サイドB第1話『魔窟の洋上楼閣都市』Part44『幕間・ナイトキッズ前編』
戦いは続いているが、
それを見守る人々がいる
特攻装警グラウザー
第二章エクスプレスサイドB第一話
魔窟の洋上楼閣都市43
【幕間・ナイトキッズ:前編】
――スタートです
なお今回はツイッターで企画しました
『RTしたフォロワー様を自作品のキャラとして設定する』の参加者様から採用させて頂いております
庵乃雲
タツマゲドン
中村尚浩
北方真昼
成宮りん
KisaragiHaduki
(敬称略、今回は以上6名様)
ご協力、ありがとうございました
時間とは一様に流れるものではない。
夜の帳が下りて、朝日が登るまでが11時間だったとしても、昨日と今日と明日の夜の長さが同じだとは限らない。
夕食をとって団らんを持ち就寝して目覚めるまでがまたたく間に過ぎる夜もあれば、
まんじりとする事もできず1分1秒がとてつもなく長く感じる不穏な夜もある。
そしてその日は特別な夜であった。
あの洋上のスラム『東京アバディーン』の外であったとしてもそれは同じだ。
その日の夜はすべての人にとって〝長い夜〟だったのだ。
3月初頭の寒空の下、首都圏下の各地にて様々なドラマが産まれていたのである。
■渋谷・洋楽喫茶『ウォーク・オブ・フェイム』
東京・渋谷――歴史の古い街でありながらその時代の最先端を流れる街、そして若者のエネルギーが溢れる街、
時代ごとに変節はあったが、ファッションと娯楽と情報とビジネスと様々な情報が交錯している。
この時代も多種多様な人々が行き来してる。
ファッションの流行にその時代ごとの変節はあるものの、それは変わることのない風景だ。
そして、街角には行き場のない若者たちが肩を寄せ合い、己の行き場を探している。
渋谷の街は3方向に分かれる。
JR路線を境に西と東、さらに東は井の頭線のホームを境に北と南に分かれる。
その東の北側、センター街や109や道玄坂のあるエリア、昔からの若者文化が変遷する街である。この時代もなおも変わること無く家に帰ることを拒否する心情の子供らが背伸びして大人のふりをして、剣呑な街角で屯している。
昔から危険度の高い街ではあったが、違法サイボーグや海外マフィアの上陸と蔓延により、より危険な街へと変化していた。
特攻装警の一人であるセンチュリーはそんな危険な様相の街を毎夜走り回り、犯罪と言う危険に飲み込まれそうになる青少年たちに救いの手を差し伸べ続けてきた。
いつぞやセンチュリーは、でっち上げの逮捕劇で拘束されそうになった少女を悪徳刑事から奪還したことがあったが、似たようなことは日常茶飯事で起きている。彼に救われた少年少女たちは数え切れないほどだ。
だからこそだ。センチュリーがどんなにトラブルを起こしてもそれを問われる事は少ない。それ以上にセンチュリーが果たしている非行抑止と犯罪からの救出の役割は大きいのである。今ではセンチュリーの〝やり方〟を踏襲する若手刑事も増えつつある。これもまた特攻装警によりもたらされた、警察の新たな形の一つである。
その渋谷の街角――
SHIBUYA109の右手を進み道玄坂2丁目交差点の角を左に進む。さらに松濤郵便局前交差点を左に折れてビルの裏側の辺り――
ビルの地下に居を構える一つの喫茶店があった。
洋楽喫茶『ウォーク・オブ・フェイム』
いわゆる音楽喫茶であり、欧米のロックやテクノなどを網羅して開店中はずっと音楽をかけ続けている。だが表には看板は出していない。入り口はあるものの店の名前すら表から見えるところには出していないのだ。事情を知らない者なら気づかずに通り過ぎてしまうだろう。
だが、その界隈でウォーク・オブ・フェイムは若者たちの間では名の知られた店であった。
――人助けフェイム――
警察に頼れない厄介な相談事について、この店は駆け込み寺のような役割を果たしていたのだ。そしてその店を切り盛りする若い店主が一人。
――辰馬 樹堂――
北九州出身で外国暮らしの経験もあり、外国人に纏わる厄介事にも精通した人物だ。彼の店が洋楽専門なのは単に洋物かぶれと言うわけではない。彼にとってそれが一番親しみやすいジャンルだからだ。そしてその店に普段から足繁く通っていた人物がいる。すなわち『センチュリー』である。
@ @ @
フェイムの店内へと続く急な階段をゆっくり降りてくる女性が一人。大人としてのルックスと子供っぽさが共存しており、年の頃で言うと17か16と言ったところだろう。
身につけているのは膝上15センチ丈の赤いタイトミニスカート、古めかしいガーダーストッキングと合わせるのがこの時代の流行りらしい。黒いタンクトップにミニ丈のレザージャケットを羽織っており、長い髪をバンダナでポニーに纏めている。足元がスニーカー系なのはファッションより走りやすさを重視したためだろう。耳元には大粒のイヤクリップが光っている。素肌は色白だが髪はかすかに茶系に染めている。
その彼女は、階段を降り終えるとウェルカムベルの付いたドアを開け店内へと入っていった。
店内は木目の調度品が多いアメリカンスタイル。壁際には洋物の映画ポスターや海外のアンティークメカやアンティークトイが飾られている。そしてカウンター席と丸テーブルがあり、まるでウェスタンスタイルかアメリカンカントリースタイルをそのまま移植した趣がある。だが店内のかしこに小型の電子モニターが設置されている。丸テーブルの中央には3D表示の立体映像装置もある。店の趣とは裏腹に、情報喫茶としての雰囲気もそこかしこにみられるのだ。
『――Welcome to Fame――』
男性口調の流麗な電子音声が来店者を出迎える。そして店内ではマスターも来店者に声をかけた。
「らっしゃ――」
カウンターの向こうではジーンズルックにシンプルな前掛けエプロンを付けたマスターが店番をしている。散切りのバックヘアに目元にはゴーグル風のサングラスがある。網膜投影式の電子ゴーグル機能を付加したタイプだ。背丈は180ほどで痩せたシルエット。だがそのシャツのから除く二の腕はよく引き締まっていて体の出来の良さが感じられる。
カウンター越しに声をかけてくるが、来店者の顔を見て口調を変えた。
「――ってなんだ倫子じゃねーか。また夜遊びか? ガキのくせに、人さらいにつれてかれっぞ?」
少女の名は成宮 倫子と言う。店の常連らしい。
「うるせー! 貧乏マスター! 客居ないくせに!」
「やかましいわ! それなりに利益出てんだよ! 文句言うなら帰れ!」
「帰れるわけねーだろ? 入れてくんねーのに!」
「あ? また喧嘩したんか? 親父さんか? お袋さんか?」
「オヤジ! めったに話しかけてこねえくせに顔見るなる説教こきやんの」
「それだけ心配なんだよ。わかってんだろ?」
「口じゃなんとでも言えるよ!」
倫子はブツブツいいながらも辰馬の言葉に耳を貸していた。その態度の端々に、両親に対して素直になれない本心が垣間見えている。マスターの辰馬はカウンター席の一つに氷水の入ったグラスを置く。そこにその少女を招くかのように。倫子と呼ばれたその少女は素直にその席へと腰を下ろした。
「で? 今日は何すんだ?」
「コーヒー、それとサンドイッチ」
「アメリカンか?」
「ブレンドで」
「あいよ」
オーダーを受けてキッチンへと移る。カウンターの向こう側はそのままキッチンとなっている。倫子は辰馬の動きを眺めながらも店内に流れている音楽に耳を傾けた。
「ねぇ、マスター、これなに?」
それが曲名を問うているのは辰馬にもわかった。
「レイジ」
「あ、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン?」
「そ」
「これいいよねー」
「だろ?」
「うん、でも今日は違うの聞きたい」
「何する?」
倫子の言葉に腹を立てるでもなく辰馬は倫子の求めを聞く。
「マリリン・マンソン」
「おう」
倫子の求めを耳にして空中で手元を踊らせる。それはコンソールを叩いているかのようである。目にしている電子ゴーグルによって空中にヴァーチャルキーボードが映し出されているのである。そして店内音楽はすぐに曲が変わる。
――マリリン・マンソン、アルバム名『メカニカル・アニマル』――
しかし、その音楽が流れるなり辰馬は倫子に言った。
「しかし、マンソン聞く17才なんて居ねーぞ?」
「それ言う? 教えたのあんたじゃん?」
切り替えされて辰馬は苦笑していた。そんなやり取りをしながらもカウンターの向こうからブレンドコーヒーと、ミックスサンドが出てくる。
「ありがと」
そう答えた時、倫子は視界の隅に人がけを捉える。カウンター席の奥の端に迷彩模様のフード付きのロングコートを目深にかぶった人物を見たからだ。あまり顔を出そうとしないその人物の名を倫子は知っていた。
「如月? 居たの」
声をかけられてその若者は面倒そうに頷き返した。如月 蓮月、まだ15才の少年である。
如月はカウンターの端で工具を広げていた。そして、手元で弁当箱サイズの機器に手を加えている。
「ごめん、手が離せない」
細かな作業をしているため話しかけられるのは億劫らしい。見れば右目に肉眼ルーペをはめながらピンセットで微細な作業をしている。電子基板の素子を付け替えしているようだ。邪魔をしては悪いと倫子も流石に遠慮をする。話しかける相手をマスターへと戻した。
「そういえば『兄貴』どうしてるの? 最近また顔を見ないけど」
「兄貴? あぁ、センチュリーか」
「うん」
倫子にそう問われて辰馬は答えに窮してしまう。
「一応連絡は取れてるけどなあ」
「なに? なんかあるの?」
辰馬が言葉を選んでいるのがよくわかる。それを察しれない倫子ではない。だがその時、傍らから如月の方から声が聴こえてきた。
「センチュリーさんなら当分来ないよ」
「え? なんで?」
ショッキングな声に思わず振り返る。如月はあいかわらず面倒そうに声を発した。
「ほら、去年の11月に起きた有明事件――、覚えてる?」
「うん、兄貴がしばらく姿を見せなくなってたアレでしょ?」
「そう」
「それがどうかしたの?」
言葉を区切って問い直せば、如月は修理作業を終えたところだ。機器のケースの裏蓋を閉じてネジ止めする。
「――っと、出来た」
そう言いつつ修理した機器をマスターである辰馬へと渡しつつ言う。
「アレ、もっと厄介なことになってんだよ」
辰馬は如月から修理が完了した機器を受け取りながら言葉を添える。
「あの〝マリオネット〟とか言うアンドロイドか? 全部破壊されたって警察の公式では言ってるけどな。でもガセなんだよな」
「うん、2体だけ逃げられてるんだ。裏の世界の情報ではどこの組織が逃げた人形の身柄を抑えるかでしばらく騒ぎになってたよ」
如月の言葉に倫子はじっと視線を向けつつ問いかける。
「それで?」
「でも、未だにその2体が捕まってないんだ。消息も不明。特に男性型の一体は逃亡時に殺害事件を引き起こしてる。今、特攻装警が全力で追跡を命じられてるってさ」
如月の言葉に辰馬が言葉を添えて更につづける。
「でも警察が公式発表をごまかしてまで事実封印をしてるだろ? その影響もあってセンチュリーも自分の動向についてあまり明かせないらしいんだよ」
「そう言う事。だからマスターも言葉を濁したのさ」
如月はカウンターの上に広げていた工具を片付ける。ロングコートの内側に無数にポケットがありそこに予備の部品とともに収納しているらしい。
「だから倫子姐もしばらくは諦めな。無理に兄貴に問い合あわせても困らせるだけだからさ」
「うん――」
如月に諭されて倫子は言葉を濁す。素直に同意しつつも、未練を断ち切れない理由があるのだ。そしてその理由を如月はわかっていた。人の顔を見て話さない如月だったが、フードを脱ぎまだあどけなさの残る顔を出しながら倫子にこう問いかけた。
「レイカ姉の事だろ?」
