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第二章 絶対ぶっ飛ばしてやるからな 3

 軽食を注文してニ十分と少し。翔矢たちが座るテーブルにほかほかと湯気を立てるパンケーキが運び込まれた。


「ごゆっくりどうぞ」


 店員が一礼して去っていく。ちらりとカウンターの様子を見ると、奈緒たちは軽食を食べ終えてコーヒーブレイクと洒落こんでいた。翔矢たちが食べ終わる頃には、既に店を出ているだろう。


 この場でできることは終わっている。お腹を満たしてから、隼人と合流しよう。


「よし、写メとって──いただきます」


 まさか食べ方が分からないなんてことはないだろう。粉砂糖とシロップに生クリームが添えられたパンケーキをリルに勧めて、翔矢はナイフとフォークを取った。


「おっ、ふわふわだ──んまいな」


 一口大にパンケーキを切って口に運ぶ。ふわふわでしっとりとした生地は、舌の上でとろけるようだった。


 いくらでも食べられそうだ。普段食べないものだが、ハマりそうなくらいにはうまい。


 添えられた生クリームも甘さ控えめで、素朴な小麦の味が引き立っている。


「どうした? 冷めるぞ」

「いえその、よろしいのですか」

「なにがだよ」

「必要ないのに、頂いてしまって」


 迷いなく食器を使う翔矢とは異なり、リルは目の前に出されたプレートに困惑しているようだった。


 必要ないと言ったのにと、どこか呆れた表情をしている。


「俺の奢りだ。せっかく焼いてもらったんだし、食った方が店員さんも喜ぶ」

「そういうものなのですか?」

「そういうもんだよ。俺にはあんまよくわからねぇけど……自分の作ったもんで人が喜んでくれるなら、それはいいことなんじゃねぇか」


 残すなよ、と念を押して、翔矢は再びパンケーキを口にした。


 その様子をじっくりと観察してから、リルが食器を手に取る。パンケーキをナイフで切り、フォークで刺して、ナイフで掬った生クリームをディップして、口にする。


 翔矢が先ほど行った動作と同じだった。


「……〝嬉しい〟の味がします」


 リルは目をぱちくりさせ、困惑しながら言った。


「嬉しいって、甘いのか?」

「好ましい味です。くどくなく、穏やかで──私達が、幼い貴方を子守りしていた時の味、でしょうか」


 そういえば、幻光蟲は感情を食う。であれば、感情を味覚に落とし込んでいる可能性も否めない。


 例えとして出てきた情景はともかくとして。リルからして、このパンケーキは懐かしい味なのだろう。


「そう……とても、複雑な味をしています。嬉しくて、心配で、でも、微笑ましい。愛おしい、という感情に近いでしょうか」

「人間の感情に味ってあるのか」

「はい。喜怒哀楽に、人で言うところの味がついています。喜びは甘味、怒りは苦味、悲しみが塩味で、楽しさは酸味です」

「楽しいって酸っぱいのか……」

「ヒトの感情とは複雑なもので、必ず味が混ざっているのです。喜びと楽しさが混ざると、甘酸っぱい、になります。単一の感情は、ありません」


 うまみと辛味、それから渋みが出てこなかった。後者二つは味覚ではなく痛覚で判断するものなので、味ではないのだろう。


 ならうま味はなんなんだ? という疑問を喉の奥に留めておいて、パンケーキを食べながら更に問う。


「もしかしてお前らに好みの感情があるって、俺らでいう食の好みってやつか?」

「かもしれません」

「じゃあお前が好きな味ってなんだよ」

「私達の好きな味は……全部ですね」


 ──いや、好みがあるんじゃないのかよ。


「それは好みって言わねぇだろ、なんでもいいのか?」

「はい。なんでも。強すぎる感情は苦手ですが、それは同胞も同じですので」

「それはそれでお得だな。偏食はよくねぇし」

「そうなのですか?」

「苦手なモンがないってことは、他の人間より喜びが増えるってことだからな」


 人間の場合、偏食を重ねると栄養バランスが崩れて健康に害だが、幻光蟲の場合は単なる好みのようだ。


「とにかく、ヒトの発する感情は味とエネルギーに分けられます。エネルギーは我々の活動源となり、味は知識として蓄積されていくのです。片方だけ摂取できても、バランスが崩れます」

