サイドB第1話『魔窟の洋上楼閣都市』Part45『幕間・ナイトキッズ中編』
人知れぬ社会の裏側にて……
特攻装警グラウザー
第二章エクスプレスサイドB第一話
魔窟の洋上楼閣都市45
【幕間・ナイトキッズ:中編】
――スタートです
なお今回はツイッターで企画しました
『RTしたフォロワー様を自作品のキャラとして設定する』の参加者様から採用させて頂いております
岡田螢
紙尾鮪
RS世代
天雨美姫
坂田火魯志
(敬称略、今回は以上5名様)
ご協力、ありがとうございました
■警視庁・地下駐車場
東京都千代田区霞が関二丁目一番一号
その地にそびえる灰色の建物がある。
眼前に皇居と東京駅を望み、首都東京の治安の主力を担い、世界最高レベルの警察力を持つ捜査機関――
俗称『桜田門』
またの名を『警視庁』
日本警察の主力である特攻装警の運用を担う警察機構である。
その日、警視庁内は騒然とした空気の中にあった。
警視庁庁舎地下1階、地下駐車場――、そこに2つの人影があったのである。
@ @ @
地下駐車場に設置されている灯りはさほど多くない。程々の明るさの空間の中、並んで歩いている人影が2つある。
一人は身長170センチ程度で女性物の黒系のパンツスーツに大きな三角襟のボタンシャツをあわせている。履いているのは走りやすさを重視して女性物のスニーカーである。髪は男性のように短く切り上げていてその引き締まったルックスもあって男性のような落ち着き払った雰囲気が印象的だった。
そしてもう一人は身長160センチくらい、薄桃色のパンツスーツに白系のブラウスシャツを重ねている。足元はクリーム色のローファーである。髪はセミロング、肩にかからない長さで丁寧に切りそろえられている。
いずれも警察職員のためか派手な化粧はしていない。だが、端正で凛々しい顔立ちの中にアクティブな女性特有の勢いある美しさが醸し出されている。
その二人のうち小柄な薄桃色のパンツスーツの方が語りかけた。
「それにしても神尾警部補とご一緒する事になるとは思っていませんでした」
それに隣の引き締まった体躯の長身女性が答える。
「改まって階級で呼ばないくても大丈夫よ。先輩でいいわ」
「あはい。それでは神尾先輩で」
「ええいいわよ。そのかわり、わたし天羽さんと呼んでいいわね?」
「はい」
「それじゃ、あらためてよろしくね」
「こちらこそ。よろしくおねがいします」
二人は捜査一課所属の刑事であった。
長身女性の名前は神尾 有、警部補で捜査一課に配属されて5年になる。
もう片方の小柄な女性は天羽 美姫、巡査部長で捜査一課の中ではまだまだ若輩である。
二人は軽妙に挨拶を交わしながらも地下駐車場の通路を歩きながら会話を進める。雰囲気から言って天羽に声をかけたのは神尾のほうであったようだ。
「それよりこんな遅くに呼び立ててごめんなさいね。あなた今日、早上がりだったんでしょ?」
「いえ、お気になさらないでください。やっとお茶くみが終わって正規の任務につけるようになったんですから。今はさせてもらえる事は何でもいたしますから」
「そういい心がけね」
天羽の言葉に神尾がはにかみながら褒めそやす。刑事というのは、刑事という職分についてからすぐに現場に向かえる訳ではない。俗にお茶くみと言われる雑用から始まるのだ。先輩刑事たちの些細な世話から書類整理や配布、電話番や連絡係――課内の初歩的なことを1年にわたって徹底的に叩き込まれるのだ。文字通りお茶くみに至るまで。
だがそうすることによって課内の人間関係はもとより、状況判断に対する勘を養うのだと言う。
前時代的過ぎるという声もあるが、刑事としての人間的資質を基礎から鍛え直すと言う意味ではヘタにマニュアルに頼るよりも、自分の頭で考える力を養えるので、結果として好結果を生むことが多かった。天羽も数少ない女性刑事として捜査一課に配属を受けてから、誰もが通る道を乗り越えてきたのである。
神尾は天羽の〝今〟を素直に認めていた。その反応に天羽も緊張がほぐれたようだ。天羽に神尾はあらためて尋ねた。
「天羽さん、捜一に来てから1年よね」
「はい、今年の2月で2年目に入りました」
「そう。それじゃ今回のが相方の人との初顔合わせになるのね」
「はい。でも私のような新人で務まるのか少し不安なんですが」
「大丈夫よ。私が手塩にかけて育てた子だから。すごい優秀なのよ」
「え? そうなんですか? 実はまだ上司から正式な辞令としては頂いてないんでどなたと組ませていただけるかは全く知らないんです」
「そう、でも心配しなくていいわよ」
「そうですか。でも――どなたなんですか?」
「それはね――この先に停めてある〝専用車両〟のところで話しましょう」
「え? 専用車両?」
不思議そうに天羽はつぶやくが神尾は必要以上に説明はしなかった。それを無理に食い下がるようなことはしなかったのである。
天羽は会話の矛先を別な話題へと切り替えた。
「先輩、そういえば一つお聞きしていいですか?」
「何かしら?」
「はい、神尾先輩は2年前まで特攻装警のフィールさんと組んでらしたんですよね? 教育係も担当してらっしゃったとお聞きしましたが?」
天羽の言葉を耳にして神尾はそっと別な方を向いて眉をひそめた。自分の口から説明したかったことを勝手に明かされたらしい。苛立つ内心を抑えながら神尾は問いただす。
「それ誰から聞いたの?」
「科学捜査係の田所係長です」
「田所? そう――、まったくあの九官鳥め」
「きゅ、九官鳥って――はは――」
神尾のつぶやきに天羽はつい思い出し笑いをしてしまう。
「こーら、笑っちゃダメよ? 本人に聞かれると機嫌悪くするから」
「でも、田所さん、痩せてて髪の毛ポマードでペッタリにしてるし早口でまんま九官鳥ですし」
「あれでも優秀なのよ? 配属直後のフィールの教育カリキュラムを大石課長に頼まれて組み上げたのは田所さんなんだから。でもまぁ、九官鳥並みに口が軽いのは確かだけどね。あれがなければもっと出世してたんだろうけど」
