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第6話 『1000mビル第4ブロック階層』

今、動き出すのは希望か、悪夢か。


第1章第6話『1000mビル第4ブロック階層』 はじまります。


本作品『特攻装警グラウザー』の著作権は美風慶伍にあります。著作者本人以外による転載の全てを禁じます

這部作品“特攻装警グラウザー”的版權在『美風慶伍』。我們禁止除作者本人之外的所有重印

The copyright of this work "Tokkou Soukei Growser" is in Misaze Keigo. We prohibit all reprints other than the author himself / herself

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

――有明1000mビル、第4ブロック――

 

 そこは巨大なコンベンション施設を中心とした、教育活動・学術研究や企業の研究活動の場である。

 ブロックの中央台地にはドームタイプの国際会議場兼コンベンション施設が雑木林に囲まれて存在している。

 そして――今日、開催されるサミットメイン会場である。


 コンベンション施設の周囲をドーナツ状に低層建築物が並び、

 さらにそれらの隙間を縫うように欧州の時代街道を思わせる石畳が走る。

 当然、サミットのメイン会場と言う事もありそこには最大級の警戒体制がしかれていた。


 国際会議場の周辺からはじまり――、


――3系統のゴンドラエレベーターの乗降場――

――そこから国際会議場へいたるまでの通路――

――その他、サミットに関連あると思われる場所――


――余すところ無く警備の手が入っている。


 その第4ブロックの警備のメインを勤める一団の姿がある。

 

【武装警官部隊「盤古」】


――警視庁を始め主要大都市に設立された、常設型の重要凶悪犯罪専門の未来型特殊武装警察部隊である。



 @     @     @



 米国にはデルタフォースと言う様なテロ専門の特殊部隊が警察内に公に配備されている。一方で、日本にはSATや銃器対策部隊の様な極秘裏の存在の武装ユニットがあるのみで、大っぴらに存在を認知された特殊部隊は皆無だった。

 その事は裏返せばそれだけ日本が平和で安全だったと言う事でもあった。


 だが――

 21世紀に入り、世界を取り囲む状況は大きく変った。

 日本や中国・台湾を含むアジア諸国が次第に国際諸国間での力を付けるにつれて、アジア全体が中華列国を中心に、欧米に肩を並べられるだけの大国化を果たしていった。だがそれが皮肉にも、アジアでの様々な犯罪を先進国化し、より非常に根の深いものへと変えてしまった。

 銃火器や麻薬などの違法物資の流入の激化や、海外の犯罪勢力の日本上陸、また日本国内の犯罪の欧米化など、抱えた問題が非常に多かったのだ。


 さらにこれに追い打ちをかけたのが21世紀初頭に成立した『暴対法』の存在である。


 一見、暴力団組織を制限し犯罪勢力の抑止となっているように思えるこの法律であるが、実際にはヤクザ組織の構成員の日常生活を困難なものとしてしまい、その事が表社会から地下社会への潜伏を促し、より一般市民から見つかりにくいマフィア組織への変節を招く結果となってしまったのである。

 世に言う〝ステルスヤクザ〟の誕生である。

 今や、日本のヤクザ組織は、ネットワーク化やマフィア化を果たした組織だけが存続、先鋭化し海外勢力と結びつくことで社会の何処に潜り込んでいるかがまるでわからない状況に陥っていたのだ。

 当然そのような状況に対して、日本の既存の警察では対応できようはずが無かった。


 日本政府は、この自体に体して、欧米並の――

 否、それ以上の武装警察、すなわち武装警官部隊を組織する決定を下した。それが『盤古』発足へと繋がったのである。


 もっとも盤古設立に至るまでには複雑な道程があったのだが、それは別の物語だ。



 @     @     @



 第4ブロック内のそこかしこ、至る所に盤古は待機している。全身を特製のハイテクプロテクターで覆い、サブマシンガンと特殊警棒で武装したその姿は、中世の古城の衛兵を彷彿とさせる。プロテクタースーツの顔面付近がフルフェイスで覆われているために、より〝鎧〟めいた印象を与える。

 

 城――、そう、ここは世界中の英知が結集する城であるのだ。サミットと言う名の宴の元に。


 そんな第4ブロックの建築物の影、路地の裏の裏――

 通常は物資の搬入や建築物の保守の為位しか使われない場所があった。4m四方くらいのその場所は、人が数人隠れるにはもってこいの場所である。そこに何者かの姿が垣間見えた。黒い衣裳に身を包んだ姿が4つ。シルエットはしなやかで流れるようなラインが印象的だ。


 それは女。流麗にして華麗な女たち。

 ただ一つ、彼女らのたたえた視線には、人としての温もりはなく、あたかも月夜の青い夜空の様である。彼女の中の一人が顔を振り上げる。ちょうどゴンドラエレベーターの1基が上ってきて最上階の展望エリアの附近に止まったところである。


 彼女はそれを無表情に見つめていたが、エレベーターの中に搭乗していた人物たちの姿を気づくと、不意に微笑みを浮かべる。冷たい人としての温もりのない冷酷な笑顔だ。

 そのシルエットが揺れたと思ったその瞬間、すでに、そこには誰もいなかった。

 目撃者は居ない。仮に居たとしても、そこに何者かが居たとは思わないだろう。



 @     @     @



 そして〝ターゲット〟は迫り来る存在に気づかぬまま、そのビルの中を歩いていた。


 英国のアカデミーの面々は、ディアリオたちとの邂逅の後にそのまま第4ブロックへと移動していた。ゴンドラエレベーターが彼らを第4ブロックの最上階へと運んでいた。

 現状――

 ビル内への入場開始が1時間ずれ込んだため、それ以降の予定は全て1時間ずれる事になる。サミットの入場開始は正午の12時だったが結局13時となった。その事でガドニック教授は皆にある提案をしていた。


「どうだ? 最上階のフロアに入ってみないかね? まだサミットの開催までにはかなりの時間が有るはずだ」

「そうだな、13時開始と言っても、入ったからすぐに始まる物でもないしな」


 ガドニックの提案にホプキンスが笑って同調する。気心の知れた者同士の会話である。

 

 高さ260mの地点にあるのが展望フロアだ。現時点では一般客の入れる最高地点だ。

 一般の観光を当て込んだ、ちょっとした娯楽施設を含む観光スポットである。

 そこはビル内の空間の周円に沿った環状の展望フロアである。ビル構造の制限のため、最もよく見えるのは西と東北東、そして東南東の3方向だ。

 ここは有明の地である。そのいずれの方向も非常に重要な方角を向いている。


《東南東》

 東京湾海上国際空港を始めとする東京アトランティスの地域やその先の千葉の地を望む事ができる。東京湾は様々な洋上開発プランが実行に移され、海上空港はもとより、洋上都市計画など、今後の未来都市としての東京の可能性が試されているエリアだ。


