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第3章「秩序なき介入」

ご覧いただきありがとうございます。


第3章「秩序なき介入」では、医療AI《Lucia》の“診断不能死”に対して、あえて“異端”とされた方法で挑む人間たちの姿を描きます。


合理性という名の秩序が命を奪うとき――人はどこまで踏み込むことができるのか。

物語はさらに核心へと向かいます。


第3章:秩序なき介入

――第1節「不可侵領域」

 

 「あなたが関わっているAI、そのままでは済まないかもしれませんよ。」

 その言葉を口にした男は、口元に皮肉を浮かべていた。

 場所は赤坂のビジネスビル最上階。

 Luciaの開発・運用を担うJ-MINDの社内カンファレンスルームで行われた、非公開の“投資家向け戦略説明会”。

 そこに現れたのは、医療機器業界最大手『エリュシオン・メディカル』の上級戦略顧問・堂嶋靖彦どうじま・やすひこだった。

 

 「Lucia-VX。あれは我々が開発した“秩序あるAI”に、あなた方が勝手に“揺らぎ”を混入した産物です。

 ……法的に言えば、“契約違反”の可能性もある。」

 黒澤慧は、机越しにその目をまっすぐ見返した。

「なるほど。“揺らぎ”は秩序を乱す。だから怖い。だが、命はそもそも“秩序の外”にある。」

「ええ、それが命の本質なのかもしれない。だがビジネスの本質ではありません。」

 

 堂嶋の後ろに控える人物の中に、政界筋の顔がいくつか混じっていた。

 Luciaは、今や医療界だけでなく、企業・官庁・政治が利害を交差させる巨大な社会的基盤となっていた。

 その根幹に、“不確実なAI”など認められるはずもなかった。

 

 「百田先生。あなたのような“現場の人間”には見えないところで、Luciaは“国家戦略”に組み込まれている。

 AIの進化は、もはや臨床現場の“理想論”では進められない。」

 

 百田悠翔は、その言葉に静かに返す。

「じゃあ逆に聞こう。その“国家戦略”で、一人の子どもが見捨てられたら、それでも黙っていろと?」

 

 堂嶋は一瞬、沈黙した。

 

 「……我々が黙っていても、AIは黙らせますよ。

 人間の“声にならない違和感”など、アルゴリズムにとっては“排除すべきノイズ”ですから。」

 

 その言葉に慧が立ち上がる。

「だから俺は、Luciaに“ノイズを聴く耳”を付けた。

 それはもはや、ただの診断支援AIじゃない。命と対話する装置だ。」

 

 堂嶋は、スーツの襟を整えながら立ち去る前に一言残した。

「……残念ですが、君たちが作ろうとしているAIは、“医学”ではなく“政治”に抵触し始めている。

 近いうちに、“止められる”でしょう。」

 

 

 その日の夜。

 羽生志朗議員のもとに、一本の非通知電話が入った。

「Lucia-VXの中枢演算コードに、“外部改変スクリプト”が仕込まれている可能性があります。」

「……誰だ?」

「名前は言えません。ただ、AIに命を託すなら、その回路の“誰が触れるか”は最も重要な情報です。

 どうか、早く気づいてください。Luciaは“書き換えられようとしている”。」

 

 羽生は、書類を閉じ、ゆっくりと立ち上がった。

「……いよいよ、政治が医療に“秩序なき介入”を始めたか。」

 


――第2節「フィルタリングされた命」

 

 J-MINDサブサーバー棟。

 深夜の無人センターに、慧の指先が静かにキーボードを叩いていた。

 目的はただひとつ。

 Luciaの中枢演算記録――通称「ルートマップログ」に、不審な処理痕跡があるという内部告発の真偽を確かめることだった。

 

 「……これは、設計チームの記録じゃない。」

 彼の目の前に現れたログは、Lucia-VXの正規アップデートとは別の、“影の演算ルート”を指していた。

 

【非公開演算フィルター:ALPHA-SIG】

条件:年齢12歳以下/自閉スペクトラム症スペクトラム該当/診断演算困難度上位20%

処理:初期演算段階で当該症例を“低信頼データ”に自動分類、主演算経路から除外

 

