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初投稿です。温かく見守ってください。
一度目に目を開けた時、あまりの眩しさに思わず顔をしかめてしまった。二度目に目を開けようとしても、今度は最初と違って瞼越しでも眩しいのがわかるものだから、開ける気になれなかった。三度目にどうにか慎重に少しづつ目を開けていくが、視界は光で白く飛んでいて周囲の確認が出来なかった。
半分程度瞼を持ち上げて少し待ったところで、やっと光に慣れてきたらしい。物の輪郭や陰影が何となく見えるようになった。そこで思う。ここはどこだろうか。どうしてこんなに明るいのだろうか。そんな疑問が浮かぶが、すぐに解消されることとなる。
「ヘルマ」
一言、男性の声でそう聞こえてきた。声の方に視線を動かすが、まだ遠くの方はよく見えない。しかし、とても懐かしい声だと思った。それに、姿が見えずとも気配で理解する。彼は私の友人だ。……少しだけ何かが込み上げてくる。
私が彼の声に反応を示さなかったせいか、直後には静かな足音と共に彼の気配が近付き、私のすぐ横で止まった。彼が丁度光を背にする形になったからか、眩しさがいくらか軽減される。それから、彼の姿も視認できるようになった。
「………、……………、?」
やぁ、と声を掛けようとした。しかし、声が思うように出ない。喉が渇いている感じはしない。しかし出ないのだ。声の出し方を忘れてしまったかのような違和感を覚える。
不思議に思いながら、私を見下ろし続ける彼と目を合わせた。どうなっているんだ、と心の中で問いながら。
「ヘルマ」
そんな私の心を知ってか知らずか、彼は私の頬を手を添える。そこではなくて喉がおかしいんだと言いたくても出来ない。首を振ろうかとも思ったが、俯きがちに私の顔を覗き込む彼の表情が、私が見たことないようなもので。驚いてなのか動揺してなのか、理由は自分でも明確にはわからないが、とにかく動けなかった。
「………、………、………」
彼の名前を呼びたくても、出ない声。口は、ぱくぱくと水を求める魚のように開いては閉じを繰り返すだけだ。それに、一体何がどうなっているのやら説明を求めたいのに彼は頬を手を添えたまま微動だにしない。こんな奴だっただろうか。
それから少しして、彼はやっと動き出した。頬から額へ移動した手が、ほのかに青い光を帯びる。久々に感じる彼の少し冷たいこの力は、相変わらず心地いい。手の移動は首、胸、手首と続き、最後に両目に蓋をするように手を置いて離れていった。
「………気分はどうだ」
少し間を置いてから何事も無かったかのようにそう声を掛けてくる彼に、声が出ないのだと伝えようとする。
「こえが、…………、……………あれ」
どうせ出ないのだからと一応声を出す努力だけして口パクと身振り手振りで説明する筈だった。しかし、先程まで少しも出なかった声が何の支障もなく発せるではないか。何故、と少しの間考える。しかし、考えうる理由はひとつ。ぽつりと呟く。
「………さっきのか」
「声が出しにくいようだったからな」
あれは出しにくいという次元ではないと思うが。
とりあえずは起き上がろうかと、横たわる体を自力で起こそうと試みる。声が出なかった時とは違い、こちらは最初から問題なく動かすことができた。しかし、起き上がってみると少しだけ頭がぼうっとする。
「気分はどうだ」
「………、そこそこ、かな」
「良くは無いということか」
「ん。体調だけなら、問題はないよ」
実際、寝起きとは思えないほど体は軽い。少しの疲労すら一切ない。今なら俊敏な魔獣や、魔虫並の身のこなしが出来そうだ。
ただ、頭だけはしっかり寝起きのようだ。意識がぼやけて、夢と現実のどちらつかずの場所を漂っている感覚。それが僅かに現実側に傾いた状態が、今の自分だ。
「そうか。……空腹感はどうだ。腹が空いているなら何か持ってくるが」
「いや、それはいいよ」
彼はまた、そうかとだけ返して近くの棚へと近付いていく。それを目で追っていて気が付いた。いつの間にか、光に目が慣れたのか周囲が確認できるようになっている。