《東北東》

 浦安・晴海・浅草など、東京から千葉にかけて新旧の湾岸開発地域の一大パノラマが見渡せている。古くから続く伝統の町並みと、未来型のウォーターフロントタウンと、様々な問題を抱えながら発展を続ける重工業地帯がモザイクの様に広がり続けている。


《そして、西》

 そこは東京と横浜と埼玉と、さらに遠くには霊峰富士を背後に控え、これからの日本の中枢機能を担う重要区画を抱え、100年前から、そして、これから100年先へと発展と成長を続け、スクラップ・アンド・ビルドを重ねていく激動の大都市が息づく絶景の方角であった。


 アカデミーの一行は、ガドニック教授を先頭に西エリアへと向かう。するとその途中にて2人の武装警官部隊と彼らは遭遇した。

 それは一種異様とも言える光景であった。人影の極端に少なくなった展望フロアの一角で、全身を特殊素材のプロテクターで覆った武装警官が2人で並んで近づいてくるのだ。


 そのプロテクターは全身はもとより、頭部もフルフェイスの装甲ヘルメットで完全に防御していた。目元の複数の光学センサー・カメラが、あらゆる視覚情報を制御している。幅広な円形ゴーグル状の目元の下からは素顔が見えているが、顔面全体をマスクで覆っているため素顔は見えない。

 二人は、正確な歩調で警備エリアを歩んでいた。さしずめロンドン塔の衛兵やレーニン廟の警護兵か――

 銃口を上にして小銃を抱えている。そしてアカデミーの面々は彼らの業務と任務に支障を与えないように無言で通りすぎようとする。特に要件がなければ無関心を維持するのもマナーである。

 だが、その時は意外にも武装警官の隊員の方から言葉をかけてくる。

 彼らは軽く敬礼をすると、右に立つ者が前に進み出てきた。そして片手で首もとへと手をまわすと、ヘルメットのロックを解除し片手で器用に外す。すると、そこから現れたのはミドルヘアの若い青年である。誠実そうな締まった顔つきと強い視線の目元は信頼と安心感を与える。そして、その視線をガドニック教授に向けると挨拶を始める。 

 彼こそは武装警官部隊・古の東京大隊の大隊長・妻木 哲郎である。


「お久しぶりです。ガドニック教授」

「妻木君かね?」

「はい」


 問いかけられた声にガドニックがいぶかしげに問い返せば、妻木は力強く答えた。ガドニックの顔も思わずほころんでいた。


「君がここの警備に来ていたとは」

「はい、今回は我々、武装警官部隊が全力で皆様とサミット会場を警護させていただいております」

「そうか――」


 妻木の言葉にガドニックも満足げに頷いていた。


「それは頼もしい。君とは初来日の際に世話になって以来だからな。あの時も大変世話になった。君がこの地に来ているなら特攻装警のみんな共々心強いよ」


 教授は妻木とも面識があったらしい。若干の驚きをもって言葉をかわすと、妻木の視線はすぐに教授の背後に控えていた他の英国のアカデミーの人々に向けられた。妻木は、アカデミーの面々を見つめながら言葉を続けた。さすがにフィールの様な流暢な英国英語と言う訳には行かなかったが、それでも社交の場で十分通用する米国英語である。


「ようこそ日本へ。英国王立科学アカデミーの皆様方におかれましても、本日のサミットへの参加、まことにご苦労様です。日本警察の一員と致しまして、厚くお礼申し上げる次第です」


 その言葉に礼儀を払おうとウォルターが一歩前に進み出た。


「英国使節団代表のウォルターです。大変、御丁寧な御挨拶痛み入ります」

「恐縮であります、申し遅れましたが、私どもは、武装警官部隊『盤古』第1小隊、手前は、第1小隊隊長、並びに東京大隊大隊長を勤めます妻木 哲郎であります。本日の警備はわたくしどもにお任せ下さい」


 二人はそう告げると堅い握手を交わした。そして、会話を終え皆の方に向き直るとこう告げる。


「それでは、失礼いたします。皆様方もお気を付けて」


 妻木は再び丁寧に敬礼をしてヘルメットを装着する。

 そして踵を返し、再び巡回警備に帰って行く。

 その整理された均等な歩調は、彼らが優秀な訓練を受けていることを印象づけるのに十分であった。そのシルエットを見守らずには居られなかったのである。


 一方で、カレルはフィールに歩み寄ると問いかけていた。


「フィール。あれが日本警察のほこる武装警官部隊『盤古』だね?」


 フィールがうなずき、その隣からウォルターが声をかける。


「はい」

「なるほど、ああ言うのは君の専門だからな。で、どうだね、専門家から見た感想は」

「皮肉かい?」


苦笑いを浮かべるカレルはウォルターの問いに真面目に答えた。


「人選と基礎教育は最高だな。ここの警備要員としては非常に優秀だと私は思うね。装備も日本の工業技術の粋が集められた最先端、頼もしい限りだ」

「同感だね。私もそう思うよ」

「ただし――」

「ただし?」

「裏を返せば、日本の治安レベルがそれだけ悪化している事でもある」


 カレルの言葉にウォルターは黙するしか無い。否定することが出来ないのだ。


「考えて見てほしい。一般に対テロ部隊と言うものは、衆目に知られている事は有っても、一般の民間人の中に混じって活動しているものは滅多に無い。だがそれが、こう言う国際規模のイベントの警備に出ている上に、しかも、軽機関銃の様な武装が配備されている。“例”のテロリストの上陸情報が絡んでいるとはいえ、大変残念だ――」


 それを受けて、隣からタイムが口を挟む。


「昔の日本は、世界で最も安全な国だったはずです。女性が夜に一人で往来を歩いても、まったく安全と言う国だったはず」

「時代の趨勢と言う奴ですかな」


 メイヤーが相槌を打った。そして、ディアリオがそれを締めくくる。


「ですがそれは」


 ディアリオの声に、皆が振り向いた。


「我々、特攻装警も同じでしょう」


 ディアリオは淡々と冷静に告げる。うなずき納得する者もいれば、思案顔でディアリオの言葉を図りかねている者もいる。さらにフィールは、眉をひそめ少し沈んだ顔をしている。だが、ホプキンスはそんな空気を追い払うかのように言葉を継いだ。


「それでも、こうも言えるのではないかね? 盤古や君たち特攻装警がいるからこそ、今の日本の治安は守られている。20世紀から相変わらず治安の回復しない欧米と比べても、この国は遙かに幸せな国だ。銃の乱射ひとつ起こらない町並み――、欧米はもとより世界中でそれを求めているが、成し得ているのはほんの僅かな国々だ。だがしかし、この国の首都にはそれがあるのだ。世界の人々が願う理想が未だに残されているんだ」


