サイドB第1話『魔窟の洋上楼閣都市』Part21『天使と希望と』
サイドB第1話『魔窟の洋上楼閣都市』Part21『天使と希望と』
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それは最悪の夜であった。
日本の首都の平和を担う主戦力たるアンドロイド警官・特攻装警。
その彼らに関わる者にとってはまさに眠れぬ夜となったに違いない。
それでも希望は捨てない。正義を担うものとして、絶望にその心と意志を沈めることだけは絶対に許されないのだ。
彼らは日本警察。
世界に名だたる平和国家・日本の治安と平和を担う者たちである。
■警視庁屋上にて
地上18階、地下4階からなる三角形の建築物。皇居の南側の桜田門にそびえ立つ建物が、日本警察の中枢である警視庁庁舎である。
グラウザーを除く特攻装警たちの日々の活動の拠点となる場所だが、毎日のようにその屋上を利用している者が居る。特攻装警第6号機『フィール』である。
警視庁庁舎の屋上のヘリポート。そこに立っているのは2次武装をまとい、臨戦態勢を終えたフィールである。アーマー部、全飛行機能部、特殊センサー部、体内内蔵特殊機能部、攻撃用兵装部、すべての装着パーツをチェックし終える。
【 トータルサーキットチェック 】
【 >オールグリーン 】
各部全て正常を意味するメッセージがフィールの視界の片隅に表示される。そしてその上で足元から指先から順番に動かして動作確認を行う。彼女こそが、特攻装警6体の中で唯一の飛行機能タイプであり、唯一の女性型アンドロイドである。
全装備を装着した際の身長高は170センチほど、非武装時の身長が151センチである事を考慮すれば20センチほどが底上げされることになる。その頭部には白銀のアーマーシェルを装着している。頭部の後方と左右斜め後方の3方向に伸びているのが彼女が飛行するための翼の役目を果たすものだ。そして全身の動作チェックを終える頃に、彼女の背後から声がかけられた。
「フィール、コンディションはどうだ?」
その声にフィールが振り向く。そこに立っていたのは彼女の身柄引受人である捜査1課課長の大石拳吾警視である。
「問題ありません。ベストです課長」
「よし、改めて注意点を確認する。復唱してみろ」
「はい――」
フィールは上司にこれからの任務に関しての付帯注意事項について復唱することを求められた。だが言葉はすぐに出ずどこか不満げである。しかし上司からの視線を改めて確認すると、フィールは覚悟を決めたように一気に暗唱した。
「中央防波堤特別市街区の地上へとは絶対に降りないこと。そして、危険に遭遇したら一切の調査活動を中断して即時帰還することです」
「そうだ、それが今回のお前の任務に対して、お前が所属する刑事部が課した絶対条件だ」
大石はいつになくきつい口調でフィールに告げた。視線も鋭くいつものような穏やかさは微塵もない。それは教え諭すと言ったものではなく、絶対的な命令を突きつけるかのようである。
だがその言葉にフィールは容易には言葉を返せない。その心中において腑に落ちない物があるからである。それを大石は指摘した。
「不満か? 本件の出動において刑事部から出された条件が」
フィールはハッキリと頷いた。現在の状況で地上に降りるなということは、直接は何もするなと言う事に等しいからだ。フィールは背後を振り向くと大石の顔を真っ向から見つめて問いただす。
「課長、なぜグラウザーたちを直接手助けしてはならないのですか? センチュリー兄さんに至っては大至急回収を試みねばならないはずです! ただ現場上空から眺めるだけだと言うのはどうしても納得出来ないんです!」
いきり立つような荒い言葉をフィールは吐き出していた。着任以来、二人の間には親子に等しい信頼関係が築かれていた。だが、その二人の間に風が吹いている。
しかし大石はフィールが吐いた言葉をただ排除するようなことはしなかった。じっと冷静に見つめ返すとフィールの感情が落ち着くのを待って静かに告げたのだ。
「フィール。一度、最悪の結果というのを考えてみろ」
「え?」
「今回の洋上スラムで発生している事件においての最悪の結果がどういうことになるかを考えて見るんだ」
「最悪の結果?」
フィールは上司の大石の言葉を反芻した。フィールの脳裏と胸の中ではたくさんの思いが渦巻いている。反駁する思いはたくさん湧いてくるがフィールはそのすべてを飲み込むと、上司の言葉に素直に従った。