私と彼が居るのは、小さな部屋だった。ドアはひとつで窓は無い。今座っているシングルベッドの近くに、サイドテーブルと一人がけ用のソファがひとつ。衣装棚のような引出し付きの家具がひとつ。それから入口付近に設置されている、この小さな部屋には不釣合いな大きな本棚がかなり印象的だった。あと、明らかにあの本棚が余計に部屋を小さく見せている。誰が設置したかは明らかだった。
「シアン」
彼の名を呼んだ。すると彼は振り返り、こちらを向く。記憶の通りの、よく見慣れた無表情。基本的に表情筋の仕事放棄が酷いが、それなりに付き合いが長い為か比較的働くようになった。そうなるまでが中々に長かったが。
「そろそろ、こっちからも質問したいんだけど」
大まかにでも自分の現状を把握しておきたい。今わかっているのは、部屋の様子と先程目覚めたということだけだ。
「私は、どれくらい寝てたのかな」
その質問をしたと同時に、シアンの動きが固まる。それだけで嫌な予感がした。そんな風に、明らかに何かありそうな反応をされたら誰だって悪い予想しかできなくなるはずだ。
「…シアン?」
「聞きたいか?」
そんな怖い返しをしなくてもいいじゃないか。何故、わざわざ不穏な言い回しをするのか。
「君がそんな風に返すなんて……。余程長いこと寝てたみたいだね」
「ああ」
一言、肯定の意を口にしたシアンをじっと見つめる。彼が「聞きたいか」と事前に返す時、その後に続く話は大抵最悪の内容だった。本当に聞くのか、後悔しても知らないぞという意図を込めた彼なりの優しさだと理解するようにしている。或いは一種の慈悲か。
「……………で、どれくらい寝てたの?」
少しの間迷った後、それでも私は知ることを選択した。何も知らないままでいる方が恐ろしいし、何より気になりすぎてその内どうせ聞くのが目に見えている。だったら後回しにせず、今聞いてしまった方がいい。
私の問に言い淀むように少しの間を置いたシアンは、最後に小さく嘆息して答えを口にした。
「196年」
「は?」
何を言っているのかわからなくて、暫し声が出なかった。
ヒャクキュウジュウロクネン。シアンはそう声に出した。そのまま意味を受け取るなら………いやしかし、知らない内に「数日」の別名称が増えたとか、そういうことはなかろうか。
ヘルマの脳内処理がおかしな方向へ舵をきる中、シアンはそれも仕方ないことかと、目の前で一音を発して以降固まり続ける彼女をただ見ていた。
196年。それと数ヶ月。それ以上の詳細は誤差だろう。人間である彼女が聞けば、それも大きな差だと言い出すかもしれないが。
シアンと呼ばれるこの存在は、精霊だ。
ヘルマが眠り続ける間、ヘルマが誰にも害されないように結界を張り、自らもその中に籠った。196年間と数ヶ月数日数時間、一瞬たりとも外に出ずに。
短命種であったならば気が狂っていたかもしれないが、精霊という存在には基本的に寿命が存在しない。精霊は自然と共に在る。言うなれば世界と共に在る者たちのこと指し、その寿命とは言わば世界の寿命だからだ。そんな精霊であるシアンにとって、長時間待ち続けることは特に苦痛ではない。勿論、意味無く待たされるのは単純に腹が立つのだが。
………故に、今この瞬間も、処理落ち寸前の彼女をただ待つのだった。
196年、と。ヘルマがその意味を捻じ曲げたり裏をかいたりせずに真正面から受け止めれたのは、それから数分後だった。今は片手で頭を抱え、俯いている。
「私は、君が嘘を吐いているのかと何度も頭の中で疑ったんだ」
「そうか」
「でもその度に、君がそんな嘘を吐く筈がないって結論に至るんだ」
「そうか」
「他の意味じゃないかとも…196年という音の並びで、数年という意味の単語かとも考えたんだ」
「ああ」
「でもそんな別称が出来るくらいなら、結局はかなりの時間が経っているだろうと思って、そこで考えることをやめた」
「そうか」
「………はぁ………」
約200年という人の身には長すぎる時間。その間、自分は何もせずにただ寝ていたのだという現実が重い。その間に出来たことは、想像より遥かに多かっただろう。
項垂れるしかないような現状だ。このままもう一度、常識の範囲内でふて寝したい。しかしこれ以上眠りこけるわけにもいかない。
無駄にした時間を取り戻さなければならない使命感を胸に、ヘルマは顔を上げた。
が、しかし。
………どうすればいいんだ、ここから。
