東の森
引き続き暑い中での行軍となったが、バオは張り切っていた。何としてでもこの島を脱出する。救援がいつになるかわからない以上、食料は多いに越したことはない。また、東南アジア圏を出た事のないバオは、未知の世界に少なからず興奮していたことも事実だった。
「本日は水の確保が最重要課題です。昨日はありませんでしたがスコールはもちろん、小川、湧き水などの音には十分注意して下さい」成瀬が先頭となってミン、シャオユー、バオが続く縦一列の隊列を成し、グエンが殿を務める。
皆一様に機内からかき集めたタンクの代わりになりそうな容器を手に手に水との遭遇を待ち詫びていた。ギャレーや客席にあった乗客の残した水分では、13名の渇きを満たすにはあまりにも心許なかった。
方位磁針が効かないのは相変わらずだったため、目印を目一杯残しながらまずは島の北側を目指す。
北へ向かうルートはミンとグエンが踏査済みだ。
「おっ、皆さんもうそろそろ森が途切れます」
「何kmぐらい歩いた?」後ろでグエンが聞いてきた。8、9kmは歩いたような気がする。舗装道路のそれとは違い、森の中をこれだけ歩くと体力の消耗は著しい。
「シャオユー大丈夫かい?辛そうだけど」シャオユーの後ろを歩いていたバオが声を掛ける。
「体力は大丈夫なんだけど、この森に入ってからずっと頭が痛くて」
「森を抜けたら一度休もう」
まもなく、視界が開けた。眼前には奥行き30mほどの砂浜を挟んで、碧玉を溶かして注いだようなきらきらと輝く海面が果てしなく広がっていた。
「綺麗」シャオユーが膝に両手をついて深く呼吸をしている。
「どうだい?少し楽になったかい?」
「シャオユーさんどうしたんですか?大丈夫ですか?」先頭を歩いていた成瀬は今になってからシャオユーの不調に気づいたようだ。
「大丈夫です。ただ、少し頭が痛かっただけ…小さな音で耳鳴りが続いているような感じがしてたの。でも森を抜けたらそれが一気に無くなって楽になったわ。みんなは大丈夫?」
「特に何ともないな」グエンをはじめ男性陣全員が問題ないという。
「原因はわかりませんが、ここからはシャオユーさんのペースで進みましょうか」
「ごめんなさい、もう少し休めば大丈夫。予定通り進路を東に進みましょう」このまま後戻りしてもよかったのだが、折角ここまで来たという気持ちも正直あった。
「結局海岸沿いには何もありそうにないですね」
ミンがただただ横に広がっている広大な砂浜を見て、少しがっかりしたように呟く。
「よし!もう大丈夫。さ、行きましょ」
15分程休憩した後、一行は東側、島を上空から見た場合の右に当たる方向へ進路を取った。
「どうだい?森に入ると耳鳴りはするかい?」
「やっぱりそうみたい。でも本当に軽いから気にしないで、全然問題ないから」
耳を澄ませてみても草木の擦れる音くらいしか聞こえない。シャオユーに何かあれば後ろからしっかり支えようと、バオは集中して歩き続けた。
5キロ程進んだところで進路を南へ向けた。東の森の中心部へ向かうためだ。
東の端へ向かうとなると、日が暮れるまでに帰ってくるのは難しい。目的地は鼻から中心部と決めていた。
南下してから1時間程経過した辺りで成瀬が足を止めた。
「これは!?」
そこは100m四方くらいに開けた場所で、木や葉で作られたテント型の住居らしき建物が6棟、サイコロの6の目のように並んでいた。
「ピグミーバンドのキャンプに近いな」
「グエンは何か知ってるの?」
「いや、昔仕事でアフリカへ行ったときに、友人に写真を見せてもらっただけなんだが」
アフリカ大陸は世界で最も民族的多様性が高い。3,000近くの異なる民族集団が生活しており、細分化された文化構造を持っている。
その民族の一つであるピグミー族は主に中央アフリカ、コンゴ盆地の熱帯雨林に生活の拠点を置いており、森の中にキャンプを作り、資源が枯渇すると数ヶ月単位で移動するという遊動的な生活を営んでいる。
平均身長が150cmと世界でも屈指の低身長が特徴でもある。
「休憩を兼ねて少し見ていきましょう」成瀬の指示通り、付近に人影が無いのを確認してから一棟ずつ中を見ていく。
「昔は生活してたって感じか?確かに元住居らしいな。地面の黒ずみはおそらく以前火を使用した跡だろう。今は誰も居ないからもしかしたら移動してたりしてな」
「だいぶ風化してますね。退去してから数年は経ってるんでしょうきっと」
辛うじて建物としての風体は保っているようだが、実際に生活するとなると相当な手入れが必要に思えた。
「もしかすると、この島全体には他にもこのような生活圏があるのかもしれません。人が住んでいる可能性は高いですが、文明の高は量れないですね」成瀬があまり期待しない方が良いといった具合に語尾を濁した。
