⑥ 想いの行き着く先
あの日、彼女が堂々と宣言した通り、怜空のアプローチは日に日にエスカレートしていった。
二人きりの時に、パンツや胸元をチラッと見せつけて、女性的アピールをしてくるのは当たり前。以前、冗談で言っていたと思われることが現実になり、個別のチャットに自ら露出したエッチな自撮り画像を毎日のように送ってくる始末。
中には、棒アイスを妙に色っぽく咥えて舐め回したり、胸の谷間にバナナを挟んだ状態で上下に動かし、そのまま皮を剥いて先っぽを咥えるなど、何かを連想させる動画まで送りつけてくるものだから、質が悪い。
他人に知られない場所でこっそり仕掛けて来るだけかと思えば、人前でも平気で腕を絡めて胸を押し当ててくるし、ボディタッチは特に過激だ。
おかげで、股間が暴れないよう必死に自制する日々が続き、悶々とした気持ちが徐々に膨れ上がって、ノイローゼにでもなりそうだった。
「苦しそうだね。楽にしてあげよっか?」
親指と人差し指で輪っかを作った手を、口元で動かすのはやめてほしい。いよいよ、自制が利かなくなってしまう。
「な、なんかさ…。最近の怜空ちゃん、色っぽくなったよな…?」
「あぁ…、そうかもな…」
股間を抑えながら大耀に言われても情けないばかりだが、その弊害を一身に受けているのは、間違いなく俺だろう。
メッセージアプリ内にある彼女との個別チャットのページは、半ばグラビア誌になり始めているし、本来ならそれを即保存しておきたいものだが、そうしてしまうと俺が負けを期してしまう気がして、血涙を流しながら我慢している。
自分の武器を理解している彼女の自己プロデュース力も災いして、かわいいにエロいが合わさり、正に鬼に金棒といえる。
「ふふんっ。女の子は恋するとキレイになれるっていうでしょ?」
「え? 何? 怜空ちゃん、好きな人いるの!?」
「アンタには教えなーい」
大耀をあしらい、意味深な視線を送る彼女は、俺の隣の席に我が物顔で座っていた。
ついこの間まで、その席はあの田村という少女が使っていたが、彼女はあの一件から一度も登校することなく、GW明けにはこの学校を去っていた。なので、今その席は誰も使っていない空席になっている。
怜空からすれば、遺恨が残る相手の一人がいなくなったので、喉の奥に引っかかっていた小骨が取れたような思いもあるかもしれない。そして、それを裏付けるように、あれから彼女の悲壮な顔は見た覚えもない。
田村について先生からの通達では、都内の学校へ転校したと言っていたが、それも妙な話だ。
まだ入学して一か月足らずで転校。しかも、一週間やそこらで都内の学校へ移ったということは、その間に編入試験や手続きを終わらせたことになるので、そんなにスピーディーに済むものなのかと疑問は残る。
予め用意していた、あるいは親の仕事の都合など、家庭の事情で転校、編入することが決まっていたなら、前々から準備していた可能性もあるが、彼女自身の底が知れないので、余計特定しづらい。
「どうしたの、ノブっち? もしかして、あたしに見惚れちゃった?」
「いや、そうじゃなくて…、やっぱり変だ」
「あー、まさか偽乳を疑ってるの? もう、しょうがないなぁ…。ノブっちなら、直接確かめさせてあげても――」
「違う。田村のことだ」
ふざけて笑っていた二人も、その言葉を聞いて、急に静かになった。
「田村って、確かそこの席にいた子だろ? 東たちともつるんでた奴。それが、どうかしたのか?」
「怜空の件以降、顔を出しづらくなったのは分かるが、東や高橋は今日も普通に登校してきたのに、彼女だけはあっという間に転校しちまった」
「なんか理由があったんでしょ。どっちにしろ、平和になって良かったじゃない」
「それは、そうだけど…。もし――」
もし、俺の所為で彼女の居場所を奪ってしまったが為に、転校まで追い込まれてしまったのなら、俺にも責任がある。
もちろん、彼女がしていたことは簡単に許されることじゃない。あの時、助けに行かなければ、今も怜空はこうして笑っていられなかっただろう。
かといって、俺は彼女たちを追い詰めたかったわけでも無い。
彼女たちだって、同じ高校生。数奇な巡り合わせで知り合ったクラスメイトだ。彼女たちにも、俺や怜空と同じように、等しく学校生活を楽しむ権利はあったはずだ。
それなのに、俺がその機会を奪ってしまったなら、自分の身勝手な行動で彼女の人生を狂わせてしまった傲慢な大罪人になってしまう。
そこまでいうと少し大げさにも思えるが、俺は自分の無実を証明したい訳でもなく、仲良くできるとは思えない相手であっても、彼女の本音を聞いてみたかった。ただ、それだけかもしれない。
「余計なこと考えてないで、今日もパーっと遊ぼうぜ。そんなこと考えるだけ無駄だって」
