婚約破棄はそちらが告げたことでしょう
たまにはムキムキなヒーローでも
「サリナ。僕はもう君にうんざりだ!!」
我が国の誇る天才――マルコが机を乱暴に叩いてずっと耐えていたことを口にする。
「君は僕の婚約者だからという名目で僕の作業の邪魔をして、僕をさんざん振り回して……僕は君の装飾品じゃない!!」
教室で残って課題を行っていたマルコ含む数人の学生は婚約者だからというだけで邪魔しに来たサリナをよく思っていない。
みんなで研究をしているとまるで見張るようにサリナが傍に居るのも気に入らない。なんで関係ないものがずっといるのだとイライラしていたし、研究の要であるマルコを自分が思うように振り回してもいいと思っているのかサリナがマルコに何か告げて連れて行ってしまいそれだけでどれだけの研究が滞ったことか。
「…………」
文句を言われてサリナは反論をとっさにしようと思ったが口を閉ざす。
言っていることは正しいのだ。自分の婚約者のマルコは優秀で、彼の才能は国を発展させると有名で……なんでそんな優秀な人材が、可もなく不可もない……唯一誇れるものはわが家には様々な書物が溢れていて、その書物の役に立つだけの特殊な……それでもかなり地味な魔法が使えるというだけの平々凡々伯爵家の婚約者なのかと言われるほどに――。
「そんな君とは婚約を破棄する!! ちなみにすでに許可を取っている」
いきなり突き付けられた言葉に反論しようとするが衝撃が強すぎて声にならない。
「僕という人物の才覚を潰そうとしたのだから当然だろう」
嘲笑うような口調。それに同調する者達ばかりで味方は誰もいない。
「せめて没落している家だったらマルコさまの才能を活かして立て直しとかを見せてくれただろうにほんと残念ですね」
くすくすと笑い声と共に囁かれる声。
「たかだか本がたくさんあるだけで、マルコさまの婚約者などと身の程を知りなさい」
そう言ってくる女性は公爵令嬢だった。彼女に反論などもともとできないし、多くの人に笑われる状況にサリナは耐えられずに泣きながら教室を出る。
その後ろ姿をますます面白がるように笑う声が響く。
家に帰って泣きながら確かめるとすべて事実で、私は才能あるマルコを邪魔をした悪女と言うことで婚約を破棄されたのだと。
……マルコにはすでに新しい婚約者としてあの公爵令嬢が決まっていて、マルコを欲した公爵家がそんな醜聞を作ったのだろうと言われたがそんなことを言われても何の慰めにもならない。
それから私は悪女という汚名を貼られ続ける日々になった。
次の婚約なんて決まらないだろう。このまま家族の迷惑になるのならさっさと修道院に行った方がいいのかと周りの目が怖くて我が家で誇る図書室に閉じこもった。
「サリナ。お前に縁談が来ている」
そんな日々の中。落ち込んでいる娘に気を使ってしばらくそっとしてくれていた父から縁談の話を持ち込まれた。
「縁談。ですか……」
「ああ。サイゼリオン伯爵の三男だが……」
「サイゼリオン……」
サイゼリオンの三男の話はよく聞いたことがある。悪い意味で。
力が有り余って暴力を振るう男だとか。田舎者だとか。オーガが人間に化けたなりそこ無いとか。
「………そうですか」
でも、それを言うのならわたくしも悪女だ釣り合いが取れているだろう。どうせ、わたくしにまともな縁談など来ないのだから。
「えっと、初めまして。サリナさま……」
緊張したように視線を泳がせている男性は確かに力は強そうなガタイのいい男性だった。ただ、その行動が噂されている印象と大きく異なっている。
「初めまして、サイゼリオンの三男。クルツと言います」
緊張した顔つきでクルツさまは挨拶をしてくる。
「俺みたいな粗忽ものが婚約者ですみません」
頭を下げて謝罪するさま一つ一つは噂と全く違う印象を与える。それが気になった。
