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第一章 消えてくれ、この世の果てまで 3

| 数時間後、池添怪異探偵事務所。手脚と頭を斬り落とされた生肉をもって、翔矢は言われた通りにやってきた。


 が、一時間の遅刻だ。理由は夜中魘されていたらしく、姉を模した幻光蟲に起こされたから。


 その行為に腹が立って不貞腐れて二度寝したら、予定の時刻を過ぎていたわけだ。


 受け取り人の田辺たなべみきひさは待ちぼうけていたらしく、翔矢の姿を見るとすっと立ち上がる。


「ほいよ田辺さん。いつもの事だけど、摘出する直前まで触っちゃ駄目っすから」

「ありがとう。これで何人か、不自由しなくて済むだろう」

「蟲が作った臓器を体に突っこむとか、不気味ったらありゃしねぇもんすけど」

「幻光蟲の複製は本物そのものだからね、肉を使う分には問題ない。複製された感情とか記憶の摘出は済んでる?」


 問われ、翔矢はぽっかりと口を開けた。


 忘れていた。幻光蟲がコピーした肉体は、大本の幻光蟲本体が学習した感情エネルギーなどは取り除く手筈になっている。


 複製元に近づくため、幻光蟲は対象の感情や記憶を食らって学ぶものだが、なにも喜怒哀楽満遍なく食うわけではない。無意識下で繋がったエネルギー生命体とはいえ、割り振られた好みがある。


 歓喜担当は喜びを食って学ぶし、悦楽も然り。厄介なのは悲哀と憎悪で、こうした感情の残滓が肉体に残っていると、移植者に影響を与えかねない。妙に悲観主義になったり怒りっぽくなったり、トラブルが起きやすいのだ。


 なので、篭鐘に住まわせた幻光蟲に食って洗浄してもらうのが常だ。しかし少女の一件で疲れ果ててしまったのですっかり忘れていた。


「……すんません、今やります」

「いや、やってないなら構わないよ。うちの子もたまにはってうるさいし」

「その体に残っていた残滓なら問題ありません。私達が食べておきました」


 まぁまぁおいしかったです。少女は思い出すように舌を舐めて言った。


 翔矢の背後からひょっこり現れた少女に、幹久が目を丸くする。


「……翔矢君、妹さんなんて居たっけ?」

「いねぇっすよ。俺が末っ子です」


 翔矢と少女を交互に見ながらしどろもどろに問うた幹久に、翔矢は食い気味に答えた。


 完全に同じ血を持っているのは姉だけだ。そう考えて、幻光蟲による複製品なのだから、体だけで考えれば正しく兄妹になるのかとも思う。


 翔矢は片眉を吊り上げ、目を見開きながら少女を見下した。


 絶対に認めない。こんなものが、姉であるはずがない。


「あぁ、幹久君、気にしないでくれたまえ。昨日拾った子だよ」


 若干殺気立ったのは分かったのか、隼人が助け舟を出した。事務机用のソファーを右に左に揺らして、隼人は新聞に向けていた視線を上げた。


「拾った──え? 隼人さんとうとう人攫いなんかに手を染め……」

「てないからね? その子は幻光蟲だよ。複製元が現場に居なかったから、放置もできなくて確保しただけさ」

「本体がいないのに出てきたんですか?」

「そう。しかも自発的にね。こちらから引きずり出したわけではないんだ」


 不思議だよねぇ。言って、仕事は終わったと言わんばかりに再び新聞に目を向ける。


「……この子、もしかして……」


 しげしげと少女を見つめた幹久に、翔矢が問うた。


「知ってるんすか? こいつ、一体どこから」

「いや、うーん……僕は知らないんだけどさぁ……」

「翔ちゃん。この人は」

「だから翔ちゃんって呼ぶなって言ってるだろ」

「やーい翔ちゃん、小さい女の子に言う言葉じゃないぞ~?」

「からかわないでくださいよ田辺さんも。ほら、持ってって帰ってください、患者さん待ってんでしょう?」


 麻袋を押し付けて、まだ少女の事を気にしていそうな幹久の体を反転させて玄関へ押し込む。


 はいはいと後ろ手に手を振って出て行った幹久の後ろ姿を見送ってから、翔矢は少女に向き直った。


 この少女の事を、あまり人目につかせたくなかった。幹久が勘違いした通り、確かに妹にしか見えないがそれはそれ。生きていれば三十路前の姉が過去の姿で歩いているなどと、見知った人間に見つかればどうなることか。