「そうそう。珍しく大耀の言う通りよ。もう転校しちゃった後だし、過ぎたことをいつまでも考えてたって仕方ないでしょ?」
「珍しくって何だよ! ひっでえなぁ!」
「ね? それより、もっとあたしのこと、見て欲しいんだけどなぁ…?」
彼女のクリクリの目が覗き込んできたが、いつもより強い圧を感じた気がして、思わず目を逸らした。
「…そういうことなら、しばらく別行動だな。俺は一人で調べてみる」
協力を得られそうもない二人を残し、スッと席を立ち上がって、その場を去った。
「あー、もう…なんであたしじゃなくて、あんな女を追うのよー!」
「全く、スルースキルが高いんだか低いんだか…」
田村愛中。1年C組、出席番号16番。
彼女について調べるなら、真っ先に聞くべき相手の目星は付いていた。
「ちょっといいか?」
「げぇっ! 古雲…」
田村が抜けたことで、チビとノッポの凸凹コンビになった二人の下へやってきたが、随分な挨拶だ。
あれ以来、スクールカーストが落ちたらしく、でかい口を叩くことが減ったらしい東は、俺に対して良い印象を持っていないんだろう。
「あーしらに何の用? こっちは、忙しいんだけど?」
ただ駄弁っているだけのどこが忙しいのかご教授願いたいとも思ったが、今はそれどころではないし、俺も彼女たちと率先して関わり合いたいわけではない。
「じゃあ、単刀直入に聞こう。田村とは、今どうなってる?」
「はぁ…? どうもこうもねーよ。お前らの所為でうちらと縁を切ったつもりなのか、あれから何の連絡も無いし」
「全く音沙汰なしか?」
「おと…? な、なんだって…?」
「こっちからの連絡に返事もなければ、向こうから連絡も来ないのかってことだよ」
「そーそー、正にその通り。既読スルーどころか、既読も付かないし」
「SNSの方は、どうなんだ? やり取りが無くても、なんか更新されてたりとか」
「いんや、そっちもダメ。ここんところ、何にも更新されてないから」
「じゃあ…転校については、何か聞いてなかったのか? 前もって、そんなような話を聞いてたとか」
「それが全然。そんな素振りも見せなかったし、あーしらも愛中が学校来なくなったと思ったら、連休入って連絡取れないまま。GW明けてみたら、転校したって聞かされたわけよ」
「この二人にさえ連絡無しとなると…、厳しいな」
「全く、薄情な奴だよ。一か月くらい一緒に過ごしてたってのに、急にこれだからな」
「まー、愛中は元々よく分からないとこあったからねー。謎めいてるっていうか、ミステリアス系女子っていうかー」
「謎めいてる…? そういえば、田村の家は知らないのか?」
「それがさー、うちら知らないだよねー。大体、やり取りは学校かスマホでできるし。何度か一緒に出掛けても、愛中の家に行くことは無かったしねー」
「……。ここまでいくと、徹底して足取りを消してるようにも思えるな。まるで、知られたくないっていうみたいに」
「何? アンタ、愛中の居場所探そうとしてんの? ストーカー?」
「ははーん。最近、怜空と仲良さそうにしてるわりに、イマイチ踏み込まないし、実は愛中のこと狙ってたりして…」
「はぁ…。女子はすぐそういう話に持っていこうとするって、ホントだったんだな」
「違うの?」
「違うよ。あまりにも不自然だから、探ってんの」
「へぇ。好きでもない女の為に、貴重な高校生活を無駄にするなんて、あーしには考えられないね」
「やっぱ、ホントは好きなんじゃん? でも、恥ずかしくて言えないんだー」
「違うって言ってるだろ、全く…。もし、田村から連絡入ったら、教えてくれよ」
「はいはーい。愛中にも愛してるって伝えとくよー」
「あの野郎…」
性根から腐ってるチビ助を殴り飛ばしたくなる衝動を抑え、彼女たちの下を去った。
「ごめんねー、古雲くん。先生も都内の学校へ転校したってことくらいしか聞いてなくて…」
放課後、わざわざ担任の新井先生の下を訪ねたが、期待していた返事は聞けなかった。
「じゃあ、せめて彼女の家を教えてもらえませんか?」
「うーん、それもできないのよー。そういうのは、個人情報だっていうから、扱いが厳しくてね。同じクラスメイトだった古雲でも、教えられないの」
「それに…、もう引っ越したような話も聞いたから、先生が知ってる情報を出しても、もう意味は無いでしょうし」
「引っ越した…?」
彼女が学校に居づらくなったから、というだけでは到底説明がつかない事態に陥ってきた。
これでは、ますます怪しい上に、足取りを掴むのがさらに難しくなってしまった。
「あ、こんなところにいた~。探したんだよ、古雲くん」
こんなところで会うとは思いもよらなかった人物がやってきて、難航していた頭をとろかせてしまう。
「あら、どうしたの雅君さん?」
