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メガロポリス未来警察戦機◆特攻装警グラウザー [GROUZER The Future Android Police SAGA]  作者: 美風慶伍
第2章サイドB『魔窟の洋上楼閣都市』第4部『集結編』
105/147

サイドB第1話『魔窟の洋上楼閣都市』Part24『静かなる男、後編』

極東ロシアから日本へと渡ってきた運命の男――


第2章サイドB第1話『魔窟の洋上楼閣都市』Part24


スタートです

本作品『特攻装警グラウザー』の著作権は美風慶伍にあります。著作者本人以外による転載の全てを禁じます

這部作品“特攻装警グラウザー”的版權在『美風慶伍』。我們禁止除作者本人之外的所有重印

The copyright of this work "Tokkou Soukei Growser" is in Misaze Keigo. We prohibit all reprints other than the author himself / herself

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 それは調布飛行場から離陸した無灯火の漆黒の機体のヘリであった。

 二重反転ローターの特殊静音ヘリ。ロシア製のカモフKa-226をベースとして大幅に改良されたモデルであり、特にエンジンとローターに徹底した静音化が施されていた。コレに加えて、ホログラム迷彩装置や、逆波形式電子消音システムなどを装備し、夜の闇に紛れてひっそりと飛び立ち、誰にも気づかれぬこと無く、作戦目的地域へと赴くことが可能である。

 機体名『闇烏』、武装警官部隊・盤古東京大隊所属でありながら、武装警官部隊の中央指揮権から切り離されて独立行動を許可されている特殊な2小隊にのみ与えられた機体である。

 機体開発発注者は警視庁公安部。運用しているのは武装警官部隊・盤古『情報戦特化小隊』

 警察の中にありながら、警察ではない〝無法者の巣窟〟と呼ばれたセクションである。


 その機体に搭乗していたのはパイロットを含め約8名、それに加えて他1名が同乗していた。

 全員が盤古に与えられる標準武装タイプをさらにカスタムし、ステルス機能を大幅に強化した黒いプロテクターを装備していた。所持している銃器はHKのMP7で、4.7ミリ×33弾丸を使用し、小型ながら、大型拳銃並かつサブマシンガン以上の制圧能力を持つ小型軽量小銃だ。それにサイレンサーと小型暗視スコープを装備してステルス戦用にカスタムしている。


 ヘリのパイロットシートに1名、残りが8+1名が後部キャビンに押し込まれるようにして乗機していた。そして機体の最後尾は観音開き式のハッチになっている。そこから隊員が空中投下か、ペラリング降下を行える仕様になっている。音もなく現れ、密かに潜入し、何処へともなく去っていく。その異常性は警察と言う法治組織の中でも際立っていた。

 彼らこそは盤古『情報戦特化小隊』

 法の傘から外れてあえて違法をなす事を道義とした社会にありえざる無法者の巣窟だったのである。

 そこに彼は居た。特攻装警第4号機ディアリオ、彼は機体の最後部で圧倒的不利な呉越同舟を強いられていたのである。

 

 

 @     @     @

 

 

 ディアリオは戸惑いの中に居た。盤古とは何度も轡を並べている。ともに国家と市民を守る者として何度もともに協力しあった者同士である。だがこの場に居る彼らは根本から異なる。

 会話、視線、ボディランゲージ、あらゆる者が近づこうとしない。交わろうとしない。

 あるのはただ見えざる壁である。

 彼らは情報戦特化小隊と呼ばれる。それ故にネット能力はかなり高いものがある。もし望むなら、ディアリオと極めて高度な情報連携を行うことも可能だろう。だがそれは望み薄だ。なぜならすでに三度ほど、強力な違法クラッキングを食らっているからだ。ディアリオの内部システムへの強引な割り込みを〝興味本位〟で仕掛けてきたのだ。

 1度目は侵入を電脳防壁で遮断した。

 2度目は警告として逆侵入をしかけた。

 3度目は相手への処罰として、敵システムへのプログラム破壊をしかけた。

 3度目の侵入への反撃で、約一名悲鳴を上げる者が居たが、それに対して誰も反応しなかった。『反撃されるものが悪いのだ』と言わんばかりである。

 

――なんて連中だ――


 ディアリオは嫌悪感を持て余していた。あまりに剣呑で無作法な行為の連続に辟易するばかりだ。だが今は目的地に到着するまでは耐えねばならない。そして機を見て謎のベールに包まれた情報戦特化小隊の彼らの実態を掴まねばならないのだ。ディアリオは己の体内のセキュリティレベルを最高度へと引き上げる。同じ警察の人間に対してこのような事をしなければならないのはこれが初めてのことであった。内心、溜息をつくばかりである。

 だが、その時である。

 

【 特攻装警体内通信システム        】

【 メッセージファイル送受信プログラム   】

【 >メッセージ受信            】

【 >暗号化形式:XXXXXXXX     】

【 >ファイル名及び、発信者名、ともに不明 】


 そんな彼のもとに特殊暗号化ファイルが送信されてきた。送信元は不明。世界中の様々な匿名化サーバーを経由しているためだ。だがそのファイルの暗号化形式には心当たりがある。

 

――これは、情報機動隊の暗号ファイルフォーマット?――


 微妙に暗号フォーマット形式が改変されているが原型となっているのは情報機動隊の物で間違いなかった。複合キーが不明だが、ディアリオの能力ではさしたる問題はない。

 

【 暗号化ファイル複合化作業開始      】

【 >復号キー逆推測            】

【 >推測復号キー、総当り適用スタート   】


 ディアリオの体内にある5つのサブプロセッサー、その内の一つを駆使して暗号化ファイルを解読する。そしてそれは速やかに解錠された。その暗号化文章の内容を見てディアリオは困惑せざるを得なかったのだ。

 

〔 緊急極秘通信ファイル          〕

〔 発信者:スパングル           〕


 スパングルとは黒アゲハの英名だ。公安4課課長の大戸島が好んで用いる匿名ハンドルネームである。

 

〔 Dへ                  〕

〔                     〕

〔  ベルトコーネ暴走の件について、FSB 〕

〔 から3件の極秘情報を抜き取っているが、 〕

〔 どこまで把握していた?         〕

〔  早急に返送せよ。           〕


 異様な内容だった。確かに有明事件の際にベルトコーネの暴走の過去データを得るために、ロシア情報部FSBの情報ファイルをこじ開けたが、その事だろうか? ディアリオは素直にファイルを返送する。返送先は緊急時の手順としてあらかじめ定められていた、匿名送信手順に従った。情報機動隊内部で開発された分散送信式の特殊通信手順の一つである。

 

〔 発信者:D               〕

〔 スパングルへ              〕

〔                     〕

〔  ベルトコーネの海外における暴走の事実 〕

〔 について3件の事例をハッキングした。  〕

〔  内容については暴走のトリガーとされて 〕

〔 いる条件についてで、ベルトコーネの主人 〕

〔 であるマリオネット・ディンキーが、他者 〕

〔 より攻撃や侮辱をうけたり生命的な危機に 〕

〔 陥った時に高確率で暴走する事がある。  〕

〔  この暴走事例が3件存在する事を把握し 〕

〔 ている。ただしその個々の案件内容までは 〕

〔 セキュリティ回避に対する猶予時間が切れ 〕

〔 たために詳細情報は入手できていない。  〕

〔  なお、後日の再アクセスには対策が行わ 〕

〔 れており再侵入には成功していない。   〕


 それが事実だった。FSB内で秘匿されている情報を全て入手するためには余裕が無かったのは事実である。後日あらためて探ろうとしたがセキュリティレベルが上げられていて、到達は困難であったのだ。そしてそれを発信してから30秒ほどが経った時だ。再び暗号化ファイルが届く。送信者はもちろん大戸島である。

 

〔 緊急極秘通信ファイル          〕

〔 発信者:スパングル           〕

〔 Dへ                  〕

〔                     〕

〔  本件に関して英国より極秘情報が寄せら 〕

〔 れた。ロシア情報部との極秘取引により、 〕

〔 開示されたものだ。あの有明事件にてお前 〕

〔 が探ろうとしたFSB内部情報の物とほぼ 〕

〔 同一の物だと思われる。         〕

〔  詳細内容を別添付する。        〕

〔  そちらでも確認されたし。       〕


 それは思わぬ知らせだった。

 本来なら吉報と受け取るべきなのだが、ディアリオは脳裏の何処かでそれを凶報としか取れずにいた。ディンキー本人の死亡が確認されたことで極秘情報として秘匿し続ける意味が低下した事も関係あるのだろう。アレだけのリスクを覚悟して探った重要情報があっけなくもたらされた事に拍子抜けせざるを得ない。

 だが、その内容がとてつもなく重い物であろうと言う予感はあった。あのロシアの情報部がトップシークレットを敷いた案件なのである。アンドロイドの単なる暴走案件でここまでのセキュリティが掛かるのは腑に落ちない物があったためだ。

 ディアリオは慎重に暗号化添付ファイルを開封する。

 だが、その実態に触れた時、ディアリオは驚愕させられる事となるのである。

 

――――――――――――――――――――――――――――

件名:

 ロシア情報部FSB極秘案件情報

 テロアンドロイド、個体名ベルトコーネ

 ロシア国内における『破局的暴走』についての詳細データ


概要:

