サイドB第1話『魔窟の洋上楼閣都市』Part22『過去の記憶』
人にはそれぞれ消せない過去がある
サイドB第1話『魔窟の洋上楼閣都市』Part22『過去の記憶』
スタートです
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――――――――――――――――――――――――――――――――――――
それが品川駅東にある涙路署の屋上から飛び立ったのは新谷が涙辞書の捜査課に顔を出してから30分ほど経ったあとのことであった。
新谷と呉川の間で激しいやり取りが交わされる。その話題の中心は無謀な挑戦の末に右腕を粉砕されたセンチュリーについてだ。いつもは飄々淡々としている呉川だが、ことセンチュリーのことになると冷静さを失うことが有る。
「たのむぞ! 最優先で回収してくれ! 腕以外にもトラブルが有ったら大変なことになる」
「分かってる! 回収次第、応急処置を施してラボに送る! そっちは緊急修理の準備をしてくれ! 大久保にもグラウザー受け入れの準備を頼むと伝えてくれ1 頼むぞ!」
新谷が必要事項のやり取りを終えるとすぐに回線を切った。そして大きくため息を吐く。
「まったく呉川のやつ――」
新谷は左手で頭を掻きながら困惑を口にした。
「センチュリーの事になると我を忘れちまう。アイツだけ特別扱いできねーだろうが」
半ば吐き捨てるような言葉に周囲は戸惑いを隠せなかった。機体の上部で作動しているエンジンが籠もるようなエンジン音をひびかせていた。
そこは第2科警研オフィシャルのティルトローターヘリの機内であった。有明事件の時にも布平たちを研究所から有明の地へと運んできたあの機体である。米軍で開発された2ローター式のティルトローターヘリを元にした改良機体の民生版であった。小型の機体ながらミニバンクラスの自動車すら搭載可能な輸送能力の高さと、小型プロペラ機並の移動速度を買われて第2科警研で採用された経緯が有る。運用は第2科警研だが、パイロットは警視庁から出向してきた技官である。警視庁の航空隊にて長年慣らしてきたベテランであるため東京都内はもとより関東一円どこでも飛べるだけの力量を有していた。その日も、特攻装警窮地の報を受けて新谷や呉川から出動の指示が出る前に第2科警研に到着してヘリの準備を終えていたのだ。
そのティルトローターヘリの機内、所定の座席にて新谷の隣に座していた宝田が思わず尋ねた。
「あの――何かトラブルでも?」
宝田の疑問は機内の人間たちすべての疑問である。自然と視線が集まる。新谷は事情を隠すのは無理と判断したのか一言二言ことわりを入れながら話し始める。
「これは個人的な事情なんだが――」
すなわちオフレコにしろと言う無言のメッセージだ。皆が静かに頷いた。
「――センチュリーのモデルは、呉川の死んだ息子なんだよ」
「え? 息子さんがモデル?」
「あぁ、できの良い一人息子でな。俺も呉川とは付き合いが古くて家族同士で親戚みたいに頻繁に会ってた。だからアイツの息子の文也君の事は今でもよく覚えてる。だが今から20年位前にバイク事故に遭ってな」
「事故ですか?」
「あぁ、速度違反の暴走トラック弾かれて死にかけたんだ。幸い一命はとりとめたが首を折ってしまい、全身麻痺の寝たきり。リハビリを必死にこなしたが1年の闘病の末に心肺機能の低下から死んじまった。当時優秀な外科の医者だったアイツが病院をやめ、人工臓器や医療用義肢の開発に手を染めるきっかけだった」
人にはそれぞれに現在へとつながる過去が有る。宝田たちは想像を超えた事実に言葉を失うばかりだ。容易に口にできない過去を思い出しながら新谷は続けた。
「人が変わったように研究に打ち込むアイツを、おれはロボット技術者としての立場から応援することしかできなかった。あいつは息子のように体の自由の効かなくなった人々を何とか助けたいと無我夢中だったんだろう。そのうち俺が第2科警研での特攻装警開発の話を引き受けることになって、真っ先に呼び寄せたのが呉川だった。はじめは渋ったが、より優れた警察官を生み出して社会の治安を守るのも大切なことなんだと説得した。そして紆余曲折あって、奴が自分の手で生み出したのが第3号機のセンチュリーだったんだ」
「それが、その文也さんという息子さんがモデルに?」