如月の言葉にはっとした顔になってその方を振り向く。辰馬がそれに言葉をかける。
「やっぱりそれか」
如月も言葉をつづける。
「サイボーグカルトに引きずり込まれたんだっけ」
「うん」
状況を整理するように辰馬が告げる。
「下北の方に彼氏できて遊びに行くようになってしばらくして連絡取れなくなってそれっきりだったな」
「うん、レイカのお姉さんもお母さんも心配してるから見つけてあげたいんだけど――」
「それでセンチュリーに連絡したいのか」
「そう、私一人で探すのも限界だし」
倫子はその両手でコーヒーカップを握りながらうつむいている。心なしか涙目である。さすがの辰馬も倫子を突き放すことが出来ない。答えに窮しているときだった。如月が告げた。
「それ、俺のところである程度つかめたんだ」
「えっ?! つかめたって? なんであんたが?」
「レイカ姉にも倫子姉にも世話になってるから。無視できないじゃん」
思わぬ申し出に倫子の表情が僅かにほころぶ。だがそのやり取りに驚きの声を辰馬があげる。
「まさか――お前、7HEADZ動かしたのか?」
辰馬の言葉に如月ははっきりと頷いた。
「なに? セブンヘッズ――って?」
倫子が問えば如月が打ち明ける。
「俺の居るグループさ。武装暴走族だよ」
「え? あんた〝族〟だったの?」
族――この時代においては武装暴走族の事を指す。暴走族と言う古典的な組織形態をとっているが、サイボーグ技術をイニシエーションとしたカルト組織の傾向が強い。相互に繋がりを持ち複雑な力関係が働いているのだ。
当然、武装暴走族のメンバーとなればサイボーグ化している事が多い。だが――
「大丈夫。改造はやってないよ。全部生身」
「え? でも――」
「俺んとこの7HEADZはそう言うんじゃないよ」
「倫子――」
戸惑う倫子に辰馬が諭す。
「如月を信用してやれ。こいつの居る7HEADZはお前が考えてるような連中じゃない。自分から悪事をやるような連中じゃない。エンジニア系と呼ばれる闇技術屋集団だ」
闇技術屋集団――、先程まで如月がいじっていた電子機器の事が思い起こされる。納得せざるを得ない。倫子の表情が変わったのを見て辰馬が畳み掛けてっくる。
「誰にも真似できない技術を持ってる少数精鋭集団で曲がったことをしないので有名なんだ。ただあまり表に出たがらないだけさ」
「うん、わかった」
辰馬のとりなしに倫子は頷く。そして彼女が向けてきた視線に如月も説明を始める。
「ウチのヘッドに相談したら、力を貸してくれたんだ。うちは武装暴走族が一般人を拉致って無理やりメンバーにするのは昔から反対だったし俺の恩人ならって言ってくれてね。それで〝ある程度〟は足取りがつかめたんだ」
そこまで告げて如月は懐から小型の液晶パッドを取り出して操作する。
「下北沢周辺にも大小色々な武装暴走族集団があるんだけど、最近急速にメンバーを増やそうとしてる危ない連中が居るんだ。チーム名は〝コルグレ〟格闘戦闘を得意とするバトル系さ。そこのサブリーダーが犯人だよ」
そして如月の操作した液晶ディスプレイにとある写真が映る。街頭カメラの一つをジャックして得られた画像だった。カーキー色のデッキジャケットを身に着け、両腕をポケットに突っ込んで歩いている姿だ。目つきは悪くひねている心性が如実に現れている。その姿に辰馬がつぶやく。
「こいつか」
「うん、コルグレのサブリーダー『柄呉紀』女癖が悪く見境がないので有名だって」
その画像に思わず倫子が身を乗り出していた。その姿勢には期待が滲んでいる。
「それで?」
「うん、こいつがレイカ姉を連れてったのはわかった。一週間前まで一緒に住んでたことも。まぁ半分無理やりだけどね」
「それで、改造は?」
辰馬の言葉に如月の顔がかすかに曇った。どうやらそこから先が芳しくないらしい。
「それなんだけど、レイカ姉を改造しようとしたときに他の連中の介入があったらしいんだ。はっきり言えば『横取りされたんだ』」
「なっ?」
「横取りだとぉ?」
倫子が言葉をつまらせ、辰馬が驚く。そしてとある最悪の状況を辰馬が口にする。
「まさか〝上納〟させられたのか?」
「当たりだよ。マスター」
「え? 上納って?」
倫子の疑問の声、辰馬が説明する。
「――武装暴走族は複雑な上下関係がある。より強い組織は他の弱い組織を下位に組み入れる。そして金やら物やら〝人〟をじわじわ吸い上げる。そしてその行き着く先は〝ステルスヤクザ〟だと言われてる。その吸い上げる方法の一つが上納でね、主従関係にある上部組織に対して服従の証としてなんらかの物を差し出すのさ。まぁ、大抵は金で済むんだが、稀に人が吸い上げられることがある」
「人を吸い上げるって」
あまりに非常識で異常な状況に言葉をつまらせている。だがひどい状況はそれで終わらない。如月が言う。
「レイカ姉は上部組織の幹部に気に入られて無理やり連れてかれたらしい。女好きのたちの悪いのが上の方にも居たのさ。拒否しようとしてサブリーダーの柄はボコボコにやり返された。脳をやられて一生寝たきりだって」
「いい気味」
「否定はしないよ。倫子姉。実際、ウチのヘッドが交渉に行った時、向こうのコルグレのヘッドが泣いて謝ってたって。とんでもないことをしてしまったってね。なにしろコルグレのヘッドの恋人も連れてかれたらしいんだ」
「根こそぎだな、あいかわらず」
辰馬が眉を曇らせる。その上部組織の容赦無さに思い至るものがあるようだ。倫子がさらに問う。
「でもなんで? なんで連れてかれたの?」
「それもその柄って男が原因。上部組織の所有物扱いになってる女スレイブに手を出して連れてこうとしたらしい」
「女スレイブ――」
あまりにショッキングな表現に思わず言葉をつまらせる。
「上役の人間のものに手を出すのは闇組織では最大のタブーだからな。とんでもねぇ馬鹿だな」
辰馬が大きくため息をつく。そして自らの脳裏に思い描いた悪しき連中の名を意を決したように口にした。
「その上部組織って〝スネイル〟だろ?」
辰馬の問いに如月が頷いている。
「当たり。スネイルドラゴン――、それも本隊にぶちあたった。さすがに俺たちでもそこから先は追えなかった」
「スネイルの本隊――」
スネイルドラゴン――首都圏下の最大勢力と絶大な戦闘力を保有する、最大規模の武装暴走族である。
倫子も思わずつぶやくがあまりの重さにそれ以上の言葉が続けられなかった。
「じゃあレイカは?」
「今、どうするか検討中さ。俺たち単独では無理でも他の組織や警察の人とも連携できないか頭を捻ってる」
「そうか――」
辰馬は大きく息を吸って思案する。
「そう言う状況ならなおさらセンチュリーには話を繋がねえとな。ヘタな警察職員に話しするより早いからな。まぁ、あいつに感化されて生活安全の刑事さんなら話を聞いてくれるようにはなってきてるけどな」
「でも、ダメなんでしょう? 兄貴に話をつなぐの?」
「あぁ――、でも今回は事件が事件だからな。なんとかして――」
――3人がそこまで話をしたときだった。
――カラン――
入り口のウェルカムベルが鳴る。そしてドアが開いて一人の人影が姿を現した。
やや時代遅れの白ロリータ趣味のスカートドレス。首にはピンクのスカーフを巻き、両手でお気に入りのティディベアのぬいぐるみを抱きかかえている少女。うつむき加減でどこか寂しそうだ。
「いらっしゃい――って――」
「あれ? 六花じゃない」
声をかけられて顔を上げて一礼するように何度も頷いている。見た目の歳の頃は12歳程度。見るからに子供っぽい。彼女の名は〝福原六花〟、渋谷の街角でセンチュリーを待ちわびている少女である。
「どうした? 今日は仕事は休みだぞ。ゆっくりしてていいって言ったろ」
「え? どう言う事? マスター」
「あ、お前らには言ってなかったっけ」
店のマスターの辰馬が六花とよばれた少女を手招きする。すぐに反応して駆け寄ると倫子の隣の席に腰を下ろす。
「六花は今度からうちでウェイトレスやることになったんだ」
「へぇ」
「え? マジで?」
如月と倫子が声を上げれば、倫子はその先にちょっと失礼な言葉を口にする。
「六花に、店番できるの?」
「ちょ、倫子姉」
「あ、ごめん」
「いいのです。心配されてるのはわかってるのです」
倫子の不用意な言葉に如月が文句を言う。だが六花はそんな事はまったく気にしなかった。店に入るなり如月の方へと歩み寄っていく。そして少し困った顔をしながら大切に抱いているテディベアを如月へと渡そうとする。
「蓮月たん、くまたんがおかしいのです」
「ん?」
六花から渡されたテディベアを受け取る如月は六花へと問い返した。
「何が変なんだ?」
「あのね、センチュリーたんに連絡が取れないのです。くまたんにお願いしても返事がないのです」
「わかったちょっと見てみるよ」
そう言いつつカウンターの端に茶色いテディベアを置く。そして迷彩コートの内側からラージサイズのスマホ端末を取り出すと、あるプログラムを起動させた。
【 セグメントロボット・メンテナンスツール 】
【 ―ZEPPET― 】
【 】
【 エントリーネーム:くまたん1号 】
【 >システム高速チェック 】
【 ≫チェックポイント 】
【 >#1、#2、#3、#4、#5 】
【 >#6、#7、#8、#9、#10 】
【 ≫チェックポイント 】
【 〔オールグリーン〕 】
如月は表示された情報をつぶさに眺めていたが一定の結果を見て答えを出す。つとめて優しい表情を浮かべながら、幼馴染の年下の子を慰めるように六花にこう諭したのだ。
「大丈夫、問題ないよ。くまたんはどこもおかしくない。怪我も病気もしてないよ」
「でも、お話できないのです」
お話できない――つまりはセンチュリーと連絡が取れないと言うことだ。
二人のやり取りの傍らから倫子が如月に問いかけた。
「ねぇ、話途中悪いけど――、そのテディベア、なんなの?」
「あぁこれ?」
如月はくまたんと呼ばれた茶のテディベアを六花へと返しながら言う。
「六花専用の通信端末だよ。普通のスマホを渡しても使いこなせないだろ? 中にAIユニットを入れてあって、トークインターフェスで会話でやり取りできるようにしたんだ。あと、位置測位のGPSや緊急通報システムも入れてある。もちろん、センチュリー兄貴へのホットライン機能もね」
くまたんを受け取った六花だったが不満げにくまたんを持ち上げたり裏返したりして何度も確かめている。
「え? そんなことまでできるの?」
「うん、俺の自信作だからね」
そう答える如月の言葉に辰馬が続けた。
「俺が頼んだんだよ」
カウンターの中から六花にホットココアを出しながら語る。
「六花がこの界隈に来たときに兄貴が助けて世話して生活をなんとかしてやろうって事になったんだけど、その時、本人との連絡手段が問題になったんだ」
六花は倫子の隣のカウンター席に腰掛けながらホットココアを傾けている。その様子を眺めながら倫子は辰馬の語る言葉に耳を傾けていた。
「基本的な生活は大丈夫だったんだけどスマホや通信端末なんかは使いこなせなくてさ、それにこいつ放浪癖があって渋谷の街をいつもフラフラしてる。どこに行くかわかんないからその辺も管理してやんないと行けないってんでセンチュリーの兄貴や如月と一緒に色々と考えたのさ」
「そう――、それで六花が当時テディベアのぬいぐるみを欲しがってたのを聞いて、じゃあクマのぬいぐるみに偽装した通信装置を作ろうって事になって、こいつでも難しくないように工夫したってわけさ」
「へぇ――」
倫子が感心したように相槌をうてば、辰馬はさらに言葉を紡いだ。
「それで生活するなら仕事も必要だろう? 渋谷の街外れに60過ぎたおばあさんが一人で切り盛りしてる小さい喫茶店があってさ、そこに紹介して働かせてたんだ」
「でもさ、こんな小さい子働かせて大丈夫なの?」