 ロシア当局は個体名ベルトコーネの暴走的行動について――


 ①通常暴走と、②破局的暴走

 

――の2種類に分類していた。


 この中でも〝破局的暴走〟が開始される時の条件は2つ存在する。


 まず、ベルトコーネ自身が致命的なまでに破壊された状況にある事。致命的な状況にまで破壊されることで、短期間ではベルトコーネ自身本来の自我意識下では、自律的な行動が取れるまでに回復するのが困難、あるいは不可能である事が第1の条件となる。


 次に、第1の条件が満たされている時に『ベルトコーネの骨格内』に設けられた特殊自己成長型ナノマシンによる『第2の頭脳中枢』が起動覚醒し、成長型ナノマシンによる自己修復機能によりある程度の機能回復が見込まれる事。

 

 さらに、ベルトコーネの第2の頭脳は『自己の存在を守り存続させる事』を最終目標として、残存機能の全てを駆使して『自分以外全て』への無差別な破壊殺戮行動を開始する。

 

 なお、ベルトコーネの中で通常活動する一般的頭脳の極度の激情状態により引き起こされるのが『通常暴走』であり、この段階ではベルトコーネ自身が通常概念的なレベルで沈静化すれば自然に収束する物であり、通常の警察・軍隊での装備概念でも十分に対処が可能であると、FSB当局では判断している。

 だが致命的は破壊状況をもたらす『破局的暴走』は、ベルトコーネ本来の主頭脳を完全に除外し、自分以外の全てへの排除・破壊行動を発生させ破壊的戦闘行為をひたすら継続するための物である。そこには一切の情動的な手加減や仲間意識は存在せず、また特殊能力の使用程度についても抑止的判断は全く行われない。


 さらに、体内制御プログラムなどが外部からのクラッキングなどにより喪失していても、骨格内の特殊自己成長型ナノマシンが、即座に機能代行を可能とする制御ユニットを、自己形成可能であり、ベルトコーネが持つ固有機能である〝質量慣性制御機能〟を、一切の制限なくフルパワーで行使する事が可能である。

 

 この破局的暴走はテロ行為の最終的実行手段として、大規模破壊・大規模殺戮を目的としている。そのためロシア国内において発生した3件において、一件辺りにつき数千人規模の死傷者が発生している。これは国家の威信に影響がある事や、マリオネット・ディンキーのテロリストへの名声へと繋がりかねないため、その影響を考慮して、ロシア情報部FSBにおいて重要機密事項扱として厳重管理されている。

 

 なお、最重要事項として『破局的暴走の停止条件』であるが――

 ベルトコーネの所有者であるマリオネット・ディンキーの意思によってのみ行使可能である。ベルトコーネがその着衣に装備している『全身の拘束ベルト』をマリオネット・ディンキーの意思によって作動させることで、破局的暴走における最終的抑止としてベルトコーネの前進を完全拘束、ベルトコーネの全行動を不可能とするための物である。


 しかし――

 ディンキー本人がすでに死亡して居る現在、最終的抑止手段である『拘束ベルト』を作動させる手段が残されていない。(もしくは作動方法が解明されていない)

 このため、現時点において破局的暴走が開始された場合、これを抑止・停止する手段はほとんど存在しない物と考えるべきである。

 

 内部骨格内の第2の頭脳ユニットは、高機能ナノマシンより作動する機械式コンピュタープロセッサーによる自己推論ユニットである。一切の人間的な感情表現は存在せず、心理的コミニュケーションにより感情に訴えて暴走行動を抑止する事も不可能である。

 

 なおFSBでは、通常暴走については重要度が低いと判断されており、情報の保存も公開も一切行われていない。

――――――――――――――――――――――――――――


 ディアリオはすべての言葉を失った。


――う、嘘だろう?――


 最終的解決手段が存在しないと言う事実。そして、一度破局的暴走が始まったならば、それを平和裏に食い止めることは不可能であるということ。

 それはディアリオを驚愕させるには必要十分であった。多大な心理的ショックを与えて、動揺させるには必要十分であった。その心理的ショックを無言のまま押し殺すと、それを外面へと出さないためにある手段をとった。

 それはアンドロイドでしか行えない非常手段である。

 

【 特攻装警身体システム統合制御プログラム 】

【 >頭部表情系インタフェース       】

【  ≫緊急介入処理スタート        】

【  ≫無意識/有意識感情変化       】

【       表情系自動連動処置強制介入 】

【 〔通常感情変化、完全遮断完了〕     】


 それはある意味強引な処置だった。〝顔〟に現れる表情変化の一切をシャットアウトし、ポーカーフェイスに徹する。こうでもしなければどう言う対応をしていたか彼自身でも皆目自信がないからである。

 そして何事もないかのように静寂を守りつつ思案を巡らす。


――ナノマシン集積体による機械動作式のコンピュタープロセッサー、すなわち通常の電子的コンピュタープロセッサーとは根本的な動作概念が全く異なり、外部からのハッキング介入が極めて困難な代物だ。だがまだまだ研究途上であり、現時点ではまだ学術機関での基礎研究レベルのはずだ。だが、なぜそんな物がベルトコーネの中に?――


 そしてディアリオの思考はさらに進む。

 

――もしそれがベルトコーネの中に組み込まれているとなれば、通常的なアンドロイドとして内部動作システムへの攻撃や破壊は全く無意味だ! 骨格内に存在するという2次制御中枢を物理的に破壊する必要がある。だとすると事は一刻を争う。あの東京アバディーンではグラウザーたちとベルトコーネが鉢合わせているはずだ。そこに加えてあのエリアでは多種多様な犯罪組織や非合法集団が活動を続けている。どんな予想外の介入がベルトコーネに対して加えられているか検討もつかない。奴が行動不能回復不能となるような致死的攻撃が加えられて居ないことを祈るのみだ。それでももし破局的暴走へとつながる行為が既に行われてしまったとするならば――


 ディアリオはポーカーフェイスのまま覚悟を決めた。

 

――一刻も早く、あの洋上都市に住む者たちを避難させるしか無い――


 無言のまま待機し続けるディアリオ。そのディアリオに視線を向ける者が居る。

 闇烏の機内、パイロットに次いで2番目に前方の席に座している盤古隊員で、特別にカスタムされた標準武装タイプのプロテクターを身に着けている。

 この情報戦特化小隊の第1小隊隊長を示すエンブレムプレートがその左胸に取り付けられている。彼の名は字田あざた あぎと、2小隊合計18名存在する情報戦特化小隊を一手に束ねる男である。

 

「ディアリオ」


 音程の低い電子ノイズ混じりの声で字田は話しかけてくる。天然の声帯ではない、電子合成された人工音声だ。

 

「ナニかあったカ?」


 まるでロボットか旧時代にはやった音声合成ソフトのような声だったが、基本的な会話を行うには十分だった。その字田はヘルメットを外して襟元を開放している。古傷があるためあまり圧迫したくないためだ。

 その喉にはまるで溶接で塞いだようなケロイド状の酷い傷跡がある。過去に燃焼系弾丸を食らった際に声帯を吹き飛ばされた傷跡であった。奇跡的に一命はとりとめたが肉声は完全に失ってしまった。そのためその喉の中に音声合成機能を有した人工声帯を埋め込んでいるのだ。それ以外にも顔面も傷だらけで両目をガーゴイルズタイプのサングラスで覆っている。左右の眼球もすでに人工カメラ眼化されている。爆発物処理に失敗して体の前面を大規模に失ったためである。その体はサイボーグのベースとしてもズタズタであった。

 ディアリオは字田にこう答える。


「いえ、なにも。ただ少々手癖の悪い方が居られるようで」


 感情的抑揚を押し殺した平坦な声。別にディアリオが字田に合わせたわけではないが、特別彼に迎合するつもりもなかった。感情を込める意味が無いだけである。

 

「スマンな、あとでよくキョウイクしてヲク」


 まるで感情のないロボットと会話をしているようだった。そしてディアリオが隠した内心を見通しているかのようでもある。あまり深追いして会話をしたくない相手だ。ディアリオは会話を簡単に済ませることにした。

 

「了解」


 そしてディアリオはとある情報について字田に問いかけた。


「ところで字田小隊長」

「ナンダ?」

「妻木大隊長がここ2週間ほど姿が見えませんが?」


 盤古東京大隊の大隊長にして全ての盤古を束ねる男。妻木。彼は特攻装警たちとも深い信頼関係にあった。その彼の姿が見えず連絡も取れないのだ。作戦行動は妻木の部下である小隊長クラスが代行を行っているようだが、連絡すら取れないのは異様だった。

 ただそう言った重要情報について、この字田と言う男が素直に答えるとは到底思えなかったが、聞くだけ聞いてみることにする。そして字田が口を開かずに喉の音から電子音声を響かせた。

 

「妻木ダイ隊長は出向中だ。陸上自衛隊にて特別研修を行ってイル。現ザイ、小隊長クラスが持ち回りデ代行中だ」


 字田は以外にも素直に答えてきた。驚きつつもその内容には納得するしか無い。

 

