1:午前7時:芝浦ふ頭倉庫街
Ad.2039――
物語は始まります。
まだ朝日が昇るころ、大都会の街並みは薄暗い。
都心とお台場をつなぐレインボーブリッジのたもとの一角、芝浦ふ頭とよばれるベイフロントエリアに彼らは居た。
昔からのウォーターフロントビルが建ち並んでいるが、そこを吹き抜ける風はどこか澱んでいる。
2039年という、世界中が疲弊しきった時代そのものがそうさせて居るのだと人々は言う。
「こちら、グラウザー――あと30秒で所定位置に現着です」
〔了解、現着での配置完了後に再度報告しろ〕
「了解」
活気と行動する意欲に満ちた若い男の声がする。
その声に答えるように壮年男性の野太い声が無線越しに聞こえていた。
〔それとグラウザー〕
「はい?」
〔現場では自分の名前ではなく呼称番号を使え。お前の呼称番号は〝特攻装警7号〟もしくは〝特7号〟だ〕
「了解しました。次は注意します」
〔よし、任務続行しろ〕
壮年男性の声がグラウザーを注意する。職務上、基本となるセオリーについてだ。グラウザーはその注意に素直に返答した。
そこは芝浦エリアを走る2つの首都高速ハイウェイ、1号羽田線と11号台場線に挟まれた三角のエリアだ。
薄汚れた倉庫ビルやマンションや企業ビルが建ち並ぶ中、背広やジャケット姿の十数人ほどの男たちが2名一組となり気配を消しながら散っている。
そのいずれもがその右耳にワイヤレスの無線用イヤホンを装着しており、その足取りは速やかで無駄な動きは皆無だ。
グラウザーと名乗った彼は、パートナーであるもう一人の若い人物と連れ立ってとある場所へと辿り着こうとしていた。
グラウザーはバイカー風の厚手のジャケット、パートナーの彼は一般的な濃紺の背広姿だ。その背広姿の彼が報告をする。
「こちら朝、および特7号、待機A地点、現着です」
〔こちら飛島、指示あるまで待機〕
「朝、マルです」
「特7号、了解」
警察とおぼしき隠語を交えながらグラウザーと朝の二人は報告の声を送る。彼らの上司で名は飛島。所轄の捜査課の係長を担う男である。
〔よし、こっちでもお前らの配置位置を確認した〕
そして無線越しの飛島の声のトーンが変わる。努めて冷静であり強い指導を意図した声だ。飛島が命じる。
〔全員に告ぐ。これより準広域指定事件・中央区貴金属強盗殺害事件の被疑者身柄確保を開始前の最終確認を行う。
要身柄確保対象は以下の3名――
主犯格の台湾国籍中国人・金友成、
共犯の日系3世ブラジル人・ロレンゾ・オオシタ、
日本国籍のステルスヤクザ・松実 広見
いずれも違法サイボーグ手術を受けている事が確認されている。金は下半身全て、ロレンゾは両腕と神経系、松実は両腕全てと背部と脚部に外部装着フレームを移植している。
ロレンゾは銃器の違法所持及び不正使用、松実は傷害致死で指名手配されている。いずれも戦闘経験は豊富だと見ていい。だが主犯の金の情報察知能力が高く、大規模に機動隊や武装警官部隊を動かしては感づかれて逃げられてしまう。そこでだ――〕
飛島の声が一区切りされる。
〔――今回はかねてより現場研修中である特7号の〝グラウザー〟を先頭に立てて制圧戦闘を行わせる。特7号のバックアップと判断補助が朝、それ以外は事前指定した所定の位置で包囲・待機。確保対象はビル型マンションの7階西側の12号室に潜伏している。これをグラウザーを先頭に強行突入して、全員の身柄を確保する事を目的とする。なお、主犯格の金は逃走技術が高い事が確認されている。やつだけが先行して逃走することも考えられる。強行突入班、バックアップ班、地上側包囲班とに分かれ、逃走を完全に封殺する! これ以上、巻添えの犠牲者を増やすわけにはいかん。いいか! 絶対に逃がすな!〕
〔はい!〕
飛島の掛け声に全員の声が帰ってくる。そして、飛島は現場指揮のリーダーとして、力強く宣言したのである。
〔突入……10秒前――9、8、7,6、5、4、3――〕
グラウザーはマンションのスチール製のドアに右手をかけた。全身に力がこもる。
〔――2、1――〕
その瞬間、全員が息を潜める。朝もその手に官製支給拳銃のSIG226を手にしてグラウザーの後方に張り付いている。
〔突入!!〕
係長の飛島が号令をかける。グラウザーはその掛け声を合図に右腕でフルパワーを炸裂させて、スチール製ドアを一気に引きちぎったのである。
――バゴオォォォン!――
重く轟くような破壊音が鳴り響き、スチール製ドアのロック部分は微塵に弾け飛んだ。ドア内部のロックチェーンはたやすく引きちぎれてドアは安々と開けられたのである。
事前に望遠音響センサーと、望遠カメラ映像と、マンション内のフロアマップデータから、内部の人間の立ち位置を算出しておく。ドアを開けると短い廊下であり、入り口すぐが風呂とトイレ。その反対側に一部屋ある。その先に広い12畳ほどのリビング・ダイニングが存在している。いわゆる1LDKの構造だ。その中のリビングに3人とも集まっていた。制圧奇襲をかけるなら今しか無い。
「警察だ! 動くな!」
朝刑事の凛としたよく通る声が響く。レザージャケット姿のグラウザーが髪をなびかせながら駆け込んでいく。朝も両手でドイツ製のシグP226を構えて威嚇を開始する。銃を構える姿勢は両腕を均等に前へと伸ばしたアイソセレススタイルと言うものだ。弾丸の射線はグラウザーの肩越しでこれから起こりうるあらゆる自体に対応する事を前提としていた。
――対して。先頭を切って飛び込んだグラウザーは両拳をしっかりと固く握りしめていた。
相手が違法武装を備えたサイボーグである事はわかっている。またそれぞれに特性が異なることもレクチャーを受けていた。
リビングの中は3人がそれぞれにくつろいでいた。
生活臭のないゴミだらけの部屋の中、テーブルで惣菜パンを口に咥えていたのが日系3世ブラジル人のロレンゾ、長ソファに腰を下ろして右膝の外装強化フレームに注油していたのがステルスヤクザの松実、膝つきソファでハーフメットサイズの旧世代のVRゴーグルを装着してネットアクセスしていたのが、主犯格の中国人の金である。
すぐに気づいて反応を示したのが部屋の入口に最も近い位置に居たステルスヤクザの松実である。だぶだぶのジーンズにタンクトップシャツ、頭はスキンヘッドである。
「んだぁ!! んしゃらぁ!!」
奇声にしか聞こえない叫びをあげて松実は飛び起きるように立ち上がる。ヤクザに限らず組織犯罪の下っ端が威嚇行為を込めて奇妙な言葉を並べ立てるのはよくある事だ。
「んころっぞ! んだおらぁあ!」
松実はさらに奇声を上げる。それが殺意をにおわせて相手をひるませる事を意図しているのは、経験浅いグラウザーにもよくわかった。だがこれまで朝や飛島から受けたレクチャーから、こう言う事態にどう対応すれば良いのか、グラウザーは心得ていた。すなわち――
〔特7号より、緊急避難により制圧を開始します〕
【特攻装警第7号機 】
【個体名:グラウザー 】
【>緊急避難行為による戦闘行動発生 】
【>行動状況ログ、記録開始 】
〔飛島了解、制圧を許可する〕
――意に介さない事である。
ネット無線越しに飛島から、戦闘を承認する返答が来たが、それ以前にすでにグラウザーは戦闘を開始していた。
グラウザーの視界の中で、ボクシングスタイルで両拳を硬めた松実は右斜め前方からすばやく接近しつつあった。元ボクサーであった松実はボクシングスタイルの戦闘を得意とする戦闘請負人であり殺し屋でもあった。両腕を総金属製の義手に換装し、頑強さとパンチの威力を補強する外装骨格フレームを胴体背面と両脚部に装備していた。
松実は正確にステップを踏みながら近接してくる。だがそれと同時にすでにグラウザーは戦闘の手順を頭脳内で組み立てつつあった。無論それには――
〔グラウザー! フェイントだ! 相手にこちらの意図を誤認させろ!〕
――お目付け役の朝の補助があったのである。
これまでの犯罪データから松実がボクシングスタイルでの戦闘を得意としているのはわかっていた。だがシュートボクシングでもムエタイでも無いため蹴り技には疎いことも。
恣意的にボクシングスタイルで構えたグラウザーは、左半身を前にして右拳を振りかぶるモーションを垣間見せる。それはボクシングの熟達者から見て明らかにバレバレのテレフォンパンチだった。
そのグラウザーの動作を封じようと松実は先手を仕掛ける。
素早い踏み込みでステップインしつつ左右のジャブをけしかける。
グラウザーはそれを左右の腕でガードし耐えてみせ、左の拳を繰り出そうとして左のガードを下げる――
と、松実が口元にニヤリと笑みを浮かべた。
深く一気に踏み込むとその勢いを乗せて右拳のフック気味に撃ち込んでくる。拳は鋼鉄の合金製、当たればアンドロイドのグラウザーと言えどただでは済まない。だが――
