以上を不確かな勘に頼っていた。彼は医学の専門ではない、備え付けの知識に従っただけにすぎない。だが、それでも、功を奏すると信じる以外にない。グラウザーは再び人工呼吸と心臓マッサージを続けた。

 それからどれほど救急処置を続けただろう。やがて、グラウザーの感覚に微かだが確かな感触がリズミカルに伝わってきた。ひろきの父の胸板に手を触れれば、力強い脈動が帰ってくるのが判る。心臓が拍動を再開したのだ。


「よし」


 軽く呟き処置内容を人工呼吸だけに切り換える。救急処置が終わるまであと少しである。

 そして、それから数分ほどしたろうか? グラウザーの背後から声がする。


「お兄ちゃん!」


 ひろきが返ってきた。そのあとに幾人かの成人男性が続いている。

 グラウザーは彼らをよそに人工呼吸を続ける。ひろきに同行してきた彼らはグラウザーのもとに駆け寄ると、横たわる男性の様子をじっと見守った。ひろきは数歩進み出て父親のすぐそばに座ると己の父の様子を伺った。ひろきは待っている。グラウザーが答えを出してくれるのを。

 それから幾分ほどたっただろうか? グラウザーが不意に人工呼吸を止める。そしてひろきの父の口元に顔を寄せ様子を伺う。その視線はひろきの父の胸板をじっと見つめている。ひろきもグラウザーの傍らで彼に倣って、父の胸板を見つめていた。


「あっ」


 ひろきが小さく叫んだ。


「よしっ」


 今度はグラウザーも、少し強めに声を上げる。あらためて右の掌を胸板に添えて鋭敏なセンサーを働かせる。

 

【検査対象物:成人男性人体         】

【検査情報 :脈拍、呼吸          】

【検査結果                 】

【 1:脈拍 → 正常           】

【 2:呼吸 → 正常           】


 確証も得られた。これでもう大丈夫だ。そして、間を置かずに救急ツールの中から小型の酸素吸入器を取り出す。透明プラスティックの折り畳み式コーンを開き、その周囲に付いたゴムの紐でひろきの父の顔に吸入器を固定する。折り畳み式コーンのバルブからは確かに空気の吐き出される音がしている。それはひろきの父が自力で呼吸を再開したことの証拠でも有った。

 グラウザーはひろきの父の回復に会心の笑みを浮かべていた。ひろきもそれまで蒼白だった顔を赤く染め喜びの表情を浮かべた。そんなひろきが思わず叫ぶ。


「お兄ちゃん!」


 その声にグラウザーは振り向く。


「もう大丈夫だよ」


 そして、グラウザーは明るく笑った。

 成功の確証は無かった。しかし助けなければ間違いなく失われた命である。そう――

 グラウザーは救命作業という行為に生まれて初めて成功したのだ。

 


 @     @     @ 

 

 

 ひろきの父は数人に抱えられ運び出された。幸いにも応急処置が適切だったために命を左右するような状態にはならないだろう。だが両脚の負傷がひどく、すぐに適切な治療を受けねばならないのも事実だ。それに火災の煙を深く吸っていたために一酸化炭素中毒も起こしている。

 ひろきの父が運び出される中で、ひろきの父を助けにきた者の一人がグラウザーに何かを訊ねている。彼は次の医者への引き継ぎを考え、救急処置の際の治療内容や投与した薬剤の種別などを聞こうとしたのだ。

 対するグラウザーはと言えば、訊ねられる質問に淡々と答えて行く。告げる答えは、みな備え付けのデータバンクの知識/情報に従って導き出しただけにすぎない。だが、それでも救急処置の引き継ぎには必要なものである。

 彼はグラウザーから返される答えに感心の色を隠せないでいた。そんな彼の口から称賛の意味も込めてこんな言葉が告げた。


「いや見事だよ! おそらくはプロのライフセイバーでもそう簡単には行くまい!」


 惜しみない称賛の言葉にグラウザーは臆する事も無くあっけなく答える。


「そうなんですか?」


 微笑みながらも不思議そうに尋ね返すグラウザーの答えを、彼はグラウザーなりの謙遜と受け取ったらしい。


「もちろんだとも」


 力強く告げる彼の言葉にグラウザーは頷く。グラウザーは自分が成した事の大きさを理解しては居なかったが、人の命が助かったと言う事実をうれしくは思っていた。そんな喜びが彼の称賛の声で、グラウザーの気持ちの中にしっかりと根を降ろして行く。控え目なグラウザーに、彼はさらに訊ねる。


