第一章 消えてくれ、この世の果てまで 2
何故こんな事になったのか、分からなかったんだ。
素振りはなかった。いつもの姉で、いつもの家で。
母さんたちには反抗期で跳ねっかえりが強かったのに、おれに対しては極度の世話焼きで。
最近部屋にこもりっきりな姉ちゃんを呼ぶのは、すっかりおれの役目になっていた。
夕食の時間になっても自室から降りてこなかった。
学校から帰ったきり、珍しく部屋に引きこもってしまった。
「姉ちゃん、飯できたってー。食おうよ、おれ腹減ったー」
一家揃って晩御飯を食べるのが、暗黙のルールだった。姉ちゃんもそれを分かっていた。
声をかけても、いつものように出てはこなかった。
「姉ちゃん? 姉ちゃんー、飯だってばー」
反応すらなかった。
なんかおかしいなと思って、ドアノブを掴む。
捻る。
扉は開いた。
鍵はかかっていない。
「姉ちゃ──」
姉の部屋はいつも通り小綺麗にされていた。
ポタリ、とほんの僅か、水滴が落ちる音がした。
開ける。ドアで狭まれた視界が、徐々に広がってくる。
本人が吟味して選んだらしい、白の学習机。
まだランドセルを背負っていた、おれにとっては憧れの四角い大きなリュック。
体操服が入ったキルトの袋に、賞をとった自作の絵画ポスターが飾られている。
「……ぁ?」
生活感が滲み出る室内だった。
置かれた姿見が、ドアで阻まれた部屋の死角を映している。
「ねぇ、ちゃん?」
ランプシェードが斜めになっている。
学習椅子が横に倒れている。
鏡に映った姉ちゃんは、地に足をついていたが、ぐらぐらと揺れていて不鮮明だった。
この状況が全く理解できない。困惑で白く塗り潰されていく頭で、誘われるようにおれは姉ちゃんの自室へと侵入する。
「──?」
部屋のど真ん中で、姉ちゃんは首を吊っていた。
揺れるランプシェードと連動して、ゆっくり左右に揺れながら。
力なく、元からそういったオブジェだったかのように、部屋の真ん中で浮いていた。
「ねぇちゃん? 飯、だって」
いつもなら、直ぐに返事をしてくれるのに。
『うん、分かった! 今日の晩御飯なに?』って。
最近両親に向けなくなった笑顔を、おれだけに向けて。
へんじ、してくれるのに。
でも。
でも、今日は、それがない。
返事も、動きも、なにもない。
死んでいるからだ。
死んでいる。
死んでいる。
首をつって、死んでいる。
「────ッ姉ちゃん! 姉ちゃんってば、姉ちゃん!」
やっと、状況が飲み込めた。
慌てて駆け寄り、体を揺さぶっても、振り子のようにぶらぶらと揺れるだけだ。
早く降ろさないと。
降ろさないと、姉ちゃんが死んでしまう。
もう死んでいるのに、死んでしまう。
「姉ちゃん! 起きてよ姉ちゃん、姉ちゃん! 瑠璃ねえちゃん!」
名前を呼ぶけれど、返事はない。
ランプシェードから瑠璃ねえちゃんを下ろさないと、首が閉まり続けて死んでしまう。
背を伸ばしても、つま先で立っても届かない。
転がっていた学習椅子を立てて、上に乗って必死に手を伸ばして、やっとランプシェードを手が掠めるくらい。
悔しくて、苦しくて、濡れた頬を拭う余裕もないくらい、訳が分からなくて。
「翔矢⁉ どうしたの、なにが──」
様子を見に来た母さんが、愕然とへたり込んだ。
「姉ちゃん、はやく、降ろさないと、苦しそうだよ、でも」
──おれじゃ、とどかないんだ。
嗚咽と慟哭が混ざって、吐いた声は言葉になっていなかった。
なぁ、分からないよ姉ちゃん。
別になんでおいていったのかとか、一人で死んだのかとか、恨みがましいことは言わないからさ。
──姉ちゃんを殺した奴、どいつか、教えてくれないか?