「モデルではあるが、そうなったのは偶然なんだ。呉川はもともと医療用義肢やサイボーグマテリアルの開発が得意分野だったから、それを活かせるのは当然、アトラスのような外骨格ではなく、体の芯に骨がある内骨格タイプ。そしてアイツは自らのそれまでの研究成果を可能な限り集めて詰め込んだ。そして出来上がったのがセンチュリー。その顔面部の造形や、全体のプロポーションやボディバランス。はては人格教育に至るまで呉川が決定したんだが、その過程で無意識のうちに亡き息子さんが頭のなかでイメージとして浮かんでいたのだろう。出来上がったセンチュリーを見て、アイツ自身が呆然としていたよ」
過去をしのぶように新谷は続けた。
「でもセンチュリーが成功して任務について活躍するに至って、やっとアイツは過去を振り切った。やつを縛り付けていた息子さんの死という事実をアイツは乗り越えた。そしてセンチュリーもその事を無意識のうちに理解しているんだろう。アイツにとって父親とは紛れもなく呉川のことだ。センチュリーが呉川を〝オヤジ〟と呼ぶのは実はとても意味深なことなんだよ。だが――」
新谷は大きくため息をつく。
「それだけにセンチュリーがピンチに陥ると我を忘れる時が有る。息子を二度も失いたくないという強い思いからなんだろうが、組織の論理でそれを受け入れきれない事もしばしばだ。そのたびに呉川が複雑な思いを抱くことになる。だから俺はセンチュリーに常に言っているんだ。『必ず生きて帰れ。お前には待っている人がいるんだ』ってな。それなのにあのバカ! 無装備でベルトコーネとやりあうなんぞ無茶すぎる!」
新谷が漏らした言葉は任務と本心の間で複雑な立場にある特攻装警たちへの苛立ちであった。そして新谷の言葉は更に続いた。
「それに――ワシも今回のエリオットの一般捜査任務への同行は内心では反対だったんだ。いきなり放り込む任務の難易度が高すぎるんだ。東京アバディーンへの潜入任務だ。歌舞伎町とは訳が違う! 違法サイボーグや国際マフィアがひしめく魔窟の様な街だ。野球を始めたばかりのボールボーイに大リーグのマウンドに登らせるようなものだ。何かあってからではすまないと言うのに早速の音信不通だ。一体どう責任を取るつもりだと言うんだ! 代わりを作れと言われてもパソコンを組み立てるのとはわけが違うんだぞ! まったく!」
押し隠していた義憤といらだち押さえきれなくなり呉川は思わず吐き捨てていた。周囲もその言葉の粗さの中に隠された複雑な事情を感じずにはおられず問いかける言葉を失っていた。沈黙が支配しつつ有るその時だった。
鳴り響いたのは新谷のスマートフォンだった。背広の内側から取り出し通話相手を見る。
【 警視庁警備1課・近衛警視 】
その人物名を見て新谷の表情が変わる。苛立ちを追い払うといつもの冷静な新谷に戻り通話を始める。
「はい! 新谷です!」
新谷が呼びかければ相手の声はすぐに帰ってくる。
〔新谷所長、私です! 近衛です〕
「近衛さん。一体どう言う状況になってるんだね? 次から次へと予定外のことばかりでワシにもどうして良いかわからんぞ!」
思わず漏れてしまう苛立ちに返ってきた近衛の声は落ち着いた物だった。否、冷静である事を自分に言い聞かせているのだろう。
〔新谷所長、あなたには詫びねばならない。私の読みが甘かったのは事実です。本当に申し訳ない〕
電話の向こうから返ってきたのは謝罪の言葉だった。それは現在進行している事態が近衛の想定すら超えた代物である事を如実に示していた。新谷はそれ以上の抗議はせずに近衛に言葉の先を促した。
「近衛さん。それで現状は?」
〔最悪のニュースばかりだ。順番を追って説明しよう〕
「分かった。今、うちのティルトローターヘリの中でな、周りに第2科警研の連中や、涙路署の刑事さんたちも同行してくれている。彼らにも聞かせてやってくれ」
〔良いでしょう〕
そして新谷はスマートフォンを操作して会話内容をオープンにしてスピーカーに流す。
〔それで現状ですが、まずアトラスとエリオットと連絡が取れないのは予定された事態です。あの街から脱出しない限り連絡は取れないものとして当初から想定していました。アトラスとエリオットの基礎戦闘能力でしたら、脱出はそう難しくはないと思っています〕
「ですが、現に連絡が取れない!」