 ホプキンスの言葉に皆が安堵の表情を浮かべた。フィールも気持ちに踏ん切りがついたらしく、自然な明るい声を発する。


「みなさん、参りましょう」


 集団が再び動き出す。

 そして彼らの前方に西エリアの展望フロアが見えてきたのである。



 @     @     @



 同時刻――、第1ブロックの周辺で時間を潰していた他の国のアカデミー使節団や、サミットに参加するの様々なジャンルの参加者たちはアナウンスと連絡を受けていた。


 直接にサミットに参加する者。

 サミット参加者をサポートする立場の者。

 あるいは、それをマスメディアへと伝達する役目のマスコミ陣。

 様々な人々がそのアナウンスを耳にしていた。


「これより、サミット会場への入場を開始致します。なお、入場開始時刻の繰り延べに伴いまして、サミットの開始時刻を午後12時から、午後1時に繰り延べさせていただきます――」


 人の流れが動き出す。3系統のゴンドラエレベーターと、上り2系統の螺旋モノレール、それらすべては人の流れを上へ上へと運んでいく。

 エレベーターは、リニアモーター駆動と通常の回転式モーターを組み合わせて使用している。その昇降速度は1分間に60mで、ちょうど1ブロックを1分間で通過する計算である。ただし、5フロア毎の停止階が存在するので、その際の加減速を考慮に入れると、じっさいには若干それ以上の時間が入ってくる事が考えられる。

 一方の螺旋モノレールは、レールをまたぐ形式の物で東京モノレール羽田線と同様の物である。駆動源はリニアモーター。ハニカムファインスチール製のメインレールに対して、その両側から車体側のリニアモーターが配置され螺旋モノレールは走行する。

 三三五五に少しづつ、それらの巨大エレベーターや構内モノレールに人々が乗って行く。そして、第4ブロックの国際会議場へと人々を運んでいくのである。



 @     @     @



 有明1000mビルの現時点での最上階、第4ブロック最上階層、そこは一般向けの展望フロアだ。

 西・東北東・東南東の3方向に向けて広い視界が広がっている。そのフロアの様相はサンシャインやランドマークタワーの展望フロアの規模を大きくしたものと考えればほぼ間違い無い。とは言え、今日は国際規模のサミットの当日である。そこに英国アカデミーの者たち以外に姿はなく、展望フロアの様々な施設は開店休業状態である。


 その西エリア――、日本の首都東京と日本の首都圏を代表する大都市である神奈川・横浜がその眼下はるかに広がっている。湾岸から見降ろす、超高層の眺望は、湾岸線のラインも手伝ってか眼下の都市を手に取るように見栄えさせた。

 日本と言う名の一大パノラマのその彼方には、日本の頂を預る富士連峰の山々がそびえている。それを見てメイヤーが呟いた。


「いいね、こう言う景色は」

「そうね、オリエンタルマジックって言うのかしら。東京って独特の風情と緻密さがあるのよね」


 メイヤーの言葉にエリザベスが答えた。そして、彼女はさらに言葉を続ける

 

「でもよくよく見ると意外とツギハギなところもあるのよね」

「ツギハギ?」

「こう言う大都市ってロンドンもパリもモスクワも、放射状に伸びるメイン幹線道路と、環状に広がり横方向の移動をサポートするアクセス道路が充実しているのよ。でもよく見て。日本って放射状のメイン幹線道路は充実してても、横方向のアクセス道路は未発達なのよ。日本の道路事情の酷さは知ってるでしょ? 最近になってかなり改善されたけど、それでも他の国の大都市と比べるとまだまだよね」

 

 エリザベスは皮肉たっぷりに言葉を吐いた。一方で、メイヤーは丸い顔の中の波線の様な小さな目を丸くして驚いている。そして、少し困り気味に苦笑しながら彼女に問いかけた。


「なぁ、エリザベス。君、何か日本に個人的な恨みでもあるのかい?」

「そうね。あると言えばあるかも。ねぇメイヤー知ってる? ナリタトラブルって」

「いや? 余り詳しくは」

「今から――、そうね、約50年以上前ね。日本で新たな国際空港である成田国際空港を作る際に、1965年に日本政府は一方的に空港の建設を決定したのよ。その際に地元の住民と正式な対話を行なわないまま空港の建設を強行したために、罪も無い地域住民の反対運動を招き、あげくの果てに3000人以上の無実の人間を不当逮捕。そればかりか1978年の開港以来、半分程の空港用地が21世紀に入るまで確保できない自体が続き、その結果、滑走路が1本しかない世界でも類を見ないお粗末きわまりない国際空港が出来上がる結果となったのよ。つまり、早い話、当時の日本政府は、住民を無視して勝手に成田と言う空港を作ったと言う訳よ」

「ひどい話だな」

「その時の住民との軋轢はいまだに残っているわ。だからこそ成田の拡大を諦めて、東京湾の洋上に第3の国際空港を設けなければならなかったのよ」


 エリザベスは一呼吸置いてさら続ける。


「日本って個々の人間たちはとても優秀で善良なんだけど、政治的な駆け引きや利益がからむと、別人みたいに強欲で利己的な面が現れるのよ。あたしも建築関係の仕事で日本の企業とビジネスしたことがあるんだけど、日本国内の法律がらみの事になると途端にめんどくさくてね」


 その時のことは相当に不快だったらしい。エリザベスは眉をひそめている。


「特に役所や官僚との折衝になると、外国人だからって話を聞いてくれないことがよくあったのよ。日本人の政治的に力のある人に協力してもらって初めて要望が通ったの。その時の事がトラウマになってるのね。だから日本人のそう言うジキルとハイドみたいなところでたくさん嫌な思いをしてるから、どーしても疑ってかかる癖がついちゃってね」

 

 エリザベスはやや申し訳無さそうにメイヤーに説明した。メイヤーはエリザベスの隣で、彼女の意見をただじっと聞いていた。彼女の気迫に圧倒されたわけではない。アカデミーのメンバーの中でも年長の彼は、どんなに対立する相手でも、その者の語る意見をすべて聞いてから言葉を紡ぐ癖がついていた。エリザベスの言葉を聞いてそれを咀嚼すると、優しく諭すように言葉を返していく。


「だが――」


 メイヤーの言葉にエリザベスは耳を傾ける。


「私から言わせて頂けるならば、それは日本だけに限った話ではない。我がブリティッシュも非白人系の民族に対して横柄な態度を取ることがある。我々英国人だけでなく欧州に住む民族は、よくテロや民族運動の災禍に巻きこれることがあるが、それは我々の遠い先祖が世界中に対して巻き続けてきた災いの種と言うべきものだ。フランスもパリの街に憧れて世界中から人々が集まってくるが、現実に幻滅して欧州を離れる人は少なくない。ドイツも他国人に対して攻撃的な面が隠れているのは有名な話だ――、日本だけが特別だとは私は思わん」


