探偵は今日も泣いている。
私はバイト先へ向かう電車の中で、読書をしていた。
所謂、信頼できない語り手がテーマと帯に書かれている。ミステリーの定番、というほどではないが稀によくあるだろう。
そろそろだと本を手提げにしまい、電車を降りる。ここからは徒歩で事務所へ向かう。いつもと変わらない風景が、歩く度に視界の端に流れていく。
「おはようございます!」
職場というのもあり、気分を切り替えて明るく挨拶する。こちらに気がつくと雇用主である月神鈴人は、パソコンと向き合う作業を止めて会釈した。
浮世離れした銀髪、それでいてドラマのワンシーンのように馴染んでいる。お気に入りのラベンダーティーを口にする優雅な雰囲気、今日も素敵だ。
「今日こそ依頼はありましたか?」
そうたずねて棚を片付ける手を止め、月神の方を見やる。
「いや……」
彼はバツが悪そうに、依頼はなかったと告げる。
依頼が来ていなくても落胆しない。ここは売れない探偵事務所だから。
非正規でやっていると噂の雨田探偵事務所に客を取られているらしく、開業から一月経つが閑古鳥が鳴いている。
月神のイケメンさで、勝負しようにも向こうは名家のお嬢様が助手との噂。雨田もイケメンとなればアドバンテージなんてものはお察しだった。
「とりあえず私は資料整理してきます」
「……ホームページが悪いのか?」
探偵が呟く。整理している間に聞こえてくる彼のタイピング遅いな、とついつい意識してしまう。
「どうも機械は苦手だ」
「月神さん、ここはオープンスタッフならぬオープンバイトの私が、売れそうなホームページデザインにしたりますわ!」
頼りない探偵を椅子から退かし、作業に着手する。
「……あの、ホームページのリンクページは?」
「リンク?ナンダカの伝説の主人公か?」
あれから色々と足りないホームページの修正をして、数時間が経過すると、ようやく依頼が舞い込んで来た。
「あの、私……最近ストーカーに悩まされていまして」
依頼人の温羅亞衣は、眉を潜めながら話始め、尾行されている気配、時折視線を感じる等の主観で説明した。
確証はないものの、気の休まらない日々が続き、友人に相談したところ、警察には実害がないと取り合ってもらえない事を教えられたという。
「ここなら新しいからスケジュール開いていてくれてそうだと思って……」
ほがらかに微笑みながら理由を述べる。
悪気はないのだろうが、突きつけられた事実は探偵にクリティカルヒットしてしまう。
「では調査を開始させて頂きます。ストーカーが居る場合、スケジュールの把握も加味して1週間ほど掛かりますが、経過報告させていただきます」
書類契約を交わし、初日から仕事やプライベートで外出する彼女を観察して近くにストーカーの存在は確認できなかった。
翌日、月神と美虎は近所の調査を開始する。噂好きそうな目がつり上がった中年女性に、月神が声をかける。
「すみません」
「あんたここらで見かけない顔ねぇ」
怪訝そうな顔をしてから、月神の顔を見てすぐに警戒を解く。
「ここだけの話、恋人がストーカーに狙われているらしくて……」
「ストーカー……」
ぽつりと心当たりがあるといった様子で考え込む。
「10年前だったかね。ここらに住んでた女子高生がストーカーに殺された事件があってね」
「……」
それから三日間何もない事が続き、アプローチを変えようと留守中に家の前に近づく男がいないかを調べるべく月神は家の前で待機、その間に美虎が依頼人を近くから見ることになる。
ちなみに今日の依頼人は職場の同僚とカフェでランチだ。
「あの店員さんイケメンでしょ~彼氏さんには負けるかもだけど~」
「あ、そうですね!って!やだな~先輩~彼氏じゃないですよ~」
いかにも女子といった会話だと思っていると、窓の方から金髪の軽そうな男がこちらを見ていた。
男がそそくさと逃げた。怪しいが追いかけても間に合いそうにない。昼休憩から職場へ戻って、数時間の業務を終えた彼女が無事に帰宅したのを探偵と車内で見届けたところで業務を終える。
「確証もないので依頼人には言えませんでしたが、カフェで温羅さんを見てくる変な男がいたんですよね」
「ようやくストーカー候補のおでましか……」
「えっと、金髪でチャラくて……とてもストーカーには思えませんでしたけど」
「……職場の知り合いの可能性を考慮して、男との面識を確認しよう。今はおそらく寝ている時間だろう、連絡は明日のほうがいいな」
翌日、朝早くから月神の事務所の本電話へ電話が掛かってきた。
それは知り合いの中元唐巳からで、彼は刑事である。寝起きで機嫌もよくない月神が、何かと思えば殺人事件の捜査協力だった。
事件現場の地図はスマホへ送るので、居るんなら助手にでも確認してもらって現場へ来い。と乱雑に電話を切る。
「おはようございます」
「朝からすまない。実は事件の捜査協力を頼まれて、刑事から一方的に地図だけ送られて……」