そして僅かな沈黙の後に反論する意思をもがれたかのように気落ちした表情で答え始める。
「連絡不通のアトラス・エリオットがそのまま消息不明。アトラスのパートナーである荒真田警部補も帰還せず。センチュリーは回収に失敗し暴走するベルトコーネにより粉砕、グラウザーもすべての余力を使い切り行動不能に。そしてディアリオも帰還困難の可能――」
そこまで言葉で口にしたところでフィールは完全に沈黙してしまった。事態がいかに切迫し、悪化しているかを改めて突きつけられたからだ。だが大石も更に指摘する。
「それだけではない。特攻装警計画は中断となり、再び武装警官部隊・盤古に依存する状態となるだろう。さらには盤古にさらなる武装化要求が突きつけられる可能性が有る。それがなんだかわかるか?」
大井市のさらなる問いかけ、それが指摘するものの正体に気づいたのかフィールはハッとした顔をあげて大石を見つめ返した。
「わかったようだな。言ってみろ」
フィールはようやく気付いた重い事実に逡巡しながらも、ゆっくりと答えを言葉にする。
「盤古隊員のサイボーグ化です」
重い事実だった。治安の維持というお題目を護るために非人道的な大義名分がまかり通りかねないのだ。
「そうだ。そして昔から特攻装警計画に反対していた連中が最終的に目指している物がそれだ。それがどれだけの悲劇と惨劇を日本警察とこの東京にもたらすか――、わかるか?」
世界中において負傷兵士のサイボーグ化は静かに広がっている。だが日本は医療目的用を除いて戦闘力強化のためのサイボーグ化はあえて非合法として禁じている。日本入国の際に合法的な武装サイボーグであっても税関でのチェックは全世界で最も厳しいとまで噂されている。そこまでして平和を脅かす要素を排除しようと苦心しているにも関わらず、治安の守り手自身が禁断の力へと手を伸ばそうとしているのだ。
そして大石はあらためてフィールに歩み寄りながら諭すように告げた。
「いいか、フィール」
「はい――」
「本来、刑事部上層部からの打診は今回のお前の出動を禁じるというものだったんだ」
フィールはあえて答えなかった。それが刑事部がフィールに対して与えた親心であることをわかっているからだ。
「他の特攻装警5体が危機にさらされている今、最後の6体目であるお前までもが帰還不能となってしまっては特攻装警は今度こそ本当に終わってしまう! 特攻装警にはこれから先の未来がまだまだ存在している。お前たちにはやってもらわねばならない事が山ほどある。お前たちは――」
そして大石は感情を心から込めるように告げたのだ。
「――未来への希望なんだよ」
それは大石がフィールに対して抱いていた素直な思いであった。その言葉の価値を噛みしめるようにフィールが反芻する。
「希望」
大石は頷いた。それが確信であるからだ。そしてその思いはフィールの気持ちを明確に切り替えていた。重く沈んだ表情が変わる。明るくはならないが、切迫した事態を受けいれ覚悟を決めたように冷静な表情を極めていく。その彼女の口から改めて告げられた言葉が有る。
「課長、今回の出動任務の制約条件、了解いたしました。上空からの〝目〟の役目に徹しようと思います」
覚悟を決めたフィールに大石が語った。
「すまんな。無理強いをしてしまって。お前まで失うわけにはいかんのだ。それに――」
フィールに詫びるような視線を向けていた大石だったが、低いトーンで注意を促すかのように言葉を続けた。
「今回の一件では間違いなく〝公安〟が動いている」
公安部――それは日本警察の中で戦前の特別高等警察の流れをくみ、市民よりも国家の枠組みの方を優先しようとする者たちのことだ。市民生活の維持と保護を優先する刑事警察との間では戦前から長い間、深刻な対立関係が存在しているのは歴然とした事実なのだ。
「それも、公安4課の大戸島君の様な比較的穏健な連中ではない。たとえ非合法と分かっていて強引な手法を厭わない剣呑な連中の方だ」
大石の言葉の裏にフィールは有る連中の影を思い浮かべた。
「もしかして、盤古の中のあの方たちもですか?」
大石は声に出さずに頷いた。それが意味する物、それが情報戦特化小隊の事であろう事はあきらかだ。
「いいかフィール。現場では誰が味方で誰が敵か判断は容易では無いはずだ。それを念頭に置いてもう一度注意するぞ」
そして大石はフィールに歩み寄るとその左肩をそっと叩きながら告げた。
「生きて生還することを最優先しろ」
