幕間:識る人々――
そして、事件の報は千里をはしる――
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そして……騒乱の舞台が幕を開けるその舞台袖で、数多の人々がそれぞれの視点とそれぞれの立場で、小さなサイドストーリーを演じ始めていたのである。
ここで有明の海沿いの街から視点を離して、小さなサイドストーリーのひとつひとつに目を向けてみよう。
まずはここ川崎の新市街化区――
■川崎周辺、再開発新市街区のとある高層ビルの一角にて――
そこにはひとつの総合商社が入ってきた。あるいはファンド企業といってもいいだろう。一見するとまともな企業に見えないこともない。事実、多くの一般社員を抱えていたのは確かだからである。
だが、その会社の一部部署と上層部とそれ以外の部署とでは、相互交流に大きな壁があった。それは暗黙の了解としてその会社に籍を置くものであれば誰もが知っていることだ。
会社の名前は「ブルーム・トレーディング・コーポレーション」
代表はまっとうな人物が名前を出しているが、実質的にはある一人の総務部長がその会社の全権を掌握していたのである。
その人の名は氷室淳美――
〝カミソリ〟の異名を持つ人物である。
氷室は今とある部屋にいた。
―特別応接室―
社内のごく限られた人間でしか入ることを許されない禁断の間であった。そして今、その中に氷室の他に席を設けているのが一人いた。
緋色会筆頭若頭・天龍陽二郎である。
特別応接室の中、革張りの高級ソファーに身を委ねている人物がいる。オールバックヘアの実年男性、天龍である。
ソファーの上で葉巻を燻らせており、テーブルを挟んでもうひとつのソファーに腰を下ろしているのが氷室である。
ふたりはひとつの応接デスクを間に挟んでビジネストークの真っ最中であった。
天龍が低く重い声で呟いている。
「それでその技術企業を落とすにはあとどれくらいかかる?」
天龍の問いに氷室は感情湿度ゼロの涼しい顔で淡々かつ明朗に答える。
「まぁ、せいぜい2週間もたんでしょう。株は既に45%買い占めました。関連企業に依頼して買い増しで切り抜けようとしているようですが起業家一族の人望があまりにもなくそっぽを向かれているようです」
氷室の語る言葉に天龍は口元に冷たい笑みを浮かべて言い放った。
「ふっ、だろうな、今のご時世、利益が出るというだけでは信頼関係は築けん。金で何とかしようと他人様を顎でこき使ってきたバチが当たったのさ」
そして天龍は吸い終えた葉巻を分厚いガラス製の灰皿にてもみ消しつつ氷室に指示を与えた。
「生ぬるい、一週間でやれ。三次団体の下っ端でも動かしてやっこさん達を徹底的に痛めつけろ。死人さえでなければ手荒な手段は使って構わん。それと追い込みがてら、そのそっぽを向いた連中には飴玉しゃぶらせろ。こっちの思惑通りに動いている間は大切にしてやれ」
「承知しました。ではそのように」
「あぁ」
ふたりがそんな会話をしているときだ。応接デスクの上に置いてあるフラットタイプのインターホンが鳴る。受話スイッチを操作すれば3Dホログラムで一人の青年女性の上半身が浮かび上がる。長髪のワンレンの美形女性だ。
〔氷室部長、お話が〕
「話せ」
〔こちらでは――、そちらにお伺いしてよろしいでしょうか?〕
「分かった。来い。粗相のないようにな」
〔はい、承知しました〕
そして3Dホログラムの女性は軽く会釈して通信を切る。そして10秒と置かぬうちにその特別室の扉を開ける。
「失礼致します」
そう告げながら入室してきたのは黒髪長髪のワンレンの美女だった。乳白色のスカートビジネススーツを端正に着こなし、その肉体的容姿も目に鮮やかであった。そして入室するなり氷室と天龍に交互に会釈する。その姿に氷室は天龍に対してその女性を案内した。
「俺の秘書です。中島と言います」