――ブオッ!――
――鋭い風切り音が足元から吹き上がる。
グラウザーは上半身を後方へとスウェーさせつつ右膝と右のつま先を鋭く振り上げていた。その足の切っ先は鋼鉄製のムチのように振られると、松実の左側からその胴体へと撃ち込まれた。
意図的か偶然かはわからぬが、攻撃的に接近する松実の動きに、グラウザーは自らの蹴りを〝合わせた〟のだ。
松実もこれに気づいたがもう遅い。左の腕を縦に構えてとっさにガードしようとするが間に合わず、グラウザーの右膝の動きに牽制され押し返されてしまう。そしてグラウザーはその勢いを殺さぬまま、膝から下を繰り出し、敵である松実の脇腹めがけとてつもなく重い蹴りを撃ち込んだのである。
――ズドォオオン――
まるで鋼鉄のシャフトでも叩き込んだかのような打撃音と衝撃だった。どんなに腕部を機械化していても、それ以外は生身であるのなら防御にも反射速度にもパワーにも限界はある。ましてや相手の総身が機械であるのなら、その全身から繰り出される攻撃は生身の身体と比較しても段違いであるはずだ。それはまさに――
【――鋼鉄のハンマー―】
グラウザーの放った蹴りの一撃で松実の身体は木っ端のように吹き飛ばされた。
――ズダァン!――
グラウザーはその姿を視線で追う。自分の繰り出した攻撃で相手がどうなったのか心配はあるがそれを気にする余裕はない。なぜなら――
〔グラウザー! 次が来るぞ!〕
無線越しに朝刑事の声がする。残る二人のうちロレンゾが拳銃を抜き放っていたからだ。
「Vá em frente!」
ロレンゾがポルトガル語で金に叫ぶ。
グラウザーの体内には多数の外国語を同時通訳可能な言語能力がある。ロレンゾが発した言葉の意味もお見通しである。
〔特7号より報告! ロレンゾが足止めを、金が逃走しようとしています!〕
グラウザーは体内に備わった無線機能で捜査員全員に知らせた。それに応じたのは上司の飛島だった。
〔了解! こちらで捕える! 全員に告ぐ! 金の飛び降りに注意しろ! 無力化用のテイザーガンの使用を許可する!〕
〝テイザーガン〟拳銃の形状をした非殺傷の無力化武器だ。発射されるのは弾丸ではなく細いワイヤーのついた2本の針で、針とワイヤーから数万ボルトから十数万ボルトの高電圧流され対象者は気絶させられることになる。
サイボーグ犯罪者が増えたこの世相にあって、警察官が強力な非殺傷武器の傾向をするのは決して珍しいことではない。
グラウザーが飛島とやり取りをしている間にもロレンゾは武器を抜き放っていた。
黒光りする金属塊――、それを黒と白の迷彩柄のスウェットパンツのヒップホルスターから抜き放つ。
『タウルスM85』
ブラジルのガンメーカー・タウルス社が作った軽量コンパクトな5連発リボルバー拳銃だ。銃身が短く携帯しやすいのが特徴である。使用される弾丸は38スペシャル。かつては世界の警察にて標準的に使われていた弾薬である。
ロレンゾは片手で安々とM85を構えるとその狙いをグラウザーの頭部へと向けていた。その光景は後方で控えていた朝刑事からも見えていた。
位置関係からしてグラウザーの頭部側面を狙っているのが分かる。
朝は、グラウザーの背後にて気配を殺して補佐と状況把握に徹していた。だがとっさに進み出ると両手で構えていたシグP226にてロレンゾへと警告を発した。
「止まれ! ロレンゾ!」
警句を発すると同時にあえて急所を避け、ロレンゾの太ももを狙って引き金を三度引く。その銃口から9ミリパラベラム弾が撃ち放たれた。
「今だ!」
朝が叫ぶと、それをトリガーにしてグラウザーは勢いよく全力で飛び出した。
フロアを蹴り大きく跳躍する。それと同時に体全体をひねると大きく振り出した右足にてロレンゾの頭部を横薙ぎに蹴り飛ばしたのである。
――ズダァン!――
生身の人間を遥かに超える速度とインパクトで繰り出されたその蹴りは弾丸の威嚇射撃よりも遥かに威力があった。ロレンゾは引き金を引く暇もなく一撃にてその場に崩れ落ちたのである。
無力化した二人を確かめる暇もなく残る一人をグラウザーと朝は視線で追う。すると、主犯である金が窓ガラスを体当たりで割ろうとしていたところであった。
「止まれぇ!」
相手が窓際にいる状況で射撃すれば、弾が命中したことで地上へと落下する危険がある。だが――
「すでに一人殺している。やむを得ない!」
――朝は覚悟を決めて更に2発撃ちはなった。
背中に一発が確実に当たった。だがそれでも逃走者は止まらない。弾の威力がまるで通じないかのようである。その謎の答えを朝は叫んだ。
「体内防弾パネルか!」
人体の内部に埋め込む防弾素材の事だ。金属パネル/メッシュ、セラミックプレート、無菌化アラミド織布――それらを様々に体内に埋め込み、万が一の被弾時に致命傷を免れる――当然、日本国内では認可されていない違法な人体改造行為である。
――ガシャァアン!――
高層マンションにも使われる高強度のワイヤー細線入りのメッシュガラス。それを体当たりで打ち砕きながら、主犯格である金友成は軽やかに窓の外へとその身を躍らせたのである。
「待てえ!」
割れた窓ガラスをくぐって二人はベランダへと躍り出る。だがその先に見えてきた光景に愕然とさせられるのだ。
「しまった! 道路際の部屋を確保していたのはこのためか!」
二人が見ていた視界の中で、逃走犯となった金は道路の斜向かいにある別なマンションの5階ベランダへと飛び移っていた。そしてマンションのベランダにある〝避難壁〟を破壊しながら移動している。追手である警察捜査員の動きを見定めながらさらなる別な逃走手段を講じるつもりなのだろう。
グラウザーと朝の後方で待機していた別な捜査員数名がなだれ込み、無力化され気を失っているロレンゾと松実の2名を速やかに拘束する。サイボーグ用の合金ブロック製手錠に、結束用単分子高強度ワイヤー、気を失っている隙に身動きの取れぬようにがんじがらめにしてしまう。
捜査員の宣言がその場に響いた。
「7時〇〇分、容疑者2名確保!」
だがその逮捕劇の余韻を味わう余裕は朝とグラウザーには無かった。朝は無線越しに上司の飛島に告げたのである。
「朝より報告〕
〔飛島だ。話せ〕
「ロレンゾと松実を確保、しかし主犯格の金は逃走。ベランダから道路の反対側の別棟のマンションへと移り――今、窓を破壊して室内へと侵入しました!」
〔それはこちらでも確認した。今、地上包囲班が追っている。お前たちはロレンゾと松実の身柄を確実に抑えろ〕
「了解」
飛島の新たな指示に朝は返答する。一人を取り逃がした事が朝の心の中にしこりを残している。だがその一方で傍らに視線を向ければパートナーであるグラウザーがベランダから主犯の金が逃走した方向へと視線を送っているのが見えた。その背中に悔しさと後悔の念が垣間見えている。
朝は思う、どう声をかけるべきかを。だがその時、ワイヤレスイヤホンに入感する声がある。
〔朝――〕
上司の飛島の声だ。
「はい」
〔3人中2人を確保したのは十分すぎる成果だ。金は情報収集とセキュリティ突破がメインだ。仮にここで金を取り逃がしても単独では出来る事に限界がある。3人組の主戦闘力は間違いなくその二人だ。それをお前とグラウザーが制圧したんだ〕
「はい」
飛島が語る言葉は力強かった。そして、無線の向こうの部下が抱くであろう戸惑いと後悔を読み取り、諭したのだ。飛島は更に言う。
〔朝よ、グラウザーを褒めてやれ。十分に役目を果たしたとな〕
「はいっ」
〔よし、そっちの二人の拘束と護送は確実に行なえ。以上だ〕
「了解。身柄の確実な確保と護送準備に取り掛かります」
通話を終えて無線を切る。そして朝はロレンゾたちを拘束し終えた先輩の捜査員の元へと向かう。
「二人の身柄の移送、よろしくお願いします」
その問いかけに答えたのは幾分恰幅のいい男だった。
「あぁ、移送作業は任せろ。じきに現場鑑識のチームが応援に来るからお前たちはその引き継ぎを頼む。その後に署に帰投して課長に報告してくれ」
「〝あいつ〟の初仕事の顛末ですね?」
「あぁ〝おふくろさん〟心配して待ってるはずだからな」
「はい、わかりました。それでは」
「おう」
拘束された二人は医療用担架に乗せられて運ばれていった。肉体そのものを凶器化している違法サイボーグは通常の手錠による拘束では全く足らない。強度を増した特殊手錠と高強度の単分子ワイヤーを併用して完全に結束拘束する事が警察内規で規定されているのだ。
朝は運び出される二人を見送るとベランダにてなおも外を見ていたグラウザーに声をかけた。
「グラウザー! こっち来い」
「はい」
朝の声にグラウザーは素直に応じる。声が弾んでいない辺りに彼が胸中に抱いた思いがにじみ出ていた。だが朝は告げる。