警察には守秘義務がある。また自らが保有する情報を明かしていいかそうでないかを見極めるのは非常に重要な資質であると同時に、警察という官僚組織の中で生き残るためには絶対に身につけておかねばならない事なのだ。
「親切で気配りできるいい人なんですけどね」
「そうね、そう言う場合、良いところだけを真似しなさい」
「はい」
神尾の言葉に天羽が頷く。それを眺めながら神尾は告げる。
「それでフィールの事だったわね」
神尾が過去の記憶を紐解くように語り始めた。
「私はそれまで第6強行犯捜査に居たのよ。色々と血なまぐさい事件を担当してたの。でも2年前のある日、大石課長と田所さんに呼ばれて科学捜査班への異動辞令を渡されたの。そして、そこで逢ったのが配属直後で刑事としてはもとより警察官として何も身についていなかった。フィールだったのよ」
「それが2年前ですか?」
「2年と9ヶ月前ね。37年の秋だったわ。そこで二人に言われたの。『この子を一人前にしてくれ。君の女性刑事としてのノウハウを全て叩き込んでくれ』って、いきなりだったから事情を飲み込むのにしばらくかかったわよ。それで二人に『私流でよければ』ってことわってから辞令を受領したのよ。そこからあの子と二人三脚で頑張ったわ」
「どれくらいの期間、一緒だったんですか?」
「教育のために一緒に居たのは9ヶ月ね。その後、3ヶ月だけパートナーとなって、その後に私は第2強行犯捜査に回されたの。あの子は科学捜査係に在籍したまま、大石課長の直接の預かりになったの。最近はあまり一緒になれないけどね」
「え? じゃあ今はパートナーシップにはなってないんですか?」
「ううん、書類上は今でも相棒よ。でもねちょっと困った事情があったのよ」
「困った事情?」
「えぇ」
神尾はそこまで語ると過去を懐かしむように言葉を紡いだ。
「あの子、空を飛ぶでしょ?」
「あ、はい」
フィールは飛行機能を有している。それは警察の人間なら誰もが知っていることだ。
「それが仇になったのよ」
「え? なぜですか? フィールさんの一番の長所じゃないですか」
「えぇ、そうよ。でもね」
そこで神尾は大きくため息を吐いた。
「そうほいほい飛んでかれたら一緒に居る職員はついてくのが大変でしょ?」
「あ――、そうかフィールさんの行動範囲に追いついていける必要があるんだ」
「そう言う事。当時はその辺のサポート体制も不十分だったし、警察の普通の覆面パトカーでは無線で彼女の現在位置を把握して追いかけるのが精一杯だったのよ。だから途中からフィールを大石課長直接預かりの科学捜査係配属と言う形にして、単独で動いてもらうようになったの」
「そうだったんですか――、でもそれで先輩は?」
「私は言ったでしょ? 第2強行犯捜査に回されたって。パートナーシップの設定はあったけどそれは書類上のこと。ずっと心配ではあったんだけど、フィールをどう管理するかについて上層部が決定したことだから遠くから眺めることしか出来なくてね。捜査一課もヒマじゃないから。たまに会って話すくらいしか出来なかったのよ」
神尾は過去を思い出しながら、やりきれない感情をにじませつつ語っていた。その言葉の端々にはまるで我が子の身を案じつつも、遠くで見守ることしか出来ない母親のような心性がにじみ出ているかのようである。それを察してか天羽はつい口にしてしまった。
「なんだか神尾先輩ってフィールのお母さんみたいですね」
「え?」
突然に投げかけられた言葉に、神尾も思わず驚きの声を上げる。そして天羽から投げかけられた言葉の意味を理解すると天羽に対して強めに言葉を投げたのだ。
「ちょっと、からかうにも程が有るわよ?」
「す、すいません」
謝る天羽だったがそれを聞いている神尾もまんざらの様子ではなかった。
「ふふ、でも言い得て妙かも知れないわね。あの子がよちよち歩きの状態からずっと鍛えてきたでしょ? ホント苦労したのよ」
神尾が苦笑いでさらに語る。
「特攻装警の新型って言うからどんな頑丈なのが来るのかと思ったらあの体でしょ? 軽量で柔軟、直接に格闘戦闘やらせたら壊れるんじゃないか? ってくらいにデリケートじゃない。だからどう言うふうに必要なスキルを学ばせるか、試行錯誤の連続だったのよ」
「例えば?」
「うん。刑事として活動を前提とするなら、柔道のような格闘技は最低限必須でしょ? でも壊れたら困るからって何もしないわけにも行かない。だからあの子の開発スタッフに断った上で、ガチで柔道を徹底的に覚えさせたのよ。それこそ壊れるんじゃないか? って勢いでね」
「え? だ、大丈夫だったんですか?」
「うん、もちろん壊れたわよ」
天羽の驚きの声に神尾はあっさりと切り替えした。その次に出てきたのは容赦ないシゴキの数々である。
「受け身に失敗したり、仕掛けられた技の躱し方をミスったり、頚椎から落ちて機能停止しかけた事もあった。肩関節が外れて腕が取れた事もあったわね。大石課長からはやめろって何度も怒られたわ」
「でも、やめなかったんですよね?」
「当たり前よ。当然でしょ?」
フィールが怪我をするほどの徹底したスパルタでの格闘技訓練――、神尾のガタイのいいイメージと重なって、その過酷さと激しさがつい想像できてしまう。天羽も不安な気持ちを隠せなかった。だがそれに答える神尾の言葉は落ち着きと優しさをはらんでいた。
「だって、あの子は犯罪に立ち向かって行かなければならないのよ? 犯罪者や犯人が遠慮してくれる? するわけ無いでしょ? だったらあの子自身が〝自分の体でできる事の限界〟と〝できない事を範囲〟を身をもって覚えるしか無いのよ。赤ん坊が立ち上がって歩くのに何度も転ぶでしょ? 膝を擦りむいて、顔をぶって、たんこぶ作って――そうやって歩き方を覚えて、走り方を覚えるの。それと同じ。可愛そうだとは思ったけどあの子が生きていくにはどうしても必要だったのよ」
