上陸
突然暗くなった客室内に雷鳴が響き渡る。巨大な魔物の口へ突っ込んだかのような不気味な気分に、動揺を隠そうとバオは両腕を組んだ。
右隣に座る初老の男も先ほどから落ち着かない様子で、客室クルーの女性にしきりに状況を聞いている。
「私どもも現在何が起こっているのか特定中ですので、確認が取れ次第お伝えいたします」
まもなく機体が大きく揺れ、体に重力が圧し掛かってくるようになってからは客室内が幾分静かになったような気がする。先ほどまで泣き喚いていた5、6歳くらいの少年も今では声も出せないのだろう。
満席ではなかったことがバオにとっては少しましに思えた。30席ほどある座席は半分も埋まっていなかった。乗客が多ければ多いほど、混乱の波は広がりやすいだろう。
それと、友人のミンとの席は離れているため、バオ自身、動揺していることを悟られる心配もない。
次の瞬間機体が大きく降下した、降下というより落下に近いスピードで身体に大きな重力がかかり続けた。と思ったのも束の間、フッと身体への負担が抜けていった。
この機体の挙動にバオは少し違和感を覚えた。
そしてその瞬間、窓の外が緑色に光った。気のせいだろうか?いや、見間違いなんかではない。間違い無く緑色の落雷だ。
それからどれくらいの時間が経過しただろうか、女性クルーの声で緊急着陸が伝えられた。バオは指示どおりの姿勢を保ちながら、田舎の母親のことを考え、零れ落ちる涙をぬぐい去ろうともせず死を覚悟した。
轟音とともにパチッパチッと機体に何がが当たる音がする。上体を少しだけ起こし、窓の外を見ると、どうも砂利道に着陸している様子が窺える。海上へ不時着するものと思っていたので、陸に着陸したことに驚いた。やがてスピードが落ち、揺れが収まった頃、初老の男が話しかけてきた。
「陸がある?我々は南シナ海の空を飛んでいたのではなかったのかな?四方は海に囲まれており周りに島一つ無かったはずなんだが」
「何が起きているんでしょうね?もう少し様子を見ましょう。まもなく案内があるはずです」
何とか着陸に成功したらしい。客室の至る所から安堵のため息や拍手の音が聞こえる。
素人目に見ても明らかに機体は斜めに停止している。案内があるとは言ったものの、おそらく機長を含めたクルー全員、状況整理が追いついていないはずだ。
まもなくして前方の扉が開き、機長自らが状況説明を行った。
「燃料が無いってことは、これから救援を呼ぶんでしょ?一体どれくらい待てばよろしいのかしら?」初老の男の妻だろうか、かなり動揺しているようだ。
「それと携帯電話が圏外のようだけど、それについてもどうなってるのか教えてちょうだい」
「我々クルーは乗客の皆さまへ現在置かれている状況を可能な限り正確にお伝えいたします。実は我々も今置かれている状況の整理がついておりません。近隣空港の管制塔との連絡手段も途絶えており、燃料枯渇の原因はおろか現在地も正確に把握出来ていない状況にあります。また、私をはじめクルーが個人所有している携帯電話は既に確認をいたしましたが、今のところ全て圏外でございました。大変申し訳ございません。外部との連絡が取れるまで今しばらくお待ち下さい。また、現在地がわかるまでは機外へ降りることもお控え下さい」
「お控えって。出たくても出してくれないのよねきっと。だったらさっさと今いるところを調べてちょうだい」
辛辣な物言いだがもっともであった。機内は決して広いとは言えず、放置されている時間によっては閉所恐怖症じゃなくても耐えられなくなる。
「もちろんでございます。早急に調査いたします。ご心配をお掛けし誠に申し訳ございません」そう言い残すと機長は操縦室へ戻っていった。
時間だけが徒過し焦燥感だけが募っていった。
何より携帯電話などの電子機器が全て使用できず、外部の情報が入らないことが乗客の不安感を募り、ストレスを与えた。
機長からの調査報告があったのは、着陸してから2時間が経過した頃だった。
「我々は本日午前9時35分、ベトナムのタンソンニャット国際空港を発ち、クアラルンプール国際空港に向けて南シナ海を高度約15,000フィートを維持し南下しておりました」
機長の話しでは、空港間の距離が約1,050km、飛行時間から算出するとおよそ中間地点の南シナ海海上にいることになる。近郊海域にはリアウ諸島があるものの、マレーシア半島東端にあるトレンガヌを目指して直進してきた航路上には、間違いなく陸地は無いとのこと。
「それじゃ我々は一体どこにいるということになるんだね?」
初老の男の訝しむような質問に、機長は一瞬逡巡した気配を見せるも、次のように続けた。
「飛行機に搭載されている磁気系統の計器類全てが狂っている状態です。皆様もお手元のスマートフォンで方位の確認が取れる方は是非ご覧下さい。コンパス機能は電波に関係なく使用できるはずです」
バオはミンの隣の席へ移動しており、2人でスマートフォンを取り出し方位磁針アプリを開いてみる。
2人のスマートフォンを同じ方角に向けてみると、バオのアプリが北西を表示しているにも関わらず、ミンの方はというと南西を示していた。
「あら、本当だわ」先ほど泣き喚いていた少年の母親も自分のスマホを確認しているらしい。
「私たちこの後どうなるのでしょうか?」
不安な様子で子供の頭を撫でながら機長へ確認する。