それは大石がフィールという大切な存在に対して抱いていた親心から出てきた言葉でもあった。今までもフィールが活躍するその影には必ず大石の姿があった。大石がフィールに見ているもの、それは〝未来〟だ。フィールの後に続くであろうたくさんの平和の担い手を社会に送り出すまでは一歩も引くことはできないと悲壮なまでの覚悟を決めてフィールの身柄を受け入れてきたのである。
その大石の本心をフィールも理解していた。右手を頭上に掲げ敬礼をする。そしてその口からは大石へのシンプルにしてストレートな挨拶の言葉であった。
「特攻装警第6号機フィール、これより東京湾上空の現場に向かいます」
フィールの敬礼に、大石も敬礼で答えた。大切な部下をこの東京で最も危険なエリアへと、誰が敵で誰が味方かわからぬ状況のままに送らねばならない事に強い罪悪感を抱えたままに、無言の敬礼で持って答えていた。
そして、敬礼で掲げていた右手をさげるとフィールは身を翻して、屋上ヘリポートの上を走り出す。
フィールの全身に装備された飛行メカニズムにエネルギーが与えられ、MHD推進システムは白銀の炎と火花を吹き上げながら、フィールのその細いシルエットを上空へと一気に運んでいく。彼女が飛び去る先は東京湾上空、あの悪意と策謀が交差する洋上スラムの一帯である。
その白とシルバーのシルエットは瞬く間に見えなくなる。飛び去るそのシルエットはまさに天界のバルキリーか天使の如くである。
その飛び去る姿を見届けながら大石は懐からスマートフォンを取り出す。そしてアプリケーションを操作して何処かへと回線をつなげる。数秒のコールの後に通話相手との接続が開始された。
「私です。大石です――今、フィールが現場へと向かいました――はい、承知しております。刑事部の部長クラスにも裏工作が及んでいましたが何とかねじ伏せました。――はい――はい――おっしゃるとおりです。今は全特攻装警の回収と帰還が何より最優先ですから――はい。これから私もすぐに合流します。はい――それでは」
大石が会話をしていた相手、それが誰であるかは判然としない。だが大石もまたある覚悟を決めて戦いの場へと赴いていったのである。
■第2科警研にて
夜の第2科警研の建物の中、長い廊下を歩きながら何処かへとスマートフォンをかけている女性が居た。第2科警研F班主任研究員・布平しのぶである。
「はい、ありがとうございます。ご配慮感謝いたします。その代わり試験出動の結果についてのすべての取得データは全データをそちらに必ず開示いたします。それによりさらなる運用ノウハウが期待できるはずです。――はい、かならず事態解決に導いてみせます――はい、ありがとうございます。それでは――」
会話を終えると足早に駆け出す。そして通路の先にあるF班のメイン研究作業室へと駆け込んでいく。室内に足を踏み入れると同時に布平はメンバーへと声をかけた。
「みんな! OK出たわよ! F2、何時でもOKよ!」
布平を除く4人は一つのメディカルベッドの周囲で作業をしている最中だった。その中で最初に振り向いたのは五条である。
「あら、意外と簡単にOKでたわね。もっとゴネられるかと思ったんだけど」
「それがね。この程度の実戦投入で壊れるようなら災害現場に投入なんかできない。思う存分やってくれって」
「すごいこと言うのねあちらさん。細かいこと気にする警視庁のお偉方とは偉い違いね」
布平と五条のやり取りに声をかけたのは一の原だ。
「あたりまえやん。災害はまってくれへんし、正式投入時には完璧に使い物になる事を期待しとるはずやからね。おそらく、今から飛ばすエリアで突発的事態にどれだけ対処できるかで、具体的な判断材料とするつもりやろ」
それにさらに言葉をかけたのは桐原だった。
「それだけ先方にもフィールの活動実績が魅力的に写ったのよ。それだけに期待に見合う動きができるという〝証拠〟が欲しいのよ。これくらいで破壊されて帰還できないようならキャンセルされるでしょうね」
桐原が少しきついコメントを漏らしたが、それに返したのは金沢だ。
「あ、あたし聞いたこと有ります」
言葉を一区切りしつつ続ける。
「消防のレスキューって、候補者を教育する時にこう言うそうです『決められた日数で使い物になってもらう』って。時間をかけて育成するのが前提ではなく、現場出動に見合う人材になる事が初めから当然とされているんですって。だから〝この子〟に対してもそうなんでしょうね」