「あー、そのぅ…先生に用があったわけではなくて、古雲くんを探してて…」
「あら、あらあらあら…!?」
青春の甘酸っぱい匂いを嗅ぎつけたのか、まだ何も言っていないのにトリップし始めた先生は置いといて、彼女の話に耳を傾ける。
「さっきから、ずっとチャットにメッセージ入れてたのに、全然返事してくれないんだもん。学校中、探し回っちゃった」
「そっか、悪い。気づかなかった」
「あ、いいよ。見つかったし。それでね、ちょっとお願いがあって…」
「フンス、フンスッ…!」
もじもじし始めて、上目遣いで見つめてくるものだから、隣で見ている先生の方が鼻息を荒くして次の言葉を待っていた。
「そろそろ中間テストがあるって言ってたでしょ? だから、勉強教えてもらえないかなって思って…。ダメ、かな?」
「あぁ、そういえば、そんなこと言ってたような…?」
「あらぁ…良いじゃない! 高校生になって、まだ幼くも大人になり始めてる若い男女が、一つの机を囲んで勉強会…。でも、お互いを意識しすぎて、勉強がなかなか手につかなくなって、ふと落としちゃった消しゴムを拾おうとしたら、お互いの手が重なり合って、異性に触れた二人は、そのまま夜の勉強会を…あはぁっ!」
「あはぁっ! じゃないのよ、先生。何言ってんの」
「よ、夜の勉強会は…、その…まだ早いかなぁって思うんだけど…、やる気はあるから…っ!」
まだ…とか、やる気がどうの言われてしまうと、余計意識してしまうんですが……。
そういえば、彼女にはこういったちょっと罪作りな部分もあるのだと知り始めていた。
意味深というか、思春期真っ只中の男子の妄想が捗り、喜んでしまうような言い回しや発言が度々あり、それはいつぞやの買い物へ二人で出かけた際にも耳にしている。
「それは別に構わないけど、今は…」
「何言ってるの、女の子にここまで言わせて。それに、古雲くんだって、他人のことばっかり考えてる場合じゃないでしょ?そんなことじゃ、次のテストで赤点取って、親御さんに怒られても知らないわよぉ」
「いや、それは分かってますけど…」
「はぁ…、でも若いって良いわねぇ。私も、学生の頃は……」
ダメだ。言いたいことだけ言って、昔話を語り始めてしまったら、もう長くなるのは目に見えている。
「…帰るか」
「あ、じゃあ私も」
一人でペラペラしゃべり続けている新井先生を放置し、彼女と連れ立って職員室を去った。
どちらにしろ、田村が転校と共に引っ越したという情報を得た以外、目ぼしい情報を得られそうもない感じだったので、あのまま長居しても結果は変わらなかっただろう。
「古雲くん、引き受けてくれてありがとね」
「礼を言われることでもないよ。言ってくれなかったら、忘れてたかもしれないし。どの道、ある程度復習しておかないと、俺も危ないかもしれないから」
「うん、そう言ってくれると助かるよ。…でも、良かったぁ。最近、佐出さんと仲良さそうだから、断られちゃうかと思った」
「え? いやいや、あいつと仲は良くなったけど、別に付き合ってるわけでも無いし、断る理由もないって」
「そうなんだ…。周りでもそういう噂が流れてたから、私てっきり…」
「まぁ、そう思われても、仕方ないかもな…、あの様子じゃ。でも、一緒に遊ぶくらいで、そんなんじゃないって。あ…、もしかして、それで――」
「うん…。佐出さんに悪いかなって思ってたんだけど…、私の勘違いだったみたいね」
怜空が自由を得てからというもの、しょっちゅう俺のところへやって来るようになったのとは反対に、彼女とは疎遠になってしまっていたのだ。
少し不思議に思ってはいたのだが、どうやら噂を真に受けて遠慮してくれていたらしい。誤解だったとはいえ、無用の気遣いをさせてしまったわけだ。
「そういえば、あれからあのマスコット、ずっとリュックに付けてるみたいだね。とっても気に入ってもらえたみたいで、嬉しいな」
「あぁ、あれね。ちょっとやり過ぎかなって思ったけど、今ではあの方が落ち着くんだ。付けた当時は、雅君さんからのプレゼントってこともあって、散々言われたけどね」
短い間ではあるが、疎遠になっていた反動もあって、隣を歩く彼女が心なしか一歩距離を詰めてきただけでも、より近くに感じられた。
二人でデートみたいなことをしたあの日の光景が蘇るみたいで、心がざわつき始める。
「そうそう、お兄さんの誕生日はもう過ぎたんでしょ? プレゼントは喜んでもらえたの?」
「え? うん、バッチリだったよ。でも、古雲くんほどではなかったかなぁ」
「あー、そういうこと言うか。意地悪な雅君さんは、結局何をあげたのかも教えてくれないんでしょ?」
「ごめんね、それは内緒。…って、意地悪は余計だよぉ」
「あーあー、良いなぁ。俺も、雅君さんみたいなかわいい妹が欲しかったなぁ…」
