サイドB第1話『魔窟の洋上楼閣都市』Part38『死闘・拳と剣、新たに』
特攻装警グラウザー
第二章『エクスプレス』サイドB
第一話『魔窟の洋上楼閣都市』Part38
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イオタは3階建ての雑居ビルの屋上に佇んでいた。
眼下を見下ろし、背後に彼女の使役を受ける狼型のメカアニマロイドの〝シグマ〟を控えさせている。
イオタは猫耳少女――ハイテクをタネとしたマジックを得意とし、神出鬼没のクラウンの下、日夜飽くなき不可思議なマジックショーを演じている。その可憐な風貌は色白で髪はブロンド。その頭側部の辺りに2つの三角の耳が生えており、碧色の瞳で見据えているのは、裏社会でうごめく人間たちの欲望模様――
純白の三つ揃えのタキシードスーツにステッキと言う出で立ちで彼女はいつも、主人であるクラウンの指示を待ちわびていた。それは飼い主に可愛がられることを期待しておとなしくしている飼い猫や飼い犬のごときである。
だが今夜は違う。
彼女には今夜だけ行動をともにする者が居るのだ。
その名は『シェン・レイ』
神の雷の異名を持つ東アジア最強の電脳犯罪者である。
イオタはシェン・レイに命じられた様に、羽根妖精の如きシルエットの小さな仲間たちへと命じた。
『ゼータ、姿は消した? 完全に周囲に同化してね! そして〝パーティー〟の会場全体に均一に広がって! そこでボクからのリレーショナルシグナルを待って待機して!』
ネット越しの秘匿回線を通じて無数の羽根妖精たちに命じる。妖精たちは言葉では声を返してこないが、暗号化された反応信号でレスポンスを返すことが出来る。
――Instruction: All sense sync signal transmission――
それは羽根妖精のシルエットを持つ分散個体であるゼータに対して送られた『全感覚同期信号発信』の指示シグナルだ。そして〝ゼータ〟から返ってきたのは――
――Acknowledgment: acceptance acceptance signal――
要請受諾を意味する確認信号である。
イオタは返ってきた全ての受諾シグナルを整理する。流石にシェン・レイやディアリオ並みの情報ネット制御能力は無いが、それでも闇社会を乗り切るだけの電脳スキルはそれなりに備えていた。
【 LISTUP: 】
【 ALL Floating UNIT 】
【 from Z1 】
【 to Z36 】
【 Mutual Synchronized 】
【 Connection 】
【 Construction 】
【 】
【 OPERATION MODE: 】
【 >INVISIBLE 】
【 】
【 ―MODE CHECK OVER― 】
全てで36体の羽根妖精=ゼータが作戦エリアに展開しているのを確認し終えるとイオタはネット越しに音声を飛ばした。
『シェン・レイ! ゼータの展開終わったよ。例の黒いおまわりさんたちを包囲する様に、この辺一体に36のゼータを拡散! インビジブルモードだからすぐには見つからないけど長くは持たないよ』
イオタの声にシェン・レイは答え返す。
『ご苦労! 君経由でこちらでも把握した。ネットリレーショナル状態も良好だ。すぐに開始しよう。ゼータの存在に気取られる前に』
『オッケイ! それじゃボクはルート中継ポイントの役に専念するね』
『頼んだぞ! 君だけが頼りだ。奴らの隠れ蓑を今こそ剥ぎ取るぞ』
『うん!』
イオタはシェンの言葉に弾んだ声で返していた。
初めはあれだけクラウン以外の人物に従うのが嫌だったのに、なぜだろう? このネットの向こうの彼の声は凛々しく何より力強く、明確に何を目指すべきか? 何を成すべきか? を感じさせてくれる。全てにおいて服従したくなるのがクラウンだとするなら、この神の雷は共に行動したくなる存在といえる。そんな事を考えながらもイオタはシェン・レイから送られてくるネットシグナルを全身で受け止めていた。そしてそれを羽根妖精のゼータへと送り広げるのはイオタの役目だ。
「いくよ。みんな」
はしゃぐでもなく、興奮するでもなく、クールに感情を殺すでもなく、イオタは静かにただナチュラルにそっと呟く。それは正義だ。人として成すべき犠牲的行動をふくんでいる。全ては理不尽な暴力から名もない命を守るためだ。
こんな事は初めてだ。今、イオタは人を殺める事なしに人の命を守ろうとしている。
「みんなを守るんだ」
その未知なる感覚の正体を、彼女はまだ気づいていない。
@ @ @
今、シェン・レイは全ての感覚をネット上へと飛ばしていた。
自分自身を完全にVR・3DCGで取り囲み、ネット制御もフィードバック制御付きのヴァーチャルインターフェースにてハンドリングしている。
「流石に仮にも法的執行部隊の精鋭だからな――、片手間で出来る仕事じゃないからな」
そしてシェン・レイは一斉にクラッキングを敢行する。対象数は7――、その中には情報戦特化小隊の隊長である字田も含まれている。
「全員を同時に掌握する。お前たちを白日のもとにさらけ出してやる!」
ネットの空間上に広げた7つのヴァーチャルコンソール越しにシェン・レイはターゲットを補足する。
【 クラッキング対象リストアップ 】
【 >武装警官部隊・盤古 】
【 >情報戦特化小隊・第1小隊 】
【 #1:字田[難度A-] 】
【 #2:真白[難度B] 】
【 #5:柳生[難度C+] 】
【 #6:権田[難度C-] 】