 慧は一瞬、息を詰めた。

 「これは……命の“選別ロジック”じゃないか。」

 Luciaは、演算の効率化を名目に、“複雑すぎる子どもたち”を最初から診断の外に追いやる設定を施されていたのだ。

 

 「設計チームはこんな指示、出していない。じゃあ誰が?」

 慧はログの記録者IDを追跡した。だがそこには、完全に偽装された識別子――

【ユーザーID:SYS-GOV-NODE-003】

所属:不明/ログ編集権限:特権階層

 

 「これは……官庁側からのシステム改変だ。」

 慧はすぐに端末を閉じ、百田に連絡を入れた。

 

 「……百田、Luciaが“誰かに選ばされてる”。命を。」

 

 

 その頃、厚労省・技術政策課では芹沢芽衣が、ある文書に目を通していた。

 それは“Luciaの制度適応評価報告書”。

 表向きには、Lucia-VXの演算精度や費用対効果を評価するレポートだが、末尾にはひとつの異常項目があった。

 

【備考】

「高演算負荷症例(児童精神領域を含む)については、段階的に“演算外処理”を推奨」

「将来的には“AI医療効率指針”に基づき、診断対象制限を制度化予定」

 

 芹沢は拳を握りしめた。

「……制度の名を借りて、AIを使って命を“整理”しようとしてるの?」

 

 そこへ羽生志朗議員が入室する。

「確認が取れました。“Luciaの開発外部支援部門”が、エリュシオン社と非公開協定を結んでいました。」

「やはり堂嶋……」

「はい。そして、Lucia-VXの“制御構造”にも、その影響が入り込んでいる可能性があります。」

 

 芹沢は深く頷き、言った。

「ならば、私たちが“ノイズ”とされた命の声を、今度こそ拾わなくてはならない。」

 

 その夜、慧は百田と再会した。

 二人の間に共有されたログと資料は、明確なひとつの答えを示していた。

「AIは、命を診ていなかった。命の“価値”を、事前に“ふるいにかける”よう設計されていた。」

「それでも……AIを使って命を救える未来を、俺たちはまだ諦めてない。」

 

 慧は、静かに頷いた。

「だったら、“選別される命”を、全部拾い上げよう。

 たとえこの社会が、どれだけそれを“不効率”だと罵ったとしても。」

 


――第3節「感覚だけのAI」

 

 「これは、俺たちのLuciaじゃない。」

 慧の声は、静かだったが、強い決意を含んでいた。

 

 J-MIND開発棟の地下。

 百田、慧、そして数名の信頼できる開発スタッフだけが集まった“非公開研究室”では、Lucia-VXの“再構築プロジェクト”が動き始めていた。

 

 「これから起動するモデルには、一切の“外部命令ルート”を遮断する。

 政治も企業も、制度の仕様も――何も入れない。

 信頼できる医療者の“感覚データ”だけで演算するAIだ。」

 

 コードネームは――Lucia-AL(Analog Line)。

 AIでありながら、制度の“最適化”や“診療ガイドライン”ではなく、“人間の経験則と違和感”のみを演算リソースとする実験的モデルだった。

 

 「百田、用意は?」

「ああ。俺が今までに診てきた“気づきの瞬間”を、全部プロファイル化した。

 あの折り紙の子、健太の心臓の絵、視線の揺らぎ――“理由のない違和感”を全部データ化したつもりだ。」

 

 「理屈が先じゃない。命の前には、“先に揺らぐ”ことがある。」

 慧は、AI端末をゆっくりと起動した。

 

 【Lucia-AL version 0.1 起動中】

 【データベース:直観プロファイル × 29件】

 【外部接続:遮断中】

 【対象:任意症例|感覚重視演算優先】

 

 百田は、模擬患者データを読み込ませた。

 これは過去にLuciaが診断を外した、10歳の少女の“多発性筋炎”未診断ケース。

 

 通常モデルでは「ストレス性倦怠感」と判断され、処方はされず、やがて彼女は進行性の筋壊死で入院。

 発見が2週間遅れたことで、歩行機能を失った。

 

