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メガロポリス未来警察戦機◆特攻装警グラウザー [GROUZER The Future Android Police SAGA]  作者: 美風慶伍
第2章サイドB『魔窟の洋上楼閣都市』第5部『死闘編』
136/147

サイドB第1話『魔窟の洋上楼閣都市』Part51『死闘・――声――〝命〟』

その声を聴くのは誰か?


特攻装警グラウザー第2章サイドB

魔窟の洋上楼閣都市51

『死闘・――声――〝命〟』


スタートです


 その5つの獣は牙を剥いていた。

 地上から肩までの高さ1.1メートル、背の側が濃い茶色で、下側が白い毛並み、

 鋭い視線にピンと立った耳を持ち、その骨太な4つの脚はしっかりと地面を踏みしめていた。

 体全体が短めの毛で覆われており、長く伸びた鼻と、口元には鋭い牙が現れている。

 群れで居ることを重んじ、互いの連帯を重要視する生き物――


 俗にそれは『狼』と呼ばれていた。

 

 その5匹の狼は荒れた洋上のスラムの大地の上にいた。

 普段はサーカスのステージの上で虎やライオンや様々な獣に姿を変えていたが、彼が闇の世界に赴く時の姿はまさそれであった。

 彼らの名は〝シグマ〟

 全部で5体、

 アインス、ツヴァイ、ドライ、フィア――そして、フュンフ――

 彼ら5頭のオオカミたちのあるじは、あの死の道化師・クラウン、

 そして、彼らを導き指導するのは、猫耳をはやしたマジック少女・イオタ、

 彼らシグマたちは本来、クラウンやイオタの指示を受けて行動していた。それが彼らの本来の姿であり、彼らは単独での行動は許されていない。

 なぜなら――

 

――彼らはまさに〝獣〟なのだから――


 今、5頭の獣たちは、導き手を失い苦境に立たされていたのである。

 

 

 @     @     @

 

 

 アインスからフュンフまで、5つの狼たちはある者を包囲していた。

 頭から爪先まで黒い装備とコスチュームで身を包んだ者たち、

 武装警官部隊・盤古、情報戦特化小隊の隊員たちである

 その一人の名は亀中、比較的小柄だが背中にバックパックを背負い、体の各部に装備品の詰まった小ポケットを持っている。防弾ヘルメットを装着し目元を全て覆う電子ゴーグルとフェイスアーマーを装備している。銃器や白兵武器などの目立った装備を持たないのは彼が電子戦や白兵工作を主任務としているであろう事を予見させた。

 もう1人は蒼紫、スラリとした長身で盤古標準のアーマー付きスーツを全身にまとっている。アーマーは小さめにカスタマイズされており、機動力と素早さを重視しているのが感じられた。だがその頭部は異様であった。顔面を含む頭部を全て覆う全頭ヘルメットをかぶり、そのヘルメットの表面には前後左右上下、全ての方向へと無数の電子光学装備が配置されている。元々の肉眼の不備を執拗に補うかのようである。そして、その手足は肘と膝から先はメカニカルな義肢であり、明らかに何らかのギミックが仕込まれている。

 電子戦とトラップ特化、互いに相互作用を生み出せる機能性で絶妙なるコンビネーションを発揮していた二人である。

 今回の洋上スラムでの任務も互いが互いを必要としていた。

 もうすでに特化小隊がチームとしての機能を失いつつある状況下でも、彼らは任務を放棄することはなかった。

 

「亀中、残りの工程は」


 蒼紫がバディに問う。相棒である亀中が答える。

 

「予定した5箇所の装備敷設はココで完了だ。と言っても一度作動を開始したら全域無差別だからどこでもいいんだがな。あとは初期設定を済ませて起動させればOKだ」

「効果範囲は」

「埋立地全域――と言っても周囲の沿岸地区に波及しないようにマップ設定必要だ」

「よし、完璧に〝ゴミども〟だけを始末しろよ」

「あぁ、任せろ。チリ一つ残さねえ」


 二人は確信的に自信アリげに答える。この洋上スラムに住む者たち全ては死ぬことこそが正しい出来事だと言わんばかりに。

 だが、蒼紫がなにかに気づいた。

 