倫子は六花の容姿から少し勘違いをしている。六花の見た感じは12歳程度、小6か中1程度にしか見えない。だが如月が脇から言葉を挟む。
「倫子姉、それ違うよ。六花は18だよ」
「え?」
思わぬ事実の驚きの声を上げる。辰馬が説明する。
「昔ちょっと色々とひどい目にあってな」
辰馬はそれ以上は言わないが倫子はおおよそ、その先の推測は付いていた。この町では親と折り合いが悪いとか、家族と距離をおいている子供や若者は後を絶たない。倫子を姉と呼ぶ如月自身も実家とは距離をおいていて、自活の道を探しているのだ。
「それでその店では上手くやってたんだが、店主のおばあさんが心臓をやられて店じまいする事なってな、行き場を無くしちまった。それで兄貴と相談してウチで面倒見ることにしたんだ」
「それでここで仕事を?」
「あぁ、ウェイトレスとしては基礎的な事は身につけてたし、基本真面目だし、なにより物覚えがいい。ウェイトレス以外の事をやらせてもすぐに覚えるから俺も助かってるんだ」
「へぇ――」
そう語らい合いながら3人で六花を眺める。その六花は真剣な表情でホットココアを飲んでいたところだった。そしてカップを空にしたところで六花が如月に問いかける。
「それで、センチュリーたんには連絡できないんですか?」
「あぁ、それか――」
如月は苦笑交じりに穏やかな口調で説明する。
「ハードウェアやソフトウェアには異常無いよ。くまたんは至って健康さ。そうなるとあとは回線の問題だろうな」
「かいせん?」
六花には解釈は難しいらしく、小首をかしげながら言葉を反芻している。助けを求める小動物のような視線に如月も苦笑するばかりだ。そして如月は思わず辰馬マスターに救いを求めた。如月から向けられた視線に困ったふうに苦笑いすると頭を掻きはじめる。
「あー、しゃーねーかぁ!」
そう言い放ちキッチンエプロンを外していく。
「蓮月、さっきのユニットの修理は完了だな?」
「うん、LAN/WAN周辺回路が少し焼けてたけど直したよ。あとは正常」
「よっしゃ、例のヤツやるからセットアップ頼むわ」
「オッケイ」
言葉をかわした二人は入れ替わりになり、如月がカウンターの向こうに、辰馬がカウンターの外へと出てきた。
「なに? 何はじめるの?」
「あ、例のキラキラはじめるです」
「え? キラキラ?」
倫子の疑問に六花が答えるが、要領を得ない説明にはさしもの倫子もお手上げである。その傍らで作業をしていた如月が声を掛ける。
「マスター、仮想コンソールドライバーセットオッケー、VRコンソールいつでも展開イケるよ」
「よし、メインパワー入れてくれ」
「オッケー」
カウンターの向こうの如月の方で電子音がする。スマホやPCが電源がオンになった時の音に近い。如月が辰馬に声をかけた。
「メインパワーOK」
「よし、音声命令制御開始、システム起動」
辰馬が発した声を受信して店内に隠されていたシステムが作動を開始する。店内の中央の一番開けた場所、そこに大規模な三次元ホログラフCGによるコンソールディスプレー群が展開されたのである。
『音声制御ドライバー起動、ボイスコントロールスタートOK』
「よし、VRコンソール、スタート」
『VRコンソールスタートします』
六花が楽しそうに声をだす。
「はじまったのです。キラキラ」
「キラキラって――あぁこれのことか」
六花が何を言っていたのか倫子にもやっと飲み込めた。だがさらなる疑問が湧いてくる。
「って言うか洋楽喫茶になんでこんなもんがあるのよ?」
「それは聞くな」
倫子の疑問を辰馬は遮る。
「絶対に他の連中に言うなよ。ここは俺の〝秘密基地〟なんだからな」
「秘密基地――」
いつの時代の話だよ――と言いかけたが流石にそれは飲み込んだ。あるは言いそびれたのかも知れない。無粋な言葉を投げかける前にウォーク・オブ・フェイムのマスターである辰馬樹堂の放つ技に魅了されていたからである。
システム起動と非合法アノニマス回線確保のプロセスが進む。その時々の回線状況ネット状況で手順は異なるから、その都度細かなパラメータを設定していかねばならない。まずはその手順を構築しているのだ。
「すごい――」
「そうなのです。これがマスターのもう一つの姿なのです」
「もう一つの姿って?」
「それはね」
倫子の疑問に答えたのは如月だった。
「マスターのもう一つの名前はハンドルネーム〝ビルボード〟――渋谷界隈ではトップクラス。首都圏下5本の指に入る凄腕のハッカーなんだよ。ハッカー傾向は情報の収集と蓄積を主とする〝コレクター〟少しでも多くの情報を得ることを得意とするタイプさ」
「へぇ――、知らなかった」
そうつぶやきながら眺める辰馬の姿はふだんの砕けた姿からは考えられないようなクールさに満ちていた。そして、隣に居る六花とマスターの姿を交互に眺めた時、ある疑問が氷解したのである。
「だからみんなの事を助けるの?」
そしてその言葉には〝あのセンチュリーと同じように〟と言う憧憬と賞賛が込められていた。その言葉に辰馬が答える。
「否定はしねえよ。いつの時代だって大人が若いやつに手を差し伸べなかったら道を間違うやつがかならず出る。でも誰もやろうとしない。だからオレがやる。若い頃から世界中眺めてきたけど、この国はある意味一番ひどい。腐った年寄りばっかりだ。だからよ、この街の連中だけでもと思ってよ――っと、ちょっと待ってろセンチュリーの位置特定やるからよ」
辰馬の言葉に倫子は頷いている。そして、その姿に道に迷う後輩たちに手を差し伸べようとる〝兄貴肌〟の姿を思わずにはいられない。事実、フェイムはこの界隈では駆け込み寺のような役割をしている。のっぴきならない事情で救いの手が必要なときに、センチュリーや少年犯罪課の職員たちが駆けつけるまでの非常手段の場として認知されているのだ。
倫子に如月が告げた。
「俺も兄貴達に助けられてるんだ。俺、喧嘩や戦闘は苦手だから追い詰められる事が多くってさ。外国人のマフィアも増えてるし、その点、マスターは外国暮らし長かったから頼りになる。二人が居なかったら俺なんかとっくに死んでるよ。六花も同じ。マスターやセンチュリーの兄貴に会えなかったら、ここには居ない」
「そうなんだ――」
さり気なく語られるが、その言葉に隠された現実はとてつもなく重い。倫子は帰ろうと思えば帰れる家がある自分に引け目を感じずには居られなかった。そんな時、マスターが問いかけてくる。
「倫子――」
マスターの方に視線を向ける。
「お前はお前で人生がある。人それぞれに不幸に重さの違いはない。誰だって自分のことをどうにかするので精一杯なんだ。ただ少しだけ自分の隣の人に手を差し伸べられればそれでいいんだ」
六花と如月に対して申し訳なさを感じていた倫子だったが辰馬の言葉に救われた気がした。
ウォーク・オブ・フェイムの店内の空間上に投影された大型3次元ディスプレイ――そこに首都圏下の地図が示されている。そしてそこに赤い光点が無数に浮かび上がる。それらは全てが街頭カメラである。
「全街頭カメラにフィルタリング、マッチデータは特攻装警のセンチュリーで指定だ」
『了解、マッチング対象データを固定します。全検索高速スタート』
今や大都市はもとより、中小の地方都市でも治安維持のために街頭カメラが急増している。持ちろんセキュリティは仕掛けられているが、今の御時世ではほとんどがザルだ。プライバシー見られ放題といっていいだろう。
『全対象――検索終了まであと17秒』
首都圏地図を埋め尽くすように示されていた街頭カメラの光点だったが、それもものすごい勢いで消えていく。指定されたはずのセンチュリーの姿はどこにも見当たらなかった。
「おいおいおい――、ちょっとまて? やべえぞこりゃ」
何時になく辰馬が慌てている。
「光点が残らねえ?」
「うそ――」
「もしかして」
辰馬が疑問を吐露し、倫子が愕然とする。光点が残らないということは街頭カメラにはどこにも引っかからないと言うことなのだ。だがそれに言葉を挟んだのは如月だ。
「アレじゃないかな?」
如月が指さす方には東京湾の埋立地がある。中央防波堤外側埋立地――通称『東京アバディーン』――たしかにそこだけ街頭カメラの光点が最初から映っていなかった。その指摘に辰馬も同意する。
「おそらくそうだろう。センチュリーのやつ、あの『ならず者の楽園』に突っ込んでったんだ」
「あそこは犯罪ハッカーが跋扈しているから街頭カメラハックなんて出来ないからね」
「あぁ、あそこだけは無理だ。うかつにアクセスすれば命がない」
「――――」
辰馬と如月の交わす会話にさすがの六花も言葉がない。思わず涙目でテディベアを抱きしめている。その六花の肩を片手で抱いてやりながら倫子は思わず疑問の声を上げていた。
「なんで? マスター、5本の指に入るって言ってたじゃない!」
その声にすまなそうに辰馬は詫びる。
「勘弁してくれ、その5本の指の残りの4本が全部あそこに居るんだよ」
辰馬が指差す先は、無論、東京アバディーンである。
「神の雷・シェンレイ、サイプシー・メモランダム、漆黒のイレーナ、サイレントデルタ・トリプルファイブ――いずれも常識はずれなまでの情報犯罪者だ。法律を破ることに何のためらいもないから他人の命なんかどうとも思ってない。俺はそこまでは冷酷になれないし命を無駄には出来ない。まだこの街から消えるわけにはいかないからな」
「そんな――」
倫子が絶望をつぶやけば、如月が言う。
「打つ手なしか――」
フェイムの店内に重い空気が流れる。だが辰馬の表情が変わった。
「いや、最後の手段が一つだけある」
そしてVRコンソールを操作すると、データバンクから3重の鍵付きのフォルダで秘匿されたファイルが取り出された。そこから引き出したのは一万桁の英数字羅列で構成された特殊暗号キーである。
「これを使う。警視庁のメイン基幹ネットワークへの侵入キーだ。これを使えば警視庁のシステムから特攻装警の物理位置を特定できる」
「ちょ、マスターそれは!」
「わかってる蓮月、センチュリーから万が一のために極秘に渡されたキーだからな」
「ダメだよ! それを使ったら履歴が残る! かならず情報機動隊のディアリオに連絡とってから使えって言われたじゃないか!」
「だからっつって――」
そして辰馬の視線は六花へと注がれていた。半べそと通り越してすっかり泣き顔である。
「こいつのヒーローの消息を調べないわけにはいかないだろう?」
「それはそうだけど」
「――」
如月は問いかける言葉をもはや失いつつあった。倫子はどう問いかけていいかもわからない。
ただわかるのはセンチュリーがただならぬ状況に置かれていると言う可能性である。
「やるぞ」
辰馬は一言告げると3重キーのかかったフォルダーを開いて暗号キーを開封する。
「手動コンソール展開」
『了解、手動コンソールを展開します』
【 特別回線接続準備プロセス 】
【 アクセス種別:国家管理回線 】
【 回線識別ネーム:JPD‐NET 】
【 接続キー入力 】
【 > 】
画面に特別キーの入力を要求するプロンプトが出てくる。そこに例のファイルを入寮しようとした――
――その時である。
――ポ~~~ン♪――
【(*’︶’*)ノ< アウトーーー! 】
突然、気の抜けた電子音と共にVRコンソール画面に割り込みをかけるよう浮かび上がった〝顔文字〟が浮かんだ。
それはあたかも辰馬のクラッキング行為を妨害し、辰馬の眼前に〝通せんぼ〟でもするかのように突如出現したのである。
「なに――これ?」
辰馬は驚きつつ慌ててコンソールを操作しようとする。だがその全ての操作行為に〝割り込み〟がかかり一切の入力を受け付けなかった。無論、こんな事は初めてである。
「なっ、なんだ? ちょ、ちょっとまてよ! おい!」
焦りを隠さない辰馬に如月が声をかけた。
「どうしたの?」
「乗っ取りだ! 何者かにコンソールをロックされてる!