【 #7:亀中[難度B-] 】
【 #8:南城[難度B+] 】
【 #9:蒼紫[難度C] 】
隊長の字田は流石に高度なネットセキュリティを保有している可能性がある。南城はステルス特化という特性から。真白は副隊長としてのルート権限保有の可能性から。亀中は元からネットスキル技術者であるためだ。それ以外は白兵戦特化という特性から、平凡並みのネットスキルにとどまっているはずだ。
多面的に履歴情報をサーチして得られた情報を元に難度を設定、難度の高いものから優先してクラッキングの下準備を行う。
【 全クラッキング対象―― 】
【 ――アクセスルート設定開始 】
【 クラッキングシステムポイント 】
【 >武装警官部隊・盤古 】
【 標準ウェアラブル情報システムユニット 】
【 クラッキング形式 】
【 [マスターメンテナンスID擬装]】
【 公的機関ワンタイムパワード生成ロジック 】
【 >シュミレーションスタート 】
【 メンテナンス作業者生体ID 】
【 >既自動生成ストックリスト 】
【 #14 #23 #78 #102 】
【 #132 #158 #232 】
【 >生体IDクラッキングプロセスにセット 】
【 >ワンタイムパワード生成・準備良し 】
【 >クッキングプロセススタート 】
先にリストアップした難度の高難易度の対象から優先してクラッキングを開始する。すなわち――字田、南城、真白、亀中、柳生、蒼紫、権田、その序列順にクラッキングプロセスを開始、そして、全七体同時のクラッキングを完成させるのである。
【 生体ID認証:全7体認証成功 】
【 ワンタイムパスワード生成完了 】
【 クラッキング#1~#7 】
【 ワンタイムパスワード、及び生体認証 】
【 入力完了 ――クラッキング成功―― 】
【 】
【 プログラムアクセス 】
【 ホログラム迷彩総括管理プロセス 】
【 制御プログラム群ユニット 】
【 〔強制アクセス:実行〕 】
【 】
【 >同プログラム群 】
【 システムエリア専有領域:掌握 】
【 〔強制停止コマンド:実行〕 】
【 クラッキング対象ID:#1~#7 】
【 ≫≫同プロセス、作動停止確認 】
シェン・レイは一気にホログラム迷彩を解除して行く。そして彼の作業完了と同時に、今この東京アバディーンの戦場にて新たな敵の姿が次々に露見していく。もはや彼らを完璧に覆い隠すステルス機能はこの世には存在しなくなっていたのである。
【 武装警官部隊・隊員、対象7名 】
【 標準装備・ホログラム迷彩機能 】
【 全制御プロセスの停止を確認 】
隊長字田が、
副隊長真白が、
柳生が、権田が、南城が、亀中が、蒼紫が――
苛烈なる攻撃の交わされている戦場にて突如としてその姿を現したのである。その光景はネット越しにてシェン・レイからも確認できていた。
「よし――、クラッキング全プロセス停止確認、成功だ」
シェン・レイはさらにコマンドを実行する。
「そしてコイツはおまけだ!」
【 ホログラム迷彩総括管理プロセス 】
【 制御プログラム群ユニット 】
【 〔強制削除コマンド:実行〕 】
【 】
【 >プログラム群対象総数:48 】
【 #1より、#48、同削除確認 】
【 バックアッププロセスチェック 】
【 >同プログラム群、バックアップ不在確認 】
【 】
【 ――完全削除・完了―― 】
全ての処置は終わった。今、シェン・レイの側からできる事はもう無い。
「さぁ、今までの悪事の報いを受けるがいい」
そして全周展開していたヴァーチャルインターフェースを解除し通常空間に戻る。そこはカチュアのオペを行っていた手術オペレーションルームであった。シェン・レイはイオタへと向けて回線を開く。
『聞こえるか? イオタ』
『うん! 聞こえるよ』
『状況報告頼む』
無論、シェン・レイならイオタに尋ねなくとも現状がどうなっているかなどすぐに解る。だが、それはこの僅かな時間の間に共闘した相手に対する礼節の一つだったのである。
@ @ @
イオタは驚愕していた。
目の前で展開された神の雷の御業が凄まじさに。
「うわー、速攻じゃん」
黒い盤古へのクラッキングに際して、イオタは自らのシステムの一部とゼータの制御ネットワークをシェン・レイに対して提供した。当然、通常ではありえないプロセスだ。
「しかもまばたきしてる間に終わっちゃったし」
シェン・レイのクラッキング作業の際に多少なりともネットシステムに負荷がかかる可能性は考慮に入れていた。苦痛まではいかなくとも多少はしんどいはず――そう思っていたのだ。
「まるっきり何やったのかわかんないや」
そうつぶやきながらイオタはゼータのコンディションをチェックする。そして返ってきたのは――
――Report: "Zeta" Total individual system condition no abnormality――
〝総体異常無し〟を意味するメッセージだったのである。
神の雷の御業の凄まじさを知ったときだった。
『聞こえるか? イオタ』
通信の主は、その神の御業を実行した本人である。
『うん! 聞こえるよ』
『状況報告頼む』
シェン・レイの求めに応じてイオタは視線を走らせる。作戦エリアに展開したゼータたちの視覚機能を拝借して状況把握をさらに深化させる。
――なんだ? 何が起こった?――
――機能不全確認、ステルス機能作動不能――
――クラッキングだよ。ドライバーごと消された――
――狼狽えルな――
――作戦続行だ。当初の目的を完遂しろ――
