12
日曜日。咲の見舞いに行こうとしたら、アリスが「私もついていきたい」と言いだした。
病室の前に着くと、アリスは首をひねって少しだけ何かを考えてから、
「私、部屋の外で待ってる」
そう言って笑った。
「…そうか、分かった。じゃあ、またあとで」
「うん。どーぞごゆっくり」
俺に向かって笑いながら手を振ると、彼女は壁にもたれかかり、そのままペタンと床に座り込んだ。
俺が一人で病室に入ると、咲は相変わらず、ベッドの上で編み物をしていた。俺はパイプ椅子に腰掛けて、その様子を眺める。作っているのはいつも一緒で、子供用の靴下だ。
アリスは部屋の外で待っている。俺はドアが閉まっているのを確認してから、咲に小声で尋ねた。
「咲。…子供のこと、忘れたいか?」
子供、という単語をあまり咲の前で使いたくなかった。だけど、訊きたかった。俺の独りよがりの感情で、咲から子供の記憶を消してしまうのは気が引けたからだ。
咲は編み物をしていた手を止めると、ゆっくりとこちらを見た。それから、首をかしげた。
「…どうして?」
「え…」
「私が忘れたら、赤ちゃんは完全に死んじゃうじゃない。だから、忘れないの」
そう言って、視線を編み物に戻した。
「人間はね、二度死ぬんだよ」
いつかのアリスのセリフが、頭をよぎった。
人間二度死ぬ。一度目は、身体がその活動を止めた時。二度目は、
誰かに、忘れられた時。
咲が子供のことを忘れてしまっても、俺が覚えてる。だから、子供は死なない。
だけど、「咲の中の子供」は、死ぬ。
咲は編み物をする手を止めない。作っているのはいつだって、子供用の靴下だ。
それは彼女が、子供のことを忘れていないから。
彼女の中の、子供は死んでいないから。
彼女の作っている靴下を見て、俺はほほ笑んだ。
「…そうだな」
復讐も消去も、俺たちには、いらない。
アリスに言おう。そして最後に、遊園地にでも連れて行ってやろう。対価ではなく、…変な言い方だけど、友達として。
「アリス、俺」
ドアを開けると、そこにはもう、アリスの姿はなかった。
きょろきょろと廊下を見渡すお兄さんを見て、私は笑う。
「…私の姿、見えなくなっちゃったんだね」
見えなくなったということは、彼はもう、私のお客様ではなくなったということだ。つまり、復讐も消去も放棄したということ。
私は笑った。なんんとなく、こうなる気がしていたから。
「色々と楽しかったよお兄さん。…じゃーね」
私は立ち上がり、お兄さんに手を振った。
振り返してもらえないと、分かっていたけれど。