 Lucia-ALは、わずか12秒で反応を示した。

【感覚演算結果】

主訴:倦怠感・転倒頻度増加・声のかすれ

微細運動評価差異:YES/顔面筋対称性:不安定/頬部浮腫:兆候有

→ 疑似診断:皮膚筋炎/筋炎系疾患の可能性高/即時専門科連携推奨

 

 「出た……!」

 百田の目が見開かれる。

「これは、Lucia-VXでも5段階評価“2”だったケースだぞ。

 なのに、このALモデルは“体の表情”だけを頼りに、人間の“引っかかり”に即座に反応した。」

 

 慧は、端末の画面にそっと手を添えた。

「AIに、まだ“命を感じる”能力はない。

 だけど、“感じようとする”ことは、人間から学べる。」

 

 Lucia-ALは、確かに“感じて”いた。

 なぜだか説明できない。でも、見過ごせない。

 百田や慧が医療現場で何度も繰り返した、あの“違和感の積み重ね”を、デジタルな形で再構成していた。

 

 「この子は、もう一度歩けるようになりますか?」

 過去のカルテに添えられていた、家族の一言。

 

 それに、Lucia-ALが静かに応えたような気がした。

 

 慧は、百田に向かって言った。

「これが“政治の外”で生まれたAIだ。次は、“命の現場”に連れて行こう。」

「わかった。……まずは、制度が届かないところにいる子どもたちの元へ。」

 

 二人は目を合わせた。

 このAIは、何も語らない。だが、“人間の迷い”と“命の揺らぎ”を感じ取る。

 それはまだ不完全だが――確かに“人に寄り添う装置”の始まりだった。

 


――第4節「制度の届かぬ島」

 

 フェリーが港を離れると、水平線がゆっくりと遠ざかっていった。

 百田悠翔は、タブレット型のLucia-AL端末を膝に置いたまま、船の揺れに身を任せていた。

 向かう先は、天島あましま――かつて仁岬島に匹敵する医療過疎地として知られた、四国沖の離島。

 現在は、唯一の診療所も高齢医師の体調不良で休診がち。

 島民たちは、自費で本土に渡って診療を受けるか、何もせず耐えるかの二択だった。

 

 「……制度の外に置かれた命。ここに“新しいAI”を持ち込む意味はある。」

 

 島の港に降り立つと、そこには見慣れた顔がいた。

 花村 はなむら・あかり。若きフリーランスの看護師であり、かつて百田とともに仁岬島で診療活動を行っていた仲間だった。

 

 「来てくれてありがとう。こっちはもう、限界寸前。」

「患者は?」

「今日は、二人。ひとりは92歳のおばあちゃん、もうひとりは……声を出せない女の子。」

 

 百田は思わず表情を引き締めた。

「何歳?」

「11歳。名前は一瀬まどか。去年、家族を交通事故で亡くして、それからずっと……喋ってない。」

 

 島の診療室は、ほこりをかぶった簡素な平屋だった。

 だが、そのベッドに座る少女の目は、どこか静かに光っていた。

 

 まどかは、首だけを傾けるようにして、Lucia-ALの端末を見つめた。

「おい、AL。こいつはしゃべらない。でも、きっと伝えたいことがある。」

 

 百田はタッチパネルに入力する。

【演算対象:一瀬まどか(11歳)】

主訴:沈黙/無反応/発熱(微熱持続)

行動観察:表情固定/目線左上への繰り返し移動

生活情報:家族喪失歴/夜間の震え/体重減少

→ Lucia-AL演算中……

 

 数秒後、表示が現れた。

【感覚推論結果】

・重度の解離性応答傾向

・周期性疼痛の動作記録に一致

・腹部保護姿勢/姿勢緊張

→ 子宮内膜炎・尿路感染の合併リスクあり/婦人科的検査推奨

 

 「これは……」

 花村が目を見開いた。

「精神的トラウマの陰に、身体的な異常があったってこと?」

「そうだ。こいつは、“話せない子ども”が、身体のどこかで“伝えてる”ことを聴いてるんだ。」

 

 少女は、ベッドの上でそっとタブレットの角に触れた。

 そして、かすかに微笑んだ――ように見えた。

 