――姿を見た者を全てを〝斬る〟のみ――
ゼータが拾い集めた言葉の数々を記憶に刻み、咀嚼し、それをシェン・レイへと伝える。
『ステルス機能が確実に消えた。でも、奴らの行動に変化なし。作戦目的も変わらない。むしろ――』
『むしろ?』
『目撃者をすべて消そうとしてる。余計に凶暴になってるよ』
『そうか』
ネットの向こうの僅かな沈黙。その沈黙がイオタにさらなる思索をさせる。そしてイオタは心に決めた。
『ボク、行くね』
『何をする気だ?』
『やつら無差別に攻撃し始める。戦闘能力者だけでなく近隣の市民たちへも手を出しかない。手数が足りない。ボクとシグマも奴らと戦う』
イオタのその決意にシェン・レイは問うた。
『出来るのか?』
それは侮辱ではない。過剰な心配でもない。少女然としたその容姿故にあの荒くれ者たちを相手に本当に渡り合えるのか? 純粋に疑問だったからである。無理を通して意固地になっているのなら犬死しかねない。痩せても枯れても盤古。日本警察最強の戦闘部隊の肩書は伊達ではないのだ。
シェン・レイのそんな疑念をよそにイオタは笑いながら告げる。
『ボク、これでもあのクラウン様の部下だよ。マスコットじゃないんだ』
『そうか。愚問だったな』
『あなたはまだやることがあるんでしょ? 別な命を助ける仕事が』
『あぁ、まだ治療処置が終わっていない。リスクが消えていないんだ』
『わかった。あなたはその生命、必ず救けてあげて』
イオタの覚悟を決めたような言葉が流れる。それにシェン・レイは労いの声をかける。
『武運を祈る』
『あなたも――』
そして二人の通信は切れた。そしてゼータと連携した多元視界の中、イオタはある存在に気づいていた。
「あれは?」
彼女が注目したのは二人の隊員だ。
小柄なネット能力者と、痩せ型中背のトラップ施行能力者――、亀中と蒼紫である。
「何かやってる!」
彼らの作業の内容はここでは掴めない。だが、それが非常に剣呑なものである事は状況からして容易に解る。単に脱出ルートを確保しているようには到底見えないのだ。イオタは自らが誰を倒せばいいのか明確に把握した。
「いくよ! シグマ! 僕達も戦うよ!」
そしてイオタは煤けた雑居ビルの屋上から軽やかに跳躍する。その手には白磁のステッキ。頭には小型のシルクハット。そしてその身にまとうのは三つ揃えのタキシードスーツ――
まるで舞台の上でマジックショーでも開演するかのような出で立ちだった。
イオタがビルの頂から舞い降り、地上へと降り立つと、そのあとを5匹の巨躯の狼たちが付き従い追いかけてくる。イオタを群れのリーダーと認めているかのだ。イオタたちは物陰を利用しながら亀中と蒼紫のところへと向かおうとする。
だが――
――キュインッ!――
イオタの鼻先を一発の弾丸が掠める。赤熱化したセラミック弾頭。30口径相当のレールガン弾だ。その弾丸が飛んできた射線の方へと視線を向ければサブマシンガンサイズの大きさの可搬型の高速レールガンを構えた全身黒スーツの長身の女性がレールガンを構えている。左手にレールガン、右手には単分子ナイフ。遠近両面での戦いに備えている。
シェン・レイによりステルスシステムが無効化されたことでその姿が顕になったのだ。
視認したイオタを逃すつもりはないらしい。
イオタは現れた敵に視線を向けながら、右手のハンドサインでシグマたちに指示を送る。彼らだけで蒼紫たちを食い止めさせようと言うのだ。そのハンドサインを理解したシグマたちはイオタにも新たに現れた女にも目もくれずに走り去っていった。
現れた女が問いかけてくる。
「どこへ行く」
「さあね。アンタたちこそなにやってるのよ」
「知ってどうする」
「やめさせる」
「そうか、ならばお前を――」
そしてその女――南城は弾丸のように素早く駆け出した。
「排除する」
戦いの火蓋は切られた。イオタはステッキを右手で順手に構えると両足をシッカリと踏みしめた。
「ヤラれる訳にはいかないよ」
そして、ステッキを旋回させると光のカーテンを展開し始めた。鮮やかな技を行使しながらイオタは告げたのである。
「咎人にして罪人であるのならともかく、罪も咎も無いのに気に食わないと言うだけで狩られていい生命なんて在りはしないんだ!」
闇夜に姿を消しながら報復の刃を振るう女――南城
あどけない姿で魔法の如き技を行使する少女――イオタ
ここでも熾烈な戦いが開始されたのである。
@ @ @
東京アバディーン市街区の南東方向に広がる未開発エリア――開発半ばにして放棄された放棄廃棄区画には不法投棄された廃車や廃材が転がり、そこと隣接するように急作りの倉庫街が立ち並んでいる。
そしてそこからさらに北西へと向かえば、居住者の姿が多くなり、やがて中華系住人の多い街区へとたどり着くのである。
その中華系住人街区と倉庫街の中間エリア――
身元不確かな居住者が多く使途不明、所有者も曖昧な雑居ビルが密集しているエリアが有る。そこから倉庫街エリアへと移り変わる辺りはもっとも定住居住者が少ない街区であった。
そのような場所を揺らめくように気ままに歩く人影が一つ――
「全然、お目当て見つかんないなあ」
眉間にしわを寄せて不満げに声を漏らしながら歩みを進めるのは、一人の若い女だった。
黒味の強い褐色の肌にラテン系の特徴の残る風貌の中背の女で、髪はシルバーブロンドをショートのドレッドにして編み上げていた。
よくくびれた腰から下は青地に紫のペイズリー柄の極薄のレギンス。それにピンク色のホールターネックのカットソーを身に着け、丈の長いルーズな仕立てのチョッキの様な濃紺色の〝ジレ〟を身につけていた。足元は茶系のエスパドリーユと呼ばれるフラットシューズ。