〔それは承知しています。ですので公安4課の内密な協力を得てディアリオをあの市街地に投入する事となりました〕
「ディアリオを? どうやって!」
〔有る連中に同行させます。盤古・情報戦特化小隊、あえて毒虫の群れにアイツを投入します〕
「な、なんですって?! 正気ですか!」
驚きの事実を告げる近衛に新谷は声を荒げた。だが近衛は落ち着き払ったままだ。
〔えぇ、正気です。公安の大戸島君や大石や小野川とも密に話し合って決断した事なんです。そもそもディアリオの同行を求めてきたのはあいつらの方です。何かを企んでいるのは間違いない。だがディアリオの情報戦能力は今や我々が想定した以上に成長している。それはあの有明事件を乗り越えてきた我々だからこそ言える確信です。だがそれはあの場に居なかった情報戦特化小隊の連中にはそれがわからない。大戸島くんもディアリオには公安の周辺に居る時は実力を見せるなと常に言い聞かせていたと言います。ここは裏のかき合いです。相手の裏を読みぬいた奴が勝ちです。あの毒虫連中が考える想定よりもディアリオの実力が上ならば、秘密のベールに包まれていた情報戦特化小隊の実態が掴めることにもなる。半分は賭けですが、あのディアリオならその程度の事態にも対策はすでに打っているはずです。もし順調にあの街の中へとディアリオが入り込むことができれば、アトラスとエリオットと連絡を取ることは十分に可能です。そして彼らが自力で脱出できる可能性が飛躍的に上がる! 今はあえて敵の手に乗るのが最善策だと思っています〕
新谷は苦しそうな顔で思案していたが意を決したのか頷くと近衛に答え返した。
「わかりました。近衛さんの策にのるとしましょう」
〔貴重な特攻装警たちに危険な橋を渡らせることになって本当にすまないと思っています。それより今はベルトコーネと遭遇戦を行っているセンチュリーとグラウザーたちの救出の方が重要です。情報戦特化小隊が妨害に出るとすればむしろそちらの方が危険だからです。下手をすれば現地に向かっているあなた達にも危害が及びかねない! 現状は大変に剣呑な状態だと言うことをあらためて認識していただきたい〕
近衛のその言葉はティルトローターヘリの中に響いていた。そしてそれは新谷のみならず、第2科警研の職員や、涙路署の捜査課の捜査員たちにも強い緊張を促すものだった。だがそれを敢えて励ますかのように、近衛の言葉が続いた。
〔ですが新谷さん〕
「はい?」
〔わたしはここでもう一つ、いやもう二つの切り札を切ろうと思います。その内の一つをすでに〝市ヶ谷〟から向かわせるべく準備をさせています〕
「は? 市ヶ谷ですと?」
〔えぇ〕
想定外の地名が出てきたことに新谷も驚かずには居られなかった。だがその真意はわからない。分からないが何かとてつもない手段を講じてくるような気がしてならないのだ。近衛はさらに新谷に告げた。
〔それと今からもう一つの切り札のために私自身が動きます。絶対に奴らの思い通りにはさせませんよ〕
その何よりも強い語り口に新谷も勇気づけられずには居られなかった。想像を超える事態が立て続けに襲ってくるが、ひとりひとりの力は弱くとも皆で連携して力を合わせればなんとかなる――、そう思わせてくれるような力強さが近衛の言葉にはあったのだ。
新谷が告げる。期待を込めて。
「近衛さん。ご協力よろしくお願いします」
そう新谷が言葉を発するが、不意に新谷のスマートフォンが鳴り響く。緊急の割り込み回線である。新谷は近衛の返事を待たずして告げた。
「近衛さん、割り込みが入った少しそちらと話させていただきます。あらためて後ほど」
〔わかりました。こちらでもイギリスから電話が来ているので。それではまた〕
近衛がその言葉を残して通話を切る。近衛が残したイギリスと言う言葉が新谷の脳裏に妙に引っかかった。
「イギリス?」
そして自分もスマートフォンの画面を眺めて回線を切り替えようとする。だがそこに映し出された通話相手に新谷も驚くことになる。
【 国際通話:英国、トム・リー 】
それはあの有明事件においてガドニック教授とともに窮地を乗り越え、ともに手を携えて生還を喜びあった相手だった。英国科学アカデミーの円卓の会の中でももっとも若輩であり若さに裏打ちされた行動力と好奇心に満ち溢れた人物だった。トムも情報工学の博士号を持つ優秀な人物であり、彼ほどの人物ならば国際時差の問題は最初から念頭に置いているはずだ。
