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「…咲」
俺が声をかけると、ベッドの上で編み物をしていた彼女はゆっくりとこちらを向いた。そしてほほ笑む。だけどそれは嬉しいからではなく、ただ「ほほ笑む」という動作をしただけのようだった。
「俊」
わずかに口を開いて、俺の名前を呟くように言う。相変わらず顔は笑っているが、目は俺の方を見ていない。
俺は彼女の編み物の方に目をやる。子供用の靴下。…これで何足目だろう。
「プリン買ってきたんだ。食べる?」
そう言うと、彼女は頷いた。俺はベッドの側にあるパイプ椅子に腰掛け、買ってきたプリンを取り出した。どこのコンビニにでも売ってる安物のプリンだけど、彼女は昔からこれが一番好きだった。
彼女はプリンを受け取ると、パッケージに描かれているひよこの絵を見て動きを止めた。顔はほほ笑んだままなのに、大きな目からぼろぼろと涙が溢れ出す。
「俊、ごめんね」
彼女は両手で頭を抱えた。ベッドからプリンが転がり落ちる。彼女はがたがたと震えながら、ごめんねと言い続けた。
「咲」
「ごめんね、ごめんね」
俺の声は彼女には届いておらず、彼女の震えはどんどん大きくなる。俺は立ち上がり、震える彼女を抱きしめた。そうしないと、彼女はバラバラになって壊れてしまいそうだった。
「ごめんね、ごめんね、赤ちゃん、死んじゃった…」
言い終わると、彼女は悲鳴をあげた。
あの事件から2年。そして、彼女が精神科に入院してから1年半が経とうとしていた。時が経てば薄らいでいくのだろうと思っていたこの感情は、日を追うごとに強くなっていく。
いくら時間が流れても、彼女も俺も、…あの子も、救われることはない。
日本では胎児を殺しても、死刑にはならない。どれだけ悪意を持っていても、命を奪っても、胎児ならば死刑にはならない。殺人罪ではなく、堕胎罪。胎児は人ではないのだ。…法律の中では。
「ふざけんなよ…」
泣き腫らした目で眠る彼女を見ながら、誰にも聞こえないように呟く。俺たちの子供を殺したあの男は、これからもへらへら笑って生きていくんだ。人殺しの、くせに。
「ふざけんな」
絶対に許さない。いつか絶対に復讐してやる。
殺して、やる。