何かしなければならないという気持ちはあるが、状況が状況すぎて何から手を付けていいのかわからない。自分の近辺整理や状況把握をするにしても、時間が開きすぎている。きっと意味が無いだろう。元より何も無いが。
ただ、やりたいことだけは最初から決まっている。
やりたいことをするための第一歩。その踏み出し方に迷い、混乱しているのだ。
「………とりあえず、ここから出ようと思うんだけど。どう?」
彼にどうかと訊ねたのは、恐らくここを管理してきたのが彼であると思ったからだ。きっとこの周辺にも詳しいはずで、自分がこの場で外に出ても色々と問題が起きないか知っている、もしくは予想できる立場にいるということになる。
「問題ない」
間髪入れずにそう答えると、シアンは衣装棚らしき家具の元へ移動し、引き出しの中から何かを取り出す。こちらへ戻ってくる時に手の中に見えたのは、見覚えのある服だった。
「えっ…と、それ」
「お前の部屋から持ち出してきた。浄化済みで状態はいいはずだが………嫌なようであれば、新たな物を用意させる」
「………、………いや。大丈夫。ありがとう」
シアンから服を受け取ったヘルマは、まじまじとその服を見てしまう。
フードの付いた、長さが足首の上辺りまであるローブ。殆ど黒と言っていいような暗い青色で染められた外側の布地は、明るい陽の下でないと十人中十人が黒だと答えるだろう。裏地は鮮やかな青色であるので、余計に暗く見えるはずだ。
形はシンプルだが、施された刺繍と、留め具その他の装飾品で少し派手に感じる。刺繍の大部分は布と同じ色だから遠目では目立たないが、所々のアクセントは銀糸が使われている。
留め具は銀色の金属を主軸に透明な魔石が散りばめられており、同様の装飾品が留め具の根元から根元へ後ろを通って一周するように施されている。まるで鎖のように。
……高かったんだよね、これ。
自分用にカスタマイズして作ってもらったローブは、素材の調達も大変だったし、制作依頼をする時の代金も大変だった。ついでにデザインを決定する時に、防具屋で雇われている服飾士のやる気が凄くて大変だった。デザインなんて動きにくくなければなんでもいいと依頼したはずが、色やら形やら何やらかんやらと………とにかく大変だった。
そういえば、素材の特性上どうしても布が黒系の色にしか出来ず、服飾士が「絶対白がいいのに!!」と最後まで嘆いていたっけ。代わりに他の部分で補うのだと、より一層やる気を出していたが。
そんなローブを羽織るため、ヘルマはベッドから立ち上がって両手で布を広げる。立ち上がる時のふらつきはなかった。
着ている服の上から無造作に羽織り、袖は通さない。フードも後ろに落としたまま。いつものスタイルだ。街に出る時はフードを被ることもあったが、やはり今の状態が一番楽でいい。ローブの中で何を着ていようと、ローブのデザインが良い感じなのだからこれで完成だと思っている。
用意も出来たことだし、早速外に出ようと唯一の出入口へ向かい始める。が、数歩行かない内にシアンがドアの前へ移動してきた。つまり、ヘルマの目の前にだ。
「? ……やっぱり、何か不都合なことでもあった?」
自分が外に出てはいけない理由でも思い出したのかと、ヘルマは首を傾げつつ答えを待った。しかしシアンは否を口にする。
「扉なら私が開ける」
「え? あ、ああ……うん…?」
珍しいこともあるものだ。普段は私が何か行動するのを、ただ見ているだけだったのに。もしや気を使われているのだろうか。だとしたら、さらに珍しいが。
宣言通り、シアンは扉を開ける。ドアノブを捻って押し開けるなんてことのない動作だ。だけど、少しの違和感を覚えたのは何だったのだろうか。気の所為で住む程度のものであったから、何の言及もしなかったが。
「開いたぞ」
「うん、ありがとう」
ドアノブを握ったまま、少し外が見える程度開いた扉の前でシアンが待機している。そのシアンに感謝しながら、ヘルマは足を進める。
扉の前まで来ると、シアンはヘルマが難無く通れるくらいに扉を開けた。
扉を開けば、ヘルマの周囲を柔らかい風が通り過ぎていく。肩にかかったグレーの髪がふわりと浮いて、背中へ落ち着いた。
薄い空色の双眸が最初に映したのは、煌めく水だった。