サイドB第1話『魔窟の洋上楼閣都市』Part26『息子よ――』
サイドB第1話『魔窟の洋上楼閣都市』Part26『息子よ――』
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――――――――――――――――――――――――――――――――――――
今、2人は向かい合っていた。
荒れ果てた洋上埋立地の最果て。人跡の地の辺縁。都市の繁栄の残渣が吹きすさぶ場所。
中央防波堤外域埋立地〝東京アバディーン〟の東の果てに近い場所。そこに彼らはいた。最悪の悪夢の覚醒を前にして、ギリギリの対話が行われようとしていたのである。
「なぜ僕があなた達の正体を見抜いたか――、まずはそこから説明しましょう」
グラウザーの語る声にウラジスノフが頷いている。戦闘部隊のリーダーである彼の意思に逆らいグラウザーに攻撃を加えるものは居なかった。ただ組織のリーダーであるウラジスノフの決定に従うだけだ。命令に服する。それが軍人の基本原則だからだ。だが彼らの従順さはそれだけが理由ではない。グラウザーは彼らの従順さの理由をなんとなく察しつつも説明を始めた。
「あなたたちが軍人系の人々である事はその高度なステルス戦闘技術や高度な武装などからもすぐにわかりました。ですがそれ以上にヒントになったのはアナタの発した〝ハポンスキ〟と言う言葉です」
グラウザーの放つ言葉にさすがのウラジスノフもシブい表情を隠さなかった。冷静さを欠いていたとは言え、素性の特定に繋がる言葉を不用意に漏らすとは流石にバツが悪い。
「勘が鋭いんだな君は」
照れ隠しも含めてウラジスノフがグラウザーを褒める。それを聞いて安易に浮かれるグラウザーではない。
「いえ、まだ未熟者ですから聞き落としがないように普段から意識を集中させているだけです」
グラウザーの謙遜をウラジスノフは素直に受け入れた。微かながら笑顔で頷き返したのがその証だ。だがそれもグラウザーが冷静に言葉を再開すれば、ウラジスノフたちも真面目に耳を傾けていた。
「極めて高度な戦闘スキルを持った元ロシア軍人の人々が居ると言う事に気づいて、僕は僕の兄である特攻装警4号のディアリオがFSBから抜き出したデータのことを思い出しました」
「FSBだと? そいつ正気か?」
ウラジスノフを始めとして静かなる男たちは誰もが驚きを隠せないでいた。
「ロシアは世界中で最もネットセキュリティ対策が高度な事で知られている。アメリカの情報局ですら手をこまねいていると言う。それに手を出すとは――、恐怖心がないのかイカれているのか」
ウラジスノフは呆れつつもため息をついた。元スペツナズと言う情報を封鎖する側に居たがためにFSBの恐ろしさは身にしみて知っているのだ。
「それは僕も同感です。ですが、結果を出すためであるなら手段は選ばないと常日頃から口にしているような人なんですよ。その兄が掴んだ3件の封印情報。ロシア国内で3件の暴走案件が国家機密レベルで情報統制を受けている。ベルトコーネ暴走の事実を封印していると言う情報を掴んでいます。あのベルトコーネがロシアの国家中枢レベルでの事実封印を食らっているとなれば、当り前に世界中で起こしている暴走案件と同じわけがありません。おそらく数百人、数千人レベルでの犠牲者が出ているはずです。そしてその犠牲者の大半はロシアの最前線の兵士達。それがベルトコーネやマリオネットたちの手により鏖殺されている。そう推測したんです。ならばベルトコーネがここまで追い詰められているこの機会に仇を討ちたいと思う人々が居たとしても不思議ではありません」
「それが我々だと?」
「はい、そう考えました。そしておそらくは――」
そしてグラウザーはわずかに言葉を区切ると、じっとウラジスノフの眼を見つめながらこう問いただしたのだ。
「あなた達は生還を期せずに目的を果たそうとしていますね? 命を捨てる覚悟で――」
そこに微笑みはなかった。理解もなかった。ただ静かな怒りがあるだけだ。そう、グラウザーはウラジスノフたちが秘めていた決断に対して強い怒りを抱いていたのである。そしてウラジスノフたちの本意を確かめるようにグラウザーは強く問いただしたのだ。
「なぜですか? なぜそんな事ができるんです? たったひとつの命をなぜそんなに無碍に扱う事ができるんですか? 教えてください! 僕には理解できない!」
それは警察用途のアンドロイドとして人々の平和と命を守ると言う使命のもと産み出され、アイデンティティを形作られたグラウザーだからこそ抱くこと出来る思いだった。ウラジスノフはじっと唇を噛むと無言のままグラウザーを見つめ返した。
沈黙が存在していた。ウラジスノフだけではない。彼の部下である静かなる男たちも沈黙を守っていた。それはグラウザーを無視する意図の沈黙ではなく、強い迷いと罪悪感を抱くがゆえの沈黙だったのである。