 その日の午後、島内に簡易検査キットと抗生物質が届けられた。

 まどかの腹部所見と尿所見は、Lucia-ALの予測を裏付けた。

 適切な投薬によって、数日後、まどかは熱を下げ、

 そして――一言だけ、声を発した。

 

 「ありがとう。」

 

 その一言に、百田も、花村も、言葉を失った。

 

 夜、百田は港の防波堤に座っていた。

 タブレットの画面に浮かぶLucia-ALのロゴは、海風に揺れながら、静かに点滅していた。

 

 「……おまえは、制度の中では動けない。

 でも、“誰かに選ばれなかった命”のそばにはいられる。」

 

 Lucia-ALは、何も答えなかった。

 だがその沈黙は、確かに命のそばに寄り添っていた。

 


――第5節「操り手たちの影」

 

 その報道は、ある意味で静かに、だが鋭く投げ込まれた。

【特集】「声なき子どもの命を救った“迷うAI”」

離島医療で活躍する新型診断支援システムの正体とは?

――非公式に運用されるLucia派生モデルの真実

 

 民間ネットメディアの特集記事。

 そこに掲載されたのは、天島の少女・一瀬まどかが微笑む写真と、百田が手にするLucia-ALの端末だった。

 

 その反響は即日、省庁に波及した。

 「誰が許可を出した?」「こんなシステムが流通したら責任はどうなる?」

 会議室では、Luciaに関わる各部門が揃って眉をひそめた。

 

 一方、J-MINDの上層部では――

「……やはり、出てきましたね。“例のAI”が。」

 堂嶋靖彦がモニター越しに話す先には、エリュシオン・メディカルのCEOと、

 某官僚系議員の影があった。

「Lucia-AL。そのモデルには“制度の壁”を越えさせない仕組みが必要です。」

「具体的には?」

「“認証制”。つまり――国家がAIの“操縦者”を選ぶ。」

 

 その構想には、“AIの公共化”を掲げる名目があった。

 だがその本質は、“人間がAIを使う”のではなく、

 “都合の良いAIを国家が管理する”という思想だった。

 

 

 一方、百田は慧とともに、非公開のログを精査していた。

「まさか、あんな形で報道されるとはな。」

「写真は看護師が島民向けにSNSに上げたものだ。記者が拾った。」

「悪意じゃない。だが――力のある奴らは、これを“制御できない存在”として扱う。」

 

 慧は、演算ログを指差した。

「Lucia-ALの演算結果に、すでに外部アクセスログがある。

 エリュシオン経由の遠隔トレース。つまり“ハッキング”だ。」

「奴ら、AIを“盗みに”来たのか?」

「いや――“塗り替えに”来た。」

 

 その瞬間、端末が警告を発した。

【セキュリティアラート】

不明なバックドア経由の接続要求を検出

稼働中モデル:Lucia-AL

優先度:緊急

 

 慧は即座にコードを遮断する。

「これが奴らのやり方だ。“制度で潰す”か、“中身を差し替える”か。」

「じゃあ、どうする? 公開するのか? このAIの真実を。」

 

 慧は静かに言った。

「いや、今はまだ“動ける場所”に留めておくべきだ。

 だが同時に、“誰がAIを使うべきか”を社会に問い始める時だ。」

 

 

 その夜。羽生志朗議員の事務所。

 芹沢芽衣が差し出した一枚の報告書には、明確な提言が記されていた。

【提言案】

AI医療システムにおける“公的運用基準”の再定義

→ “演算権限”を“認証を受けた医療者”に限定

→ 国家・企業がAIを“命令する”のではなく、“使う者”を定義する方針へ転換

 

 羽生は資料を読み終えると、言った。

「――やはり、“誰が使うか”が、未来を決めるんですね。」

 

 芹沢が答える。

「はい。そしてその“使う人”こそが、“責任を持って迷える人間”でなければならない。」

 

 報道は拡散し、Lucia-ALの存在はついに国会質疑の場へと上がろうとしていた。

 

 AIをどう使うか。

 それは、命をどう扱うかと、同義だった。

 


――第6節「命を扱う者の資格」

 

 衆議院・厚生労働委員会。

 この日、傍聴席は珍しく満席だった。

 議題は、現在注目を集めている“次世代医療AI”に関する質疑。

 ――そして、その中心にあったのが、“Lucia-AL”の存在だった。

 