「係長の飛島さん――覚えてるな?」
朝はあえて丁寧に前振りする。グラウザーは神妙な面持ちで頷いた。
「飛島さんが褒めてたよ。よくやった――ってさ」
「え? でも一人逃して――」
「それはお前が気にすることじゃないさ」
朝はグラウザーと対峙しながらその目を見つめて告げる。それは戸惑いを隠さない血気盛んな少年を教え諭すのに似ていた。
「捜査も犯人制圧もお前一人でやるわけじゃない。全てチームでやる事だ」
「チーム――?」
「そうだ。指揮官がいて、監視役がいて、犯人の退路を断つ包囲役がいて、現場を調べる鑑識役がいる。そして最前線で犯人を制圧し拘束する主戦力となる者がいる。だがそれらはバラバラに動いているわけじゃない。お互いがお互いの足らないところを補い合って初めて〝仕事〟は成り立つんだ。それをなんと言うか分かるか?」
朝の言葉をグラウザーはじっと聞き入っていた。大人が教える新しい知識を興味ありげに耳を傾ける子供のようでもある。
だがグラウザーは戸惑いを浮かべつつ顔を左右に振った。そのグラウザーに朝は告げる。
「〝チームワーク〟って言うんだ。これからアンドロイドであるお前がこの〝警察〟と言う世界で生きていく上でとても重要なことだ。お前は捜査チームの中で与えられた役割を十分に果たした。だから一人を逃したことは責任を感じなくていい。後のことは――」
朝はグラウザーに歩み寄りその肩をそっと叩いた。
「――〝チーム〟の他の仲間たちに任せておけ」
神妙な面持ちで朝の言葉を聞き入っていたグラウザーだったが、その意味を解したのか迷いが晴れた表情になると明快にこう答えたのだ。
「はい!」
「よし、それじゃ現場保存だ。すぐに現場鑑識と応援がくる。彼らに引き継いで俺たちは一旦〝署〟に帰還だ」
「課長の今井さんのところですね?」
「あぁ、結果報告だ」
「わかりました」
互いに頷き合うと制圧現場となったマンションのルームから出ていく。そして、周囲に視線を配れば、制服姿の警察官や鑑識員が上がってくるのが分かる。今、グラウザーの中で朝が応援の彼らを迎えようとしていた。
時、同じくして警察無線に新たな情報が流されていた。
【警視庁第1方面本部より通達 】
【 】
【 本日、午前7時より芝浦エリアにて行われた】
【容疑者制圧行動にて逃走案件発生。 】
【 容疑者グループ3名のうち主犯格の金友成が】
【制圧現場より逃走。これを追跡中の容疑者制圧】
【チームからの要請により付近一帯に警戒非常線】
【を設定。 】
【 現在、警視庁本庁の刑事部捜査1課より、 】
【特攻装警第6号機〝フィール〟が応援として 】
【派遣されている。 】
【 現場各員は協力・連携して警戒にあたること】
【 】
【 以上】
朝とグラウザーは引き継ぎを終え覆面パトカーに乗り込み走り出そうとしていた。
ハンドルを握る朝のその隣で、グラウザーは無線に聞き入っていた。
「フィール――姉さん?」
ふとグラウザーがつぶやけば、その隣で朝が答えていた。
「そうだ、特攻装警6号フィール――お前のお姉さんだ」
「はい」
呟く声に朝がグラウザーの顔を垣間見れば物憂げに思案している。そんな彼に朝はこう告げたのだ。
「早く会えるように〝正式ロールアウト〟を目指さないとな」
「はいっ」
まだ未熟なグラウザーを朝が諭せば、グラウザーも力強く答えていた。
事件はまだ終わっていないのだ。
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X1:[【リアル正義の味方? 】特攻装警ってなに?【予算の無駄?】]
渋谷、ハチ公前スクランブル交差点――
周囲がどんなに未来都市へと進化を遂げても変わらない街角、
今日も無数の人々が、それぞれの人生を背負って行き交っている。
時間はまだ朝と呼ぶにふさわしい午前7時頃である。
その朝の渋谷のスクランブル交差点を見下ろす位置の2階に、とあるハンバーガーファーストフード店がある。
『交差点の光景が手に取るように見える』と外国人観光客にも人気のスポットだ、
その2階席の窓際の片隅、一人の少女が腰掛けていた。
年の頃は16か17と言ったところか。
膝上15センチ丈の赤いタイトミニスカート、古めかしいガーダーストッキングと合わせている。黒いタンクトップにミニ丈のレザージャケットを羽織っており、長い髪をバンダナでポニーに纏めている。足元がスニーカー系で、耳元には大粒のイヤクリップが光っている。素肌は色白だが髪はかすかに茶系に染めていた。
傍らには赤茶のショルダーバッグ。若いが学生には見えない。そう思わせる独特の凛とした雰囲気が特徴的であった。
彼女は隣の席にショルダーバッグを置くと、その中からある電子ツールをとりだした。
振興の情報ツール製造メーカー【FONS】により作られたVRゴーグルの新製品である。
発売年は今年2039年、発売されてからまだ3ヶ月となってない。それまでにない斬新な機能性により世界的な人気商品になっていたのだ。
――VRゴーグル―― 3次元仮想空間へのアクセスツール
かつてはVRゴーグルと言えば大型の弁当箱を顔にベルトで固定したような不格好なものだった。
当然、どこでも気軽にという訳にはいかない。重いし、でかいし、なにより不格好。人に見られない場所でこっそりとやるものだったのだ。
それが劇的な技術改良により次々にダウンサイジングするのは、携帯電話はやスマートフォンの世界と同じであった。
今やVRゴーグルといえば『サングラス型』が主流であり、オープンな構造でも網膜への直接投影で明るい場所でも使用可能になったのだ。
さらには、音についても改良が続いた。
イヤホンやヘッドホンで聞くだけだったのが、VR映像に合わせて会話を楽しむことも可能になった。
これに加えて、ヘッドホンに似せた〝脳内思考の読み取り装置〟により、頭の中で考えた〝言葉〟を直接伝達できるようになっていた。これにより声でブツブツと音に出さなくてもネットの向こうの人間と対話できるようになったのだ。
だがそれでも――サングラス型ゴーグルとヘッドホンの組み合わせはまだゴツい。
それが、当時としても画期的だったのが〝耳の内耳神経に音声信号を直接伝える装置〟の実用化だ。骨振動と内耳神経に作用する電磁波パルスを組み合わせることで、イヤホンもヘッドホンも不要となったのだ。
それらが新商品の登場を重ねてより洗練されるのは、かつてのスマートフォンなどと同じである。
薄ピンク色の軽量なサングラス型VRゴーグルだが、それだけで〝見る、話す、聞く〟の3つを可能にしてしまったのだ。
あとはBluetoothのような無線接続で小型軽量のモバイルターミナルに繋いでネットにアクセスすればいい。
操作は音声対話インタフェースと、薄い手袋のようなヴァーチャルグローブで行う。一見シルクのようなきれいな素材だが薄膜のモーションセンサーが内蔵されていて指の動きや加速度などを感知、指も含めた右手の動きをより正確に収集するのだ。
少女は、ファーストフードの2階席の片隅でサングラススタイルのVRゴーグルを装着し、カウンターテーブルに左肘をついて片手で顎を支えた。
VRゴーグルによる仮想空間体験中はできるだけ体をリラックスできる姿勢がいい。本来ならリクライニングチェアでも使えればいいのだが、いつでもそう言う訳には行かないなので、この片手で顎を支えるスタイルはわりとポピュラーなスタイルだ。
すでに電源は入っていてモバイルターミナルとも接続は完了している。ゴーグルから視界いっぱいに【サイベリア】と呼ばれる電子仮想空間が広がっていた。そして彼女はその〝頭の中〟でサイベリアの仮想空間へのアクセスを開始したのである。
もっとも――
これらは本来は医療用として編み出されたものだ。身体機能に不自由を抱えている人々への福音として造られたものだ。
目に障害を持つ人々の視力補助として、
発話にハンデのある人が自由に会話できる補助として、
重篤な聴力障害のある人への補助として、
それらは開発されたものだったが市場転用されたのだ。
結果、低価格化が進み、より人々に浸透していく。
今や街のいたるところで仮想空間アクセスを楽しむ者たちが溢れている。
この時代――
・家庭用ロボット
・アンドロイド
・オフィス・オートメーション
・ホーム・オートメーション
・完全自動化運転
・高精度医療用義肢
・低負荷人工臓器
――などとならび、大都市圏の光景は劇的に変わりつつあった。
――科学技術は社会を豊かにする――
人々はそう信じていた。
だが、忘れてはならない。
――発達した科学は〝犯罪〟にも影響を及ぼすと言う事を――
そう、パソコンやネットの普及が新たなタイプの情報犯罪を生み出したように。