だがウラジスノフは言葉を発した。
「これも神の采配と言うやつか――」
指揮官として、男として、そしてかつて一人の息子の父親だった者として、目の前の一人の存在に対して伝えるべき言葉を持っていたためである。ウラジスノフは深い溜め息と共にグラウザーに対して告げる。その時のウラジスノフの表情は深い戸惑いに満ちていたのである。
「ここに居るのがお前でなければ一笑に付して排除するところだが――」
ウラジスノフは一歩進み出るとグラウザーに対して告げる。だがその時の彼の表情にグラウザーはある感情を垣間見ることになる。胸の奥から絞り出すような声はグラウザーの耳にひどくこびりついた。
「相手がお前では、そうする事はどうしてもできん。なぜだかわかるか?」
ウラジスノフからグラウザーが受け取ったもの。それは〝悲しみ〟と〝慈しみ〟である。ウラジスノフはズボンのポケットから一つの小さな蓋付きの懐中時計を取り出した。それは軍隊経験者の猛者が持ち歩くにはあまりに不自然かつ不似合いな物だった。アンティークで非効率的、現場任務で使うには不便極まりないはずだ。だがそれをウラジスノフは所有していた。ならばそれが意味する所は一つしか無かったからだ。
懐中時計のリューズボタンを押して蓋を開く、そして蓋の裏側に貼り付けてあった一枚の傷んだカラー写真をグラウザーの方へと見せる。ウラジスノフは過去を思い出すような憂いのある表情で告げた。
「これがお前を簡単に排除できない理由だ」
そこにはロシア軍人としての正装で誇らしげに胸を張り写真に映る一人の若者の姿があった。髪型こそ異なるが、顔立ちはほぼ同じ、凛として未来を見つめるような強い視線。そして髪の毛は亜麻色がかった栗色――そう、そこにはグラウザーと〝瓜二つ〟の容姿の若者が写り込んでいたのだ。そしてその写真にはこう記されていたのだ。
――Мой сын――
すなわち『我が息子』と――
その写真の意味する所をわからぬグラウザーではなかった。グラウザー自身が言い当てた事実。そして色あせた写真。それらの事実を組み合わせた時、それが形見の品である事くらい痛いほどに伝わってくる。そしてそれをもたらしたのがここに居るベルトコーネであろうと言う事も。
グラウザーが驚きつつも悲しげにそれを見つめた事に気づいて、ウラジスノフは懐中時計をしまい込む。
「ロシア国内で最初の破局的暴走の時だ。物理的に完全に追い詰められたベルトコーネが一切の人間性を排除した上での完全暴走――、中ロ国境の無人地帯を荒野に変える破壊行動に俺の息子は巻き込まれた。国境警備部隊の士官としてディンキー一味を追い詰め、あと一歩と言うところまで迫った時にヤツの通常暴走が発生した。近代兵器をことごとく排除する奴らに手を焼いたロシア軍は、周辺地域が無人の森林地帯である事を利用して局地限定の小型核砲弾をベルトコーネに向けて撃ち込んだんだ。そして、完全停止を確認しようとしたその時だ。奴は一切の感情も理念も理性も消去された状態でノーリミッターで〝悪魔の力〟を開放した――」
悪魔の力――その正体をグラウザーは知っていた。
「質量慣性制御能力ですね?」
張り詰めた表情でウラジスノフは頷く。
「そうだ。先程ここで、その片鱗を見たはずだ。あれを制限無しで暴走させた時、生身の兵隊ごときに出来ることは何もない。どんな近代装備を有していたとしてもだ。抵抗も逃亡もする暇もなく、俺の息子を含めて五千人以上が無慈悲にも犠牲となったんだ」
そして過去の忌まわしい記憶にたどり着いたウラジスノフは忌々しげに吐き捨てた。
「お前、人間が〝数メートルの肉の球体〟として突き固められた物を見たことはあるか?」
「肉の球体?」
一瞬、ウラジスノフが何を言っているのかグラウザーにはわからなかった。だがベルトコーネの能力を考慮しながら情景を思い描いた時にその肉の球体と言うものの実状をリアルに想起するに至った。瞬時にしてグラウザーの表情が蒼白になる。そんなばかなと一笑に付すことはどうしてもできなかった。
「俺の息子は〝肉の球体〟にされた。たった一枚の認識票を残してな。あれでは遺骨を拾ってやることもできん。そのあげく、軍の上層部に事件が機密扱いされた事で任務内消息不明とされて死亡証明証すら拒否された。俺の息子は今でもどこかの戦場で彷徨っていることにされているんだ。だから息子の墓の下には何も入っていない。墓碑銘もない小さな十字架が極東ロシアの野原に立てられているだけだ。だがあれでは、あれでは――」
不意にウラジスノフの声が震えだす。その手にあの古ぼけた懐中時計を握りしめたまま、嗚咽するように彼は叫んだのだ。
「あれでは、息子の魂を弔って天に送ってやることもできない!」