躍動的に走る姿から足音が聞こえてきても不思議はなかったが、彼女の動くさまからは足音も衣擦れの音すらも聞こえては来なかった。ただ口元に笑みを浮かべると自虐的に呟きはじめた。
「やっぱり無理だったかな、殺し合いのドンパチが始まってる中で逆ナンパって」
そして彼女は、じっと意識を集中させると聞こえてくる音に思索を巡らせはじめた。
「銃撃、格闘、破壊――、爆薬でも使ったような振動もある」
ひとしきりつぶやくとその視線をある方向へと向ける。
「本格的に始まってるみたいね」
彼女が視線を向けたのは東京アバディーンの南東方向、グラウザーやセンチュリーたちが激戦を繰り広げているエリアであった。そしてそこにはそれ以外にもある人物たちが居る。
「諦めてエルバたちに合流するか――」
エルバの名を口にした彼女の名はビアンカ――、エルバたちにその気ままさを揶揄されていた人物だ。大きく息を吸い込むとため息をつく。
「あのピエロ、アタシ苦手なんだよなぁ。アタシの能力と相性悪いんだもん」
ぶつくさ言いながら歩みの速度を早める。そして向かう先は東京アバディーン南東の倉庫街、そして放棄廃棄区画である。行動開始前のブリーフィングで指定されたエリアだった。
ビアンカは周囲の気配に神経を払いながら歩みをすすめる。通信でエルバたちに連絡を取る気配はない。
「ここはあの〝神の雷〟の活動エリアだもんな。無線通信はさすがにやばいよね」
ここは闇社会の様々な勢力が日々しのぎを削る街であり、その中でも安全が担保されない剣呑なエリアであった。だれがひそんでいるかわからない場所では、無線通信もネットも確実性を優先するのがセオリーだ。
「プリシラが力を使えばすぐに分かるし、あいつら自体が何より目立つし――」
立ち並ぶ倉庫ビルの壁越しにその向こう側の気配を探る。場所は倉庫街の外れから、激戦区にほど近い場所に来ている。そして耳をそっとそばだてれば、今まさに壁の向こうで誰かが闘いを始めようとしている。
ビアンカは自らの聴覚の受信倍率を50%ほど増加させた。
――柳生さんよ。大田原の師匠に詫びる言葉は有るかい?――
それは若い男のハリのある声だった。力強く、そして低く響くよく通る声。それはビアンカの耳には何よりも興味をひかれる声だった。
――愚問――
それに対して返ってきたのは人間味のない冷徹にして酷薄そのもの。こちらには興味は持てそうになかった。
――そうかい――
ビアンカが興味を引かれた男がさらに言葉を吐き出す。
――俺達は法を守り市民を守る。そのために技を磨いてきた。堕ちた太刀筋しか持たねえアンタは死んで詫びるべきだ――
それは怒りであり義憤である。そして正義である。その声には魂があった。人としての心があった。何よりも邪を憎み許さない毅然とした力強さがあった。この声の正体を確かめずに通り過ぎれるほどに、消極的でもなければ生真面目でもない。
ビアンカの中の好奇心と浮気の虫が囁き始めていた。
「これはちょっと確かめたいな」
そう呟き、ペロリと舌を出す。そして自らの右手の人差指を確かめるとその指先に発生させたのは極めて小型の〝眼〟であった。そして、その人差し指を、耳をそばだてた壁へと突き立てるとそのまま、そっと壁の中へと沈み込ませていく。それはまるで指先を壁に同化させているかのようである。
ビアンカは、両の眼をつむると、指先に形成した第3の眼を使って遠隔視を試みる。その指先は魔法のようにコンクリート壁を通り抜けていく。そしてその指先がコンクリート壁を通り抜けた時、指先の第3の眼がビアンカに壁の向こうの光景を見せたのである。
そこに居たものは二人の男だった。
一人は剣士――、黒ずくめの全身装甲スーツを纏い、ヘルメットで目元以外はくまなく覆っている。その目元もハーフミラーのスクリーンで覆われていて、人としての温もりすらもなくした冷酷な双眸が酷薄な視線でじっと獲物を狙い定めていた。
「こいつは――論外ね」
そう言葉を吐くとビアンカは指先を動かした。その視線をずらすともう一人の男の姿を追う。そしてはたして――彼女はついに見つけたのだ。
「ワォ!」
半ばはしゃぎ気味に声を漏らせばその第3の視線の先に見つけたのが年代物のジーンズにダメージ柄の本革レザーのブルゾンを着込んだ若い男が居た。髪は淡いブラウンで無造作なショートヘア。まるで飢えた狼のような鋭い目つきが精悍だった。右腕は喪失しており、左腕だけを正拳に構えていた。彼女から見てカラテかカンフーのようにも見えなくもない。
その男は圧倒的に不利に見えたが、その不利を意に介している様子は微塵もない。今なお戦う意志を居られていないのだ。
「居たぁ!」
ビアンカは喜びを隠さずには居られなかった。彼女のお眼鏡に叶う狙い通りの男がそこに居たからである。
「やっぱいいわぁ! 戦う男って! あ、でも――」
ビアンカはそのブルゾン姿の男を冷静に観察する。
「ちょっと壊れかけねぇ。それに彼がベアナックルで、相手がブレードじゃ、どう見ても勝ち目ないよねぇ」
せっかく見つけたイイ男は片腕のない壊れかけ。しかもワンサイドゲームで負けるのが確定しそうな状況だった。でもだからこそビアンカには好都合だった。
「でも、これで彼を勝たせることが出来たらお近づきにはなれるよねぇ」
そうつぶやくと指先の第3の眼の視線を広範囲に走らせる。そして壁の向こうの状況をつぶさに観察した。二人の位置、進行方向、障害物、干渉してくる可能性のある存在――、それらを全て考慮に入れて思案を巡らせる。