「崩れたらどうなる?」

「感情が多くなれば、個体の活動限界を迎えたとして自壊します。エネルギーが多くなれば、概念体である我々には扱いきれず、暴走した後消滅します」

「つまり、死ぬのか?」

「死ぬのではありません。還るだけです。我々は群体ですので」


 なるほど分からん。


 ただ、貴重な話を聞いた気がする。幻光蟲の生態に興味はなかったが、レポートを作って隼人に上げておくか。


 人間からみた幻光蟲というのは、人間の感情を食い模倣する異次元の存在で、鏡を媒体にこちら側に侵蝕してくる、くらいしか分かっていない。


 ただ、複製された人体に利用価値があったので、有効活用する仕組みが作られただけの話。


「なぁ、お前ら人間の事はどう思ってんだ?」


 翔矢はリルからパンケーキに視線を移して言った。


 パンケーキは残り一枚。生クリームは三分の一までに減り、シロップはほぼ空だ。


 しまった。配分を間違えた。悔やんでいると、リルが即答していた。


「見本です」


 眉根を寄せて顔を上げる。


 リルは表情を変えず、次々とパンケーキを口に入れている。


「見本?」

「はい。我々は魂を持ちません。自我も感情もない。私達がこうして翔ちゃんと意思疎通できているのは、翔ちゃんの姉を知り、学び、模倣したからです。構成された人格の元は、私ではありません」

「……だから自分は瑠璃だと?」

「間違いなく、私達は翔ちゃんの姉です」

「リルと名前を付けられても?」

「はい」


 一体何のためにコピーする?


 それが、幻光蟲という存在に組み込まれた本能だとでもいうのか?