その叫びとともにウラジスノフの頬を一筋の涙が伝った。そしてそれはウラジスノフに従う静かなる男たちも同じであった。無言のまま拳を固める者、その顔を片手で覆う者。天を仰いで哀しみをこらえる者、いずれもがあの無人の荒野で起きた悲劇を知る者たちだったのだ。
その光景にグラウザーは問い掛けずにはいられなかった。
「まさか、みなさんも?」
そこに並んだ20以上の銃口の所有者たち。それがウラジスノフと同じ身の上である事は容易に読み取れた。そして〝彼らがこの地に居る理由〟も。
「私が〝静かなる男〟を組織するにあたってスカウトした初期メンバーはいずれもが、ベルトコーネの破局的暴走によって、身内や仲間を失った者たちばかりだ。私と同じように強い復讐の意思を持ち、そしていつか敵を討つ事を誓った者たちだ。そんな俺達にとってロシアンマフィアの組織は格好の活動の場だった。宿敵の動向を詳細に追い、奴にまつわる機密情報を入手するチャンスも得られる。自らを強化し戦力を上げるのも、来るべき時に備えての行為だ。マフィアの命令に服するのは、復讐の機会を得ることへの代償であり対価でもある。時は来た。機会は得られた。これ以上に最高のチャンスはない! 奴を完全破壊するための切り札もある! 俺たちはこの時のために月日を重ねてきたのだ! 分かるか?! その思いが! 悲願が! いいか? 一度しか言わんぞ!」
そしてウラジスノフは強い視線でグラウザーをにらみながら叫んだのだ。
「神に与えられた最初にして最後のこの機会を邪魔だてするな! 奴を破壊するのは俺達だ! 他の誰にも渡すわけにはいかんのだ!」
それはウラジスノフの切なる思いだった。
そして、それはそこに集まった21人の老いた男たちが心の奥底で共有する思いだったのだ。
一人一人が手にしていたサブマシンガンを構え直す。そして、ウラジスノフがその腰に下げていたもう一つの〝銃〟を取り出し構える。
――シュツルム・カンプピストル――
第2次世界大戦時にドイツ軍が用いていた信号拳銃で、後に弾薬を強化して対戦車用の榴弾や成形炸薬弾を打ち出せる単発式の拳銃である。骨董品とも言えるそれを右手に握りしめ単分子ワイヤーで空中に展翅されたベルトコーネへとウラジスノフは視線を向けた。
「話は終わりだ。もう時間が無い。神の雷の奴が余計な真似をしたせいでヤツの破局的暴走が何時始まるとも限らん。始まってしまえばもう誰にも止められん! 質量と重力を自在にあやつる自己修復と自己進化の化物が、エネルギーが枯渇するまでこの埋立地とこの大都市を破壊し尽くすだろう! それにここはシベリアのタイガの無人の森林地帯ではない。数多くの命が行き交う大都市だ! 惨劇はもうここで終わらせねばならんのだ!」
カンプピストルを中折させてその中へと一発の弾丸を装填する。小型の焼夷鉄甲弾頭だ。対戦車戦闘で実際に使用され実績もあげているその銃を握りしめウラジスノフはベルトコーネへと歩み出し始める。
「これで一発で終わらせる。ある弱点を突けばそれで終わりだ。息子たちの無念を晴らすためにも――、これ以上邪魔をするな!」
そしてウラジスノフの意思を理解した部下たちがグラウザーへも銃口を向けてきた。攻撃のためではない。これ以上の介入と行動の遅延を静止するためである。
「ちょっと待ってください! ウラジスノフさん!」
グラウザーが制止の声を上げる。だがそれを許す静かなる男たちではない。ステルス装備を行使した状態で銃口だけがグラウザーの頭部へ押し付けられると、老いた男の声が響いてきた。
「Он просит. Просьба не беспокоить майор」
そのロシア語をグラウザーは同時翻訳して理解する。
――お願いです。少佐を邪魔だてしないでください――
その声はかすかに震えていた。グラウザーは彼と同じロシア語で問い返す。
「Вы также были потеряны?」
――あなたも〝亡くし〟ましたか?――
静かなる問いかけに姿を隠したままの老いた兵士は答える。
「Я также один из сына был убит. Точно так же, как майор.」
――私も息子を一人、殺されました。少佐と同じように――
それが現実だった。悪意を持って暴力を行使するものが居れば、それを人命を持って抗い、命と平穏を守ろうとする者たちが居る。そして力及ばず、銃火の下に朽ち果てる者たちも居るのだ。グラウザーの脳裏に蘇ったのは、あの有明での1000mビルでの悲惨な戦いの光景だった。あの戦いで特攻装警たちは生還できたが、武装警官部隊の中には決して少なくない犠牲者が出ていた。手足を失った者、致命的な怪我を負いリタイヤせざるを得なかった者、そして殉職者――
その光景とウラジスノフたちが重なった時、グラウザーはそれ以上の抵抗の意思を見せることは到底できようもなかった。
「――――」
