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『一攫千金』

『一攫千金』が好きな婚約者と、婚約者が好きな僕の七年

作者: ELL

ご覧いただき、ありがとうございます。

◇別作品『転生チートで一攫千金!の道のりが遠すぎて挫けそうです。』の婚約者王子視点になります。

◇こちら単体でもお楽しみいただけるように書いた……つもりですが、台詞などの重複はほとんどないため、併せて読んでいただけるとより楽しんでいただけるかと思います。

 僕はお城の三男として生まれた。

 他の国みたいに側妃も愛妾もいない、王妃から生まれた三番目だ。

 ちなみに姉妹はいない。

 なので、母親は「また男か……」と、思ったことだろう。聞いたことないけど。


 顔立ちは、父方祖父に似た長男、母に似た次男、とくっきり分かれたあとの、どっちつかずの三男だ。


 性格はよくわからない。

 長兄は……母に似てる。気がする。意外と大胆苛烈なとことか。次兄は……あんなちゃらんぽらん、両親どっちも違うと信じたい。僕は……僕こそよくわからない。自分のことはよくわからないものだというが、本当にその通りだと思う。


 とにかく。僕はおまけの子、だと思っていた。

 周りは可愛がってくれたし、お世話の手もたくさんあったし、皆優しいし。

 だけど、三番目は三番目だ。

 長兄がとても優秀なようで、本当に期待はされてなかったと思う。


 すくすくとお育ちあそばせ。


 そんな雰囲気の中で大きくなった。

 乳母が大らかな人だったのもあるかもしれない。


 母は王妃として忙しくしていたため、日に一度「元気だね?」「ちゃんと食べたね?」「わがまま言ってないね?」と、何かしらの質問をしに来ては僕の答えを聞くと、うんうん、と頷き「また来るわ」と、部屋を出ていくのが常だった。


 母が部屋を訪れると、その少しの間と去った後のいくらかの時間、僕の部屋に果実のような爽やかな香りがして、その香りこそが、僕にとっての母のイメージだった。

 時おり、お茶会のように時間を過ごすこともあったが、甘えるというよりも、試されている。そんな感じのする、なかなか緊張するひとときだった。

 でも、振り返れば父よりもずっと会っていたので、気にかけてくれていたのだろう。


 そんな日々を過ごしていた、八歳のある日。

 母に中庭に呼び出された。

 今日もお茶会か……と、思ったものの、断る選択肢を持っていないので、とりあえず母が喜びそうな話題を探しながら、中庭へと赴いた。


 中庭には、太陽の光を受けてきらっきらに輝く、母によく似た金髪を持つ美少女がいた。


 これが美少女か!

 美少女、初めて見た!

 美少女だと花が舞い散るの?ヒラヒラ、キラキラ、ふわふわしてる。なんかいいにおいもする。

 美少女って絵本の中だけでなく、実在したんだ!

 て、美少女、ほっぺ赤くて可愛いね。なんでここにいるの?夢?幻?


「メルローズ、これがうちの三番目だ。八歳……そなたの二つ下か。まだまだ子ども過ぎてな」


 あ、母さまいた。そうだよね、母さまが呼び出したんだもの、いるよね。


「はじめまして、殿下。メルローズ・シュヴァイツァーと申します」


 声!かわいいいいいい!ずっと聞いてたい!ずっと話してて!


「んっんっ挨拶!」


 はっ!美少女声、終わってたんだ。母さまの視線が怖い。


「しっしつれいしました!はじめまして!フェルナルドです」

「メルローズはな、私の妹の娘なんだよ。お前のいとこだな」


 いとこ!こんな美少女がいとこ!すごい!母さま、なぜ今まで隠してたの?!もっと早く教えてよ!


「……フェルナルド、お前、先程から全部声に出ておる……」


 目の前の美少女はどんどん顔を真っ赤にしている。

 ひゃぁぁぁ!


「かわっかわっかわっかわっ」


 ぼくも喉がカラカラで張り付いたみたいになって、可愛いって言いたいのに言えなかった。


「……まぁ、フェルナルドはだいたい、いつもこんな感じだ。少々阿呆だが、そこが私にはかわいく思える。まぁ、これは親の欲目だな」


 そう言うと母は手元のお茶をくいっと飲んだ。


「フェルナルド、お前も飲みなさい。話しすぎて興奮したのか。言葉がつっかかっておるぞ」


 ぼくは用意されていた、少し冷めたお茶をごくんと飲み込んだ。


「王妃陛下」


 美少女が母に呼び掛ける。

 斜め顔もかわいい!