 そう語るメイヤーの視線は穏やかで優しいものだった。


「古くはローマ、そして、大航海時代、さらには帝国主義時代――、欧州の発展は征服と戦争の連続だ。しかし、この日本と言う国はね、時にはお人好しといえるほどに、他国に対して低姿勢を貫く国でもある。礼儀を重んじ、手続きを大切にし、秩序を尊ぶ。それ故に融通がきかない面があるのも事実だが、どんな相手でも誠意と信頼を結べば末永くパートナーシップを結べる民族だ。かつてこの国に核兵器を落としたアメリカとですら日本は信頼関係を結んでしまったのだ。未だにかつての帝国主義時代の繁栄への未練を断ち切れていない我々ブリティッシュからすれば想像すらつかないことだ」


 そこまで語ってメイヤーは何かを思い出した。

 

「そうそう――今から6年前だったなぁ日本の常任理事国入りの前年だったかな、アジア各国、特に中国/韓国と歴史的な和解と言うニュースがあったな」

「あぁ、そんな事もあったわね」

「先の大戦での責任を巡って半世紀近い泥仕合を続けてきたが、日本はついにアジア全体での連帯の最大の障害だった日・中・韓の完全和解を成就させた。この時点から国際社会に対する日本と言う国に対する評価は全く変わったと言っていい。君は、その頃幾つだったね?」

「22です。カレッジの4年だったはずです」

「その時の事を覚えているかね?」

「いいえ、当時は建築関係以外のことは全く関心が無かったので」

 

 メイヤーの問いかけに、エリザベスは悪びれもせずに答えた。そんな今どきの若者の側面を隠そうとしないエリザベスにメイヤーは苦笑しながら諭した。


「そうか、それはいかんなぁ。もっと広い視野を持たんとな。それも右か左かと言う二極化した視点ではなく、様々な多様な方向からの視点だ。人間というのは生まれたときから対立と争いを抱えて生まれる宿命を負っている。それを肥大化させて騒乱と災厄を世界に広げるか、この世界に存在する多彩な視点と立場に共感する心を養えるか、人間の成長とはそういう所にあると私は思うがね」


 メイヤーの本分は、社会人類学と国際政治学だ。異なる理念が生み出す戦争と災禍について、若い頃から研究を続けてきていた。それだけに若く野心的だが頑なな感性のエリザベスに思う所が出てきてしまうのだろう。

 メイヤーは言い終えると横目でエリザベスの様子を伺う。すると過去の日本でのビジネスでの古傷が思い出させるのか少し難しい顔をしている。それを察してメイヤーは告げる。


「エリザベス、焦ることはない。時が解決することもある」

「えぇ」


 メイヤーの言葉にエリザベスは苦笑していた。その時、背後から二人に声がかけられた。


「何事だね? 二人とも随分と賑やかにやっていたが?」

「おぉ、チャーリーたちか。どうだったね?」


 背後には、ガドニック始め、他のアカデミーメンバーが居る。メイヤーは目線でこのフロアの一角にあるカフェテラスのコーナーを指し示した。それを受けて、ガドニック教授は苦い笑みで答えた。


「そうだな。まぁ合格点と言うところか」

「日本の料理なんてそんなものでしょ?」

「いや、エリザベス。そうでもないぞ。ここの料理は余り誉められた物ではないが、日本のシェフの全てがそうではないよ。そうまで言うなら、一度、日本の一流のシェフの所に招待しようじゃないか」

「あら? 教授は、こんな国にも西洋の味覚が理解できる人間が居るとでもおっしゃいたいの?」

「そうだな。居るぞ、至る所にな」


 ガドニック教授は、エリザベスの方を向いて彼女の目を見つめた。教授は微笑んでいた。それを受けて、エリザベスは拗ねた様な表情になった。


「エリザベス、君は日本と言う国を余りに誤解しすぎているよ。確かに、我々白人社会から見れば理解し難いロジックを持つ民族だが、理解する事を放棄するには、もったいない国だ」


 エリザベスは、ガドニック教授の言葉を俯きながらじっと聞いている。そして、ふと顔を上げると物悲しそうな顔で答えた。


「まだわたしには判らないかもしれない」

「心配無い。そのうちに必ず判るようになる」


 そう言って、ガドニック教授はエリザベスの肩を叩いた。


「みんな、そろそろ行こう。もう会場に入ってもいい頃だ」


 皆が同意し集団が動き始める。ブロック内の小エレベーターに彼らは向かった。そして、そこからやや所ではフィールとディアリオが何やら会話をしていた。アカデミーの面々を遠巻きに見守っていたのである。


「フィール。それでは私はそろそろ、鏡石隊長の所に戻らせてもらうよ。他のサミット参加者の方たちもそろそろこの第4ブロックに着く頃だろうからね」

「うん、それじゃあたしも、教授たちの所に戻る事にする。でも、どうせ途中までいっしょなんでしょ? よかったら一緒に行かない?」


 親しさを隠さぬままに問いかけてくるフィールに、ディアリオは毅然として答える。


「いや、これは仕事だからね。それに私の持ち場はここではない。あるべき形に戻らねば」

「そっか。そうだね」


 フィールがしみじみとした表情で告げた言葉に、ディアリオは大きくうなづくとフィールの気持ちに寄り添うようにその肩をそっと叩いた。


「それじゃ、行くよ」

「うん、気を付けてね」


 二人は、挨拶もそこそこに分れ、別々の方角へと歩き出した。ディアリオはゴンドラエレベーターの下りで第1ブロックへと降りる。鏡石隊長に直接会うためだ。一方のフィールはアカデミーの人々の所へと向かう。現れたフィールの元に、アカデミーの一団は集ってくる。そして、フィールを先頭にして再び移動し始める。フィールに同行しているSPたちもアカデミーメンバー警護を継続させる。

 ビルの中には、ゴンドラエレベーターの他にも小型のブロック内エレベーターが幾つも存在する。彼らはその内の一つに向かう。第4ブロック階層の床面フロアへと降りていくためだ。そのブロック内エレベーターへと通じる展望フロア通路を進んで行く。光の降り注ぐ透過性の外壁が終わり光を通さない構造体の外壁が始まった。

 

 通路は、左へ左へと軽くカーブをしていた。視線はそのカーブの向こうへは届かず、その向こう側は見えない。だがアンドロイドであるフィールには聞こえてくる物があった。彼女には人間以上の聴覚が完備されているのだ。

 フィールが不意に立ち止まり、警護官もフィールの動きに機敏に反応した。

 その場が一気に緊張感に包まれ、円卓の会のリーダーのウォルターが問う。


「フィール君。何が――」

「静かに」


 フィールがウォルターにたしなめる頃には、異様な音が徐々に響いていた。

 フィールは自分からその集団の前に進み出る。警護官たちも即座にアカデミーメンバーの周囲を固める。それを確認してフィールは懐から拳銃を取り出した。

 