――何かある。そう思わずには居られなかった。
「はい、日本の新谷です」
新谷が問いかければ、返って来たのは焦りを含んだ強い呼びかけだった。
〔ミスター新谷! 今どこにいますか!?〕
「リー博士? 今ですか? 今、東京湾上空です。これからグラウザーたちの回収のために事件現場に向かっています」
〔ではまだグラウザーたちと遭遇しては居ないんですね?〕
「はい。まだ彼らのところへは到達しておりませんが?」
妙だった。トム・リーはあのパーティーの席上でも明快な言い回しを好み、こんな遠回しな呼びかけはしない人物だった。要件をストレートに明確に問いかけてくるはずだ。その疑問を投げかける前に教授から問いかけられたのは予想を超える言葉だったのだ。
〔あなたに今から教える〝条件〟を確認してください! それが満たされたならグラウザーたちの回収は断念するんだ!〕
「なっ? 博士? 何をおっしゃってるんです? 回収の断念などできるわけ――」
トムも新谷たちがどれほどの思いを込めてアトラスからグラウザーに至るまでの道のりを歩んできたのか知らないわけではないはずだ。ガドニックから話を聞き、第2科警研で新谷たちからもエピソードを聞かせてもらった事で特攻装警への造詣を深めたはずだった。
だが、そのトムが敢えて投げかけてきた言葉を、強く押し戻せるはずが無かった。新谷の言葉を遮るようにトムがある事実を伝えてくる。トムが強引なまでの強気さで電話回線の向こうから投げてきた言葉に新谷は絶望という言葉を思い知る事となるのだ。
「なんですって?」
〔これは事実です。今まで世界中で開示されているベルトコーネ暴走の事実は、全て問題のないレベルの話だったです! 既存の概念で対応可能という意味で! だが重要なのはそこから先だ。やつには通常暴走の他に〝破局的暴走〟と言う物がある! ロシアのFSBでも国際間の情報共有を拒むほどの致命的な被害をもたらした事件! それがこの破局的暴走なんです! もしこれが始まっているなら、一刻も早く現地住民を避難させる事を最優先させなければならない! それほどの事態なんです!〕
甘かった。事実認識が甘かったのだ。
マリオネット・ディンキーと言う男が抱えた闇と復讐への執念がどれほど深く、どれほど絶望に満ちた物だったのかを。そしてあのベルトコーネとは、その執念と絶望をその生命を賭してまで詰め込んだ究極の成果だったのだ。
絶望と、無力感が、新谷の総身を襲っている。思わずスマートフォンを落としそうになる。だがそれでも最後の最後の一線で踏みとどまったのは、第2科警研と言う組織を率いる者として絶対になくしてならない矜持と責任感が有るがゆえだった。残された気力を振り絞って新谷はトムに言葉を返した。
「博士、あと少しで現着します。そこでの光景をお伝えします」
〔わかりました。総合的な判断のお手伝いをさせていただきます。ですがミスター新谷〕
「――はい」
〔絶対に危険を犯さないでください。あなたの才能と技術と知識はネットやデータベースではバックアップできないんですよ! あなたにスペアは存在しないんです! あなたが失われれば、特攻装警はその時こそ再起不能です! あなたが最後の一線だという事をわすれないでください!〕
それは科学者として自ら活動しているトムだからこそ言える言葉だった。悲しいかな機械であるアンドロイドならバックアップを元にある程度復活させる事は可能だろう。だが、人間はそうは行かない。死によって失われた叡智と才覚は、二度と取り戻すことができないのだ。
そしてそれはなによりも、マリオネット・ディンキーのテロ被害により、身近な人々を失った経験のあるトムだからこそ、強く抱く思いだったのだ。
新谷は断腸の思いでトムへと言葉を返した。
「わかりました。お教えいただいた〝条件〟次第で緊急退避します」
重く呻くような声。それが示している新谷の心情に、トムも感じたものが有る。必死に返せる言葉を返したのはたった一言であった。
〔ありがとうございます〕
それ以上は何も言えなかった。手塩にかけた特攻装警たちを失うかもしれないと言う絶望的な現実について思うなら、新谷の決断の優劣について部外者がとやかく言える物では無いのだ。そしてトムはある言葉を神谷に送ったのだ。