「もう、桐灯くんみたいなこと言って。でも、私は…妹じゃ嫌かも…?」
「ん? お姉さんの方が良かった?」
「ううん、そうじゃなくて…んー、これ以上はまだ内緒」
「またかよ。俺は犬じゃないんだから、お預けされてばっかりじゃ、黙ってないかもしれないぞ」
「ふふっ、でもね。女は秘密というアクセサリーを着飾って綺麗になるものだって、聞いたことあるよ」
「それ、映画かなんかの受け売りか?」
「うん、確かそんな感じだった気がする」
彼女の言葉を借りれば、あの田村という少女も、多くのアクセサリーで着飾った女だと言えるのだろう。
ただ、それが綺麗であるかどうかは、俺には判断がつかなかった。
「で? これは、一体どういうことなんだ?」
デジャヴを感じるような光景だが、それにしては部屋の中にたくさん人がいる。
「どうもこうも、勉強会するっていうから、来たんじゃねーかYO!」
一番やる気がない奴がそれを言っても全く説得力が無いわけだが、大耀がうちにいるのは、いつものことだ。
「だってぇ、楽しそうだったんだもーん」
当然のように俺の隣を確保し、他の男の目があるにも関わらず、平気でくっついてくるのは怜空だった。
こいつに限っては、初めてうちに来てから、わりと頻繁に顔を出している。特に呼んでもないのに。
「ごめんね、古雲くん。急に押しかけちゃって」
「いやいや、雅君さんは悪くないって」
むしろ、うちなんかで良かったんだろうかと、彼女を招く際には何度も確認したものだ。
彼女の家に行ってみたい気持ちはあったが、彼女の希望でうちを指定されてしまっては、男として期待せざるを得ない。
それと同時に、本人がそれで良いならと、断る理由も無くなって招いたわけだが、それを聞きつけた野次馬も、こうして集まってしまったわけだ。
「あー、ずるーい。なんで、志音ちゃんだけ特別扱いするのー、もぉー」
「そうだそうだー! ずるいぞー、怜空ちゃんだけに飽き足らず、雅君ちゃんまで隣に侍らせて…くそっ、代われ! いや、むしろ代わってください、お願いします!」
しかし、これだけ人数が集まって騒いでいれば、もはや勉強どころではない。
いよいよプライドも何もかも投げ捨てて土下座してしまった大耀を見て、蔑んだ目を向けていた少女は、溜め息をついて呆れていた。
「…アンタたち、勉強しに来たんじゃないの?」
特に謎だったのが、雅君さんと共にやってきた桑原だった。
おそらく、男子の家に一人あがろうとする無防備な彼女を心配してついてきたのだろうが、露骨に後悔という文字が顔に出ている。
それにしても、二か月ほど前までは男しかいなかったのに、今や女子の人数の方が多いという前代未聞の事態が巻き起こっているのが、不思議でならない。
「そうそう。大耀も、そんなことしてないで、準備しろよ。ちょっとは真面目にやらないと、今度のテストヤバいって言ってなかったか?」
「ああー、そうだったそうだった。赤点取ったら、また親に何言われるか分からんし」
急遽別の部屋から持ってきたテーブルも合わせて、皆が教科書やノートを広げられる場所を確保すると、ようやくその気になった一同は、静かに問題へ向き合った。
「あ、古雲くん。これこれ、こういう問題が出るとよく分かんなくなっちゃうんだけど、解き方教えてくれる?」
「う…、んっとね…あぁ、これなら…ほら、このページにあるように……」
隣に座った雅君さんがそっと擦り寄って来て、その際に胸が当たってしまい、一瞬質問よりもそちらに気が向いてしまった。
どうやら、彼女は気づいておらず、無意識に当たってしまったみたいなので、真剣に勉強しようとしている彼女に対して不誠実な考えを抱いてしまうのは申し訳ないと思う一方、彼女の無防備さが少し心配になる。
「あ、なるほどぉ。分かった、やってみるね」
「ノブっち、あたしもここ分かんなーい」
むぎゅっと反対側からも同じような弾力を感じて視線を向ければ、したり顔で顔を覗き込んでくる怜空と目が合った。
そして、その顔をニヤリと歪ませると、さらに身を乗り出して、これでもかと押し付けてくる。
なんて奴だと確信犯にお礼の一つも言いたいところだったが、周りが静かに集中している中で、それを乱すようなことはしたくなかった。
「そこ、テスト範囲じゃないだろ」
まだ授業でも扱ってないページを開いて、しきりにπを指すものだから、余計違うパイを意識させられてしまった。
一度深呼吸を入れて心頭滅却し、改めて自分も問題に取り組もうとペンを動かせば、腕や肘が柔らかい何かにあたって、隣から小さな声が漏れる。
「んっ…、んん…っ、古雲くん…くすぐったいよぉ……」
「わ、悪い。そういうつもりじゃ…」
悪気や下心があったわけではなく、彼女もそれを理解してくれたので事なきを得たが、それにしても艶っぽい声を出されると、妙な思考が働いてしまいそうになる。