寝台の上に横たわっていたのは一体のアンドロイド。フィールに瓜二つのシルエットを持つ女性型であった。髪はフィールの亜麻色とは異なり、鮮やかな輝きを持つ琥珀色だった。顔立ちもよく似ており、2人並べば姉妹と称しても通じるだろう。衣類は無くアンドロイドとしての肌色のベースボディの上に簡素な医療用ガウンを纏っている。彼女がフィールと大きく異なるのは人造皮膚化された体表面積がより大きくなっているということだ。それ故に現行のフィールよりも、より人間味が増していると言えた。
「――絶対に期待した結果を出してくれるって」
そう語りながら金沢はその女性型アンドロイドの頭髪と顔の仕上がりをチェックしていた。髪型、表情、顔の造作、まつげなどの細かな造形――それらを最終チェックする。
「よしっ、仕上がりOK。しのぶさん。インターフェイス系OKです。メット装着行けますよ」
「サンキュ、ゆき。いい仕上がりじゃない。人造皮膚の精度がフィールよりも向上してるからよりキレイね」
「でもすごいですね。これで瞬間温度1000度にまで耐えられるんですね」
金沢の驚きの声に桐原が告げる。
「当然よ。なにしろ第2科警研の素材の神様の最高傑作ですから。しのぶ、体内メカニズム諸動力系統、チェックOKよ」
次に報告の声を出したのは一の原だ。
「なにせ、フィール完成のあとにできたグラウザーからもぎょうさんフィードバックもろうたさかい、目一杯レベルアップしとるしね。よしっ、基本構造解析完了や、単純化内骨格と柔構造外骨格の連携も歪みゼロや」
次々と寄せられる報告を耳にして布平は満足気に頷く。そして残る五条にも問いかけた、
「枝里、特殊機能部、中枢頭脳系統は?」
五条は髪をかきあげながら答えた。
「フィールから機能スライドした特殊機能は異常無し。耐熱能力のための熱排除システムも正常。F2から追加装備した機能もセルフチェックはオールグリーン。中枢頭脳も問題なし。人格バランス、ストレスパラメータ、脳機能波形スピンドル、いずれもOKよ」
仲間から寄せられた答えに一つ一つ頷いて布平は告げる。
「OK、トータルでオールグリーンね。枝里、再覚醒させて」
「了解」
布平の指示に頷き、五条はコンソールを操作した。体内メカニズムのトータルチェックのために休眠状態でアイドリングさせていたのだが、あらためて完全覚醒させることとなったのだ。
「いくわよ」
そして最後のコマンドを打ち込む。彼女たちがF2と呼ぶ存在が目を覚ましていく。
【 特攻装警基幹アンドロイドアーキテクチャ 】
【 トータルメンテナスシステム 】
【 ――Pygmalion 】
【 Handler Ver.12―― 】
【 】
【 個別ID:AFW-XJα-F002 】
【 管理ID:Unit-F-0002 】
【 管理者名:布平しのぶ 】
【 AutherID:SPL2F01349 】
【 】
【 コマンドエントリー: 】
【 〔アイドルアップスタートフルモード〕 】
【 >基底休眠状態から完全覚醒状態へ移行 】
【 >プロセス予測タイム:128s 】
【 >カウントダウンスタート 】
彼女たちがF2と呼ぶアンドロイドは、総合メンテナンスのために機体のほぼ全てが休眠状態にレベルを落としてあった。そして検査結果が良好だったことを受けて、完全稼働のために全システムを覚醒状態へと移行させるプロセスを開始させたのだ。
別モニターに表示されていたのはいつかのモニターデータだ。
――主動力出力数値――
――基底中枢頭脳部活動波形――
――脊髄系統神経インパルス――
――抹消系統各種モニタリングデータ――
――意識系統外部確認リンケージ――
それらを見守れば、全てが順調に目を覚ましつつ有るのがわかった。
そして〝彼女〟の意識があらためて目覚め始めている。中枢頭脳の意識系は外部へと音声マイクなどを通じてつながっている。全パラメータをチェックし、彼女がほぼ目覚めつつある事を確認するとF班のリーダーたる布平が〝彼女〟へと話しかけたのだ。
「聞こえる? 〝F2〟」
「ハイ……聞こえマス……」
その反応に一ノ原が五条に問いかける。
「ちょい、音声が片言やね」
「大丈夫よ。まだ目覚め始めよ。徐々に覚醒するわ」
その会話に金沢の声が続く。
「そっか。寝起きで寝ぼけてるんですね」
言い得て妙な例えに桐原が思わず吹き出していた。場の雰囲気に苦笑しつつも布平はさらに問いかける。
「〝F2〟もう一度答えて。あなたの型式番号は?」
「ワ・タ・シ――の形式番号は――AFW-XJα-F002です」
「所属は?」
「東京消防庁警防部特殊災害課です」
濁りがあった音声は途中で急速にクリアになる。そして高いトーンのリズミカルな声が溢れ出した。その声はフィールに似ているが少しばかりトーンが低く骨太で堅実な印象があった。