「必要なこと――」
「えぇ、なぜだかわかる?」
神尾の問いかけに天羽は思案を巡らせたが、その答えはひらめきのように天羽の脳裏に湧いていた。
「警察以外の生き方が出来ないから――ですか?」
その答えに神尾はしっかりと頷いていた。
「当たりよ。天羽さん。あの子はアンドロイド、警察以外の生き方を選ぶことは許されてないのよ。望むが望むまいが、これから先の人生を警察として生きていくしか無いの。それがアンドロイドと言う存在に科せられた残酷な現実なのよ」
「―――」
天羽は思わず言葉を失った。当たり前のように存在する事実だが、現実に言葉として突きつけられるとどう答えて良いのか皆目見当がつかなかった。
「私たち人間は退職届を出して認められれば警察から離れる事はできる。恋人と結婚して家庭をもつこともできるわ。でも、あの子はそれすら許されない。壊れていよいよ動けなくなるまで、ずっと警察官として戦い続けるしか無いの。それが警察用アンドロイドと言う生き物なのよ。私はその事をずっと考えながらフィールを育てたわ。泣き出されて抵抗されたことも一度や二度じゃない。厳しすぎるという事で指導監督役の変更も検討されたわ。でもね――」
神尾は過去を噛みしめるように言葉をつづける。
「あの子は必ず私のところに帰ってきた。あの子自身が自分自身の限界を超える意味と必要性を知っていたから。自分の意志と力で、過去の自分を、今の自分を超えて、明日へとすすむ。その事の意味をあの子が理解した時、私にできる事はなくなっていった。あの子とやった最後の柔道の稽古の事は今でも覚えてる。一時間ずっと組み合って私はあの子を投げられなかったし、逆にあの子に攻められているという事がよく解った。互いに力を出し尽くしてその最後の瞬間、あの子は私を鮮やかに投げてみせた。完璧な一本背負い――一部の隙も無かったわ。〝柔よく剛を制す〟って言うでしょ?」
「はい、柔道の基本精神ですよね」
「えぇ、あの子はまさにその言葉通りに技を身に着けたのよ。頑丈さのない柔軟さだけのその小さな体で。そしてその事に気づいた時、私があの子に教えられる事はもう何もなかったわ」
「そして、別々の道へ?」
「えぇ。流石に寂しかったけどね。あたしは独身だけど、我が子を送り出す母親ってこんな感じなのかって思ったわね」
神尾が語る言葉を天羽はじっと聞き入っていた。神尾とフィールが持つ深い絆の存在に気づいたからである。
「それであの子は大石課長の下で様々な任務をずっとこなしてきた。覚えてる? 去年の暮れに起きた〝有明事件〟」
神尾の言葉に天羽ははっきりと頷く。
「たしか、イギリスのVIPの方をフィールさんが護衛した事件ですよね」
「あればあの子が体験した事件の中で一番過酷だったかもしれない。実際かなりてひどくやられて〝死ぬ〟一歩手前だったって言うしね」
「――死ぬ」
「でも、そんな状況でも尻尾巻いて逃げるような育て方は私はしてないから」
「――やっぱり最後まで戦って守り抜いたんですね?」
「そうよ、そうなるべくして、そうなることを願って、私はあの子を鍛え上げたのよ」
二人の地下駐車場の中をしばらく歩いていたが一番奥の片隅に保護シートをかぶってひっそりと仕舞われていた一台の車両へとたどり着く。
それを前にして、言葉を発したのは神尾の方であった。
「ところがそこで最近になって状況が変わってね」
「状況が変わった?」
「うん、色々とあの子の運用ノウハウの情報の蓄積が豊富になってどういう対応すればいいかどういう判断をすればいいか決めやすくなったのよ。伊達にあの子も2年間も現場で揉まれてきたわけじゃないからね」
神尾が足を止め天羽がそれに従って足を止める。二人の目の前には例のシートをかぶった車両があった。神様がそれを眺めながら告げる。
「天羽さん、特攻装警にはそれぞれに専用車両があてがわれているというのは知っているわよね」
「はい。それぞれの機能性に合ったカスタム車両が用意されていると聞いています」
「でもフィールには今まで専用車両はなかったの。理由は――、分かるわよね?」
神尾は笑みを浮かべながら天羽に問いかける。
「はい、もちろん分かります。あれだけ飛べたらいらないとつい考えてしまいますよね」
「そうね、でもやはり実際の一般捜査活動を重視するならフィールの能力を最大限に活かしつつパートナーと一緒の現場活動をフォローする。そんな専用車両の存在が必要ではないかと上の方では判断があったらしいのよ」
「つまり、先輩が味わっていた〝置いてけぼり〟への対策ですね?」
「そうよ、そしてこれがその答えよ――」
そう告げてから、神尾は目の前の車両にかぶせられている保護シートに手をかけるとそれを一気に引き剥がした。
――バサアァッ!――
そしてその中から姿を現したものに天羽は目を奪われることとなった。
そこから姿を現したもの――、それは――
「これは――」
雨は驚きとともに完全に現れたものをつぶさに観察した。
「特攻装警第6号機フィール専用車両、サポートコミューター・ヴァルゴ」
――そこから現れたのはダークグリーンメタリックに鈍く輝く小型のハッチバック車両だ。軽自動車程のサイズで車幅は軽自動車の1.2倍くらいはある。車高は軽自動車のトールボーイ系よりも低く、エアロパーツが豊富に取り付けられていて、高速走行を意識していることが見て取れた。ヘッドライトは釣り眼の様な攻撃的なシルエットで、配光性能の高いプロジェクター式、パトライトは常設されていないが、屋根の中央に薄型タイプの物が仕込まれている。
天羽がそれを驚きつつ眺めていたが、神尾は声をかけた。
「これが、あなたがフィールと一緒に乗ることになる車よ」
「えっ?」
驚きを隠せない天羽に神尾は諭すように告げた。