「あんっ…、ノブっちぃ…。そんなことしなくても、言ってくれれば、いつでも……」
今度は、教科書のページをめくろうと左手を伸ばせば、先程と同じようなことが起きてしまい、完全に二の舞になってしまった。
如何せん隣との距離が近すぎるのが災いして、もはやどちらの腕を動かすわけにもいかなくなってしまう。
この状況で、どうしろというのかと、またも勉強するどころではなくなってしまい、彼女たちにもう少し離れてくれと言う他無いかと思っていた時、代わりに吠えてくれた者がいた。
「あー! もう無理、一旦休憩しようぜ、休憩!」
以外にも彼の面倒を見てくれていた桑原の甲斐もなく、一番最初に根を上げたのは大耀だった。
「もう? さっき始めたばっかりじゃない」
「いやいや、時計見てみろよ。もう一時間以上経ってるぞ。オイラは、一時間勉強したら、二時間遊ばないと死んじまうんだ」
「何バカなこと言ってんの?」
「まあまあ、集中力が切れちまったなら、俺たちも一旦休憩にしよう」
「賛成ー!」
「アンタは遊びたいだけでしょ」
「そりゃそうさ。せっかくの休みだってのに、テスト勉強で潰れたんじゃ、堪ったもんじゃないぜ。特に、今日は女の子もいっぱいいるしさ」
大耀の言い分も頷けるが、その女子の半数がテスト勉強をする為に、わざわざこの場へ集まったことを忘れているのではないだろうか。
「そういえば、元々二人が仲良しさんなのは知ってたけど、佐出さんと急に親しくなったのは、なんかきっかけがあったの?」
「あ…、志音。それは……」
踏み込んではいけない地雷原に裸足で突っ込んでいく雅君さんを見て、桑原はバツが悪そうな顔をしていた。
「へっへぇ。それはだな――」
「話してみたら、趣味が合ったからだよ。それで、すっかり意気投合したわけ」
一瞬、得意気に語ろうとする大耀が余計なことまで言いそうな気がしたので、強引に割って入った。
「そうそう。所謂ゲーム仲間って奴? だよね、ノブっちー」
「まぁ、そういう感じ」
気に障って嫌な思いをさせてしまうかもしれないと思ったが、まるで恋人アピールをするくらい腕を絡ませて抱き着いてきたので、その心配は無さそうだった。
桑原もホッと胸を撫で下ろし、改めて一息入れている。
「いいなー、佐出さんがちょっと羨ましい。私も、古雲くんともっと仲良くしたいな」
片腕を別の女に持ってかれている状況にも関わらず、不覚にも彼女の真っ直ぐな言葉にドキッとしてしまった。
「そうねー。アンタたち、もう二人でデート紛いのこともしてるわけだし、今の距離感じゃ、ちょっと他人行儀よね」
「あ、千縁ちゃんもそう思う?」
「ちょ、ちょっと待って! デートって何のこと?」
つい今しがた、自分でゲーム仲間だと言っていたのに、なぜ俺が浮気した彼氏みたいに問い詰められなければならんのだ…。
「少し前に、雅君さんのお兄さんの誕生日があって、その為のプレゼントを選ぶのに付き合って欲しいって言われて行ったんだよ」
「そうそう。元々、オイラとそこの桑原も行く予定だったんだけど、二人とも行けなくなっちゃって、結果的にってね。羨ましいのなんのって――」
「ずるーい。あたしも、ノブっちとデートしたい! お家デートもいいけど、二人っきりでお出かけしたーい」
まさか、この歳で休みの日にどこか連れてけと子供にねだられる親の気分を味わう羽目になるとは、夢にも思わなかった。
「はいはい、また今度気が向いたらな」
「なぁなぁ、オイラの話もちゃんと聞いてくれよ」
「てかさ。やっぱり、二人は付き合ってんの?」
おねだりする少女を宥めたり、構ってくれとばかりに主張する男子を無視して、桑原が核心的な部分に踏み込んできた。
女子という生き物は恋バナが大好物だと理解してるつもりだし、自分の恋はもちろん、他人の恋も気になるお年頃なのだろうが、ここで下手に誤魔化して雅君さんにも誤解されては敵わないので、関係性をハッキリ示しておいた方が良いだろう。
「違う違う。さっきもお家デートとか言ってたけど、怜空が勝手に上がり込んでるだけだから」
「ふーん。その割にはお互いあだ名で呼んだり、呼び捨てにしたり、随分仲良さそうだけど。趣味で意気投合したからって、そんな急に距離が縮まるもん?」
「あー、それはあたしが提案したの。苗字にさん付けとかで呼ばれると、なんか距離を感じて嫌でしょ?」
「分かる分かる。実は、私もずっとそれが羨ましくて…」
「でしょでしょ? だから、名前で呼んでって提案してさ、その代わりあたしも好きに呼ぶからって」
「すごーい。私には、そんなこと言う勇気無かったよ」
「だってさ、古雲くん。そこまで女の子に言わせて、アンタはどうするの?」
「じゃ、じゃあ…今度から、俺も…志音、って呼んで良いのかな?」