「OK、いい返事よ。それじゃ再度確認するけどアナタの開発者は?」
布平からの問いかけに〝F2〟は以外な言葉を返した。
「わたしの〝家族〟は――『布平しのぶ』『五条枝里』『桐原直美』『一ノ原かすみ』『金沢ゆき』――以上5人の皆さんです」
F2は開発者と尋ねられて家族と答えた。それが彼女の持つ明確な価値観の一つであった。布平たちが満足げに頷き、再度問いかける。
「F2、それじゃ〝アナタの名前〟と〝お姉さんの名前〟を教えてちょうだい」
布平からの問いに〝F2〟のまぶたがゆっくりと開く。そして周囲を見回しながら微笑んでこう答えたのだ。
「わたしの名前は〝フローラ〟わたしの姉は〝フィール〟、ともに飛行機能を有した特攻装警F型シリーズの一つです」
そしてメディカルベッドの上に横たわる彼女に桐原が手を差し出した。その手を握り返す彼女を皆が抱き起こしていく。
「おはよう。フローラ」
「はい、おはようございますしのぶさん」
「目覚めてすぐで悪いけどあなたにやってもらいたいことが有るの」
その問いかけの意味を思案してフローラは最適な答えを口にした。そこに不安はない。自身有りげな強い瞳と笑顔があるだけだ。
「〝任務〟ですね?」
意外とも言える答え。だが、それは布平たちと、フローラを必要とする人々が、彼女に対して与えた教育の賜であった。
「ええそうよ。今までは基礎教育と稼働テスト、及びその習熟のための仮想トレーニングが続いていたけどいよいよアナタを実践の場へと向かわせる日が来たわ。急だけどやってくれるわよね?」
布平はフローラに問いかけた。目的を有してこの世に産み出されるアンドロイドには嫌も応もない、ただ実行有るのみのはずだ。だが布平はあえて選択の自由を与える問いかけをした。それは生みの親たる布平が、我が娘同然のフローラに対して彼女の自由意志を心から尊重していたためでも有った。
そしてそれはフローラにも伝わっていた。ベッドから足をおろしベッドサイドに腰掛けながら布平たちを見上げて凛としたよく通る声でこう答えたのだ。
「もちろんです。かならず期待に答えてみせます!」
その力強い語り口に彼女の性格の一端が見えていた。布平が彼女に告げた。
「いい返事よ。さ、いらっしゃい。あなたのお姉さんたちをアナタが救うの。アナタの力が必要とされているのよ」
「はい!」
フローラは頷き答えながら自らベッドから降り立った。布平たちがフローラの歩みゆく先を案内している。向かう先は隣り合った予備作業室だ。フローラに五条と桐原が告げた。
「こっちにいらっしゃい。あなたの〝衣装〟一式を用意してあるわ。あたしたちが作ったなかでは最高機能の物よ」
「使い方はアナタのマニュアルデータベースに備わっている通り。基礎トレーニングにはない装備も有るけど、そのつど臨機応変に機転を利かせて。アナタのスペックなら可能よ」
「はい」
与えられる言葉にフローラは小気味よく頷いている。それはまるで初めて外出する子供が親からの忠告に一つ一つ頷いているさまに見えなくもない。さらに一ノ原もアドバイスする。その口調は少し厳し目で注意というよりは忠告であるかのようだ。
「それから、向こうではあんたの姉さんのフィールが居るんやけど、現地空域では絶対に無線で問いかけたらアカンで」
2つの足で立ち、自分自ら体の各部を確かめるように動かしていたフローラは不思議そうに小首を傾げながら一ノ原の顔を見つめ返した。
「なぜですか? かすみさん?」
「あんたはまだ外部からの電脳犯罪者からの侵入攻撃への対策に慣れとらん。迂闊に通信回線を開けばあっと言う間にクラッキングの餌食になってまう。そうなったら一発でしまいや」
一ノ原が語る言葉は何時になく厳しさに満ちていた。だが厳しさもまた親心である。
「ええか。フローラ。世の中の電脳犯罪者が駆使する違法ハッキングスキルはアンタに教えてあるマニュアル資料なんかのサンプルデータなんか比べ物にならんくらい臨機応変でハイレベルや。ああ言うんは実践で場数を踏まん限り勝ち目はないさかいな。いずれは4号ディアリオなんかにレクチャーしてもろて対策スキルを身に着けさせるさかい、それまでは現場での無線はくれぐれもつこたらアカンで。あんじょう気をつけや」
実践を想定したアドバイスにフローラは、自らがこれから向かう世界の剣呑さを感じて少しばかり表情が曇る。だがそれに声をかけたのは金沢である。