「実を言うとね、この車両の完成をもって、私がフィールとのパートナーシップを復活させるっていうプランがあったのよ。かねてからの問題であった〝行動速度と移動範囲の違い〟それをカバーできる車両、現場からの声に対応して第二科警研で検討に検討を重ねてようやくこれが現場運用が可能になったのよ」
「それを私にですか? なぜ先輩じゃないんですか?」
「それはね、ちょっと理由があるのよ」
「理由?」
天羽の声に神尾は頷きながら答えた。
「実は私、近い内に機動捜査隊の方に正式転属になるのよ」
「機動捜査隊へ?」
驚き、戸惑う天羽に神尾は苦笑しつつも懐から小型のスマートタブレットを取り出し操作する。そしてパスワード付きのフォルダを開くとその中から複数の画像を取り出して表示すると天羽へと示したのだ。
そこに移っていたのは大型のスポーツバイクだった。ただシート後部両サイドにラゲッジタンクの様な物がついていていたり、フロントのハンドル周りがヒューマノイドの頭部の様な意匠があしらわれていた。それが通常の警ら用のオートバイ車両では無いことは一目瞭然だった。
それの正体を明かすように神尾は語る。
「今、特攻装警の計画とは別に捜査活動補助を目的とした可変式アンドロイドの導入計画が進んでいるのよ。性能ランクは『自立判断は高度なものを持ちつつも自由自我を要求せず、あくまでも使用者である人間の指導管理を必須とする国際B級』で、ヒューマノイドスタイルとオートバイスタイルの2つの形状を持つ。移動は管理者である担当官自身がライダーとなり、オートバイモードを乗りこなす。そして現場へと到着した際にヒューマノイドモードとなって捜査活動の補助をする――」
天羽は神尾から受け取ったスマートタブレットを眺めながらその話に聞き入っていた。
「そもそも、特攻装警計画は最終的には量産を前提として進められていたけど、未だ量産体制の確立には至っていない。だが犯罪事情の悪化を受けて、特攻装警量産が可能となるまでの過渡期の補助として、そして警察の捜査現場の機動力の向上と捜査力の強化を目的として、このバイク可変型アンドロイドの導入が進められることとなったの」
「バイク可変型――」
「そう、私はフィール育成の経験を買われて、その計画のスタッフとして招聘されていたのよ。計画名は『RS‐Generation』、機動捜査隊の内部にチームRSを組織してそこで活躍することになったわ。それでこっちのヴァルゴの方をどうするかで大石課長たちと入念に話し合いを行ったのが約一年前。そして後任としてふさわしい人物を早急に探すこととなった」
天羽は顔をあげると神尾の方をじっと見つめていた。その言葉に驚きしか浮かんでこない。
「なぜ、私だったんですか? 私以外にも適任な人が――」
そう彼女が戸惑うのは無理もなかった。車両警らとしての経歴はあってもまだ巡査部長になったばかりだ。刑事としての経歴は浅いと言っていい。だがそれに対する答えを神尾はしっかりと用意していたのだ。
「経験が浅いからこそよ。天羽さん、私はね、すでに技術や理論を持っている人間の下にフィールを組み入れるつもりはないの」
「どう言う意味ですか?」
「言ったままそのままよ。フィールもすでに現場で2年以上も揉まれてる。私達以上に過酷な現場を何度もこなしている。あの子なりのプライドもノウハウもあるはずなの。だからこそ、まだ凝り固まった考えを持っておらず、それでいて現場で役に立つ資質を持っていると確信できる人材を求めた。そしてそれを見つけたのが――」
「私の居た『車両警ら隊』だったんですか?」
「えぇ、あなたなら〝コレ〟を乗りこなしながらフィールと一緒に街を走る――そんな事も可能でしょ? そしていちばん大切なことはね――」
言い含めるように、神尾は言葉を区切った。天羽は毅然と立ちながら神尾の言葉に集中する。
「あなた自身があなたの判断と心で、フィールとの間のチームワークを作り上げるのよ。アトラスと組んだ荒真田警部補、グラウザーと組んだ朝巡査部長――彼らの様にあなたも特攻装警とパートナーシップを生み出すのよ。これから生まれるであろう新たな特攻装警たちのための雛形としてね――」
「私がですか?」
「ええそうよ」
そして神尾は着込んでいた女性物スーツのジャケットの内側から何かを取り出す。カード大の物で1ミリほどの厚みがある。金属の様な光沢がありカードと言うよりプレートと形容したほうがいい代物であった。
表面には【――JPD――】の表記がある。
Japan Police Department――すなわち警視庁を意味する略号である。
それ以外にもいくつかの英字表記がある。その中に【――Ignition Card――】の表記があった。すなわち〝起動カードキー〟である。
神尾は天羽にそれを投げて渡す。
「あっ?!」
慌てて受け取れば神尾が語りかけてきた。
「それはあなたのものよ。あなたがこの車であの子と――フィールとの絆をこれから作り上げていくの。今までの警察にはない新しい警察のあり方を見つけていくのよ。あなたならそれがきっとできるはずよ。わかるわよね?」
今、天羽の掌の中には鈍い銀色に光るメタルプレートがあった。それが神尾から託されたという事実。その意味がわからぬ天羽ではない。神尾が教えてくれたフィールとの絆の記憶と重ね合わせて、今この場で全てが託されたのである。
「はい! 謹んでお受けいたします!」
「頼んだわよ!」
「はいっ!」
元気に答える天羽に神尾は満足げに頷きながら言葉をつづける。
「それでこの車両の使い方だけど、明日から数日かけて習熟してもらうわ。基礎を覚えたらフィールにも同行してもらって仮想実践テストを――」
神尾がそこまで話したときだ。神尾のジャケットの内ポケットにあるスマートフォンがバイブレーションの唸りを上げる。スマートフォンに通話が入ったのだ。
「ちょっとまってて」
天羽に断りを入れた上でスマートフォンを操作して回線を受話する。そして電話の向こうの存在に対してこう切り出した。