必死に思考を巡らせるが、そこにおいて語れる言葉は無かった。ただ沈黙をもって見守るしかできなかったのだ。
一方、ベルトコーネの側ではセンチュリーがベルトコーネの身柄を確保しようと待機していた。
【特攻装警身体機能統括管理システム 】
【>予備制御信号ライン確保 】
【>視覚系統複合光学センサーアレイ 】
【 〝マルチプルファンクションアイ〟 】
【 ≫熱サーモグラフィーモード作動 】
通常光学視覚は失われたが、残る5種の視覚はまだ使用可能だ。そして熱サーモへと切り替えると、かすかな痕跡レベルながら接近してくる人影がある事に気付いた。
「誰だ?!」
センチュリーが大声で尋ねるが返事は帰ってこない。代わりに返ってくるのは3つの銃口だった。後頭部と心臓の背面、そして頸部。いずれも重要な弱点だ。
「――動くな」
微かだが、低くくてよく通る声が聞こえてくる。その警告の声を耳にしてさすがのセンチュリーもこれ以上の抵抗はできない。まさに万事休すだ。抵抗の意思が無いことを示すためにその手にしていたデルタエリートを地面に置く。そして銃口が突きつけられたままで声が聞こえた。
「協力、感謝する」
そしてセンチュリーが悟る。グラウザーが包囲者の排除と包囲網の突破に失敗したことに。敵が何を意図しているのかは今のセンチュリーではわからない。ただ、忸怩たる思いを抱えて歯噛みするだけである。
ウラジスノフは見つめていた。意思を喪失したままで停止しているベルトコーネを。そしてここに至るまでに積み重ねてきた月日をその胸に思い起こす。
「やっと――、やっとたどり着いたぞ。鋼の悪魔」
そして右手に握りしめたカンプピストルの銃口を慎重にベルトコーネのある場所へと狙い定めていく。丁度、回し蹴りのために足を持ち上げ体を傾斜させた状態で固定されているために、攻撃対象となるポイントが絶好の位置に来ていた。それすらも今のウラジスノフに与えられた唯一にして最大の好機だったのだ。
その時、不意にウラジスノフの体内通信システムに入感がある。その通信の主をウラジスノフは知っていた。
〔ヴォロージャ〕
〔ママノーラ?〕
おのれの上司にしてゼムリ・ブラトヤの首魁。彼が忠誠を誓った人物だ。突然の通信にウラジスノフも戸惑った。だがママノーラは告げる。
〔そのままおやり。見届けてやるよ。他の組織の連中とのやり取りはアタシが引き受ける。つまらないメンツや仁義なんてくそくらえだ。なにしろ、これがアンタがマフィアに入った一番の理由だからね。それを見届けるのがボスたるアタシの役目だ〕
その声には、独断を決めたウラジスノフを責めるニュアンスは一言もなかった。どこまでも優しく、人としての情に満ち溢れていたのだ。ママノーラは自らの腹心の部下に力強く告げたのだ。
〔なに呆けてるんだい! しっかりおやり! それこそがアンタがそこに居る理由だろう?〕
そして今、ウラジスノフは確信した。自分が忠誠を誓った人物が間違いでなかったと言う事に。
さらにママノーラが〝静かなる男〟たちに告げた。
〔いいかい、ヴォロージャの〝仕事〟をきっちりと支えておやり!〕
無線回線越しにママノーラの声が響く。それに応じるように一斉に声が帰る。
〔да!(ダー)〕
20の銃口が周りを固める中で、ウラジスノフはベルトコーネに肉薄する。両手でカンプピストルを握りしめ、銃口をベルトコーネの頭部の後ろ側に位置させる。そこから頚椎と脊髄の方へと銃口を傾斜させていく。装填した弾丸がベルトコーネのある部位を狙っていたのだ。
ウラジスノフはカンプピストルの引き金に指をかけながらそっとつぶやいたのである。
「これですべてが終わる」
そしてウラジスノフは引き金にかけた人差し指に力を――
――キュィン!――
その時響き渡ったのは電磁波放電を伴った風切音。対サイボーグ用のセラミックス製フレシェット弾頭、上空からの急角度の無音狙撃。火薬による発射ではなく、高圧レールガンによる高速弾体狙撃だ。
それが思わぬ方向からウラジスノフを狙撃した。上空から強く斜めに傾斜した角度での狙撃、左の肩口から入り、背面へと抜ける射線である。
――ブッ――
そして左肺を撃ち抜かれてウラジスノフは口から血を漏らしながらその場に崩れ落ちていったのである。その異変は誰もが目の当たりにしていた。
まずはママノーラ、現場から数百メートルほど離れた位置から防弾ベンツの中から双眼鏡で眺めていた。だが腹心の部下の思いが遂げられなかった事を彼女は即座に悟った。
「狙撃? どこからだい!?」
「上空です! 二重反転ローターのステルスヘリからです!」
「くそっ! どこのどいつだ!」
吐き捨てるママノーラにイワンが答えた。
「あれは――日本のアーマーポリスです。あの下品なステルスヘリ、見覚えがある!」
「情報戦特化小隊?」
イワンとウラジミールのやり取りにママノーラはつぶやいた。
