⑦ 月下美人の想い
「ふぅ……」
刹那的な快感の波が去ると、それに比例した疲労感や倦怠感に襲われる。しかし、それはそう悪いものとも限らない。
自室のベッドへ横になると、自然に彼女も隣へやってきた。
「疲れちゃった?」
「あぁ、ちょっとな…。張り切り過ぎたかも…」
「ふふっ、今日もいっぱい出したもんね」
楽しい時間はあっという間に過ぎるもので、今も裸で寄り添う志音と付き合い始めてから、早くも数週間経っていた。
あの当時、俺と志音が付き合うことになったと聞いたクラスメイトたちは、荒れるか案の定といった様子だった。
前者は主に男子の反応、後者は女子の反応である。
夢見がちな男子と、現実的な女子の考え方の違いからか、それぞれの反応は大きく違っており、男子からはかなり酷い扱いを受けたが、今ではそれも落ち着いている。
それだけ、彼女が多くの男子生徒から熱烈な支持を受けていたという証拠とも言えよう。
多くの男子と同じく、大耀からも嫉妬の目を向けられたが、比較的すぐに祝福された。
一番危惧していた相手である怜空は、あの日の翌日も、いつもと変わらぬ様子で接してきてくれたのは嬉しかったものの、もう恋人がいるのだから少しは自重して欲しいくらいだった。
後に志音から聞いた話では、付き合い始めたからといって諦めるわけじゃないと宣戦布告してきたらしいので、これまで通りの付き合いが続いているというわけだ。
放課後は、相変わらず四人で遊ぶことも多いが、休日は二人きりの時間を作っては、蜜月の時を過ごしていた。
現状を鑑みると説得力が無いのだが、最終的には彼女とより親密な関係を築きたいという願望はあったものの、彼女のことも考えて大事にしなければ…と思っていた一方で、思いの外彼女の方も前向きに考えてくれていたことから、二人の仲は急速に深まっていった。
何よりも驚いたのは、彼女の意欲にある。
好きな人の為なら、女は積極的になれるらしく、勉強やゲームよりも飲み込みが早くて、大人の女としての腕を磨いていった彼女は、正に鬼に金棒状態だ。
昼は、あんなに無邪気で清楚な雰囲気をしてるのに、夜になると、自分の前でだけ妖艶な女の部分を見せてくれることも、ギャップが凄くて、ますます愛おしく感じてしまう。
「でも、昨日のあれはちょっと危なかったかも」
次第に慣れてくると、より刺激を求めて、非日常を味わいたくなり、学校の中でもお互いを求めてしまうことがあった。
特に、昨日は見つかりそうになってしまったこともあり、非常にスリルを味わえてヒヤヒヤしたものだ。
「その割には、感じてたみたいだったけど?」
「もう…、それは分かってても言わないでよ、意地悪…」
「ごめんごめん。かわいくて、つい止まらなくなっちゃって…」
「んぅー。私だって、気持ち良かったけど…ただでさえ恥ずかしいのに、ノブくん以外の誰にも見られたくないよ」
「それは、俺だってそうさ。あんなエッチな顔をした志音を、誰にも見せたくない」
そもそも、彼女がそんなことまで応じてくれるとは思っていなかったが、俺の為に良かれと思ってやり始めてみたが最後、徐々に慣れ始めて味を占めた俺の所為で、さらにエスカレートしてしまったのだ。
そんな健気で心優しい彼女を抱き寄せ、お互いの身体を重ね合う。
「んん…、ノブくん…」
「次からは、気を付けないとな」
「うん…。でも、やっぱりここでするのが一番好き。なんか、安心するの」
「そうだな。余計なことを気にしなくて済むし」
「ん、んんぅ…、また硬いの当たってる…」
「志音の身体は、色白でスベスベで…綺麗なもんだ」
「んっ…また触ってる…。でも、ありがと。ちゅっ…ん、んぅ…んぁっ…、ぁ…んふっ……、もう一回しよっか?」
「あぁ、望むところだ」
仲睦まじい二人は、再びお互いを求め合い、男女の匂いが交じり合った。
志音との関係が上手くいっていると信じて疑わなかったある日、その様子を見ていた怜空から思いもよらない話を聞かされる。
「お願い! 一日だけ、あたしを誠直の彼女にして!」