「亀」

「なんだ」

「お前は作業に専念しろ」

「敵か? そっちは任せたぜ」

「無論だ。完璧に遂行しろ」

「お前もな」


 亀中がトラップを敷設・作動させ、蒼紫がその周囲を警護・反撃する。それが二人のコンビネーションの要諦だった。

 今までにも何度も繰り広げられた光景だった。

 そして、二人のその周囲には5頭の狼の目が闇夜の中に光っていたのだ。


 シグマは命じられた。彼らを排除しろと。

 彼らは闇夜に潜む狼として、気配を消し、牙を剥き、いつでも襲いかかれるようにすべての力を開放しつつあった。

 それは〝狩り〟だ。彼らのあるじから命じられた重要な狩りの任務。それ故に一撃でトドメをさせるように全感覚をフルに使い状況を把握しつつあった。そして、彼らは直感で悟る。今がその時だと――

 

 彼らの眼前を周囲を警戒しつつ蒼紫が歩く。だがその両手にはなんの武器も所持していない。まるきりの素手に近い。

 それがシグマたちには攻撃能力の欠如と写ったのだろう。蒼紫が歩いて進んだその立ち位置が、彼らシグマが取り囲む位置へと入ってくる。

 

 武器はない、

 警戒はゆるい

 なにより周囲警戒の見張り任務にしか見えない

 

 そして、シグマは〝狼〟として、〝牙〟を持つ者として、本能に従いこう決断したのだ。

 

――狩るなら今だ――


 彼らは人間ではない。狼である。獣である。そして、牙を持つ狩人である。その闘争本能は野生と自然の中で営々と培われた物である。そう、彼らは本物の〝獣〟なのだ。

 

 シグマの一頭、アインスが先に襲いかかる。

 地面を蹴り、地を這うようにて飛び出し、そしてすばやく蒼紫へと飛びかかる。それを呼び水として、ツヴァイ、ドライ、フィア――そして、フュンフ――、牙を持つ5頭はほぼ同時に獲物へと襲いかかり牙を突き立てようとした。

 だが――

 

「なんだ、野良か」


 蒼紫はけだるげに言葉を漏らす。そして、言葉と同時に【仕掛け】は発動する。

 

「――失せろ――」


 それは肉眼では視認不可能な程に微細な糸だった。

 

――単分子ワイヤー――


 分子数個分の直径のワイヤーであり、その分子強度によっては鋼鉄を遥かに超える引張強度を発揮すると言う。

 SF概念では有名な軌道エレベーターも、この単分子ワイヤーあっての概念だ。

 一本で数トンを支える強度は、目標物を拘束するのみならず、切断すら可能にする。

 そう――、すでのその周囲には無数の単分子ワイヤーが張り巡らされていたのである。

 まるで害鳥を捕縛する〝かすみ網〟の様に――

 

「ギャインッ!」


 悲鳴のような鳴き声が響く。その鳴き声に連動するようにシグマたちの歩みは止まった。

 鳴き声を上げたのはドライ――、単分子ワイヤートラップの一つにまともに突っ込んで、顔面を損傷したのだ。

 左目のあたりが引き裂かれ血が流れ出していた。眼球も傷ついており、しかも――

 

――ベリッ!――


 ドライの顔面に絡んだ単分子ワイヤーは藻掻くドライの動きを巻き込む形でその顔面皮膚の一部を削ぎ取ったのだ。これが人間であればどれだけ悲惨な結果を生むだろうか? そう思わずには居られない有様であった。

 

「なるほど、それがお前らの本性か」


 蒼紫のまるで憐れむような声が漏れる。その視線の先に見えたものそれは――

 

「無様だな〝造り物〟――、人間ではない。ましてや自然の生き物ですら無い。ならばこの世に居ないも同じ」


――人工の疑似生体組織の下に埋もれた金属状のスカルフレームである。そう〝シグマ〟は生身の生物ではない。

 だがそれゆえに蒼紫は余裕の仕草で四肢を動かし始めた。さらなる単分子ワイヤーを繰り出すために。

 

「任務の邪魔だ。消えろ」

 