2030年代――、社会の混迷はさらに深化していたのである。
@ @ @
〔アクセス開始、バツちゃんにつないで〕
その〝頭の中の声〟で問いかければ、返ってきたのはVRゴーグルと関連付けしておいたスマートフォンのナビゲートプログラムからの音声だった。成人女性の落ち着いた声だった。
〔ナビ了解、バツちゃん、正式名称[X‐CHANNEL]に接続します。ルームカテゴリーを指定してください〕
〔ネタ雑談の都市伝説でおねがい〕
〔ナビ了解、ネタ雑談、都市伝説に接続します〕
すると彼女がかけたVRゴーグルが彼女の眼の網膜へと直接に映像を投影する。そしてレンズ越しの空間上に極めてリアルに仮想現実の3D空間を映し出すのである。
そこには両開きの扉があり、彼女は右手を空中で踊らせるとドアを開ける仕草をする。
右手にはめられたヴァーチャルグローブ――、それが彼女の右手の動きをより正確に読み取り、仮想空間内で再現する。
その右手の動きにより〝扉〟は開かれた。彼女は[X‐CHANNEL]へとアクセスを開始した。
【――大規模掲示板サイト[X‐CHANNEL]――】
空間上に浮かんだ両開きの扉。その扉のノブをそう操作すれば、ドアは開き中へと彼女をいざなっていく。
そして仮想空間〝サイベリア〟の中では、仮の外見――すなわち〝アバター〟が設定される。
彼女が使うアバターは、ヴァーチャルアイドルの3Dデータをカスタマイズしたものだ。
一般の若い女性たちの間では個性的なオリジナルモデルをアバターにする事は、変に注目をあびる結果となるので市販モデルやフリーで提供されているモデルを使うのが一般的だ。彼女もまたそれに習っていた。
ミニのワンピースドレスに青いロングヘア――その髪をなびかせて仮想空間の中を移動して行く。
ドアの向こうは巨大な回廊が幾重にも重なっている。
階層がジャンルであり、回廊が道一つ異なるとサブジャンルの違いとなる。
そのサブジャンルは一つの通路であり、通路の左右には無数の片開き扉が存在している。その一つ一つが〝ヴァーチャル会議室〟であり〝掲示板〟であるのだ。
だがそこでは〝歩く〟必要はない。音声ナビとの対話で瞬時にして移動可能なのだ。
彼女が指定したジャンルは[ネタ雑談]、そしてその中でも[噂話・都市伝説]のサブジャンルだ。
そして彼女はその扉の中ほどに掲示されたルーム名を高速で検索していく。
:
:
[事務所によって麻薬漬けにされた芸能人]
[街でビビった話、総合]
[若手芸人の噂、Part3]
[【ほらほら】ステルスヤクザってなに?【あなたの隣に】]
[【患者虐待】北関東○○病院【通報黙殺】]
[ハリウッド女優、A.K.関連]
[二流【芸能人】の噂スレッド]
[裁判官の誤判の噂、総合]
[芸能タレント男女交際]
[武装暴走族と接点のある、もしくは関わってる著名人]
[よく現実離れした場所があるんだけど?]
[【人間の掃き溜め】東京アバディーンの噂【犯罪の巣窟】]
[……
検索結果の中にとあるタイトルを見つける――
[【リアル正義の味方? 】特攻装警ってなに?【予算の無駄?】]
[《ルームタイプ:会議室》《鍵:オープン》《開設時間:07:21》]
時間を見れば、今、ルーム開設されたばかりだ。スラングでは〝部屋を開く〟と言う。
このサイトでは会議室部屋は時間制であり通常は最長で2時間、上級会員になると12時間まで可能になる。消されたくない情報はルームタイプを掲示板にして文字記録とすればいい。
〔入室しますか?〕
〔する〕
〔ハンドルネームは?〕
〔なしで〕
〔了解、匿名で入室します〕
部屋が入室者を制限できない鍵無しのオープンタイプの場合、特に必要がなければ大抵は匿名の〝名無し〟でエントリーするのが常である。だれに見られているのか分からないのがネットだからだ。
扉を開いて中へと移動する。すると壁のない円形のフロアがあり、そこに多くの匿名の人々が集っていた。
VR仮想空間〝サイベリア〟で会議室としては最もポピュラーなスタイルである。人々は円形のフロアの中で輪を描いて集まっていた。彼女はその輪の外側に近い方に場所を確保した。今回はギャラリーに専念するつもりなのだ。
サイベリア内のオープンスタイルの会議室では、参加者は〝トーカー〟と〝ギャラリー〟とに分けられる。自ら発言を積極的に行うものと、あくまでも観戦・拝聴に専念する者たちとに分かれるのだ。そしてギャラリーは外側に位置するのがセオリーであり、内側に近い位置に立つトーカーだけが発言が認められるのだ。
当然、ギャラリーは雑談や不用意な声あげも憚れる。悪質な場合はルーム管理者により強制排除となる。
オープンな鍵なし部屋という事もあり、集まっている人々のアバターはほとんどが特徴のない〝既成品〟と呼ばれるものだ。逆に個性が際立つ程にカスタマイズがされている物を〝カスタム〟と言い、はじめからオリジナルで作られているものを〝オーダー〟または〝オリジナル〟という。
この部屋を訪れたこの彼女のアバターの場合はカスタム寄りのテーラーとなる。大抵は場に合わせて複数使い分けるのがセオリーである。
そして、ルーム設置者らしい人物がトーカー側のエリアの最も中心に近い位置で発言を開始した。灰色で若い男性風。特に目立つ特徴のない没個性タイプである。そのアバターが動きを見せることで、会議室でのトークのスタートである。
「えー、特攻装警について色々と情報知りたいから部屋を開きました。知ってる人、情報よろしく。
ちなみに約束事確認。
ネタ重複は叩かないこと。
あくまでも噂メインなので誤情報にはソフトに対応すること。
それから、荒らし、粘着、スルーな。反応したらその人も荒らしって事で。おK?」
するとトーカーやギャラリーたちから次々に声が上がる。
「OK」
「OK、了解」
「OKです」
「部屋建てサンクスです」
定番の挨拶もそこそこに会話は進む。ルーム開設者がさらに語る。
「えー、まず公式に出てる名称はこれ」
すると空間上に文字として表示される。
音声会話だけでなく、文字データーを空間表示するには専用プラグインアプリの追加や、両手をフルに使ってバーチャルキーボードでのタイピングを併用するなどの手間が必要となる。つまりそれだけの設備投資をしている人物ということになるのだ。
【1号:アトラス 】
【2号: 】
【3号:センチュリー 】
【4号:ディアリオ 】
【5号: 】
【6号:フィール 】
次に発言したのはアニメに出てくるような小学生男子をデフォルメしたようなアバターだった。
「あれ? 2と5は?」
その隣の三つ揃えの背広姿で頭は三毛猫のアバターが話す。さしずめ猫貴族と言った雰囲気である。動物っぽいアバターを好むのが〝ケモナー〟と呼ばれるのは20年以上前から意外と変わっていなかった。
「警視庁のHP見てきたけどどこにも出てないよ?」
ルーム解説者が言う。
「2は欠番らしい。5は知らん。原則非公開だって」
さらに別なアバターが発言した。青白い霧のような不定形タイプだ。
「知らんって――」
青白い霧が笑いながら言う。更に別なミリタリー迷彩模様の歩兵アバターが皮肉交じりに言う。
「カス情報」
猫貴族が皮肉めいて言う。
「だったらお前出せ」
それに対して言葉を挟んだのはファンタジーの賢者のような焦げ茶のローブをかぶった老人風のアバターだ。俗に〝FT住人〟と呼ばれるファンタジー系統のアバターである。特定ジャンルの事情に深く通じた者が好むと言われている。
「特攻装警が非公開なのは犯罪対策だよ。1号アトラスと3号センチュリーが出始めの頃にマスコミが追い回して活動に支障が出たから政府レベルでお達しが出たって話だ」
焦げ茶ローブの賢者に猫貴族が相槌を打つ。
「それ、4号のディアリオの頃じゃない?」
焦げ茶ローブの賢者が答えた。
「それだな。4号は俗に〝やばい〟と言われてる。無理に知ろうとしないほうがいい」
すると先程のデフォルメアニメキャラの男の子が尋ねてくる。
「なんで?」
それに答えたのは、青白い霧の不定形タイプ。
「あれだろ? 情機」
「情機って?」
デフォルメアニメ男の子がさらに問えば、青白い霧の不定形タイプは答えるのを拒否した。
そのかわりに両耳を手で押さえる顔アイコンが表示された。
「ア~ア~、聞コエナーイ!」
デフォルメアニメ男の子が苦笑しつつ言う。
「なんだよそれ!」
男の子の疑問に焦げ茶ローブの賢者は静かに答えた。
「警視庁が昔から運用していたサイバー犯罪対策室の公安版だよ。くれぐれも注意しな、調べないほうがいい」
アバターの向こうの本人の年令と経験の深さが感じられる落ち着いた語り口だった。そこに三毛猫猫貴族が畳み掛けた。
「それって、ぐぐってもアウトってこと?」