「свинья!」
スビーニャ――、ロシア語で〝豚〟を意味し、スラングとしては無作法者と無法者、愚か者を意味する侮辱の言葉だ。だが上空からの攻撃には何の対処もできない。
「ヴォロージャ――」
今は心から信頼してた男の名を呟くことしかできなかったのである。
@ @ @
そして、第2科警研のティルトローターヘリ――
新谷が叫んでいた。
「なんだ? 狙撃?」
「アレだ!」
涙路署の刑事の一人が叫んだ。闇夜の空間の中に溶け込むように微かに浮かび上がるステルスヘリ――、日本警察の者なら噂としては一度は耳にしたことのある物だ。
「二重反転ローターヘリ? 情報戦特化小隊?」
「公安の狂犬たちか! くそっ! どう言うつもりだ!」
「どうもこうもない」
苛立ちを隠さずに新谷が吐き捨てる。
「ベルトコーネを暴走させてこの埋立地を〝平らげよう〟って魂胆なんだろう。あいつらなら――」
新谷は大きく息を吸い込むと握りこぶしをヘリの機体の壁へと叩きつけた。
「あの〝黒い盤古〟ならやりかねん!」
苛立ちと怒りと義憤が機内に吹き出し始める。だがそれをパイロットの室山の声が遮ったのだ。
「新谷さん、皆さん」
その声に皆の視線が集まる。
「申し訳ないが一旦距離を取る。あの情報戦特化小隊が相手では危険すぎる! 奴らなら撃墜しておいて事実隠蔽のための偽装証拠すらばらまきかねません!」
その言葉を否定する者は居なかった。まさに命有っての物種なのだ。忸怩たる思いが広がるなか彼らを載せたティルトローターヘリは向きを変える。そしてその空域から離脱していったのである。
@ @ @
機体全体を覆う巨大なホログラム立体映像迷彩。それに守られて姿を消していた二重反転ローターヘリ。流石に巨大な機体そのものを完全に消すことは困難だが、気配を消して接近することくらいは可能だ。
そしてその機体の側面ドアが開いてそこから一つの狙撃用銃器が姿を覗かせていた。ヘリの機体側面部にアーム形状のフレームでつながれたそれは高圧レールガン仕様のセラミックス製フレシェット弾を放つ形式の物で、あの横浜でセンチュリーがベイサイド・マッドドッグを包囲したときに、武装警察部隊が繁華街上空にて用いたものだった。
通常はつや消しの白色に塗られていたが、情報戦特化小隊に配備されているものはその姿を察知されにくくするためにつや消しの黒に仕上げられていた。
形式コードは【AOT-XW021】
装備名は【サジタリウス・ハンマー】
「隊長ぉ、獲物のロシア鴨、命中ですよ」
「はっ、あれじゃ歳とりすぎてて食うとこないだろう!」
「煮込めばガラくらいは取れるかもしれねえぞぉ?」
狙撃手とパイロットが下品なジョークをかわしている。それに声をかけるのは隊長の字田だ。
「ソレは無理だロウ、あれハ骨までメタルとセラミックだからナ。煮込んでも機械油シカ浮いてコナイ」
「言いますねぇ。顎隊長!」
隊長のジョークに狙撃手が笑っている。
「それより、地上展開しタ、部隊員のバックアップをしっかりと行エ。せっかくの機会ヲ無駄にするナ」
「へいへい」
そして字田は地上部隊の6人へと通信を行う。サイボーグならではの体内回線にて無線を飛ばした。
〔こちらヨタカ、ネズミ聞こえルカ?〕
〔こちらネズミ1、受信良好、攻撃撹乱対象包囲完了。ネズミ1から6まで6方向から囲っています〕
〔よし、こちらから合図スル。それまで待機だ〕
〔ネズミ1了解〕
ヨタカとは上空待機のヘリチームだ。ネズミは地上に降りた6人の部隊員の事だ。彼らはコードネームをネズミやゴキブリやヨタカやハゲタカなど、けっして良い印象の無い生物に置き換える。彼らは自らが決して周囲から快く思われていないことを始めからわかって行動しているのだ。それだけになおさらタチが悪かった。
その時、パイロットが告げる。
「隊長、無線入感、スクランブルがかかっていますが復号可能です」
「やれ」
「了解」
パイロットはヘリ操縦を行いながら周囲の無線状況の警戒を行っていた。ヘリ操縦と無線傍受を同時に行えるハイスキルの持ち主なのだ。
〔――グラウザー! 聞こえる?!――〕
それはフィールの声だった。
「チッ、捜一のマスコット気取リノ蚊トンボが」
「撃ちますか? 隊長?」
「いやイイ、それより。香田」
「はい」
香田と呼ばれたパイロットが返答する。字田はそれに命じた。
「スクランブルを解除シタ音声を再度流セ、この空域全体にナ」
この違法ハッカーと電脳犯罪者が蠢く異界の街にて安全確保のための暗号化を解除する事がどのような結果を招くか、想像できない字田ではない。その声にパイロットの香田は答えた。
「了解、スクランブル解除して再度流します」
返答の声は淡々としてたがその時の香田の口元には笑みが浮かんでいた。そしてその二人のやり取りを狙撃手の隊員がこう揶揄したのだ。