「大人しくしてろって言っただろ」

「翔ちゃん、もう寝ていたので。私達しか知らないので、説明はしておくべきかと思いまして」

「いやまぁ、手間省けて助かったけど……ってか、なんであの作業必要なの分かった?」

「エネルギーの抽出が必要だったと知っていた訳ではありません。ただ、そう……苦しそうだったので。うるさくて翔ちゃんの見守りに支障がでそうだったので、楽にしてやりました」


 楽にしてやったとは、何を。


 そういえばそこそこ美味しかった、とか言っていた。幻光蟲には、感情を味覚に変換する機能でもあるのだろうか。


 少女の言葉がうまく噛み砕けなくて、翔矢は思わず傾聴するために中腰になった。


 少女の視線が己とかち合う。全く同じの、紫水晶の瞳。


 ただただ透き通っていて──くすんだ己のものを、叩き割りたくなる。


「どうして殺すのと、そう叫んでいましたので。体は元気でしたし、感覚を全て遮断されていたので、混乱していたのでしょう」

「へー、そう」


 煩い、うるさい。仕事は終わったし、隼人に押し付けてとっとと帰ろう。荷物を取るために踵を返すと、後ろから声を投げかけられる。


「可哀想だとは、思わないんですね」


 可哀想? なにが。


 蟲が作った人間モドキ、殺したところで痛くも痒くもない。


「人間はな、たかが蟲を殺して悲しんだりしねーの」

「……変わりましたね。家に出た虫の一匹、ゴミ箱に捨てられなかったくらいなのに」


 不意に、子供の頃の記憶を思い出す。


 古くはないが、新しくもない家だった。よく室内に虫が入ってきていて、見かける度に怯えて助けを求めていた。



『姉ちゃんこいつとってよ!』

『分かった分かった、全くビビりなんだからもう』



 泣きついた翔矢に、姉は苦笑しながら害虫駆除をしていてくれた。


 今はもう、遠い昔の話。


 子供の時分に置いてきた、弱く幼い、未熟な頃の。


 何様なんだこいつは。苛立ちを抑えてのらりくらりと躱していたのに、己が知る昔の話をほじくり返されてはたまらない。


 翔矢は振り返って、少女の胸倉を掴む。


「──テメェは何様なんだよ、姉ちゃんの形して、姉ちゃんじゃねぇ言葉遣いで、姉ちゃんの覚えてること振りかざしてよ」

「私達は貴方の姉です。記憶と感情は有しています」

「んな訳ねぇだろ⁉ 瑠璃姉ちゃんは死んだ! もう死んだ! 自分で死んだんだぞ、形を真似ただけの劣化コピーが、姉ちゃん語ってんじゃねぇよ!」

「同胞が作った人間個体群の中では、優れていると思いますが」

「そういう問題じゃねぇ! テメェは姉ちゃんじゃねぇって言ってんだ!」


 胸倉を掴んでいた腕は両手になる。セーラー服の襟がよれるほどの力で掴みあげて、乱暴に少女の顔を寄せた。ぷらんと少女の足先が床から浮いて、全荷重が掴まれた襟にかかる。


 真正面から、微動だにしない双眸が見つめてくる。瞬きすらない、射抜くような視線に、一切の虚偽も感じない。


 一応、人間の体をしているのだから生命活動は同じ仕組みだ。首元を締め上げられているのだから、ある程度は苦しいだろうに、顔も赤くならないし、呼吸が浅くなる兆候もない。


「翔矢君。取り込み中のところ悪いが、室内で喧嘩は止めてくれたまえ。苦しそうだぞ」


 ふいに投げかけられた隼人の言葉に正気に返る。



 瑠璃は首を吊って死んだ。



 今、自分は姉の形をしたモノの首を持ち上げて締め上げている。


 このままいけば、酸欠で意識を飛ばすくらいにはなるだろう。


 更に続ければ、姉と同じ死因で殺すことだってできるだろう。



 姉の形をして、姉でなくて、でも、姉に間違いない。


 ──俺は何をしようとした?