「中島裕美です。ご承知おきを」
名前を案内されて丁寧に頭を下げる。その姿と所作に天龍は告げる。
「いい秘書だな。しつけが行き届いている」
「えぇ、私の秘蔵っ子です。もしよろしければ接待もさせますが?」
そう告げながら天龍は静かに微笑んだ。だが天龍は苦笑いで言う。
「そうしてぇところだが止めておこう。美月が俺の女遊びに最近うるさくてな」
そのつぶやきに中島が問う。
「お知り合いですか?」
その声にじっと睨むようにして天龍は告げる。
「馬鹿、俺の娘だ」
「し、失礼いたしました」
「いい気にするな。娘とは別戸籍だ。表向き、俺は独身で通ってるからな」
「承知しました。決して口外いたしません」
「あぁ、そうしてくれ。それより本題に入れ」
「はい――」
天龍に求められて中島は説明を始めた。
「有明の1000mビルにて動きがありました」
有明の1000mビル――そこで起きたことと言えば1つしか無い。氷室がさらに言う。
「話せ」
「はい、先程正午ちょうど、有明の1000mビルにて爆発があったそうです。ディンキー・アンカーソン一派と思われますが表向きには宣言文などは公表されておりません」
「ディンキー一派と判断した理由は?」
「はい、氷室様。サミットの警備要員に紛れ込ませた〝草〟からの情報です。内部情報なので確実かと」
中島の声に天龍はさらに告げる。
「それで被害状況は?」
「ビルシステムが全域ダウン。外部との連絡は完全に失われました。さらに最上層の第4ブロックは侵入ルートが全て遮断され、孤立しているそうです。来賓の海外VIPの安否は確認中ですが、半数以上が内部にて脱出不能に陥ってると思われます」
「そうか」
中島の説明に天龍がつぶやく。思案げな彼に中島はさらに説明した。
「それと物理メッセージです。香港18Kの俳氏からコレが送られました」
そして中島はスーツの懐から純白の封書を差し出す。横開きで、赤蝋にて丁寧に封がしてある。表向きは記名は無いが、天龍にはその封書には見覚えがあった。それを受け取り手慣れた手付きで開封しながら中身を見る。そこには漢文にてある文が記されていたのだ。
――一個瘋狂的老人埋在地下室裡、一個娃娃被供奉――
送られた手紙の中の一文。それを目の当たりにした時に天龍の目の色が変わった。
「氷室、ちいっと小間使い行ってきてくれ」
「はい? どちらまで?」
「近衛って凄腕だ。機動隊の総元締め、〝狼の近衛〟って言えば覚えてるだろう?」
狼の近衛――、その言葉を耳にした時に氷室の顔に笑みが浮かぶ。それも壮烈と形容できるような冷酷そのものの笑みであった。
「承知しました。直ちに向かいます」
「頼んだぜ」
そう告げながら、あの漢文の手紙を渡す。
「向こうに着くまでに読みこなせ。要件が書いてある」
「御意」
そう答えながら氷室が立ち上がる。それからわずかに遅れて天龍も立ち上がった。そして立ち上がりながら中島女史の手を握った。
「あっ?」
思わず声を上げる中島に天龍は言う。
「お前も来い。秘書代わりに付き合え」
そして天龍の視線は氷室へと向いた。
「借りるぞ。今から堀坂のジジィの所に顔出ししないとならんのでな。独り身では格好がつかん」
「堀坂周五郎御老ですか。もう齢90を超すとお聞きしましたが?」
堀坂周五郎――90歳を超す日本任侠界の古老であり、昭和の時代の荒っぽいヤクザ世界を知る生き字引的存在であった。
「まだ矍鑠としている。この間も真剣で二人ほどぶった斬ったそうだ」
「それは恐ろしい。あの仕込杖を抜かれたのですね。くれぐれもお気をつけください。あぁ、それと――」
氷室の問いかけに天龍が振り返った。
「できれば無事にお返しください。私の大切な部下なので」
その一言に中島女史が複雑な表情を浮かべる。それに対して天龍が苦笑しつつ答えた。
「心配すんな。ちゃんと連れて帰る」