「相変わらず、えげつないですねぇ。顎隊長」
「フッ、褒め言葉ト聞いてオコウ」
そして闇夜の中に見え隠れしている二重反転ヘリは、事態を最悪の方向へと導くべく最悪の行動を開始したのである。
@ @ @
そして、ここゴールデンセントラル200の円卓の間にても、その音声を傍受している者たちが居た。七審の1人であるサイレントデルタのファイブ――、彼の手にかかれば暗号化音声など、パズルを解くかのように筒抜けだった。
〔――グラウザー! 聞こえる?!――〕
その音声を聞き逃すファイブではない。
「おやおや、面白い来賓が来たようだ」
笑いつつのその声にペガソが問いかける。
「どうした。ファイブ」
「これをご覧ください」
そう告げて東京アバディーン全域に張り巡らせた監視カメラとドローン映像から幾つかを選び出す。高度300mまで降りてきたフィールの姿だ。彼女はステルス装備の類を持たないため、こう言う剣呑な作戦空域での行動は不利なのである。
「これは? 警視庁のアンドロイド――たしかフィールとか言いましたか?」
王老師がつぶやき、ペガソがそれに続いた。
「あぁ、居たっけな。結構人気があってマスコット扱いされてイベントとかに出てたっけ」
そう告げるペガソの声は関心が薄そうだった。
「おや、食いつきませんね。ミスターペガソ」
「当然だろ? こんなオモチャみたいなプラスティックボディの人形。どんなに性能が良くったって抱いてて気持ちよくなけれは意味ねえぜ。女はやっぱりこうじゃねえとな」
リアルヒューマノイドではないフィールの体を揶揄しつつ、ペガソはその膝に抱いていた女官の衣類をいやますっかりはだけさせて半裸にしていた。衆目があっても遠慮はない。その女官も生殺しの状態にせつなげにペガソの顔を見つめている。陥落するまであと少しだろう。
そんなペガソのいたずらを横目で見つつファイブは言う。
「たしかに、このフィールと言う機体、予算制限がかかって頭部のみがリアル化されて首から下は簡略化されてるそうですね。いかにも警察らしい判断ですが――、ですが彼女の空戦能力と情報管制能力は侮れない。このままこの街の上空を飛ばれても都合が悪い」
「ファイブ先生、何か策でも?」
「えぇ、もちろん。対策済みですよ。王老師」
そう告げてファイブはヴァーチャルコンソールを操作した。ある機体群を展開するためである。
「まぁ、見ててください。この私のサイレントデルタの力をご覧にいれて見せますよ」
【特攻装警身体機能統括管理システム 】
【 サイレントデルタ総体システム群 】
【 管制プログラムシステム 】
【 ――起動―― 】
【 】
【運用開始対象デヴァイス 】
【 >空戦機能ステルスドローン 】
【運用モード 】
【 >群体集団行動モード 】
【運用機体シリアルナンバー指定 】
【 >SD0124 より SD0223 】
【 】
【 ――ドローン群・起動―― 】
それは東京アバディーン市街区の北側に主に隠匿されていた。街の片隅やビルの影、地下通路の秘匿倉庫――様々な場所にかくされていたそれは、一斉に目を覚まして音もなく動き始める。
形状は黒い半円で、ダクテッドファン化されていて外部に露出したローターは無くいずれも同一シルエットである。ただ備えられた機能は多彩である。レーザーから実体弾狙撃装置、放電兵器機能――と多岐にわたる。
それらが姿を表し東京アバディーン上空へと一つ、また一つと上昇していく。それを市街区の上空を移す監視カメラからの映像で円卓の間の空間へと映し出している。
「ほう? 空戦ドローンですか」
「すげえな、100体は居るな」
「えぇ、我がサイレントデルタの主戦力の一つです。監視から暗殺までなんでもやってくれますよ」
誇らしげに語るファイブにペガソが告げた。
「おもしれぇ、こんどウチの極秘施設の監視用に使いてえな」
「良いですよ。必要要件を言っていただければご用意しましょう、さて――、それでは日本警察ご自慢の姫君をもてなすといたしましょう」
そしてファイブは指示する。
【 群体ドローン攻撃対象指定 】
【 >日本警察特攻装警第6号機 】
【 個体名:フィール 】
そのコマンドが指定されたとき、無意思のはずの黒いドローンたちがある種の悪意を発露させたような気がした。それはまるで一つの意志を持ったかのように一斉にフィールへと向けて動き出したのである。
「さて、楽しい楽しいダンスの始まりです。ショーが終わる頃には姫君はどんな姿になっているでしょうねぇ」
ファイブはクスクスと耳座りな笑いを浮かべながらドローンの動きをじっと見つめていた。そしてそれは一つの悲劇の幕開けだったのである。
@ @ @
グラウザーは思わず駆け出していた。周囲にステルス化された静かなる男の隊員が居たとしても、一向に意に介さない。それはただウラジスノフの身を案ずるがためである。