 よし、今日はかわいいを意味する言葉を調べよう。このかわいさはもっと多くの言葉であらわさねば。


「もしも叶うのならば、私はフェルナルド殿下とこれからもこうしてお話ししたく存じます」

「え?本当に?メルローズ、お前も見たように、こやつは、知略にも見た目にも、こう、飛び抜けたところはないぞ。三番目らしい三番目だ」


 母の評価がまごうことなき欲目なしの正当さで泣きたくなるが、奥歯を噛んでぐっとこらえた。事実だから。


「ええ。こんなに隠し事が苦手な、真っ直ぐな資質だなんて。とても素敵ですわ。それに、見た目も好きですよ。嫌みがなくて爽やかです」

「そなたは少々大人びておるから、ちょうどいいのかもしれんなぁ。そうか、フェルナルドにするのか」


 母は何やらぼしょぼしょ言っていたが、美少女がぼくを誉めてくれたことはわかった。

 ので、にまっと表情が崩れたのだろう。

 母がぼくを見て、少し呆れたような、それでいて優しげな微笑みを見せた。


「よかったな、フェルナルド。この美少女がお前を婚約者にしてくれるそうだ。美少女、美少女言ったのが効いたかな?」

「へっ陛下っそんなことはっ!」


 美少女が顔を真っ赤にして慌てている。


「きゃっわわぁーーー」


 ぼくは思わずそう呟くと、そのままばたんとテーブルに突っ伏してしまった。どうやら興奮しすぎたらしい。


 こうしてお茶会は、ぼくの知らないところで大混乱に陥り、ぼくは年上の美少女な婚約者を手にいれた。




 ぼくの婚約者はいつもは領地にいる。

 王都からそれほど離れてはいないけれど、日帰りで行き来できる距離でもないのだけれど、年に数度、王都へ出てきてもらい、ぼくとの交流の時間を取ってもらった。


「メル、一攫千金はどんな感じ?」

「そうですねぇー……」


 婚約者のメルローズは、一攫千金の夢に向かって頑張っている。

 なので、ぼくはいつもメルローズの一攫千金の話を聞いてる。

 面白い。

 メルローズは少しの成功も、たくさんの失敗も、とても楽しく話してくれる。


 残念なのは、メルローズのことを話せる相手が僕にはほとんどいないことだ。

 兄たちはダメだ。特に『ちいあに』はダメだ。メルローズを取られる。なので、兄たちには話せない。


 けれど、ほとんどいない、というのだから、多少はいる。


 一人は母だ。だが、母にメルローズのことを話すと、にまぁ~と、なんとも居心地の悪い表情をするので、ちょっと話しにくい。


 父も似たようなものだ。会うことも多くない上、居心地悪くなるのは嫌なので、こちらもちょっと話せない。


 最後は、祖母だ。母方の祖母は、メルローズの祖母でもある。

 祖母とは滅多に会うこともないのだが、時々手紙をくれる。考えてみると、この祖母とのやりとりが一番メルローズのことを話してるかもしれない。


 メルローズと婚約したときには『お前でメルローズが満足できるかしら?』と書かれていた。

『ごとき』の上に二重線!この書き損じ、わざとだよね?これ。ふつうなら書き直すし、そもそも書かないよね??


 不敬罪って祖母に適用できる?と、侍従に聞いたら「相手は元王女の娘で、前女公爵ですから、立場的にも王子と比べてどちら、となると難しいでしょうね……」と言われた。ちなみに祖母への不敬罪も適用できないそうだ。五親等までは適用不可だという。



 この祖母、僕への手紙で何かとメルローズとの交流を伝えてきては僕に焼きもちを焼かせる。

 もうこれ、わざとだろ?って程に


『メルローズがつぼ焼き甘芋というものを持ってきてくれましたよ。甘くてとろけるように美味しかったですねぇ』

『メルローズが開発したメルまんじゅうなるお菓子をいただきましたよ。メルローズが自分で作ったのを持ってきてくれました。素朴で優しい味でしたよ。お前はもう食べましたか?』


 ……食べてない。どっちも食べてない!!