その言葉に満足気に氷室が笑みを浮かべる。天龍が氷室との間の約定を保護にしたことは一度もないからだ。そして自らの部下をねぎらうように穏やかに声をかけた。
「裕美」
名を呼ばれて振り返る。
「はい」
「粗相のないようにな」
「はい、承知しております。それでは天龍様――」
「あぁ」
そして天龍が歩く先のドアを中島女史が開き、そこから出ていく天龍のあとを中島がついて行く。その姿を見送ると同時に氷室は何処かへとインターホンで通話する。
「笹井、いるか?」
〔はい〕
インターフォンの向こう側からは男性の野太い声がする。
「10秒で私の所に来い。出かける」
〔承知しました〕
そして通話が終わってから10秒もかからぬ内に特別応接室の扉が開く。その向こうから姿を表したのは背丈190はあろうかという巨漢である。三つ揃えのスーツを着ているが、その顔には複数の向こう傷が痕を残していた。
「お待たせいたしました。お車の準備も出来ております」
「ご苦労」
そして扉を抜けるとそのままエレベーターへと向かう。その途上、配下である笹井と言う男に話しかけた。
「有明に行く。警察に情報提供をする。お前も来い」
「はい」
それだけ言葉をかわすと二人の姿はエレベーターへと消えていった。
■横浜中華人街近傍、高層マンションにて――
そこは横浜の東口側と言われるエリアであった。
横浜駅から南下するとみなとみらいの高層物があり、さらにその南側には山下公園へとつながっている。さらにはマリンタワーや有名な係留船・氷川丸があり、その近傍には長い歴史を誇る横浜中華人街が広がっている。
その山下公園と中華人街の間に位置する辺り、最近になって新たに建てられた高層マンションがある。地上30階建てでかなりの高さであり港町が一望できるとの評判があった。上から見ると八角形をした建物が2棟、北タワーと南タワーに別れ、その25階から27階にかけては南北がつながっているのが特徴的であった。
ただしそのマンションは一般向けには販売されておらず、特別にマンションオーナーに繋がりの取れる人間でなければ入居できないとの噂のある代物だったのだ。
マンションの名は『バイシーズーパレスマンション』
中国語で〝白獅子〟を意味する。所有者が日本人でないことは一目瞭然である。
そしてそのマンションは『セブンシーズロジスティクス』と言う貿易会社の所有であり、セブンシーズのオーナーはある日系華僑の若者であった。
その者の名は伍 志承、日本人名は大伍 承志
シンガポール国籍を持ち、日本通用名を持つ男である。
バイシーズーパレスは彼の居城であり彼の私的組織の活動拠点だったのである。
そして、バイシーズーパレスの27階フロア、南北のタワーをつなぐブリッジエリアは伍の私的領域だった。27階のブリッジブロックは中華人街と横浜の港町を一望できたのである。
その伍の私的空間の中、30畳をはるかにこえる広いフロアの中にてテーブルセットで茶を嗜んでいる白人の少女が居る。
純白のロングスカートドレスを身にまとい、その肩にはハーフマントをかけている。普段ならマリアベールのようなヘッドドレスを被っているのだが、流石に室内では脱いでいるようで見事なブロンドヘアが彼女の肩に広がっていた。
ひとり静かに落ち着いていた彼女だったが、その名を呼ぶ声がする。
「ウノ、ここに居たのか」
ウノ――それが彼女の名である。その名を呼ぶのは濃紺のマオカラーシャツを着こなすアジア人の青年である。ショートヘアの黒髪をポマードでなでつけており、その線の細さとは裏腹に毅然とした凛々しさが溢れていた。ウノはその声を呼ばれて茶の注がれていた茶器をテーブルに戻しつつ振り返る。
「伍様」
名を呼ばれて振り返るときの仕草には、彼女がその男性に対して満更でもない事が伺える。微かに頬を染めている辺り、案外異性とのふれあいには慣れていないのかもしれなかった。そんなウノの所作を見て、伍は優しくはにかみながら答える。