「…うん、その方が嬉しいな。それなら、私も…ノブくんって呼んで良い?」
「あ、あぁ…もちろん」
なぜか急に喉が渇いて、飲み物を口に運んだ。しかし、それでも潤った気がしない。
「じゃあ、オイラも志音ちゃんって呼ぶことにするわ」
「うん、いいよ。大耀くんもよろしくね」
「うーん…、嬉しいはずなのに、なんだろうな、この温度差は…」
大耀の言う通り、対応があっさりしていた気がするが、その差は一体何なのだろうかと思い、隣に座る彼女を改めて見ていると、視線に気づいた彼女と目が合った。
そして、お互い妙に意識してしまったことで気恥ずかしくなり、どちらともなく顔を逸らす。
「ん? どしたの、ノブっち? ちょっと顔赤いよ」
間の悪いことに、反対側には怜空がいたので逃げ場がない。
「そうか? 誰かさんが引っ付いてくるから、暑くなってきたのかもな」
「んー? ちょっとは、お色気作戦が効いてきたのかな?」
「あ、あー、そういえば、男の子の家に来たのって初めてだけど、結構キレイにしてるんだね」
「そういや、あたしも初めてだ。今まで全然そんな機会なかったし」
改めて女子たちに自室を見られると途端に緊張するが、見られて困るものも置いてないので、特に大きな問題は無いはずだ。
「さすがに毎日掃除してるわけじゃないけど、人を呼ぶことも多いからな。多少はね」
「へー、そーなんだ」
「あ、ゲームいっぱい並んでる。ちょっと見てもいい?」
「あぁ、全然。構わないよ」
個人的には、いっぱいというほど持っているわけではないが、普段あまりゲームをしない人からすれば、十分いっぱいあるように見えたのだろう。
志音と桑原が二人して漁っていたが、やがて目ぼしいものが見つかったらしく、一つのパッケージを手に取っていた。
「あ、バウハンだ。私、これやってみたかったんだー」
彼女がキラキラした目で見ていたのは、バウンティハンターというゲームだ。
プレイヤーは様々な武器を用いてモンスターを狩ることで賞金を稼ぎ、より強い装備を集め、さらに強大なモンスターに立ち向かっていくというもので、最大四人までの協力プレイが可能である。
「そうなの? 今はほとんど触ってないから、借りてっても良いよ」
「ううん、気持ちは嬉しいけど遠慮しとくね。どうせやるなら、一人でやるよりも、ノブくんたちと一緒にやりたいから」
「そういうことなら、大歓迎さ」
「あー、それならあたしもやるー!」
「いいね。オイラもまだ持ってるし、手取り足取り教えてあげるよ」
「じゃあ、ちょうど四人集まったね。ホントに初めてだから足引っ張っちゃうと思うけど、よろしくね」
「そんなん気にしなくていいのいいの。むしろ、初めから上手かったら、オイラたちの立場がないから」
「はいはい。それはいいけど、今度のテストが無事に終わってからの方が良いんじゃない?」
「それもそうだな」
「ふふっ、また勉強頑張らなくちゃいけなくなっちゃったね。今から楽しみだなぁ」
「おっしゃー! みんなで遊ぶ為に、オイラも頑張るぞー!」
それぞれ気合も入れ直したところで、学生の本分に向き合い、もうひと頑張りする一同だった。
何度か行われた勉強会の甲斐もあったらしく、無事に中間テストを乗り越えると、取り決めていた通り志音も交えて一緒に遊ぶようになった。
スマホでの簡単なゲームには馴染みがあっても、操作性が高いアクションゲームとなると勝手が違い、不慣れな操作で覚束ない動きを見せていたので、彼女の心配はある意味当たっていたといえる。
しかし、それも最初のうちだけで、徐々に慣れ始めてきた志音は、少しずつ上達していった。
初心者であるほど伸びしろも大きいので、成長ペースが早いのは当たり前だ。
次第に、足を引っ張るというほどのことは無くなり、一緒に楽しむことができるようになっていた。
一方、元々経験者だった怜空は、俺や大耀と遜色ないほどの腕前を持っていたこともあって、狩りがよりスムーズに進む場面も多く、頼もしい限りだ。
彼女たちのおかげもあって、いつもは二人でやっていたゲームを最大人数の四人でやることができたり、女の子が交じることでさらに新鮮な感覚で遊ぶことができた。
平日は、放課後に自宅からネットへ繋いでオンラインプレイ。休日になれば四人が一堂に集まって、オフラインでのローカルプレイに興じる。
オンラインでやる時も、スマホで通話を繋げてお互いの声が聞こえるようにしながらプレイしているものの、やはりその場に集まってやる方が、よりダイレクトに臨場感が伝わったり、一体感があって面白い。
そんな青春ともいえる新たな楽しい日々の中で、俺は着実に彼女への想いを募らせていた。
親しくなるにつれて見えてきた無邪気な彼女は、普段から隙が多く、時に無防備で危なっかしい。それは、ゲームの中の話だけでなく、現実でも同様だ。