現彼女である志音もいる中で、この娘は何を言い出すんだと思ったが、思い当たる節があった。
以前、漫画か何かで似たような案件を聞いたことがあり、それに倣えば彼氏のフリをして欲しいというものだろう。そう思っていたのだが、その予想は大きく外れた。
「昨日相談されちゃって、どうしてもって言うから…。同じ人を好きになった友達として、何もしてあげられないのも歯痒かったし…、思わず良いって言っちゃったんだけど、ダメだったかな?」
「まぁ、志音も良いって言うなら構わないけど、優しすぎて不安になるな」
優しいとはまた違うが、同情していた節もあるんだろう。俺も、ずっと好きでいてくれる彼女の前で、志音とイチャコラしている姿を見せるのも罪悪感があったのは確かだ。
「じゃあ、決まりね。今度の日曜、一日空けておいてよー!」
「あぁ、分かったよ」
あんなに楽しそうな怜空の顔を見るのは、久しぶりだ。いや、もしかしたら、初めてかもしれない。
「私、信じてるから。ちゃんと戻って来てね」
「もちろん。怜空には悪いがな」
純な瞳で見つめる彼女を、裏切るわけにはいかない。
それにしても、怜空の奴はどうして急にこんなことを言い出したのか、全く見当がつかなかった。
怜空との約束の日。結局、今日までその理由を考え続けても、答えは出なかった。
強いて言うなら、一日だけでも夢が見たいというくらいなものだ。
考えてみれば、俺だって密かに志音のことを想っている時、一日だけでも恋人としての時間を過ごしたいと思ったことはある。
しかし、それは諸刃の剣でもある。追い求めた理想は、たった一日で消えてしまい、現実を突きつけられるからだ。
その理想と現実の差に、狂おしいほどのストレスを感じて、精神がおかしくなってしまっても不思議ではない。それだけ、恋の病は重度の病気なのだ。
今でこそ普通に付き合っているが、もし俺と付き合うことがなかった志音が別の男と仲良くしていて、親密な仲にまで発展したら…と思うと、反吐が出る。
自分はたった一日しか味わえなかった幸福を、誰かが当たり前のように毎日感じていると思うと、殺意すら芽生えそうだ。
それなのに、彼女は一体何を目論んでいるというのだろうか。
「ごめーん、待った?」
「いや、今来たところだ」
待ち合わせ時刻には、まだ5分ほど猶予がある。
早く着いてしまったのはお互い様だが、その心持ちは全く違うものだろう。
「ふふっ。今のやり取り、正にデートって感じ」
普段よりオシャレしてきているのはなんとなく窺えるが、それ以上に違っていたのは、彼女の表情や雰囲気にある。
いつもと似て非なる彼女は、どこか浮かれているのかもしれない。今の俺たちは、彼女が望んでいた未来の断片なのだから。
「さぁて、どこ行こっか?」
「今日は、どこでも付き合うぞ」
「それは嬉しいけどー、彼氏としてエスコートしてくれないのー?」
「それなら、真っ先にホテルに連れて行ってやろうか?」
「うん、あたしはそれでもいいけどー?」
冗談半分で言ったみたつもりが、平然と返されてしまったので、為す術もない。
「いや、さすがに止めとこう。どっか行きたいとこあったんじゃないのか?」
「うん。一応、候補は考えてきたよ。じゃあ、早速行こっか!」
いつものように腕を絡ませて抱き着いてきた彼女は、いつも以上に引っ付いて来て、夏が早く訪れている気がした。
一般的なデートコースというのがどういうものかは知らないが、休憩がてら慣れないカフェに連れていかれたことを除けば、個性的なコースだったのかもしれない。
お互い、何となく相手の趣味を分かっているので、その趣味が共通する場所を巡って行った結果が、これである。
思えば、怜空と二人で出掛けるのもこれが初めてだったので、実に新鮮だった。
今回の提案を引き受けなくても、元々遠慮しないような関係になり始めていたこともあり、気兼ねなく接することができたので、堅苦しい思いもせず楽しめたと言えるだろう。
「それにしても、ここまでしなくて良かったんじゃないか?」
「いいの。誠直と来てみたかったんだもん。友達って関係だと、一生来れそうもないし」