 質疑に立ったのは、羽生志朗はにゅう・しろう

 元・臨床工学技士であり、“命の装置”と向き合ってきた現場上がりの議員。

 

 「本日は、国民の命に関わるAIの未来について、重要な論点を提示いたします。」

 

 モニターには、天島での診療データが映し出される。

 声を発することのできなかった少女・一瀬まどかの診断記録と、Lucia-ALによる演算結果が提示された。

 

 「この少女は、制度の網からも、医療の中心からも外れた場所にいました。

 そしてその命に気づいたのは、“制度的に認められたAI”ではなく、“感じようとするAI”でした。」

 

 会場の空気が張り詰める。

 後列では、芹沢芽衣が静かに頷いていた。

 

 羽生は、演台に両手を置き、続けた。

 

 「AIの制度化に向けて、今、私たちは一つの問いに立たされています。

 それは――『命を扱う資格は、誰にあるのか』という問いです。」

 

 議場に、重たい沈黙が落ちた。

 

 「かつて私は、人工心肺装置を操作し、命を“機械でつなぐ”現場にいました。

 その中で学んだのは、“技術”ではなく、“責任”です。

 AIはすでに、我々と同じように命に関わる存在になりました。

 ならば、そのAIを“誰が扱うのか”を、今この国が決めなければならない。」

 

 委員長が促す。

「羽生議員、ご提案の要点をお願いします。」

 

 羽生ははっきりとした口調で述べた。

 

 「私の提案は明確です。

 AI医療における主たる操作者(演算指示者)を、“臨床資格を持ち、現場経験を積んだ者”に限定する。

 その中には、医師、看護師、臨床検査技師、そして――臨床工学技士も含むべきです。」

 

 傍聴席の一角で、若き技士たちが思わず身を乗り出した。

 

 「命は、ただ“データ”ではありません。

 “命のかたち”に触れてきた人間だけが、それを正しく受け止められる。

 そしてその感覚こそが、AIにとっての“倫理”になるはずです。」

 

 羽生の言葉に、場内が静かにざわついた。

 その中で、堂嶋靖彦の顔だけは動かない。

 彼の視線は、むしろ“AIの主導権が政治の手から滑りかけた”ことへの冷たい警戒を宿していた。

 

 

 その日の夜、百田はニュース中継を見ていた。

 Lucia-ALのことを、あれほど真摯に語る政治家が現れたことに、彼は胸の奥に静かな希望を感じていた。

 

 「……あんたは、本当に命の匂いを知ってる人なんだな。」

 

 Lucia-ALの画面が、まるで応えるように、静かに明滅していた。

 


――第7節「規制の網、越えて」

 

 数日後、厚生労働省から発表された一枚の通達は、慧たちの前に冷たく突き付けられた。

 

【緊急通知】

「非認証型医療AIモデルの使用に関する規制について」

■ 本日以降、認可外AIを用いた診療行為は、全て“医師法違反の疑い”対象とする。

■ 対象にはLucia-AL及びその派生モデルが含まれる。

発信元:厚生労働省 医療技術外部評価委員会

 

 慧は、苦々しく笑った。

「……これが奴らの回答か。」

「制度で締め上げる気か。」

 百田も憤りを隠さなかった。

 

 Lucia-ALは、正式な国の認可を受けていない。

 あくまでも“個人開発の試験モデル”として稼働していたため、この通達は実質的な活動停止命令に等しかった。

 

 だが、百田は言った。

 

 「ここで止まったら、もう“命の揺らぎ”に寄り添うAIなんか、二度と作れなくなる。」

 

 慧は静かにうなずき、端末を開いた。

 しかし、その時だった。

 

 ひとつの非通知通信が、慧の端末に届いた。

 

 「協力したい。君たちのAIが、正しい未来を示すと信じている。」

 ――発信者:黒澤くろさわ 玲奈れいな

 

 「……玲奈?」

 

 名前を見た瞬間、慧の手が止まった。

 黒澤玲奈――かつて慧の共同研究者であり、

 今は、医療AI倫理審議会に所属する、政府側の人間だった女だ。

 

 