だから、そんな彼女を俺が守ってあげないと…、なんて思うようになっていた。
そんなある日のこと――。
「そういえば、ノブくんには今まで何度かお願いを聞いてもらった気がするけど、その逆は全然ないよね?」
「あぁ、そう言われれば…そうかも」
すっかり友達の輪が広がって、四人でいることが多くなっていた今日この頃。休み時間ということもあって、怜空と大耀がトイレに出掛けた途端の出来事だった。
「ノブくんは、何か無いの? 私にお願いしたいこと。…って言っても、私にできることは、限られてるけどね」
「そうだな…」
純粋な眼差しで見つめられると、すぐに邪な考えを思い浮かべてしまった自分を恥じて申し訳なく思う。
しかし、実際これはチャンスではないのか。
俺が彼女に求めることはあるし、それは彼女にしかできないことでもある。
「今度、二人っきりで会う機会を作ってくれないか?」
「うん、それはもちろん良いけど…そんなことでいいの?」
「あぁ。ちょっと、話したいことがある…」
「…じゃあ、早い方が良いかな?」
「そうだな。決心が鈍らないうちに」
「うん、分かった」
自分で口に出してしまってから、余計なことまで言ってしまった気がして、既に勘づかれているのではないかと気が気ではない。
とはいえ、もう伝えてしまった以上後戻りもできず、彼女と放課後こっそり会う約束をして、その場は収まった。
夕暮れに染まった教室は、昼間の喧騒が嘘のように静かなものだ。
まだ部活をしている生徒もいるので、窓の外から声は聞こえてくるものの、随分遠く思える。
「二人には、悪いことしちゃったかな…?」
「またすぐ後で会うんだ。そんなに気にしなくても、大丈夫だろう」
いつもはびっしりと生徒で埋め尽くされている教室に、今は俺と彼女――志音の姿しかない。
入学から二か月近く経って、もう見慣れてきたはずの制服姿も、いつ見ても新鮮な私服姿も、どちらの彼女を見ても感想は一つだ。
「それで…、話っていうのを聞いてもいいのかな?」
「あぁ……」
お互いが窓の外を眺めるのをやめて、それぞれと向き合う。
普段、気にし過ぎないようにしていたが、妙に静かなことや改めて彼女と向き合ったことで、緊張して声がなかなか出てこない。
「…俺は」
今から言おうとしているのは、いつかは伝えたかったこと。そして、伝えた先にある一つの未来を望んでいる。
でも、それは成功か失敗か。二つに一つの答えから、自分の望む結果が得られなければ掴めない未来だ。もしかしたら、それを伝えてしまったことで、今の関係すら崩壊してしまうかもしれない。
今が楽しい。今の皆との楽しい生活を、ずっと続けたい。でも、その一方で、もっと素晴らしい未来を求めてしまうのだ。
入学当初思っていた理想は、叶いつつある。中学の頃よりも、さらに楽しい毎日を送れている。だから、踏み止まって現状を維持するという選択肢もある。
しかし、それでも――俺は彼女を求めてしまった。
「俺は、きっと…、一目惚れしてたんだろうな。入学初日、衝撃的な出会いをしてから、ずっとキミのことが頭から離れなかった。ずっと目で追いかけていた気がする」
「……」
「見れば見るほど魅力的で、知れば知るほど好きになった。そして、そんなキミを誰にも渡したくない。生意気にも、そう思ってしまったんだ」
「俺は、特別頭が良いわけでも無い。スポーツができるわけでも無い。ゲームだって、プロゲーマーになれるほどの腕前があるわけじゃない」
「平凡な俺には、見合わないかもしれない高望みかもしれないけど、俺は――志音、キミが好きなんだ。俺と付き合って欲しい」
――伝えるべきことは伝えた。俺にできるのはここまでだ。
そう思う反面、もっと他に言う事があったんじゃないかと後悔したり、あるいはもっと簡潔に述べるべきだったかと、頭の中はもうぐちゃぐちゃだ。
「……」
しかも、彼女がなかなか返事をくれないので、最後の審判を待つ沈黙の間が永遠にも等しく感じられ、どうにかなってしまいそうだった。
「…もちろん、これはお願いじゃない。だから、嫌なら断ってくれても――」
「…ごめんなさい」
ようやく彼女の口から聞こえた言葉は、今一番聞きたくない言葉だった。
だが、それが彼女の答えなら、俺は甘んじて受けるしかない。
そう、俺には到底叶わない夢だったのだ。これまで、一緒に過ごせていただけでも奇跡なのだから、感謝しなければいけないほどに。
「…私、ずるいね。嫌な女の子だよね…。ずっと、その言葉を待ってたの……」
「え…?」
ショックを受けて俯いていた俺が顔を上げると、彼女の目には涙が浮かんでいた。
「私も、あの日から…。悪いのは私なのに、それでも優しい言葉をかけてくれるノブくんのこと、ずっと気になってた…」