「はい、神尾です――はい――はい――え? どう言うことですか?」
はじめは冷静な事務的な口調だったのが徐々に緊迫感を顕にしていく。焦ったような口調になると電話の向こうから告げられた事実に緊迫感を増していくのがよく分かった。電話の向こうから告げられた事実。それを咀嚼して理解すると神尾は返答した。
「解りました。了解です。直ちに向かいます――はい。では」
会話を終えるなり速やかに回線を切る。そして振り向きざまに天羽へとこう切り出したのだ。
「天羽さん、いまから第2科警研に行くわよ。あなたも同行して」
「え? 第2科警研? 私もですか?」
「もちろんよ。フィールが重症を負ったらしいの。第2科警研に担ぎ込まれたそうよ。今、緊急オペが始められてる。直行して状況把握してこいとの指示よ」
事の仔細が告げられて、さすがの天羽も速やかに表情を変える。彼女とてれっきとした警察職員――、それも警視庁本庁に勤務する捜査課職員である。状況を理解する力と対応力はすでにプロであった。
「解りました。神尾警部補に同行して直ちに第2科警研へ向かいます」
「急いで乗り込んで。基本操作はEV仕様警察車両の標準規定と同じよ。それ以外の特殊操作は中で教えるから。あなたが運転して」
「はい、了解です」
そしてイグニッションキーのメタルプレートをドアノブに近づける。非接触式の認識信号がやり取りされてドアロックが解除された。鍵が開くとすぐに二人は車内へと乗り込んで行く。シートに座するとベルトを締めて天羽は受け取ったばかりのイグニッションカードを運転席メーターパネルのすぐ真下の所定のカードスロットへと差し込んだ。
さらにメーターパネル右下の丸いボタンを、ブレーキペダルを踏みつつ押し込めば、その車両の全てにパワーソースから供給された電力が一気に駆け巡ったのである。
『ヴァルゴ、オペレーションシステムスタート。これより全機能使用開始します』
ヴァルゴの内蔵メインシステムが作動を開始し、それを統括制御するオペレーションシステムソフトウェアが音声で案内を始めた。それを耳にしながら天羽は粛々と車両始動プロセスを進める。
「神尾警部補、車両の呼称は?」
「無線上の略号コードは特6号、もしくは特攻装警6号で。無線起動は音声インターフェースよ」
「了解、こちら特6号、ただちに通信本部に接続ねがいます」
『ヴァルゴ了解。直ちに通信本部に接続します』
そして速やかに通信回線は繋がれ、警視庁通信本部のオペーレーターと通話はつながった。
『こちら警視庁通信本部、どうぞ』
「こちら刑事部捜査一課特6号、臨時任務による車両運行開始の許可をねがいます」
『通信本部了解。運行到着先をどうぞ』
「運行到着予定先、警察庁附属施設第2科警研です」
『通信本部了解、運行を許可します。以後は所定の運行手順に従ってください』
「こちら特6号、了解。直ちに運行を開始します」
所定の通信手順を終えて運行許可をとる。
「運行許可マルです。直ちに第2科警研へ向かいます」
天羽の声に神尾が答えた。
「行って」
「了解」
そしてその言葉と同時に滑るようにヴァルゴは走り出した。警視庁の地下駐車場を抜けて地上へと出ると、一路、府中市の第2科警研の庁舎へと向かったのである。
■岸川島インダストリアル・本社オフィス第2分室
それは日本を代表する重機械工業系の大企業であった。
かつては日本の重機械工業にあってボイラーやガスタービンエンジンから航空機用のジェットエンジンからロケットエンジン、さらには工場用のファクトリーオートメーションから、陸地と陸地を洋上でつなぐ巨大な吊橋に至るまで多彩なジャンルの〝機械〟を手がけてきたプロフェッショナル集団といえる存在であった。
それが今や、ロボットやアンドロイドの大量普及により、さらなる事業拡大に成功していた。
――岸川島インダストリアル――
それがその企業の名である。
公共事業に大きく食い込み、社会インフラの構築には必ず名を連ね、そして官公庁の行う大規模プロジェクトにも少なからず関与していた。それも社会的に公に出来ないジャンルに至るまで――
昨今では、日本政府の決めた〝武器輸出解禁〟にも同調して、軍事ジャンルでのロボット導入やアンドロイド導入検討にまで手を出しつつあった。
当然――日本警察にも――
彼らを〝白か?〟〝黒か?〟で問うのなら〝灰色である〟としか答えられないだろう。
そう、彼らは純粋なのだ。
技術の追求とビジネス利益の追求という点に置いて。
彼らは今、この2040年の日本において、あらゆる場所へとその影を落としていたのである。
@ @ @
東京有明1000mビル――第4ブロック階層――
我々はそこで発生した惨劇を知っている。
アンドロイドを駆使する孤高のテロリスト、ディンキー・アンカーソンが配下のアンドロイドのマリオネットを駆使して悲惨なる殺戮を繰り返した現場となったビルである。そして、ディンキーの配下の一人であるガイズ3の一人、電脳特化型のガルディノが、そのビルの全機能を掌握して悪事の限りを尽くした場所でもあった。
だが今や、そのあとは痕跡すら残っていない。
事件後、わずか2ヶ月足らずで再改装を行うと、事件の痕跡の一切を消し去ってしまったのだ。
さすがに血の惨劇が行われた現場でそのままビジネス区画として入居するには大きな戸惑いがあったとみられ当初契約されていた企業の多くがこれを辞退する結果となった。
だが、ある企業がこれをチャンスとして第4ブロック階層の半数以上を一気に手中に収めると元々あった豊洲から本社機能の一部をこの巨大な高超高層ビルへと移してきたのである。無論、1000mビルの建築にその企業も関わっていたのは言うまでもない。
そして、その企業の名は――
――岸川島インダストリアル――
灰色のハイテク巨大企業である。