「ねぇ、この、僕の祖母って、どういう人なのさ?!」

「……それは人となりがお知りになりたいと……?」


 寡黙な侍従が、相変わらず重たい口をひらく。


「あーうん、ごめん、八つ当たりみたいになって。でもそうだね、どういう人か知ってる?」


「端的に申し上げれば……」


 侍従は言いにくそうに、言葉を選んだ。違うな、言うべきかどうか迷った、そんな感じだった。


「王妃陛下の、ご母堂、なるほどな。というお方でございますね」


 母さまの母さま、なるほどな。

 めちゃくちゃ!めちゃくちゃわかりやすい!

 そうだよね、手紙からもその気配感じてたよ!

 でも、それって。


「勝ち目なしじゃん!」

「戦うことが全てではありませんからね。例えば、国王陛下のように」

「そ、そうか」


 納得したような、してないような。




 僕の婚約者は時々しか王都に来ない。だけど、王都に来たら、必ず王城に寄ってもらうようにしてる。


 今日も久しぶりの婚約者とのお茶会だ。


「ねぇ、メル。僕決めたよ!僕は、ドラゴンスレイヤーになる!」

「どらごん……すれいやぁ?」


 ねぇ、僕の婚約者が可愛すぎるんだけど!!!!

 目をぱちくりさせて、こてん、と首をかしげて。


「どらごんって、あの、ドラゴンでございますか?」

「そうだよ、強いやつ」

「ドラゴンスレイヤーというのは、ドラゴンを倒した者に与えられる称号という、アレでございましょうか?」

「そう!それだよ!鍛練の時間を倍に増やして、体力作りで走り込みも始めたよ!」

「ま、まぁ、身体を動かすのは良いことですしね。私の兄も鍛練さえやれれば他はどうでもいい、みたいな勢いで鍛練してる、鍛練バっっと、それはともかく。ご無理はなさらないでくださいね」


 はぁー。やさしいいいい!天使がいるぅー


「ありがとう!頑張って強くなって、ドラゴンスレイヤーになるね」

「ところで……」


 かわいい僕の天使は「んーっと」と呟きながら、人差し指を口許に添え、こてんと小首をかしげた。


「ドラゴンはどちらにいらっしゃるのでしょう?」


 思いもよらない問いだった。


「どこ……に、いるんだろうね?」

「私はまだ聞いたことがありませんわ」

「僕もないな……」


 気まずい沈黙が流れる。


「で、でもっ!僕、まだ十歳だからっ。そのうち見つけられるよ、うん」


 明るく前向きな発言をする。メルローズといるときに、陰鬱な話題は嫌だからね。


「そもそも、なぜ、ドラゴンスレイヤーに?」

「…………」


 僕は思わず口をつぐんでしまった。


「あ、言いにくいのならばよろしいんです」


 メルローズは無理強いはしない。

 それが、優しさなのか、遠慮なのか、僕には判断がつかない。

 だから、いつも結局は本当のことを話してしまう。


「ドラゴンスレイヤーになれば、戦わずして勝てるから」

「……誰に?」

「母さまと、おばあ様」

「……なるほど。…………なるほど?」


 そう言うと、メルローズは考え込んでしまった。


「メル?大丈夫だよ。僕は必ずドラゴンスレイヤーになるよ。そうすればもう母さまも怖くないよ!」


 深く考え込むメルローズを励まそうと、僕は一生懸命に計画を話した。

 本人と戦うことが全てではない。

 戦わずして勝つ。これこそが最終目標だ。


「僭越ながら申し上げますが……」


 考え込んでいたメルローズが、徐にそう言った。

 ん?と、メルローズの顔を見ると、知らないような、知ってるような顔をしていた。

 相変わらずの美少女なんだけど……これは、母さまが時々見せる表情によく似てる。


「殿下。ドラゴンごとき倒したところで王妃さまには敵いません。なので、本来の目的がそこであるのなら、ドラゴンスレイヤーになることに意味はないかと……」

「えっ?」


 だって、ドラゴンだよ??