「え? 嘘だろう? ここのシステムを逆侵入してきたのか?」
「そうとしか考えられねえ! あーーー! 立ち上げたコンソール、キャンセルしやがった!」
【 特別回線接続準備プロセスを 】
【 キャンセルします 】
【 〔一切のログは残りません〕 】
そしてさらにメッセージが出る。
【(*’︶’*)ノ<あとしまつ!あとしまつ!】
「何してくれてんだてめー!」
【(*’︶’*)ノ<怒っちゃだーめ! 】
「うるせー!」
ロックされたコンソールをなんとか奪還しようとするが顔文字侵入者の方の処置が早く全ての自己システムへのバックドアを妨害されてしまう。その用意周到さに辰馬は思わず切れていた。
「俺のシステム返せ!!」
【(*’︶’*)ノ 】
【 <イタズラするからかえさなーい! 】
【 <とりあえずこの特殊キーは 】
【 没収しちゃいます!】
【 特殊暗号キー 】
【 >削除 】
【 ≫削除コマンド:実行 】
【 >削除完了 】
その顔文字侵入者は傍若無人に辰馬のクラッキング行為をなかったコトにしていく。そればかりかセンチュリーから渡された特殊暗号キーすらも消し去ってしまったのだ。
「お前ーーーーー!!」
【(*’︶’*)ノ 】
【 <あたしお前なんて名前じゃないもーん 】
【 <あたしの名前はあんのーん 】
【 <辰馬さんにメッセージ! 】
【 】
【 『君子危うきに近寄らず』 】
【 】
【 <今夜だけは絶対にこんな事は 】
【 しちゃだめなの! わかった?】
「あんのーん? まさか――」
辰馬はその名に思い至るものがあるようだ。
「ホイッスラーの〝あんのーん〟か!」
【(*’︶’*)ノ 】
【 <あったりーー! 】
【 <しっててくれてありがとー! 】
そのやり取りを訝しげに眺める倫子に如月が説明する。
「ホイッスラーのあんのーん――、ネット上に突然現れて危険を知らせるって謎のアバターアイコンさ。人間かAIかも不明。俺も実物見るのは初めてだけどね」
二人をよそに、あんのーんの説明は続いた。
【(*’︶’*)ノ 】
【 <今、大規模に公安が動いてるよ 】
【 <怪しいと思われたら大変なことになるよ】
【 <この街の若い人たちのためにも 】
【 <あなたは無茶な事をしちゃダメ! 】
――公安――
その言葉に辰馬たちの背中に冷たい物が走った。
【(*’︶’*)ノ 】
【 <そ・の・か・わ・り! 】
【 <これをあげるね 】
VRコンソールの上、数枚の画像ファイルが残される。
【(*’︶’*)ノ 】
【 <それから六花ちゃん! 】
【 <センチュリーさんは必ず帰ってくるよ 】
【 <だから、信じて待っててあげてね 】
辰馬は画像ファイルを拾い上げ展開する。だが、そこに映されていた物に驚くより他はなかった。
「こ、これは! センチュリー?!」
その画像に映されていたもの、それは東京アバディーンにて死闘を繰り広げている時のセンチュリーの姿だった。右腕をベルトコーネに砕かれてもなお、黒い盤古の柳生を相手に拳を奮っているところの光景だ。戦闘の近傍から正確にその姿を映し出している。
驚愕しつつ愕然とする辰馬たち。六花が思わず立ち上がり両手を差し伸ばしている。その画像ファイルを手に取ろうとしているのだ。その六花は画像が立体ホログラム映像であり、実物の写真でないことが理解できていないらしい。すっかり泣き顔になりながらもセンチュリーのその姿を手にしようと必死なのだ。辰馬は思わずコマンドを実行した。
【 画像ファイル確認 】
【 >印刷コマンド:実行 】
するとカウンターの向こう側からプリンターの作動音がする。倫子がかけつけ印刷された物を拾い上げると、それを六花の下へと運んでやる。六花にそっと差し出してやると、六花は震える手で、その写真プリントを受け取るのだ。
「あ、ありがとうなのです」
満身創痍で戦っているセンチュリーの姿を目の当たりにして、六花はポロポロとナミダをこぼした。愛する人のその過酷な姿を見て平常心でいられるはずがないのだ。六花にとってセンチュリーとは存在の全てを救ってくれた恩人であり、生きる術を与えてくれた教師であり、心の寄す処として失えない愛する人なのである。
辰馬は六花の姿を尻目に苛立ちを隠さずに顔文字侵入者に言葉を叩きつける。
「おい、あんのーん。お前、なんだってこんなもん持ってるんだよ」
辰馬の強い口調にメッセージは告げた。
【(*’︶’*)ノ 】
【 <それも質問なし! 言ったでしょ? 】
【 <特別プレゼントだって! 】
【 <あの人が帰ってくるまで 】
【 信じて待ってあげてね!】
【 <それと! 】
【 <ほんとーーーーっに! 無茶しないで!】
【 <こんどこそ捕まっちゃうよ! 】
【 <辰馬さんは自分の役目と立場を 】
【 絶対に忘れないで!】
【 <センチュリーさんがあなたの無茶を 】
【 知ったらなんて思うか考えて!】
「俺の役目――」
あんのーんが告げる言葉に辰馬は思わずハッとなった。
センチュリーは辰馬に、自分が居ない時のこの街の若い人たちの救いの手となる事を期待してあの特別暗号キーを託したのだ。いっときの情で軽率に使っていいしろものではないのである。
【(*’︶’*)ノ 】
【 <暗号キーは、状況が落ち着いたら返すね】
【 <それまではお留守番! 】
「あぁ、わかったよ」
【(*’︶’*)ノ 】
【 <ありがと! 】
【 <それと、六花ちゃん 】
そのメッセージからの電子音声に六花が顔を振り上げる。
【 <あの人はすごい強いんだよ! 】
【 <絶対負けないよ。 】
【 <あなたの役目は待つこと。 】
【 <センチュリーさんを信じて待ってて! 】
六花は顔をグシャグシャにしている。何度も顔を拭いながら頷いていた。そんな六花を倫子が抱きしめている。
辰馬はあらためて六花たちに視線を投げかけると、あんのーんにこう告げる。
「ありがとよ。まちがい教えてくれて」
【(*’︶’*)ノ 】
【 <どういたしまして! 】
【 <またどこかで会いましょう! 】
【 <あんのーんでした! 】
【 】
【 ――LOG OUT―― 】
その突然の訪問者は大量のメッセージを残すだけ残して、まさに一陣の風のように一気に吹き抜けて行ったのだった。
「VRコンソール展開終了、全システム収納」
『了解、全システム収納します』
それまで店の中の空間に広げられていた立体ホログラム映像の仮想コンソールは速やかに終了して行き後にはいつものウォークオブフェイムが広がっていた。
辰馬は苛立ちとも冷静ともどちらともとれるような複雑な表情をしていた。当然である、彼らの恩人とも言うべき人物は生存こそしていたが満身創痍でありとても無事と言えるような状態ではなかったからである。
それでも辰馬はこの場で一番の年長者として自らが何をやるべきかをきちんと理解していた。
カウンター席の方へと戻りつつ皆に声をかけたのである。
「なあ、お前ら。今夜泊まっていかないか。店の裏側に仮眠室がある雑魚寝で3人くらいはなんとかなるだろう」
辰馬の言葉に3人はすぐに反応する。一番先に声を返したのは六花である。
「泊まります。泊まってセンチュリーたん待つのです」
次に言葉を発したのは如月である。
「俺も泊まる。システムへのバックアップができる人間は必要でしょ?」
そして最後に倫子。六花の手をそっと握ってやりながら答えを返した。
「もちろん私も残るわ。六花のことが心配だし。それに、六花の相手は必要でしょ?」
答えは出揃った。そして辰馬が言う。
「OK、話は決まったな。兄貴からの連絡を待とうぜ」
そして、外していたキッチンエプロンを拾い上げ身につけると3人に向けてこう告げたのだ。
「お前ら腹減ったろ? 何か作るからちょっと待ってろ」
その声に六花が静かに立ち上がった。
「りっかたんも手伝うのです」
その前向きな声を聞いて辰馬が口元に笑みを浮かべている。六花が前向きに心を整理したことを察したからである。
「キッチン手伝うならお前も着替えろ。コインロッカーにエプロンがかけてあるだろ?」
「はいなのです」
そして、六花はカウンターにくまたんとセンチュリーの姿が映った写真を置くと、店の裏の控え室にある従業員用のコインロッカーへと向かった。
その後ろ姿を眺めていた如月がひとり静かに呟いた。
「長い夜になりそうですね」
「ええ、そうね」
倫子も如月の言葉に同意見だった。まんじりともできない長い夜が始まったのである。
■青山・高級レストラン『Grande hospitalité à Tokyo』
その店の名は『偉大なるもてなし』と言う意味を持つ。
場所は東京青山。東宮御所にほど近く、青山2丁目交差点から1分足らずと言う立地にある。
基本、全席個室であり完全予約制。他人の目線を気にせずに利用できるとあって、上流階級やVIPなどに人気のある店であった。
10階建ての高層マンションの10階フロアにあり、神宮外苑のいちょう並木を見下ろせる眺望が売りであった。
とはいえ、この時代、情報セキュリティは飲食店であろうと最新の注意を払わねばならない。
内側から外が見れても外からはシルエットすら見ることは出来ない仕掛けになっていた。
さらにはプライバシーを完全保護するためにウェイター・ウェイトレスの半数はアンドロイド、指示役の人間の従業員も大卒以上であり語学堪能、さらには社内での厳格な教育カリキュラムを受けねば客の前に姿を出すことが出来ないという徹底ぶりであった。
そのため、実業家、政治家、著名人、知識人――さらには裏社会に顔の聞く重要人物に至るまでその店に信頼を置いている者は少なくない。
専用の駐車場を持ち、異なる客同士で顔を合わせることすら皆無と言う最高レベルのプライバシー保護――
そこまで徹底しての『偉大なるもてなし』であると店のオーナーは言う。
店の名は『Grande hospitalité à Tokyo』
マスメディアの取材を受けたことは一度もない名店である。
その店、グランデホスピタリティエ・トウキョウの店内、2名用のコパートメントルームを予約していた人物が居る。
年の頃は15才、まだ中学であり高校生にすらなっていない。青地に銀糸の刺繍の施された京都西陣の高級振り袖を身にまとい、長い黒髪を和風のいただき髪にゆいつつも後ろへと流している。こぶりな卵顔に切れ長の目が意思の強さを如実に現している。