ガラケーしか使えない探偵でもスマホの地図画像くらい大丈夫だろうと、思った美虎だが、そもそも地図が読めないんだと理解するのに時間はかからなかった。
ちなみに方向音痴の男性は浮気をしないという噂があるのを思い出して美虎は少し口角を上げてしまった。
「あ、依頼人の方に電話ってしました?」
「今しておくか……」
探偵が事務所の固定電話からかけると、温羅はあからさまに低いテンションだった。
「お元気がないようですが、どうかされましたか?」
ストーカーに実害を受けたのではないかと美虎はソワソワする。
「よくストーカーの相談していた親友が2日前に殺されてしまって……」
「……そんなことが」
温羅は警察に事情聴取で呼ばれているからと電話を切る。
「ガイシャは27歳女性……ナイフで心臓を数回やられている」
月神は約束の時間が近くなり、事件現場のアパートへ訪れると、容疑者らしき3名を一瞥する。その中には温羅もいて、彼女の親友が刑事が言うガイシャだと理解した。
中元刑事が言うには被害者は親の遺産で生活しており、犯人は財布から金を盗んでいたため、物取りの犯行も視野に入れている。
その親友ともなれば疑われやすいだろうと、美虎は泣きはらしてやぼったくなった温羅を気の毒に思う。
「探偵さん……」
こちらを見ながら、温羅が助けを求めるような視線を向ける。
「知り合いですか?」
中元が温羅へ質問する。彼女は実害がないので探偵に依頼しているのだと話す。
月神は守秘義務から自分で関係を明かすことはしなかった。中元も知人とはいえ世の中のルール上、言わなかった事を問い詰める真似はしない。
「あの3人が候補だ。探偵にお誂え向きの数だな」
「そうだな」
「あれが温羅亞衣、24歳。所謂IT企業の……」
まず警察は温羅が1番怪しいと睨んでいる。周囲の証言で親友だというのは温羅だけの認識だと客観的に判断してのことだ。本当に親友かなど、もう一方の当事者に聞くしかないが、そんな事は被害女性が幽霊にでもなって自分で話しださない限り無理な話だ。
「あのいかにも怪しい男が土箸英我45歳。窃盗の前科がある近隣住民だ。日頃からギャンブルとキャバクラと酒に溺れる救いようのない輩だ」
「もう犯人でいいだろう。世の為にも」
「奴は被害者の財布を持っていた。しかし家を探っても凶器がないんでな……」
「土箸さん、難しい質問はしません。被害者との面識があるか、もしくはストーカーをしましたか?」
「あ? 面識なんざねえ。んな地味な女なんか興味ねえよ」
「どこで被害女性の顔を?」
「あ?どこもクソも新聞に顔乗っててびびったぜ」
「なるほど」
事件の被害者の財布を盗んだくせに、動揺することなくすらすらと証言した。
「何で財布の件を聞かない?」
「警察に散々、落ちているのを拾っただの言っていたんじゃないかと」
「ああ、同じ事を言っていた。相変わらずの先読みっぷりだな。何で警察にならない?」
「地図が読めん」
月神が真顔でそう言うと、中元はもう何も言わなかった。
「では、次は……」
「南雲海璃26歳、彼は10年前から海外にいて事件当時はまだ飛行機にいた。という渡航履歴はあるが、その証言は当てにならない」
「は?」
「金持ちのボンボンだ」
「なるほど」
彼の頭の中では、南雲が本当は海外になど行っておらず、同じ顔に整形した人間を海外へ行かせ、本物の南雲が犯行を……という無茶な推理がされている事だろうが、可能性の1つとして数える気にもならない。
「いいですか?」
「……」
月神が問いかけ、こくりと頷く南雲だったが、一言も発さない。
「先ほどから黙っていますね。探られたくないやましい事でも?」
「……昔から、弁明しようとすると余計に疑われる。だから話さない」
「昔から?……そういえば10年海外にいたと聞いたのですが、なぜ今になって帰国を? よりによって事件の時期と近いタイミングで……」
「高校時代の先輩から、久しぶりに帰国したらどうかって、メールが来て……それは結局こんな事に……」
初めて薄かった彼の落胆の表情には、人らしさが現れた。
「あの……カレが会いたいって言うので、今日は帰っても大丈夫ですか?」
「けっ!いいご身分だぜ…こっちは痛くもねえ腹探られてるってーのによぉ……まだ帰れねえのか刑事さんよぉ!」
彼氏がいるならわざわざ探偵頼らないでそっちにストーカー相談したらいいのに、と思った美虎は月神の後ろに隠れて彼女にジト目を向けた。
「ところで温羅さん、今朝の新聞って読みました?」
月神が思いだしたように訊ねた。
「いえ……それが何か?」
平然と言っているが、美虎は彼女を犯人だと思う。
「月神さん、絶対あの人犯人ですよ」
そう言ったが彼は首を振っている。彼がそういうなら……と美虎は黙る。
「ん? 何か落ちている……」
そう言って月神は何かを拾うような動作をする。
「お帰りにならないんですか?」
帰ろうとしていた温羅が、その場にとどまっているので、月神は追及するような口調で、遠回しに彼女を帰らせようとする。