「殿下、今、だってドラゴンだよ?って思いましたよね?」

「うん」


 すごいな、メルローズは。


「全然すごくありません。全部お顔に……まぁ、今はいいです。では、殿下。殿下の思う、最強のドラゴンと、国王陛下を戦わせてみてください」


 父が瞬殺された。強いな!ドラゴン。


「そうですね、さすがドラゴン。さすドラでございますね」

「さすドラ」

「ええ。でも国王陛下は武力で勝る訳ではございませんものね。大変お強い、騎士団長様あたりと戦わせましょうか。ウーーーッファイッ!」


 メルローズのよくわからない掛け声とともに、騎士団長とドラゴンが戦い始めた。うーん、なかなか。互角かと思いきや、やはりドラゴンの方が強かった。ほんのわずかの隙をついて、ドラゴンがあっという間に騎士団長をねじ伏せた。


「なかなかの好勝負だったようですね」

「ドラゴンスレイヤーの道のりは簡単じゃないな」

「でしょうね。さすドラでございましたね」

「うん、まさにさすドラだったよ」


 やっぱりドラゴン強いな。最強だな。


「……では、最後の勝負。対王妃様戦に参りましょうか」

「まって!まってメルローズ!」


 僕は慌ててメルローズの合図を制止した。


「僕がどれだけ母さまに弱くても、母さまはか弱い女性なんだよ!想像の中でもドラゴンと戦わせるなんて!そんなことできないよ!」


 僕は、あれやこれやと言葉を重ねて、なんとかメルローズにわかってもらうことができた。たぶん。


「殿下がそう仰るなら……鍛練、頑張ってくださいませ」


 メルローズはそう言うと王城を辞した。


「メルは納得してなかったよね?あれ」

「恐れながら、殿下。わたくしめもメルローズ様と同意見であります」

「お前が言ったんだよ。戦うことが全てではないって」

「はい、申し上げました。そして殿下の導き出した手段も、よろしいと思います。戦わずして勝つ。強さこそが最大の盾になる。素晴らしいお考えです」


 いつも口の重たい侍従の舌がよく回る。かなり誉められてるようだ。


「ですが」


 侍従は否定の接続詞を告げたあと、声を落とした。


「お相手がお相手ですから……」

「母さま相手にはダメってこと?」

「ドラゴンなぞ『少しばかり大きいトカゲが何を偉そうに』と、扇の端で突いて終わりでしょうね」

「えっえっ?勝者は?」

「強いものが、勝者でございます」


 だって、騎士団長をねじ伏せたドラゴンだよ?父さまは瞬殺だったよ?


「いずれ、殿下もご理解なされます。武が全てではないことを。メルローズ様にはそちらの才もおありのようですから……」


 侍従は僕に聞かせるともなしに、呟いた。メルローズにどんな才能があるのかわからないけど。メルローズは才能の塊みたいな子だから。




 僕の婚約者が久しぶりに領地から王都へやってきた。

 もちろん王城で僕とお茶会だ。


「メル、久しぶりだね!元気だった?」

「ええ、殿下もお変わりなく……少し背が伸びました?」

「へへっでも、まだメルに届かないなぁ」

「きっともうすぐ追い越されてしまいますわね」

「へへへ」

「ふふふ」


 お茶会のテーブルの脇で、椅子に座る前にひとしきりの挨拶を交わす。


 むっちゃくちゃ順調な滑り出し!!


 メルローズは年を重ねる毎に美少女が美少女して美少女すぎてるわけで、毎回僕は緊張しまくるんだけど、今回はなんかすごくいい雰囲気じゃない?


 メルローズが手に小さな籠を下げている。


 これはっ!これはつぼ焼き甘芋?それともメルまんじゅう??

 祖母が遥か昔に食べたという、メル考案のお菓子が今ここに降臨するの?


 僕は期待で胸がバックバクだった。心臓飛び出そう。


「メル……それは?」


 はしたない、とは思っても、聞かずにいられなかった。


「あら、うふふ」


 そう言って微笑みながら、メルローズは籠の中からなにかを取り出した。

 それは、小さな銀色の金属の箱だった。飾り気のない、ご令嬢の持ち物としては違和感しかない、可愛くない、武骨な、金属の箱だった。


「?」


 思ったのとちょっと違う出で立ちに、それでも僕は「冷めない工夫かな?」などと思っていた。


 メルローズはそっと箱の蓋を外すと、箱の中身を僕の足元へと落としてきた。透明の、ぷよぷよした小さな塊。どこかで見たような?気もする??


「殿下、ほら、スライムですよ」

「え?」


 想定していないことを言われると、頭の中は全く動かなくなるんだな、と、知ったのはこの時だ。


 一瞬の、全くの何もない時間が過ぎ。


「あんぎゃあばぁだぁーーーーっ」


 全力で叫んだ。

 叫ぶしかなかった。

 なに、スライムってスライム?何でスライム?いやだ、どうしよう!