有明の超高層ビルの最上階層第4ブロック、そのビルの各ブロックは六角形のすり鉢のような形をしている。すり鉢の底の部分が人工地盤で、その周囲をコロッセオの観客席のように高さ70 M クラスの環状の高層ビルとして構築されている。そして、その感情ビルの描く輪の中には小規模なビル群や様々なイベント施設あるいは住環境などが、そのブロックごとの使用目的に応じて設けられていたのである。
第4ブロック階層の外周ビル。20フロアある中で、かつてフィールがジュリアと死闘を演じた最上階層だけは展望フロアとなっていてそこだけは一般向けに開放されている。だがそれ以外の上から10フロア程は岸川島の所有フロアであった。
今、岸川島インダストリアルは最も高いところから日本を見下ろす企業となっていたのである。
@ @ @
第4ブロック階層全20フロアの中の19階、地上から260m近い高さの場所に一人の人物のオフィスがある。
神崎 将馬、岸川島インダストリアルの現時点での最高経営責任者。今年で52になる実年世代である。
若い頃からビジネスの世界に身をおいて、世界中の名だたる企業や各国政府を相手にハイテク産業の最前線で戦ってきた正統派の日本人ビジネスマンである。52と言う年齢は企業経営者としてはまだ若い部類に入る。だが神崎はその才覚と野心と、有能なる仲間たちの力をもってして、巨大企業のトップへと上り詰めていた。
神崎こそは今の日本で最も戦闘力の高い企業トップと言えたのである。
今は夕暮れすぎ、太陽もすっかり落ちて夜の帳に街は包まれている。夕食時と言ってもいい時間であるのにも関わらず、その1000mビルの窓はいずれもが煌々たる夜灯に灯っていたのである。
岸川島インダストリアルのある企業フロアの最上階、その南側を望む方角に神崎のオフィスはあった。広さ30畳程の巨大なスペースの中、総檜造りの大型のビジネスデスクが据えられている。そして、応接セットが複数存在し、企業トップにふさわしい様々な調度品が飾られている。だが、その調度品もよくある美術品などではない。そもそも岸川島は日本の戦前戦後の経済の流れの中で、常にそのハイテクノロジーの最先端を走り続けてきた企業だ。それまでの企業の実績と威容の証拠となるものが並べられている。
造船所から始まった巨大船舶開発――その象徴としての船舶のミニチュア――
戦前戦後の物資輸送の主力であり力の象徴だった蒸気機関鉄道――そして極めて精巧な鉄道模型――
ハイテク航空機の花形であるジェット機――その心臓部であるジェットエンジンのミニチュア――
ハイテクそのものの塊である宇宙ロケット――その最重要部分であるロケットエンジン――
その他、様々なあらゆるハイテク分野を担い続けてきた実績と自負が形をなしている。
無論、現在の最主力商品である民生用・産業用のロボット・アンドロイドの1号サンプルやミニチュア模型も陳列してあった
そこは頂点である。頂きである。
まさにハイテク開発産業と言う巨大機関のトップだったのである。
そのオフィスの中の応接セットの一つ、革張りシートに座している女性がひとりいる。
やや小柄な体に、ベージュ色のロングの長袖ワンピースに両肩にやや派手めの桃色のロングのカーディガンを羽織っている。足先には焦げ茶のパンプスを履いている。髪はショートボブの黒髪であり前髪を丁寧に切りそろえていた。その目元には淡い灰色のプラスチックフレームの小さめの丸メガネがあった。
メガネのレンズ越しに垣間見える視線は、一見して落ち着き払っているが芯の強さが垣間見えていた。
彼女の名は岡田蛍、昨年の春に某理系大学の1年になった才女である。
その彼女は応接セットのソファに腰掛けながら、このオフィスの主である人物を待っていた。誰であろう岸川島インダストリアルの最高経営責任者・神崎である。
応接セットは革張りソファに、大理石製の平テーブルで構成されている。白と灰色のマーブル模様が落ち着いた空気を醸し出す中、蛍はその部屋に常駐しているメイドロイドに給仕された英国製の高級茶葉の紅茶を傾けている。そしてカップの中を半分ほど飲み干した時である。
――ガチャッ――
重い金属音を響かせながら両開きの木製扉が開く。部屋には5体のメイドロイドが控えていたが、その部屋の主人の登場に一斉に足並みをそろえ頭を垂れて会釈する。それを一瞥することもなく彼はオフィスの中へと歩みを進めた。
「すまんね、ドイツ企業とのVR会議が長引いてね」
現れたのは神崎本人で、慎重は180程度で恰幅の良さが目立つ人物であった。肥満というわけではなく、普段から肉体の鍛錬を怠っていないのがわかる。がっしりした大柄な体躯は相手を圧倒する気迫とともに、いかなる困難も乗り越えるであろう意思の強さを体現している。
ディープブルーの三つ揃えのスーツに本皮のトラディショナルリーガルシューズ。髪は薄く白髪の混じったセミロングを整髪剤で丁寧に後方へとなでつけている。足音を控えめに鳴らしながら蛍の待っていた応接セットへと歩み寄った。
「待ったかね?」
神崎が問えば蛍は柔和に笑みを浮かべつつ答える。そして静かに立ち上がり会釈しつつ挨拶を始めた。
「いえ、ちょうどいいお時間でした。それにお忙しいのはビジネスが順調である事の証拠。ご堅調そうでなによりです。神崎様」
「君にそう言ってもらえると素直に嬉しいよ。積もる話もあるがまずは座りたまえ」
「はい、ありがとうございます」
蛍は神崎に礼を言いつつ着座する。それを追うように神崎も蛍と向い合せの席に着座した。
それと同時にメイドロイドの一体が歩み寄る。
「コーヒーを。彼女には温かい物を入れ直してくれ」
神崎の言葉を即座に理解しうなずくと、メイドロイドは蛍の呑みかけのティーカップを下げていく。そのメイドロイドとは別なメイドロイドが入れ替わりに新しいティーカップとコーヒーを持ってきたのだ。その行動の巧みさに蛍がつぶやく。
「リレーショナル機能がついてらっしゃんるですね」
「わかるかね?」
