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第五章 偽物と本物と、どちらでもないもの 2

 風呂上りの半裸の状態で裏世界に放り込まれ、ごつごつした地面に背中を打ち付ける。


 黄色い空に青い床は、さながら現実の天地が反転しているようで、未だに慣れない。


『兄弟、疼いてるところ悪いがこいつは食うんじゃないぞ、俺の獲物だからな』


 鈍痛に堪えて顔を上げる。黒衣を纏い、大振りな鎌を携えた〝翔矢〟が立っていた。彼は周りに漂っている幻光蟲を牽制すると、おもむろに指を鳴らす。


 ぱちん、と軽快な音が響いて、翔矢の頭上に大鎌が降ってきた。


『それが今のお前だ、俺よ』


 大きさや形状は篭鐘を変化させた大鎌と変わりない。


 ただ、酷く錆びていた。赤銅色の錆びに覆われて、刃は潰れてしまっている。


 これでは鈍器としてしか使えない。斬ることが、できない。


「どういう意味だ」

『はッ、どうもこうも! 今の俺にとって、お前の心がそんなんだっつってんだ!』


 振り下ろされた大鎌を、翔矢は咄嗟に目の前の大鎌を掴んで受け止める。


 腐食でざらついた、握り心地の悪い柄だ。一撃受け止めただけで崩れてしまいそうなほどに心許ない。ノコギリ状になった峰で、大鎌の柄と峰の接合部を受けているが、既に切っ先は頭に触れそうだった。


 大鎌を滑らせながら、〝翔矢〟の懐に潜り込む。相手の切っ先は翔矢の背後に突き刺さって、青くくすんだ結晶が跳ね飛んだ。


『喜びは種子のように広がり、怒りは炎のように魂を焼く。悲しみは海のように心を沈めて離さないし、楽しさは風のように通り過ぎていく』


 錆鎌の峰がぼろぼろと崩れて落ちる。柄を滑らせた手には赤錆がべったりと付着していて、落とそうと思ってもとれない。


 気持ちが悪い。フードの中から見下ろして来る〝翔矢〟は、相変わらず嘲笑を浮かべている。


『お前の力はどれでもない。喜怒哀楽によるものではないから、俺はお前のソレが知りたかった。でも残念だ。今のお前は、ソレと向き合っていない。ただの人間に逆戻りだ、つまらねぇな』

「──っなにが、言いたい!」


 何を伝えたいのか分からない。


『恐怖は、刃の形をしている』


 がり、と背後の刃が引きずられる。後頭部にピタリと当たった刀身が、あせた金髪を数本、切り落とした。


『人間にとって大鎌ってのは死神の象徴だろ? 人を殺す存在だ。お前はソレを欲しがった。でもな、根底に恐怖がなけりゃ、そうはならなかった』

「なにを」

『お前の殺意が──俺達幻光蟲が持たない〝意志〟が、姉を忘れた者たちへの怒りであれば。お前は炎や雷を具現化させたはずだ。でも、そうじゃない。お前は復讐心で生きてきたつもりだろうが、本当は違う。俺達は契約した人間のイメージを具現化する。だから俺は、お前の望むまま世界を作った』


 ──世界を、作った?


 握る力が緩んだ大鎌を蹴り飛ばされる。真っ二つに錆びた鎌が折れ、〝翔矢〟が振るう黒鋼の柄が、腹部にめり込んだ。


 内臓を揺さぶられながら、殺風景な青い地面に吹き飛ばされる。受け身もとれずにゴロゴロと転がって、打たれた腹部を抑えたまま、痛みに耐えるほかない。


 ──世界を作ったなんて、そんな大げさな。まるで神様みたいな芸当じゃないか。


『分からねぇか? あァ、前提が足りねぇか。じゃあまずは、お前の姉の話をするか。単純な話だよ、お前の姉は、同胞にしては珍しく、老衰で本体に帰って行ったんだよ』

「老、衰──だ?」

『あぁそう。何事もなく老いて死んだ。六歳で死んだお前の姉を模した同胞は、そのままオリジナルに成り変わって人生を過ごした。でもな、俺達にも感情や記憶の許容範囲がある。それを越えちまうと、頭がパンクしてな。せっかく手に入れた感情が放出されて、一からやり直しになるんだよ。だから人間に成り変われた同胞は、その許容範囲が近くなると、人生を止めるんだよ。それもまた、人間を知るための経験でな』