 メルローズを庇いたいのに、僕とメルローズの間にスライムがいるから近づけない。

 メル!逃げて!って言いたいのに、もう、言葉にならない。


 何でスライムなの?メルが持ってきたの?スライムって、何でも食べちゃうんだよ?どうしたらいいの?僕たち、食べられちゃうの?

 たぶん、僕は最初から泣いてた。叫んだときから泣いてたんだと思う。

 でも、メルを助けなきゃ。

「えっぐえっぐっ。べぐろーじゅ、にげでぇ、ぎゃぁーずらいぶぅー」


 大騒ぎする僕をよそに、メルローズはさっとしゃがみこむと、先程の銀色の箱とその蓋を使って、ささっとスライムを捕獲した。


「ぎゃぁーーーべぐぅーーーずらいぶにだべらでるぅぅーーー」

「殿下、大丈夫ですよ、ほら」

「あぎゃぁーーーーずらいぶぅーーーーー」


 さすがに僕の声が大きかったのか、中庭に用意されてた僕らのお茶会スペースを囲むように人が集まってきた。かなりの人だ。


「あー……殿下ぁ?ごめんなさい、泣き止んでくださいな?」

「だっで、べぐっ、ぞでっ、ずらいぶっ」

「ごめんなさい、そんなに驚かれるなんて……」


 メルローズが何か詫びているのだが、それもよく頭に入ってこないくらいに恐怖に取り憑かれていた僕の頭を一気に冷やす声が響いた。


「メルロォーーーーズ!」


 この声を知ってる。

 よく通る、優しさを一欠片も含まない、辺りを凍てつかせる声。

 実際には、別人から発せられていたのだが、よく知ってる声にそっくりで、おかげで僕は一瞬で落ち着きを取り戻した。

 違うな、落ち着いたというか、すうっと頭の芯が冷えた。どう謝るかの算段をせねば。そういう、反射的な冷えによる落ち着きだ。

 ふと目の前のメルローズを見れば、僕同様に青ざめている。

 そりゃそうか。

 あの声はメルローズを呼んでたものな。


 メルローズの母である、僕の母の妹だという人は、母やメルローズと同じきらめく金髪を持ち、メルローズが大人になるとこんな感じなのかな?という美しい顔を持ち、母同様に周囲を一瞬で凍てつかせる声の持ち主だった。


「メルローズ、自分のやったことを、ここにいる皆さんに説明して騒動を詫びなさい」

「っく、っく」

「泣いてもダメです、さっさと泣き止んで、説明と謝罪を」

「っく、っく。カタクリコで作ったカタクリモチをスライムだと言って殿下に投げました。っく、っく。ほんのちょっと、っく、っく。いたずらのつもりで」


 カタクリコってなに?ねぇ、メル、カタクリコって新しい何か?それに。


「あれ、スライムじゃないの?あんなにスライムなのに?」

「ごべんだざいぃぃぃーーーー」


 メルローズの泣き声が加速した。


「食べ物で遊ぶなど、子どもでも許されませんのに、あなた、今、いくつになりました?」

「じうざんーーーー」


 僕は、いつも落ち着いて大人っぽいメルローズが、まるで子どもみたいにぐちゃぐちゃに泣くのを初めて見た。


「かわいぃぃぃ」


 僕は、手の甲で頬をぐいぐい拭うメルローズの意外な幼い姿に、もう今までで何度目かわからない心臓ズッキュン撃ち抜かれをし、ポケットから取り出したハンカチでメルローズの頬をぬぐった。


「メル、怒ってないよ。大丈夫だよ。僕が大きな声出しちゃって。ごめんね、泣かないで」

「でんがぁ」


 こうしてスライム事件は、メルローズの可愛さで「まぁ、ちょっとした、いたずらか」

 と、終わりそうだったところ、僕が大騒ぎしたほどのスライムを見たいと父や兄たちが参加して、そのスライムっぷりを大絶賛されたメルローズが、なぜか涙目で打ちひしがれ、面白そうに笑う母を尻目に、メルローズの母が彼女を小脇に抱えて回収して退城していった。


 僕はその晩、寝床につく時になってようやく思い至った。

 その日、せっかく久しぶりに会えた婚約者と、ろくすっぽ会話していないことを。



 そんな風にして、僕らは過ごしてきた。



 メルローズが15歳になり、王都にある学園に通うようになると、少し、ほんの少しだけメルローズと会う機会が増えた。……気がする。

 いや、やっぱり気のせいかな。


 メルローズは忙しい。


 かつて、僕をスライムとして驚かした『かたくりこ』なる物体は、今や空前の大ブームを起こし、この『かたくりこ』が作り出すとろっとした状態が『メル』と呼ばれるようになった。