「私のこと気遣ってくれて、嬉しかった。一緒に買い物へ行ってくれた時も、優しくて楽しかった」
「いつの間にか、好きになっていたんだと思う。でも、やっぱり怜空ちゃんがいたから…、私なんかじゃダメだよねって思ってた…」
「怜空ちゃんはノブくんたちと仲良くなってから、ずっと楽しそうだった。私から見てても、怜空ちゃんがノブくんのこと好きなのは分かってたし、趣味も合うから、お似合いなんだろうなって…」
「だから、自分から気持ちを伝えられずにいたの…。ノブくんから“好き”って言ってくれたらいいなって、ずっと思ってた」
「…幻滅しちゃったかな? それとも、こんな私でも…ノブくんの彼女さんにしてくれる?」
涙ながらに笑みを浮かべる彼女を、放ってはおけなかった。
頭で考える前に足が動き、身体を震わせる彼女を激情に任せて抱き締める。
「当たり前だろ。俺が好きになったのは、そういう優しい女の子なんだから」
「ノブくん…、ぐずっ……、嬉しい…」
初めて彼女にちゃんと触れたことで、改めてわかった。こんな華奢な身体をした心優しい女の子は、俺が守ってやらなければ――と。
俺の胸の中で一頻り涙を流した彼女が落ち着いてくると、それと共に感慨深い気持ちも少しずつ落ち着いてきて、改めて自分が大胆なことをしてしまったと、今更ながら恥ずかしくなる。
「あー、でも良かった。上手くいって」
「ふふっ…。私は、二人っきりで会いたいって言われた時から、内心ドキドキしてたよ」
「そりゃあ、結果が見えてるんだから、まだいいよ。俺なんて、最初断られたのかと思って、もうダメだって…頭が真っ白になった」
「ごめんごめん。誤解させちゃったよね」
「ホントさ、もうこの世の終わりかと思ったぜ」
「もう、それはちょっと大袈裟だよ」
「告白ってのは、それだけ緊張する一世一代の大勝負ってことさ」
「ふふっ。うん、それは私もそう思う」
「はぁー、あとはあの二人を始め、周りになんて言われるかだな」
「…やっぱり、ちゃんと報告するつもりなんだね」
「そりゃそうさ。友達に隠し事はしたくないし、言わなくてもそのうちバレるだろうし…。あとは…その方が、気兼ねなく過ごせるだろ?」
「うん、そうかも。…怜空ちゃんには、ちょっと言いにくいけどね」
「仮に怜空に譲ったとしても、自分の望みとか幸せを諦めちゃうのは、優しいの度を越してるよ。俺は、ちゃんと志音自身に自分の幸せを掴んで欲しい」
「うん。ありがと、ノブくん…ちゅっ……」
どちらともなく近づいた二人は、ゆっくりと目を閉じて、お互いの唇を重ね合わせた。
「ノブくん、大好き…」
以前、俺のことを好きと言ってくれた彼女へ今回の出来事を報告する為、彼女の下へ電話を掛けた。
「もしもし? ノブっち、今日ちょっと遅いじゃん。何時から遊ぶのー?」
「悪い、ちょっと志音と話しててな」
「志音と…? へぇ…」
「それで、お前に伝えておきたいことがあってな」
「…嫌って言ったら?」
「あとで文面にして送るだけかな」
「…分かった。聞くから、はい、どーぞ」
今日の怜空は、やけに素っ気ないなと思いながら、手短に事を伝える。
「俺、志音と付き合うことになったんだ。でも、これからも怜空と友達なのは変わらないし、今まで通り仲良くしてくれると助かる」
「そう言ってくれるのは嬉しいけど…、自分がどれだけ残酷なこと言ってるか気づいてる?」
「あたしとしても、友達でいてくれるのは嬉しいよ。でも、あたしは…、あたしは…、誠直とそれ以上の関係になりたかったんだもん……」
「……」
「ねぇ、誠直。どうして、この国は一夫一婦制なんだろうね…?」
「…昔のお偉いさんが決めたからだろ」
「もし、一夫多妻制の国だったら、今みたいに一人の男の子に一人だけしか付き合えないなんて倫理観も無かっただろうし、誠直もあたしを選んでくれたかな…?」
「……」
最初、彼女の気持ちは恩義に基づいた好意だと考えて、その気持ちを受け取ってしまうのは、罪悪感が酷くて許せなかったが、今では少し考えが変わった。
ここまで真っ直ぐに思いを告げて、ずっと好きでいてくれていたことから、彼女の本気の熱意が伝わってきて、本物の純粋な好意に昇華したのではないかと思い始めていた。
しかし、今それを彼女に伝えるのは、さらに残酷なことであり、余計傷つけてしまうだろう。
なぜなら、それは同じ土俵に立った上で、彼女ではなく志音を選んだという事実を知ってしまうからだ。
「ごめん、困らせちゃったよね。あたし、今日はやめとくね。…でも、大丈夫。明日から、…明日からは、普通に戻るから」
「あぁ…、また元気な怜空が見られるのを待ってるよ」
「…バカ」
最後に、くぐもった声で罵倒されて、通話が切れた。
「…恋愛ってのは、テストよりも難しいな」