エピローグ:深夜、所轄署にて
品川駅の西側エリア。
品川インターシティと呼ばれるエリアがある。
かつて、品川操車場と呼ばれた貨物列車の入れ替え基地が鎮座ましていた場所だった。だが、貨物鉄道の再編に伴い、基地は廃止となり再開発対象となる。そして、時を経て新たな市街区となり、新宿や池袋に比肩するとも劣らない高層ビル群の立ち並ぶ未来都市へと変貌していた。
そのインターシティから少し外れて、都道315号線――旧海岸通りと水路との間に挟まれた辺り、南北に細長い敷地を利用して建てられた真新しい警察署がある。
『第1方面広域管轄署・涙路署』
それがその警察署の名前であった。
そしてそここそが、朝刑事とグラウザーの活動拠点となる場所だったのである。
その涙路署の2階フロアに彼らの待機する部署である『機動捜査係』はあった。
捜査課の中にあり、1係や2係などと連携して初動捜査に駆けつけ、現場把握と犯人補足に活動する重要性の高い部署だ。
無論、本庁の機動捜査隊を手本として発足、運用されているのは言うまでもなかった。
人影まばらな夜の捜査課オフィスにて二人は他の部署の当直たちと共に深夜待機をしていたのである。
ファミレスのデリバリーを受け取り夜食を済ませると、そのまま待機任務に移行する。朝は自分のデスクにてひと心地ついていた。
「運が無いなぁ。現場の制圧任務のその日の夜に当直だなんて――」
その顔に疲労の色を垣間見せながらも、朝は書類整理を続けていた。だが考えようによっては都合が良い。
「でもまぁ、こいつの活動報告書も作んないといけないからかえって助かるか」
朝は立場としては通常の捜査員の他に、特攻装警の指導監督の補佐役と言う役目も負わされている。通常の事件調書の他に、相棒であるグラウザーの育成教育の状況についての〝報告書〟も作成しなければならないのだ。
グラウザーはまだ正式着任相当だとは日本警察上層部には認められていない。
人格、情動、知性、状況対処能力、あらゆる面において独り立ちさせるには〝未熟〟だからである。
「さて、書く物書いて、仮眠するか」
かるくボヤキの言葉を漏らす朝だったが、そこに現れたのはパートナーであるグラウザーである。
特攻装警の第7号機、未だ、正式ロールアウトになっていない特別な身の上だった。その手に自販機で購入した紙コップ入りのホットコーヒーが入れられていた。ほのかに湯気の立ち上るそれを、そっと朝へと手渡しする。
「どうぞ」
「おう、すまないな」
見ればグラウザーは自分の分も手にしている。その事から彼がアンドロイドながら飲料物を摂取可能である事がわかる。
「お前も今日はご苦労だったな。はじめての事件現場、どうだった?」
グラウザーの活動報告書を書き始めながら朝は、傍らの席に腰掛けたグラウザーに問いかける。それに対してグラウザーは静かに答えた。
「そうですね――」
穏やかに言葉を吐くが、すぐに沈黙する。そして思案していたがポツリと呟いた。
「すごい、悔しかったです」
朝はノートPCで報告書を作成しながら、グラウザーに視線を投げかけつつその言葉をしっかりと聞いていた。
「例えば?」
それはグラウザーの中の不満や疑問を曖昧にさせないための言葉だった。疑問と不満の核心を浮き彫りにしてえぐり出す。残酷ではあるが彼の心を成長させるには必要なことだと、朝は確信していたのだ。朝の問いかけにグラウザーの唇が動いた。
「――僕自身の判断と決断で〝何も〟できなかった事がです」
「―――」
グラウザーのその言葉を朝はしっかりと受け止める。そして、一番適切と思える言葉を朝は返した。
「まぁ、俺や飛島さんの声に従って動いただけってのは確かだな。だがなグラウザー――」
朝はキータイプする手を止め、グラウザーの方へと向き直る。そして、力強く告げたのだ。
「あらゆる全てを自分の意志だけで決められる奴なんて、この世にはどこにも居ないんだよ」
朝の語る言葉が続く。
「規則、ルール、法律、命令、指示、暗黙の了解――、自由な意思を縛る物なんてこの世にはたくさんある。むしろ自由になる事の方が少ないと言っていい」
「――――」
「だがな、グラウザー」
「はい」
「〝だからこそ〟だ。自由になれるように、自分でできる事が少しでも多くなるように〝努力〟するんだよ」
「努力――」
「そうだ――」
厳しい言葉を投げかけつつも、朝の語りかける視線は優しかった。
「練習を重ね、学習し、叱責され、経験を積み重ねていく。そして、自分の頭と才覚で適切な判断と決断を下せるように、自分自身を日々強くしていく。俺だって警官になる前に警察学校で規則だらけの1年半を過ごしてる。その1年半に耐えられないやつが脱落していく中で、俺はどうしてもやりたいことがあった。死んだ親父と同じ刑事になりたかったんだ。そのために俺は5年の時間を費やした。そして今、俺は自分が望んだ通りの事をしている。だがな――」
朝は軽く言葉を区切るとグラウザーの肩をそっと叩いて、こう告げたのである。
「お前はまだ〝今日〟現場を始めたばかりだ。覚える事も、身につける事も、まだたくさんある。今、できない事を悔いるより、やるべき事と向き合うべきなんだよ。いつか、あの兄さんたちや姉さんと胸を張って会えるようにな。分かるな?」
朝が語るその言葉をグラウザーはじっと聞き入っていた。そしてそれはグラウザーの笑顔へと結実する。
グラウザーは軽く息を吸い込み、穏やかだが明快な言葉でこう答えたのである。
「はいっ」
その返事が朝には心地よかった。グラウザーの気持ちを受け止めるようにうなずき返したのだ。
だが、その時、捜査課のオフィスの中に電子音のサイレンが鳴り響いたのである。
朝もグラウザーも、他の当直刑事たちもその放送の方へと耳を傾ける。緊急性のある事件情報の放送であった。
【緊急連絡: 】
【 】
【 現在、神奈川県横浜市、南本牧コンテナ埠頭】
【付近において破壊活動が発生しているとの報告】
【を確認。現在、特攻装警1号から4号、および】
【6号が神奈川県警管轄下にて事件対応中。 】
【 さらに、警視庁警備部より特攻装警5号が、】
【神奈川県警武装警官部隊2小隊と連携行動中 】
【 関係する可能性の署内職員は、神奈川県警の】
【応援要請に備え待機―― 】
流れてきた放送の内容は朝とグラウザーにとっても無縁ではなかった。
朝は覚悟を決めると、グラウザーに対して速やかに判断を下す。
「グラウザー、事件対応が解除されるまで、このままここで待機だ。こう言う場合〝待つ〟のも大切な仕事だからな」
兄であるアトラスが、センチュリーが、ディアリオが、エリオットが――そして姉であるフィールが――、夜の危険な事件現場にて活動している事はグラウザーにも十分に理解できていた。
だが、それに対して、自分自身が何をすべきかを朝が語る指示から、グラウザーは速やかに理解した。朝から告げられた指示内容を彼は復唱する。
「了解、グラウザー、次の行動指示あるまで出動待機に入ります」
それはアトラスたちの夜の戦いの裏側で、ひそかに起きていた事実だったのである。
特攻装警第7号機『グラウザー』
彼は未だ〝成長途上〟だったのである。