どうすればコッソリと手を貸せるのか――
どうすればあの壊れかけの彼のプライドを傷つけずに恩を着せることが出来るのか――
「ああいう彼って下手に積極的に手を貸せばへそ曲げるんだよねぇ。大切なのは――」
ビアンカに壁から指先を引き抜く。そこには穴も残さずに壁は傷一つ付いていなかった。
「ここぞと言う時にちょっとだけ後押ししてあげること!」
プランは決まった。ならば肉食女子たる者、あとは行動有るのみだった。
「それじゃ行くわよ」
口元に笑みを浮かべながらビアンカは意識を集中させる。そして自らの体内のシステムを作動させた。
【 空間格子振動システム制御ユニット 】
【 統括制御プログラム〔C・CAT〕 】
【 完全同期4ディメンションモジュレータ 】
【 >作動開始 】
【 ≫アイドリングから 】
【 メインドライブモードへ移行 】
【 振動率100%到達:4.6秒後 】
ビアンカの身体に仕組まれた〝機能〟が稼働を開始する。ほんの僅かな沈黙の後に彼女の身体は地面下へと沈下を開始した。
【 振動率100%超過 】
【 〝体分子振動〟スタート 】
まるで地面その物を水とするが如くに彼女の身体は瞬く間に潜り込んでしまう。地面には痕跡すら傷一つすら残っていない。そこに彼女が居たと証拠は何も残っていなかった。
まさにビアンカは何処かへと潜り込んだのである。
@ @ @
センチュリーは失われた右腕の代わりに、左の拳を正眼に構えていた。
拳を固く握り込み、右半身を後方に左半身を拳とともに前に構える。
それに相対する柳生はその刀身を鞘へと一旦納刀する。
柳生の腰には特殊なベルトとホルスターが装着されている。彼が扱う超高機能切断ツール『荒神』は正統派の日本刀の形状を有しているが、使用上においても極力正統派の剣術における使用感に近づけられるように工夫がなされている。
すなわち、侍が左腰に帯に手挟むように、ベルトの左腰側に鞘を斜めにホールド可能な専用ホルスターが備えられているのだ。荒神の鞘はそこへと取り付けられており、超高機能ブレードである荒神を納めれば、使用感は古からの居合抜刀剣術家としていささかの違和感も感じられるものではなかった。
納刀の後に腰を深く下げて構えを取る。上体はやや前傾――
その全身に溜め込んだ力は、解き放つ直前の縮められたバネのごとくであり、うち放たれる弾丸のごときである。その所作にも、体捌きにも一切のムダはなく精緻そのものであり、何を斬り、何を躱し、何を討ち倒すのか? そのすべてを知り尽くしてるのが気配からも伝わってくる。
柳生のその周辺から立ち上る気配を察しながら、センチュリーはある記憶を呼び起こそうとしていた。それは師である大田原が彼に対して吐露した誰にも言い表せぬ苦悶に満ちた本心であったのである。
― ― ― ―――――――――――
それは師・大田原の私設道場での夜稽古の後、
しごきにしごかれ、一通りの稽古を終えてひとごこちついた時の事であった。
終礼し後片付けを終え、一服の休憩をと師に声をかけられた。その日は特に急ぐ用事もなく、時間もさほど遅くは無かったので、センチュリーはそれに素直に応じた。
道場の隅にてあぐらをかき、師に進められるままに緑茶の入れられた湯呑みを手にくつろげば何気ない雑談から師である大田原がこれまでにとった弟子についての話題へと変わっていた。
センチュリーは大田原の門下の弟子としては一番新しい弟子である。その兄弟子がいかなる人物だったのかを大田原は冗談を交えながら時には真面目に、時には笑いながら語って聞かせてくれたのである。
だがその語らい合いが続く中で、師・大田原は何時になく沈んだ面持ちで語りだしたのだ。
「センチュリーよ――、お前に一つだけ伝えておきたいことが有るんだ」
陰にこもった微妙な語り口に、センチュリーは訝しげに問い返した。
「なんすか? いきなり?」
その語り口をセンチュリーは素直に疑問に思った。普段はこんな語り方はしないはずだからだ。何かある――そう感じつつ、師の言葉をセンチュリーはじっと待った。
「私は剣術の研究も習得もしていてな、そもそもが古流剣術の研究から、今の武術人生がはじまっているんだ。その気になればお前にも『剣』をおしえてやれる。むしろ、ただの徒手空拳で戦うよりも有益な状況が必ず起きるだろう。剣術三倍段と言ってな、ただの拳と極められた剣術では、攻撃の届く有効範囲すら大きく異る。戦局を圧倒的に優位に展開することも可能なはずなのだ。だがそれをワシは教えていない。お前に伝えるのはただ純粋に拳だけなのだ。なぜだか分かるか?」
それは苦悩を秘めた詫びにも近い語り口だった。その苦悩の理由を問い詰めるよりも、今は師の言葉をただ純粋に静かに耳を傾けるべきだと、センチュリーは感じずには居られなかった。
「いいえ」
ただそっとそれだけ答えると、大田原は湯呑みを床において、視線を落としながら静かに語り始めたのだ。
「お前の兄弟子の中に〝柳生〟と言う男が居てな――、まぁ出自は剣術の柳生流とは何の縁もないんだが、名前に違わず若い頃から剣術家としてならした今時珍しいくらいのストイックな男だった。正義感も強く、視野も広く、警察官になるにはうってつけの男だった。
高校では剣道部、大学で知り合い私の道場に門下生として入り、柔術、空手、そして剣術と――雨が降り注いだ真夏の大地の様に、与えられた知識と技を恐ろしいくらいの速度で吸収していった。2年も過ぎる頃には私の門下でやつに叶うやつはほとんど居なくなる。ジュラルミン製のただの模造刀で、直径4センチの鋼棒を居合抜刀で切断した時は、その才能と技の凄まじさにさすがの私も驚愕せざるをえなかった。そしてこう思ったんだ――」