「志承で良い」
「でも――」
「私がいいと言っているんだ。君のようなミューズの様な女性を匿えるのならば億の単位の投資にも優る利益がある。私は君を無償で支援する事にしたんだ。気兼ねする必要はない。いいね?」
その言葉を拒絶できるような強さはウノには無かった。戸惑いながらも頷いてこう答えた。
「はい――志承」
その答えに満足気に頷きつつ毅然としてウノの下へと近づいてくる。
「それより昨夜はご苦労だったね。徹夜仕事、骨が折れたろう」
「いえ、私は大したことはしておりません。座礁した無人ロボット船を誘導しただけです。それよりご配下の方々の方が骨が折れたと思います。その、お怪我された方も居られたと聞きましたが――」
「あぁ、その事か」
ウノの言葉には他者を心から労る優しさがあった。ウノに問われて伍は事もなげに答えた。
「それは君が案ずることではない」
そうウノを労りながらも彼女の隣へと腰を下ろす。
「フィリピン経由の無人ロボット船舶の運行――、それが日本近海の公海にて立ち往生。しかも時化が始まっていた。通常なら回収に莫大な費用と時間が費やされた。そればかりか船舶の回収を任された者に多数の死者が出ただろう。海が荒れているときの作業ほどの危険なものはないからね。それにだ。もし万が一転覆したら金銭的な損害は甚大なものになる。そうなれば多くの者が露頭に迷うだろう。だが君が居てくれた――」
伍がウノを横目で見つめつつさらに告げる。
「君がその力で立ち往生していた無人船を再起動しただけで無く制御の効かなくなっていた船のコントロールを行い、予定通り日本の横浜港まで誘導してくれた。おかげで私は多大な損失を金銭面、人材面。その両面で防ぐことが出来た。人は利益によって生きる。そして人は命あってこそ利益を享受できる。君がしたことはそれだけの価値がある。回収作業を指揮していた部下も言っていたよ。『彼女が居てくれなかったらどれほどの人間が死んでいたか解らない』とね」
「そうですか」
伍の語る言葉にウノは安堵したかのようだ。
「命が失われなかったのであれば何よりです」
彼女が返したのはたったそれだけ。利益も賞賛も求めない。彼女の人間性が現れていた。二人で並んで座れるソファーの上、伍は傍らのウノを左手で抱き寄せるとその頭をそっと優しく撫でたのである。
「これからも私の所に居てくれるね? ウノ」
「はい、志承」
「ありがとう――、そのかわり君が、君たちがやろうとしていることを陰ながら支援していこう。それがこの世界の行く末を正すことにつながるのなら」
「はい、お心遣い、ありがとう御座います」
伍の腕の中で戸惑っていたウノだったが、伍の心の内を知ってか、安堵しつつその腕に身を委ねたのである。
だがその時、無粋にもスマートホンがなる。スラックスのポケットから取り出したのはスティックのようなアイテムで、表示は一切が空間投影で行われる。起動させれば発信元が描き出されている。
【 発信者:第1秘書 江 夢 】
その表示に一瞬、伍の表情が曇るがそれをたしなめたのはかたわらのウノである。
「ご配下の方を無下になされてはいけませんわ」
そうたしなめられては伍も流石に反論できない。困った風に笑みを浮かべつつ受話操作を行う。スティックタイプのスマートホンを左右に振ると通話の先方とつながり双方向でテレビ電話として通話が始まった。向こう側に映ったのは黒髪を短くまとめたメガネ姿のアジア人女性である。
「私だ。どうした?」
〔事件が発生いたしました。有明にて行動中の組織員からの報告です〕
「話せ」
〔有明の1000mビルにて文化人・知識人による学術交流サミットが開催されるのはご存知ですね?〕
「我知道」
〔その1000mビルにてテロが発生しました」
「それで詳細は?」