 少女が喋るのが嫌で、姉を騙っているのが嫌で。


 ──殺そうとしたんだ。偽物だから死んで構わない。


 でも、もう一度、首を絞めて殺すのは。


 ──でも、姉ちゃんに死んでほしいわけじゃない。


 逆だ。死んでほしくはなかった。生きてほしかったのに。


 ──俺が殺そうとしたのか? 姉ちゃんを?



「────ッ!」

「おっと危ない」


 動揺から翔矢が放り投げた少女の体は、割って入った隼人が抱き留めてくれた。


「大丈夫かね?」


 隼人の問いは、少女でなく翔矢に向けられている。


「ハッ、は…………はぁ、はぁ、おれ、は、別に、殺すつもりじゃ」



 姉を殺そうとした。


 殺そうとした。


 殺したかった訳ではない。



 でも、姉の模造品がいるのは看過できない。だから殺したくて、でもそれは姉を殺す事でもあって、姉はもう死んでいて、この世に居るはずがなくて、ちゃんと墓だってあるし、遺骨だって収めたし、姉を殺した連中には墓参りだってさせなかったし、未練も後悔も心残りもあっただろうし、そのすべてが、姉の当時の思いのすべてを、こんな劣化コピーに代弁なんてしてもらわなくてもいいし、何故だ、どうしてだ。