――スプリングフィールドXDMコンパクト――


 45口径を使う黒色の金属塊はフィールの華奢な両手の中で日本警察の威を示していた。

 フィールはその背後にアカデミーの面々を護りながら警告を発する


「止まりなさい!」


 フィールの白銀の様な烈迫の気合いがその場にこだまする。


「現在、本建築物の第4ブロック階層はサミットの会場に指定されており、サミット関係者と警備要員以外は立入禁止です! 今すぐに身分と所属を提示しなさい! 提示無き場合は不審人物としてその身柄を拘束します!」


 普段どれだけマスコットめいた可愛らしさを振りまいていても、彼女の本質は警察であり、日々の激務の中で骨の髄まで染み付いていた。犯罪を抑止する――それが自らの存在理由なのだととうの昔に納得している。その毅然とした態度は彼女がプロフェッショナルである事の証拠でもあった。


 フィールの叫びは、本来は無人であるはずの回廊で残響する。普段の幼さの残る愛らしい話し方とは打って変わった、凛々しさと気高さの宿る強い口調だ。その残響がフェードアウトするのと入れ替わりにフェードインしてきたのは足音だ。プラスティックのフロアの上にヒールの堅い音が響き渡る。


 そしてその足音を引き連れて一人の女が現れる。フードの付いた黒いワンピーススーツ、縦一直線の長身のシルエットの中に、成熟女性の曲線が宿っている。そのシルエットにフィールの脳裏にはひらめく物がある。

 

「あれは? たしか扇島の湾岸道路で――」


 それは見覚えのあるシルエットだ。フィールの脳裏に猛烈な警戒心が動き出していた。

 その警戒と緊張を無視するかのように、その女性はスーツのフードを下ろす。するとそこには男性と見まごうほどに短く刈り上げられたプラチナブロンドヘアの女性の姿があった。端正な気品あるシルエットだ。だが、その目だけは別物だ。冬の満月の様な冷気に満ちた目である。極北の大地の餓狼の視線でもある。それはフィールたちの方を一直線に見据える。

 その女は歩みを止めずに、一歩、また一歩と、確実に全身してくる。

 当然のように警護官たちも前進しバリケードを作りアカデミーの人々をその背後へと護る。

 不審者がフィールの警告に反応しない以上、危険人物と断定するのがセオリーだ。警護官たちはフィールを除いて6人、2人はアカデミーの面々を後方へと下がらせ、残る4人がフィールとともに前方に進み出た。

 そして警護官たちと肩を並べながら、フィールはアカデミーの面々に対して語りかける。


「警護官から離れないで下さい」


 フィールのその言葉に誰それとなく同意していた。シェチューションから言ってプラチナブロンドの女が危険人物である事は間違い無いのだ。警護官の一人が大声で警告する。


「止まれ!」


 女は止まらない。警護官たちは懐から金属製のスタン警棒を一気に振り出す。1mほどに伸びたそれを構え女に近寄る。

 

 その光景をアカデミーの面々は不安げな面持ちで見守っていた。

 ガドニックも、ウォルターも、トムも、エリザベスも――

 皆、突然始まった捕り物劇に緊張し危機感を抱いている。もっとも、カレルは全く表情を変えずに憮然としている。この様な事件現場はカレルは慣れている。その専門分野故に頻繁に目の当たりにしているのだ。

 しかし、ただ一人異なる反応をしている者がいる。

 ホプキンスだ。彼だけが眼前に展開される情景をじっと見ていた。目に力がこもっていた。何かを凝視している。疑惑と思索の目である。

 警戒され、威嚇されていつというのに女は眉一つ動かそうとしない。ただ彼女のヒールの足音だけが展望フロアの空間に鳴り響いている。警護官が彼女を拘束しようと間近まで近寄っている。だが女は冷たい笑みをたたえたまま足音を停めた。

 

 ――と、その時である。


「いかん! そいつから離れろっ!」


 ホプキンスの絶叫に、警護官の一人が弾かれる様に振り向いた。


「戦闘アンドロイドだ!!」


 その瞬間、その警護官はコンクリート壁の血痕の一部となっていた。獲物を狩る野獣のように飛び出しながら右腕をオーディンの振るうハンマーのごとく一旋する。その拳という凶器は1人の人間の頭部を瞬時にして肉塊と化したのだ。

 そして、拳についた血を振りはらいつつ視線を周囲に走らせて獲物を数えた。

 危険人物であることが確定した瞬間、警護官たちの布陣が形を変える。さらにカレルが襲撃者の来た方とは反対側に視線を向け、それ以上の不審人物が居ない事を確認した上で、すぐそばのアカデミーの人間の手や衿を掴み引っ張った。


「こっちだ!」


 カレルの言葉に、皆が一斉に走り出す。アカデミーの側に下がり彼らを守っていた警護官2名は、その集団を庇う様に行動をともにした。

 フィールはその混乱する状況の中で必死に判断を巡らせようとする。そして、その手のスプリングフィールドの狙いをつけると引き金を引く。45ACPのフルチャージ弾が発射され命中するが、弾丸は女の胸板で涼しい音を立てて弾けた。次の瞬間、残りの3人の警護官たちも有効な行動を何も出来ずに、頭部、頸部、左胸――急所を瞬時に砕かれて為す術無く崩れ落ちたのである。 フィールは残った2人の警護官に告げた。


「ここは引き受けます! アカデミーの人たちを優先してください!」


 フィールの言葉を受けて警護官は逃散するアカデミーの人々と行動をともにして姿を消し去った。


 フィールはそれを確認し終えると、襲撃者の方に向き直り再び引き金を引く。

 

「胸部は装甲が厚い、ならば目だ!」


 特攻装警の射撃は常人のレベルを遥かに越える。ありとあらゆる射撃にまつわる不確定要素を瞬時に内部プロセッサーでシュミレートし、正確さを飛躍的に向上させて射撃する。常識的な至近距離ならほぼ99%命中させる事が出来るのだ。


 だが――

 

「えっ?!」


――弾丸はフィールの予想を裏切った。

 その女の動態視力が尋常ではないのか、弾丸は虚空を通り過ぎた。そしてフィールが敵の回避行動に気づいたのとほぼ同時に、フィールは彼女から当て身を食らったのだ。

 当て身と同時に右肘の猿臂をフィールの胸部へとねじり込む。それと同時にフィールの右の手首を自らの左の脇の下に強固に挟んでいた。銃を構えていたその姿勢へと肉薄すると同時に、フィールの右手を封じたのだ。

 さらにそのままフィールの胸元に当てた右腕を前方へとひねると、いとも安々とフィールの右腕を根本から毟り取ってしまう。

 当て身から右腕破壊まで僅か1秒たらず。

 鈍い音とともに、高圧の電磁火花がほとばしる。

 

「ああぁっ!」

 