「岩石に磁性鉱物が含まれていて…磁鉄鉱と言うのですが、その関係から磁場に影響を及ぼし、方位磁針が狂ってしまうということは自然現象として実際にある話です。落雷の多い地域で発生しやすい現象だと聞きます」
そこで機長は数秒間目を閉じたかと思うと、決心したように乗客を眺め回した。
「ここで皆様に提案とお願いがございます。当機のクルーは機長の私、東堂進一、それから副操縦士の成瀬拓真、客室乗務員のマーガレット・テイラーの3名となります。今後我々は皆様を安全にクアラルンプールへ送り届けるべく最大限義務を果たすことを誓います。このような事態となってしまい、改めて大変申し訳ございません。しかしながら現状が掴めない今、我々も皆様のお力を借りる必要がございます。一刻も早い解決のため、是非お力添え下さいますようお願い申し上げます」機長はそう告げると深々と頭を下げた。
皆しばらくの間無言だったが、今まで黙っていた30代前半であろう乗客の男が口火を切った。
「自然現象で起こったことだ、俺は機長たちを責めるつもりはないよ。ここであなた方を責めることが得策ではないことは明白なんだ。全員合わせてたったの13人。ここは一つ、早々にここから脱出するために一致団結するしかないだろ。誰か異論はある?」男の声は野太く、まわりを説得するのに力を発揮した。
バオも同じ考えだったため後押しをする。
「俺は賛成だよ!ミンも良いよね?」横の友人を肘でつつく。「ああ、もちろんさ」
「わしらも賛成ってことでよろしいかな?メリッサや」初老の男の妻もはじめは不服そうな顔をしていたが、次第に柔和な顔つきになり「とりあえずここを出して頂戴。そろそろ息が苦しいわ…ま、命があっただけよろしいんじゃないかしら」と反対ではない意を表明した。
メリッサの一言で一度外に出てから今後について打ち合わせることになった。
先ほどの調査時間には周辺の確認も含まれていたようで、副操縦士の成瀬より飛行機から半径500m圏内はひとまず安心であることが伝えられた。地域によっては有毒ガスの発生、或いは攻撃的な部族がいることも想定される。東南アジア圏内の場合はどちらの可能性も低いが、乗客の命に関わる問題には慎重を重ねて損はない。
飛行機を中心に、両側が鬱蒼としたジャングルになっていた。
「着陸前に操縦席から見た記憶では、おおよそここの作りは外周30kmほどの島になっていて、我々が今いるこの砂利道を挟んで両側は見た通り森が広がっているだけでした。この道を上陸した側へ1kmほど戻ると砂浜が広がっていたはずです。数秒も確認出来ておりませんので、詳しいことはわからないのですが…」
飛行機のそばで円陣を組むような形になり、全員で軽い自己紹介をした後、機長の東堂が状況を説明した。
「さて、ところで東堂さんの言う我々の力を貸して欲しいとはどういうことか説明してもらおうか?」
最初に機長たちを責めないと擁護したベトナム人男性は、名をグエンといった。
浅黒い肌はとても健康的で、全体的に好青年な印象を受ける。年齢は意外にも25歳と、バオが受けた印象からは少し若かった。
初老の男性はカナダ系アメリカ人のジム、妻のメリッサとともに観光でベトナムからマレーシアに渡るところだった。
6歳の少年と母親のアイシャはマレーシア人の親子で、息子アレックスを連れ、単身赴任中の夫に会うためにベトナムへ渡航していたとのこと。
「なんかこの島少し怖いんですけど」「ちょっと、嫌なこと言わないでよ、あっ、私たちも勿論お手伝いしますからね」中国出身の女子大生3人組は、髪の毛全体を淡いピンク色に染めているシャオユー、二つ縛りで襟足だけ緑に染めているメイリン、黒髪で丸メガネが似合うユーシン。
卒業前の記念旅行でベトナムに来ていた。
女の子達に目を奪われていたところ、ミンから腕を叩かれバオも自己紹介をした。
「俺がバオでこっちがミン。ダナンの友達に会ってきた帰りで、マラッカに向かうところだったんだ」
進一は一同を見渡し説明を始めた。
「現在時刻が16時を少し回ったところですが、ここが南シナ海海域で間違いなければ本日の日没は18時00分頃となります。暗くなる前に手分けをして島の地形把握と食糧の確保。救助信号の作成。この辺りを…」
「ちょっとまった。色々と聞きたい事が出てきたんだが、まずここが南シナ海じゃない可能性もあるのか?それと救助信号って、今頃救援は向かっているんじゃないのか?」グエンの質問に皆が頷いた。
「あくまでも可能性の話です。ただ、本来海上をフライトしていたはずのところ、この島はどこからともなく忽然と姿を現しました。その時点で我々の位置が不明確なんです」
「急に島が現れたのか、それかもしくは!?…俺らが島のあるところに瞬間的に移動した可能性もあるってことか。そんな馬鹿な」グエンは納得出来ない様子でかぶりを振った。
「救助に関しては、我々が空港に到着しないことで今頃世間では大騒ぎになっているでしょう。マレーシア半島上空を飛び、今頃はとっくにクアラルンプールに到着しているはずなんですから、世間から見ると我々が忽然と消えたような格好になっている。管制塔のレーダーからも消えている可能性も考えられます。一次方向からの救援だけでは心配です。我々からも何かしらの救援を求めるアピールをした方がよろしいかと考えます」