 それが蒼紫の価値観だった。任務の遂行――、それだけが彼の信念だった。

 彼は自分以外の誰にも感慨を抱くことはなかったのである。

 そんな冷ややかな蒼紫のつぶやきをよそに、シグマたちは戸惑いと不安をいだきつつあった。なぜなら、彼らを導いていたはずのあの〝少女〟は別行動を取り始めてから今だ戻っては来ていないのだから。

 彼らは〝指導者〟を失っている。

 獣であるが故に、本能はあっても知恵はない。その有り余る力を発揮するには〝知慧〟をもたらす者が必要なのである。


 

 @     @     @

 

 

 それは、荒れ果てた街には似つかわしくない、あまりにも場違いな人物であった。

 

 肩出しで膝上丈の真紅のスカートドレス。腰から下はチェック模様とフリル付きで腰から上は光沢感のある生地で豊かな胸を包んでいる。ドレスの下には幾重にもピンク色のパニエが重ねられている。足は薄ピンクのストッキングタイツで両足は膝下までのロングの革ブーツ。赤色でそこかしこに女の子らしいリボンがあしらわれている。髪も深いピンク色のふわふわロングで髪の両サイドにはリボンアクセ。そのアクセのある辺りには奇妙なことに猫のような獣耳がついている。そして少女のスカートの裾からは長い猫尻尾が覗いていて尻尾の先端が不安げに揺れていた。

 

 彼女はその耳をそばだてる。周囲の音のざわめきの群れの中から一つ一つを探り出すように。

 その頭についた二つの獣耳は鋭敏に街に飛び交う音を丹念に拾い上げていた。

 だが彼女がさがしているのは人間たちが交わしている〝言葉〟ではない。彼女が求めているのはそう――

 

「どこ? どこに居るの? みんなの〝声〟を聞かせて」


――彼女が求めているのは声なのだ。


 彼女が求めている声はそこかしこから聞こえる。

 頭上の電線に止まっている者から。

 

「そう、この先なのね?」


 足元で汚水の流れる側溝を歩む者から、

 

「あら、あなたたち? 今はまだよ。もう少しあとでね」


 建築物の屋根裏から顔を覗かせる者から

 

「え? なにか仕掛けを? ありがとう! 何かあったらまた教えて」


 彼女は声を聞いていた。あらゆる者の声を、それも人ではないモノたちの声を。

 まるで散策するように訥々と歩みを進めていた彼女だったが至る所から寄せられる〝小さな声たち〟に教えられるに至って、その表情は急速に冷静なものになっていく。


「やっぱり――」


 彼女は足早に走り出す。


「この街にもいるんだ。命を軽んじるやつらが――」


 そして彼女はあの声を聞いた。


「えっ?!」


 その表情が驚きに変わる。彼女に聞こえたのは断末魔の声。激しい痛みに耐えかねてあげた叫びの声、救いを求める懇願の声――

 だがそれは〝人〟が寄せた声ではなかった。

 彼女の口元が固く結ばれ冷静な表情へと変わる。それは覚悟を決めた者の顔、救いの手を差し伸べようとする母性の顔。

 〝声〟が聞こえた。彼女が戦うにはそれだけで十分な理由だ。なぜなら彼女は――


「待ってて、今行くからね!」


――あらゆる全ての命の声を聴き、自らの声を伝えることができるのだから。 


 彼女の名は〝トリー〟

 字名は〝話し合うトリー〟


 寄せられた切実なる願いに応えるために、彼女もまた戦いの場へと赴いていったのである。



 @     @     @



「ほう。知恵のない獣と思ったが――」


 冷ややかな声をだすのは情報戦特化小隊隊員の蒼紫――、悠然と立ちはだかりながらも周囲にその頭部のカメラ群をフルに作動させている。蒼紫はその頭部を手ひどく破壊されている。失った視力の代わりに頭部マスクの外側に360度全周を見渡せる光学カメラアレイを隈なく装備したのだ。

 それ故にだ、彼の〝眼〟の群れには確実にターゲットの存在が視認されているのである。

 それを知ってか知らずか、5頭のシグマたちが蒼紫の周囲を徘徊している。攻撃する隙を探しているのだ。

 

「狩りの本能はあるのか。それに鼻も効くらしいな」


 蒼紫が周囲に張り巡らせた無数の単分子ワイヤーの警戒包囲網――、シグマたちはそれを自らの鼻を駆使して嗅ぎ取ろうとしていた。肉眼では視認できないほどの微細なワイヤーであるが、その存在を感知する方法は確かに存在している。