〔あなたに神の恩寵があるよう祈っております〕
「ありがとうございます」
それがトムと交わした言葉だった。その言葉を最後に二人同時に回線を切ったのだ。
無言となった新谷だが、トムとの会話を終えた直後に近衛からのコールが来る。おそらく向こうでもガドニック教授かカレル博士辺りから、同様の連絡があったはずだ。
スマートフォンで通話を受信すると声をかける。
「はい、新谷です」
〔近衛です、カレル博士からとんでもない事が伝えられました〕
重い声の近衛が伝えてくる。それに新谷もトムからの忠告の件について答えた。
「私もです。近衛さん」
もはや抜き差しならぬ致命的な事態へと、状況は進みつつあったのである。
@ @ @
警視庁の庁舎から一台の一般車両が走り出す。近衛が個人的に協力をとりつけている外部協力者だ。警察の現場諸活動に携わる人間であるならば、個人的なコネクションを有してそれを日々の業務に生かしている事は決して珍しくない。
ましてや捜査畑や暴対へと席を置いたことのある近衛である。犯罪捜査の最前線を切り抜けるために情報屋や内部協力者と言った様々なつながりを豊富に有しているのは疑い用のない事実である。
近衛は警察には似つかわしくないピンク色のリッターカーの後部席に乗り込むと、一路、市ヶ谷へと車両を走らせていた。後部席から運転席へと問いかける。
「渥美さん。いつもお手を煩わせて申し訳ない」
問いかける先は運転席の人物だ、だが運転席のその女性は屈託のない笑顔で答えてくる。
「そんな、いつも言ってるじゃないですか。困った時はお互い様だって。あたしらだって仁さんにはちょいちょい助けてもらってるんですから。おかげさまで堅気になってなんとかかんとかやってけるのも旦那があってのことです。危ない橋の一つや二つ、いくらでも渡りますよ」
「そう言っていただけるとありがたい。今回ばかりは時間的に余裕がない上に、身内が敵になっているもので」
その車のハンドルを握っているのは、和装姿の妙齢の女性だった。まるで深川あたりで芸者でもやっていそうな物腰の女性だった。髪の毛を結い上げた姿は和の心其の物だ。ただ切れ長の瞳は鋭く、その人がいくつもの修羅場をくぐり抜けている事を如実に表していた。
「それはそれでまた難儀な事ですよね。同じ日の本の国を収める公僕だってぇのに」
「いや、本当にお恥ずかしい」
「しかたありませんよ。強い力を持った男衆が雁首揃えたら、だれが天辺取るかを競うのは本能みたいなもんです。でも下々のあたしらからしたらやっぱり、旦那みたいな人に頑張ってもらわないとねぇ」
渥美と呼ばれた女性は皮肉を込めつつも、近衛を褒めるような言葉を送る。そして落ち着き払った声であらためて訪ねた。
「それで行く先は市ヶ谷でいいんですね?」
「はい、市ヶ谷駐屯地の裏手でおろしてください。そして要件を済ませたあと、さいたま市へと向かいます」
「わかりました。そいじゃことが済むまで適当に流してますんで電話してくださいな」
「えぇ、それで結構です。この埋め合わせはいずれ」
近衛がそう言葉を漏らせば、渥美と言う女性は口元に微笑みを浮かべた。
「期待してますよ。旦那」
そんな大人のやり取りがかわされる中で、近衛のスマートフォンが背広の中で鳴り響く。それを取り出しながら通話を始める。
「私だ――、そうか――わたしももう時期到着する。ヘリを千葉から回す――たのむぞ」
言葉少なに要件を済ませると、あらたに別な場所をコールした。
「私だ。ヘリを出せ」
言葉はシンプルだが、行動のトリガーとしては十分だった。そしてさらにもう一箇所へとショートメールを飛ばす。
【発信者:近衛仁一 】
【受信者:大石拳五、小野川利紀 】
【宴会準備完了、 】
【来賓を向かえて現地にて集合のこと 】
一見ふざけた内容だが近衛なりの暗号として韻を踏んだつもりである。先方へ送信意図は伝わるだろう。
「これで準備は整った。あとは間に合うかどうかだ」
近衛は一人つぶやいた。仕掛けられる仕掛けはすべて張り巡らせた。そして、引ける引き金を一つづつ引くだけだ。
近衛を乗せた車が市ヶ谷の地へと走り去ったのである。
@ @ @
東京アバディーンにそびえる金色の円柱形状の高層ビル。ゴールデンセントラル200。