焦げ茶ローブの賢者が頷いた。
「アウト、全部筒抜けらしい」
流石にこれには会議室の中に驚きと戸惑いの空気がながれていた。
デフォルメアニメ男の子が困惑の表情を浮かべている。
「うわぁ……」
その困惑の空気をはらったのは、青白い霧の彼だ。
「でもなんで2と5は名前でてないの?」
ミリタリー明細模様の歩兵アバターが言う。
「なぁ? 誰か知らん?」
するとそれまで沈黙を守っていた。新たなアバターがギャラリーサイドから、トーカーサイドに歩み出て発言を始めた。
ファンタジー系住民の好むタイプで、チロリアンハットにマント、腰にはナイフと剣という冒険者スタイルだ。見るからにサイベリア世界をつぶさに見て歩いているような雰囲気があった。
その彼がややハスキーな耳障りの良い声で発言を始めた。
「2号は欠番、登録抹消扱いだよ。5号は機動隊所属って言われてるよ」
三毛猫猫貴族が嬉しそうに言う。
「新情報キタ―――!」
デフォルメアニメ男の子がはしゃいで言う。
「名前はー?」
だがチロリアンハットの冒険者は解答を拒んだ。
「名前は勘弁ですね」
「え? なんで?」
男の子の疑問に。チロリアンハットの冒険者は帽子のつばを片手で掴んで下げながらこう答えたのだ。
「死にたくない」
青白い霧の彼が言う。
「そんな大げさな」
だがチロリアンハットの冒険者は顔を左右に振りながら言った。
「大げさじゃないよ。ヘタに知ってるふりしてネットで吹聴していると、情機やネット犯罪者が裏取りしようとするんだ。場合によっては身柄特定されて押さえられるからね」
この言葉を耳にした男の子氏は青い顔をしていた。
「うわぁ……マジか」
ミリタリー歩兵の彼が言う。
「何その厳重さ? この部屋やばくね?」
青白い霧の彼が明るく言った。
「大丈夫っしょ。噂レベルだったら」
重い空気を青白い霧の彼が振り払う。それで調子に乗ったのかデフォルメアニメ男の子がはしゃぎ気味に言った。
「そんなことより噂まだー♪」
猫貴族は苦笑いで言う。
「お前が捕まってしまえ!」
そんなノリツッコミにギャラリーからも笑い声が溢れたのだ。
流れを変えるようにミリタリー歩兵の彼が言う。
「でも3号、6号は有名だろ? 出たがりのセンチュリーにみんなのオ○ペットのフィール」
規制コード対象なのか『ピー音』が一瞬出た。そして、トークルームの中央に赤文字で警告表示がなされた。
【 ―――――― 警 告 ―――――― 】
【 ミリタリー氏、タイホ!! 】
それを見たギャラリーから思わず笑い声が漏れていた。
猫貴族が楽しげに言う。
「フィールいいよね」
ルーム解説者が言う。
「同意、まじかわいい」
青白い霧の彼が言う。
「でもあれで捜査一課だろ?」
その問いに焦げ茶ローブの賢者が答えた。
「捜査一課の科学捜査係、一般捜査から早期警戒から犯人制圧、人命救助までなんでもできる。ついでに言うと飛行機能持ってる。割と派手に動いてるから変身したあとの姿もでてるよ」
デフォルメアニメ男の子が笑いながら言った。
「変身って! アニメの魔法少女戦士じゃあるまいし!」
「追加武装持ってるんだよ。普段は全部外して通常の捜査員の服装してるけど、非常時の戦闘とか飛行機能を発揮しないといけない時にアーマーを付けるわけさ」
そんなふうに答える賢者に、猫貴族が問いかけた。
「賢者どの、ずいぶん詳しいね?」
すると賢者は意外な事を口にした。
「おっかけやってる。フィールはオープンにふれあいイベントとか出てくるから。海外来賓の警護とかもよくでてるし、簡単に会えるんだよ」
ミリタリー歩兵はしみじみと言う。
「写真集ださねーかな、フィール」
猫貴族も飛びつくように言う。
「何それ? 出たら買う」
青白い霧の彼も同意見だった。
「同意! 5万円出しても買う!」
そして、デフォルメアニメ男の子が思わず口を滑らせたのだ。
「そしてオ○ペット?」
ピー音付きの発言の後に、再びあの赤い文字の警告が彼らの頭上にポップアップ表示されたのである。
【 ―――――― 警 告 ―――――― 】
【 男の子氏、タイホ!! 】
再びギャラリーから笑い声が漏れるその傍らで、チロリアンハットの冒険者もフィールの魅力を認めていた。
「でもフィールの可愛らしさは事実だよ。世界的にもトップクラスの造顔技術が導入されてるって言われてる」
さらに猫貴族が哀れみを込めて語る。
「そういや先月の交流イベントで新人アイドルと共演した時、公開処刑状態だったな」
「どっちが?」
問うたのはルーム開設者、猫貴族は即座に答えた。
「当然、アイドルの方だよ。フィールにばっかり声援集まってアイドルは空気状態さ。しかもフィールが緊急の案件が入って出動しちゃったから会場はその段階でみんな帰っちゃった」
ミリタリー歩兵も言った。
「あー、あれな? あのあとも居たけどお通夜状態」
猫貴族はミリタリー歩兵氏が同好の士と知り即座に反応した。
「どっち狙いかね?」
するとミリタリー歩兵氏は一枚のヴァーチャルカードを取り出した。
【警察活動支援者ルーム内『フィール親衛隊』会員ナンバー:L-3】
すると猫貴族はしみじみと頷きながらこう語りかけたのだ。
「貴公とはいい酒が飲めそうだな!」
彼も一枚のヴァーチャルカードを提示する。
【警察活動支援者ルーム内『フィール親衛隊』会員ナンバー:F-3】
猫貴族のヴァーチャルカードを目の当たりにしてミリタリー歩兵氏は驚きの声を上げた。
「え? Fナンバーっすか? しかも3?」
「本物だよ?」
「うわ! 今度お話させてください!」
「OK! それじゃコパートメントルームで」
「お願いします! 追っかけ情報共有よろしく!」
「ふっふっふ、任せなさい」
コパートメントルームとは1対1で話し合うための個室ルームだ。
二人でなにやらヒソヒソと語り合う。その光景に男の子氏が呆れながら言う。
「なにやってんの? アイツら?」
それに答えたのは賢者殿だった。
「フィールのアルファベットコードはF001だろ? それと同じFで始まる番号はあの連中にとっては特別ナンバーなんだよ」
「あぁ、そう言う事――」
賢者殿の言葉に納得しつつも、親衛隊を名乗る彼らの興奮ぶりに呆れるしかなかった。
だが男の子氏はさらに言う。
「でもフィールさん、表イベント多すぎね? 本来の仕事できてんの?」
猫貴族も同意する。
「あ、それは思ってる。異常だよね」
ミリタリー歩兵氏も同じだった。
「それは激しく同意する。今度、意見書出そうと思ってる」
猫貴族はミリタリー歩兵氏の思わぬ姿に素直に感心していた。
「ほう? 勇気あるな、お主」
「当然だろ? 税金使って造られた正義のヒロインだぜ? 芸能プロのアイドルロボットじゃないんだから」
そこに青い霧氏が賛同していた。
「そうだな。本来の任務で活躍してもらいたいところだしな。よし、俺も書こうっと」
そして、デフォルメアニメ男の子がノリで突っ込んだ。
「こうして大量逮捕が発生したのだった!」
猫貴族は笑うしか無い。
「や・め・な・さ・い!」
青白い霧氏が話の矛先を変える。
「それよかセンチュリーだよ! あれ機密もへったくれも無いじゃん」
ルーム開設者が言葉を続けた。
「渋谷とか新宿とか有明とか繁華街当たり前に歩いてるしな」
ミリタリー歩兵氏も言う。
「だったら、センチュリーと喋ったやつ居るんじゃね?」
するとそれまでギャラリーに徹していた中から一人の若い女性のアバターが進み出てきた。ミニのワンピースドレスに青いロングヘア――、ヴァーチャルアイドルの3Dデータをカスタマイズしたものだ。そのアバターの主は、先程から渋谷の街角のファーストフードからアクセスしていたあの若い彼女である。
ギャラリーエリアからトーカーエリアへと進み出て、恥ずかしそうに右手を上げながら話し始めた。
「あたしでいいかな?」
ルーム開設者が問うてくる。
「何話したの?」
「彼氏にフラれた愚痴話。結構長めに」
そんな意外な話に猫貴族は驚いていた。
「なに? そんな話聴いてくれんの?」
「うん、親と喧嘩したとか、家に帰りたくないとか言うのも聞いてくれるし、仕事がブラックで困ってるの相談して速攻解決してもらえた人もいるし」
するとその隣にまた別な女性アバターがギャラリーからトーカーへと進み出た。オールディーズスタイルのイエローのペチコート付きのワンピースドレスだ。彼女もセンチュリーには面識あるらしかった。ヴァーチャルアイドル風の彼女に問いかける。
「中絶相談して助けてられた人もいたよね」
「ある! それ有名! 保護施設紹介してくれたりとか、相手の男も探し出してくれて責任取らせてくれたりとか!」
「それそれ! やばい組織に巻き込まれたの助けられたってのもあるよね」