〔わかりません。日本警察の箝口令と情報封鎖が厳しく手も足も出ません〕
「待て、確か。1000mビルにはうちの関連企業が参加していたな?」
〔はい、3社ほどビジネス区画に〕
「連絡はできるか?」
〔試みておりますが、つながりません。通信封鎖ではなくビルシステムがジャックされている可能性があります〕
「完全につながらないのか?」
〔はい、現在、こちらから連絡を取ろうにも日本政府が通信制限を行いつつあります。事件解決までは外部からのアプローチは不可能かと思われます〕
「そうか。謝謝」
伍は必要要件だけを会話し終えると通話を切る。その思案気な顔に隣のウノが問いかけてくる。
「志承。なにか事件でも?」
事件――伍の隣で通話を一緒に聞いていたので仔細は既に理解している。だがそれでも伍に尋ねたのは彼の顔を立てたのだ。その彼女の意図を察して伍も言葉を選びながら言葉を返す。
「有明の1000mビルは知っているね?」
「はい、今日、彼の地にて催し物があると」
「それだ。今日、有明1000mビルの最上階層第4ブロックにて〝世界未来世界構想サミット〟が行われる予定だった」
「はい、存じております。海外からも来賓が訪れていると」
そこまで説明して伍は一息置くと、ウノにこう告げた。
「それがテロに襲われたらしい」
「らしい?」
「1000mビルそのものがジャックされていて内部と一切連絡が取れないそうだ。あそこには私の直轄企業もある。社員たちに命に別状がなければいいのだが――」
そこまで伍が話したときだった。音もなく静かにウノは立ち上がった。
「ウノ?」
伍が問いかければウノはためらわずに告げる。
「私が参ります」
「なに?」
「私の仲間のダウなら遠くからでも見通せるでしょう。あの子はそう言う任務には最適ですから」
毅然として告げるウノに伍は戸惑いながらも問いかけた。
「だが、なぜ君まで行く?」
その言葉にはウノの身を案じるニュアンスが含まれていた。
「私は指揮官です。仲間たちを率いて統率する義務があります。そして彼女たちは私の指示あって初めてその力を有効に発揮できます。第二次大戦のフランス軍の指揮官のように、ワインのグラスを傾けながら電話で指揮をする趣味はありませんので」
伍に対するウノの答え、それには己の立場を理解しつつ決して折れぬ彼女の強い覚悟が見えていたのである。さすがの伍もそれを曲げさせる訳にはいかないだろう。
「そうだな、君はそう言う人だったな。だからこそ昨夜も荒れる海へと赴いてくれたのだったな」
ウノの言葉に伍は頷いて納得しつつもその顔は不安げで寂しそうであった。
「待ち給え、向こうまでの〝足〟ぐらいは用意しよう」
そして先程のスティックタイプのスマートフォンを取り出すと音声で操作する。
「猛 光志を呼べ」
そう音声を入力すると電子音が鳴り即座に相手をコールし始めた。先方が出たのもすぐである。
〔私です〕
「猛か、今どこだ」
〔バイシーズーの南屋上です。ダウ殿と一緒に敵対勢力者の調査をしておりました。今戻ってきたところです〕
屋上ならば移動手段はヘリだろう。
「ならばそのまま待て、今、こちらからウノが行く。そしてダウとウノを連れて有明にむかえ」
〔1000mビルですね?〕
「そうだ。今、トラブルが起きている。ウノとダウが調査してくれる。君はサポートしてくれ」
〔我明白〕
「頼んだぞ」
そしてスティックスマートフォンを振って通話を切るとその視線をウノへと向ける。
「準備はできた。南屋上で猛とダウ殿が待っている」
「はい、ご配慮ありがとうございます」
そしてその手にヘッドドレスを手にすると自らの頭に被りながら立ち上がる。そして、その凛とした視線を伍へと向けながらこう告げたのだ。
「それでは行ってまいります」
「気をつけるのだぞ」
「はい。夕餉までには戻りますので」