大田原はそこで大きく息を吸う。己の過去を解き明かすかのように。
「ワシの跡を継げるのはこの男だ――とな。だがそれは儚い夢だったんだ」
「儚い夢?」
センチュリーが問い返せば大田原ははっきりと頷いた。
「アイツは大学卒業後、警視庁を目指した。階級を順調に上げていき、警視庁機動隊に配属され、その後、SAT、そして、盤古へとキャリアを重ねていった。そして押しも押されぬ強者として盤古の内外でその才能と将来を嘱望視されるようになっていた。無論、ワシもそれを心から喜んだんだ――、だがあの事件以降やつはすっかり変わってしまった」
「変わった?」
「あぁ――」
「なにが遭ったんですか?」
センチュリーがそう問えば大田原は視線を上げるとじっとセンチュリーの眼を見据えながらこう答えた。
「犯罪者に返り討ちに会い、顔面に大怪我をした。そして両目を潰された。手の施しようがなく完全にやつは失明してしまったんだ――、だが、目が見えなくとも武術は続けられる。盲目の剣士など決して珍しくない。それに医療用の人工眼球も今では性能の良いものがいくらでも手に入る。その気になればたとえ現場の最前線は無理でも、武術家として技の研鑽を続けることは十分に可能だ。ワシはヤツに何度もその話を言って聞かせた。だが――」
大田原はそこで嘆きともため息ともつかぬ吐息を吐く。
「――やつはワシの言葉をついに受け入れることはなかった。受け入れるどころか、闇への道を自ら歩き始めた」
「闇への道?」
「あぁ」
「それは一体?」
センチュリーが問えば、大田原は僅かな沈黙の後に覚悟を決めたように言葉を発したのだ。
「違法サイボーグ手術を受けたんだ。全身くまなくな」
「え?」
師匠の語る言葉にさすがのセンチュリーも驚かずには居られなかった。戸惑い尋ね返さずには居られなかったのだ。
「そんなバカな? 警察が? しかも盤古隊員でしょう? それが違法サイボーグ? ありえない!」
「だがコレは事実だ。そして、盤古という組織の裏側で行われている〝現実〟なんだ」
「現実――」
驚きに言葉を失いつつ、センチュリーはさらに言葉を吐かずには居られなかった。
「じゃあ盤古の中で戦闘用を意識したサイボーグ部隊が密かに組織されつつ有ると言うことですか?」
「その通りだセンチュリー。わしはその部隊について密かに調べた、その結果部隊名もなんとか掌握することもできた」
驚愕がセンチュリーを襲う。だが、その後に湧いてきたのは義憤だった。
「師匠、その部隊の名は?」
「――情報戦特化小隊――」
「その名、小耳に挟んだことが有る。だが内情については幾重にも隠蔽されてるとか――」
「あぁ、わしも部隊名を突き止めるだけで精一杯だった。得体の知れぬ〝闇〟にあいつは飲まれてしまったんだ。己自身を冷酷な戦闘マシーンと化してしまう闇の力にアイツは心身ともに染まりきってしまったんだよ」
大田原は両手の指を組むと両膝の上に置く。
「わしにもっと指導力があれば、あの不幸な出来事がなければ――そう何度悔やんだか数え切れないほどだ。だがもうあいつを光の当たる世界へと連れ戻すことは不可能だろう。今や連絡を取ることすら出来なくなってしまった。あいつは、永遠に〝闇に堕ちて〟しまったんだ――」
大きく息を吸い深いため息を吐く。涙こそ流さなかったが、それは何よりも深い嘆きに他ならない。そして、続けられた言葉はセンチュリーへの依頼であった。
「センチュリーよ――」
「はい、もし柳生に会うことがあったらあいつの剣を絶ち折ってくれ。あいつが二度と闇堕ちの剣技を振るうことのないように、あいつの刀を葬ってほしいのだ。お前のその〝拳〟でな」
その言葉を耳にして、センチュリーはなぜ、師匠が自分に剣を教えないのか? その理由を察した。剣は凶器である。敵を斬り、致命傷を負わせて敵を倒すことが大前提なのだ。だが拳は違う。必殺ではなく、敵を打ち倒し制する事が第一義なのだ。
大田原はセンチュリーに敵を殺すことを必然にしたくなかったのである。
「師匠。わかりました」
センチュリーの言葉に大田原が視線を向ける。その視線を真っ向から受けてさらに言葉はつづけられる。
「俺の拳でヤツを必ず止めて見せます」
そして右の拳をぐっと握りしめて眼前に突き出す。それを見つめながら大田原はこう返したのだ。
「頼むぞ――」
師匠が語るその願いを、センチュリーは心の奥底に深く刻み込んだのである。
― ― ― ―――――――――――
センチュリーと柳生――、ふたりは向かい合い、その間には何の障害物もない。
柳生は納刀し、いつでも抜刀可能な状況にある。自ら動くことはなく飛び込んでくるセンチュリーを迎え撃つ覚悟だろう。
ならば――
「〝疾さ〟が肝の勝負だ」
――センチュリーはそこにこそ勝負の要があると悟った。
事前に力を込めておくのは三箇所――
それは左腕の前腕内の電磁シリンダー――必滅の武器であるイプシロンロッドの作動ユニットだ、その蓄電コンデンサーに急速に事前電力をチャージしていく。
さらに事前駆動させるのは両かかとの部分のダッシュホイール。センチュリー専用ブーツは両踵の部分がすでに開放されている。高速ホイールによるダッシュはいつでも可能だ。センチュリーは左腕を右肩の方へと斜め上に振り上げるとそのモーションをきっかけとして一気に飛び出した。
左足を踏み出し、敵へ向けての200m程度の道程を疾走するのだ。