「大丈夫よ! あなたにはアトラス兄さんから始まって、グラウザー兄さんまで積み上げられてきた物が全て詰め込まれているの。今までの兄さんたちの経験と技術がきっとアナタを助けてくれるわ」
金沢はまるでフローラの母親であるかのように温かみのある包容力に満ちた言葉をかけてやった。その温もりにフローラの表情も明るくなっていく。そしてフローラの不安を洗い流すように金沢は力強く告げた。
「自信を持って。フローラ。アナタならきっとできるから」
技術者にとって自らが生み出したアンドロイドは我が子同然である。母からの言葉にフローラは力強く頷いていたのだ。そして、場を締めるように声をかけたのは布平である。
「さ、向こうで皆が待っているわ。思い切り自由に飛んできなさい」
それは布平が我が娘に向けて送ったエールである。困難に立ち向かい戦うことを宿命付けられたフローラに対する精一杯のメッセージだった。フローラは5人の母親たちの言葉を胸にしっかりと収めると力強く頷いた。
「はい! 必ず期待に答えてみせます!」
そしてフローラは歩き出した。
困難に満ちた世界へと、その世界に住まうすべての人々を救うために。
彼女こそのちに〝フィールの妹〟として注目を浴びる特攻装警応用機〝フローラ〟である。
■中央道調布ICにて
同時刻、一切の行動を秘匿して密かに警視庁から離れた2台の車が有った。
警察が一般的に用いる高級セダンで質素な黒系、覆面パトカーとして支給されているごく一般的なものだ。製造メーカーは同一。ナンバーさえ見なければ遠目には区別がつかないだろう。
それが桜田門の建物から時間差を置いて離れ、一路、首都高4号線をひた走る。そして中央道の調布にて降りるとICの路肩にて待ち合わせをしていた。5分ほど遅れて後続の車が停車する。互いの車のナンバーを確認すると遅れてついてきたパトカーの運転をしていた男がスーツのポケットから一台のスマホを取り出し、特殊なアプリケーションを起動させる。
特殊な暗号化を音声に施すそのアプリを通じて男は前方のパトカーの運転をしていた人物へと通話をはじめた。それはまるで他の者の視線と干渉を避けるかのようでもある。
後方の車両の運転席に座する男は、背広姿で幅の細いカニ目のメガネを掛けたオールバックの男性。前方の車両の運転席に腰を下ろしているのは、独特のデザインのハーフコートを身に着けシンプルなデザインのゴーグルヘルメットをかぶった男性型のアンドロイド。
オールバックの男性の名は公安部公安第4課課長で大戸島警視、男性型のアンドロイドは特攻装警の第4号機、対情報戦用に特化したディアリオである。
街灯の下、2人は2つの車の中で機械を介して、誰にも明かせない会話を始めたのである。
そして、先に口を開いたのは大戸島である。
「此処から先はお前一人だ。うまく立ち回れ。わたしが言えることはそれだけだ」
だがディアリオは答えなかった。生真面目で理性的であり目的達成のためなら手段を選ばない男、それがディアリオと言う男であったが、このときだけはその理性に曇りが見えていた。ディアリオの沈黙は怒りその物だった。だがその沈黙に大戸島は告げる。
「不服か?」
当然の問いかけだった。上司からの詰問に感情を押さえるようにしてディアリオは言葉を選びながら答えを返す。
「少なくとも完全同意はできかねます」
不用意に無様に感情を爆発させるような事をしないのがディアリオである。だが彼が選びに選んだ言葉には理不尽に対して押さえきれない怒りが潜んでいる。その怒りの正体を大戸島は知っていた。
「だろうな。わたしもだ」
大戸島は意外とも思える言葉を発した。ディアリオが驚きを飲み込みながらも上司の言葉の先をじっと待った。
2人は公安組織に身を置く者だ。だが一人は公安4課、もう一人は情報機動隊、巨大な公安組織の中においては主流から離れた異端の存在である。
そもそも公安4課は直接的に捜査活動には参加せず、他課が集めてきた資料やデータを分析蓄積し管理することが目的の部署だ。それが公安部内に情報機動隊が設立されるに辺り、公安部が情報機動隊の存在を公安本来の目的に過剰利用しないように独立性を保つため、あえて事務畑の4課を改変拡張して、公安4課3係を設立、この下に情報機動隊の実働部隊を配置しているのである。
鏡石は情報機動隊の隊長と言う肩書きだが、公安内部的には公安4課3係の係長であり、情報機動隊員も公安警察官と言う立場になるのである。ただそれはあくまでも公安内部上の肩書であり、一般社会に対しては情報機動隊と公安とのつながりは曖昧なままとされている。警察内部でも情報機動隊がどこの管理下となるかという情報は開示されておらず、独立した組織であると誤認している者すら居るのが現場であった。
