第三章 だって楽しいもんな、分からせるの 2
「翔矢君、横山氏から連絡だ。直ぐに日高のところに行ってくれ』
カフェでの尾行から数日、翔矢は隼人からの連絡を心待ちにしていた。
「りょーかいっす──殺して構わねぇっすよね?」
『──公安から許可は出たが、善処したまえ。死体の処理は……田辺君と、いつもの場所で』
「んじゃあちゃっちゃと行きますか」
軽口に反して、事態は急を要する。
圭吾から連絡が入って数分も経っていない。買い物帰りを幻光蟲に襲われ、起きたら荷物がなかったとのこと。自分の家に戻ったのではないかと、婚約者の四季の安全確保の依頼が来た。
そちらは隼人に行ってもらって、元凶である日高奈緒の対処および処理は、翔矢が行う。
隼人には、事情を伝えてある。
瑠璃の同級生だったこと。
姉と数回、同じクラスで過ごしていたこと。
それだけで殺すのか、と聞かれたが、返事はイエスしかない。
こうして幻光蟲を使役できるようになったのも、こんな裏の仕事をバイトとしてやっているのも、全て、姉を忘殺した人間を殺すためだ。
同じ死を味わわせてやるためだ。
その為に、何もかも都合のいい力を手に入れた。
どちらにせよ、他人に迷惑をかけるクソであるには変わりない。
「お前はどうする」
「私達も同行します。私達は翔ちゃんの姉なので、弟を守る責務があります」
自室で姿見のカバーを外し、篭鐘を取り出しながら翔矢は問うた。
相変わらず真っ直ぐな返事が返ってくるが、今回ばかりは頷けない。
「駄目だって言ったらどうするよ」
「それでも行きます」
「……来てほしくないって言ったら」
「私の行動に、翔ちゃんの意志は関係がありません」
「……強情だな、オイ」
リルの姿を見せて、覚えているかと問うのもいいが、どうせ知らないの一点張りをするはずだ。
「はぁ……余計なことすんなよ? 戦えないんだから」
篭鐘を鳴らし、大鎌に変化させる。切っ先で姿見をつつくと、鏡面が揺らめいて吸い込まれていく。
「裏世界から直接行くのですか」
「暗殺ならその方がいい。あいつの幻光蟲は仕事中だしな」
「なら、道案内くらいはしましょう。最短ルートを提示します」
「分かるのか?」
「先日覚えましたので」
「じゃあ頼む」
裏世界に人間が入ると、まだ憑依する人間を決めていない幻光蟲に襲われる。そのため、己が使役する幻光蟲に包んでもらって同胞のフリをするのだ。
「行くぞ」
揺らめく鏡面に身を投げる。ぐらりと内臓を走った微振動に顔をしかめ、次の瞬間には建物の外にはじき出されていた。
身に纏っているのはぼろぼろの黒い外套。周りにちらほらと浮遊しているのは、まだ憑依する力も持たない発生したばかりの幻光蟲。
空は黄色く、地面は淀んだ青い結晶に覆われている。
荒涼とした、漂う光以外に何もない世界。これが裏世界と呼んでいる、幻光蟲が存在する世界だ。
地形の基礎は表世界だが、そちらで生まれた多細胞生物と、人間が作った建造物群は存在しない。青い大地の起伏と、現実世界と繋がっている、空間に走ったひび割れだけがある。鏡が存在する場所だ。
後ろを振り返ると、人一人通れそうなひび割れがある。覗けば自室の姿見から見た風景が広がっているだろう。
「こちらです」
かぶったフードで顔を隠し、先に走り出したリルを追う。
「いや脚はえぇな……?」
「今は速度が肝心ですので。落としましょうか」
走るというより、滑っている。足元が変わった様子はないが、スケート靴でも使っているかのようななめらかな動きだった。
「それ、物質を作るのの応用か」
「はい。なので靴というよりは、足そのものが変形しています」
「まじかよ……」
自分の身体を篭鐘みたいに使うんだな、と翔矢は感心した。
そうこうしている間に、リルが一つの次元のひび割れの前で止まった。
「ここでしょう。確認を」
「……うん、あいつだな」
リルの足はいつの間にかいつものローファーに戻っている。
翔矢はひび割れの中をのぞきこむ。ソファーに座って悠々とスマートフォンを触っている奈緒の姿があった。
「頼むから、ここにいてくれよ。全部斬り落としたら戻ってくるから」
「万が一に備え、私達もいきます」
「駄目だ。頼むよ。いいって言ったら、俺をこっちに引き込んでくれ」
ひび割れから見える風景は明瞭ではない。入り口になっているのは、鏡ではなくディスプレイの類だ──入り口自体のサイズはあるので、大型の液晶テレビかなにかだろう。
鏡でないなら、次元同士のつながりは薄い。表世界に出た瞬間、ひび割れが消え失せてしまう可能性もある。命綱として、リルは残しておきたい。
他の理由も、あるにはあるが。
「何故ですか。不意を突くのであれば、危険はないと考えます」
「……見られたくないんだよ」
殺すと決めた相手がいるのだから、普段よりも遠慮はない。
きっと酷い顔をするだろう。だから、知り合いには見られたくなかったのだ。
自分の死でこう変わった弟を、姉なら、悲しむだろうから。
「……分かりました。必要になりましたら、呼んでください」
──翔ちゃんの意志を、尊重します。
少し間をおいて、リルが言った。
返事をせず、幻光蟲で具現化した黒い外套はそのまま、翔矢は大鎌を構えた。
向こうからこちらは見えていない。背中を向けた瞬間に首を刈る。
立ち上がり、テレビの前を通り過ぎた瞬間。
翔矢は忌々しい女の首に、凶刃を突き立てた。