 

「〝囲み〟を破られると厄介だ――、何を装備しているのかもわからん」


 そうつぶやきつつ、蒼紫は両腕を動かし始める。軽く上へと掲げる。敵は生身の犬ではない。サイボーグドッグか、アニマロイドか、何らかの人為的な存在なのだ。意を決するように勢いよく振り下ろす。

 

――ジャッ!!――


 両手首の内側、生身の手なら脈をとる位置、そこにノズルのような穴がある。鋭い音とともにそこから鈍い灰色のロープ状の物が振り下ろされる勢いとともに突出する。

 

「殺るか」


 冷酷な言葉を吐きながら、蒼紫はその右手を振るう。蒼紫の手首から現れたロープ状の物である〝能動メタルケーブル〟は、生きた蛇の様に〝空中を這い回り始めた〟

 センチュリーの使うツールである〝アクセルケーブル〟に機能的に似たものがある。

 それは無音のまま瞬くにターゲットを狙い澄ます。無音、無感で獲物をとらえるのだ。そのメタルケーブルが襲う先に居たの狼型アニマロイド〝シグマ〟の中の一体〝ツヴァイ〟

 ケーブルは空間上に張り巡らせた不可視の単分子ワイヤーの群れの隙間を縫うようにして進む。そして、その進行方向をかすめるように横切ったツヴァイの前左足を無音のままに絡め取る。

 

「まずは一つ」


 捕獲の感触を得て蒼紫をそれを引き寄せた。手首の中の巻取り機構がメタルケーブルを引き寄せる。

 

――ゥゥ、ゥゥゥ――


 かなでられる音はかすかな唸り音だけ。だがそれに伴う微細な振動にツヴァイはこれから起こるであろう残酷な結果に即座に気づく事になる。

 

「ガウッ!」


 強く吠えて抵抗を試みる。残された3つの足を踏ん張り、その場へと残ろうとする。さらに他のシグマの一体であるフィアがそのメタルケーブルに気づき噛みちぎろうと牙を剥いた。

 

「ガァッ!」


 フィアがメタルケーブルに噛み付こうとするその瞬間、蒼紫の左手首のメタルケーブルがフィアを襲った。首筋へと速やかに絡みつき締め上げていく。2つの獲物を捉えて蒼紫は淡々となんの感慨もなしにこうつぶやくのだ。

 

「無駄だ」


 そして、蒼紫は2本のメタルケーブルを急速に巻き取り始めた。メタルケーブルに引きずられてツヴァイとフィアはジリジリと蒼紫の方へと引き寄せられる。だがその方角には『単分子ワイヤーの網』が張り巡らされているのだ。それがどんな結果をもたらすかは容易に想像できた。

 

「キャイン!」


 先に悲鳴を上げたのはツヴァイ、絡め取られた左手に一本の単分子ワイヤーが食い込み始めたのだ。

 

「――カッ――ハッ!」


 窒息したかのように喉の奥から奇音を漏らすのはフィア。まともに喉を締め上げられて窒息しつつあるのだ。

 それは闇夜の中で、あらゆる気配を消せたのなら、絶大な効果を発揮する『死のトラップ』『絶望のからくり』である。

 

「冥土の土産に教えてやる。駄犬ども、俺の字名は『からくりの蒼紫』――トラップ敷設のエキスパートだ」


 そして両腕のメタルケーブルにさらなるパワーを与えたのだ。

 

「ギャイン!!」


 ひときわ高い悲鳴が上がる。それとともにかすかな電磁火花が漏れてツヴァイの左手首が引きちぎれてしまう。さらにフィアはついに四肢にこめた力を失いつつあった。

 のこるアインスもドライもフェンフも事ここに至ってはなす術なく見守るしかできない。

 そんなシグマたちを嘲笑うように蒼紫は言葉を漏らした。

 

「まずは2つ」


 蒼紫は淡々とカウントする。そこには喜びも怒りもない。あるのはただ虚無的な任務行動のみ――

 

「残りは3つ」


 蒼紫の頭部のカメラ群が不気味な光を放つ。到底、人間とは思えないその頭部には一切の人間性は感じられなかったのだ。

 