「はい、身のこなしや立ち振舞を見ていると、4体全てで一つのシステムになっていることがよく解ります。ですが、メイドロイドでリレーショナル機能を組み込むと、衝突や重複動作の起きない、矛盾のない協調制御の達成が問題になると聞いています」
「流石だね。大学進学が遅れた事のハンデは全く感じられないな」
神崎は蛍の見識の確かさを称賛する。
「ときにご祖父はご健勝かね?」
「慶三お祖父様ですか?」
「あぁ、最近はあまり表にお出になられないからね。もうかなりの歳だろう」
「お祖父様は今でもCMLの会長職です。ただ今では後継者を補佐することに専念しています。自らが動くと次世代の人たちが霞んでしまう。そうなると世代交代が進まない。そう口にしながら今では悠々自適に暮らしていますわ」
CML――蛍の祖父が経営している医療用技術開発会社だ。いずれは蛍もその会社に関わることになるのだろうか。
「それと祖父が申してました。資金援助の件、誠にありがとうございました――と」
「なに、大した額ではない。それにご祖父の会社CMLには度々世話になっている。医療用マテリアルや人工臓器の開発においてはCMLの右に出る企業はそうあるものでない。優れた技術力の賜物だろうね」
「はい、私自身もお祖父様には大変感謝しております、誠にそのとおりだと思います。例えば、ここに集っているメイドロイド――、彼女たちのようなハイエンド機種にも祖父の会社の素材が用い要られているでしょう?」
「あぁ、そうだ。四肢の義肢の部分は殆どがCMLから供給されたものだ」
「そうですか――」
蛍は入れ直された紅茶を口にしながら納得する。だが納得しきれない部分が一つ存在している。
「ですが、ひとつ気になる点が――」
神崎はコーヒーに手を出そうとしたときに蛍に問いかけられて手を止める。その言葉の先が気になったのだ。
「CMLから供給されているモデルのオリジナルと比較しても、人造皮膚マテリアルの精度が異常に高いようですが?」
その問いに神崎はニヤリと笑った。
「あぁ、それかね」
そう告げて神崎はスーツのポケットから古めかしいジッポーのライターを取り出した。そしてそばに待機していたメイドロイドの一体を視認する。そして――
――チンッ、ボッ――
ジッポーの蓋を開け火をつける。燃え上がる火でメイドロイドの頬を炙り出したのだ。
驚いて蛍が立ち上がろうとする。だが神崎はそれを静止した。
「見ていたまえ」
「……」
神崎の静止に蛍は驚きを現しつつも沈黙のままに見守った。そして1分ほどしてジッポーの蓋が閉じられ炎が消される。そしてそこに現れたのは――
「あっ?」
蛍は再び驚きを口にする。そこには焼けただれたようなあとはまったくなかったのである。多少、炎に含まれるススが付くが、その程度で神崎が手でススを払えばあとは何の異常もなかった。
「全く焼けていない?」
「あぁ、耐火温度は最大1100度。それでいて芸能や介護分野で不気味さを与えない程度に人間の皮膚の自然さを再現可能だ」
「すごい――、いつ開発なされたんですか?」
興奮をにじませながら蛍が問うが、神崎はニヤリと笑いながら顔を左右に振った。
「いや、ウチの製品ではない。ある所から流れてきたのだよ」
「流れてきた? どこからですか?」
蛍が逸る気持ちを抑えつつ問えば、神崎はよく通る低い声で言い放った。
「第2科警研」
それはありえない言葉である。
「まさか――、警察庁の最重要機関じゃないですか? トップクラスの機密情報ですよ? もし公安部に知られたら!」
「それこそ無用な心配だよ」
神崎はメイドロイドを追い払うように下がらせる。そしてソファに腰掛け、蛍も腰掛けるのを眺めながら言葉を続けたのだ。
「そもそも第2科警研は我々の協力無しでは動けんのだよ」
「どう言うことですか?」
神崎は右手の中で弄んでいたジッポーを大理石のテーブルの上に置く。
「いいかね? 開発研究と言うのは必然的にモノづくりを伴う。そしてそれは単なる技術屋集団の研究者だけではどうにもならん。――素材――部品――加工作業――複製製造――基礎部品開発――その他、細々とした物を粛々と作り続けなければならない。だが時間も予算も人材も切られている第2科警研だけではそんな事まで手が回るはずがない。それを後方から支援する、技術開発のための兵站部隊というべき存在が必要なのだよ」
蛍はテーブルの上のジッポーに視線を投げかけながら言う。
「それが神崎様のこの岸川島?」
その問いに神崎ははっきりと頷いた。
「そしてだ――、未知なる物を開発するためには必然的に〝試作品〟の存在を必須とするものなのだ。だが第2科警研は――、と言うより特攻装警の開発計画はある条項のために重い足かせをつけられている」
「足かせ?」
「知っているかね? 特攻装警運用規約・第4条――、技術者・研究者界隈では極めて有名な〝開発研究殺し〟と呼ばれた最悪の嫌がらせと言われている」
特攻装警にはその取扱と行動の規範を定めた〝特攻装警運用規約〟と言うのが存在する。その第4条は、世界的に見ても世界中のアンドロイド開発研究者がそろって眉をひそめる代物であった。
――第4条:特攻装警の開発と運用においては、試験機であっても、警視庁内において実務に即する事を必須とし、警察活動の現場において運用できない理論試作機は認めないものとする――
試験機――すなわち理論試作機・原理試作機の開発の禁止である。
蛍はその第4条の実体に気づいてそれを口にする。
「特攻装警の開発研究において、その一切の試験機の開発研究を禁止する――すなわち〝練習〟としてのアンドロイド作成の一切を認めないとする物です。ですが本来、機械や電子機器というのは、試作品を何段階も作っておいて、最終的な理想像へと近づけるのが絶対のセオリー、いきなり完成形を作れと言われてもそんな事できるわけがありません」