その中にセブン・カウンシルのメンバーが集う集会室が有る。
先程は7つの組織の代表が全て揃っていたが今は違う。
翁龍の王之神と王麗莎
ファミリアデラサングレのペガソとナイラ
日本の緋色会は天龍のみで氷室たちは先に帰ったらしい。
そしてサイレント・デルタが首魁のファイブと言った面々だけが残り――
新華幇の伍志承と猛光志、ブラックブラッドのモンスターと、ゼラム・ブリトヤのママノーラとウラジスノフは姿を消していた。
残されたメンツは他愛のない談笑を交わしている。いかなる人物が相手でも身構えずに会話できる王之神やペガソと言った者は当然として、ヤクザ気質の天龍も思わぬビジネスが成功した事もあってかベルトコーネの事で激高したのもつかの間、気さくに会話に応じている。もっともこれらのメンツを前にして護衛役であるはずの氷室たちを先に返してしまう辺り自分自身の戦闘力によほど自信があるのか、まこと豪胆と言うよりほかはなかった。
話題の中心はもっぱらシノギの事だ。表向き貿易会社を営み、それを隠れ蓑にして非合法ビジネスにも手を染めている翁龍、多数のフロント企業を隠れ蓑にして徹底した地下潜伏を行っている緋色会、そして外国人労働者の供給という合法的な人身売買ビジネスを得意とするサングレ、それぞれの儲け話を自慢すれば、そこにまた新たなビジネスの種が生まれていく。これもまたこのセブン・カウンシルにおける日常的な光景であるのだ。
円卓の間お付の女官を一人侍らせたペガソが言う。膝の上にのせた女官の衣の胸の合せ目に手を差し入れながら話している。
「しかし最近、また空港税関のチェックが厳しくなってきてねえか? 以前は対人スキャナーと金属探知機さえごまかせればあとは人間の目だけだったんだが、日本の洋上国際空港じゃ電磁波探知機なんてのも使ってるんだってな」
それに答えるのは天龍だ。モルト・ウィスキーをグラスに2フィンガーで注ぐとロックで傾けている。ペガソが気を利かせたのかナイラが天龍のそばによりそい酌をしていた。
「あぁ、なにしろ日本は何年か前の成田で偽装サイボーグのテロ事件が起きてから、とにかく神経質だからな。次々に新しいセキュリティをつぎ込んでるって話だ。新技術を避けたいなら洋上空港や大阪は避けた方が良いな。多少不便でも地方空港を使ったり、あとはロシア経由で船便使ったり、中国に直行してフェリーで韓国経由で上陸って手も有る」
「やっぱり、それかよ。それ時間がかかるんだよな。それに旧社会主義国に足を踏み入れるのが難しい連中も居る。なんか良い手ねぇかな」
「あるぜ。これは俺の方の新技術だ。最近、配下に組み入れた民間企業の技術を取り込んだんだ」
「まじかよ? 幾らだ?」
よほど困っているのだろうか、ペガソは思わず身を乗り出していた。
「不正な電磁波を遮断する新型の人造皮膚だ。100平方センチで2万だな」
「ちいと高えな」
「まだ生産が始まったばかりだからな。歩留まりが下がればもっと安くなる。今、量産向けの地下工場を設立準備中だ」
「へぇ」
天龍の言葉にペガソがニヤリと笑った。
「その話、一口のせろよ天龍のダンナ」
「ほぉ?」
「地下工場となると場所もそうだが、働かせる人間の問題も出てくる。できるだけ安価になおかつ秘密を守れる口の堅さも重要になる。おれも〝向こう〟の方で散々苦労した」
向こう、とは海の向こうの事だ。故郷の中南米の活動拠点のことだろう。
「だろうな。口が堅いということは本人の性格もそうだが、しがらみとして秘密を守らねば命が無いという事を約定づけられている事が重要になる」
「つまり、心と理性にはめられた手かせ足かせだ。俺の手のサイボーグ労働者が使える。なにしろ秘密を守らねえと命がねえのは分かってる。それに血なまぐさい戦闘より地味な単純労働なら喜んでやるヤツはいくらでもいる。人員の供給ならまかせろよ」
「それは助かるな。今の日本の連中は根性がねえ」
ふたりで酒を傾けながら談笑している。交渉は順調に進んでいる。そこに声をかけたのは翁龍の王之神だ。
「ミスター天龍」
かけられた声に天龍が視線を向ける。
「時に資金は足りてますかな?」
「なんだ、アンタも興味あるのか。王のだんな」
「えぇ、資金は有効に活用してこそ生きるもの。裏も表も関係ありません。準備資金としていかほど必要ですかな?」