 

 @     @     @



 少女が荒れ地を行く。煤けたビルとうらびれた街路を掻い潜りながら。

 聞こえてきた〝声〟

 それは戸惑いと不安を含んでいた。そして、苦痛――

 怪我、痛み、命の危険、切実なる思いがその声には現れていた。

 少女は進む。声のもたらされた方へと。

 その声は〝痛み〟

 その声は〝不安〟

 その声は〝苦渋〟

 抗いたいが抗えない。

 立ち向かいたいが立ち向かえない。

 与えられた使命を果たせずに一方的に叩き伏せられる事への壮烈なまでの屈辱感。

 あぁ、そうか――

 彼女は理解した。その〝声〟の持ち主がいかなる者達であるのかを。

 

「戦うモノ、そして護るモノ」


 だがそれだけではない。

 

「でも導く人を必要としているのね」


 それは願い、それも懇願、そうそれこそが――

 

「待ってて今行くから!」


――彼女の力だった。どんな声でも、どんな思いでも、聞き届け、受け取ることができるのだ。

 彼女の名は〝話し合うトリー〟、全プロセス中、屈指の対話能力の保有者である。

 

 その願いの声を耳にしてトリーは歩みを加速する。駆け足で進むと瓦礫の様なビルの角を通り抜ける。そしてその先にトリーは目の当たりにしたものに思わず息を呑む事になる。

 

「えっ――?」


 思わず漏れる戸惑いの声。そしてやがてトリーの中に沸き起こるのは2つの感情だった。

 

「なんてこと――」


 そうつぶやきつつ急ぎ駆け出す。割れたアスファルトを蹴り、崩れ落ちたブロック塀を乗り越え、瓦礫を踏み越えて、彼女がたどり着いたのは左足を千切られたツヴァイだ。そのツヴァイの痛みを察することができるのだろうトリーの表情は辛そうに眉をひそめている。だがツヴァイに労りの声をかける余裕もない、その隣で首を絞められて窒息しかけているフィアにも気づいているからだ。

 人工のパーツで構築されてる体とはいえ、その体構造は生身の4足歩行の生き物たちと何ら変わるところはない。知恵の座である脳は頭に、命を刻む心臓は胸の中に、そして、首には命を支える呼吸と血液の巡りが激しく通っている。

 ましてや、首という構造が柔軟性が求められる以上、強固にするには限界があった。

 ごく普通の生身の獣たちと同じように、シグマたちにとってもを生命つなぐ鍵だったのである。

 そこを締め上げられるということがどれほどまでに危険なことなのか、トリーの目から見てもはっきりとわかる。

 トリーがフィアの方にも手を伸ばそうとしたときだ。

 

「小娘、どこから来た」


 だがトリーは蒼紫のその言葉を遮った。

 

「今すぐコレを離して! 殺すつもり?!」

「お前、何を言ってる」


 面倒くさそうにそう言いつつ蒼紫は、ツヴァイの左手を締め上げたメタルケーブルでトリーを襲う。メタルケーブルはトリーの視界の外だったが、即座に気づいてこれを躱した。

 

「ありがとう」


 トリーがつぶやけば物陰から姿を現したのは、都市の暗がりの中で羽虫のたぐいを餌としているアブラコウモリと呼ばれる小型のコウモリたちだった。まるで自らの超音波エコーを用いてトリーの周囲を警戒しているかのように――

 

――チィ!チィ!――


 かすかな鳴き声がトリーに答えている。トリーはコウモリたちの助力を得ているのか、蒼紫からの執拗な連撃を巧みにかわし続けていた。もとより彼女もプロセスである。基礎的な体力は常人を超えるものである可能性も考えられる。

 

「ちっ! はしっこいガキだ! なんなんだ貴様!」


 苛立ちをぶつけるように叫ぶ蒼紫だったが、それをトリーはまったく受け付けなかった。腹の奥から怒りを吹き出させるように彼女は力のこもった声で告げたのだ。

 

「早くほどけと言ってるのがわからないの!?」


 そう叫びつつトリーの右手の指はなおも締め上げられているフィアの方を指していた。限界が近いのか、フィアの体は痙攣を起こしている。呼吸困難からの窒息、それがシグマの正体がロボットの類ではないと言う事の証明であった。