 フィールは悲鳴をあげながらその場に崩れ落ちた。対して女は無言でフィールの腕を捨てた。

 眼下に腕を毟られたショックでうずくまるフィールがいる。女はフィールの存在を無視して進む。すでにアカデミーの皆の姿は無くさらなる追跡が必要だった。

 そして女は、何か呟いていた。どこかに無線の様なものがあるのだろうか、何者かに報告をしているようだ。


「ジュリアだ。ネズミを見つけた。だが邪魔が入ったので逃げられた、これより――」


 女は自らをジュリアと名乗った。

 だがジュリアは報告途中で言葉を止める。彼女のその視界の中に真紅に燃え上がった一発の弾丸が飛び込んできたからだ。

 回避行動をとるジュリアの頭部をかすめだ弾丸は彼女の額を深く傷つける。だが、そこから血は一滴たりとも流れてこない。そのジュリアに強い口調で語りかける声がある。


「以前、聞いたことがあります。素手で戦う暗殺用戦闘アンドロイドは極めて頑丈であらねばならないため、確実に重量が上がる。そのため、どんなに外見を取り繕っても足音が微妙に重くなると。アカデミーのあの方もその事に気づいたのでしょう」


 ジュリアは、弾丸が撃ち込まれてきた方向を見た。そこには1m長の大形電磁警棒を手にし、白銀色に光るオートマチック拳銃を構えた人物がいた。その者の名をフィールが呟くいた。


「ディ、ディアリオ兄さん――」


 今、この瞬間、ディアリオは怒り狂っていた。アンドロイドでありながらも、沸き上がる感情と言う名の情報とエネルギーの渦にその身を震わせずは居られない。その久しぶりに感じる底なしの激怒の感情であった。理性派が特徴的な彼だったが、今この瞬間だけは感情を爆発させずには居られなかったのである。


「来い、お前を解体して、その頭脳に直に尋問する」


 ジュリアは目前のディアリオを睨んでいた。ジュリアは呟いた。


「訂正、機械仕掛けの日本犬が現れた。処分する」


 ディアリオは2度目の引き金を引く。その瞬間。ジュリアの身体が突風の様に駆け出していた。



 @    @    @



 大音響が響き渡る。

 フィールがジュリアに打ち倒されたのと同じ時刻だ。第4ブロックの中央台地の周辺、3本の巨大支柱の付近――

 そこからビル全体を揺るがすような爆音が3度響き渡った。


 爆破事件――それもかなり規模の大きい物だ。そして爆破現場である巨大支柱の附近を一目すれば、異常な事態である事は誰にでも推測がつく。ゴンドラエレベーターを含む3本の支柱の附近は広範囲に吹き飛んでいたのだ。


「総員配置! 民間人を退避させろ!」


 号令が響き渡る。第4ブロックの全ての軽武装タイプの武装警官が目まぐるしく動き回った。その手に装備された軽機関銃――ステァーAUG・軽機関銃モデル――を構えつつ危機回避行動を開始する。

 まず、そのフロアに居たサミット参加者を国際展示場内部に避難させる。被害者や負傷者は〝ゼロ〟にする事が彼らに課された絶対条件だからだ。

 その一方で、不審な影が動いていた。盤古たちが最大級の警戒をしているその傍らで第4ブロックの各所で散発的に銃声と衝撃音が起こる。それが単なる爆破事故でない事はすぐに判った。


 3つの異なる動きのシルエットが動き回っている。


 這う様に物影を疾走する者――

 障害物を切り裂き吹き飛ばしながら1直線に進む者――

 幽鬼のように揺れ動きながら触れ得る物を燃え上がらせる者――


 武装警官たちは彼らに抗い排除すべく攻撃を開始する。フロア内で飛び交う銃声は彼らの装備から放たれたものである。だが、どんなに必死の抵抗を試みようとも単なる防弾防刃目的の無動力のプロテクターのみでは限界がある。

 軽武装タイプの装備は本来は生身の犯罪者との戦闘を想定しているためだ。仮にも凶悪な違法サイボーグや機械化犯罪であるなら自分の身を護るのが限界だろう。隊員たちを率いる小隊長たちは、難しい判断を迫られていた。敵が人間であるか――、否か――、その判断は急を擁するのだ。

 

 そして、数少ない情報が集められる中、一つの判断が下される。 


――彼らが交戦している相手、それは人間ではない可能性がある――

 

 その意思決定をしたのは武装警官部隊・盤古を率いる大隊長の妻木である。ヘルメットの通信装備を介して全隊員へと一斉送信する。

 

「大隊長妻木より各員へ注ぐ! 敵は非人間タイプの機械化武装タイプの可能性がある。軽武装タイプは後退し要警護者の保護と誘導に専念しろ! 標準武装タイプはプロテクター動力をアイドリングモードから臨戦モードへと切り替えて交戦準備! 所持武装も全て動力を入れろ! 武器使用は無制限! これより全戦闘を許可する! 繰り替えす! 武器使用は無制限! 全戦闘を許可する! いいか! 絶対にサミットのVIPを傷つけるな!」


 その音声が発せられた瞬間、全隊員たちが一斉に吠えた。

 

「了解!」


 それは意思の統一である。そして、武装警官部隊と言う日本国内最強の戦闘部隊の矜持が試される壮烈なる戦いの時の始まりである。


 ちなみに武装警官部隊・盤古の装備には3つある。

 無動力で限定された防護能力と情報機能のみを備えた『軽武装タイプ』

 装着者へのパワーアシスト能力を備え防護能力を強化した『標準武装タイプ』

 さらにこれに加えて『重武装タイプ』がある。

 

 襲い来る正体不明の3つの影、それは軽武装タイプの軽機関銃の弾丸など通用しないだろう。

 だが標準武装なら全身のパワーアシストで、常人のレベルを超えた挙動と戦闘力が発揮可能だ。

 通常は人目をさけて後方に下がっているが、その威圧的なシルエットでもって〝護る力〟を誇示することができる。


 危険を最大限に回避するために最寄りの施設に押し込まれていた警護対象者だったが、幾人かが国際会議場の回廊の窓から外部の様子を伺っており、その視線は盤古隊員たちの有志へと向けられていた。日本警察が誇る〝護る力〟にこの場の行く末を委ねていることだろう。

 

 標準武装の盤古たちは腰の装備ラックから大型の対機械戦闘用の特殊警棒を取り出し予備スイッチを入れる。振り出し動作1つでフル起動可能な飛び出し式高圧電磁警棒である。さらに彼らの所有する武装は軍用の汎用機関銃のU.S.M240E6のカスタムモデルだ。

 中には担当個所により、グレネードのアーウェンや、12番ゲージショットガンなどと言った支援火器や、専用特殊装備に該当する装備を所持する者も居た。全装備が着々と起動して行き、臨戦態勢は完成していく。雑談もワイズダックも無いままに、不気味なまで沈黙によって盤古の戦闘準備は完成するのだ。


 そもそも―― 

 戦闘行動時の盤古は黙して語らない。その行動に関する通信と指令授受はプロテクター内に組み込まれたデジタル通信装置によって行なわれる。盤古独自のデジタル符形による暗号指令であり、万一、傍受されていても第3者には理解不能である。