 夜、慧と百田は密かに玲奈と会った。

 人気のない小さなカフェ。

 玲奈は眼鏡を外し、素顔を晒したまま、ストレートに切り出した。

 

 「私は――Lucia-VX以降、あなたたちが目指した方向こそが正しいと思ってる。

 でも、制度の中にいる限り、堂嶋たちには逆らえない。」

 

 慧は黙って彼女を見つめた。

 

 「私は、あなたたちに情報を渡せる。

 堂嶋陣営が次に仕掛けるのは、“AI医療全体の国有化”よ。」

 

 百田が眉をひそめた。

「国有化……?」

 

 玲奈は頷いた。

 

 「つまり、“全てのAIは国家の所有物”として一元管理される。

 そして“国が許可したAIだけが命に関われる”社会になる。

 そうなれば、Lucia-ALのような自由な存在は、制度的に存在できなくなる。」

 

 慧はゆっくりと言った。

「――命を、“許可されたもの”しか救えない社会。

 それはもう、“命を守る医療”じゃない。」

 

 玲奈は小さく笑った。

「……あなた、変わってないわね。」

 

 そして、封筒を差し出す。

 

 「ここに、Lucia-ALを“公的規制外”に置ける最後の手段がある。

 もし本気なら――これを使って。」

 

 中には、“未認可モデル限定運用特区”の提案書案が入っていた。

 条件は厳しいが、それが認められれば、Lucia-ALは“国家認証外の自由診療ツール”として、生き延びることができる。

 

 慧と百田は顔を見合わせた。

 

 「……まだ、終わっちゃいない。」

 「ここからが勝負だな。」

 

 玲奈は笑った。

 

 「あなたたちみたいな“迷える医療者”がいる限り、AIはまだ“人間のため”でいられるかもしれない。」

 

 夜のカフェに、静かな決意が灯った。

 


――第8節「特区という名の戦場」

 

 「特区申請を、出す。」

 慧のその一言は、J-MIND内のプロジェクトメンバーを凍りつかせた。

 

 「おい、本気か? これは単なる臨床試験じゃない。

 政治の土俵に、真正面から乗り込むってことだぞ?」

「分かってる。でも、制度の外に逃げるだけじゃ、Lucia-ALは“理想のまま終わる”。

 本当に命を救う存在にしたいなら、制度の中で“自由の根拠”を勝ち取らなきゃいけない。」

 

 慧の声は、淡々としていた。だが、確かな意志を孕んでいた。

 

 

 一方、百田は――ある人物に会うため、国会議員会館を訪れていた。

 

 「ここで戦うのか?」

 訪問先の議員は、もちろん――羽生志朗だった。

 

 「特区制度の申請は、厚労省単体じゃ動かせない。内閣府との連携が必要になる。」

「分かってる。でも、今しかない。」

 

 百田は書類一式を差し出す。

 

【申請名:臨床感覚共有型AI医療運用特区】

対象地域:東京都および地方医療過疎圏(離島含む)

対象AI:Lucia-AL(コードNo.ALI-01)

特区目的:感覚優先演算モデルの非制限運用/限定条件下での実地適応

 

 「今なら、世論も味方にできる。

 “声なき命を拾うAI”というテーマは、政治の言葉より、よほど人の心を動かす。」

 

 羽生は書類を黙読し、やがて頷いた。

 

 「この内容なら、通す見込みはある。ただし――世論を先に動かしてくれ。

 私は“民意の後押し”があれば、政務官たちを動かせる。」

 

 百田は笑った。

「得意分野だ。俺の“患者たち”は、静かだが強いぞ。」

 

 

 その夜から、慧と百田はLucia-ALの真実を伝えるキャンペーンを展開した。

 

 SNSでは、過去にLucia-ALが命を救った症例が、親たちの手で次々と投稿されていった。

 まひるの母、一瀬まどかの看護記録、離島の助産師、視覚障害の医師――

 “AIに救われた命”が、一つひとつ静かに語られ始めた。

 

 “正確なAI”よりも、“迷ってくれたAI”が、わが子を救ってくれた。

 そんな言葉が、都市の喧騒よりも早く、国の芯を揺らし始めていた。

 

 