「そうそう! だから兄貴が居ないと困るやつ山ほどいるからさー」
「だねー」
青白い霧の彼が問うてくる。
「兄貴って?」
答えたのはイエローのワンピースの彼女だ。
「センチュリーだよ。みんなそう呼んでる」
ミリタリー歩兵氏もしみじみと言った。
「慕われてんだな。センチュリーって」
「当然じゃん。あんなに頼りになる警察、居ないもん」
チロリアンハットの冒険者が皮肉を込めて言った。
「悪食の始末書大明神じゃないんだ」
センチュリーは若者たちには信頼が厚い。だが同時にトラブルが多いのも特徴だった。
その言葉にヴァーチャルアイドル風の彼女は笑って答えた。
「大丈夫、それみんな知ってるから」
その明るく弾んでいる。どれだけセンチュリーが人気があるのか解ろうというものだ。
だが疑問を込めて、デフォルメアニメ男の子が言う。
「でも1号がここまで一度も出てないよ?」
ミリタリー歩兵氏は相槌を打つ。
「あー、アトラスね。あれは出てないんじゃないよ、わざと話に出さないんだよ」
「へ? どう言う事?」
「それはな――」
ミリタリー歩兵氏は前置きしつつ言葉を続けた。
「アトラスは一番苦労してるからさ。最初の特攻装警でノウハウもなにもない状態から始まって、配属当初は気持ち悪いだの、怖いだの、警察権力の暴力化の象徴だの散々な言われようだったからな」
焦げ茶ローブの賢者も語る。
「でも、アトラスが出てから明らかにヤクザとかマフィアとか、動きが変わったんだよ」
チロリアンハットの彼も言う。
「そうだね。アトラスが出てから治安が良くなったのは事実。違法サイボーグとか、武装犯罪者とか、本気でねじ伏せてくれるし」
ミリタリー歩兵氏も焦げ茶ローブの賢者もチロリアンハットの冒険者も頷きあっている。チロリアンハットの彼はさらに続けた。
「そう言う人だからね。賢者殿が言ってたマスメディアの追いかけと加熱報道があったときも事情を知ってるやつはみんな怒ってたんだよ」
ミリタリー歩兵氏が同意していた。
「マスゴミ馬鹿だから正義の味方だろうがなんだろうが平気で潰すからな」
焦げ茶ローブの賢者もそれを補強する情報を提供した。
「アトラスの頃だろ? 警察の殉職者や怪我でリタイヤする人が増えて問題化していたのは」
これに答えたのはミリタリー歩兵氏。
「犯罪者の戦闘力があがっても、警察は犯人を威嚇射撃する事もできなかったからな。あの頃は警察が機能停止する一歩手前だったって話もあるし」
チロリアンハットの彼が言う。
「それを食い止めたのがアトラスだよ。そんな英雄を根掘り葉掘り言うわけ行かないだろ? 警察ウォッチャーマニアでもアトラスだけは追求するなってのは暗黙の了解なんだよ」
それに対して、猫貴族が語りかけた。
「でもそれって結局、全部の特攻装警に言えることだよね?」
「そう言う事、だから5号はその辺もあって非公開でもだれも突っ込まないんだ」
ルーム開設者が感慨深げにうなづいている。
「なるほど。でもさ、特攻装警ってフィールで打ち止めなの?」
猫貴族は声を上げた。
「うーん、どうだろ? 7号が出てきたってのは聴こえないね」
その疑問に超えたのは、さきほどから裏事情に精通してそうなチロリアンハットの彼である。
「いや、出てるよ。7号、まだ開発中らしいけど」
流石にコレには焦げ茶ローブの賢者も驚きの声を上げていた。
「本当?」
その声は思わず素であった。アバターにふさわしい演技を思わず忘れたようである。アバターと中身が同一であるとは限らない。子供のアバターが老人が中身だったり、男性のアバターを女性が演じる〝お鍋〟、当然、女性を男性が演じる〝ネカマ〟は2040年を目前とした今でも当たり前に存在している。老賢者のアバターも中身は案外若いのかもしれない。
先どのワンピース姿の彼女も、同様におどろきつつ、つぶやいていた。
「なんかすごいネタが来た気がするー」
「嘘じゃない。完成はしている。でも正式配属がされてないってだけらしい」
完成はしている。だが正式配備ではない。矛盾している言葉に男の子氏は思わずつぶやく。
「え? なぜ?」
「さぁなんでだろね」
チロリアンハットの彼がそう答えた時だった。ルームマスターの彼が興奮気味に告げた。
「ちょ! まったまった! みんな! 情報提供リンクの案内来てる! 警察裏情報の鍵ルームから!」
「え? なに?」
キョトンとして答えるのは猫貴族。さらにミリタリー歩兵氏が訝しげに問うた。
「鍵ルームから? 何の情報?」
「その第7号機だよ! 6号のフィールの活躍情報もだ! リンク受諾の多数決取る! OKの人はサイン出して!」
〝情報提供リンク〟――異なる別なルーム間で情報のやり取りや、一方的なニュース提供を行うための接続許可を求めるメッセージの事だ。当然、無差別というわけではなくそのルームに参加している者たちの過半数の同意がなければリンク接続は成立しない。
【アンケート: 】
【 鍵ルームからの情報提供を受けるか否か】
【 】
【現在人数> 】
【 トーカー:10名 ギャラリー:22名 】
【 総数32名 】
【 賛同:30名 拒否:2名 】
【 】
【結果:情報提供を受けることとなりました 】
アンケート結果が表示される。その瞬間、拒否を示した2名は自らルームアウトした。残っているのは全員賛同者だ。
「それじゃ提供情報、出すよ」
ルームマスターがアンケート結果を受けて、別ルームから提供されたニュースデータを表示させた。動画から切り出した数カットの静止画画像である。その内容に皆は驚愕することになる。
おもわずつぶやいたのはミリタリー歩兵氏だ。
「これが特攻装警の7号?」
続いて感嘆の声を上げたのは青い霧の彼だった。
「すごい、まるで人間そのものだ」
さらに言葉をかわすのはヴァーチャルアイドルの改造モデルのアバターの彼女と、ペチコート付きのワンピースドレスの彼女たちだ。
「なんか、センチュリーの兄貴に似てない?」
「うん、似てるね」
「じゃ、兄貴とおんなじ系統かな?」
「かもしんないね」
彼女たちの会話を耳にしてつぶやいたのは賢者殿だ。
「センチュリーと似ている――って事は内骨格系モデルか?」
賢者がつぶやきながら視線を向ける先には、望遠空撮映像の拡大画像が映し出されている。
動画映像の中から数カット、もっとも写りの良い状態の物が選び出されている。
少し古ぼけた高層マンションの表階段。そこを降りていくバイカー風のレザージャケット姿の亜麻色の髪の若い男性の姿があった。彼と同行しているのはスーツ姿の若い男性。先程、芝浦エリアで犯人制圧を行った朝とグラウザーが引き継ぎを終えた時の姿である。
そしてリンク先の警察裏情報の鍵ルームのルームマスターが音声のみで解説を始めた。ややかすれた成人男性の声である。
「インディース系のネットニュース業者が遠隔空撮ドローンで都市映像を撮っていた時の映像らしい。入手経路は不明としてくれ。芝浦ふ頭付近で強盗犯グループを強制制圧を行って、犯人を逮捕したあとの姿らしい。こちらの保持情報では第7号機の個体名は不明だが、正式形式コードは判明しており〝APO-ZXJα-G001〟となっている。外見から察するにより人間的な外見を追求したリアルヒューマノイドモデルだろう。この撮影の後、どこに移動したかは今のところ不明だ」
多分にして、裏情報を含んだその重要データに皆が感心している。そして鍵ルームのマスターは更に告げた。
「それと、この強盗犯グループの一人が逃走、これの追跡任務の支援のために特攻装警の6号のフィールが出動していると言う情報がある。今も東京上空を飛んでるそうだ」
「ありがとうございます。情報提供に感謝します」
「礼には及ばないよ。じゃあな――」
【接続終了。情報提供リンク解除 】
鍵ルームのマスターは一方的に接続を解除した。映像が消えた瞬間、皆が一斉に動き出した。
「悪い、落ちる! おつかれ!」
「僕も」
「俺も」
ミリタリー歩兵氏が、男の子氏が、青い霧氏が続々と落ちる。
「要件を思い出した」
「吾輩も」
チロリアンハットの彼も消え、賢者殿も退室していった。ギャラリーも三々五々に散っていく。その状況を受けてルームマスターは宣言した。
「それじゃ、一旦コレで、本ルームを解除します。あと5分のうちに全員ルームから落ちるように! それじゃお疲れ様!」
ルームマスターも姿を消す。それと同時に会議室ルームの自動閉鎖のカウントダウンが表示される。
後に残されたのはヴァーチャルアイドルのカスタマイズモデルの彼女と――
「やぁ」
――あの陽気な三毛猫の猫貴族の彼である。
「あ、はい」
「珍しいね。君みたいな若い子がこう言うマニアックなルームに来るなんて。まぁ、最近、特攻装警に興味を持って色々と調べてる娘も増えてるんだけどね」