 戦闘エリアの各所で隊長と思われる一人が先頭に立ち、それ以外の者たちが各々の配置に付いた。

 狙撃要員はその姿を隠しながら、見通しの良い身を隠せる場所のポイントへを確保する。いずれも、その足音はもとより装備からでる雑音すらも聞こえない。その装備の中に含まれた特殊な消音装置のためである。盤古たちはそれを利用して再び建築物の影へとその姿を消して行く。

 一方、警護対象者を守り避難と撤退を担ったはずの軽武装タイプは、本来の任務であるVIPの即時退避行動を完了させていた。多少の負傷者が生み出しているが、これも彼らの任務上はやむを得ない物なのだ。


 そして、日本警察の布陣が変容する中で、三つの影たちの動きが一旦止まる。これまでとは様相の違う新手が現れた事を察知しビルの高見を見つけ、そこへと移動し眼下を見下ろし始めた。

 状況を再判断できると言う事は彼らもそれなりに〝知性〟を有しているのだ。

 今、眼下の抵抗者たちを睨みながら、その中の1人の長い黒髪の女が呟いた。

 

「出てきたわ。鉛の兵隊」

  

 両の腕を組んでいて眼下で展開している盤古の行動をつぶさに観察している。組んだその指の先には真紅のマニキュアが引かれている。彼女の隣にいるのは、純銀の髪をなびかせた女だ。小羊を狙う猛禽の様に冷酷な視線を投げている。


「どこから殺る?」


 さらにその足下に伏していたのは小柄なボブヘアの女。彼女は呟いた。 


「どこからでもいい」


 ほんの僅かに微笑むと、眼下の世界へ向けて早くも身構える。


「みんな消しちゃえばいい」


 その言葉を耳にしつつ、純銀の髪の女が言う。彼女の問いに黒髪の女が答える。


「ねぇ、ジュリアはどうしたのかしら?」

「最上階に偵察に行ったら出くわしたらしいわ。本命に」

「あら? それじゃもうおしまい?」

「いいえ、逃げられたそうよ。二匹の警察犬に邪魔されてね」

「どっちでもいいわ。ローラの言う通り、邪魔するのはみんな消せばいいのよ」

「アンジェもそう感じる?」


 純銀の髪のアンジェは頷き、そして、問う。


「それじゃ、マリーはどこから行く?」


 黒髪のマリーは周囲のビルの高見を眺めて答える。


「そうね隠れたネズミを炙りだしてみるわ。姿は見えないのに感じるの熱い吐息と、強い敵意を」


 マリーが答えればアンジェはもう1人に尋ねた。


「ローラは?」

「めんどくさいから、正面から行く」


 眉一つ動かさず小柄なローラは答える。そしてアンジェが締めるように告げた。


「決まりね。じゃ、あたしはローラとは反対側から揺さぶってみるわ」


 そして、3人は頷いた。頷いたその瞬間に3人はその姿を消していた。



 @    @    @



 今、異変が有明の1000mビルの各所で際限なく起きていた。


 3系統のゴンドラエレベーター、

 2×2系統の螺旋モノレール、

 ――その全てが音もなく停止している。

 

 各ブロックの間の通路の大形シャッターが突如閉鎖される。防火・防災用の物はもちろん。あらゆる扉が締まって行く。中には何の予告もなく唐突に閉まり始めたシャッターに挟まれてしまう被害者も発生した。


 異変はそれだけでは収らない。電気・水道・空調・通信。ビル内のあらゆる施設がその動きを止められたのである。

 エレベーターも止まる。ビル内のあらゆる設備が停止する。閉じ込められるもの、思わぬ被害に遭う者――、

 幾多の被害者を生みながら有明のビルはまたたく間に沈黙する。


 それらの異変の数々は、近衛たちの控えている警備本部でも察知されていた。


「本部長!」

「何だ?」


 警備本部に機動隊員の一人が飛び込んできた。近衛は白紙のレポート用紙を数枚並べて何かの文を列挙していた。


 近衛は旧式な警察無線機の設置を指示していた。警備本部備え付けの情報通信端末はすでに彼の手で部屋の隅に追いやられている。ビル内の通信回線が全面停止している現在、使い物にはならないためだ。それに加えて、このビル全体が電磁波障害を防止するために電波を吸収する素材で作られているため、通信手段を確保することは容易では無かったのだ。

 臨時の構内通信網を敷設中だが、1000m規模ビルと言う性格上、あまりに規模が大きすぎるために時間がかかるのは明白だった。 

 近衛が女性警官たちに命じて紙面上に記録させていたのは、これまでに報告のあった事実の数々である。それを確認している近衛の表情は限りなく暗かった。


「第3ブロックの警備の者から連絡が入りました」

「よし、話せ」

「第4ブロックのエレベーターシャフト附近で爆破の様な衝撃があったと事です」

「そうか。それで、連絡手段は?」

「ビルのメンテナンス用の螺旋階段を駆け降りてきたそうです」

「ご苦労。報告した者を救護所で休ませてやれ。210mを一気に駆け降りたのでは骨だっただろうからな」

「はっ!」


 機動隊員は駆け足でその場をあとにする。その後、その警備本部のその部屋には入れ替わり立ち替わりに様々な人間が状況報告に訪れた。


 近衛は、その連絡の全てを冷静かつ克明に紙面に記している。なにしろ、ビル内の連絡はもとより、ビル外との通信もビルの総合交換施設が止まっている以上、復旧するまではどうにもならないのである。しかも電波障害を防ぐためのビル構造が仇となり無線通信も大規模障害を生じていた。

 電波遮断の素材が多用されていて直接に外部と通信することはできないが、それを補うため、ビル独自の通信回線のシステムが、電話やネットのアクセスをビルの内部と外部を仲介する構造となっていた。それがビル機能が全面停止している以上、もはや旧時代の無線システムや人海戦術に頼る以外に方法はないのだ。


 一方、その部屋の別な箇所に視線を向ければ、新谷の姿もあった。彼はただ黙して座しているのみである。ふと、その沈黙の場が賑やかになる。一人の女性が姿を現した。

 鏡石だ。冷静そうに口許を水平に保ち、沈黙を守っている。だが、釣り上がった眉や、堅く噛み締められた唇がその本心の一端を会間見せている。じっと、かすかに眉間に皺を寄せ、リズミカルにヒールを鳴らして彼女は歩く。そして、その会議室の椅子の一つを取りだし、そこにおもむろに座り込む。


 鏡石はその手を組むとじっと思索に耽けった。言葉は発しない。ただ、机の上の一点を凝視するだけだ。今の彼女は混乱の中に一つだけ紛れ込んだ沈黙である。だが、その沈黙が破れ、彼女は言葉を発した。