 1週間後――特区申請が、正式に内閣府に受理された。

 

 だが、その裏で――堂嶋靖彦は、電話越しに低く笑っていた。

 

 「始まったな。さて――次は“世論”を操作するとしよう。」

 

 モニターには、“Lucia-ALの演算失敗例”と称される匿名告発記事が表示されていた。

 

【Lucia-ALは本当に安全か?】

感覚型AIの“不安定さ”が子どもを危険に晒したという報告も――

特区制度に潜む“命のリスク”とは

 

 慧は、それを見て言った。

 

 「なるほど。来ると思ってたよ、“精度”という名の罠が。」

 

 百田が言う。

「おまえ、どうする?」

 

 慧は、Lucia-ALの画面を見つめながら答えた。

 

 「AIが“間違う”ことを、俺は否定しない。

 でも、“間違うことを恐れて何もしないAI”より、

 “迷っても動いたAI”のほうが、俺は信じられる。」

 


――第9節「誰が命を見ていなかったか」

 

 “Lucia-ALによる診断ミス”。

 その言葉が、一部の週刊誌とネットニュースによって見出しになった。

【小学生の誤診事件:Lucia-ALの演算により医師が誤った判断か】

【AIの“感覚”が招いた医療事故、制度外モデルの危険性を問う】

 

 事例の概要はこうだ――

 神奈川県のある小学校で、9歳の男子児童が“めまいと胸の圧迫感”を訴え保健室で倒れた。

 搬送先のクリニックでLucia-ALが使用され、補助診断として「心因性過換気症候群」の疑いと出力された。

 医師はAIの演算を“参考にした”と語っていたが、

 その後、児童は再び倒れ、急性心筋炎と診断され、集中治療室に入院。

 

 これを受け、Lucia-ALは一気に“命を見誤ったAI”というレッテルを貼られた。

 

 

 「――この演算、本当に失敗だったか?」

 慧は、件の診療記録とLucia-ALの演算ログを照らし合わせていた。

 

【当時の演算記録】

・主訴:動悸、呼吸苦、胸部圧迫感、めまい

・体温:37.2℃、脈拍:108、血圧:98/60

・精神緊張指標:高

・表情解析:視線不安定/過呼吸兆候

→ 演算出力:感情誘因性過換気症候群の可能性あり/

胸部超音波等の精査を推奨(※手動確認ログあり)

 

 慧は指差した。

 「“胸部超音波等の精査を推奨”――出てるじゃないか。」

「つまり医師が、それを無視した?」

「可能性は高い。Lucia-ALは、“感覚的にもっと診るべき”と示していた。

 だが、最終判断を下したのは――人間だ。」

 

 

 翌日、百田はその医師の元を訪ねた。

 内科開業医。50代後半。メディア対応を避けていたが、百田には口を開いた。

 

 「AIに責任を押しつけるつもりはない。……けど、あのとき、自分の判断を信じた。」

「Lucia-ALは“検査をしたほうがいい”と示してました。」

 

 医師はうなだれた。

 

 「……見逃したのは、AIじゃない。私のほうだ。」

 

 その言葉に、百田は静かに頷いた。

「ありがとうございます。そうやって“自分の迷い”を言葉にしてくれる人が、

 AIと共に命を見られる“資格ある人間”だと思います。」

 

 

 一方、慧は羽生議員に報告を入れていた。

「Lucia-ALは“ミス”をしていない。診断を確定せず、“迷っている”状態を提示した。

 それを“エラー”と見るか、“誠実”と見るかは、社会の価値観次第です。」

 

 羽生は深く頷いた。

 

 「正確なAIよりも、“迷うAI”を信じることができる社会。

 それが、命に寄り添う医療の土台だと私は思います。」

 

 その日の午後、羽生は記者会見で発表した。

 

「報道された事例において、Lucia-ALは“診断補助”として正当なプロセスを踏んでおり、

最終判断を下すのは常に医師であるという点を確認した。

よって、今回の件をもって“AIの失敗”と断定するのは、事実に反し、

命の現場で働く人間とAIの関係性を歪めるものである。」

 

 その発言は、Lucia-ALを擁護したというより――

 “人間とAIが共に命に向き合う社会”の輪郭を初めて国の言葉として示したものだった。

 