「なので、基本的に我々はヒトへの敵意を持ちません。持つとしたら、模倣した人間の悪意でしょう。参考とするべき人間に死なれるとこちらも困りますので」

「鞍替えはしねぇのか?」

「特定の感情を得るため、ある程度模倣し終わったら次の見本を探す同胞はいます」

「違う、お前の話だよ」


 リルの手が止まった。


「姉ちゃんは死んだ。お前が姉ちゃんのどんな感情に惹かれたのか分かんねぇけど、次の人間を探して参考にした方が、お前の学びにはなるんじゃねぇのか」


 死んだ人間はそこまでだ。体も育たなければ、心も過去に置いていかれる。魂は止まったまま、恐らくは次の生へと流れていく。


 あくまで幻光蟲が、人間の感情を学ぶためにヒトをコピーすると言うのなら。リルが数年間、姉の形を保ち続けている事に理由が付けられない。


 リルは再び手を動かして、残り数切れとなったパンケーキを食べ始めた。


 問いには答えなかった。


 答えられないのか、答えないのか、どちらなのかは分からない。


「ご馳走様でした」

「えっと、ごちそうさまでした」


 完食した翔矢が手を合わせる。習ってリルも手を合わせ、残ったのはドリンクのコーヒーだけだ。


 リルにはカフェラテを頼んでおいた。


 姉は家ではおませな子だったから、背伸びして両親が淹れたコーヒーをせがんでいた。そのことを思い出したからだ。


 ──結局、試しては苦いと顔をしわくちゃにして。牛乳と砂糖をたっぷり入れて飲んでいたっけ。俺も、飲んでみたくて。羨ましかったなぁ。


 古い記憶を引っ張り出して、翔矢の口元が僅かに緩んだ。


 その事を見逃すリルでもない。


「翔ちゃん。今、パンケーキの味がしています。私達の事を、思い出していたのですか」

「……なんで分かる」


 リルじゃなくて姉ちゃんな、と訂正する気力はなかった。何回同じやり取りをしたと思っている。


「いつも、その感情が溢れている時だけ、翔ちゃんは顔が緩んでいます」

「……そうかもな」


 否定はしなかった。


 翔矢はブラックコーヒーに反射する己の顔を見下ろし、目を細めた。


「ごちそうさまでした~! 彼とまた来ます~!」


 やかましい声がする。カウンターに座っていた奈緒たちが動いたのだろう。翔矢は顔を伏せたまま、窓ガラスに反射する二人の様子を観察する。


 立ったそばから手を繋ぎ、あからさまに仲のいいカップルですよと主張しているかのようだ。他人を騙らせてまで外面を良くしたいのか、まったくもって空虚にしか思えない。


 ざまぁみろと思う。他人の不幸がメシウマという奴だ。


 人の肉親を殺したクソが、虚構に縋って無様な姿を晒している。それはいい。落ちるところまで落ちてほしいと思う。


 そして、落とす相手は自分であってほしい、とも。


「……落ち着いてください。辛いです」


 奈緒たちが完全に店を出たのを確認して、リルが言った。


「辛い?」

「今、とても、不味いことを考えていませんか」

「お前らに食えないモンか?」

「……はい。とてもではありませんが」


 どうやら殺意が漏れていたらしい。


 幻光蟲を傍に置くのも不便だ。感情に過敏なリルには、味という形で大まかな感情が分かってしまう。


「ところで。翔ちゃんに尽くす同胞のおかげで会話は聞き取れなかったはずですが」

「そのはずだ」


 翔矢はテーブルに置いた篭鐘を小突いた。中に吊るされた鏡が独りでに回転し、光を反射する。


 仕事はしたぞクソ野郎、なんて愚痴が聞こえてきそうだった。


「あの方……日高様でしたか」

「あんなゴミカスに様はいらねぇ。止めろ。絶対に止めろ。頼むから止めてくれ」

「失礼しました。ゴミだというなら相応の呼び方を致しましょう。では、あの物質ですが」

「いきなり辛辣になったなおい」

「ゴミだと言ったのは翔ちゃんです──それで、あの物質に憑いた幻光蟲、こちらに気付いたようでした」


 窓ガラスにぱたぱたと雨粒が降り落ちる。外はいつの間にか曇天に囲まれていた。


「……いつから?」

「店を出る直前です。それまでの会話は、認識されていないかと。ただ──」

「もしかして、俺達が探りを入れてたのが分かった?」

「確証はありませんが。物質の方は気づいていませんし、見た目は横山様でも基礎はあの物質の方です。判断基準は、物質に準拠します」


 あっという間に雨は激しくなり、カフェにいた客も外を心配そうに眺めている。この状況で外に出、奈緒たちを追うのも不自然だ。


「恐らく、翔ちゃんの殺意に反応したのでしょう。ただ。方向は物質の方に向いていましたので」

「……殺したいと思ってたってことが、向こうに伝わった?」

「はい。でもそれだけです。尾行調査をしていたとは、思われていないでしょう」

「別に殺したいのは事実だしな……ライさんの婚約者さんへのヘイトが多少取れたってんなら、それはそれでいいけど……」


 さてこの状況、どうしてくれようか。壁を叩く雨音を聞きながら、ブラックコーヒーを啜る。


 どちらにせよ、環奈や弁護士に任せてしまった結婚の偽装騒ぎは裁判所が絡む事案になる。自分たちの出番はないが、婚約者が健在となれば、状況は変わってくるはずだ。