――自衛隊で特別研修? 有明事件で多大な殉職者を出したことへのペナルティか?――


 特別研修の理由はなんとなく解る気がしたが、それをよりによってなぜこのタイミングの時に行うのだろうか? 疑問は尽きぬが字田に対して交わした言葉はそれで終わりだ。字田もそれ以上は問い詰めてはこなかった。再び機内に沈黙が訪れた。あとは目的地まで待つのみである。



 @     @     @

 

 

 

 ウラジスノフ・ポロフスキー――

 極東ロシアンマフィアの二本進出勢力であるゼムリ・ブラトヤの首領のノーラ・ボグダノワの右腕となる男。

 24時間、寝室浴室以外では常に付き従い、ノーラの身辺を完璧に警護する男だ。

 すでに60を超え70に手がとどく年齢だが、全身のいたるところにサイボーグマテリアルを移植して老いによる衰えをキャンセルしている。その左目は人工の眼球カメラであり、独特の冷え切った視線をたたえていた。

 その体には歴戦の戦いの足跡が、色濃い傷跡として刻まれている。義肢化されていない胴体や頭部の皮膚にはいたるところにナイフ傷や銃創跡が残されている。元ロシア軍人であり、ロシア中央のスペツナズにも在籍した事のある、北の大地を駆け巡っていた猛者中の猛者である。

 特殊工作戦闘とステルス戦闘のエキスパート。生粋のマフィアでは無いが、ママノーラの父親とは古くからの親友であった。幼い頃の可愛らしかった時のノーラも知っている。彼女が父の跡を継ぎ次代のマフィア頭領を襲名するときにも立ち会っている。

 鉄壁の護衛役にして、極東ロシア最強のステルス戦闘私兵部隊の指揮隊長でもある。

 

 彼が率いる部隊の名は『Тихий человек(チーヒィ チラヴィエーク)』

 またの名を〝静かなる男〟と呼ぶ

 ゼムリ・ブラトヤの中に存在する戦闘部隊の中でも最上級に位置し、組織の首魁であるノーラの指示により、ウラジスノフが率いて行動するステルス戦闘特化部隊である。

 以外にも構成メンバーの平均年齢は50代を超える。いずれもがロシア軍の最前線で苛烈な戦闘経験を重ねた実戦経験者をウラジスノフが自分自身の目で見極めて集めてきた逸材ばかりであった。そしてウラジスノフ同様、身体の大半をサイボーグ化する事で老いによる衰えを拒否し、長い経験に裏打ちされた確かな戦闘スキルを発揮しうるのである。

 その老いた姿を軽んじて無残な返り討ちに会った敵対勢力は決して少なくない。その高度にして確かなステルス戦闘スキルを称して、誰が言うともなく彼らを――

 

『静かなる男』


――と呼ぶようになった。そしてそれがいつしか、ウラジスノフ直下のエキスパート部隊の部隊名となる。

 部隊名『Тихий человек(チーヒィ チラヴィエーク)』

 その彼らは、ウラジスノフを含めて21名が、グラウザーとベルトコーネたちを囲むようにしてその気配を完璧に隠していた。それはあのシェン・レイですら見落とすほどの物だったのである。

 

 

 @     @     @

 

 

 ウラジスノフはグラウザーたちのバトルが行われた地点を見下ろす倉庫ビルの頂に位置していた。ステルス機能をフルに起動させ、映像はもとより、熱反応、電磁波ノイズに至るまで完璧に秘匿してその気配を殺す。

 シェン・レイにも、特攻装警にも、その存在を気取られずに、部下を周囲に展開している。当然、通信連絡手段も傍受を想定した独特の方法である。


――微細化超音波多重化通信――


 人間の可聴周波数外の超音波において異なる周波数を多数同時に用い、暗号化のスクランブルを掛けた上で、同じ静かなる男の部隊員間のみにおいて、完璧な隠匿通信を可能にするものである。

 無論、傍受できたとしても受信・復号化に専用の機能や装備が必要であり、たとえ神の雷シェン・レイであろうとも、通信メッセージの復号化はまず不可能という代物だった。それはウラジスノフがそれまでの戦闘経験とそこから得られた知識から編み出した技術概念である。

 彼はあらゆる行動がステルス技能と気配を殺すことに特化していた。極端なまでに口数が少ないのは、それらのステルス行動がその体に完璧に染み付いている事も理由の一つだった。彼は部下に常々言っていた。

 

――頭で考えるうちは本物じゃない。無意識で安定して変わらぬ行動がとれるようになってこそ本物だ――


 静かなる男のメンバーは、熟年者高齢者が多かったが、いずれもウラジスノフの厳しい指導と訓練を受け入れた猛者たちである。彼らの連携行動はまるでひとつの精密機械であるかのように緻密であり正確だったのだ。

 

 今、ウラジスノフは見つめていた。眼下にて単分子ワイヤーにて絡め取られていたベルトコーネの無様な姿を。だがその醜態には憐憫も満足もしていない。冷徹なまでの状況判断があるのみである。

 彼はまだ動かない。動くべきタイミングではないからだ。その彼に部下から通信が入る。

 

〔メイオール〕


 メイオール、ロシア語で少佐を意味する。部隊の中でのウラジスノフの呼び名だ。

 

〔なんだ〕

〔待機続行ですか?〕

〔続行だ。まだ神の雷とヤポンスキのポリスロボットがそばに居る。ポリスロボットは一つは壊れかけだが、もう一つはフル武装だ。気取られると引き離しにくくなる。神の雷が姿を消したら包囲網を縮めろ。その後に俺から合図するから一気に畳み掛けてベルトコーネから引き離せ。ターゲットとポリスロボットの間に〝遮断線〟を構築して接近させるな〕

〔да(ダー)〕


 ウラジスノフは口を動かさずに一切の会話を行っていた。いわゆる頭脳中枢とネット回線をつなぐ電脳装備を持っているためだが、彼ら特有の超音波多重化通信のために発音中枢と聴覚中枢を通信機能と繋いでいるためでもある。普段は無口な彼だったが、作戦行動の時は雄弁だった。

 そして通信の後に眼下にて、壊れたマリオネットのようにワイヤーにて吊るされているベルトコーネを注視していた。ベルトコーネの無残な姿を見ていると過去の記憶が鮮明に蘇ってくる。それは彼が退役軍人としての安寧な暮らしを捨てて、極東ロシアンマフィアの荒事の場へと身を投じる事となったきっかけでもあるのだ。

 

――マフィアの存在を黙認はするが、協力はしない――


 それが彼がロシア軍人として己に科した誇りであったが、それを曲げてまで彼はマフィアの裏社会へと身を投じたのだ。

 

「ミハイル――」


 ウラジスノフはその脳裏へと浮かんだ者の名を小さく声に出した。無論、それに気づく者は誰も居なかった。今、ウラジスノフは過去の時間を呼び起こしつつあったのである。

 

 

 ∽――――――………‥‥‥

 

 

 ウラジスノフ・ポロフスキー――

 極東ロシア最大の港湾都市ウラジオストックに生を受け若くしてロシア軍人となった男。

 ロシア各地を転戦し一時は中央ロシアの特殊部隊スペツナズにも在籍したことがある。その後、ハイテク化の波に飲まれる軍事情勢の中にあってステルス戦闘技術のエキスパートとしてその腕を磨いていくことになる。

 激戦地を転戦し続けていた彼が大事故による怪我から第一線を退き知人の紹介で妻を娶ったのは壮年期も後半に差し掛かった頃である。そして、特殊戦闘技術の指導教官として職を得ると、故郷ウラジオストックの郊外に居を構えてやがては一子を設けることになる。

 彼とは歳の離れた息子である『ミハイル』である。

 

 口数少なく子供には厳しく接する厳格な父親だったウラジスノフだったが、それでも軍人として矜持を持って任務をこなし、人より優れた特殊スキルを持った父を、息子のミハイルは誇りに思っていた。

 多忙であり家を留守にすることが多い父だったが、筆まめであったこともあり息子には手紙を欠かさず送る古風な面があった。妻も母親として人前で夫をけなすようなことはなく、当然のように息子のミハイルは父に多大な畏敬の念を懐きながら成長していくこととなる。

 幼い頃から軍の幼年学校に入り、父の背中を追いながら士官学校の階段を登っていくことになる。そして17歳の時、ミハイルは父と将来について対話することになる。

 

 ある冬の季節、多忙な任務の間を縫っての帰郷、風雪厳しい極東ロシアの郊外の邸宅で、ウラジスノフはミハイルと対峙していた。将来の進路について話し合うためである。無論、それをウラジスノフからは求めていない。話を切り出したのはミハイルである。

 息子は父に2人だけで話し合いたいと求めてきたのである。それを拒む理由はどこにもなかった。

 暖炉の温かみの前で、2人でソファーに腰を下ろして暖炉に向かって並び合う。正面から向かい合わなかったのは無意識のうちにお互いが威圧し合うことを避けたためだろう。

 父ウラジスノフはパイプタバコを燻らせながら息子の言葉に耳を傾けていた。

 

「父さん、俺、これからの事について決めたことがあるんだ」


 それは息子がこの時のために精一杯に知恵を働かせて考えた言葉であろうということは痛いほどに分かっていた。冷やかしもせず、問い詰めもせず、ウラジスノフは落ち着いた声で問い返す。

 

「それで?」


 返答を求める声。軍人としての立ち振舞が身に染み付いているために、必要最低限の会話で要点を確実に伝える話し方をするウラジスノフ。もちろん、息子はそんな父の癖を幼いころから十分わかっていた。