「いえ……わたくしも悪女と言われていますから……」
こんな女性との婚姻は嫌だろうと胸を襲う痛みに耐えながら伝えると、
「悪女……いえ、可愛らしい……俺なんかに言われても嬉しくないですよね」
顔を赤らめて告げて、すぐに落ち込むさまがなんか捨てられた犬のように見える。
「いえ、嬉しいです……」
そういえば、マルコさまにそんな言葉を一度でも言われた事なかった。地味とか口煩いとばかり言われて…………。
「どうして、貴方みたいな素敵な方があんな噂になっているのでしょう……」
つい本音を漏らしてしまい、言ってはいけなかったかと慌てて口を塞ぐ。
「素敵ですか……そんな事言われたのは初めてだ」
戸惑いながらじっと見つめてくる綺麗な黒い目。
「俺は以前……女の子を怪我させてしまったことがあるんです……」
昔、別の女性とお見合いをした事があり、そのお見合いの際に女性をエスコートしようと手を差しだしたが緊張して力が入り過ぎて痣になるほど握っていたと。
「強く握られて怖かったんでしょうね。泣いて怯えていました」
女性が泣いているのに気づいて多くの人がクルツを責めた。女性は化け物だと叫んでいた。
「それからオーガとか化け物と言われるようになったんですよ……仕方ないですね」
自嘲気味に笑う様にいろいろ思うことがあった。
「力のコントロールが苦手なんですか?」
「ええ。そうみたいで……力を抑えようとしてもうまくいかなくて……こんな俺と婚約なんて怖いですよね」
クルツさまの言葉を聞きながら以前本に書かれていたことを思い出す。
魔力持ちの中には身体能力が異様に高い人が居ると。
そういう人は魔力を放出する手段がないから常に力が有り余っているとか。
(それにしてもオーガだなんて……)
確かにオーガも魔力を身体能力強化に使っているが……。
「サリナ嬢?」
心配そうに呼び掛けるクルツの声にも気づかず、確かオーガのことが記載されていた本があったと本棚から目的の本を取り出す。
「クルツさまはオーガと全く違いますよ」
本を開くと同時に、魔力を紡いでいく。
「っ⁉ サリナ嬢っ⁉ これはっ!!」
クルツさまの隣の空いた空間に入り込むようにオーガが並び立つ。もちろん本物ではない。
オーガとクルツさまを並べるとクルツさまの優し気な顔立ちがより目立って見えて、恐怖を感じさせるオーガと全く違うのが分かる。
「――わたくしの魔法です。我が家では本に関係ある魔法しかできないのはご存じですか?」
「あっ、ああ……。だが、本が悪くならないように保護する魔法とか本を探し出す魔法と思っていたのだが……」
「それは兄と父の魔法ですね」
兄はどんなに古い貴重な本でも新品同様に修理して、ぼろぼろの読めなくなった物ですらしっかり読み取れるものにしてしまう。
兄によって初代王の手記が蘇ったと褒章をいただいた事もある。
父も父で、僅かな情報を頼りに貴重な本を探してしまう能力を持っている。神殿で行方不明になったと言われている女性信者の手記――当時の神殿はその女性の信者をよく思っておらず彼女の手記をことごとく焼き払っていたと言われているのだが、もはや現存していないと思われた本を田舎の教会の片隅に置かれているのを発見した。
それによって当時の神殿関係者の生活ぶりが分かったとか。
わたくしの能力は二人に比べると範囲も時間も短い。
「わたくしは書物に書かれた物を実体化させられます。今は外見を見比べるだけなので動きませんが、動かすことも可能です」
「…………それはすごいな」
呆然と呟かれる。
「いえ、すごくないですよ。兄のように修繕してそのままになりませんし、父のように国中の本というわけにはいきませんので」
わたくしが疲れたら維持できないし、本のページを開かないと出現させられない。