単に走るのみならず、両かかとのホイールの力を付加して、常人を遥かに超える速度で加速するのだ。その際、柳生に肉薄するまでの歩数、わずかに5歩――
1歩目で左足を踏みしめ、2歩目で右足を踏みしめる、
さらに3歩目で再び左足――、柳生は納刀したままで柄に手をかけたまま微動だにしない。
左を踏みしめ、左拳を後方へと一気にひき、左の腰脇で打ち出すための構えを取る。
そして4歩目、右足で再び震脚しつつ、両かかとのダッシュホイールを、さらにトルクを付加して速度を上乗せする。センチュリーにとって格闘時の可能な限りの最高速度であった。
前方視界が速度で歪む中、眼前の僅かな領域だけが、センチュリーの破損しかけの視界の中で、柳生のそのシルエットを辛うじて捕らえていた。モノクロで物の陰影しか捕らえられていないが、それでもどこに拳を撃ち込めばいいのか十分に把握している。
――行くぞ!――
そして5歩目、センチュリーは柳生が抜刀を始める前に肉薄して正拳を打ち込むつもりであった。だが――
「速えぇ!」
――前方右側下方から抜き放たれたのは柳生が所有する超高機能電磁ブレード『荒神』である。
センチュリーの頭部を切断するのに最適のタイミングでそれは抜刀を開始したのだ。
その電磁ブレードの放つ火花を視界の片隅にかすかに捕らえつつ、センチュリーはその意味を悟らざるを得なかった。
――糞ォッ!――
歯切り知りしつつもセンチュリーはなおも左拳を振るう、敵の抜刀軌道をかいくぐろうとしつつ腰を深く落とし、さしずめ示現流の二の太刀要らずの極意のごとくに全身全霊をかけて、残された左の拳を一心に奮ったのである。
そして――
【――武術の神は今こそ勝者に微笑みかける――】
超音の風斬り音の残渣を響かせつつ電磁ブレードが放つ斬撃軌道のそのさらに下を、センチュリーの左拳はくぐり抜けたのだ。何が起こったかその全てを理解する余裕などあろうはずもない。
無心に――、ひたすらに馬鹿になり――、センチュリーの拳は弾丸のようにうち放たれたのだ。
「正拳! イプシロンロッドォォォォッ!!」
気合一閃の怒号とともに、センチュリーの左拳はその秘められた圧倒的な破壊力を開放したのである。
――ドンッ!――
電磁シリンダーが放つ数十トンの破壊力――、それはまず柳生が振るった電磁ブレードの刃峰をかすめた。猛烈な電磁火花を伴いながらブレードは根本近くで真っ二つに砕け散った。そして、正拳はそのまま前進し続け柳生の胸元を正確に捉えていた。心臓の位置からやや下、相手の重心を把握するにはまさに絶妙な位置であった。
――ズドォォォォオン!――
さらに大砲でも撃ち放たれたかのような残響を響かせてセンチュリーのその左拳は、闇に堕ちし剣の持ち主を一撃の元に吹き飛ばしたのである。
柳生は打ち据えられた拳の威力そのままに後方へと一気に吹き飛ばされた。そして数十m程を弧を描いて飛んだかと思うと一回転して地面へと突っ伏しったのである。
センチュリーは拳を撃ち終え、両の脚でしっかりと立つ。そしてあの恐るべき魔剣が断ち折られたのを視認すると気合一閃、渾身の力を込めて柳生へ向けて言い放ったのだ。
「いつまで駄々捏ねてるつもりだ! 糞ガキぃぃ!! そんなに他人に傷つけられたのが悔しいのか?! そんなに負けたのが腹立たしいのか?! それで特別なおもちゃもらって、憂さ晴らしの悪さのし放題か!? 大田原のオヤジはなぁ! そんなくっだらねぇ事をさせるためにお前に剣を教えたわけじゃねえんだよ! オヤジはなぁ! 泣いてたんだよ! お前の闇落ちを! あのオヤジがだぞ?! 解ってんのかその意味よぉ?」
あらん限りの罵声を浴びせながら、センチュリーは柳生を見つめていた。必死になりなおも立ち上がろうとしているその姿を見つめつつ最後の罵倒を叩きつけたのだ。
「そんな事も分かんねぇつうんなら! 武士らしく腹かっさばいてお前が死んじめぇ!! そんときゃ介錯くらいはしてやるよ!」
そしてその言葉を耳にして、立ち上がった柳生は、じっとセンチュリーを睨み返していた。だがその目を見てセンチュリーは一言つぶやいていた。
「駄目だこりゃ――、完全にイッちまってら」
正気ではない血走った視線。生きている限り止まらない救いなき人斬りの目つきであった。そこに人間的な情は一切残されていなかったのだ。
情報戦特化小隊での任務がそれほどまでに過酷なのか、それほどまでに世界を恨みきっていたのか、あるいは特化小隊の隊長である字田の洗脳とも言える教育の賜物なのかはわからない。だが、もはや一縷の救いすらも不可能であることはこれではっきりとわかったのである。
「まぁ、刀へし折っただけでもよしとす――」
そうつぶやいたときだ。柳生の右手が背中の側に回る。そして次に動いた時にはその右手には長さ40センチほどの刀が握られている。さらにその刀を一閃して振りませば刀身は振り出されたかのように勢い良く伸びて、剣術戦闘用としては申し分ないくらいの刀長に変化する。先の電磁ブレードには遠く及ばない無動力の刀であったが、敵を攻撃するには十分過ぎる威力を有していたのだ。
それは柳生がなおも戦闘を続行するつもりである事を示していたのである。
「やべぇ」
そう言葉を漏らすセンチュリーは、その残された力をほとんど使い切っていた。イプシロンロッドへと補充可能な電力が回復するのはまだ時間がかかる。なにより、ボディコンディションが万全ではない。あの刀をいなしつつ、再びとどめの一撃を加えるのは不可能に近かった。