 

「軍に入る。父さんと同じように士官を目指す。この国を守る力になりたいんだ」


 それはミハイルがウラジスノフと同じ、陸軍将校を目指す意志があることを意味していた。そんな息子の決意をウラジスノフは軽んじることはない。

 

「そうか」


 パイプを手に持ったまましばらく口をつむぐ。暖炉で揺れる赤い炎をウラジスノフは見つめていた。そしてウラジスノフはそっと言葉を吐く。

 

「給料は安いぞ?」

「知ってるよ」

「訓練もシゴキも厳しい。無理に酒を飲まされることなんてしょっちゅうだ。毎年、音を上げて脱走するやつが山のように居るんだ。理想だけでやっていける世界じゃない」

「うん」


 父の言葉にミハイルはそっと頷いていた。だがそれに対する言葉をミハイルは用意していた。

 

「でも、軍人を一つにまとめ、そして突き動かすのは、その〝理想〟でしょ?」


 ウラジスノフはその言葉に即座に答えられなかった。国家も、政治も、軍隊も、スタート地点にあるのは全て〝理想〟である。そしてその理想を達成すべく、数多の人々が一つに集まるのである。たとえ理想とかけ離れた答えとなったとしても理想というゴールポストがあるからこそ人は集団を形成して動くことが出来るのである。


「半端な覚悟では務まらんぞ? いつか絶対後悔することがある。違う道を選べばよかったのではないか? ――と。たとえそうなったとしても人生に帰り道はない。一度その手に銃火を握りしめたら戦場で倒れるか、老いて戦えなくなるまで動き続けるしか無い。それが軍人と言う生き物だ。お前もそうなると言うんだな?」


 戦場での過酷な任務を幾度もくぐり抜けてきた父だからこそ言える言葉だった。それは理想に対する言葉、すなわち〝現実〟である。しかし若いがゆえに現実に対する切り返し方をミハイルは心得ていた。

 

「先の事はわからないよ。退役の日まで戦えるか、どこかの戦場で骨となるか、それはなってみなければわからない。ただ、今は父さんの背中の向こうに見えた軍人と言う世界に進んでみたいんだ。たとえ何があったとしても」


 それは覚悟だった。ウラジスノフが隣のミハイルを眺めれば、彼は迷う事なくまっすぐに前を見つめていた。ウラジスノフはその視線を止める術は持ち合わせていなかった。

 

「わかった。好きにしろ。かあさんには儂から言っておく。ただ機を見て詫びの一つも言っておけ。母親にとって、息子が自分のもとを離れると言うことほど辛いことはないんだ。そしていつかお前の理想がかなった時、その晴れ姿を見せてやれ。それがお前がするべき一番の親孝行だ。いいな?」


 息子を押しとどめる術がもう無いことをウラジスノフは悟った。そして軍人としてではなく、一人の男として息子に言葉を送った。

 

「ミハイル」

「はい」

「負けるなよ」


 たった一言だがそこに全ての思いが詰まっていた。この父たる自分と同じ道を歩むというのなら、かけられる言葉はそれしかないのだ。

 

「ここで待て」


 そう告げて立ち上がる。部屋の壁際の戸棚から1つの酒瓶と2つのグラスを取り出す。そして父はそれを二つのソファーの間にある丸テーブルの上に置くとこう告げたのだ。

 

「お前に、軍の若い連中が飲む酒というのを教えてやる。こう言うのを先輩や同僚から嫌と言うほど飲まされる。世界でもロシア人の酒好きは群を抜いてるからな」


 そう告げながら、一振りのナイフを取り出すとそれで器用にコルク栓を抜く。そして濃厚なアルコール臭を撒き散らしながらウォッカをグラスへと注いだ。


「これはウォッカでも度数の高い方で60度くらい。まぁ、普通はコレより低くて40度くらいだがな」

 

 父が先にグラスを取り、ミハイルがそれに続く。

 

「乾杯」

「乾杯」


 静かに乾杯を交わすとグラスの中を喉へと流し込む。飲みなれているウラジスノフはなんともないが、流石に若いミハイルには無理な代物だった。何とか飲み干したが、大きく息を吐いている。みるみる間に顔が赤くなっていく。そんな息子の反応に父は笑顔でこうつげたのだ。

 

「ほう? 吐き出さずに飲みほしたか。少しは見どころがありそうだな」


 咳き込みながらもミハイルは父の顔を見る。そこには久しぶりに見る父の笑顔が浮かんでいたのである。

 

 

――それから月日は流れた。ウラジスノフは古傷がたたり運動機能に障害を抱えて規定よりも早く指導教官の職を辞する事となった。かたや息子のミハイルは順調に士官学校を卒業し上級士官への道を開くことに成功する。

 そして、新兵卒として各地を転戦した後に、下士官として配属されたのは奇しくもロシア軍東部方面軍のハバロフスクであった。そこで彼は中ロ国境地域の警備を管轄する部隊へと配属となったのである。

 故郷へと帰ってきた父と、故郷近くへと配属となった息子。

 以前よりもまして距離の近くなった父子は交流を深めることがより多くなった。戦えなくなった父は、日々の激務に立ち向かい続ける息子の成長を見守ることとなった。そしてミハイルがハバロフスクに配属となってから1年後にミハイルの母でもあるウラジスノフの妻が息子の晴れ姿を枕に内蔵ガンが元で急逝する。悲しむ息子に対して、父は告げた。


「人の生死は神が決めるものだ。人はその限られた時間を悔いなきように生きるしか無い。母さんはお前を立派に育て上げて天に召されたんだ」


 そしてあとには深い信頼の絆で結ばれた父子が残されたのだ。老いてなお口数の少なくなった父を息子は常に案じながら軍の任務に奔走し続けたのである。

 

 そして〝あの日〟が訪れた。

 ウラジスノフの全てを根底から変えてしまったあの日である。

 

 それは風雪吹きすさぶブリザードの吹き荒れた夜のことだった。

 風がすこし落ち着きを見せ、外を歩くのが可能になったときある知らせが舞い込んだのだ。

 深夜に家の電話がなる。不吉な予感を感じてウラジスノフは飛び起きると電話を取った。電話の相手はかつての旧友。ウラジオストックの街を故郷として、一緒に育った男、イワノフである。


「俺だ」


 電話の向こうから声がする。酒とタバコで荒れたダミ声。野太い荒くれ男の声。けっして上流階級とは言えないイントネーション。ソレもそのはずでイワノフは代々の続く生粋のロシアンマフィアであった。粗野で犯罪にも手を染めている。だが不思議とウラジスノフとは馬があった。住んでいる世界の違いを超えてイワノフとは深い友情を交わしていたのである。


「イワノフか? どうしたこんな夜更けに」


 そしてかかってきた時間とかけてきた相手に、その電話の内容について不安のようなものを感じずには居られなかった。


「いいか、よくきけラウジスノフ」

「何があった?」

「港湾地区の貨物コンテナにまぎれてあるテロリストが侵入してきた。俺の配下を含めて、複数のロシアンマフィアの実働部隊と小競り合いが起きた。今、東部方面ロシア軍の小隊が追跡している」

「テロリストだと?」

「あぁ、そうだ。ディンキー・アンカーソン。聞いたことあるか?」

「小耳に挟んだことはある。基本英国人しか狙わず、独自に開発したアンドロイドを部下とする単独犯だと言うことらしいが。しかし、単独行動のテロリストなど問題ではないだろう。ましてやロシア軍が制圧に本気になればひとたまりもない」

「普通のテロリストならな」


 旧友のもたらした言葉にウラジスノフは頭を切り替えた。


「被害程度は?」

「ロシアンマフィアの兵隊たちならすでに数十人規模で死傷者が出ている。一部民間人にも犠牲者が出てる。ウラジオストックの市街地から郊外へと逃亡した。山岳の積雪地帯に向かったが、逃亡を阻止しようとした常設警備部隊を突破してなおも逃亡中だ。おそらく中ロ国境へと逃れるつもりだろう。そうなると――」

「ミハイルの居る部隊か?」

「あぁ、おそらく鉢合わせになるだろう」


 そしてイワノフは何時になく力を込めて問いかけてきた。それはマフィアとしての忠告と言うよりは、住んでいる世界を超えて友情を結んでくれた親友への最後の忠告に等しいものだった。イワノフが語ろうとする言葉にじっと耳を傾ける。イワノフはウラジスノフを愛称で呼んだ。


「ヴォロージャ。悪いことは言わん。お前の息子を引き上げさせろ! 逃亡罪に問われたとしてもだ! 何かあればお前共々俺が匿ってやる! 急いでお前の息子を呼び戻せ! ディンキー・アンカーソンが率いるアンドロイドはそう言う代物なんだ! 軍の上層部のバカ共は現実に気づいていない! むざむざ命を捨てることになるぞ!」


 それはマフィアではなく1人の男としての必死の忠告だった。ウラジスノフはひとつだけ言葉を返した。


「なぜ、そう言える?」

「俺の息子が殺されたからだ!」 


 そしてイワノフの言葉をウラジスノフはその耳に刻むことになる。のちのちに大きな後悔となって――


「あんな、人間離れした戦いをする奴ら。どんな装備を持っていたとしても生身の連中でどうこうできる話じゃない! 制圧できるまでに途方もない被害が出る! そんな勝ち目のない戦いにのこのこと出ていく必要はない! ウラジスノフ! 悪いことは言わん! お前の息子を下がらせろ!」


