【第5話:勇者リオが魔王城に住むことになった件について】
玉座の間には、それから数日間、静寂が流れていたが、ある日、重厚な扉が軋みを上げて開かれた。
そこに立っていたのは一人の若き勇者――リオ=シュピーゲル。
鋼の鎧に身を包み、背に剣を負った彼は、いかにも“魔王城の最奥”にふさわしい緊張に耐えていた。
だが、彼の目の前にいたのは――玉座に座るモフモフ虎毛の秋田犬だった。
その名は「まく」。
大陸全土で長年にわたって「魔王の姿」について様々に語られてきたが、実際の見た目は――あまりにもモフモフすぎた。
そしてその「魔王」が、リオと目が合うなり、告げた言葉。
「腹が減った。何か食べるものはないか?」
……あまりにも予想外の“展開”に、リオは戦う気を失くした。
懐から取り出したのは、携帯用の干し肉。旅の途中、口寂しいときにかじるものだったが、仕方ない。
魔王まくに差し出すと、ふんふんと鼻を鳴らしてから、上品に口にする。
「少ないが、なかなかの味だな。」
そんな感想を口にしつつ、まくはふと懐かしげに天井を見上げた。
「前の世界では、よくささみスライスのジャーキーをもらっていた。……あれは、うまかった。」
まくは思い出す。人の暮らす世界にいた頃のことを。
あの頃は、ただの“犬”だったのだ。
しかし今は、かつての記憶を持ったままこの異世界で、魔王として玉座に登ってしまった。
けれど――ひとりでこの魔王城にいるのは、どこか心細い。
というよりも、まくは、はっきりと気づいてしまったのだ。
「……ひとりではここで暮らしていけない。」
**
翌朝。リオは、玉座の上で目を覚ました。
窓の外は薄曇り。魔王城の朝は、どこか幻想的で、静かだった。
起き上がると、目の前にいたのは……やはり魔王まく。
朝から当然のように、干し肉を要求してくる。
不思議なことに、リオはこのモフモフの秋田犬に対し、徐々に親しみを覚え始めていた。
昨日は「最強のラスボス」だと思っていたはずなのに、今では「ちょっと面倒な犬」にしか見えない。
そんなリオに、まくは唐突に言った。
「しばらく、ここで世話係をしてくれないか?」
……その言葉は、懇願というより“命令”に近かった。
リオの背筋に冷たい汗が流れる。
断ればどうなるか――想像に難くない。
「……と、とりあえず。国に報告して、親にも心配いらないって伝えないと……」
それがリオの、せいいっぱいの主張だった。
「なるほど。分かった。」
まくは小さくうなずき、やがて四つの翼のある黒い魔鳥を呼び寄せる。
「こいつは伝書魔鳥だ。なんでも伝えるぞ。口調も真似るし、内容も選ばない。」
そう言ってから、魔鳥の耳(?)元で何やら「いろいろと言い聞かせて」いた。
長々とした説教のようでもあり、手紙のようでもあり――
やがて魔鳥は一声鳴いて、リオの頭上を舞うと、開いた窓から空へと飛び立った。
リオはその姿を見送りながら、胸中で思った。
(……もう、断れないんだろうな……)
それでも、玉座に悠然と座る虎毛の秋田犬――まくを見やり、小さなため息をつくと
(でも、まあ……悪い奴ではなさそうだし。)
そんな風に、自分に言い聞かせながら、勇者リオの“第二の人生”は静かに幕を開けたのだった。