いよいよデートの締めくくりかという時間になって来た時に、もう一軒寄りたいところがあるという彼女に連れられて来てみれば、所謂ラブホテルに連れてこられてしまった。
一度、興味本位で志音とも来たことはあったが、金もかかるし落ち着かないという意見にまとまり、再び来ることは無かった。
それが、今日一日彼女として扱い、接するということを免罪符にして、怜空と訪れてしまったわけだ。
「もう、中も見られたんなら、良いだろう? 最後までするわけでも無いし、シャワーでも浴びるだけ浴びて、さっさと――」
「あたしが、そんな簡単に帰ると思う?」
「…思ってないから、言ってるんだよ」
今日、彼女を始めてみた時から、薄々そう思っていた。
性的なアピールをするのはいつもだし、露出が多いのも見慣れた印象だ。
しかし、今日に限っては、さらに輪をかけて煽情的な格好をしており、街中を歩いている間も、他の男どもからの視線が熱かったと記憶している。
「誠直は、あたしとしたくないの?」
「…その質問は卑怯だぞ」
「恋人なら、普通でしょ? 何も心配しなくていいの…」
「それは、今日だけの話で――」
「だから、あたしには今しかチャンスが無いの」
彼女もふざけたり、揶揄ったりして言ってるわけじゃないんだ。彼女の表情を見て、それを悟った。
「…あたし、誠直を好きになったこと、後悔したくない。だから、せめて初めては…誠直に捧げたいの。他の誰でも無く、初めて好きになったあなたに」
「怜空、お前…。最初からそのつもりで…?」
「うん…。でも、デートしたかったのも、本当。…ねぇ、誠直。あたしに思い出をちょうだい。あなたを好きになって良かったって、思い出を…」
「…だったら、彼氏としては、断れないな」
「嬉しい…、んっ、ちゅっ、ちゅぅっ…!」
初めてと言っていたにしては、情熱的なキスだ。
同じ女の子でも似て非なる感触や匂いが香ってきて、男を奮い立たせる。
「ん…、キスってすごいね。これだけで、幸せな気分になれちゃう……」
「俺をその気にさせたんだ。まだまだ、終わらせないぞ」
「誠直…いいよ、触って…。あたしの全部、あなたに捧げるから……あ、んんぅ…」
ずっと触りたくても触らないよう我慢していた禁断の果実へ手を伸ばすと、そのフラストレーションが一気に解放されて、興奮が押し寄せる。
触りなれた大きさよりも、さらに一回り大きくて、揉みごたえも上をいく。
「ん、んぁっ…手つきがいやらしくて、こなれてる感じがする…。気持ち良いけど、ちょっと妬けちゃうかも…」
「すぐに、そんなこと気にならないようにしてやるさ」
「うん…、お願い」
もう、昨日までの俺たちではいられないかもしれない。そう思いながらも、彼女を求め続けてしまい、その結果疲弊した二人は、ベッドで寄り添い合っていた。
今まで我慢してきたことが許されるということもあって、最初で最後のチャンスである今日しか味わえないひと時を満喫したのは良いが、おかげで目がチカチカする。
ただ、その行いによって、彼女に女性としての魅力が存分にあることを行動で示すことができただろう。
「でも、良かったのか…?」
封だけ破り捨てられ、未使用のままのゴムを拾った気怠げな俺を見て、彼女は微笑ましい様子で語る。
「今日は大丈夫な日だから、平気でしょ。…それに、さっきも言ったけど、初めてだから直接誠直を感じたかったんだもん」
「まぁ、それならいいか…」
「でも、あんなに何度も出してから言っても、説得力無いんじゃない?」
「う…、それは確かに」
普段、志音とする時は、いつもゴムを欠かさずに付けてたし、ナマでできるとなれば、彼女への背徳感もあって余計興奮してしまった俺の身体は、なかなか言う事を聞いてくれなかったのだ。
「…後悔してるの? あたしは、嬉しかったよ…。いっぱい求めてくれたことも、男らしい誠直が見れたことも、ね」
「そうか…。前にも言ったが、俺にとって、怜空は恋人じゃなくても、友達であることに変わりはない。だから、お前の身体を気遣うのは、当たり前なんだよ。俺は、誰かに傷ついて欲しいわけじゃないからな」