 だがその怒りの意図が蒼紫にはまるで伝わっていない。まるで痴れ者をあしらうかのように小馬鹿にして言い始める。

 

「あ? 鉄くず紛いの駄犬の一つや二つ、死んだからと言ってどうなる? ゴミ掃除のじゃまだ」


 窒息しつつある一つの命を前にして焦りと不安を顔に浮かべていたトリーだったが、蒼紫が吐き捨てたその侮辱を耳にして、彼女のその顔色は激変したのである。

 

「なんて言ったの?」

「あ?」

「なんて言ったのと聞いてるのよ!」

「うぜ――」

 

 蒼紫が心の底から忌々(いまいま)しげに〝うざい〟と言いかける。だが、それを真っ向からかき消したのはトリー自身の言葉だ。


「答えなさい! なんて言ったと聞いているのよ!」


 そこには先程、仲間のダウとともにアイスを口にしていた時の穏やかで朗らかな彼女は存在しなかった。そこにはただ純粋なる怒りだけがあり、彼女の眼前にて無感情に佇む異形の男をまっこうから射抜くように睨みつけていたのだ。

 そして、トリーは語りだす。彼女だけがある理由が故に抱く純粋なる怒りのその理由を――

 

「あなたなんかにはこの子達はただの人工物の寄せ集めの獣型ロボットにしか見えないでしょう? でもね! この子たちはれっきとした生き物よ! 魂の座である『脳』があって、心も魂もあるの! この子達にもちゃんと命があるのよ! 意思があるのよ! 理由があってこの世界に存在しているのよ! わたしもそう! あなたもそう! この世に理由なく存在している命なんてない! 無碍にむしり取っていい命なんてどこにもない! 命の一つや二つって言うけど――、消えた命は帰ってこない! 消えてしまった命の〝声〟は取り返しがつかないよの! だからお願い! このケーブルをほどいて!!」


 怒りと涙が入り混じっている。心の底からの怒りであり、心の底からの懇願であった。だが――

 

「知るか馬鹿」


――蒼紫が吐いた言葉はそれだけだった。

 その言葉と連動するように左手を引く。接続されているメタルケーブルを巻き取る。なかば虫の息のフィアは単分子ワイヤーの網の方へと引きずられていくのだ。トリーが蒼紫を睨みつけながら問う。

 

「それがあなたの答え?」

「―――」


 蒼紫は無視した。元々、感情の抑揚の少ない男だ。必要性を認めなければ言葉すら削ろうとする。そこに交わされるべき〝声〟は無い。

 だがそれは――

 

「わかった。もうあなたの〝声〟は聞かない。私も何も伝えない」


――龍の尾を踏むに等しい逆鱗に触れる行為だったのである。

 蒼紫はマスクの中でのほくそ笑んでいた。突如現れた小娘が喚き散らした。そして意思の疎通を諦めた。ただそれだけの事だ。これでやっと本来の任務に戻れる。そう思っていた。

 しかし――

 

「話し合うトリーの名において命じる――」


 トリーは両足で地面を捉えてしっかりと立っていた。そして、両の拳をしっかりと握りしめ、自らの胸の前でそれを合わせる。

 

「――この洋上の大地に息づくあまねくすべての命たちよ! 私の声に従いなさい!」


 それは叫び。そして〝神託〟――天界の神が命じるようにそれは洋上のスラムである東京アバディーンの隅々へと伝わっていく。

 

【 スカラ空間振動音声伝達システム     】

【            ―Orphee― 】

【 >フルボリュームレベル         】

【 生物中枢脳内意思情報構成要素      】

【 『ミーム分子』総括コントロールユニット 】

【              ―Iris― 】

【 双方向意思伝達ドライブスタート     】


 トリーのその体の中に仕組まれた仕組みが密かに作動を開始する。あらゆる生命が持つ〝意思〟そしてその意思が言語として形を成す以前の原初の〝声〟――トリーはそれを読み取り、そして伝える事ができるのである。それゆえに彼女は――

 

「おいで! 命を脅かす輩に鉄槌の牙を!」


――全ての生物を意のままに操るのである。


――ザワザワザワ……――

――カサカサカサ……――


 それは耳障りな不気味な音だった。何かが地面を這い回っている。そしてそれが蒼紫が立っている場所へと集まりつつある――

 蒼紫はその音を原因をすかさず目視する。だがそこに見たのは――

 