「そうだ、だがそれを第2科警研は、特攻装警開発計画を快く思わない反対派により、第4条と言う形で仕掛けられてしまったのだ。警察庁と警視庁刑事部・警備部の抵抗虚しくな――、しかしだ――、そこに我々が手を差し伸べる余地があった。わかるかね?」
神崎の言葉はどこか蛍を試すようなニュアンスを含んでいた。その意図の正体に不安をいだきつつも蛍は毅然として答えを述べた。
「つまり、事実上の試験機開発に相当する基礎研究を、極秘裏にこの岸川島が担っていた――と言うことですね?」
「そうだ」
「ですが、神崎様の狙いはもう一つあった」
「ほう? 言ってみたまえ」
「それは――」
蛍は大きく息を吸い込みながらりんとした声で言い放った。
「第2科警研内部で開発された新技術の剽窃と無断蓄積です」
それは二人だけのオフィスの中ではっきりと響いていた。神崎は苦笑いしつつも蛍の答えに頷いている。
「剽窃とまで言われてしまうとはな、心外ではあるがそう言われても仕方はないだろうな。表向きは正式な技術譲渡はされてないわけだから。だがな、蛍くん、これだけは覚えておきたまえ――」
神崎はテーブルの上のジッポーを拾い上げながらこう告げたのだ。
「機密技術の流出を持ちかけてきたのは第2科警研の所長である新谷君自身だよ」
蛍は絶句していた。そして二の句が告げなかった。
蛍にとって新谷所長は決して赤の他人ではない。そして新谷の右腕である呉川主幹は蛍にとって恩ある人なのだ。その絶句の理由を神崎は知っていたが、あえてそれを無視して続けた。
「特攻装警計画の発足と推進の際に第1号機であるアトラスが開発され、その後〝LOST B.問題〟により大混乱が生じ、そして特攻装警運用規約の改変が進み、悪名高い第4条が強引に盛り込まれた。進退窮まった新谷所長と呉川主幹は極秘裏に私のところへとやってきてこう切り出したのだ――」
落ち着きを維持しているがその声はどこか過去に封じられた罪を告白するようにも見えた。神崎は淡々と告げる。
「『今後我々が開発する技術は全て流す。それをどう使おうがあなた達の自由だ。そのかわり我々を助けてほしい』――とね」
それまでの自信有り気な口調はどこかへ行ってしまう。そして神崎はしみじみとして語る。
「私もそれを拒むことが出来なかった。LOST B.問題を引き起こした〝あいつ〟は私にとって赤の他人ではないからだ。そして私の姪も――、たとえどんなに罪人呼ばわりされようとも私は特攻装警計画を支える決意をした。誰にも知られず、多大な物資や資金を投入しつつ、そして、第2科警研から流された極秘技術情報をビジネスに繋げて利益を上げる。そしてその利益は回り回って第2科警研の支援に回される。そうやってこの5年間を過ごしてきたのだ。わかるかね?」
神崎の言葉を蛍は無視できなかった。だが飲み込みきれないものがあるのも事実だ。複雑な表情を浮かべたまま、蛍は問う。
「なぜ、それを今、私に?」
そう蛍が問えば、神崎は静かに立ち上がる。
「ついてきたまえ。君に見せたいものがあるのだ」
神崎の求めに応じて蛍も立ち上がる。そして神崎はメイドロイドに命じた。
「坂口を呼べ」
その声を聞いたメイドロイドは頷き返すと、目を薄っすらと伏せた状態でどこかへと意識を飛ばしている。体内回線で通信を行っているのだ。そしてそれから2分もしないうちに神崎のオフィスのドアが静かに開く。そしてそこから現れたのは一人の青年である。
「お呼びでしょうか」
ドアを開いて現れたのは一人の青年だった。年の頃は20代後半くらい。身長は187はあるだろう。細身のシルエットながらよく鍛えられた体が印象的だった。ピンストライプのネイビースーツの3ピースに白シャツ、ネクタイはシルバー、目元には電子ゴーグル機能の付加された左右が繋がったワンレンズのサングラスがかけられている。薄いブラウンのレンズ越しには猛禽類の様な鋭い視線が放たれている。その総身から放たれている気配は到底ビジネスマンには見えない。スーツの内側にオートマチックでも下げているような気配すら感じられた。なぜなら、その両手には薄手の黒いレザーグローブがはめられてたからだ。
カタギのビジネスマンならその様な物は身につけていないはずだ。
坂口が背負ったその気配は神崎のオフィスの空気すら変えてしまうかのようだ。
「来たか」
「はい」
「彼女を〝Xルーム〟に招く。案内しろ」
「はっ」
嫌も応もない。主人の命に忠実に従う猟犬の如き潔さと覇気が感じられる。そしてその鋭い視線そのままに坂口と呼ばれた男は蛍の方へと視線を向ける。
「岸川島インダストリアル・対外特別執行室室長、坂口 紘と申します。お見知りおきを」
彼の口上を補佐するように神崎が語る。
「私の懐刀でね、極めて有能な男だ」
対外特別執行室――通常の企業ならありえないセクションだ。その名称のニュアンスから言っても剣呑な印象しか浮かんでこない。蛍のその懸念は表情に現れていた。
「蛍、きみの懸念はわかるよ。そしてその懸念は正解だ。彼は非合法な手段も講じる。だがそれにも理由があってね。その理由も含めて説明しよう。さぁ、ついてきたまえ」
そして、その言葉と同時に坂口は先をあるき出すと二人を案内していく。そして扉を開けて神崎のオフィスから出るときに静かに言葉を吐いた。
「これからご覧になることは決して口外なさらないでください」
振り向きざまに蛍へと視線を投げかける。自らの主人を守る猟犬のような視線で――
「よろしいですね?」
彼が放った言葉は重かった。重いが故に蛍も受け入れざるを得ない。そして彼女は確信していた。ここから先が〝裏の世界〟に繋がっているのだと――
「はい。ご心配は無用ですから」
――この程度のことはどうとも思わない。なぜなら蛍自身も日の当たらない闇に飲まれた日々を乗り越えてきたからである。
次回
特攻装警グラウザー
第二章エクスプレスサイドB第一話
魔窟の洋上楼閣都市46
【幕間・ナイトキッズ:後編】
6月29日夜更新予定です