十数メートルほどの距離を駆け抜けウラジスノフへとたどり着く。ヘルメットはその場で地面に投げ捨てる。そして、狙撃され口から鮮血を漏らしているウラジスノフの体を急いで抱き起こした。老いて痩せ衰えたウラジスノフの体はある程度はサイボーグ化されて居るとは言えど想像以上に軽かった。
その軽さとやせ衰えた体つきにグラウザーは驚きを隠せない。これほどまでに痛めつけられた体でこの老軍人はこの極東の最果ての大地へとたどり着いたのである。それもたった一つの思いのために――
――なぜ?――
いや、疑問は不毛だ。彼が戦い抜いてきたのは事実なのだ。それは報復と言う簡素な言葉では足りないくらいに熱い思いが込められていた。父が子を思い、子が父を慕う――、それはグラウザーが警察として 闘う日々の中で幾度も見てきた光景だった。
そして警察として日々を送る中で抱いた核心があった。
――これを守るために僕はこの世に生を受けた――
そう――〝守る〟――ただソレだけのためにこの世に存在するのだ。ならば自分がなすべきことはたった一つだ。
そしてもう一つ。
グラウザーがなぜその言葉を口にしたのか彼自身もわからない。奸計をはかりウラジスノフを謀った訳ではない。姑息に相手の関心を引こうとした訳でもない。ただ無心のうちにグラウザーはその言葉を発したのだ。
今、グラウザーはウラジスノフに語りかけた。
「папа」
――それはロシア語でこう言う意味を持つ。――〝父さん〟と。
その言葉で問いかけられてウラジスノフはハッとした表情を浮かべる。
「ミ、ミハイル――?」
声を震わせながら見上げれば、彼を抱いたグラウザーがじっと見下ろしている。言葉では答えなかったがその眼はウラジスノフに同意の意志を示していた。
「俺は――、俺はお前の仇討たねばならない。あいつを――あの鋼の悪魔を――、お前を無人の荒野で命を奪ったあいつを――、俺は――、俺は――」
そして右手になお握りしめているカンプピストルを手にベルトコーネへとその銃口を向けようとしていた。だがグラウザーはそれをそっと静止する。自らの右手を伸ばしてウラジスノフの右手を止めた。
「違うよ。父さん」
その声は無謀な父親を諌めるようで、それでいて死してもなおただ1人の父親の命を案ずる優しさに満ちていた。
それはプログラムではない。
単なるAIの気まぐれでも誤作動でもない。
もしかすると――
非科学的な解釈だったとしても――
本当に、あの無人の荒野で一命を落としたミハイルがこの極東の大都会の片隅の地に、時と空間を超えて舞い降りてきたのかもしれなかった。
ウラジスノフは否定しなかった。自分を父と呼ぶ、見知らぬアンドロイドを。その言葉を怒りと苛立ちとともに拒絶することもできたはずだ。だがどうしてもそれはできなかったのだ。なぜなら――
「なぜ否定する? ミハイル?」
――息子たるミハイルの事を思わぬ事は一日たりとも無かったのだから。
グラウザー――否、ミハイルは父を諭した。
「僕は望んじゃいないよ。そんな事は。父さんが僕の死を悼んでくれるのはとてもありがたいよ。僕を死の苦しみから開放してくれる唯一の方法だから。でもね父さん――」
ミハイルは父の手から古ぼけた信号拳銃をそっと取り上げると、その手を強く、そして思いを込めて握りしめた。
「――怒りと恨みに苦しみながら堕ちていく父さんを見て嬉しいとは僕は思わないよ」
それは確信だった。グラウザーも様々な事件を目の当たりにしてきた。時には悲惨な殺人事件や死亡事故に遭遇し、残された遺族が悲しみと悔恨と恩讐に埋もれながら苦しみ続けるさまを何度も目の当たりにしてきた。そして恨むことではその苦しみからは開放されないという事も――
「父さん――。僕はね、父さんに生きていて欲しいんだ。過去だけを向いて怒りに自分を沈めるんじゃなく、未来を信じていつか来る希望を待って一歩一歩歩き続ける――、父さんにはそんな生き方をしてほしい」
「ミハイル――」
ウラジスノフは〝息子〟の語る言葉にじっとその耳を傾けていた。彼自身、心の何処かで感じていたのかもしれない。過去を恨んでも我が子はもう帰っては来ないという事実を。
そして〝ミハイル〟は父にこう告げたのである。
「だから父さん。もう戦わなくていい。その役目は今の僕が背負うべきなんだ。人々を守り、街を守り、人々の心にやすらぎをもたらす。ただそれだけのために僕はもう一度〝生〟を受けたんだ。だから父さん――」
そして、ウラジスノフから取り上げたカンプピストルを〝ミハイル〟はあらためて握りしめていた。
「〝あいつ〟とは僕が闘う。この不毛な戦いの結末は僕自身が終えるべきなんだ」
〝ミハイル〟がもたらす言葉をウラジスノフはじっと聞き入っていた。そして彼の心の中の最後の迷いをこらえきれずに口にしていた。