「う、うわぁああっ!!」


――不気味という言葉ではもはや足りない怖気の走る光景だった。

 虫、虫、虫――、ありとあらゆる地虫。それが地面を埋め尽くす勢いで蒼紫の足元へと集まりそして這い上がりつつあるのだ。

 

「なっ、なんだこれは!」


 思わず足で蹴り追い払おうとする。だがそんな行動は無意味だ。またたく間に蒼紫の体の半分は虫で埋め尽くされた。着衣の隙間から中へと入ってくるものも居る。それが這い回り、噛み付こうとするものもいる。不気味という言葉すらも超している状況だ。だが、恐怖は終わらない。

 

――ギャァ! ギャァ!――


 夜空の漆黒から湧き出るように現れたモノ、それは翼を持っていた。色は漆黒のみでくちばしと足の爪が最大の武器となる。すなわち、無数のカラスが飛来して蒼紫を喰らおうとする勢いで群がり始めたのである。

 振り払おうとするも相手はカラスだ。翼を広げながら足の爪をつきたててくる。それを振り払ってもふたたび襲ってくる。苦し紛れに右腰のホルスターからオートマチック拳銃のグロック22を抜き放つが、それをすらも見切って拳銃を握る手を直接につかもうとしてくる。もはやここに至ってシグマの中の一頭であるフィアの首を絞め殺すことなど集中することすらできなくなっていたのである。

 

 フィアが拘束を解かれて崩れ落ちる。呼吸は弱々しく今にも絶えようとしている。。四肢に力はこもっていない。無論、立ち上がることもない。それを横目に見ていたトリーだったが、思わずそっと目を伏せる。弱っていたフィアの呼吸は取り戻されること無くそのまま失われたのだ。

 

「ごめん、間に合わなかった――」


 駆けつけた他のシグマたちがフィアを気遣うように鼻先で匂いを嗅いでいる。仲間の死を受け入れられないでいるのだ。その仕草に悔恨がトリーの中に沸き起こり、さらにはトリーの中の怒りはさらに倍化した。

 返す動きで蒼紫の方を見れば、彼は拳銃を乱射してカラスを追い払おうとしている。通常なら音と弾丸に驚いてすぐさま離れていくはずだ。だが今は――

 

「無駄よ。その子たちは私の〝声〟で伝えたメッセージで怒り狂っているの。命を消そうとする人が居る。あなた達の縄張りを犯そうとしている人が居る。怒りをもって排除すべきだと私は伝えた。そして彼らは私の声に〝賛同〟した!」

「止めろ! やめさせろぉ!」


 トリーの言葉に蒼紫は思わず叫び返した。だがトリーはそれを無視する。


「あなたの声は二度と聞かない!」


 そう告げながらシグマたちへ視線を向ける。活動可能なアインス、ドライ、フュンフの3頭がトリーへと視線と向け耳を傾けている。それは指示を待つ姿――、指導者に従う姿であり、行動するための〝知恵〟を求める姿である。

 彼らは求めている。


――命じてくれ。戦いの力を行使するための〝許し〟を与えてくれ――

 

 ならばトリーの役目は一つだ。彼らに、シグマに知恵をもたらす〝声〟を与えるのみである。

 

「そうよね仲間の敵を討ちたいよね――うん、判っているよ――」


 片膝をついて視線を下ろす。シグマたちに目線を合わせると目を合わせつつ語りかける。


「あなたたちには本当の姿がある。望まずして変えられてしまった姿が――」


 トリーが3頭にひとつひとつ手を触れながら〝声〟を伝える。それはシグマに仕掛けられた抑制機構を開放する〝声〟だ。

 

「いい? 必要以上に戦ってはダメ。それは、あなたたち自身を滅ぼしてしまう。でも今この一時(いっとき)のみ解き放ちなさい。そして〝仇〟を討つのよ」


 生き残ったシグマたちが命絶えたフィアの方へ鼻先を向ける。そこに〝死〟の香りを嗅ぎ取ったのだろうか。アインスがひときわ高く遠吠えをあげたのである。

 

