優先確認対象
ディスプレイの光が、暗い部屋を静かに照らしている。
時刻は午前3時。ビルの裏手にあるコワーキングスペースの一角、深夜利用者のいないガラス張りの個室。
男は無言のまま、USBメモリを小型のリーダーに差し込んだ。
クリック。パスワード入力画面。
当然だ。企業の端末で使う以上、暗号化処理はなされている。
だが、男の手は止まらない。
ノートパソコンに接続されたサブ端末が自動で解析を開始し、10分足らずで鍵は解除された。
──ログイン成功。
「……案外、脆いな」
男の声は低く、どこか楽しげだった。
フォルダが3つ。
「CLIENT」「PRIVATE」「TAGGED」
男は「PRIVATE」にカーソルを合わせ、ひとつずつ開いていく。
最初のファイルには、勤務中の社内写真。
特に気になるのは、複数の社員の会話を隠し撮りしたようなショット。
次のファイルは、社員のSNSのスクリーンショットと、タグ付けられた写真が時系列で並べられている。
──ある男が、別の女性社員と夜の居酒屋で笑っている写真。
──別の社員が、労務規定違反とされる時間に喫煙所でタバコを吸っている記録。
それだけじゃない。
「……これは、社外と繋がってるな」
USBの中には、業務情報とは到底思えない、外部へのメッセージ履歴があった。
文体は簡潔。暗号とも思える省略語と時刻指定。
「明日の13時半、件の“試作X3”を送信」とある。
送信先のメールアドレスは、フリーメール、だがドメインは北欧のある匿名転送サービス。
男は小さく笑う。
「やっぱり、ただの盗みじゃない」
USBの主は、何かを集めていた。
それは“情報”だ。個人の秘密。会社の弱点。社会的に問題視されかねない証拠。
──つまり、脅迫材料のコレクション。
その瞬間、男の表情が変わる。
「こいつ、誰の指示でやってた?」
男はすぐに別のフォルダへ移動し、ログファイルを確認した。
アクセス記録、開封日時、最後の編集日。
最後に更新されたのは——事件の前日、22:38。
そしてログの中に、気になる名前があった。
【TOMOKO.N】
「……お前も、繋がってるのか?」
男は思案に沈む。
その名前をクリックすると、フォルダがひとつだけ開いた。
中には、動画ファイルが一本だけ入っていた。ファイル名は、「Bellflower_05」。
Bellflower──カンパニュラ。
青い小さな花。花言葉は「感謝」や「誠実な愛」。
男は動画を再生する。
音声はない。だが、そこには確かに、ある女性の姿が映っていた。
神妙な面持ちで、誰かに向かって何かを語っている。
白いシャツ。髪を後ろで結んだ、大人びた表情。
「……なるほど」
男は再生を止め、立ち上がった。
背後の壁には、ホワイトボード代わりのパネルがある。
そこには複数の人物の写真と、赤い糸で結ばれた関係図。
その中のひとり。
“彼女”の写真の下に、男は新たな付箋を貼り付けた。
──「優先確認対象」。
そして、手元のスマホにひとことだけ打ち込む。
「Step1:確認完了。次、接触フェーズへ」
画面を暗くして、男は部屋を出ていった。