「動かす事も出来るなんてすごいですよ!! オーガの実物を見たことない人が多いのにこうやって再現できたら訓練にもなりますし!!」
興奮したように告げられて首を傾げてしまう。そんなにすごいことではないはずだ。マルコさまにも意味のない力だと言われてきたし。
「クルツさま……?」
「あっ………えっと、すみません。興奮して。魔物退治に行くと実物を見たことない新人が魔物に恐れをなして恐慌状態になることがあるんですよ。その新人を庇いながら戦闘をする事が多くて」
でも、さすがにオーガは見たことない。
そんな話をするので、
「じゃあ、戦闘をしてみますか?」
つい尋ねてしまう。
「あっ………そうですね。…………武器を持って来た時にお願いしてもいいですか?」
いつの間にか次会う約束も出来上がっていた。
クルツさまとはそれから何度も会った。
わたくしの再現魔法で訓練をしていくうちに自身の魔力を制御する方法を身に着けてきた。
「これでやっと手を繋げます」
嬉しそうに言われてわたくしも繋いでもらった手が嬉しくて何を言えば分からなくてただクルツさまを見つめていた。
どちらの顔も真っ赤だったのはご愛嬌というものだろう。
クルツさまはわたくしの魔法を使って養護施設とかの視察に一緒に行き、絵本の内容を再現すると言う新しい使い方を教えてくれた。
「サリナ嬢のおかげで出来る事が増えたよ」
大勢の子供を肩や腕に乗せたりぶら下げて遊ぶさまに今までは出来なかったからととても嬉しそうだ。
そんなクルツさまを見ているとこの方と婚約してよかったと感じる。
そんな幸せな日々の中。
「サリナ。化け物と婚約して可哀そうに仕方ないから婚約をし直してやろう」
元婚約者のマルコさまが見えた時は意味が分からず言葉も出なかった。
「どう言うことでしょうか……?」
「どうしたもないよ。公爵家だから大量の実験道具も資料もあると思ったのにそれ等が無いし、あっても古い道具ばかりでね。サリナの用意してくれたのは最新の道具であったり、遠い異国にしかない道具だったりしたんだよ。私の才能をいかんなく発揮するにはサリナの所有するものが必要なんだ」
道具を差し出せと言われて正直困惑する。
マルコさまが今まで使っていた道具を手元に持っているような言い分だがそんなものはない。わたくしの再現魔法で実体化させたものだ。だけど、わたくしの魔力が尽きかけたり、気力体力などが弱まったりしたら消えてしまうものだと再現した時に伝えたはずだ。
実験を長時間できなかったのは長いことしていてもろくな結果が出ないから休息をとるべきという書物に書かれていたし、道具を維持する限界があったからだ。
それは説明したし、分かったと言われていたのに。
「わたくしがいたら研究が邪魔なんでしょう」
公爵令嬢と共に居るのを見た時に最新の道具を時間制限なく使用できるからわたくしはいらないのだと判断した。
わたくしはマルコさまを振り回して邪魔をしてきた悪女だと言われたのにそんな手のひら返し。
「婚約破棄はそちらが告げたことでしょう」
無理ですよときっぱりと断ると、
「ならば、道具だけでもよこせ!!」
ああ、この人はこんな人だったのだと自分の元婚約者に失望していく。だけど、同時に。
「――サリナに何をするんだ」
マルコさまの腕を掴み守ってくれる大きな背中。
魔力の制御が身に着くと同時に自信が付いたわたくしの婚約者は言葉を紡ぐだけで相手を怯ませる。
「ばっ、化け物サイゼリオンの三男………」
マルコさまが怯えたように声を紡ぐのを聞いているのかいないのか。
「去れ」
手を離して告げるだけで脱兎のように逃げていく。
「サリナがあんな男と婚約を破棄してくれてよかったよ」
あんな男は君に相応しくないと告げてくれる様を見て、わたくしも婚約を破棄されてよかったと心から思えた。
本の再現能力でトレーニングの機具も再現して鍛錬をしていたりする。