ニコニコと笑みを浮かべながら猫貴族は穏やかに問いかけてきた。彼女に興味があるようだ。
「僕の名はペロ、よろしく」
そこには何の邪気も感じられない。拒絶する理由は見つからなかった。
「よろしく、私〝ベル〟」
「よろしく」
猫貴族のペロはもふもふの右手を差し出してくる。〝ベル〟と名乗った彼女は右手で握り返していた。
「時に――、何か知りたいことでも? すでに特攻装警についてならけっこう知ってそうだし、それ以外になにか調べたい事でもあるのかなと思ってね」
ベルは頷いていた。オープンルームでは詳細には語れない切実な問題が彼女にはあった。
「実は、そうなの――」
「やっぱり。でも、オープンルームでは集まる情報はたかが知れてるからね。よかったら僕の主催してるルームに来ない?」
「え? いいの?」
ベルはそこで『見ず知らずの私でも?』と聞きそうになった。だがそれを言う前にあっさりとペロは彼女を受け入れていた。
「構わないさ。主催者が言うんだからね。それより興味があるなら今日8時半にエントランスにおいで。改めて案内するから」
「わかった。8時半だね」
「待ってるよ。それじゃ僕もチョット用事があるのでね。アディオス」
軽やかに紳士的に猫紳士のペロは頭に載せたシルクハットを軽く持ち上げて挨拶しつつ消えていった。そろそろルームのタイムアウトだ。〝ベル〟もその部屋からアウトする。そしてネットから落ちていったのである。
〔オープンルームより退室。ネットアクセスからログアウトします〕
〔…………‥‥‥‥・・・・[EXIT]
@ @ @
「ふぅ――」
その少女は姿勢を正した。背を伸ばし、両手を軽く振るとVRのゴーグルを外しながら軽く伸びをする。
「なかなか掴めないなぁ――」
沈んだ面持ちでため息をつく。なにか心痛を抱えているのかその表情は晴れない。だがその彼女の背後から声がかけられる。同年代の若い少女の声だった。
「倫子?」
「えっ?」
強く呼びかけられてその少女〝成宮倫子〟は背後を振り向いた。
ハンバーガーファーストフードの2階席の窓際に席を取っていた倫子だったが、不意に背後から語りかけられたのである。
語りかけてきた声の主は朝のマフィンセットの乗ったトレーをその手にして歩み寄ると、倫子の両サイドの席にいつの間にか腰掛けていた。
地元の女子高生らしくブレザー形式の紺色の制服を規定通りに身に着けている。1人は肩までかかるロングヘアで、もう1人はストレートなショートヘアに纏めていた。ロングヘアが冴子で、ショートヘアが丸香だ。ショートカットの丸香が問いかけてくる。
「何ヤッてたの? いつものVRネット?」
それに畳み掛けるのは冴子だ。
「なに? またレイカ先輩のこと探してるの?」
その問いに倫子は思いつめたような表情で答え返した。
「うん、少しでも手がかりつかめればと思って」
「ふーん」
丸香が相槌を返せば、冴子はそれに言葉を続ける。
「もう1ヶ月だよね連絡取れなくなったの」
「うん。単なる家出とかじゃなさそうなの。たしかにちょっとスれてたところあったけど不良ってわけじゃない。ご両親とも仲良かったし、居なくなる理由がないんだよ。彼氏だって居るし。それであちこち手繰ってみたんだけど全然足取り掴めなくって――」
「それでネットに?」
「うん」
「それで首尾は?」
真剣そうに冴子が問うが、顔を左右に振る倫子の表情は芳しくなかった。
「少なくとも、住み込みバイトとか、ホテルや簡易宿泊所とか探ってみたけど全部ダメ。レイカさんの行動範囲をくまなく巡ったけどやっぱり〝表の世界〟には居ないみたいなんだよ」
「表? って事は裏?」
真面目に語る倫子に丸香はつい軽いノリで答えてしまう。それを冴子はさり気なくたしなめた。
「ちょっとマル、あのレイカ先輩がそう言う世界に自分から行くわけ無いでしょ?」
「あ、そうだね――ゴメン」
会話は弾まず、すっかり深刻な内容へと進んでいく。晴れやかな朝だと言うのに3人の間には早々に気まずい沈黙が漂い始めていた。だが――
「なに、3人してそんな眉間にシワ寄せてるんだ?」
――3人の背後からかけられたのは、若さと勢いを感じさせる青年男性の声だった。そして3人はその声の主を知っていた。
「え?」
「あっ! 兄貴」
「センチュリーさん?」
窓際に座っていた3人はおもむろに振り返る。するとそこにはWサイズのハンバーガーを手にしたとある人物が立っていたのだった。
「よぉ」
そこに佇んでいたのは『センチュリー』だった。特攻装警の第3号機、倫子がVR会議室の中で語っていたあの人物である。
その頭部にメカニカルで鋭角的なデザインのヘルメットを装着しており、ヘルメットの青いゴーグル越しに力強い瞳が見えている。そこから感じとれる気配は、まさに人間の醸し出す気配そのものである。
しかし、その首から下は違う。
バイク用のライダースーツを思わせる、よりタイトな全身スーツをまとっており、肩や胸部、腕部や脚部など全身の至る所に、金属にもファインセラミックスにも見えるメカニカルなプロテクターパーツが備わっている。それは肉体の上に装着しているようには見えず、彼の身体のそのものを構成しているかの様である。
彼は人間ではない。人間あらざる者にして、人間に等しい者――すなわち〝アンドロイド〟である。
左手を頭部のヘルメットに手をかける。頭部全体をすっぽりと覆うそれは鼻筋から顎にかけてが露出している。そして首筋全体を覆うカバーとヘルメットの下端部は接続されており、センチュリー自身が体内コマンドを実行したのだろう、その接合部が軽い電磁音をたてて切り離される。
そして、彼が頭部全体にかぶっていたヘルメットは着脱可能となる。左手だけで器用にメットを脱ぐと、その下からはラフなショートの栗色の髪をした端正な面立ちの若者が姿を表したのである。
倫子の右隣の丸香が横にずれて場所を開ける。センチュリーはメットを足元の荷物スペースに置くと遠慮せずに開けられた席へと腰を下ろしたのである。
倫子がセンチュリーに問いかける。
「兄貴、なんでここに?」
「朝飯、今日は5時から身柄確保の案件があったから早番でよ。今やっと休憩取れたんだ」
「そうなんだ、お疲れ様」
「おう」
センチュリーは人間によく似た骨格構造を持つ内骨格式のアンドロイドである。そして特徴的なのが人間と同じ様に食物を摂取してそこからエネルギーを取り出す有機物消化のシステムを持っているという点である。
当然、物を食うということはそれを体内で燃やすために酸素を呼吸する必要もある。センチュリーはあらゆる意味において人間らしい特性を有しているのだ。
そして、その彼は警察の中のあるセクションにて活躍していた。それは――
「なんだ、揉め事か? 誰か居なくなったのか?」
――倫子たちのような少女たちにも深く関わる部署であったのだ。
「あ、うん――」
倫子が言い淀む。冴子も丸香も戸惑っている。気まずい空気が流れる。だがセンチュリーは普段の仕事から未成年の幼い女の子たちのこう言う反応には慣れており、一向に気にしなかった。
「悪いな。立ち聞きしてたわけじゃないんだが、外からVRゴーグルを付けてたお前の姿が見えて寄ってみたんだ。そしたらお前たち3人が並んでたんでな――」
倫子たちの会話はセンチュリーには筒抜けだった。
「相談にのるぜ。行方不明なんだろ? その先輩」
「いいんですか?」
「あぁ、家族が行方不明者登録かけても、普通は警察は何もしない。行方不明者が多すぎて一人一人には対応できないんだ。でも俺が個人的に覚えておけば折に触れて調べられるからな」
「ホントですか?」
「あぁ、普段から見知ってるお前たちの知り合いならなおさらだ。可能な限り調べてやるよ」
「それじゃ――」
倫子は意を決した。両隣で冴子も丸香も頷いている。迷いはもう無かった。
「居なくなったのは私の学校の先輩なんです。その――、私が退学になったときも最後までかばってくれた人で」
「ネットのクラッキングで摘発補導された件だったな。軽微だったし、お咎め無しでおわったってうちのディアリオが言ってたんだが――」
倫子の言葉にセンチュリーが答える。そこに冴子が苛立ちを口にする。
「うちの生徒指導の金崎の婆さん、融通効かないから」
だが倫子は誰も責めなかった。
「でも前からプチ家出とか繰り返してたから、どのみちこうなってたよ。先輩がかばって学校に強く言ってくれたから強制退学じゃなくて自主退学扱いにしてもらえた。だからまだやり直しはできるからその事は根に持ってないよ。でも、それで先輩が学校に目をつけられたのが――」
そう語る倫子の声はしぼむばかりだった。その言葉のニュアンスに倫子がどれだけ罪悪感を抱えているか、そしてどれだけ学校サイドが理不尽をもたらしているか――、センチュリーは即座に察していた。