 やっぱり、自分が慕っていた姉は、姉の、模造品だった。


 姉ですらない。人間のフリをした、別の生物。姉の代わりに、姉の居場所を奪って、のうのうと生きていただけの。


『だからな、同胞は幻光蟲の性質に則って死んだ。問題になったのはその後だ。死んだ瑠璃に成り変わって、世界に瑠璃がいると見せかけていた同胞が死ねば──矛盾するよな? もう死んだはずの人間が、もう一度死んだことになる。幻光蟲は本物じゃない。フリをしていただけだ。だからそっちの世界からして正しいのは、瑠璃が六歳で死んだという情報だけ。オリジナルが生きていれば、存在の占有権がオリジナルに再び映るだけだ。でも今回の場合、オリジナルが死んでいる』


 ──待て。何も言うな。


 ──それ以上は、聞きたくない。


『御剣瑠璃という人間は、六歳で死んでる。だからそっちの世界は、辻褄を合わせるために模倣品が生きた十年間を消したんだよ。だから関係者は、そいつの存在を綺麗さっぱり忘れたわけだ──元より、存在していなかったんだからな』

「じゃあ、なんで、俺も、父さんたちも、覚えてたって」

『それがお前の望みだったからだ』


 言われるのは、二度目。けれど、まるで死刑宣告のように受け取れた。


 話の流れで、ある程度予測がついてしまう。


「──や、めろ」

『お前には俺達と契約する素質があった。そう言う人間は、世界の修正力に抗体がある。もう分かるな?』


 じわじわと、開けたくもない蓋を、力づくでこじ開けられる。


 缶切りで、無理矢理に刃を入れるように。


『世界の修正っていうのは、生きている人間の負担にならないようゆっくり行われる。が、ある時お前は姉に関する記憶が徐々に消えている事に気が付いた。そしてその事実に恐怖した。明日には姉ちゃんの事を綺麗さっぱり忘れちゃうんじゃないかってな』


 呼吸が荒くなる。傷ついた体の痛みが、体内からの熱でかき消される。


『シスコンだったからな、お前は。姉の記憶がない自分なんて、自分じゃないように思えて、怖かった』

「……うるせえ、黙れ……」

『お前が望んだのは認知の改竄だ。お前が産まれる前に死んだ瑠璃が、十六歳まで生きていたと、自分もろとも親に錯覚させたのさ』


 だから、俺の本質は、分かりやすく言えば思い込ませて現実と認識の食い違いを起こすものであり。


 その為の形として適切だったのが、恐怖を形どった刃だったのだ。


 姉がいなければ、今の自分はいないのだ。


 姉がいなかったなら、俺は生きていないも同然だ。


 その認識が、転じて死を表す鎌になって現れた。


『残念だったなぁ。復讐になんて身を投げなければ、瑠璃姉ちゃんを失わずに済んだのに』


 全部、翔矢の空回りだった。


 日高奈緒が、瑠璃を知らないと言ったのは正しい。


 本物の瑠璃とは、共に生活していなかったからだ。


 教育委員会の人間が、御剣瑠璃という生徒はいないと言ったのは正しい。


 そもそも、学生として登録されていなかったからだ。


 それは、親戚や周りの家庭や、警察に市役所だって同じ。


 瑠璃は、六歳で死んでいたから。


 十年間、幻光蟲が彼女の代わりに過ごしていただけで。


 模倣品が消滅して、世界があるべき形に戻っただけだから。


 恨まなくていい人を恨んで。


 殺さなくてもいい人を殺して。


 馬鹿馬鹿しいにも、ほどがある。


 乱暴に、鋭いバリが立つほど力づくでこじ開けられた心は、自分自身に暗示をかけて、見ないようにしていた代物だった。


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