かたや、テーブルの向かい側について同席しているのは長身の一人の美女である
濃いクリーム色の袖なしのイブニングドレスをゆるく身につけているが、体の線の細さははっきりと分かる。長い黒髪と合わせてファッションモデルのような雰囲気を醸し出している。一見穏やかそうなおももちであるが、その心の奥で自らの意志についてはしっかりと方向性を定めている――そんな人柄を感じさせる。
一見、くつろいだ雰囲気の中、フレンチフルコースのディナーは進むが、かわされる言葉はそう多くはなかった。
コースの終わりの冷菓をたしなみ、テーブルには締めの菓子であるミニャルディーズが提供されている。
白ワインをグラスにたたえながらその会食は終わりに近付こうとしていた。
先に声を発したのは和装姿の少女である。
「お食べにならないの? 甘い物、お好きだったでしょ?」
それに答えるのは痩身のモデル体型の彼女だ。
「今でも体型管理は厳格にやってるの。しあわせ太りとは言われたくないから」
「そう――」
未成年ということで和装少女の方にはアイスティが添えられている。イギリスから仕入れた茶葉から入れた高級品である。
「そう言う言葉が出るってことは幸せなんだ」
「えぇ、あなたのお父様の所にいた頃と違ってね」
「――――」
痩身美女の一言に和装少女の視線が鋭くなる。だが苛立ちを言葉にはしなかったのは彼女なりの矜持とモラルがゆえである。
「あなたが私の父の下から去ってもう何年になるかしら。警察の事実上の監視下にあるような物でしょ? よく平気で居られるのね」
「えぇ、形の上では〝仮出所の保護観察〟の特例として共同生活を送る――と言う形になるわ。でも――」
痩身美女は一言区切るとしみじみと噛みしめるようにつぶやく。
「――護られてるって実感が有るの」
「――――」
その答えに和装少女は深く問い詰めない。痩身美女の浮かべるどこか酔いしれるような表情を見つめるだけだ。
ややおいて言葉を吐く。
「妬けてくるわね。アトラスだっけあなたの同居人」
「えぇ、特攻装警アトラス、始まりの一人。そしてとても強い男。私の〝夫〟よ」
「夫? あんな鉄の塊が?」
冷やかしを物ともしない態度に和装少女も苛立ちが一定ラインを超えたようだ。
「ロボットと言っていいような時代遅れの装甲ボディを夫と言い切るの? みのりさん?」
「青いわね、美月――性的能力だけが男の価値じゃないわよ」
「どうかしら?」
「彼氏もいないくせに」
互いの価値感を牽制し合いながら、言葉のナイフで切りつけ合う。だがそれは愛情の裏返しであり、それがこじれたが故の結果であった。
和装少女の名は東風美月と言い、痩身美女の名は新庄みのりと言う。
少しばかりの沈黙が場を覆うがみのりは美月に問いかけた。
「ねぇ、美月、今夜のこと。あなたのお父さん――天龍さんはご存知なの?」
ミニャルディーズのチョコ菓子の一つを口にしていた美月だったが、みのりの問いに顔を左右に振った。
「ううん、父さんはあたしが中学になってからはあたしの行動にいちいち干渉はしてこないの」
「放任主義?」
「うん――とは言っても最低限の行動範囲はしっかりと押さえてるけどね。でも、誰に会ったかまでは追求してこない。以前に言われたの。『会った相手が誰なのか名前を知れば素性を知りたくなる。素性を知れば干渉しないと気がすまなくなる』って」
「へぇ、それで放任主義の一環としてグロックなんか持たされたの?」
みのりのその言葉に美月の手が止まる。みのりがさらにたたみかけた。
「その和服の帯の中でしょ? おそらくグロックのショートバレルタイプ」
「なんで――知ってるの?」
「半分は推測。そして勘よ」
「なんて人――」
呆れてため息をつく美月だったが、腰の裏の帯のたいこの中に手を回すと、ややおいて一挺の拳銃を取り出した。
グロック――オーストリアで作られたポリカーボネート樹脂を多く採用した高性能のオートマチック拳銃、その中でも比較的コンパクトなグロック27ジェネレーション4と呼ばれるモデルであった。全長が16センチと小さく弾数も9発しかない。だが世界中でヒットしたグロックの名に恥じぬほどに安全性は高いものがあった。
美月がそれをテーブルの上に置いたのを確かめながらみのりは語る。
「和服の太鼓帯にしてはなんか妙に厚みがあったし、動いたとき挙動から中に500グラムから1キロくらいの重量の物が入ってるんじゃないか? と思ったのよ。中学生のあなたが自分の意志で帯の中にそんな重いものを仕込むとすれば、天龍さんが護身用に何かを渡してるとしか考えられなかった。安全性が高くて、引っかかりにくいデザインで、高威力でなおかつ小型――条件を絞っていったらまぁ多分、はやりのグロックのラインナップだろうし。しかし40口径だったとは予想外だけどね」
「すごいわ。現役時代の勘、全く衰えてないわね」
感心しつつ褒める美月だったが、次に彼女が発した言葉にみのりの顔が思わずこわばる。
「〝スキニーキャット〟の名前はまだ使えるんじゃない?」
「やめて」
「なぜ?」
「もう要らない名だから」
「もったいないわよ。また使いなさいよ」
「あなたのところへと戻って?」
「ええ。そうよ」
「それだけはお断りよ。もうあなたとあなたのお父さんのところへは帰らないって決めたの。たとえ何があっても」
美月は自らの言葉でみのりに揺さぶりをかけたのだが、それをみのりは頑なに拒否した。それはみのりの過去を象徴する名だったのである。
「私は――、あそこへは絶対に帰らない。いいえあそこには、あなたのお父さんの隣には私の居場所はないの。あなたのお父さんの取り巻きと、彼らからの讒言を不用意に信じたあの人に私は居場所を奪われた。そして何度も殺されかけた。なのに帰ってこい? 馬鹿にするのも程が有るわよ」
苛立ちと怒りを吐き出すようにみのりは言い切る。手にしてたワイングラスを飲み干すとテーブルの上にグラスを置く。
「なぜ? なぜそんなに私の父を疎ましく思うの? いっときは愛してたんでしょ?」
「えぇそうよ。愛していた。そして、すぐ隣に居ることができればそれで十分だった。でも――」
そこでみのりはグラスを両手で握るとうつむいたまま言葉をつまらせる。彼女の胸の奥から忘れたい過去が蘇ってくる。
「ヤクザの世界に女の居場所はなかった。ステルスヤクザと呼ばれて姿かたちを変えても、本質は男の武力が物を言う力社会。そこに女は〝物〟として消費されるか、身内として付き従うしか無い。でも私は特別な立場のボディーガードとしてあの人を守りつつ愛する事を求められた。そしてそのあり方をあなたのお父さん――天龍陽二郎は満足してくれたけど、それは任侠社会の常識からは逸脱したものだったのよ」
「それで父に追い出されたの?」
「それならどれだけ気が楽だったかしらね。でも、そんな生易しいものじゃないわ」
封じておきたい過去がある。封じておきたい感情がある。ある人の背中を見守る事で、全てを忘れる事ができていた。そしてそれは封印が解かれれば耐え難い苦痛が蘇る。だからこそだ、その封印を解きにかかってきた眼前の小娘に、彼女が知らない〝現実〟というものを教えてやらねばならない。涙を流して叫びたいのをこらえながら、みのりは過去を解き明かしていった。
「嵌められたのよ。わたしは」
「誰に?」
「あなたのお父さんの弟分の明石という男よ。カミソリ明石――おぼえてるでしょ?」
「えぇ、今は氷室って名前を変えてる。あまり会いたくない奴よ」
「でしょうね。あいつは対人的な好きと嫌いの感情が極端だから。好意を持てば大切にするけど、嫌悪すれば徹底的に排除しないと気がすまない。それも手段を選ばず周到に。それで〝カミソリ〟なんてよばれてるのよ」
美月にはまだ飲み込みきれていなかった。父の腹心の部下の名が出て、それがどうしてみのりと父の過去につながるのか――、疑問を掘り下げずには居られない。
「でも氷室のやつがあなたに何をしたの? 辞めざるを得ないほどの事って」
「甘いわね。私は言ったわよ。生易しいものじゃないって」
そう告げるみのりの顔に一切の笑顔はなかった。それは美月に覚悟を求めるものであり世の中の現実を突きつけるものだった。
「あいつは私を目障りと感じた。兄貴分である天龍さんとサシで話したいのにいつでも私がいた。それをあいつは疎み、そして妬んだ。その解決策として仕組んだのが、組織の情報漏えい口の犯人として私を仕立て上げることだったの」
「え? みのりさん――あなたを? そんな、嘘でしょ? あなた私の事もボディガードしてくれてたのよ? 父さんもそれを知ってるはずよ?」
「そんなのヤクザの世界では何の意味もないわよ。約束がないのが約束。契約がないのが契約、あるのは兄弟の絆と力関係だけ。それがヤクザの世界よ」
「――」
言葉を返せない美月にみのりはつづける。
「組織間の麻薬取引――その相手組織は関西に拠点を置くステルスヤクザだった。でもその組織は内部で主流派と反主流派に分かれていた。あなたのお父さんの組織の緋色会と、その主流派との取引の場に、相手組織の反主流派が襲撃を仕掛けた。そして多数の血が流れた。天龍さんの腹心の部下が7人撃たれ1人が死亡、相手組織の主流派は幹部が3人殺された。反主流派が首謀者だったのはわかったけど、緋色会と相手組織の密会場所がなぜ露見してたのか? その犯人探しが始まった。その過程で私に疑いがかかったのよ」
「え? そんなのありえない、みのりさんがそんな事する人じゃないの父さんも判ってるはずよ?」
「わかっててもひっくり返せない〝決〟と言うのがあるのよ。私は天龍さんからの呼び出しと言う事で、ある場所に呼び出された。そしてそこでは誰にも会えなかった。不審に思い戻ったんだけど、それは情報リーク目的の密会を私がしたと言う〝偽装証拠〟をでっち上げるためで、精密にCG加工されて監視カメラ映像として緋色会の中で公開された。その席で明石はこう告発したのよ――
『新庄みのりが組織からの足抜けを図って、他組織の反主流派グループに接触をしていた。そしてその際に情報がリークされ、今回の取引現場襲撃にリンクしている』
――ってね」
「なんてこと、それをお父さん信じたの?」