 それは人として、そして子を持つ親として当然の忠告だった。だがウラジスノフはそれを受け入れられなかった。


「イワノフ、忠告感謝する。お前の言うことは理屈の上では納得の行く話だ。俺も理性の上ではそうするべきだと考えている。だが――」


 ウラジスノフは大きな迷いと苦悩を伴いながら言葉を吐いた。


「ロシア軍人としての俺の魂がその考えを拒絶するのだ。俺の息子もロシア軍人だ。俺と同じように誇りを持って戦場へと赴いたはずだ。それを曲げさせるわけにはいかんのだ。すまん、イワノフ」


 そこまでの決意を秘めているウラジスノフに対して、送れる言葉をイワノフは持ち合わせては居なかった。


「――忠告はしたぞ。ヴォロージャ」

「あぁ、感謝している」

「お前の息子の武運を神に祈る」


 そう言葉を残してイワノフからの電話は切れた。

 そして、明くる日は、自宅にてひたすら軍からの公式発表を待った。だが表向きはもとより、地元の軍関係者にすら事件の事実関係に関する情報は一切流れてこなかった。さらに翌々日の夜明けを待ってウラジスノフはとある所へと電話をかけることになる。ロシア連邦軍東部司令部。そこに勤務するかつての同僚の所だ。司令情報を一手に差配する情報査察部である。そこに勤務する旧知の人物へとコンタクトをとった。かつては士官学校や方面部隊などで轡を並べて戦ったことのある同期でショストコと言う男だった。時差を考慮しつつ電話にて連絡を取る。


「職務中すまん。ショストコ、息災だったか?」

「久しぶりだな。ウラジスノフ。どうした」


 挨拶もそこそこに本題を切り出す。


「教えて欲しい事がある。昨夜、ウラジオストックの都市部及び郊外で発生したテロ事件についてだ。犯人グループはそのままウラジオストック郊外の中ロ国境付近へと逃亡したはずだ。その事件の現在状況はどうなっている?」


 ウラジスノフの問いに、ショストコは少し思案して答えた。


「ちょっと待て」


 そしてかなり長い沈黙の後にショストコから帰ってきた言葉は無情だった。


「すまん、教えられん」

「何故だ?」

「それも言えん。悪いが俺も自分の身が可愛い。FSBに追われたくないならお前も諦めろ」


 そしてかつての同期の友は一方的に通話を切った。だがその理由をウラジスノフは解っていた。


「情報封鎖か――」


 おそらくは戦死者の死亡報告も遺体収集も無いまま事態は闇に封じられるだろう。最悪、昨夜の事件すら無かったことにされるに違いない。事、ここに至って息子ミハイルが帰ってこないであろうと言う事を心の何処かで薄々、感じていたのかもしれない。

 だがそれでも彼は待った。それから一ヶ月、息子の消息を彼は待った。だがついに何も知らされることは無かったのである。


「軍に事実隠蔽や捏造はつきものだ。そんな事は解っている。だが――」


 ウラジスノフは装備を整えた。無人の山野を踏破するためのサバイバル装備。そして軍の警戒網を突破するための装備品やセンサー装備。かつてのスペツナズでの軍経験で培ったスキルを呼び起こすようにして彼は誰にも告げぬまま、ウラジオストックから西の中ロ国境へと旅立ったのである。

 その距離、約60キロ。当然、舗装された道など無い。

 異様なまでに厳重な警戒網も張られていた。それを一つ一つ突破しながら彼は着実に目的へと近づきつつあった。そして8日目の朝、ついに彼は事態の核心となる〝グラウンド・ゼロ〟へと到達したのである。


 そこはロシアの大地に生い茂る大樹の森・タイガの森林地帯の筈であった。

 だが唐突に開けた無人の荒野に彼は驚愕させられることになる。持参した装備品の中からガイガーカウンターを取り出し辺りを調べる。すると高レベルの放射線が感知された。それが意味することは一つだ。


「規模から考えてミサイルは有りえん。もしや――、核砲弾を使ったのか?」


 〝核砲弾〟――野戦砲にて打ち出すことを目的とした核兵器内臓の砲弾だ。そんなものこの現代戦では装備することはあっても、使用することは絶対に無いはずだ。だがそれは確実に使われているのだ。

 何もない無人の荒野と化した森林地帯。核砲弾――、それが意味するところにウラジスノフは最悪の予感を抱きつつあった。

 そしてそれから二日後に、あるものを見つけた。


「これは?」


 それは人間の〝肉片〟だった。周囲を調べれば調べるほど、それはまるで人間を巨大なミートプロセッサーで砕いたように、辺り一面に散財している。そして、グラウンド・ゼロの中心に向けて数はおびただしいほどに増していく。


「ミハイル――」


 最悪の予感が湧く。


「ミハイル!」


 引きちぎられた人間の遺体が死屍累々と並んでいる。そしてそれは何か巨大な力に圧殺されたかのように押しつぶされている。さらにグラウンド・ゼロの中心地点に信じられない物を目の当たりにするのである。


「ミハイル!!」


 彼が中心地点にて見つけたもの。

 ソレは直径数メートルに及ぶ、真球の肉塊であった。物理的にありえざる代物だった。赤黒い不気味な球体。そしてウラジスノフはそこにある物を見つけるのである。それは銀色に光る金属片だった。それは球体と化した謎の肉塊の表面に張り付いていたのだ。


「――――」


 血に染まってグシャグシャに変形していたが、そこに記された文字はどうにか読めた。それは軍の個人識別表。いわゆるドッグタグである。


【 ――Михаил―― 】


 ミハイル――、彼の息子の名である。

 

「これか――」


 ウラジスノフはその認識票を剥がし取る。たしかにそれはかつて見たことがあった。


「これが俺の息子か」


 震える手で必死に認識票の曲がりを治そうとする。


「これが俺の息子の成れの果てか!?」


 血に染まったそれを指先で拭うと両手で握りしめる。

 

「これがアイツの信じた夢と理想の辿り着いた場所か?!」

 

 そしてそれが限界だった。膝から崩れ落ちるとうずくまる。


「う、うぉぉぉぉぉおおおおおおおっ!!!」


 凍てついた荒野の真っ只中に出現した地獄の真っ只中で、1人の老兵が慟哭の叫びを上げていた。だれもそれを救えない。だれも救済できない。

 そう――、神であっても。

 この日からウラジスノフは神を信じることを止めたのである。


 このマリオネット・ディンキーによって引き起こされた謎の殺戮事件はロシア連邦軍中枢部によって極秘条項として封印された。被害総数、死者行方不明者含めて5782。その殆どが遺体収容不可能、局地限定核砲弾が使用され、事件現場一帯は封鎖され続けた。

 ウラジスノフはそれでも事件現場周辺を調べ続けた。そこから先は親子の情と言うよりはもはや執念である。事件の核心へとつながるものをたとえかけらでもいいから手に入れたい。その一念だけであった。

 そしてその思いに神ではなく悪魔が微笑んだのかもしれない。

 奇跡的にも、惨殺された兵士たちの遺骸や残存装備品の中から、身体装着式の記録カメラとそのメモリー媒体が得られたのである。ウラジスノフはそれを隠匿すると、ウラジオストックへの帰路についた。彼が事件の真相を調べるために出発してから実に一ヶ月近くが経過していたのだ。

 そして回収されたメモリー媒体の中に、ウラジスノフは今回の事件の真実を知ることになる。


「こいつか」


 その者の名はベルトコーネ


「こいつがミハイルの命を奪ったのか」


 ディンキー・アンカーソン配下の狂える拳魔


「こいつが――、こいつこそが――」


 映像の中に映し出された真実。それは確かに一般社会に対して公開できる性質のものではなかった。残虐すぎるという事もある。軍の威信に関わるという事もある。テロリズムの成果を喧伝してしまうと言う事もある。なにより、自国内においてたとえ無人地帯だったとしても核を使用したと言う事実は決して許されるものではない。

 それは理性にかざしてみても当然と言うべきであろう。だが、一つの厳然たる事実がある。

 

「このアンドロイドが俺の息子を鏖殺したのか――」

 

 そしてウラジスノフは己の中に悪魔を宿した。

 無人の森林地帯の中で局地限定核を打ち込まれても倒れることなく、一切の慈悲なく繰り広げられた破壊と殺戮。さらには近代科学技術の範疇を超えた質量制御という非現実――

 一切の通常兵器が聞かず、最終手段として局地限定核が投入され、一時は沈黙を果たした。だがその残骸を確認すべく集まった将兵たちの前で、その機械仕掛けの悪魔は〝真の覚醒〟をすることとなる。

 そしてその残虐なる惨劇の主体となった男の姿をウラジスノフはその目に焼き付けたのである。

 

「ミハイル――」


 ウラジスノフは決意した。

 

「お前の敵は父さんがとる」


 その身を闇の社会へと投じる決意をする。

 

「その為には俺自身が悪魔となろう。たとえロシア軍人としての信念を曲げてでも」


 それは老いた孤独な魂が選んだ修羅の道であった。

 