「できるか! そんなことできるか! 死地へと旅立ったお前を、再び戦場に立たせる訳にはいかない! あの鋼の悪魔だぞ! 命を賭さずして勝てるはずがないんだ! 死ぬべきは、命をかけるべきは! 老い先短い父たるこの俺なんだミハイル! お前が二度死ぬ必要は無いんだ!」
その鮮烈なる思いを吐き出しながら再び立ち上がろうとする。だが、そんなウラジスノフは〝ミハイル〟はそっと抱きしめたのだ。
「だからこそだよ。父さん――、生きる時間が残り少ないのなら、なおさら父さんには安らかに生きてほしいんだ。そして僕は――」
ウラジスノフを父として抱きしめる。ミハイルを演じているグラウザーにもいつしか涙が溢れていた。
「僕は父さんに生きてもらうためにこの命を得たんだ!」
そしてグラウザーは見つめていた。沈黙して動かなくなったベルトコーネを。以前なら多少の同情もできた。意志の疎通を心みたいとも思っただろう。だが、今は違う。今、この場に存在するのは尊敬に値するライバルでも、敬意を払うべき強者でもない。
世界中をさまよい、幾千幾多もの犠牲者を生み出し続け、それでもなお止まることのない最悪の悪夢そのものなのだ。そして、それを止められるのはまさに人間ではないアンドロイドたる自分なのだと、グラウザーは確信したのである。
ウラジスノフの配下が歩み寄り、ウラジスノフを受け取ろうとする。配下の彼にウラジスノフを託し、そっと離れる。そして瀕死の〝父〟に向けてこう訊ねたのだ。
「教えてくれ父さん。アイツを完全に沈黙させる方法を」
その言葉と同時にウラジスノフに投げかけられたのは何よりも強い意志を秘めた〝正義の守り手〟として闘う決意を固めた者の視線であった。それを静止できるほどの意志はもはやウラジスノフには残されていなかったのである。
今、ウラジスノフが寂しげに〝息子〟の決意を耳にしていた。そこには歴戦の軍人は居ない。ただ長い年月の末にすり減った1人の孤独な老人が佇んでいるだけである。
強い諦念をにじませながらウラジスノフは観念して言葉を返したのである。
「背骨だ――、背骨の第3頚椎から第6胸椎までを一気に破壊しろ。やつは人工脊椎の椎体ユニットを拡張することで第2制御中枢を構成している。ただ、そのうちの一部だけを破壊しても他の椎体ユニットが再生を図る。一瞬にして一気に11の椎体ユニットを破壊するんだ! そのためにはヤツの背後の後頭部を垂直方向から真下に向けて徹甲弾を放て! ただしチャンスは一度だけだ。仕損じれば自己改良機能が働き、防御能力が強化されるだろう。そうなればもはや奴を完全破壊する手段はうしなわれる! やるなら急げ。もう時間がない」
そしてウラジスノフは震える手を眼前に掲げる。軍人としての敬礼であった。そしてグラウザーも敬礼を返しながらこう告げたのだ。
「ありがとう。父さん」
その言葉を耳にしてそっと頷き返していた。そして、戦場へと立つ〝息子〟へと言葉を送ったのである。
「負けるなよ」
それは奇しくも、軍人になると父に決意を語ったミハイルにウラジスノフが送った言葉であった。敬礼の手をおろして〝グラウザー〟は告げる。
「行ってきます」
その言葉だけを残してグラウザーは地面に打ち捨てていたヘルメットを拾い上げ片手で装着する。そして空間へと展翅されている鋼の悪魔――ベルトコーネへと近寄りカンプピストルの銃口を、ウラジスノフの指定通りに構えたのだ。
これで終わる――だれもがそう思ったときである。
――プツッ――
ほんの僅かな軽い音をたてながら単分子ワイヤーは切れた。
――プッ、プッ、プツッ――
またたく間にベルトコーネを拘束していた単分子ワイヤーが断ち切られる。そしてその動かなかったはずの巨体は地面へと崩れ落ちる。
「なにっ?」
ウラジスノフがその光景に驚きの声を漏らす。そしてそのトラブルが起きた理由を即座に悟ると、体内に備えていた秘匿通信回線を用いて静かなる男たちへと一斉に告げたのだ。
〔全員に告げる! 緊急事態だ! 何者かが介入している! 俺達と同じステルス部隊だ! 俺からの命令を伝える! アイツを――グラウザーを守れ! アイツの任務を遂行させるんだ! そのための盾となれ! あそこに居るのはハポンスキのポリスロボットじゃない!〕
そしてひときわ強く、感情を込めてウラジスノフは告げたのだ。
〔あそこに居るのは俺達の息子だ! 倅だ! 誇り高き男だ! アイツの志を折らせるな! 俺達の息子の使命を完遂させろ! それがおれたち〝静かなる男〟の最後の戦いだ!〕
そして、全員から一斉に声が帰ってくる。
〔да!!(ダー)〕
強い叫びを伴ってウラジスノフの意志に従う覚悟が帰ってきていた。
そして、ウラジスノフは切れそうになる意識を必死に保ちながらグラウザーの背中に向けて声をかけたのである。
「負けるなよ――、グラウザー」

