 何故だ、何故だ何故だ何故だ何故だ。



 どうして模造品が生きていて、本物が死んでいるんだ。


 おかしいじゃないか、もうこの世に居ちゃいけないのに。


「分かっています。貴方は優しい子ですから」


 首が圧迫されていたので、息苦しさはあったのだろう。少女の言葉は少し息遣いが荒くて、けれど声色には心配だけが乗っていて。


 しかし今は、それが尚の事心臓に刺さる。


「どっか行けよッ! 姉ちゃんのフリしてんじゃねぇよォっ!!」


 少女を遠ざけるように乱暴に腕で払いのける。反動で尻もちをついたが、立ち上がる気力もなくて膝を抱え込んだ。


 見たくない。見たくない。


 だって怖いだろう。姉が、今の自分を見てどう思うか。


「少女、今は少し静かにしていてくれたまえ──大丈夫か、しばらく頭を冷やしてから戻ってきなさい」


 そのまま隼人は少女を抱き上げ、無理矢理室内に連れて行く。


「あっ、いえ、私達は翔ちゃんの側に」

「いくら感情と記憶が正しくとも、やはり幻光蟲だな。短絡的なのは変わらない」


 抗議の声が聞こえたが、隼人は翔矢の状態を見越して扉を閉めた。


 玄関に一人きりになって、ぐずる鼻をすすりながら荒れる呼吸を整える。


「いいかね? 今彼が取り乱したのは、間違いなく君が要因だ。一度離れてやらないと、心を落ち着ける時間が取れない」

「しかし。翔ちゃんは私達が見てやらないといけないんです」

「そこだよ少女。君は何のために翔矢君の側にいるんだね? 私に説明できるかな?」

「……? 私達は姉です。弟の面倒を見るのは当然では?」

「ふむ。やはりな、記憶と感情はあっても、思考そのものは持ち合わせていないか」


 扉一枚隔てた向こう側から、隼人と少女の会話が聞こえてくる。


 少女を姉だと認めていないし、もう世話される年齢でもない。昔の感覚で接せられるのはお門違いだ。


「安心したまえよ翔矢君。紛れもなく幻光蟲だ、君の姉君ではないね」

「……んなこと分かってらぁ……」


 姉の形をした、姉でないなにか。


 本人は──この個体は、自身を瑠璃だと認識しているようだが、それは自認か、定義か。


 個体が己を是としても、世界がそれを認めまい。この世に二つとして同じものは存在し得ない。だからこそ、人間を複製した幻光蟲と複製元の人間が同時に存在できるのだ。


 分かっている。


 理屈では分かっている。


 説明もできる。けれど。


 そう簡単に心が頭についてきてくれないのも、翔矢は知っている。


「……隼人さん、しばらく寝て頭冷やしますわ」

「うんそうだね、そうしなさ──待て、寝る? 玄関で? 冷えるだろう」


 こういう時は寝るに限る。扉越しに伝えるため、少し声を張って伝えると、明らかに狼狽した様子で声が返ってきた。


 真冬で煖房もついていない玄関だ。単純に寒いが、少女と顔を合わせる方が嫌だった。


「だってそっちにあいついるじゃないすか。入りたくないし」

「いやいや、ちゃんとベッドで寝なさいね? 仮眠用のベッドは空いてるだろう?」

「……やだ、まだあいつの顔見たくない」


 姉ちゃん、と思わず口に出かけて、熱く引きつる喉奥に飲み下した。



 そのまま数分、膝を抱えたまま心を落ち着ける。


 少女の正体が幻光蟲だと分かったって、過干渉なのがいただけない。


 姉も世話焼きな方だったが、距離感はきちんと掴んでいた。近寄ってほしくない時には空気を読んで一人にしてくれたが、少女にはそれがない。


 自分ばかりで、世話を焼きたい翔矢自身を見ていない気がする。


 だから困るのだ。一方的に押し付けられるのは勘弁だ。


 世の中そんな奴ばかりだ。誰も自分の事しか頭にない。他人なんてどうでもよくって、自分のためなら他人をどれだけでも消費できて。


 悲しい世の中だ。悲しい通り越してクソともいう。


 いつもの結論に戻ってきたところで翔矢が顔を上げると、建物の外から車のエンジン音がして、近くで停まった。


 基本的に池添怪異探偵事務所は閑古鳥である。取り扱っている事象が幻光蟲絡みだけなので、民間からの依頼がくればいい方。大半は、提携している灘市警察署からの動員要請になる。


 ──警察にも幻光蟲が絡んだ事件に対応するための課があるが、その課単体では手が付けられない場合にだけ依頼が来る。つまりは荒事専門で、警察と組織を分けているのも命のやり取りがあるからだ。


 他には、緊急を有する内臓移植患者がいた場合、ドナー候補の人体をコピーした幻光蟲を探すこともある。正直、こちらの仕事が多いだろう。幹久は幻光蟲を使用した臓器提供斡旋会社の社員で、お得意様だった。


 膝を抱えたまま来客を待っていると、インターホンも鳴らさずに玄関扉が開いた。


「よぉレジェンド先輩! デカい仕事を持ってきてやったぜぇ!」


 緩くカールしたローズブラウンの長髪に、ウールコートとプリーツのロングスカート。特徴的なのは、ヒール込みで一九〇センチはありそうな長身だ。口調は荒々しいが、女性である。


「なんだぁ御剣少年、こんなとこで座り込んで。あれか? 悪さして廊下に出されたやつか?」

「……違うっすよみゆきさん、頭落ち着くまで冷やしてるんすよ……」


 名を、みゆき環奈かんな。所属は、灘市警察署特殊対策班。スケバンのような派手な身なりだが、れっきとした刑事だ。


 つまり、警察絡みの大口仕事らしい。バイトの身ではあるが、話は聞かなければならないだろう。


 重たい腰を上げると、環奈の後ろから人影が二つ見えた。


 片方は男性、もう片方は女性だが、後者は様子がおかしい。心ここにあらずと言った様子で、男性の方に身を委ねてはいるが、意志を感じない。


 幻光蟲に憑かれた人間特有の、心神喪失だろう。しかし事務所の玄関には、幻光蟲が媒体とできそうな鏡などない。


 これは、少々込み入った話になるか。まだ少女に会いたくはないが、翔矢は腹をくくって室内に戻った。


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