 同世代の貴族の子女なら、皆が知っている。

『かたくりこ』を発明したのがメルローズ・シュヴァイツァーだと。


 彼女が、芋と甘芋を計画的に、長期に渡ってたくさん収穫するための『輪作』という考え方を考案し、痩せた土地でも安定した収穫を可能にしたことも、よく知られている。


 メルローズはいつだって『一攫千金』に夢中だけれど、お金では買えないものを、彼女は既にたくさん手にしている。

 目に見える形での評価だって、すぐだろう。


 僕は?

 三番目の僕は、未だに何も手にしてない。

 あと何年かして、僕が学園を卒業するときに、臣籍降下とともにシュヴァイツァー領近くの王領を与えられることは決まっているけれど、そんなのは、ただの土地だ。


 メルローズの夢は『一攫千金を叶えること』。

 僕の夢は、メルローズの夢が叶うこと。


 メルローズの隣にいるのは、本当に僕でいいのだろうか。

 もっと知略に長けていたり、華やかで社交的だったり。

 長兄や次兄のような、何かを持つ者の方がいいんじゃないだろうか。


 メルローズの活躍はもう、とにかく素晴らしく。

 だから王家が彼女を手放すなんて思えない。

 だけど僕は三番目だ。いつだって代われる『上二人』がいる、その程度の存在だ。


 日を追う毎に、月を重ねる度に、そんなことが頭から離れなくなった。


 そんな時。


 次兄が僕に言ったんだ。


「メルローズはまだ一攫千金の夢が叶わないのか。お前が手伝ってやればすぐなのにな」


 そういう次兄はずいぶんと悪い顔をしていた。

 ここ数年の次兄の顔は、本当に悪い顔だ。

 母譲りの人好きする美形だと思っていたのに、どこをどうしたらこうなるのか、悪い顔になったと思う。

 僕は嫌な気分になりながらも、黙って兄の言葉の続きを待った。

 僕には兄の言いたいことがわからない。

 だから、この、謎かけみたいなところで終わればそれまで。

 そう思っていた。


 なのに、兄は、周りの誰にも聞かれないよう、僕の耳元に口を近づけて、囁いたんだ。


「お前『婚約破棄』してやれよ。『解消』じゃダメだ。破棄だよ。こっちのせいで破棄になるとな、相手は慰謝料もらえるんだよ、たんまり払ってやれるぞ。そしたらメルローズの一攫千金が叶う。ほら、完璧だろ?」


 にやりと笑う次兄の下卑た顔を見たくなくて、もう声も聞きたくなくて、僕はさっと視線を足元に逸らし、両手で耳を塞いだ。


 兄はそんな僕を見てどう思ったんだろうか。

 何かまだ言われた気もしたけれど、聞きたくないし、聞く気もない。


 僕が我慢をすれば、メルローズの夢は叶う。

 僕の夢は、メルローズの夢を叶えること。

 だからその我慢は、とっても嫌だけど、嫌で嫌で叫びそうだけど。

 それでも頑張れる。メルローズのためだから。


 だけどそのあとは?

 僕の代わりはいる。

 いるけれど、次兄は嫌だ。

 あんな悪い顔をする奴に、大切なメルローズを任せられない。

 長兄には、つい最近、政略で結ばれた婚約者ができた。

 代われるはずの『上二人』は、代われなくなってしまった。

 だけど、本当に僕でいいの?


 僕が我慢すれば、メルローズの夢が叶うのに。

 僕の夢も叶うのに。


 どうしよう、どうしたらいいんだろう。

 他の誰か?誰かって誰?そいつはいいヤツ?