「それは違うぞ。倫子」
「え?」
静かな怒りが籠もった声がひびく。倫子も冴子も丸香も驚きつつ振り向いた。
「どんな過ちを犯そうが、どんな失敗をしようが、それを助けて生徒の将来を繋ぐのが学校と教師の役割だ。それを無視して自己保身にしかばかり目が向かないから学校と言うシステムから漏れるガキたちが世の中にあふれるんだ」
それはセンチュリーがその経験から掴んだ信念だった。驚きをもって視線を向けてくる少女たちを尻目に彼は語り続けた。
「だいたいだ、生徒から抗議されたからと言ってそれを根に持って良いはずがねえ。冴子と丸香にも聴くが、お前らの学校じゃ、そのレイカって先輩の失踪については家出とかで済まそうとしてるだろ?」
その言葉にまず冴子が頷いた。
「そして、体のいい厄介払いで退学扱いにして除籍しようとしてる。そんなこったろ?」
さらに丸香も首を縦に振った。完全なる図星である
センチュリーは両サイドの少女たちを眺めながら一気に告げた。センチュリーはその経験上、子どもたちを預かるはずの学校教師と言うものが以下にデタラメで身勝手かと言うことを嫌という程に味わっていた。やる気のある真面目な教師は淘汰されるか激務で潰される。そして残った平凡以下の教師たちがうまく立ち回る――、20世紀の頃から続く悪習であった。
「それをやられると、失踪人調査の動きが鈍くなるんだよ。事件性なしとして後回しになるからな」
「じゃぁどうすれば?」
問い返す倫子は半分泣き顔である。だがセンチュリーはしっかりと受け止めるように答え返した。
「教えろ。そのアホ生徒指導の名前を。俺が直接話をつける。まずは学校の方に危機感を持ってもらう。もしそのレイカって子が〝闇〟に飲まれてるなら学校がちゃんと受け止めないと話にならねぇ。俺の〝少年犯罪課〟の名前を出して強く言ってやるよ」
「ホントですか?」
「あぁ、学校が受け皿として機能しないとこう言う案件の場合は解決に時間がかかるからな。その上で俺も消息調査に動いてやる。そして多分これは――」
センチュリーは軽く息を吸い込んで、やや低めのトーンのよく通る声で告げた。
「組織犯罪が絡んでる」
〝組織犯罪〟――その意外すぎるキーワードの出現に倫子たち三人の表情は驚きに強張っていた。冴子が告げる。
「センチュリーさんそれって」
冴子の言葉には若干の抗議のニュアンスがにじんでいた。センチュリーは声のトーンを戻し努めて穏やかに語り始める。
「最近そういう案件が急増してるんだよ」
丸香が相槌を打つように問いかける。
「そうなんですか?」
「ああ、詳しくは言えねえが、世の中のあらゆる場所に口を開けて餌食となる人間を貪欲に待ち受けてる連中がいる。これは半分俺の勘だが、そのレイカって先輩は何らかの形で〝裏社会〟に引きずり込まれたんだ。俺の弟の情機のディアリオにも頼んで調べさせる。お前たちも何かわかったら知らせてくれ」
そう語るセンチュリーの声は力強かった。そして何より「この人なら何かしてくれる」そう思わせる信頼感があった。そう、まさに悪い意味でサラリーマン化した学校の教師にはありえないものだ。
冴子が言う。
「わかりました」
丸香も言う。
「もちろんだよ」
そして最後に話をまとめるように倫子が告げた。
「わかった、お願いね兄貴」
「おう、悪いようにはしねえよ」
センチュリーは少年少女たちから〝兄貴〟と親しみを込めて呼ばれていた。センチュリーは本来彼らたちを補導する側の『生活安全部少年犯罪課』に属する特攻装警である。だが彼はその経験の中で闇雲に犯罪を取り締まり違法行為を働いた若者たちを捉えるだけでは、少年少女たちの暮らしの場をより良くすることはできないということを知っていたのである。
「それで、その生活指導の教師の名は?」
「金崎、金崎ともえ。五十過ぎの融通の聞かないおばさん教師です」
「そうか、よし――」
その瞬間にセンチュリーは倫子たちから聞いた話を整理して脳の記憶領域の片隅に固定保存した。いつでも呼び出せるように――
そしてセンチュリーを立ちながら言った。
「邪魔したな、そろそろ行くぜ。冴子と丸香は学校だろ?」
「はい」
「もう半分遅刻気味だけど」
「サボんなよ」
「さぼりませんよ!」
丸香が笑いながら答える。そしてセンチュリーの視線は傍らの倫子の方へと投げられた。
「倫子、お前は?」
「私は――」
少し困った顔で、それでいて心の中に前向きに決めたものを宿している、そんな面持ちで倫子は言った。
「大検を受験しようと思って」
「お、やっとやる気になったか」
「はい、あとで大検の対策講座をやってる塾を見学しに行くんです」
「そうか、頑張れよ」
「あの、ひとつ聞いていい?」
二人の会話に丸香が声を挟んだ。
「大検ってなに?」
その問いに答えたのはセンチュリーだ。
「大検ってのはな〝高卒認定試験〟て言ってな、こいつみたいに高校中退したり、そもそも高校入ってなかったりするやつでも、大学が受験できるように高卒同等の学力があると認める検定試験のことさ。高校に行くだけが人生じゃないからな」
そう語る、センチュリーの言葉には重みがあった。今まで幾多もの若者たちの人生に向き合ってきたのだから。
大検――高卒認定試験。中卒者や高校中退者への支援制度の一つで合格すると高卒相当の資格が得られるのだ。
その言葉に丸香たちの顔が明るくなった。
「そっか、じゃ一緒に大学に行けるといいね」
「だね、また3人でだべったりとかさ」
「待ってるよ、倫子」
「うん、ありがとう」
3人がそんなやり取りをしていると冴子が自分の腕時計の時刻に気づく。
「ヤバ、そろそろいかないと。行くよ、マル」
「今日の二限目、草薙先生の数学だっけ」
「そう、あたし数学赤点だから出ないとマズイんだよ」
「わかった。行こう」
あせる冴子に丸香も立ち上がった。
「じゃね、倫子」
「センチュリーさんもお仕事お気をつけて」
「おう」
「うん、冴子も丸香も行ってらっしゃい」
「うん、行ってくるね」
「頑張れよ」
「はい」
やり取りする三人にセンチュリーも励ましの声をかける。冴子たち二人は手を振りながら去っていった。
言葉をかわし手を振りながら立ち去る親友たちを倫子は視線で追っていた。
過ちを犯して学生では無くなったが、親友で無くなったわけではない。そして明日への希望はまだ残されているのだ。
「さて、俺も行くとするか」
「仕事?」
「おう、今から横浜に行く」
「横浜? なんで? 縄張りの外じゃない」
センチュリーは警視庁所属だ。神奈川県警のエリアは勝手には動けないのだ。センチュリーはため息をつきながら言う。
「お誘いがあったんだ。小規模な武装暴走族をシメるから手伝ってくれって。ったく面倒にならなきゃいいが」
「大忙しじゃない。気をつけてね、兄貴」
「おう」
センチュリーは立ち上がりながら足元のヘルメットを左手で拾い上げる。そして片手でメットをかぶりながら倫子にこう告げたのだ。
「倫子、ひとつだけ忠告しとくぞ」
「えっ?」
「ネットで調べものをするのは構わんが、顔と素性の見えない人間を簡単に信用するなよ」
「――」
倫子は思わず沈黙する。センチュリーはその意味をしっかり理解していた。
「世話になった先輩が心配なのは分かる。だが、その先輩を陥れた連中が、ネットの世界で口を開けている可能性だってあるんだ。いいか? 〝焦るなよ〟」
焦るな――
その言葉の意味を倫子は痛いほどに感じていた。
「うん、わかってる」
「組織犯罪関係は慎重に事を運ばないといけない。だから絶対に迂闊なことをするな。何かあったら必ず連絡しろ。いいな?」
そう語るセンチュリーだったが喉元まで出かかった言葉がある。〝組織犯罪は証拠隠滅を図ることがある〟それは組織としての危険度が高ければ高いほど容赦がない。闇雲に表立って追い回すわけにはいかないのだ。事件解決の難しさをセンチュリー自身がいやというほど味わっているのだ。
「じゃあな」
「うん、いってらっしゃい」
センチュリーの言葉に倫子が返す。そしてセンチュリーは手を振りながらそこから去っていった。
倫子は窓の外へと視線を向ける。そして道行く人々を眺める。
大人が居る。子供が居る。
仕事へと向かう会社員がおり、様々な仕事をしている制服姿の人も居る。
真面目な姿の一般人も入れば、ド派手なファッションの危なそうな人も居る。
この巨大な交差点から見える光景は社会の縮図だ。そう思わずには居られなかった。
そして――
「あ――」
ふと時計を見ればもうすぐ猫貴族のペロとの約束の時間が迫っていた。先程のセンチュリーの言葉が脳裏に浮かぶが、迷いを振り切りペロと会うことに決めた。
倫子は再びVRゴーグルを装着する。そして、ネットへと〝入って〟いった。