そう告げながら歩き出すウノだったが、それを追うように歩み寄った伍は思わぬ行動をとった。ウノの傍らに並ぶと右手でその顔に手を伸ばして己の方を向かせる。そしてウノの顔に自らの顔を寄せて重ねたのだ。
真剣な表情の伍に対して、ウノは驚くばかりである。
そして口元を離すと穏やかに告げた。
「待っているぞ。仲間たちとともに無事に帰ってきなさい」
「はい、志承」
そう答えるウノの頬はどこか赤らんでいた。そして再び風をきるように歩きだして、その部屋から立ち去っていったのである。
半ば憮然としてウノを見送る伍であったが彼の背中にそっと声をかけてくる者が居る。
「伍様」
ウノとは異なり弾むような口調――振り返ればピンク色の肩出しワンピース姿のトリーが佇んでいた。
「ウノが無事に戻るまで。お茶でもいかがですか? 私これでも紅茶を入れるのは得意なんです」
不思議と彼女のその言葉は、緊張に襲われていた伍の心を解きほぐしながら染み入ってくる。彼女が伍の事を思い図っているのが解るかのようだ。彼女もまたウノと同じ様に不思議な少女であった。
「貰おうか」
「はい、ではすぐにご用意いたしますね」
そう転がるような声でトリーは答えると早速に紅茶の用意を始めた。
伍はソファーに腰掛けながら、事件の続報を待つばかりである。
■東京湾中央防波堤外域埋立地・東京アバディーンにて――
東京の大都市圏のはみ出し場所。そして。湾岸エリアを東京湾中央へと大きく張り出した土地――
かつてはゴミの最終処分場としてごみ収集トラックが列をなして押し寄せていた場所であったが、今となっては未来を標榜する都市となること無く行き場をなくした者たちが集積する、最悪の街へと変貌していた。
その名は『東京アバディーン』
またの名を『ならず者の楽園』と呼ばれるスラム街である。
その東京アバディーンのメインストリートの南側一帯は様々な違法外国人たちが居座る外国人居留地である。様々な民族毎に別れて暮らしており、その中で最も勢力があるのが中華系の民族たちである。さらにその中で台湾系の人々が集まるエリアが有る。その一角にあるのが台湾系の妙齢の女性が切り盛りしている中華料理店『天満菜館』である。
その軒先にて店の人々と談笑していたのはアラブ系の血が入っていることが解る少年――ラフマニであった。
夜越しのひと仕事を終えての帰宅途中だ。天満菜館で買っているのは中華まんのたぐいだろう。
それをねぐらで待つ子供らの分を買い込み店を後にする。中華系の人々が多いエリアだが、この界隈の人々はラフマニのようなハイヘイズの混血孤児の子らに対して良心的だった。彼らとて社会のどこにも行き場が無く、決して豊かとは言えない暮らしをしているのだ。同じ様な境遇のハイヘイズの子らに同情するものがあったとしても不思議ではない。アラブ系の血を引くラフマニの事を疎むような者は居なかった。
そして多くの人々の流れる雑踏をラフマニが歩いていたときである。
「ラフマニ」
その背後から声がする。振り向こうとするがその声は制止する。
「振り向くなそのまま聞け」
声の主には聞き覚えが有る。彼の兄貴分である〝神の雷〟の異名を持つ男である。だがその姿は誰にも見えない。おそらくはステルス機能を行使しているのだろう。通行人のじゃまにならない路傍に移動するとそのまま言葉を続ける。
「有明で事件が起きた。箝口令が敷かれていて情報収集が困難になっている。どんな組織も同じだろう。だが俺が得た情報がある」
その言葉と同時にラフマニの着ている薄汚れたハーフコートの内ポケットにねじり込まれたものが有る。
〝手紙〟である。
「これをあの連中に渡せ。大きく恩を売れる。そしてそれは後々、お前にとっても利益となる」
そう囁かれてラフマニは確かに頷いていた。周囲に視線を走らせるが、彼と神の雷との会話に気づいた様子は誰にもなかった。音声の到達領域を指向性音波で制御しているのだ。こんな事ができるのは神の雷・シェンレイしか居ない。