 奈緒が横山をつけ狙い、己の幻光蟲に真似させてまで結婚したかった理由は分からない。


 ただ、婚約者に攻撃を仕掛けて心神喪失にまで追い込んだのは、横山の横にいる女は自分だけがいいという勝手な考えによるものだろう。


 簡単に言うと同担拒否である。見苦しいことこの上ない。


「ヘイトを取る、とは?」

「敵視を取るってこと。相手の注意を引き付けるってゲームの用語だよ」


 ただ、やはり奈緒の横にいる幻光蟲の姿を、横山から彼女本人に戻すのが、原状回復の方法としては一番いい。


 〝同じ人間が二人いる〟ために、役所や警察署もどちらを信じていいか分からず混乱しているのだ。片方を始末する必要がある。



 奈緒を殺すか、横山を騙った幻光蟲を殺すか。一応、判断は隼人に仰ごうと思う。


 あくまでバイトの身であるし、勝手な動きはしない方がいい。


 ──許可さえ出れば、なぶり殺しにしてやるんだが。


 ぼんやりと思いながら、しかし仕事は終わったので喫茶店にいる理由もない。残ったコーヒーを胃に流し込んで、翔矢は席を立った。


「ごちそーさまでした」


 またどうぞ、と店員が微笑で告げた。


 店を出ても、まだ雨が続いている。


「隼人さんとの待ち合わせ場所は……っと」


 車で待っているらしい隼人は、事前にどこにいるかの連絡を寄越していた。手近な場所にあるコインパーキングに車を停めたようで、リルを連れ立って指定場所に向かう。


 駐車場に辿り着き、見慣れた車の窓ガラスを叩く。


「やぁ。首尾はどうだったかな」

「完っ全に黒。横山さんに見える男は、あいつの幻光蟲が姿形を真似てただけだった」

「なるほど。偽物を本物にすり替えてしまおうという魂胆かな」


 霧雨が降る中、パワーウィンドウを開けて応じた隼人と話す。翔矢はドアを開けて後部座席に乗り込み、リルの手を引いて隣に座らせた。


「多分。あと、探ってたのバレたっぽいんで。すいません、近々動くかも」

「ははぁ……まぁ、分かればいいんだ。環奈にも情報を送るよ、目下、対処するべきなのは日高さんの幻光蟲だろうね」

「……あの、池添様」


 手短に報告していると、しっかりとシートベルトを締めたリルがおずおずと手を上げた。


「あの同胞を、どうするのですか?」


 ──どうするもこうするも。


 べつに、あれは殺していいものだしなぁ。


 などと言う気にはならなかった。


 幻光蟲にとって個人はすなわち大元から切り出した断片である。正しく役目を終えれば融合するが、帰ってこないとなれば、リルがいう所の主が削られていくことを意味する。


 それは、容認できることなのか否か。


 人間が幻光蟲を殺すことに戸惑いを持たないのは、必要悪とされるためであり、単純に〝人間ではないから〟という事実に由来する。見た目がどうあれ、人間を殺した罪には問われない。たったそれだけで武器を振るえてしまえる者は多いだろう。


 リルは幻光蟲だ。人間と感性がまるで違う。


「……翔ちゃん?」


 どうするのですか、とリルは更に続けた。


「翔矢君」


 運転しながら、隼人がダッシュボードを開けてごそごそと探し物をしていた。


「ちゃんと前見て運転してくださいよ」

「分かっているさ──ほら、これをあげよう」


 後ろ手に後部座席に差し出されたのは、棒付きの飴玉だった。甘党な隼人が運転しながら舐めるために常備しているものだ。なるほど、これでひとまず黙らせてくれということか。


「車の中に放ってたのとか大丈夫なんすか」

「買ったのはこの間だよ……まぁ、熱で少し溶けているかもしれないが」


 隼人を運転に集中させるため、手早くとって包装紙と銀紙を剥ぐ。イチゴ味のピンクの飴玉を、翔矢はリルの口に突っこんだ。


「これでも舐めてな」


 質問には答えない、と暗に圧をかけた。


「ひいはうふぁいおえしゅか」


 子供の体には少々大きな飴だったようだ。カロカロと口の中で飴を転がしながら何か言っているが、ろれつが回っていなくて聞き取れない。


 ──言いたくないのですか、と問うているようだった。


「いいからしばらく舐めとけ」

「ふぁい……」


 車は寄り道せずに池添怪異探偵事務所へ進んでいく。


「……しょうちゃん」


 舐め続けて飴が小さくなったのか、聞き取れる声でリルが言った。


「なんだ?」

「この飴の、包装紙をください」

「包み紙? 別にいいけど」


 意図が読めなかったが、包装紙の一つや二つ、別に構わない。モッズコートのポケットに突っこんでいた包装紙はくしゃくしゃになっていたが、そのままリルに手渡した。


 銀紙と、半透明の包み紙。銀紙はいらないと返されたので、再びポケットにしまい込む。


「美味しかったかな? 甘味料丸出しの味だが、私はこれが好きでね」

「はい」


 感慨深そうに包装紙を眺めるリルは、隼人の問いにこう答えた。


「あまり、馴染みのない味です。そう、これは、創られた味なのですね」


 リルは再び包装紙をポケットから取り出して眺め始めた。


 長くて余っている袖をまくり上げて、皺を伸ばした包装紙を、リルは大切そうに眺めていた。

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