しかし、情報機動隊は公安部の中においては、公安総務課や公安1課~3課と言った実働部隊とは分離した行動体制を持つ組織として運用されていた。公安部の巨大な捜査権限の過剰な強化とならず、それでいて刑事警察とも連動を可能にし、なおかつ公安内部の諸セクションとも臨機に連携するという、想像を絶する様な困難な組織運営を強いられていたのだ。
その想像を絶する困難の舵取りを行う男こそが、この公安4課課長である大戸島である。
大戸島が口にした言葉にディアリオは上司がその胸中に秘めていた複雑な思いの片鱗を察していた。いたずらに反発するのではなく、事実を完全に理解した上で意見を述べるべきだと気づいていた。そして大戸島は更に言葉を続けた。
「ディアリオ、よく聞け」
メガネのレンズ越しの鋭い視線が、前方車両運転席のディアリオのシルエットを見ていた。
「公安の主流派、そして過去の戦前から連綿と続いている〝亡霊〟たちが狙っている物を決して容認するつもりはない。公安とはあくまでも〝捜査〟し〝調査〟し、国家を危険にさらす異分子共を〝逮捕〟することこそが重要任務だ。武装を強化して犯罪者を一方的に攻撃することは公安としてあるべき姿ではないと認識している。今までもこれからも、公安はたとえ個人のプライバシーや自由を無視してでも、国家という枠組みと国体というシステムを擁護・維持するために、真実を知り突き止める事こそがその重要な役割であるはずなのだ」
大戸島が語る確固たる思いにディアリオはハッキリと頷いていた。
「その言葉、かねてから課長から度々拝聴しております。その言葉に疑いは一部たりとも抱いておりません」
ディアリオの言葉に大戸島は頷く。
「いいか。法とモラルを無視してでも行う事の行き着く先が単なる〝暴力〟であると言うのなら、それはもはや警察でも公安でもない。独裁国家の秘密警察か暴徒化軍隊だ。そんな物はこの国には必要ない」
「仰る通りです」
「しかしだ、ディアリオ。公安の確固たる理念に基づいた姿に相反する物が存在する。それが何かはわかるか?」
何時になく鋭い言葉がディアリオの認識を厳しく問いただしていた。即座に自分の知識と信念と記憶とを探ると彼らが信じる公安警察の理念から、大きく逸脱した存在が有ることに気付かされる。ディアリオの口が静かに開いた。
「わかります。ですが今ここで口にはしません」
「それでいい。真実は秘するからこそ守られるのだ」
そしてディアリオが大戸島の言葉に頷きを返した時、大戸島はディアリオにハッキリと告げたのだ。
「ディアリオ、わたしはお前をあの連中の元へと送る。お前は情報機動隊と言う組織を護るための人身御供だ。生贄だ。そしてそれは極めて重要な事なのだ」
ディアリオのシルエットが再び頷いていた。
「もし、ここでいたずらに反発し、〝あの連中〟の意図にそぐわないと判断されれば、公安4課もろとも情報機動隊は解体され、隊は実質、他セクションへと吸収されることとなる。そしてお前も鏡石も闇へと葬り去られる。それだけは絶対に阻止しなければならない」
「無論です」
ディアリオが発した言葉に大戸島が頷いている。その姿をディアリオはルームミラー越しに見ていた。
「ディアリオ、お前は〝あの連中〟の実働部隊であるゴロツキどもに同行し、洋上スラムの真っ只中へと送り込まれる。そして名目上はアトラスとエリオットの救出を行うことになる。だが〝あの連中〟が望んでいるのはこのドサクサに乗じて、お前を葬り去り、アトラスとエリオットの消息を断つことに有る。そうなればセンチュリーが大破し、グラウザーが消耗しつつある今、残されているのはフィールだけになってしまう。それだけは断固として阻止しなければならない。絶対にだ! お前がこれから望むのは情報戦でも対機械戦闘でもない――」
ディアリオは言葉の先をじっと待った。そして大戸島が語る言葉に刮目させられることとなる。
「お前が望むのは〝サバイバル戦〟だ!」
強い言葉が投げかけられる。冷静でクールで感情表現に乏しいとまで言われている大戸島には似つかわしくない感情的な言葉であった。
「ディアリオ」
「はい」
「わたしは、全特攻装警の中において最強とは、頑強なアトラスでも、俊敏なセンチュリーでも、重武装なエリオットでも、ましてや多機能なグラウザーでもないと認識している。世界中の情報を掌握し、旧社会主義国の極秘ファイルすらこじ開け、都市セクションをまるごと沈黙させることのできるお前こそが最強の特攻装警であると言う認識は一度たりとも揺らいでいない! いいかディアリオ――」