「いつか必ず、あの鋼の悪魔を葬りさる。この俺の手で!」


 そしてウラジスノフは行動を開始した。そしてそれは果てしなく長い闘争と苦闘の日々の始まりだったのである。

 

 

 @     @     @

 


 そしてここは再び、ゴールデンセントラル200の円卓の間――

  

 ママノーラは物思いにふけっていた。ファイブがもたらす中継映像に視線を走らせつつも、心の何処かに引っかかっていたモノ――、それがわかりそうな気がする。ママノーラの意識は過去へととんでいた――

 

「そういや、兄貴が死んだあとだったね。アイツがアタシの部下になったのは」


 そしてママノーラの意識はウラジスノフとの邂逅へと向かっていたのである。

 

 

 ∽――――――………‥‥‥



 ノーラの父イワノフは生粋のロシアンマフィアである。ウラジオストックとハバロフスクを拠点として代々活動しており、中央ロシアにもつながりを持つ歴史と伝統の深いファミリーである。その父の下でノーラは1人の兄と2人の弟と3人の妹に囲まれて育った。

 無論、父が有力なマフィアの首魁であることは十分承知していた。だが、組織は兄が継承する物だと分かっていたし、彼女自身は若い頃はマフィアと言う物に深い興味を持っていなかったと言っていい。

 だが、組織を継承するはずの兄が問題だった。

 性格的に難があり人望を集められなかった。またある意味粗暴で愚鈍であり、やる事と言えば暴力と殺人と強姦と麻薬と――、どちらかと言えば組織の末端の三下がやるような事しかできない男であった。

 そんな兄を跡目としては早々に見限っていた父は次男であるノーラの弟へと、組織の次期ボスとして期待をかけるようになる。ノーラは父の労苦を察して、まだ未熟な弟を補佐する意味でマフィアの組織運営に手を出すようになる。

 もともと兄弟が多く、父の仕事柄様々人間に触れて過ごすことが多かった事もあり、ノーラの決断力と人心掌握力は群を抜いていた。それでいて父と弟を前に出して、自分は黒子に徹する事を己に課していた。ノーラの人望は順調に、弟の人望として定着しつつあったのである。

 そんなおり事件が起きる。酔った上に、さらに麻薬を使用した兄が前後不覚になった状態でノーラに暴力を振るいながら彼女を強姦したのである。一命はとりとめたノーラだったが、心と体に深い痛手を負うことになる。ノーラの一人娘はこの時孕んだ子供である。身内にまで危害を加える男を容認するほど、父イワノフは寛容では無かった。ウラジオストックの沖合に顔の潰された惨殺死体が浮かんだのはその直後である。

 ノーラは以前にもまして弟のバックアップとその育成に力を注ぐことになる。そして彼女の尽力もあり、ノーラの弟アレクセイは有能でカリスマ性のある若いマフィア首魁として人々の耳目を集めることとなる。ノーラはアレクセイの跡目継承を機会として、ファミリーから完全に身を引き、一人娘とともに2人だけの生活をするものと決めていたのだ。

 その事を父イワノフは内々のうちに了承していた。兄にレイプされたという辛い過去を持つノーラの心中を察して、全ての喧騒から離れた生活を認める腹積もりだったのである。

 

 しかし、運命は過酷な歯車を回転させる。

 

 すなわち、ディンキー・アンカーソンのウラジオストック上陸事件が発生したのである。

 事態の推移はウラジスノフの時と同様である。貨物コンテナに潜入しての密入国。そして港湾施設内での発覚と小競り合い。そもそもディンキー・アンカーソンと思しき密入国者の存在を察知したのはイワノフのファミリーの手の者であり、アレクセイの直属の部下たちであったのだ。

 だが結果は無残だった。他組織と合わせて50人以上が犠牲となった。そしてその中には、乗っていた自動車ごと破壊され命を奪われたアレクセイの姿があった。車両は破片と化し、遺体収容すら困難を極める有様だった。重要な組織後継者候補を、突如沸き起こったテロ事件によりイワノフもノーラも奪われてしまったのである。

 父は苦悩した。いかなる対策があるのか思案に思案を重ねることとなる。アレクセイの下にも男児は一人居る。だがまだ幼く跡目がとれるようになるまでには相当な時間がかかる。かと言って外から養子をとるわけにも行かない。不用意に外の血を一族に入れることは後々の禍根を残すこととなるからだ。

 アレクセイの死から約一ヶ月、父イワノフは決断した。ある男の来訪をきっかけとして。

 その男こそがウラジスノフだったのである。

 イワノフはノーラに告げた。

 

「お前がファミリーを引き継げ」


 有無を言わさぬ如何もマフィアらしい言い回しであった。だがノーラも理解していた。それしか選択肢が無いということを。もとよりマフィアの娘として生を受けた段階で普通の生活はありえない。マフィアの中で生き続けるか、完全に縁を切りひっそりと隠れ住むか、そのどちらかしかありえないのだ。娘と引き離されなかっただけでもよしとするしか無い。

 だがそんな時に父イワノフはある男を紹介しながらノーラに告げた。

 

「お前に側近をつける。かつてロシア連邦軍にて特殊部隊に所属したこともある有能な男だ。コイツを隊長として精鋭部隊を組織する。それを使って思うがままにやってみろ。そして女であるお前でもファミリーをまとめ上げることが出来ると証明してみせろ。お前なら出来るはずだ。なにしろ、アレクセイの功績は実質お前の物なのだからな」


 若く未熟な面も目立っていたアレクセイを次期当主に仕立て上げるために、幾多もの功績をあげては、それを弟アレクセイの物として喧伝していた。その事は組織の中枢に近い者ならば、暗黙の了解として少なからず知られていたのである。

 そして、イワノフはその男を紹介した。彼が誰であるのか? ノーラはかねてからよく知っていたはずなのだ。

 

「ヴォロージャ?」


 それは父イワノフの古い友人であり、ノーラ自身も幼い頃から可愛がってもらっていた人物であった。ウラジスノフ・ポロフスキー――ヴォロージャとはウラジスノフの愛称である。

 

「息災でしたか。ノーラお嬢様――。いや組織の頭目となられるのだから尊称を付けるべきですな。ならばこう呼ぶべきだ――〝ママノーラ〟と」


 生粋のロシア軍人、ステルス戦闘のエキスパート。長年の戦闘と老いにより多少の衰えはあったはずだが、今目の前に居るその男には老いは微塵も感じられなかった。そればかりか長年の戦闘行為からくる身体機能の故障すらも残っていない。ウラジスノフはサイボーグ手術も受け入れていた。たとえ残りの寿命が半分に削られたとしても、彼はサイボーグ化処置を受け入れていただろう。

 

「ママノーラか――、良い呼び方だね。気に入ったよ。それより随分とひさしぶりだね。古傷がたたって現役から退いたって聞いてたけどねぇ」

「壊れた所を修理したんだ。いまは良い技術がそろっているからな。半分以上は作り物になっちまったが、まだまだやれるよ」

「生身であることにこだわってたアンタが、身体改造を受け入れたってことは、覚悟を決めたってことだね?」

「あぁ。もう、ひとり家の中で老いを数えながら暮らすのは飽きた。これからは俺がアンタの背中を守る。銃後の事は俺に任せろ。完璧にフォローする」

「そうかい期待してるよ。ヴォロージャ」


――なぜなら、全ては失われた息子の魂に報いるためである。

 ノーラはウラジスノフに問いかける。

 

「それでアンタの率いる事になる部隊の名前は決まってるのかい?」


 ウラジスノフはノーラの問いにハッキリと頷いていた。

 

「Тихий человек(チーヒィ チラヴィエーク)」


 それは〝静かなる男〟を意味していた。まさにステルス戦特化部隊にふさわしい名前であった。

 

「いかした名前だねぇ。いいだろう、早速人材集めと訓練からやろうじゃないか。今日から50日――50日以内に部隊を実働可能な段階までに仕上げる。責任はアタシが持つ。指揮はアンタが執りな」

「да(ダー)」


 ロシア語でイエスの意思を示したときから、すでにウラジスノフの行動は始まっていたと言っていい。そして2人が面会したその当日からウラジスノフは辣腕を振るい始める。20日たらずで必要な人材を十数人ほど集め、さらに30日で基本的な訓練を終える。50日目にはイワノフの前にてその有志を見せるまでに至ったのである。

 ママノーラはウラジスノフの有能さを思い知ることになる。そしてノーラの父であるイワノフは側近たちの前にてこう宣言したのである。

 

「俺は今日限りで引退する。たった今からノーラが頭目だ。ウラジスノフをノーラの直属側近とする」


 その決定に異を唱えるものは皆無だ。即座に父の側近の全てがノーラに忠誠を誓う。そして彼らに対してウラジスノフはこう告げたのである。

 

「これからはボスのことをママノーラと呼べ。この御方が我ら『ゼムリ・ブラトヤ』の新たなる首魁となる」

「да!(ダー)」


 一斉に上がった声が部下たちの恭順の意思の証明であった。そして、ママノーラは部下たちに向けて号令を発したのである。

 