「そうだな――、でも見返りは何がほしいんだ?」
見返り――、投資した額に見合う利益や価値が得られなければ、金をドブに捨てるのと同じだ。大企業を運営している王ならそれくらい承知のはずだ。静かに微笑みながら王が言った。
「地下工場の設立場所を当方に用意させていただきたい」
場所を用意すると言うことは必然的に製造ノウハウを直に観察すると言うことだ。その事を思案する天龍。ここは彼の人間の見極めが重要になる。
「条件がある。麗紗の嬢ちゃんに運営責任者になってもらう。それと利益の10%を受けとって貰おう。その上で15億」
それは天龍がしかけた『枷』だった。責任者が王の身内なら技術流出について責任を問うこともできる。利益の分与を受け取っているなら、勝手に劣化コピー品を増産しにくくなる。無論、そう言う事を計算しての話だと言うのは王にも十分にわかっているはずだ。
「いいでしょう。その条件で決めましょう。約定について書面に起こしますかな?」
「それは要らんだろう」
と天龍。
「あぁ俺もそう思う」
とペガソ。そしてペガソの視線は銀のシルエットの彼へと向いていた。
「何しろ、アイツが居るからな」
声をかけられてそれまでネットデータを観察していたファイブが振り向く。
「えぇ、今のお話、いつでも再生可能です」
そこに天龍が鋭い視線を向ける。
「暗号化は?」
「トップクラス。僕以外にはけっして復号できません」
「オーケー、いいだろう」
ペガソが笑って答える。天龍も王もうなづく。そして天龍が麗紗に告げた。
「詳しい話は俺の部下の氷室と詰めてくれ、実働指揮はやつにやらせてる」
「承知しました。すぐにでも」
契約締結だった。皆が満足げにうなづいている。
空になった天龍のグラスにナイラが胸を揺らしながら酒を注いでいる。ペガソも女官を弄んでいて上機嫌だ。その時、円卓の間の一つの扉が不意に開いたのだ。
一人の人物がヒールの音を鳴らしながら入ってくる。
「ちょいと待たせてもらうよ」
葉巻をくゆらせながら現れたのはママノーラだった。ベンツに乗り込む時についていた2人の若い護衛もついている。一人がドアを開け、一人が先にママノーラの席を準備する。歳の頃は十代半ばでまだまだ若さを感じさせる。だがよほど教育とトレーニングが行き届いているのか、ウラジスノフに勝るとも劣らない身のこなしである。
ママノーラは自分の席に付きながら労う。
「ごくろう」
普段は恰幅の良さとともにどんと構えた威圧感が彼女の持ち味だったが、今はどこか不安げだった。苛立ちすら浮かんでいる。そして女官たちに告げる。
「悪いがなにかおくれよ」
「紅茶はいかがでしょうか?」
「あぁ、それでいい」
ママノーラがめずらしく、王の配下の女官たちに飲食を求めていた。いつもウラジスノフ経由でしか物を求めないのに関わらずだ。その異変を察してファイブが問いかける。
「ママノーラ、お帰りになられたはずでは? なにかありましたか?」
ファイブの言葉にママノーラが答える。
「ん? なに、ヤサに帰ったんだが妙に胸騒ぎがしてね。ここならアンタも居るし情報が入るのは一番早いだろ?」
「なるほど」
ファイブは、あの神電がやっていたように空間にホログラフディスプレイを浮かべると情報について調べていた。そして何かに気づいたらしい。
「あぁ、なるほど。そう言うことですか」
納得げに呟くファイブの言葉にママノーラは頷いた。
「あぁ、今、内のヴォロージャを動かしてるんだ。ベルトコーネをとっ捕まえるためさ」
ベルトコーネと言う言葉に反応したのは天龍だ。
「それで?」
言葉はシンプルだったがドスが効いていた。
「日本のポリスとやりあってたんだが、あのシェン・レイが無力化したそうだ。今から日本のアンドロイドポリスを追い払って身柄を押さえるってさ。後詰めにはモンスターにも控えてもらってる。予想外だったがどうやら根こそぎベルトコーネの特殊能力を神の雷の奴が削いじまったらしい。今やマリオネットそのもので単分子ワイヤーで釣られてるってさ」
「あぁ、なるほど確かに。おっしゃる通りですね」
ファイブが操るネット画像には街頭カメラやステルスドローンなどの映像で、ベルトコーネの断末魔の光景が映し出されている。