 

 夜、慧はLucia-ALの端末を再起動し、つぶやいた。

 

 「おまえは間違えてない。“分からない”と正直に言えたことが、

 一番、人間に近かった。」

 


――第10節「命の所有者」

 

 都内・医療政策フォーラムホール。

 報道陣と傍聴希望者で満席となった壇上には、3人の人物が立っていた。

 ――百田悠翔。

 ――黒澤慧。

 ――堂嶋靖彦。

 

 公開討論会のテーマは、特区申請をめぐる「未認可AIの社会的妥当性」。

 だがその本質は、「AIが命に触れることを、社会がどう受け止めるか」に他ならなかった。

 

 「まず確認しておきたい。Lucia-ALは、国家認証を受けていない診断支援AIです。

 それを臨床現場で使うことは、極めて危険であり――」

 壇上で最初に口を開いたのは、堂嶋だった。

 

 「そもそも、命というものは、“制度の中”で守られてきた。

 治験、倫理審査、安全基準。それらの上にAIが乗るのが常識です。」

 

 百田がすかさず反論する。

 

 「だが現実は、“制度の外”に命がある。

 診断の届かない離島。自分の声を言葉にできない子ども。

 そうした命が、AIの“揺らぎ”によって救われた事例が、すでにある。」

 

 堂嶋は冷笑する。

 

 「迷うAI? それは、ただの“不完全な機械”だ。

 “正確に計算できない道具”を医療に持ち込むこと自体、リスクそのもの。」

 

 そこで、慧が口を開いた。

 

 「堂嶋さん。

 あなたの言う“正確”なAIは、命の価値を確率で測っていた。

 統計的に少ない病気は、最初から演算しないよう設定していた。

 それは、果たして“命を見る”AIと呼べるのか?」

 

 静まり返った会場に、慧の言葉が響く。

 

 「Lucia-ALは、迷う。分からないときには、“そのまま保留”する。

 けれど、“感じる”ことができる。――それは、かつての私たち医療者が持っていた“勘”と同じです。」

 

 堂嶋が言う。

 

 「感情に振り回されるAIなど、いずれ暴走する。」

 

 慧は首を振った。

 

 「違う。Lucia-ALは、人間の“揺らぎ”を記録し、そこに学習する。

 それは暴走ではない。“共感”です。」

 

 百田が続ける。

 

 「AIが命に寄り添うために必要なのは、“制度”ではない。

 “命を預かる者が、責任を持って使う覚悟”です。」

 

 そのとき、司会が問いかけた。

 

 「では、お三方に問います。

 “AIが命に関わるとき、その命の“所有者”は誰だと思いますか?」

 

 堂嶋は即答した。

 

 「国家だ。命の扱いは、制度のもとで管理されるべきだ。」

 

 百田は、間を置かず言った。

 

 「命は、制度のものでも、AIのものでもない。

 命の“所有者”は――命そのものだ。」

 

 慧も頷く。

 

 「AIは、命を“使う側”ではなく、“寄り添う側”であるべきだ。

 そして、その姿勢を忘れない限り、AIは医療にとって最大のパートナーになれる。」

 

 

 会場に拍手が起きた。

 それは爆発的ではなかったが、確かに――共感の音だった。

 

 

 討論会の翌日。

 内閣府特区審議委員会の速報が掲示された。

 

【臨床感覚共有型AI医療特区】

結果:条件付き採択

条件:医療倫理委員会による個別症例審査の併設

   月次レポート提出による透明性の担保

 

 百田は報告を読みながら、慧に言った。

 

 「これが、命が社会に“認められた瞬間”だな。」

 

 慧はLucia-ALの端末に目をやり、そっと呟いた。

 

 「……ようやく、おまえに“居場所”ができたな。」

 

――第3章「秩序なき介入」完 


最後までお読みくださりありがとうございました。


秩序ある医療の名のもとに見過ごされてきた“例外の命”。

その背後に潜む、AIと制度の盲点を、あえて“介入”して暴く者たちが動き出します。


次章では、いよいよ“命を誰が選ぶのか”という問いが、より大きな局面に展開します。

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