「君の名前は?」


 グラウザーはその申し出に当惑して答える。


「名前?」


 質問を解しかねてポツリと答えるグラウザーに、彼はさらに問う。


「あぁ、君が誰なのか教えてはくれないかね」


 その〝誰なのか?”と言う言葉に、彼が自分の身分を問いただしているのだとグラウザーは理解した。


「特攻装警です」

「特攻装警?」

「はい」


 グラウザーの答えを耳にして彼は静かに頷く。


「なるほどそうか、そう言う事だったのか。話には聞いていたが、日本の警察もさすがだな」

「え?」

「いや、こちらの話だ」


 彼は手を軽く振りグラウザーに別れを告げる。そして、運ばれて行くひろきの父の後を追った。

 グラウザーは少し思いに耽ける。あの人の言葉の意味を彼なりに考えている。自分がなにをしたのか? じっくりと考えていたが答えは出ない。グラウザーは軽く笑顔を浮かべるだけである。

 グラウザーは会話を終えると視線を反対方向へと向けた。潰れた車輌の前方を再び伺っては、自分が抉じ開けた車輌の隙間を覗いている。そこには、人一人がくぐれるだけの隙間が開いていた。周囲が潰されて通れない今、そこを通ればこの先へ行けるはずだ。


 床に膝を付き、目の前の「穴」を覗いているその時、グラウザーの背後から声がする。


「お兄ちゃん」


 ひろきがいつの間にか戻ってきていた。グラウザーはひろきの方を振り向く。


「お兄ちゃん、『ガイアース』みたいだ!」

「ガイアース?」

「テレビのヒーローだよ。宇宙の警察なんだ」

「警察? あぁ、ボクも警察だよ」

「え? お兄ちゃん警察なの?」


 グラウザーはひろきの言っている意味を解し兼ねていた。警察としての自覚が育っていないグラウザーにテレビヒーローと言った存在が理解できるはずがない。それでもひろきの話す〝警察”と言う言葉だけはしっかりと理解できていた。

 

「でも、内緒だからね」

「うん」

「じゃ、そろそろ行くね」  


 微笑みながらグラウザーはひろきにサヨナラを告げる。そして再び、穴の中へと潜ろうとした時、ひろきがまた問いかけてくる。


「お兄ちゃん!」


 グラウザーは、また振り向いた。そこに満面の笑顔でさも嬉しそうに佇んでいるひろきが居る。


「名前は?!」


 ひろきは明らかに真似ていた。グラウザーがひろきの名を訊ねた時の様に。グラウザーはその時の事をふと思い出す。そして、グラウザーもまた嬉しそうに笑っては大声で答え返した。


「グラウザー!」


 ひろきは驚いた。グラウザーから告げられた彼の名を耳にして。ひろきはひろきなりに何かに気付いたらしい。名残惜しそうな顔で最後の問いかけをする。


「グラウザーのお兄ちゃん!」

「なに? ひろき?」

「また逢おうよ!」


 また逢う。どこで逢えるかはなどはグラウザーにもわからない。だが、きっといつかまた会えるだろう――、そんな予感がしているのだ。


「うん、きっと!」


 微笑んでグラウザーは答える。


「やくそくだよ!」

「うん、やくそく!」


 2人は互いの顔を見合わせながらふたたび笑い合う。そして、ひろきが大きく手をふり、運ばれていく父の後を追った。これで本当にサヨナラだ。

 グラウザーはそれを見送る。薄明かりの中、ひろきの姿が見えなくなるまで。


 その後でグラウザーは屈み込むと穴の中を覗き込みその先を伺う。何が有るかは解らない。

 だが、一つだけ解っている事がある。

 それは〝行ってみたい〟と言う素直な気持ちだ。

 やってみようとグラウザーは思った。そして、その姿が向こう側へと消えて行った。


次回、第1章第10話 『襲撃者』

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