「はい」
淡々とした言葉の中に強い思いがにじみ出ていた。
「正義も悪も、正も邪も、破壊も創造も、森羅万象あらゆるものを掌握できる存在、それがお前だ! お前のその能力をフルに活用し必ず生きて返ってこい! それが今回私がお前に課する唯一の任務だ」
それは信頼という言葉で表現するには足りないほどに、強く熱い思いであった。そして大戸島が自らが持つものをすべて注いで育て上げた最強の情報戦の担い手こそが、ディアリオであるのだ。
その思いを理解してディアリオは復唱する。
「復唱します。特攻装警ディアリオ、湾岸地域の洋上スラムに潜入、アトラス・エリオット両機を救出するとともに、私自身も必ず生還いたします」
ディアリオの言葉に大戸島はハッキリと頷いた。その大戸島にディアリオが尋ねる。
「課長、一つだけよろしいでしょうか?」
「なんだ」
「鏡石隊長は何処へ?」
現在、鏡石は連絡不通であり、所在不明であった。ディアリオですら知らない所在についての問いかけだった。
「鏡石は無事だ。私個人の外部協力者のつてをたどってすでに日本国外へと脱出済みだ。あいつは有能だが、お前ほど公安の裏の論理に精通していない。こう言う緊急事態の対処能力は満足できるものではないからな。やつの命を守るためにも行った判断だ。しかしお前は別だ。お前ならいかなる事態にも対抗できるはずだ」
「無論です。電脳化されたこの都市こそが、わたしの最も得意とするフィールドですから」
「それでいい。特に今回は、お前専用の特殊装備の使用を許可してある。たとえ違法武装サイボーグに囲まれても何の不安もない。安心して暴れてこい!」
「了解です。特攻装警の命脈は必ず守ります」
そして通信が切られると、前方の覆面パトカーが走り出す。向かう先は警察航空機とは無縁のはずの調布飛行場であった。
大戸島はその走り去るシルエットを見届けると自分自身も覆面パトカーを走らせ、インターチェンジを入り直して都心方面へと首都高を走り出す。今夜のこの2人のやり取りは記録には一切残らない。公式には2人はこの場所では会っていない。一切の真実が秘匿されたまま、過酷な夜は更けていくのである。
■そして、東京アバディーンにて――
単分子ワイヤーに絡め取られて、壊れたマリオネットのように吊るされているのはあのベルトコーネであった。呆然と放心して一切の精気もない。残る手筈は、ベルトコーネを無力化してこの埋立地の外へと運び出すのみである。
だがその手はずのために通信をしようと試みていたグラウザーだったが困惑の中にあった。とまどいを隠さずに彼は言う。
「どうしたんだ? ディアリオ兄さん! 返答してください!」
慌てたような語り口に、己の右腕の残骸を集め終えたセンチュリーが語りかけてくる。
「どうした? グラウザー」
「兄さん、先程からディアリオ兄さんと連絡が取れません」
「連絡が? それは仕方ないだろう。このスラムは有能すぎる違法ハッカーの巣窟みたいな場所だ。また違法セキュリティに遮断されたんだろう。すでに大久保さんを通じて、新谷のオヤジや本庁へと連絡してくれるように頼んである。順当に物事が運んでいるならもうじき第一陣が飛んで来るはずだ。朝には悪いが俺はここで退散する。状況が落ち着いたら朝を向かえに行ってやれ。もちろん、その格好を解除してな」
センチュリーは一切の不安なく、現場を収拾する手はずへと向かっていた。
危機は去った。ベルトコーネは無力化された。あとは脱出するだけ――そう確信していたのだ。そしてその事をグラウザーは一抹の疑念すらも抱いていなかった。
「えぇ。回収が済んだらそうします。朝さんも僕達のことを待っているでしょうから」
「あぁ、あの子が無事助かっていると良いんだがな」
「はい、僕もそう思います」
2人は言葉をかわしながらカチュアの身を案じていた。これ以上の危険はもうないと信じるが如くに。だが――
【 インターナルフレーム独立制御システム 】
【 >外部状況感知 】
【 〔意識レベル最低値〕 】
【 〔重要器官制御プログラム消失〕 】
【 〔機体構造大規模破損〕 】
【 >最終判断 】
【 〔外部総体システム行動続行不能〕 】
【 〔破局的緊急事態と判断〕 】
【 〔ブラックボックス作動開始準備〕 】
ソレは人知れず淡々と動き出していた。悪夢の夜はいまだ続いていた。

