「当面の行動目標だ。日本を目指す。アジアの極東のあの島国に活動拠点を作り上げる。そしてアジア全域に向けて組織のネットワークを作り上げる。さぁ、波に乗ろうじゃないか。武闘派のマフィアの戦闘力なら、アタシらが天辺だって事を自由主義で浮かれた連中に教えてやるのさ! さぁ、やるよ! ついて来な!」


 そしてそこからママノーラはウラジスノフのバックアップを得ながら怒涛の組織拡大を繰り広げ、今日へとたどり着くこととなるのである。

 

 

 ∽――――――………‥‥‥



 ママノーラは過去への憧憬の記憶を類っていた。

 始末された兄、望まれない子であった娘、無残に殺された弟――

 そして最悪の状況下に立たされていたときに現れたウラジスノフ。

 今の彼女があるのは間違いなくウラジスノフの尽力があってこそだ。彼が自らが持てる力をすべて注ぎ込んで造り上げた精鋭部隊〝静かなる男〟――その戦闘力があってこそゼムリ・ブラトヤは生き残ってこれたのである。

 だが――


「何が引っかかってるのか――」


 ママノーラは苛立ちの中にあった。もう少しで明確になりそうな答え。だがそれがあと少しのところで見えてこない。そんな彼女に付き人の少年が問いかける。


「ママノーラ」

「なんだい?」

御髪おぐしにゴミが」

 

 そう告げて従者の1人が彼女の髪がゴミを取る。どこかでついた小さな埃だ。


「あぁ、ありがと――」


 普段からよく気がつく若い従者に礼を言おうとしたその時である。


「髪――?」


 そのつぶやきの後に彼女の前方の空間上に展開されている様々な参照映像の中の一つに視線が向く。その先に居たのは特攻装警第7号機、6体目のアンドロイド警官。そして、最も新しく現場配備された最新鋭の一体。その名をグラウザーと言う。彼の髪は亜麻色がかった茶色だ。


「なんで――」


 そしてやおら立ち上がると周囲の目線を一切気にせずにママノーラは言った。


「なんで今まで気付かなかった? こんな大切なことに」


 苛立ちと驚きとそして不安が入り混じったつぶやき。その声に声を掛けたのは王之神だ。


「どうなされた。ママノーラ」

「あぁ、ちょいと肝心なことを忘れててね。野暮用ができた席を外させてもらうよ」


 だがその問いにはそっけない声しか帰ってこない。かえってその素っ気のなさが帰って周囲の関心を集めていた。だがそれらを気にせずにやおら立ち上がり立ち去ろうとする。そこに背後から声をかけたのはファイブである。


「お待ちください。ママノーラ」

「なんだい、ファイブ。先を急ぐんだ。後にしとくれよ」

「そうも行きません。先程の〝鍵〟が外れました。ですがその中からあなたにとても重要な事実が確認できました。話だけでもお聞きください」

 

 ファイブのその言葉に立ち止まり背後を振り返る。


「手身近に頼むよ」

「えぇ」


 ママノーラは振り返ったが席に腰を下ろすことはなかった。その状況を察して返答も早々にファイブはさらに画像を展開する。


「FSBが英国側に公開したのはロシア領土内でのディンキー・アンカーソンの行動実績についてです。その中でも特に重要とされている3件。それらの詳細が提供されています」

「ロシアだって?」


 ファイブが語る言葉に呼び起こされる記憶がある。


「まさか、その中に〝ウラジオストック〟での一件は入ってないだろうね?」

「もちろん入っております。中央アジア国境付近穀倉地帯、ウクライナ紛争地域、そして、極東ロシア中ロ国境付近――、これら3つの地点における〝ベルトコーネ〟暴走についての詳細なデータが含まれていました」

「極東ロシア? まさか――」


 ママノーラはその脳裏に思い出したくもない最悪の記憶が封印が解かれていることを感じずには居られなかった。だがファイブにはそれを遠慮する義理はなかった。事実を事実として情報を情報として正確に伝えるだけである。


「この中でも最初に起きたのは極東ロシアのウラジオストックでの港湾地区密入国案件。散発的に遭遇戦が行われた後にディンキー一派は中ロ国交付近へ向けて逃走しました。その際にウラジオストックで活動する複数のマフィアがディンキーのマリオネットたちによって惨殺されています。ママノーラ、あなたの弟君の一件ですね」


 蒼白となりかけるママノーラにファイブはなおも畳み掛けた。


「その後、国境付近の無人森林地帯にて局地戦が展開され、激戦の末に――おっとこれはヒドい。局地戦用の小型核砲弾まで投入されている。しかし、その後に取り返しのつかない事態が発生している」


 ファイブの言葉に声をかけたのは天龍だった。誇張とも取れる表現に訝しげにしている。


「取り返しのつかない事態だと?」

「はい、ロシアFSB当局が〝破局的暴走〟と呼んでトップシークレットを敷いた案件です。やつは――、ベルトコーネは、幾つかの条件がそろうと通常の中枢頭脳をシステムから切り離します。そして骨格システムの内部に収められた〝第2の頭脳〟が起動する。そして一切の人間的感情を凍結して身の回りの物体や生物や人間を余すところなく破壊し鏖殺し続ける」


 その発言を裏付けるように、ベルトコーネが破局的暴走を起こした現場の写真画像の幾つかが映し出された。豊かな森林地帯は無人の荒野となり、穀倉地帯が一切の実りを産み出さない砂塵と化している。唯一の市街区域であるウクライナ都市部では大規模核を打ち込んだかのような瓦礫と死体の山が連綿と続いていた。そのあまりに残虐極まる光景に、天龍もママノーラも、ペガソも、もちろん王ですらも一切の言葉を失っていた。

 だがファイブは淡々と続ける。


「そして、特にこれが重要ですが――やつが持つ固有特殊機能である〝慣性質量制御システム〟を制限無しで行使し続ける」

「質量制御だと?」


 ペガソが驚きの声をだす。

 

「そんなのどうやって?」

「さすがにそこまでは解っていません。全くのブラックボックスです。ですが――、これが重要ですが、破局的暴走が発生したら停止させられるのは現時点ではヤツの主人たるディンキー・アンカーソンただ1人。それ以外に抑止する手段は確認できていません。つまりいったん暴走が始まれば、この東京アバディーン全域が、このウクライナ都市部と同様に一面が瓦礫と化しても不思議では無いということです。そしてここからがあなたに最も重要な点ですが」


 ファイブは顔を上げママノーラをじっと見つめながら告げた。


「このウラジオストック西方での破局的暴走によって発生した戦死者の中に居たのが、あなたの部下、ウラジスノフ氏の一人息子のミハイル君です」


 そしてファイブはデータを検索する。


【 ロシア連邦軍、在籍兵士データベース   】

【 検索氏名:ミハイル・ポロフスキー    】

【 検索条件:死亡、または作戦中消息不明  】

【 >該当データ確認、データ表示――……


 探ったのはロシア連邦軍に在籍した兵士全てののパーソナルデータベースだ。その膨大なデータの中から、ウラジスノフのあの一人息子のミハイルの顔写真を呼び出したのである。


「人種は、父親のウラジスノフ氏は生粋のロシア人ですが、奥方様が日露混血だったのですね。そのせいで髪が露系のよくあるブロンド系ではなく〝亜麻色がかった茶色〟をしてますね」


 そしてファイブはミハイルとグラウザーの画像を隣り合わせに並べた。それはまさに瓜二つと言うにふさわしい代物であった。露系の顔立ちに4分の1だけ日本人の顔立ちが交じることで、同じく日本人の顔立ちをベースとしてアレンジメントされたグラウザーの顔面インターフェースに酷似した顔立ちが出来上がったのだ 

 それは運命の神が招き寄せた究極の皮肉であった。

 そして天龍が告げる。

 

「なるほど、アイツの体についている〝ベルト〟はその破局的暴走ってヤツの緊急停止のためってわけだ」

「えぇ、そうです。ですがその緊急ブレーキを引く者はもはや存在しません。やつが〝破局的暴走〟を完全に引き起こしたら、もはや事態解決の手段は残されていないと見るべきでしょう」


 それは死刑宣告に等しい言葉だ。だが、この部屋に集まっているのは、この大都市の闇を掌握する巨悪のトップたちである。いかなる非常事態も乗り越えてきたからこそ、今日のポストに上り詰めて維持し続けているのである。真っ先に動いたのはもちろんママノーラである。

 

「行くよ。お前たち」

「да(ダー)」


 ママノーラに付き従う二人の側近が即座に行動を開始する。一人がドアを開け、もう一人がママノーラの背後で身辺を確かめる。そしてドアをくぐる際にママノーラは振り向かずに告げたのだ。

 

「ファイブ」

「はい」

「ありがとよ。大事な事を思い出させてくれて」


 ママノーラは人格者である。いかなる利益でも提供されたものに対しては、必ず返礼する主義である。

 

「この借りは必ず返すよ」

「いえ、わたしは得られた情報を適切に解析し提供しただけです。ママノーラも判断を誤る事のないようにお気をつけください」

「忠告、ありがとうよ」


 そして音もなく静かに扉を締めると彼らはその向こうに姿を消していった。

 その姿を尻目に即座に動き出したのは天龍である。スマートフォンを取り出すと何処かへと連絡をとる。

 

「俺だ――迎えに来い――陸路ではなく船で来い。ダストフォレストの北側にて落ち合う――よし。それでいい。それと鉄砲玉を用意しろ――そうだここで見聞きした物が重要な鍵となる」