「バチカンでもあの狭い面積に人口が7、800人いるはずだ。全然あり得る話だな」
グエンが言い終えるやいなやポツポツと音が鳴り始めた。
「おお、これはありがたい。今のうちに容器を広げましょう。スコールが落ち着くまでテントで待機しましょうか」一拍も置かずに本格的なスコールとなった。
めぐみの雨だ。留守番組もあらゆる方法で雨を集めてくれているはずである。
テントの中は5人が入っても広々としており、風化してるとはいえ、土台や木組みがしっかりと建てられているため、雨を凌ぐには十分だった。
「さて、今現在ですがおそらく中心部近くまで入り込んできているかと思われます。この後は進路を西へ取り帰路へつこうと思うのですがよろしいでしょうか?」
ジャングルを探索するには軽装備過ぎる。
もともと遠征はしない、無理のない範囲というのが探索の方針であるため、ここは満場一致で成瀬に従う事にする。
「帰りながらもし他のキャンプを見つけた場合は、同じように中を確認して行きましょう」
15分程経過しただろうか、空が決壊したかのように降っていた豪雨が嘘のように止んだ。
スコールが降る少し前、アイシャとアレックス親子に事件が起きていた。
「ねえ、メイリン。アレックスを見なかった?」
「いいえ、見ていないわ。いないの?」
「ええ、10分くらい前から姿が見えなくて…私も貝を集めるのに真剣になってたからつい目を離しちゃって…海の方へは行ってないと思うのよ。前の方で動きがあったら目に付いたと思うから」
「ねえ、ユーシン!アレックス見てない?」
30m程離れた場所で砂に埋まっている貝を集めようと必死になっているユーシンにメイリンが叫んだ。飛行機や船が一向に現れないため、2人は貝集めに集中していた。持参していたビニール袋一杯になっているところを見ると、こっちの方は捗っていたらしい。
「見てないわ!いないの?」ユーシンはメイリンよろしく答える。
「そうなの。ちょっとアイシャと探してくるね」そう返すと、2人は飛行機の方へ向けてアレックスを探しに行った。
進一とジムは遥か先で釣りをしており、見える範囲でそこにはアレックスはいないことが確認できる。
飛行機まで約1km探してみたが、アレックスは見つからない。念のため機内を探してみるも、どこにも見当たらず、アイシャに焦りの色が見えてきた。
「どこに行ったのかしら」
「もしかして用足しに森の中へ入ったのかも」
「森は怖いって言ってたから全くそんな事考えていなかったけど、ここまでいない事を考えるとあり得るわ。ごめんメイリン、もう少し力を貸してちょうだい」
「もちろんよ」
2人は来た道を戻り、砂浜が近づいたところで、アイシャが右手の西側の森、メイリンが左手東の森に入った。
アイシャにしてみればとんだ災難続きだった。
こんなところで息子を失うわけにはいかない、我を忘れて探し歩いた。「アレックス!どこにいるの?返事をしてっ!」大声で叫んだ後に耳を澄ませるも、声は聞こえない。
「どこにいるの?お母さんを1人にしないでちょうだい!」半狂乱になってくる。
小走りで駆け回るも、パンプスでは走りにくく脱ぎ捨てて探し回る。自分が遭難してもどうだって良い。アレックスさえ無事でいてくれるのなら。
小一時間近く探し、知らないうちに砂利道側へ戻って来ていたことに気がついた。
そのときだった。「アイシャ!アレックス見つかったよ!」メイリンの声がする方向を見ると、彼女の傍らにアレックスが立っているのが見える。
「アレックス!心配したのよ、一体どこにいたの?」駆け寄ったアイシャにメイリンが代わりに答える。
東の森へ入って1km程入ったところにアレックスはいたという。
「アイシャに沢山フルーツを摂ってきて食べさせてあげたかったんだって。だけど途中で道に迷ってしまって、気がついたらどこか知らない広場へ出てたって言うのよ。私が見つけたのはその広場で、実はここからが凄いんだけど…」
その広場には明らかに人が住んでいた形跡が残っていたという。
「沢山のテントがあったわ」メイリンがスマートフォンのカメラで写真を撮ってきたというので、2人で改めて確認する。
「本当ね!皆んなが集まったときに話してみましょ。ところでアレックス怪我は無い?あんたは本当に優しい子ね。お母さん大丈夫だから。ごめんね、もう1人で森へ入っちゃ駄目よ」
「わかったよ。ごめんよお母さん」アレックスがまるで雨に打たれた子犬のような顔で謝った。
「ところでアレックス、耳の調子は大丈夫?」
「耳がどうかしたのかしら?」アイシャが心配そうにアレックスの耳を見ようと顔を近づけた。
「違うんだ。森の中にいるとキーンって音がするんだ。でも今は大丈夫だから」