「行け、ここから先はお前の仕事だ」
その言葉にラフマニは再び頷いていた。それと同時にラフマニが手にしていた子供らへの土産をシェンレイはそっと受け取る。
「これは俺が子供らのところへ届けておく」
それが最後だった。音もなくシェンレイの気配は消え失せて行く。そしてあとに残ったのはラフマニだけである。だがラフマニの意思は固まっていた。やると決めた事をなすだけだ。ラフマニの脚に俄然力が籠もる。
ラフマニは無言のまま走り出す。向かう先はロシア系住民の多いエリアである。
■東京スカイツリー、第2展望台屋上付近にて――
そこは440mの絶界――眼下に首都圏東京の全てを見下ろせる場所が有る。
日本国内最大のテレビ通信塔、東京スカイツリーである。
その2つ有る展望台の内、上部構造となるのが第2展望台だ。さらにその第2展望台の屋上となる部分。もはや常識的な人間なら誰も近づかない場所なのだが、平然としてそこに佇んでいる人物が居た。
それを人はピエロともいう、ジェスターともいう、アルルカンと呼ばれることもある。赤い衣、黄色いブーツ、紫の手袋に、金色の角付き帽子、角の数は2つで角の先には柔らかい房状の球体がついていた。襟元には派手なオレンジ色のリボン――、派手な笑い顔の仮面をつけた道化者。人は彼をこう呼ぶ、
――クラウン――
ひと風吹けば落とされてしまいそうな剣呑な場所だというのに彼は悠然として立っていた。そしてその足元では第2展望台の屋上の縁に腰掛けて脚をブラブラとさせている少女が居た。
純白の三つ揃えのスーツにシルクハット、さらには猫耳まで付いていた。おしりから生えていると思しきものは猫のようなしっぽである。それが楽しげに左右に揺れていた。そして猫耳少女は甘ったるい鼻に抜けるような声で問いかけた。
「クラウン様ー」
「なんです? イオタ」
「始まったねー、乱痴気騒ぎ! もうしっちゃかめっちゃか!」
イオタは遠く離れた地で始まった事件を茶化して言う。それをクラウンもまた楽しげなニュアンスの声で答え返していた。
「ホホホ、当然ですよ。あのイカれたマリオネットたちにとっては最高のステージなのですから。で・す・が! いいですか? よーく、考えてご覧なさい」
二人が向いていたのは真南で、その5キロほど先にあるのが有明の1000mビルであった。高さ的には彼らが腰をおろしている位置の方が100m以上は上であった。それが二人には見えているかのようなニュアンスがある。
クラウンはイオタに向けて問いかける。
「あのビルは現在、4つのブロックに分かれています。そしてその中で、事件の対象となっているのは最上階の第4ブロック階層――だがその下のブロックはどうなると思います?」
「そりゃぁ――」
イオタは少し思案顔になる。
「おっかないおまわりさんたちが上がってくるよね」
「そうです。そのとおりです。ではもう一つ。その状態でどうやって逃げるんでしょうかね?」
「え? 逃げる? 逃げるって――歩いて行くわけにもいかないし、空を飛ぶわけにもいかない――第一おまわりさんたちをどうするんだろう? やっぱ皆殺し?」
「日本警察数千人をですか?」
「え? ダメかな?」
「ダメに決まってるじゃないですか! たった7人しか居ないのに!」
「あ、そっか……、あ、でも、あれ?」
そこまで呟きながら思案していたイオタだったが、そこに至って初めて疑問の確信へとつながったようである。
「――じゃあなんであんな所に行っちゃったの? あの人達?」
不思議そうに首をかしげるイオタに対して、クラウンはカラカラと笑いながら告げた。
「さーて、なぜでしょうねぇ? おほほほほ」
「えー? 教えてくんないのぉ?」
「答えを先に言ったら面白くないじゃないですか。それとも推理小説を最初から犯人が分かった状態で読みたいですか?」