「信じたと言うより、信じざるを得なかったのよ」
うつむきがちに視線を落としていたみのりだったが、当時のことが思い出されたのだろう。目元に涙がにじみ出ていた。
「すでに多数派工作は終わっていて反証は不可能。さらには相手組織の上層部からは情報リークの責任として身柄引き渡しが要求されている。拒否すれば血で血をあらう抗争が勃発する。かと言って身柄が引き渡されれば相手組織の連中にリンチにされるのは目に見えている。さすがのあなたの父さんも、私一人を守って他を全て敵にすることは出来なかった。自らの地位と、組織のメンツを護るために――」
「追い出したの?」
美月の問いにみのりが顔を左右に振る。ワイングラスを握る手は震えている。みのりの心に傷を残した絶望の記憶だ。それを喉の奥から絞り出すように吐き出したのだ。
「――粛清命令を出したのよ!」
「粛清――」
粛清、すなわち処刑命令である。
「天龍さんの出した命令で緋色会内部の不満は解消される。粛清命令が出ているとなれば、相手組織が私に何をしても問題はない。双方丸く収まる。あとは金銭的損害を互いに補填すれば万事解決と言うわけよ。わかる? 私があなた達のところへと帰れない理由が! その粛清命令はね、今でも生きているの! アトラスに縋らなければ生きていけないよ! 私は!」
それは底なしの理不尽に対する怒りであり慟哭だった。溢れる涙を浮かべながら、開いてしまった心の傷の痛みに苦しんでいた。その苦しみを癒せるのはまさに、みのりという女性を確実守れるアトラスだけなのだ。蒼白な表情で美月が事実を聞いている。愕然としつつもみのりになおも問いかけた。
「でも、なぜそれが特攻装警のアトラスとつながるの?」
「それはね――」
みのりは目元の涙を指先で拭いながら、もう一つの過去の記憶を呼び起こしていた。それはアトラスとの馴れ初めであった。
「――あの人は麻薬を巡る特別取引を追っていたの。緋色会の相手組織の幹部を狙っていたらしいわ。でも、その過程で私の存在を知り接触してきた。そしてこう言ったの――
『法廷証言に協力してくれるなら、全力で君を護る』
――って。はじめはそんな事信じてなかったけどね。でも、あの人の言葉は本物だった。絶望して何度も死のうとする私を説得し、追手からの逃亡の中で盾となってくれた。警察が司法取引を了承するまでの49時間のあいだ、あの人の手が、背中が、私を守ってくれた。アトラスの強固な体に狙いを定めてガトリング砲で襲ってきたときも、あの人は一歩も引かなかった。機能停止寸前に追い込まれてもあの人は私を護り続けてくれたのよ。そして思ったの――
『この人の言葉は本物だ』
――って」
そう語るみのりの顔には安堵しか浮かんでいない。
「あの人はこうも言ったわ――
『俺は君を抱いて愛撫することも情愛に酔わせることも出来ない。俺が本気で抱きしめば怪我をさせてしまう。生身の男らしいことは何も出来ない。だが〝これからも君を護ることだけはできる〟』
――ってね。当然、私はその言葉を信じたの。意を決して二人で協力して包囲網を突破、無事、警察本隊に保護を受けてわたしは証人保護プログラムを受けることになった。司法取引も成立して法定証言も済ませた。その後、私の非合法活動に纏わる裁判で大幅減刑されて1年半収監される事になったけど、粛清命令が出された当時と比べれば遥かにまともな暮らしだったわ」
その話を聞かされて、美月は沈黙するより他はなかった。反論する足がかりすら無い。今はただじっと実りの言葉に耳を傾けるしかなかった。
「でもね、それからもアトラスとの付き合いは続いたわ。1年半の刑期の中であの人は毎月必ず面会に来てくれた。6回目の面会の時に仮出所後の保護観察の話が出たの。そして彼は言ったわ――
『一緒に暮らそう』
――って」
「それを受け入れたの?」
「えぇ」
「それは警護役として? 監視役として? それとも――」
美月はぐっと息を飲み込む。そして、言葉を絞り出す。
「――〝男〟として?」
それは美月がみのりの言葉を受け入れた瞬間だった。自らの父のもう一つの顔、その事実を虚構とせずに事実として理解したのだ。それを納得するように笑みを浮かべてみのりは答える。
「もちろん、男としてよ。あの人と一緒に暮らせること、あの人の帰りを待って家を守ること、〝おかえり〟の一言で出迎えれること――、その全てが今のあたしにとっての幸せだったわ」
みのりはからのワイングラスから手を離すとさらに告げる。
「模範囚として刑期短縮されて1年で仮出所――身柄引受人はもちろん、あの人。そして出所の場であの人、どうやってあたしをむかえたと思う?」
「なにそれ? │惚気っぽいけど――でもなんとなく想像できる。花束でも持ってきたの?」
「当たりよ。バラの花束をかかえてダッジバイパーで迎えに来たわ。席の後ろには春物のワンピースとハイヒール。それを見せて彼は言ったわ――
『つらい過去を着替えよう。代わりに着るものは用意してきたから』
――ってね。あの人、変なところでキザなのよ」
そう冷やかしつつもその表情には笑顔しかない。その表情の端々に、みのりの今がどれだけ幸せかが滲んでくるようだった。
美月は納得して言う。
「だから〝過去〟へは帰ってこれないのね」
「そう言う事。ごめんね――」
みのりの言葉に美月は顔を左右に振る。
「ううん、わたしわかってたから。始めっから無理だって」
「でも。もしかしたらって思ってたんでしょ?」
みのりの問いかけに美月は頷く。その仕草の中にみのりは美月が抱いている〝寂しさ〟を読み取っていた。
「美月、噂に聞いてるのよ、私」
「え? 何を?」
「あなたのお母さん、フランスに帰ったんでしょ? あなたを置いて」
「どうしてそれを?」
思わず問い返す美月だったが、みのりにはお見通しだったようだ。
「これでも昔は二つ名背負ってたのよ? この程度の情報把握は今でもできるわ。あなたのお母さんは天龍と言う存在を夫としては愛していても、ヤクザとしては受け入れられてなかったみたいね。それはボディガードをやってた頃からなんとなくわかってた。あなたとお父さんは別戸籍だったけど、それはあなたを守るためでも有ると同時に、ヤクザという存在を受け入れられなかったあなたのお母さんへの最大限の譲歩だったのよ」
「でも、それでもダメだった。日に日に父さんのことを疎ましく思い会話すら拒否するようになって、とうとう身の回りの荷物だけを持って行ってしまった。私だけを広い家に置いてね。私をフランスに連れて行く事も考えずに――」
美月は大きくため息を付きながら思いを吐露する。彼女もまた拭い去れない運命に翻弄されているのだ。
「でもそれは、私は〝報い〟だと思ってるの。人の不幸を吸い上げる事で仕事としている父を持ったと言う罪の」
「それは違うわよ。美月――」
みのりの声がする。テーブル越しに手を伸ばし、みのりは美月の肩をそっと触れた。
「あなたのお父さんとあなたは別な人格よ。いまはあの人の元で暮らしていかなければならないとしても、いつかきっとあなた自身の意志で自分の道を歩くことができるわ。今はその時まで、あなた自身の〝力〟を身につけるだけよ」
「え――うん――ありがとう。でも――」
「なに?」
「みのりさん、あたしが憎くないの? あの人の娘なのよ?」
美月が思いつめたような表情でみのりに問いかけてくる。そんな美月にみのりは苦笑しつつも答える。その語り口は優しくまるで姉か母親のようで――
「憎かったら、あなたのお誘いに来るわけ無いでしょ?」
「あ――うん――」
「この店なら秘密は守られるし、あの人へは何の感慨も残っていなくても、あなただけはずっと気がかりだったの。あなたの身辺警護もやってたしね」
「みのりさん」
穏やかな笑みで包み込むようにみのりは美月を見守っている。その笑みの意味を美月は理解していた。そしてみのりは美月から手を離すと持参していたショルダーバッグを持ち出し、その中からあるものを取り出していた。白い包み紙に包まれたそれを美月に渡すとこう告げる。
「あけてごらんなさい」
「え? あ、はい」
戸惑いつつ包みを開ける。そしてそこから出てきた物は――
「これ、刺繍入りのハンカチ?」
「ええ、あなた、昔から花柄が好きだったでしょ? それを思い出して急いで縫ったのよ。使うかどうかは別として、今日の日を互いに覚えていられたらと思って」
――それは純白のシルクのハンカチ。そこに微細な糸でハンカチいっぱいのあふれるほどの花模様が描かれている。どこかの草原の花畑模様がイメージされていた。
「みのりさんが縫ってくれたんですか?」
「えぇ」
「ありがとう、ございます」
そう感謝の言葉を漏らす美月にみのりは告げた。
「私はあなたのお母さんにはなれないけど、たまにこうして秘密の密会をしてお話することくらいはできるわ。それであなたの寂しさが癒せるのならね」
「はい、私もまたお会いしたいです」
「じゃあ決まりね」
「はい」
美月は顔をほころばせながら答える。そして――
「それとさっきは失礼なことを言ってしまいました」
「いいのよ。気にしないで。それよりもう少し、食べていかない?」
――と言いつつみのりが指さしたのは、コースメニューの最後に出されたミニャルディーズのセットであった。
「はい、それじゃ追加、オーダーしますね」
「えぇ」
それは微妙な関係性の元にうまれた信頼関係であった。だれにも明かせない極秘のディナー、
そしてそこには過去を乗り越えて、あらためて繋がれた絆が結ばれていたのである。
@ @ @
『Grande hospitalité à Tokyo』を望む表通り――、そこから少し離れた脇路地の人目につきにくいあたりに1台のワゴン車が停められている。エンジンは止められているが後部シートは入念にカーテンで目隠しがなされている。極力人の気配を消したその車内には、明らかに何かが潜んでいた。
その車内には二人の男女。
息を潜めてじっと様子をうかがっている。
車内の後部シートの付近に設置された液晶モニターディスプレイ。それを眺めていた二人だったが先に声を発したのは男の方だ。濃いめの色のスラックスにワイシャツ、薄手のジャンパーを着込み襟元は開け放っている。右腕にごついシルバーメタリックのアナログクロノグラフを身に付けている。目元にはオークリーのスポーツサングラスで視線を隠している。厳つい面持ちの中に滾るような熱意と一度抱いた信念は意地でも負けない――そんな強い視線が眼前のモニターを見つめている。