「近衛警視正、現状は?」


 近衛が書類から目を離し、つっと鏡石の方へと視線を送る。近衛は感情を押し止め、理性的に鏡石を見つめている。彼は傍らの機動隊員に声をかける。やがて、その機動隊員が鏡石に資料の束を静かに差し出した。


「物理的状況を始め、詳しい事はそれに記してある。はっきりと言って直接的な打開策は何も見つからん。八方ふさがりと言っていい」

「情報系統はおろか、動力系統すらも死んでおりますしね」


 鏡石はその顔に、己が責任から来る苦しみを滲ませて呟く。


「私の責任です」


 鏡石はよく透る声できっぱりと告げた。潔さが近衛の耳には心地好かった。


「だがな――」


 しかし近衛は鏡石の言葉を覆い隠す様に告げる。にわかに強固さを解いたその顔には、微かな優しさを秘めた柔和な笑みがある。その言葉に、鏡石は弾かれるようにその顔を振り上げる。


「至急に対処しなければならない問題が一つある」


 鏡石はじっと黙って聞き入る。近衛の告げる言葉の中に、己れの行動と閉塞した気持ちの突破口を探している。


「第4ブロックにとじ込められた者たちの安全確保のためにも、大至急、第4ブロックとの連絡ルートを確保しなければならない。そのためには、どんな情報でも無駄には出来ん」


 鏡石が情報と言う言葉に微かに反応した。虚を突かれた様に、にわかにその顔に色が差し込んでくる。そして、彼女の表情からは意図的な造られた強さが晴れていき、彼女本来のスピード感ある気高さが戻ってくる。


「失礼します」


 彼女は自然な力を込めて呟くと、己れの目の前に置かれた書類に手を伸ばす。鏡石が書類をめくり目を通す。近衛がそれを横目で見つめる中、ややおいて鏡石は近衛にこう答えた。


「上部階層との連絡方法については、お任せいただけないでしょうか?」


 鏡石が挑戦的に近衛を見つめ、同意を求めている。近衛にしてみればこれを否定する理由は何も無い。


「たのむ」


 近衛の答えの確かさに、鏡石は立ち上がり軽く礼をした。

 彼女は己が向かうべき場所を見つけた。そして、そこから立ち去った。

 近衛は鏡石の背を見送ると彼女へと向けた笑みを消し、書類の束へと冷徹な目線を向けた。

 やがて、時間をおいて十数人ほどの警官や機動隊員が姿を表わした。隊長格や主要セクションの責任者、あるいはその代行者である。 

 近衛は彼等を見て告げる。


「来たな。さっそく始めるぞ」


 皆、警備本部のデスクに各々の場所に付く。時間が無い、省ける事は片端から省いている。近衛は率直に報告を始めた。


「それではさっそくだが、現状報告をする。まず、現在のビル内の通信・連絡系統だが、これは全面的に停止、ビルの外部との連絡もビルを離れないと行なえない状況になっている。無線通信も不可、このビル自体がゴースト電波を避けるために電波を完全に吸収遮断する構造になっているためだ。そのため同一のブロック内での通信を除き、現在は人海戦術で口ずてに連絡を行なっている状態だ」


 近衛は努めて冷静さを維持しつつ言葉を続けた。


「それからビル内の移動は、エレベータやモノレールを始めあらゆるビル内施設が全面的に停止、移動はビルのメンテナンス用の一部の通路のみ。しかも、大量の人員の移動は不可能と見ていい。

 そして、現在までの報告では、上層階――、特に第4ブロックにおいて、なんらかの凶悪な破壊活動が行なわれているとの情報が入っている。だが残念ながら、現在の我々の状況や装備・器材では有効な対策手段を取る事は不可能に近い」

 

 あまりに過酷な状況が語られる。だがそれを漫然と受け入れるわけにはいかなかった。

 

「そこでだが――、現在、本庁に対して事実の連絡と大規模な応援を要請している。一方で我々が行なえるのは、ビル付近やビルの第1ブロック部分における一般民間人の避難誘導と、ヤジ馬やマスコミなどによる無用なトラブルを避ける事にある」


 近衛が語る言葉を集まった隊員たちは冷静に耳を傾けていた。


「また、マスコミの取材要請に関しては全面的な箝口令を敷く事が、警察庁や外務省からも指示されている。現在、報道協定による秘密保持を全マスコミに呼びかけている。第4ブロックにサミットのVIPがとじ込められている事や、彼等の安否が全く判らない以上、不用意な報道は自体の悪化を招くだけだからだ。なによりかねてから伝達してあるとおり、あの国際テロリストの介入が予想される以上、被害状況情報の拡散は、テロリストの実績宣伝となりかねない。それだけは絶対に回避しなければならない」


 そして近衛は一呼吸置くと、部下たちに問いかけた。


「現在、非常に苦しい状況にある。だが、何としても、ビル内の全ての部署と連絡を取り有効な対策を取りたい。何か提案のある者は遠慮なく上申してくれ。以上だ。何か他に質問はないか?」


 そして、次々に近衛に対して、質問と提案がなされた。警備本部は紛糾した。議論が続く中、連絡役に指定された警官や機動隊員たちが目まぐるしく警備本部を出入りをしている。

 その時である。連絡役の警官に混じって、一人の背広姿の若い男が警備本部に入ってくる。


「し、失礼いたします!」


 その部屋の中の視線が一斉にその方を向く。それまで状況の観察に神経を注いでいた新谷も、その男の方を見た。そして、その顔を確認するとその表情がにわかに明るくなった。


「朝君! 遅いじゃないか、何をしてたんだね?」

「申し訳ありません!」


 近衛は彼に向けて言い放つ。


「何者だ!」

「だ、第一方面涙路署捜査課所属、朝研一巡査部長であります」

「時間が無い、用件だけを手短に報告しろ!」

「はい。ほ、報告、こちらに連れて来る予定の特攻装警が1名――」


 朝がそこで言葉を詰らせた、近衛は苛立たしそうに朝を睨み付ける。


「どうした?!」

「先程……は…ハグれました」


 新谷が大きくその肩を落とした。そして近衛は、報告してきたその若い男を凝視する。近衛はさらに告げる。


「貴様が引率の責任者か?」

「は、はいっ」

「失踪した者の氏名は?」

「グラウザー、特攻装警第7号機グラウザーであります」

「貴様はその時、一体何をしていた!?」

「と、トイレに」


 朝は申し訳なさそうな情けない笑みを浮かべながら答える。

 だが、近衛は凝視した視線にさらに力を込めると大きく息を吸う。


「馬鹿者ぉっ!!!」


 近衛のその怒号は、その部屋の窓ガラスを割るのでは? と思えるほどであった。


「申し訳ありませんっ!」


 朝は思い切り頭を下げ謝罪の言葉を口にする。

 その瞬間、警備本部の中に、二重の倦怠感と疲労感が駆け抜けたのである。


次回、第1章第7話『第7号機』


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