第6話 世界が、推しを近づける
「ここで話すの、あれですよね」
そう言われて、初めて周囲の音が戻ってきた。
車の音。
人の声。
夕方のざわめき。
さっきまで、世界が止まっていたみたいだったのに。
私は、頷いた。
考える前に。
少し歩いて、通りから外れる。
人目は減るけれど、完全に二人きりにはならない。
その距離感が、ちょうどよかった。
歩きながら、横顔を見る。
やっぱり、知っている。
でも同時に、知らない。
画面の中では、いつも光の中心にいた人。
今は、少しだけ緊張している普通の人。
その差に、胸がざわつく。
「……驚かせましたよね」
先に、向こうが言った。
「急に声かけて。
こういうの、よくないって分かってて」
責める調子じゃない。
言い訳でもない。
確認するみたいな声。
私は、首を横に振った。
「びっくりは、しましたけど」
それだけ。
本当のことだけ。
嘘は言っていない。
全部も、言っていない。
少しだけ、間が空く。
その沈黙を、向こうは無理に埋めなかった。
「……でも」
一歩、距離を保ったまま。
「見覚えがあって。
ずっと、気になってて」
“ずっと”。
その言葉が、耳に残る。
推す側が使うはずの言葉。
向こうから聞くなんて、想定していなかった。
胸の奥で、何かが動く。
熱じゃない。
衝動でもない。
もっと、静かで、逃げにくいもの。
「もし、迷惑じゃなければ」
言葉を選ぶ仕草。
慎重に、慎重に。
「また、会えませんか」
質問なのに、押しつけがましくない。
逃げ道も、ちゃんと残してある。
私は、その逃げ道を見た。
見たうえで。
「……はい」
答えていた。
自分の声なのに、少し遠く感じる。
その瞬間、空気が変わった。
目に見えない何かが、確かに近づく。
世界が、ほんの少し、傾いた感覚。
向こうが、ほっと息を吐く。
「よかった」
その一言が、
ステージのどんな言葉よりも近くて。
胸が、きゅっと鳴る。
連絡先を交換するまで、数分。
手が震えたのは、どちらだったか分からない。
別れ際。
「じゃあ、また」
その言葉が、軽すぎて、重すぎた。
背中を見送ってから、
私は、ようやく立ち止まる。
ああ。
推し活は、見るものだった。
選ばれるものじゃ、なかった。
なのに。
私は、もう一度、画面の外で、
あの人に会う約束をしてしまった。