かと言って無様に逃げ回るわけにもいかない。焦燥を抱えながら思案に思案を巡らせていた。
柳生は一気に駆けてくると、その刀でセンチュリーに斬りかかろうとする。
それをセンチュリーはバックステップで後方へと飛び退きながら、何度も太刀筋をギリギリでかわしていた。
剣としての格は遥かに堕ちるが、今のセンチュリーでは一太刀あびせられただけで万事休すだ。内心冷や汗をかきつつ、必死に退路を探し始めていた。だが――
「コレで終わりだ」
――冷淡な言葉が紡がれる。柳生の視界の中でセンチュリーの背後はコンクリートの壁に鳴っていたからである。人間味を放棄した幽鬼の如き冷えた視線がセンチュリーを見据えていた。事ここに至ってセンチュリーは覚悟するより他はなかった。
「さらばだ」
柳生が剣を頭上へと振り上げる。と、その時である――
「終わりじゃないんだなコレが」
陽気な声がコンクリート壁の向こうから聞こえてくる。そしてセンチュリーの着衣の襟を掴むと何者かがセンチュリーの身体を後方へと引っ張ろうとする。驚き戸惑うセンチュリーをよそに、まるで魔法のように彼の体全体を一気に、コンクリート壁の向こう側へとすり抜けさせたのである。
「ほいっと」
センチュリーの壁抜けを成功させ彼を救った者、それは――
「レスキュー成功!」
――あの気ままな壁抜け娘のビアンカである。
「危なかったね。危機一髪ってやつ?」
独特のイントネーションは有るが流暢な日本語だった。振り返り黒みがかかった褐色肌のその彼女を見つめながら、センチュリーは問いかける。その顔に驚きと戸惑いは確かに隠せなかった。
「あ? あぁ――、つうか、オマエ誰?」
「ん? アタシ? ビアンカ! よろしくね」
「よろしくねって。まぁ、救けてくれたのはありがてえけどよ」
センチュリーはあらためて周囲を見回し、警戒しつつ尋ねる。
「あの壁抜けの力――分子振動能力者か?」
「あら? よく知ってるね? あったりー!」
シルバーブロンドのドレッドヘアのビアンカは陽気に笑いながらセンチュリーの首に手を回してくる。両腕と肩が露出しているためか放たれる素肌の香りは濃厚であり、アフリカーナの血を有する人種特有の気配を漂わせながら、そのグラマラスな肉体をしきりにアピールしていた。
「アタシ、壁抜けしたり地面にもぐったり色々できるんだ。だからさっきのサムライブレードの斬り合い、ぎりぎり上手く行ったでしょ?」
「上手く行ったって――あ? あぁ? まさかおまえ!」
そこまで話が進んで、目の前の謎の娘が何をしたのか、センチュリーはようやくに気づいていた。
「柳生の野郎の太刀筋を狂わせたのオマエか!」
「えへへ! 地面の中からほんの少しだけ利き足を持ち上げたの。攻撃時のフォームが狂えば本来の威力は発揮できないだろうなと思ってさ」
「そっか――、そう言うことか」
センチュリーは思わず頭上を仰いだ。なぜ、あの時、敵の太刀筋にやられるのを覚悟した瞬間に敵の攻撃をかいくぐれたのか――、その理由がわかったのだ。
「まぁ、向こうも何があったのか気づいちゃ無いだろうしな。とりあえず礼は行っとくぜ」
センチュリーは思わず苦笑いする。おのれの拳が敵を凌駕したわけではないのだ。だが、今の満身創痍の状態で生き残れたのは間違いなく眼前の褐色肌のドレッドヘアの彼女のおかげなのだ。人懐っこい視線で見つめてくるとビアンカは問いかけてくる。
「でさ、救けてあげたんだからお願いしたいことあるんだけどさ」
「ほら来た。ヤバイことなら願い下げだぞ。これでもお硬い仕事してるんでな」
「あは! そんなんじゃないって」
困惑するセンチュリーから体を離すと、右手でセンチュリーの左手をそっと握りしめる。
「一回だけでいいからさ。アタシとデートしてくんない?」
「あ? デートって、俺と?」
「うん」
「マジ?」
「うん、本気!」
そう答えるビアンカの視線に嘘はなかった。フランクに人とのふれあいを求める順な心の持ち主の瞳にほかならない。少年犯罪課で多種多様な人間たちと触れ合ってきたセンチュリーだからこそ、彼女の瞳の意味がよく解るのだ。
センチュリーは大きく息を吸うとため息を吐きつつ答えた。
「しゃあねぇ、付き合ってやるよ。ただ言っとくけど、俺、人間じゃねーぞ?」
「分かってるよ。サイボーグでしょ?」
「ちげーよ、アンドロイドだ。まぁ、人間様と同じように飯食ったり酒のんだり出来るけどな」
「えー? アンドロイドなの? あ、でも――」
意味ありげに微笑みながらイタズラっぽくビアンカは見つめてきた。
「男の人の〝アレ〟付いてるんでしょ?」
ラテン系の情熱的な血を引いていることを匂わせる言葉だった。何を言い出すのかと呆れるより他はなかったが、事ここに至っては素直に答えるしか無い。
「一応な。精神に影響を与える臓器は一通り再現するって方針で造られたからな」
「んじゃ問題ないじゃん。あんた名前は?」
「センチュリーだ」
「オッケィ、よろしくねセンチュリー!」
そう問いかけてくるビアンカはいかにも満足げであった。積極的でやたらと人懐っこいこの褐色娘に、さしものセンチュリーも振り回されている感は否めなかった。だがのんびりしている時間がないのも確かだ。センチュリーは追手の気配を察知した。
「っと――、追ってくる! 行くぞビアンカ」
「オッケイ! アタシが案内するね。付いてきて」
そう答えるとビアンカはセンチュリーの手を引いて走り出した。センチュリーは追ってくる柳生の気配を感じながら、一路、ビアンカとともにその場から離れていったのである。

