「そっか! それもそうだね」
イオタはクラウンに諭されて素直に同意する。
そしてクラウンは歩き出しながらイオタに告げる。
「さて、それでは私はそろそろ行きますよ。私も、あのお祭り騒ぎの中に行かねばならないので」
主人であるクラウンの言葉にイオタは耳を震わせながら嬉しそうに問いかける。
「わぁ! 僕も行く!」
喜び勇んでついてこようとするイオタに、クラウンは人差し指を立てて左右に振りながらこう諭すのだった。
「駄目ですよ、今回はあなたはお留守番!」
「え-! なんでえ?」
クラウンからの拒絶はイオタにはちょっとショックだったようだ。まるで「プンスカ」と擬音でも表示させそうな勢いで膨れるイオタに、クラウンはイオタのその頭を撫でながらこう言い含める。
「私が今回、あそこへと赴くのは、ある方をお迎えするためです」
「お迎え?」
「ええ、そうです。とてもとても大切なゲストなんですよ。何しろあるお方からのたってのお願いでの仕事なのですから。それにあそこはあまりにも危険です。文字通り日本警察の全戦力が集中的に注ぎ込まれてます。そんなところにあなたを連れて行って怪我でもさせたくありませんから」
そう告げながら何度もイオタの頭を撫でるクラウンの仕草には、全力で部下のことを思いやる親心のようなものが滲み出てきた。それがわからぬイオタではない。
すぐに表情を明るくしながら答えたのだ。
「うん! 分かったよ僕、おとなしく待ってるね!」
「ほほほ、いい答えです。でもその代わりちょっとした準備をしていてください」
「準備? どんなの?」
素直に問いかけてくるイオタにクラウンは人差し指一本立てながらこう答えた。
「お迎えするのは女の子です。そうですねあなたよりちょっとだけ年上でしょうか。あ、いや、ある意味あなたの方が年上かも。ふふふ――まあどちらでもいいことですけど」
不思議な物言いをするクラウンにイオタはつぶやく。
「変なクラウン様」
そう言いながらイオタは立ち上がるとその場から移動しなく歩き出す。そして歩きながら不意に振り返り、こう問いかけたのだ。
「クラウン様、その子と友達になれるかな?」
イオタも年頃である。彼女らしい言葉にクラウンはそっと答える。
「それはちょっと無理ですね」
イオタの希望を否定する答え。彼女からの返事は返ってこない。だがそんな彼女の気持ちを諭すかのようにクラウンは告げた。
「いいですか? イオタ――」
不意にくるりと振り向き腰をかがめて目線を下ろしながらイオタに告げる。
「人間に散々苛められて傷だらけの野良猫がいたとして、その子を助けようとして手を差し伸べた時、どうなると思いますか?」
その問いかけにイオタは何かに気づいたかのようにこう答えた。
「引っ掻かれるね」
「でしょう?」
「うん」
言葉にイオタは表情を明るくして素直に頷いていた。
「そういうことです。仲良くなるということにも手順と時間が必要なのですよ」
「うんわかったよ。じゃあ僕、その子がゆっくり休めるように準備しておくね!」
「ふふふ、頼みましたよ」
「はーい!」
そう笑いながら答えるとイオタは走り出し右手に握りしめていたステッキを振り回して円を描くとその円の向こうへと扉をくぐり抜けたかのように姿を消したのである。
それを見送りながらクラウンもそっとつぶやいた。
「さて、では私も参りますか。あの乱痴気騒ぎのパーティーの舞台へ。そしてお手並み拝見と参りましょう!」
クラウンは静かに歩み始める。音もなく霧の中に消えるように気配を隠しながら。そしてこの言葉を残したのであった。
「ねえ、特攻装警の皆さん。ほほほほほほ……」
スカイツリー第二展望台屋上、通常なら誰も入れるはずがない場所。後には誰も残っていなかったのである。
次回、第1章第8話『第2科警研』

