 そしてスマートフォンを切りながら立ち上がり、そして無言のまま足早に扉を開けるとその向こうへと姿を消して行った。かたやペガソもまた行動を開始していた。右の耳に手を当てて何処かへと意識を集中させている。数秒ほどして先方へと繋がったらしい。


「¡Hola!(オーラ!)」


 スペイン語での電話での問いかけのフレーズで日本語なら『もしもし』にあたる言葉だ。

 

「ペガソだ。すぐに眼や耳の利く兵隊を街にトバせ。こう言うお祭り騒ぎならあのピエロ野郎が、絶対何処かで高みの見物を洒落込んでるはずだ。なんでもいい。どんな情報だろうがかき集めてこい!」


 そして通話を切ると右手を耳から離す。それはまるで特攻装警のフィールがするように、体内回線で何処かへと通話しているかのようである。そして必要要件を伝え終えると、次はファイブに問いかけた。

 

「ファイブのダンナ。頼みがある」

「なんでしょうか?」

「アンタの目利きであのピエロ野郎がこの街に来ていないか見てもらいてぇ。やつの性格から言って絶対にこの街のどこかに来ているはずだ」

「なるほど、所在調査ですか。いいでしょう、僕もアナタと同意見です。奴はかならず来る」

「頼むぜ、代価はしっかり払う」

「期待していますよ。ミスターペガソ」


 そして言うが早いか、ファイブは自らの周囲の空間にさらに多くの仮想ディスプレイを展開させた。彼が監視する対象は特攻装警やベルトコーネのみならず、さらにあの死の道化師へも広がったのである。

 かたや全く動じずに、状況をじっと見守っていたのが王之神である。有能な部下たちが情報収集にすでに動いているためだ。そして泰然自若として構えている王に、ペガソはこう告げる。

 

「王のダンナ、もう少しここで待たせてもらうぜ」

「はい、そうぞご自由に。よろしければ御一献いかがですかな?」

「酒盛りかい。余裕だな」

「無論です。君子たるもの危機に臨してこそ動じぬものです」

「全くだ。俺もそう思うぜ」


 軽やかに笑いながらペガソは立ち上がる。その膝に抱きかかえていた女官は、あれからずっとペガソの片手で弄ばれ続けている。全身にじっとりと汗をかき衣類も半分以上着崩れていて息も絶え絶えになっている。その彼女を姫抱きに抱えると、王老師の隣の席へと移動する。ペガソは彼女を開放することなく尚もその膝の上で弄び続ける。

 

「よほど、その女官がお気に目したようですな」

「あぁ、連れて帰りてぇくらいだがそれはやらない約束だからな」

「お帰りになるまで遊ばれるおつもりのようで。彼女もかなり切なそうだ」

「あぁ、女は乱れてこそ美しい。花も蜜を滴らせて満開に咲いている方が一番きれいだからな」


 そう語るペガソの片手は女官の胸から足元へと移っていく。それはまるで獲物を絡め取った大蛇のように執拗であり力強かった。その力強さに魅了されるかのように、膝の上の女官の顔にはもはや諦めしか浮かんでいない。


「なるほど、名言ですな」


 そんな言葉を交わしあいながら2人は女官たちが用意した老酒を盃を手にとった。そして社交辞令ながらファイブにも声をかける。

 

「時に、先生もいかがですかな?」


 王老師の問いかけにファイブは軽く頷きながらこう答えを返したのだ。

 

「お気持ちだけ受け取っておきましょう。コレでも僕、下戸ですので」


 メカニカルなルックスのファイブなりのジョークにペガソも王も笑みが漏れる。足元で起こっている危機的状況に瀕していても彼らは微塵も動じては居なかった。彼らは心得ているのだ。今は自らが動くべき状況ではないと。今宵、大局を俯瞰で眺める者と、必死に街角を駆け抜ける者とに真っ二つにわかれていたのである。

 


 @     @     @

 

 

 そしてその頃、東京アバディーンの中央街区北側付近に接近する二重反転ローターのヘリの姿があった。武装警官部隊・盤古、東京大隊所属、情報戦特化小隊所有のステルスヘリ『闇烏』である。

 それは姿を最大限に隠しながら、後部ハッチを開く。そして一人の人物をウィンチ付きのワイヤーで降下させる準備をしていたのだ。機内の隊員の一人が告げる。

 

「特攻装警ディアリオ、降下準備よし」


 その言葉は静かであり抑揚に乏しかった。もとより闇夜に紛れることに特化している彼らである。騒々しさとは全くの無縁であった。

 ワイヤーの先端は輪となっていて、そこに足をかけるスタイルになっている。そして両手でワイヤーに捕まって、ウィンチで静かに地上へと降ろされる手筈になっていた。今、そのための降下作業が開始されるところだったのである。

 

「ディアリオ、降下体勢、確認良しです」


 ディアリオ自身が装備の確認を終えて自らゴーサインを出す。それを受けて小隊の隊長である字田が独特の音声で宣言した。

 

「降下カイシ」


 無音化されたモーターユニットを持つ強力ウィンチが静かに作動を開始する。そして毎分10mの速度で慎重にディアリオの体が地上へと降ろされようとしていた。そのヘリの位置から地上まで300mの高さから慎重に降ろされつつあったのである。

 

「現在高度230……220……210」


 ディアリオが10m毎に連絡の音声を送ってくる。そして200mに差し掛かろうとしたその時である。

 

――バキィイン!――


 突如響き渡ったのはボルトが破断する音である。後部ハッチの開口部に設けられたウィンチ装備は数個のボルトで固定されていたが、あと2個ほどを残すのみであったのだ。

 ディアリオは、ワイヤーを伝って突如襲ってきた衝撃に驚愕しつつ頭上を仰いでみる。そしてそこに信じられない物を見る事となったのである。


――キリッ、キリリ――


 それは金属ワイヤーに鋭利な単分子ナイフが当てられていた音であった。地上までまだまだ200m近くの高さがある。ディアリオはその光景に恐怖に襲われる。だがその事を抗議する余裕はまったくなかった。

 

――ブツッ――


 そしてワイヤーは切れた。あとは耳障りな風切音を残しながら闇夜の街の地上へと落下していくディアリオの姿だけだ。その姿を視認しつつ情報戦特化小隊の隊員の一人が隊長に向けて告げた。

 

「えーーと、特攻装警一匹、ワイヤー降下作業失敗。ウィンチ装備固定部破断。それに伴うワイヤー断裂により特攻装警ディアリオ、地上へと落下」


 その口調は抑揚もなく淡々としていた。そして隊員は気だるげに言葉を漏らした。


「――っと、これでイイんすよね? あぎと隊長?」


 ニヤニヤと下品な笑いを浮かべながら問いかけてくる隊員に字田は言った。

 

「ソレで良い。ウィンチ装備は故障しタ。鉄くずノ機械人形に配慮ナド要らン」


 そして字田は機内を歩いて最後尾のハッチへとたどり着くと地上を眺めながらこう告げたのだ。

 

「ココまで送ッテもらッテ感謝しテもらいタいくらイダ」


 両目もカメラ、口元も動かさない電子音声――、それゆえに隊長字田は表情が全く読めなかった。無表情のまま字田は告げる。まるでロボットであるかのように――。

 

「このママ地上に激突シてスクラップに成るべキダ」


 そして背後の隊員たちを振り返りながら、右手を自らの首の前に掲げて左から右へと横に掻き切る仕草を見せた。その不気味な動作とともに字田は隊員たちに向けてこう告げたのである。

 

「全てノ犯罪者とアンドロイドに、死と破壊ヲ」


 そして隊員たちは右手に構えたサブマシンガンMP7を眼前で縦に構えて高らかに叫ぶ。それは情報戦特化小隊の全員が共有する一つの真意であった。

 

「機械どもに、死と破壊を!」


 それは一糸乱れぬ統率の取れた行動であり、彼らの意思統一の高さが伺える物であった。

 

「行くゾ。行動目標は2ツ、1つがベルトコーネの監視、及ビ、特攻装警ノ行動妨害! もう1つガこの空域に現れル警察ヘリの行動妨害ダ!」


 さらには字田もMP7をその両手で構えながら叫んだのである。

 

「ベルトコーネにハ順調に暴走してモラウ。そしてコノふざけタ島を廃墟にスル。蛆虫どもノうごめく街はこの日本に不要ダ! 行ケ!」


 その存在をさらに慎重に隠匿しつつヘリを移動させる。向かう先には高さ100mほどのビルがある。その上空に到達するとヘリ側面ハッチをあけてロープによるペラリング降下を開始する。ステルス機能をフル起動させて瞬く間に闇夜へとカメレオンの如く姿を消し去ってしまう。地上に降下したのは6名。機内にはパイロットを含めて3人が残った。隊長の字田もである。

 隊員の降下を確認し、その後にヘリを更なる場所へと慎重に移動させ始める。向かう先は――そう、第2科警研のティルトローターヘリである。

 

 今宵、悪意と絶望がひしめく街に、さらなる悪意がもたらされようとしていたのである。


次回、第2章サイドB第1話『魔窟の洋上楼閣都市』Part25


『――鏡像――』


挿絵(By みてみん)


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