そしてその傍らに佇んでいるのは中背で引き締まった体つきの若い女性だった。年の頃は20代初頭だろうか。青地の迷彩柄のレギンスに濃緑のショートサイズのシングルコートを身に着けている。その下に合わせているのはタンクトップ。頭髪は濃い目の赤茶で後頭部で束ねて左肩に流しており、その上にコートと同色のキャップを被っていた。豹のように鋭くも躍動的な視線が印象的な女性である。
モニターにはとあるビルが映し出されている。ビルの外壁外面、そこに重ね合わせるようにビル内の人物たちのシルエットがリアルに映し出されている。ただ判明しているのはシルエットだけで顔形や色やましてや声はまったく伝わってこない。
ただし、複数の方向からシルエットのリアルタイムデータを得ることで、そのデータを合成して三次元立体映像として再構成している。店内のフロアマップデータとそれを重ね合わせることで、店内のどこにどんなシルエットの人がいるのかを映し出すことができるのだ。
そして彼らが見ているのはあの二人が席を取った二人用のアパートメントシートである。
男は傍らの女性に問うた。
「この映像もっと解像度上がらないか?」
ぶっきらぼうな物言いではあるが語尾のニュアンスにはまっすぐで一本芯の通った本性が垣間見えている。彼に問いかけられて傍らの女性が突き放すように強い口調で反論をしていた。
「無茶言わないでちょうだい!」
「なに?」
「あの店は私たちの業界の界隈でも〝ペンタゴン以上に防御が固い〟と言うので有名なのよ。この程度のシルエット映像でも感謝して欲しいくらいよ。普段から世話になってるあんたじゃなければ、もっと上の金額でギャラをふっかけてるわよ」
「1回50万だっけ、がめついね相変わらず」
「仕方ないでしょ? そういう商売なんだから」
「因果な商売だな」
「お互いにね」
言葉で牽制し合いながら会話しているが、その実どこかで互いを信頼していることだけははっきりとわかる。そして男はモニターに映し出されている道具を眺めながらこう言ったのだ。
「しかし、天下のビジュアルハンター様でも取れない映像ってやつがあるんだな」
「悔しいけどね。最近はどこもかしこもセキュリティがガッチガチだから、まずはそこを突破しないとだめなのよ」
「それがあの店では世界最高レベルってわけだ」
「ええ、顧客にVIPが多いし、何より繁盛してるから設備の一環として高セキュリティのシステムを目一杯に手を加えられるわけよ」
「それをなんとかするのもお前らの仕事だろ?」
「言ってくれるわね。非合法ブン屋のくせに」
「ぬかせ、プライバシー強盗」
二人はなおも悪態をつく。だがそこには致命的な険悪さが漂うことはなかった。
男の名は中村尚弘、非合法スレスレの取材活動を行う電脳ジャーナリストだ。荒事も経験済みのようで両手は傷だらけであり、右耳には線状のひどい火傷の痕がある。銃弾がかすめた跡だとするなら納得ができる。
片や女性の方は面崎椰子香、ヴィジュアルハンターと呼ばれる映像スクープの撮影を目的とする映像ジャーナリストである。
ただし二人とも社会的には決して褒められた立ち位置ではない。中村は目的達成のためは手段は選ばないし、面崎は得られた映像ソースを他のマスメディア媒体に一山いくらで売りつけるカネ目当ての側面があるためだ。
ヴィジュアルハンターは欧米などでしばしば問題にされるパパラッチなどと似た面があり、それがよりネット社会に順応してリアルタイム性が高められたと言えるのである。
中村は面崎に言う。
「まぁ、感謝はしてるよ。お前じゃないと取れない映像だからな」
「まぁね。壁越しに中の人間のシルエットを調べるのって特殊技能なのよ。そう簡単にできる代物じゃないし。あんたじゃなかったらもっと高くふっかけてるところよ」
「あぁ、判ってるよ。シルエットオンリーでもここまで明確に見れれば動向調査としては十分だ」
中村の語る言葉に面崎は満足げだ。だが、面崎はさらに問いかけてくる。
「でも、一つ聞いていい?」
「なんだ?」
モニターをじっと見つめていた中村だったが、面崎の声に横目で視線を走らせた。
「あそこに居る二人、誰なの?」
面崎の問いに思案する中村だったが言い含めるように低い声で答える。
「口外するなよ」
「するわけないじゃない。私たちフリーランスにとってニュースソースの秘匿は絶対条件よ。それくいらい判ってるわよ」
面崎とてプロだ。プロとしての流儀は承知している。覚悟を決めた中村の口が開いた。
「特攻装警の一人目、暴対所属のアトラスの女房だよ」
「にょ――女房って――」
さすがの答えに面崎も思わず言葉をつまらせる。
「アトラスってアンドロイドよ? しかもリアルタイプじゃないメカニックタイプでしょ?」
「信じられないか?」
「当たり前よ。女性とナニすることも出来ないのに夫婦だなんてありえないじゃない」
「青いな、お前も――」
「なにそれ?」
面崎の答えを中村は冷ややかに受け流す。不満げにする面崎だったがそんな彼女を諭すように中村は言う。
「体のつながりだけが夫婦じゃねえよ。それよりもっと重いものがあるんだよ」
中村が語るその言葉には過去を噛みしめるかのような重みがあった。無論、その意味を面崎は知っている。詫びるように声を返した。
「そうか、そうだったわね。ごめん」
「謝ることじゃねえさ。気にすんな――、そのアトラスの女房様ってのが新庄みのりってなちょっとした犯罪歴があってその逮捕の際に動いたのが当のアトラスだ。1年の刑期の間、あししげく面会に通って仮出所後に彼女の保護観察目的として特例として共同生活をする事が認められた。もっとも本人同士はそんな名目上の理由なんかどこ吹く風で仲良くしてるってさ」
「へぇ――」
中村の話に相づちをうちつつモニターを眺めるが、2つ浮かんでいるシルエットのうち体の大きい方を指さしながら尋ねる。
「その〝奥さん〟って人ってこっちの背の高いほうね?」
「そうだ。キレイなカラダしてるだろ? すごい美人だぞ」
「そうね、モデルみたいに細いわね。ってことはあなた会ったこと有るの?」
「あぁ、何回かな。物静かで頭の回転が早くて気遣いが上手、一緒に居て相手に気を遣わせずに気配りできる――そんなタイプだ。戦いの矢面に自ら立つアトラスの背中をじっと見守る事ができる女房様だよ」
「でもさ、あんたなんでそんな人をこんな盗み見みたいなことしてるのさ? アトラスとあんたって親友レベルの付き合いじゃない」
当然の疑問だった。だが中村は苛立つこと無く淡々とその理由を口にした。
「親友だからだよ」
「え?」
「――有明事件って覚えてるだろう?」
「昨年11月に起きた大規模テロね。それがなにか?」
「最後まで聞け――、その際に、テロアンドロイドが大量に使われたのはお前も知ってると思う。総計8体のうち6体が警察に討ち取られた。だが残る2体が逃げおおせた。女性型ローラ、男性型ベルトコーネ――このうちベルトコーネは逃亡時に拘置所の看守や護送担当などを殺害し、一般市民にも被害を与えて逃亡した。その消息を有明事件で関わり合いのあったアトラスが追う事となったんだ」
中村は言葉を一区切り終えると懐からスリムな電子タバコを取り出す。煙の一切でない無煙タイプだ。そのスイッチを入れてウォーミングアップを待ちながら更に言葉を紡いだ。
「だが、その足跡調査は困難を極めた。家に帰ってみのりさんの顔を見る時間も無いくらいだ。だが、事はそれで終わりじゃなかった。ベルトコーネの足跡が突き止められたんだが、その場所が悪かった」
「どこ?」
「〝東京アバディーン〟――知ってるだろ?」
「ならず者の楽園――そんな所に逃げたの?」
「あぁ」
「最悪じゃない。あんな所に逃げられたら尾行調査もできないわよ」
「そのとおりだ。だがあいつは東京アバディーンに乗り込んでいった。一切の危険性を覚悟してな。そしてその際に内密に頼まれたのさ――
『俺が不在の時、あいつの事を頼む』
――ってな。警察の外でみのりさんを預けらるのは俺だけだったんだ。諸々の事情を考えるとどうしてもそうなるんだ」
中村の説明をじっと聞き入る面崎だったが、得心がいったようにつぶやく。
「そのみのりって人、よっぽど厄介な事情を抱えてるのね」
「否定はしないさ」
「それでか、こう言う事をしたの」
「あぁ、彼女がこの日、どこに行くのかどうしてもわからない。だがあいつから身の安全を頼まれた以上、動向把握はする必要がある。それであの高級レストランに入っていったのを確かめてお前さんを呼んだってわけだ」
「なるほど――、親友の奥さんの身辺警護ってわけね」
「あぁ」
「そう言う事なら納得だわ。いいわ撮影技術料、必要経費だけにしてあげるわ」
「いいのか?」
「いいわよ。その分、別件で色々やってもらうから」
「そうくるか。あぁ、分かったよ」
中村は苦笑しながら温まりきった電子タバコを口に咥えた。
「でも、もう一つ聞くけどさ――」
面崎は新庄みのりの対面に座っている人物を指さした。
「この相手の人って誰なの? 小柄で中学生くらい思えるけど、和服を着こなしてるっぽいし」
横目で投げかけられてくる視線がある。だが中村はそれを一瞥もする事なく黙殺した。
言えるはずが無かった。首都圏最大のステルスヤクザ・緋色会、その筆頭若頭にして次期組長候補の一人である天龍の隠し子であるとなど口が裂けても口外できなかった。その事実を知るということは、いつ緋色会に目をつけられてもおかしくないと言う事なのだ。
この場合、沈黙こそが答えだ。それが分からぬ面崎ではない。
「やっぱりいいわ。答えなくて」
「あぁ」
二人がそんな言葉をかわした時だった。
「あ、二人が動くわ」
「終わったらしいな。二人同時だな」
「確かこのレストラン、出口が3系統あるはずよ。どこから出るかわからないわね。ドローンを増やしましょう」
「みのりはハイヤーで来たはずだ。おそらく彼女をここに招待したやつが手配したんだろう」
「ナンバーは控えてある?」
「あぁ」
その問いに中村は内ポケットから取り出した電子インクメモに車両ナンバーを書いて面崎へと見せてやる。面崎は傍らに用意してあったタブレット端末にてドローン制御プログラム起動させると、それを速やかに打ち込んだ。