「ええ……親友の事件現場だし……見ておきたくて」
「彼氏さん待ってるんじゃないですか?あ、ストーカーが危ないですし、ここに迎えに来てもらったほうが……」
「おかしいですね。あれだけ怯えていらしたのに、もしかして彼女が亡くなられて、ストーカーという存在を意識する理由がなくなったとか」
温羅は眉間にしわを寄せ、そそくさと帰宅する。
「いいんですか?」
腑に落ちないといった声色の美虎に、月神は耳打ちする。
刑事にも犯人が誰かを話をして、色々まとまったので二人は事務所へと戻っていた。
「わっ!」
美虎が歩道を歩いていると、黒髪の怖そうな青年がぶつかって美虎は尻もちをつく。男は悪びれもなくさっさと行ってしまった。
月神が手を差し出した。美虎は手をとって立ち上がる。
誰もが寝静まった深夜、カフェの花壇付近でうごめく怪しい人影、それを懐中電灯が照らす。
「早速ニュースやってますね」
「被害者の木筆桃音さんは、これで浮かばれただろうか?」
男は女性をストーカーして殺害、凶器をカフェの花壇へ隠し、物取りの犯行とみせかけるため財布を捨てた。と言うところまで報道された。
「それにしても変な話ですね。依頼人にいたはずのストーカーが報道ではご友人にシフトしてませんか?それとも2人ともされていた?」
「……そろそろお客様が来る頃だ」
「探偵さん、貴方を訴えます」
開口一番、温羅が毅然とした態度で月神に言い放つ。美虎は慌てふためくことしかできない。
「新聞を読んだか聞いただけで何故犯人扱いしたなどと、そんな言いがかりをされても困ります。本当に訴訟なされるなら受けて立ちますが」
「月森さんの知り合いに腕利きの弁護士がいるんですが、一般の方が雇えるような弁護士で相手になりますかね!?」
「……そ、そうね早とちりしちゃって……つい頭にきて、あ、争うつもりはないの」
「犯人はニュースをご覧になったならご存じでしょうが、アパートの隣の部屋を借りていたストーカーでした。……ああ、貴女のではなく、被害者のですがね」
月神はそれ以上は言わず温羅に、目で訴えた。
「え、あの……」
狼狽えて、目を合わせられないでぶつりぶつりと呟いている。
「犯人は貴女ですよね。過去にストーカーをされ、警察に取り入ってもらえなかった経験がある被害者を相手に、存在しないストーカーの影に怯える演技で、親近感を抱かせましたか」
「……」
「貴女は器用にも被害者のストーカーを履歴の残る電話機を使うことなく言葉巧みに利用し、犯人に仕立て上げることに成功した」
「どうやって?」
温羅は自分が犯人と認めたのか、開き直っている大柄な態度で余裕を作って見せているる。
「まずウチにストーカーの調査依頼をしたのは、簡単なアリバイを作って、その日は家にいたと僕等に証言させるつもりだったからなんでしょう」
「警察に疑われたとき、証言も何も全然役に立たなかったけど」
醜い本性を隠すことなく、苛立った様子で語り出した。
「そんな鬼のような形相で……お名前に相応しいですね」
温羅は苛立って月神に殴りかかろうとした。それを事前に事務所に隠れていた中元が止める。
「貴女は事前に被害者を刺して、もう既に息絶えた頃にストーカーに刺させることで凶器と明確なスケープゴートを作り上げ、二度目の死を与えさせた」
「そこまでわかってるんじゃ、おしまいね……」
「さあ、行くぞ」
「一ついいですか?」
「何よ」
「そのストーカーが誰か、聞いてませんよ」
「は?」
温羅は手を差し出し、手錠を受け入れる。二人が事務所から出ていき、無事にパトカーへ乗り込んだのを窓から眺める。
『ニュースのストーカーは貴女を炙り出すためのフェイク。凶器は見つかっていますが……意味がわからないと言いだそうですね?実行犯の貴女と、もう一人の犯人と言う意味ですよ』
『その質問の前に、私も聞いていい?』
「いや~まさかあの人が……人は見かけによりませんね」
被害者のストーカーは温羅が好ましそうに話していたカフェの店員。モテそうなのに陰湿な有様は想像もできない。おまけに正体を知りながら表で褒めて裏で捨て駒のように利用する。巧妙で悪質な計画に、恐怖した。
温羅が殺人罪、騙されたとは言えど、殺すつもりで死体を刺した彼は死体損壊罪だろう。
「そういえば、金髪のチャラ男は温羅さんの借金取りだった」
「なんだ……やっぱりストーカーはホラだったんですか……あ……」
タイムリーな事件の連続ニュースの次に、10年前のストーカー事件についての報道が今になって解決したと言う速報が入る。
当時は見つからなかった女子高生の遺体が犯人の証言で見つかった。
今回の事件で捕まった店員の男が、未成年だった当時に桃音と間違えて彼女を殺した。
奇しくも二人の被害者は高校時代のクラスメイトだった。
被害者の名前は――――
『あなた一人しかいないのに、僕らってどういう意味?』
陽ノ 美虎は僕の太陽のような子だった。