 僕の頭の中は、ぐしゃぐしゃになった毛糸玉の中に宝石を落としてしまったみたいだ。

 みつかりそうなのにみつからない、掴めそうで掴めない。絡まってほどけない、先にも進めず後戻りもできず。

 どうにもならない気持ちが空回りしていることは、わかってる。


 でも、悪魔の囁きは、確実に僕の意識を誘導した。

 もう、僕にはどうにもできなかった。


 メルローズに婚約解消ではなく、破棄を。と、何度言っても「ならば解消で」と聞き入れてくれない。

 僕は婚約を解消したいわけじゃないんだ。

 本当は婚約を続けたい。言えないけど。

 だけど僕なら。

 僕が我慢すれば、メルローズの夢を叶えることができるんだから。


 はやく、はやく。

 はやくしないと、僕が我慢できなくなっちゃう。




「メルローズ・シュヴァイツァー!あなたとの婚約をはっきする!」


 衆人環視の前で、はっきりと宣言をした。

 緊張しすぎて、噛んでしまったが。



 なのに。

 メルローズ本人を目の前にしたら。


 僕は、いつのまにか、我慢できなくなっていて。


 いつも一生懸命で、前向きな。

 僕の本質を認めてくれる、花のように美しい婚約者のことが。


 言葉じゃ言い表せないくらいに。


 初めて会ったときからずっと。ずっと、ずっと。


 だいすきで、だいすきで、気持ちが勝手に溢れ返るくらいにだいすきで。


 出会ってから今までのメルローズが頭の中をグルグルグルグル回り続けて。


 どこをどう切りとっても大好きしかなくて。



 やっぱり我慢なんて無理で、大号泣してしまいました。



 *  *  *  *


「で?満足しましたか?」


 散々泣いた僕と、呆れ返るメルローズを残して、父と僕の侍従は王城へと帰っていった。

 父が「せっかくの晴れ舞台だ。ずっと付いてたお前も感慨深いだろうから」と、気遣ってわざわざ侍従を連れ出してくれたらしい。

 帰り際に侍従から「後で。お覚悟を」と言い残されたのが、なにげに怖い。ちょっと帰りたくない。


 それより今はこっちだ。


 ソファの隣に座るメルローズは、なかなかにひんやりとした空気を醸し出している。


 けどね。


 今日の僕は。というか、さっき、気づいてしまった僕は、もう今までの僕とはひと味違うんだ。


「まだ満足してない」


 メルローズの問いかけに僕がそう答えると、メルローズはちょっと驚いたのか、少し身を乗り出すように、少しだけ僕の方に身体の向きを変えた。


「ねぇ、メル。僕はメルが好き。メルは?」


 顔だけメルローズの方を向け、その目を見つめる。

 キラキラと、いつも何かを探してる目。

 たまにはその目に僕だけを映してよ。


「メル?僕はメルが好き。大好き。メルは?」


 メルローズの顔が、みるみるうちに真っ赤になっていく。


 ああ、かわいいなぁ。


 メルローズの肩に落ちる髪を一房、指ですくい、金色のそれを指先に絡める。

 ぼくの頭の中の、グシャグシャに絡まった毛糸玉が、メルローズのこの綺麗な髪ならいいのに。そしたらいくらでも絡まっていられるのに。


「メル?聞こえなかった?僕は」

「聞こえたっ!聞こえてますっ!聞こえてますからっ!聞こえてるはずです!ええ、聞こえてるでしょうとも!」


 今まで見たこともないくらいに顔を真っ赤にしたメルローズが、わたわたと大慌てで僕の手から髪を奪い取る。

 メルがかわいくて、かわいすぎて苦しい。


「で?メルは?」

「ぅぅーーーーー!今日は絶対言いませんっ!もうっ反省してくださいっ!」


 メルローズは、ぷいっとわざとらしく頬を膨らませて、顔を逸らす。

 なんでもう、そんなにかわいいのかなぁ。

 僕の我慢は限界突破してるのになぁ。


「そっか。じゃ、明日聞かせてね。約束の印」


 僕はそう言って可愛い僕の婚約者の、ぷくっと膨らんだ頬に唇を軽く添えた。


「なっ!!」


 メルローズが口をパクパクさせながら、頬を押さえて僕を見る。そんな可愛い顔してたら、唇にも触れたくなるでしょ。


「僕は十分反省したし、十分理解した。もうバカなことはしない。だからメルも覚悟してね」


 ひょいっとソファから立ち上がり、メルローズに手を差しのべる。

 頬にとはいえ不意打ちキスをした僕の、エスコートの手を当然のように受け入れてくれるメルローズが本当に大好きだ。


 ひんやりとしたメルローズの手を取り、明日からどうやってメルローズに僕のことを意識させようか、そんなことを考えた。

 ちらっと隣を見れば、いつもより近い距離で、いつもより赤い顔をしたメルローズがいて。


 僕も頑張り甲斐があるってもんだ。

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