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第四章 こぼれ落ちる因果の轍 4

 灘市の郊外に、翔矢の実家はある。電車で十五分ほど離れた、市の外れだ。


『まぁ、こちらの事は任せなさい。君がどんな選択をするにしても、動けるようにはしておこう』


 隼人の言葉に背中を押され、実家に戻った翔矢は玄関の戸を開ける。


「ただいまー」


 時節は年末年始に入ったころ。共働きをしている両親は、会社員の父だけが家にいた。パートで勤めている母は、今頃てんやわんやの職場で修羅場を切り抜けているところだろう。


「翔矢、帰って来るなら行ってくれ。お前、忙しいから戻って来れないって」

「ごめん。ちょっと時間ができてさ。顔でも見せようかと思って」


 電車で十五分、自家用車で三十分かかる田舎だ。灘市という大都市とはいえ、市街地に行くには時間がかかる。バイトの都合上すぐに動けた方がいいし、大学も市街地にある。一人暮らしの経験があった方がいいだろうと、両親の方針でアパートを借りて過ごしているわけだが。 


 今回帰らなかったのは、当然リルの存在があったからだ。


「土産とかなんもないわ。すまん」

「同じ市なんだし気にするな。ちょうど冷凍のぶりしゃぶがあったな……今晩はそれにするか。野菜とかあったか……? 母さんに買ってきてもらうか」


 雑談をしながら、翔矢はリビングを見渡し──真っ先に目を向けた一箇所で、体が硬直した。


 握っていたショルダーバックから、手が滑り落ちる。肩ギリギリでかかっていた紐が支えを無くし、フローリングに落ちた。


「……翔矢? どうした」


 どさり、と物音がして、父が怪訝そうに見つめてくる。


 姉の仏壇にかけられた遺影は、翔矢が知らない少女のものだった。


 少女どころではない。歳は五、六歳といったところで、小学生にもなっていない、幼児の写真だ。


「……なぁ父さん、姉ちゃんって次、何回忌だっけ」

「なんだ突然。しかも姉ちゃんって、お前、瑠璃をそんな呼び方したことなかっただろう……次は《《二十三回忌》》だぞ? ……思ってみれば、もう二十二年も経ってるのか」


 違う。


 次は、《《十三回忌》》だったはずだ。


「お前も産まれる前だったからなぁ……事故じゃ、仕方なかった」


 ──事故?


 ──その間の、十年間は?


 ──俺の知る九年間は、どこに行った?


「──っなはず、ねぇだろ……!」


 落としたショルダーバッグはそのまま、翔矢はリビングから出て階段を駆け上がった。


 真っ直ぐに姉の部屋に向かい、戸を開ける。


 姉の部屋だった場所には、何もなかった。


 本人が選んだらしい白い学習机も、賞をもらったポスターも、処分できないまま残してあったはずの私物も、なにも、ない。


 首を吊った時に傾いたランプシェードも、なにも。


 姉が生きた痕跡は、なにも、なかった。


「──っなぁ、嘘だろ、嘘だって、言って──」


 ──誰か。この光景を、嘘だと。


 ──俺に、真実だと、認めさせないで、くれ。


「おい、物置の前でどうした、翔矢お前……何かあったのか?」

「あったも、なにも……!」


 信じたくない。


 認めたくない。


 衝動に駆られるまま、翔矢は父に構わず階段を降り、家を出た。


 雪が降る。吐く息は白く、肩に触れた雪は、あっという間に溶けていく。


 向かった先は、斜面を整地して作られた墓地群。迷わず進んだ先に、御剣家の墓が一つ、あるはずだった。


 姉の遺骨も納骨された、先祖代々の墓だ。


 確かに通夜をして、葬式の後、火葬された遺骨は、代々の墓へ納骨されたはずだ。


 ここも違っているとしたら、それは。


「……うそ、だ」


 見覚えある大理石の墓の横に、地蔵が上に乗った、小さな墓だ。


 地蔵は子供を守る存在。故に、墓地に置かれるのなら、それは水子供養の一環だ。


 つまり、御剣の家で、過去小さな子供が命を落としている事になる。


 この墓を誰が建てたのか分かれば、おのずと埋葬された人物は分かるだろう。


 余程慌てていたのか、靴を履かずに外に出ていた。雪で湿った靴下が、足元から体温を奪っていく。冷たくなった地面の刺激は、針山の上を歩くようだった。


 白い息を何度も吐いて、動悸がうるさい心臓を落ち着ける。


 冷や汗が止まらない。外気温で手が凍るんじゃないかと思うほど、手のひらが湿っている。


 小さな墓は、中に地蔵を安置するためくりぬかれた形状だった。墓石は屋根の役割も兼ね、背面が平なので、文字を刻むとすれば後ろになる。


 恐る恐る墓石の裏に回り込んで確認した名前は、翔矢の両親のものだった。


 つまり。


 全身から力が抜ける。翔矢は思わず、小さな墓石に縋りついた。


「なぁ、じゃあ、姉ちゃん、俺は……」


 ずるずるとその場にへたり込む。降りしきる雪が、墓石に乗った両手を容赦なく冷やしていく。


 手も足も冷え切っているのに。心臓から上だけが、火傷するように熱い。


「俺が好きだった姉ちゃんは、一体、なんだったんだよ……」


 八つ当たりするように墓石を叩いたって、手がかじかんで感覚がない。


 誰も彼も、姉の事を忘れてしまった訳ではない。


 皆、知らなかったのだ。


 だって、この世に存在していなかったから。


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