「うん、知ってる…。あたしが好きになった人は、そういう優しい人だもん。だからこそ、この世界が許せないの……」
たった一人の愛する人の為に、世界の全てを敵に回してもいいという考えは、空想上の物語では度々見られる話ではあるものの、実際にそれを課す覚悟をするのは難しい。
しかし、今の彼女は一切身を守る衣服も着ていない中、その覚悟を背負おうとしているようにも見える。
「誠直は、この世界が好き?」
「また、漠然とした質問だな…」
「答えて」
ただならぬ気配を漂わせる彼女に気圧され、答えを強いられた。
「どちらかいえば、嫌い…かな」
許されることなら、俺を慕ってくれる二人の女の子のどちらも傷つけたくは無い。しかし、それを許さないのが、今の世界なのだ。
もっと簡単にいえば、ずっと遊んで暮らしたいというダメ人間的発想もあるが、そういうことまで付け加えればキリがない。
「この世界は、どこまで広がっていると思う?」
「どこって…。そりゃ、分かってる上では、地球から宇宙に飛び出して、太陽系の外にも別の銀河がある…くらいしか」
「そう、そういう風に教えられてるもんね。じゃあ、シュレディンガーの猫のことは知ってる?」
「あぁ。確か…、一定確率で毒が出てくる装置と一緒に箱の中へ入れられた猫は、箱を開けてみないと、生きてるか死んでるか分からないっていうあれか?」
「まぁ、大まかにいえばそんな感じ。観測してみないと、その事実が確定しないってこと」
彼女が何を言いたいのか考えてみるものの、ろくに頭が働かない現状ではままならない。
「なぁ、小難しい話なら、また今度にしてくれないか?」
「ダメ、今しかないかもしれないから」
彼女は俺の提案を突っぱねると、今の場所や格好にそぐわない真面目な話を再開した。
「アニメとか漫画には、ファンタジーって言われるような架空の世界があるでしょ? でも、もしかしたら架空の物じゃなくて、どこか別の世界の話なのかもって考えたことない?」
「あぁ…、子供の頃はな。今でも、あって欲しいと思う物も多いが…」
「でしょ? その考えでいくと、架空の世界と思われている物が、別の世界そのものだとすれば、今あたしたちがいるこの世界も、例外じゃない。つまり―――なんて、考え過ぎだよね」
不意に彼女の様子が変わり、お茶目な自分を演出するように、テヘッと愛想を振り撒いた。
「ごめんね、変な話しちゃって。お詫びに、また気持ち良くしてあげるね」
そういって、彼女は自慢の胸を見せつけてくると、早々に足元へ移動した。
「おい、怜空。結局、今の話は――っ、はぁ……」
「ううん、気にしないで。誠直は、気持ち良くなることだけ考えてくれれば、それでいいの」
今日は、彼女の身体を余すことなく味わったと思っていたが、何度味わっても良いものだ。
それは、間違いなく確信を持って言えるのだが、さっきしてもらった時と比べると、随分事務的な動きになっている気がしてならない。
まるで、彼女が怜空であって怜空でないような違和感を覚えながら、快感によって引き起こされる脳への甘い痺れによって、思考を封じられる。
きっと、自分も疲れているのに、俺の為を想って更なる奉仕をしてくれているから、単調な作業に切り替えただけだろうと、都合の良い解釈を浮かべた。
またしても気持ち良い思いをした後、シャワーを浴びて汗を流し、疲れた体を投げ出してのんびりしていると、部屋にあった電話が鳴った。
気を利かせて受話器を取ってくれた彼女が、静かに応答する。
「いえ。延長は無しで」
そろそろ時間が迫ってきたらしい。このまま延長しないということは、彼女も満足したということだろう。
脱ぎ捨ててあった服を着直して、少しばかり後ろ髪を引かれるその場を後にする。
もしかしたら、彼女も同じように思っていたのかもしれない。
あの部屋を出たら、俺たちは昨日までと同じ、元の関係に戻るのだと。
その所為か、ホテルを後にしてから、妙に静かな彼女と共に駅へ向かい、帰宅する。
そして、怜空は――二度と俺の前に姿を現すことは無かった。