7
病院に駆けつけた時には、全てが終わっていた。
俺が病室に入ると、ベッドの上で天井を見ていた咲がこちらに目を向けた。顔は酷く腫れていて、その表情は虚ろだった。
「咲…大丈夫か」
大丈夫なはずがない。なのに、他になんて声をかけたらいいのか分からなかった。
「…ごめんね。私が、不注意だったの」
今にも消え入りそうな声で、咲がつぶやく。俺はベッドに近づいて、咲の手を握った。
「咲のせいじゃない」
「赤ちゃん、死んじゃった」
「咲のせいじゃないよ」
「ごめんね、ごめっ…」
泣きじゃくる咲を、俺はただ抱きしめてやることしかできなかった。
「誰でもよかった。眼に付いた女を車の中に引きずり込んで、数回殴った。それから、強姦した。妊娠しているなんて知らなかった。…気持ちよかった」
唸るように低い声で、俺はその言葉を口にした。何度繰り返したのか分からないそのセリフは
「咲を犯した奴の言ったセリフだ」
アリスは黙って、俺の方を見ている。
「当時19歳。今は…21歳かな。そいつに、俺たちの子供は殺された。でも、法的には殺人罪ではなくて堕胎罪だ。殺人罪に比べて、刑は軽い。強姦だって、死刑になることはまずない」
怒りで声が震え始める。息をするのが苦しい。なのに、吐き出す言葉は速度を増していく。
「俺たちの子供を殺して、咲の精神を壊して。それでも奴は軽い罪に問われるだけ。今でもあいつは、のうのうと生きてるんだ。俺は」
「許せない?」
不意にアリスが口を開いたので、俺は驚いてアリスの顔を見る。クッションを抱えた格好で座っているアリスは、何故かとても悲しそうな顔をしていた。いつものような笑顔では、なくて。
「…殺してやりたいと、思った。何度も」
声がかすれる。
「だけどそれをしたら、俺も奴と一緒だ。ただの、殺人者」
「うん」
アリスは静かな声で頷いたあと、
「だけど許せないんだよね?」
確認するように、訊いてきた。
「…お前に復讐を頼んだ場合、どんな風に実行するんだ?」
俺が尋ねると、アリスは少し考えてから、早口で言い始めた。
「殺さない場合でも殺す場合でも、思いっきり痛めつけるよ。そうだねー…、まずは爪を剥ぐかな。それから、指を1本ずつ折る。で、片目を潰す。潰す時は針を使ってゆっくりと。…まだ聞きたい?」
「…いや、いい」
俺はため息をついた。復讐、…復讐。あれだけ考えていたのに、
「お兄さんはさ、多分、あんまり復讐は似合わないよね」
クッションを抱えたまま、アリスが口を開く。
「少しでもためらう気持ちがあるのなら、復讐はやめておいた方がいいよ。後悔する」
「…。」
「仕返しをしないのなら…消去の方かな?さっき、奥さんの記憶がどうこう言ってたよね。何を消したいの?犯人の存在?」
「…いや」
俺は額に手を当てる。きっと、忘れた方がいいのは
「俺たちの子供の、存在だ」
アリスの顔が、一瞬だけはっきりと曇った。