――オォォォォォォォン――


 細く静かな声の遠吠えは悲しみの余韻に満ちていた。仲間の命が失われた。それを生き残ったシグマたちは認めたのだ。

 視線を混乱の極みに至った蒼紫へと向ける。すると蒼紫は注がれてくる複数の視線の意味を即座に理解したのだろう。思わずジリジリと逃げ出そうとしていた。

 

「ウウゥゥゥゥ――」


 誰ともなくシグマが唸り声を上げる。それは怒りの〝声〟嘆きの〝声〟――そしてその声がシグマの本当の姿を発現させた。

 

――ザザザザザザ――

 

 狼としての姿をしていたシグマの体表が速やかに組み変わる。濃い茶色と白の2つの色は失せていき、新たに現れたのは艶光りする『黒』――それも体毛のないメタリックプレート――

 足先の爪は伸張して凶悪なまでにサイズを拡大させ、唸り声を漏らす口からは鋼鉄の板すら打ち抜きそうな巨大な牙が露出する。そしてそれこそが本当の姿――

 

『シグマ重戦闘体』


――本来ならばクラウンかイオタが許さなければ使うことのできない姿なのだ。

 その命ある生き物としての尊厳を全て放棄したようなメカニカルな外観は、狼本来の威圧的なシルエットと組み合わさり、確実に相手に巨大な恐怖を与える。そして、その恐怖に蒼紫はついに押しつぶされたのだ。

 

「うああああ!」


 悲鳴を上げながら蒼紫は逃げる。己が下らぬ児戯にて駄犬呼ばわりで弄んだ者の正体に己の迂闊さを悟ったのだ。

 だがそれも手遅れである。

 3頭のシグマが走り出す。張り巡らせた単分子ワイヤーの網すらもその黒いボディと鋭利な爪であっさりと突破する。あとは襲いかかるのみである。

 

「ガァアアアアアッ!!!」


 シグマの叫びがとどろき、断罪の爪と牙を3頭分突き立てたのだ。

 もはや事ここに至ると悲鳴すらあがらない。

 アインスが蒼紫の首に噛みつき、ドライと、フュンフは、蒼紫の腹部に襲いかかった。事ここに至っては黒いコスチュームのプロテクターなど何の意味もない。瞬く間に剥ぎ取られて貪られるだけである。野獣であること、獣であること、それ自体が巨大な脅威となることもあり得るのだ。

 怒れるトリーは静止しなかった。ただただ見守るのみ、そしてかつて蒼紫だった物は引きちぎられ――、ひたすら噛みちぎられ辺りに飛び散ったミンチと化していた。

 無論その姿に同情を感じるものはあろうはずがない。

 間を置かずしてトリーとシグマたちの視線は最悪のトラップを仕掛けようとする残る片割れの〝亀中〟の方へと向けられる。

 左足をうしなったツヴァイが片足で歩きながらトリーのところへとよってくる。不自由な体ながら、力を知恵を与え、仲間の仇を討ってくれたトリーの身を守ろうとしているのだ。トリーはそのツヴァイの頭をそっとなでてやる。

 そして、彼女たちは次なる制裁の相手を把握したのである。


「行くよ、もうこの島の命を、この世界の命を、そして命の声をもう誰にも消させない」


 もうそこには、遠慮も、配慮も微塵も存在していない。

 トリーと言う少女は、あまねく多くの命の声を誰よりも鋭敏に、誰よりも繊細に感じ取れることができるがゆえに〝その声が消えるときの激しい痛み〟を常に感じることを宿命づけられているのだ。

 だからこそだ。この愛らしい桃色の姿の少女の中には常に激しい怒りが押し隠されていたのである。

 トリーのそんな本性を知る者は畏れを込めて必ずこう言う残す。

 

『あれは最も怒らせてはならない存在だ。ゆめゆめ、彼女の声を無視してはならない』

 

 蒼紫はその、まさに〝逆鱗〟に触れたのだ。

 

 ここは洋上スラム『東京アバディーン』

 命の価値が、最も薄っぺらい場所だ。そんな場所にトリーが佇んでいるということ自体が悲劇だったのである。


次回、

魔窟の洋上楼閣都市52

『死闘・――声――〝結節点〟』


9月14日午後9時ごろ更新予定

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