「あの狂える拳魔も神の雷にはかなわないらしい。それに――」
ファイブはさらにデータを調査していて何か気づいたようだ。
「――なるほど。神の雷があのローラを手元に置いたのはこのためでしたか」
その言葉に皆の視線が集中する。
「ローラとベルトコーネは同じ製作技術によるもの、当然、システム内部のプロトコルも同一の可能性が高い。奴はそれを狙ったんだ。うまく考えましたね。それを孤児たちの乳母役とする事で周囲を欺いたわけだ」
実態としては子供たちの世話役が必要だったのは事実であり、そちらの方が重要だったのだが、そう考えないのがファイブと言う男である。
「それで、ママノーラ。不安とは?」
ファイブの問いかけにママノーラが答える。
「前に極東ロシアンマフィアが、ロシア警察の大規模なカチコミを食らったんだが、その時と同じ予感がするんだよ。なにか重要な事を見落としてる。あるいは自分たちの手に無い重要なカードがまだ残されている。そんな感じだ。一人で考えても答えが出ない。手持ちの情報を洗ってもピンとこない。でも何か残ってるんだ」
マフィアの首魁を務めていると言っても、女性である事に変わりはない。身近な人間の身を案じているのは明らかだ。それに対して言葉をかけたのは天龍だ。
「ママノーラ。あのウラジスノフって爺さんの事が気にかかるのかい?」
意外にも語り口は穏やかである。その口調にほだされるようにママノーラが答えた。
「もちろんだよ。サムライの同士。アレはアタシの死んだオヤジの古い友人なんだ。元はスペツナズにも居た正統派のロシア軍人でマフィアじゃなかった。でもマフィアだったうちの親父とは職業の違いを超えて友情を結んで何時でもそれを大切にしていた。義理堅くてねぇ。一度結んだ約束は絶対に反故にしない。だからアタシはアイツをいつでも連れ歩いてるのさ」
昔を懐かしむ様に語る。そこにペガソが問いかける。
「でもなんであのおっさんあんなに喋られねえんだ? 無口ったってほどがあるだろ」
「あぁ、それかい? わけがあるのさ」
葉巻の灰を灰皿で落とすと言葉を続ける。
「アイツの息子もロシア軍の将校でね。極東のウラジオストック駐留部隊に居たんだ。でも、ある事件で駐留部隊が数千人規模で壊滅した際に死んじまったのさ。事件の実態はロシア諜報部のFSBが全面封鎖して今でも謎のまま。遺体すら帰ってこなかったそうだ。だがヴォロージャは自らの元スペツナズとしての勘と技術を活かして、機密保持の包囲網を突破して単身事件現場に乗り込んでいった。そしてそこで息子の死の理由を知っちまったのさ。だがアイツは事件現場から生還してきてもそこで何を見たのか一切口にしない。酒が入れば冗談くらいは言ってたのが酒も飲まなくなった。まるで何かを待っているかのようにね――」
ママノーラが過去を慈しみながら語れば、そこから得られた情報を元に調査を始めたのがファイブだった。そして空間上のホログラフディスプレイを多数展開しながらこう告げた。
「ママノーラ、もしかしたらそれがなんなのか解るかもしれません」
ファイブの言葉にママノーラが驚くように振り返る。
「なんだって?」
「今、FSBと英国との間でデータのやり取りが行われたようです。暗号化データのパケットを取得しました。内容を調べるにはデータの復号化が必要なので少し時間がかかりますが、日本でベルトコーネが暴れている事と何か関係があるかもしれません。何しろ――」
そしてファイブがデータを操作して複数の画像を表示させる。アトラス、センチュリー、ディアリオ、エリオット、そしてグラウザー。それは現時点で東京アバディーンに関与している日本の特攻装警の姿を写した物であった。
「――今、ベルトコーネと戦っているのは彼らなのですから。英国はマリオネット・ディンキーからVIPを守ってもらった恩義が有る。その点でなんらかの取引があったとしても不思議ではない。ディンキー本人が不在の今、ベルトコーネに関するなんらかの情報をロシア当局から引き出したと見るべきでしょう。ママノーラ、今少し待っててください。FSBが明かしたソレがなんなのかお調べします」
「あぁ、頼んだよ。銀の同士」
ファイブの言葉に信頼を込めるようにママノーラは答えていた。そしてそれはこれから訪れる悲劇の足音の序章だったのである。

