【 ステルスドローンハンドリングツール 】
【 ――フライバイシーカーズ―― 】
【 】
【 待機ドローン残数:12機 】
【 ドローン起動:6機自動選択 】
【 空中待機地点:ポイントA(事前指定済み)】
【 ポイントB(事前指定済み)】
【 ポイントC(事前指定済み)】
【 探索対象:走行車両 】
【 >ナンバープレート識別 】
【 識別番号指定:品川337F※※※※ 】
【 >ドローン起動 】
そしてワゴン車の後部窓ガラスを加工して造った発進口から6機のドローンが飛んでいく。ステルス仕様であり、速やかに夜の帳の中へと姿を消していった。
ドローンの操作をしていた面崎に中村が言う。
「一人だけ出てったぞ、先に行ったのは――みのりの方だ」
「OK、ハイヤーならビル内より内部探知は楽よ。確実に追って見せるわ」
「確率は3分の1だが?」
「当選確率なら10割にしてみせるわよ」
「よし、それじゃそっちは任せた。俺はこいつを走らせる。無事、家にお帰りとなったら追跡終了だ」
「いいわ。終わったらいっぱいおごってよ」
「任せろ」
そんな風に言葉をやり取りしつつ二人は行動を開始した。
面崎がドローンによる目標探査を続行し、中村がワゴン車のエンジンを始動させる。最後まで確実に見守りきらねばならない。
この追跡行は親友であるアトラスとの約束の証であるのだから。
■科学警察研究所、及び、第2科学警察研究所
その電話は千葉県の柏市から発信されていた。
千葉県柏市柏の葉――千葉県の北西部に位置する街だ。すぐそばには千葉大学の関連施設や、財務省税関の付属施設がのきを並べている。そのそばに立地している施設がある。
日本警察・科学警察研究所――、日本警察の科学鑑識活動の中心地と言える施設であり、そこを中心として全国の科学捜査研究所へと鑑識活動のノウハウがもたらされている現実がある。
通称科警研、
日本の科学捜査の牙城であり総本山である。
その科警研の中に比較的新しい部門である『法科学第五部』と呼ばれるセクションがある。
これまでの法科学捜査に加えて電脳時代にふさわしい〝ネットワーク技術〟や〝ロボット〟〝アンドロイド〟に纏わる分析と鑑識についての研究を行っている部門である。
そこには情報科学第四研究室と、情報科学第五研究室、さらには情報科学第六研究室がある。
第四研究室がネット技術、
第五研究室がロボット・アンドロイドの鑑識・識別関連
第六研究室が違法サイボーグ技術の鑑識と無効化についての研究を主に行っている。
その第五研究室。その室長を務める若い男性が居る。
――北方真――
アメリカのMITやFBI外部委託機関などで活躍し、世界中での違法サイボーグ技術についての最新情報や、犯罪性アンドロイドの研究について優れた才能を発揮していた人物だ。それが数年前、特攻装警計画が発足するのとほぼ同時に日本警察と日本政府からの招聘を受けて、当時、新設されたばかりの法科学第五部の発足と活動方針の策定に多大な影響を及ぼした人物である。
そして第2科警研のある人物と同期であり、親友と呼ぶにふさわしい関係を持っていた。
すなわちグラウザーの開発者である〝大久保克己〟である。
二人は勤務する組織こそ違っていたが、志を同じくする〝同士〟だったのである。
夕暮れを通り越し、日が沈んだ時間、すでに研究室の他の職員たちは帰宅の途につき、彼だけが研究室の中に残っていた。
彼専用のデスクの席につきプライベートのスマートフォンでどこかへと電話をかけている。ややおいて相手は通話に応じた。
〔はい、第2科警研、大久保です〕
それは北方にとって聞き慣れた声であった。親しさが湧いて出るのを押さえながら努めて冷静に声を発する。
「僕だ。克己」
〔北方か?〕
「あぁ、ちょっと話したい事があってな。今、大丈夫か?」
〔手短に頼む。あまり余裕が無いんだ〕
電話の向こうが切羽詰まっているのがひしひしと伝わってくる。
「判ってる。中央防波堤外域市街地で大変なことになってるんだろう?」
あの東京アバディーンの事だ。
〔あぁ、あそこに送った特攻装警たちがとんでもないことになっている〕
「そんなにひどいのか?」
〔全滅一歩手前だ〕
「まさか?!」
〔嘘じゃない〕
回線の向こう、大久保が語り始めた。
〔アトラスとエリオットは消息不明、ディアリオは連絡こそ取れるが状況は未確認、センチュリーは右腕を中心に満身創痍、フィールはほぼ全身をやられてしまい、今、緊急オペの真っ最中だ。まともに戦えるのは俺のグラウザーだけだ〕
悲惨極まる状況に慰めの言葉も出ない。北方は努めて冷静に話しかけた。
「相手は?」
〔犯罪者――と言いたいが最大の障害が身内の武装警官部隊だ。情報戦特化小隊――知っているだろう?〕
「あぁ、桜の代紋を背負ったアウトロー集団とまで言われている」
〔そこが〝ベルトコーネ〟の暴走を画策しているんだ。なんでも慣性制御技術を持っていて完全暴走が始まると止める手段が無いらしい。市街地一つが丸々焦土と化す可能性すらある。それを止められるのが現状俺が手がけたグラウザーだけなんだ〕
その言葉に北方はある質問を投げかける。
「できるのか?」
〔愚問だ、北方。出来なければ日本警察は何もかも失う。治安維持の最後の一線の矜持を奪われ、犯罪組織群はさらに勢いづく。そうなれば日本という法治国家はもはや終わりだ。だから俺はグラウザーと最後の手段を試みた〕
「最後の手段?」
〔グラウザーの2次武装装甲装着だ〕
「やったのか?」
〔あぁ――〕
「それで、結果は?」
〔成功だ、今、最前線で戦っている〕
「そうか」
それは一定の成果だった。だが今回、北方が伝えるべき要件は別にあった。冷静さを維持しながらも大久保の注意を掻き立てるように言い含める。
「それについては〝武運を祈る〟と言っておこう」
〔あぁ、ありがとう〕
「だが、僕が電話をかけたのはそれのことじゃないんだ」
〔なに? どう言う意味だ?〕
電話の向こうで大久保が訝しげに問い返してくる。北方は言葉を選んだ。
「お前、〝三田村〟の事は覚えてるか?」
その問いに一瞬、大久保が沈黙する。
〔忘れるはずないだろう? あいつには言いたいことが山ほどある〕
「僕もだ。首根っこ捕まえて殴りちらしてやらないと気がすまない。だがな大久保――」
北方は一瞬、言葉を抑える。そしてわずかな沈黙を挟んでこう伝えた。
「その願い、案外早く叶えられるかもしれんぞ?」
〔――どう言う意味だ? 北方〕
北方はスマートフォンを耳に当てながら、遠くを見つめているかのような面持ちで話の核心をこう伝えたのだ。
「三田村の姿が街頭カメラに捉えられたんだ」
〔!――なんだと?〕
「今、うちで街頭カメラの自動検索システムの改良を続けているんだが、指名手配犯の自動照合機能が実装されてね、半年前からの機能テスト開始以後にテストデータの中に〝三田村〟の顔を入れておいたんだ。大抵は反応がなかったが稀に誤検知する事があった。そして先程、三田村の顔写真データが『該当有り』と反応を出したんだよ」
〔どっ、どこだ! どこで見つけた!〕
北方が語る事実に、電話の向こうで大久保が冷静さを欠いているのがよくわかった。
「落ち着け、大久保」
〔!――――〕
「場所は南本牧の先進化コンテナヤード、そこに超望遠映像ながら三田村の特徴と高確率で合致した映像が捉えられたんだ。5年前とほぼ変わらず。だが、写ってすぐにまた消えてしまったらしい。亡霊みたいにね」
〔まさか、ほんとに亡霊だったとか言うんじゃないだろな?〕
「それはないよ。僕は科学者だ。現実の現象しか信じない」
〔俺もだ。科学と技術で証明できる物だけが現実世界を動かせるからな〕
「あぁ、そのとおりだ。だが問題はそれだけじゃないんだ」
〔どう言うことだ? まだあるのか?〕
三田村が深い疑問を投げかけてくる。北方はさらなる核心を突きつけた。
「三田村と一緒に『Lost B.』の姿が目撃されたんだよ! あの〝バルバトス〟だ! アトラスに続く失われた2号機だ!」
〔そんな! なぜこのタイミングで!〕
「それだ大久保――、なぜ今この時期にのこのこと姿を表したのかが問題なんだ、お前のグラウザーが赴いているのはあの〝東京アバディーン〟だったな? 東京湾中央防波堤外域埋立市街地――、ならず者の楽園、三田村はそこに行ったんじゃないかと僕は思うんだ」
〔三田村があの〝バルバトス〟を引き連れてか?〕
「そうだ」
〔嘘だろう? ――くそっ最悪の状況だ!〕
絶望を振り払うかのように大久保が苦悩の声をあげている。慰めにはならないと知っていても、北方も声をかけずには居られなかった。
「だがな大久保――、この件はまだ俺のところで止めてある。警察上層部には知らせていない。知らせれば混乱に拍車をかけるからな」
〔いいのか? 北方? 露見したらお前もただでは済まないぞ?〕
「かまわん。ここをクビになっても一切の未練はないからな」
それは大久保にとって、親友が抱いた決意ゆえのメッセージだった。それを無下にする訳にはいかない。
〔ありがとう。北方、すぐにウチの所長と相談する。その上で対応策をあおぐ。お前はその結果しだいで上層部の信頼できる人間に知らせてくれ。そうだな――警備部の近衛課長あたりがいい〕
「お前の言うとおりにしよう」
〔あぁ、あとは任せた〕
そして、北方はすこし間をおいて親友にこう告げたのである。
「三田村、優先順位を間違えるなよ? 間違えれば、大切な特攻装警たちを根こそぎ失うぞ! それはお前も本意ではないはずだ」
〔当然だ。アイツらをむざむざと見捨てるような真似は絶対にしない。俺の――、いや、俺達の願いそのものだからな〕
「そのとおりだ。俺はこれ以上は何も出来ないが、お前たちの武運をこころから祈らせてもらおう」
〔あぁ、約束するよ〕
「じゃあな」
〔あぁ〕
そんなやり取りを終えると北方はスマートフォンを操作して回線を切る。そして、スマートフォンを内ポケットに仕舞いながらチェアから立ち上がる。そして窓の外へと視線を投げかけながらこうつぶやいたのである。
「俺ができるのはここまでだぞ。大久保」
そのつぶやきを聞くものはだれも居なかったのである

















